Mizudori’s home

二次創作まとめ

稚拙で無様なこの恋は

カミュセニャ】

ドラクエ11

■ゲーム本編時間軸

■短編

 


旅を終えてから、このイシの村を訪れたのは2度目のことだった。
1度目は、かつての相棒・イレブンとエマの結婚式。
昔の仲間たちも集合し、イシの村の人々と共に夜遅くまで祝いつくしたあの日のことは記憶に新しい。
あれから数か月。
カミュは妹のマヤを伴い、再びイレブンに会うためこの村を訪れた。
邪神ニズゼルファの消滅後、カミュはマヤとの約束通り、彼女と共に世界各地のお宝を求めて旅に出た。
その道中、イシの村近くを通ったため、ついでという形で立ち寄ったのだ。

「いらっしゃいカミュ。久しぶり」

突然の訪問にも関わらず、イレブンは笑顔でカミュとマヤを出迎える。
エマと生活を始めたこの小さな家は、辛苦の連続だった旅を終えたイレブンに対する、村の人々からのプレゼントだったという。
質素ながらも温かみのある家に案内され、兄妹は木製の食卓に腰かけた。

「あ、いけない。お酒を切らしてたの忘れたわ。ちょっと買ってくるわね」

身に着けていたエプロンを外しながらエマは言う。
いつもは来客用に常備してある葡萄酒が、今日に限ってきれてしまっていたのだ。
せっかく来てくれた夫の友人とその妹に何も出せないのは忍びない。
急いで買ってこようとするエマに、カミュは思わず声をかけた。

「あぁ気を遣わなくてもいいぜ」
「だめよ。せっかく来てくれたんだから」
「僕も行こうか?」
「大丈夫。イレブンはゆっくりしてて。じゃあ行ってくるわね」

にこやかな微笑みを浮かべながら、エマはそそくさと家を出てしまう。
家に残された三人は、エマが帰って来るまでありものの茶菓子をつまみに紅茶をいただくことにした。
以前とは違い、頻繁に会うこともなくなってしまった仲間との再会は、会話を大いに盛り上がらせる。
今も各地を旅しているカミュは、デルカダールにいるマルティナやグレイグ。
ユグノア復興に力を入れているロウ。
ソルティコを拠点にサーカス活動を続けているシルビア。
そしてラムダにいるベロニカ、セーニャ姉妹にも時折あっているようだった。

「嫁さんとはうまくやってんのか?」
「まぁ幼馴染だからね。喧嘩することもあるけど、仲良くやってるよ」
「そっか。なら安心したぜ」

カミュは、イレブンの妻であるエマのことをよく知らない。
イレブンの幼馴染で、この村の村長の孫であり、気立てのいい娘だとは聞いていたが、きちんと話す機会には恵まれなかったため、イレブンがどのような新婚生活を送っているのか全く想像がつかなかった、
しかし、目の前の相棒は実に幸せそうな顔をしている。
エマも噂通りよく気が回る女性らしいし、彼女のような嫁を貰ったイレブンは幸せ者だと言えるだろう。

「結婚かぁ。なぁ、兄貴は結婚しないわけ?」
「は?俺?」

茶菓子として出されたビスケットを頬張りながら、マヤが問いかける。
隣に座っている兄は、まさか結婚についての話題が自分にフラれるとは思っていなかったようで、少し驚いている様子。
甘い紅茶を一口すすると、カミュは乾いた笑いを零しつつ首を横に振った。

「俺は結婚になんか興味ねぇよ。独り身の方が気楽だからな」
「過去に結婚を考えた相手もいなかったの?」
「いねぇって」

イレブンとエマの結婚式に出席した時、仲間の女性陣は口々に結婚へのあこがれを口にしていた。
ウエディングドレス姿の花嫁を見つめるイレブンの姿はとても幸せそうだったし、結婚自体にネガティブなイメージがあるわけでもない。
だが、親の顔も知らず育ってきたカミュにとっては、暖かい家庭というものに縁がなく、憧れようにも想像がつかなかったのだ。
誰か特定の相手と共に家庭を築き、一か所に根を張るよりも、自由な鳥のような生き方の方が性に合っている。

「もしかして兄貴、女にモテないとか?」
「馬鹿。失礼なこと言うなっつーの」
カミュは結構モテるよね。行く先々で女の人に声かけられてたし。それなりに女経験もあるでしょ?」
「まぁ、人並みにはな」

カミュは、同性のイレブンの目から見ても整った顔立ちをしている。
妹がいるためか、性格も面倒見がよい兄貴肌だ。
共に旅をしていた頃は、商売をしている女性たちから声をかけられている光景を度々目にしていた。
メダル女学園に立ち寄ったときはラブレターを貰っていたようだったし、人よりも女性の視線を集める存在であることは間違いないだろう。

「え!? 女経験あるのかよ。おれはてっきり童貞かと思ってたけど」
「あのなぁ・・・。お前が黄金化してた5年間、俺は各地を旅してたんだぜ?それなりに経験は積んでるっての」

カミュがバイキングを抜け、イレブンと出会うまでの期間、盗賊として活動していたカミュの生活は、とてもではないが整ったものとは言い難かった。
すさんだ生活を送っていれば、おのずと後ろ暗い女たちが群がってくる。
5年の間に、カミュは何人かの女たちと関係を結んできたが、いずれも正式に交際したわけでもなかったため、言うまでもなく結婚など視野に入れてはいなかったのだ。

「遊びならともかく、恋愛だの結婚だの、俺にはむいてねぇんだよ」
「そうかなぁ。でも、好みのタイプくらいいるでしょ?」
「好みねぇ・・・」

イレブンに促されて考えてみたが、彼の言う好みのタイプとやらは一向に思い浮かばない。
誰でもいいわけではないが、こんな自分を好んで選んでくれるような人であれば、きっとそれだけで構わないのだと思う。
たとえどれだけ自分を好きだと言ってくれる子に巡り合ったとしても、きっと結婚など全く意識することは無いのだろうが。

「その感じじゃ、兄貴は一生結婚とか無理なんだろうなぁ。おれがしっかりしないとな」
「よく言うぜ」

腕を組み、真剣な顔を作る妹の額を、カミュは軽く小突いた。
彼女の言う通り、きっと自分は一生結婚する機会に恵まれないだろう。
だが、マヤだけはきちんとした伴侶を見つけて幸せになってほしい。
彼女がここから共に添い遂げたいと思える相手と巡り合えるまで、自分の幸せは求めるべきではない。
カミュは、無意識に心のどこかでそんなことを思っていた。


