Mizudori’s home

二次創作まとめ

長い話のそのあとで

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■ED後時間軸

■短編


「今回の二国間人材交流の選抜は、衛生部隊のユーニとヨランに決定した。拍手」


書類に視線を落としながら淡々と告げるゼオンの言葉に、ユーニは驚きのあまり石のように体を硬直させた。
ゼオンの発表を聞いていた同じコロニー9の仲間たちが、促されるままに拍手を贈る。
隣に立っていたノアが、小声で“頑張れよ”と声をかけてくる。
すぐ後ろでは、ヨランの華奢な肩を抱きながらランツが“しっかりな”と笑いかけていた。
当のヨランは照れ笑いを浮かべているが、ユーニはちっとも笑う気になれなかった。


「ちょ、ちょっと待てよゼオン!なんでアタシらなんだ!?」


響き渡る拍手の音に負けないよう大声を出すと、ゼオンは書類から視線を離しその端正な顔を向けてきた。
周囲の仲間たちの視線も、一斉にユーニへと向かう。


「なんで、とは?」
「今まで衛生兵は二国間人材交流の対象にはならなかっただろ?なんで今になって…」
「俺にもわからん。先方の作戦課長からのご指名だ」


それだけ告げると、ゼオンは手元の書類のページをめくり、とっとと次の報告事項へと話題は移っていった。
しかし、ユーニはゼオンの説明にまったく納得がいっていない。
怪訝な表情を浮かべたままその日の朝礼は終了し、仲間たちは散り散りになって持ち場へと移動を開始する。
腕を組み、朝礼が終わってもその場を動かず考え込むユーニに、ノアやランツ、ヨランがいつもの調子で声をかけてきた。


「なに考え込んでんだよユーニ。いいじゃねぇか、二国間人材交流の対象に選ばれたってことは、それだけ優秀な人材って認められてるってことだからな」
「別にアタシは選ばれたいなんて思ったことねーよ」


ランツの軽い言葉に、ユーニは吐き捨てるように言い放った。
二国間人材交流とは、数年前に始まったケヴェスとアグヌスの人材交換制度である。
二つの異なった世界が一つに融合したのは、ユーニたちがまだ幼かった頃。
以前この世界には、ケヴェスとアグヌス、二つの国家が共存していた。
争わず、互いに助け合い生きていくため、二つの国の女王は二国間の交流に力を入れることを会談で決定した。
それが、二国間人材交流である。
 
定期的にケヴェス、アグヌスのコロニーから代表者2名ずつをたて、5日間相手のコロニーに滞在する、という制度だ。
この制度があるおかげで、二国間の友好関係は保たれていると言っても過言ではない。
人材交流の対象に選ばれる人材は選び抜かれた精鋭であり、抜擢されるということは大変な名誉でもある。
だが、ユーニにとってはそれほど誇らしいことだとは思えなかった。
このコロニー9が好きな彼女にとって、コロニーを離れるというこの任務は面倒でしかない。


「アタシとヨランは衛生兵だぜ?戦闘要員じゃねぇのになんで行かなきゃいけないんだよ」
「だから向こうの作戦課長の指名なんだろ?すげぇじゃん」
「コロニーガンマの作戦課長って、相当なエリートだって聞いたな。確か俺たちと同い年だって聞いた気が…」
「すごいよね。同い年で作戦課長なんて。そんな人に指名されるなんて光栄だなぁ、僕」


ノアの言う通り、コロニー9と人材交流しているコロニーガンマの作戦課長は、他のコロニーの作戦課長たちに比べて特段若い。
相当優秀な人物であるということは間違いないだろう。
そんな人物に選ばれたことをヨランはのんきに喜んでいるが、ユーニはどうも納得がいかない。
というのも、二国間人材交流の制度が実施されてから数年、一度も衛生兵が人材交流の対象に選ばれたことはないのだ。
選ばれるのは戦闘要員となるアタッカーやディフェンダーばかりで、後方支援要員である衛生兵や採集班は基本的には選ばれない。
これが二国間人材交流の常識であった。
そんな中、先方の作戦課長が衛生部隊のユーニとヨランをわざわざ指名した意図が分からない。


「第一、人材交流の対象に選ばれちまったら、3日後の討伐計画に参加できなくなるだろ…」


腕を組んだまま視線を落としたユーニの言葉に、ノアが“あぁ…”と声を漏らす。
コロニー9は、3日後にヴォルフの群れの討伐任務を控えていた。
もちろん、ユーニもその討伐任務に後方支援として参加する予定だった。
人材交流の対象に選ばれたということは、その任務には参加できなくなるということ。
それが小さな心残りであった。


「まぁ、戦わなくていいならそれに越したことはないんじゃね?なぁ、ノア」
「あぁ。任務のことは俺たちに任せて、ユーニはガンマでゆっくりしてくるといい」


ノアの優しい言葉に、ユーニは何も言えなかった。
戦わなくていい、という事実には感謝すべきかもしれない。
だが、任務ために何か月も前から準備を進めてきた身としては、長い間の努力が水泡に帰した気がして気に入らない。
どんな都合があって指名してきたのかは知らないが、こちらの都合を無視して選んできた顔も知らない先方の作戦課長に少しだけ苛立った。
行きたくない。
そう言って拒否できれば楽なのだろうが、エリート様である先方の作戦課長のご指名とあらば、逆らうのは難しいだろう。
深くため息をつき、ユーニはヨランと共に明日コロニーガンマに旅立つための準備を始めるのだった。


***

コロニー9からコロニーガンマまでの距離は、徒歩で半日。
レウニスに乗れば2時間ほどで到着する。
無事コロニーガンマに到着したユーニとヨランは、作戦課の人間たちのよって応接室へと通された。
部屋の中には誰もおらず、ピカピカに磨かれたローテーブルとソファが並んでいる。
無駄なものが何もないこの作戦課の応接室は、管理している人間の性格を表しているのだろう。
ソファに並んで腰かけ、ここで待つようにと言い渡されてから数分が経過している。
時計が1分1秒を刻むたび、待たされているユーニの苛立ちは高まっていった。


「僕たちと同い年のエリート作戦課長かぁ。なんだか緊張しちゃうね、ユーニ」
「そうかぁ?作戦課のリーダーなんて、どうせ頭の固そうな理屈っぽい奴だろ」


優しい性格のヨランは、これだけ待たされても全く怒りを感じていないらしい。
ふわふわとした笑顔を浮かべながらまた呑気なことを言っている。
そんなヨランに少しだけ呆れつつも、ユーニはローテーブルに出されたハーブティーへと口をつけた。
あ、美味い。このハーブティーの味、どこかで…。
 
舌の上を踊るハーブティーの味に覚えがあった。
だが、その記憶にたどり着く前に、応接室の扉が開いて一人の男が入ってくる。
眼鏡をかけた真面目そうな若者。
おそらく同世代であるその男の正体を、ユーニは視界にとらえた瞬間即時に推察できた。
彼が、このコロニーガンマの作戦課長だ。

