Mizudori’s home

二次創作まとめ

最高火力のアイコトバ

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■ED後時間軸

■短編

夜のエルティア海は漆黒の闇に包まれ、右も左も真っ黒に塗り潰された世界だった。
海上でエンジントラブルを起こした船は、最寄りの島に停泊する前に動力がストップしてしまった。
リクが機械室に籠ってエンジンの調子を見始めてから既に2時間ほどが経過している。
どうやら今夜はこの海上で一夜を過ごすことになるかもしれない。
狭い船内でずっと席に座っていることにいい加減飽きてきた僕は、気分転換のために甲板へ出ることにした。

室内から外に出ると、遮るものが何もないせいか風が強く吹いている。
扉を開けた瞬間突風が襲い掛かり、思わず顔を逸らす。
乱れた髪を整えながら眼鏡を押し上げると、甲板の端に先客の姿が見えた。
ユーニである。
真っ黒な夜の世界に真っ白な羽根は良く映える。
そよ風に髪と羽根を揺らしながら、彼女は空を見上げていた。
だが、寒がりな彼女にとって夜の海は少々寒かったらしい。
両手で自らの肩を抱きながら、小さく震えていた。


「何してるんだ」


後ろから声をかけると、彼女は一瞬だけこちらへと振り返るとまたすぐに空を見上げ始めた。


「星が綺麗だなぁって」
「星を愛でる感性が君にあるとはな」
「失礼な奴だなぁ。アタシだって星や月を眺めて黄昏れたい時だってあるんだよ」
「黄昏れるのは勝手だが場所を選んだらどうだ?流石に寒いだろ」
「船の中じゃ星見えないじゃん」


このままでは風邪をひく。早く船内に戻って体を温めたらどうだ?
遠回しにそう言ったつもりだった。
だが彼女には上手く伝わらなかったらしく、一向に船内に戻る気配はない。
相変わらず寒そうに自らの両肩を抱いているユーニにため息を零しながら、僕は首に巻いていたマフラーを彼女の首に巻き付けた。


「え、なに?」
「風邪を引かれたら困るから」
「心配性だなぁ」
「心配くらいするだろ。僕は君のパートナーだぞ」
「ま、確かにアタシが風邪引いたらお前も困るか。インタリンク出来なくなるし」


首に巻いた僕のマフラーの袖を両手でいじりながら、彼女は微笑む。
彼女の呟きに、僕は何も答えなかった。
ユーニが風邪を引けば戦闘に支障が出る。そうなれば一番に影響が出るのは僕だ。
彼女とは身体と命を共有する運命共同体だ。そういう意味では、確かにユーニのことは心配だった。
だが、彼女のことが心配な理由はそれだけではない。
ただ単に、ユーニに辛い思いをして欲しくないのだ。
風邪を引いて熱を出し、気怠そうにしている彼女の顔はあまり想像したくない。
ユーニにはいつでも元気で、明るいままでいて欲しい。
だが、そんな心情を素直に吐露するのは流石に気恥ずかしかった。


「見ろよ、水面に月が映ってる」
「あぁ、そうだな」
「夜だと真っ暗だからけっこうハッキリ映るんだな」
「……あぁ」
「綺麗だな、月」


真っ暗な水面に映る白い月を見下ろすユーニの横顔に視線を送る。
月と星々が放つ光だけが照らす彼女の横顔は、この世のものとは思えないほど美しく見えた。
けれど、それを言葉にするほどの勇気はない。
どうせ言ったとしても、彼女は笑いながら揶揄ってくるだろうから。

不意に、ユーニが僕の左肩に頭をもたげてきた。
彼女の重みを肩で感じ、心がぎゅっと締め付けられる。
白い羽根が首筋に触れて、ほんの少しだけくすぐったかった。
突然寄りかかってきた彼女の行動に戸惑い、僕の視線は自然と泳いでしまう。


「や、やっぱり、寒いんじゃないのか?」
「ちょっとな。でも、タイオンがいてくれればあったかいよ」


肌寒いはずなのに、ユーニの言葉で体と顔が火照りだす。
心がざわついて落ち着かない。
今が夜でよかった。明るい時間帯だったら、顔が赤くなっていることに気付かれていただろうから。
 
“そ、そうか”と返事をすると、彼女は身を縮こませながら僕の肩口に頬を寄せてきた。
まるで甘えるかのようなその行動はあまりにも可愛らしくて、思わず息が詰まる。
綺麗で、可愛くて、美しくて、繊細で、それでいて甘え上手なユーニを前に、僕はどんな言葉を贈ればいいのだろう。
何も言葉を贈れない代わりに、恐る恐る彼女の華奢な肩を抱き寄せた。
出来る限り密着して、体と体の間に隙間を作らないように引き寄せる。
距離が近くなればなるほど、心の距離も近付くような気がして。

あの頃は、ユーニに対して抱いていた感情の正体が分からず、気持ちを言葉にしようとは思えなかった。
だが、今は違う。
彼女へ向けられたこの感情がどれほど尊くて美しいものなのか、今なら十分よく分かる。
僕は、ユーニが好きだ。
あの頃言えなかったこの言葉を、いつかまた巡り合えた時に贈りたい。
そう思ってたのに、運命というのは時に残酷だ。


***

キャッスルの高い天井では、小さな物音でもよく響く。
謁見の間の端から端を行ったり来たり歩く僕の足音は、静かなこのキャッスルに響き渡っていた。
そんな僕の挙動を目で追いかけながら、セナと並んで立っているミオは呆れた表情を浮かべていた。


「タイオン。少し落ち着いて」
「君たちはこの状況でよく落ち着いていられるな」


立ち止まり、恨めしげな目で2人を見つめると、セナが困ったように眉をひそめながら隣のミオを見つめ、“だって、ねぇ?”と同意を求めていた。


「慌てなくても大丈夫よ、タイオン」
「慌ててない」
「じゃあ緊張してる?」
「それは……まぁ、少しは」


素直に緊張している事実を打ち明ければ、ミオとセナは顔を見合わせながら軽やかに笑う。
アイオニオンが“あるべき形”に戻って数年後、僕たちの世界は再び統合された。
2つの世界の女王の手によって再建されたオリジンは無事稼働し、アイオニオンという歪な世界が形成されることなく自然と2つの大地は融合した。
 
巨神界とアルスト。2つの世界が1つになったのはつい昨日のこと。
アルストを統べる女王、ニアから招集令を受けた僕たち3人は、久方ぶりにキャッスルへと赴いていた。
ここに訪ねてくる予定であるという、ノアやランツ、そしてユーニたちと再会するために。

彼らに会うのは一体何年ぶりだろうか。
いつかはこうして会える日が必ず来るとは思っていたが、こんなに早く“その日”がやって来るとは思わなかった。
皆に、ユーニに会ったら何を話そう。
伝えたいことは山ほどあるが、一番贈りたい言葉はただ一つ。
“君が好きだ”のたった一言だ。
伝えたら君はどんな顔をするだろう。
驚くだろうな。喜んでくれるだろうか。
あわよくば、“アタシも”と言って微笑んでほしい。
アイオニオンでは伝えられなかった愛の言葉を、会ったらすぐに伝えたい。


「緊張しているのは、恐らく向こうも同じですよ」


謁見の間の女王の椅子に座るニアは、背筋を伸ばし穏やかな微笑みを浮かべている。
彼女はアイオニオンが2つに裂けて以降も、巨神界の女王であるメリアと交信を続け、再び世界が統合するその日に向けて努力し続けてくれていた。
統合後、すぐに僕たちを呼び出して“彼ら”と再会する機会を与えてくれたのは、ニアの気遣いからくる行動である。
世界が1つになったことでやるべきことも増えただろうに、自分たちを優先してくれている女王には感謝してもしきれない。


「しかし、再会する前に話しておくべきかもしれませんね」
「話しておくべきって……?」
「彼ら巨神界の人間とは、乗り越えがたい大きな隔たりが……」


ニアの言葉を遮るように、謁見の間の重たい扉が重低音を響かせつつゆっくりと開き始めた。
僕たちの視線は自然と扉の方へと向き、開け放たれた先に立っている3人の見慣れた人影が視界に飛び込んでくる。
間違いない。“彼ら”だ。
 
両脇に立っていたミオとセナが、ほとんど同時に“彼ら”に向かって駆け出す。
それぞれのパートナーの胸に飛び込むと、再会の喜びを分かち合うかのように笑い合っていた。
そんな光景を横目に、僕は未だ遠くにいるユーニを見つめた。
あぁ、間違いなくユーニだ。ずっと会いたかった僕の好きな人が、すぐそこにいる。
 
心が浮遊する感覚を覚えたその瞬間、ユーニが僕に向かって走り出す。
自然と両手を広げると、彼女は迷うことなく僕の胸板に飛び込んできた。
ユーニが飛び込んできた瞬間、白い羽根が首筋に当たる。
このこそばゆい感覚も、鼻腔をくすぐる彼女の香りも、何もかもが懐かしい。


「ユーニ……っ、会いたかった」


本音は驚くほど素直に口から滑り落ちた。
震える声で囁くと、ユーニは僕の胸板をそっと押して僕の顔を見上げてきた。
吸い込まれそうほど透き通った青い瞳は相変わらず美しい。
その瞳で僕をまっすぐ見つめながら、彼女は満を持して口を開いた。


「荵?@縺カ繧翫□縺ェ、Taion。蜈?ー励□縺」縺?」
「……えっ?」


ユーニの口から放たれた言葉が、全くと言っていいほど聞き取れなかった。
“タイオン”という単語が一瞬横切ったのは分かったが、それ以外の言葉はまるで理解が出来ない。
よく聞こえなかっただけだろうか。
そう思った僕は、もう一度ユーニに聞き返してみることにした。


