Mizudori’s home

二次創作まとめ

そして僕は逃げることを諦めた

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■ゲーム本編時間軸

■短編

 

人の生は短い。平原を歩くアルマですら数十年と生きるというのに、ゆりかごから生まれた人間はたった10年という短い時間しかこの世に存在できない。
短い生を燃やし尽くすように浪費していくのは闘いの日々。
10年の寿命すら全うできず死んでいく兵士たちが多いくいる中で、身近な人間の死というものは決して遠い存在ではない。それはただの日常で、このアイオニオンでは何の疑いようもない常識でしかなかった。
昨日までバディを組んでいた男が明日には骸になっていることも、数時間前に一緒に昼食を採った後輩が戦場に出たまま帰ってこなくなることも、慕っていた先達、ナミが目の前で命を落としたことも、“仕方のないこと”で済ませられるはずだった。
だがタイオンは、あれから何期の時が過ぎようとも、ナミが死んだあの日のことを忘れられなかった。


「ここにいたのか」


背後から声がかかる。火が灯っている休憩場所からこちらに歩いてきたのはユーニだった。
薄暗くて顔はよく見えないが、頭に生えた美しい羽根のシルエットと聞き慣れた声ですぐに彼女だとわかる。


「ユーニか」
「ここにも咲いてたんだな、サフロージュ」
「…あぁ」


月下、わずかな風に揺られて花弁を散らす美しいサフロージュを見上げ、タイオンは彼女のことを思い出していた。
ナミがまだタイオンの知る“ナミ”として生きていた頃、彼女は自分の故郷はサフロージュが咲き乱れている場所だったと言っていた。
そしてウロボロスとして旅をした後、偶然にも発見してしまったナミの故郷は、確かに彼女の言う通りサフロージュの花で埋め尽くされていた。
あの光景を一度目にしてしまえば、たった一本でも生えているサフロージュを見つけるたび彼女のことを思い出してしまう。
再生され、幼い姿で生きている彼女を思い出して心に浮かぶのは、安堵と後悔。
自分やイスルギのことを忘れてはいるものの、また生きていてくれて本当に良かったと思う反面、彼女が幸せに展示を全うするようにもっと出来ることがあったのではとも考えてしまう。
堂々巡りなこの感情は、サフロージュを見上げるたびにタイオンの心を締め付けていた。


「お前、今ナミのこと考えてただろ」
「なっ、なんでそれを…」
「わかるっつーの。つーか分かりやす過ぎてアタシじゃなくてもバレバレだぞ」
「………」


このユーニという相方は、がさつな性格のわりに妙に鋭い時がある。
自分はランツと違って思慮深く感情が表に出ないタイプだと自負していただけに、彼女に言い当てられてしまったことは少々不本意だった。


「そんなに気にしてんなら、いっそあのコロニーに言って話してきたらいいじゃねぇか」
「…いや、いい。これ以上関われば、ナミさんにもいい影響はないだろう。それに…」
「それに?」
「…なんでもない」
「なんだよ、ハッキリしねぇな」


“一緒に行こう”と言ってしまいそうになるから。
そう言いかけて、やめた。
きっとユーニは楽観的だから“それでいいじゃねぇか”と肯定するだろうが、タイオン自身がそれを許さない。
彼女はすでに新しい人生を歩み始めたばかりで、そこに“過去”である自分が介入すべきではない。
イスルギがそうであったように、タイオンもまた、自分が彼女と顔を合わせれば思わず手を引いてしまいそうになるだろうと予想していたのだ。
それだけはしてはいけない。


「ナミさんには新しい人生がある。それを僕や他の第三者が侵害する権利なんて少しも無いんだ」
「ふうん」


ユーニの相槌はやけに冷めたものだった。
自分からこの橋を振っておいてなぜそんなに興味が無さそうなんだ。
少しだけむっとしたが、噛みついてやる気にはならなかった。
タイオンが言葉をつづける前に、彼女が妙なことを言い出したから。


「じゃあさ、ナミが新しい人生を歩き出したように、タイオンも前に進まなくちゃな」
「僕も…?」
「だって、サフロージュを見かけるたびにそうやって立ち止まって長いこと黄昏れられてちゃこっちも困るだろ?」
「なっ…!黄昏てなんていないぞ僕は!」
「黄昏てただろ。頭の中ナミでいっぱいでどうしようもねぇって顔してた」
「してない!だいたいこうして夜みんなが寝静まった頃に思い耽るようにしている。旅の妨げになるようなことは何も…!」
「やっぱ頻繁に黄昏てるんだな」
「あ…」


失言だった。あのコロニーで再生されたナミと会ってから、多少考え込む時間が増えたと自分でも気付いている。
しかし、周囲に心配をかけないようみんなが眠った頃にぼうっと考えるようにしているつもりだった。
それは周囲への配慮だけでなく、自分がみっともなく考え込んでいるということを知られたくなかったからでもある。
小さなプライドだったが、ユーニに見透かされ、いたたまれなくなってくる。
そんなタイオンの目の前で、ユーニは呆れたように深いため息をついた。


