Mizudori’s home

二次創作まとめ

君のすべてを喰らうまで

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■現パロ

■吸血鬼ネタ

■短編

 


Side:タイオン


ネオン揺らめく夜の街は、淫靡な誘惑に満ちている。
明滅する妖艶な光を放つホテルが建ち並ぶこのエリアは、淫らな誘惑に鼻息を荒げる男とそんな男の懐が目当ての女で溢れていた。
そんな街の裏路地を、僕はスーツ姿のまま迷わず突き進む。
傍らには同じくタイトなスーツを身に纏った女性。
取引先の企業に務めている2つ年下の彼女は、頻繁に僕の会社に営業として訪れていた。
名刺を交換し、何度か社内で対応した僕と彼女がそれなりに親しくなるまで、そう時間は要さなかった。

“よければ今夜飲みに行きませんか?”
微笑みを浮かべながら誘いをかけると、彼女は少し嬉しそうに顔を綻ばせながら“是非”と首を縦に振った。
自分で言うのもおかしな話だが、僕はあまり女性に警戒されるようなタイプではない。
恐らく真面目な男だと思われているのだろう。
2人きりで飲みに行っても妙なところに連れ込んだりしないだろうと、そんな安心感があるに違いない。

愚かな勘違いだ。僕だってその辺で女を漁っている男たちと同じ性別なんだぞ。機会があれば食らいつくに決まっている。
腕に絡みつく彼女はもうその気のようだし、これはいつもより簡単そうだ。
とはいえ、まだ油断してはいけない。
折角手に入れた獲物だ。ことに及ぶまで、逃げられないよう細心の注意を払わなければ。

選んだのはホテル街の一番奥に建っている比較的大きめなラブホテル。
価格はそれなりに高めだが、清算が前払いであること、受付が無人であること、防犯カメラの台数が比較的少ないことが僕にとって都合が良かった。
適当に部屋を選び、エレベーターに乗り込むと、彼女は背伸びをしてキスを強請って来る。
その唇に指を押し当て、可能な限り甘い声で囁いた。


「部屋までお預けだ」


頬を紅潮させながらむっと唇を尖らせる彼女に微笑みかけていると、ようやくエレベーターの扉が開く。
もう我慢できそうにない。早く欲しい。
彼女の腰を抱き寄せ足早に部屋へと向かう。
鍵を開けて中に入ると、人の気配を感知して照明が自動で点灯した。
部屋の中央には大きなベッド。寝心地は良さそうだ。
ようやく目的の場所に到着したことに安堵していると、彼女は後ろから勢いよく僕の背に抱き着いてくる。


「タイオンさん……っ」


好意を全く隠す気のないその切なげな声色に、今夜も勝利を確信する。
“瞳”を使わずにここまで引っ張り込めたのはかなり久しぶりだ。
実力で勝負する狩りはやはり楽しい。
とはいえ、ことに及ぶにはやはり“瞳”の力は必要不可欠だ。
少し可哀想ではあるが、彼女には少しの間夢を見てもらわねば。脳髄がとろけるような甘い夢を。


「私、タイオンさんのことがずっと前から好きでした。誘ってくださって本当に嬉しい……」
「そうか。じゃあ、今夜は僕のためにすべてを捧げて欲しい。今すぐに君が欲しいんだ」


後ろからきつく抱きしめて来る彼女に向き直り、眼鏡を外す。
僕の褐色の瞳をまっすぐに見つめる彼女の表情は、好きな男に恋い焦がれる目をしている。
あぁ可哀想に。だが、今さら罪悪感を抱くほど僕は“いい人”ではない。
そんなに僕が好きだというのなら、その好意、利用させてもらうしかない。

僕の左側の瞳が、奥の奥でほんのりと黄金色の光を放つ。
その光を真っすぐ見つめてしまった彼女の目から、光が消える。
それまで頬を赤く染め、期待に満ちた目で僕を見ていた彼女の表情からは感情が失せ、無表情のまま力なくその場に立っている。
その姿は、まるで魂を抜かれた人形のようだった。


「首がいい。ボタンを外してくれ」
「はい……」


僕の言葉に素直に従い、彼女の手は自らのジャケットのボタンへと向かう。
纏っていた黒のスーツジャケットが、彼女の肩からはらりと落ちる。
自らの手で白いブラウスのボタンを外し始める彼女の顔に、羞恥心は一切感じられなかった。

よしよし。今回もうまく“瞳”が効いたらしい。
やがてブラウスのボタンが全て外されると、彼女の淡い水色の下着が顔を出す。
胸の大きさは平均的だが、白い肌が魅力的だった。
だが、今は彼女の胸のサイズや形などはどうでもいい。
ブラウスが脱ぎ捨てられ、白い上半身が露出した瞬間、僕の心は昂った。

そして彼女の細い腰を抱き寄せると、長い茶髪を耳にかけてやる。
鎖骨にかかっていた髪を背中へと流し、なだらかな白い首筋に指を這わせながら、僕は彼女の耳元で問いかける。


「血液型は?」
「O型です……」
「アタリだな。僕はO型の血が一番好きなんだ」


ようやくこの時がやって来た。1週間ぶりの“食事”の時間である。
舌なめずりをして、白い肌に2本の刃を突き立てると、彼女の肩がビクリと跳ねた。
あぁしまった。あまりにウズウズしていたせいか勢いよくかぶりつき過ぎたらしい。
少し痛みを与えてしまったかもしれない。
まぁ気にすることはない。“瞳”が効いている以上、今彼女は眠っているも同じ状態。
どうせ今起きていることは彼女の記憶には残らないのだ。