ヨランとユーニの視線が、男の顔へと注がれる。
だが、当の彼は眼鏡越しにこちらを見つめたまま何故か茫然としている。
まっすぐにユーニを見つめたまま言葉を失っている男の様子に、ユーニは思わず首を傾げた。
何か言いたげな、言葉をのどに詰まらせたようなその表情を、ユーニはかつて見たことがあったような気がした。
だが、それがいつどこで見たのか、思い出せそうにない。
やがてようやく我に返ったらしいその男はひとつ咳払いすると、背筋をピン伸ばしながら自己紹介を始めた。


「…待たせてすまなかった。僕はタイオン。このコロニーガンマの作戦課長だ」


タイオンと名乗るその青年は、小脇に抱えた書類をテーブルに置きながら対面のソファに腰かける。
白い外套を踏まないよう払いながら腰をかけるその仕草は、どこか品があった。
先ほどこの応接室に案内してくれた作戦課の兵によると、現在ガンマの軍務長であるシドウはキャッスルへと赴いているため留守なのだという。
つまり、作戦立案課のトップであるこのタイオンという男こそ、現状このコロニーを取り仕切る実施的な責任者ということになる。


「ユーニとヨランだな。道中疲れただろう。ご苦労だった」
「全然ですよ。ね、ユーニ」


ヨランが声をかけてくる。
だがユーニは、ソファにどっかり座ったまま腕を組み、対面に座ったタイオンをじっと見つめていた。
睨みつけていた、と言った方が適切かもしれない。
話を振られたユーニは、ヨランの問いかけには答えず、不機嫌なまま口を開いた。


「どうでもいいけどさ、作戦課長さんよぉ。なんでアタシとヨランを選んだんだ?アンタが指名したんだろ?」
「我がコロニーガンマは衛生兵の数が少ないからな。ヒーラーである君たちを指名するのは筋だと思うが?」
「だったら普通もっと上の役職の奴を指名するだろ。コロニー9にはもっと手練れのヒーラーもいるんだしさ」


ユーニとヨランは衛生兵としてそれなりの活躍をしている人材ではあるが、役職や経験だけを切り取ってみればもっとふさわしい人間がたくさんいるはず。
しかも、ユーニもヨランも、このタイオンという作戦課長とは一切面識がなかった。
にも拘らず、この2人を指名したのはなぜか。
その裏に何かしらの理由があるに違いないとユーニは読んでいた。
だが、タイオンはそんなユーニの疑惑の目をまっすぐ向けられながら、小さな笑みを零した。


「君にしては随分謙虚なことを言う」
「…は?」


まるで自分のことを知っているかのような口ぶりで話すタイオンに、ユーニは少し苛立った。
今日初めて会ったばかりなのに、どうしてそんな知った風な口を聞くんだ。
知性の裏に感じる傲慢さが鼻に着く。
何か言ってやろうと口を開きかけたとほぼ同時に、タイオンが遮るように話を続けた。


「君たちは交流期間である5日間、衛生部隊に所属してもらう。衛生部隊は作戦立案課直属の部隊だ。つまり君たちの上官は僕ということになる。ガンマにいる間は僕の指示に従ってくれ。以上だ」
「は!? ちょ、おい!」


結局ユーニの問いに答えることなく、タイオンは一方的にソファから立ち上がった。
出て行こうとするタイオンに焦り、思わずローテーブルに両手をつくユーニ。
そのはずみで、テーブルに置いてあったティーカップが音を立てて揺れた。
応接室の扉に手をかけ、“健闘を祈る”とだけ呟き、タイオンはとうとう出ていてしまった。
こちらの質問に答える気はないということか。どこまでも傲慢な奴。
腹を立てながらソファに座り直したユーニは、タイオンが出て行った応接室の扉をきっと睨みつけた。


「タイオン作戦課長の下で働けるだなんて光栄だなぁ」
「お前、ホント呑気だなぁ。アタシらが選ばれた理由気にならないのかよ」
「うーん、気にならないと言ったら嘘になるけど、いい経験になるから別にいいかなって」
「はぁ…」


ガンマに着いてからというもの、ずっとニコニコと笑みを浮かべているヨランの呑気さに、ユーニは何度目かのため息をついた。
ヨランは幼馴染4人の中でも一番おっとりした性格で、どんな状況にあっても自分のペースを乱さない神経の図太さがあった。
今はその図太さが心強くはあるが、ユーニはヨランのように呑気に構えていられるほどの胆力はない。
今頃コロニー9では、ノアやランツやゼオンたちが明日の討伐任務のため準備を進めているだろう。
本当なら、自分も…。
そこまで考えておいて、やめた。
どうせここにいる限り、討伐任務には参加することはできない。
考えたところで無駄なのだ。


***


コロニーガンマ、作戦立案課駐屯所給湯室。
ポッドや鍋が置いてあるこの場所のコンロに立ち、タイオンは慣れた手つきで作業をしていた。
そんな彼の耳に、遠くから速足で近づいてくる音がする。
大股で派手な音を立てながらどたどた歩いているその足音の主に、タイオンは心当たりがあった。
そして、彼の予想通りの人物が給湯室の入り口から顔をのぞかせる。
むっとした顔をした彼女、ユーニは、大股でタイオンのすぐ隣にやってくると、顔を覗き込む形でまくしたててきた。


「どういうことだよ作戦課長!」
「何の話だ?」
「とぼけんな!今朝出発したバニットの討伐隊、衛生部隊にヨランが選ばれたらしいじゃねぇか!なのにアタシはなんで留守番なんだよ!」


ユーニの言葉を聞きながら、タイオンは淹れたばかりのハーブティーを啜った。
バニットの討伐隊が編成されたのは昨晩のこと。
ガンマ近くの丘で群れを成していたバニットが畑を荒らしているという報告を受け、急いで編成した部隊である。
群れと言っても相手は低レベル帯のバニット。
そう苦戦する相手ではないだろう。
 
だがユーニには、編成部隊にヨランの名前が入っている一方自分の名前がないのが気に入らなかった。
このコロニーガンマにやってきて3日。
ユーニは未だタイオンからまともな仕事をもらっていない。
ようやくモンスターの討伐任務が発生したにも関わらず、留守居を命じられたことで怒りを覚えたのだ。
衛生部隊が足りないからコロニーガンマにやってきたはずなのに、全く仕事を振られないというのは何事か。
コロニー9のヴォルフ討伐任務を蹴ってまでここにやってきたのに、これでは無駄足じゃないか。


「ヨランが行くならアタシも同行するのが筋だろ!?」
「相手はバニットだ。ヒーラーは二人も必要ないだろう」
「だったらアタシに何か仕事をくれよ。これじゃ退屈過ぎて死にそうだ」
「必要ない」
「は?」
「戦う必要も、仕事をする必要もない。君はただこのコロニーにいてくれればそれでいいんだ」


ハーブティーに舌鼓を打ちながらユーニを横目で見るタイオン。
シンクに寄りかかり、妙に暗い目をしている彼の言葉に、ユーニは一瞬だけ言葉を失った。
戦う必要も、仕事をする必要もない?
なんだそれ。どういう意味だ。
じゃあ、アタシはなんでここにいる?
何のためにアタシを指名した?
目の前の作戦課長の考えが、一切読めなかった。


