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二次創作まとめ

ざまぁみろ。

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■ゲーム本編時間軸

■短編


タンタンタン。
正面に座っているタイオンの靴が、一定のリズムで地面を踏みつけていく。
他の誰かなら気にならない程度の小さな音だが、人一倍聴覚に敏感なミオにとってはあまり心地のいい音ではない。
土を踏む音が4分ほど続いた頃、ミオはようやく手にしていたフォークをテーブルに置き、タイオンに声をかけた。


「タイオン、どうしてそんなに不機嫌なの?」
「不機嫌?僕が?いたって普通だが?」


ウソだ。
先ほどから不快感丸出しの表情を浮かべ、指でテーブルを小突き、足は音を立てながら揺れている。
上機嫌ではないことは誰が見ても明らかだった。


「じゃあその貧乏ゆすりは何?」


視線を下に向け指摘したミオ。
彼女の言葉を受け、ようやくタイオンの足の揺れが収まった。
どうやら無意識にやっていたことらしい。
貧乏ゆすりは見ている人を不快にすることもある行為だ。
指摘されたことに小さな焦りを感じたタイオンは、視線を一瞬泳がせながらミオに謝罪した。


「…すまない。無意識だった」
「全然いいけど…。それよりどうしたの? タイオン、昨日から何か様子おかしいよ?」
「…別に普通だ」


昨晩、アエティア地方をめぐっていた一行は、久方ぶりにコロニー9を訪れた。
このコロニーはノアやランツ、ユーニが長い時間を過ごした特別な場所であり、ケヴェス出身の3人は数週間ぶりの帰還を心から喜んだ。
軍務長であるゼオンや副官のカイツを始めとするコロニーの仲間たちも、彼ら6人の訪問を歓迎してくれている。
 
だがコロニー9に到着した直後あたりからだろうか、タイオンの様子が明らかに変わったのだ。
妙にイライラした様子で落ち着きがなく、声をかけても生返事ばかり。
一夜明けた今日もその様子は変わらず、ウロボロスになる前から彼をよく知っているミオは密かに心配していた。
誰よりも理性的な彼だが、戦いの中に身を投じていれば心が疲弊することもあるだろう。
心の平穏が脅かされる“何か”が彼の身に降りかかったのではないか、と。

ミオが深く追求しても、タイオンが胸の内を吐露することはなかった。
むしろ誤魔化すように視線を外し、本心を隠してしまっている。
少しは教えてくれてもいいのに。
相変わらず意地っ張りなタイオンの態度に呆れた瞬間、背後から大勢の楽し気な笑い声が聞こえてきた。
 
反射的に背後を振り向くと、2,3列後ろのテーブル席にコロニー9の兵士たちが集まって談笑している。
その輪の中心に、見慣れた白い羽根が見えた。ユーニである。
コロニー9の男連中と一緒に談笑している彼女は、大きな口を開けて楽しそうに笑っている。
久しぶりに会った仲間たちと、思い出話でもしているのだろう。

ユーニたちから視線を戻すと、正面に座っていたタイオンはまた不機嫌丸出しの表情に戻っていた。
その表情を見て、察しのいいミオは気が付いてしまう。
もしやタイオンの不機嫌の原因は、背後で繰り広げられているあの光景にあるのではないかと。


「ユーニ、楽しそうね」
「…そうだな」
「ノアも言ってたけど、コロニー9の人たちはユーニたちにとって本当に大事な仲間なのね」
「……」
「でもそんなに気にしなくてもいいと思う。ユーニのパートナーはタイオンでしょ?」
「何が言いたいんだ君は」
「そんなにやきもち焼かなくてもいいのにってこと」
「なっ…」


眼鏡の奥で、瞳が大きく見開いた。
タイオンの性格を深く理解しているミオにはよくわかる。
この反応は図星だ。
“そんなんじゃない!やめてくれ”と言いながら、手元の芋料理に手を付けるタイオン。
けれどその手はすぐに止まり、吸い込まれるようにミオの背後へと視線を向けていた。
その視線の先にいるのは、コロニー9の兵士たちに囲まれたユーニの姿。
輪の中心で笑う彼女を見つめるタイオンの目は、どこか寂しそうだった。

本人は否定しているが、どうしようもなく分かりやすい彼の態度に、ミオは密かに苦笑いを零すのだった。


***

月が空の真上に登った頃。
コロニー9の風呂は人で溢れていた。
立ち上る湯気に顔をほころばせながら、ランツは熱い湯の中に体を浸していく。
“ふぃー”と気の抜けた声を出しながら肩まで浸かれば、旅の疲れが湯に溶けていくようだった。


「やっぱりコロニー9の風呂が一番落ち着くぜ。お前もそう思うだろ?タイオン」
「どこの風呂も同じだ。そう変わらない」


隣で湯に浸かっていたタイオンに同意を求めたランツだったが、素っ気なく返されてしまった。
タイオンにとって、コロニー9に限らずケヴェス陣営の風呂は等しく居心地が悪い。
胸に輝くコアクリスタルを物珍しそうにじろじろと観察されることが多いからだ。
コアクリスタルの存在は、アグヌスの人間にとっては常識でも、ケヴェスの人間にとっては異質なものにしか見えない。
好奇の目で見てくるその視線に、アウェー感を感じずにはいられないのだ。

今日もまた、周囲の人間からの視線に落ち着けずにいるタイオンだったが。
隣にいるノアも、珍しくきょろきょろと周囲を見渡し落ち着かない様子だった。
そんな様子に、ランツが声をかける。


「なんだよノア。きょろきょろして」
「いや、男しかいないなぁと思って」
「あぁ。風呂の時間を男女でずらすことにしたってゼオンが言ってたぜ。別々にして欲しいって声が多く挙がったんだってな」
「だから男しかいないのか」


ランツの言葉に、ノアは納得したように頷いた。
ウロボロスの力を得た6人が命の火時計を破壊した影響は、さまざまな場面で如実に合わられている。
風呂の問題もその一つだ。
今までは男女一緒に入浴するのが当たり前だったが、命の火時計から解放されて以降、別々に入浴する方針に切り替えたコロニーがほとんどだった。
このコロニー9も、男女別で入浴する方針に転換したコロニーのうちの1つである。