「はあぁぁぁ。あのさタイオン。過去を大切にするのはいいことだけど、同じくらい未来を生きようとするのは大切なことだろ?」
「それはまぁ、そうだが…」
「それにさ、お前にそうやって何度も振り返られると、アタシが困るんだよ」
「ん?それはどういう…」


瞳を伏せながら話すユーニは、珍しく自信なさげに声をすぼめていた。
困る、とはどういうことだろうか。
余計なことを考えて、インタリンクするときに支障が出るからという意味だろうか。
だが、深掘りしようとするタイオンの問いかけに答えることなく、ユーニはいつものさっぱりした明るい表情を浮かべながら顔を上げた。


「だから、忘れろとは言わねーけど、前を向いて生きていこうぜ」
「僕もそうしたいのは山々だが、一言で“前を向く”と言っても具体的にどうすればいいか…」
「あー、確かにな。うーん…」


前を向こうと努力はしている。だが、努力したからと言って過去を割り切ることは不可能だ。これは心の問題なのだから。
腕を組み、しばらく考え込んでいたユーニは、何かを思い出したように顔を上げ、大きな瞳でこちらをまっすぐ見つめながらとんでもないことを言い出した。


「じゃあ、別の誰かを好きになってみたらどうだ?」
「は?」
「ほら、前にモニカが言ってた、レンアイ感情?ってやつ。それを誰かに向けてみろよ」


以前、シティーにてモニカから人間本来の営みやあり方についていろいろと教えられた。
人は自分ではない誰かに特別な感情、いわゆるレンアイ感情を抱き、結婚し、そして子を成すのだと。
レンアイ感情を抱き合った二人は絆で結ばれ、互いが互いの唯一無二となる。
そういう状況に陥ることを、“恋”と呼称するのだと。
ゆりかごから生まれるタイオン達には、モニカからの話を半分も理解できなかったが、そのレンアイ感情というものが特別な相手にしか抱かない感情であることは理解できた。
ユーニはタイオンに、それを誰かに向けろと言っているのだ。


「無茶言うな。レンアイ感情が具体的にどんなものなのかハッキリ理解出来てすらいないのに」
「そりゃそっか。けどほら、モニカのやつ言ってただろ?“恋は盲目”って言葉があるって。レンアイ感情を誰かに向ければ、過去のことなんて考えられなくなるくらい一直線になれるんじゅね?って思ってさ」
「恋……恋か…」


確かにモニカは言っていた。恋をすると人が変わったようになる者も多いと。
確かに、他の誰かに特別な感情とやらを抱けば過去なんてどうでもよくなるのかもしれない。
サフロージュを見上げても心が重くなることはなくなるのかもしれない。
しかし、レンアイ感情を持とうと思って持てるものではない。
そもそもレンアイ感情とは何か、恋とは何かをイマイチ理解出来ていない身の上で、誰かに恋をするなど無理な話なのである。


「ならユーニ、君はどうなんだ?誰かにそういう感情を抱いたことはあるのか?」
「アタシ?ふふん、知りたい?」
「…そ、そりゃあ、まぁ」


人に“レンアイ感情を抱け”と助言するからには、自分もその経験があるのではないか。
そんな仮説のもと問いかけてみると、彼女はにやりと生意気な笑みを浮かべ始める。
彼女とはそこまで長い付き合いではないが、数か月寝食を共にしてきた今ならわかる。
これは面白がっている顔だ。


「教えてやんね」
「は、はぁ!? おいユーニ!」


そこまでもったいぶっておいてお預けとは流石に酷い。
頭の羽をいじりながら休憩場所の方へと戻っていくユーニ、
そんな彼女に抗議すべく、タイオンはサフロージュの木に背を向け小走りで彼女を追いかけるのだった。


********************


「レンアイ感情とはどういうものなんだ」


何の脈絡もなく投げかけられたタイオンからの問いに、ミオは思わずキラボシダイコンの皮をむく手を止めた。
偶然見つけた入り江に船を停泊させ、日が暮れてきたことを理由にその場で休むことになった一向。
一行の食事を作るのはマナナの役目だが、その手伝いは当番制を採用している。
今晩の手伝い係となったミオは、同じく手伝い係であるタイオンと並んで食材の下ごしらえを始めていたのだが、つい先ほどまで無言だったタイオンからの突拍子もない質問に驚かされてしまう。
実にタイオンらしくない質問だった。
いつだって論理的思考を忘れない彼は、そういうことに興味がないものだと思っていたから。


「えっと、突然どうしたの?」
「以前モニカからいろいろ教えてもらっただろう?だがどうにも理解できない。エムとの記憶を一部共有している君なら、何か知っているんじゃないかと思って」
「あぁ、なるほど」


ミオが得たかった内容とは少しだけずれた回答だったが、要するにただの“興味”なのだろう。
エムの記憶を一部引き継いでいるミオは、ほかの面々に比べ多少恋というものに対する理解度は高い。
とはいっても、自身の言葉でその抽象的な感情を表現できるかと言えば、答えはNOだ。


