Mizudori’s home

二次創作まとめ

桜花の如く羽根は舞う

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■王宮パロ

■短編

 


アグヌス王国は、約千年前の建国以来栄華を極めてきた。
四季に応じて色とりどりの花が咲き乱れるこの王国は、別名花の国とも呼ばれている。

国を治めているのは、代々高貴な力と血筋を持った女王。
今生の女王の名はニアといい、銀色の髪が美しいグーラ領出身の女性である。
彼女はかつてアグヌスの勇士として数々の英雄伝説を残してきた雄、レックスと結ばれ、次代の女王となり得る世継ぎの女児、ミオを生んだ。

この数年後、アグヌスは隣国ケヴェス皇国と武力衝突に陥った。
原因は、ケヴェスの公軍を名乗る賊がアグヌスとの国境を越え、資源溢れるインヴィディア山脈を侵攻したこと。
ほんの些細なほころびは瞬く間に戦火を呼び、本格的な戦争状態に突入することとなった。

戦場では女王ニアの夫、レックスも活躍した。
同じく彼と縁を結んでいる2人の士、ホムラとヒカリを傍らに伴い戦場を駆ける様は、ケヴェスの兵たちにとって脅威としか言いようがないかっただろう。
ケヴェスの英雄であり、赤き大剣を奮う隻腕の士、シュルクとの一戦は、後世にも語り継がれるほどの苛烈さを極めた。

この戦争状態は10年もの歳月に渡り続くことになる。
停戦を申し出たのはケヴェスの方だった。
元はといえば火種を作ったのはケヴェス側の賊。
これ以上民を困窮させるわけにはいかぬと、ケヴェスの女王であるメリアが英断を下したのだ。

こうして、長きにわたるケヴェス皇国、アグヌス王国間の戦争状態は一応の終結を見た。
だが、すぐさま完全な平和を取り戻すことは困難を極めた。
10年も戦争を続けていれば、相手国側に個人的な恨みを抱く者も多く生まれてしまう。
私怨に駆られた活動者たちが、国境付近で武力行使をするのは日常茶飯事だった。

事態を重く見たケヴェス、アグヌス両国の女王は、一時の停戦協定を半永久的な同盟協定へと昇華させる談話を発表。
二国は2人の女王陛下同席のもと、正式に同盟を組むこととなった。
これに反発する者も当然存在する。
国同士の争いは収まったものの、今度は自国のレジスタンスたちを抑えなければならないという悪循環に陥ってしまった。

戦争は憎しみしか生まず、憎しみはまた戦を呼ぶ。
二度とこの悲しい出来事を繰り返さないため、2人の女王は二国間で結ばれた同盟をより強固なものにしようと考えた。
結果として提言されたのが、二国間の有力者同士の婚姻である。
互いの国が有する権威ある人間同士を結び付かせ姻戚関係に据えることで、二国間の同盟をより一層強固なものにしようという策である。

同盟の証としてこのような政略結婚の話が持ち上がるのはそう珍しい事ではない。
これはいわば人質策である。
相手国側に自国の血縁者を送り込むことで、保険をかけているのだ。
送り込まれた側は相手国の内情を探るスパイのような役割を担い、一方で同盟が破棄されれば真っ先に首を切られることになる。
そんな危険な役割を担うことになったのは、女王ニアの一人娘、ミオだった。

彼女はケヴェスの高官である男の元に嫁ぐことになった。
相手の名はノア。女王のすぐ隣に仕える特別執権官の役割を担っているという。
ミオはアグヌスにとって大事な王位継承者。当然、武官文官に関わらず反対の声は相次いだ。
しかし、10年も続いた戦争に終止符を打つためには致し方なかった。
だが、アグヌス側ばかりが花嫁という名の人質を出すのはいささか不平等。
ミオと入れ替わるように、ケヴェス側も女王の縁者である女性を花嫁としてアグヌスに送り込むこととなった。
そのケヴェスの花嫁の嫁ぎ先こそが——。


「この僕ということですか」
「えぇ。理解が早くて助かります。タイオン」


婚姻に関するの勅令がつらつらと記載された書簡に視線を落としながら、タイオンはため息をつきそうになった。
軍師長であるタイオンがこの謁見の間に呼ばれたのはおよそ半刻前のこと。
床に膝を突き胡坐をかき、上座で膝を折っている女王、ニアに頭を下げる。
“お呼びでしょうか”と口にすると、脇に控えていた文官にこの勅令の書簡を手渡されたのだ。

同盟に伴って二組の同時婚姻がなされることは聞き及んでいた。
女王から呼び出された瞬間からなんとなく嫌な予感はしていたが、まさか的中するとは。
手元の勅令は提案ではなく命令としてそこに存在している。
いくら軍務を司る長である軍師長の立場でも、この命令を頭ごなしに拒絶することは出来ないのだ。


「……何故僕なんです?相応しい人材はいくらでもいるでしょう」
「聞けば、ミオを娶るケヴェスの“ノア”という青年は、若くして特別執権官にまで出世した有能な若人だとか。似ていませんか?若くして軍師長にまで昇った貴方と」
「経歴が似ているというだけの理由で選抜を?」
「貴方ならば、“もしもの事”が起きたときにすぐに対処し出来るはず。信頼しての抜擢ですよ」


なるほど本心はそこか。
ケヴェスから嫁いでくる花嫁は、ただの花嫁ではない。
戦争は終結したとはいえ、相手は10年もの間敵対関係にあった国である。
“花嫁”とは名ばかりで、いつ鞘から抜かれるかもわからない小太刀のような存在である。
そんな危険な存在である人間は、なるべく目の届く範囲内に置いておきたい。
女王が自らの側近でもある軍師長タイオンに任せたのは、そんな思惑が背景にあるからなのだろう。

強かなことだ。
けれど、確かに自分の元に嫁いでくれば監視の手間も省ける。
タイオンが住まいにしている場所は、女王の住まいである中宮の西側、春乃宮という場所に位置している。
“もしもの事”があっても、すぐに女王に報告できる位置取りだった。
幸いにもタイオンは未だ独身の身で、娶る予定の相手もいない。
となれば、断る理由は“面倒だから”以外には見つからなかった。


「タイオン、二国間の平和は貴方たちの手にかかっています。くれぐれもよろしくお願いします」


大袈裟なようだが、実際その通りなのだろう。
もしもこの二組の縁談が破談になれば、ケヴェス、アグヌス平和同盟は根底から崩れることになる。
そうなれば、また戦乱の世に逆戻りしてしまう可能性もあるだろう。
それだけは避けなければならなかった。
手元の書簡を畳み直し懐に忍ばせると、タイオンは床に三つ指を突きながら深々と頭を下げた。


「承知いたしました。謹んでお受けいたします」


***

二組の婚姻は滞りなく話が進んでいった。
ケヴェスに嫁ぐため、アルマ馬車に乗ったミオがアグヌスを旅立ったのは3日ほど前。
そんな彼女と入れ替わるように、今日ケヴェス側から同じようにアルマ馬車が到着した。
タイオンの花嫁になる予定である、ケヴェス女王の縁者である。

