Mizudori’s home

二次創作まとめ

タイユニ小ネタ集 Vol.1

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■SS

 

恋するハーブティー


タイオンと初めて話したのは、彼がコロニーラムダからコロニーガンマに転属してきた初日のことだった。
不愛想で、頭が固くて、賢いけれど一言多い。
そんな彼は同期たちにもあたりがキツくて、少々気難しい人というのが第一印象だった。
実際、そんな性格と言動のおかげで彼を疎む声はちらほら上がっていたし、私も少し苦手な部類だった。
 
どうやらコロニーラムダで何かトラブルに遭った末このガンマに転属してきたようだけれど、そのトラブルというのが何なのか、軍務長であるシドウは誰にも教えてはくれなかった。
もちろん、私にも。
相手の神経を逆撫でするような態度と、正論しか言わないその口が鳴りを潜めることはなく、何度か“嫌われるよ?”と釘を刺しても知らぬ存ぜぬな態度を貫いていた。
きっと、誰に嫌われよが構わないと思っていたのだろう。
戦争はチームワークだ。味方を信じ、親しくなれなければその先に勝利はないというのに。

特殊任務遂行にあたり、私の護衛としてタイオンが任命されたのはあの日が初めてだった。
セナは度々おくりびとである私の護衛についていてくれたけど、作戦立案課に所属しているタイオンが護衛の任に着くのは異例なこと。
タイオン本人はあまり気乗りしていないようだったけれど、今思えばあの人員配置は運命だったように思う。
もしもあの時任命されたのがタイオンではなく他の誰かだったのなら、未来は大きく変わっていただろうから。


「ユーニ、頼むからもう少し僕に合わせて——」
「んだよ、タイオンがアタシに合わせるんだろ?」


紆余曲折あり、ケヴェスの兵であるノアやランツたちと旅を始めて以降、私はタイオンの知らない一面をたくさん発見した。
3か月しか時間が残っていない私をセナと一緒に心配してくれたり、周りに気を遣っていたり。
ハーブティーを淹れるのが得意だということも、この旅を通して初めて知った。
 
そして、彼が誰と痴話喧嘩している光景も始めて見た。
ガンマにいた頃から誰かと口論している光景は何度も見てきたけれど、ユーニとの口論だけはどこか違っていた。
タイオンが細かいことに口を出し始めて、ユーニが鬱陶しそうに流す。
そんなユーニの態度が気に入らないタイオンがまたねちねちと嫌味を言い、またユーニが流す。
その繰り返しだった。

ノアやランツと一緒に行動を共にするようになったケヴェスのヒーラー、ユーニはさっぱりした性格で、ついこの前まで対立していたというのに随分と話しやすかった。
裏表がないというか、素直というか、思ったことをすぐ口に出して行動に移すその性格は、本当に接しやすい。
けれど、明らかにタイオンとは相性が悪かった。
 
誰がどう見ても真逆の性格をしているのに、インタリンクできる唯一のパートナーとなってしまったのだから災難だ。
ランツやセナには筋トレという共通の趣味があるし、私とノアはそもそも同じおくりびとで価値観も似ている。
お陰で打ち解けるのは早かった。
戦闘のあと、いつもの通り痴話げんかをしているタイオンとユーニを横目に見ながら、思う。
あぁ、私のパートナーはノアでよかった、と。
こんなことを口に出したらタイオンにもユーニにも怒られてしまいそうだけど。


***


「お前バカかよ!普通こんなにドバドバ入れるか!?」
「疲れている時には味が濃い方が美味く感じるものだろう!」
「だからって瓶全部入れるのは流石に馬鹿だろ!」
「誰が馬鹿だ!馬鹿馬鹿言うな!」


マナナの手伝いで鍋の前に立っていたユーニとタイオンの怒鳴り声が響き、私はそばにいたノアと顔を見合わせながら苦笑いを浮かべた。
タイオンは頭はいいけれどなぜか料理の腕は破滅的にだめで、何度か一緒の任務に就いた時に地獄を見た。
その腕は旅を始めて1か月近く経った今でも変わらないらしく、今日は胡椒を瓶1本分すべて鍋に投入しユーニに怒られていた。
あぁこれは夕飯にありつけるのは随分後になるだろうな。
そんなことを想っていると、不意にユーニが大きなくしゃみをし始めた。


「ふぇっくし!」
「どうした」
「どうしたじゃねぇ!お前のせいで胡椒が鼻に…ひっくし!」


両手で口元を抑えながら、ユーニはくしゃみを連発する。
髪の毛と羽根を振り乱しながらくしゃみをするユーニは、どうやら胡椒のせいで鼻をやられたらしい。
あんなに至近距離で胡椒をドバドバ投入されれば、くしゃみが止まらなくなるのも無理はない。
何とか我慢しようとするが、抑えきれず何度もくしゃみをする姿は少しだけ可哀そうだった。
けれど、彼女の隣に立っていたタイオンは、何度もくしゃみをする相方の姿を見つめながら口元を抑え始めていた。


「ユーニ…ククっ…大丈夫か?」
「てめっ、笑うな!…ふえっくしゅん!ひっきし!」
「クククッ…ハハハッ」


抑えきれず笑い声をあげるタイオンに、私は驚いた。
あんなふうに彼が笑うところを始めて見たから。
タイオンはいつも難しい顔をしていて、微笑むことはあっても声を挙げて笑うようなことはなかった。
未だくしゃみが止まらないユーニと、それを見て肩を揺らしながら笑うタイオン。
眉をハの字に曲げて笑う彼の表情は柔らかく、ガンマに来たばかりのあの頃からは想像も出来ないくらい明るかった。
筋トレを終えてセナと一緒に帰ってきたランツの“なんだあいつら仲良しかよ”という言葉に、私もつられてクスッと笑ってしまった。


***


髪を切って短くなることはよくあるけれど、ある日突然長くなった経験を持つのはこのアイオニオン広しといえど私くらいなものだろう。
エムの体を受け継いだ私は、日々この長い髪と格闘していた。
ユーニやセナのアドバイスに従って髪は切らないと決めたのは私だけど、さすがに朝起きた時ばさばさに広がってしまうのは勘弁してほしい。
エムに髪の手入れ方法くらい聞いておけばよかった。
ノアは似合ってると言ってくれたから良かったけれど、実際のところロングとショートではどちらが好みだったのだろう。


「でね、イオタでもらったシャンプーも使ってみたんだけどこれもあんまり効果なくて…」
「……」
「シティーでヘアオイルも買ってみたんだけど、髪の保湿にいい成分とか知らない?」
「……」


荒野を歩く一行の最後尾を進んでいたのは、私とタイオンの2人だった。
髪の悩みを吐露していた私の言葉に、さっきからタイオンは何も返事をしてくれない。
ぼうっと前を見つめて、心ここにあらずといった感じだ。
その視線の先にいたのは、セナと話しながら前方を歩いているユーニに注がれている。
何をそんなにじっと見つめることがあるのだろう。


「ちょっとタイオン、聞いてる?」
「うん!?」


顔を覗き込まれ、驚いたタイオンは目を丸くしながらこちらを見つめてきた。
やっぱり、私が話しかけていることにすら気付いていなかったのか。


「私の話聞いてた?」
「えっ、あ、あぁもちろん。バカデカはまぐりにつけたら美味い調味料の話だったな。僕は味噌が合うと思うが」
「……そんな話ししてないんだけど」
「えっ」


はあぁぁぁとわざとらしく深いため息をついてみると、タイオンはしおらしく“ごめん”と謝ってきた。
こうして彼が素直に頭を下げるのも、昔だったら考えられなかったことだ。
彼はこの旅を通して確実に角が取れて態度が柔らかくなっている。
きっと、旅を通して視野が広がったからなのだろう。
珍しくしおらしい彼の態度に、私は少し意地悪をしてみたくなった。


「さっきからユーニのこと見過ぎじゃない?穴が空くほど見てるけど」


どうせ、“気のせいだ”とか“たまたまだ”とか、ドライな返事が返ってくるものだとばかり思っていた。
けれど、タイオンからの反応は意外なもので、ふと視線を彼に向けると、ばつが悪そうに視線を逸らしている彼ががそこにはいた。
真っ赤な顔を隠すように口元を抑えながら。
え、その顔はなに?
思わず聞いてしまいたくなるような、見たことのない顔。
フリーズしている私に、タイオンはか細い声でつぶやいた。


「いつの間にか目で追ってしまうんだ。仕方ないだろう…」


肩を落とし、しおらしく顔を赤く染め上げているタイオンの反応は誰がどう見ても意外だった。
恥じらっているような、戸惑っているような、そんな顔。
タイオンらしからぬ表情を視界に入れた瞬間、それまで抱いていたいたずら心がどこか遠くへ消え失せてしまった。

もしかしてタイオンはユーニのこと…。


***

コロニーに立ち寄り、天幕で夜を明かすときは必ず男女で寝床を分けている。
各コロニーに所属していた時は、男女の別なんて気にせず雑魚寝していたのに、今は考えられない。
これは命の火時計から解放されたせいだろうか、それともウロボロスの力を得たからなのか。
答えは誰にもわからない。
とにかく私たち男女6人のパーティーは、コロニー4で夜を明かすことになりいつも通り男女に別れて天幕に入っていた。


「なぁ、インタリンクしてるとき何が見える?」


今日の話題の提供者はユーニだった。
突然振られたインタリンクの話に、私とセナは一瞬だけ顔を見合わせた。


「何って…クリスのこととか」
「こっちはヨランのことがほとんどかな」
「それ、初めてインタリンクした時から変わったか?」
「うーん、若干は変わってるとは思うけど…」
「そこまで大きくは変わってないかぁ」
「だよな」


インタリンクした時に見えるイメージは、相手の脳裏に深く刻み込まれた強い記憶たち。
私がいつもノアとインタリンクするときに見ている光景は、優しく微笑むクリスの顔。
笑顔のまま瓦礫の下敷きとなったヨランの姿。泣きながら走るランツ。叫んでいるユーニ。
そして走るノアの姿。
 
ノアの中であの記憶たちは、きっと捨てきれない記憶なのだろう。
そのイメージはインタリンクするたびに若干違いは生じるものの、初めての時と大きく違いは生まれていなかった。
どうしてそんなことを聞くのかとユーニに問いかけてみると、彼女は頭の羽根をいじりながら思考を巡らせるようにゆっくり話し始めた。


