Mizudori’s home

二次創作まとめ

曖昧リフレイン

【りんさく】

境界のRINNE

■原作時間軸

■短編

 

真宮桜から、紙袋に入ったチョコレートを渡されたのはちょうど1か月前のこと。
世の中がバレンタインに浮かれきっていた2月14日の放課後だった。
“うちのママが沢山作ったから”とクラスの男子全員にチョコレートを配っていた真宮桜
頬を赤く染めながら受け取っていた翼をはじめ、クラスの男子に配られたものは、包装も内容量も同じチョコレートクッキー。
しかし、彼女がりんねに手渡してきた紙袋だけは、ほかと中身が違っていた。

全員に入っていた物と同じチョコレートクッキーと、他には入っていないトリュフショコラがそっと添えられている。
内容物の違いが、まるで“六道くんは特別だ”と言われているかのようで、りんねは期待に胸をふくらませた。
しかし、紙袋を渡してきた真宮桜が微笑みながら放った一言に、りんねの淡い期待は崩れ落ちることになる。


「六道くん、こういうものあんまり食べれてないと思うから、ちょっと多めに入れといたよ」


別に、真宮桜にとって六道りんねが異性として特別だからとか、そういった甘い理由などではない。
ただただりんねの金欠具合をよく知っている彼女の哀れみでしかなかったのだ。
しかし、どんな理由であれ想いを寄せている少女からの贈り物を喜ばないわけもない。
りんねはバレンタインという素晴らしいイベントに感謝しながらも、相棒の六文と共に貰った菓子類を頬張るのだった。

あれから1か月。
つい先日までバレンタインの浮かれた空気が漂っていた世間はすっかりホワイトデームードに満ちている。
バレンタインで女性から貰ったプレゼントに対し、このホワイトデーで倍返ししなくてはならないのだが、このシステムは万年金欠のりんねを酷く苦しめていた。
震える手で桃缶を握りしめるりんね
彼に用意出来る最高峰のお返しを、真宮桜に渡そうというのだ。
ホームルームが終了し、各々が帰り支度を始める中、りんねは隣の席の真宮桜に声をかけるべく、左側に体を向けた。


「あの、真宮さ・・・」
「真宮!この前クッキーありがとな!これお返し」


りんねの言葉を遮るように、背後から別の男子生徒が真宮桜に声をかける。
有無を言わさず小さな箱を真宮桜の机に置いた彼は、どうやらバレンタインのお返しを渡しに来たらしい。
さしずめその小さな箱は、どこかで購入したお菓子か何かだろう。
真宮桜はその箱を受け取ると、薄く笑いながら“ありがとう”と口にした。

すると、その男子生徒を皮切りに、次々と他の男たちも小箱や紙袋を片手に真宮桜の机へと集まってきた。
バレンタインにてクラスの男子たち全員に配っていたため、ほぼ人数分のお返しが手元に届くことになる。
コンビニで購入出来る安いチョコレートから、ケーキ屋に並ばなければ手に入らない期間限定スイーツまで、彼女に渡されたお返しは多種多様であった。
しかし一貫して言えることは、どのお返しもりんねが用意した桃缶よりは格段に高価でお返しに適したものであるということ。
だが、他人と比べて怖気付いている暇などない。
自分もお返しを渡さなければ。


「真宮……」
「真宮さん!俺もこれ、バレンタインのお返しに……」


満を持してりんねの言葉を遮ったのは、十文字翼であった。
見るからに高価そうな黒い小箱を桜の胸元に押し付けると、翼は照れたように鼻を掻く。
お礼を言いながら受け取った桜の手中に収まっているその小箱を、彼女の友人であるミホとリカが覗き込んだ。


「あれ?それ駅前に新しく出来たお店のじゃない?ほら、フランスから出店してるっていう・・・」
「あ!ホントだ!超有名なお店だよね!?」


彼女たちの言う通り、翼が桜へと手渡したその小箱は、最寄りの駅前に新しく出来たチョコレート専門店で購入されたものだった。
フランスの一流店で修行したという有名ショコラティエがオーナーを務める店で、先日夕方のワイドショーで取り上げられたほど話題の店でもある。
味の質はもちろん、値段も一流のその店は、オープンから1ヶ月たった今でも行列が絶えない。

苦労して手に入れたであろうそのチョコレートは、翼の真宮桜への想いの大きさを物語っている。
そんな彼に対し、周囲の男子たちからは“すげぇな十文字”と賞賛の声が上がった。