「なーんか、今では考えられねぇよな。男も女も一緒に風呂入ってたなんて」
「あぁ。これも命の火時計から解放された影響なんだろうな」


両脇で繰り広げられるノアとランツの会話を聞きながら、タイオンは湯船の湯を両手で掬い上げ、勢いよく顔を擦った。
癖毛な髪が濡れて、額に張り付く。
眼鏡をしていないせいで視界がぼやけているが、湯気が立ち上っているため元々視界は悪いのだろう。
まだウロボロスになる前、ノアやランツはこの風呂で毎日戦闘の疲れをいやしていたのか。
ノアやランツだけではない。ゼオンも、カイツも、そしてユーニも。


「…ユーニも一緒になることはあったのか?」
「あったもなにも毎日一緒だったぜ。同じ特務だったからな。なぁノア?」
「あぁ。いつも戦闘があった日はどっちが活躍してたかランツと言い合ってたっけ」
「懐かしいよな。そういえば覚えてるか?ユーニの奴、昔この風呂場でカイツと大喧嘩したんだよな」
「覚えてるよ。確か大事にとっておいたアルマの携行食をカイツに食べられたとかで…」
「そうそう!ユーニのやつムキになってカイツと取っ組み合いになったんだよな、お互い素っ裸で」
「あれは大笑いしたな」


思い出を語り笑いあうノアとランツ。
だが、タイオンはどうもその話を“愉快な話”とは受け取れなかった。
この湯船の奥で、ユーニが服を脱ぎコロニー9の男衆と一緒に湯に浸かっている光景を想像すると、胸がむかむかしてくる。
これ以上聞いていたくない。
自分から質問を投げかけたというのに、“もう何も言うな”と耳を塞ぎたくなってしまった。
この不快感は一体なんだ。
答えが出ないまま、タイオンは衝動に身を任せて勢いよく湯船から立ち上がった。


「もう出るのか?」
「……あぁ」


問いかけるノアに、タイオンは短く返事をして湯船から出て行ってしまった。
足早に風呂場を後にするタイオンの背中を見つめながら、残されたランツは首を傾げる。


「あいつ、昨日あたりからなんか変じゃね?妙に口数少ないというか」
「そう…だな」
「体調でも悪いのかねぇ」
「どうだろうな」


不思議そうな眼差しでタイオンの背を見つめるランツに、ノアは曖昧な返答をした。
タイオンの機嫌が悪い原因に心当たりがないわけではない。
だが、明確な確証もないのにそれを口にするのは憚られる。
下手をすれば、タイオンとユーニの関係に亀裂が入ってしまう可能性もある。
ここは本人たちに任せて、口出しは避けるべきだと判断したのだ。


「まぁ、難しいんだろうな。男と女って。違う生き物みたいなものだし」
「はぁ?なんだそれ。男も女も同じ人間だろ」


ランツの真理を突いた一言に、ノアは思わず笑ってしまった。
確かにその通りだ。
命の火時計から解放されるまでは、ノアもそう思っていた。
けれど、エヌの記憶を垣間見てからはどうも男と女が同じ生き物だとは思えなくなっていた。
体のつくりも、ものの考え方もそっくりそのまま同じなら、こんなに複雑な感情は抱かなかっただろう。
こうして風呂の時間を分けることもない。
ノアとミオも、ランツとセナも、そしてタイオンとユーニも、どう足搔こうと男と女であることに間違いないのだ。
未だノアの言葉が理解できず頭にハテナマークを浮かべているランツの横で、ノアはミオの顔を思い浮かべていた。


***

体を拭いている時も、服を着ている時も、髪を乾かした後も、心に広がる霧のような靄は晴れなかった。
眼鏡をかけて視界がクリアになってもなお、自らの心が澄み渡ることはない。
ただ無意味にイラついて、いらない想像を働かせては気分が悪くなるという繰り返しだ。
こんなのは不毛だ。らしくない。
そう自分に言い聞かせても、考えずにはいられなかった。


「あれっ、タイオン。何してんだ?」


ゼオンからの厚意で用意された天幕にて一人、瞳の機能を開いていたタイオンは、外からやってきた彼女の姿に少しげんなりした。
ユーニ。今、彼女とはあまり話したい気分ではない。
だがそんな本音を素直にぶつけるわけにもいかず、タイオンは彼女に視線を合わせることなく淡々と返事をすることにした。


「明日以降の経路を考えている。明日にはコロニー9を発とうとノアに提案するつもりでいたからな」
「えっ、もう出発するのか?昨日付いたばっかりだぞ?」
「一日滞在していたのだから十分だろう」


随分と強硬なスケジュールに、ユーニは思わず驚いた。
いつもコロニーに到着すると、数日は滞在することになる。
そのコロニーの住人たちの困りごとを聞き、解決のために奔走するのも、ウロボロスの力を得た自分たちの役目だ。
昼間のうちにコロニー9の仲間たちと話していたユーニは、彼らから多くの困りごとを聞いていた。
それをまだ何一つ解決していないのにコロニーを出立してしまうのは、相談を持ち掛けてきた彼らに申し訳ない。


「いやいや。さっきコロニーの奴らから色んな困りごと聞いてきたんだよ。せめて解決してやってから出発じゃダメなのか?」
「困りごとが出てくるたびに手を貸していくつもりか?僕たちは便利屋じゃない。世界のためにもメビウス討伐を最優先に考えるべきだろう」
「それはそうかもしれないけどさ…」


タイオンの言葉は正論だった。
ウロボロスの役目は、メビウスを倒し世界に正しい秩序をもたらすこと。
こうしている間にも、戦いの中で死んでいく命は後を絶たない。
一刻も早く目的を達成しなければならない。ユーニもそれは理解できていた。
だが、だからと言ってかつての仲間たちを放ってはおけない。
口のうまいタイオンを何とか説得できないだろうかと考え込むユーニだったが、一方のタイオンそんな彼女に一切視線を向けず、瞳の機能を切断した。


「…そうせ、君の個人的な贔屓だろう」
「は?」
「ここは君たちが所属していたコロニーだ。ここの連中を贔屓目で見るのは分かる」
「贔屓って、別にアタシは…」
「ここに長く留まりたいのも、実のところ君にとってこのコロニーは居心地がいいからなんだろう。ここを出発すればまた闘いの日々が待っている。その現実からなるべく距離を置きたいだけだ」
「……」
「ぬるま湯に浸かっていれば、いつまでも心地よくいられるからな」


冷たく言い離れた言葉は、二人きりの天幕に鋭く響く。
何も言わない、何も否定してこないユーニが恨めしい。
“違う、そうじゃない”
“贔屓なんてしていないし、特別視もしていない”
そう言ってくれればそれでよかった。
そうすればきっとこの心の靄も晴れて、“そうかそうか”とおとなしく納得できただろう。
 