馬車は複数の武装した女性たちに護衛されながらアグヌス宮へと入場した。
護衛の女性たちは全員頭から鳥のような羽根を生やしている。
ケヴェスの女王にもこの羽根は生えており、アグヌスでは“鳥の使い”と呼ばれているが、本国ケヴェスでは“ハイエンター”と呼称されているらしい。
女王の縁者ということは恐らく、花嫁も同じ“ハイエンター”なのだろう。

タイオンは、アグヌス宮に入場した馬車をその目で見ていない。
というのも、アグヌスでは婚礼の儀が行われるまで婿は花嫁の顔を見てはいけないという風習があるからだ。

春乃宮に使える下女から“馬車が無事入った”との報告を受け、“そうか”とだけ返事をしていつも通り仕事を続ける。
今夜は婚礼の儀を予定しているが、婿であるタイオンは花嫁に比べれば支度に時間はかからない。
直前まで仕事をこなしていたタイオンだが、そんな彼に下女は聞いてもいない事柄を報告してきた。

“花嫁は醜女との噂がたっております”

随分と残酷な噂を立てるものだと呆れてしまう。
件の花嫁はケヴェスからの大事な人質であり客人でもある。
遠方からやって来た花嫁を醜女呼ばわりはないだろう。
今後その噂を口にした者には罰を与える旨を告げ、タイオンは下女を下げさせた。

それにしても、何故そのような噂が立ったのだろう。
花嫁はアグヌス宮に入った後、ケヴェスから伴って来た護衛の女性たちの手によって着飾られる。
婚礼の儀を始めるまでは、アグヌス側の人間と接触する機会はほとんどないというのに。
とはいえ全く接触しないとは言い難い。
宮廷内を案内する人間は、花嫁の姿を見ているはず。その者が噂を流したというのだろうか。
全く無粋な。
呆れながら仕事を進めていたタイオンだったが、噂が立った理由はすぐに判明することになる。

夕刻。
アグヌス宮西側の春乃宮にて、タイオンとケヴェスの花嫁による婚姻の儀は静かに執り行われた。
本来であればこの婚儀は国を挙げての大規模な婚礼となるはずだった。
しかし、件の花嫁が派手な婚儀を拒んだため、当人である二人と花嫁の側近、そしてタイオンの側近だけが参加する小規模な婚礼の儀となった。当然、女王ニアも参列していない。

蝋が灯された小さな部屋で、婚礼の儀は行われた。
床の間を背に隣同士で座るタイオンと花嫁だったが、2人は一切視線を交わさない。
否、交わさないのではなく交わせないのだ。
本来、婿はこの婚礼の儀にて初めて花嫁の顔を見ることが出来る。
しかし、婚礼の儀に現れた花嫁は、頭からベール状の布を被っておりその顔を垣間見ることは出来なかった。
アグヌス古来の白い婚礼着に身を包んでいる一方で、頭には不似合いのベール。
違和感たっぷりのこの出で立ちに、流石のタイオンも声をかけざるを得なかった。


「そのベール、婚礼の儀には似つかわしくない。悪いが取り払ってもらえるか?」
「……」
「おい、聞いているか?」


背筋を伸ばし、隣で膝を折っている花嫁に声をかけるが、まるで返答がない。
この距離で聞こえていないわけもないだろう。
少しムッとしていると、背後で控えていたハイエンターの下女が“恐れながら……”と口を開いた。
恐らく彼女はこの花嫁が伴って来た側近のうちの一人だろう。


「ユーニ様は、遠い異国の地に嫁ぐことに大きな不安を覚えていらっしゃいます。素顔を晒すのは、夫君と2人きりの場が良いと所望しておられます」


ユーニ。書簡でしかその名を見たことがなかった隣の花嫁は、未だ一言もしゃべらず、素顔も晒さず、ただそこに存在している。
まるで人形のような女性だ。ここに来るまでも頑なにベールを取らなかったに違いない。
だからあんな噂が立ったのか。
ここにきて初めて、タイオンは昼間耳にした噂の背景を知った。

ユーニの側近が言うように、故郷のケヴェスから遠く離れたこのアグヌスの地に赴くのはいささか心細いだろう。
不安で顔が曇っているのも頷ける。
そんな暗い表情をなるべく見せたくないというのなら、その意を汲んでやろう。
国のためとはいえ、異国に嫁ぎに来た彼女にタイオンは少なからず同情していた。
ベールを着用したまま婚礼の儀を続けることを許可したのも、そんな同情からくる優しさだった。

婚礼の儀にて祝い酒を酌み交わしたのち、花嫁は先に春乃宮の寝所に入る。
そこに婿となる男が遅れて訪問することで、晴れて初夜を迎えることとなるのだ。
婚礼の儀直後に初夜を迎えることはほぼ必須であり、月のものが来ている等の特別な事情がない限り例外はない。
たとえ相手が異国ケヴェスから嫁いできた女性といえど、このアグヌスの地にやってきた以上慣例には従ってもらう義務がある。
タイオンは白い婚礼着のまま、花嫁に遅れる形で単身春乃宮の寝所を訪れた。

初夜の寝所として定められた場所は、春乃宮の離宮
正面門からくぐった先ではサフロージュの花が咲き乱れ、風にその美しい花びらを舞い散らせている。
白洲の上を歩き、ゆっくりと離宮へと歩み寄るタイオンだが、妙な異変に気が付いた。

離宮を取り囲むように等間隔で立っている護衛の下女たちは、全員なぜか全員帯刀している。
初夜を迎える際はアグヌスの下女たちがこの離宮の警備にあたる手はずとなっていたはずだが、彼女たちはどう見ても花嫁が連れてきたケヴェスの下女だ。
しかも物々しい空気で帯刀し、こちらを警戒するかの如く殺気を放っている。
どう見ても初夜を迎える花嫁と花婿を祝福する空気ではない。

嫌な予感を抱きながら、タイオンは木目の小階段を登り離宮へと上がる。
天井から垂れ落ちている簾を片手で押し開け中に足を踏み入れると、床に敷かれた真っ白な布団の上にユーニは正座していた。
驚くべきは、その恰好である。
婚礼の儀で見た姿から一切変わらず、頭から例のベールを被ったままだった。
初夜の儀では流石に外すものと思っていたため、タイオンは思わず呆気にとられてしまう。


「そのベール、取らないのか?」
「……夫になる男の前でだけ取ります」
「僕はその“夫になる男”のはずだが?」
「……違う」
「何?」
「お前は違う」


ベールをかぶったまま、花嫁であるユーニはゆっくりと顔を上げる。
唯一垣間見ることができる口元は、一切の微笑みも浮かべず冷たい言葉を吐き捨てる。


「誰がテメェなんかに嫁ぐかよ」


恨みのこもったドスの効いた声だった。
無口でおとなしかった花嫁の豹変ぶりに息が止まる。
その瞬間、ユーニは白い婚礼着をひらめかせながら布団の下に隠した剣を素早く取り出し鞘から抜き放つ。
まずい。脳裏で危機警報が鳴り響くと同時に、ユーニは手に持った鋭い剣を何のためらいもなく振り下ろしてくる。
寸前で身をかわしたタイオンだったが、一呼吸置く暇もなく二撃目三撃目が繰り出される。