「なんか、タイオンとインタリンクするときに見える光景、初めてインタリンクした時から随分変わってんだよなぁ」
「変わってる?」
「どんなふうに?」
「最初のころはイスルギやナミの顔ばっかり浮かんでたんだけどさ、最近はアタシの顔ばっかり浮かんでくるんだよ」
「えっ」


腕を組み考え込むユーニは、その現象がどういう意味を持つのかよく分かっていないらしい。
隣で聞いていたセナもまた、“不思議だねー”と感心しながら先ほど買ったばかりのバスティールを頬張っている。
インタリンクするときに見えているイメージは、相手にとって最も印象深い記憶。
イスルギとも和解し、ナミとも再会を果たしたタイオンにとって、今一番大切にしたい記憶というのは、他でもないユーニとの記憶であるという証拠だった。


「なぁミオ、なんでだと思う?」
「え?あー、うーん…。ごめん、私にもわかんない」
「なんだよー。ミオならなんか知ってると思ったのになぁ」


本当は分かっていた。
タイオンがユーニをどう思っているのか。
けれど、それは第三者である私がいちいち口出しすることじゃないと思う。
それに、きっとタイオン本人もよく分かっていないはず。
こういうのは、本人たちが自分の力できちんと気付かないと意味がない。

ちょっと意地悪だったかな。

そんなことを想いながら、私はエムから貰った長い髪を撫でた。


***

朝。めずらしく早く起きた私は朝日を浴びるために一人天幕を抜け出した。
セナとユーニはまだ眠っている。
天幕から少し離れたところにある野外食堂に向かうと、テーブルに見慣れた人影がついていた。
タイオンである。
足を組み、ポッドからお湯をカップに注いでいる彼は、いつものようにハーブティーを淹れているようだ。
“おはよう”と声をかけると、彼もまた“あぁ”と返事をしてくれる。


「今朝は早いな、ミオ」
「まぁね。ハーブティー淹れてるの?」
「あぁ。君も飲むか?」
「じゃあ貰おうかな。ありがとう」


タイオンのハーブティーは仲間内でも好評で、ミオもそれなりに気に入っていた。
淹れてくれるというのなら遠慮なく頂くとしよう。
対面のテーブルに座ると、タイオンは新しくカップを用意し始める。
そこで一つ違和感を抱いた。
テーブルの上には既にカップは2つあって、1つはタイオンが先ほどお湯を入れていた自分用のカップ
もう一つのカップにはティーパックがセットされたまま置いてあったが、タイオンはこのカップを使わずわざわざ新しいカップを用意し始めた。
こっちで淹れてくれれば早いのに。


「あれ?こっちのカップは使わないの?」
「あぁ、そっちはユーニの専用だ」
「専用?」
「毎朝飲みたがるものだから、いつの間にかそのカップはユーニ専用になってた」


一行は食器を共有していて、専用のカップやスプーンなどは持っていない。
けれど、タイオンが管理しているこのカップはユーニだけのものだという。
他のどのカップよりもきれいに磨かれているそのカップは、まさにタイオンがユーニを特別扱いしている証拠といえた。


「タイオンって、変わったよね。すっごく」


私のために用意されたカップに注がれるお湯を見つめながら言うと、タイオンはポッドを傾けながら怪訝な顔をした。


「それはいい意味でか?」
「もちろん。今のタイオンの方が素敵だと思うよ?たぶんユーニもそう思ってる」
「な、なんでそこでユーニの話になる!?」
「ふふふっ、さぁ、なんででしょう」


誤魔化す私の言葉に機嫌を損ねたのか、タイオンはむっとした顔でこちらを見つめてきた。
でも安易に教えたあげたりはしない。
これはタイオンが自分で気づかないと意味がないことだから。
彼が淹れてくれたハーブティーは、ユーニの話題が出たせいかほんの少しだけ甘かった。
向こうのほうから、眠気眼を擦りながら近づいてくるノアの姿が見える。
ようやく起きてきたらしい。
ちょうどよかった。今、無性にノアと話したい気分だったから。
私はこちらに近付いてくるノアに向かって小さく手を振った。

 

浮つく心は雲のよう


4限終了のチャイムが鳴り、ようやく待ち望んだ昼休みの時間が訪れた。
いつも通り同じクラスのセナが“一緒に食べよう”とウキウキした顔で声をかけてくる。
けれど今日は登校する途中でコンビニに寄り菓子パンを購入するのを忘れてしまった。
購買に行ってパンでも買ってこなければ。
ユーニは誘ってきたセナに一言謝り、1階の購買がある食堂へと向かった。

階段を駆け下り、1階の渡り廊下を通過すると、昼食を求めて同じ制服を着た学生たちがごった返していた。
今日もすごい人混みだ。
少し眉を潜めながら進んでいくと、4つほど並んだ自販機の前に見慣れた後ろ姿を見つけた。
すらりと高い背に特徴的なくせ毛頭。
自販機の前で膝を折り、飲み物の取り出し口に手を伸ばしている彼の姿を視界にとらえ、ユーニはにやりと笑った。


「うりゃっ」
「うわっ」


軽い足取りでその背に近づき、くせ毛の髪を思い切り撫でまわす。
驚いた声を挙げたその男子生徒、タイオンは、勢いよく背後のユーニを振り返った。
背後に立っていた人物がユーニだと分かった途端、眼鏡越しに見えるタイオンの目は鬱陶しそうに細められる。


「また君か」
「お前も昼飯買いに来たのか?」
「買いに来たのは飲み物だけだ」
「ふぅん」


生徒会長である彼が小脇に抱えているバインダーには、生徒会活動日誌と表紙に丁寧な字で書かれている。
恐らく生徒会の仕事をこなした帰りにこの自販機に立ち寄ったのだろう。
 
ユーニの襲来に小さくため息を零したタイオンが自販機から取り出したのはミルクティーだった。
相変わらず甘党な彼の趣味に苦笑いしつつ、ユーニは制服のポケットから小さな財布を取り出す。
小銭を自販機に押し込み、ミネラルウォーターのボタンを押した。
ガコンと派手な音を立てて落ちてきた水を取り出すため、前屈の要領で屈むユーニ。
すると、タイオンは手に持ったバインダーでユーニのスカートの丈を隠し始めた。


「何してんだよ」
「その丈の短さで屈んだら見えるだろ」


そっと背後を振り返るタイオン。
その視線の先には、自販機の飲み物を選ぶために集まっていたたくさんの男子生徒たち。
全員自販機に視線を向けているものの、その前に立っているユーニの短いスカートにちらちらと目を向けていた。
どうやらタイオンは、ユーニのスカートの中が見えないよう気を遣ってくれていたらしい。


「気が利くな、タイオン。その調子でアタシのスカートが覗き込まれないよう守っててくれよな」
「あのなぁ…。君がもっとスカートの丈を長くすればいいだけの話だろ」
「なんでアタシが?見てくる男どもが悪くね?」
「そうもいかないだろ。短いスカートに視線がいってしまうのは男の性というか」


そこまで言って、タイオンは自分が口にした言葉を一瞬で後悔した。
これではまるで自分もユーニのスカートの中を見たがっているような言い草ではないか。
はっとしたタイオンは、焦りながら“いやっ、別に僕は見たいとかそんなことは思っていないが…”と眼鏡をなおしながら言い訳を始める。
分かりやすく動揺しているタイオンの狼狽えぶりがなんだか面白くなってきて、ユーニはくすりと笑みをこぼしながら再びタイオンの頭へと手を伸ばした。


「なに焦ってんだよっ」
「なっ、やめっ」


楽し気に笑みを浮かべながら再びタイオンの頭を撫でまわすユーニ。
その乱暴な手つきに抵抗するタイオンは、なおもわしゃわしゃと癖毛を乱す彼女の手首を握ってやめさせる。
強い力で握られ、少しだけ痛い。
ユーニの手を捕まえたタイオンの顔は、むっとしているにも関わらず何故だか真っ赤に染まっていた。


「タイオン…?」
「…前から思っていたが、それ、やめてもらえないか?」
「それ?」
「頭を撫でるの…」


ばつが悪そうに視線を逸らすタイオン。
プライドが高い彼は、子供のように頭を撫でられることが気に食わなかったのかもしれない。
揶揄いに対して嫌がるそぶりを見せることは多々あったが、ここまで強い拒否反応を示されたのは初めてだった。
本気で嫌だったのかもしれない。
悪いことをしてしまった。
ここで初めて罪悪感を抱いてしまったユーニは、タイオンからつかまれていた右手首を素直に引いた。


「あー…、悪い悪い。もうしないよ」
「…それならいい」
「じゃあな」
「えっ」


タイオンは明らかに鬱陶しがっている。
そう受け取ったユーニは、大人しく退散することにした。
教室ではセナも待っている。
早く購買に行かないといいパンは全部売り切れてしまう。
もともと長居するつもりもなかったユーニは、タイオンに軽く手を振りながら背を向けた。
背後から小さく戸惑う声がする。
けれど、引き留められたりはしなかった。


***


ユーニの教室は校舎の3階にあった。
学校にはエレベーターがないため、1階の特別教室から教室に戻るためには階段を上らなくてはならない。
これがほんの少し面倒だった。
同じクラスのセナと一緒に階段を上るユーニ。
世間話を交わしながら2階まで上がった時、隣を歩いていたセナが上の踊り場を見つめながら“あ”と声を漏らした。


「タイオンだ」


セナの視線を追うように上を見上げると、2階と3階の踊り場に確かに彼の姿があった。
壁によりかかり腕を組む彼は、見慣れない女子生徒と立ち話をしている。
きっと生徒会の後輩だろう。
 
階段をのぼりながら、ユーニはにやりと笑みを浮かべた。
また揶揄ってやろう。そう思ったが、数日前に“やめてくれ”と強めに拒絶されたときのことを思出してしまった。
そういえばあの時、いつもよりも嫌がっていた。
今は後輩と一緒にいるわけだし、下手に揶揄って自尊心を傷つけるのはあまりよくないかもしれない。
真剣な話をしているのかもしれないし、邪魔をするのも悪い。
ここは見逃してやろう。

そう思い、ユーニはタイオンに声をかけることなく階段を上った。
隣を歩くセナは、後輩との話を邪魔しない程度の声量で“タイオン”と名前を呼びながら小さく手を振っていた。
そんな彼女に控えめに手を上げて応えるタイオン。
だが、タイオンとユーニの視線が交わることはない。
背を向けているユーニは知る由もなかった。
タイオンが複雑そうな瞳で自分を見つめていることを。