突き立てた刃から、鮮血が少しずつ溢れて来る。
やはり見立て通りの味だった。美味い。
舌先から癒されていくこの感覚がたまらなくイイ。
首筋にかぶりつきながら、僕はちゅちゅうと音を立て彼女から“栄養”を頂いていく。
もっと啜りたい。けれどこれ以上血を吸ったら貧血になってしまうかもしれない。
ただでさえ“瞳”で騙して血を頂いているのに、貧血になるまで吸い尽くすのは忍びない。
これくらいで勘弁してやろう。

首筋から口を放すと、彼女はあっという間に脱力し倒れそうになった。
その体を抱き留めると、先ほどまで光の灯らない目をしていたはずの彼女はすっかり瞼を閉じ眠ってしまっている。
このまま放置してしまってもいいが、大事な栄養を分けてくれた分、きちんと感謝して丁寧に接してやらなくては。

彼女が自ら脱ぎ捨てたブラウスを拾い上げて着せてやると、横抱きにしてその体をベッドに横たえる。
彼女は僕と一緒に飲んでいた事実すらすべて忘れているだろう。
そして朝起きたら混乱するに違いない。何故ラブホテルに1人で眠っているのだろう、と。
一緒に朝を迎えてしまっても良かったが、それは出来ない。
性行為はしていないとはいえ、異性とホテルに泊まったことが露見すれば裏切り行為とみなされてしまう。
ベッドですやすや眠っている彼女を一人残し、僕はホテルを出た。

今夜はいい夜だった。
なにせ1週間ぶりに栄養を摂取できたのだ。これで明日からも頑張れる。
とはいえ、もうあの女性に近付くのはやめておいた方がいいだろう。
何度も接触を図り、何度も“瞳”を使えば流石に魅了の力も効果が薄くなってくる。
そうなれば、僕の正体がバレてしまう可能性も高くなってしまう。それだけは避けなければ。

昼の時間、僕はシステムエンジニアとして普通のサラリーマンを演じている。
だが、夜の僕の生態は“普通”とは言い難い。
この身体は人間の血液を養分としている。定期的に人の生き血を啜らなければならない存在。それが僕だ。

昔の人たちは僕のような存在を“吸血鬼”と呼んだ。
今の時代を生きる僕は、古の時代にいたそんな吸血鬼の末裔ということになる。
人間との交配を重ねた歴史を持つ僕の系譜は純粋な吸血鬼とは言えないかもしれないが、人の生き血が無ければ生きていけない特徴は古の吸血鬼と共通している。

毎日のように血を啜る必要はないが、それでも半月に1回程度は血を摂取する必要がある。
だが、イキナリ通りがかった誰かの首筋にかぶりつくわけにはいかない。
そんな時役立つのが、左目に宿った“瞳”の力である。
この“瞳”が放つ光には不思議な力が宿っている。所謂魅了の光というやつだ。
この光を見た者は脳が眠りにつき、意識が混濁する。
身体は起きているのに脳は眠っている状態になるため、その間に起きた出来事はきれいさっぱり忘れてしまうのだ。

この“瞳”を使って、僕は何人もの人間の生き血を啜って来た。
今夜相手をしてもらったあの女性も、そのうちの一人である。
今回は最初から僕に好意があるようだったから楽に引き込めた。
人目がある場所で血を吸うわけにはいかず、今回のようにホテルやトイレの個室に連れ込む必要があったため、最初から協力的だった彼女の態度には感謝しなくてはならない。

だが、彼女の好意に応えてやることは出来ない。
僕の目的は彼女の血であって、心が欲しいわけでも身体を堪能したいわけでもなかった。
その辺の欲求はもう別の存在に満たしてもらっている。


「ただいま」
「あ、おかえりタイオン」


閑静な住宅街に佇むマンションの一室。そこが僕の住処だった。
暫くそこで一人暮らしをしていた僕の部屋に彼女が、ユーニが一緒に住むようになったのは約1年前。
僕と違って完全な“人間”であるユーニは、僕にとって初めて出来た“恋人”だった。

リビングからひょっこり顔を出して僕の帰りを歓迎してくれる彼女に、自然と顔がほころんでしまう。
小さなクリニックで医者として働いている彼女との交際が始まったのは1年前のこと。
友人からの紹介で知り合った彼女の見た目は正直好みど真ん中で、一目で思った。この子の血が欲しい、と。

今までの僕は、綺麗で可愛い女性を見ると“付き合いたい”という欲求よりも“血が欲しい”という欲求が先行していた。
だからこそ、血を頂くために必要なことであればキスもセックスもこなしてきたが、特定の誰かと交際するには至らなかった。
ユーニに対してもそれは同じ。
なんて可愛い人なんだ。この人の血を啜りたい。きっと美味いにきまってる。一滴でもいいから味見したい。
そんな欲求にかられ、ユーニに近付いたのが始まりだった。

初めて二人でバーに飲みに行った夜。
酒を煽りながら僕はさりげなく眼鏡を外し、隣に腰掛けるユーニに“魅了の瞳”を使った。
だが、ユーニが僕の瞳に魅了されることはなく、目に光を宿したまま平気な顔で酒を煽り続けていた。
おかしい。今までこの“瞳”を使って骨抜きにならなかった人間はいない。どうして効かないんだ。
その日、何度“瞳”を使っても彼女が意識を混濁させることはなかった。
ホテルにもトイレの個室にも連れ込む事が叶わず、失意のただなかにいる僕に、ユーニが帰り際言い放った言葉は今も忘れられない。

“タイオンって、眼鏡外して謎にキメ顔する癖あるよな。あれ何?”

