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二次創作まとめ

距離を縮める例のアレ

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■ゲーム本編時間軸

■短編


ユーニの手によって、右手首がつかまれる。
何かと思い振り返ると、彼女は髪を片方の耳にかけながらこちらを見上げてきた。
かかとが浮いて、背伸びをする。
青く澄んだ瞳がゆっくりと近づいて、鼻と鼻が触れ合った。
“えっ”と心の中で声が漏れたと同時に、唇に柔らかな感触が押し付けられる。
右足が一歩後ずさるが、突然のことに体が固まってしまう。
すぐ目の前で感じるユーニの気配に息を殺しながら、タイオンは目を見開いていた。

やがて、触れ合っていた唇が離れていく。
3秒ほどで終わりを告げたその行為の意味が分からず、体も心も視線も固まっているタイオンとは対照的に、ユーニはなぜか眉をひそめながら首を傾げていた。


「なんか大したことねぇな」
「……は?」
「急に悪かったな、戻ろうぜ」
「いや待て待て」


踵を返し、湖のほとりで焚火を囲んでいる仲間たちの元へ帰ろうとするユーニの手を、今度はタイオンが引き留めた。
長い旅の足をいったん止め、一休みするために薪に火をつけた一行。
今後の経路を“瞳”で確認していたタイオンをユーニが少し離れた場所に呼び出したのはつい2分ほど前のことだった。
他の仲間たちに聞かれたくない話でもあるのだろうかと思っていたが、“どうかしたのか?”と声をかけたと同時に、ユーニは振り向きざまにタイオンの唇を奪ってきた。
何の説明もなく帰ろうとするユーニの行動に納得がいくわけもない。


「意味が分からない」


必死に引き留め、ユーニの両肩を掴んだタイオンは眼鏡のレンズ越しに戸惑いの色を滲ませながら見つめる。
彼女が急にあんな奇行に走った理由も、そのあとに呟かれた“大したことない”という言葉も、何もかも意味が分からない。


「なんだ今のは」
「なんだって……キスだけど?」
「それは分かる。何故急にそんなことをしたのかと聞いているんだ」
「あー悪い。嫌だった?」
「いっ、い、嫌、ではない、が……」


ユーニの両肩をがっちり掴みながら、タイオンの視線は泳ぐ。
嫌悪感はない。あるのは果てしない戸惑いだけ。
キスという行為のことは知識としてなんとなく知っていた。
ティーの若い男女が、愛情表現の一環としてして交わしている光景を何度か見たことがある。
ただのスキンシップと言うには少々艶めかしいその行為は、おそらく誰彼構わず軽々しくするものではないのだろうとタイオンは考えていた。
それを、ユーニは不意を突く形でタイオンへとぶつけてきた。
これは一体どういうことだろうか。
ユーニの青い目をまっすぐ見つめても、その答えは分からない。


「お前この前言ってただろ?インタリンクの時間延ばせたらいいのにって」
「えっ?あ、あぁ……」


それは数日前のことだった。
その地域を牛耳っている巨大なモンスターを討伐した直後、タイオンが独り言のように呟いたのだ。
“もう少しインタリンクの限界時間を伸ばせれば、もっと楽に戦えるのに”と。
タイオンとユーニは、共に味方へのサポートや敵の攪乱を得意とする力を持っていた。
戦術の要でもある2人の時間が限界を迎え、インタリンクを解除した瞬間に作戦が崩れるという場面を多々経験している。
2人のインタリンクの時間があと1分。いや30秒でも長ければ、もっと戦闘を優位に進められるだろう。
その呟きを、ユーニは覚えていたのだ。


「この前モニカから聞いたんだよ。キスは男女の距離を縮めるスキンシップの一つだって。だからタイオンとキスすればインタリンクの時間も伸びるのかなって」
「発想が突飛すぎないか?どうしてスキンシップをすれば時間が延びると思ったんだ?」
「インタリンクって、要はお互いの心の問題だろ?絆が深まれば深まるほど力も高まるし時間も増えるんだと思う」