***


それから数日。
ユーニは何度か廊下やグラウンドでタイオンとすれ違ったものの、声をかける機会を逸していた。
以前までなら、自分が誰かと一緒にいようが、タイオンが誰かと話していようが、構わず手を伸ばしてあの癖毛を乱暴に触り、適当に声をかけていた。
 
しかし、あの日強く拒絶されてからなんとなく声をかけずらくなってしまっている。
相手が誰かと一緒にいれば邪魔をしてはいけないと遠慮してしまい、自分が誰かと一緒にいるときは“また今度でいいか”と諦めてしまう。
そうこうしているうちに、最後にタイオンと話をしてから2週間も経過してしまっていた。

元々会えば必ず話すほど仲がいいわけでもなかったが、さすがに2週間もの期間会話しなかったのは初めてだった。
向こうは声を掛けられるたびに鬱陶しそうにしていたし、2週間話さなかったくらいでは気にも留めないのだろうが。


「随分浮かない顔だな」


17時43分。
最寄駅に到着したユーニは、ホームで電車を待っていた。
あと5分で電車が来るというタイミングで、背後から聞き慣れた声が投げかけられる。
振り返った先にいたのは、あのタイオンだった。
どうやら彼も家に帰る途中だったらしい。
久しぶりに会ったタイオンの姿に、ユーニは思わず息を詰めた。


「タイオン」
「何か悩みでもあるのか?」
「悩み?なんで?」
「ため息をついていただろ」
「そう…だっけ?別に悩みなんてねぇけど」
「……そうか」


すぐに沈黙が訪れる。
電車を待つ周りの大人たちの雑踏で周囲はざわめいているのに、二人の間はまるで葬式のように静かである。
ここで初めてユーニは困惑してきた。
今までタイオンとどういう会話をしてきたんだっけ?
会うたびに頭を乱暴に撫でて、“やめろ”“いいじゃん”の繰り返し。
何の実もない、実にクダラナイやりとりばかりしていた気がする。
だが、お得意の揶揄いはタイオン本人から嫌がられてしまったし、他の会話も浮かばない。
虚しく時間が過ぎる中、電車が到着するまであと1分というところで、タイオンが口を開いた。


「どうして避けるんだ」


一瞬、独り言かと思った。
タイオンは視線を逸らしているし、話しかけてきたつもりなら声が小さすぎる。
何の話だろうかと黙って隣のタイオンを見つめていると、返事がなかなか返ってこないことにしびれを切らしたらしい彼が今度は少し声を大きくして再び口を開く。


「避けているだろ?僕のこと」
「えっアタシが?」
「君以外誰がいる。廊下ですれ違っても挨拶すらしない。目が合っても声をかけてこない。見かけてもすぐどこかへ行く。今だってやたらと素っ気ない。明らかに避けているだろう」


ようやくこちらに顔を向けてきたタイオン。
彼の表情は、いつもの仏頂面からは想像もつかないくらい必死なものだった。
未だ彼の話を半分も理解できていないユーニからまた視線を逸らした彼は、今度はまた独り言のような声量でつぶやく。


「何か、気に障るようなことをしたか…?」


まるで怒られた子犬ような表情で肩を落とすタイオン。
プライドも自尊心も高いこの男が、こんな顔も出来るだなんて知らなかった。
だが、避けているとは心外だ。
ユーニは割とはっきりした性格で、陰険に相手を避けたり無視したりするようなことはしない。
着せられた濡れ衣にむっとして、ユーニはタイオンの方へと体を向けて正式な抗議を開始した。


「避けてねぇよ。勘違いだろ?」
「いいや絶対に避けてる。君から話しかけてこなくなっただろう」
「なに?そんなにアタシと話したかったのかよ?」
「ち、違っ……別にそういうわけじゃ…」
「じゃあ別にいいだろ。いちいち話しかける理由なんてねぇんだから」
「それは、そうだが…」
「はぁ、何が言いてぇんだよ。ったく意味わかんねぇ」


別に話したかったわけじゃないが避けるのはやめてほしい。
そういうことだろうか。
そもそも避けていたわけでもないのだから、タイオンの気にし過ぎであることは間違いないのだが。
 
要点を得ないタイオンの話にいい加減イライラしてきたユーニ。
ちょうどホームに乗る予定だった電車がやってきたことに気が付き、乗り込もうと歩き出す。
自意識過剰なクレームにいちいち反論するのは馬鹿らしい。
さっさと帰ろう。
そう思っていたユーニだったが、背後からタイオンに腕を掴まれ引き留められる。
 
“なんなんだよさっきから”
流石に怒ってやろうと勢いよく振り返ったユーニは、自分を腕を掴んでいるタイオンの表情を見て言葉を失った。
行かせまいと必死な顔、感情が露わになったその顔は、ユーニを激しく戸惑わせる。


「いつもくだらないことで揶揄ってきただろう?突然髪を触ったり……。なんで、急に…」
「なんでって…。やめろって言ったのはお前だろ?」
「二度とするななんて言ってない!」
「はあぁぁぁ?」


あまりの暴論に、思わず声が大きくなるユーニ。
その声に驚き、すれ違う人々が怪訝な視線を送ってきた。
その視線に気づいてきょろきょろと周りを気にし始めたタイオンは、急いでユーニの腕を離し一歩後ずさる。
そして、真っ赤になった顔を隠すように口元を片手で覆うと、ユーニから視線を逸らして言い放った。


「急に距離をとるのはやめてくれ。嫌われたのかと思って焦るだろ」


ホームに止まった電車の中から、大量の人が降りていく。
靴音がホームに響き、遠くで小さな子供の笑い声が聞こえてくる。
騒々しいはずなのに、駅の雑音が随分小さく聞こえる。
真っ赤な顔で立っているタイオンから投げつけられた言葉はやたらと不器用だったが、彼が自分のことをどう思っているのか、聡いユーニは瞬時に察することができた。
勘違いだろうか。いや、多分違う。
彼の本音が分かった瞬間、ユーニはまた彼を揶揄いたくなってしまった。


「お前……めんどくさいな」
「はっ!? だ、誰が…!」


タイオンが言を唱える前に、背後で電車の扉が閉まる“プシュー”という音が鳴り響く。
しまった、と思い振り返った時にはもう遅い。
ユーニを乗せるはずだった鉄の箱は、完全にその口を閉じてゆっくりゆっくり前進し始めていた。
“駆け込み乗車はおやめくださーい”という駅員の気の抜けたアナウンスが響く。
乗り遅れたことを悟ったユーニは、露骨に肩を落として深いため息をついた。


「最悪。タイオンのせいで電車乗り過ごした」
「……それに関しては悪かった。だが10分もしないうちに次の電車が…」
「お詫びにアタシになんか奢れ」
「は?」


タイオンの手を取ったユーニは、彼の返事も待たずに歩き出す。
電光掲示板にはあと8分ほどで次の電車が来る旨が表示されているが、全く構うことなくユーニはタイオンを連れ出した。


駅ナカに新しいカフェが出来たんだよ。そこのワッフルが美味いらしいぜ?電車乗り過ごしちまったお詫びに付き合えよな。もちろんお前のおごりで」


まるで嵐のような強引さでタイオンをさらっていくユーニ。
何度か転びそうになるくらい強引な手つきだったが、それでも彼は断れない。
むしろ小さな喜びをかみしめながら、タイオンは眼鏡の位置を直す。
そして、面倒そうなフリをしながら“仕方がないな”とつぶやくのだった。
その後、超がつくほど奥手なタイオンがようやくユーニに想いを告げ、晴れて付き合うことになるのは、この日から実に半年後のことである。

 

keep your heart

 

薄紅色のサフロージュの花は、散り際が一番美しい。
いつだったか、タイオンはそう言っていた。
まさにその通りだと思う。
忘却のコロニーと呼ばれたこのコロニーは、一面サフロージュの花で埋め尽くされている。
外界と一切の交流を遮断されているこの場所はまるで異世界のようで、ユーニはこの独特な空気感を気に入っていた。
だが、この場所に来ると妙に心がざわつく。
ちくりちくりと胸が痛んで、心が深海に沈んでいくようだ。
何故か。その理由に、ユーニは一つだけ心当たりがあった。
タイオンである。


「タイオンさん、こっちも手伝ってもらえますか?」
「はい!もちろんですナミさん」


手招きしているナミに微笑みかけ、足元を土まみれにしたタイオンは畑の脇を駆け抜けていく。
ちょうど今はこのコロニーで栽培しているフォルタの収穫時期で、ナミを始めとするコロニーの者たちは忙しなく畑の周りを動き回っていた。
ゼオンが指揮を執るコロニー9でも、同じように畑での栽培は活発に行われているが、まだ畑を持ち始めて日が浅いあのコロニーに比べ、ここの住人たちは作物の収穫にかなり慣れているらしい。
手際よくフォルタを引き抜いていくその光景は、見ていて小気味よい。

このコロニーは年少兵がほとんどで、皆力があるとは言い難い。
そんな中、9期の男手はかなり貴重な存在といえた。
久しぶりにこのコロニーを訪ねて早々、ナミから“畑仕事を手伝ってほしい”と打診され、タイオンが言の一番に承諾したのだ。
タイオンは、ナミに甘い。
かつて彼の師であったナミは、タイオンの失策によって窮地に陥り、まだ年若かった彼を守るように死んでいった。
そんな彼女に、タイオンは特別な情を抱いているのだろう。
彼女からのお願い事を断っているタイオンの姿は、今まで一度も見たことが無かった。


「ふぅ、結構頑張って引っこ抜いたね」
「うん。コロニー9のもちもちイモも収穫が大変だったけど、フォルタも割と力がいるのね」


両手を土で汚したミオとセナが、収穫したフォルタを片手に笑いあっている。
そんな彼女たちの向こう側に、ナミと隣り合って談笑しているタイオンの姿が見えた。
何を話しているのかは分からないが、照れたように笑いながら肩をすくませている。
あんな風に無垢に笑うタイオンを、ユーニはあまり見たことが無かった。


「ユーニ、大丈夫?」
「ん?」
「なんかぼーっとしてない?」
「あぁ…。あいつら仲いいなぁと思ってさ」


頭の後ろで手を組むユーニの視線の先には、タイオンとナミ。
フォルタを引き抜こうとして盛大に尻もちをついているタイオンを、ナミが心配そうに声をかけているところだった。
タイオンのドジな光景を見つめながら、3人はクスっと笑う。
年少兵であるナミの手を借りて立ち上がるタイオンの姿は、どちらが年上なのかと突っ込みたくなるほど不甲斐なかった。