ユーニの限られた“特別”という枠に、コロニー9の者たちが鎮座している事実が腹立たしい。
だって、彼らは自分の知らないユーニを知っている。
自分とで巡り会う前からユーニを知っている。
そんな強いつながりを持った者たちとの間に、自分が入り込めるわけがない。
だから狡いと分かっていても否定させたかったのだ。
彼らは“特別”などではない、と。


「……悪いかよ」


だが、ユーニという人物はタイオンと思い通りに言葉を選ぶほど容易い人間ではない。
どれだけ糸を引いて操ろうとも、思い通りにはいかない。
うつむき加減で呟かれたのは、タイオンが待ち望んだ否定の言葉などではなく、肯定の言葉だった。


「贔屓して悪いかよ!特別視して悪いかよ!ここはアタシのコロニーだ。家みたいなものなんだよ。戦いの中で少しでも心休まる場所にいたいと思って何が悪い!」


喚くように放たれた言葉は、タイオンの心の柔らかい部分を抉っていく。
彼女の口から一番聞きたくない言葉だった。
大切だとか特別だとか、彼女がそんな感情をこのコロニー9の者たちに向いていると思うと腹が立つ。
こちらにはそういう感情を向けないくせに、彼ら相手には何故、何故——


「まるで僕たちといたら心休まらないとでも言いたげな口ぶりだな」
「そうじゃねぇ!そうじゃねぇけど…」


視線を外し、拳を握るユーニ。
彼女から感じる怒りの炎が、次第に沈下していくのが分かる。
ちらりとユーニの方へ視線を向けると、うつむく彼女の瞳からは怒りが消え、代わりに悲しみの色が濃くなっていた。
そして、小さく震えた声色で彼女は言った。


「少なくともあいつらは、アタシから居場所を奪うようなことは言わない」


その言葉に、タイオンはハッと息をつめた。
焦って顔を上げると、ユーニは柄にもなく瞳を揺らして悲しみをこらえている。
“居場所を奪う”
ユーニを強引にコロニー9から遠ざけようとしたタイオンの言葉は、彼女の言う通り居場所を奪う行為だ。
衝動的に口走ってしまった本心に、タイオンは初めて後悔の念を抱いた。
だが、一度口から出てしまった言葉はもう元には戻せない。


「ユーニ!お風呂一緒に——あれ、ど、どうしたの?」


明るく笑顔を振りまきながら天幕に入ってきたのは、セナだった。
ユーニを風呂に誘いに来たらしい。
だが、すぐに天幕の中の空気がひりついていることに気付き、たじろいでしまう。


「なんでもねぇよ。行こうぜ、セナ」
「う、うん…」
「ゆ、ユーニ!」


咄嗟に立ち上がって彼女の名前を呼んだが、ユーニは振り返ることなくセナの腕を掴んで出て行ってしまった。
天幕に残されたタイオンは、そのまま力なくパイプ式のベッドに腰を下ろす。
 
余計なことを言ってしまった。あんな言い方はあんまりじゃないか。
怒るのも無理はない。
頭を抱えて項垂れるタイオンの脳裏に浮かぶのは、彼の言葉を受けて悲し気にうつむくユーニの顔。
あんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
後悔に苛まれながら、タイオンは深いため息を零した。


***

翌朝。
けだるい体にムチ打ちながら上体を起こすと、自分以外の仲間たちはまだ寝息を立てていた。
天幕の中を見渡すと、一つだけからのベッドが目に付く。
ユーニが寝ていたベッドである。
どこへ行ったのだろうか。気になったタイオンは、サイドチェストの上に置いてあった眼鏡を手に取り、そっと天幕から抜け出した。

天幕から出ると、遠くに食堂が見える。
その一席に、彼女の姿はあった。
あの白く美しい羽根はよく目立つ。
彼女は、タイオンの知らないコロニー9の兵たちとまた談笑していた。
何を話しているのかはここからでは聞き取れない。
だが、きっと愉快な話なのだろう。
リラックスした表情で楽し気に笑っていた。
昨晩自分と話していた時はあんなにも悲し気な顔をしていたというのに、彼らと話すときはそんな笑顔を見せるのか。
遠くで自分ではない誰かと笑いあうユーニの姿に、タイオンの心はまた黒い靄でおおわれ始めていた。


「楽しそうにしてるな、ユーニ」


不意に背後から声をかけられた。
驚き、肩を震わせながら振り返った先にいたのは、ノアだった。
長く黒い髪を両手で結びながら歩み寄ってきた彼は、たった今目を覚ましたばかりのようである。


「コロニー9にいた頃、ユーニはいつもあんなふうに誰かに囲まれてた。さっぱりした性格だし、優しくて話しやすいから、男女問わず人気だったんだよ」
「……それがどうした?僕には関係のない話だろう」
「パートナーとして、コロニー9の皆をうらやましいとか思ったりしないか?」
「うらやましい?僕が?ありえないな、そんな感情」


ウソだった。
本当は心の底からうらやましい。
ユーニから必要とされているコロニー9の連中が。
ユーニから特別だとまで言わせたコロニー9に連中が。
ユーニの笑顔を引き出せるコロニー9の連中が。
心の奥では自覚しつつも、口には出せそうもない。
一度口に出してしまったら、認めてしまったことになるから。
天邪鬼なタイオンは、この期に及んでもなお自らの本心を素直に吐露しようとはしなかった。


「俺はうらやましかったよ。タイオンが」
「え?」
「だって、俺の知らないミオをたくさん知ってるから」


タイオンが必死で隠していた醜い本心を、ノアはさらりと打ち明けて見せた。
そのあけすけな物言いに、タイオンは驚きを隠せない。
しかも羨ましいと思う相手が自分だなんて。
驚くタイオンを横目に、ノアは顔色一つ変えずに言葉をつづけた。


「ミオにとってタイオンやセナは特別なんだと思う。コロニーガンマで一緒に頑張ってきたわけだし、俺がミオと知り合う前から、ふたりはミオのそばにいた。俺の知らないミオの顔をたくさん知ってるんだろうなって羨ましくなる。嫉妬してるんだろうな、たぶん」
「嫉妬……」