********************


世界一の港町、ダーハルーネ。
この街を訪れるのも、実に数か月ぶりであった。
相変わらず活気あふれるこの街には、各地から運び込まれる大量の荷物と人を乗せた船が行きかっている。
今日もまた、海の向こうから大勢の人を乗せた定期船が、この街の港に停泊した。
続々と降りてくる人の波を、カミュとマヤは波止場から眺めている。

「あ、いた!」

人の波を見つめていたマヤが、まっすぐ指をさして大声を上げた。
先ほどから探していた目当ての人物を探し当てたらしい。
彼女が指さす方角に視線を向けてみると、確かにそこには待ち続けていた金髪の彼女の姿がった。

「セーニャ!」

手を挙げて名前を呼んでみると、彼女はこちらの姿を見つけて表情をぱっと明るくさせる。
軽く手を振りながら駆け寄ってくるかつての仲間、セーニャは、あの頃と変わらない笑顔をカミュとマヤに見せてくれた。

「お久しぶりです。カミュさま、マヤさま」
「あぁ。長旅お疲れさん」

遠くラムダの地から定期船を乗り継ぎ、このダーハルーネに到着したセーニャ。
笑顔を見せてはいるが、きっと数日間にわたる船旅でそれなりに疲れているだろう。
カミュはセーニャが肩から掛けている荷物袋に手を伸ばすと、何も言わず自分のかたにかけた。
荷物を持ってくれたカミュの気遣いに気が付いたセーニャはお礼を口にし、小さく頭を下げる。
ようやく合流することが出来た三人は、その足で早速宿屋に向かうのだった。

カミュがセーニャと文を通して連絡を取り始めたのは、マヤとの旅を始めてすぐのことだった。
カミュが旅先で見つけた宝の話や、ラムダで一緒に暮らしているベロニカの話など、文通と言っても上がる話題は取り留めもないもの。
ほとんど中身のない手紙のやり取りだったが、ある日届いたセーニャからの手紙に、ホムラの里に用があるから少しラムダを離れると記載があった。
定期性を乗り継いでダーハルーネに立ち寄り、そこからは陸路でホムラに向かうのだという。
当時ダーハルーネ近くにキャンプを張っており、同じくホムラの里方面に向かう予定だったカミュはすぐさま返事を出した。
“ならば、ダーハルーネで合流して一緒に行かないか”と。

「ベロニカも一緒に来るのかと思ってたが、来てないんだな」
「はい。当初はお姉さまも一緒に来る予定だったのですが、風邪をひいてしまったようで」
「へぇー。いつも騒がしいあいつも、風邪ひいたりするんだな」
「ふふふっ、お姉さまが聞いたら怒りますよ」

ベロニカとセーニャは仲のいい姉妹である。
姉の行くところに妹あり、妹の行くところに姉あり、が当然のことだったが、今回はベロニカが風邪をひいてしまったためセーニャ一人での旅となった。
彼女一人で里を出ることを両親は酷く心配していたが、かつて共に旅をしていたカミュがついてくれると話すと、すぐに安心して送り出してくれた。
セーニャとベロニカの両親にとって、カミュは信頼に足る男なのだろう。

「最近流行ってるらしいからな、風邪。マヤ、お前も気をつけろよ?」
「子ども扱いすんなって。風邪なんてへっちゃらだよ」

季節の変わり目である今は、若年層の間で軽い風邪がはやる季節でもある。
まだ十代前半であるマヤも、免疫の面においてはとても大人とは言い難い。
兄として忠告するカミュの言葉を、マヤは笑い飛ばした。
そうこうしている間に、今日宿泊する予定の宿屋に到着する。
予約した部屋は2つ。カミュとマヤ兄妹の部屋と、セーニャの1人部屋である。
セーニャの部屋に入り、彼女の荷物をベッドにおろして一息ついた3人は、今夜の過ごし方について相談をはじめた。

「さてと。そろそろ夕方だし、飯でも食いに行くか」
「いいですわね」
「あっ、おれはパスで!この街の近くに宝がないか調査しなくちゃな」
「一人でか?だったらあとで俺と一緒に行けばいいだろ」
「馬鹿だなぁ、兄貴は。せっかく昔の仲間とゆっくり過ごせるようにしてやろうっていうおれの気遣いを無駄にするなよな」

“じゃあな!”と手を挙げ、マヤは逃げるように宿屋の部屋から出て行ってしまった。
カミュとセーニャを二人きりにしようと気を遣ったらしいが、仲間とは言え男女の中でもなんでもない二人は、二人きりになる時間に価値を見出してはいない。
そのような気遣いは不要なのだが、マヤは止める間もなく行ってしまったのだから仕方がない。
2人きりになった部屋の中で、カミュとセーニャは顔を見合わせて苦笑いを零した。

「ったく、気の遣い方が意味不明なんだよ」
「よいではありませんか。マヤ様とご一緒できないのは残念ですが、私も久しぶりにカミュさまと二人きりでゆっくりお話ししたいと思っていたので」

セーニャの言葉は実に素直なものであった。
相手が自分だからいいものの、異性に向かって二人きりで話したいなどと言ったら、いらぬ期待を持たれてしまうだろう。
セーニャのように綺麗な女ならば尚更だ。
彼女の少々抜けている性格をよく知るカミュだからこそ、その言葉の裏に他意がないことはよく分かっていたが、うぶな男が相手だったら勘違いしていただろう。

「そういえば、旅してた時も二人きりなんてなかなかなかったもんな。じゃあ、俺とデートでもするか、セーニャ」

それは、カミュのちょっとしたいたずら心だった。
夢見がちなセーニャのこと。
こんなことを言えば真っ赤になって慌てるに違いない。
からかうつもりで冗談を言ってみたカミュだったが、セーニャかの反応はあまりにも予想外なものだった。

「はい!カミュさまとのデート、楽しみです」

カミュに一歩近づき、満面の笑みを浮かべるセーニャ。
彼女の表情に照れや焦りなどは一切なく、ただ屈託のない笑顔を浮かべている。
あまりにもあっさりとした反応に驚き、カミュは思わずたじろいだ。
本気にしたのか?
いや、きっとこちらの冗談を見抜いてノッてきただけに過ぎない。
彼女がこんなにも余裕ある反応を見せることに若干の驚きを覚えつつも、カミュはセーニャを伴って宿屋を出た。