「なんだよそれ、意味わかんねぇ…。アタシはコロニー9の討伐任務を蹴ってまでここに来たんだぞ。今頃ノアやランツたちは、命かけて戦ってるってのに…」


戦うことを望んでいるわけではない。
けれど、自分だけ安全圏にいるのは嫌だ。
ユーニが生まれたこの世界では、ケヴェスとアグヌスという二国間の友好関係が続く限り人間同士の争いは起こりえないだろう。
しかし、モンスターとの戦闘は日々続いている。
互いに生きている限り、食物連鎖というピラミッドが存在する限り、人々はブレイドを収めることはできないのだろう。
今頃ヴォルフの群れと命がけで戦っている仲間たちのことを考えると、戦場とは縁遠いこの場所でぬくぬくと過ごしている自分が嫌になってしまう。
拳を握るユーニの姿を見つめ、少しだけ間を開けてタイオンは再び口を開いた。


「…君はもう、命を懸ける必要はない。せかっく未来を勝ち取ったんだ。わざわざ苛烈に生きる必要なんてないだろう」
「なんなんだよさっきから。意味が分かんねぇんだよ!」


的を得ないタイオンの言い草に苛立ちを覚えたユーニは、ため込んだ怒りの矛先をどこに向ければいいか分からなくなってしまう。
“くそっ”と吐き捨て、給湯室から出て行こうとするユーニ。
しかし、そんな彼女をタイオンが背後から呼び止めた。
ぴたりと足を止め、睨みつけるように振り返ると、タイオンは先ほどとは打って変わって眉をハの字に傾けながら真っ直ぐこちらに視線を向けてきていた。


「君は……何も覚えていないのか」
「はぁ?何の話だよ」
「いや。なんでもない」


ユーニは、時折真意の分からないことを口にするタイオンのことが嫌いだった。
頭がいいことは間違いなのだろうが、イマイチ何を考えているのか分からない。
気が長いとは言い難いユーニの性格上、曖昧な話ばかりなタイオンはあまり相性のいい相手とは言えなかった。
また訳の分からないことを。
心の中で悪態をつきながら、ユーニはタイオンを残してその場を去った。


***

コロニーガンマに配属されて4日。
ヨランたちバニット討伐隊はまだ帰還せず、相変わらずタイオンから仕事をもらえていないユーニは、今日もまた暇な午前中を過ごしてしまった。
このままでは腐ってしまう。
そう判断したユーニは、別の部隊の人間に声をかけ、何か手伝えることはないかと仕事をもらうことにした。
結果として、書庫の整理を頼まれたユーニは、ようやく勝ち取った仕事に胸を躍らせながら書庫へと向かう。しかし——


「げっ」


書庫に一歩踏み入れた瞬間、思わず苦い声が出てしまう。
タイオンという先客がいたのだ。
本棚の前で資料を立ち読みしている彼は、書庫に入ってきたユーニに気が付いて少し驚いたように目を丸くさせた。


「ユーニ、何をしている」
「どっかの作戦課長さんが何も指示くれないから仕事もらったんだよ。書庫の整理」
「そんなことしなくてもいいと言っただろう」
「そういうわけにもいかねーって。何のために来てると思ってんだよ」


タイオンのすぐ横にしゃがみ込み、本棚の下の段から整理を始めるユーニ。
あまり使われていない本棚から本を引き抜くと、ふわりと埃が舞い、くしゃみが出る。
ったく掃除くらいしとけよ、と小さくつぶやくと、頭上からタイオンが笑う声がした。
眼鏡越しにこちらを見下ろしている彼の瞳はやけに優しくて、遠い過去を振り返っているような寂しげな表情でつぶやく。


「変わらないな、君は」


甘く、深い声。
その声には何故か聞き覚えがあって、心がざわつく。
けれどそのざわめきの正体がつかめず、ユーニは一人困惑した。
タイオンは時々、まるで自分を随分前から知っているかのような言い方をする。
まだ出会って数日しか経っていないし、交わした言葉もほんの少しのはずなのに。
辻褄の合わない彼の言動に、違和感ばかりが募っていく。


「なぁ、アタシたち前にどっかで会ったか?」


立ち上がり、脳裏に浮かんだ疑問をぶつけると、タイオンの眉はピクリと跳ねる。
僅かに渦巻く動揺が見て取れた。
だがタイオンは珍しく黙ったままで、彼からの答えを引き出すために追撃をかけることにした。


「時々、アタシを昔から知ってるみたいな口ぶりで話すよな?だからアタシが覚えてないだけでどっかで会ってたんじゃねぇかなって」


アグヌスに所属している人間の知り合いは少なかった。
だが、全くいないというわけでもない。
顔見知り程度なら何人かいるし、会話しただけの間柄なら名前も顔も覚えていない相手もいるだろう。
顔は合わせていたものの、一方的に忘れてしまっている可能性もある。
ユーニの質問に、タイオンは短く“そういうことか”と呟くと、手に持っていた資料をぱたんと閉じた。


「…気になるか?」
「そりゃあ気になるだろ。どっかの作戦課長さんと違ってアタシは察しがいい方じゃないんだ。ちゃんと言葉で教えてくれなきゃわかんねぇよ」


座学は得意な方だったが、言葉の裏を読んだり真意を探ったりする能力に長けているとは言い難いユーニ。
曖昧な言葉ばかりのタイオンの振る舞いに戸惑う日々はもう疲れた。
抱えている秘密があるのなら、きちんと言葉にして教えてほしい。
そんなユーニの願いを受け止めたタイオンは、視線を外して暫く考え込んだ。
何かを迷っているのだろうか。
すると、ようやくこちらに視線を向けてきた彼が、柄にもなく弱弱しい声で言葉を紡ぎ始めた。


「その前に、その呼び方は辞めてもらえないか?」
「呼び方?作戦課長は作戦課長だろ。他になんて呼べばいいんだよ」
「…名前でいい。呼び捨てくれないか」


囁くような声に、心臓が痛くなる。
まっすぐ見つめてくるタイオンの瞳を見ていると、前にもこんな風に彼と向き合っていたことがあったような気がしてしまう。
これは単なる気のせいなのか、それとも…。


「タイ、オン…」


口から彼の名前が出たのは、ほとんど無意識だった。
その4文字の音を、ユーニの唇は覚えていた。
仮にも上官である彼が、何故呼び捨ててくれなどと要望してきたのかは分からない。
けれど、彼の感情を押し殺しているようなその顔は、彼がユーニに大きな秘密を隠していることを物語っていた。
そして、絞り出すような声でタイオンはユーニの名前を呼ぶ。


「ユーニ、僕は…」


喉の奥に詰まらせた言葉を吐き出そうとしたその時だった。
書庫の外から大きな衝撃音が聞こえてくる。
思わず体を震わせ姿勢を低くすると、今度は小さく地面が揺れ始めた。
地震かと錯覚したが、外から聞こえる人の悲鳴や何かのうなり声で即座に事態を把握できた。
何かがコロニーに襲来したのだ、と。
揺れが治まっても、外から聞こえてくる悲鳴や怒号がやむ気配がない。
これはまずいかもしれないと悟ったユーニは、すぐさま外に出るため一歩踏み出したが、右手をタイオンに捕まれ足止めされてしまう。