屈辱だった。
この眼鏡は、“瞳”の暴発を防ぐためのものでもある。
“瞳”の機能を存分に発揮するには眼鏡を外して相手の目を真っすぐ見つめなければならないのだが、力を行使しようとして何度も眼鏡を外し、相手の目を真剣に見つめていたのが仇になった。
まさか頻繁にキメ顔を晒している痛い奴扱いされるとは。
とにかく腹立たしかったが、結局その日、僕はユーニの血を啜ることが出来ず涙目で敗走する羽目になった。

何故“瞳”の力が効かなかったのか。
不思議に思った僕は帰ってから考えを巡らせたが、昔吸血鬼仲間から聞いた妙な言い伝えを思い出した。
かつて強大な力を持っていた聖職者には吸血鬼の“魅了の光”が効かず、ことごとく成敗されたという。
まさかユーニはその“強大な力を持った聖職者”の末裔なのでは?
不確かな仮説を確かめるべく、僕は再びユーニを“デート”の名目で誘い出した。
世間話の一環でさりげなく家族の話題を振ってみると、彼女は隠すことなく教えてくれた。
父親が有名な教会の神父をやっている、と。

名前が挙がった教会はかなりの歴史があり、かつて多くの信徒が通った大教会が枝分かれした末に建てられた場所だった。
どうやらあの言い伝えは真実だったらしい。
ユーニに“瞳”が効かなかったのは、聖職者の末裔だったからだ。間違いない。

それが分かった瞬間、全く別の興味も湧き出てきた。
言い伝えには続きがある。“瞳”が効かないのは神の加護を受けているからで、そんな聖職者の血は天にも昇るほど美味なのだという。
言い伝えの後半部分は未知の領域である。なにせ誰も聖職者の血を啜ったことがないのだから。
飲んでみたい。本当に美味なのかどうか確かめてみたい。

深い好奇心の沼に足を取られた僕は、“瞳”の力に頼らずユーニの血を頂くことを決意した。
まずは僕に惚れさせて、ホテルまで連れ込む。
そして2人きりになったところで、その白い首筋に噛みつくのだ。
“瞳”が使えない以上、別の方法で意識を混濁させる必要がある。
いくら好きな相手とは言え、突然首筋を噛みつかれて血を啜られたら騒がれてしまうだろう。
そうなれば吸血鬼であることがバレてしまう。それはご法度だ。

かといって昏睡薬を使えば、血の味に影響が出るかもしれない。
折角いただける美味な血を、薬味にしたくはない。
ホテルに連れ込み、ユーニが眠りに落ちたところを狙ってかぶりつくしかない。
そのわずかな好機を得るため、僕はユーニへとアプローチし続けた。

映画に誘ったり、ドライブに誘ったり、水族館に誘ったり、とにかくなりふり構わずユーニを誘い続けた。
その度彼女は快諾してくれて、デートを重ねるたびに心の距離がどんどん縮まっていくのが分かった。
ユーニは見た目に反して男勝りな性格だが、そのさっぱりとした性格がなお魅力的である。
一緒にいて全く疲れない。むしろ楽しい。癒される。こんな感覚は初めてだった。
この上本当に血も美味だったなら、かなり理想的な女性だ。
一生傍に置いておきたくなってしまうだろう。
期待を膨らませ続ける僕だったが、ついにその時が来た。

高層ビルの展望デッキに連れ出した日の夜、僕たちは初めて口付けを交わした。
正直、ガラにもなく緊張した。
彼女には“瞳”が効かない。もし距離感を誤って嫌われてしまったら、もう修復できないのだ。
だからこそ、他の女性を狙う時に比べてやけに慎重になってしまう。
いつもなら1発目のデートで積極的にキスをしてホテルへ誘い出す僕だが、ユーニ相手には5回もデートを重ねてしまった。
流石に時間がかかり過ぎだったが、キスまで許されたということはホテルにも簡単に連れ込めるはず。


「ユーニ、この後のことなんだが……」


いつも通りの口説き文句で勝負をつけるつもりだった。
けれど、こちらを見つめて来るユーニを前に言葉が出てこない。
急に怖くなったのだ。拒絶されることが。
今までなら、たとえ嫌がられても最終手段として“瞳”を使えば簡単に事が進んだ。
だが、ユーニにはその最終手段が通用しない。嫌われたらそこで終了。
二度とユーニに会う機会は巡ってこない。連絡を絶たれてそれで終わりだ。
本当にいいのか?このタイミングで誘って。
嫌がられないか?嫌われないか?もし拒絶されたりしたら、僕は——。


「空いてるよ」
「えっ?」
「明日の朝まで空いてる。だから、一緒にいよ?」


僕の気持ちを汲んだ彼女は、可愛らしく微笑みかけてくれた。
事実上のOKサインに、僕の心は舞い上がる。
“瞳”を使っていないのに、君は僕を受け入れてくれた。
その事実がたまらなく嬉しい。
ユーニの手を取って、僕はホテル街へと繰り出した。
いつも血を吸うために使っている安めのホテルではなく、なるべく綺麗で高価なホテルへ。

部屋に到着した僕は、待ちきれずユーニへと再び口付けた。
彼女の腰を抱く手が少し震えているのは、ガラにもなく緊張しているせいだろう。
ベッドに腰掛けている僕の膝に跨り、向き合うように座っているユーニと深く舌を絡ませる。
彼女が甘く吐息を漏らすたび、僕の心臓はどんどん昂っていった。

やがて、甘やかな夜は終わりを告げた。
人間の女性との性行為は、僕にとって血を貰うために必要な準備運動でしかない。
本来の目的は血を貰うことであり、セックスはおまけのようなもの。
けれど、この夜の僕は完全に手段と目的が入れ替わっていた。

必要もないのに、ユーニと何度も何度も時間をかけてシてしまった。
疲れ切ったユーニが眠りに落ちたのは深夜2時。
裸のままベッドで寝息を立てている彼女を、背中から抱きしめる。
夢のような夜だった。ユーニは僕に揺さぶられながら何度か“好きだ”と言ってくれた。
その言葉を聞くたび舞い上がって、心が浮ついて、どうしようもなく嬉しくなった。
夜が明けても一緒にいたい。放したくない。僕だけのものにしてしまいたい。

