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二次創作まとめ

タイユニ小ネタ集 Vol.4

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■SS

 

対タイオン特殊兵器


「無理だ」


ぴしゃりと言い放たれた拒絶の言葉に、ニイナは密かに青筋を立てた。
事の始まりは数日前。副官のコトリ経由でもたらされた情報にあった。
コロニーイオタが展開してるイーグス荒野の西南に、投下物資が下ろされたとの報である。
投下されたのはケヴェスの物資だが、命の火時計が破壊されキャッスルからの支援が立たれた今、たとえ敵軍のものであってもコロニーイオタにとって投下物資は喉新手が出るほど欲しい代物だった。
是非ともとりに行きたいが、今現在コロニーイオタはアエティア地方方面からやってくるアグヌス兵との小競り合いの真っ最中だった。

相手は未だ恐らくキャッスルから派遣されている精鋭部隊。
大規模な群を編成しているわけではないが、少数の片が何度か正門付近まで攻めてきたことがある。
全軍で当たれば特に問題はないが、このタイミングで投下物資を回収するために兵を派遣するのはためらわれる。
さてどうしたものかと軍務長であるニイナが頭を悩ませている最中に、彼らはやってきた。
かつてこのコロニーイオタを命の火時計から解放した6人のウロボロスである。

地獄に仏、渡りに船とはまさにこのことである。
彼らなら投下物資の回収を安心して任せられる。
そう考えたニイナは、早速一行の中で最も話す機会が多いタイオンへと依頼をかけた。
結果、NOが出たのだ。
タイオン曰く、6人はなるべく早くアエティア地方のコロニー30に向かわなければならない用事がある、イオタには補給のために酔っただけとのことだった。
物資が投下された地点は、6人が向かうべきコロニー30とは反対の方角にある。
他の理由ならともかく、あのコロニー30のせいで自分たちの頼みを無下にされていることがはニイナにとって許しがたい事態だった。


「少しくらいいいじゃない。協力してよ」
「無理なものは無理だ。物資が投下された地点の座標から計算するに、今から出発してもこのイオタに届けるまで丸3日かかる。急いでいるこの状況では無駄な労力にしかならない」


駄目なものはだめだ。
そんな強い言葉で締めくくられたタイオンの言葉を最後に、2人の会話は終了する。
去っていくタイオンの背を見つめながら、ニイナは苛立ちからくるため息を零した。
今まで、6人の旅路には何度か同行したことがある。
旅の様子を傍から見ていた学んだことだが、一行の旅は基本的にタイオンがルートを提示してノアが了承することで舵を取っている。
最終決定権はノアにあるが、そもそもタイオンがYesと言わない限りノアの了承を取り付けることも叶わないのだ。
暗幕の了解としてそこにあるウロボロスの行動指針を間近で見ていたニイナは、ノアよりも先にタイオンへ了承を貰うことが目的達成の近道だと判断したのだが、どうやら裏目に出てしまったらしい。

非常に困ったことになった。
タイオンに断られた以上、食堂で6人が一堂に会する場へ顔を出してこの依頼を提示したところで、タイオンから“その話は既に断ったはずだ”と蹴られる可能性が濃厚だ。
では別ルートで先にノアに頼んでみるという手もあるが、結局はタイオンの耳に入り反対されるのがオチ。
お人好しなノアから先に陥落させて、それからタイオンを説得する手法をとっていればもう少し楽に要望を受け入れてもらえたかもしれないのに。
とはいえ、過ぎたことを悔いても仕方がない。
このまま投下物資を諦めるわけにもいかないし、こうなったら別の手を考えるしかない。


「ニイナ、どうかしたの?」


コロニーの中央に積まれたコンテナへ寄りかかり、腕を組み一人考え込んでいたニイナに、ミオとセナが声をかけた。
無意識のうちに相当深刻な顔をして考え事をしていたらしい。
ニイナの顔を覗き込んでいる二人はかなり心配した表情を浮かべていた。

一瞬、事情を話すべきか迷ったニイナだったが、彼女たちもノアやタイオンと同じくウロボロスの一員だ。
正直に話すことで何か力になってくれるかもしれない。
生来人をうまく利用することに長けているニイナは、そんな打算的考えの元、現在コロニーイオタが置かれている状況を少々内容を盛りつつミオとセナに打ち明けた。
最後に、数分前にタイオンから無残にも投下物資回収の依頼を断られた事実を悲劇的に語ってみると、案の定人のいいミオとセナは悲し気な表情を浮かべて同情を寄せてきた。


「イオタも大変なのね……」
「ミオちゃん、どうにかならないかな?」
「うーん。動いてあげたいけど、タイオンが反対してるんじゃ難しいよね……」


タイオンという男がどれほど頑固な男なのか、ミオは良く知っていた。
一度こうと決めた意見は相当なことが無ければ曲げない。それがタイオンだ。
人はほとんどの場合、感情派と理論派で別れる。
感情派の人間は文字通り感情の赴くままに行動し、理論派やはり行動1つ1つに合理性を求めがちだ。
組織の話し合いにおいて、違憲が尊重されがちなのは2つのうち理論派の意見だろう。
理にかなった意見を前に、感情論は全くと言っていいほど通用しない。
そういう意味では、6人のうち5人が感情派であるウロボロスという組織は、理論派であるタイオンの意見が尊重されがちなのだ。
理由は単純、理論派の彼の意見を、感情派である5人が打ち負かせられないからである。
やありミオやセナに頼ろうとしたのは間違いだったか。
そう思い始めていた矢先、ミオが少しだけ考え込んだのちに“でも——”と言葉を続けたことで事態は好転の兆しを見せた。


「ユーニなら何とか出来るかも」
「あぁ確かに!ユーニなら!」
「どういうこと?」
「ニイナ、ユーニに事情を話してみて?きっとタイオンを説得できると思うから」


ミオの言葉に、“うんうん”と満面の笑みで頷き続けるセナ。
2人ともに随分と自信満々な様子ではあるが、当のニイナは訳が分からずにいた。
ユーニはタイオンのパートナーである。
確かに6人の中ではタイオンに最も近しと言っても過言ではないが、彼女は6人の中でランツに次ぐ感情派と言える。
理論武装したタイオンを相手にするとなると、感情派であればあるほど説得は難しい。
頭の中でユーニがタイオンを説得する趣味レーションをしてみるが、何度やっても2人が喧嘩をして終わってしまう。
うまくいくビジョンが全くと言っていいほど見えなかった。

しかし、ニイナの不安に反比例してミオとセナは“何とかしてくれるはず”と確信をもって言い切っていた。
タイオンとユーニのことは、自分よりも一緒に旅をしている2人の方がよくわかっているだろう。
ここは2人の自信にかけてみることにした。

早速タイオンの説得を頼むためユーニに声をかけようとしていたニイナだったが、なかなか機会に恵まれずにいた。
というのも、ユーニを見かけるといつもその隣にはタイオンの姿があったからだ。
食事をしている時も隣の席にはタイオン。
誰かと立ち話をしていると思えば相手はタイオン。
一人で羽根を手入れをしていると思えば隣には読書の手入れをしているタイオン。
常にユーニの隣を陣取っているタイオンの姿に、ニイナはいい加減イライラしていた。

なにをそんなに一緒にいることがあるのよ。
いい加減は慣れなさいよ。
私はユーニに用事があるのに。
そんなニイナの心の叫びが聞こえたのか、食堂の椅子に並んで座ってくつろいでいたユーニが腰を上げた。
その瞬間、何故かタイオンも一緒に立ち上がろうとしていたが、ユーニに制止される。
恐らくはトイレに立ったのだろう。今が好機だ。
ニイナは、ユーニがトイレから返ってきたタイミングを見計らって彼女に声をかけた。


「ユーニ、ちょっといい?」
「うん?なんだよ?」


天幕の陰からユーニを呼ぶ。
手招きをすると、ユーニは不思議そうに首を傾げながらこちらに近付いてきた。
ここならば、タイオンがいる野外食堂からは死角になっていて見えないはず。
ユーニと秘密の話をするにはうってつけの場所だった。

近付いてきたユーニに、ニイナは先ほどミオやセナにした話と同じ内容を伝えた。
イオタの現状を悲観的に語ると、やはりユーニも同乗の視線を向けてくる。
口が悪い彼女ではあるが、心優しいのは間違いなかった。
その優しさを利用する形になってしまうのは忍びないが、これもコロニーのため。
ユーニにタイオンを説得させるため、ニイナは最後にこうしめくくった。


「タイオンにも頼んだんだけど断られたのよ。急いでいるからって」
「あー、まぁアイツなら断るだろうな」
「でも、今のところコロニーイオタは貴方たちウロボロスに頼るほか道はないの。どうにかしてタイオンの了承を貰いたいのだけど、何か言い考えないかしら?」
「うーん。じゃあアタシが説得してみようか?」


きた。
望み通りの回答を引っ張り出したことで、ニイナは内心ガッツポーズを決める。
“あら、いいの?”とわざとらしく聞いてみると、ユーニは“当然”と快活に笑った。
彼女は御しやすい。性格のいい人間ほどこちらが甘えればすぐに力になろうとしてくれる。
その素直さが時折羨ましくはなるけれど、タイオンのような慎重で疑り不快ひねくれものよりはよっぽど接しやすかった。

相変わらず優しいわねこの子。
でもその素直すぎる言葉と性格で、本当にタイオンを説得できるのかしら?

半信半疑になりながらも、ニイナはユーニの背を見送った。
まっすぐ野外食堂にいるタイオンへと向かう彼女の姿を、ニイナは天幕の陰から見守っている。
ミオやセナが何故あぁも自信ありげに“ユーニなら何とか出来る”と言いきったのか興味が湧いたのだ。
彼女が本当にタイオンを説得できるとしたら、それはきっと相当な交渉術を持っているからだ。
軍務長という立場上、友軍となった他のコロニーとの協議のうえで交渉術は必須のスキルと言える。
あの堅物の首を盾に触れるだけの交渉術なら是非この目で見てみたかった。

やがてユーニはタイオンの隣に座り直る。
戻ってきたユーニを一瞥すると、タイオンはすぐに手元の教本へと視線を戻した。
夜ということもあり、昼間に比べてイオタを取り巻く雑音は少ない。
ほんのわずかではあったが、2人の会話は離れた天幕の陰から覗いているニイナの耳にも届いていた。


「ニイナから投下物資の回収頼まれたんだって?」
「……あぁ」
「なんで?」
「ルディからなるべく早く来てくれと要請を受けているだろ。寄り道している暇はない」
「別に少しくらいいいだろ。ルディだって分かってくれると思うけど?」
「投下物資の座標地点から換算するに、回収に動けばコロニー30に到着する予定が3日以上ズレることになる。3日も遅れることを“ちょっと”とは言わない。ルディは快く許しても副官のユゼットは困るだろうな」
「じゃあアタシとタイオンだけで回収しに行くのは?ノアたちには先にコロニー30に行ってもらってさ」
「それこそ現実的じゃない。狙いはイオタとはいえキャッスルの精鋭がそこかしこにいる状況で戦力を二分するのは愚かだ」
「アタシらが負けるかもしれないって思ってる?」
「そうは思わないが、余計に疲労を蓄積させるだけだと言っているんだ。無駄に体力を消耗する寄り道だけは避けたい」
「無駄って言うほど無駄じゃねぇだろ。イオタを助けるためなんだからさ」
「火時計の束縛下から解放されたとはいえイオタは白銀のコロニーだ。投下物資1つ見逃した程度でどうにかなるような軟なコロニーじゃない。僕たちが無理に手を出さずとも、あのニイナの辣腕ならどうにでも切り抜けられるだろう」


ユーニが投げかけてくる柔いボールをタイオンは次々に打ち返していく。
そ言葉全てに論理的で隙が無い。
やはりユーニに説得など難しいのではないだろうか。
そう思い始めた頃だった。椅子に胡坐をかいて座っていたユーニが、テーブルの上に頬杖を突きタイオンの顔を覗き込んだ。
急に近付く顔と顔。手元の教本に落とされていたタイオンの視線は吸い寄せられるようにユーニの相生瞳へと注がれていく。
そして、ユーニはすぐ隣に座っているタイオンめがけて剛速球を投げ放つ。


「でもさ、たまには二人きりで旅すんのもよくね?」
「えっ――」
「アタシとタイオンで投下物資回収しに行くとしたら、3日は2人きりで旅することになるんだろ?そういう機会中々ないし、楽しそうじゃん」


微笑むユーニを前に、タイオンの視線が泳ぐ。
顔を逸らし、明らかに動揺している様子のタイオンは、先ほどまで間髪入れずにユーニのボールを打ち返していたにもかかわらず急に戦意を喪失してしまったように見えた。

なに、今の。
“二人きりの旅なんて楽しそう”などというロジックの欠片もない言い分が、タイオンから反論を奪っている。
タイオンと同じ理論派であるニイナだからこそ分かることなのだが、理論派は変化球にすこぶる弱い。
ロジカルに物事を考える傾向にあるからこそ、議論の場ではある程度相手が何を主張してくるか予想建てながら反論をくみ上げる者である。
そのため、意図していない方角から意図していない切り口でボールが投げ込まれた時、動揺して対応が遅れてしまうのだ。
投げ込まれたそのボールが、自分にとって都合が良ければいいほど、その動揺は激しくなる。
タイオンは今、間違いなくユーニとの二人旅という状況を“都合がいい”と思ってしまっている。


「それにさ、ニイナもすげぇ困ってるみたいだったぜ?困ったときはお互い様なんだし、少しは協力してやってもよくね?」


ニイナの名前はとどめの一発として使われた。
だが、あまり効果はないように見える。
その一言がなくとも、既にタイオンはユーニによって御されている後なのだから。
案の定タイオンはわざとらしく深いため息をつき、渋々と言った様子で頷いた。