「君は行かなくていい!」
「はぁ!?」
「この書庫なら安全だ。すべてが終わるまでここから出るな」
「なんでだよ!アタシも加勢に…!」
「上官命令だ!」


それでも出て行こうとするユーニの両肩をがっしり掴み、強引に向き合ったタイオンが声を荒げた。
どちらかというと穏やかな性格をしていると思っていた彼の怒号に、ユーニは驚き肩をすくませる。
 
つい先ほどは“名前を呼び捨ててくれ”なんて言ってきたくせに、今度は上官として命令してくるなんて。
戸惑うユーニ。
タイオンは“頼むから、ここから動かないでくれ”と穏やかに言い残し、床に散乱した本や書類の山を飛び越えて書庫を出て行ってしまった。
訳が分からない。脅威が目の前に迫っているというのに、この期に及んでまだ戦うなというのか。
そんなのおかしい。
遠くで、恐怖におびえるコロニーの住人たちの叫び声が聞こえる。
あんな声を聴いてもなお、一人で安全なところに隠れていられるほど冷徹ではいられない。
タイオンからの“動くな”という命令に逆らい、ユーニは意を決して書庫を飛び出した。

坂を下りコロニーの中央へ出ると、そこはまさに戦場と化していた。
土煙が舞う中を、兵士たちがエーテル銃で集中攻撃している。
兵士たちに囲まれながらも好き勝手暴れまわっているそれは、巨大なスパイドだった。
ヨランを始めとするバニット討伐隊ははまだ帰還していないため、コロニーに残っている兵はそれほど多くはない。
これは危機的状況と言えた。

スパイドの太い足のすぐ脇に、数人の兵が倒れているのが見える。
恐らく負傷しているのだろう。
急いで滑り込むように駆け寄ると、握っていたガンロットを地面に突き刺しラウンドヒーリングを展開する。
翡翠色のエーテルがあたりを包み込み、負傷した兵たちの傷はたちまち治っていく。
続いてグロウサークルを解き放つと、兵たちの筋力が強化され、力がみなぎってくる。
倒れこんでいた兵たちは次々立ち上がり、背後で支援をしたユーニに短く礼を伝え、再びスパイドに向かって走っていった。

他に支援を求めている兵はいるだろうかとあたりを見回した次の瞬間、目の前にスパイドの足が迫っていたことに気付き咄嗟に身をひるがえした。
だがあと一歩反応が遅れてしまい、ユーニの体は後方へと吹き飛ばされてしまう。
砂埃が舞い、髪に泥が跳ねる。
 
しまった、と前を向くと、スパイドの赤い複眼がこちらをぎょろりと見つめていた。
早く武器を取らなければと転がったガンロットに手を伸ばすが、先ほどの衝撃でどうやら手首を痛めてしまったらしい。
ガンロット上手く握りこむことが出来ず、虚しくユーニの手からこぼれていく。
やがてスパイドがその大きな足を鎌のように振り上げ始めた。
もうだめだ。目を閉じたその時、何かが前に立ちふさがるようにやってきてスパイドの一撃を阻んだ。


「え…」


思わず声が漏れる。
ユーニをかばうように立ち、スパイドの一撃を阻んでいたのは、他の誰でもないあのタイオンだった。
見たことのない、紙でできたカタシロを壁のように張り巡らせ、スパイドからユーニを守っているその背は、どこか見覚えがある。
遠い昔にも、こうしてあの背中に守ってもらったことがあった気がする。
 
白昼夢のように脳裏浮かぶ光景に茫然としていたユーニは、目の前にいるタイオンの“ぐっ”といううめき声にはっとした。
あの一撃を一人で抑え込むのは厳しいはず。何とかしなければ。
咄嗟に、落としたガンロットを負傷していない左手でつかむと、倒れこんだ不安定な体制でスパイドの左足にエーテルキャノンを打ち込んだ。
ユーニの一撃が当たった瞬間スパイドの体制は崩れ、ひるんだ拍子にタイオンへかかっていた負荷が軽くなる。
広い視野を持っているエリート作戦課長、タイオンは、この機を見逃さなかった。


「いけっ、モンド!」


“モンド”と呼ばれたカタシロの束が、スパイドに向かって飛んでいく。
複数の足を切断し、鋭くとがった刃のように、スパイドの体を切り裂いていく。
コロニーガンマを襲撃した巨大なスパイドは、ここでようやく沈黙した。
 
周囲からは歓喜の声と、タイオンを称賛する声が挙がる。
ようやく一件落着したことに安堵のため息を零すユーニだったが、そんな彼女に近付く男がひとり。無論、タイオンだった。
命令違反をとがめられるのだろう。なんとか言い訳をしようと口を開きかけたその時だった。
砂で汚れたユーニの体を、タイオンが引き寄せ腕の中に閉じ込める。
突然抱きしめられたことに驚き視線を泳がせるユーニ。
一体何が起きているのか分かっていない彼女の耳に、タイオンの震える声が届く。


「…怪我はないか」


その深く低い声は、ユーニを心配している声だった。
何故、そんなに切ない声を出すのだろう。
訳が分からないままのユーニは、困惑しながらも“あ、あぁ…”と頷いた。
するとタイオンは安心したように深いため息をつくと、そっとユーニを腕の中から解放した。


「どうして来た?動くなと言ったはずだが?」
「どうしてって…。他の奴らが戦ってんのに、アタシだけ指くわえて見てるわけにはいかないだろ」
「だからってこんなところまで来るな。君はもう戦わなくていい。僕の近くにいてくれればそれでいいんだ」
「え…?」


溢れる感情の波を押し殺すような、切ない顔。
時折タイオンが見せるその顔を見ていると、胸がはちきれそうになる。
なにか大切なことを忘れているような、そんな錯覚に陥ってしまう。
どうしてそんな顔をするんだ。どうしてそんなことを言うんだ。
聞きたいことは山ほどあるのに、タイオンは何も答えてはくれない。
立ち上がり、骸となったスパイドの後処理のため部下に指示を出し始めたタイオンを見つめながら、ユーニは胸の奥に生まれたざわめきを鎮められずにいた。


***


「そんなことがあったんだ…」


ユーニの右手首に包帯を巻きながらヨランは眉をひそめた。
ヨランが他のバニット討伐隊と一緒にコロニーに帰還したのは夕方のこと。
昼間の戦闘で荒れてしまったコロニーを見て、討伐隊は一人残らず驚いていた。
討伐隊が請け負ったバニットの討伐もコロニーの防衛もうまくいったため結果オーライと言えたが、受けた被害は小さいとは言い難い。
自分たちに割り当てられた寄宿舎の部屋でユーニの手当てをしながら事の次第を聞いていたヨランは、“コロニーを留守にいしていて良かった”と内心安堵していた。