右、左、右。
単調な太刀筋は見切りやすかったが、丸腰では流石に分が悪い。
床の間に飾られた刀剣の存在を思い出したタイオンは、五撃目の太刀をかわした反動で身を翻し、後方へ飛んで手を伸ばすと床の間の刀剣を握りこんだ。

流れるように鞘を抜き、六撃目を繰り出したユーニの剣をその刀身で受け止める。
男女の力の差も相まって、つば競り合いに持ち込めばタイオンが圧倒的に有利となる。
何とか壁に押しやって動きを止めてやろうと画策するタイオンだったが、ユーニはそう簡単に制圧できる腕前ではなかったらしい。
足元に敷かれた布団を片足で引き寄せると、上に立っていたタイオンが途端にバランスを崩す。
倒れこみそうになる彼の肩めがけて剣を振り下ろすユーニだったが、またも彼女の剣はよけられてしまう。

この狭い寝所でやりあうのは無理だ。
簾に飛び込み外の白洲へ出ると、ユーニも剣を持ったまま後を追ってきた。
サフロージュの花が散る白洲の真ん中で、白い婚礼着に見を包んだ二人の男女が刀剣片手に向かい合う。
この異様な光景を前にしながら、離宮を取り囲んでいるケヴェスの下女たちは誰一人として慌てた様子を見せなかった。
その様子を横目に、タイオンはようやく合点がいった。

なるほど、最初からこのつもりだったのか。だからアグヌスの下女たちを下げさせ、味方であるケヴェスの下女たちでここを囲わせた。
最初からこの花嫁は、嫁ぐつもりなどなかったのだ。


「何の真似だ。こんなことをして許されると思っているのか」
「思っちゃいねぇよ。最初からこうするつもりだった。アグヌスの男に嫁ぐくらいなら死んだほうがマシだ」
「自棄になっているのか。ケヴェスの女王もとんだ食わせ物だな。こんな暗殺まがいなことを画策するとは」
「メリアは関係ない!これはアタシの意思だ!」


剣を振りかざし、ユーニは再びタイオンへと襲い掛かる。
刀身同士がぶつかり合う金属音が静かだった離宮に響き、美しく敷き詰められていた白洲が乱れてゆく。
まるで剣舞のごとき動きで、ユーニは白い婚礼着をはためかせながら美しくタイオンの命を狙う。

一撃一撃は単調だが、どこか華麗さを感じる。
恐らくは幼いころから武芸に覚えがあったのだろう。
だが、タイオンも頭脳働きを主軸とする軍師とはいえ武の心得はある。
まっすぐ突き立てられるユーニの剣をはじき返すと、息が乱れ始めた彼女に言葉を投げかける。


「女王の命ではないというのか。なら何故こんなことを!?」
「アタシの家族は全員アグヌスの連中に殺された!親も、兄貴も、妹も!そんな奴らの元に嫁げと言われておとなしく従えるわけねぇだろ!」


ユーニの基本的な情報は事前にタイオンの元に届いていた。
女王メリアは生涯独身を貫いているため実子がなく、代わりに血の繋がりがある縁者を数人養子として迎え入れている。
ユーニはそのうちの一人である。

元はメリアの従妹の子であったが、アグヌスとの戦で家族は離散。
父親は戦で命を落とし、母と妹も攻め入るアグヌス兵によって蹂躙された。
結果、孤独の身となったユーニは正式にメリアの養子として迎え入れられたのだ。

その経緯を書類の上で知ったとき、タイオンは胸騒ぎを覚えていた。
家族をアグヌスに殺された娘。そんな人物が此度の婚礼に抜擢されるのは少々酷ではないのか。
だが、これはケヴェス側が取り決めたこと。いちいち異議申し立てをする権利など、タイオンにはない。
結果、予想通りのことが起きてしまった。

案の定ユーニはアグヌスを恨んでおり、自分には嫁ぎたくないと言う。
剣を持ってまで抵抗するということは、相当な嫌悪感なのだろう。

この婚姻の背景はユーニ本人も承知しているはず。
嫁ぎ先のアグヌスで婿を殺そうとしたなどと知られたら、アグヌス側はもちろん、同盟のために彼女を差し向けたケヴェス側も許してはくれないだろう。
同盟に亀裂を入れる行為は大罪。どう転んでも死罪は免れない。
それでも、アグヌスの男に嫁がずに済むというのなら命などいらないということか。

気に食わなかった。
自身の意地を通すため、周囲の事情を鑑みないユーニの行動が。
振り下ろされる剣を受け止めたタイオンはそのまま手首をひねりユーニの剣を握る手を刀剣の柄で強く打った。
その拍子にユーニは剣を手放し、投げ出された刀剣は白洲の上に派手な音を立てながら落ちる。
急いで拾い上げようとするユーニよりも前に、タイオンが白洲の上に落ちた剣を遠くへ蹴り上げてしまった。

武器を失えば、もはや抵抗の余地はない。
力なく白洲の上にへたりこんだユーニへと、タイオンは刀剣を向けた。


「これでも武芸は心得がある。僕を甘く見ていたようだな」
「……そうかよ。軍師様のくせに腕が立つとか、一層腹立つな」


負けを認めてもなお、生意気な物言いを正す気はないらしい。
初夜の席で剣を持ち大暴れしたその気骨あふれる顔を、タイオンは拝んでみたくなった。
この度胸、男であれば重宝したものを。
さて、噂の醜女殿はいったいどんな面構えをしていることやら。
突き立てた刀剣の切先をベールに引っ掛け、そのままゆっくりと捲り上げる。
ベールの下から出てきた予想外の花嫁に、タイオンは眼鏡越しに目を丸くした。

玉のような白い肌、桃色がさした控えめな唇、長く生えそろった睫毛、伏せられた美しい蒼い瞳、輝くような純白の羽根、艶をまとう明るく柔らかい髪。
彼女を構成するすべてのパーツが、事前に聞いていた“醜女”とは程遠いものだった。
舞い散るサフロージュの花びらを背景に、そよ風に羽根を揺らしながら目を伏せているその姿はあまりにも美しい。

何が醜女だ。これのどこが醜女だ。ケヴェスの美意識は確かか。
嘘つき共め。醜女どころかまるで天女じゃないか。
ベールの向こうから現れた美しいユーニの姿に、タイオンは完全に目を奪われていた。


「……何ぼさっとしてんだ」
「へ?」
「さっさと殺せよ。婿を殺そうとした花嫁なんて、生かしておく価値なんてねぇだろ?」


その美しい瞳を伏せながら、ユーニは言う。
残念ながら、もとよりそう簡単に殺す気はなかった。
ここで彼女を斬れば、確実に縁談は破談となり同盟関係にもひびが入る。
そうなればまた乱世に逆戻りだ。
憎しみで平和な世は作れない。国の政に携わる人間として、ここでユーニを殺すわけにはいかないのだ。