「ほんと、仲いいね」
「タイオン、きっとまたナミさんとこうして一緒に過ごせて嬉しいのね。なんだか妬けちゃうね、ユーニ」
「そうだな」


それはほんの揶揄いのつもりだった。
ユーニにはいつもノアとのことで面白おかしくから揶揄われているし、ちょっとした仕返しのつもりで言っただけ。
きっと“なんでアタシが妬かなきゃいけないんだよ”と拗ねた返事が返ってくると思っていたミオだったが、ユーニは意外にも素直に肯定してきた。
そんな彼女の言葉に、セナも驚いたように目を丸くしていた。


「ユーニ、なんか素直」
「ほんと。どうしたの?お腹痛いの?」
「お前らはアタシを何だと思ってるんだよ」
「だってぇ……ねぇ、ミオちゃん?」
「うん。絶対“そんなことない”って否定すると思ってたから」


2人の中で、ユーニは随分と天邪鬼なイメージがあったらしい。
だが、実際には違う。
誰よりも素直で、思ったことはあっけらかんと口にする性格だった。
ユーニは忘却のコロニーを気に入っている。
サフロージュは美しいし、静かだし、ここで収穫されているフォルタは美味い。
けれど、ここに来るたびに心がチクチクと痛むは、タイオンとナミの関係に妬いていたから。
認めたくはないけれど、自分に素直なユーニはそんな己の心をすでに自覚してしまっていた。


「あいつはナミのこととなると一直線だからな。まぁ仕方ねぇとは思うけど」
「で、でもでも!タイオンにとってユーニはすっごく大切な存在だと思うけどなぁ」
「そうかぁ?あいつの中で“大切なものランキング”をつけるなら、1位が同着でイスルギとナミ。2位がモンドで3位がハーブティー。アタシは良くて4番目あたりじゃね?」
「それは流石に低すぎるって!」


あまりにも自己評価が低いユーニの言葉に、セナが慌てて否定に入る。
自分を気遣って必死になってくれるセナの様子に、ユーニななんだか嬉しくなってニッと明るい笑顔を見せた。


「ま、あいつとナミの間に何があったのかはインタリンクする時よく見てるから、アイツがナミを特別扱いする理由もわかるよ。アタシがあいつの立場でも同じようにするだろうしな」
「ユーニ、そんなに聞き分けよくあろうとしなくてもいいんだよ?イヤな気持は隠す必要なんてない。そういうのって、頭ではわかってても心ではどうにもならないでしょ?」


ユーニの腕にそっと触れ、優し気なミオの眼差しが覗き込んでくる。
タイオンとナミを見つめながら、耳障りのいい言葉しか口にしようとしないユーニが心配になったのだ。
同じ女として、彼女の気持ちはよくわかる。
自分の中に生まれた黒い感情を見つめ、それがいい感情ではないと自覚しているからこそ押し殺す。
けれど、この感情は頭で制御できるほど簡単なものではない。
抑え込もうとすればするほど肥大化して、どうにもならなくなるのだ。


「…そうかもな」


視線を一瞬だけ落とし、瞳を伏せたユーニ。
くるりと踵を返し歩き始めた彼女に、セナが“どこ行くの?”と問いかけた。
“ちょっと散歩”
それだけ言うと、ユーニはサフロージュの木を眺めながら去っていった。
小さくなっていくユーニの背中を見つめながら、ミオはセナはこれ以上かける言葉を見つけられず困った表情で顔を見合わせるのだった。

***

忘却のコロニーは、カデンシア地方の洞窟を抜けた先にひっそりと広がっている。
洞窟と言っても、コロニーが展開している場所は上部が空洞になっており、空がよく見える。
上を見上げれば満点の星空と妖艶に輝く月。
月光を浴びているサフロージュの木はきらきらと輝き、一層美しく咲き誇っていた。
手を伸ばしてみれば、ひらりと散った花びらがゆっくりと掌に落ちてくる。
花びら一枚だけでも、こんなに美しくて気品がある。
まるで、あのナミのようだと思った。

旅の途中、サフロージュの木を見かけるたびに足を止め、物思いに耽っているタイオンの姿を何度も見てきた。
サフロージュの木を見上げるタイオンの表情はどこか寂し気で、遠い過去の愛しい記憶を手繰り寄せているかのような瞳をしている。
今思えば、サフロージュにナミの姿を重ねていたのかもしれない。


「綺麗だよなぁ…ほんと」


サフロージュの木々を見上げ、ユーニはつぶやく。
妖艶さや美しさとからはあまり縁がない自分とは大違いだ。
こんなに美しい花に、タイオンが目を奪われるのも無理はない。
 
彼女がサフロージュなら、自分は何だろう。
すぐ頭に浮かんだのは、セリオスアネモネの花だった。
タイオンがハーブティーを淹れるためによく使っている花で、白く小ぶりな花である。
サフロージュほどの繊細さはなく、種さえあればどこでも育っていける雑草なような花だ。
以前、ルディと一緒にラムダ付近の瀑布を訪れた時、過酷な環境の中で咲いているセリオスアネモネを見たことがあった。
どんな環境でもしぶとく生きようとするその花の生きざまには、親近感すら覚える。
サフロージュのような美しい花より、セリオスアネモネのような根性のある花の方が自分には合っている気がする。


「ここにいたのか」


背後から声がかかる。
嫌な予感に振り向くと、そこにいたのはやはりタイオンだった。
今いちばん顔を見たくない相手である。
彼はなぜか安堵したような表情を浮かべ、肩で息をしている。


「こんな夜遅くまで何をしているんだ」
「別に?ただサフロージュを見てただけ」
「サフロージュを?」


そう言って、タイオンはユーニと同じようにサフロージュの木々を見上げる。
月光に彩られているサフロージュの薄桃色をぼうっと見つめるユーニの横顔に視線を戻すと、彼は至極不思議そうな顔をしながら言い放った。


「君が花を愛でるとは、珍しいこともあるものだな」


なんとなしに言い放たれたタイオンの言葉は、ユーニを苛つかせるのに十分な威力を発揮した。
なんだ、こいつ。
折角不機嫌を周りに当たり散らさないよう一人で過ごそうとしていたのに。
わざわざ傍にやってきて失礼なことを言いだすなんて。
こっちの気も知らないくせいに好き勝手言いやがって。
腹立たしさを隠す限界が訪れたユーニは、大きなため息を一つ零して速足でタイオンとは反対方向へと歩き始めた。
突如足早に自分の元を去っていこうとするユーニに焦り、タイオンは急いでその背を追う。


「ユーニ、どこに行く!?」
「散歩だよ散歩」
「こんな夜遅くに一人でか?危険だぞ」
「平気だって」
「待て。せめて僕も一緒に…」
「あぁもう!」


イライラが最高潮に達したユーニはようやくその場で立ち止まる。
急にぴたりと足を止めた彼女の背中に激突しそうになってしまったタイオンは急いで急ブレーキをかけたが、ほんの少し手が彼女の羽根にあたってしまった。
勢いよく振り向くユーニは鋭い瞳でタイオンを睨みつける。


「アタシは今一人になりたいんだ!とっととナミのところに戻れよ」


そう吐き捨てて、ユーニは再び歩き始める。
大きな足音を立てながら歩くユーニの背中を見つめながら、タイオンを首を傾げた。
“なんで今ナミさんの名前が出るんだ?”と。
遠ざかっていくユーニを放っておくこともできず、再びタイオンは彼女の背を追いかける。


「何かあったのか?悩みでもあるのか?」
「ちげぇって」
「なら体調でも悪いのか?」
「もうほっとけよ」
「放っておけないから言ってるんだろう」


ユーニとタイオンではそれなりの身長差がある。
歩幅からしてタイオンにかなわないユーニの歩調は、すぐに後ろから彼に追いつかれてしまった。
腕を掴まれ、強制的に振り向かされる。
怒っているようにも心配しているようにも見えるタイオンの目がユーニへと向けられる。


「君はいつもそうだ。肝心なことは何も言わずに一人で解決しようとする。何かあるならハッキリ言ってくれ。僕は君のパートナーだろう?」


弱さを晒すのは柄じゃなかった。
みっともないし、か弱い奴だと思われたくない。
だから、強い言葉と態度で取り繕って自分を隠す。
たとえ相手がタイオンであっても、ユーニがその生き方を変えることはない。
だが、タイオンにはそんなユーニのスタンスが気に入らなかった。
何もかも晒せとは言わない。自分にだって見せたくないものはある。
ただ、少しは相談してくれてもいいじゃないか。
悲しげな顔をして胸の痛みを一人耐え忍ぶくらいなら、その痛みを半分分けてほしかった。


「……別に大したことじゃねぇから」
「大したことないなら言ってくれてもかまわないだろう」
「……」
「ユーニ?」


顔色そうかがうように、タイオンが優しく声をかけてくる。
言えるわけがなかった。
ナミとタイオンの姿を見ていると心が痛む、だなんて。
あさましい感情だ。愚かな感情だ。抱いてはいけない感情だ。
だってタイオンにとってナミは誰より大切で、誰より特別で、誰より優先しなくてはいけない人物なのだ。
インタリンクで彼の心や記憶に触れている自分だからこそ分かる。
タイオンがナミを大切に思うことは当然のことであって、どんな異変が起きようともそのつながりは揺るがない。
分かっていたはずなのに、こんな気持ちになるなんて馬鹿げてる。

タイオンに素直に打ち明けたところで怒らせるだけだ。
“ナミさんを疎んでいるということか”と。
違う、そうじゃない。
ナミを卑下するつもりなんて一切なくて、ただ羨ましいと思っているだけ。
自分にはぶっきらぼうな彼から、まっすぐな優しさを贈られているナミが。

そう、これは嫉妬だ。
ひどく幼稚で愚かな嫉妬だ。


「ほんとに、大したことじゃないんだよ。ただ……」
「ただ…?」
「自分が嫌になっただけ」


うつむくユーニ。
下を向いているせいで彼女の顔色はうかがい知れない。
だが、震える声色は彼女が感情を押し殺している証拠だった。


「アタシ、自分はもう少し聞き分けがいい奴だと思ってた。でも本当は全然そんなんじゃなくて、最低なことばっかり考えてる。どうしようもなく汚い奴なんだよ」
「……」
「だからさ、ちょっとだけ羨ましくなったんだ。サフロージュが」
「サフロージュ…?」
「人を惹きつけるくらい綺麗で、品があって清楚で、誰よりも好かれてる。アタシとは正反対だ」


