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二次創作まとめ

きみの翼になれたなら

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■ゲーム本編時間軸

■短編


カデンシア地方の海をまっすぐ横断するバウンダリーは、操縦桿を握っているリクのおかげで今日も大きく揺れている。
最初のうちはその荒っぽい運転ぶりに体力を消耗していた一行だったが、何日も船での旅を続けているおかげか今はすっかり慣れたものである。
次の島へ向かうためゆっくりと大海原を進むバウンダリーの甲板で、タイオンは一人遠くの景色を眺めていた。
彼の掌にあるのは、小さな懐中時計。
かつて自分の師のような立場にあった人の忘れ形見である。


「それ、結局埋めなかったんだな」


かけられた声に振り向けば、そこにいたのはた白い羽根を風に揺らしているユーニだった。
隣にやってきて、タイオンと同じように船の手すりに身を預けている彼女の視線は、手元の懐中時計へと注がれている。


「あぁ。色々考えたが、これはナミさんから託された“想い”だからな。僕の手で未来へつなげてみせる」


一時は“重すぎる”と手放してしまったこの懐中時計。
イスルギの手を経て舞い戻ってきたこのナミの遺品は、彼女の思いが詰まった大切なものだ。
この世では、人は10年の時しか生きられないが、この懐中時計は10年以上の時を生きている。
自分の手の中にあることで、ナミの想いが10年以上生き続けることが出来るなら、自分が死にゆくその日まで持ち続けていたかった。


「いいんじゃね?お前らしいよ」
「意外だなユーニ。君なら“過去ばかり見るな”とか言いそうなものだが」
「捨てられない過去って、誰しもあるだろ?」


潮風に髪をなびかせながら、ユーニは笑う。
その笑顔が儚げに見えたのは気のせいだろうか。

たった10年という短い年月でも、闘いの日々の中で生きていば傷が残るほどの強烈な思い出も出てくるだろう。
目の前で死んでいったヨラン。
死なせてしまったナミ。
身代わりとなって遠ざかるミヤビ。
先に逝ってしまったクリス。
やり直すために足掻いたシャナイア。
戦いの中で命の火を燃やしていったエセルとカムナビ。
そのすべての過去が、脳裏に焼き付いて離れない。
重荷となって、6人のウロボロスの肩にのしかかっているのだ。


「命って、あっけないよな」
「うん?」


突然、何の脈絡もなくユーニがつぶやいた。
遠くに見えるシルドンとシルマの群れを見つめながら、まるで独り言のように言葉を続ける。


「どんなに濃い一生を送っても、死ぬときは一瞬だ。その一瞬で今まで積み上げてきた記憶とか時間とか、そういうものが全部消えてなくなるんだろ?なんか、虚しいよな」
「ユーニ…」
「死んだらまた再生して、そしてまた死んでいく。アタシたちって、何のために生きてるんだろうな」
「だからメビウスを倒すんだろう?死ぬために生きているようなこの世界を終わらせるために」


メビウスが作り出した命の輪は、風に種子を飛ばし再び咲く花のように命を循環させている。
それはただ単に彼らが餌に困らないためのシステムであり、循環の輪の中に囚われている花には、生き方を選ぶ権利すらない。
今日もまた、死ぬために生きている花たちは、メビウスの糧となるため懸命に生きている。
死へと突き進むしか道がないこの世界を壊せるのは、たった6人のウロボロスだけなのだ。
何度も咀嚼した“戦う理由”をユーニに突きつけると、儚げに笑って小さく頷いた。


「そうだな」


波打つ水面を見つめるユーニの表情が、タイオンの目にはいつもより悲し気に映った。
何故、そんな顔をしているのだろうか。
答えが出ないまま、ユーニは背を向けてバウンダリーの船内へと去っていった。


「ユーニ…?」


取り残されたタイオンは、風に髪を乱しながら彼女の名前をつぶやく。
しかし、エンジンと波の音にかき消され、その声がユーニの背に届くことはなかった。


***


コロニー30にて、ルディからドルークに必要な素材を届けてほしいと要請を受けたのは3日ほど前のこと。
カデンシア地方に滞在していたノアたちは、ルディの要請にこたえるべくケヴェスキャッスル地方をまたぎ、モルクナ大森林を抜け、フォーニス地方へと足を踏み入れていた。
 