「君の首を斬るのは簡単だ。だが、そうなれば同盟は破棄されることになる。その代償を君は理解しているのか?」
「代償?」
「同盟が破棄されれば、遠くない将来また戦が始まる。そうなれば、また何千何万もの命が犠牲になる。君の家族と同じ目に遭う人間が数えきれないほど出てくることになる。君が意地を張ったせいでな」
「っ、」


絶望の色に染まった瞳が大きく見開かれ、タイオンを見上げる。
今日の選択は、巡り巡って最悪の結果をもたらすことになるだろう。
だがまだ間に合う。彼女がアグヌスの軍師長タイオンの妻としておとなしく身を差し出すというのなら、この平穏を保つことができる。
手に持っていた刀剣を白洲の上に突き刺したタイオンは、力なくその場に座り込むユーニの目の前で膝を折った。


「平穏を望むなら、今は憎しみを捨てるんだ。僕と君の両肩には、アグヌスとケヴェスの未来がかかっている」


ユーニの目から、ゆっくりと憎しみの炎が消えてゆく。
諦めたように目を伏せると、彼女は肩から脱力した。
相当気を張っていたのだろう。その表情は疲労感に満ちている。
彼女の膝の裏と背中に腕を差し込みゆっくり横抱きに抱き上げると、離宮を囲むように立っているケヴェスの下女たちに向け声を張り上げる。


「控えているアグヌスの下女たちと見張りを代わってくれ。初夜の儀は予定通り執り行う」


そう伝えると、ケヴェスの下女たちは少々戸惑いながらも下がっていった。
初夜の儀は、花嫁か花婿、どちらかが奸心を抱いて下手なことをしないよう、寝所に複数の見張りを立てて行われる。
当然、タイオンとユーニの場合においても例外はない。
小階段を上がり再び寝所に戻ると、きれいに敷かれていた布団は先ほどの戦闘でこれでもかというほど乱れてしまっていた。


「せっかく下女たちが敷いてくれたというのに、台無しだな」
「……ごめん」


案外素直な謝罪に、タイオンは少しだけ驚いてしまった。
盛大に噛み付いてくるとばかり思っていたが、もはや威嚇する気もないらしい。
乱れた布団の上にユーニの体をそっと横たえると、不安げに揺れる青い瞳がこちらを見上げてきた。
憎いアグヌスの男に抱かれる女の気持ちとは、一体どんなものだろうか。
小さな同情心を抱きながらも、やめる気にはなれなかった。
それはユーニの美しい容姿が、タイオンの心を奪ってしまったせいなのかもしれない。


「嫌なら目を閉じていてくれ。すぐに終わらせるから」


そう助言した直後、ユーニは迷わずその目をぎゅっと閉じた。
ためらうことなく目を閉じる花嫁の姿に、タイオンは柄にもなく少々傷ついてしまう。
そんなに嫌か。とはいえ仕方ない。
彼女はアグヌスの人間に家族を殺されている。恨むなというほうが酷だろう。
恨まれていてもいい。憎まれていてもいい。
おとなしく妻としてそこにいてくれさえすれば、この平穏は保たれる。
二国間の平穏を守るため、タイオンはユーニの腰ひもをするりと解くのだった。


***

 

花の国と呼ばれているアグヌスに対し、ケヴェスは鉄の国と呼ばれていた。
領内に鉱山を数多く有するおかげで、金属類の発掘が非常に盛んであり、鉄巨神やレウニスの開発も盛んに行われている。
伝統や気品に重きを置くアグヌスとは反対に、技術力に重きを置くケヴェスだからこそ、正反対の思想を持ったアグヌスとぶつかりやすいのだろう。

ケヴェスとアグヌスとでは、文化や風土が全く違う。
着ているもの、食事のマナー、建築物の造形、さらには婚礼の儀の流れまで、全く別物なのだ。
ケヴェスからやってきたユーニが一番驚いたアグヌスの風潮は、ずばり“初夜の儀”である。
ケヴェスにも似たような風習はあるが、あそこまで格式張ってはいない。

何より驚いた、というより引いたのは、睦み合う新婚夫婦の寝所の周りを下女たちが見張るという風習だ。
簾で視界が遮られているとはいえ、音や声は見張りの下女たちに丸聞こえである。
タイオンとともに迎えた初夜の儀でも当然のごとく見張りはいた。
タイオンに抱かれている間、口から出てしまった信じられないくらい甘い声も、衣擦れの音も、淫らな水音も、何もかも聞かれていたと思うと死にたくなる。

おかしいだろ、この風習。
なんで人がすぐ近くにいる状況でしなくちゃいけないんだよ。
そう訴えたが、タイオンには“それが慣例だから”の一言で片付けられてしまった。
アグヌスの男に抱かれているという腹立たしさと、名前も知らないアグヌスの下女たちに行為の音を聞かれているという羞恥心で、ユーニの頭は爆発しそうだった。
アグヌスに来ること自体最悪だったのに、まさかこんな辱めを受ける羽目になるとは。
翌朝を迎えても、ユーニの機嫌が治ることはなかった。

着替えを済ませたユーニは、アグヌスの下女に促され春乃宮の広間へと向かった。
そこにはすでにタイオンの姿があり、床にひざを折る彼の目の前には豪勢なお膳が置かれている。
正面には同じお膳がもう一組。どうやら朝餉の用意をしてくれたらしい。
促されるまま対面のお膳の前に膝を折ると、タイオンはいまだ仏頂面のユーニをまっすぐ見つめながら口を開く。


「おはよう」
「……」
「相変わらずの仏頂面だな」
「……」
「昨夜はあんなに乱れていたというのに」
「しばくぞマジで」


キッと睨みつけてみるが、タイオンには一切効き目がないらしい。
ふっと薄く笑みを浮かべると、お膳に並べてあった箸を手に両手を合わせ、“いただきます”と呟き手を付け始める。

昨晩、初夜の儀は1時間ほどの時間をかけてゆっくり執り行われた。
ユーニにとっては男性に抱かれること自体が初めてだったため、キチンと成し遂げるまでにそれなりの苦労があった。
今もまだ少々腰のあたりが痛い。
いつかは心に決めた相手と身体の契りを交わすものと思っていたが、まさか相手がアグヌスの男になるとは夢にも思っていなかった。
できることなら人生を1から巻き戻してやり直したいが、そうもいかない。
目の前で礼儀正しく焼き魚に手を付けているこの男こそ、自分の夫になってしまったのだから。


「食べないのか?」
「アグヌスの食事なんて食えるかよ」
「毒の心配をしているのなら意味はないぞ。すでに毒味は済んでいる」


そういう問題じゃない。
毒が入っているかどうかではなく、アグヌスの人間が用意したアグヌスの食事など手を付けたくなかったのだ。
家族を殺された憎しみは簡単には癒えそうもない。
アグヌス憎しのこの心は、たった一晩では覆らなかった。
相変わらず仏頂面をさらしているユーニに、あら汁のお椀を持ったままタイオンは深くため息をつく。


「……口に入れたくないなら好きにしてくれ。その意地、いつまで続くことやら」


構うことなく食事を続けるタイオンと、お膳の前に座りながらも手を付ける様子のないユーニ。
春乃宮の大広間は、新婚夫婦の団欒の場とは思えないほどの冷たい沈黙が支配していた。