「仕方ない。君がそうしたいなら――」
「おっ、マジ?流石タイオン。優しいとこあんじゃん」


屈託ない笑顔を浮かべ、ユーニはタイオンの肩を叩いた。
バシバシと肩を叩かれながら、タイオンは顔を逸らし“別に……”となにやらもごもごしている。
昼間ニイナが頼みに行ったときは取り付く島もなく“無理だ。出来ない。他を当たれ”の繰り返しだったくせに、ユーニはたった3分足らずでタイオンを攻略して見せた。
しかも、ロジカルに相手を説き伏せたのではない。
あれはユーニにしかできない、タイオン特効の技である。
可能なら今後タイオンに頼みごとをする際の参考にさせてもらおうかと思っていたが、あんなの真似できるわけがない。
見事たいおんから了承を取り付けたユーニは、軽い足取りでニイナの元へ帰ってきた。


「OKだってよ。アタシとタイオンで明日から回収に行ってくる」
「そ、そう……。貴方凄いわね、あの堅物を一瞬で説得できるなんて」
「まぁな。タイオンはあれでもお人好しだから、誰かが困ってるって強くアピールすれば大抵頷いてくれるんだよ」


“今回もニイナの名前出したら一発だったしな”
そう言って得気に笑うユーニだったが、彼女は大きな勘違いをしている。
タイオンがあっさり了承したのは、“ニイナが困っているから”でも“コロニーイオタが大変だから”でもない。
“ユーニがそうしたいと言ったから”だ。
ミオやセナがあんなにも自信満々に“ユーニなら何とか出来る”と言っていた理由がよくわかった。
ユーニが優れた交渉術を持っているからではなく、タイオンがユーニに弱いからなのだ。


「はぁ、何の参考にもならなかったわ」
「え?何が?」
「なんでもない、こっちの話よ。ありがとねユーニ。今後もタイオンの説得が必要な時は貴方を頼らせてもらうわ」
「任せときな」


真似できそうもない技を披露されたのは幾分か悔しかったが、ユーニの対タイオン特殊交渉術は今後も大いに役立つだろう。
上手くすれば、ユーニ経由でタイオンをうまく使い、イオタのために粉骨砕身してもらうことだってできるかもしれない。
ユーニというタイオン専用兵器を発見してしまったニイナは、よこしまな野望を抱きつつほくそ笑むのだった。

 

知らない顔、知らない感情


命の火時計が破壊された。
その事実は、ラムダに大きな混乱をもたらした。
もうケヴェスと戦わなくていいだとか、執政官がメビウスという名のバケモノだったとか、さまざま判明する衝撃の事実にコロニー内はどよめいていたけれど、私の中で一番衝撃的だったのは“あの”タイオン先輩がラムダに戻ってきたことだった。


「先輩!タイオン先輩!」


鉄巨神がひっくり返ったままになっているエルシーの滝から、6人の男女がコロニー内へと戻ってくる。
その中の一人に、彼はいた。
かつてこのコロニーラムダの作戦立案課に所属していた1期年上のタイオン先輩。
当時まだ6期になりたてだった先輩は非常に優秀で、作戦課長を務めていたナミさんやイスルギ軍務長からの信頼も厚い人だった。
いずれはあの人が作戦課長や副官になって、このコロニーを引っ張っていくのだろうと思っていた。コロニー13との戦闘で、ナミさんをはじめ多くの同胞を失うまでは。


「チハヤか?」
「そうです!先輩、覚えていてくれたんですね」
「当然だ。後輩の中で一番話す機会が多かったからな」


眼鏡の奥で細められる瞳に見つめられ、なんだか恥ずかしくなってしまう。
先輩はあの頃に比べて大分背が伸びた。当時は眼鏡だってしていなかったし、今よりも少し声が高かったような気がする。
あれから約3年。10期に近付くと、どの兵士も体と心が成長していくものだけれど、9期を迎えた先輩も例に漏れず、“頼りになる男の人”へと成長していた。


「先輩たちがラムダの火時計を破壊してくれたんですね」
「あぁ。正確には僕じゃなくノアとミオだが」
「でも、先輩も同じ力を持ってるんですよね?イスルギ軍務長から聞きました。確か、えっと、うろ……」
「“ウロボロス”のことか?」
「そうそれです!どんな力なんですか?」


問いかけると、先輩は“どんな、か……”と腕を組みながら考え込んだ。
考えを巡らせている時に腕を組む癖は今も変わっていないらしい。
あの頃と変わらない一面を垣間見た瞬間、なんだが嬉しくなって胸がむずむずした。


「実のところ、僕たちにもよく分かっていないんだ。判明していることと言えばアグヌスとケヴェスの人間がインタリンクすることで真価が発揮されるということくらいか」
「いんたりんく……?」


言葉の意味はよく理解できないが、とにかくケヴェスの人間とペアになってこそ真価を発揮する力なのだということは分かった。
先輩はアグヌスの女性二人のほかに、ケヴェス兵と思しき3人の男女と一緒にこのラムダを訪れた。
ということは、あの3人のうちの誰かが、先輩のパートナーということになる。
火時計による束縛から逃れ、戦わなくていい状況に置かれたのは確かだが、だからと言ってケヴェスの人間をそう易々と受け入れる気にはならない。
ケヴェスの人間と一緒に戦わなくちゃいけないんなんて、先輩可哀そう。
そんな考えさえ生まれていた。


「タイオン、そろそろ行くぞ」
「あぁ、今行く」


不意に、遠方から先輩の名前が呼ばれる。
呼んでいたのは、頭に白い羽根を生やしたケヴェスの女兵士だった。
先輩が連れてきた3人のケヴェスのうちの一人である。
先輩はそんな彼女の呼びかけに応答すると、私の方へと向き直り“それじゃあまた”と微笑み去っていった。

もう少し話がしたかったのに。
ガンマに異動になった後どうしていたのかとか、どうしてウロボロスなんて得体のしれない力を得てしまったのかとか、どうして各地の命の火時計を壊して回っているのかとか、聞きたいことは山ほどある。
なんとなく寂しくなって去っていくタイオン先輩の後ろ姿に目を向けると、隣に並んで歩いていたケヴェスの女兵士が先輩の白い背中を軽く叩いていた。
その光景を視界に入れた瞬間、私の胸はチクリと痛んだ。
なにやら話しているようだが、会話の内容までは聞こえない。
だが、私はなんとなく察してしまった。あぁ、あの人が先輩のパートナーなんだ、と。
その女兵士の名前が“ユーニ”だということを知ったのは、そのすぐ後だった。


***


命の火時計を失ったラムダは、これまでのコロニーの在り方を根底から見直す必要に迫られていた。
何を決めるにも実行するにも各所の承認を得なければならないこのシステムは、戦争状態だったかつては統率力を固める要因として機能していたが、危急存亡ともいえるこの状況では迅速さを封じる厄介なシステムとして鎮座してしまっている。
このシステムの在り方について、コロニーの兵たちが改めて考えるようになったきっかえをくれたのは、やはりタイオン先輩たちだった。
なかでも、かつてラムダに所属していた経歴を持っているタイオン先輩は、このコロニーが抱える事情をより深くまで知っている。
そんな先輩の後押しもあり、ラムダは変わり始めていた。

やっぱりタイオン先輩はすごい。
ナミさんの一件では自責の念に駆られていたようだけど、私は知っている。
戦闘部隊の隊長が、タイオン先輩が最初に提示していた安全性の高い策を突っぱねていたという事実を。
当時ラムダは蓄積していた命の残量が残りわずかとなっており、あまり時間をかけてはいられない状況だった。
だからこそ、より早く、そしてより大量の命を刈り取れる攻撃的な作戦にすべしとの意見がぶつけられたのだ。
 
気持ちは分からないでもなかった。命の残量が少なくなればなるほど、兵は混乱し不和を招く。
そうならないためにも、疾風迅雷の勢いで敵を殲滅し、早急に命を確保することに重点を置きたいと思うのは当然の考えだ。
安全策をとるか、戦闘部隊長の言う通りハイリターンな策をとるか。
選択を迫られたタイオン先輩は、自身も成人まであと数か月に迫っていた戦闘部隊長の気持ちを汲み取り、後者の策を採用した。
先輩がもっと冷徹な人間で、“あなた一人の命よりコロニー全体の命の方が大事だ”と言えていたら、結果は全く違うものになっていただろう。
先輩は優しい。優しいからこそ、相手の気持ちに寄り添って考えてしまう。
そんな優しい先輩に、私は憧れていた。

先輩たちがラムダに帰ってきたのは2日ほど前のこと。
メビウスを斃す旅を続けている彼らは、ペンテラス地方に降り立つたびこのラムダへ立ち寄っている。
コロニーを構えている岩宿にやってくるタイオン先輩たちの姿を見るたび、私の心は踊った。
良かった。先輩は変わらず生きている。
世界の命運を変えるという大きすぎる宿命を背負った先輩は、苛烈な旅の徒にある。いつ敵に倒され、命を散らすとも分からない状況ゆえに、私はタイオン先輩の無事を確認するたび安堵した。


「先輩!」


軍務長室からタイオン先輩が出てきたところを見計らい駆け寄ると、眼鏡のレンズ越しに優しい瞳が私へと向く。
あの頃よりも成熟した先輩は私よりも随分背が高くて、近付くと見上げなければ視線が合わない。
昔は同じくらいの背丈だったのに、私の知らないところでこんなにも成長していたのだと思うと、ほんの少しだけ切なくなる。


「どうした?」
「是非教導をお願いしようと思いまして。先日、外のモンスターとの戦闘で数機のレウニスを失いました。先輩に客観的な目線で結果の検証をしていただきたいんです」


かつて先輩がラムダに所属していた時は、2人で駒を使いながら戦闘のシミュレーションをしたものだ。
先輩はイスルギ軍務長にも負けないくらいの戦略家である。
そんな彼の知恵があれば、外にはびこるモンスターや、未だ火時計の束縛から解放されていないコロニーとの戦闘も優位に進められるかもしれない。
ラムダのため。そんな大義名分が表立っていたが、本当は自分自身のためだった。
先輩がこのラムダをを訪れない限り、私が彼と話す機会は巡ってこない。
だったら、ラムダにいる期間中はなるべくたくさん先輩と話していたい。
心に灯ったこの感情は、まるで火時計に灯る命の炎のように激しく燃え滾っていた。


「教導か。うーん……」
「だめ、ですか?」
「駄目じゃないんだ。ただちょっと用事が……」
「別にいいんじゃね?」


私からの誘いを渋る先輩だったが、背後から近付いてきた一人の女性が背中を押した。
頭から羽根を生やしたケヴェスの女兵士。確か、名前はユーニさんだったか。
タイオン先輩の仲間内の一人で、恐らく彼のパートナー。


「付き合ってやれよ。用事はアタシ一人で何とかなるし」
「だがな……。」
エーテルチャネルの回収くらい平気だって。ほらほら行った行った」


彼女が広い背中を押したことで、先輩はよろめいた。
“ユーニ”と名前を呼びながら振り返った先輩だったが、すでにそこにユーニさんの姿はない。
足早にその場を去っていく彼女の背中を見つめる先輩の瞳は、何故か切なげに揺れていた。
どうしてそんな顔をするのだろう。
今は旅の仲間とはいえ、彼女はかつてあのナミさんをも殺した者たちと同じケヴェスの人間なのに。
まるで大事なものを慈しむかのような先輩の目に、心がざわめく。
この気持ちは一体なんだろう。


「すみません先輩。ユーニさんと先に約束していたんですね」
「約束と言うほど大げさなものじゃない。ここへ来る途中にエーテルチャネルを見つけたから、ラムダで補給した後に2人で回収しに行こうと話していただけだ」
「そうでしたか。ユーニさん、1人で大丈夫でしょうか」
「……問題ないだろう。ユーニはあれで強いからな」


“早速始めよう”と微笑む先輩は、私の前を横切り作戦立案課の天幕がある方向へと歩き出す。
その背に続く私は、自分の足元を見つめながら胸の痛みを覚えていた。
先輩が他人を素直に褒めるだなんて珍しい。
しかも相手はケヴェスの人間。驚かずにはいられなかった。
先輩とユーニさんの間には、もはやケヴェスとアグヌスの境界線はな唸っているのかもしれない。
先輩に“強い”と評されるなんて、羨ましい。きっと相当信頼しているのだろう。
私の方が、先輩と過ごした時間は長いはずなのに。

作戦立案課の天幕に他の人の姿はなく、広い空間に私と先輩の2人きりだった。
テーブルに広げたのは紙媒体の地図。そこに味方の兵士に見立てた駒を置いてシミュレーションを開始する。
仮想敵はグロッグ。ラムダが鉄巨神を構えている大瀑布に多く生息する生物である。
ラムダから出す兵の数は約20。モンスター討伐に宛てられる人数としては平均的な数である。
一方で敵方のグロッグの数は5体。体内に毒を持つ個体と仮定した時、どうしてもシミュレーション上で勝利をもぎ取ることが出来ないのだ。
シミュレーションでの勝率を100%近くまでに持って行かないと、実戦に移行するのは難しい。
なんとかこの毒持ちのグロッグを20の兵で打ち倒す方法はないのだろうか。
頭を抱えながら、私は知恵を借りるため先輩の方へと視線を向けた。
先輩の視線はテーブルの地図ではなく、わずかに隙間が空いた天幕の外へと向けられている。
その目は、明らかに先輩の意識が散漫になっていることを物語っていた。


「先輩?」
「ん?あ、あぁすまない。グロッグの討伐に関してだったな」


声をかけたことで、ようやく先輩の意識をこちらに向けることが出来た。
地図の上に置かれた味方の青い駒へと手を伸ばすと、グロッグの赤い駒を囲むように配置し始める。


「真正面から当たろうとするから負けるんだ。味方の立ち位置を工夫すれば何とかなる」
「立ち位置、ですか」
「本隊をグロッグたちの正面に配置。注意を向けている隙に側面から叩けば迅速に制圧できる」
「固まって戦わないんですか!?」
「あぁ。一見数に頼った戦い方をすれば精強に見えるが、実際は複数方向から攻撃を向けたほうが効果的だ。特にグロッグのような知能の低いモンスター相手にはな」