「ありがとう翼くん。大切に食べるね」
「真宮さん……!喜んでもらえてよかった!」


金銭や労力をかけてもらう事で喜ばない人間はいない。
もちろん、真宮桜も例外ではない。
彼女に長年想いを寄せている翼にとって、そんな彼女の屈託ない感謝の言葉は、何よりも甘美に脳内へと響く。
しかし、すぐ横でそんなやり取りを聞いていたりんねは、居心地の悪さを感じていた。
今、翼から桜へと渡ったあの箱は、今話題の少々高級なスイーツ。
対して、りんねの手に握られているのは、いつだったかお祓いの礼に百葉箱から回収したタダの桃缶。
どちらが真宮桜にとって喜ばしいプレゼントなのか、誰がどう見ても明らかである。
りんねは誰にも聞かれないよう小さくため息をつくと、桃缶をそっと懐に戻すのだった。


**********


陽が傾いてきた夕方頃。
りんねは近所のスーパーに足を運んでいた。
基本的にタダで手に入れたお供え物を食い繋いで生活しているりんねにとって、スーパーはあまり馴染みのない場所であるが、それでもこの場所に訪れなくてはならない理由が、彼にはあった。

店頭に特設されたホワイトデーブース。
その前で考え込むりんねの表情は、今までになく険しいものである。
トリュフ、生チョコ、ガトーショコラにフォンダンショコラ
様々なチョコレート菓子が所狭しと並べられているが、その全てがご馳走に見える。
それもそのはず。
それらに付けられた値札には、恐ろしい金額が表記されているのだから。


「1番安くて2000円だと?」
「高い……!高すぎますよりんね様!」


肩に乗る黒猫、六文の叫びがりんねの鼓膜を刺激する。
今まで食べ物にそこまで高い金をかけたことがなかったりんねは、値札にぞろりと表記されたゼロの数に驚愕した。
世の中の男たちは、こんなに高いものを意中の女子にお返ししていたのか。
翼が買ってきたチョコレートは、駅前の有名店で買ったものだと言っていた。
おそらく、このスーパーに並んでいるチョコレートたちよりも格段に高いのだろう。
値段で勝負するつもりは無いが、やはり桃缶を渡すよりは目の前に並んでいるチョコレートたちを購入し、差し出す方が真宮桜も喜んでくれそうだ。


「り、りんね様……ほんとに買っちゃうんですか?こんなに高いお菓子……」
「言うな六文。これも日頃から世話になっている真宮桜のためだ」


バレンタインの時は、真宮桜が大量にくれたクッキーにかなり助けられた。
寒いこの時期、飢えや栄養不足は命に関わる。
りんねの分だけでなく、六文のぶんまで用意してくれていた彼女の優しさは、涙が出るほど暖かいものだった。
りんねの視線は、ホワイトデーブースの1番目立つ中央に鎮座している5000円のチョコレート詰め合わせに向けられる。
それを見つめる彼の目は、覚悟に満ちていた。
親切な桜に感謝しているのは六文も同じ。
万年金欠のりんねがここまでの覚悟でお返しを購入すると決断している事実に深く頷いた。


「そうですね。桜様はいつもなにかとりんね様を気にかけてくださってますし……。日頃の感謝の気持ちを伝えるため、うんと高いお返しを購入してもバチは当たらないですよね!」
「ああ!うんと高いお返しをしよう!」


“よし”と覚悟を決めたりんねは、迷わず5000円のチョコレート詰め合わせに手を伸ばす。
………かと思いきや、その手はサッと逸らされ、別の赤い小箱を手に取った。
その箱に着いている値札には大きく“大安売り2000円~”と書いてある。


「2500円か。うんと高いが、真宮桜への感謝を伝えるにはこれくらい高くないとな!」
「あぁ……そうですね……」


5000円のチョコレートを購入するものだと思っていた六文は、露骨に呆れていた。
だが、りんねの困窮した経済事情をよく知っている六文は、特に何も言えずに目をそらす。
彼にとって、たとえ2500円でもかなり苦しい出費になるはずである。
それほどの大金を使って真宮桜へお返ししようと言うのだ。
きっと彼女も喜んでくれる。
六文もりんねも、それを信じて疑わなかった。


**********


黄泉の羽織を纏い、ふわふわと浮遊しながら街の上空を飛ぶりんねは、小脇に抱えたチョコレートの箱にチラリと目を向けた。
赤いラッピング用紙で綺麗に包装されたその小箱は、今のりんねにとって命の次に大切なものと化している。
これを真宮桜に渡すため、りんねは彼女の家へと向かっていた。
肩に乗る六文と、“喜んでくれるといいな”と言葉を交わしながら、夕焼けの中を進むりんね
そんな彼の耳に、聞きなれた女性の声が聞こえてきた。