彼女を抱きしめ続けていた僕だったが、不意にユーニの白い首筋が目に入ってハッとした。
そうだ。忘れていた。本来の目的を。
僕がユーニに近付いたのはセックスをするためじゃない。聖職者の血を啜るためだ。

今のユーニは完全に眠りに落ちている。ゆっくりと刃を突き立てれば起こさず済むだろう。
絶好の好機だ。見逃す手はない。
ちょうど背を向けているユーニの首筋にかぶりつくため、僕はゆっくりと口を開いた。
鋭く尖った牙がユーニの肌を貫こうとしたその直前、脳裏でけたたましく危険信号が鳴り響く。

今ユーニに牙を突き立てたら、彼女の白く美しい柔肌に傷が残ってしまう。
それに、いくらそっと刃を突き立てたところで、痛みは残るだろう。
痛い思いをさせるのも、肌に傷を残すのもためらわれる。

それだけじゃない。朝起きた彼女が、首筋に残った傷や肌に浮かぶうっ血痕を気にしないわけがない。
“瞳”で意識を混濁させ、記憶を消すことが出来ないため、一緒に夜を過ごした僕が犯人だと疑われるのは必須。
吸血鬼であることを隠し通すためには、今夜を最後にユーニの前から姿を消す必要がある。
二度と会えなくなるのだ。この人に。
そう思うと、たまらなく怖くなった。

ユーニの血は欲しい。けれど、血を吸った代償に彼女の前から姿を消さなければならないなんて、そんなの耐えられない。
明日も明後日もその先も、ユーニと繋がっていたい。
離れたくない。忘れられたくない。
もう血なんてどうでもいい。本当に欲しいのはユーニの血じゃなくて、心だったんだ。


「んん……っ、タイオン……?」


後ろからきつく抱きしめ過ぎたせいか、ユーニが目を覚ましてしまったらしい。
眠気眼を擦りながらこちらを振り返って来る。
とろけたその目を見つめながら、僕はごくりと生唾を飲んだ。


「ユーニ、あの……」
「んー?」
「……ぼ、僕と、付き合ってほしい」


こんなことを言うのは初めてだった。
僕にとっては血を吸うことが第一で、それ以外の行為になんて価値はない。
血を貰えれば、相手が誰であろうと用済みだ。
だから交際なんてする必要がない。そう思っていたのに。
ユーニだけは、離れがたかった。自分だけのモノでいてほしい。
そんな相応しくない独占欲が、僕の心を突き動かしてしまう。

初めて口にした告白に、ユーニはふっと笑みを食みながら頷き、言った。
“いいよ”と。

この日を皮切りに、僕の生活は一変した。
今までは血を貰う前についで感覚で行為をして、そのあとに“瞳”を使い血を貰っていたが、ユーニという恋人が出来た以上このルーティーンは変えざるを得ない。
今まで通りホテルには連れ込むが、決して行為はしない。
“瞳”を使って血を頂き、ついでに記憶も混濁させて僕のことはすべて忘れさせる。
そうして跡形もなく痕跡を消し去り、何食わぬ顔でユーニの元へ帰るのだ。

この甘美な生活は、ずっと崩れることなく続くものだと思っていた。
あの日が来るまでは。


***

 

Side:ユーニ

アタシが経営しているクリニックは、町医者としてもかなり規模が小さい方だった。
医者はアタシ一人。サポートしてくれている看護師は2,3人しかいない。
けれど、どうせうちに来る患者なんて一日に5人いればいい方だから、この人数でも十分間に合っている。

特に着る意味のない白衣を羽織り、キャスター付きの椅子に腰かけてデスクに向かうアタシは、患者のカルテへと目を通していた。
右手側には看護師に入れてもらったコーヒーのタンブラーが置かれている。
ちなみにこのタンブラーは保温性が高い優れもので、先日彼氏であるタイオンが気まぐれに買ってくれたものである。
そのタンブラーに口をつけながら“次の方どうぞー”と呼びかけると、診察室に患者が入って来た。

セミロングの茶髪が特徴的な綺麗な女性だ。
年齢はアタシよりも少しだけ年下だろうか。
スーツを着ていることから察するに、何処かのOLだろう。
午後一番の診察に足を運んだということは、きっと会社を早退してここに来たに違いない。
患者に向き合い、“今日はどうしましたか?”と慣れない敬語のテンプレートで質問をすると、彼女は浮かない顔で自らの首筋に手を添えた。


「いつの間にか首筋に傷が出来ていまして……」
「どれどれ?」


診せるよう促すと、彼女は羽織っていた黒いスーツのジャケットを脱ぎ、ブラウスのボタンを数個外して首筋を見せてくれた。
負傷個所は左の首筋。丸い傷跡が二つ並んでいて、その傷に重なるようにうっ血痕が残っている。
その傷を見た瞬間、自然とため息が出てしまう。

またこのパターンか。
最近、同じような症状を訴えてうちのクリニックを訪ねて来る患者が増えている。
全員20代の女性で、同じ左側の首筋に似たような傷とうっ血痕を抱えてやってくるのだ。
原因は不明。自然に治る程度の傷であるためそう深刻な症状ではないが、どうも気になることがある。
それは、症状を訴えてやってくる女性たちが、全員軽度の記憶障害にかかっていることだ。


「この傷に心当たりは?いつ、どんな経緯でついたか分かる?」
「それが、覚えてないんです。気付いたのは今朝なんですけど、目が覚めたら一人でラブホテルのベッドで眠ってて……」
「その時の相手にやられたとか?」
「いえ、それが、誰と入ったのかも覚えてないんです。誰かに飲みに誘われたことは覚えてるんですけど……」
「そのホテルって、どこ?」
「隣の駅の、SHINEってホテルです」