目指すべきコロニー30は、カーナの古戦場を超えた先にある。
このまま行けば、おそらく明日の午前中には到着するだろう。
そんな会話をしながら進む一行。
だが、その輪の中にいたタイオンは、荒れ果てたカーナの古戦場が見えてきたあたりから、ユーニの様子がおかしいことに気付いていた。

いつもなら話の中心にいて、ランツと一緒に軽口をたたいているというのに、何故だか今日はおとなしい。
具合でも悪いのだろうか。
会話の中にいながらもちらちらとユーニの様子を伺っていたタイオンだったが、一歩一歩前に進むごとにユーニの顔色が悪くなっているように見える。
これはまずい。放っておけなくなったタイオンは、そっと仲間たちの輪から外れ、後方を歩くユーニの横に並んだ。


「ユーニ、大丈夫か?体調が悪いなら…」
「……」
「ユーニ?」
「え、…」


びくりと肩を震わせ、ようやくこちらに視線を向けたユーニ。
どうやら声をかけるまで、タイオンが隣に並んでいたことにすら気が付かなかったらしい。
弱弱しい目で見てくる彼女の表情を見た瞬間、タイオンは彼女の様子がおかしいのは体調不良のせいなどではないことを察した。
揺れる青い瞳を見ていればすぐにわかる。
何かに怯えているのだ。


「みんなすまない。先にコロニー30に向かっていてくれないか?」


先を歩いている仲間たちに声をかけると、彼らはぴたりと足を止め、不思議そうに顔を見合わせながらこちらを振り返ってきた。


「先にって…どうかしたの?タイオン」
「この近くに希少な美味い茶葉が生えているはずなんだ。せっかく近くまで来たことだし、探しておきたい」
「だったら俺たち全員で…」
「いや。僕の都合だし、皆を足止めさせるわけにはいかない。先に行っていてくれ」
「でも一人で大丈夫?この辺、モンスターも多いと思うけど…」


カーナの古戦場は、荒れ果てた大地で人も寄り付かない。
だからこそ巣を構えているモンスターも多く、一人で行動するには危険が伴う場所だ。
ひとりきりでハーブを探すと言い張るタイオンを、ミオが心配するのは当然の流れだった。


「問題ない。ユーニが手伝ってくれると言っている」
「えっ?」


急に自分の名前が出てきたことに驚き、タイオンを見上げるユーニ。
彼のハーブティー探しを手伝うと言った覚えはない。
何の話かと問いただす前に、今度は話を聞いていたセナが納得したように頷いた。


「ユーニがいるなら安心だね!」
「だな。いざとなったらインタリンク出来るだろうし、心配いらねぇんじゃね?」
「……そうだな。じゃあタイオン、俺たち先に行くよ」
「なるべく早く追いついてね?」
「あぁ。すまないな」


ノアたち4人は、タイオンとユーニを残して再び歩き始めた。
彼らの背中が小さくなり、話し声すら聞こえなくなるほど距離が空いた時、ようやくユーニはタイオンに声をかけた。


「アタシ、一緒に茶葉探すなんて言ってないんだけど?」
「ただの口実だ。ノアたちがいたら君はいつまで経っても強がるだろう」
「強がる?」
「カーナの古戦場…。ここが、かつての君の最期の場所なんだろう?」


うつむくユーニ。
何も言わない彼女の様子は、やはりいつもと違ってしおらしすぎる。
ユーニがかつて、執政官ディーの手によって命を落としているという事実は、仲間たち全員が知っている。
だが、その場所がこのカーナの古戦場であるということは、タイオンにしか話していなかった。
だがタイオンは、その事実を知っていなかったとしても、ユーニにとってこのカーナの古戦場が特別な場所であると気付いていた。
初めてここを訪れた時、彼女はひどく怯えていたから。
 
いつもの勝気な性格が鳴りを潜め、恐怖に瞳を染め上げ、手を震わせて口を紡ぐ。
その姿を、ノアたち他の仲間には見せたがっていないということも、すでに見透かしている。
強がりな彼女が、ノアやミオたちの前で“怖い”とか、“ここは通りたくない”とか、“少し休みたい”とか、そういう弱音を吐けるわけがないのだ。