咲き誇るサフロージュの花を見つめるユーニの瞳は、どこか寂しげだ。
彼女がこんな自虐を言うなんて意外だった。
いつも自信に溢れていて、人をうらやむ心など全くないと思っていたから。
しかも、その対象がサフロージュだなんて。
ユーニの言葉を表面上しか受け取れなかったタイオンは、彼女の突拍子のなさに思わず首を傾げた。


「君は花に対抗心を燃やしていたのか?」


この男は、戦場では冴える頭を持っているくせに時折怒鳴りつけたくなるほど鈍感である。
遠回しな表現をしたのだから気付かれなくても無理はないが、相変わらず察しの悪いタイオンにユーニは落胆した。
同時に、安堵もしていた。
もし彼の察しがよくて、懸命に隠したユーニの本心が暴かれてしまっていたら、幻滅されるかもしれない。
それだけは嫌だった。


「やっぱお前には言わない。あとでミオかセナにでも聞いてもらうよ」
「え!? ま、待てユーニ!」


呆れたように肩を落としながら去っていくユーニに慌てて手を伸ばしても、彼女は立ち止まってはくれない。
自分にはなかなか心の内を吐露しようとはしなかったくせに、何故ミオやセナには言えるんだ。
君が一番に相談すべきは僕じゃないのか。
心の中で反響したタイオンの叫びは、ユーニには届かない。
どんどん離れていく彼女の背中を何とか引き留めたくて、タイオンは頭で考えるよりも先に口を開いていた。


「さ、サフロージュも美しいが、僕はセリオスアネモネのほうが好きだ!」


我ながら突然何を言っているのだろうとタイオンは動揺する。
だが、タイオンの足掻きじみた叫びを聞いてユーニの足はぴたりと止まった。
彼女の気を引けたことに少しの喜びを見出したタイオンは、なんとか彼女を引き留め続けるために早口で言葉を続ける。


セリオスアネモネの香りは心を落ち着かせる効果がある!見ていると落ち着くし癒される!確かにサフロージュほどの上品さや繊細さはないかもしれないが希少性も高くてなんとか守ってやりたくなるというか。それに環境が変わっても気温変化に適応して花をつけるだけの生命力がある!はかなげな美しさよりも生きようと懸命に根を張る強さのほうが僕は好ましい、と、思う…ぞ……」


まくしたてるように言葉をぶつけていたタイオンだったが、最後の最後で自分は何を言っているのだろうかと戸惑いが生じ始め、語尾が小さくなっていく。
今自分はユーニを励まそうと言葉を探していたはずだ。
なのにいつの間にかサフロージュよりもセリオスアネモネのほうが好きだということを力説してしまっている。
こんなことを言っても彼女に対する励ましにはならないだろう。
黙ったまま立ち止まっているユーニの様子に焦りを感じ、タイオンは急いで次の言葉を探し始める。


「だからその、僕が言いたかったのは…!」
「…ほんとに?」
「えっ?」
「……ほんとに、そう思う?」


振り返り、こちらを見つめてくるユーニの瞳は不安げに揺れていた。
何故そんな泣きそうな顔をしているのだろう。
何もわからないまま“あぁ”と頷くと、彼女は“そっか…”とかみしめるようにタイオンの返事を租借した。


「じゃあ、もういいや」
「え…?」
「ありがとな、タイオン」


にっこりと笑うユーニ。
その頬はわずかに桃色がさし、いつもの男勝りな彼女からはかけ離れた可憐さが垣間見えた。
踵を返し、タイオンの元へと近づくユーニ。
そして彼の手を取って、彼女はにこやかに歩き出す。


「帰ろうぜ」


握られた彼女の手は暖かかった。
そのぬくもりと彼女の笑顔を見ていると、自然と心が満たされていく。
良かった。なんだか分からないが、ユーニの機嫌は直ったらしい。
それでいい。あんな思い悩んだ顔、ユーニには似合わない。
“そうだな”と頷き、重ねられた手をぎゅっと握り返すと、タイオンはユーニと並んで歩き出した。


***

おまけ


「ユーニさん!」


タイオンと並んでコロニーに戻ると、遠くからナミから駆け寄ってきた。
繋いでいた手はどちらからともなく咄嗟に離される。
お互いにほんの少しの名残惜しさを感じつつも、さすがに人前で手を繋ぎ続けるのは恥ずかしかった。


「こんな時間まで起きてたのか?」
「はい。ユーニが心配だったので」
「アタシ?」
「夕方ごろからユーニさんの姿が見えないと言ってタイオンさんが必死に探し回っていたので」
「え?」
「な、ナミさん!」


ナミからもたらされた事実に、ユーニは思わず驚いた。
ユーニが一人で散歩に出たのは夕方ごろ。
彼女がいなくなってすぐ、その姿が見えないことに気が付いたタイオンはあたりを探し回っていたのだ。
事情を知っているミオやセナにはやんわりと“心配しなくていい”と忠告を受けたが、タイオンとしては心配しないわけがない。
彼女が黙って目の届かないところに行ってしまうなど今まで一度もなかったし、一人行動している間にモンスターやメビウスにでも襲われたら大変だ。
夕食を採ったあともコロニー中を駆け回りユーニを探していたタイオンを遠くから眺め、ナミも心配を募らせていたのだ。


「他の方々は“そんなに心配しなくても大丈夫だ”と言っていましたけど、タイオンさんだけはずっと心配していたので、私も気になってしまって…」
「ふーん、タイオンがアタシをねぇ…」
「な、なんだその目は。もういい。僕は先に行くぞ」


揶揄うような目を向けてくるユーニに途端に恥ずかしくなったのか、タイオンは赤い顔をしたまま大股でその場を去って行ってしまった。
照れているのだろう。素直じゃない奴。
遠ざかっていくタイオンの背中を見つめながら、ユーニは心の中で呟いた。


「タイオンさん、ユーニさんのことをすごく大切に思っているんですね」


タイオンの広い背中を見つめたまま、ナミはつぶやく。
何を言っているのだ。
タイオンから大切にされているのはそっちじゃないか。
そんなことを想いながらユーニは首を傾げる。


「うん?なんでそう思うんだ?」
「ユーニさんがいなくなったとわかった時、タイオンさん本当に必死になって探していたんです、“怪我をしていたらどうしよう”とか、“モンスターに襲われているかもしれない”とか、いろいろ心配事を口にしながら」


ひとりでサフロージュを見上げていたユーニの元に現れたタイオンは、何故だか焦った様子で息を乱していた。
きっと方々を走り回っていたのだろう。
どうしてそんなに必死になるんだ、なんて野暮な疑問は浮かんでこない。
ユーニはタイオンと違って、察しがいい方だったから。


「タイオンさんにとって、ユーニさんは特別な存在なんですね」


“私もいつかあんなふうに想ってくれる人に出会えたら…”
空を見上げ、星空の向こう見える外の世界に思いをはせながら、ナミは言う。
“もう出会ってるよ”
誰よりも優しいあの軍務長の顔を思い浮かべながらそう口にしようとして、やめた。
いつかタイオンがこのコロニーに彼を連れてくるまで、余計な真似はしないでおこう。
その方がタイオンもきっと喜ぶ。


「会えるといいな、いつか」
「はい。いつか、きっと…」


湖の向こうに見えるサフロージュの木々を見つめながら、二人の言葉は夜の闇に溶けていくのだった。

 

甘い勝敗のゆくえ


「気安くこっち見んな」
「君こそ気安く話しかけないでくれ」


草原を歩くウロボロス一行の雰囲気は最悪だった。
6人と2匹の先頭を歩くタイオンとユーニは、先ほどのバニットとの戦闘以来ずっと険悪な雰囲気を纏っている。
戦闘中お互いの呼吸が合わなかったのか、インタリンクを解除したその瞬間から猛烈な口論が始まったのだ。
ケヴェス、アグヌス両陣営に所属していた6人が共に旅をするようになってから約1週間。
最初にウロボロスとしての力に目覚めたノアとミオや、筋トレが趣味だという共通点を持っていたランツとセナは早々に打ち解けたのだが、性格が正反対なタイオンとユーニは未だ歩み寄ることが出来ずにいた。
目が合えば睨み合い、雑談をすれば1分足らずで喧嘩になる。
タイオンとユーニの口喧嘩が始まるたび、傍から見ている他の仲間たちは困ったように顔を見合わせていた。


「タイオン、また喧嘩してる…」
「これで今日何回目かな」


ユーニとガンの飛ばし合いをしているタイオンの背中を見つめ、セナとミオは2人揃ってため息をついた。
コロニーガンマで一緒に戦っていた頃から、タイオンはその頑固さから周囲と衝突することが多々あったが、あそこまで徹底的に対立しているところは流石に見たことが無い。
相手が命を預け合うパートナーだからこそ妥協出来ないのだろう。
だが、二人の意地のぶつかり合いが旅の空気を悪くしているのも事実である。


「おいユーニ、少しは歩み寄れな。タイオンの嫌味にイラつくのは分かるけどよォ」


ランツの言葉に、タイオンはむっとした表情を向けてくる。
かく言うランツもまた、タイオンの口から度々放たれる嫌味に日々青筋を立てている内の一人だった。


「アタシに言うなよ。喧嘩売ってんのはコイツの方だろ?」
「何度も言うが、もう少し僕に息を合わせろと言っているだけだ。君とクダラナイ口論をする気はない。時間の無駄だ」
「あぁ?何だよその言い方!