「す、すまないユーニ。もう一度言ってくれないか?」
「縺茨シ溘?↑繧薙※險?縺」縺滂シ?」
「……」
「……」


やはり、ユーニの言葉は全く理解できない。
表情を見るに、彼女も僕の言葉を理解できていないようだ。
一体なぜ?
数メテリ先にいるミオやセナたちの様子を盗み見てみると、どうやら彼女たちも同じ状況に陥っているらしい。
パートナーと互いに見つめ合いながら、怪訝な表情を浮かべている。
 
おかしい。アイオニオンにいた時は問題なく会話出来ていたはずなのに、どうして言葉が通じなくなってしまったのか。
まるで全く違う世界の言葉を話しているようだ。
“違う世界の言葉”?
いや、まさか。
嫌な予感がよぎったと同時に、背後にいる女王ニアへと振り返る。
すると彼女は、やはり困ったような表情を浮かべながら深いため息をついていた。


「やはり話しておくべきでしたね。アルストと巨神界では、使っている言語が違うということを」


女王の言葉は、僕の心を絶望させるに十分な威力を発揮した。
そういうことか。
元々1つの世界だったとはいえ、アルストと巨神界は分離してからかなりの時間が経っていると聞いた。
別々の世界として歩んできた歴史が長い分、使っている言語が全く違うものであっても何らおかしくはない。
よく考えればわかることだったのに、なぜ今までその可能性を考えてこなかったのか。
ユーニに会えることだけを考えて、ただただ浮ついてただけの過去の自分が恨めしい。
キョトンとした表情でこちらを見上げているユーニを前に、僕は伝えるべき言葉をすっかり見失っていた。


***


アルストと巨神界が統合されて約1週間。
相変わらず両者間にそびえたつ言語の壁は高く、2つの世界の住人たちは互いにコミュニケーションをはかりかねていた。
アイオニオンにいた頃、問題なく会話が出来ていたのは、ゼットによって強引に言語統一されていたからだったという事実を知ったのはつい最近のこと。
メビウスがあの世界で生きる上では、ケヴェスとアグヌスが互いに憎み合い、命を奪い合い続ける必要がある。
長く続く世界の戦争に、統一化された言語は必要不可欠だったのだろう。
だが、ゼットが消滅したことで、統一化されていた言語も同時に消え失せた。
こうして、世界の分裂と共に言語も分裂してしまったのだ。

アルストの住人で、巨神界の言葉に精通した者はほとんどいない。
女王であるニアでさえ、メリアとの交信は言葉ではなく“光”を用いていたため、巨神界の言葉には馴染みがない。
誰かに教わろうにも、知識がある者は一人もいなのだから学びようがない。
この絶望的な状況に置かれているのははミオやセナも同じらしく、彼女たちもパートナーとの意思疎通にかなり苦労しているようだった。
 
当然、僕もユーニとのコミュニケーションには苦労を強いられた。
会う約束を取り付けることすら難しいこの状況では、好きだの愛してるだの気持ちを伝えるどころではない。
だが、だからと言ってユーニを諦めるつもりはなかった。
折角また会えたのに、言葉が通じないだけで諦めたくはない。
同じ世界に生きている。ただそれだけで奇跡のような状況なのだ。
言葉の壁くらい、すぐに乗り越えて見せる。

ユーニが所属しているのは、巨神界地域のコロニー9。
コロニー9と言っても、アイオニオンにあったあの“コロニー9”ではない。
かつて巨神界を救ったという片腕の英雄が治めているコロニーで、巨神界地域のコロニーの中では最も大きなコミュニティである。
僕が所属しているコロニーガンマとは転移装置で繋がっているためいつでも行き来が可能だ。
ガンマとコロニー9を繋いでくれたのは、他の誰でもないニアとメリアの計らいだった。
その転移装置を利用し、僕は今日、初めてコロニー9へと降り立った。

大きな湖の上に建造されているコロニー9は、居住区、軍事区、そして商業区に区画が分かれている。
正面入り口は商業区に直結しており、橋の向こうに広がる市場には多くの人が行き交っていた。
さて、急に来てはみたものの、この大きなコロニーの中からユーニを見つけ出すのは至難の業だ。
しかもここにいる人間たちは言葉が通じない。
ユーニに会いたいがために衝動的に転移装置に乗ってしまった僕は、珍しくノープランだった。


「キミ、もしかしてアルストの人かな?」


突然耳馴染みのある言語で声をかけられ、思わず肩を震わせた。
振り返った先にいたのは、金色の長い髪をなびかせた一人の男性。
どこか風格あるその人物は、左の腰に真っ赤な大剣を携えていた。
この大剣、何故か見覚えがある。
色はノアがかつて持っていたブレイドに似ているが、形はアイオニオンの端にそびえたっていた“大剣”そっくりだ。
まさか、この人は——。


「僕の言葉が分かるんですか?」
「あぁ。昔少し勉強したことがあるんだ」
「あの、もしかして貴方は……!」
「Taion!?」


言葉を遮るように橋の向こうから名前が呼ばれた。
その声には聞き覚えがある。ランツだ。
相変わらず体の大きい彼は、橋の反対側で立ち尽くしている僕を見つけるなり大きく手を振りながら駆け寄ってきた。
そして、その強靭な筋肉がついている手で僕の肩を無遠慮に叩き始める。


「繧?▲縺ア繧ソ繧、繧ェ繝ウ縺倥c縺ュ縺?°?√↑繧薙□繧医??♀縺ウ縺ォ譚・縺溘?縺??」


相変わらず何を言っているのか分からないが、満面の笑みを浮かべていることから歓迎してくれていることは伝わってきた。
“痛い、やめろ”と伝えても、言葉が通じないせいでランツの痛みを伴う熱烈な歓迎は緩むことを知らない。
そんな光景を微笑みながら見つめていた例の赤い大剣の男は、嬉しそうに僕の肩を叩き続けているランツに話しかけ始めた。


「Lunz、蠖シ縺ッ遏・繧雁粋縺?°?」
「縺ゅ=縲。Eunie縺ョ逶ク譁ケ縺?繧」
「縺ェ繧九⊇縺ゥ、蠖シ縺」


2人の会話をなんとか理解しようとよく聞いてみたが、やはり耳なじみのない言語を理解するのは簡単ではない。
“ランツ”、“ユーニ”といった人名の発音は変わらないようだが、それ以外の単語が全く聞き取れない。
ずっとこの2人の会話を聞いていれば、ニュアンスでなんとなく察することが出来るようになるのだろうか。
そんなことを考えていると、不意にランツがこちらを向き、僕に向かって何か話しかけてきた。


「縺ァ縲、莉頑律縺ッ菴輔@縺ォ譚・縺溘s縺??、Taion?」
「え?」
「あぁ、“今日は何しに来たんだ?”と言っているんだ」


ランツの言葉を理解出来ずにいると、すかさず赤い大剣の男が通訳してくれた。
互いの言語を話せる者も理解できる者も少ない中で、彼のような存在は非常に頼もしい。
彼はランツとも顔馴染みのようだし、ただの通りすがりに申し訳ないが、しばらく通訳として活躍してもらうとしよう。


「えっと、ユーニに会いに来たんだが、彼女がどこにいるのか教えて欲しい、と伝えてもらえませんか?」
「了解。Lunz、蠖シ縺ッEunie縺ォ莨壹>縺ォ譚・縺溘i縺励>縲。縺ゥ縺薙↓縺?k縺狗衍繧峨↑縺?°?」
「Eunie?」


ユーニの名前を挙げた瞬間、ランツがにやりと不敵な笑みを浮かべた。
言葉は通じないが、3か月以上彼と旅をしてきたからこそ分かる。
あれはきっと“へぇ~、ユーニに会いに、ねぇ?”の顔だ。
物凄く面白がっている時の顔である。
“その顔やめろ”の意味を込めて彼を睨みつけてみるも、当のランツは一切ニヤケ顔を緩めることはなかった。


「螟壼?Noah縺ィ荳?邱偵↓縺?k縺ィ諤昴≧縺九i蜻シ繧薙〒縺阪※繧?k繧医?。譛溷セ?@縺ヲ蠕?▲縺ヲ繧阪h?」
「あっ、おい……!」


にこやかに何かを言い残すと、ランツは手を振りながらどこかへ走り去ってしまった。
止める間もなく行ってしまった彼は、言葉が通じずともせっかちで猪突猛進な性格は変わっていないらしい。
だが、せめて相手が自分の言葉をちゃんと理解できない人間だということを念頭に置いてコミュニケーションを取ってほしいものだ。
遠ざかるランツの背をむっと見つめていた僕の様子に気付いたのか、隣に立つ例の赤い大剣の男が再びにこやかに通訳に応じてくれた。


「“ノアと一緒だと思うから呼んでくる。期待して待ってろ”とのことだ」
「何が“期待していろ”だ。全く……」


翻訳された口ぶりから察するに、ランツも薄々気付いているのだろう。
僕のユーニへの気持ちに。
実際、好きじゃなければわざわざ言葉も通じないのに会いに来たりしない。
僕はこれでも所属しているコロニーガンマでは作戦立案課の課長に任命されているし、それなりに忙しい身だ。
好きでもない相手にこんな労力を割くわけがない。
全てはユーニのため。ユーニに気持ちを伝えるため。
それが今の僕の原動力となっていた。