ユーニの肩から手を離したタイオンは、うつむき加減に視線を落としながら考え込んだ。
確かに彼女の言う通り、心の距離が縮まることで上手く戦えたことも多い。
出会ったばかりの頃に比べ、インタリンク時の力も時間も格段に伸びている。
それは、互いの気持ちが少しずつ近づいているからこその現象と言える。
心の距離を縮めるため、ひいてはインタリンクの時間を伸ばすためにスキンシップをしてみようというユーニの発想は、決して理解できないものではなかった。


「……だからと言ってなんでキスなんだ。スキンシップならもっと他にもあるだろう」
「例えば?」
「例えば……」


手を繋ぐ、肩を抱く、抱き合う。
頭の中にいろいろ浮かぶが、ユーニが相手だと思うと妙に心臓が騒がしくなった。
なんだか落ち着かない。
心の奥がかゆくなる。
どれもこれも、ユーニ相手に出来るわけがなかった。
頭に浮かんだ桃色のイメージを振り払うように首を横に振ると、タイオンは“とにかく”と強調する形で強引に話を逸らす。


「急にするのはやめてくれ。驚くだろ」
「悪かったって。まぁいざしてみたらそんなに大したことなかったし、たぶん効果ないんだろうな」


3秒ほどのキスを交わしたからと言って、劇的に心の距離が近づくわけでもなかったらしい。
ただ、柔らかな唇が重なったというだけのこと。
手と手が触れ合ったり、肩と肩が接触したりするのと大差ない。
ユーニはそこに特別感などは感じなかった。
だが、“大したことない”という彼女の言葉に、タイオンの心は少しだけ荒んでいた。
針で刺されたようなチクリとした痛みが胸を刺す。
この痛みの正体がわかる前に、ユーニはタイオンの腕からするりと抜け出て仲間の元へと帰っていった。

去っていくユーニの背中を見つめながら、タイオンは自らの左胸を服の上から鷲掴む。
さきほどから心臓が痛い。激しく鼓動が高鳴って、服の上からでもバクバクと自己主張しているのが分かる。
突然唇を押し付けられたことで驚いたためかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
この鼓動は、この痛みは、この息苦しさは一体なんだ。


***


ふわりと翼が舞い上がり、翡翠色のエーテルが周囲を包む。
ウロボロスと化したユーニの力は、膝をついた仲間たちの傷を癒していく。
ブレイドを強く握りしめたノアは、目の前で殺気を放つフェリスの巨体にラッキーセブンを突き刺した。
 
このあたりのコロニーを苦しめていたこのフェリスは、所謂二つ名を冠するモンスターである。
戦闘開始直後から苦戦を強いられた一行だったが、タイオンとユーニがウロボロスの力を開放し、仲間たちを治癒したことで形勢は逆転。
ノアに続きハンマーを脳天に落としたセナの一撃により、フェリスはようやく沈黙した。

限界を告げる甲高い音を耳にしながらインタリンクを解除するユーニとタイオン。
砂地に着地した2人の元に、ブレイドを手放した仲間たちが満足げな表情を浮かべながら近づいてきた。


「タイオン、ユーニ。ありがとう。二人が回復してくれたおかげで何とか勝てた」
「そうだね。回復のタイミング、ばっちりだったよ」


ウロボロスの力を開放したユーニの回復アーツのお陰で、一行は壊滅せずに済んだ。
勝利への道筋を作った二人に、ノアとミオは惜しみなく礼を贈る。


「アタシほど優秀な回復役なんてこの世にいねぇからな。当然当然」
「回復のタイミングを指示したのは僕だがな」


眼鏡を押し込みながら隣で余計な一言を発するタイオンに、ユーニは恨めし気な視線を送った。
確かに回復のタイミングを合図したのはタイオンだったが、今それをこれ見よがしに言わなくてもいいだろうが。
むくれるユーニの様子を見たノアとミオは、互いに顔を見合わせて苦笑いを零していた。


「そういやぁよ、お前さんたち今日は随分長くインタリンクしてたよな」
「確かに!いつもより十数秒くらい長かった気がする」
「え?」
「え?」


ランツとセナの言葉に、タイオンとユーニはそろって声を挙げた。
戦闘に集中していてあまり意識していなかったが、確かに今日はいつもより少し長い間インタリンク出来ていたような気がする。
毎回測っているわけではないため所感でしかないが、セナの言う通り十数秒ほど限界時間が伸びていた。