それは、6人のウロボロスたちが日ごろから実践している作戦だった。
ディフェンダーを務めている者が正面で敵の目を惹きつけ、その隙にアタッカーが側面や背面から強力な一撃を放つ。
この戦略で数々の敵を屠ってきた実績があるだけに、説得力は抜群だった。
地図上で展開される先輩の作戦に目を輝かせながら、私は感嘆してしまった。


「すごいです!流石先輩ですね!」
「だがこの作戦を実行するには指揮官が的確かつ迅速な指示出しをする必要がある。そこが難しいところだな」
ウロボロスたちの中で指揮官を勤めているのは先輩なんですよね?やっぱり、皆さんの名前がこのアイオニオン中にとどろいているのは先輩の活躍あってのことなんですね!」
「いや、僕だけじゃなく、他のみんなの活躍のお陰で……」


惜しみない賛美を贈ると、先輩は苦笑いをしながら謙遜し始めた。
褒められ慣れていないのか、気恥ずかしそうに視線を外す先輩。
不意に天幕の外へと向けられた視線が、まるで縫いつけられたようにそこから動かなくなった。
外に何かいるのだろうか。不思議に思い私も外を覗こうとした次の瞬間、先輩は“ちょっとすまない”と一言謝った後天幕の外へと飛び出してしまった。

呼び止める間もなく突然駆けだした先輩に戸惑い、後を追おうとした私はテーブルに太腿をぶつけてしまった。
テーブルが動いた拍子に、上に乗っていた駒がぼろぼろと床に零れ落ちてしまう。
焦って拾い上げ、地図の上に適当に置くと、私は天幕の陰から外を覗き込んだ。
そこに見えたのは先輩の広い背中と、長身の先輩を見上げているユーニというケヴェスの女兵士の姿。
何故だかユーニさんは全身ずぶ濡れで、ミルクティー色の髪は水気を帯ていた。


「だからなんでもねぇって」
「そんなに濡れて“なんでもない”はありえないだろ。何があった?」
エーテルチャネルの近くにリィブラがいたんだよ。水辺で戦ってたから躓いた拍子に水被っただけ」
「リィブラ?あのあたりには生息していなかったはずなのに……。先日のケヴェスの殲滅兵器のせいで移動してきたのか」
「かもな。アタシもちょっとびっくりした」
「すまない。やはり僕も一緒に行くべきだったな。怪我は?」
「ないない。雑魚だったから余裕だったよ」
「本当か?躓いたんだろ?なら足を挫いたり膝をすりむいたりしたんじゃ……」
「平気だって。ていうかその程度の怪我ならもう自分で治したっつーの」
「やっぱり怪我したんじゃないか。どこだ?ちょっと見せてくれ」
「あぁもういいってば!」


腕を取り、怪我をしている箇所を強引に確認しようとしている先輩に、私は少し驚いた。
元々優しい人ではあったものの、あんな風にわかりやすく他人を心配することはなかった。
いつも遠回しに気を遣い、ほのかな優しさを漂わせる程度に抑えている先輩が、ユーニさんには惜しみなくその優しさを注いでいる。
目の前で繰り広げられる2人のやり取りに、私は何故が悲しくなった。
すると、先輩の肩越しにユーニさんと目が合ってしまう。
気まずさに焦る私とは裏腹に、ユーニさんは困ったように苦笑いを浮かべながらタイオン先輩の腕を自分から引きはがした。


「ほら、教導の最中なんだろ?後輩待たせんなよ」
「だが……」
「全身ずぶ濡れだしアタシも早く着替えたいんだ。また後でな」


先輩の腕から逃れるように離れていくユーニさん。
白い羽根に滴った水を絞り出しながら、彼女は速足で去っていった。
先輩はその背を暫く見つめていたが、短いため息をつくとすぐにこちらへと振り返りいつも通りの顔を見せた。


「中断してすまない。続きをしようか」


そう言って微笑む先輩の表情からは、明らかに先ほどまでの集中力が掻き消えていた。
去っていくユーニさんのことが心配でたまらない。そんな顔だ。
もしかすると、先輩にとっての邪魔者は私の方なのかもしれない。


「いいですよ。もう」
「うん?」
「聞きたいことは全部聞けましたし、ユーニさんのところ行ってあげてください」
「しかし……」
「心配なんですよね?ユーニさんのこと」


先輩は否定も肯定もしなかった。
そのかわりに、申し訳なさそうな顔をしながら“すまない”と一言謝り、ユーニさんの後を追って駆け出してしまう。
もう少し躊躇してくれることを期待していたのに、先輩はあっけなくユーニさんの背を追いかけてしまった。
あぁ、本当に行ってしまった。薄情な人。
肩を落としつつ、天幕の中へと戻って地図や駒を片付ける。

これはラムダ共有の備品なので、きちんと備品保管庫に戻さなくてはいけなかった。
丸めた地図と小さな駒を手のひらに乗せ、私は一人備品保管庫へと向かう。
ようやく保管庫の天幕にたどり着いたその時、天幕の裏手から男女の会話する声が聞こえてきた。
男性の方の声には聞き覚えがある。
忘れるわけもない。タイオン先輩の声だ。
となると、もう一方の女性の正体もおおよその予想がつく。
止めておけばいいのに、私は好奇心に駆られて天幕の裏を覗いてしまった。
そこに広がっている光景に、また傷付くことになると知っていながら。


「教導は?ほっといてよかったのか?」
「行けと言ってくれたのはチハヤのほうだ」
「せっかくの教導なんだから優先してやれよ」
「チハヤは優しい子だ。その程度で気分を害したりしない」


コンテナの上に腰かけたユーニさんの髪を、背後からタイオン先輩がタオルで拭いていた。
頭から生えている白い羽根を乱暴に扱わないよう慎重に、それでいて優しく水気をふき取るその手つきに、ユーニさんは気持ちよさそうに目を閉じている。
先輩は人を見る目がない。ちゃんと見る目があれば、私を優しいと評することはありえない。
だって私、今ものすごく嫌な顔している。
タイオン先輩がユーニさんを気にかけるたび、心が砕けそうなほど苦しくなる。
その視線をほんの一瞬だけでもこちらに向けたいと思ってしまう。
こんなことを考えてしまっている私なんかが、“優しい子”なわけがない。


「やっぱり君一人でエーテルチャネルの回収はやめておいた方がいいな」
「別に平気だろ。今回だってきちんと回収できたし」
「駄目だ。想定外の敵に出くわしたらどうする?次からは必ず僕も同行する」
「へいへい。分かったよ。まぁ今日みたいにお前が用事あるときはノアやランツにでも声かけてから出ることにする」
「駄目だ。僕が行けないときは君も留守番だ」
「はぁ?なんで?」
「僕がいないとインタリンク出来ないだろ。だから同行者は僕じゃないとだめだ」
「えー……」
「“えー”じゃない。分かったか?返事は?」
「はいはい」
「“はい”は1回。やり直し」
「はーい」


“よし、それでいい”
そう言って笑う先輩は、不満げなユーニさんとは対照的にどこか嬉しそうだった。
先輩のあんな顔、今まで一度だって見たことない。
きっと私じゃ先輩の柔らかい表情を引き出すことはできない。
いつもどこか思い詰めていた先輩を変えたのは、きっとユーニさんなんだ。
胸が痛い。心臓がきゅうきゅうと締め付けられる。
“瞳”から命の火時計が失われたと同時に、今までなにも感じていなかった先輩への得体のしれない感情が生まれていた。
この気持ちは一体なんだろう。先輩も、ユーニさんに対して同じような感情を抱いているのだろうか。
甲斐甲斐しくユーニさんの世話を焼いている先輩を見つめながら、私は思う。きっとこの苦しい感情が喜びの感情に変わる日は一生来ないのだろう、と。

 

とある夏の愚行


7月下旬。ようやく梅雨が明けたと思ったら今度はうだるような暑さが空を覆い、夏の到来を知らせてくれる。
アスファルトの照り返しによって地上はどんどん気温が上がり、最高気温35度という今シーズン最高気温を記録している。
数メートル先が熱気によって歪んで見えるほどの高温の中、タイオンは自宅へ向かって歩き続けていた。
暑い。暑すぎる。
首筋から垂れる汗は拭いても拭いても吹きあがってくる。
これはもう老人であれば外に出た瞬間暑さで昇天してしまうんじゃないか?まだ高校生でよかった。
そんなクダラナイことを考えつつ、タイオンは首に巻いてあったネクタイをするりと解いた。

今日は高校の終業式だった。明日から夏休みで、終業式が終わり簡単なホームルームを経て解散の運びとなった。
いつもならある程度涼しくなった夕方ごろ帰宅するのだが、学校が早く終わったということもあり時刻は真昼間。一番熱い時間帯であった。
こんなに暑いなら、せめて夕方まで学校や駅前のカフェで時間を潰すんだった。
そんな後悔を抱えながら、タイオンはようやく自宅に到着した。
 
玄関に入ると外よりは大分熱さも和らいだが、それでもやはり蒸し暑い。
はやく自分の部屋に入って麦茶をがぶ飲みしよう。
階段を上がって自分の部屋の扉へと視線を向けると、開けた状態で出たハズの扉が閉まっていることに気が付いた。
その瞬間、心臓が跳ねる。ごくりと息を呑み、恐る恐る部屋の扉を開けると、開けられた扉の隙間から冷房の冷気が肌を撫でる。
冷房が付いているということは、やはり予想通りだった。
部屋の奥に配置された自分のベッドの上に横たわる“彼女”を見つめ、タイオンはわざとらしくため息をつく。


「また来ていたのか、ユーニ」
「あっ、タイオンおかえり」


ひとのベッドでくつろぎながら漫画を呼んでいたユーニは、タイオンが部屋に入ってくるとちらりと視線を寄越した。
彼女はユーニ。ここから徒歩5分とかからない距離に住んでいる同い年で、彼女の両親とタイオンの両親は学生時代から交流があったらしく子供のころから彼女とは常に一緒だった。
所謂幼馴染というやつである。
 
中学までは同じ学校に通っていたが、タイオンは私立の進学校、ユーニは公立の学校に進学したことで昔ほど顔を合わせなくなった。
とはいっても、今でも彼女はこうして勝手にタイオンの家に上がり込むことがある。
タイオンの両親も、部屋の主が留守だとしてもユーニが相手となるとほぼ顔パスで家に上げてしまうから厄介だ。
家に帰ったら異性の幼馴染が遠慮もなくベッドで横になっている状況は、高校生という多感な時期を迎えたタイオンにとっては非常に心臓に悪い。それが好きな人なら猶更だった。


「外暑かった?」
「35度だからな」
「冷房つけておいたアタシに感謝しろよ~?」
「はいはいどうもアリガトウゴザイマシタ」
「もっと心込めて言えよな」


背負っていたリュックを置き、タオルで汗を拭く。
首筋から垂れ落ちる汗を拭いながらユーニの方へと視線を向けると、うつぶせの状態で漫画を呼んでいる彼女の姿が目に入る。
スカートから覗く白い足をばたつかせている彼女はまさに無防備だ。
なぜそんなに?と問いかけたくなるほど短くしたスカートは、申し訳程度にユーニの太ももを隠している。
少し覗き込めばスカートの中が見えてしまいそうだ。
身体をのけぞらせ、足の間を覗き込もうとしたのはほぼ無意識の行動だった。
見えそうで見えないものが近くにあったら、なんとかして見ようと足掻くのが男という生き物だ。
それは勤勉で秀才なタイオンも例外ではない。


「そういえばさ、」
「っ、」


急に起き上がり、こちらに視線を向けてきたユーニに驚き、反射的に視線を逸らす。
危ない。覗き込もうとしていたことを悟られるところだった。


「隣街の花火大会、今日だって」
「あ、あぁ……。もうそんな時期か。早いな」
「うちの近所の花火大会は8月下旬だっけ?で、今年はどうなんだよ」
「どう、とは?」
「花火大会一緒に行ってくれる彼女は出来たのかって聞いてんだよ」


単刀直入に聞いてくるユーニに、タイオンは少しだけむっとした。
毎年この近所で行われる花火大会は夏の風物詩であり、タイオンとユーニも家族ぐるみで毎年見に行っていた。
中学に入って以降、もう家族といっしょに花火大会へ行くような年齢ではなくなったことを皮切りに、親抜きで2人で行くことが恒例化している。
いつの間にか、“相手に彼氏彼女が出来たらその人と一緒に行くことにしよう”という暗黙の約束が形成され、以降夏になると必然的に恋人の有無が話題に上がるようになったのだ。
長年ユーニに想いを寄せているタイオンにとっては、いつユーニから“彼氏が出来たから今年はお前と行けない”と言われるのか怖くてたまらなかった。


「そういう君はどうなんだ?出来たのか、彼氏」
「うーんどうでしょう」
「なんで誤魔化す?」
「こっちが先に聞いたんだからお前が先に答えるべきじゃね?」


どうやらユーニはタイオンの返答を聞くまで正直に答える気はないらしい。
誤魔化すユーニに腹を立てながら、タイオンはベッドに腰かけているユーニの隣に座る。
タイオンは決して異性にもてない方ではなかった。
身長も高く、頭もよくて気遣いもできる。そんな彼を慕うものは多い。
だが、高校2年生に至った今の今まで一度も彼女を作ってこなかったのは、このユーニという幼馴染が原因だった。
だが当のユーニは、そんなことなど露知らず好奇心にあふれた目でタイオンを見上げている。
そんな彼女に少し意地悪をしてみたいと思ってしまったのは、自分ばかり彼女に好意を寄せているこの状況に苛立ってしまったせいなのだろう。
全く自分に興味のないユーニの注意をほんの少しでもこちらに向けたかったのだ。


「……出来るかもしれない」
「えっ、ま、マジで?」
「今日後輩に告白されたんだ。“付き合ってほしい”と」
「それで、返事は……?」
「してない。保留にしてる」


嘘だった。
後輩から告白されたことは事実だったが、その場で即座に断っている。
“好きな人がいるから君とは付き合えない”と告げ、迷う暇もなく後輩からの好意を突っぱねた。
“保留にしてる”と嘘をついたのは、ユーニの心を少しでも揺り動かすため。
彼女が出来るかもしれないという事実に焦り、少しでもこちらを意識してくれればという僅かな希望の元、タイオンは嘘をつく。
だが、どうやらその嘘の効果は限りなく薄かったようだ。
“ふぅん”という興味なさげな相槌と共に、ユーニは漫画から視線を上げてこう言い放った。