「さっきランツが言っていたが、ユーニのパートナーだったそうだな?ということは、君もウロボロスの一員だったわけだな」
「えぇ、まぁ。よくご存じで」
「当然さ。君たちのお陰で、僕たちは救われたわけだからね。いろんな意味で」


含みを感じさせるその言葉の意味がよくわからず、僕は無意識に首を傾げていた。
確かに僕たちウロボロスがゼットを倒したことで、永遠に戦い続けるアイオニオンの運命を開放することは出来たが、彼のその言い方だと、もっと別の意味が孕んでいるような気がしてならない。
 
そもそも、僕たちウロボロスだった者たちや両国の女王たち、そして一部のノポンたち以外はアイオニオンにいた頃の記憶は失っているはずだ。
にも関わらず、ウロボロスのこともアイオニオンのことも知っているこの男は、やはりただモノではない。
 
腰に携えた赤い大剣といい、やはり彼はかつて巨神界を救ったという“神の生まれ変わり”なのではないだろうか。
そんなことを考え始めた矢先、例の男はその端正な顔でこちらを見つめながら“ところで”と話を変えてきた。


「君とユーニは、“そういう関係”なのかな?」
「“そういう関係”、とは?」
「異性として想い合っているのか、ってことだ」


ストレートすぎる質問に、言葉が喉の奥で詰まってしまう。
思えば、誰かに面と向かって“好きなのか?”と聞かれたことは一度もない。
当然だ。アイオニオンにいた時は“そういう感情”を理解できなかったのだから。
だが、今は違う。恋の何たるか、愛の何たるかはきちんと分かっているつもりだ。
分からないのは1つだけ。この胸に抱え込んだ大きな恋心の渡し方だけなのだ。


「……分かりません。向こうが僕をどう思ているのか分からないので」
「ということは、君はユーニに気があるわけか」
「……ま、まぁ、えっと、その、……はい」


気持ちを確認されるというのはかくも恥ずかしいことなのか。
多分今、顔が真っ赤になっているに違いない。
何故僕は名前も知らない初対面の男性にこんな話をさせられているのだろう。
今すぐ逃げ出したくなったが、ランツに“待っていろ”と言われた以上ここから離れるわけにはいかない。
そんな僕の事情を十分知っているはずのこの男は、僕の答えに満足そうに頷いていた。


「そうか。気持ちを伝える気はないのか?」
「伝えたくても伝えられません。互いの言葉を理解できないこの状況では……」
「気持ちを伝えるツールは、言葉だけに限らないんじゃないかな」
「というと?」
「ボディーランゲージってやつだ。手を繋いだり抱きしめたりするだけで、大体相手の気持ちは伝わってくるものだろう?」


それは僕自身考えたことがあった。
下手に通じない言葉でごり押しするより、黙って腰を引き寄せキスの1つでもしてやればこの気持ちも伝わるのではないだろうか、と。
だが、何度脳内でシミュレーションをこなしても最後にはユーニが僕に平手打ちをして終わるのだ。
好きでもない相手から強引に迫られたら、そんな反応になるのも当然だろう。
言葉が通じないせいで、ユーニが何を望み、何を嫌がるのかも探れない今、下手に積極性を出すと大やけどを負ってしまう可能性も大いにあるのだ。


「そういうのは僕のガラじゃありません。それにユーニの性格上、強引に迫ったらむしろ反発するかもしれない。最悪、平手打ちを貰う可能性も……」
「はははっ、確かに。想像に易いな」


僕の言葉を受け、男は機械で出来た右腕を腰に当てながら快活に笑った。
つかみどころのない人だ。明るい人であることは間違いないが、イマイチ何を考えているのかつかめない。
親身になってくれているようで、なっていないような……。
 
男の不思議な空気感に飲まれていた僕だったが、突然目の前にいる彼が僕の背後に視線を向けて優しく微笑みかけたことに気が付いた。
背後に感じる人の気配に、心が浮遊する。
振り返ると、そこには見慣れたユーニの姿があった。
 
白い羽根を指先でいじりながら、わずかに頬を紅潮させながらチラチラとこちらの様子を伺っている。
ミルクティー色の前髪から覗く大きな青い目を見た瞬間、僕は息を呑んだ。
と同時に、横でその光景を見ていた例の男が“ふっ”と笑みを零す気配がして、緩みかけていた口元を急いで引き締める。


「え、えっと、急に訪ねて悪かった。その、迷惑だったか?」


ユーニに問いかけてみるも、当然伝わるわけもなく彼女は僕を見上げながらきょとんつぃている。
あぁもう。どうしたら伝わるのだろう。
気持ちを伝えるどころか、これでは世間話すらままならないじゃないか。
一人で苛立っていると、横からあの赤い大剣の男がユーニに巨神界の言葉で声をかけ始めた。
どうやら僕の言葉を通訳していくれているらしい。


「諤・縺ォ譚・縺ヲ謔ェ縺九▲縺。霑キ諠代□縺」縺溘°?縺」縺ヲ險?縺」縺ヲ縺?k繧」
「縺?d、蜈ィ辟カ縺昴s縺ェ縺薙→縺ュ縺?¢縺ゥ……」
「そんなことないって」
「そ、そう、ですか」


たった1ラリーの会話で、2人のコミュニケーションは終了してしまう。
あぁまずい。何を言えばいい?
いや、どうせ何を言っても通じないのだが、“ただ会いたい”という衝動だけで来てしまったせいで、これからどうすればいいか分からない。
 
本音を言うと2人きりになりたい。でも今この赤い大剣の男を置いてこの場を去ったとして、彼女の言葉を通訳してくれる貴重な存在を失うことになる。
もういっそのこと、この男が近くにいてくれている内に気持ちを伝えてしまおうか。
彼に通訳してもらって、好きだという気持ちを伝えてしまうのだ。
そうだ。それがいい。言ってしまえ。
言語の壁という、ある意味ではメビウスよりも手強い敵が現れた今、通訳がいるというこの状況は願ってもない好機なのだ。
アイオニオンにいた時には言えなかったこの言葉を、今こそ彼女に贈るべきだ。

ゴクリと生唾を飲む。
喉につかえた二文字を何とか取り出そうと口を開けたその瞬間、ユーニがふっと笑顔を見せてきた。
僕の言葉が声に乗る前に、彼女の“Taion”という呟きが先行する。


「閻ケ貂帙▲縺ヲ繧具シ?」
「へ?」
「“お腹空いてる?”と聞いてるぞ」
「あ、えっと、さっき軽く食べてきたんだ」
「はぁ……。こういう時は、“空いてる”が最適解だ」
「えっ」


戸惑う僕を尻目に、男はユーニに向かって勝手に通訳を始める。
何を言っているのかは分からないが、恐らく“空いている”と答えたのだろう。
勝手に回答された僕の返答を聞いたユーニは、視線を男から僕へと移してまた言葉を続ける。


「縺倥c縺ゅき繝ャ繝シ螂ス縺搾シ?」
「“カレー好き?”だそうだ。好きだよな?」
「カレー?ま、まぁ嫌いじゃないですが……」
「螟ァ螂ス縺阪□縺昴≧縺」
「縺倥c縺ゅさ繝ュ繝九??吶〒荳?逡ェ鄒主袖縺?き繝ャ繝シ螻矩?」繧後※陦後▲縺ヲ繧?k繧茨シ」
「“食事に行こう”と言っているよ。譏ッ髱櫁。後″縺溘>縺昴≧縺?」
「えっ、ちょ、まだ何も言っていません!」


こちらの返答を聞く前に男は通訳を始めていた。
どうやら勝手にOKしてしまったらしく、男の返答を聞いたユーニは見る見るうちに表情を明るくさせていく。
断るつもりはなかったが、意にぞぐわぬ速度で食事の約束が取り付けられていく現状に、僕は戸惑いを隠せなかった。
やがて、彼女は僕の腕に自分の腕を絡めると、ぐいぐいと強引に引っ張り走り始めてしまった。


「陦後%縺?●Taion、縺薙▲縺。縺薙▲縺!」
「え、ユーニ、もう行くのか?」


強引に腕を引っ張ってくるユーニはやけに楽し気で、突然コロニーを訪れた僕を歓迎してくれているのが良く伝わってきた。
彼女に引き摺られながら背後を振り返ると、例の赤い大剣の男が穏やかに微笑みながら手を振っているのが見える。
もしかすると、彼にアシストされたのかもしれない。
結局彼の正体を問いただすことは出来なかったが、今は正体不明の“神もどき”に感謝しておくとしよう。

やがて僕の腕に絡んでいたユーニの腕は、ゆっくりと下に降りて来て僕の刻印のない左手に重ねられる。
手と手が重なった瞬間心臓が分かりやすく跳ねあがって、思わず前を歩くユーニを凝視してしまう。
一瞬だけ振り返った彼女は、口元に笑みを浮かべて楽しそうに目を細めていた。
悪戯なその笑みは、アイオニオンにいた時から何も変わらない。
 
相変わらず言葉は通じないが、それでもユーニの笑顔を見ているだけで彼女の心がすぐ近くにあるように錯覚できる。
言葉が通じないのならスキンシップで想いを伝えろ、というあの"神もどき"の助言は案外正攻法なのかもしれない。
こんなのガラじゃない。拒絶されるかもしれない。
けれど、手段を選んでいる場合ではない。

僕は君が好き。
この短い一言を伝える言葉を封じられたのなら、行動で分からせるのみ。
やるしかない。いまこそ覚悟を決めるときだ。
心の奥底で勇気を振り絞り、小さな決意を固めた僕は、重ねられたユーニの手を強く握り返した。