********************

「おいひいれすわ!」

鴨肉に舌鼓をうちながら、セーニャは自分の頬に手をあてうっとりしていた。
ダーハルーネの水路に面したこのレストランは、鴨肉が美味だと有名な店である。
口コミは事実だったらしく、先ほどから鴨肉を頬張っているセーニャの表情がどれほど美味いかを物語っている。
まったく美味そうに食うな、こいつは。
自分はラム肉に手を付けながら、目の前のセーニャを見つめた。

「そうかそうか。よかったな」
「お肉がとっても柔らかくて、このソースも絶品ですわ!付け合わせのお野菜も甘くて本当に美味しいです」
「はいはい。早く食わねぇと冷めるぞ?」

一口食べるごとにいちいち美味しい美味しいとうっとりするセーニャは、見ていて飽きない。
こんなにも美味そうに食べてくれたら、きっと作っている方も嬉しいだろうな。
そういえば、旅をしていた頃、キャンプで自分が煮込み料理を作って仲間たちにふるまったときも、彼女は美味しい美味しいと喜んで食べていた。
こういう女と結婚したら、きっと食卓で過ごす時間はなによりも幸せなものになるのだろうな。

ん?結婚?

脳裏に浮かんだその二文字に、カミュはハッとする。
今までこの女と結婚したら・・・などというクダラナイ考えなどは浮かべたことがなかった。
先日新婚のイレブンを訪ねたからだろうか。

「お料理もおいしいですが、お店の雰囲気も素敵ですわね」
「そうだな。夜景も見えるし、割と有名なデートスポットらしいぜ?客層もカップルや夫婦ばっかりだしな」
「ほんとですわね」

辺りを見渡してみると、食事を楽しむ他の客たちも自分たちと同じ男女の組み合わせがほとんどであった。
ゴンドラが行き交う水路を望む眺望と、薄暗い店内。
そしてオシャレで美味な料理とくれば、男女で訪れるには最適だろう。
甘い空気感が漂う店内に視線を回しながら、カミュは頬杖をつき、再びセーニャをからかってみることにした。

「俺たちもカップルや夫婦に見られてるかもな」

先ほどのからかいが不発に終わったため、リベンジのつもりだった。
今度こそ彼女は照れて顔を赤くするだろう。
もしくは動揺するか。
どちらにせよ、面白い反応が返ってくることは必至なはずだった。
なのに。

カミュさまとなら光栄ですわ」

頬を赤らめるでもなく、動揺するでもなく、セーニャは笑顔を浮かべながらさらりと言ってのけた。
予想外の反応に、カミュは一瞬思考を停止させてしまう。
何故そうも余裕でいられるのか。
少し前までのセーニャだったら、“いやですわカミュさまっ”なんて言いながら両手を頬に添え、赤い顔を必死で隠すような動作を見せていたはず。
なのに今の彼女は、まるでこちらの冗談やからかいを軽くあしらっているかのよう。
しかも、こちらのからかいを拒絶するのではなく、光栄だなんて言葉を使って大人の対応をしている。

そんな対応をされては、必死に彼女をからかってやろうと言葉を探していた自分がバカみたいじゃないか。
それに、ここは“そんなことない”と否定して、お互い笑いあうのが正しい反応だというのに、笑顔で受け入れられたら、人によっては勘違いしてしまうかもしれないだろう。
あ、もしかしてこの娘、俺のことホントに好きなのか?と。
相手が自分だからよかったものの。他の男だったらきっと無様に勘違いしていたはずだ。
まったくいつからこんな魔性の技術を覚えたのか。
勘弁してほしい。
セーニャのような綺麗で清楚で性格の良い女からそんなことを言われたら、大概の男は馬鹿だから“お、いけるかも?”なんて思ってしまうもの。
そう、俺だから勘違いしなくて済んだのであって、きっと状況が違えば・・・。

カミュさま?どうされました?」
「へ?」
「顔がお赤いですよ?」

セーニャに覗き込まれるまで、顔に熱がこもっていることに気が付かなかった。
即座に片手で口元を覆って隠してみるが、もう遅い。
違う。これは照れてるとか動揺してるとか、そういうガキ臭い理由などでは決してない。
ちょっと驚いたというか、思ってもみない反応が返ってきたからどうしたものかと困っていただけで、別に期待したとかじゃない。断じて。
何も言わないこちらを不思議に思っているのか、セーニャは大きな瞳を丸くしながら首を傾けた。
その動作すら、なんだか特別なものに見える。
くそっ、そんな目で見るな。
余計に心臓が煩くなる。


**********************


ダーハルーネの朝は早い。
貨物船や旅客船の出航をしらせる鐘の音が響き渡り、この街の朝は始まる。
今朝もその鐘で起こされるものだと思っていたカミュだったが、今回は隣のベッドで眠っているマヤの唸り声で起こされた。
汗をかき、赤い顔で唸っている彼女の額に手を当てれば、明らかにいつもよりたかい熱が体内を支配しているのが分かった。
どうやら風邪をひいたらしい。

「だから言ったんだ。気をつけろって。お前昨日随分遅くまで街を回ってただろ」
「だってー・・・」

この街には金持ちも多い。
金持ちが集まる場所には、必然的に宝も集まってくる。
そのことをよく知っていたマヤは、なんとかお宝の情報を入手しようと夜遅くまで町中を駆け回っていたのだが、どうやらそれがあだになってしまったらしい。
今若年層の間で流行っている風邪を貰って来た仕舞ったのだろう。
熱にうなされながら、マヤは布団に顔をうずめている。

「これは、お姉さまがかかった風邪とおそらく同じですわね。ゆっくり静養していればいずれ治りますわ」
「そうか。ならよかった」

朝早くカミュに呼ばれ、隣の部屋から様子を見に来ていたセーニャはマヤの額に手を当てながら微笑みかける。
彼女は回復魔法の使い手だが、魔法は外傷を直すことは出来ても体の内側を貪る病気を治すことは出来ない。
ここは薬に頼り、おとなしく安静にしているしかないだろう。
ラムダに残してきた姉がそうしているように。

「マヤがこうなっちまったからには、しばらくこの街を離れられそうにねぇな。悪いセーニャ。お前をホムラの里まで送り届けるって話は・・・」
「お気になさらず。道程は長いですが、私一人でもなんとかたどり着けますわ。それより、カミュさまはマヤさまについてあげてください。きっとお辛いでしょうし」
「いやいいよ!兄貴はセーニャと一緒に行けって!」
「え?」