「じゃあ、2人で行く花火大会も去年で終わりだったわけか。アタシもさっさと彼氏作ろっと」
「え……」


返ってきた言葉からは、焦りや嫉妬など一切感じられなかった。
ドライな反応に焦りを感じたのはむしろタイオンの方で、ユーニの“さっさと彼氏作ろっと”という一言で瞬時に我に返る。
まさかそっちの方向に話が流れるとは。


「い、いやでも、実際付き合うかもわからないし」
「なんで?告られたんだろ?付き合えばよくね?」
「正直彼女に恋愛感情はないんだ。好きでもないのに付き合うのはちょっと失礼な気がするし」
「付き合っていくうちに好きになるかもしれないじゃん」
「き、君を置いて僕だけ彼女と花火大会に行くのも気が引けるというか」
「いやいや。アタシに気遣うの意味わかんねぇから。つか心配すんなよ。アタシもすぐに彼氏作るし」


だからそれが嫌なんだ!
心の叫びをそのまま口にすることも出来ず、タイオンは唇を噛んだ。
今更嘘だったなんて言えない。
かと言って“彼氏を作るな”とも言えない。
八方ふさがりな状況に、タイオンは数十秒前についた自分の嘘を後悔し始めていた。
まるで突き放されたかのような気分になって、心が痛い。

結局その日、タイオンは嘘を嘘と打ち明けることが出来なかった。
日が暮れ始めた頃、“そろそろ帰る”と立ち上がったユーニは、哀しくなるほどいつも通りの様子でタイオンの部屋を後にする。
暫くは後悔に苛まれたが、こうなってしまっては仕方がない。
また彼女はこの部屋にふらっとやってくるだろうし、その時に“やっぱりあの告白は断ることにした”とでも言っておけば元通りになるはずだ。
 
楽観的に事を構えていたタイオンだったが、1週間、2週間と時が経つごとに焦りが強くなっていった。
あれ以来、ユーニが部屋に来ないのだ。
以前までなら週に2回以上は勝手に部屋に上がり込み漫画を呼んでいた彼女だが、あの日以来ぱったり姿を見ていない。
カレンダーは既に8月の中旬まで進み、例の花火大会の日まで残り2週間を切っていた。
結局一緒に行くのかどうかハッキリしていないこの状態で、ユーニとの距離が開きつつある現状にタイオンは大いに焦っていた。
まさか、本当に彼氏を作ってしまったのではないだろうか。と。

いてもたってもいられなくなったタイオンは、ユーニにLINEを送った。
“花火大会、どうする?”と。
いつもは数分で着く既読が、今回に限っては一向に着かなかった。
半日たっても返事が来ないことに痺れを切らし、今度は電話をかけてみる。
応答はない。1時間置いてまたかけてみたが、やはり彼女が電話に出ることはなかった。
翌日になっても相変わらずLINEの返事はなく、電話もかけ直してこない。
事ここにきてタイオンはようやく気付いた。あぁ、避けられているのかと。

今までユーニがこんなに長くタイオンの部屋を訪ねて来なかったことはなく、連絡を1日以上放置したこともない。
間違いなく彼女は自分を避けている。だがなぜ?
確かに彼女が出来るかもしれないと嘘を言ったが、ハッキリと“彼女が出来た”と断言したわけでもない。
まさか、嫉妬しているのか?
あの時は冷めた反応に見えたが、実は彼女が出来るかもしれない自分の現状に嫉妬してあえて距離を取っているのか?
もしそうなら、嫉妬するほど好かれているという確固たる証拠だ。

ベッドに腰かけながら、既読のつかないユーニとのトーク画面を見つめつつタイオンは生唾を飲む。
何にせよ、誤解させたのならなんとかして弁明しなくては。
彼女なんて出来ていないし、今後も作る予定などないと打ち明けなければ。
このまま誤解が続けば、ユーニは本当に彼氏を作ってしまうかもしれない。
それだけは嫌だった。

善は急げ。タイオンはスマホと財布だけを持って、猛暑の中を飛び出した。
電話にも出ないなら直接会いに行けばいい。
アポなし訪問は失礼にあたるかもしれないが、向こうだって今まで散々勝手に押しかけて来たのだからおあいこだろう。
相変わらずアスファルトを熱烈に睨みつけている太陽の陽ざしを全身に浴びながら、タイオンはユーニの家へと急ぐ。
その間、彼は3年前の花火大会の夜のことを思いだしていた。

それは中学2年生のころ。
幼馴染の2人は今年も変わらず揃って花火大会に出かけたが、途中で遭遇したクラスメイトにユーニとの仲を揶揄われ、タイオンは羞恥心から少し不貞腐れていた。
花火が始まるまで残り10分。時間を潰すため、会場となっている神社の境内の階段に腰かけていた。
隣に座っているユーニは随分美味そうにりんご飴を食べている。
遭遇したクラスメイト達に盛大に揶揄われた後だというのに、ユーニはまったく気にしていないようで複雑だった。
自分のことなどまるで意識していないように見えるユーニの態度に、当時から淡い恋心を抱いていたタイオンは苛立ちを感じてしまう。
こんなに意識しているのは自分だけなのかと、未だ“少年”の域を出ていない彼は内心子供のようにいじけていた。


「来年からは一緒に来るのはやめた方がいいかもしれない」
「なんで?」
「揶揄われるだろ」
「気にしなきゃよくね?」
「付き合ってると噂されたら面倒だろ」
「そうかぁ?」
「そうだろ」


14歳という思春期ど真ん中な年齢を迎えていたタイオンは、人よりも頭は良かったが中身は人並みに天邪鬼だった。
好きだけど嫌い。そんな幼稚な感情に支配されていた当時の彼は、物心つく前からユーニに恋焦がれていたにも関わらずその感情を隠すような言動を繰り返していた。
この日の彼もまた、本心を隠してユーニを突き放す。
本当は毎年この時期になるとカレンダーを見つめて指折り数えるほど花火大会の日を楽しみにしているくせに、まるで本心ではないかのように振舞っていた。
だが、一方のユーニは昔からまっすぐ素直な性格が幸いし、そんな天邪鬼なタイオンの態度をもろともせず、幼少期のころから続く距離感で彼に接し続けている。
その距離の近さが、タイオンの心を搔き乱しているとも知らずに。


「じゃあ来年から花火大会行かないのかよ?つまんなくね?」
「僕以外の誰かと行けばいいだろ」
「やだよ。皆彼氏と行ってるんだもん。あ、そうだ」


りんご飴を片手に持ったユーニが、何か思いついたように身を乗り出して顔を覗き込んでくる。
未だあどけなさが残る青い瞳に見つめられ、タイオンの顔は赤らんだ。
この赤らみが熱帯夜の熱さからくるものではないということは、タイオン本人が一番よく知っている。


「じゃあさ、お互い彼氏彼女が出来たら一緒に来るのやめにしようぜ」
「はぁ?」
「また誰かに揶揄われたら“彼女が出来るまでは一緒に行く約束だから”とか言い訳すればいいじゃん」


突拍子のない提案は、タイオンを混乱させる。
中学に入り、私服よりも制服を着る機会の方が多くなったことを皮切りに、男と女の関係性は大きく変わった。
今までは男女の別なく“仲のいい友達”だった男子と女子が、途端に“彼氏と彼女”に変わる。
周囲でも交際を始めた男女は珍しくなく、それは大人の真似事程度の交際だったが、当人たちにとっては至極まじめな男女交際である。
周囲の環境の変化に飲まれ、ユーニもいつか“彼氏”を作ってしまうかもしれない。
その“彼氏”のポジションに自分が収まっている光景がうまく思い描けず、心が荒んだ。


「アタシさ、ちょっと憧れてんだよね」
「……何に」
「彼氏と一緒に浴衣来て花火大会行くの。なんか青春って感じじゃね?」


ユーニは今まで一度も浴衣を着て花火大会に行ったことが無い。
かくいう今日も、いつも通り私服で隣に座っている。
当然タイオンも私服でいるわけだが、周囲を見渡せば高校生や大学生くらいのカップルが仲睦まじく浴衣と甚平で寄り添いながら祭りを楽しんでいた。
いま一緒に寄り添って歩いているあの男女もあの男女も、全部カップルなのだろうか。
あの有象無象の中に、いつかユーニも仲間入りしてしまうのか。自分の知らない誰かと一緒に。


「ガラじゃないな。青春とかそういうものに憧れを抱くタイプじゃないだろ君は」
「そうでもねぇよ。アタシが浴衣着てさ、そんで彼氏も甚平とか着てくれたら最高だなって」


自分も見たことが無いユーニの浴衣姿を見ることになるであろうまだ見ぬ“甚平の彼氏”を想像して、タイオンは密かに舌打ちした。
あれから3年。高校2年生になった今も、2人は一緒に花火大会へ行き続けている。
だが、その“恒例”も今年で終わりを迎えるかもしれない。
いつまでも2人はただの幼馴染ではいられない。ユーニに彼氏が出来るだなんて悲劇、受け入れられるわけがない。
猛暑に汗を流しながら、タイオンはようやくユーニの家の前に到着した。
そういえば、彼女と会うときはいつも向こうがタイオンの家に押し掛けるばかりで、タイオンがユーニの家を訪ねるのはかなり久しぶりだった。
緊張しながらインターフォンを押すと、ほどなくしてユーニの母が玄関から出てきた。


「あら、タイオン君?久しぶりね」
「こんにちは。急にすみません。ユーニいますか?」
「あぁ、ごめんなさい。いまちょっと出かけてるのよ」


久しぶりに会ったユーニの母から告げられた事実は、わずかにタイオンの不安を煽った。
まさか、デートじゃないだろうな。
いやいや落ち着け。そんなはずない。きっと大丈夫だ。ネガティブになるな僕。
玄関前で百面相を始めるタイオンだったが、そんな彼を手招きしつつユーニの母は微笑んだ。


「でももうすぐ帰ってくると思うから、あの子の部屋で待ってる?」
「え?でも勝手にあがるわけには……」
「いいのよタイオン君なら。ほら、暑いから上がって」


ユーニの強引さは母親譲りだった。
彼女をその腹から産み落とした母は、娘にも負けない強引さでタイオンを家の中へと引き込んだ。
ユーニの家に上がるのは小学生の頃以来だ。
当たり前だが間取りは一切変わっていない。
 
“飲み物持って行くからユーニの部屋で待っててね”と微笑みキッチンへ引っ込んでしまった母に一言謝り、タイオンは2階へと向かった。
親の許可はきちんと得たうえで家に上がり込んでいるというのに、何故だかいけないことをしているような気分になって自然と抜き足差し足忍び足で階段を上ってしまう。
やがて、ユーニの部屋の前にたどり着いたタイオンは恐る恐る扉を開ける。
小学生の頃は何度もお邪魔した彼女の部屋も、流石に女子高生になった今は雰囲気ががらりと変わっていた。
かつてはベッドの上に大量に置いてあったぬいぐるみの類はなくなり、勉強机の上に散乱していた漢字ドリルや算数ドリルは小難しい参考書に変わっている。

ここが今のユーニの部屋。
小学生の頃は感じなかったが、何故かいい匂いがする。
周りをきょろきょろと見渡しながら、タイオンの心臓は常に跳ね上がっていた。
ずっと立っているのも居心地が悪く、とりあえず座らせてもらうことにした。
ベッドの上に腰かけると、低反発のマットレスが心地よく沈んだ。

今、自分は何年も片想いしている人の部屋に一人でいる。
そんな都合の良すぎるこの状況が、タイオンを大胆にさせる。
中学2年生が天邪鬼で独りよがりな年齢なら、高校2年生は欲と好奇心にまみれたお年頃と言って差し支えないだろう。
ユーニのベッドを手で擦りながら、ぐっと息を呑む。
ゆっくりと上体を倒し、タイオンは普段ユーニが眠っているであろうベッドの上で横になった。
枕に顔をうずめて息を吸い込むと、わずかにユーニの匂いがした。
ユーニの気配を肺に吸い込むたび、心臓が痛いくらいに高鳴ってしまう。
ここで毎日ユーニは寝て起きてを繰り返しているのか。布団の中で丸くなってスマホをいじったり漫画を呼んだりしているのか。この枕に顔を頬を寄せて寝息を立てているのか。

ユーニの白い枕に顔をうずめながら、タイオンはまた息を吸い込んだ。
あぁ、こんなことをしているとユーニに知られたらきっとドン引きされるに違いない。
軽蔑されて、“気持ち悪っ”と一蹴される光景が目に浮かぶ。
だって仕方ないじゃないか。好きな人の部屋に入ったらそれくらいするだろ。
悪いのは警戒など一切せず部屋に入れた君の母親だ。文句なら彼女に言って——。

ドッドッドッドッ。

不意に派手な足音が聞こえてきた。
その音を聞いた瞬間、タイオンはひやりとした。
これは間違いない。ユーニが返ってきた。
急いで上体を起こし、ベッドから降りて床に正座したその瞬間、部屋の扉が派手な音を立てて開け放たれる。
やはりそこにいたのは、この部屋の主であるユーニだった。


「タイオン、来てたんだ」
「あ、あ、あぁ……」


危なかった、あと1秒判断が遅れていたらユーニから変態の烙印を押されてしまうところだった。
猛暑に中帰宅したユーニはほんのり汗をかいており、首筋に汗を滲ませている。
タイオンが突然押しかけてきたことに特に驚く様子も見せず、彼女はタオルで首筋の汗を拭いながら荷物を下ろし始めていた。
彼女の手荷物は小さなバッグに紙袋。どこに言っていたのだろう。やっぱりデートだったのだろうか。
だとしたらまだ陽が高いこんな時間に帰るのは可笑しい気がする。