ノアとミオは、過去のこともあり揺るがない絆で結ばれている者だとばかり思っていた。
だが、実際は自分とユーニと同じ、ただの男と女。
信頼はしているかもしれないが、関係に不安を抱くこともあれば嫉妬心を持つこともある。
ノアが吐露した本心は、タイオンにも覚えがあった。
自分よりもユーニのことを知っているであろうコロニー9の者たちへと薄汚い感情。
必死で見ないふりをしていたが、これは確かに、嫉妬だ。

そうか、僕は嫉妬していたのか。
無様なものだ。

心の中で自分を嘲り笑うと、ほんの少し心が軽くなった気がした。


「君が嫉妬するようなことじゃない。君に出会ってからミオは変わった。彼女は僕やセナには見せない、ノアだけに見せる顔をいくつも持っている。僕からしてみればノアの方がよっぽどミオの特別に値すると思うがな」


タイオンの言葉はすべて本心だった。
ミオは自分やセナに見せなかった弱味をノアにはさらけ出していた。あの強がりなミオがだ。
その光景を間近で見ていたタイオンは、ノアがミオにとってどれだけ大切な存在かよくわかっている。
 
自分やセナ、そして他のコロニーガンマの仲間たちでは太刀打ちできないほど、ノアという存在はミオの中で大きなものとなっているのだ。
振り返って背後の天幕へと視線を向けると、すやすやと眠っているミオの姿が目に入る。
その様子を眺めていたタイオンを横目に、ノアは柔らかな笑みを零した。


「ユーニも同じだよ」
「うん?」
「タイオンと話している時のユーニは、俺やランツと一緒にいるときとは違う顔をしてる。あれはきっとタイオンにしか見せない顔だ。ユーニにとってのタイオンもきっと特別なんだよ」
「ノア…」


ユーニとはまだ出会って半年も経っていない。
そんな短い期間では、彼女のすべてを知り得ることなどできない。
ノアやランツの方が、ユーニという人物のことを深く理解しているはずだと思っていた。
ユーニの中にある“特別”という名の座席はもうすでに埋まっていて、自分の座る場所などないのだと。
だが、ノアの言葉はそんなタイオンの下向きな幻想を打ち壊してゆく。
本当にそうなのだろうか。ユーニにとっての自分は、ノアやランツ、コロニー9の者たちと同等に“特別”足り得ているのだろうか。
遠くで談笑しているユーニの姿に、タイオンは目を細めた。

ユーニ、君にとって僕は特別なのか…?


「ノア、タイオン。ここにいたか」


天幕の前で立ち話をしていたノアとタイオンに声をかけてきたのは、軍務長のゼオンだった。
いつも以上に鋭い瞳をしている彼は、妙に切羽詰まった様子で駆け寄ってきた。
彼がまとう緊張感を察した2人は、一瞬だけ顔を見合わせてすぐにゼオンへと向き乗る。


「どうした?ゼオン
「少し話がある。軍務調質に来てくれないか?」


***


ゼオンの要請に従い、ノアとタイオンは未だ眠っている仲間たちを急いで叩き起こした。
速足で軍務調質に駆け込むと、そこには副官のカイツも深刻そうな顔をして待機している。
どうやらなにか不味い事態が起こっているようだ。
数分遅れて、野外食堂でコロニーに仲間たちと談笑していたユーニも軍務長室に駆け込んでくる。
一瞬だけ彼女と目が合ったタイオンだったが、すぐに逸らされてしまう。
そんなに露骨に目を逸らさなくてもいいだろう。
心の中で悪態をつきながら、タイオンは自分たちを集めたゼオンへと視線を戻した。


「それで、用件は?」
「つい先ほど斥候から連絡が入った。不治ヶ原方面からアグヌス軍が此処に向かって進軍しているようだ」
「なんだって!?」


軍務長席に腰かけ、机に肘をつき手を組んでいるゼオンの表情は真剣そのものだった。
命の火時計から解放されたとはいえ、戦と無縁になったというわけではない。
未だキャッスルの指揮下にあるコロニーからは反逆の徒とみなされ、襲撃を受けることもしばしばある。
また、同じく命の火時計から解放されていないアグヌスの軍から狙われることも少なくない。
今回の侵攻も、キャッスルからの支援に頼れなくなったコロニー9の現状を理解したうえでの侵攻だった。
つまり、弱っているところを強襲された形である。


「敵の数は?」
「詳細はまだ来てないが、レウニスが十数台だ。明らかにこのコロニー9より兵力は上だろうな…」


カイツの言葉に、セナが不安そうな声と表情で“そんな…”とつぶやいた。
コロニー9は軍務長が代替わりした影響で未だ人事に穴があるうえ、キャッスルからの支援物資が途絶えているため戦力も全盛期に比べて明らかに落ちている。
現在まともに動かせるレウニスは10台もなく、戦える兵の数も少ない。
この状況で、十数台ものレウニスを擁するアグヌスの大軍を真っ向から迎え撃つのは明らかに分が悪かった。


「ノア、お前たちの力を借りたい。コロニー9防衛に協力してもらえないか?」
「当然だ。協力するよ、ゼオン
「けどよ、いくら俺たちがいたって流石に十数台のレウニスを一度に相手にするのはきついぜ」
「そうね。何か策を立てないと…」


ランツの言葉に賛同したミオが腕を組み、何かいい案はないかと考え始めるが、残念ながらなにも浮かんではこなかった。
ウロボロスの力は強大だが、万能というわけでもない。
インタリンクできる時間に限りがある以上、最強の力とも言い難いだろう。
十数台のレウニスと正面から戦うこととなれば、必然的に戦闘は長期化する。
防衛側であるコロニー9にとって、戦闘が長引くことはデメリットしか生まないのだ。


「タイオン。何かいい案ないか?」


どうしたものかと考え込む一行。
一番最初に沈黙を破ったのはユーニだった。
まさか彼女が自分に話を振ってくるとは思わず、タイオンは思わず目を見開いた。


「何故僕に聞く?」
「だって、こういうことはお前が一番頼りになるだろ?」
「……」
「頼むよ、タイオン」


正直、あまり気は進まなかった。
昨晩派手な言い合いをしたというのに、こういう時にだけ頼るのか、と。
だが、目の前にいるユーニは縋るような瞳でタイオンを見上げている。
そんな顔をされたら、断れなくなる。
元々ウロボロスの一員としてこのコロニーを見捨てるつもりもなかったが。
複雑な心境を抱えながら、タイオンは大きくため息を零す。
もう、どうにでもなれだ。