「……でも、こんなに貰っちゃっていいの?桜ちゃん」


耳に届いた名前に反応し、声が聞こえた方へと目を向けると、そこにはりんねのクラスメイトである女子生徒3人の姿が。
これからチョコレートを渡そうとしていた相手である真宮桜と、その友人のミホ、リカは、どうやら学校からの帰りだったらしい。
並んで談笑しながら歩いている。
チョコレートを渡そうとしていた張本人の登場に、りんねはピタリと固まった。


「うん。たくさんあって食べれないし。くれた人たちには申し訳ないけど……」
「でも、桜ちゃんウイスキーボンボン苦手だったんだね。知らなかったよ」


話の内容から、どうやら今日クラスの男子たちから貰った大量のチョコレートたちを、ミホやリカに分け与えていたようだった。
あれほど大量のお返しを貰ったのならば、食べきれず分け合おうとするのは頷ける。


「昔からお酒が入ってるチョコは苦手で、食べられないんだ。ママもそうだから、食べてくれる人もいなくて……。遠慮なく持って行って」
「そっかぁ。じゃあ、ありがたく貰っちゃうね」


上空から間宮桜たちの会話を盗み聞いていた六文は、彼女たちが発した“ウイスキーボンボン”という単語に反応した。
そういえば、先ほどりんねがチョコレートを選んでいたブースのポップに、同じような単語が記載されていたような気がする。
嫌な予感が頭を過った六文は、焦ったようにりんねの肩を叩く、


りんねりんね様、さっき買ったチョコレートってもしかして・・・」
「あ、あぁ・・・!」


りんねも嫌な予感を抱いていたらしく、せった様子で片手に持っているチョコレートの箱を裏返した。
箱の裏には、賞味期限やアレルギーに関する表示が印字してある白いシールが貼ってある。
そのシールに記載された文字の羅列に、嫌な文字を見つけてしまう。
品名:ウイスキーボンボン
りんねが購入してしまったチョコレートは、つい先ほど間宮桜が“苦手だ”と断言したまさにそれであったのだ。
絶望に頭が真っ白になるりんね
箱の裏を見つめながら固まる雇用主を哀れに思った六文だが、なんだかいたたまれなくなって、そっとその場を離れることにした。


「え、えっと・・・それじゃありんね様、頑張ってくださいね!」
「あっ、おい六文!」


六文はあっという間に霊道開き、中へと入って行ってしまった。
契約猫に華麗に逃げられてしまったりんね
購入してしまったハズレのチョコレート片手に、りんねは頭をフル回転させて最適解を探し出す。
どうすればいい? 
買い直そうにもそんな金はない。
間宮桜はクラスメイトから貰ったウイスキーボンボンをミホやリカに譲るほど苦手なのだ。
ならばこのまま渡すのは明らかに得策ではない。
それならやはり当初の予定通り桃間を渡すか?
いやいや、十文字があんなに高いチョコレートを渡していた手前、実質タダで入手した缶詰など贈ったところできっと間宮桜に困惑される。
別の物を渡そうにも、バレンタインのときにもらったチョコクッキーやフォンダンショコラのお返しにふさわしいようなものなど持っているはずもない。
どうすれば・・・。


「六道くーん?」


独りで頭を抱えて悩みふけっていたりんねの名前が地上から呼ばれた。
彼を呼んでいたのは、他の誰でもない間宮桜本人である。
黄泉の羽織を着ているりんねは霊体化している、並大抵の人間には見えないが、霊感がある桜にだけは丸見えだ。
桜は既にミホやリカと別れた後らしく、住宅街の真ん中で空に漂うりんねに向けて手を振っている。
まずいところを見つかってしまった。
まだホワイトデーの対策が万全ではない。
しかし、見つかったからには虫をすることなどできるわけもなく。りんねは観念した様子で地上にふわりふわりと降り立った。


「六道くん、除霊の帰り?」
「あぁ、まぁ・・・」


嘘である。
本当は学校が終わってまっすぐにスーパーへ駆け込み、間宮桜へのお返しを選んでいたのだが、まさかそこで買ったウイスキーボンボンを素直に差し出すわけにもいかず、嘘をつくしか方法は無かった。


「そっか。ごめんね、手伝えなくて。ちょっと荷物が多くて」


そう言って間宮桜は、右手に持っていた紙袋に視線を落とす。
大き目の紙袋には、クラスメイトたちからのお返しのチョコレートたちがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
翼が贈っていた高価なチョコレートの箱も、紙袋の中から顔をのぞかせている。
その箱を見つめ、りんねは余計に劣等感にさいなまれてしまった。
同じく間宮桜に想いを寄せる十文字翼は、こんなにも高価そうで立派なお返しが用意できるというのに、自分は3000円もしないチョコレートを死に物狂いで購入し、しかもそのチョコレートは渡す予定だった本人の苦手なものだった。
りんねは翼と、ひいてはクラスメイトたちとの差をまじまじと見せつけられたような気がして、紙袋から思わず目を逸らす。