「珍しいなタイオンがうちに来るとか。なに?なんか用だった?」
「用なんてない。ただ……」
「ただ?」
「君が僕を避けるから」


冷房の設定温度を下げながら、ユーニは目を丸くした。
“はぁ?アタシが?”と聞き返して来る彼女の態度は白々しい。
家に来なかった上、電話もLINEも返してこなかったくせに、身に覚えがないなんて言わせない。


「アタシがいつ避けたよ?」
「2週間以上うちに来なかったじゃないか。今までは週に2回は来てたくせに。それに電話もLINEも無視だなんて」
「……電話とLINE?それっていつ送った?」
「昨日と今日」


むっとしながら呟くと、ユーニは苦い顔で“あー……”と呟いた。
タイオンの隣に歩み寄り、ベッドの上に腰かけるユーニ。
そして、床に置いた小袋を引き寄せて中身を取り出す。どうやら中身は真新しいスマホの箱だったようだ。
それを見た瞬間、なんとなく状況を理解してしまう。


スマホの調子悪くてさ。昨日から修理に出してたんだよ。そんで今日、結局新しいスマホを買ってきたってわけ」
「え……」
「2週間お前んちに行かなかったのも田舎に帰省してたから。ほら、お盆だっただろ?」
「……」


穴があったら入りたい、という言葉は強い羞恥心を抱いた人間の心情を的確に言い表しているとタイオンは思った。
今がまさにその時だ。自室に帰って布団をかぶり、近所迷惑もいとわずに叫び散らして消えてしまいたい。
最悪だ。避けられていると思っていたその実、ユーニは全くそんなつもりがなかっただなんて。
自意識過剰だと言われているように恥ずかしい。
真っ赤になって頭を抱えるタイオンに、ユーニはにやにやと悪戯な笑みを浮かべながら彼の癖毛を激しく撫で繰り回し始めた。


「なんだよタイオン!アタシに裂けられてると思ってわざわざ来ちゃったのかよ~!可愛いとこあんじゃん」
「そ、そんなんじゃ……!というかやめろこのっ!」
「でもそういうのは彼女にしてやった方がいいんじゃね?せっかくの初彼女なのにフラれるぞ?」


ユーニからの一言にぎくりと背筋が伸びる。
やっぱりユーニは先日の嘘を真に受けている。それどころか、既に告白を受け入れて付き合っているとまで思い込んでいるらしい。
不味い。今日こそはこの誤解を何とか解かなくては。


「そ、そのことなんだが……。付き合ってない。告白は断った」
「えっ、そうなの?なんで?」
「なんでって……」


“君が好きだから”と堂々宣言するには、まだまだ“勇気”という名のステータスが足りないような気がした。
かといって、本心を隠すような言葉はもう言いたくない。
臆病と勇気のはざまで揺れ動くタイオンは、ようやく相応しい言葉を見つけて喉の奥から声を振り絞った。


「花火大会、今年も君と行きたかったから」


それは精いっぱいの言葉だった。
純粋な好意を表に出すことが苦手な彼にとっては大きな一歩。
どうせユーニのことだから心に響くことなく聞き流されるのだろうが、それでも本心を隠さず言えたという事実に大いに価値があった。
だが、ユーニからの返答はない。黙っていないで何か言って欲しい。
不安になったタイオンはユーニの方へと視線を向けるも、そこには思いもよらない彼女の顔をがあった。
目を丸くして驚き、顔を赤くしているユーニの顔を見た瞬間、思わず“えっ”と声が漏れてしまう。
何だその顔は。今まで何を言ってもドライな反応しか返ってこなかったのに、まるで照れているみたいじゃないか。
ユーニらしくもないその表情に、タイオンもまるで釣られるかのように動揺し始めていた。


「と、とにかく!今年も一緒に行くということでいいな?か、彼氏とか、出来てない、よな?」
「う、うん……」
「よし!じゃ、じゃあ、えっと、当日は18時に駅前だ!お、おお遅れるなよ!?」


盛大に噛み散らかしながら、タイオンは脱兎のごとくユーニの部屋から飛び出した。
階段を駆け下り、キッチンにいるユーニの母に“お邪魔しました”と早口でまくし立てて家を出る。
相変わらず外は熱くて、うだるような熱気が体にへばりついてくる。
だが、今は真夏の暑さなどどうでもよかった。
心臓がうるさい。顔も熱い。熱中症によく似たこの症状は、暑さのせいで引き起こされた症状などでは決してないのだ。
あぁ暑い。とにかく暑い。羞恥なのか歓喜なのか、それとも単に気温のせいなのか分からない熱に浮かされながら、タイオンは軽い足取りで自宅へと帰るのだった。


***


花火大会当日を迎えた駅前は人でごった返しており、付近には同じように待ち合わせをしているであろう若者たちが時計塔を囲むように立っていた。
その人混みから外れたところにタイオンは立っている。
壁に寄りかかり、スマホで何度も時間を確認している彼は、例年以上に緊張していた。
ユーニの家に突撃したあの日以来、ユーニには会っていない。
正確に言えば会えなかったのだ。どんな顔をしていいか分からないし、とにかく恥ずかしかったから。
それでもはやり今日という花火大会が楽しみであるという事実は変わりなく、緊張しつつもタイオンは浮かれ切っていた。
例年のように私服ではない、まさかの甚平を着てきてしまったのは浮かれ切った彼の心がさせた大きな罪である。

家を出るまでは割と乗り気だった。
ユーニは甚平を着た彼氏と花火を見るのが憧れだと言っていたし、きっと喜んでくれるだろうと。
だが、家を出て5分ほど経過した頃にようやく冷静さを取り戻し、死にたくなった。
何をしているんだ。憧れているのはあくまで甚平を着た“彼氏”と一緒に花火を見ることであって、僕はユーニの彼氏でも何でもないじゃないか。
それに、ユーニは今年も例年通り私服で来るだろうし、何の約束もせずに甚平で来たりしたらそれこそ浮かれ切っていると思われてしまう。いや、実際浮かれているのは間違いないのだが。
こんなの、もう“付き合ってくれ”と言っているようなものじゃないか。あぁもうなんでこんなガラにもない服を着て来てしまったんだ。
今すぐ帰って着替えたい。でも今から帰ったら待ち合わせに間に合わないしどうしたら——。


「お、おまたせ」


背後からユーニの声がする。
悩んでいる間に来てしまったようだ。
あぁ、なんて言い訳をしようか。
恐る恐る振り返るタイオン。背後に立っているユーニの姿を視界に入れた瞬間、あらゆる雑念が派手に吹き飛んだ。
浴衣だ。ユーニが浴衣を着ている。
白地に赤い毬模様の可愛らしい浴衣に身を包んだユーニは、ミルクティー色の髪を1つに束ね、涼やかに毛先を揺らしながらこちらを見上げていた。


「え、ゆ、浴衣……?」
「なに?似合ってねぇって?」
「い、いやっ、そんなことは……!」
「タイオンだって甚平じゃん」
「それはまぁ……。いや、まさか君まで浴衣を着てくるとは思わなくて」


ユーニとの付き合いはもう12年以上にもなる。
彼女との思い出は数えきれないほどあるが、浴衣姿を見たのはこれが初めてだった。
ここにきて彼女の新たな姿を見ることが出来た事実に、タイオンの心は歓喜する。
と同時に、大いに焦りを感じていた。
まずい。可愛い。可愛くて可愛くてたまらない。こんなに可愛い人の隣を平然とした顔で歩けるだろうか。
息を呑むほど可愛らしいユーニは、袖から伸びる白い手をタイオンの右腕に絡ませながら隣に寄り添い始めた。
急なことで驚くタイオンを見上げながら、ユーニは柄にもなくしおらしい様子で囁く。


「着慣れないからうまく歩けない。掴まってていい?」
「あ、あぁ。もちろん」


泳ぐ視線。跳ねる心臓。籠る熱。
そのすべてがタイオンを搔き乱し、冷静さを奪っていく。
彼氏と浴衣を着て花火大会に来るのが憧れだと語っていたユーニが、今日は浴衣を着て自分の隣を歩いている。
彼女は3年前の自分の発言をきちんと覚えているのだろうか。
もし覚えているのなら、これはきっと——。

ユーニに腕組まれながら、タイオンはゆっくりと歩き出す。
人込みの波に乗りながら、彼は考えていた。
隣を歩く可愛い幼馴染を彼女にするための素敵な台詞を。

 

男の嫉妬は見苦しい


インヴィディア坑道に強力なモンスターが巣をつくった。
その知らせはコロニーラムダにとって非常に都合の悪いものだった。
坑道から採取できるエーテルは、ラムダにとって生命線のようなもの。
巣を作ったモンスターを放置すれば、後々ラムダを脅かす大きな問題に発展しかねない。
 
事を大きくとらえたコロニーラムダの軍務長、イスルギは、急ぎ討伐隊を坑道へと派遣した。
だが、どうやら当該の巣はレウニスでは侵入できない奥まった場所にあるらしく、生身の人間しかたどり着くことはできない。
未知のモンスター相手にレウニスも無しに挑む愚を考え、イスルギは討伐隊を速やかに引上げさせた。
 
そして、コロニーに戻ってきた討伐隊の報告を聞いた彼は、少々迷いながらも瞳の機能を使い“彼ら”に連絡を取った。
多忙な彼らに頼るのは申し訳ないが、どんなモンスター相手でも生身で相手が出来ると断言できる戦闘要員はウロボロスを置いて他にはいないだろう。
かつて自分の下で戦っていた参謀、タイオンへと通信を繋げたイスルギは、事の次第を1から打ち明けるのだった。

タイオンからの返答は当然“YES”である。
彼が敬愛するイスルギの頼みを断る道理はない。
“3日以内に駆けつけます”という彼の言葉通り、6人のウロボロスは3日後の正午頃ラムダへと到着した。
かなりの弾丸旅だったらしく、6人の表情にはほんの少し疲労感が滲んでいる。


「すまないな、忙しいところ来てもらって。疲れただろう?」
「いえ。イスルギ軍務長の頼みならばどこであろうとすぐに駆けつけます。疲れてなんていません」


軍務長天幕へやってきた6人にねぎらいの言葉をかけるイスルギだったが、タイオンは疲れを誤魔化すように背筋を伸ばし、わずかに微笑んでいる。
彼は相変わらず真面目な男で、コロニーラムダを離れた今もイスルギのことを“軍務長”と呼び続けている。
それだけ慕ってくれている事実は嬉しくもあったが、あまりに従順すぎて気が引けてしまうのもまた事実。
現にタイオン以外の者たちは、相変わらずイスルギのためなら苦労もいとわないタイオンに対し苦笑いを浮かべていた。


「アタシらは十分疲れてるっつーの。お前が休憩も取らずに先を急ごうとするから歩きすぎて足パンパンだわ」
「そこまで長距離の移動じゃなかっただろ。大袈裟だぞユーニ」
「どこが大袈裟だよ。お前だって急ごうとしてた割に途中でへばってたくせに」
「なっ……誰が!」


ユーニからの横やりに、タイオンはムキになって反論している。
そんな様子を呆れた様子で止めに入ったのは、最年長のミオだった。
“はいはいそこまで、喧嘩しないの”と2人の肩に手を添えて引き離すミオに、タイオンはどこか不満げな表情を浮かべている。
 
ウロボロスとなったタイオンと再会して以降、彼の変貌ぶりには大いに驚かされた。
背が伸びただとか、眼鏡をかけるようになっただとか、見た目の変化はもちろんだが、何より驚いたのは中身の変化だ。
ラムダに籍を置いていた頃の彼はまだ未熟で、コロニーの同胞と言い合っている光景はしばしばあった。
互いに感情をぶつけあうその言い合いは、相手へのリスペクトのないヒリヒリとしたぶつかり合いだった。
 
だが、今は違う。
彼が同じウロボロスである他の5人とそう言ったヒリつくような本気の言い合いをしているところは見たことが無い。
一番口論が多い相手は相方であるユーニのようだが、彼女とのぶつかり合いはただの痴話喧嘩であってそこにヒリついた空気はない。
言い合っている最中も、互いに嫌悪感を感じさせることは一切なく、むしろ言葉を投げつけながらも仲睦まじく見えてしまう。
“喧嘩するほど仲がいい”とはよく言ったものだが、まさにタイオンとユーニの関係はその言葉の通りなのだろう。

変わったな、タイオン。

かつては敵であったケヴェスの少女と“仲良く”喧嘩をしている光景に、イスルギはふっと笑みを零した。
ナミを失ったばかりのころ、下を向いて自分を責めてばかりいたタイオンが、今はあんなにも自分をさらけ出し、仲間に囲まれ信頼されている。
彼にウロボロスの力を与えてくれた者には感謝しなくてはいけない。
タイオンがこうして前を向き始めたのは、間違いなくウロボロスになったおかげなのだから。


「長旅でお前たちも疲れているだろうし、今日はコロニーでゆっくり休んでくれ。坑道へ出発するのは明日にしよう」
「そうだな。戦うことが確定しているなら英気を養っておいた方がいい。今夜は泊めてもらうよ、イスルギ」


イスルギの提案を、一行のリーダーであるノアはすんなりと受け入れた。
一方のタイオンはすぐに坑道へ出発するものだと思っていたらしく、“いいのですか?”と遠回しに問いかけてくる。
確かに坑道に巣を作ったモンスターは後々火種となる存在だが、今すぐに脅威となるわけではない。
1日2日くらいは放置していても大丈夫だろう。
そう伝えると、タイオンは安堵したように表情を崩し、“軍務長がそう仰るなら”と頷いた。


「つか飯食わねぇ?俺腹減った」
「私も私もー!食堂行こうよ!」


相当空腹だったのだろう。ランツとセナは随分と軽い足取りで軍務長天幕から出て行くと、小走りで野外食堂へと向かった。
時刻は昼過ぎ。昼食にはちょうどいい時間帯である。
ランツとセナに続く形でノアとミオも天幕を後にする。
残されたタイオンは、イスルギに挨拶すべく最後まで残っていた。