「少し時間はかかるが、迂回しよう。君はここを通るべきじゃない」


この古戦場を通ることでユーニに精神的な負担がかかるのなら、いっそ時間がかかっても別の道を行った方がいい。
遠回りにはなるが、また彼女の怯えた顔をみるよりずっとましだ。
そう思い、来た道を引き返そうと一歩踏み出したタイオンだったが、ユーニに腕を掴まれたことで立ち止まる。
振り返ると、彼女は揺れる瞳でこちらをじっと見つめながら声を震わせた。


「別にいい。ノアたちを待たせるわけにはいかないだろ?」
「けど、それじゃあ君が…」
「いいって!お前がいてくれれば、たぶん大丈夫だから…」


瞳を伏せながら、両手でタイオンの腕を掴むユーニ。
その仕草はまるで縋っているようで、ほんの少しだけ、タイオンの心臓が跳ねた。
人に頼ったり弱みを見せたがらない彼女が、指先を震わせながら自分の袖をつかんできている光景に、不謹慎ながら喜びを感じてしまったのだ。
信頼されている。そう実感できたから。


「…わかった。なるべくゆっくり歩くから、着いて来てくれ」
「あぁ…」


彼女は“大丈夫”と言っていたが、タイオンの目にはとてもじゃないが大丈夫そうには見えなかった。
だが、ここで自分を曲げず強引に迂回することを提案すれば、きっと彼女のプライドを傷つけてしまう。
自分のせいで仲間に迷惑をかけたくないという、彼女なりのプライドを。
かといって、恐怖心に震える彼女を無理やり引っ張るのも酷だろう。
なるべくゆっくり、ユーニのペースに合わせてタイオンは歩き出した。
その背を追うように、ユーニも歩き始める。

広がる荒野に響くのは、砂や小石を踏む二人の足音と、背後から聞こえるユーニの震える吐息だけ。
古戦場の中央に向かえば向かうほどその吐息は掠れていく。
やはり精神的に辛いものがあるのだろう。
タイオンは背後を歩くユーニに振り返ることなく、右手だけを後ろに差し出した。

差し出された彼の右手を見つめ、ユーニは少しだけ驚いた。
だがちらりと前を歩くタイオンに目をやれば、相変わらずこちらに背を向けたまままっすぐ前を見て歩いている。
差し出されたこの手は、彼の優しさと気遣いの表れだろう。
戸惑いながらもその手に自分の左手を重ねれば、ぎゅっと優しい力で握りこまれた。
 
不思議だ。手を繋いでいるだけで、人はなぜここまで安心できるのだろう。
タイオンの大きな手から伝わってくるぬくもりが、ユーニの恐怖心をやわらげていく。
 
彼の指に自分の指をそっと絡めようとしたその時だった。
不意に逸らした視線が、遠くに見えるひとつの骸を捉えた。
力なく地面に座り込み、恐怖で顔を歪めたもう一人の自分。
ディーによって命を刈り取られた、かつての自分の骸だった。


「っ!」


呼吸が止まる。
脳裏にフラッシュバックするのはあの忌々しい光景。
硝煙の匂いと、いたるところから吹きあがっている赤い命の粒子。
耳をつんざくような爆音と仲間たちの悲鳴、鉄が焼ける匂い。
そして、楽しむようにいやらしい笑顔を向けた、ディーの顔。
そのすべてが恐怖となってユーニの頭を支配する。
何も考えられなくなって、心臓がバクバクと警音を鳴らし始めた。
気付けば、繋いでいたタイオンの手を振りほどいていた。


「ユーニ?」


突然振りほどかれた手に驚き、思わず振り返るタイオン。
そんな彼の視界に飛び込んできたのは、荒い呼吸を繰り返し苦しそうに胸を両手で抑えているユーニの姿だった。


「ユーニ!? どうした?大丈夫か?」


明らかに平常ではないユーニの様子に焦り駆け寄ると、彼女はタイオンに肩を支えられながら崩れるようにその場に座り込んだ。
下半身に力が入らないのだろう。
絶えず荒い呼吸を繰り返している彼女の顔色は蒼白で、呼吸器官に異常が生じているのは火を見るより明らかだった。
 
この短時間で一体何が起きたというのか。
彼女の肩を抱きながら周りを見回してみると、遠くの方に骸が見えた。
眼鏡越しではその骸の顔をきちんと視認できなかったが、勘のいいタイオンは気付いてしまう。
あの骸は、かつてのユーニなのだと。