やはり、他の患者と状況は同じだった。
傷を抱えてやってくる女性たちは、必ずと言っていいほど“気付けばホテルで一人で眠っていた”と話している。
隣の駅に建ち並んでいるホテルで目が覚め、前日の夜から朝にかけての記憶が全くないのだ。
今回の患者も、条件は全て当てはまっている。

警察でもないただの女医であるアタシには分からないが、かなり危ない匂いがする。
女性を飲みに誘い出し、酒に昏睡薬を含ませて無理矢理ホテルに連れ込む、なんて事件はそう珍しくはない。
何故同じ首筋に同じような傷とうっ血痕が残るのかは謎だが、自然に出来たものとは思えなかった。

とりあえず患者としてやってきた女性には痛み止めと塗り薬を処方し、経過観察するとだけ告げて帰すことにした。
同じ症状を訴える患者は今月に入って3人目だ。流石に多すぎる。
犯罪の気配がするし、警察に通報したほうがいいのかもしれない。
だが、性犯罪につながる可能性があるため患者に相談なしに通報するのは流石に気が引ける。
まずは出来る限りこっちで調べてみる必要があるかもしれない。

その日、クリニックを閉めた後アタシはまっすぐ例のホテル街へと向かった。
浮足立つ男女を横目に、アタシは手元のスマホで地図アプリを開き、件のホテルへと向かっていた。
もしスタッフの人間がいれば、何か話を聞けるかもしれない。
せめて例の患者が誰とホテルに入ったのか分かれば、警察にも相談のし甲斐があるというものだ。

やがて、ホテル街の一番奥に建っている少し年季が入ったラブホテルに到着する。
看板には大きく“SHINE”と記載されており、ネオンが明滅している。
ここだ。間違いない。
よし、早速中に入ってみよう。
そう思い一歩踏み出したその時だった。視界の端に見慣れた人物を見つけて足が止まってしまう。
タイオンだ。あのタイオンが、アタシの知らない女を連れてホテル街を歩いている。

なんでこんなところに?
てか、その女誰?ただの友達にしては腕組んで歩くとかおかしくね?
そもそもここ、ホテル街だぞ?
頭が真っ白になっていく。どうしよう。どうしよう。
困惑しているうちに、歩きながらこちらに向かってくるタイオンと目が合ってしまった。
もしかしたらアタシの勘違いかもしれない。何かしらの事情があるのかもしれない。
そんな気持ちを打ち砕くように、タイオンはアタシの姿を見つけた瞬間顔に焦りを滲ませた。
その顔を見た瞬間、確信してしまう。あぁ、これはクロだ、と。


「っ、」
「ゆ、ユーニ!待ってくれ!」


咄嗟に走り出したアタシの背中に、タイオンの切羽詰まった声が投げかけられる。
けれど、止まる気にはなれなかった。
そう言えば、時々帰りが遅い日があった。朝帰りは一度も無かったけれど、不自然に帰宅が遅い日はあんな風に知らない女とホテルで楽しんでいたのかもしれない。
そんなことも知らず、アタシは毎晩アイツの家で飯を作って帰りを待っていた。
なんて滑稽な。アイツが浮気してるなんて一ミリも疑っていなかった。
最悪だ。腹が立つ。消えてしまいたい。

電車に飛び乗ったアタシは、タイオンと一緒に暮らしているマンションには戻らず、自身のクリニックへと帰ることにした。
流石にタイオンには会いたくない。今夜はここで眠ることにしよう。
クリニックに到着してからも、タイオンからの着信やメッセージは止むことなくスマホに届いていた。
一度も応答することはなく無視を決め込み、最終的にスマホの電源は落としてしまった。

タイオンのことは本気で好きだったし、今でも気持ちはある。
いつか結婚したいとすら思っていた。
けれど、いくら好きだからって浮気した相手に縋り続けるほどアタシは馬鹿じゃない。
よそ見された以上、たぶんもうアタシたちはダメなんだ。
別れよう。同棲も解消して、とっとと忘れてしまおう。

誰もいなくなった薄暗いクリニックのベッドに横たわり、アタシは静かに泣いていた。
患者の傷について調べるという本来の目的は、いつの間にか頭の中から抜け落ちていた。


***

 

Side:タイオン


“おかけになった番号は、電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないため、かかりません”

何度聞いたか分からないアナウンスは、僕をまた落胆させる。
昨晩、いつも通りめぼしい女性を見つけて血を貰うためホテル街を歩いていたところ、ユーニにばったり出くわしてしまった。

何故彼女があんな所にいたのかは分からないが、どうやら一人で来ていたらしい。
既に“瞳”の力を使って骨抜きになっている状態だったため、隣を歩いていた女性は僕の腕にぴったりと寄り添っていた。
仲睦まじく浮気をしている光景にしか見えなかっただろう。
目を見開き、怒りと悲しみに満ちた表情を浮かべながら、ユーニは去って行った。

結局血を貰うことなく“瞳”の力から解放させ、女性と別れると、急いで自宅へ帰還した。
しかしユーニの姿はなく、その夜彼女が帰って来ることはなかった。
何度電話をかけても応答する気配がなく、メッセージもすべて無視。
何も反応がない状況が続けば続くほど、僕の心はどんどん焦りを募らせていく。
その夜、ユーニの行方が気になってまともに眠ることが出来なかった。

朝が来ても、ユーニが家に帰って来ることはなかった。
仕事中もスマホが気になって仕方ない。
昨晩から今朝にかけて送った50通近いメッセージには一切既読が付いておらず、電話の掛け直しも来ない。