やがて、タイオンは食事を終える。
相変わらずユーニはお膳に一切手を着けておらず、並べられた料理も既に冷え切ってしまっていた。
昨夜の婚礼の儀でも、“緊張で食が進まない”などと適当なことを言って食事を遠慮していた。
昨晩から何も口にしていないのであれば、相当空腹のはず。
それでもやせ我慢しているこの状況は、いわゆるハンガーストライキという奴だろう。
そんなことをしても現状は何も変わらないというのに。


「僕はこれから女王に謁見してくる。腹が減ったら下女たちに伝えるといい。何か作ってもらってくれ」
「……だからいらねぇって」


立ち上がったタイオンは、未だ手を着けずお膳の前に座っているユーニへと視線を落とす。
相変わらず彼女は仏頂面のまま。
恐らくどんな言葉をかけたところで心変わりはしないだろう。
小さく息を吐くと、タイオンは1人大広間から廊下へ出た。

彼の住まいはこの春乃宮に置かれているが、執務を行っている場所は女王のいる中宮である。
朝餉を摂ったらすぐさま中宮へ向かい、女王ニアに謁見したあと軍師たちが詰めている執務室で仕事をする。
それがタイオンのルーティーンである。
今日も春乃宮から中宮に移動しようとしたタイオンだったが、廊下を歩いているうちにひとつ重要なことを思い出した。
ユーニの私室を春乃宮内に用意した旨を本人に伝え忘れていた。

廊下を歩いているうちにそれを思い出したタイオンは、すぐさま踵を返してきた道を戻る。
異国からやって来たユーニにとって、一人で心落ち着かせる空間は必要不可欠だ。
なるべく早くその存在を知らせてやりたい気持ちが先行し、タイオンは足早に大部屋へと戻った。


「すまないユーニ、1つ伝え忘れて……」


大広間に足を踏み入れた瞬間、眼前に広がる光景に思わず固まってしまった。
あんなに頑なに食事を拒んでいたユーニが、お膳に並べられていたお椀を手にコメヒカリを口に勢いよく掻っ込んでいたのだ。
まるで食らいつくかのような勢いの食いっぷりに呆然とするタイオンと、戻って来たタイオンの姿を見てお椀を手に持ったまま固まるユーニ。
2人の間に数秒間の沈黙が流れた。

やがてユーニは手に持っていたお椀と箸を膳の上に速やかに戻すと、顔を真っ赤にしながら“味見してただけだし!”と聞いてもいないことを言ってきた。
言い訳にしては苦しすぎる。
やはり空腹だったのだろう。
何か食べたくてたまらなかったくせに、タイオンの手前素直に与えられたお膳に手を付けるのはプライドが許さなかった。
そんなユーニの小さな意地を察したタイオンは、再びため息を吐くと本題を口にした。


「君の私室を用意させた。あとで下女たちに案内してもらうといい」
「……別にいいのに」
「1人で落ち着ける場所は必要だろう。それじゃあ、今度こそ行ってくる」


背を向け、再び大広間を出ようとしたタイオンを、ユーニは咄嗟に引き留めた。
足を止め振り返ると、そこには視線を逸らしもじもじとしているユーニの姿が。
色素の薄い髪の毛先を指でいじりながら、彼女はか細い声で呟いた。


「……あ、ありがとな」


そのやけに素直な一言に、タイオンは少し驚いてしまった。
礼を言うだけの素直さが君にあったのか。
そう言ってやりたかったが、どうせまた口論になるのがオチだ。
こちらも素直に“どういたしまして”と返すと、ユーニを置いて大広間から廊下に出た。
そして、お膳の配膳のために廊下で控えていたアグヌスの下女の存在に気付くと、手招きして近くに呼び寄せる。


「彼女の好物を聞き出してくれ。そして夕餉はなるべくその好物を使った料理を出すよう料理番に伝えてくれ。あのまま意地を張って食事を拒まれ続けたら面倒だからな」


そう耳打ちすると、下女は深々と頭を下げながら“承知いたしました”と返事をした。
アグヌスの下女からの質問に素直に答える可能性は低いが、もし無理なら彼女が故郷から伴って来たケヴェスの下女たちに聞けばいい。
好物を出せば、流石にあの意地っ張りも涎をたらして食いつくことだろう。

春乃宮を出て中宮に向かったタイオンは、いつも通り女王に謁見をし、本日の共有事項をつらつらと口にする。
去り際、“仲良くやれていけそうですか?”と女王から問いかけられたが、“はい”と嘘をついた。
まさか初夜の儀を前に乱闘騒ぎがあったとは言えない。

タイオンが女王への謁見を終え、仕事に取り掛かっていた頃、ユーニは春乃宮に仕えるアグヌスの下女たちの案内で、用意された私室に赴いていた。
庭園が一望できるその部屋には天蓋付の寝台が置かれており、天井部分は吹き抜けになっている。
風が通りやすいこの部屋は、湿気や暑さとは恐らく無縁だろう。
家具の造形や色味も気に入った。この部屋はタイオンが用意させたものだと聞いたが、趣味はいいらしい。
アグヌスに来て、ようやく一人きりになれたことでユーニは心の平穏を取り戻しつつあった。

ふかふかの寝台に身体を沈ませながら考える。
一応この部屋に寝台は置かれているが、恐らく夜寝るのは別で設けられた寝室になるだろう。
当然一人ではなくタイオンと寝ることになるはず。
そう思うと、心がずしりと重くなった気がした。

昨晩、タイオンとは夫婦の契りを交わした。
夜を共にし、何とか朝を迎えることは出来たが、やはり憎きアグヌスの土地で、出会ったばかりの男の横で眠るのは精神衛生上よくない。
いつか心労と寝不足で髪が全部抜け落ちてしまうかもしれない。

はっ、まてよ?
頭が禿げればあのいけ好かない眼鏡軍師も"これを横に据えるのは世間体が悪い"として離縁してくれるのではないか。
いやいや馬鹿なことを。離縁のために髪を毟ったところであとに残るのは禿げ頭と孤独だけじゃないか。
やめやめ。

ぼうっと一人天井を眺めていると、外から下女によって声がかけられた。
どうやら主人であるタイオンが帰って来たらしい。
出迎えてやるほど良好な関係ではないが、夕餉の支度も整ったと言うので部屋から出てみることにした。
下女の案内に従い、朝餉が振舞われた場所と同じ大広間に足を踏み入れると、やはりタイオンは既にお膳の前に座っていて、ユーニの着席を待っている。


「……おかえり」
「ただいま。出迎えてはくれなかったな」
「そういう可愛いことしてくれる嫁がいいならさっさと離縁しな」
「安心してくれ。最初から君にそういう健気さは期待していない」