「あの、間宮桜、バレンタインのお返しのことなんだが・・・」


謝らなければ。
用意できなかった、せっかく美味いクッキーやチョコをくれたのにすまない、と。
悪く思われない言い訳を何とか考えようと考えを巡らせるが、何も出てこない。
言い淀んでいるりんねに首を傾げた間宮桜であったが、彼が右手に持っている箱を見て、いつもはあまり感情を表に出さない彼女が珍しく顔を綻ばせた。


「それ、もしかして私に?」
「あぁ、そのつもりだったんだが・・・」
「用意してくれたんだ。いつも大変そうなのに、ありがとう」


実のところ、間宮桜はりんねに対してさほどお返しを期待してはいなかった。
身勝手で無茶苦茶な父のおかげで、りんねが経済的に困窮しているのは桜が一番よく知っている。
バレンタインのときに、他の男子生徒たちよりも内容物を多く入れたのは、日ごろの感謝だけではなく、りんねを支援する気持ちもあったのだ。
だからこそ、彼がきちんとお返しを用意してくれていたことには喜びを隠せない。
他の男子たちとは違い、チロルチョコ1つを購入するのも彼にとっては死活問題なはず。
にもかかわらず。彼は桜へのお返しのために固すぎる財布のひもを緩め、捻出してくれた。
その事実は非常に喜ばしいのだが、妙に浮かない顔をしているりんの様子が気になった。


「すまん!」
「えっ?」


どうしたのだろうかと様子をうかがっていた桜だったが、勢いよく頭を下げて謝罪してきたりんねに戸惑ってしまう。


「お返しのために買ってきたはいいが、これは渡せない」
「どうして・・・?」
「その・・・知らなかったんだ。間宮桜が、ウイスキーボンボン苦手だったなんて」


言いにくそうに打ち明けたりんの言葉を飲み込み、桜はようやく状況を理解できた。
りんねは先ほどのミホやリカとの会話を聞いてしまっていたらしい。
これからお返しを渡そうという相手が、まさか用意したチョコを苦手としているだなんて、りんねにとっては寝耳に水。
気まずそうに視線を逸らすりんねからは、焦りの感情が伝わってくる。
彼の右手に収まっているウイスキーボンボンの箱は、綺麗にラッピングされており、わざわざホワイトデーのために用意したものであることがうかがい知れる。
りんねの状況を推測すればするほど、桜は嬉しくなり、同時に心苦しくもあった。
決して豊かではない経済状況の中、チョコレートを買ってきてくれたにも関わらず、苦手だからというたった一言の理由で突き返してしまってもよいのだろうか。
桜は一瞬だけ瞳を伏せると、口元にいつもの柔らかい笑みを浮かべながらりんねに手を差し伸べた。


「それ、もらってもいいかな?」
「え、でもこれは・・・」
「私のために、用意してくれたんでしょ?」


彼女の言う通り、これは間宮桜のためだけに血涙を流しながら用意した代物。
間宮桜が食べないとなると、このチョコレートは誰の手にもわたらなくなってしまう。
ホワイトデー用に梱包され、愛がこもった贈り物として誰かの手から誰かの手へ渡るはずだったこのチョコレートは、その役目を果たせずに終わろうとしている。
そんな状況を、なんとなく不憫に思ったりんねは、躊躇しながらも箱を間宮桜の手に渡してしまった。
にこりと微笑み、箱を受け取った桜は、結ばれたりぼんをスルスルとほどき、丁寧に包み紙を解いてゆく。
やがて桜の目の前に、6粒のチョコレートが姿を現した。
過度なデコレーションは施されておらず、シンプルで上品なデザインのそのチョコレートは、まさにウイスキーボンボンの特徴ともいえる。
桜は一番左端の一粒をつまみ、りんねが止める間もなく口の中に運んでしまった。


「無理するな、苦手なんだろ?」


チョコレートを口の中で溶かす桜の表情は相変わらずのポーカーフェイスで、苦手なものを食べているというのに一切顔を歪めていない。
けれど、彼女と約一年間親しくしていたりんねには分かる。
ビー玉のような桜の瞳が、ゆらゆらと動揺するかのように揺れていたことを。