「でも意外だね、あのタイオン作戦課長がかばってくれるなんて」
「あぁ、ホントにな…」


包帯を切り、テープでしっかりと固定するヨランの手つきは、さすが衛生部隊所属というだけあって手慣れていた。
彼に巻いてもらった右手首の包帯を見つめながら、ユーニは昼間のことを思い出していた。
あの時、タイオンがかばってくれなかったらこんな怪我だけでは済まなかっただろう。
冷たい印象があったが、あんな風に身を挺してまで部下を守る気概があったとは思わなかった。


「それにしても、ついに明日で交流期間終了かぁ。寂しいね、ユーニ」
「そうかぁ?アタシはようやくコロニー9に帰れるから嬉しいけどな」
「とか言って、結構ガンマの人たちとも仲良くなれてたじゃない」
「まぁ、な。ヨランが一緒だったから肩肘張らずにすんなり馴染めたのかもしれないけど」


明日はこのコロニーガンマにやってきて5日目。つまりガンマで過ごす最後の日である。
といっても、朝にはコロニー9に帰るべく出立してしまうため、実質この夜がガンまでの最後の時間ということになるわけだが。
 
当初ガンマ行きが決定した時は気分が乗らなかったが、いざこのコロニーで生活してみると他所も悪くないと思えた。
ガンマの兵たちは皆若くて気のいい人々ばかりで、コロニーの雰囲気に馴染むのにそう時間はかからなかった。
同じようにコロニー9からやってきた人材が幼馴染のヨランだったことも大きいだろう。
良く知っている相手がすぐ隣にいたおかげで、気を張らずに済んだのだ。
明日はそこまで時間がないため、コロニーの住人ひとりひとりとじっくり言葉を交わす時間はないだろう。
せめてあのタイオンにだけは、今日の礼くらいは言っておいた方がいいのかもしれない。
そう思い、ユーニは立ち上がった。


「あれ、どこ行くの?」
「作戦課長のところ。癪だけど今日の礼くらいは言っておかないとな」


“そっか、行ってらっしゃい”と見送るヨランを背に、ユーニは部屋を出た。
向かう先は作戦立案課の駐屯所。
恐らくあの建物の中にタイオンはいる。
夜ということもあって建物内は静まり返っていた。
中に入り廊下を進むと、ひとつだけ灯りが漏れている部屋をみつけた。


「軍務長、なにもこんな夜に急いで帰還されなくても…」
「モンスターの襲撃を受けたと聞いては、いつまでもキャッスルで油を売っているわけにはいきません。それに、明日は交流期間の最終日でしょう。来ていただいた二人に挨拶位はしたかったもので」
「そうですか…」


中から聞こえてきた話し声は、タイオンと知らない男のものだった。
タイオンの口ぶりから察するに、彼がこのコロニーガンマの軍務長、シドウなのだろう。
キャッスルへ行っていて不在と聞いていたが、どうやら今夜帰還したらしい。
用があるのはタイオンの方だったが、さすがに会話の相手が軍務長ともなると割って入るわけにもいかない。
部屋の外で二人の会話が終わるまで待っていた方がいいだろうかと考えていると、中から興味深い会話が聞こえてきた。


「それでどうでしたか?ユーニは」


シドウの口から出た自分の名前に、ユーニは思わず顔をあげた。
アタシの話ししてんのか?
途端に興味を惹かれてしまったユーニは、悪いと思いつつも廊下の壁に背を預け、扉の隙間からそっと部屋の中を覗き込んだ。


「やはりだめでした。ユーニは僕のことを覚えていないようです」
「そうですか。……タイオン、大丈夫ですか?」
「はい。覚悟はしていたので」


タイオンはやけに寂しそうな表情でうつむき加減に笑っていた。
覚えていない、とはどういうことだろうか。
やはり、自分とタイオンは過去にどこかで会っていたのだろうか。


「シドウ軍務長、すみませんでした。僕のわがままで人材交流の対象を決めてしまって」
「構いません。どうしても会いたかったのでしょう?彼女に」
「……はい。本当に」


かすれるタイオンの言葉に、ユーニは戸惑いを隠せなかった。
タイオンがわざわざ衛生部隊である自分を指名してコロニーガンマへ呼び寄せたのは、“会いたかったから”だったという。
まともに会話すらしたことがなかったというのに、一体どうして?
 
ひどい自分都合だ。そのせいでこっちは長い間訓練を積んできた任務を放棄せざるを得なくなったというのに。
だが、何故だか責める気にはなれなかった。
扉越しに見えるタイオンの表情が、やけに悲しげだったから。


「コロニー9の兵士名簿の中に“ユーニ”という名前を見つけた時は運命だと思いました。もしかしたら彼女も僕を覚えていて、また以前のような関係に、いや。もっとちゃんとした、関係になれるんじゃないかと。でも、さすがにそう上手くはいきませんね」


肩をすくませ、乾いた笑みを浮かべるタイオン。
それが明らかにカラ元気であることは誰でも見て取れるだろう。
そんな彼の様子を憐れむように目を細めながら、シドウは両手を背中で結び、淡々とタイオンに問いかけ始めた。


「タイオン、貴方は特殊な人間だ。我々にはない“記憶”を持っている。その“記憶”がどんなものなのかは想像もできませんが、ユーニには吐露してもよかったのでは?かつて関係を築いた間柄なら、真実を話せば思い出してくれるやも」
「だめですよ、そんなの」


眼鏡を直し、口元に薄い笑みを浮かべているタイオン。
諦めきっているようなその表情を見ていると、なんだか切なくなってくる。


「すべてを話したら、思い出したくもない記憶まで想起させてしまう。彼女がまたその記憶に怯えるくらいなら、何も知らない方が幸せなんです」
「貴女のことを忘れていても、ですか?」
「えぇ、もちろん。知らない方がいいことだってあるんです」


先ほどとは打って変わって真剣な眼差しを向けているタイオンの瞳には、決意が浮かんでいた。
振り切れたような、そんな顔だ。
シドウの言う、タイオンだけが持つ“記憶”。
その中に、自分も登場していたというのだろうか。
そして、タイオンと特別な関係を築いていた、と。
 
身に覚えがないわけではなかった。
タイオンに出会ってからというもの、時折白昼夢のように見たことない光景がフラッシュバックする。
馴染みなどないはずなのに、タイオンの目を見ていると、声を聴いていると、どこか懐かしい気持ちになる。
綺麗に忘れていた記憶が、タイオンと会ったことをきっかけに蘇ろうとしていたのかもしれない。
けれどその記憶は断片的で、具体的に自分が彼とどういう関係を築いていたのかは分からない。
タイオンが言っていた、“思い出さない方が幸せな記憶”というのも、謎のままだった。


「では、彼女のことはもうよいのですね?」
「はい。この5日間で覚悟を固めました。明日の見合いまでに彼女に一目会いたいという僕のわがままを聞いてくださり、本当にありがとうございました」


さらりと語られた“見合い”というワードに、ユーニは思わず声を挙げそうになった。
なんだそれは、聞いてない。
見合いをする予定だったのか。まさかそんな。
以前ゼオンから聞いたことがあった。アグヌスでは一定の地位に上り詰めた人間は、家庭を持っているかどうかも昇進の査定に影響してくると。
タイオンは若くして作戦課長の地位に上り詰めたいわゆるエリートだ。
そういう話がきていてもおかしくはないだろう。