相変わらず淡々とした態度だった。
お膳に並べられた箸を手に取り、手を合わせて“いただきます”と呟くと、タイオンは豪勢な夕餉に手を付け始める。
朝餉と同じように、タイオンの前ではひたすら食事を拒否するそぶりを見せ、彼がいなくなったら急いで食べればいい。
そう思っていたユーニだったが、お膳に視線を落として目を見開いた。
平皿に乗っているのは彼女の大好物、サモンのカリっと唐揚げだった。
子供の頃の大好物で、これが食事の席に並ぶと遠慮も忘れて5つも6つも頬張ってしまうほど、ユーニはこの唐揚げに目がない。

昼間、アグヌスの下女たちが“好物をお教えください”としつこく質問してきたことを思い出す。
はじめのうちは適当にあしらっていたが、あまりにもしつこく聞いてきたためこの唐揚げだと答えてしまった。
まさか答えたものが夕餉にそのまま出て来るとは思わず戸惑っていると、タイオンは目の前でサモンのから揚げを箸で摘まみながら口元に笑みを浮かべた。


「どうした?食べないのか?」
「……あ、アグヌスの飯は食わねぇって言ったじゃん」
「そうか、残念だな。こんなに旨いのに」


カリッと揚がったサモンのから揚げは、衣を歯で噛み砕くたび小気味よい音が合う。
サクッ、サクッと嫌味なほどいい音を奏でながらサモンのから揚げを食べ続けるタイオンを前に、ユーニはごくりと生唾を飲む。

腹立つくらい美味そうに食いやがる。
でもここで根負けして手を付けたらだめだ。今は我慢しなくては。
サモンのから揚げから漂う香ばしい香りに食欲をそそられながらも、ユーニは必死で耐えていた。
しかし、そんなユーニの我慢をあざ笑うかの如く、タイオンはあまりにも酷いことを言い始める。


「食べないのなら仕方ない。下げてもらうことにしようか」
「え」
「せっかく作った料理が冷めては勿体ないだろ?すまない、妻が食欲不振で皿に手が着けられないらしい。膳を下げてもらえないか?」
「ちょ、ちょっと待った!」


タイオンが片手を上げると、背後で控えていた下女がいそいそと前に出る。
未だ一口も食べていないサモンのから揚げが、お膳ごと下げられそうになったとみるや、ユーニはたまらず異を唱えた。
お膳事下げられてしまっては、タイオンが出て行ってからこっそり食べる作戦が水泡に帰してしまう。
恐らくはこのタイオン自身も、ユーニのハンガーストライキはただのポーズであると見抜いているのだろう。
見抜いたうえでこんな意地悪をしてくるとはなんて性格の悪い夫だ。


「……食べるから」


もはやこうなっては形だけのハンガーストライキなど無意味。
意地を張るのをやめたユーニは、唇を尖らせ視線を外しながらお膳を引き留めた。
悔しそうな様子の妻に、見事食事をとらせることに成功したタイオンはしたり顔で笑みを浮かべる。


「よろしい」


眼鏡を押し上げ、勝ち誇ったような笑みを浮かべるタイオンがあまりにも腹立たしい。
だが、この腹立たしさをサモンのから揚げの美味さが誤魔化してくれた。
この春乃宮の料理番は腕がいいらしい。
身の奥深くまで濃いめの味が沁み込み、衣はサクサクで歯ごたえがある。
いくら食べても飽きが来そうにないその味に、ユーニはうっとりしながら舌鼓を打っていた。
夢中でサモンのから揚げを食べていたユーニは知る由もない。
正面に座っていたタイオンが、嬉しそうに唐揚げを頬張るユーニを見つめながら柔らかく笑んでいた事実を。


***

 

ケヴェスは鉱山が多い関係で、エーテルが採掘できる場所もかなり多い。
しかし、平地が多いアグヌスではケヴェスに比べあまりエーテルが採れない。
その影響もあり、慢性的なエーテル不足に陥っている状況だった。

ケヴェスでは当たり前のように使われてたエーテル灯も、このアグヌスでは医療施設や中宮のような特別な場所でしか見る事はない。
そのほかの民家や施設では、夜になると灯篭や行燈に火をともし明かりとしている。
エーテル灯の人工的な光よりも、火による温かな光の方が見ていて癒される。
自室の行燈に灯る柔らかな光を眺めつつ、ユーニは1人そんなことを思っていた。

夕餉を完食した直後、彼女は夫にとある提案をした。
寝所を分ける提案である。
見知らぬ土地で、あまり心開けない夫と毎晩過ごすのは心労のもと。
せめて週に2、3度は自室で一人で眠りたいと申し出たのだ。

アグヌスでは夫婦は同じ寝所、同じ寝台で眠るのが当たり前らしく、当然タイオンは渋っていた。
けれど、“妻が心労で禿げてもいいのか”と迫って黙らせた。
“僕と寝るのがそんなに嫌か”とぼやいていたがすべて無視。
見事一人の時間を手に入れることが出来、ユーニは満足していた。

部屋の外の警備はアグヌスの下女ではなく、ケヴェスから連れてきた信頼できる下女たちに任せている。
室内にはユーニ一人だけ。
今夜はようやく熟睡できそうだ。
安堵して寝台の布団に潜り込み、目を閉じたユーニだったが、何故か寝付けない。
先ほどから誰かにじっと見られているような妙な違和感がある。
ジトッとした視線を感じ取り目を開けると、高い天井に張り巡らされた梁が見えた。
その梁の上に、薄暗い中キラリと光る物を見つけて目を凝らす。
まさかアレは。

そう思った瞬間、梁から何かが降って来た。
その“何か”は、寝台に横たわるユーニめがけて真っ逆さまに落ちて来る。
反射的に布団から起き上がり飛び退いたおかげて直撃は免れたが、落ちてきた“何か”はユーニが先ほどまで横になっていた寝台の枕の上に降り立ち鋭い太刀を寝台の枕に突き立てている。

落ちてきた“何か”の正体は人間だった。薄暗い中で見た光は、手に持った小太刀が放つ鈍い光だったのだろう。
真っ黒な装束を纏い、鋭い小太刀を片手に顔を隠したその姿を見て、ユーニはその者の目的を察してしまう。

こいつ、アタシを暗殺しに来たんだ、と。


「っ!」
「おわっ!」


寝台を蹴り上げ一気に距離を詰めてきた暗殺者は、ユーニの首元に刃を突き立てようと迫る。
寸前で交わしたユーニだったが、真っ黒な暗殺者は手を緩めることなく再び襲い掛かって来る。
武芸にはそれなりに覚えがあるが、丸腰のこの状態では抵抗の仕様がない。

相手の太刀を寸前でかわすことしか出来ないユーニの首筋に汗が伝う。
その時、部屋の外からドタドタと派手な足音が複数迫って来た。
恐らくは外の警備に回っていたケヴェスの下女たちが、物音を聞きつけ駆けつけてきたのだろう。
まずい。来ちゃだめだ。
ユーニが危険を知らせるよりも前に、自室の扉は2人の下女たちによって開け放たれる。