「それでは軍務長、僕たちはこれで……」
「イスルギは昼食った?」


タイオンの言葉を遮るように、ユーニが問いかけてくる。
聞かれてようやく気付いたが、そう言えば今日はまだ昼食を食べていない。
命の火時計が破壊されて以降、キャッスルを頼れなくなったことで軍務長であるイスルギの仕事も倍増していた。
執務が立て込んでいる日は、食事や睡眠をついつい後回しにしてしまう。
気付けば昼食も夕食も口にしていなかった、なんてことも最近ではざらにあるのだ。


「そういえばまだ食べていないな」
「じゃあ一緒に行こうぜ」
「すまない、まだ片付いていない仕事があってな」
「それって、飯食うよりも大事な仕事なわけ?」


ユーニの言葉に、イスルギは一瞬返す言葉を失ってしまう。
腰に手を当て、首を傾けながら見つめてくるユーニのまっすぐな視線は、イスルギの疲れ切った様子を見逃してくれなかった。


「食事や睡眠って生きていくうえで欠かせない習慣だろ?そういう習慣ほっぽり出してまで優先するべき仕事なんてこの世にあるわけなくね?」
「ユーニ、無茶なことを言うな。軍務長はラムダのために骨を折っているんだぞ。それを……」
「だからって飯抜きで働き続けるのは流石に違うだろ。そのせいでイスルギが倒れたりしたらどうするんだよ」
「それはそうだが……」
「それにせっかくラムダまで来たんだし、どうせならイスルギといっぱい話したいじゃん?」


ユーニの言葉に、イスルギは面食らってしまった。
“いっぱい話したい”という素直な感想は、体をねぎらってくれる言葉よりもダイレクトに胸に響く。
飾った言葉やうわべだけの心配よりも、こういうストレートな好意が一番うれしいと感じてしまうのは、自分だけではないだろう。
机の上に置かれたコロニーの帳簿をゆっくりと閉じると、イスルギは“よし”と立ち上がる。


「確かにユーニの言う通りだな。多忙だからと言って自分のことを疎かにしていい道理はない。私も食事の席に同席していいか?」
「当然だろ?っしゃ、そうと決まったら行こうぜ!」


快活な笑みを見せたユーニが小走りでイスルギの背に回る。
彼の広い背中を両手で押しながら、強引に軍務長天幕から連れ出そうとするユーニだったが、そんな彼女の強引さに戸惑いつつイスルギもどこか楽しげである。
そんな光景をひとり茫然と見つめていたタイオンだったが、イスルギの背を押しなながら振り返ったユーニに“タイオンも早く来いよ”と急かされ、少しだけむっとしながら彼も天幕を後にした。

ラムダの野外食堂は昼時であるにも関わらず意外に混みあってはおらず、スムーズに席を確保することが出来た。長テーブルを確保したウロボロス一行は、各々食べたいものを注文し、トレイに食事を乗せて席に着く。
一足早く料理が手元に回ってきたイスルギは、先に席へ戻ると長椅子に腰かけ、香り立つアルマの角煮に手を付けた。
 
最近は片手で簡単に食べられる携行食糧ばかりで、温かいものを口にするのは久しぶりである。
やはり食事は元気の源。ユーニの言う通り蔑ろにするは良くないな。
そんなことを考えていると、頭の片隅に思い描いていたユーニ本人が食事のトレイを持ってイスルギの隣に腰かけた。


「あ、角煮にしたんだ。美味そう」
「一口食べるか?」
「食う食う!」


食べやすいよう食器をユーニの方と押しやると、彼女は自分の箸で器に盛られている角煮を1つつまみ上げ、口内へと運び入れた。
そんなに一気に食べてしまって大丈夫だろうか。
案の定熱かったのか、顔を上に向け口元を押さえながら“あふい、れもうまい”と呟いた。
 
熱いなら無理して喋らなくてもいいというのに。
無邪気なユーニに笑みを零しながら、イスルギは“それはなにより”と返答し足を組んだ。
ようやく口内の角煮を飲み込んだユーニは、自分が注文したハインドの包み焼きを食べ進めつつ隣に腰かけるイスルギの足元へと視線を向ける。
そこには、優雅に組まれている二本の足。その足を横目に見つめながら、ユーニは口を開いた。


「なんかさ、イスルギってタイオンに似てるよな」
「そうか?」
「椅子に座って足組む癖とかそっくり。食事してる時の細かい所作とかも全部似てる気がする」
「気にしたことはなかったが、君が言うのならそうなのだろうな」


今や自分よりもユーニの方がタイオンのことをよく知っているだろう。
そんな彼女が“似ている”と断言するのだから、実際それなりに似ているに違いない。
イスルギ自身も、タイオンと似通っている部分が多いという自覚はあった。
慎重な性格、腕っぷしより戦略を重視する戦い方、そしてアタッカーやディフェンダーよりもヒーラーを得意とする気質。
そのすべてが、イスルギとタイオンに共通している。
同じコロニーで過ごすうちに影響し合ったのかもしれない。


「いや、違うか。イスルギがタイオンに似てるんじゃなくて、タイオンがイスルギに似せてるんだな」
「似せてる?」
「ほら、あいつイスルギ軍務長大好き君だろ?好きな人のことは意識しなくても目に入っちまうから、自然と好みや所作が似てくるんだよ」
「なるほど、確かにな」


言われてみれば、タイオンはラムダにいた頃から自分やナミの後ろをよくついて回っていた。
何を食べるにも“イスルギ軍務長と同じもの”を。
どんなブレイドを扱おうにも、“ナミさんと同じもの”を。
なんでもかんでも模倣したがるあれは、慕われていたからだったわけか。
ユーニの言葉にふむふむと頷いていると、すぐ横に座っていた彼女がぐっと距離を縮めて耳元に口を寄せてきた。
そして、誰にも聞こえないよう小さな声で囁き始める。


「あいつ、絶対イスルギと同じアルマの角煮選ぶぜ」
「“絶対”か。随分な自信だな」
「断言できる。賭けてもいいくらい」
「そうか、なら私は君と同じハインドの包み焼きを持ってくる方に賭けよう」
「えーなんで?あいつハインド好きだったっけ?」
「好きな人と好みが似てくるのなら、十中八九ハインドの包み焼きを持ってくるはずだ」


断言するイスルギだったが、当のユーニは彼の言葉の意味が分からず首を傾げている。
タイオンは変わった。かつての彼なら、どんなに仕方のない状況であったとしてもケヴェスの人間と旅をするなどプライドが許さなかっただろう。
だが、ノアやランツ、ユーニに対しては驚くほどに心を開いている。
 
特にインタリンクできる間柄であるユーニとの関係性は、ただの仲間という枠を超えた特別な信頼感を感じるのだ。
彼らを見ていると、かつての自分とナミを思い出す。
互いが互いになくてはならない存在で、心を寄せ合った彼女との時間は何にも代えがたい。
タイオンのユーニを見つめる目が、ナミを見つめる自分の目と同じ色をしているように見えてならないのだ。
それはすなわち、タイオンがユーニに対して特別な感情を抱いているという証明でもある。
これはただの勘でしかないが、イスルギはその勘の良さで自分のコロニーをここまで高ランクに押し上げてきた。
この勘には自信があるのだ。


「こらユーニ。イスルギ軍務長に馴れ馴れしすぎるぞ」


不意に、背後から随分と低い声が聞こえてきた
振り返った先にいたのはやけに怖い顔をしたタイオン。
彼はイスルギとユーニの間に割って入るように料理のトレイを置くと、ユーニを“しっしっ”と手で追い払いつつ無理やり2人の真ん中に腰かけた。
強引にタイオンに横入りされたことで、耳打ちしていたイスルギとユーニの距離が離れていく。
まるで邪険にされているかのようなタイオンの態度にユーニが苛立ちを感じないわけもなく、予想通りユーニはむっと唇を尖らせながら文句を垂れ始めた。


「んだよ強引に入ってきやがって」
「君が軍務長に馴れ馴れしくしているからだ。ただでさえ軍務長はお疲れなのに、無駄に絡みついてストレスを与えるな」
「はぁ?失礼な奴だな。誰がストレスだよ。なぁイスルギ?」


タイオン越しにイスルギの顔を覗き込むユーニ。
そんな彼女に、イスルギは“そんなことより”と口にしながらタイオンが運んできた料理を指さした。
賭けをしていたことをすっかり忘れていたらしいユーニは、はっとして料理へと視線を落とす。
タイオンが持ってきたトレイの上には、ユーニが先ほど食べていたものと同じ、ハインドの包み焼きが堂々鎮座していた。


「うわまじかよ!」
「どうやら賭けは私の勝ちのようだな、ユーニ」


得意げに笑いつつ、イスルギは角煮を口に入れた。
悔しそうにため息をつくユーニと、得意げなイスルギに挟まれているタイオンは状況が理解できずに首を傾げている。
2人が自分の知らない話題で盛り上がっているのが気に入らなかったのだろう。
怪訝な表情を浮かべつつ、右隣に座っているイスルギへと疑問をぶつけ始めた。


「賭け、とは」
「だめだめ。アタシとイスルギの秘密だから」


答えたのはイスルギではなくユーニの方だった。
ハインドの包み焼きをすべて食べ終えた彼女は、テーブルに頬杖を突きながら悪戯な笑みを浮かべている。
その笑顔が気に入らなかったのか、タイオンは不機嫌な表情を崩さぬまま淡々とユーニと同じハインドの包み焼きを食べ始めた。


「食べ終わったのならとっとと席を空けたらどうだ?」
「言われなくてもどくけどさ、なんかお前さっきからアタシに当たり強くね?」
「君が軍務長に必要以上にちょっかいを出すからだ」
「あーなるほどね。大好きなイスルギ軍務長をアタシに取られて拗ねてるわけだ?男の嫉妬は見苦しいぞー、タイオン」
「なにを言ってるんだ。馬鹿馬鹿しい。早く行ってくれ」
「へいへいお邪魔しましたー。じゃあイスルギ、また明日よろしくな」


イスルギに軽く手を振ると、ユーニは完食した食器をトレイに乗せて去っていった。
その背中を見送ったタイオンは、隣のイスルギに向き直り小さく頭を下げ始める。


「すみませんイスルギ軍務長。ユーニが失礼なことを……」
「いや。失礼などとは思っていないさ。ただ素直というだけで、一緒にいて飽きないしな」
「そう、ですか……」


視線を落とすタイオンは、何故か腑に落ちていない様子だった。
心に渦巻いた靄が消えず、困っている顔だ。
言語化できない違和感を見つけた時、彼はいつもこの顔をする。
タイオンと長い時間を過ごしてきたイスルギだからこそ分かることだった。


「あの、軍務長。ユーニとどんな賭けを?」
「気になるか?」
「えぇ、まぁ……」
「大したことではない。お前が私と同じアルマの角煮にするのか、ユーニと同じハインドの包み焼きにするのか賭けていただけだ」


本当に大したことが無い賭けの内容に、タイオンは思わず肩透かしを食らってしまう。
ユーニがわざわざ“秘密”と言うくらいだから、それなりに大それた賭けをしているのだと思っていた。
その程度の賭け、わざわざ秘密だなんて大袈裟なものにして軍務長と共有する必要なんてなかっただろうに。


「結果、軍務長が勝ったということですね。流石イスルギ軍務長。いったいどんな推理を?」
「推理だなんて大それたことはしていない。お前はユーニと同じものを食べるだろうというただの勘だ」
「勘、ですか」
「あぁ。ユーニが言っていたんだ。“好きな人とは好みが似てくるものだ”と。だからお前はユーニと同じものを食べるだろうと勘を張った」
「どういう意味です?」


タイオンは参謀としては申し分ないほど優秀だが、心の機微を読み取る力はどうやらまだまだ未熟のようだ。
自分のことだというのに自覚がないとはこれまた重症と言えるだろう。
まったく世話が焼ける。
未だ未熟なタイオンに答えを与えるべく、イスルギは角煮を完食したと同時に箸を置き、タイオンへと視線を向けた。


「私をユーニに取られて拗ねていたのではなく、ユーニを私に取られて拗ねていたのだろう?」
「なっ……」


イスルギからの指摘に、タイオンはこれでもかというほど目を見開いた。
“ギクリ”という効果音が今にも聞こえてきそうな反応を見せる彼に、思わず笑いそうになってしまう。


「すまなかった、お前の大事な相方を独占してしまって」
「何を言って……ち、違います!僕はそんな幼稚なこと……!」
「そう照れるな。ユーニはあぁ言っていたが、男だろうが女だろうが嫉妬は誰しもするものだ」


完食した食器をまとめると、イスルギはトレイに乗せてゆっくりと立ち上がる。
そんな彼を、タイオンは顔を真っ赤に染め上げながら何か言いたげに見上げていた。
どんなに否定しようとも、その赤く染まった顔が何よりの証拠となる。
タイオンを変えてくれたのはウロボロスの力なのだとばかり思っていたが、どうやら彼を変えたのは他でもないユーニだったようだ。
“違います違います”と繰り返しているタイオンの言葉を聞き流しながら、イスルギは颯爽と野外食堂を去るのだった。

 

一番は譲れない。


「タぁイオンっ」


甘えるような声が背後から僕の名前を呼ぶ。
違和感すら覚えるほどの満面の笑みを浮かべた彼女を見つめ、なんだか嫌な予感がよぎった。
女性にしては口が悪くさっぱりとした性格である彼女が、こんな風にわざと甘えるような態度を取ってくるときは、決まって僕に都合の悪い頼みがある時だ。
甘えて可愛らしく頼めば聞いてもらえると思っているようだがそれは大きな間違いである。
僕はそんなに単純な男ではないし、なにより仲間内の中で最も理性的な現実主義者だ。
ひとのいいノアと違って、簡単に絆されたりしないぞ僕は。


「駄目だ」
「んだよ。まだ何も言ってねぇじゃん」
「どうせハーブティーを淹れてくれとでも言うんだろ?」
「流石タイオン、察しがいいな。じゃあ1杯だけ……」
「駄目だ」


ぴしゃりと言い放たれた言葉に、ユーニの甘えた瞳は一気に機嫌を急降下させる。
“チッ”と舌打ちしながら視線を逸らす彼女は、先ほどまでの甘さが嘘のように本性を現していた。
 