「見合い相手の写真は見たのですか?」
「いえ。どうせ誰が来ても同じですから」
「貴方らしいですね」


そのあともタイオンとシドウの会話は続いたが、具体的にどんな話をしていたのかは覚えていない。
結局タイオンに礼を言うことはあきらめて、とぼとぼと自室へと還り、そのまま眠ってしまったのだ。
過去に会っていた二人。自分にはない記憶。タイオンの見合い。
一度に得た情報が多すぎて、ユーニの頭は爆発寸前だった。

その日、ユーニはベッドの中で夢を見た。
何か怯えて震えている自分にあたたかな飲み物を差し出す男の手。
受け取ったカップに口をつけると、不思議と指先の震えが止まっていて、隣に腰を下ろした男は得意げな笑みを浮かべていた。
あの時の落ち着く味と温かさには覚えがある。
そうだ。初めてコロニーガンマに来た時に出されたハーブティー
あの時飲んだものと同じ味だった。
ふと顔を上げると、優しく目を細めている彼と目が合った。
あれは間違いなく、タイオン作戦課長だった。


***


翌日、コロニー9へ帰るユーニとヨランを見送るガンマの兵士たちの中に、タイオンの姿はなかった。
昨晩帰還したばかりの軍務長、シドウから挨拶され言葉を交わしている最中も、彼が姿を現すことはない。
ガンマの敷地を出てからも勿論追いかけてくることなどなく、ユーニは内心複雑な気分になっていた。

なんだよあいつ。
アタシに会いたかったんじゃないのか?
名前で呼べとか、近くにいてくれればいいとか言っておいて最後は赤の他人みたいな対応するんだな。
しまいには見合いだなんて勝手すぎる。
一時の感情に振り回されるこっちの身にもなれって話だ。
むかつく。ほんとにむかつく。


「楽しかったね、ユーニ。ノアやらランツたち元気にしてるかな」


隣を歩くヨランは相変わらず呑気だった。
こちらとしてはそんなことを考えている場合じゃない。
タイオンへの怒りばかりが募って、今にも叫びだしてしまいそうなのだ。

だいたい見合いってなんだよ。
アタシのことが好きなんじゃないのかよ。
強引に呼び寄せるくらいなら、強引に告白くらいして来ればよかったのに。
そうすれば少しは考えてやったのに。
理屈っぽくて勝手奴だったけど、割と優しいところもあるし、頼りにもなるし。
少しだけ、ホントに少しだけなら、好きになってやってもよかったのに。なのに。


「ユーニ…?」


荒野の真ん中で突然立ち止まったユーニ。
そんな彼女を心配して、ヨランは自らも足を止め彼女へと振り返る。


「ごめんヨラン、先に帰っててくれ!」
「え、ちょ、ユーニ!?」


早口でそう伝えると、ユーニは踵を返して全力で走り出した。
向かう先はコロニーガンマ。タイオンの元へ。

やっぱりむかつく。一言言ってやらないと気が済まない。
何が記憶だ。何が見合いだ。
全部アタシの知らないところで勝手に話しやがって。
勝手に呼び寄せたくせに、勝手に諦めてんじゃねぇよ。
そういう何考えてるか分からないところが嫌いなんだよ。
問い詰めてやる。お前はアタシの何なんだって。アタシのことどう思ってるんだって。
また曖昧なことをうだうだ言い始めたら、問答無用でぶっ飛ばしてやる。

ユーニは走る。
足を動かしている間、妙な感覚に陥った。
遠い昔も、タイオンに手を伸ばしながらこうして全力で走ったことああるような気がする。
これは多分、気のせいなんかじゃない。


***


見合いの話を持ってきたのは、コロニーラムダの軍務長、イスルギだった。
かつていた世界の記憶でも、この世界でも世話になっていた彼は、タイオンの将来を心配し、“いずれ昇進には所帯を持つことが重要になってくるから”と話しを進めてきたのだ。
断る理由などなかった。
昇進はしたいと思っていたし、そのために伴侶を持つことが必要になってくるのなら喜んで迎えよう、と。
心の片隅にあった彼女への想いを押しのけて、タイオンはイスルギに“是非”と返事をした。

どうせ会えるわけがない。と思っていた。
上官である軍務長、シドウから、次回の二国間人材交流の対象を誰にするかと相談を持ち掛けられたあの時までは。
シドウが持ってきたコロニー9の名簿の中には、見知った名前がいくつもあった。
軍務長のゼオン。副官のカイツ。ノア、ランツ、ヨラン。そしてユーニ。
運命だと思った。これは最後に与えられた唯一の機会なのだと。

シドウに頼み込み、衛生兵を抜擢するという異例の選択を取ってもらうことでユーニとヨランのコロニーガンマ派遣が決定した。
ただ、見合いをする前にユーニの顔を一目見たかった。それでよかったはずだった。
けれど、心のどこかで期待していたのだ。彼女も自分のことを覚えていてくれるのではないかと。
ガンマの応接室で顔を合わせたユーニは、まるで他人のような目でこちらを見てきた。
その目を見てすぐにわかった。
あぁ、彼女は何も覚えていないのだと。

だがそれでいい。何も覚えていない方が幸せなこともある。
自分のことも、メビウスとの苛烈な戦いのことも、かつてディーに殺されたことも、なにも知らずに新しい人生を歩めているのならそれでいいじゃないか。
そう自分に言い聞かせても、それでもこっちを見てほしいという心を抑えられない。
“名前を呼んでくれ”と願ってしまったのは間違いだった。
聞き慣れた彼女の声で“タイオン”と呼びかけられたら、また彼女に近付きたくなってしまう。
きっとあと一日この交流期間が長かったら、ユーニに強引に想いを伝えてしまっていたかもしれない。


「ニイナ?なんで君が…」


応接室で先に待っていた“見合い相手”を見て、タイオンは目を丸くさせた。
ソファに座り、出されたハーブティーを上品な仕草で飲んでいる彼女は、かつてコロニーイオタの軍務長を務めていた女傑、ニイナだった。
驚いているタイオンとは対照的に、彼女はこちらを見てもすました顔をしている。
長い髪を耳にかけ、見慣れた妖艶な笑みを浮かべながら視線をよこしていた。


「あらタイオン。久しぶりね」
「僕を覚えているのか」
「その口ぶりだと、貴方もなのね」


手に持っていたティーカップが、テーブルの上へと戻っていく。
彼女の正面のソファに腰かけ、自分も出されていたハーブティーに口をつける。
どうやらあの頃の記憶が残っていたのは自分だけではなかったらしい。
ニイナにも記憶がある。
この世界では初対面にもかかわらずタイオンの名前をぴたりと当ててきたことがその証拠だろう。


「まさか見合いの相手が君だったとはな」
「あら、知らずに承諾したの?貴方らしくないわね」
「誰が相手でもどうでもいいと思っていたからな」
「随分投げやりね。まぁいいわ。貴方にも記憶が残っているのなら好都合。説得する手間が省けたわ」
「説得?」