「兵力に差があるのなら、正面からやり合うのは得策ではない。奇襲作戦で行くべきだ」
「具体的には?」


ゼオンの追及を受け、タイオンは瞳の機能を開いた。
そんな彼の行動を目にした一行も、各々自分の瞳にアクセスし、コロニー9周辺の地図を開く。


「不治ヶ原方面から進軍してきているのなら、必然的にこの狭い渓谷を通ることになるだろう。数十台のレウニスがここを膨らんだ隊列で進むのは厳しい。必ず一列の長蛇陣となるはずだ。渓谷の崖上に少数の兵を配置し、タイミングを見計らって一気に逆落としをしかける。この渓谷には池があり足場も悪い。そんな場面で急襲されれば陣は崩壊。瓦解する」


タイオンが即座に立てた奇襲作戦は、理にかなったものだった。
不治ヶ原からコロニー9にかけて道程には、確かに道幅が細くなっている渓谷がある。
あの場所を同時に十数台のレウニスが通るのは難しいだろう。
長く伸び切った陣形に真ん中から切り込みを入れるような強襲を仕掛ければ、陣は二つに割れ、統率力を失った軍はあっという間に大混乱に陥るはず。
タイオンが淡々と述べる策を聞きながら、一行は“なるほどなるほど”と頷いていた。


「待て。この渓谷はかなり急な崖だ。ここから奇襲を仕掛けるというのか?」
「急な崖だからこそ効果的だ。敵もあそこから強襲されるとは思わないだろうから不意を突ける」
「もし混乱に陥る前に撤退を開始したらどうする?」
「そうならないよう、奇襲を始める前に少数の別動隊を背後に回らせる。がけ崩れを起こして退路を塞いでしまえばあとは仕留めるだけだ。そのためにも、正面でコロニーを守る部隊は派手に暴れて敵の目を惹きつける必要がある。別動隊と奇襲部隊の存在が気取られないようにな」


すべてを話し終えたタイオンは、静かに瞳の機能を切断する。
彼の策を聞き終えたゼオンは、“よしそれでいこう”と深く頷いた。
副官のカイツも、そんなゼオンと顔を見合わせ頷いている。
アグヌス軍の到着まであまり時間がない。
最も激戦となると予想される正面は、ゼオン指揮の下ノアとミオ、そしてランツとセナが担当することとなった。
敵の退路を塞ぐ役目は、タイミングが重要であるため策を練った本人であるタイオンが受け持つことに。
そして、肝心の奇襲部隊はカイツが率い、副将としてユーニが下に着くこととなった。
各々配置と役割を確認し、あわただしく軍務長室を出ていく。
タイオンも急いで配置につこうと部屋を出ようとしたその時、背後からユーニの声で“タイオン”と名前を呼ばれた。


「ありがとな」


それだけ言って、ユーニは他の仲間たちの背を追い軍務長室から出て行った。
いつもの彼女らしくない、控えめな笑顔。
余裕のないその表情は、不安で満ちているようだった。
そんなにこのコロニーが大事なのか。
複雑な思いがタイオンの中で渦巻く。
例えば自分が窮地に陥ったとして、彼女はあんな顔をしてくれるのだろうか。
そんな不毛なことを考えながら、タイオンは軍務長室を後にした。


***


崖下を覗き込めば、腹の奥からすぅっとした恐怖感が駆け抜けていく。
真下へころころと転がっていく小石を見つめながら、ユーニはごくりと唾をのんだ。
昔から高いところは苦手だった。
下を覗き込むだけで震えがくる。
ランツには“そんな大層な羽根つけてるのに高いところ無理なのかよ”と笑われたこともあったが、この羽根で空を飛べるわけでもないから関係ないだろう。
それに、きっと飛べたとしても高所に怖気づき、まともに飛ぶことなど出来なかったと思う。
それほどまでに、ユーニは高いところが苦手だった。


「なんでアタシが奇襲部隊なんだよ…」


崖下を見ないようにまっすぐ視線を見据えたまま、ユーニはつぶやいた。
あと数十分もすれば、この崖の下を滑り降りてアグヌス軍を強襲しなくてはいけなくなる。
高所が苦手なユーニにとっては非常に憂鬱な状況であった。


「タイオンの奴、アタシが高いところ苦手なの知ってるはずなのに。絶対嫌がらせだろこの人員配置」


この奇襲作戦を立てた張本人であるタイオンの顔を思い浮かべながら悪態をつく。
彼とは昨日言い合いをしたばかりで、少々気まずい状況だった。
きっとこれは昨日の当てつけに違いない。
コロニー9を救うため策を講じてくれたのはありがたいが、この人員配置には納得が出来なかった。
むくれていたユーニの横で携行食を頬張っていたカイツが、崖下を覗き込みながら口を開く。


「別にいいだろ?正面部隊や退路を塞ぐ別動隊よりは楽なんだから」
「楽かぁ?」
「楽だろ。正面部隊は奇襲が成功するまで大軍相手に粘らなくちゃいけないし、別動隊は退路を塞ぐ前に敵に見つかりでもしたらアウトだ。その点俺たちは敵を混乱に陥れるのが仕事だからな。戦闘に参加する時間は比較的少ないし割と安全だ」
「そういうもんかねぇ」
「奇襲作戦においては奇襲部隊が一番被害少なく済むんだぞ?教本にも載ってただろ」


“多分アグヌスの教本にも載ってるハズ”
そう言って、カイツは手の中にあった携行食を口の中に放りこんだ。
そういえば座学でそんなことを習ったような気がする。
奇襲部隊は責任重大であるとともに受ける被害が小さいため、基本的に指揮官が務めることが多いと。
教本に従えば、今回の指揮を執っているタイオンが奇襲部隊を率いるのが筋だ。
だが、何故かあてがわれたのは自分。
むしろタイオン本人は、敵と遭遇する確率が高い別動隊に参加していた。

まさか、アタシを危険な目に逢わせないため?