「2人の絆が強まった証拠かもね」
「だな。ユーニたちが長くインタリンクしてくれると俺たちも楽に戦えるし、期待してるよ」


そう言って、ノアはタイオンの肩を軽く叩く。
一行のリーダー的存在である彼が歩き出したことで、ミオやランツ、セナもその背に続く。
残されたタイオンとユーニは、ただただ黙ったままその場に立ち尽くしていた。

インタリンクの力と時間は、互いの心がより近付くことで高まっていく。
限界時間が伸びたということは、それはつまりミオの言う通りタイオンとユーニの心が近づいたという証拠なのだろう。
心という形のないものの動向は掴めない。
ただ、2人の心が近づいたきっかけにタイオンは心当たりがあった。
それはユーニも同じだったようで、彼女はこちらの顔を覗き込んでくる。
なんだか嫌な予感がする。ユーニがよからぬことを言いだす前に、タイオンは足早にノアたちの背を追うのだった。


***


「アタシが今何を言おうとしてるか分かるか?」


ユーニがそう声をかけてきたのは、その日の夜のことだった。
砂漠地帯の休息地で夜を明かすことになった一行は、いつも通りマナナの作る料理に舌鼓を打ち、鍛錬を行い、そして寝床に入る。
今夜の見張り当番だったタイオンは、一人焚火の前でハーブティーを飲んでいたのだが、先に眠っていたはずのユーニがいつの間にか隣に腰かけてきたのだ。
仲間たちは既に夢の世界へ旅立っている。
2人きりのこの空間でユーニが切り出す話題と言えばたった一つしか思い浮かばない。
昼間の件だろう。


「……だいたいは」


ユーニがタイオンを呼び出し、急にキスをしてきたのはつい3日ほど前。
あの日以降インタリンクをしたのは今日が初めてだった。
もし本当にインタリンクの時間が伸びているのなら、原因として一番に挙げられるのはやはりあのキスだろう。
 
モニカ曰く、キスは男女の心の距離を縮めるスキンシップの一種だというが、その効果が早くも発揮されたということになる。
だとすれば、ユーニは自らが立てた仮説の実証に動くに違いない。
わざわざみんなが寝静まった頃を狙って声をかけてきたのは、流石に他の面々がいる前では話しにくいと判断したためだろう。
だが、彼女がこれから口にするであろう提案を、タイオンは受け入れる気にはなれなかった。


「流石タイオン。アタシの考えなんて全部お見通しってわけか。話が早いな。じゃあ早速——」
「却下だ」


彼女がすべてを言い終わる前に、タイオンはその言葉を遮るように拒絶した。
不満げな表情を浮かべたユーニは“なんでだよ”と呟いて抗議めいた視線を向けている。
 
なんで、と言われても困る。
普通は断るだろう。インタリンクの時間を伸ばすためにキスをしようだなんて。
キスという行為は、アグヌスにもケヴェスにもなかった文化だが、シティーの人間たちの話を聞いているとそこまでフランクにする行為でもないらしい。
恐らくは、特別な相手とする行為なのだ。
となれば、自分とユーニはそんなことをすべきじゃない。


「インタリンクのためだけに軽々しくする行為じゃないだろう」
「でもさ、アタシらこのアイオニオンの命運を握ってるんだぜ?一瞬のキスでインタリンクの時間が長くなるなら安いもんだろ」
「それは……」


悔しいが、ユーニの言う通りだった。
ウロボロスの力を得た6人の双肩には、アイオニオンに生きるすべての命が乗っている。
自分たちがゼットを始めとするメビウスを倒せるかどうかで、この世界の未来は大きく変わるのだ。
インタリンクという強大な力をより上手く使いこなせるようになることが、メビウスを倒す鍵でもある。
 
キスをすればウロボロスの力が高まり、インタリンクの時間が延びるというのなら、キスだろうがハグだろうが積極的にしていくべきなのかもしれない。
だが、それでもタイオンの心には迷いが生じていた。
そんな義務的な流れでユーニとキスをするだなんて、複雑だ。