久しぶりに会ったニイナは相変わらず考えの読めない人物だった。
腹の底に大きな影を抱えているような言動はあの頃と何も変わっていない。
今日も素直にタイオンとの見合いをしに来たというわけではないらしい。
まっすぐこちらを見つめ、ニイナはたくらみを秘めた笑みを浮かべていた。


「タイオン、私の策に乗ってみない?」


***


コロニーガンマに戻ると、先ほど見送ってくれたシドウが出迎えてくれた。
息を乱しながら血相を変えて戻ってきたユーニの姿は異様で、感情の起伏が見えずらいシドウもさすがに驚いていた。
“タイオンはどこだ”と問いかけるユーニ。
その質問に、シドウはまた驚かされた。
まさか、記憶が戻ったのか、と。
見合いが行われている作戦立案課の応接室を教えてやると、彼女は短く礼を言って全速力で走り出す。


「これはこれは。面白いことになりましたね」


小さくなっていくユーニの背中を見つめながら、シドウは一人つぶやいた。
一方作戦立案課の駐屯所に入ったユーニは、廊下を大股でまっすぐ進み、応接室に向かう。
応接室の扉はしっかり閉められており、中で誰かが話をしているであろうことが想像できた。
何の遠慮もせずに扉を勢いよく開けると、タイオンと知らない女が対面のソファに座り話をしていた。
その光景を見た瞬間、ユーニの頭に血が上る。


「ゆ、ユーニ!? なんで…」


此処にいるはずのないユーニの登場に戸惑うタイオン。
そんな彼の手を取ると、ユーニは無理やり引っ張り大股で応接室から飛び出した。
強引に手を引かれるタイオンが背後から名前を呼んでくるが、足を止めたりはしない。
廊下を抜け、ようやく外に出ると、ユーニはタイオンを捕まえていた手を放して立ち止まる。
何故ガンマに戻ってきたのか、何故見合いの席に現れたのか、何故強引に自分を連れ出したのか。
分からないことだらけで戸惑っているタイオンは、恐る恐る彼女の名前を呼んでみる。


「ゆ、ユーニ…?」
「…アンタ、アタシの何なんだ?」
「え?」


ユーニの声は震えていた。
背を向けていた彼女は振り返り、こちらをじっと見つめてくる。
その顔は今にも泣きだしてしまいそうだった。


「アンタのこと何も覚えてないはずなのに、時々知らない記憶がよぎるんだ。ただの気のせいだとは思えない。アンタのこと考えると、胸がざわつくんだ。この感覚の答えをアンタは知ってるんだろ?」
「それは…」
「教えてくれよ、作戦課長。いや……タイオン」


彼女の白い羽根が、まるでしおれたように芯を失いぺたんと折りたたまれていく。
必死に訴えてくるユーニの口から出たその4文字に、タイオンの心はもう抑えが効かなくなってしまう。
吸い込まれるように手を伸ばし、彼女の白い頬に手を添える。
驚き、体を固くするユーニだったが、不思議と不快感はない。
逃げようとしないユーニに安堵したのか、タイオンは親指で彼女の目の下をそっと撫でながら囁く。


「うまくいかないものだな。人の心というのは」
「え…?」
「ずっと君を探していた。何年も何年も…。ようやく見つけたと思ったのにひどいじゃないか。何もかも忘れているなんて」
「タイ、オン…」
「せっかく諦める決心がついたのに、なんで戻ってくるんだ、君は…」


この5日間は、タイオンにとって覚悟を決める猶予期間のようなものだった。
かつて惜しみながら手を振り別れた彼女のことを忘れられない自分と決別するための時間。
彼女はもう過去のことなど忘れて新しい人生を歩み始めている。
そんな彼女の邪魔をしてはいけない。
自分も前を向いて別の人生を選択しなくては。
そのために、メビウスと戦い打ち勝ったのだから。
 
そう自分に言い聞かせ、5日間彼女と毎日顔を合わせていた。
けれど決意を固めるどころか思いはどんどん募っていって、離れがたく思ってしまう。
だから見合いという強引な手段をとって無理やり忘れようとしたのに。
どうして戻ってきてしまうのか。これでは、また期待してしまうではないか。
ユーニとの可能性を。


「やっぱ、迷惑だったか…」
「えぇ、迷惑よ」


聞こえてきたのはニイナの声だった。
出て行ったユーニとタイオンを追ってきたらしい彼女は、少しむっとした様子で腕を組み、作戦立案課の駐屯所の前に立っていた。
いつの間にそこにいたんだ。
焦ったタイオンは急いでユーニの頬から手を引く。


「せっかく重要な話をしていたのに、いいところで乱入してくるなんてね。まぁいいわ。タイオン、例の話、こうなったからには受けてくれるわよね?」
「…そうだな。こちらとしてももう断る理由はない」
「話が早くて助かったわ。相手が貴方でよかった」


満足そうに微笑んだニイナは、ユーニへと視線を向けると“お幸せにね”とつぶやきその場を去っていった。
“例の話”の正体が分からずタイオンを見上げると、その視線に気が付いた彼が少しだけ気まずそうに顔を背けながら話してくれた。
 
どうやらこの見合いは、ニイナにとっても不本意な席だったらしい。
上から半ば無理やり設けられた見合いであり、出来れば断りたかったのだろう。
こちらがフラれたことにして断ってくれないかと提案してきた。
フラれたことにすれば、しばらく失恋の傷が癒えないとでも言い訳をして、今後も押し寄せるであろう見合い話をすべて断れる、というニイナの策略だった。
相変わらず頭が切れる彼女を若干不気味に思いながらも、タイオンはその話に乗ることにした。
ニイナの提案は、タイオンにとってもかなり都合がいい。


「いいのかよ、行かせて」
「僕にとっても彼女にとってもこの見合いは本意じゃなかったからな。それに、君がいてくれればそれでいい」
「それって…」


後頭部に頭が回る。
強い力で引き寄せられて、腕の中に囚われた。
抱きしめられたのだと理解できた時には、もうしっかりと背中に腕を回された後だった。
途端に心臓が跳ねあがる。
ユーニのすべてを取りこぼさないよう、両手で抱きしめるタイオンの手には力が入っていた。


「僕と君がどういう関係だったのか知りたいと言っていたな。すべてがいい思い出なわけじゃない。君にとって嫌な思い出もあるだろう。それでも、聞きたいか?」


正直、恐くないと言ったら嘘になる。
彼がここまで話すのをためらうということは、それなりに辛い思い出なのだろう。
けれど、それでも諦められそうにない。
タイオンが長年自分を探してくれた理由を、背景を、きちんと知っておきたい。
熱い眼差しを向けてくるその想いに答えたい。
いつの間にかユーニも、タイオンという一人の男に惹かれていたのだ。
タイオンの肩に顔をうずめながらコクリと頷くと、彼は“分かった”と呟いててそっと体を離した。


「長い話になるが、聞いてくれるか?僕の記憶を、僕の想いを…」


降り注がれるタイオンの視線は、随分と優しいものだった。
見つめてくる彼の瞳は、やはりどこかで見たことがある。
出会ったばかりの2人が昔のようにな絆を取り戻すのは、長い話のそのあとで。