***


「あ゛ぁ……」
「すごいため息だな」


肩を脱力させながらテーブルに突っ伏したアタシを、ノアは苦笑いを浮かべながら見つめていた。
こんな状況に置かれているのだからため息くらいつくだろ。
ノアは昔から何事においても適応力に優れていた。
アイオニオンにいた頃、ウロボロスになった夜もノアだけは最初からずっと冷静だったし。
アタシにとっては予期せぬこの現状も、ノアにとっては大したことないのかもしれない。

巨神界がアルストと統合したのは1週間くらい前のこと。
“再会の日”と銘打たれたその日を、アタシたちはずっと楽しみにしていた。
当然だろう。ずっと会いたくて会いたくてたまらなかった“相方”に会えるのだから。
 
アイオニオンという残酷な世界で戦い続けていた時は、人間本来の生き方とは縁遠い10年を生き続けていた。
殺され、そして再生される人生に、“生き物としての自然さ”は一切ない。
けれど今は違う。人間本来の姿を手に入れた今は、あの頃理解できなかったこともきちんと咀嚼出来るようになった。
ひとを愛すること。だれかに恋をすること。そんな曖昧な感情も今なら共感できる。

会いたい。タイオンに会いたい。
会って、好きだと伝えたい。
アイオニオンにいた頃は伝えられなかったこの言葉を、目一杯の愛情をこめてぶつけてやりたい。
そう思っていた矢先、衝撃の事実が発覚した。
まさか、巨神界とアルストでは使っている言語が全く違っていただなんて。


「ノアはよくそんな平気な顔してられるよな。ミオとちゃんと会話できなくて悔しくねぇの?」
「歯がゆい時もあるけど、ミオの気持ちはよく分かってるから」
「……ふぅん」


コロニー9商業区、某喫茶店
端の席で紅茶を飲みながら、ノアとアタシはいつも通りの午後を過ごしていた。
とはいっても、“いつも通り”なのはノアただ一人だけ。
相対するアタシは気分が海底の一番底にまで沈んでいるせいか明るく会話する気になれずにいた。
 
ノアとミオが羨ましい。
2人はアイオニオンにいた頃から誰がどう見ても“そういう関係”だったし、揺るがぬほどの信頼関係を築けていた。
言葉が通じないというこの状況は、固い絆で結ばれた2人にとっては些事でしかないのだろう。
けれど、アタシにとっては違う。
アタシとタイオンはノアとミオのように“そういう関係”になり切れていないし、アイツがアタシをどう思っているのかもイマイチ分からない。
 
嫌われてはいないと思う。むしろ好かれてはいるのだろうけど、その“好き”が相方としての“好き”なのか異性としての“好き”なのかは判別のしようがない。
再会してからのアタシたちにこそ、“言葉”は必要不可欠な存在だったのに。


「ユーニ!いるか!?」


突然、店にランツが飛び込んでくる。
どうやらアタシを探しているらしい。
手を挙げて居場所を教えると、ランツは周囲の空席をつま先で蹴りながらドタドタとアタシたちの席に駆け寄ってきた。
全く騒がしい奴だ。何があったのかと問いかけると、ランツはニヤニヤと笑みを浮かべながらとんでもない事実を口にした。


「ユーニ、タイオンが来てるぞ。お前に会いたがってる」
「は!?」


テーブルを両手で叩いて立ち上がった瞬間、置かれていた紅茶のカップが倒れそうになりノアがとっさに押さえた。
だが、今は紅茶のカップに気を遣っている場合じゃない。
タイオンが、あのタイオンがコロニー9に来ているのだ。


「な、えっ?なんで!? なんで急に!?」
「さぁな。お前に会いたくなったんじゃねぇの?」
「えぇ……」


そうなのかな。他に用事があってたまたまコロニー9に来て、“ついでだしユーニにも会っておくか~”的なノリで呼び出されただけじゃなかろうか。
アタシに会いに来ただなんてそんなのアイツのガラじゃないし、ありえない、よな?
どうしよう。急に来られても困るだろ。あぁもうどうしよう。
髪を指でいじりながらそわそわと窓の外を覗き込んでみるも、ここからでは何も見えない。
そんなアタシに、テーブルに頬杖をついたノアがほほえみかけてきた。


「ユーニ、行ってきたらどうだ?タイオン待ってるぞ?」


ノアの言葉に背中を押される形で、アタシは一人店を出た。
“行ってきたらどうだ?”と言われても、会ったところでお互い何言ってるのか分からないんだから意味ないのに。
どうせ意思疎通出来なくて変な空気になるのは分かり切っている。
言葉の通じない相手に会って、何を話せと言うのか。

やがて、商業区とコロニーを繋ぐ入り口の橋に差し掛かったところで、2つの人影が目に付いた。
1つはこのコロニーを治めている片腕の英雄、シュルク
そしてもう一人は、この世でアタシが一番好きな人。
アタシの存在に気が付いたタイオンが、その褐色の瞳でアタシをまっすぐ見つめてくる。
その目に見つめられた瞬間、どうしようもなく心臓が締め付けられた。

あぁもう。顔見ただけで恥ずかしくなるとかもう末期じゃねぇか。
そういうガラじゃねぇだろアタシは。
体の奥の奥から湧き上がってくる真っ赤な羞恥心を必死に抑え込みながら、タイオンへと歩み寄る。
アタシを見下ろすアイツの目が、ほんの少し熱を帯びているように見えたのは、アタシの考え過ぎだろうか。


***

タイオンを連れてやってきたのは、コロニー9でアタシが一番気に入っている店だった。
商業区のど真ん中に位置しているこの店はいつも繁盛していて、なかなか席が確保できないことで有名である。
ここのメニューはどれも美味いが、店主であるコパㇺの特性カレーは特に美味いと評判だ。
アイオニオンで食べたモニカのカレーにも負けないくらい美味いこのカレーを、是非タイオンにも味わってほしかった。

コパㇺの店は今夜に限って珍しく空いており、並ぶことなくカウンター席に腰かけることが出来た。
注文してほどなく、コパㇺによってカレーが運ばれてくる。
香り立つ湯気は食欲をそそり、無意識にごくりと生唾を飲んでしまう。
“いただきます”と手を合わせて食べ始めると、隣の席に座っているタイオンもアタシに続いてカレーをつまみ始める。
スプーンで一口食べた瞬間、眼鏡の奥にあるタイオンの褐色の瞳が宝石のように輝いた。
言葉なんてなくてもその表情1つで分かってしまう。
気に入ってくれたのだな、と。


「鄒主袖縺?↑」


二口目を口内に運びながらタイオンが何やら呟く。
何と言っているのかは分からないが、きっとこのカレーを褒めているのだろう。
無理もない。オドリンゴを隠し味に使ったこのカレーを“不味い”と評した人物は今まで一人もいない。
どんな味音痴でも、きっとこのカレーはだけは美味いと感じるはずだ。


「ん~!やっぱりうめぇっ」


カレーを食べ進めながら、アタシは一人呟いた。
上品な辛さの中にほんの少し感じるまろやかな甘みが癖になる。
この味を堪能するたび、自然と笑顔がこぼれてしまうのはアタシだけじゃないはずだ。
今夜ここにタイオンを連れてきたのは、生まれ育った巨神界にあるアタシの好きなものを紹介したかったからだ。
アイオニオンにはない、タイオンが知らないアタシの好きなもの。
それを1つでも多く知ってもらいたいたかったんだ。


「蜿ッ諢帙>……」
「ん?」


カレーを食べ進める手を止めたタイオンが、隣に座っているアタシをじっと見つめながら何かをつぶやいた。
相変わらず何を言っているかは分からない。
無駄と知っておきながら聞き返すと、タイオンはまた別の単語をつぶやく。


「邯コ鮗励□縺ェ、蜷帙」
「んー?」
「繝「繝?k繧薙□繧阪≧縺ェ」
「なに?」
「蜒輔□縺代?繧ゅ?縺ォ縺ェ繧後?縺?>縺ョ縺ォ」
「なんて言ってるのか分かんねぇよ」


タイオンは少し寂し気に笑うと、前を向き直り残りのカレーを黙々と食べ始めた。
こいつは何を言っていたんだろう。
アタシに何を伝えたかったんだろう。
何ひとつとして分からない。
こっちの言葉が相手に伝わらなくても、せめて向こうの言葉が少しは理解出来たらいいのに。
そうしたらきっと、もっとタイオンに近付けるのに。


***

店を出ると、外は既に暗くなっていた。
これからどうしようかと話し合おうにも、タイオンとは簡単なコミュニケーションしか取れない。
行く当てもない。どこに行きたいのか聞きだすこともできない。
けれど、まだ別れたくはない。
 
心に渦巻く素直な気持ちに従って、アタシはタイオンの手を握った。
驚いたように目を丸くさせた後、少しだけ赤くなって顔を逸らし、眼鏡のブリッジを押し込む。
照れたときによくしていたその癖だけが、タイオンの気持ちを知る唯一の手掛かりだった。

嫌じゃないんだな。
そう判断したアタシは、タイオンの手を握ったままゆっくり歩き出す。
すると、向こうもアタシの手を柔い力で握り返してきてくれた。
受け入れてもらえたような気がして、心が浮つく。

必然的に訪れた沈黙の中を、アタシたちはゆっくり歩く。
商業区を抜け、中央区へ向かう橋に差し掛かると、人通りはまばらになりコロニーの喧騒は背中越しに小さくなっていった。
思えば、タイオンと一緒にいてこんなに長い間黙っていたのは初めてだ。
 