いよいよ嫌われてしまった。ユーニは間違いなく僕と別れようとしている。
嫌だ、絶対に別れたくない。
いつもより早めに仕事を切り上げた僕は、即座に会社を出てユーニのクリニックへと向かった。
クリニックの営業時間は18時まで。入り口は閉まっていたが、恐らく営業を終えたばかりなのだろう。
ここまで来たら後はもう持久戦だ。ユーニが外に出るまでここで待ち続けてやる。

クリニックの石階段に腰掛け、待ち続ける事1時間。
ようやく扉が開き中から人が出てきた。私服に着替えたユーニである。
その手には旅行用のキャリーケースが握られている。
明らかに荷物をまとめた様子である彼女に、嫌な予感がよぎった。
まさか、僕と一緒に暮らしている部屋から出て行くつもりなのか。
その答え合わせをするかのように、彼女はクリニックの前で待ち続けていた僕を見た瞬間目を見開き、建物の中に引っ込もうとしてしまう。
逃がすわけにはいかなかった。今ここでユーニを取り逃がしてしまったら、もう二度と彼女には会えなくなるかもしれない。それだけは嫌だった。


「ユーニ待った!頼む、話を聞いてくれ!」


扉を閉めようとするユーニに迫り、足を挟み込んで強引に防ぐ。
切羽詰まった口調で頼み込む僕に怯むことなく、ユーニは渾身の力で扉を閉めようと試みる。


「話すことなんかねぇよこの浮気者!」
「違う!本当に違うんだ!」
「何が違うんだよ!女と腕組んでホテル街歩いてるとかそれ以外考えらんねぇだろ!今更言い訳すんな!もう別れる!」
「嫌だ!」


近所迷惑も考えず、声を張り上げる。
こうしてユーニに声を荒げるのは初めてだった。
恥も外聞も投げ捨てて喚いた僕に驚いたのか、扉を閉めようとするユーニの力が緩む。
その隙に扉を開けて中に押し入ると、彼女は戸惑いながら後ずさった。
腕を引き、彼女を逃がさないように腕の中に閉じ込めると、僅かに抵抗される。
けれど、放してやる気なんてなかった。
好きなんだ。大好きなんだ。
たとえ嫌われたとしても、彼女のそばを離れたくはない。


「いやだ。別れたくない。全部話すから、別れるなんて言わないでくれ……」


嫌がる彼女を無理やり束縛して、縋るように囁いた。
“瞳”が効かない彼女をいいように操ることは出来ない。
本音でぶつかって、心を隠さず、プライドを捨て、必死に縋る以外に彼女を留めておくことなど出来ないのだ。
星の数ほどの女性をこの“瞳”で魅了し、生き血を啜って来た吸血鬼の末裔が哀れなものだ。
だが、例え哀れで滑稽でも、ユーニを失いたくはなかった。

僕の必死さに観念したのか、ユーニは“話だけなら”と渋々僕の到来を受け入れてくれた。
誰もいない診察室に通され、不機嫌そうな表情を浮かべたユーニに促され丸椅子に座らされる。
キャスター付きの椅子に腰かけたユーニは、足と腕を組み、こちらの様子を伺いながら“で、話って?”と問いかけて来る。
もう誤魔化しは効きそうになかった。
躊躇しながら、僕は生まれて初めて自分の身の上を“人間”相手に打ち明けた。

所謂吸血鬼の末裔であるということ。
定期的に人の血を摂取しないと生きていけないということ。
“瞳”の力使って女性たちの意識を混濁させ、密かに血を貰っていたこと。
人目に触れないようラブホテルを使っていただけで、ユーニと交際して以降誰とも性行為には及んでいないこと。
そのすべてを話し終わるころには、ユーニは目を見開き口を半開きにさせながら呆然としていた。

信じられないのも無理はない。
だがこれはれっきとした真実だ。
僕の話を暫く黙っていたユーニだったが、突然ハッとしたような表情を浮かべてデスク上に置かれたPCを使い何かを調べ始めた。
ディスプレイに表示されているのは、このクリニックを訪れた患者のカルテらしい。
表示されているカルテを凝視し、眉間にしわを寄せた彼女は“そう言うことか……”とため息交じりに呟いた。


「最近、若い女の患者が首筋に傷を負ってやって来ることが頻発してたんだ。おかしいと思ってたんだよ。その傷、ただの切り傷には見えなかったから。まるで何かに噛みつかれたみたいだった。首筋に噛みつくなんてドラキュラじゃあるまいし、なんて思ってたけど、まさか本当にそうだったとはな」


どうやらユーニのクリニックに、僕が血を頂戴した女性たちの一部が診察を受けに来ていたらしい。
当時の記憶も意識も意図的に混濁させたため、彼女たちの口から僕の名前が出ることはなかっただろうが、状況からしてただ事ではないとユーニは考えていたようだ。
そこへ来て僕からの告白だ。普通なら信じられないだろうが、裏付ける証拠がある以上信じざるを得ないといったところか。


「吸血鬼……。そんなのが本当にいたなんてな」


噛み砕くようにそう呟くユーニを前に、僕は生唾を飲んだ。
僕の正体を知ったユーニは今、何を思っているのだろう。
やっぱり怖がっているのだろうか。ただの人間とは言い難い僕の存在に畏怖を覚え、距離を取ってしまうかもしれない。

けれど、浮気の疑惑を晴らすには何もかも正直に話すほかなかった。
どうせこのまま交際を続けていたら、いずれボロが出たに違いない。
もう限界だったんだ。何もかも隠し通したまま、生涯一緒にはいられない。
嫌われることに怯える僕は、ユーニの顔をまっすぐ見ることが出来ず視線を逸らしていた。
暫くの沈黙が夜の診察室を支配する。
そしてその痛い沈黙は、ユーニのため息交じりの一言によって打ち破られる。


「あのさ、アタシにも使ったの?その“瞳”の力」
「え?」
「アタシ、もしかして今の今まで、ずっとタイオンに操られてたの?心、操作されてたの?他の女たちみたいに」
「し、してない!君には“瞳”は一切使ってない!」
「本当に?」
「本当だ!」
「……そっか。ならよかった」