「どういうって言われても、説明難しいな。特別な相手に抱く感情のこと、かな」
「特別な相手…。ミオにとってのノアみたいな相手か?」
「えっ、あ、う、うん。そう、かな」


視線を泳がせ、ひどく動揺している様子のミオ。
その頬はわずかに赤く、照れているように見える。
ノアたちと比べれば、ミオとの付き合いは長い方だが、彼女のこういった表情は今までほとんど見たことが無い。
ウロボロスの力を得るまで、いや、ノアたちと出会うまで、見ることがなかった彼女の一面だった。
誰かにレンアイ感情を抱くと、こんな顔ができるようになるのか。
以前に比べて笑顔が増えたミオを見つめながら、タイオンは考えていた。
ユーニの言う通り、誰かにそういう感情を持てれば、過去のことでいろいろ考え込まずに済むのかもしれない。


「珍しいよね。タイオンがそんなこと気にするなんて」
「そうか?」
「うん。だって、そういう概念みたいな曖昧なものには興味ないのかと思ってたから」
「そんなこともないさ。知らないことがあれば知りたいと思うのは人間の性だろう?」
「そうね。ある意味タイオンらしいのかも」


ティーへたどり着いた時、“当たり前”だと思っていたことが“当たり前”ではないということに気付かされた。
自分たちは何も知らない無垢で無知な存在なのだと現実を突きつけられたような気がして、茫然とした。
と同時に、探求心も芽生えているのも事実。
結婚とは何か、出産とは何か、そして、恋とは何か。
何度も命を再生し、人生を繰り返しているにもかかわらず、タイオンたちはまだ何も知らないのだ。
知りたがるのも当然か、とミオが心の中で納得したとほぼ同時に、隣でカムカムラディッシュを切っていたタイオンの手が止まった。


「それに…言われたんだ。誰かにレンアイ感情を抱けば、きっと前を向けるようになるはずだと」
「タイオン…」
「君がうらやましいよミオ。そういう感情を抱ける相手が傍にいて」


タイオンの視線の先にいたのは、リクと談笑しているノアだった。
誰からそんなことを言われたのか、なんて野暮なことは聞かなかった。だいたいの予想はついている。
確かにノアが傍にいることで助けられたことは数えきれないほどある。物理的にも精神的にも、ミオはノアに助けらており、ノアもまた、ミオに助けられている。
見えない感情という名前の糸でつながり、目をそらすことなく互いのことを見つめ合える二人の関係性は、タイオンにとって羨ましくて仕方がなかった。
自分にもそういう相手がいてくれたなら、きっとこんなにも過去に縛られずに済んだのだろうに。


「タイオンにもいるじゃない。ユーニが」
「ユーニ?」


予想もしていなかった名前がミオの口から飛び出した。
思わず、ランツやセナと笑いあっているユーニに視線が吸い寄せられる。
その瞬間、心臓がマヒしたかのようにぎゅっと締め付けられたのは気のせいだろうか。


「タイオンにとってユーニは特別でしょ?」
「確かに特別だな。彼女がいなければ僕はインタリンクすることができない。そういう意味では…」
「そうじゃなくて」


一通りキラボシダイコンの皮をむき終わったミオが、タイオンの方へと視線を向ける。
彼女が向けてくる視線は、いつもの優しい柔らかなものではなく、どこか諭すような力強い瞳だった。


「私にとってのノアと同じ、でしょ?」


聡いタイオンには、その言葉に含まれる意味を瞬時に理解できた。
ただのインタリンクする相手というだけの関係ではない。
再生されてもなお巡り合い、そして互いを求めあってきたノアとミオのような、運命的な関係。
ミオやシティーの人間たちの言葉を借りるなら、恋をしている相手ということだ。


「ぼ、僕とユーニが!? 違う、ありえない!僕たちはただの…」
「インタリンクするだけの相手?」
「そ、そうだ。それ以外にどんな意味がある?」


初めてインタリンクしたあの時。
あれはきっとただの偶然に違いなかった。
ただ、近くにいたのがユーニだったから。それだけのこと。
ミオやノアは運命的な繋がりがあったのかもしれないが、自分たちは違う。
そんなきれいな言葉で飾り立てられるような、劇的な関係ではないとタイオンは思っていた。


メビウスが言ってたでしょ?アグヌスとケヴェス。二つの勢力が一つになることでようやくメビウスに抗することが出来るって。もし相手が誰でもよかったのなら、ランツやユーニともインタリンク出来るようになってもおかしくないはず。でも私はノアとしか出来ない。他のみんなもそう。セナはランツ、タイオンはユーニとしかインタリンクできない。これって、ただの偶然?」
「それは…」
「それぞれの相手とインタリンクできるようになったのは、ただの偶然じゃない。きっと運命なのよ」