現在、ウロボロス一行はカデンシア地方の島に船を停泊させ、焚火を焚いて休息をとっている。
船上の長旅はウロボロスの力を持った彼らでも疲労が蓄積してしまうため、こうしてこまめに陸地に上がって休息をとることはかなり重要な行動だ。
本来なら、こうして休息をとっている時はユーニに頼まれずともハーブティーを淹れて一息ついていたタイオンだったが、最近はユーニからの頼みもすべて断り続けている。
理由は簡単。ハーブティーに使う茶葉が底を尽きかけているからだ。

茶葉はコロニーを訪れる行商のノポンから購入したり、道中で発見した自生している植物を採取することで手に入れていたのだが、最近はコロニーに立ち寄る機会もなく行商人から買い物が出来ていない。
さらに海上での旅が長く続いているため茶葉を採取する機会にも恵まれず、ついに茶葉を収納していた筒箱は底が見えるほどに中身が減ってきてしまっていた。

残っている茶葉の量から見て、残り2杯分あればいい方だろう。
今後いつコロニーに立ち寄れるかもわからない状況で、易々と貴重な茶葉を消費したくはない。
なるべくハーブティーを飲むのは控えて茶葉を節約しようと考えていたのだが、どうやらユーニにその考えは全くないらしい。
休息をとるたびに僕の周りをうろついてはニコニコ媚びるような笑顔を浮かべつつ甘えてくるのだ。
その魂胆はただ一つ。ハーブティーを淹れてもらうためである。


「この前も言っただろう?なるべく茶葉を節約するべきだと」
「でもあと数杯分は余ってんだろ?だったらさぁ」
「駄目なものはだめだ。どうせ今許可したらまた次も飲みたいと言い出すだろ?きりがない」
「ケチだなぁ」
「誰がケチだ。僕も我慢しているんだ。君も少しは辛抱したしたらどうだ」


一行の間で僕のハーブティーは好評だったが、中でもユーニはいたく気に入ってくれたらしく、これまでも休息のたび頻繁に強請ってきた。
だが、最近は特にハーブティーを強請る頻度が高くなったような気がする。
悪い気はしないが、何事も摂りすぎは良くない。
節約したいという気持ちももちろんあったが、毎日のようにハーブティーを飲みたがるユーニの身を案じている側面もあった。
だが、ユーニはそんな僕の考えなど意に介さず、唇を尖らせ足元の小石を蹴り上げながら独り言のように呟いた。


「だって仕方ねぇじゃん。タイオンの淹れるお茶が美味すぎるのが悪いんだろ?」
「な、なんだその理屈は……」


素直すぎる言い訳に、なんだが背筋がかゆくなった。
視線を逸らして眼鏡を押し上げている隙に、ユーニは“じゃあ今日は我慢してやるよ”と後ろ手を振りながら去っていく。
ようやく諦めてくれたらしい。
だが、茶葉が枯渇して以降ユーニのおねだりは日々しつこさがましている。
それほどハーブティーが飲みたいのかと呆れる反面、実を言うと嬉しくもあった。
 
自分が趣味として拘っているハーブティーを“美味い”と褒められるのはやはり嬉しい。
ユーニが強請ってくるたび、口では“駄目だ”と突っぱねながらも、本当は僕自身が一番彼女に飲んでほしいと思っているのかもしれない。
なるべく早く茶葉を補充しよう。そうしたら、ハーブティーを飲む満足げな彼女の顔をまたみられるだろうから。

それから数日が立ったが、やはりユーニからのおねだり攻撃が止むことはなく、僕は相変わず彼女からの要望を断り続けていた。
そんな日々にも終わりが見えてきたのはつい2日ほど前のこと。
トラビスから手伝ってほしい仕事があると連絡を受けたことで、シティーへ向かうことが決定したのだ。
仲間内で一番シティー行き決定を喜んでいたのはやはりユーニだった。
ティーならきっと茶葉も購入できるだろう。
ハーブティー節約生活ともこれでおさらばである。

一行がシティーに到着したのは、トラビスから連絡を受けた3日後の夜のこと。
途中で飛行艇に乗り換えた一行を、シティーの港にてモニカが出迎えてくれた。
長旅の末ようやく辿り着いたシティーに、一行は安堵する。
やがてモニカに付き添われる形でロストナンバーズの寄宿舎に入ると、スムーズに部屋を確保することが出来た。
どうやらモニカが事前に手配してくれていたのだろう。


「よっしゃ!タイオン、茶葉買いに行こうぜ!」
「今からか!?」
「当たり前だろ?もうハーブティーの口になっちまってるんだから」


トラビスが依頼してきた“仕事”について談話室でモニカと話していたのだが、そこへ勢いよく飛び込んできたユーニによって会話は強制的に中断させられた。
僕の腕に自分の腕を絡ませながら強引に外へ出ようとするユーニ、思わず腰が引ける。
到着して早々茶葉の購入を急かしてくるだなんて、どれだけ飲みたいんだ。
呆れる僕の隣で、モニカは談話室の壁に掛けられている時計を見上げた。


「盛り上がっているところ悪いが、この時間はセントル大通りの店はほとんど閉まっているぞ?」
「えぇっ!? マジかよ」


時刻は既に21時を過ぎている。
この時間になると、シティーでは一部の飲食店を除くほとんどの店が灯りを落としてしまうのだ。
当然、いつも茶葉を買っているノポンの店も例外なく閉まっているはず。
今夜中に茶葉を補充するのは難しいようだ。


「残念だったなユーニ。ハーブティーはまた明日だ」
「えー……もうハーブティーの気分だったのに」


僕の腕から手を離し、ユーニは大げさなほど肩を落とした。
その落ち込みようは少し可哀そうに思えるほどである。
ユーニにハーブティー禁止令を強いてから、そろそろ1週間になる。
毎日のようにハーブティーを飲んでいた彼女にとってはもう我慢の限界だったのだろう。
どうせ明日には茶葉も手に入るし、今手元に残った最後の茶葉を使ってしまってもいいかもしれない。
これまで我慢してくれたご褒美と言っては偉そうかもしれないが、それくらい許してやっても罰は当たらないだろう。
そう思い立った瞬間、僕よりも早くモニカがユーニにとある提案を始めた。


「なら、カフェにでも行くか?」
「カフェ?」
「あぁ。行きつけの店があってな。そこのマスターはまだ若いんだが、コーヒーが絶品なんだ」
「コーヒーかぁ」
ハーブティーは置いていないと思うが、あそこのコーヒーもなかなかだぞ?」


コーヒーは僕も何度か飲んだことがあるが、そもそもコーヒー豆自体がアグヌスではあまり流通していないものであり、飲む機会はかなり限られていた。
それはケヴェスでも同じはず。
ハーブティーに比べてなじみの薄いコーヒーの提案にユーニは少し迷っていたが、最終的に“モニカがそんなに言うなら行く”と首を縦に振っていた。

少しだけ肩透かしを食らった気分だったが、まぁ残り少ない茶葉を使わずに済んだのならそれでよかったのだろう。
モニカから“一緒にどうだ?”と誘われたが、僕は遠慮することにした。
コーヒーは嫌いじゃないが、今は気分じゃない。
意気揚々とカフェへと出かけていくモニカとユーニの背を見送った僕は、そのまま談話室を後にした。


***

その日、タイオンは男子部屋で眠っていた面々の中で一番早く起きた。
眠気眼を擦りながら眼鏡を手に取り、ベッドから立ち上がる。
隣のベッドで眠っているランツは掛け布団を蹴り飛ばしており、かなり豪快な寝相で気持ちよさそうに眠っていた。
正面のベッドで眠っているノアやリクもまた、彼ほど寝相は悪くないものの未だ夢の中にいる。
室内に設置された簡易洗面器で顔を洗い歯を磨くと、未だ起きる気配が全くないノアたちを残して僕は男子部屋を後にした。
 
階段を降りて下の階にある談話室へ入ると、ソファに腰かける女性陣の姿がある。
マナナの姿はない。一行の中で一番起きるのが遅い彼女のことだから、まだ眠っているのだろう。
ユーニ、ミオ、セナの3人は、朝っぱらだというのに今日も元気に女子トークに花を咲かせている。
ユーニは今日も僕に茶葉の購入を急かすに違いない。
きっと朝イチで二人そろって買いに行くことになるな。
昨日のように強引に腕を取られ、“さぁ行くぞ”と引っ張られることを覚悟しながら、僕は談話室に入った。


「でさぁ、結構いい雰囲気の店だったんだよ。裏路地にある小さいカフェなんだけどさ」


ユーニがミオやセナ相手に何やら力説している。
恐らくは昨晩モニカに連れて行ってもらっていたカフェの話だろう。
ようやく僕の存在に気付いたらしいセナとミオが揃って“おはよう”と声をかけてくる。
適当に返事をすると、ソファの脇を抜けて共同キッチンへと入った。
自分の朝食を用意するためである。


「正直コーヒーの気分じゃなかったんだけどさ、その店のコーヒーめちゃくちゃ美味かったんだよ」


何があるかな、と足元の戸棚を開けるためにしゃがみ込んだその時だった。
聞こえてきたユーニの言葉に、思わず戸棚を開けようとしていた手が止まる。


「見た目結構若い奴だったけど、マスターの腕がいいんだろうな。美味すぎてビックリした」
「へぇ、そんなに美味しかったんだ」
「私コーヒーってあんまり飲んだことないから気になるかも」
「じゃあ3人で行くか?今日も行こうと思ってたから連れて行ってやるよ」
「本当?行きたい行きたい!」


戸棚からバケットを取り出し立ち上がると、目を輝かせながらコーヒーの魅力を語るユーニの姿が視界に入ってきた。
そんなに美味かったのか。
ミオやセナに朝一番で話すほど印象的だったのか。
昨晩はそこまで乗り気じゃなさそうだったのに。


「よし、じゃあ行こうぜ」
「今から行くの?」
「善は急げだ。気が変わらないうちに行くのが吉なんだよ」


ソファから立ち上がりミオとセナを急かし始めたユーニの行動に、僕はぎょっとした。
あれ?ハーブティーを買いに行くんじゃないのか?
昨日、あんなに早く買いに行きたがっていたのに。
毎日のようにハーブティー強請ってきていたユーニの急変に、僕は動揺を隠せなかった。


「タイオンも行く?」


身支度を始めるミオとセナを待ちながら、ユーニが問いかけてくる。
そんな彼女に何故か苛立って、僕は“いや、いい”と再び遠慮した。
やがて身支度を終えたミオやセナと一緒に、ユーニは例のカフェへと出かけて行った。
その後ろ姿は随分と楽しそうで、足取りもやけに軽い。
 
上機嫌なユーニを見ていると苛立ちを覚えるのは何故だろう。
別に一緒に茶葉を買いに行こうときちんと約束していたわけではない。
茶葉くらい一人で買いに行けばいいじゃないか。そのくらいでいちいち怒るほうがおかしい。
分かっているのに、僕の心に渦巻いた小さな怒りの炎はすぐに鎮静化しなかった。
やり場のない苛立ちに任せて、僕は手に持った小さなバケットを半ばやけくそのように勢いよく噛みちぎるのだった。


***

「あー……すまんも。それは品切れも」


まん丸の腹をもふもふとした耳で撫でつけながら、店主のノポンは言った。
数日前、シティーを訪れた時は確かにこの棚にハーブティーの茶葉が陳列されていたはず。
なのに今日は1つもない。代わりに汚い字で“品切れ”と書かれたポップだけが置かれていた。
どういうことかと店主のノポンに問い詰めたところ、彼は頭を掻きかながらわけを話してくれた。


「茶葉を採集してくれてるノポン商会の担当が体調不良でバタンキューしてるも。だからしばらく茶葉はないも」
「い、いつ流通するんだ?」
「それは分からんも。ノポン商会で取り扱ってるは茶葉はみんなそいつが採集してたも。そいつが復活しないことには流通の目途もたたないも」


ハッキリとした口調で言い放たれる事実に、思わず項垂れたくなった。
なんということだ。まさか茶葉を取り扱うノポン商会でそんなトラブルが起きているとは。
流通の目途が立っていないということは、ここ暫くは茶葉を新しく買い足せないということ。
それすなわち、ユーニにもハーブティーを振舞えなくなるということだった。 
 
あぁ、これは困ったことになった。
ユーニは僕のハーブティーを首を長くして楽しみにしていた。
もうしばらく飲めない期間が続くと知ったらきっとひどく落ち込むだろう。
だがこればかりは仕方ない。話を聞く限り、ノポン商会全体が茶葉不足に陥っているのは明白。
恐らくシティー以外のコロニーに常駐しているノポン商会の元にも茶葉は置いていないはず。
どこにも流通していないのであれば、諦めるほかないだろう。
ユーニの残念がる顔を思い浮かべながら、僕は重い足取りで寄宿舎に戻った。

その日の夜。僕は寄宿舎の談話室にて一人、コレペディアを開いていた。
登録したのはセリオスアネモネの花。流通していないのであれば、各コロニーの兵士たちの協力を仰ぐほかないと考えた末の行動である。
コレペディアに登録した要求物資は、運が良ければ協力者から提供を受けられることがある。
まさかあのニイナの作ったシステムがこんなところで役に立ってくれるとは思わなかった。
こんなにも便利なものを開発したニイナには感謝したいところだが、礼を言ったところであの嫌味な勝ち誇った顔を見せてくるだけなので心の中で留めておくとしよう。


「あれ?タイオンまだ風呂入ってなかったのかよ」


するとそこに、濡れた髪をタオルで拭きながらユーニがやってきた。
今一番会いたくなかった人に早速会ってしまったことで、僕の背筋は無意識に伸びてしまう。
問いかけに適当に返事をすると、ユーニはソファに腰かけている僕の隣にどかりと腰を下ろして来る。
言わなくては。しばらく茶葉が手に入りそうにないと。ハーブティーはもう少し我慢して欲しいと。
きっと落ち込むだろうな。だが仕方ない。
ぐっと息を呑み、僕は隣に座るユーニへと体を向けた。