熱を出したマヤを連れまわすわけにはいかない。
カミュもこのダーハルーネの宿屋に暫く滞在し、面倒を見る必要があるだろう。
セーニャもベロニカほどではないが、きちんと攻撃魔法を使えるし、きっと一人でもホムラにたどり着けるはず。
そう思ってセーニャに頭を下げたカミュだったが、今までつらそうにベッドの中で丸くなっていたマヤがイキナリ上体を起こした。

「ただの風邪なわけだし、おれなら一人で大丈夫だからさ。それより兄貴にはさっさとホムラの里で例の地図を手に入れてほしいんだよ」
「そうは言ってもなぁ。さすがにお前ひとり残していくわけには・・・」

カミュは腕を組みながら考える。
マヤの言う“例の地図”とは、近辺の遺跡にあるという宝の場所を示した地図のことである。
とあるトレジャーハンターが見つけたというその古地図を、カミュとマヤは以前手に入れていたお宝と交換するという約束を取り付けていた。
そのトレジャーハンターはホムラの里を活動の拠点としてたため、同じくホムラにようがあるというセーニャに同道する流れとなったのだ。
古地図と手元の宝を交換するという約束はしているものの、件のトレジャーハンターはより価値の高い宝を持って来た者が先に現れたら、そいつと交換するかもしれないと言っていた。
古地図を手に入れるためにも、あまりゆっくりはしていられないのだ。

「早くしないと他の奴らと交換されちまうかもしれないだろ?それに、ホムラに行って帰って来るだけなら1週間もかからないはずだし、それきくらなら一人でも大丈夫だって!」
「・・・わかった。じゃあなるべく早く帰って来るから、絶対無理せず大人しく養生しとけよ?」
「もっちろん」

古地図を諦めてしまってもよかったが、マヤは遺跡での宝探しを心から楽しみしていた。
マヤの体調を考慮して古地図が手に入らなかったとなると、彼女は余計にいじけるだろう。
不安はあったが、セーニャいわくただの風邪であることは間違いないようだし、容体が悪化しないことを願って妹をこの街に置いていくことにした。
自分の荷物だけまとめ、ベッドで横たわったままのマヤに最後に目をやると、赤い顔をしながらもしっかり手を振っている。
しぶとい彼女のこと。きっとなんとかなるだろう。
カミュは少しの不安を抱きつつも、セーニャと共に宿屋を出発するのだった。


*********************


ゆらゆらと揺れる焚火を見つめながら、カミュは先ほど集めた枝を一本手に取り、火の中にくべた。
枝を燃焼して燃え盛る火は、夜の闇に包まれた湿原を明るく照らしてくれる。
ダーハルーネを出て十数時間。
途中のサマディー王国に到着する前に夜が訪れる。
女神象を見つけたカミュとセーニャは、かつて勇者と共に旅をしていたあの日々と同じように、この場所でキャンプを張ることにした。
揺らめく焚火を一人ぼうっと見つめるカミュの目は寂し気で、どこか落ち着かない。
そんなカミュの隣に腰かけたセーニャは、同じく焚火を見つめながら問いかけた。

「マヤさまが心配ですか?」
「いや。あいつは俺と同じようにバイキングの奴らにこき使われてきたから、体は丈夫なんだ。心配はしてねぇよ」

セーニャの問いかけに、カミュはほんの少しだけ嘘をついた。
たしかに、妹が風邪ごときでどうにかなるとは思っていなかったが、心配していないわけがない。
かつて彼女の体を襲った黄金化の恐怖から救ってやれなかった過去が、カミュを過保護にしているのかもしれない。
心配する必要などないと分かっていても、やはり落ち着かなかった。

「私があの街に残ればよかったですね」
「いや。お前も急いでるんだろ? マヤのせいでお前を都合を曲げられねぇよ」

セーニャもまた、カミュと同じくなるべく早くホムラの里に到着したがっていた。
あの里にいる腕のいい鍛冶屋に作成を依頼したというとある装飾品を、一日でも早くとりに行きたいのだという。
詳しくは聞いていなかったが、一体その装飾品とは何なのだろう。
そして、何故そんなにも急いでいるのだろう。
今になって、カミュはセーニャの抱えている事情に疑問を持ち始めていた。

「そういえば、鍛冶屋から装飾品を受け取るとか言ってたけど、それって何なんだ?」
「2つの指輪です。数日後にラムダで行われるとある儀式で、どうしてもそれが必要なんです」
「ふーん、なるほどな」

ラムダは神語りの里としても有名な場所。
毎月のように何かしらの儀式や祭典が催されており、双賢の姉妹ともてはやされているベロニカとセーニャも、そのたびに何かしらの役目を与えられているようだった。
今回もその儀式とやらで、何か重要な役割を任せられているのだろう。
これから取りに行こうとしているその指輪というのも、わざわざホムラの鍛冶屋に頼むくらいなのだから相当大切な役割があるに違いない。
1つではなく2つ必要というのも、なにか意味があるのだろうか。

「装飾品と言えば、カミュさまのそのピアス、新しいものですわね」
「ん?あぁこれな。この前マヤと見つけた奴でな。つけると筋力が上がる効果があるとか」

数日前にとある蔵から掘り出したこのピアスは、美術的な価値はないものの装備品としての実用的価値は高かった。
筋力が上がる効果があるというこのピアスを、カミュは売らずに自分の装備品として常々身に着けることにしたのだ。
銀色のリングピアスは、焚火の炎にきらりと反射し、美しくも鈍い光を放っている。
その光に導かれるように、セーニャの白くしなやかな指が伸びてきた。

「綺麗ですわ。カミュさまによくお似合いです」

伸ばされた手は、カミュの左耳に光るピアスへと触れた。
彼女の手が、こんなにも顔に近い場所に触れているこの状況に、カミュの心は激しく揺さぶられる。
セーニャの大きな瞳に自分の顔が移っていることが確認できるほど、顔が近くにある。

あれ、セーニャって、こんなに可愛かったか?
あぁ、これはマズイ。
この距離で彼女を見つめ続けていたら、きっと何かに気付いてしまう。
今まで気づかないふりをし続けてきた自分の心を自覚していしまう。
無意識に沸き起こる危機感に従って、カミュは自分の左耳に触れているセーニャの白い手を取った。