運命。その美しい言葉はどうにも曖昧だが、ミオが言うとやけに説得力がある。
言われてみれば確かにそうだった。相手がケヴェスであるなら、自分にはランツやノアといった選択肢もあったはず。
しかし引き寄せられた相手はユーニだった。
他の誰かとインタリンクする気配は今まで一切なく、おそらく今後もユーニとだけ背中を合わせて戦うことになるのだろう。
これを運命の一言で片づけるのは簡単だ。
だが、ノアやミオと同じだと思い込むのは、まるで未知の沼に足を突っ込むような一種の恐怖感があった。
知らない何かに目覚めてしまいそうな感覚から、本能的に逃げ出したくなる。だからタイオンは、ミオの言葉を根っから否定することにした。


「いや、だからと言って僕とユーニが君たちと同じというのは…」
「アタシがなんだって?」
「うおっ!」


後ろからかけられた声に、思わず飛び上がりそうになった。
つい先ほどまで視界の端にいたはずのユーニが、いつの間にか背後に立っていたのだ。
じとっとした目でこちらを見つめてくるユーニの顔を見て、一気に心臓の鼓動が早くなる。


「ゆ、ユーニ!? いつのまに…!」
「なんだよ。二人そろってアタシの悪口か?」
「ふふっ、違うわよユーニ。タイオンとユーニは仲がいいよねって話をしてたの」
「お、おいミオ!」


話の内容は聞かれたくなかった。ユーニ本人が知れば、きっといつものようにしたり顔でからかってくるに決まっている。
案の定、ミオの言葉を聞いたユーニは明らかに面白がっている表情で“へー”と腕を組みながら顔をのぞき込んできた。


「まぁインタリンクする仲だし?それなりに相性はいいはずだよな。なぁ?タイオン」
「知るかっ!」
「なんだよ素直じゃねーなぁ。ほらほら言っちまえよ、アタシたち仲いいでーすってな!」
「や、やめろ手元が狂うだろ!」


包丁を握り食材を切っているタイオンの肩に肘を置き、ユーニは笑う。
隣で戦っている相棒である以上、友好関係を築けているのは当然のことだ。
だが、何故だかそれを素直に認めてしまうのは気恥ずかしい。
なにもムキになって否定するようなことではないが、心がムズムズしてすんなり受け入れられそうもない。
ユーニが距離を詰めてくるたび、反射的に距離を取りたくなってしまうのはなぜだろう。
前まではそんなことなかったというのに。
自分の中に生じたわずかな変化に気付きつつも、タイオンはそれを見てみぬふりを続けることにした。


********************


アエティア地方の上層は、見渡す限りの銀世界が広がる極寒の地である。
コロニーの者たちに依頼され、雪原の最奥に巣食うモンスターを討伐するために、一行はこの地に降り立った。
モンスター自体はそこまで手強くもなく、6人の連携で即座に倒せたのだが、モンスターよりも彼らを苦しめたのはこの寒さである。
空に広がる曇天からは、あまり水分が含まれていない大粒の雪がしんしんと降り続いている。
陽も傾き始め、そろそろどこか休憩できる場所を探そうというノアからの提案の元歩き続ける6人は、体の芯から凍える寒さに身を縮こませていた。
特に苦しんでいたのはユーニで、寒がりな彼女にはこのアエティア地方の雪は毒にしかならない。
自分の体を抱きしめるように腕を回し、寒さに肩を震わせるユーニが、口から白い息を吐きだしながらぼやき始める。


「さっみー!例の洞穴、まだつかねぇのかよ」
「もう少しだも。この先にあるはずだも」


一行が向かっていたのは、以前この雪原を訪れた際リクが見つけたという洞穴。
そこならば降り続く雪も避けられ、暖もとれるはずである。
しかし、その洞穴に到着するよりもユーニが音を上げる方が早いかもしれない。
背後から震える彼女の背中を見つめながら、タイオンはそう思った。
仕方ない。いざというとき彼女に倒れられてはこちらも困る。
彼女が氷漬けになる前に、このマフラーを貸してやろう。
彼女はダサいと切り捨てていたが、ないよりはましなはずだ。
自分の首に巻かれている橙色のマフラーを解き始めたその時だった。
前を歩く彼女の肩に、赤いジャケットがかけられた。


「大丈夫か?ユーニ」
「あ、悪いノア。貸してもらっちまっていいのか?」
「俺は大丈夫。ユーニの方が寒そうだから」
「いやお前の心配というよりミオに悪いかなって」
「私は平気。気にしないで」
「そっか、ミオは暑がりだったもんな」
「もう、からかう元気があるなら私が借りるわよ?」
「悪い悪い冗談だって!」


前方で繰り広げられるノアとミオ、そしてユーニの会話を見ながら、タイオンはマフラーから手を離した。
ノアの気遣いのおかげか、ユーニは少しだけ元気を取り戻したようである。
良かった。急にメビウスや強いモンスターに襲われた時、彼女がダウンしていたらインタリンク出来なくなる。
彼女が寒さに震えずに済んだのなら、それでよかった。よかったはずなのに、何故だろうか。
少しだけ胸が痛い。
ノアのジャケットを羽織っているユーニの姿を視界にとらえるたび、心に靄がかかったような気分になる。
どうしてこんな気持ちになるのか、理論的な答えが見つからない。