アタシはお世辞にも“大人しい方”とは言えないし、アイオニオンにいた頃は隣にタイオンがいればずっと喋っていられた。
あの頃、どうでもいい話はいくらでもできたのに、いざ大切な気持ちを伝えたくなったときにはもう、言葉は役立たずになっていた。
言葉を交わせていた頃のアタシたちは、どんな話をしていたっけ?
くだらない事で喧嘩して、揶揄い合って、よく笑っていた気がする。
今は、あのどうでもいい口喧嘩すらも恋しく感じてしまう。

ふと空を見上げると、真っ暗な夜空の真ん中に美しい三日月が浮かんでいるのが見えた。
月の光があたりを照らし、星々を一層きらめかせている。
なんとなく立ち止まり、タイオンの手を放して橋の欄干に身を乗り出してみると、夜の闇で真っ暗になった湖面に白い三日月が反射して見えていた。
 
そういえば、昔同じような光景を見たような気がする。
確かあればエルティア海を船で横断していた時のことで、エンジンの調子がおかしくなったから海の真ん中で停泊したんだ。
あの時も美しい月が出ていて、夜の闇で真っ黒に染まった水面に白い月が浮かんでいた。
隣にはタイオンがいて、肌寒さに震えていたアタシの首ににあのダサいマフラーを巻いてくれたんだっけ。

あの時のタイオン、優しかったな。
ぶっきらぼうだけど、遠回しな優しさでいつもアタシを包んでくれる。
そんなアイツが、アタシはずっと前から——。


「鬚ィ驍ェ縺イ縺上◇、Eunie」


名前を呼ばれたと思ったら、何かが肩にかけられた。
それは、タイオンが先ほどから羽織っていた白い外套だった。
すぐ隣にやってきて、同じように橋の欄干に腕を乗せたタイオンは、あの時と同じ顔をしている。
照れくさくてたまらない癖に、平静を装った意地らしい顔。
アタシ、その顔も結構好きなんだ。
そう言って揶揄ってやりたいのに、言葉はどう頑張っても届かない。


「タイオン」


唯一伝わる言葉は、互いの名前をあらわす単語だけ。
名前を呼ぶと、タイオンは褐色の瞳をアタシに向けてきた。
その目を見つめながら、アタシは問いかける。
どうせ通じるはずもないのに。


「今のアタシたち、きっと同じ気持ち、だよな……?」


困った顔をするだけで、タイオンは何も答えない。
分かっていたはずなのに、YESともNOとも言ってくれない目の前の男に、心が締め付けられた。
タイオンのことは大体知っている。
趣味、思想、好きな食べ物も得意な戦法も、アイオニオンにいた頃たくさん知った。
知らないのは、アタシへの気持ちだけ。
 
なぁタイオン。アタシのこと、どう思ってる?
表情や仕草だけじゃ確信が持てないよ。アタシが欲しいのは言葉なんだ。
“好き”の一言さえもらえれば、それだけで安心できるのに。

あぁ、なんだかもう泣きそうだ。
伝えたい気持ちはたくさんあったはずなのに、言語の壁に阻まれて何も伝えられない。
恋しかったタイオンはすぐ隣にいるはずなのに、心はうんと遠い場所にあるような気がする。
言葉を交わせないだけでこんなに不安になるなんて、アタシ、こんなに弱い人間だったっけ?
 
青い瞳に涙が溜まる。
最悪だ。泣くな、アタシ。泣いたってなにも変わらない。
それに、こんな状況で泣いたらタイオンを困らせるだけだろ。
そもそも喋れないだけでシクシク泣くなんてアタシのガラじゃない。
泣いちゃだめだ。絶対泣くな。

湖面に浮かぶ三日月を見つめながら心の中で言い聞かせるアタシに、タイオンは何も言ってこなかった。
何も言わない代わりに、隣に立っていたはずの彼はアタシの背後にそっと回り、背中から腰に腕を回し抱きしめてきた。
息が止まる。
頭が真っ白になる。
アタシを背中から包んでいるタイオンは、耳元に口を寄せて、聞き慣れたあの深い声でアタシの名前を呼んだ。


「螂ス縺、Eunie」


今、なんて言ったの?
何を伝えようとしているの?
振り返った先には、真っ赤な顔をしたタイオンの顔があった。
その顔を見た瞬間、心が、体が、心臓が、思考が、すべてタイオンの色に塗りつぶされたような気がした。
 
見つめ合う視線と視線が絡み合い、アタシの視界にはタイオンだけが映っている。
今なら、言葉なんてなくても想いを伝えられるかもしれない。そう思った矢先だった。
先ほどまで耐えていたはずの涙が、油断した拍子に目尻から一筋だけこぼれ落ちてしまう。

あ、まずい。
そう思った瞬間、こぼれ落ちた涙を見たタイオンは目を見開き、焦りながらアタシから素早く距離を取ってしまう。


「縺、縺斐a繧!」


上擦った声を挙げながらアタシの身体を開放したタイオンに、こっちまで焦ってしまう。
相変わらず言葉は理解できないが、おそらく謝っているのだろう。
タイオンの申し訳なさそうな表情が、その心情を分かりやすく物語っている。
 
きっと勘違いさせた。拒絶の涙だと思われた。
誤解を解かなくちゃ。嬉しかったんだと伝えなきゃ。
もっと抱きしめてほしいと、近づいてほしかったんだと言わなくちゃ。
両手を軽く挙げ、申し訳なさそうに距離をとるタイオンに、アタシは無駄だと知りつつ言葉を投げかける。


「豕」縺九○繧九▽繧ゅj縺ッ縺ェ縺九▲縺溘s縺!」
「ち、違う。違うって!」
「譛ャ蠖薙↓縺斐a繧!」
「嫌じゃなかった!拒絶したわけじゃ……」
「縺斐a繧、繧ゅ≧縺励↑縺?°繧……」
「違うんだってば!」


何を言っても伝わらない。
平行線をたどる言い合いに限界を感じたアタシは、思わず声を荒げてタイオンの服にしがみついた。
ようやく、おそらく謝罪の言葉を言い続けてたタイオンの口が止まる。
伝わらないのは分かってる。
どうせ口にしたって、意味ないことは分かってるんだ。
でも言わずにはいられない。
すれ違う言葉が二人の心を突き放してしまう前に、せめて、この気持ちだけは吐き出してしまいたい。


「好き……っ、タイオンが、好き」


通じないと分かっていながら言うなんて、こんなのただの言い逃げだ。
一方的過ぎてズルいのは承知の上。
でも仕方ないだろ。この気持ちは揺るぎようのない真実なんだから。
なぁタイオン。賢いお前なら気付いてくれるだろ?
このかすれた声に、震えた声に、アタシがどんな感情を込めているのか。

両目からこぼれ落ちる涙を気にする余裕なんてない。
縋るような目でタイオンを見上げると、やっぱり彼は困ったような、申し訳ないような表情を浮かべながらアタシを見下ろしていた。
あぁ、やっぱり伝わらない。
この気持ちは、どう頑張ったってタイオンには届かない。


「———ゴメン」
「Eunie!?」


タイオンの脇を抜けて、アタシは逃げ出した。
これ以上この場にとどまっているのが辛くて、いたたまれなくて。
タイオンはアタシの名前を呼んで引き留めようとしていたけれど、その声に応える気にはなれなかった。
立ち止まったところで、どうせなにも伝えられない。
これ以上、無駄にすれ違うのはもう嫌だった。


***

どんなに気分が落ち込んだ日でも、朝は平等に訪れる。
ベッドから起き上がったアタシは、気怠い頭痛に頭を抱えた。
昨晩、家に帰ったアタシはしばらく枕に顔を埋めながら泣いていた。
長時間泣き続けると目頭から頭にかけて痛みが伴う。
あんなに泣くんじゃなかった。
昨晩、安易に泣きはらしてしまった自分の行動を反省しつつ、アタシは寝室を出た。
 
家を出る直前、コート掛けに昨日タイオンから借りた白い外套が掛かっていることに気が付く。
そういえば返すのを忘れていた。
返しに行こう。昨日のことも謝らなくちゃ。どうやって謝るべきかも分からないけど。

外套を手に取り家を出ると、いつも通りのコロニー9が眼前に広がった。
あの後、タイオンは無事にコロニーガンマへ帰れただろうか。
子供じゃないんだから大丈夫か。
せっかく来てもらったのに、あんな風に逃げたりするのは流石に不味かったな。
怒ってるかな。もしかしたら傷付いてるかも。
あぁ、気が重い。会いたいのに、会いたくない。

コロニーガンマへと繋がっている転移装置は軍事区に設置されている。
そこに向かうには、昨日タイオンと過ごした中央区の橋を渡らなくてはならなかった。
昨日と同じ場所で足を止めたアタシは、欄干に腕を置いて湖面を見下ろす。
昨晩と違い太陽の光に照らされている湖面は、空の青をハッキリと映し出していた。 
その澄んだ青を見下ろしながら、アタシは考える。
どうすればタイオンに気持ちを伝えられるのだろかと。
 
言葉を封じられた今の状態では、ほんの些細な行動1つで心がすれ違ってしまう。
頬を伝う涙が“拒絶の涙”なのか“喜びの涙”なのかすらも、うまく伝えることが出来ない。
伝えることは無理でも、せめてタイオンの言葉を理解することが出来たなら、少しは状況が好転するかもしれないのに。
でも、アルストの言葉を知っている人間なんてほとんどいない。
教わろうにも教えてくれる人がいないんじゃ——。