「そ、そういえばこの前イレブンも結婚指輪してたなぁ。セーニャの指は綺麗だし、指輪したら似合うんじゃないか?はははっ・・・」

彼女の手を握り、その白い指へと視線を落としながらまくしたてるカミュ
気恥ずかしさをごまかすためのこの態度に、余裕などはない。
苦し紛れの話題転換はなんとも不自然で、まるで女慣れしていない童貞のようだとカミュは自分自身を嘲笑った。
だが何故だろう。
女と二人きりの状況も、こうして近い距離で語らったことも、体に触れられたことだって、それなりに慣れているはずなのに。
相手がセーニャになった途端、無様にから回る。
余裕がなくなってしまう。
女に慣れていない少年のように、すぐに心が落ち着かなくなってしまう。
これではまるで、セーニャのことを。

「ありがとうございます、カミュさま」

やはり、セーニャは一切同様の色を見せることなく微笑んで見せた。
カミュとは正反対の余裕を見せるセーニャの態度が何故だか憎らしい。
もっと動揺しろよ。もっと恥じらえよ。
そんなに余裕しゃくしゃくな態度を示されると、男として見られていない事実を突きつけられたようで虚しくなる。
こっちはこんなにも落ち着かないのに。
こんなの、フェアじゃない。


*********************


昔から、サマディー地方はあまり好きになれなかった。
雪国であるクレイモランで育ったカミュは、暑さに慣れていない。
砂とサボテンしかないこの荒野を照らしつくす太陽の温度は、他の地方に比べて明らかに高い。
湿原を抜けて砂漠に出たカミュとセーニャは、この砂漠に長くとどまる愚を避けるため、足早にサマディー王国へと入った。
オアシスの上につくられたこの王国は、外の砂漠地帯よりは比較的涼しい。
なんとか干からびずに済んだことに胸をなでおろしつつ、二人はかつて何度か一緒に旅した旅芸人が身を置いていたサーカスに顔を出すことにした。

「あらぁ!カミュちゃんセーニャちゃん久しぶりじゃなぁい」

サーカステントに入ってすぐ。
だれもいないテントの中では、サーカス団によるリハーサルが行われていた。
ステージの真ん中。
一番目立つところに、懐かしい彼は経っていた。
かつて共に旅をした人気旅芸人、シルビアである。
カミュとセーニャの姿を見つけた彼はリハーサルを中断し、駆け足でこちらに駆け寄ってきた。

「シルビアのおっさん。なんでアンタが?ソルティコにいたはずじゃ・・・」
「団長に頼まれて、期間限定でゲスト出演してたのよ!貴方たちこそどうしてここに?」
「2人ともホムラの里に用がありまして、同じ道のりなので二人で一緒に行こうという話になったんです」
「あらそうなの。二人旅なんて楽しそうでいいわね」

シルビアは相変わらず快活な人物であった。
彼が気落ちしている姿など一度も見たことがない。
世界中の人々を笑顔にするという壮大勝つ抽象的な夢を持つ彼だからこそ、自分自身微笑みを絶やさぬよう努めているのかもしれない。
カミュがシルビアと会うのは、先日マヤとソルティコを訪れた時以来になる。
あの時からさほど変わっていないシルビアは、頭に付けたステージ衣装の羽根飾りを一つ一つ取り外し始めた。

「それで、サマディーにはしばらくいるつもりなの?」
「いや。割と急いでるから明日には発つ予定だ」
「あら残念。じゃあよかったら今夜の公演見にいらっしゃい。チケット余ってるから譲るわよ」
「本当ですか?ありがとうございます!シルビアさま。カミュさま、今夜はサーカスで決まりですね」
「あぁ、そうだな」

シルビアから手渡された2枚のチケットを大事そうに抱え、セーニャは満面の笑みを見せてくる。
そんな笑顔を向けられたら、嫌とは言えない。
旅の途中、時折シルビアの妙技を見せてもらってはいたが、本格的にサーカスのステージに立っている彼を見る機会はほとんどなかった。
イレブンやベロニカと初めてこの王国を訪れた時、一度だけサーカスを見に行ったが、あの時はファーリス王子の話を聞きながらだったためじっくりと見ることは出来なかった。
これを機に、素晴らしいと評判のシルビアのサーカスをきちんと見てみるのも悪くはないだろう。

「シルビアさま、舞台裏を見せていただいてもよろしいですか?はじめてこのサーカステントに来た時から、裏はどうなっているのか気になっていたもので」
「えぇ、もちろんいいわよ。でもいろいろ乱雑に置いてあるから怪我しないようにね」
「はい、ありがとうございます!」

シルビアからの許可を得たセーニャは、まるで子供の用に跳ねながらステージ裏へと消えていった。
山奥のラムダには、このようなサーカスがやってくることなどないだろうし、気になって仕方がないのだろう。
すでに姿が見えなくなってしまったセーニャの背を見送りながら、さてサーカスの時間まで何をして過ごそうかと考え始めたカミュだったが、そんな彼にシルビアが言葉を続ける。

「それにしてもびっくりだわ。セーニャちゃんがカミュちゃんと二人きりで旅してるなんて。お相手は何も気にしない人なのかしら」
「お相手?何の話だ?」
「あら、聞いてない?セーニャちゃん、来月結婚するのよ」

シルビアの口からさらりと告げられた“結婚”という言葉の意味を、カミュは一瞬理解できなかった。
結婚って、あれか?
イレブンがこの前幼馴染とした、あれか?
薬指にお揃いの指輪をつけて、一緒の家で暮らしたりする、あれか?
セーニャが、結婚?
なにを言ってるんだこのおっさんは。

「結婚と言っても、好き同士の恋人とじゃなくて、ラムダの長老さまがきめた高名な魔法使いとするってベロニカちゃんが言ってたわ。好きでもない人と結婚なんてかわいそうだと思ってたけど、男の子との二人旅を許すくらい心が広い人が相手ならいいのかもしれないねね」

シルビアが語った話を嘘だと断定するには、内容が具体的過ぎた。
セーニャの故郷は神話の時代から勇者を導く賢者を輩出して生きた神聖な地。
そこで産まれた双賢の姉妹の片割れなら、目上の人間が結婚相手を決めるなどと言う古い婚姻システムが文化として生きていても違和感はない。
しかも、彼女の姉であるベロニカが言っていたのなら、その話の信憑性はぐっと高まってしまう。