いやいやまさか。考えすぎだ。
昨日言い争ったばかりのタイオンがそんなことをするはずがない。
きっとたまたまだ。そうに違いない。


「ユーニ、見ろ」


不治ヶ原方面に視線を向けいてたカイツが、ユーニの肩を叩いて遠くを指さした。
彼の指さす先にいたのは、ゆっくりと渓谷に向かって進軍してくるアグヌスの大軍。
たくさんのレウニスを従えたその軍は、タイオンの読み通り細い渓谷に入るため一列の長大な陣を敷いていた。
この列を中央から分断するように奇襲すれば、敵は混乱し陣形は崩れるだろう。
 
アグヌス軍の先頭が渓谷に侵入し始め、そろそろ奇襲の時かと沸き立っていたその時だった。
ユーニは、自分たちがいる崖上より数メテリ下の岩肌に、少数のアグヌス兵が進軍している姿を見つけた。
部隊はざっと見て10人ほどだが、真上にいるユーニたち奇襲部隊の存在には気付いていないようだ。


「おい、あれ…」
「アグヌスの補給兵か?なんで逆走してんだ?」


補給兵とみられる兵士たちは、コロニー9方面へ進軍する本隊とは逆に、不治ヶ原方面へと進んでいた。
まるで逆走するかのような彼らの行動に、ユーニは危機感を覚えた。
 
まずい。このまま引き返されたら、タイオン率いる別動隊とかちあってしまう。
退路を塞ごうとしていることが看破されればタイオンの策は成らず、それどころか別動隊は引き返して来るであろうアグヌス軍本隊とぶつかる羽目になるだろう。
機動力を優先し少数の兵しか連れていないうえ、傍にユーニがいないためウロボロスにもなれないタイオンにはかなり厳しい状況になってしまう。

アイツが危ない。

下の層を走るアグヌスの補給兵を見下ろしながら、ユーニは一人走り出す。


「お、おいユーニどこ行くんだ!? もうそろそろ奇襲の時間だぞ!?」
「悪いカイツ!ここは任せた!タイオンの策、無駄にするわけにはいかねぇんだ!」
「待て戻れユーニ!いくらなんでも一人じゃ…!」


背後から引き留めようと必死に声を張るカイツ。
しかし、その声がユーニの足を止めることはなかった。
全力で走り出したユーニは、恐怖感も忘れて崖を滑り降りていく。
砂塵を舞い上げながら着地した場所は、進軍するアグヌスの補給部隊の目の前に立ちはだかった。


「な、なんだお前は!」
「ケヴェスの兵か!?」


突如上から飛び降りてきたユーニに驚き、戸惑いながらもブレイドを構えるアグヌス兵たち。
まだ命の火時計から解放されていない彼らの瞳には、わずかに灯る命の炎が揺らめいている。
アタッカーが5人。ディフェンダーが3人、ヒーラーが2人。
合計10人からなるその部隊を前に、ユーニはブレイドを構えた。
ヒーラーである彼女が10人もの兵士を相手にするのは厳しい。
だが、引くわけにはいかなかった。
コロニー9の仲間のためにも、そして、この先で指揮をとっているタイオンのためにも。


「ここから先はいかせねぇ!アタシが相手だ!」


気勢をあげ、ユーニはアグヌス兵に向かってエーテルキャノンを撃ち込んだ。


***


タイオンが打ち立てた策は上々に機能した。
意図的にがけ崩れを起こして退路を塞いだタイミングも、奇襲のタイミングも、何もかもが上手くいった。
正面部隊の奮戦と奇襲部隊の迅速な行動によりアグヌスの大軍は壊滅。
コロニー9への侵入を見事防ぐことができた。
タイオンがコロニーへと戻ると、勝利の余韻に浸っている兵士たちが互いの健闘をたたえ合い、喜びを分かち合っていた。


「お疲れ様、タイオン」


ノアを始めとする正面で奮戦していた面々に出迎えられる。
彼らは全員衣服を泥で汚しており、正面での戦闘がどれほど苛烈なものだったのかがありありと伝わってきた。
見渡してみると、コロニー9の鉄巨神にも、コロニーの外にある畑にも戦闘の被害は及んでいないことがわかる。
完全勝利をもぎ取れたことに安堵するタイオンに、ゼオンが右手をそっと差し出してきた。


「全部タイオンの作戦のお陰だ。本当にありがとう」
ゼオン…」
「アグヌスと戦っていた頃、お前が率いるコロニーとぶつからなくてよかった。きっとその智謀に翻弄されていただろうからな」


いつもの落ち着いた声色のゼオンだったが、その時ばかりは彼の声は喜びに跳ね上がっていた。
そんな彼の右手を握り返せば、強く握られ力強く握手が交わされる。
クールであまり感情を表に出さないゼオンらしくない態度に、背後で見ていたランツは“明日は槍でも降るんじゃね?”と笑った。
そんなランツをむっと睨みつけているゼオンの脇から、他の兵士たちがこぞって集まりタイオンに次々と礼を伝えていく。

“ありがとう”
“お前のお陰だ”
“すごいんだな”
“感謝してる”

口々に繰り返される礼と賛辞の言葉に、タイオンの胸は締め付けられていった。
彼らは知らないのだ。タイオンがコロニー9を救うことにほんの小さなもやもやを抱えていたことを。
礼を言われるたび、罪悪感が募っていく。
何故あんなあさましい感情を抱いてしまったのだろう。ユーニに愛されているこのコロニーの者たちが羨ましいだなんて。
こんな感情を抱いていたと知ったら、コロニーの者たちも、仲間も、そしてユーニも失望するだろう。

そう考えたところで、肝心なことを思い出した。
奇襲部隊はどこにいるのだろう。
この戦闘が上手くいったのも、奇襲部隊が活躍してくれたおかげだ。
早く無事を確認したい。


「ノア、ゼオン。ユーニは…あ、いや。奇襲部隊はどこに?」
「それならさっきカイツが…」
「あ、いた!」


カイツの名前が出た瞬間、遠くで名前が挙がった当人がこちらに向かって走ってきた。
傍らにユーニはいない。
随分と必死な形相で、額に汗をかきながら走る彼の様子を見て、タイオンはなんだか嫌な予感を抱き始めていた。
そして、その予感は現実のものとなる。


「大変だ!ユーニが……ユーニが…!」


絶望の色を浮かべたカイツの表情と声色に、一行は驚き息を詰まらせる。
最悪の事態が頭をよぎる。
カイツの言葉を最後まで聞く前に、タイオンは駆け出していた。
向かう先は医療天幕。ケガをしているというのなら、ここに運び込まれているはずだ。


「ユーニっ!!」


閉まりきっている天幕に手を伸ばし、勢いよく開け放つ。
息を乱したタイオンの視界に飛び込んできたのは、上半身裸の状態でこちらに背を向け医療班の女性兵に包帯を巻いてもらっているユーニの姿だった。
ユーニの白い肌を見つめ、固まるタイオン。
突然入ってきたタイオンを見つめながら目を見開くユーニ。
3秒間ほど脳の処理が追い付かなかったタイオンは、一拍遅れてようやく状況を理解した。
あ、まずい。
そう思っても時すでに遅し。
ユーニの包帯を巻いていた医療班の女性兵が烈火のごとく大きな叫び声を挙げた。