「タイオン?どうしたの?」
「えっ」


隣を歩いていたセナが、タイオンの顔をのぞき込み問いかける。
前を歩くユーニたちをじっと見つめ、視線を外そうとしないタイオンの様子を不審に思ったのだ。


「なんか怖い顔してたよ?お腹でも痛いの?」
「い、いやなんでもない。なんでもないさ…」
「そっか。…あっ」


なんでもない。それは自分自身に言い聞かせた言葉だった。
そう、なんでもない。何でもないはずなんだ。
いちいち気にすることじゃない、ただ、ノアがユーニを気遣っただけのことじゃないか。
何をイラつくことがある。意味が分からない。
口を紡ぎ、考え込むタイオンの肩に、一枚のモンドがひょいと現れる。
主人の肩の上でひょこひょこと跳ねる愛らしいモンドに気付いたセナは、自然とその姿を目で追っていた。
するとモンドはタイオンの肩を離れ、ひらひらと前方へ飛んでいく。
そして、ユーニの周りをゆらゆらと漂い始めた。

何をしているんだろう。タイオンが飛ばしているのかな?
そう思って隣のタイオンに視線を戻してみるが、彼は自らの足元に視線を落としたまま何やら考え込んでいる。
恐らくあのモンドは無意識に飛ばしているものなのだろう。
相変わらずモンドはユーニの気を引くように彼女の周りを浮遊している。
その存在に気が付いたユーニが、こちらを振り返ってきた。きっとタイオンの様子をうかがうためだろう。
だが、タイオンは俯くばかりでユーニからの視線には気付いていない。
降り積もる足元の雪を怖い顔で睨みながら考え事をしているタイオンの姿を見たユーニは、その口元に薄く笑みを浮かべると、肩から羽織っていたノアのジャケットをそそくさと脱ぎ始めた。


「ノア、これありがとな。もう返すよ」
「え、もういいのか?」
「あぁ。そいつはやっぱりミオに貸してやれよ」


ジャケットを受け取ったノアは、隣を歩いているミオと不思議そうな表情で顔を見合わせた。
その隙に、ユーニはわざと歩調を遅くし、数歩分後方を歩いていたタイオンの横に並んだ。


「タイオン、そのマフラー貸してくれよ」
「えっ?」


先ほどまで前方で歩いていたユーニが急に隣に来たことに、タイオンは動揺を隠せていなかった。
目を丸くする彼に構うことなく、ユーニは右手を差し出して要求のポーズをとる。


「寒いからさ。それ貸して」
「い、いきなり何を…。というか、ノアから上着を貸してもらったんじゃないのか?」
「首元温めたほうが全身温まるってよく言うだろ?ほら早く!」


ユーニの強引さは相変わらずである。
そんな彼女の要求に、タイオンはしぶしぶ首に巻いていたマフラーを差し出した。
長い橙色のマフラーが、ノアの赤いジャケットに代わる形でユーニの体に密着する。
タイオンのマフラーに口元をうずめながら、ユーニはマフラーの裾を手に取りくすくすと笑い始めた。


「やっぱダッセェな、これ」
「なっ…君というやつは借りておいてそんな失礼なことを…!」
「けど、こっちの方がいいや」


ユーニの強引さと口の悪さに小さな怒りすら感じていたはずなのに、最後のその一言がタイオンの心情をがらりと変えてしまった。
橙色のマフラーを首に巻いたユーニが、寒さで頬と鼻先をほんのり赤く染めながら笑っている。
そんな彼女の視線と自分の視線が交わった瞬間、心臓が信じられない勢いで締め付けられた。
まずい。このままこの顔を見つめていたら、きっとダメになる。
頭の中で、理由もわからぬままサイレンが鳴る。咄嗟に顔をそらして眼鏡の位置を直し、冷静さを保とうとするも時すでに遅し。
心臓がまるで陣太鼓を打ったように激しく、そして早く脈打ち、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる。
なんだこれは。僕は本格的におかしくなってしまったのか。
自分の心臓に手を当て、自分自身に問いかけてみるも、答えは得られない。
強制的に思考が停止させられてしまったかのような感覚に、タイオンは人知れず恐怖していた。
そして思い出す。モニカのあの言葉を。

“恋は盲目”

違う、断じて違う。今胸に抱いているこの痛みは、この鼓動は、決してそんなものが原因ではない。
頭ごなしに否定してみるが、その明確な理由は求められないまま。
説明ができないこの感情に、すでに名前がついていることは知っている。
けれどそれを認めてしまっては、ユーニをただの相方として見れなくなるではないか。
誰にも抱いたことのないこの感情の正体を知りつつ、タイオンは再び見てみぬふりをした。


********************


タイオンのハーブティーは仲間の間でも好評だった。
特にユーニは大いに気に入っており、食後には高確率でタイオンにハーブティーを入れてくれと頼んでくる。
自身も日常のルーティーンの一環としてハーブティーを飲んでいるため、もう1杯分余分に作ることはそこまで手間ではない。
むしろ、いつも美味い美味いと飲んでくれるユーニの反応に喜びすら感じていた。
やはり、自分が好きなものを褒められるとうれしい。
今夜もまた、ユーニに頼まれハーブティーを入れる準備を進めていた。