セーニャは、儀式で使う2つの指輪を取りに行くためホムラの里に行くのだと言っていた。
その儀式というのは実は婚姻の儀ののことで、2つの指輪というのは相手の男とセーニャがつける結婚指輪のことなのか。
そう考えれば、すべての辻褄が合う。
違う、そんなことないとどれだけ頭で否定しようとも、パズルのピースがぴったりと合うように、すべての謎がはまってゆく。
心に靄がかかって何も考えられない。
結婚という忌まわしいたった二文字が、カミュの心を白く染め上げていく。


********************


サマディーの夜は、他の街の夜に比べて明るい。
理由は二つ。
1つは木などの遮蔽物が少ない分月が良く見えるから。
そしてもう一つは、毎晩熱気あふれるこのサーカスが開催されるから。
時に今シーズンは、人気旅芸人シルビアが期間限定で出演するとあっていつも以上の盛り上がりを見せていた。
シルビアの招待客として、ステージが見やすいVIP席に通されたカミュとセーニャは、座り心地の二人掛けのソファに座りながら、シルビアの雄姿をゆっくりと眺めている。

彼が火を噴くたび声を挙げて喜び、彼がジャグリングをさせるたび大きな拍手を贈るセーニャ。
久しぶりにサーカスを満喫する彼女は本当に楽しそうで、その笑顔が憎らしくもあった。

「流石シルビアさまですね!」
「あぁ」

短く返事をするカミュ
その声色は不機嫌丸出しのものだったが、セーニャはまるで気にしていなようで、まっすぐステージに目を向けている。
そういえば、彼女は先日ダーハルーネで会ってからこちらを意識しているそぶりを全く見せなかった。
からかっても冗談を言っても常に余裕の笑みで、まるで気にしていない。
あれは、もう心に決めた異性がいるからこその余裕だったのか。
旦那になる男以外は癌中にもないし、からかわれたところで照れたり動揺したりするに値しないということだったのか。
どれだけそれっぽい言葉をかけようとも、どれだけ顔を近づけても知れっとしていたのは、結婚を控えているからだったのか。

ならば、せめて言ってくれれば良かったのに。
自分にはもう相手がいるからそういうことは言うなと。
最初から言ってくれれば、それなりに距離も図ったし、愚かなからかいや冗談なんていわなかった。
そもそも、いっしょにホムラまで行こうなんて馬鹿な提案もしなかった。
そうだ、どうして言ってくれなかったんだ。どうして内緒にしていたんだ。
言う機会ならいくらでもあっただろう。
もっと早くから知っていれば、こんな気持ちにはならなかったのに。
こんな思いをしなくて済んだのに。

カミュさま、どうかされましたか?先ほどから黙ったままですが・・・」

いつも以上に口数が少ないカミュが心配になったのか、セーニャが顔を覗き込んでくる。
やけに顔が近い。
薄暗い空間に柔い照明のせいか、目の前のセーニャが一層可愛らしく見えてくる。
そう、そういうところだ。
相手がいるにもかかわらず、無防備に異性に顔を近づけたりピアスを触ったり。
そういうことをするから、こっちも変な気を起こしてしまうんだ。
全部、お前が悪い。

「セーニャ、お前は」

目の前の彼女の腕をつかみ、引き寄せる。
彼女の大きな瞳に映った自分と目が合った。
怒っているような、悲しんでいるような、不安そうな、とにかく酷い顔をしている。
彼女に言ってやりたいことは山ほどあった。
結婚するって本当か?
なんで秘密にしてたんだ。
相手がいるにもかかわらず、気を持たせるような態度を取るなよ。
相手の男はどんな奴なんだ?
ちゃんとお前を幸せにしてくれる奴なのか?
そもそもお前はそいつのことが好きなのか?
好きでもないなら辞めておいた方がいいんじゃないのか?
どうせ結婚するなら、そんなよく知らない奴じゃなく、もっとお前のことを好いてくれる男を選ぶべきじゃないのか?
お前は俺のこと、どう思ってるんだ?

数えきれない言葉の数々が、頭をめぐる。
だが、思い浮かんだ問いかけを一つでも口にする勇気をカミュは持ち合わせていなかった。

「なんでも、ない」

声を落とし、カミュは強くつかんでいたセーニャの腕を解放した。
視線を外し、再びソファの背もたれに背中を預けるカミュの顔は曇っている。
そんな彼の様子に首を傾げつつも、セーニャはなにも問いただそうとはしなかった。

本当はわかってた。
セーニャは何も悪くない。
ただ、こっちが勝手に舞い上がって期待して、そして撃沈しただけ。
きっと彼女が結婚することを言わなかったことにも、特にこれといった理由なんてなくて、ただ自分から自慢のように報告するのがいやだったとか、そんな取り留めもない理由に違いない。
責めるべきは、自分の鈍感さ、
気付くのが遅すぎたのだ。
もっと早く自分の気持ちを自覚していれば、こんなにも無様な状態になることもなかっただろう。
ただ、顔が近付いただけでドギマギするとか、微笑みかけられただけでうれしくなるとか、そんな子供みたいな幼い心がまだ自分にあるとは思っていなかったのだ。

自分以外の誰かのものになって初めて気付かされた。
俺は、セーニャが好きだ。

けれどもう遅い。
彼女はホムラの里で2つの指輪を受け取って、その片割れを名前も顔も知らない男と揃いで指にはめ、二人は幸せに暮らしていくのだろう。
そこにカミュが介入する余地などはなく、結婚まで転がり落ちていく時間を止めるすべもないのだ。
稚拙で無様なこの恋は、はじまることすら許されない。
ステージで繰り広げられるシルビアの妙技に熱狂するサーカステントの中心で、カミュの発した深いため息は声援の中に溶けていった。


********************


砂漠を抜け、海岸を超えた先に待っていたのは、ごつごつとした岩がそこら中に堕ちている火山地帯だった。
噴き出す蒸気はマグマと温泉のありかを地上の人間たちに知らせてくれる。
目的のホムラの里までは、あと数キロ。
恐らくは今日中にたどり着けるだろう。
だがそんな時に、二人の行く手を阻むかのように雨が降り始めてしまった。
岩場の影に浅い洞窟を見つけた二人は、急いで雨から身を隠すためにその洞窟へと駆けこむ。
しんしんと降り注ぐ雨を見上げながら、カミュは濡れた自分の髪をかき上げた。