「うわぁぁぁ!なに勝手に入ってきてるんですか!」
「えっ!あ、いやこれは…!」
「とっとと出て行ってください!」
「ぐあっ!」


女性兵の容赦ないパンチがタイオンの腹にヒットする。
後ろに吹き飛んだタイオンの顔を、ようやく追いついたノアたちがのぞき込む。
“ふんっ”と鼻を鳴らし、女性兵は天幕を勢いよく閉めてしまった。


「だ、大丈夫?タイオン。ものすごい勢いで吹き飛んでたけど…」
「流石にいきなり天幕に入るのはちょっとだめだと思うよ?」
「い、いや、だって、僕はてっきり…」


両脇から体を支えてくれたミオとセナの言葉に、タイオンは再び狼狽える。
カイツの切羽詰まった言い方を聞けば、ユーニが危篤状態に陥っていると思い込んでも無理はないだろう。
意識を失い、生死の境をさまよっているものだとばかり思い込んでいた。
だが実際は意識もはっきりしており、ベッドから起き上がれる程度には元気があるらしい。
コロニー9の長たる軍務長、ゼオンは、副官の慌て具合を思い出し深くため息をついた。


「カイツ、お前の伝え方に問題があるぞ」
「いやいや。俺が運び込んだ時にはホントに危なかったんだって!気を失ってたし…」
「そもそもどうしてユーニはそんな怪我を?他の奇襲部隊はそこまで被害を受けていなかったと思うが…」


ノアの問いかけに、カイツはぽつりぽつりと事情を話し始めた。
奇襲寸前に逆走したアグヌス兵たちを発見したこと。
タイオン率いる別動隊の存在が看破されるのではと危惧したこと。
止めようとしたが、ユーニが単身アグヌス兵たちの足止めに動いたこと。
たった独りで10人ものアグヌス兵を足止めし、結果的に気を失うほどの怪我を負ってしまったことを。


「ユーニの奴、無茶しやがって…」


閉じた天幕の向こうにいるであろうユーニを見つめながら、ランツが小さく呟いた。
その呟きを横で聞きながら、タイオンはこぶしを握りこむ。
この勝利は、何もかもうまくいった完ぺきなものだと思っていた。
だが、裏でユーニが命の危機に身を晒しながら作戦の成功を守ろうとしていたとは知らなかった。
これでは、完ぺきな勝利とは言えない。
ユーニの犠牲の上に立つ勝利など、本当の勝利とは言えない。


「ユーニさぁ、気を失ってるとき、ずっとうわ言みたいに“タイオン、タイオン…”って呟いてたんだ。だからとにかくタイオンを連れてこなくちゃと思って…」
「えっ…」


カイツからの思わぬ言葉に、タイオンは顔を挙げた。
戦場の片隅で気を失い倒れているユーニをいち早く見つけ、コロニー9の医療天幕に運び込んだのは同じじ奇襲部隊に配置されていたカイツだった。
力の抜けた彼女の体を背負って運んでいる時、耳元で何度も聞こえてきたのだ。
タイオンの名前を囁くユーニの声が。
助けを求めるように囁かれたその声に従い、カイツは必死でコロニー9の中を駆け回ってタイオンを探し、切羽詰まった様子で状況を伝えに来たというわけだ。

ユーニが、僕の名前を…?
その事実を聞いた瞬間、タイオンの胸の中にあたたかいものが広がっていく。
こんな感情、ユーニが怪我を負った今抱くべきものじゃないのに。

やがて閉められていた天幕が開き、先ほどタイオンを吹き飛ばした医療班の女性兵が外に出てきた。
まだ少し怒っているのか、むっとした表情でこちらを見つめながら言い放つ。


「治療は終わりました。もう入っていいですよ」


そう言って、女性兵は去っていく。
彼女の言葉を聞いたと同時に、両脇に立っていたノアとランツは顔を見合わせて頷くと、タイオンの両腕を掴んで無理やり立ち上がらせる。


「いつまで座ってんだよ」
「ほら、行った行った」
「は!? え?」


強制的に立ち上がらされたタイオンは、ノアとランツに背中を押され天幕の目の前に躍り出てしまう。
転びそうになるのを必死に堪え背後を振り返ると、ニマニマと口元に笑みを浮かべた仲間たちの姿がそこにはあった。


「ユーニはタイオンをご指名だ。お前が行くべきだろう」
「ユーニを頼んだぜ?」
「い、いやちょっと待ってくれ。僕一人で行くのか…?」


並んで親指を立ててくるゼオンとカイツの言葉に、タイオンは激しく動揺する。
つい先日喧嘩したばかりなうえ、“うわごとのように名前呼んでいた”なんて聞かされたら、妙に意識してしまって気恥ずかしい。
流石に二人きりで顔を合わせるのは抵抗があった。
だが、いつまでも煮え切らないタイオンの態度に今度はミオとセナが追い打ちをかけていく。


「もう、いつまで迷ってるの?ここは男らしくびしっと決めてくれなくちゃ」
「そうそう!早く仲直りするんだよ?」
「仲直りと言われても…」


どうやらユーニとタイオンの仲に亀裂が入っているという事実に、仲間たちはとっくに気付いていたらしい。
気を遣わせてしまったことに申し訳なさを覚えつつも、“仲直り”と言われてもそう簡単に出来るものではなかった。


「ほら!いいからとっとと行け!」
「うおっ!」


強引なランツに背中を押され、タイオンは薄い天幕の向こう側によろけながら入ってしまった。
バランスを崩したタイオンは、入り口から一番近く似合ったベッドに両手をついてしまう。
そこはユーニのベッド。
上体を起こし、座っていた彼女に迫る形でベッドに手を突いたタイオンは、突然目の前に現れたユーニの顔に驚き飛びのいた。
2人だけの天幕に沈黙が訪れる。
まずい。何か言わなくては。
言葉を探しながらユーニの方へと目を向けた彼女の顔がほんのり赤らんでいることに気が付いた。