「うん、結構おいしいね」


笑みを向けてくる桜は、ほんの少しだけ無理をしているように見えた。
きっと今にも吐き出してしまいたいのだろうが、りんに気を遣って美味しいという嘘をついている。
彼女のやさしさと気遣いを噛みしめながら、りんねは再び桜から目を逸らした。


「すまん。できれば間宮桜の好物を贈りたかったが・・・」
「大丈夫。これも美味しいよ。六道君がくれたものだから」


間宮桜の足元に置かれた紙袋の中に納まっているお返しのプレゼントの中には、翼のようにお返しとしてではなく本命への愛情としての意味が込められている物も少なくはないだろう。
それほど、彼女は男にモテる。
しかし、たった今間宮桜から発せられた言葉によって、りんねは優越感を感じずにはいられなかった。
まだ封を空けられてすらいない数多くの男たちのチョコレートよりも先に、桜はりんねウイスキーボンボンに手を付け、さらには貴方から貰ったものだから美味しいとまで言わしめた。
密かに想いを寄せている人からそんなことを言われて、喜ばない人間がいるだろうか。
死神みたいな人間みたいな少年、りんねもまた、心弾む思いであった。


「来年は、もっといいものを贈る」
「それって、来年もバレンタインのチョコが欲しいってこと?」
「えっ1? あ、いや、そういうわけじゃ・・・いやいや欲しいことには欲しいんだが・・・!」


間宮桜からのまさかの指摘に、りんねは激しく動揺してしまう。
バレンタインのチョコは欲しい。もちろん欲しい。
貴重な栄養素となる甘いものを摂取したいと同時に、ほかならぬ間宮桜からの贈り物だからこそ欲しい。
けれど、少々乞食のようだっただろうか。
今更ともいえる心配を胸に抱くりんねの焦り様に、桜は思わず笑ってしまう。


「ふふっ。それじゃあ、来年はもっといいものを贈らないとね。ママが作った余りなんかじゃなくて、例えば・・・」


空を見上げて考える桜。
夕暮れだった空はいつの間にか一番星が輝いていて、夜の訪れを知らせてくれる。
話し込んでいたら、こんなに遅くなってしまった。
あまり遅くなると、家で待つ母が心配するかもしれない。
頭の中を駆け巡っていた数々のスイーツを消し去ると、桜は足元に置いていたお返しが詰まった紙袋を持ち上げた。


「もうこんな時間だね。そろそろ帰らなきゃ。このチョコ、ありがとね。また明日!」
「え!? ま、間宮桜!結局来年は何をくれるんだ?」


あっさりと去っていく桜の背に、りんねが質問をぶつける。
彼女が一体何をくれるのか、知っていればそれを糧に貧乏生活も乗り越えられる。
淡い期待を抱いていたりんねの心中を知ってか知らずか、桜はくるりと振り返り、楽しそうに笑みを浮かべている口元に人差し指を押し当ててこう言った。


「ないしょだよ」


ひらめくスカートといたずらっぽい笑みが彼女らしくなくて、りんねの胸はドキリと大きく鼓動を打った。
そのまま去っていくさくらの後ろ姿は、沈みゆく夕日に照らされて儚げに揺れている。
そんな彼女の背中を見つめながら、りんねは顔中に熱がこもるのを感じていた。


「なんだ、それ」


間宮桜が、すぐに前を向いてくれてよかった。
振り返ったまま見つめられていたら、きっとこの真っ赤に染まった顔も見られてしまっていたに違いない。
赤い顔を隠すように片手で顔を覆いながら、りんねは桜が去っていった方向とは反対に歩き出す。

ないしょ。

彼女の言葉と顔が、頭から離れない。
今もまだ、心臓が騒いでいる。
胸が締め付けられるようなこの感覚を、世間では恋と読んでいることを、りんねはよく知っていた。
恋だとか、愛だとか、そんな感情を抱くような柄じゃない。
借金のこととか、父親のこととか、明日からの生活のこととか、考えなければならないことは他のももっとたくさんあるはずなのに、頭の中は間宮桜でいっぱいだ。
不甲斐ない。
恋なんて今の自分には必要ない。
愛なんて、貧乏人にはぜいたく品だ。
そうわかっていながらも、止められない想いがりんねの胸に図々しく鎮座している。
間宮桜という、ちっぽけな人間の少女がこの想いを育て上げてしまった。
こうなってしまった以上、もはや彼女への恋心も、愛情も、無視などできるはずもない。


「バレンタイン、か」


来年の二月、桜が頬を染めながら自分にチョコレートを渡す姿を想像し、また胸が撥ねた。
頭の中で暦を呼び起こしながら、りんねは考える。
次のバレンタインまで、あと11か月。
来年が、待ち遠しい。

 

 

END