安堵しているユーニに、“本当は使おうとしたけど効果がなかっただけ”とは言えなかった。
これ以上嫌われたくなくて、幻滅されたくなくて、嘘をついた。

ユーニが僕を好いてくれたのは、“瞳”の力による結果じゃない。
だからこそ嬉しかったんだ。本当の僕を好きになってくれたような気がして。
けれど、冷静に考えて僕は一瞬も本当の自分を君の前に晒してはいない。
本当の自分は、君のような人間の、しかも聖なる存在の血を受け継ぐ君にはふさわしくない、薄汚い吸血鬼だ。
人間の生き血を啜ることで生きながらえているバケモノだ。
釣りあわないことは分かっていた。だからこそ、必死に正体を隠していたのかもしれない。
ただの人間のふりをしていれば、君の隣に立っていられるような気がして。


「あのさ、一応聞くけど、これまで何人くらいの血、吸って来た?」
「えっ、何人って……。合計の話しか?ちゃんとは数えていないから……」
「大体でいいから。何人くらい?20人くらい?」
「………」
「タイオン?」
「……もう少し多い、かな」
「どれくらい?」
「……えっと、3桁は越えているかと……」
「はぁっ!? 3桁!?」


診察室に響き渡るユーニのひっくり返るような叫びに、僕は肩を震わせた。
半月に1、2回ほどの頻度で血を摂取しなければならない僕の体質上、今までの人生で血を吸った経験を聞かれれば数えるまでもなく余裕で3桁は越えて来るだろう。
しかも、僕の正体が露見しないよう、一度血を頂いた相手にはもう二度と手を出さないと決めている。
同じ相手に“瞳”の力を何度も使えば、効力がだんだん低下していくからだ。

マッチングアプリを使って片っ端から女性と会い、その日のうちに“瞳”を使って誘惑し、ホテルに連れ込み血を貰う。
このやり方で、僕は今まで星の数ほどの女性の血を飲んできた。
その事実を伝えると、ユーニはデスクに肘をついて頭を抱えだす。


「お前なぁ……。自分が何してるか分かってんのかよ。無抵抗の相手の首筋に食らいついて血を啜るとか、それ余裕で傷害だぞ」
「それはまぁ……。でも、ちゃんと記憶を混濁させているし」
「そういう問題じゃねぇ!モラルの問題なんだよ!薬で治るとはいえ傷やうっ血痕は暫く残るし、身に覚えがない傷があるうえ気付けばホテルで寝てたなんて状況、誰だって怖くなるに決まってるだろ。いくら生きるためとはいえやり方が姑息すぎるんだよ!」


反論の仕様がないくらいの正論だった。
確かに、いくら生きるためとはいえ“瞳”を使って相手を操り、いいように誘導して血を貰うのは褒められた行為ではないだろう。
例えばユーニが同じやり方で他の吸血鬼の男から血を奪われたとしたら、僕は怒り狂うに違いない。
大事なユーニに傷をつけるなんて、と。
それくらいのことを、僕は他の女性たちにしてきたということか。

ユーニに怒られ、返す言葉もなく俯く僕に、再び彼女は質問を投げかけてきた。


「……その血を吸って来た女たちと、ヤッたりしてたの?」
「え、いや、その……。君と付き合ってからはシてない!本当だ!」


精一杯弁明したつもりだったが、腕を組んだユーニにぎろりと睨まれてしまった。
どうやら重要なのはそこじゃなかったらしい。
誤解がないように言っておくが、僕は“瞳”を使った状態で女性たちと性行為をしたことはない。
あくまで“瞳”を使うのは血を頂く時だけで、行為をする時はちゃんと意識がはっきりしている時に合意の上でやっていた。
間違っても強姦まがいなことはしていない。
そう力説すると、ユーニは疑い深い目を向けながら“あっそう”と返事をした。


「最後に聞くけどさ、なんでアタシの血は吸わなかったの?」


至極まっとうな疑問である。
この期に及んで何を言っても信じてもらえそうにないが、それでも、なるべく素直に気持ちを打ち明けることにした。


「血を吸ったら、正体がバレないよう記憶を混濁させるか二度と会わないように相手の前から姿を消さなくちゃいけない。どっちも嫌だったんだ。君に忘れられるのも、二度と会えなくなるのも……」


自然と声が震えてしまう。
彼女は今、“最後”と言った。
それはつまり、僕と別れる意思は揺るがなかったということ。
多分、もう後戻りはできないのだろう。
僕が吸血鬼じゃなかったら、ただの人間だったなら、君と正しく恋が出来ていたのだろうか。
静かな診察室に、ユーニの深い深いため息が響く。
暫く視線を足元に落としていたユーニだったが、組んでいた足をほどいて立ち上がると、羽織ったままだった黒いコートをおもむろに脱ぎ始める。


「タイオンの言葉、全部は信じられない。けど、このままの生活を続けてたら、お前はいつかしっぺ返しを食らうことになると思う。警察に捕まるかもしれない。傷害で訴えられるかもしれない。その時、たぶんアタシは後悔すると思う。事情を知っていた唯一の人間として、一応付き合っていた相手として、なにか出来ることはあったんじゃないかって」
「ユーニ……」
「だから——」


コートを脱ぎ捨て、診察室の脇に置かれていた硬い簡易ベッドの上に腰掛けたユーニ。
ミルクティー色の髪を耳にかけると、彼女はその蒼く美しい瞳で僕を真っすぐ見つめ、驚くべきことを口にした。


「アタシの血、飲んでいいよ」


予想もしていなかった一言に、僕の脳内は一気に混乱に陥った。
思わず立ち上がり“はぁ?”と素っ頓狂な声を挙げると、今まで僕が座っていた丸椅子は派手に倒れてしまう。
だが、大きな音を立てて倒れ込む椅子を気にかけるほどの余裕などなかった。
“飲んでいい”って何だ?そのままの意味か?正気か?