他の面々はマナナの作った食事を食べ終え、各々が好きなように過ごしている。
日記をつけているミオ。ブレイドを素振りするノア。腕立てをしているセナ。食事の後片付けをしているマナナと手伝っているリク。
キャンプの火を囲みながらいつも通りの夜を過ごす中で、ランツだけは珍しく筋トレに興じてはいなかった。
自分の大きな手のひらに視線を落とし、怪訝な顔をしながら握ったり開いたりを繰り返している。
いつも夜は欠かさず筋トレをこなしているランツが、腕立てすらしていない光景を不審に思い、最初に声をかけたのはユーニだった。


「どうしたんだよランツ。今日は筋トレしねーの?」
「いや、さっきモンスターと戦っただろ?その時から何か手に違和感があってよ」
「違和感?」


この場所でキャンプを張る直前、一行はバニットの大群に囲まれて戦闘を行った、
愛らしい見た目ではあるものの、意外にも獰猛な一面を持つバニット数十体に囲まれれたせいで、随分と戦闘が長引いてしまった。
ディフェンダーを務めるランツは、何度もバニットの攻撃を防いで大活躍をしたわけだが、どうやら無理がたたってしまったらしい。
ハーブティーを用意する手を動かしながら、ランツとユーニの会話を聞いていたタイオンは、“きっと捻挫だな”と予想を立てていた。


「どれ、見せてみ?」
「ん」


視界に入ってきた光景を見て、思わずハーブが入った袋を落としそうになってしまった。
ユーニがランツの右手を両手で握っているのだ。
心の奥底から炎のように激しい感情が沸き起こってくる。
視線を外してもなお燃え続ける感情の炎に、自分のことながらタイオンは動揺していた。
あんな光景、今まで何度も見てきたはずだ。
ユーニは治癒能力にたけた衛生兵。体の不調を訴える仲間に触れてその症状を観るのは当然の行動だ。なのに…。
握りこんだ拳が震える。
見ないふりを決め込み、抑え込んでいた感情が心の中で暴れている。
こんな感情不合理だ。理にかなっていない。にもかかわらず、抑えても抑えても溢れてくる。
もはや、タイオンの見てみぬふりは限界に達していた。


「うおっ」


ランツの手を診ていたユーニは、目の前に急に現れたモンドに驚いて手を放してしまった。
自分たちの間に割り込むように飛んできたモンドの存在に気付き、驚いたのはランツも同じ。
“なんだなんだ”と騒ぐランツには目もくれず、モンドはユーニの方を向き何かをアピールするようにひょこひょこと上下に揺れている。
その様子は、まるで怒っているかのようだった。
ふと、タイオンの方へと視線を向ける。このモンドの主人でもある彼は、やはり視線をそらしながら何かを考え込んでいる。
このモンドは、またもやタイオンが無意識に飛ばしているものだったらしい。


「悪いなランツ。後でじっくり診てやるから」
「お、おう…」


腰かけていた切り株の上から立ち上がったユーニは、まっすぐタイオンの元へと向かう。
ハーブティーを淹れる手が止まっている彼のすぐ背後に立つと、腰に手を当て小さくため息をついた。


「タイオン。タイオンってば!」
「!? な、なんだ!?」
「なんだじゃねーよ。こいつなんだよ?」


ユーニが指さしたのは、自分の肩に乗っている小さなモンドだった。
その姿を見て、タイオンは面食らう。
モンドを飛ばした記憶はない。なのになぜユーニのそばにいるのか、
まさか、無意識に飛ばしてしまったというのだろうか。
そんなこと、今まで一度だってなかったというのに。


「最近、いつもアタシの周りを飛んでるよな、こいつ。わざと飛ばしてんのか?」
「まさか!無意識だ無意識」
「ふうん」


手のひらを広げると、ユーニの肩に乗っていたモンドがひらりと帰ってくる。
これを飛ばすには多少のコツがいる。
飛ばしたい場所に意識を集中させて飛ばすのだが、扱いに慣れた今はそこまで集中しなくても意識を向けるだけで自在に飛ばすことができるようになった。
だからこそ、このように自分の意図していない方向に飛んで行ってしまう事象は珍しく、少々戸惑いを覚えてしまう。


「モンドってさ、タイオンが意識した方向に飛んでいくんだよな?」
「そうだが…」
「それってつまり、タイオンが常々アタシに意識を向けてるってことだよな」
「えっ」


それは言い逃れができない事実であった。
モンドは主人の意識に従い飛んでいく。
ユーニのもとに飛んでいったということはつまり、タイオンがユーニに意識を向けている証拠である。
その事実は、タイオンが一番わかっていることだった。