「お前らなぁ…。会話全部丸聞こえなんだよ。この天幕どんだけ薄いと思ってんだ」
「あ…」


呆れながらも顔を赤くしているユーニの言葉に、タイオンはさらに気恥ずかしさを募らせていく。
ユーニのベッドの脇に置かれたパイプ椅子に腰かけ、赤くなった顔を隠しながら彼女を見つめる。
今のユーニは、初めて会った時と同じようにケヴェスの兵士服を身にまとっていた。
おそらく先ほどまで着ていたシティーの服は汚れてしまったから誰かに借りたのだろう。
そんな彼女の左頬には、大きな絆創膏が貼られている。
あぁ、顔にまで傷を負ってしまったのか。
その絆創膏を見つめながら顔をしかめるタイオンの頭の中を支配するのは、罪悪感と小さな怒りだった。


「ユーニ、なんて無茶をするんだ。一人で敵を食い止めようなどと…」
「仕方ねぇだろ?別動隊を看破されるわけにはいかなかったし」
「だからと言って一人で行くことはないだろう!?」
「奇襲実行まで時間もなかったし仕方なかったんだって!ていうかなんだよ。仲直りに来たのか喧嘩売りに来たのかどっちなんだっつーの」
「心配をかけるなと言っているんだ!」


突然言い放たれた大声に、ユーニは思わず肩を震わせた。
こちらをまっすぐ見つめてるタイオンの瞳は、声色に反してやけに不安げに揺れている。
まるで訴えかけるかのようなその視線から、ユーニは逃れられそうもなかった。
やがてタイオンは、膝の上で作った両手のこぶしを強く握りながら言葉を紡ぎ始める。


「君はコロニー9を特別視している。ここを守るためながらどんな危険も冒すと最初から予想がついていた。だから被害が少なく済むように奇襲部隊に配置したのに、これじゃあ何の意味もないじゃないか…」
「じゃあ、やっぱりあの人員配置はわざと…?」


ユーニの言葉にタイオンはなにも言わなかったが、それは無言の肯定と言えた。
無茶をするかもしれないユーニの行動を予測して、なるべく危険が少ない部隊に組み込んだのだ。
視線を逸らし、気まずそうにうつむくタイオンの表情を見つめながら、ユーニは小さな怒りを感じていた。
なんだそれ。アタシのため?ふざけんな。
アタシ一人のために配置をくみ上げるなんてそんな馬鹿な話あってたまるか。


「そういうことに気が回るくせに、なんで肝心なことに気付かないんだよ、お前は」
「どういう意味だ?」
「そもそもアタシとお前が一緒に別動隊にいればこんなことにはなってねぇだろ?二人一緒にいればインタリンクもできるし、アグヌス兵とかちあってもすぐ倒せた」
「それはそうだが…」
「お前に落ち度があるとしたら、アタシを傍に置いておかなかったことだ。アタシらは何があっても一緒にいるべきなんだよ。たった一人のパートナーだろ?」


ユーニは、初めて会った時から素直な人間だった。
本心を包み隠さないそのあけすけな性格から言い放たれる言葉には、不思議な力がある。
まっすぐ投げかけられた言葉が、タイオンの心の霧を晴らしていくようだ。
何を迷っていたのだろう。何を意地を張っていたのだろう。
彼女にとってこのコロニー9は特別な場所だが、パートナーを名乗れるのはこの世でただ一人しかいない。
もうとっくの昔にその座を独占していたというのに、愚かな感情と衝動に任せて彼女を見失っていた。

こんなの、僕らしくない。


「僕が間違っていた」
「え…?」
「君の相方は僕だけのはずなのに、コロニーの連中と親しくしている君を見るのがつらかった。僕の知らない君をあいつらは知っているのかと思うと無性に腹が立って…」
「タイオン…」


もし今、タイオンの頭にミオと同じ耳が生えていたら、力なくしゅんと折り畳まれていたことだろう。
いつも積み上げた自尊心の上に立っているような彼が、心に宿った可愛らしい本心をさらけ出している。
そう思うと、ユーニは自分の心がきゅんと高鳴ったような気がした。
妙に機嫌が悪かったのも、拗ねていたのもそのせいか、と。
そして同時に小さな悪戯心も芽生えてきて、彼を少しおちょくってやろうと笑みを浮かべ始めた。


「ふ~ん。つまりあれか?嫉妬してたってわけか?」


きっと、顔を真っ赤にしながら“違う!そんなわけない!”と慌てて否定してくるに違いない。
動揺するタイオンの反応を期待していたユーニだったが、目の前の彼は動揺するどころか顔色一つ変えず、真剣な眼差しを向けながら怪我を負ったユーニの頬にそっと触れてきた。


「あぁそうだ。悪いか」


低く囁かれた声。まっすぐ自分だけを見つめる瞳。頬に触れるぬくもり。ストレートすぎる言葉。
そのすべてが、ユーニから思考力を奪っていく。
顔に熱が籠る。
心臓がバクバクと高鳴って、死んでしまいそうになる。
タイオンのくせに、そんな顔するなんて卑怯だ。
心でそう叫びながらも、真っ赤な顔のままユーニはなにもできなかった。


「さて、僕はそろそろ行くぞ?君も今日はここで一日安静にしているといい」


そう言って立ち上がるタイオン。
頬から離れていく彼の手が急に恋しくなって、その手を掴んでしまったのは咄嗟の行動だった。
ぴたりと止まるタイオンの足。
どうかしたのだろうかと振り返った先にいたのは、タイオンの手を両手で掴み、柄にもなく真っ赤な顔でこちらを見上げていたユーニの姿だった。


「も、もう少しいてくれてもいいだろ…?」
「…いてほしいのか?」
「…………うん」


驚くほどにしおらしく、それでいて素直なユーニの反応に、今度はタイオンの胸が高鳴った。
人は弱っていると誰かに甘えたくなるというけれど、それはユーニも例外ではなかったらしい。
世にも珍しい“しおらしいユーニ”を眺めていられるなら、時間など惜しくはない。
タイオンは緩む口元を必死で抑えながら、パイプ椅子ではなくユーニのベッドの上に腰かけた。


「君が望むなら何時間でもいてやろう」
「…うん」


短く返事をして、彼女はタイオンの方を向きながら横になった。
ベッドの上に投げ出された彼の右手を両手で包み、まるで甘えているかのように指を絡め始める。
その行動を見つめながら、タイオンはついに顔のニヤけを抑えられなくなっていた。
彼女のこんな行動を間近で眺められるのは、きっとパートナーである自分ただ一人だけ。
ノアもランツも、ゼオンもカイツも、そして他のコロニー9の面々も、ユーニのこんなに甘やかな顔は見たことが無いだろう。

これは僕だけの特権だ。ざまぁみろ。

心の中で嘲り笑いながら、タイオンはユーニの手を握り返すのだった。