「ユーニ、ハーブティーの件なんだが……」
「ん?」
「その……。ノポン商会でちょっとしたトラブルがあったようで、茶葉の品切れ状態が続いているらしいんだ。だから、もうしばらくハーブティーは振舞えそうにない……」
「え、そうなの?」
「すまない」


“なんだよー!せっかく楽しみにしてたのに!”
“またお預けかよ。いい加減我慢の限界だっつーの”
“今日にはタイオンのハーブティー飲めると思ってたのに、期待して損した”
こんな風に、さまざまな不満の言葉が向けられるのだと思っていた。
それほどまでに、ユーニは僕のハーブティーが好きなはずだから。
落ち込むだろうな、がっかりするだろうな。
俯きながら考えていた僕だったが、少しの間静かになったユーニは意外にもあっさりした調子でこう呟いた。


「そっか。まぁ仕方ねぇか」
「えっ……」


随分とあっけない反応に驚き、僕は顔を挙げる。
目の前にいるユーニは不思議なほどいつも通りで、彼女の表情からは落胆も怒りも感じない。
予想から大きく外れた反応は、僕を盛大に戸惑わせた。
この前まで一日たりとも待てないとでも言いたげな様子だったじゃないか。
なのに、どうしてそんなにしれっとしていられるんだ。


「そ、それだけか?」
「それだけって?」
「いや、もっと駄々をこねられるかと」
「駄々って……。アタシのことなんだと思ってんだよ。事情があるなら仕方ねぇだろ?それよりさ、タイオンってコーヒーの淹れ方分かる?」


急に身を乗り出し、何かに期待を寄せるかのような表情で彼女は聞いてくる。
“コーヒー”という単語を聞いた瞬間、僕の心は荒んだ。
それよりとは何だ、それよりとは。僕のハーブティーの話題を押しのけてまでコーヒーの話がしたいのか。
むっとしながら“知らん”と答えると、彼女はがっかりしたように肩を落とした。


「そっか。ハーブティー淹れるの上手いからってコーヒー淹れるのも上手いわけじゃねぇのか」
「……」
「例のカフェさぁ。コーヒー豆の販売もしてるらしいんだ。アタシはそういうの詳しくないから無理だけど、タイオンなら淹れられるんじゃねぇかなって」
「期待に沿えず残念だが無理だな。諦めてくれ」
「ちぇっ。まぁいいか。いつでもは無理でも、シティーにいる間は店に通えばいいんだし」


通うだと?まさか明日も行くつもりなのか。
そんなに美味かったのか、そのコーヒーとやらが。
僕のハーブティーがしばらく飲めないことには薄い反応しか返さなかったくせに、僕がコーヒーを淹れられないと知った時の方が落胆が大きいように見えたのは気のせいなんかじゃないはずだ。
この前まで僕のハーブティーが飲みたくて飲みたくて仕方なさそうにしていたのに、何だその変わり身の早さは。
気に入らない。
まるでユーニの中の“一番好きなもの”が、見ず知らずの誰かが淹れたコーヒーに奪われていくようで、ものすごく気に入らない。


「……しばらく振舞えないのも悪いし、残った茶葉で久しぶりにハーブティーを淹れようか」
「え?でもちょっとしか残ってないんだろ?」
「あぁ。でもしばらく飲めなくなるわけだし、今日くらいはな」


それは、ユーニの意識がこれ以上コーヒーへと向かないための最終手段だった。
少し前まではあんなにもハーブティーを渇望していたユーニのことだ。きっとコーヒーなんて忘れて喜ぶに違いない。
さぁ言え。飲みたいと言え。
僕の淹れるハーブティーがコーヒーごときに後れを取るわけがないと証明してやる。


「いいよ別に」
「えっ…」
「勿体ねぇし残しておこうぜ」


僕が満を持して打ち出した最終手段も、コーヒーに夢中になっているユーニの前では無力だった。
目を輝かせて飲みたい!と身を乗り出して来るかと思ったのに。
ユーニの気を引くことも出来ないまま、僕はハーブティーを振舞う機会を失った。

以降、ユーニはシティーに滞在している間毎日のように例のカフェに通っている。
その間もノポン商会に茶葉が入荷することはなく、毎日意気揚々とカフェへ出かけるユーニの背を僕は苦々しく見ているしかなかった。
 
ユーニからコーヒーの香りがわずかに香ってくるたび、僕の心は荒れる。
なぜこうも不快な気持ちになるのか、答えは明確だった。
嫉妬。そう、これは幼稚な嫉妬だ。
自分のことを褒めちぎってくれていた人がある日自分への興味をぱったりなくし、同時に別の人を褒めちぎりだしたら誰しも不愉快な気持ちになるだろう。
つい先日まで僕のハーブティーを飲みたい飲みたいと騒いでいた彼女が、今はコーヒーに夢中になっている。
それがなんだか悔しくて仕方がなかった。

ある日、いつもようにカフェへと出かけようとしているユーニの腕を掴み、引き留めた。
“行くな”とは言えない、そんな権利僕にはない。
けれど、敵を知る権利くらいはあるはずだ。
その日、僕は初めてユーニに行った。“そのカフェ、僕も連れて行ってくれないか”と。

自分の好きなものを他人にも知ってほしいというのは、人間ならば誰しも思うことである。
ユーニもその例に漏れず、僕がカフェに行きたいと言うと嬉しそうに笑いながら承諾した。
その呆気なさが余計に腹立たしい。
例のカフェは事前に話があった通りシティーの裏路地に看板を構えていた。
初見ではわかりにくい場所に入り口があるため、場所をちゃんと知っている人間でなければ見逃してしまうだろう。
まさに、知る人ぞ知る店、と言ったところだ。

先導するユーニによって扉が開かれ、ウェルカムベルが鳴り響く。
店内はカフェにしては若干薄暗く、その照明のお陰か落ち着いた空気が流れていた。
慣れた様子でカウンター席に向かうユーニの後に続いて席に座ると、カウンターの向こう側にいた店員らしき男がユーニに気付き挨拶をしてくる。
どうやらこの男がマスターらしい。


「あっ、ユーニさん今日も来てくれたんですね」
「あぁ。今日はこいつにも布教してやろうと思ってさ」


そう言って彼女は隣に座っている僕の肩を叩く。
何が布教だ。僕は敵情視察に来ただけであってここのコーヒーに絆されるつもりはない。
むっとしている僕とは対照的に、カウンターを挟んだ先にいる若いマスターは快活な笑顔を見せた。


「この前の女の子たちといい、宣伝してくれてありがとうございます」
「美味いものは皆にお勧めしないとな」


数日間毎日通っているだけあって、ユーニはこのマスターとも随分親しくなったらしい。
横で繰り広げられる軽快な会話が僕の苛立ちを増長させる。
やがてユーニはカウンターに立てかけられていた小さなメニュー表を広げると、僕に見せながら“何飲む?”と聞いてきた。
 
様々なコーヒーの名前が羅列されているが、正直コーヒーのことはそこまで詳しくない。
“君と同じものを”と呟くと、ユーニはカウンターのマスターに向かって“いつもの2つ”と注文した。
マスターはユーニの言葉を聞き返すこともなく、にこやかに返事をして焙煎作業にとりかかる。
“いつもの”で伝わってしまうほど、ユーニはこの店の常連と化しているのか。
時計の秒針が進むほどに、僕の心は沈んでいく。

やがて数分経ったところで、ユーニが注文した“いつもの”が運ばれてくる。
待ってましたと言わんばかりにユーニはカップへと口を着ける。
見たところ何の変哲もないコーヒーだ。これがそんなに美味いのか?
疑問符を浮かべながらカップに口を着けた瞬間、僕は後悔した。
あぁ、きっと僕は何としてもこの店に来るべきではなかった。
 
ユーニの言う通り、美味い。
苦みの中に感じるほのかな甘み、温かな湯気から香ってくる豊潤な香り、舌に広がる深いコク。
そのすべてが完ぺきだった。

くそっ、美味いじゃないか。
心でそう呟きつつも、僕は決してその感想を素直に口に出さなかった。
負けを認めてしまうようで癪だったから。


「な?美味いだろ?」
「……まぁ、悪くはない」
「んだよ、素直じゃねぇな」


美味いだなんて、言えるわけがない。
優しい味わいはどこか心を落ち着かせてくれるし、この熱すぎずぬるすぎない温度もちょうどいい。
この完璧ともいえる味は、マスターの腕がいい証拠だろう。
どこからどう見ても、僕のハーブティーよりもクオリティが高い。
認めたくはないが、ユーニの意識がこっちに向くのも当然だと思ってしまった。
それほどまでに、このコーヒーは美味いのだ。


「アタシちょっとトイレ行ってくるな」


先にコーヒーを飲みほしたユーニは、カウンター席から立ち上がりまっすぐお手洗いへと向かった。
残された僕は、虚しくなる心を抱えながら少しだけカップに残ったコーヒーを見下ろしている。
 
かつてユーニは、身に覚えのない記憶に苦しめられて怯えていた。
そのたび僕はハーブティーを差し出して、彼女の隣に寄り添ったものだ。
ディーを倒した今では、彼女が夜な夜な悪夢にうなされて飛び起きることも少なくなったようだが、僕のハーブティーがユーニを勇気づける一助となっていたという自覚は持っていた。
 
僕が淹れるハーブの香りが、彼女の心の拠り所になっている。彼女の心を落ち着かせる役割を担っている。
そう思うだけで嬉しかった。なのに、今その役割すらもこの真っ黒な液体に奪われようとしている。
それが切なくてならない。
彼女が一番好きなものは、僕のハーブティーであって欲しかった。
温かなセリオスティーを差し出したとき、安心したように笑う彼女の顔は、もう僕のものではなくあのマスターのものになってしまったのかもしれない。


「あの、もしかして貴方、タイオンさんですか?」


茫然とカップを見つめていた僕に、マスターから声がかかる。
自己紹介などしただろうか。
不思議に思いながら肯定すると、マスターは“あぁやっぱり!”と腑に落ちたように笑った。


「ずっと会いたかったんですよ、俺の好敵手に」
「好敵手?」


眉をひそめて聞き返すと、マスターはガラスのカップを布巾で磨きながら照れくさそうに語り始める。


「この前ユーニさんに言われたんすよ。“お前のコーヒーは世界で2番目に好きだ”って。ユーニさん、毎日うち来て褒めちぎってくれるもんだから、俺勝手に一番だと思い込んでて。そんでちょっと悔しくなって聞いてみたんすよ。“じゃあ誰のコーヒーが一番なんすか?”って。そしたらあの人、“タイオンが淹れるハーブティーかな”って」
「え……」


思わず声が漏れる。
間接的に知らされたその事実は、僕の心に猛烈な光をあててくれる。
“一番”というストレートかつ飾り気のない言葉に、柄にもなく喜びを感じている自分がいた。


ハーブティーって……。てっきり同じコーヒーがライバルだと思ってたのに、まさかハーブティーと比較されてるとは思はなくて。だから、俺タイオンさんのことライバル視してたんすよ。絶対俺がユーニさんの一番を勝ち取ってやるって」


自分の嫉妬心を隠そうともしないマスターに、僕は圧倒されてしまった。
彼は相当な負けず嫌いらしいが、恐らくはその負けず嫌いな性格がこの美味いコーヒーの味を引き出しているのだろう。
その執念は尊敬に値する。うかうかしていると、ユーニがせっかく認定してくれた“一番”の座が奪われてしまうかもしれない。
それだけは看過できなかった。


「お待たせ。もう飲み終わった?」


ようやくユーニが自席に戻ってくる。
それと同時に、僕はカップに残ったコーヒーを飲み干す。
最後の一滴まで美味い彼のコーヒーは、確かに僕のハーブティーにとって大きな脅威だ。
だがそれが何だというのだ。ユーニが一番好きなのは僕のハーブティーであって、彼のコーヒーではない。
 
マスターから与えられた事実は、くしくも僕を勇気づけてくれた。
飲み干したカップをマスターに返すと、僕は席を立ちユーニに“帰ろう”と促す。
既にコーヒーを飲み干しているユーニは、僕の言葉に素直に頷き前を歩き始めた。
そんな時、背後からマスターが僕に声をかけてくる。


「ちょっとちょっと。まだ感想聞いてませんよ?俺、貴方から感想貰いたくて仕方なかったんですけど?」


何も言わずに帰るつもりだったが、好敵手殿はそれを許してはくれないらしい。
諦めて振り向いた僕は、本心を包み隠すことなく全て打ち明けた。


「美味かった。確かにユーニが褒めちぎるのも無理はない。だが……」


店の入り口で待っているユーニが、僕とマスターのやり取りを観察しながら首を傾げている。
そんな彼女に聞かれないよう、僕は再びマスターの方へと近づきカウンターに手をついた。
そして、彼にしか聞こえないほどの声量で囁く。


「“一番”の座は譲らない」


囁いた瞬間、マスターは大きく目を見開いた。
驚きを隠せない表情だ。
その顔を見つめながら笑みを零すと、僕は眼鏡を押し上げ再度店の入口へ向かう。
店を出る寸前、“何話してたんだよ?”と問いかけてくるユーニに“何も”と返すと、僕は彼女の背に手を添え、軽く押して退店を急かした。
これ以上コーヒーの香りが充満している空間にユーニを置いておけない。
 
やはり今日は残っているわずかな茶葉を使ってハーブティーを淹れよう。
これはユーニのためではなく、自分のためだ。
最近ハーブティーを淹れる機会に恵まれなかったから腕がなまっている気がする。
きちんと練習をしておかなくては、いつ何時あの美味すぎるコーヒーに“一番”の座が奪われるかもわからない。
ユーニの“一番”であり続けるためには、努力をしなければ。

よしよし、と気合を入れながら歩く僕の後ろを、不思議そうな表情を浮かべているユーニが続く。
意気揚々と店を後にした僕たちだったが、閉じた扉を見つめながら呟かれたマスターの独り言を、僕は知る由もなかった。


「独占欲強ぇー……」