「まぁ嫌ならいいけど」


そう言って、隣に座っていたユーニはそっと立ち上がる。
その声色は、いつもより沈んで聞こえた。
煮え切らない態度をとり続ける自分に呆れたのかもしれない。
そう思うと、いてもたってもいられなくなって、立ち上がったユーニの手首を咄嗟に捕まえてしまう。
引き留められたユーニが視線を送った先には、焚火の炎に照らされて少し赤い顔をしたタイオンが座っていた。


「し、仕方ない。一回だけなら試してみても構わない」
「え?」


視線を泳がせるタイオンは必死に平静を装おうとしていたが、上ずった声が彼の動揺ぶりをありありと示していた。
力強く捕まえている手首を離す気配もない。
呆気にとられたまま何も言わないユーニに焦りを感じたのか、今度はまくしたてるような早口で言い訳を並べ始める。


「あくまでインタリンクの時間を伸ばすためだ。他意はない。確かにキスするだけでインタリンクの時間が延びるというのなら実践する価値もあるだろうし検証も必要だ。だから仮説の立証も兼ねてするのであって別に君とスキンシップがしたいからとかそういうわけじゃ——」


瞬間、頬に手が触れる。
ユーニの顔が近づいて、タイオンのよく回る口を塞ぐように口づけた。
柔らかな感触が唇に触れたのはこれで2度目だったが、1度目がひどく急だったせいか、今回の口づけはやけに長く感じた。
呼吸が止まる。触れられている頬を中心に、顔に熱が灯ってくる。
やがて唇が離れると、彼女はにこりと笑って言い放った。


「次のインタリンク、楽しみだな」


去っていく彼女の背中を茫然と見つめ、タイオンは言葉を失った。
また不意打ちだ。こちらが話している最中だったというのに。
せめて最後まで聞いてくれ。
心の準備くらいさせてくれ。
そんなタイオンの願望など聞く気もない彼女は、強引に距離を詰めてくる。
再び加速し始める自らの鼓動を感じながら、タイオンは深くため息をついた。


***


ケヴェスキャッスル地方は常に雷鳴が響く岩礁地帯に位置している。
この地が青空に照らされることはほとんどなく、いつも分厚い雲に覆われていた。
ケヴェスキャッスルのお膝元までやってきた一行は、到着して早々別行動をとっていた。
装備品を買い揃えるため商店へと向かったノアとミオ。
腹ごしらえをするために食堂へと向かうランツとセナ。
タイオンとユーニもまた、二人でとある実験をするために人目につかない裏路地へと入っていった。


「ユーニ、そろそろ……」
「あぁ」


ピーピーという甲高い警告音が鳴り響く。
キャッスル付近の薄暗い裏路地で2人がインタリンクを開始してから約3分。
ようやく鳴り響きだした警告音に反応し、二人は即座にインタリンクを解除した。
石畳の上に着地したと同時に、タイオンが懐から懐中時計を取り出して時間を確認する。
ナミから贈られたその時計の針を確認すると、彼は小さく吐息を漏らした。


「4分53秒。前回より10秒近く伸びているな」
「ほらな?やっぱりアタシの仮説は正しかったってことだ」


胸を張るユーニの言葉に、タイオンは少し不満そうな表情を浮かべながら懐中時計を懐にしまい込んだ。
ユーニと2度目をキスを交わしたあの夜から1週間。
2人はほぼ毎日のようにキスを交わしていた。
“あくまでインタリンクの時間を延ばすため”という名目で始めたこの行為は、確実に効果を発揮している。
 
この“キス習慣”を始める前と後で、合計30秒近く時間を伸ばせているのだ。
今日も検証のため人目につかないこの路地裏でインタリンクを開始し、何をするわけでもなくふわりふわりと浮遊していたのだが、終わってみればやはり記録は伸びている。
ユーニの“キスをすればインタリンクの時間が延びる”という仮説は立証されつつあった。


「やはり身体的な接触がインタリンクにも大きく関わっているのか…?スキンシップを重ねることで互いの友好度が高まっているのかも」
「そんな難しい話じゃねぇと思うけどな」
「というと?」
「要は、お前がアタシとキスするのが好きってだけの話だろ?」
「なっ…」