「なんか言いたいことでもあんのか?はっきり言えよ」


一歩前へと踏み出し、ぐっと顔を近づけてくるユーニ。
彼女の大きな瞳には、タイオンの動揺する顔が映り込んでいる。
彼女が距離を縮めるごとに、心臓がうるさく自己主張する。
逃げ出したいが、背後は折り畳み式のキッチン台が置いてあるため逃げられそうにない。
言いたいことなどない。この気持ちを言語化するには、まだ経験が浅すぎる。
10年も生きていない自分に、この複雑な感情を解きほぐすなど不可能だ。
だが、目の前の彼女はそんなタイオンの逃げ腰を許しはしない。
きっともう、彼女から目をそらすのも逃げるのも無理なのだ。


「~~~~っ!あぁもう!」


ノアたちもいるこんなところで話せるわけがない。
ユーニの手を強引にとると、タイオンはその手を引いてキャンプ地から離れていった。
彼に引きずられるように歩いているユーニは、“お、おい!”と抗議の声を上げているが、当のタイオンは聞く耳を持たない。


「なんだ?喧嘩か?」
「さぁ…」


ユーニの手を引きながら離れていくタイオンの背中を眺めながら、ランツとセナが顔を見合わせる。
だが、その場にいた誰も二人の後を追いかけようとはしなかった。
自分たちがそうであるように、インタリンクの相手であるあの二人にし分からない問題もある。
仲間だからと言って、むやみやたらと首を突っ込むべきではないのだ。

一方、ノアたちが休息をとっている焚火から少し歩いた距離にある丘で、タイオンはようやく足を止めた。
手を引かれている間、ユーニは何度も彼の名前を呼んで足を止めようとしたのだが、見た目通り頑固な彼は聞く耳を持たなかった。
何故急に止まったのだろうと不思議に思っていたユーニだったが、目の前にそびえたつ一本の木を見上げて合点がいく。
丘の頂上に堂々と立っていたその木は、サフロージュの木だった。
月明かりに照らされて、薄紫色の花弁を夜空に掲げている美しいその木を視界に入れ、思わず立ち止まってしまったのだろう。また彼女のことを思い浮かべながら。
まったく、こんな時でもサフロージュか。飽きない奴。
心の中で悪態をついてみるが、口に出さなかったのは気遣いのつもりだった。
何にせよ、いつもの“黄昏れ”に自分を巻き込まないでほしい。こうなるとタイオンはいつも長いこと考え込んでしまうから。


「なぁタイオ―――」
「君はなぜ、僕にあんなことを言ったんだ」
「…え?」


“こんなところで黄昏るくらいなら帰らせろ”
そう言おうと喉元まで出かかった言葉は、タイオンによってさえぎられた。
サフロージュの木を見上げたままの彼はこちらに背を向けていて、表情はうかがい知れない。
だが、その声色は柄にもなく弱弱しいものだった。


「誰かにレンアイ感情を抱けと、そう言っただろう? 後ろを振り返られてばかりじゃ困るからって…。君があんなことを言うから、僕は…」
「なんだよ?」


握られたままの手に、力が入ったのを感じた。
ハッキリものを言わないタイオンの言葉に少しだけ苛立って、強めの語気で聞き返してみると、彼は勢いよく振り返り喚くように言った。


「君のことばかり考えるようになってしまったじゃないか!」
「は、はぁ?」
「君が距離を縮めてくると落ち着かなくなるし、名前を呼ばれると心臓が跳ねあがる。他の誰か、それも男と親し気にしていると無性に腹が立つくせに、そのあと声をかけられると妙にうれしくなる。朝起きればまず一番に君の姿を探してしまうし、夜寝るときは君の顔が浮かんで眠れなくなる!お陰で最近寝不足だ!どうしてくれる!」
「し、知らねぇよ、そんなの…」
「別のことを考えようと思っても頭の中で君の顔が他の思考を押しのけてしまう。考えまいと努力するたび沼にハマっていくみたいだ。しまいにはモンドを飛ばしていただと?無意識に君の気配を追ってしまっている証拠だ!実害すら出始めてるこの状況をどう責任取ってくれる!?」
「だ、だから知らねぇって!言ってることがワケ分かんねぇよ!」


タイオンから剛速球でぶつけられた感情の塊に、ユーニはただただ困惑していた。
彼が自分のことを変に意識していることはなんとなくわかっていた。だが本人がこんなにも困っていたとは。
そう早口で責め立てられたところでユーニには解決のしようがない。
タイオンと同じようにゆりかごから生まれたユーニには、今目の前にいる異性が自分に対して抱いている感情の正体など、皆目見当がつかないのだから。
戸惑っているユーニの瞳を見つめていると、途端にタイオンの心に悲しみがやってくる。
つい先ほどまでは怒りに近い感情を抱いていたはずなのに、彼女が自分の心情を知り困っていると察した瞬間、どうしようもなく泣きたくなった。
激しく上下する感情の波に、タイオン自身ひどく混乱している。
僕はいったいどうしてしまったのだろうか、と。


「…分からないのは僕の方だ。君が関わると嫌でも冷静さを失ってしまう。何もかも…君のせいだ」


既に命の日時計が失われた瞳を揺らし、まっすぐこちらを見つめてくるタイオン。
切なげなその表情を見ていると、ユーニの心も連動するかのようにぎゅうっと締め付けられた。
これはインタリンクの影響だろうか。それとも。