「ユーニ落ち着け!深呼吸するんだ!」
「はァっ…っ、はァ…っ、はァ…っ」
「大丈夫だ、僕がいる!何も怖いことなんてない!」


タイオンがいくら声を枯らしながらユーニの名前を呼んでも、彼女の荒い呼吸が整うことはなかった。
戦場に身を置いていたタイオンには、この症状に覚えがある。
確か過呼吸と呼ばれる症状で、強いストレスや恐怖感を覚えると発症する呼吸の乱れだ。
なんとかして彼女の呼吸を整えてやらなくてはいけないが、声かけ程度で収まるような症状ではない。
苦しそうに胸を押さえて、半ばパニックに陥っているユーニを見つめながら、タイオンは息を呑む。
このまま放っておくわけにはいかない。


「すまない、ユーニ」


ひとつ覚悟を決めたタイオンは、苦しそうに顔を歪めるユーニの顎を掴んで上を向かせると、そのままそっと口づけた。
驚いたせいか、彼女の息が一瞬だけ止まる。
深呼吸するように息を彼女の口内に吹きかけると、乱れていた呼吸がだんだんとタイオンのペースに飲まれていく。
やがてゆっくりとした呼吸を取り戻したユーニの頬から、一筋の涙が伝った。
相当苦しかったのだろう。
なだめるように彼女の肩を撫でながら唇を開放すると、まだすこしだけ息が上がっているユーニと視線が絡み合う。


「もう、大丈夫か…?」
「あ、あぁ…。悪かった」
「何故謝る?」
「だって、」
「もういい。なにも言うな」


白く美しい羽根が生えた彼女の後頭部に手を回し、胸元に引き寄せる。
いつもの彼女なら、強がって笑いながらタイオンの腕からするりと抜けそうなものだが、今日の彼女は大人しくて素直だ。
一切抵抗することなく、タイオンの胸の中へと納まった。

ケヴェス、アグヌスの一員として生まれてきた者たちは、10年の時間しか生きられない。
だがその実、この体に宿った命は何度も喪失と再生を繰り返し、10年以上の時間を別の体で過ごしている。
その時の記憶がないというのは、悲しいことでもあり幸福なことでもある。
過去の10年で結んだ絆を綺麗さっぱり忘れてしまうと同時に、自分が死んだときの忌まわしい記憶もなくしてしまうのだから。

だが、今腕の中で小さくなっているユーニは違う。
彼女には記憶がある。自分という存在が終わった時の記憶。メビウスに嬲り殺された時の記憶が。
記憶というメモリの不具合なのか、それとも再生されるときに何か手違いがあったからなのか、詳細な理由は分からない。
しかしながら、死を迎えた恐怖や痛みを忘れられないという事がどんなに酷な事実か、タイオンには容易に想像ができた。


「大丈夫だ。君は生きてる。今の君はここにいる」


耳元で言い聞かせるように囁くと、彼女は力の入らない腕を動かし、タイオンの背中に手を回した。
上ずった声で小さく彼女が“ん、”と返事をする。
飄々としていて気分屋で、少しガサツないつものユーニはどこにもいない。
腕の中にいるのは、死におびえ恐怖に身を震わせる、一人のか弱い少女だった。
やはりユーニのこんな姿、ノアたちに見せるわけにはいかない。
彼女を抱きしめながら、タイオンはそんなことを考えていた。


***


体に力が入らなくなったユーニを、タイオンは背中に負ぶって歩き続けた。
“そんなことしなくていい”と遠慮するかと思ったが、意外にも彼女は大人しくタイオンの背中にその身を預けてきた。
代わりに、何度も“ごめん、悪い”と謝りながら。
“らしくないぞ”と揶揄うタイオンの言葉に何も反論しなかったのは、強がる気力も残っていないほど精神をすり減らしていたからなのだろう。
黙って歩き続けた結果、カーナの古戦場を抜けた頃には既に陽は落ち切っていた。