壁に寄りかかり、腕を組みながら言い放ったユーニの言葉に、タイオンは動揺の色を見せた。
確かに嫌いではない。嫌がっていたのだとしたら、そもそもインタリンクの時間が伸びるなどありえないのだから。
実際に時間が伸びたということは、互いの心の距離が縮まったということ。
それはつまり、互いがキスというこの行為を良しとしているという事実に他ならない。
不本意だ。実に不本意極まりない。
だが、ユーニの言葉を否定するだけのロジックをタイオンは持ち合わせていなかった。


「そ、そういう君はどうなんだ?君だって好きだからこうやって時間が伸びているんじゃないのか?」
「アタシ?うーん、どうだろうな。考えたことなかった」
「考えたことなかったって……」
「いっつもアタシからしてるせいかもな。タイオンからしてくれたら好きになるかも」
「は?」


この習慣を始めて1週間。キスを仕掛けるのは必ずユーニの方からだった。
いつも彼女が彼女自身のタイミングでタイオンの腕なりマフラーなりを引き寄せ、その唇に触れてくる。
急に落とされるその嵐のような行為は、いつもいつもタイオンの心をざわつかせている。
もう少ししっかり前置きをしてからしてほしいと常々思っていたのだが、だからと言ってタイオンは自分の方から仕掛けようとは一度も思ったことが無かった。


「今日はタイオンからしてみてくれよ」


なのに、何の気まぐれかユーニはタイオンからのキスを強請り始めた。
期待に満ちた目でこちらを見つめながら、彼女は寄りかかっていた壁から離れ、タイオンの服の袖をつかむ。
その仕草、言葉、声に、また心臓が跳ねあがる。


「なんで僕が」
「いつもアタシからばっかりってなんか不平等じゃね?こういうのってお互いがお互いに近付こうとしなくちゃ意味ないだろ?」


一歩ユーニが近づくと、タイオンが一歩後ろに下がる。
ユーニの大きな青い瞳が自分を見上げている。
その目を見ていると、とてもではないが平常心ではいられない。
顔を真っ赤にしながら息を呑むタイオンはいつまで経っても口づけを落とそうとしない。
その煮え切らない態度に呆れ始めたユーニは、掴んでいたタイオンの服から手を離すと、そっと彼から距離を取った。


「あぁそう。わかった。アタシとはキスしたくねぇってわけか」
「い、いや待て。そういうわけじゃ……」
「そうだよなぁ。キスなんて大それたことタイオンには無理だよなぁ。お前奥手で臆病だもんなぁ。そんな勇気ないよなぁ。仕方ないかぁ」


わざとらしく肩をすくませ馬鹿にし始めるユーニの言葉に、タイオンの額には青筋が浮かび上がる。
自尊心の高い彼は、こういった安い挑発にも簡単にひっかかってしまいがちということを、相方であるユーニはよく理解していた。
現に今、タイオンは苛立っている。


「誰が臆病だ!」


キスなんてただ唇と唇を合わせるだけの行為だ。
気を張る必要なんて一切ない。
それを自分から仕掛けないからと言って勇気がないと揶揄される謂れもない。
生意気にも小馬鹿にされ、苛立ったタイオンは衝動に身を任せてユーニの両頬に手を添えしっかりと捕まえた。
そして、押し付けるように唇を押し当てる。
ユーニの口から“んっ…”と少し苦しそうな吐息が聞こえてきたが、気にしない。
彼女だっていつも唐突にしてくるのだ。これは仕返しだ。

ようやく唇を離したタイオンは、得意気な笑みを浮かべてユーニを見下ろす。


「どうだ見たか。キスくらい僕にだって……」


してやったり。とでも言いたげな表情を浮かべていたタイオンだったが、みるみるうちにその余裕は崩れ、代わりに顔が赤く染まっていく。
笑いをこらえているユーニの様子を見て、実感してしまったのだ。
しまった、嵌められた、と。
だが、今更自分の所業に後悔してももう遅い。
ユーニは愉快そうに笑いを噛み殺しながら、口元に手を当てて言う。


「お前、ほんと煽り耐性ねぇのな」


揶揄うようなその視線と言葉に、再び怒りと羞恥心が襲い来る。
なんて馬鹿なことをしてしまったんだ。
ユーニの口車に乗せられて、まんまと自分からキスしてしまうだなんて。
不覚だった。叶うなら10秒前の自分を急いで止めてやりたい。
どうせ揶揄われるだけだからやめておけ、と。