「き、君は何を言って……」
「彼女として付き合いを続けたいなら、もう他の女の血は飲むな。その代わり、血が欲しくなったらアタシのを飲め。この条件を受け入れられないなら別れる。一生連絡も取らないし二度と会わない。これでどう?」
「ど、どうって……」


君との付き合いを続けられる上に、血も飲んでいいなんて、そんなの僕に都合が良すぎないか?
そんなの、断る方がどうかしている。
迷わず頷きそうになった僕だったが、一つ重要なことを見逃している事実に気付いてしまった。
ユーニには“瞳”の力が通用しない。
魅了の光で意識を混濁させるのは、相手に抵抗させないためでもあるが、同時に血を吸われる側が感じる痛みを和らげる効果もある。
それが効かないということは、ユーニは僕が突き立てる刃の痛みをダイレクトに受けることになる。

それだけじゃない。今までは同じ相手に2度3度と血を頂く機会がなかったが、この条件を飲むことになれば定期的にユーニの肌に刃を食い込ませることになる。
たった一度ならまだしも、何度も同じ場所に噛みつき続ければ傷は生涯残ってしまうだろう。
このデメリットを、ユーニはしっかり理解しているのだろうか。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!簡単に血を飲んでいいとは言うが、それなりに傷みを伴うんだぞ!? それに、噛み跡だって間違いなく残る羽目になる!それでもいいのか?」
「だってこうでもしなきゃ、お前は他の女の血を吸うことになるんだろ?またラブホに連れ込んで、その変な力遣って意識混濁させて……。そんなのさぁ、心配じゃん。いろいろと」
「ゆ、ユーニ……」


ユーニの言う“心配”とは、僕が犯罪者になってしまうかもしれないという心配と、シンプルに浮気に走るかもしれないという心配のことだろう。
後者を心配する必要はないが、前者に至っては確かにユーニの憂い通りのことがいつ起きてもおかしくはない。
僕としても、合意の上で血を定期的に分けてくれる存在がいれば非常にありがたい。
しかも相手が美味な血を持つ聖職者の末裔ならばなおさらだ。


「ほら、早くやれよ」
「えぇっ!? い、今飲むのか?」
「一応どんな感じか体験してみたいじゃん?ここならもしものことがあっても薬や医療機器は揃ってるし」
「な、なるほど確かに……」
「はい、どーぞ」


そう言って、ユーニは着ていたニットの首元を引っ張り、白い首筋を僕に見せつけてきた。
なだらかで綺麗な首筋を前に、僕は自然と生唾を飲んでいた。
ずっと前からユーニの血は味わってみたかった。
一緒に寝ている時や、一緒に風呂に入っている時、何度かぶりつきそうになったか。
懸命に理性で押さえていた欲が、ユーニから受け入れられたことによりタガが外れる。
駄目だ、そんな風に誘惑されたら、もう我慢できない。
ユーニの全てを喰らってしまいたい。


「ユーニ……っ」


まるで魅了の光をみた女たちのように、僕は夢中になってユーニへと抱き着いていた。
“うわっ”と小さく悲鳴を挙げる彼女の身体を診察用ベッドの上に押し倒し、上に跨る。
露出した彼女の白い首筋に、なるべく痛みが伴わないようにそっと鋭い牙を押し当て、傷をつける。
その瞬間、僕の耳元でユーニが息を詰める気配がした。
彼女の白い手が、僕の背中に回る。
着ているスーツを強くに握りしめる彼女が愛おしい。
痛みに耐える彼女に心の中で何度も謝りながら、僕はユーニの血を啜り始めた。

舌先に、彼女の鮮血が触れる。
まるで豊潤な酒のように、あまりにも美味かった。
今まで数百人の女性の血を味わってきたが、こんなにも美味いのは初めてだ。
どうやらあの言い伝えは本当だったらしい。
ユーニの血を体内に取り込むごとに、脳内で興奮物質が作られていく。
心も身体もとろけそうだ。まるで媚薬を口に含んでいるみたいに、ちょっとした快感すら覚えてしまう。
もっと欲しい。もっと、もっと、もっと。


「んっ……」


くぐもった声を挙げたユーニに、ようやく僕は我に帰った。
マズい。これ以上血を貰ったら貧血になってしまう。
そっと刃を肌から抜くと、ほんの少しだけ血色が薄くなった肌をしたユーニが眉間にしわを寄せていた。


「す、すまないユーニ!少し飲み過ぎた。痛かった、よな……?」
「ん、ちょっと……」


片手で頭を抱えている彼女は、恐らく貧血からくる眩暈と戦っているのだろう。
傷による痛みと、血を抜きとったせいで起きる貧血に苦しむユーニを前に、僕の心はひどく痛んだ。
ユーニの血は間違いなく美味い。けれど、この血欲しさに彼女を苦しめたくはない。


「ユーニ、やっぱりやめよう。君に痛い思いを強いるなんて、僕は……」
「けど、タイオンは人の血がなきゃ生きていけないんだろ?だったら、いいよ。タイオンのためになるなら、それでいい」
「ユーニ……っ」


力の抜けたその体を、力いっぱい抱きしめる。
僕のために献身的になってくれているユーニが、愛おしくて仕方なかった。
好きで好きでたまらない。一生放したくない。
僕はたぶん、ユーニという存在がいなければもう生きていけないんだ。
僕のために傷を負ってくれるユーにのため、この一生を彼女のためだけに使うと決めた。
何がってもユーニを守る。そう心に誓い、僕はユーニの傷付いた首筋にそっと口付けるのだった。

 

 

END