「アタシのせいっていわれても、アタシは何も―――」


再び言葉が遮られた、今度はユーニの体を引き寄せるタイオンの手によって。
彼の両腕が背中に回り、強く抱きしめられる。
こうして自分以外の誰かの腕の中に納まるのは、初めての経験だった。
そのせいか、心臓が急にバクバクと騒ぎ出している。
戸惑い、視線を泳がせるユーニだったが、そんな彼女の耳元でタイオンの吐息交じりの声が紡がれる。


「君が言い出したことだろ? 誰かを好きになれと。その結果がこれだ」
「タイ、オン…」
「具体的にどうしたいかとか、どうなりたいかはまだ分からない。だが……」


ユーニのものより一回り大きなタイオンの手が、彼女の後頭部へと回る。
“掻き抱くよう”とはまさにこのことなのだろう。
まるで大切な何かを外敵から守るように、タイオンはユーニを抱きしめ、震える声でつぶやく。


「君には、君にだけは、拒絶されたくない」


いつもの冷静さからは想像できない、切羽詰まった声がする。
それは、タイオンに余裕がないことを示していた。
こいつから余裕や冷静さを奪ったのは、アタシなのか。そう思うと、ユーニの心はなぜか満たされた。
タイオンが自分のために必死になればなるほど、うれしい。そんな意地の悪い妙な感情がユーニの中に芽生えつつある。
もっと必死になって。アタシのことだけ考えて。縋るように見つめて、一喜一憂すればいい。過去なんて振り返る暇がなくなるくらい、夢中になればいい。
こんなこと、きっと口に出してはいけないのだろう。だが、思わずにはいられなかった。


「アタシがタイオンを拒絶できると思う?」
「…しないのか?」
「しねぇよ。するわけない」
「それは…僕がインタリンクの相手だからか?」
「違うよ。だって、こんなに心臓が破裂しそうになってるの初めてだから」


ようやくユーニを抱きしめているタイオンの腕から力が抜けた。
預けていた上半身を離しタイオンを見上げると、彼は面白いくらいキョトンとした顔をしている。
拒絶されると思っていたのだろう。その表情が少し面白くて、小さく噴き出してしまう。


「ぷっ」
「な、なにを笑ってる!?」
「悪い悪い。なんかさ、レンアイ感情ってのがどういうものなのか分かってきた気がするよ。タイオンのおかげで」


ユーニの言葉に、タイオンは沸き上がる感情を抑えようと必死だった。
ゆりかごから生まれた自分たちには、シティーの人間たちの言う“普通”が分からない。
だが、今また彼らをうらやましく思ってしまった。
そうか、心を向けた相手が自分と同じ気持ちだと知った瞬間、人はこんなにも喜びに苛まれるのか。
こんなにうれしいなら、もっと早く知りたかった。恋というものを。人を好きになるということを。


「ユーニ、僕は―――」


拙くてもいい。言葉にして伝えなければと焦る気持ちが先行して口を開いた。
しかし、今度はタイオンの言葉が遮られてしまう。
つま先で背伸びをしたユーニの顔が迫ってきて、唇に柔らかな感触が押し当てられる。
それは、シティーの人間たちがする愛情表現の真似事だった。
これが具体的にどんな意味を持つのかはイマイチ理解できていないが、特別な相手にしかしない行為だということはタイオンも、そしてユーニも知っている。
タイオンは息を呑む。ほんの一瞬の出来事だったが、数十秒もの間唇を合わせていたような感覚だった。
ゆっくりと離れていく彼女の頬は、少しだけ赤らんでいる。


「シティーのやつらは、こういう時にするんだろ?キスって言うんだっけ」
「っ」


恥じらいを押し殺して悪戯っぽく笑うユーニがなんだか憎らしくて、それでいて可愛らしくて、やり返さないと気が済まなくなった。
衝動に任せて彼女の頬に手を添え無理やり上を向かせると、“え、ちょっ”という抗議の声が聞こえてくる。
だが聞いてやる道理はない。先に不意打ちを仕掛けてきたのはそちらの方だ。
意趣返しのつもりで唇を押し当てると、ユーニのふさがった口から“んっ…”と声が漏れる。
これは気分がいい。好き勝手してくれたユーニに対して一矢報いている感覚は、タイオンを高揚させた。


「っぷは、な、なんだよ急に!」
「それはこっちのセリフだ。急に仕掛けてきたのはユーニの方だろ」
「だからってなぁ…!」
「なんだ?いやだったのか?拒絶はしないと言っていたはずだが?」
「前言撤回だ馬鹿!」
「今更そんなわがまま言うな」
「待っ…んんっ」


タイオンという男が、出会った時から粘着質な男であったことをユーニは忘れていた。
やられたら倍にして返さないと気が済まない意地汚い性格は、こういった場面でも表れているらしい。
1度ならず2度までも主導権を握られたユーニは、唇を食まれながら“次はアタシの番だ”と闘志を燃やすのだった。