「よくも嵌めてくれたなユーニ」
「人聞きわりぃな。勝手にノッてきたのはお前だろ?」
「それは君が煽るから」
「チョロすぎるタイオンが悪い」
「なんだとっ!」


口づけた直後だというのにぎゃいぎゃいと言い合う2人。
クダラナイ言い合いを続けている最中も、何故かタイオンはユーニの両頬に添えた手を離しはしなかった。
その翌日、インタリンクの時間がいつもより伸び率がよかったことは言うまでもない。


***


「風呂から上がったら例のアレな」


ティーの寄宿舎にて夜を明かすことになった一行。
先に風呂に入っていた女性陣は談話室にて特に実のない会話を繰り広げていた。
そこへ、これから風呂へ入ろうとしていた男性陣が通りがかる。
適当に短い会話をしたのち、さて風呂場へ向かおうかと歩き出した直後、タイオンの背に向かってユーニが言ってきたのだ。

“例のアレ”
曖昧にぼかされたその言葉が何を指しているのか、タイオンはすぐに理解できた。
と同時に、ユーニに対して小さな怒りが沸き上がってくる。
今この場には他のみんなもいるんだぞ、と。
案の定、脱衣所で服を脱いでいる最中ランツが不思議そうに問いかけてきた。


「なんだよ、例のアレって」
「……ハーブティーだ。風呂上がりに淹れてやると約束していたからな」
「ふぅん」


質問してきたにも関わらず、ランツはそこまで興味がなかったらしい。
適当な嘘で納得してくれたようで、それ以上言及されることはなかった。
まさか言えるわけがない。毎晩人目を忍んで口付けを交わしているだなんて。
それがインタリンクのためだと説明すればわかってもらえるかもしれないが、行為が行為なだけにあまり口には出したくない。
それに、特にノアややランツはユーニとの付き合いも長い。
そんな彼らに知られるのは少々面倒だった。

湯船に入っている時も、体を洗っている時も、先ほどユーニから投げかけられた言葉を思い出してしまう。
 
風呂から上がったら例のアレ。
風呂から上がったら例のアレ。
風呂から上がったら例のアレ。
 
今、彼女は自分が風呂から上がるのを待っているのだろうか。
例のアレをするためだけに。
そう考えると、たまらなくなった。
心が落ち着かない。心臓が騒ぎ始める。
少し挙動不審だったのか、何度かノアに“どうしたんだ?”と声をかけられたが、“なんでもない”で乗り切った。

長風呂に浸ろうとするノアとランツを待つことなく湯船から上がると、タイオンはなるべく急いで体を拭き、服を身にまとい髪を乾かした。
決して早く例のアレをしたかったからではない。
ユーニを待たせておくのが忍びなかっただけである。
未だ湿気がぬぐい切れていない髪をバスタオルで乾かしながら、足早に談話室に向かう。
するとそこにはユーニはおろかミオやセナの姿も見当たらず、タイオンは“あれっ”と一人声を漏らした。

部屋に戻ってしまったのだろうか。
談話室に一歩足を踏み入れ中央に移動してみると、ソファに寝転がる一人の少女の姿が目に入る。
ユーニである。
どうやら寝転がっていた彼女の体がソファの背もたれに隠れて見えなかっただけらしい。
ソファのひじ掛けを枕に、仰向けですやすやと眠っている彼女を見つめ、タイオンは肩を落とした。


「なんだ、寝てるのか」


風呂に上がったら例のアレをするんじゃなかったのか。
折角急いで風呂から出てきたのに。
だが眠ってしまっているのなら仕方がない。今日のところは例のアレはナシだ。
自分から率先してしようと言ってきたのに、のんきに寝てしまうだなんて。
ともかく、このままソファで眠っていたら風邪をひく。
彼女の部屋まで運んでやった方がいいだろう。
 
そう思い、ソファで眠る彼女の前に腰を下ろしたその瞬間、ユーニが“んっ…”と小さく問い息を漏らしながら横向きに寝返りを打った。
起きてしまったのかと一瞬体を固くしたタイオンだったが、どうやらまだ夢の中にいるらしい。
少しほっとしながらも、安らかな表情で瞼を閉じているその寝顔に視線を落とす。