「ユーニ様!どうされました!?」


切羽詰まった様子で部屋の戸を開けたのは、ケヴェスで生活していた頃から傍で使えてくれていた妙齢の下女2人だった。
その二人が入って来た瞬間、暗殺者は床を蹴り上げその首に刃を入れる。
2人の下女は、悲鳴を挙げる間もなく絶命した。
首元から飛び散る真っ赤な鮮血が、数刻前まで静かだったユーニの部屋を汚す。
人の命が失われるのは、いつも一瞬の出来事だ。
瞬きをした瞬間、先ほどまで生きていたその人物はただの肉塊となり、魂のない人形同然となる。
この悲しく残酷な瞬間を、ユーニは今まで何度も目にしてきた。

そういえば、アグヌスの兵に母と妹が殺されたのも、こんな風に静かな夜だった。

絶命した2人の下女たちは、派手な音を立てて床に倒れ込む。
その光景を目にした瞬間、過去の凄惨な命のやり取りの場面を思い出し頭が真っ白になってしまった。
手足が震える。声が出ない。頭が働かない。
早く逃げなければいけないのは分かっているが、恐怖で視界も脳も支配されていた。
やがて力なくその場にへたり込むと、暗殺者は小太刀を振り上げる。
布で口元を隠してはいるが、殺意を秘めた目だけはハッキリ見て取れた。

結局アタシもアグヌスの人間に殺されるのか。
アタシが死んだと分かったら、きっと二国間はまた戦争状態に逆戻りするんだろうな。
そしてまた、アタシみたいな孤独な人間が生まれるんだ。
馬鹿みたいだ。やっぱり敵は敵。同盟なんて組んだところで、アグヌスとは一生分かりあえないんだ。
ごめんメリア。少しくらい役に立ちたかったけど、無理みたいだ。

敬愛する女王の顔を思い浮かべながら目を閉じるユーニ。
だが、身を割くような痛みは一向にやってこなかった。
代わりに聞こえたのは、金属と金属がぶつかり合うような甲高い音だけ。
恐る恐る瞼を開けてみると、そこにはユーニを背に暗殺者の一太刀を剣で真っ向から防いでいるタイオンの姿があった。


「こんな夜更けに来訪とは随分失礼だな」
「っ、貴様、軍師長……!」


タイオンの登場に、暗殺者は明らかに動揺していた。
暗殺者の小太刀はタイオンの刀剣によって即座にはじき返された。
よろけた彼の鳩尾に肘を入れ、前衛姿勢で咳き込みだした首の後ろを剣の柄で叩きつける。
その一撃が効いたらしく、暗殺者は意識を手放し血に濡れた床へと沈み込む。
ようやく静けさを取り戻したかと思った瞬間、今度はまた外から複数の足音がどたどたと聞こえて来る。
次に部屋に入って来たのは、恐らくタイオンの部下であろう男たちであった。


「軍師長殿!ご無事ですか!?」
「あぁ。それよりこの男を頼む。乱波だ。縛り上げて納屋にでも閉じ込めておいてくれ。朝になったら女王陛下に報告する」
「は、はい!」


気絶している暗殺者の両脇を、2人の男手が掴み上げる。
男たちに抱えられ、暗殺者の身柄はユーニの部屋から引き上げられていった。
だが、未だ震えは止まらない。
既に事切れている2人の下女の遺体を見つめながら、ユーニの目から自然と涙がこぼれ落ちていた。

長く仕えてくれていた下女たちだったのに。
あの暗殺者は、明らかに自分を狙っていた。下女たちは巻き込まれただけに過ぎない。
当初、ケヴェスからアグヌスに赴く際、下女は連れず単身出発するはずだった。
けれど、この二人は“今までずっと仕えてきた身だから”と自ら同行を申し出てくれたのだ。
あの時断っていれば、こんなことに巻き込まずに済んだかもしれないのに。


「ユーニ……」


震えながら涙を流すユーニを見下ろし、タイオンは眼鏡越しに目を細めた。
剣を置き、彼女に目線を合わせるように膝を折ると、タイオンは震えるユーニの肩をそっと抱き寄せて腕の中に仕舞った。
いつもは憎まれ口ばかりの彼女だが、今夜ばかりは抵抗するそぶりもなくタイオンの胸板に頬を寄せている。
小さく震えているその体は、随分と華奢で弱々しく思えた。


「この下女たちは手厚く葬る。すまなかった、ユーニ」


耳元で囁かれたその言葉に、ユーニはそっと視線を上げる。
眼鏡越しの深い瞳と視線がかち合い、震えながら小さく頷いた。

アグヌスの人間は信用できない。調略を用いた卑怯な戦をするからだ。
家族が死んだのも全てアグヌスのせい。この国に生きる者は誰一人として許せないし、信じられない。
そう思っていたが、駆け付けたタイオンの背中を見た瞬間心底安堵している自分がいた。
この男なら、守ってくれるに違いないと甘えている自分がいた。

認めたくはないが、自分はこの男を無意識に信頼しているらしい。
アグヌスの輪の中に放り込まれた今、唯一この男だけが力になってくれる。味方でいてくれる。
彼だけは、タイオンだけは、信じてもいいかもしれない。
自分の身体を柔く抱きしめるタイオンの腕にそっと掴まると、肩を抱くタイオンの力がほんの少し強くなったような気がした。


***

暗殺者への尋問は、その日の夜から早朝にかけて長時間行われた。
“尋問”と言うと聞こえはいいが、その実は暗殺を命じた黒幕を吐かせるための拷問である。

実行犯であるこの暗殺者を金で雇った主犯が別にいるはずだ。
なんとしてもその正体を吐かせなければならない。
なかなか主犯の名を口にしない暗殺者に業を煮やしたタイオンは、とうとう手を出した。
いつも冷静さを心掛けている彼にしては珍しく激昂しているその様に、部下たちは驚いたという。

長時間にわたる詰問の末、暗殺者が雇い主の名をようやく口にしたのは早朝のこと。
裏を取らせ、暗殺者の根城に隠されていた雇い主からの書簡が見つかったことで疑いは確実なものとなる。

女王に事の次第を報告し、主犯が中宮に引き立てられたのは翌日の夕刻のこと。
手枷をはめられ、両脇を兵に囲まれた状態で女王の前に引き出された主犯の正体は、名の知れた武官、デュルク。
彼は名高き武勇の持ち主で、先のケヴェスとの戦でも多くの首を上げてきた。
だが一方で狂戦士としての側面も持ち合わせており、討ち取った兵の首をほぼすべて自らの屋敷に保管するという異常な趣味を持つことでも有名だった。
乱世においてはそんな狂戦士も使いようがあったが、平穏を取り戻しつつあるこの時代においては異分子でしかない。

“平和な世では人を殺せない”
“戦を再び起こしてもっと人を殺させろ”
そう喚き散らすデュルクに、女王ニアは死罪を言い渡した。
ユーニが暗殺されたとなれば、ケヴェス側に大義名分を与え、再び戦が始まる可能性が高くなる。
戦の火種を撒いたデュルクの罪は大きかった。

報告書類の作成やケヴェスへの根回しをしているうちにいつの間にか日は明けており、気付けばことが起きてから2日が経過してしまっていた。
その間、中宮で仕事に忙殺されていたタイオンはユーニに会えていない。
当日の夜は随分と怯えていた。アグヌスの人間に家族を殺された過去を持つ彼女の心境は穏やかとは言えないだろう。