タイオンの言葉は常に“余計な一言”が入る。
その言葉に怒りの火をつけたユーニが剛速球な罵倒を口にし、さらにタイオンが言い返す。
この繰り返しだった。
また口論のパターンに入ってしまった2人を、ノアは呆れ眼で眺めている。


「埒が明かないな。なんとか二人には仲良くしてもらいんだけど…」
「それならリクとマナナにいい考えがあるも。どんなに険悪な二人でも一瞬にしてニコニコ笑顔になれる遊びを知ってるも」


そう言って胸を張るリク。
隣にいるマナナもまた、リクと同じように自信満々な表情で笑顔を向けていた。
ミオが“どんな遊び?”と問いかけると、リクはよくぞ聞いてくれましたとでも言いたげな得意気な顔で言い放つ。


「その名もポッキーゲームだも!」


ポッキーゲーム?”
未だじりじりと睨み合っているタイオンとユーニ以外の4人が声を合わせて復唱する。
聞いたことのない遊びだった。
そもそもポッキーとは何か。
首を傾げる一行の疑問に答えるように、今度はマナナが懐から小さな箱を一つ取り出した。


「これがポッキーですも!マナナたちノポンの間で大人気のお菓子ですも!」
「あっ、それ見たことある!ガンマのノポンたちも食べてたよね」


ビスケット生地の細長い棒にチョコットソースをコーティングしたそのお菓子は、ノポン商会によって密かに流通しているものだった。
ノポンたちの間では“うまうまな菓子”としてそれなりの知名度を誇っているこのポッキーだが、人間たちの間ではあまり知られていない。
箱から小袋を取り出し、リクはそのもふもふの耳で細長いポッキーを一本だけつまみ上げた。


「二人でこのポッキーを両端から食べ進めて、よりたくさん食べられた方が勝ちというゲームも」
「要するに早食いか?」
「けど、どうしてそれをすると仲良くなれるの?」
「やってみれば分かりますも!」


その“ポッキーゲーム”とやらをすることで何故仲良くなれるのかイマイチ呑み込めない4人だったが、自信満々なリクとマナナの言葉を信じることにしてみた。
リクからポッキーを受け取ったノアは、ゲームの概要を伝えながらタイオンとユーニにそれを差し出す。


「ということで、やってみてくれないか?タイオン、ユーニ」
「いいぜ。じゃあこのポッキーゲームとやらで白黒つけようじゃねーか」
「望むところだ。僕が勝ったら次の戦いからこちらの指示に従ってもらうぞ」
「じゃあこっちが勝ったら二度とアタシの戦い方に口出しするなよ?」


互いの要求を投げつけながらにじり寄る二人。
ノアからポッキーをひったくるように受け取ったタイオンは、チョコットソースが付いていない方を咥えてユーニを見下ろした。


「おい少しは屈めよ。届かねぇだろ」
「君の身長が小さいのが悪い。背伸びでもすればいいだろう」
「うっせーいいから屈め」
「うぐっ」


タイオンとユーニの間にはそれなりの身長差がある。
どちらかが気を遣わなければポッキーの両端を二人で咥えることなど出来ない。
いつまでも屈んでくれないタイオンに苛ついたユーニは、彼の長いマフラーを強引に手繰り寄せ無理やり屈ませる。
首に巻いたマフラーを引っ張られたことで僅かに首が絞まったタイオンは腹を立てたが、ようやくポッキーの反対側を咥えこんだユーニを見て仕方なくそのまま屈み続けることにした。

ポッキーの先端を互いに咥えながら睨み合う二人。
交じり合う殺気溢れる視線からは、見えない火花が散っていた。
今にも頭突きしそうな勢いの2人の様子を見つつ、ノアは困惑する。
ポッキーゲームとはこんなに殺伐とした雰囲気でやるものなのだろうか。
リクは“ニコニコ笑顔になれるも”と言っていたが、どう考えても2人は“バチバチ不機嫌”にしか見えない。
おかしいな、と考え込むノアだったが、ポッキーを咥えこんだままの2人の鋭い視線にギロリと睨まれた。


「おいノア、さっさとスタートの合図しろ」
「えっ、俺がやるのか?」
「早くしてくれノア。いつまでも彼女と向き合っているのは疲れる」
「奇遇だなタイオン。アタシも同じ気持ちだ」


まるで仲間を殺されたヴォルフのように威嚇しあう二人。
このままでは空気が悪化する一方である。
ふと背後を見ると、ランツやミオ、セナたちが固唾をのんでこちらを見守っていた。
仕方がない。自分がやるしかないようだ。
諦めたようにため息をついたノアは、“わかった”と小さく呟いた。


「それじゃあ、よーい……スタート!」


ノアの掛け声と共にポッキーを食べ進めていくタイオンとユーニ。
細長いとはいえ2人が全力で早食いするとなれば、あっという間に互いの距離は縮んでいく。
そして、試合開始から3秒も経たない間に2人の顔は急接近し、互いの唇と歯が勢いよくぶつかり合ってしまった。
2人の歯がかちあう“ガツン”という嫌な音が響き、観戦していたノアたち4人はほぼ同時に“あ…”と声を漏らした。


「くっ…!」
「いってぇぇぇ…!」


即座に顔を離した2人は、共にその場で蹲り口元を手で抑えていた。
あれほどまでに勢いよく歯をぶつければかなり痛いだろう。
背後からセナの“痛そー…”という憐みの言葉が聞こえてくる。


「タイオンてめぇ何しやがる!めちゃくちゃ歯が当たったじゃねーか!」
「それはこちらの台詞だ!歯が欠けてしまったらどうする!」
「知るか!お前が遠慮すればよかっただけの話だろ!」
「これは勝負なんだぞ!遠慮などするわけない!」


痛みをこらえ、涙目で言い合うタイオンとユーニ。
無事ゲームは終了したというのに、仲良くなるどころか2人の険悪ムードは悪化しているように見える。
にこにこ笑顔になるんじゃなかったのか…。
蹲りながらぎゃいぎゃいと言い合う二人を見下ろしながら、ノアは頭を抱えた。


「で、ノア!この勝負どちらの勝利だ!?」
「えっ?」
「絶対アタシの方が多く食ったよな?ノア!」
「いいや僕だ!明らかに僕の方が距離を稼いでいた!」
「絶対アタシだ!」
「僕だ!」
「アタシ!!」
「僕!!」


互いに自己主張を繰り返す2人の間に挟まれ、ノアは困った表情を浮かべていた。
助けを求めるように背後のリクとマナナに視線を向けると、彼らは誤魔化すようにそっぽを向いていた。
“仲良くなれるはず”と言っていたじゃないか。
2匹のノポンに抗議するノアの心の声は届かない。
結局、タイオンとユーニの口論はノアの“痛み分けってことで”という曖昧なジャッジを受けるまで続くのだった。

***

オリジン突入のため、船の素材を集めていた一行は久方ぶりにシティーへと到着した。
それぞれが思い思いの時間を過ごす中、ユーニはバスティールを買いに行くというタイオンに付き合っていた。
小腹が空いていたユーニは、アルドンソーセージのトッピングを注文。
その横で店員から注文したものを受け取っていたタイオンの手には、クリームやらチョコットソースやら甘い系のトッピングをこれでもかと詰め込んだバスティールが握られていた。
ユーニも甘いものは好きな方だったが、あまりの糖分の高さに見ているだけで胸がむかむかしてしまう。


「お前、ほんと甘いもの好きなのな」
「糖分は疲れに効く。実益と効能を考慮した結果がこれだ」
「ふぅん」


とは言うものの、さすがに糖分の取り過ぎで体に悪いのではないかと思ったユーニだったが、口にするのはやめておいた。
タイオンの甘いもの好きは彼女もよく理解している。
どうせただ食べたかっただけなのだろうが、それを素直に口にするのが気恥ずかしくて適当な理由をつけているのだろう。
タイオンが何をトッピングしたのか気になったユーニは、彼のバスティールをじっと見つめてみる。
すると、こんもり盛られたトッピングの中に、細長い菓子が突き刺さっているのを見つけた。


「あ、これポッキーじゃん」
「ん?」


タイオンのバスティールに手を伸ばし、複数突き刺さっているポッキーを一本だけ抜いた。
先端にクリームがついたそれは、旅を始めたばかりの頃に食べたことがある。
ノポンの間でだけ流行していると思っていたが、どうやらシティーでも食べられているようだ。


「懐かしいな。覚えてるか?前にポッキーゲームで勝負したよな」
「あぁ。そういえばそんなこともあったな。確かあの時はお互いの歯が当たって…」


そこまで言いかけたところで、タイオンの頭に当時の光景がありありと浮かんできた。
勢いよく顔を近づけ、歯と唇がぶつかり合ったあの瞬間の光景を。
あの頃はほとんど意識していなかったが、シティーで様々なことを見聞きし学んだ今だからこそ分かってしまう。
あの時、歯だけでなく唇もわずかに触れ合ってしまっていた。
その時の感触と痛みは、今でも覚えている。
今思えばあれは、所謂“キス”というものだったのではないだろうか。
そう思った瞬間、顔に熱が灯る。
喋っている途中で急に口を閉ざしてしまった相方を不審に思い、ユーニは首を傾げた。


「どうした?」
「い、いや別に…」


しまった。バスティールのせいでいらないことを思い出してしまった。
妙に意識してしまって、ユーニの顔をまっすぐ見れそうにない。
何故ポッキーのトッピングなんて選んでしまったんだ僕は。
そんなことを思いながら視線を逸らしていたタイオンだったが、そんな彼の横で、タイオンから貰ったポッキーを咥えたユーニが顔を覗き込んできた。


「またやるか?ポッキーゲーム


不敵に笑うユーニの言葉に、タイオンは一瞬息を詰めた。
細長いポッキーを咥える彼女の唇に、自然と視線が向かってしまう。
何を考えているんだ僕は。冷静になれ。
頭を振って自分に言い聞かせながら、タイオンは平静さを取り戻すためそっぽを向いた。


「あ、あれは二人の仲を良くするためのゲームだろう?今の僕たちには必要ない」
「そりゃそうだな」
「……まぁ、君がどうしてもしたいと言うのなら検討してやっても——」


逸らしていた顔をゆっくりと戻すと、隣にいたはずのユーニはもうそこにはいなかった。
どこへ行ったのかと焦りながら周囲を見渡すと、数メートル先を歩く彼女の背を見つけてしまう。


「何してんだよタイオン。さっさと帰ろうぜ」


彼女が口に咥えていたポッキーは、既に半分以上短くなっていた。
こちらを振り向き笑うユーニは、タイオンの話を全く聞いていなかったらしい。
出会ったばかりの頃から相変わらず自由奔放な彼女に少しむっとしながらも、タイオンは何も言わずに肩を落とした。


「まったく、相変わらずだな君は」


気まぐれに先を行くユーニを見つめながら、タイオンも彼女の背を追うように歩き始めた。
かつてユーニに向けていた冷たく無関心な目をしたタイオンは、もうどこにもいない。

 