こうして眠っていると、いつもの男勝りな言動が嘘のようにあどけなく、それてでいて可愛らしい。
黙っていればこんなに奇麗な顔をしているのに。
そんなことを思いながら、ユーニの頬を撫でてみる。
眠っている彼女は何も言わないまま規則正しい寝息を立てている。
やっぱり、目を開けて小生意気なことを言っているほうがユーニらしいのかもしれない。
黙ったまま何も言わない彼女は、少し寂しい。

自然と目線が彼女の唇へと注ぐ。
少しだけ開いたままの、桃色がかった柔らかな膨らみを見つめ、タイオンはごくりと生唾を飲んだ。
 
そうだ。インタリンク時間延長のため、今は実験をしている最中なのだ。
一日たりとも例のアレを欠かしてはいけないのではないだろうか。
もし今日例のアレをしなかったことで、インタリンクの時間が縮まってしまったら大変だ。
したほうがいい。いや、しなくてはならない。たとえユーニが眠ったままであっても。
これは義務だ。断じて個人的な欲求などではない。

己の気持ちを必死でごまかしながら、タイオンはユーニの柔らかな唇にそっとキスを落とした。
柔らかな感触が唇に触れる。
離れるのがなんとなく惜しくなって、いつもより長く唇を押し当てていた。
 
数秒経ってようやく離れるが、やはり彼女は全く起きる気配がない。
瞳を閉じたまま寝息を立てているユーニの寝顔を見ながら、タイオンは少しだけ苛立った。
何を呑気に寝ているんだ。いつもは揶揄うように笑って急に距離を詰めてくるくせに。
いつもの仕返しだ。もう一回くらいしても罰は当たらないだろう。
 
眠っているユーニの頬に手を添えて、再び口づける。
今度はすぐに離し、再び口づける。
やがて啄むようなキスに変わり、赤い唇を食むタイオンの心は冷静さを失っていった。
彼女の唇に触れている時間が長くなればなるほど、幸福感が胸を打つ。
もっと、もっと触れていたい。
より深く長く口づければ、心は一層近づくのだろうか。
舌がユーニの唇に触れた瞬間、突然彼女が“んんっ”と身をよじりながら吐息を漏らし始めた。

まずい。
覚醒し始めたユーニの意識を感じ取り、タイオンは急いで体を離した。
その瞬間、勢い余って脇腹をソファの前に設置してあったローテーブルにぶつけてしまう。
“ゴン!”という音と共にタイオンの“んぐっ”という悲痛の声が談話室に響いた。
眠気眼を擦りながら上体を起こしたユーニの視界に入ってきたのは、激痛に脇腹を抑えて蹲るタイオンの姿だった。


「え……なにしてんだ?」
「い、いや……なんでも……っ」


かなり勢いよくぶつけてしまったため鋭く強烈な痛みが脇腹を襲う。
震える声で返事をするタイオンだったが、そんな彼にユーニは怪訝な視線を向けていた。


「こ、こんなところで寝ていると風邪をひくぞ、早く部屋に戻った方がいい」
「お、おう……」


脇腹をさすりながら苦悶の表情を浮かべ、タイオンはふらふらと談話室を去っていった。
そそくさと逃げるように去っていくタイオンの背中を見つめながら、ユーニは自らの頬に手を当てうつむく。
頬に触れた暖かな手の感触も、唇に何度も口づけてきたその感触も、ユーニはきちんと覚えていた。
起きていたのだ。タイオンがこの談話室に入ってきた時からずっと。


「何回キスすんだよ、アイツ……」


触れている頬が熱い。
顔が真っ赤に染まりきっている証拠である。
眠ったふりをしたのは、突然大声でも挙げて油断したタイオンを驚かそうとした、ちょっとした悪戯のつもりだった。
それがまさかあんなことをされるだなんて。
しかも1度だけでは飽き足らず、3回も4回も繰り返しするなんて。
これはまずい。明日、どんな顔をしてタイオンに逢えばいいのだろう。
火照った顔を冷ますように手でパタパタと仰ぎながら、ユーニは一人悶々と考え込むのだった。