「あぁ。そういうことだから、コロニー30には明日の朝到着するようにする」
『分かった。待ってるよ、タイオン』


ノアとの通信を切り、瞳の機能をシャットダウンする。
先行した他の4人は、既にコロニー30に到着したようで、今夜はそこで夜を過ごすという。
カーナの古戦場を抜けたばかりであるこの場所からコロニー30まではそれなりに距離があり、今夜中に到着するのは流石に不可能だろう。
そう判断したタイオンの提案によって、二人は野外にキャンプをすることとなった。
こうして旅の仲間たちから離脱して、二人きりで焚火を囲むのは初めてのことである。


「ノア、なんだって?」
「すでにコロニー30に到着したそうだ。ゆっくりくればいいと言っていた」
「そっか」


寝袋の上に腰かけているユーニは、肩から毛布をかぶり、両手にはあたたかなマグカップが抱えられている。
中身は、つい先ほどタイオンが淹れたハーブティーだ。
ユーニが欲しがったわけではないが、黙って差し出すと何も言わずに受け取り、大事そうにずっと抱え込んでいる。
そのマグカップに映り込んだ自分の暗い表情をじっと見つめながら、ユーニは小さな声でつぶやいた。


「悪かった。本当ならもっと早く着いたのに」
「君はさっきから謝ってばかりだな」
「……」


黙ったままのユーニの羽根は、しおれた花のように元気をなくしていた。
そんな顔をさせたかったわけじゃない。
彼女の隣にそっと腰かけると、目の前にある燃え盛る焚火の熱を間近に感じられた。


「前に捨てられない記憶の話をした時のこと、覚えているか?」
「え?……あ、あぁ」
「僕のは“戒め”だ。死なせてしまったナミさんを忘れないように、この記憶は捨てずにずっと持っておくと決めている」


懐から取り出した懐中時計に視線を落とし、タイオンは言う。
死を迎える間際にナミから受け取ったその時から正確な時間を刻み続けているこの時計は、ナミが生きていた時間よりも長い時間、タイオンの手の中で生き続けている。
この懐中時計を目にするたび、自分を生かしてくれた彼女の顔が思い浮かぶ。
胸が痛むときもあれば、安らぐ時もある。
何にせよ、この懐中時計の中に封じられた“捨てられない記憶”は、タイオンにとって、決して悪い記憶ではなかった。


「だがユーニ、君の場合は違う。君の記憶は、“捨てたくても捨てられない記憶”だ」
「……」
「不思議に思っていたんだ。インタリンクするとき、何故その時の記憶だけが見えないのかと。他人に見せたくないと思うほど、心の奥底にしまった嫌な記憶なんだな」
「……当たり前だ」


ふり絞るような声が聞こえる。
隣に視線を向けてみれば、小さく震えながら一層体を丸めている彼女がいた。
両手に抱えたマグカップの中のハーブティーは彼女の震えに連動して波紋を作り出している。


「ただ死んだわけじゃない。殺されたんだ。その時の光景も、痛みも、匂いも、全部覚えてる。忘れたいけど忘れらんねぇんだ」
「ユーニ…」
「不意に思い出して急に怖くなる。明日同じ目に逢うんじゃないかって。アタシの目の前で、他の誰かが同じように殺されたりするんじゃないかって。そんなこと考えたって、仕方ないのに…」


マグカップを握る手に力が入る。
空気が抜けるような吐息交じりの声は、弱弱しく震えていた。
涙を堪えているようなそんな声に、タイオンの胸は締め付けられる。
 
いつもは気丈に振舞っている彼女が、強気な仮面を被っていられないほど追い込まれていたのか。
自分にしかわからない恐怖を腕一杯に抱え込んで、それを誰かに共有することもせず、一人では歩けなくなるまで耐え続けてしまうのは彼女の強さゆえか。
だがその強さは、タイオンの目から見て褒められた強さではなかった。
何故一人で抱え込んでしまうのか、何故誰にも打ち明けないのか。
そんな野暮な疑問をぶつけたところで、帰ってくる答えは容易に想像がつく。


「どうして何も言ってくれない?辛いとか怖いとか、少しでも話してくれれば気も楽になるだろう」
「言えるかよ、そんな情けないこと…」
「情けなくなんかない!」


急に声を荒げたタイオンに驚き、ユーニの肩が跳ねる。
思わずカップに入ったハーブティーを零しそうになってしまった。
突然どうしたのかと視線を向けると、こちらを見つめてくるタイオンの真剣な眼差しと眼鏡越しに視線が交差する。
彼の瞳はわずかに揺れていて、今にも泣きだしそうだった。
何故、タイオンがそんな顔をするのか。