繋いだ先に独占欲


「ねぇ君たち、今ヒマ?」


午後22時42分。
ティーの大通りを歩いていたミオ、セナ、ユーニの3人は背後から見知らぬ男たちに声をかけられた。
そこにいたのは、いずれも“真面目”とは程遠い見た目をした若い男たち。
ロストナンバーズではない、一般の住人らしい。
買い出しを終え、寄宿舎に帰る道中で問われた“暇か”という唐突な質問に、3人は顔を見合わせた。


「別に忙しくはないけど……何?」


3人の中で最も年上であるミオが訝し気に問いかける。
彼女たちウロボロスの力を借りたいと頼ってくる者はこのシティーにも多くいる。
モンスターの討伐や資材あつめなど、用件は様々だが、メビウスと対等に渡り合えるだけの力を持つ彼らなら造作もない仕事である。
目の前の男たちも、そんなウロボロスの力を頼ろうと声をかけてきたのかもしれない。
そう思ったミオは、少々怪しみながらも話を聞くことにした。
すると3人の男たちはにやりと不敵な笑みを見せると、ミオたちとの距離を詰め始める。


「いやさぁ、俺たちも暇しててね。一緒に飯でもどうかなーって」
「ごはん?一緒に?」
「そうそう!いい店知ってんだよね。奢るから一緒にどう?」
「アタシらさっき飯食ったし遠慮しとく」
「そんな固いこと言わずに付き合ってよ~。一杯だけでもいいからさ」
「俺たち可愛い女の子には奢るって決めてるんだよ。絶対楽しいから一緒に行こうよ、ね?」
「そんなこと言われても…」


断っても断ってもぐいぐいと迫ってくる3人。
あまりのしつこさにユーニは拳が出そうになったが、彼らは兵士ではなく一般人。
そんな相手に乱暴な手を使うわけにもいかなかった。
セナは戸惑い、ミオは少しむっとした表情で毅然と断る続けている。
それでもなお食い下がろうとしない男たちにいい加減怒りが込み上げてきたユーニが口を開きかけたその時だった。


「デメェら何してやがる!」


男たちを背後から怒鳴り散らしたのは、見知った顔だった。
両脇に強面のアギョウ、ウンギョウを引き連れた長老の娘、ゴンドウ。
彼女の登場に、男たちは“げっ、ゴンドウ”と急に焦りを顔ににじませ始めた。
両脇のアギョウ、ウンギョウはすさまじい殺気で3人の男たちを威圧している。


ウロボロスに声かけるなんて随分度胸あるな。誘う相手間違ってるんじゃねーの?」
「え!?」
「う、ウロボロス…?」


ゴンドウの言葉を聞き、3人の男たちは恐る恐るミオたちに視線を戻す。
むっとした表情で睨んでいるミオ、セナ、ユーニをじっと見つめた後、彼らの顔色は真っ青いに染まっていく。
どうやら声をかけている相手がウロボロスであるということに気付いていなかったらしい。
焦ったように視線を泳がせた3人は、“くそっ”と悪態をついて逃げるようにその場から去っていく。
どんなに時勢に興味のない若者でも、ウロボロスが強大な力を持っている存在だということはよく知っているはず。
そんな彼女たちをこれ以上怒らせ反撃でもされようものなら命はない。
そう判断したようだった。


「ありがとうゴンドウ!助かったよ!」
「だな。あと少しであいつらの顔面に殴りかかるところだったぜ」
「そりゃあいいタイミングだったな。シティーの連中が迷惑かけて悪かった」


セナとユーニの言葉に、ゴンドウは軽快に笑った。
ティーは強硬派と保守派で未だ対メビウスに関する意見がまとまっておらず、不安定な情勢の上に成り立っている。
そんな状況下で、ロストナンバーズにとって希望ともいえるウロボロスが一般市民に危害を加えたとなれば、保守派は黙っていないだろう。
ティーの中でウロボロスである彼女たちがことを荒立てるわけにはいかなかったのだ。


「けど何だったんだ?あいつら。めちゃくちゃしつこかったぞ」
「一緒に食事がしたいって言ってたけど、本当なのかな?」
「んなわけねぇだろ?ありゃナンパだよ、ナンパ」
「ナンパ?」


初めて聞く言葉だった。
意味が分からず顔を見合わせる3人の女たちに、ゴンドウは少し呆れてしまう。
そうか、こいつらナンパも知らねぇのか。と。
ゆりかごから生まれた彼らは、愛だの恋だのという複雑な概念は持ち合わせていない。
それはつまり、下心をむき出して迫ってくる異性の行動も理解できないということである。
これは危ない。シティーはロストナンバーズが統括しているとはいえ、ここに住むもの全員が善人というわけではない。
なかには邪な心を持っている者もいるだろう。
とくに夜が深まればそういう輩は活動を活発にする。
力はあれど知識はない無垢な彼女たちが、そういた類の連中の毒牙にかかるのも時間の問題と言えた。


「ナンパってのは要するにアレだ。“お近づきになりたい”ってやつだ」
「仲良くなりたいってこと?それっていいことなんじゃ…」
「いやそうじゃなくて…。うーん、なんて言ったらいいかな…」


確かに親しくなりたいという気持ちで近づいてくる行為には変わりない。
だが、相手はそんなに純粋な気持ちで迫っているとは限らない。
ほとんどの場合が下心を隠しているだろう。
だが、そのことをどう説明すればいいのだろうか。
言葉を選び過ぎているがゆえに困っているゴンドウを横から見つめていたアギョウ、ウンギョウは、互いに顔を見合わせ頷き合うと、戸惑っているミオたちに容赦なく言い放った。


「ナンパとはつまり、男が女と一発ヤリたいがために行う行為のことっス」
「その通り。着いていったら最後、手籠めにされるから注意したほうがいい」
「ちょ、おいお前ら!」
「一発ヤる…?」
「手籠めにされる…?」


まったく言葉を選ばない2人の従者に、ゴンドウは珍しく取り乱した。
だが、当のミオたちはその言葉の意味すら分かっていないらしく未だ頭の中のクエスチョンマークが解消されることはなかった。
こうなっては仕方ない。注意を促すためにも、アギョウ、ウンギョウに習ってハッキリ教えたほうがいいかもしれない。
そう決意しため息をついたゴンドウは、腰に手を当て口を開いた。


「あのクソ女が言ってたけど、お前らホレイスからいろいろ教わったんだろ?子供のつくり方とかさ」
「うん、教わったよ!確かせっく」
「言わなくていい!そんなでかい声で言わなくていいから!」


純粋無垢な顔でその単語を言おうとしたセナの口をゴンドウは急いで塞いだ。
無知で無垢なゆえにこうもあっけらかんとしていられるのかと呆れるとゴンドウと、そんな彼女が翻弄されている珍しい光景に笑いを抑えきれないアギョウ、ウンギョウ。
クスクスと笑っている2人の従者を鋭い睨みで黙らせると、ゴンドウは再び言葉を選びながら注意喚起を続けた。


「あぁいうナンパ野郎は、気に入った相手に手あたり次第声かけてそういうことをしようとしてるんだよ」
「えっ、そうなの?」
「あぁ。ついていったら強引にそういうことをさせられるかもしれねぇから、絶対誘いに乗るんじゃねぇぞ?」


ゴンドウは多少話を盛った。
だが、危機感のない彼女たちにはこれくらい大げさに言った方がいいだろう。
案の定ミオ、セナ、ユーニの3人はぎょっとしたような表情を浮かべながら互いの顔を見合わせていた。
これで少しは彼女たちも危機感を持つだろう。


「ど、どうすればそのナンパにあわなくて済むの?」
「そうだなぁ…。男と一緒ならさすがに逢わないだろ。腕汲んだり手つないだりしてればもっと確実」


恐る恐る聞いてきたミオの質問に、ゴンドウは胸を張って答えた。
実際、ノアやランツ、タイオンも一緒にいるときはあのような男たちに絡まれたことは一度もなかった。
これまでのシティー内での行動を思い返してみれば、ゴンドウの言葉にも説得力が生まれてくる。
“分かった”と頷く3人のウロボロスたちの反応に満足したゴンドウは、未だにやけているアギョウとウンギョウを引き連れその場を去った。
この親切心からくる教示によって、一人の男が後々混乱することになるなど知らずに。

***

滞在中である寄宿舎の談話室にて読書中のタイオンを見つけたのはまさに僥倖だった。
ちょうどいい。そう思い、ユーニは上着を羽織りながら彼に声をかける。


「なぁ、バスティール買いにいかね?」


ユーニからかけられた言葉に反応し、タイオンは手元の小説から顔を挙げた。


「今からか?さっきマナナの夕飯を食べたばかりだろう」
「小腹が減ったんよ」
「僕は遠慮しておく。そこまで空腹じゃない」


素っ気なく返され、タイオンは再び小説へと視線を戻してしまう。
普段なら“あっそ”で済まし、一人でバスティールを買いに出かけるところだが、今日は勝手が違っていた。
時刻はすでに22時を回っている。
つい先日ゴンドウから脅しじみた注意喚起をされてまだ3日も経っていない。
この時間に外出すれば、またナンパに逢うかもしれない。
ここは潔く引き下がるわけにはいかなかった。


「一緒に来いよ」
「は?何故」
「夜遅くに女一人で出歩くとナンパに逢うんだってよ」
「なんぱ?なんだそれは」


ユーニの口から飛び出した聞き慣れない単語に、タイオンは疑問を抱く。
ティーの言葉だろうか。
するとユーニは、談話室のコート掛けに引っ掛けられていたタイオンのマフラーを手に取りながら、ゴンドウから聞いた説明をそのままタイオンへと教示する。


「アタシもよく知らねぇけど、ゴンドウが言うには女を無理やり連れ去って子供を産ませる奴ららしいぜ?」


手に持っていた小説がポロリと床に落下する。
口をあんぐり開け、光の宿らない目でこちらを見ているタイオンの表情は、まさに“茫然”という言葉がよく似合う。
無理やり連れ去って子供を産ませるだと?なんて恐ろしい。
にわかには信じられないが、このシティーの住人であるゴンドウが言うからには本当のことなのだろう。
今まで夜にシティー内を出歩いたことは何度もあったが、まさかそのような卑劣な存在がうろついていたとは知らなかった。


「夜のシティーにはそんな恐ろしい輩が出没するのか」
「でも男と一緒にいると遭遇しないんだってさ。だから付き合ってくれよ」


ナンパを名乗る者たちにユーニが連れ去られ、子供を無理やり生まされている光景が頭をよぎり、タイオンは勢いよく頭を横に振る。
そんな危険な目にユーニを合わせるわけにはいかない。
ひとりで行かせるくらいなら自分も一緒に行った方がマシだろう。
彼女が差し出してきたマフラーを受け取ったタイオンは、“仕方ないな”とつぶやきソファから重い腰を上げた。