「災難だな」
「そうですね。でも、にわか雨のようなのですぐにやみそうですね」

空を覆う雲はそれほど厚くはなく、恐らく数十分ほどで雨は上がるだろう。
この雨が上がれば、ホムラの里でセーニャが結婚指輪を手に入れることになる。
そしてラムダに帰り、将来の夫となる男と結ばれるために結婚式の準備に取り掛かることになるのだろう。
そう考えると、この雨が恵みの雨のように思えた。
この雨が一生続けばいいのに。
そして、指輪も手に入らないまま、ずっと隣で雨宿りしていればいい。
そうすれば彼女は、誰のものにもならない。

「ホムラでの用事が終わったら、カミュさまはどうなさるおつもりですか?」
「ダーハルーネに戻ってマヤと合流する。そのあとはまた宝探しの旅だろうな」
「兄妹二人旅、素敵な旅ですね。いつかまたご一緒したいです」

思ってもいないくせに、どうしてそんなことを平気な顔をして言えるのか。
お前にはもう夫になる男がいて、別の男と一緒に旅だなんて出来る立場じゃな無くなるはずだろう。
これ以上、心を惑わすようなことを言わないでくれ。

セーニャの甘く響く言葉は、カミュの心をどこまでも悲しくさせる。
サマディーでシルビアから結婚の話を聞いてから、セーニャがカミュに結婚について話すことはなかった。
どうやら、もう言い出すつもりはないらしい。
故意に秘密にしているのか、こちらが切り出さないから話さないのかはわからない。
ただ、彼女のどうも煮え切らない態度が、曖昧な言葉が、カミュの心をかき乱して仕方がない。

やがて二人の間に、静かな沈黙が訪れる。
雨の音だけが響く中、カミュは一秒ずつ消費していくセーニャとの時間を惜しむしかなかった。
響き渡っていた雨音が小さくなっていく。
にわか雨の終焉が迫っていた。
雨が上がったら、きっともう彼女とは。

「あ、そろそろ雨が上がりそうですね、カミュさま」

岩場から空を覗き込むセーニャ。
そんな彼女の手を掴んだのは、ほとんど無意識からくる行動だった。
突然手を掴まれたセーニャは、驚いた顔をカミュへと見せる。
まん丸い彼女の瞳を見つめながら、カミュはずっと押し殺していた言葉をセーニャに投げかけた。

「結婚するのか、セーニャ」

目を丸くするセーニャ。
しんしんと降り続く雨の音だけが響き渡る。
驚きの色を隠せない様子のセーニャだったが、次第に彼女の体は脱力していき、ばつが悪そうにカミュから視線を外した。

「誰から、それを?」
「誰だっていいだろ」

セーニャは否定しなかった。
それは、その情報が間違いないという証拠に他ならない。
せめていの一番に違うと言ってくれたなら、この心の靄もすぎに晴れたのに。

「なんで俺には言わなかった」
「それは、」
「決まった相手がいるってのに、よく男と二人で旅なんて出来たよな」
「えっ」
「お前がそんな軽々しい女だったなんて知らなかったぜ」

本当に聞きたかったこと、言いたかったことはなかなか出ないというのに、いらない罵倒の言葉ばかりが口をつく。
こんなことを言えば彼女が傷つくのは知っている。
けれど、止められそうになかった。
関係を持った女が、本命を見つけていつの間にか去っていくなんてことはよくある話。
誰かに固執した事が無かったカミュにとって、相手の結婚など傷付くはずもないイベントだった。
けれど、セーニャは違う。
体を重ねたこともなければ、抱き締めた事すらないくせに、誰かのものになると聞いた途端腹が立った。
こんな気持ちにさせておいて、あっけなく自分を置いて他の男の元へ行くのか。
まるで、恋人に浮気されたような感覚。
彼女は恋人でもなんでもないというのに、実に滑稽な思い上がりだ。

「里の人間に決められた、テキトーな相手と結婚するんだろ。よく好きでもない相手と一緒になれるもんだよな」
「違います!そんなこと、」
「というか、他の男とつけるための指輪をなんで俺が送ってまで取りに行かなくちゃいけないんだよ。しかも顔も知らないような男のものなんて」

セーニャは何か言おうとしていたが、聞きたくなかった。
どうぜ都合のいい弁明だ。
聞いたところで虚しくなるだけ。
勢いに任せて口走るカミュは、もう何も考えられなくなっていた。
彼女の腕をつかむ力だけが、どんとんどんと強まっていく。
この手を離したら、彼女が逃げてしまうような気がして。

「結局のところ誰でもいいんだろ?王子様みたいな奴に憧れてるとか言ってたけど、そういうやつなら誰が相手でも構わねぇんだよなお前は」
カミュさま、私の話をっ」
「どうせ誰でもいいなら・・・!!」

何も聞き入れようとしないカミュに、セーニャがついに声を荒げたその時だった。
掴まれていた腕をぐっと引かれ、引き寄せられる。
そして、今にも泣きそうな切ない顔と声色で、絞り出すかのように彼は言った。

「俺でいいだろ」
「えっ」

ずっと言うまいと思っていた本音は、ごく自然に口から飛び出していた。
情けない声を出していることは自覚している。
けれど、もう止まれない。

「俺ならお前を幸せにしてやれる。その男より大切にしてやれる。俺の方が何倍も好きなのに・・・他の男とところになんて、行くなよ」

両手を彼女の背中に回し、カミュは初めてセーニャを抱き締めた。
ただただ抱き締めているだけなのに、こんなにも切ない気持ちになったのは初めてだった。
これが、誰かを好きになるということなのだろうか。
恋というものは、ただ触れただけで胸が高鳴るほどに幼稚で、どこにもいかないでと縋り付きたくなるほどに無様なものだった。
きっと今、彼女は困った顔をしている。
そりゃそうだ。決まった相手がいるのに、思ってもみなかった相手から抱き締められているのだから。
でも、構わない。もっと困ればいい。
今この瞬間だけでも、彼女の頭の中を占めているのは自分であってほしい。
どうせいつか誰かのものになってしまうのなら、今だけは、自分だけのものに。

「行きません、よ?」

腕の中で、セーニャがぽつりとつぶやいた。
一瞬、何のことだかよく分からかったカミュの頭に、クエスチョンマークが浮かぶ。

「え?」
「私、結婚なんてしません」
「は?い、いやだって・・・」
「確かに結婚の話が出ていたのは事実です。でも、ベロニカお姉さまが好きでもない相手と結婚させるなんて酷いと猛反対してくださって、つい先日、その話は無くなったんです」

突然告げられた話に、頭が追いつかない。
先ほどから何かを言おうとしていた彼女は、弁明ではなくこのことを伝えようとしていたのか?
いや、ならばこれから取りに行く指輪は一体何なんだ?
ラムダで行う儀式とは、結婚式のことではないのか?