✱✱✱

「んぅっ」


作戦立案課の駐屯所の壁に押し付けられ、唇を奪われる。
薄く開いた唇からねじ込まれた舌は、強引にユーニの口内を蹂躙していく。
誰もいないこの場所で、唇が触れる艶めかしい音だけが響いていた。
長い間唇を押し付けられ、さすがに息が苦しくなってくる。
何とか離れてもらうため、自分を押さえ込んでいる作戦課長、タイオンの胸板を押す。


「しつこいっ!」


軽い酸欠のせいか、それとも恥じらいのせいか頬を赤らめながらこちらをにらんでくるユーニ。
可愛らしい顔で可愛くないことを言うユーニに、タイオンはすこしムッとしながら眼鏡をかけなおした。


「随分な言い草だな。僕は随分昔から君を探していたんだぞ?これくらい許されるだろう」
「それは分かってっけど…。限度ってものがあるだろ…」


タイオンから知らされた長い話は、ユーニの想像もつかないほど壮大な記憶だった。
かつて非業の運命下にあったアイオニオンという世界で、ウロボロスとして一緒に戦っていた自分たち。
この世界でタイオンと初めて会った時から時折脳裏に浮かぶあの見覚えのない光景は、その時の記憶だったのだ。
タイオンの瞳を見つめるたび、どこか懐かしい気持ちになるのはそのせいか。
こんなに強引にキスされても全く不快にならないのは、眠った記憶が彼を求めているからなのかもしれない。


「ったく無駄に長々としやがって…。唇痛ぇっつーの…」
「あ、それはすまない。やりすぎてしまったな」


何度も口づけてしまったせいで、唇が切れてしまったのかもしれない。
心配になったタイオンはユーニの唇へと手を伸ばし、親指でその赤いふくらみを優しくなでた。
その時だった。遠くからこちらには駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。


「タイオン作戦課長!ご報告が――あっ」


駐屯所の影から顔を出したのは、タイオンの部下である作戦立案課の兵だった。
ユーニを壁際に追いやりその唇に指を這わせている自らの上司の姿に面食らい、報告しに来た兵は石のように固まってしまう。
若くして作戦課長にまで上り詰めたエリートが、一人の女に迫っている光景は異様に見えたのだろう。
立ち尽くしている兵の姿に気付き、気まずさを払うように咳ばらいをしたタイオンは、ようやくユーニから一歩距離を取った。


「どうした?」
「え、あ、はい。人材交流の名目でコロニー9に赴いていたミオとセナから、派遣期間の延長の申し入れがありました。先方の兵たちと親しくなったので離れがたいとのことで…」
「了解した。延長を受け入れると伝えてくれ。こちらも預かっている二名の人材の派遣期間を延長するつもりだと付け加えてな」
「はァ?」
「はい!承知いたしました!」


部下は元気よく返事をして敬礼すると、駆け足で去って行ってしまった。
残されたユーニの頭に浮かぶのは疑問ばかり。
派遣期間は終了したばかりのはずだった。
それを延期するだなんて聞いていない。


「ちょ、ちょっと待てよ!延長するなんて聞いてねぇぞ?ヨランはもう帰っちまってるし」
「呼び戻せばいい。コロニー9にいるミオとセナの派遣期間延期はたった今延長が決まった。君たちのガンマ駐留も自動的に伸びることになるのは当然だろう」
「アタシの意見を聞かずに無理やり決めたことだろ!? ていうか、さっき名前が出てたミオとセナって…」
「あぁ。かつて僕たちと一緒に旅をした、ノアとランツの相方だ」


ユーニやヨランと入れ替わるようにコロニー9に赴いた二人の人物。ミオとセナ。
その名前は、先ほどタイオンから聞かされた長い話の中にも登場していた。
ユーニにタイオンという相方がいたように、ノアやランツにもパートナーがいた。
それがミオとセナである。
まさかその二人もコロニーガンマにいたとは思わなかった。


「ミオとセナってやつも、ガンマにいたのか」
「あぁ。二人とも君と同じで記憶はないようだったがな。まぁ、コロニー9でノアやランツに会えば思い出すとは思っていたが、派遣期間の延長を申請してきたということは僕の思惑通りことが進んだということなのだろうな」
「思惑通りって…じゃあまさか――」
「なぜ僕が君だけでなくヨランを人材交流の対象に選んだと思う?君がガンマに溶け込みやすいよう見知った間柄の人間を一緒に連れてくる必要があったからだ。駐留期間の延長が決まった後、長くこのコロニーにとどまる決意を固めやすいように」


さらりと手の内を明かしたタイオンに、ユーニは開いた口がふさがらなかった。
コロニー9から人材交流の対象としてユーニとヨランを指名したのも、コロニーガンマからミオやセナを選んだのも他ならぬタイオンだった。
 
その人選の裏には、自分がユーニと再会したいという願望だけでなく、ミオとセナをノアやランツに会わせたいという願いも含まれていた。
タイオンには分かっていたのだ。
ミオとセナがノアやランツに会えば必ず意気投合すると。
そして、たった5日間の人材交流期間では足りなくなるほど、惹かれあうだろうということを。
 
ユーニと一緒にコロニー9から呼び寄せる人材としてヨランを選んだのも、ユーニがコロニーガンマに早く溶け込めるようにするためだった。
彼女をコロニーガンマに囲い込むための外堀は、タイオンによって完全に埋められていた。


「全部織り込み済みだったってことかよ…」
「当然だ。僕を誰だと思っている」


眼鏡を上げ、得意げに笑みを浮かべている彼の表情には覚えがあった。
いつだったか、水平線を見つめながらその顔に笑いかけたことがあるような気がする。
これは、かつての自分の記憶なのだろうか。


「全部お前の手のひらの上で躍らされてたってわけね。じゃあ、アタシがガンマに戻ってきて見合いの席に乱入するのも予測してたってこと?」
「いや。そこは正直賭けだった。昨晩僕とシドウ軍務長の会話を聞いていたことは気が付いていたが、見合いを止め似てくれるかどうかは確信が持てなかった。だから――」


タイオンの手のひらが、ユーニの頬に触れる。
眼鏡のレンズ越しに見下ろしてくる彼の表情は、溢れかえる感情を押し殺すことが出来ていなかった。
細められた彼の瞳には、ユーニしか映っていない。


「君が戻ってきた時、本当にうれしかった。やっぱり君は、何度生まれ変わっても変わらないんだって…」


頬に触れているタイオンの親指が、ユーニの目の下を撫でる。
熱を孕む視線を落としてくるタイオンの背後に、薄紫色の花が見えた気がした。
サフロージュ。かつてあの花を背景に、同じようにタイオンに微笑みかけられたのを思い出した。
“何度再生されても、君は変わらないよ”


「タイオン、アタシ…アタシ…っ」
「もういい。何も言うな」


囁いたタイオンは、あの頃と同じ眼差しで見つめてくる。
そして、何度目かの口づけをユーニの唇に落とすのだった。