「じゃあ君は、ナミさんとのことで迷っている僕を見て情けないと思ったのか!?」
「そ、そんなこと思ってねーよ」
「僕も同じだ。君がどんなに弱弱しい姿をさらしても、涙声で縋ってきたとしても、情けないなんて思ったりしない。むしろ嬉しいくらいだ」
「嬉しい…?」
「君はいつも、僕を頼らないから」


うつむくタイオンの顔を覗き込むと、やけに寂しそうな表情を浮かべていた。
揺れる焚火の炎が作り出す灯りが、彼の褐色の肌を照らしている。


「君にとって僕はパートナーだろう。弱音を吐けないくらい頼りないか?辛さを打ち明けられないほど信用できないのか?」
「そんなこと…」
「頼られたいんだ、僕は。他の誰でもない、君に」


そう言ってそっぽを向くと、タイオンは自分のティーカップに口をつけ始めた。
不機嫌そうに目を細め、こちらに視線を向けようとしない彼は少しだけいじけているように見える。
頼られたいだなんて、タイオンがそんなことを考えていたとは知らなかった。
 
ユーニがタイオンに胸の内を明かさなかったのは、信頼していなかったわけではない。
足手まといになるのが嫌だったのだ。
死の恐怖に隣接しているのは自分だけではない。
怯えて足を止めている弱い自分を晒すくらいなら、一人で抱え込む方がまし。
 
そんな考えを持っていたユーニだったが、不器用な優しさを向けてくるタイオンの隣は妙に居心地がよくて、武装した心がするりするりと解けていく。
彼になら、自分の柔い部分を晒してもいいかもしれない。
そう思えた。


「…じゃあ、頼らせてもらう」


ユーニのつぶやきに、タイオンは逸らしてい視線を彼女へと戻す。
少し間をあけて座っていたユーニは腰を浮かしてタイオンとの距離を詰めると、羽根の生えた頭を彼の肩に寄せてきた。
肩にのしかかるユーニの重みに、タイオンの心臓が激しく跳ねあがる。
突然の行動に泳ぐ視線と、固まる体。
つい先ほどまで彼女を背負って体を密着させていたというのに、タイオンは今更ながら動揺していた。


「悪い。しばらくこのままで…」
「あ、あぁ…」
「今は誰かに寄り添っていたい気分なんだ」
「…その言い方だと、相手は僕じゃなくてもいいみたいだな」
「なんだよ、問題あるか?」
「あるだろ、大いに…」


ため息交じりの言葉は、ユーニを呆れさせる。
彼の要望通り頼ってみたけれど、今度はそんな細かいことを気にするのか。
本当に面倒な奴だ。
寄りかかっていた頭を起こし、じっとタイオンを見つめると、肩が軽くなったことに気付きこちらに顔を向けてきたタイオンと目が合った。


「何故離れる?」
「嫌そうだったから」
「嫌だなんて一言も言ってないだろう」


折角むこから距離を詰めてきたというのに、また離れていこうとする彼女を放っては置けない。
ユーニが大事そうに抱えていたマグカップをひったくり地面に置くと、彼女の腕を引き胸の中へと閉じ込めた。
なるべく体と体の間に隙間ができないように、心に空いた隙間を埋めるように。
 
力強く抱きしめてきたタイオンの行動に、ユーニは意外にも驚きはしなかった。
昼間のことで、彼に触れられることにすっかり慣れてしまったのかもしれない。
けれど、一方のタイオンは抱きしめている側にも関わらずほんの少しだけ指先が震えていた。


「…すこしは、落ち着くか?」


抱きしめられたまま視線を向けると、視界の端に捉えたタイオンの耳が赤く染まっていた。
お前の方が動揺してるじゃねぇか、と心の中で悪態をついてみたが、口に出すのはやめておいた。
余計なことを言って、まだ面倒な言い争いになるのは避けたい。
それにタイオンの言う通り、彼の腕の中は暖かくて、少しだけ心が落ち着く。
もう少しこの腕の中で瞳を閉じていたかった。


「ありがとな、タイオン」


その言葉に、ユーニの体を抱くタイオンの力が少しだけ強くなった気がした。