ようやくタイオンが仕事から解放され、中宮から春乃宮に帰還できたのはことが起きてから3日目の朝のことだった。
朝餉も摂らず、まっすぐ向かった先はユーニの自室。
下女曰く、あれから彼女は自室にこもったままなのだという。
食事もマトモに取っていないと聞き、タイオンは焦った。

ただのポーズだったハンガーストライキが、本当の意味で実行されようとしている。
2、3日食事をまともに取らずとも人間は生きていけるが、確実に体力は衰えていく。
“元気を出せ”などとは気安く言えないが、せめて気を紛らわせてやらなければ。
使命感にも似た何かを抱え、タイオンはユーニの自室を訪ねる。


「ユーニ、いるか?」


戸を叩き、外から声をかけてみるが応答はない。
再び名前を呼んでみたが、やはり返事はなかった。
“入るぞ”と一言断り戸を開けると、そこには人の気配が全く感じられなかった。
静まり返った部屋を見渡し、タイオンは動揺する。
まさか、アグヌスでの生活に嫌気がさし、一人で春乃宮を抜け出してしまったのではないか。

妻の姿が見えないことに大いに焦ったタイオンは、慌ててて廊下に飛び出た。
下女たちにも捜索を依頼し、春乃宮はユーニを探す下女や部下たちで忙しなくなる。

寝所、大広間、納屋。
思いつく限りすべての場所を探したがその姿は見えない。
一体どこへ行ったのか。
頭を抱えながら裏庭に面する廊下を歩いていたタイオンだったが、風にそよいで目の前を過ったサフロージュの花びらに目を奪われた。
花びらが飛んできた方へと何気なく視線を向けると、そこにはずっと探していた彼女の姿が。

裏庭に1本だけ生えたサフロージュの大木を見つめ、風に美しい羽根を揺らしている。
ようやく見つけたその背中に安堵したタイオンは、下履きに履き替えることも忘れて裏庭に出た。
“今まで何をしていたんだ”
“勝手に外へ出るな”
“また狙われたらどうする”
言いたいことは湯水のように溢れてきたが、口から出る前に飲み込んだ。
今のユーニに、そんなことを言うべきではない。

恐らく背後に歩み寄って来たタイオンの存在は、ユーニも気付いているのだろう。
だが、彼女は振り返ることなく黙ったままサフロージュの木を見上げている。
その背に何と声をかけていいか数秒迷った挙句、タイオンは石橋を叩いて渡るかの如く恐る恐る問いかけた。


「帰りたいか?故郷に」
「……」
「ユーニ?」
「……帰ってもいいの?」


振り返らないまま、彼女は言う。
聞いたところで無意味な質問だった。
たとえ彼女が“帰りたい”と言ったとしても、帰してやることなど出来ない。
これはアグヌスとケヴェスという二つの国が決めた婚姻なのだ。
多くの命と責任がのしかかっている以上、反故にはできない。


「……言っただろう。僕たちの両肩には二国間の未来がかかっていると。国の存亡のため、君をケヴェスに帰すわけにはいかない」
「……そうかよ」
「それに——」


息を呑む。
言わずにおこうと思っていたが、こうなっては仕方ない。
ユーニをここに留めておける理由になり得るのなら、羞恥心や自尊心など喜んで捨ててやる。
掠れる声で、震える声で、タイオンは心を打ち明けた。


「……僕は、君を好ましく思っている。だから帰してやれない」


ユーニは即座に振り返る。
丸くなった青い瞳は、驚きの色に染まっていた。
不意に視線がかち合って、気恥ずかしさを覚えたタイオンは眼鏡を押し上げるふりをしながら赤くなった顔を隠す。
だがその赤面ぶりは隠せずユーニに露見した。
出会ってからまだ日が浅いが、タイオンのこんなにもたじろいでいる姿を見るのは初めてである。
同い年だと事前に聞いて疑っていたが、ようやくその情報を信じることが出来そうだ。


「アンタ、そういう顔も出来るんだな」
「そういう顔……?」
「なんでもない。気にすんな」


誤魔化すようにユーニが微笑んだ途端、タイオンの目は奪われる。
初めて顔を見たとき、彼女は怒りの目をしていた。
普段から仏頂面で、愛想のかけらもない癖に、顔だけはやたらと可愛らしくて腹が立っていた。
だがこうして微笑まれると、恐ろしいほど美しい。
胸が鷲掴みにされたような感覚に陥り、まっすぐ顔を見ていられなくなる。
いつもムッとしているくせに、こういう時だけ可愛く微笑むのはやめてほしい。心臓に悪い。

慌てて視線を逸らすタイオン。その一方でユーニは、そよ風に枝を揺らしているサフロージュを再び見上げていた。
荒野が広がるケヴェスでは、このように艶やかな色の花が実を着けることはない。
空の青以外の色はなく、鋼色のくすんだ国が広がるのみである。

けれど、アグヌスは違う。
色とりどりの花が咲き乱れ、季節ごとに色が移ろいでいく。
彩り豊かな木や花が多く植生しているこの美しい光景は、花の国と呼ばれているアグヌスならではと言えるだろう。
不思議なものだ。アグヌスを憎む気持ちは変わらないのに、タイオンと一緒にいると、憎きアグヌスの花であれど可憐に見える。美しく見える。
花を愛でる乙女な趣味など無かったというのに。


「サフロージュ、気に入ったのか?」
「あぁ。こんな綺麗な花、ケヴェスにはなかったから」
「そうか。君が望むなら、君の部屋から見える中庭にもっと多くの苗を植えよう。まぁ、花をつけるのに数年はかかると言うが……」
「いいんじゃね?どうせ生涯ここで暮らすことになるんだし」
「えっ」
「でもどうせ植えるなら、タイオンの寝所から見えるこの裏庭に植えてほしいな」


不思議そうに目を丸くしているタイオンを見上げる。
そよぐ風に枝を揺らすサラサラという軽やかな音だけが、静かな空間に響いていた。
そして、舞い散るサフロージュの花びらを背中に受けながらユーニは笑みを向ける。


「今夜からタイオンの寝所で寝るんだから、そっちから見えたほうがいいだろ?」


見開かれたタイオンの目が、ゆっくり細められていく。
眼鏡の奥に見える彼の瞳がゆらゆらと揺れ、まっすぐにユーニを見つめていた。


「あぁ、そうだな。それがいい」


タイオンの手が、ユーニの髪へと延びる。
どうやらサフロージュの花びらが髪についていたようだ。
優しい手つきで花びらを取り払うと、彼の手がユーニの白い頬へと延びてゆく。
愛でるように親指で撫でられながら、ユーニは今更なことに気が付いた。
そう言えば初夜の儀を迎えたあの夜、口付けはしていなかったな。

ゆっくりと近づくタイオンの唇を、ユーニは素直に受け入れた。
風に揺れるサフロージュは、花びらを舞い上げながら2人を見下ろしている。
たった一本のサフロージュしか生えていなかったこの裏庭に、タイオンとユーニ、そして下女たちの手によって新たなサフロージュの苗が植えられたのは、その数日後のことであった。


END