***


屋内に展開しているシティーは、ちゅや問わずエーテル灯が点灯しており、外の時間が分かりづらい。
だが、さすがに22時を回れば公園からは子供の姿はなくなり、代わりに素行が悪そうな若者たちが大通りを闊歩し始める。
バスティール屋に向かう道中、並んで歩いているタイオンとユーニは周囲を警戒しつつあたりを見回していた。


「すげぇな。ホントに男と歩くと誰も声かけてこねぇ」
「一人だと違うのか?」
「この前ミオとセナと一緒にいた時はしつこく絡まれたんだよ。危うく乱闘になるとこだったな」
「乱闘……」


それほどまでに狂暴なのか、ナンパというものは。
ますます恐ろしくなってくるタイオン。
だが、今はナンパの実態よりも気になることが一つだけあった。
左腕に絡められているユーニの腕である。
寄宿舎を出た瞬間、彼女はタイオンの左腕に自らの右腕を絡めてきた。
お陰で体が密着し、二の腕のあたりに彼女の柔らかな何かがずっと触れている。
その何かが何なのかは、考えてはいけないような気がする。


「それより、なんで腕を組むんだ」
「腕組んだり手を繋いだりして歩くとナンパの遭遇率が減るらしいんだよ。なに?アタシと腕組んで歩くのがそんなに嫌なのかよ」
「嫌というわけではないが……歩きにくい」
「はぁ……はいはい分かったよ」


深くため息を零すと、ユーニはタイオンの腕から自分の腕をするりと抜いた。
彼女の体温が離れていくのを感じ、タイオンは小さく“あ…”と声を漏らす。
“これでいいんだろ?”と言って一歩間を開けるユーニ。
自分からクレームを出したくせに、タイオンはその数センチの隙間を惜しく感じていた。
歩きにくいとは言ったが、やめてほしいだなんて一言も言っていない。
それに、離れていてはナンパとやらに絡まれるかもしれないだろう。
衝動に身を任せユーニの右腕を捕まえると、半ば強引に引き寄せた。
急に引っ張られたユーニはバランスを崩し、タイオンの左半身にぶつかってしまう。
突然何をするんだと少しむっとしたユーニだったが、腕から掌に降りてくるタイオンの手と真っ赤な彼の顔を見ていると、何がしたかったのか察しがついてしまう。


「……どうせならこっちにしてくれ。このほうが歩きやすい」


ユーニの手を握るタイオンの手は、少しだけ冷たかった。
赤くなった顔を見られないようにそらしている彼の声はどこか上ずっていて、必死に冷静さを取り繕うとしているのが手に取るようにわかる。
照れながらも自分のために恥じらいと戦っているタイオンを見つめながら、ユーニは彼の手を握り返した。

ゴンドウの言う通り、手を繋いで歩く2人に声をかけるものは誰もいなかった。
手を繋いでいる時間が1分1秒と伸びるごとに、手が少しだけ汗ばんでくる。
まずい。不快なユーニに深いな想いを指せていないだろうか。
一度離して手を拭きたい、けれど、手を離せば再び握る機会を失ってしまうかもしれない。
それは少しだけ惜しかった。

やがて大通りに出た2人の視界に、バスティール屋が見えてくる。
そろそろ閉店時間を迎える店では、店員があわただしく締めの作業に入っていた。


「じゃあアタシ買ってくるから。お前はいらないんだよな?」
「あぁ」
「じゃあその辺で待ってて。すぐ戻る」


そう言って、彼女はタイオンの手からするりと抜けてバスティール屋へとかけていく。
行ってしまった。
つい先ほど繋がれていた掌に視線を落とす。
彼女の手は自分の手よりも小さくて細くて、力を込めれば折れてしまいそうだった。
仮にも武器を振るう戦士であることは同じなのに、どうしてこうも自分と彼女とでは違うのだろう。
彼女との違いを1つ1つ見つけるたび、心臓が高鳴るのはなぜだろう。

ふと横を見れば、そこにはウェルウェルの店の看板が立っていた。
バスティールの店とウェルウェルの書店は近い位置にある。
寄宿舎の談話室に置いてきが小説がそろそろ読み終わることを思い出し、タイオンは地面に敷かれたシートの上に積まれた小説の山に目を通しはじめた。
戦記物、冒険譚、推理物、そして恋愛小説。
さまざまなジャンルの小説の中からタイオンが手に取ったのは、赤い表紙の恋愛小説だった。
知見を得るため様々なジャンルの物語に目を通してきたが、恋愛小説はまだ一度も読んだことはなかった。
これを読めば恋愛という複雑な概念も理解できるようになるのだろうか。
そんなことを想いながら、ふとバスティール屋の方へと振り返ったタイオン。
彼の視界に飛び込んできたのは、ユーニが2人の男に囲まれている光景だった。


***

注文したアルドンソーセージのバスティールを受け取った直後のことだった。
背後から知らない声に呼びかけられる。
“ねぇねぇ、君一人?”と。
振り返った先にいたのは見るからに素行が悪そうな若い男二人。
先日絡んできた男たちとは別の人間だったが、まとっている雰囲気は全く散っていいほど同じだった。
あぁまずい。
ユーニが感じた嫌な予感は、男たちが言い放った次の言葉で現実のものとなる。


「暇なら一緒に遊ぼうよ」
「俺たち暇してたんだよねー。ね?いいでしょ?」


やはりナンパだった。
タイオンと離れたこの一瞬で声をかけられるとは、さすがのユーニにも誤算である。
ぺらぺらと話しかけてくる男たちは、こちらが話を遮る隙すらも与えようとしない。
それが彼らの手なのかもしれない。
あれよあれよという間に話を進め、断る隙さえ与えず強引に連れていく。
だが、そんな手に引きずられるほどユーニはか弱くはない。
いい加減鬱陶しく思えてきた。もう強引に押しのけてタイオンの元に逃げ込もうか。
そう思い始めた瞬間だった。
右側に立っていた男が、ユーニの腕に手を触れてきたのだ。
追い詰めるように迫ってきた男たちに腹が立ち、とうとう拳を握込み始めたその時。
2人のうち一方の男の肩に、背後から手が置かれた。


「おい、僕のユーニに何をしている」


眼鏡の奥に光る冷たい瞳で男たちを睨むタイオン。
その声は、聴いたことが無いほど低く威圧的なものだった。
明らかに怒気を待っているタイオンを見た男たちは、引きつった顔で後ずさる。


「な、なんだよお前っ」
「なんだはこちらの台詞だ。少し目を離しただけだというのに油断も隙も無い。汚い手で勝手に触るな」


ユーニの腕を掴んだままの男の手首をつかみあげて強引ひねると、男は“いたたたた!”と悲痛な叫びをあげ始める。
もう一方の男が“この野郎!”と背後から拳を振り上げてくるが、向かってくる男の体を左足で蹴り上げるとあっけなく地面に沈んだ。
手首を掴みあげていた男の体を開放すると、赤くなった手首をさすりながら恐怖の目でタイオンを見つめた。


「な、なんなんだよお前はっ」
「人の邪魔しやがって…!」
「それは悪かったな。だがせめて誘う相手はきちんと身の丈に合った相手にしてもらおう。ユーニに手を出そうなど100年早い」


さらりと言ってのけたタイオンの言葉に、男たちは唇を噛み後ずさる。
ブレイドも出さずにあっという間に自分たちを打ちのめしたタイオンに分が悪いと判断したのだろう。
彼らは“お、おいもう行こうぜ”“あ、あぁ…”とよろけながらその場を後にした。
やはりあれはナンパだったらしい。
ユーニが子供を産まされる前に助けられてよかった。
内心安堵しつつユーニを振り替えるタイオン。
するとそこには、バスティールを片手に持ったまま茫然としているユーニの姿があった。


「お前…あれちょっとやり過ぎじゃね?」
「えっ」
「相手は兵士じゃなくて一般市民なんだから手加減くらいしろよ。あとウロボロスってことがバレたら保守派とか高校はとかの絡みがいろいろ面倒だろ?」


ユーニの言葉に、タイオンは初めて後悔を覚えた。
確かにそのとおりである。
ティーには戦いを望まない者のの方がいい。戦場で生きている自分たちとは違い、彼らは闘いの世界とは無縁な存在だ。
いくらナンパしてきた男とは言え、容易に手を挙げるのは適切ではない。
それに、もし自分たちがウロボロスであると彼らに知られれば、モニカにも迷惑がかかるだろう。
あそこは何とか対話で穏便に追い返すべきだったのに、いつの間にか冷静さを失って思わず手が出てしまった。
ユーニに触れている男の姿を見た瞬間、思考力が極端に落ちてしまったのだ。


「……すまない。頭に血が上って」
「みたいだな。らしくないこと言ってたし」
「らしくない?」
「“僕のユーニ”」


ぎくりと体が固まった。
その言葉を発した記憶は確かにある。
言い逃れなどできない。
体の奥から焦りと羞恥心が湧き出てくるのが分かった。


「い、いや違うんだ!あれは言葉の綾で、本当は“僕のパートナー”と言おうとしたんだ!決して君を所有物扱いしたわけじゃ…」


“僕の”と呼称したことでモノ扱いしてしまったと受け取られたのではと焦るタイオン。
焦るポイントが少しだけずれている彼の反応に、ユーニは声を挙げて笑った。


「はいはい。じゃあ帰ろうぜ、“アタシのタイオン”」


ユーニの差し出された左手に、タイオンは戸惑いつつも自分の手をさ重ねた。
すると、彼女の指が自分の指に絡むようにぎゅっと手を握られる。
掌と掌が寄り添うように密着し、自然と腕も絡みう。
なんだこれは。さっきとつなぎ方が違うじゃないか。
驚いたタイオンだったが、抗議する気にはなれなかった。
もし文句の一つでも言ってユーニの気分を害したら、また手を離されるかもしれない。
それはやっぱり嫌だったし、なによりこのつなぎ方も悪くない。
それどころか、先ほどのつなぎ方よりも、いい。
より彼女に近付けている気がして、なんだか胸が躍る。
こんなこと、絶対にユーニに本人には言えそうもないな。
そんなことを考えながら、タイオンはユーニのてを握る力をほんの少し強めたのだった。