「無くなった・・・?だってシルビアのおっさんが・・・」
「シルビアさまから聞いたのですね。確かシルビアさまに最後にお会いした時は、まだ結婚の話が出始めていた時だったので、相談させてもらっていたんです。その話が無くなったことは、まだシルビアさまにもお伝えできていませんでしたが・・・」
「じゃ、じゃあ、ホムラの里の鍛冶屋にたのんだ指輪ってのは・・・」
「命の大樹に感謝をささげる儀式で、私とお姉さまがつける指輪ですわ」

あっさりと告げられた事実は実にシンプルなものだった。
最初からセーニャに隠し事などはなく、ただカミュが不確かな情報をもとに勘繰り、一人相撲をしていただけ。
これから必要になるという2つの指輪も、結婚指輪などではなく姉と一緒に儀式でつけるためのもの。
結婚の話が出たことをカミュに言わなかったのは、その話がすぐに消えてなくなったから。
つまり、彼女は最初から誰のものでもなかったということだ。
開示された事実に安堵すると同時に、カミュの頭には今までの痴態が思い起こされる。

さっき俺はこいつになんて言った?
おれでいいだろ、とか言ってたよな?
あんなに阿呆みたに喚き散らして、子供のように駄々をこねて。
無様だ。無様すぎる。いっそ死んでしまいたい。
自分がとった行動が脳裏をかすめ、カミュの心は気恥ずかしさで包まれてゆく。

「何やってんだよ俺は・・・っ」

セーニャから離れたカミュは、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
顔だけでなく、耳まで赤くなっている。
頭をガシガシと激しく掻きむしるカミュは、恥じらいからか“あああぁぁぁ~”と情けない悶え声をあげていた。

「あの、カミュさま?」
「セーニャ。さっき酷いこと言ったのは謝る。だから頼む。今はそっとしておいてくれ」

1人で暴走してしまったあまりの恥ずかしさから、顔を上げられない。
しかしながら、対するセーニャはそんなカミュの顔を容赦なく覗き込んでしまう。

「お断りします。私も、カミュさまにお聞きしたいことがたくさんありますから」
「・・・聞きたいこと?」
「どうして、気を持たせるような態度をとるんです?」
「・・・は?」

カミュの隣にしゃがみ込み、顔をぐっと近づけながら問いかけるセーニャ。
だがカミュには、彼女の言う“気を持たせるような態度”に心当たりが無かった。
むしろ、こちらが勘違いするようなことをしてきたのはそっちじゃないか。

「デートしようと言ってきたり、恋人同士に想われているかも、なんて言ったり、あまつさえ手を握ったり・・・」
「あー・・・」

言われて初めて気が付いた。
そういえば、何度か彼女をからかう目的でそのようなことを言っていた。
だがあの時は、明らかに彼女は気にしていない様子だったから、まさかそれが“気を持たせる態度”に該当するとは思わなかったのだ。
だが、彼女の様子から察するに、表に出していないだけで、それなりに効果はあったらしい、

「イレブンさまから聞きました。カミュさまは結婚に興味がないと・・・。だから、そんなことはありえないと思ってはいましたが、あんなことをされたら、勘違いしてしまいますわ」
「な、なに言ってんだ!お前の方こそその気にさせるようなことさんざん言ってきただろ。こっちがどんなに舞い上がっちまったかも知らねぇで・・・」
「わ、私言ってません、そんなこと・・・」
「いや言ってた」
「言ってません!」
「言ってたって!」
「言ってませんってば!」


言った言わないの攻防の果て、2人はムッとした表情で互いににらみ合う。
カミュがとった彼女をからかうための行動は、思った以上にセーニャに効いていたらしく、カミュの知らないところで激しく動揺していたらしい。
だが対するカミュもまた、そんな彼女が必死に取り繕ったポーカーフェイスから繰り出される言葉に翻弄されていたのもまた事実。
互いに心乱されていたいるとは知らずに、からかい、そしてかわしを繰り返していた過去を思い返すとひどく滑稽に思えて、カミュはふっと噴出してしまった。


「ハハっ、なんか馬鹿みたいだな。勝手に一人で勘違いして駄々こねて。もっと早く気持ちを伝えてれば、こんなことにはならなかったのに」
「気持ち、ですか?」
「あぁ。なぁセーニャ。ホムラの里で指輪を回収して、デルカダールでマヤと合流した後も、ラムダまで送らせてくれないか?少しでも長く、お前と一緒にいたいんだ」


甘い声色。
溶けるような熱い瞳。
慈愛に満ちた表情。
そのすべてが、セーニャの鼓動を大きくさせてしまう。
これも、彼の気まぐれから出たからかいでしかないのだろうか。
いや違う。
いつもの余裕綽々な笑顔ではなく、今の彼は熱を孕んだ視線を向けている。
本心で言っているのだ。
それを察したセーニャは、いつものように取り繕うことをやめ、素直に頬を赤らめながら首を縦に振った。


「はい。私も、もっとカミュさまと一緒にいたいです」


外から聞こえる雨の音が、いつの間にかやんでいた。
岩場の間から差し込む陽の光に意識を誘われ、外へと目を向けてみると、雲間から太陽が顔を出していた。
雨の匂いは去り、砂漠の空に虹がかかる。


「雨が上がったようですね。そろそろ出発しましょうか」


立ち上がったセーニャの手をつかみ、カミュは自分の腕の中へと彼女を引き込んだ。
突然引き寄せられたセーニャはバランスを崩し、カミュの胸元へと飛び込んでしまう。
どこにも行かないように、彼女の華奢な体を抱きしめるカミュ
彼は甘えるように彼女の耳に口元を寄せ、囁いた。


「もう少しここにいろよ。いいだろ?」


そんな声で言われたら、断れるわけもない。
どうして彼は、こちらがドキリとするような言葉をこんなにもたくさん知っているのだろう。
セーニャは赤い顔を隠すように彼の胸元に顔を埋めると、小さくうなずくのだった。