「あれっ、そういえば……」


昨日、タイオンがこのコロニー9にやってきた時、彼はシュルクと一緒にいた。
タイオンが来てくれた事実に気を取られて全く違和感を感じなかったけれど、あの時のシュルクはアルスト言葉を話していた。
アタシとタイオンの間に立って、通訳のような真似事をしていたじゃないか。
もしかすると、シュルクならアルストの言葉を教えてくれるのかもしれない。


「随分暗い顔だな、ユーニ」


背中からかけられた声に肩をびくつかせ、勢いよく振り返る。
そこには、穏やかな笑顔を浮かべた金髪の美丈夫が立っていた。
隻腕の英雄、シュルク。このコロニー9の統治者と言っても過言ではないこの男なら、きっと力になってくれる。
タイミングよく声をかけてきたシュルクを前に、アタシはまるで神頼みするかの如く手を合わせた。


シュルク、頼みがあるんだけど……」
「頼み?僕に?」
シュルクにしか頼めないことなんだ。アタシの人生がかかった大事な頼み!」
「人生か。随分壮大な話だな。その頼み、断ったらどうなるんだ?」
「多分、一生悩むことになる。辛くて、寂しくて、ずっと泣き続けると思う」
「そうか。なるほど」


少しだけ大袈裟だったかもしれない。
けれど、アタシにとってはそれくらい重大なことなんだ。
手を合わせて必死に頼み込むアタシを前に、シュルクはその機械で出来た腕を組みながら再び笑顔を見せ、そして言った。


「それは穏やかじゃないな」


***

案内されたのは、軍事区の奥の奥。
研究棟と呼ばれる建物だった。
ここはシュルクの仕事場でもあり、機械いじりを得意とする彼は一日中ここに籠って何やら研究をしている。
あの“オリジン”も、ここで構図が練られたのだと知ったのは、アイオニオンから世界が分裂した大分後の話である。
 
シュルク専用の整備室に入った瞬間、空間の中央に設置された台座に堂々鎮座している赤い大剣が目に付いた。
巨神の大剣、モナドである。
神をも斬る剣として知られるこの大剣は、シュルクと彼の義兄しか扱えない貴重な代物だ。
そのモナドをじっと観察していたアタシに、シュルクはいつの間に淹れたらしいコーヒーを差し出してきた。


「アルストの言葉を教えてほしい、か。それは昨日の青年のためかな?」


熱々のコーヒーが注がれたカップを受け取ったアタシは、控えめに頷いた。
“そうか”と呟いたシュルクは、少し錆び付いたローラー付きの椅子を引いて腰掛ける。


シュルクはアルストの言葉、知ってるんだろ?」
「あぁ。少しだけだけど」
「誰に教わったんだよ?」
「アルストに似たような境遇の友人がいてね。彼に教わったんだ」
「ふぅん、友人ね……」


このシュルクという男は謎の多い存在だった。
かつて巨神界を救った英雄であり、女王であるメリアの盟友であることは有名だが、それ以外のことはイマイチよくわからない。
ウロボロスでもないのにアイオニオンの記憶を持っていたり、アルストに友人がいたり。
アイオニオンをめぐる一連の騒動にどう関わっていたのかは分からないが、得体のしれない人物だということは間違いない。
ミステリアスな空気を醸し出すシュルクは、飲んでいたコーヒーのカップを鉄製のテーブルに置くと、前のめりになりながらアタシをまっすぐ見つめてきた。


「教えるのは勿論構わない。けど、一から教えるとなるとずいぶん時間がかかるな」
「何もかも教えてもらおうとはアタシも思ってねぇよ。これだけは教えてほしいって単語がいくつかあるから、それだけ教えてくれればいいから」
「了解。じゃあ、なにから教えようか?」


シュルクが腰掛けている椅子の近くに歩み寄り、両手で持っていたコーヒーのカップをテーブルに置く。
まだ半分以上残っているカップのコーヒーには、不安げな顔をしたアタシの顔が映っていた。
あぁもう。今さら恥ずかしいなんて思うなアタシ。
雑念を振り払うようにふるふると頭を振り、意を決してシュルクに1つ目の質問を投げかけた。


「“好き”って、アルストの言葉でなんていうの?」


シュルクは目を丸くした後、クスッと笑みを零した。
予想通りの反応に、抑え込んでいた羞恥心がこみ上げてくる。
そんなアタシを見つめながら、シュルクは組んだ足に頬杖を突きながら問いかけてきた。


「好きなんだな」
「……うっせ。それより早く教えろよ。何て言うんだよ?」


揶揄うように笑うシュルクの視線から逃れるように顔を逸らす。
すると、シュルクは口元に笑みを浮かべながらさらりと教えてくれた。


「“螂ス縺”」
「え?」
「アルストの言葉で“好きだ”は、“螂ス縺”って言うんだよ」


それは聞き覚えのある響きだった。
あれはたしか、昨晩中央区の橋の上であいつに抱きしめられた時、耳元で囁かれた言葉。
“螂ス縺、Eunie”
あの時、タイオンは確かにそう言った。
耳に残っている響きは今でも覚えてる。
アタシの名前以外何を言っているのか分からなかったけど、シュルクの教えが真実なら、あの時タイオンが言いたかったのは、きっと——。


“好きだ、ユーニ”


「ほんとに?ほんとにそれが“好き”って意味なの!?」
「あぁ。間違いないよ」


真っすぐ目を見て話すシュルクが嘘を言っているとは思えない。
まさか、本当にタイオンは……。
心にかかった濃い霧が、少しだけ薄くなったような気がした。
“他に知りたい言葉は?”と聞いてくるシュルクの言葉に、アタシは記憶の糸をたどり始める。
他にタイオンが言っていた言葉を、記憶の奥の奥から引き出して、その意味を知りたい。
思いついたのは、コパムの店で食事をしていた時に一方的に告げられた言葉たち。
何を言っているのか気になって、耳に残ったまま離れなかったのだ。


「じゃ、じゃあ、“邯コ鮗励□縺ェ”は?」
「確か……“君は綺麗だ”だったかな」
「“繝「繝?k繧薙□繧阪≧縺ェ”は?」
「うーん……。“繝「繝?”は“どうせ”とか“結局”という意味だったから、多分“どうせモテるに違いない”かな」
「“蜒輔□縺代?繧ゅ?縺ォ縺ェ繧後?縺?>縺ョ縺ォ”は?」
「難しいな。えーっと、たぶん、“私だけのものになってくれたらいいのに”かな」


シュルクの通訳によって次々判明してくるタイオンの言葉に、自然と顔が火照り始める。
バラバラになったパズルのピースのような記憶の欠片を繋ぎ合わせれば、分からなかったタイオンの言葉が少しずつ理解出来てくる。
アタシは再びアイツとの会話を思い出してみることにした。
シュルクが教えてくれた訳を参考に思い返すと、タイオンの気持ちがだんだん見えてくる。

rb:邯コ鮗励□縺ェ、蜷帙 > 綺麗だな、君は
“んー?”
rb:繝「繝?k繧薙□繧阪≧縺ェ > どうせモテるんだろうな
“なに?”
rb:蜒輔□縺代?繧ゅ?縺ォ縺ェ繧後?縺?>縺ョ縺ォ > 僕だけのものになってくれればいいのに
“なんて言ってるのか分かんねぇよ”

なんだそれ。
あいつ、そんなこと言ってたのかよ。
アタシなんかより、ずっと気持ち伝えてくれてたじゃん。
どうしようもなく顔が赤くなる。
熱を帯びた顔を隠すために口元を手で覆うアタシを見て、シュルクは優しく微笑んでいた。


「どうやら、思ったより深刻じゃなさそうだね。他に知りたいことはある?」
「……うん。もう少し付き合って。タイオンの言葉、なるべくたくさん知りたいから」


バクバクと跳ねる心臓の鼓動を感じながら、アタシはシュルクに延長を強請った。
きっとシュルクも忙しいはずなのに、嫌な顔ひとつせずに彼は“いいよ”と微笑んでくれる。
アイオニオンにいた頃から座学は得意な方だった。
タイオンほどの賢さはないかもしれないけれど、それでも本気になれば少しはやれるはずだ。
全てはタイオンに気持ちを伝えるために。
タイオンから借りた白い外套を胸に抱えながら、アタシは神経を研ぎ澄ましてシュルクの言葉を聞いていた。


***

「はあぁぁぁ……」


コロニーガンマを見下ろす空は今日も変わらず晴天で、僕の心とは対照的に晴れ渡っていた。
太陽が西に傾き始めた頃、僕は1人コロニーの中心を重い足取りで歩いていた。
目指すは転移装置。コロニー9へ向かうためである。
 
何の計画もなくコロニー9にいるユーニへ会いに行ったのは昨晩のこと。
隻腕の英雄殿のとりなしで無事会えたのはよかったが、問題が起きたのはそのあとのことだった。
湖面に映る美しい三日月を見つめながら、寂しげな視線を向けて来るユーニに、つい手を伸ばしてしまった。
やめておけばいいのに、後ろから抱きしめて“好きだ”と囁いた。
どうせ伝わるはずもないのに、一方的に気持ちを押し付けようだなんて卑怯にもほどがある。
案の定、こちらを振り返ったユーニはその大きな瞳から涙をこぼしていた。
 
言葉を交わすことが出来ない僕たちは、互いの気持ちを確かめ合うことが出来ない。
ユーニもきっと同じ気持ちに違いないと勝手に決めつけて、強引な真似をしてしまった。
拒絶の涙を流すユーニを見た瞬間、僕は急いで彼女から飛び退き謝罪した。
彼女も必死で何か言っていたが、きっと怒っていたに違いない。
最後は泣きながら掴みかかって来たくらいだし。


「嫌われた、よな……」


言葉が通じないのだから、誤解させないために行動には一層気を付けるべきだった。
にも関わらず、どうしてあんなことをしてしまったのか。
あの隻腕の“神もどき”のせいだ。彼が“ボディーランゲージが云々”などとふざけたことを言うから。
いや、人のせいにしてどうする。それを真に受けて実際行動に移したのは僕の判断だ。責任はすべて僕にある。
謝らなくては。これ以上嫌われる前に謝って、何とか関係性を修復しなくては。
言葉は通じずとも、頭を下げれば謝罪している意思は伝わるだろう。

ユーニへ謝罪するシミュレーションを頭の中で展開していた僕だったが、ふいにコロニーの入り口あたりが騒がしいことに気が付いた。
数人の男が、一人の女性を囲んでいる。
恐らくナンパでもしているのだろう。
全くこんなところで迷惑な。
 
呆れながら視線を向けると、男たちの身体の間から囲まれている女性の横顔が一瞬だけ垣間見えた。
その顔を見た瞬間、僕は足を止める。
ユーニだ。間違いない。白い羽根を逆立てながら、周りを囲んでいる男たちに怒った様子でなにやら喚ている。
なぜ彼女がこんなところに?
もしかして、僕に会いに来てくれたのか?
いやでも、昨晩はあんなに怒らせてしまったし、もしかしたら僕じゃなくミオやセナに会いに来ただけかもしれない。
 
声をかけるべきか?男たちに囲まれて困っているようだし。
ユーニの言葉はこのコロニーガンマでは一切通じない。
あのナンパ男たちをどれだけ言葉で拒絶しようが、通じなければ追い払うこともできないだろう。
どうする?どうする?

考えているうちに、男の一人がユーニの肩に手を触れた。
その瞬間、頭のてっぺんに血が上っていく。
考えるより先に足が動いていた。
地面を踏みしめるようにしてまっすぐ突き進み、男たちをかき分けてユーニの元へ急ぐ。
彼女の肩に触れていた男の手を掴み上げた瞬間、ユーニが僕を見てほんの少し驚いたような表情を見せた。


「すまない。彼女は僕のツレだ。ちょっかいを出さないでくれ」
「あ、あんた、確か作戦立案課の……」


どうやらナンパ男たちのうち一人は僕を知っていたらしい。
戸惑ったように脱力しているうちに、反対側の手でユーニの肩を抱き“失礼する”と告げその場を去った。
背後から引き留めようとする男たちの声が聞こえるが、足を止める気にはならない。
ユーニのように頭に羽根を持つハイエンターは、アルストの住人にとって非常に珍しい存在だ。
巨神界の女王メリアがハイエンターである事実も相まって、同じハイエンターでも特に女性の方は羨望の対象になることが多い。
美しく気高いその容姿に惹かれ、なんとか親しくなろうとするアルストの男も少なくないのだ。
恐らく彼らもそういう連中だったのだろう。

胃がむかむかする。
ユーニが他の男に下心を向けられていると考えただけで吐き気がした。
絶対に誰にも渡したくない。ユーニは僕の、僕ただけのものであってほしい。

彼女の肩を抱きながら暫く歩くと、人気の少ない小さな公園にたどり着いた。
奥の遊具では数人の子供が楽しそうに遊んでいる。
背後から例の男たちが追ってきていないことを確認し、僕は改めてユーニに向き直った。


「えっと、強引に連れ出してすまない。ナンパされているようだったから……」


伝わらないことは分かっているが、何か言わずにはいられなかった。
するとユーニは、胸に抱えていたものを黙って差し出してきた。
白い外套。昨日僕がユーニに貸したものである。
どうやらこれを返すためにコロニーガンマを訪れたらしい。
たどたどしくお礼を言いながら受け取ると、再び二人の間に沈黙が訪れた。
この空気はまずい。とにかく謝らなくては。


「ユーニ、昨日のこと、本当に申し訳ない。不快な思いをさせてすまなかった。ごめん、本当に。この通りだ」


受け取った外套を抱えながら、僕は深々と頭を下げた。
こうしていれば、言葉が通じずともきっと謝罪の意思は汲んでもらえる。
自分のつま先を眺めながら頭を下げ続ける僕に、ユーニから言葉が贈られることはない。
彼女が今、どんな顔をしているのか分からない。
怒っているのだろうか。また泣いていたらどうしよう。
ユーニの顔を見ることが出来ないまま不安に狩られていた僕の視界に、どこかで見たことがある一冊の手帳が飛び込んできた。
ユーニによって差し出され、視界に入って来たその手帳は、アイオニオン最後の日に僕が彼女に贈ったハーブティーのレシピ帳である。


「それ、まだ持っていてくれたのか……」


僕の呟きに応えることなく、ユーニは手帳を開きページをめくり始めた。
そして、とあるページを開いて僕に見せる。
かつてユーニを想ってしたためた僕の字が、手帳いっぱいに踊っている。
その端に描かれていたのは、セリオスアネモネの図解。
手帳に描かれたそれを指さしながら、彼女は懸命にジェスチャーをしながら僕に何かを伝えようとしていた。
コップを手に取り、何かを飲むような仕草を繰り返す。
もしかして、セリオスアネモネハーブティーが飲みたいのだろうか。

彼女からレシピ帳を貸してもらい、最後の方の何も書かれていないページを開く。
懐から万年筆を取り出すと、真っ白なページに絵を描き始めた。
描いたのはカップに入ったハーブティーの絵。その右上にハテナマークを添えて指さしてみると、ユーニは表情を明るくさせながら頷いた。
そして、僕の方を指さしながら彼女は言う。“Taion”と。
それは紛れもなく、“タイオンのハーブティーが飲みたい”という意思の表れである。

誰の力も借りず、2人だけの力で意思疎通できたのはこれが初めてだった。
彼女が求めていることを理解できた。ただそれだけのことなのにあまりにも嬉しくて、自然と笑顔が零れてしまう。


「そうかっ。ハーブティーか。ハーブティーが飲みたかったんだな!」


だが、ここで問題が発生した。
ハーブティーを淹れてやりたいのは山々だが、お茶を入れるためのポッドや焙煎機器は全て僕の家にある。
“タイオン特性ハーブティー”を彼女に飲んでもらうためには、ユーニを僕の家に連れ込む必要があったのだ。
 
言葉が通じないからと言って、問答無用で家に連れ込むのは流石に不味い。
昨日のようなへまは絶対にしたくなかった僕は、何とか家に行くことを承認してもらうため再び手帳へペンを走らせた。
描いたのは簡易的な家の絵。その家を指すように矢印を書き足した後、自分の胸を指さし“僕の家”であることを示唆してみる。
最後に、先ほどと同じようにハテナマークを書き足してユーニに見せると、彼女は笑みを浮かべながら再び頷いた。
よかった。なんとか伝わったらしい。
 
安堵しながら手帳を閉じ、彼女に返すと、ユーニはその薄い手帳を受け取った反対側の手で僕の手を握って来た。
そしてニッコリ微笑むと、僕の手を握ったまま軽い足取りであらぬ方向へ歩き出す。


「ちょ、ちょっと待った!そっちじゃない。こっちだこっち!」


腕を引っ張り反対方向を指さすと、ユーニは“あっやべっ”とでも言いたげな表情を浮かべて苦笑いを零した。
まったく、僕の家がどこにあるのかも知らないくせに勝手に歩き出すなんて、相変わらず猪突猛進だな君は。
呆れつつ微笑みを返し、僕はユーニの手を引いて歩き出す。


「可愛いな、ほんと」


僕の呟きに、ユーニは目を丸くしながらこちらを見上げてきた。
だが、どうせ通じてはいないのだろう。
もしも言葉が何の弊害もなくすんなり伝わっていたのなら、こんなに恥ずかしい事、すんなり口にできるわけがない。
ある意味、言葉が通じないからこそこれほど簡単に自分の気持ちを言葉にできるのだろう。
言葉の壁があるからこそ素直になれるだなんて、皮肉なものだな。
自分の天邪鬼な性格に呆れながら、僕はユーニの手を握る力をほんの少しだけ強くした。


***

元々綺麗好きな性格である僕の家は物が少なく、普段から掃除をこまめにしているおかげで突然の来客にも慌てず対応することが出来た。
玄関を開けてユーニを招き入れると、彼女は随分と興味深そうにキョロキョロとあたりを見回し始める。
部屋の中へと通し、壁際に置かれたソファを指差すと、彼女はそっと腰掛けた。 
キッチンに向かい、戸棚にしまってある茶葉の包みの中からセリオスアネモネを取り出し準備を始める。
 
思えば、自分以外の誰かのためにハーブティーを淹れるのはかなり久しぶりだ。
アイオニオンにいた頃以来かもしれない。
ハーブティーに使う湯は沸騰したばかりの温度では少々熱すぎる。一息置いて、ほんの少しだけ冷ました温度の湯が最適だ。
フィルター越しに温度が下がった湯をゆっくりと注ぎ、蓋をする。
あとは数分蒸らすだけだ。
キッチンに設置された時計へと視線を向けたと同時に、背後に気配を感じた。
ソファに座っていたはずのユーニが、いつの間にか僕の背中にぴったり密着しながら手元のポッドを見つめている。
あまりにも近い彼女との距離に、思わず視線が泳いでしまった。


「縺セ縺?」


恐らく今のは、“まだ?”と言ったのだろう。
彼女の表情とニュアンスで何となくわかってしまう。
今淹れ始めたばかりだろう。そんなにすぐできるわけないと分かっているはずなのに、まったくせっかちな人だ。


「もうすぐだから、ちょっと待っててくれ」
「譌ゥ縺ー」
「はいはい、もう少し」
「Taion」
「ん?」
「蝟我ケセ縺?◆」
「あと1分だ。分かるか?1分」


時計を指差し、人差し指を立ててみると、意味は通じたようだが彼女は不満げに唇を尖らせていた。
そんなに早く飲みたいのか、僕のハーブティーが。
そういえば、アイオニオンにいた頃から気に入ってたものな。
僕が傍にいなくなってからも、彼女は例のレシピ帳を見てハーブティーを淹れてくれていたのだろうか。
そんなことを考えているうちに、あっという間に1分が経過した。
フィルターを外し、抽出したハーブティーカップに注ぐと、セリオスアネモネの爽やかな香りがキッチンに漂い始める。


「できたぞ。お待たせ」


ハーブティーを注いだ二人分のカップのうち片方をユーニに渡すと、彼女は嬉しそうに微笑みながら両手で受け取った。
そして足早にキッチンを後にすると、先ほど腰かけていたソファへと再び座る。
そんな彼女の後に続き、僕も隣に腰掛ける。
“熱いから気をつけろ”と注意を促す前に、ユーニは両手でカップを持ったまま既に口をつけていた。


「繧?▲縺ア鄒主袖縺?↑。Taion繝上?繝悶ユ繧」繝シ」


セリオスティーを一口飲んだユーニは、柔い笑みを浮かべながら鈴の音のような声で囁いた。
きっと、褒めてくれているのだろう。
大きな青い目を細め、リラックスしたように息を吐くユーニの表情は、初めて彼女にハーブティーを振舞った時と全く同じだった。
焚火に照らされたあの時の横顔と同じ、綺麗で、どこか儚げな顔。
その綺麗な表情を目に映すたび、僕は恋に落ちる。
心がどうしようもなくざわめいて、心臓がうるさく鼓動して、君のことしか考えられなくなるんだ。


「ユーニ」


唯一伝わる単語は、互いの名前だけ。
囁かれた自分の名前に反応して、ユーニはその大きく美しい青い瞳を僕に向けてきた。


「好きだ」


伝わらないことは分かっている。
口にしたところで通じないことも、届かないことも承知の上。
けれど、君への気持ちはこの胸に納まりきらないくらい大きくなり過ぎた。
伝わらないとしても、定期的に気持ちを口にしていなければ破裂してしまうような気がしてならない。
喉の奥でずっと温め続けたこの言葉は、いつのまにやら最高火力にまで温度が上がってしまっている。
熱し過ぎたこの言葉は、もうこれ以上隠しきれそうにない。
だから、意味がないと知りつつこの言葉を贈るのだ。


「君が好きなんだ、ユーニ」


僕をまっすぐ見つめたまま、ユーニは固まっていた。
きっと、何を言っているのか分からず困っているのだろう。
困らせたいわけじゃない。気持ちを伝えたいだけなのに、どうして言葉はこうも役に立たないのだろう。


「この気持ち、どうしたら伝わるんだろうな」


ほとんど独り言のつもりだった。
どうせユーニには伝わっていないし、ただの愚痴にしかならないはずだったのに。
視線を外したユーニは、両手に持っていたカップを目の前のローテーブルにそっと置くと、体ごと僕に向けてきた。
そして、“Taion”と囁き僕の目を目をまっすぐ見つめ返してくる。
 
その目を見た瞬間、妙な感覚に襲われた。
僕が何か言った後、いつも彼女は困ったように首をかしげるか怪訝な表情を浮かべていた。
なのに今は、白い頬をほんのり赤く染め、何かを決意したような目で見つめている。
まるで、僕の言葉を理解できているかのような反応だ。
気のせいだ。そうに違いない。だって僕たちは違う世界の住人だ。
言語の壁に阻まれて、満足に言葉を交わせない間柄なのに、僕の言葉が届いているなんてそんな奇跡、あるわけない。
だが、ユーニは僕から目を逸らすことなく耳馴染みのある言語を口にし始めた。


「アタシ、も、好き」


すんなりと耳に入って来た言葉が、うまく脳で処理できない。
戸惑い、思考を停止していた僕にとどめを刺すかの如く、ユーニは再び最高火力の言葉を言い放つ。


「好き。タイオンが、好き」
「ゆ、ユーニ……?」
「好き。スキ。すき」


連呼されるその言葉は、間違いなくアルストの言葉だった。
ずっと言いたかった言葉であり、ずっと彼女の口から聞きたかった言葉でもある。
目の前で起きた奇跡が信じられなくて、鈍くなる頭を必死で回転させながら状況把握に努めた。


「ゆっ、え?えぇ!? す、すき?え?な、なにっ、ええぇぇっ?」
「縺ゅ?騾壹§縺ヲ縺ェ縺?すーき。好き」
「あ、アルストの言葉、なんで…!というか、さっきの僕の言葉、通じてたのか!?」
「好き。タイオン、すき。すーーーき」
「ちょ、ちょっと待った!いったんストップ。もうわかった。伝わってるから!」
「好き!すき!すーーーーーき!」
「や、やめてくれ!分かった!分かったから!それ以上言わないでくれ!」


どうやら僕の言葉を100%理解できているわけではないらしい。
上手く伝わっていないと思ったのか、何度も何度も“好き”を繰り返してくるユーニに、僕の羞恥心は限界を迎えていた。
彼女の小さな口を左手でふさぐと、ようやくユーニの“好き”が止まる。
聞きたいことや言いたいことは山ほどあるが、まずはちゃんと通じていることを伝えなければ。
彼女の口からそっと手を離すと、僕はその青い瞳を見つめながら再びあの言葉を贈る。


「ユーニ。僕も、君が好きだ」
「すき?」
「そう。好き」


僕の言葉をようやく咀嚼できたらしく、ユーニは満足そうに頷いた。
なんだか背中のあたりがこそばゆい。
言葉が通じると思ったら途端に羞恥心が襲ってきた。
ついさっき、独り言のつもりで呟いた僕の“好き”も、恐らくすべて彼女に筒抜けだったのだろう。
そうならそうと早く言ってくれればよかったものを。
顔がどんどん赤くなる。ユーニの目をまっすぐ見られなくなって顔を逸らすと、彼女は僕の手を両手で包みこんだ。
そして、またつたないアルストの言葉で懸命に何かを伝え始める。


「言葉、教わった。シュルク。アタシ、勉強した。少し、話せる」
「僕のために……?」


言葉で答えない代わりに、ユーニは微笑みを浮かべてくれる。
そうか、やはりあの隻腕の男こそが“シュルク”だったのか。
僕と話すためだけに、アルストの言葉を学んでくれただなんて。
重ねられたユーニの白い手を、僕の褐色の手が握り返す。
今なら、どんなに複雑な想いさえ彼女に伝わる気がした。


「ユーニ」
「?」
「その……。き、キスがしたい。いいか?」


勇気を振り絞ってぶつけた質問に、ユーニは首を傾げたまま何も答えはしなかった。
流石に伝わらなかったらしい。途端に羞恥心が胸をえぐる。
あぁ、こんな馬鹿なこと聞かなければよかった。
穴が会ったら入りたい。でも仕方ないじゃないか、ユーニがあまりにも可愛かったのだから。
ユーニに触れたくてたまらない。さてこの邪な気持ちを伝えるにはどうしたらいいだろうかと考えていると、不意にユーニが身を乗り出してきた。
近付く彼女の鼻先に息を呑む。まさか、と思った矢先、ユーニの柔らかな唇が僕の唇と重なった。

一瞬の出来事に目を丸くしているうちに、ユーニの顔は離れていく。
そして、恥じらいながら上目遣いでこちらを見つめてきたユーニと目が合った。
その瞬間、僕は悟ってしまう。
互いに好きだと気持ちを伝えあった今、僕たちに余計な言葉は不要なのか、と。


「ユーニ……」


玉のように白い彼女の頬に手を添えて、目を細める。
すると、彼女はその大きな目を閉じて僕を受け入れてくれた。
2度目のキスは、互いのすべてを堪能するかのような絡み合う口付けだった。
腹の奥から湧き上がるユーニへの熱い感情が、舌を通じて彼女の中へと押し流されていく。

舌を絡ませながら考えていたのは、ユーニとのこれからのこと。
“好き”以外にも伝えたかった言葉はたくさんある。
例えば、“4番目は撤回してくれ”とか、“一緒に暮らそう”とか。
そのすべてを余すことなく伝えるには、まだまだシュルクの助けが必要だ。
こうなったら僕もコロニー9に出向いて、ユーニと一緒にシュルクの授業を受けたほうがよさそうだな。
ミオやセナも誘ってみよう。きっと喜んで参加するはずだ。
そして、かつてのようにまた6人で下らない世間話をするんだ。
そうなったら、きっと明るくて楽しい未来になるはずだ。
だがその前に、今は目の前の愛しい人に目一杯の愛を伝えたい。


「ユーニ、好きだ。ずっと好きだった」
「タイオン……」
「ユーニ、ユーニ……」


華奢な体を抱きしめ、何度目かも分からない“好き”を贈る。
今まで伝えられなかった分、たくさん伝えなければ。
ありったけの“好き”を交換しながら、僕たちは互いの名前を何度も呼び合った。
熱々だったハーブティーがすっかり冷めてしまうまで、2人だけの時間は続くのだった。