Mizudori’s home

二次創作まとめ

王子様なんてガラじゃない

カミュセニャ】

ドラクエ11

■ゲーム本編時間軸

■短編

 


「舞踏会に行ったことはありますか?」

それは突然の問いかけだった。
とある夜でのキャンプ地。
皆が寝静まった深夜、一緒に見張りをしていたセーニャがカミュに詰め寄りながら言ったのだ。
それまで全く関係のない話をしていたにも関わらず、突然出てきた“舞踏会”という単語に戸惑ってしまう。

「突然なんだよ」
「私の好きな物語に、舞踏会のシーンがよく出てくるんです。王子様とお姫様が一緒にダンスをして、周囲の方々から結婚を祝福されるのですわ」
「はぁ、要するに憧れてるんだな?」
「はい、とても!でも私、舞踏会には出た事が無くて・・・カミュさまはご経験があるのかなと」

王子だの姫だのが楽しく恋愛する甘いおとぎ話が好きなセーニャが、舞踏会という社交場に憧れを抱くのは何も不自然なことではなかった。
しかしカミュには、彼女が本物の姫であるマルティナや、顔が広いシルビアなどではなく、何故元盗賊の自分にそんなことを聞いてくるのか謎だった。
客観的に見れば、一行の中で一番社交場に縁がないのは明らかにカミュ
最初から舞踏会に興味があって深く内情を聞きたいのであれば、最初からカミュなどには聞かないだろう。

だが、意外なことにカミュは舞踏会に参加したことがあった。
相棒のデクと共に各地のお宝をめぐって旅をしていた頃、金持ちたちが集まる社交場に潜入して宝を盗み出すこともよくしていたため、いわゆる舞踏会がどのような場であるかはきちんと理解をしている。

「一応あるな」
「本当ですか?では、ダンスも踊れたり・・・」
「まぁ、人並みだけどな」
「すごいですカミュさま!私、社交ダンスは踊ったことがなくて・・・」

無論、カミュには社交ダンスの心得があった。
周囲の金持ちたちに溶け込めるよう、食事の礼儀作法やら立ち居振る舞いやら、美しいダンスの所作やら、さまざまなことを必死に頭に入れていたのだ。
体に染みつくほどではなかったが、演じようと思えばダンスが得意な名家の子息くらは演じられるだろう。

カミュさま、私にダンスを教えてくれませんか?」
「そりゃ別にいいけど・・・俺でいいのか?付け焼き刃で身に着けたダンスだぞ?」
「構いません。私、一度でいいから男性と社交ダンスを踊ってみたかったんです。イレブンさまは本物の王子様ですし、緊張してしまうので・・・」
「なるほどな」

セーニャがイレブンに淡い思いを寄せていることには、薄々感付いていた。
彼女のイレブンを見つめる瞳は、他の男たちを見る目と何かが違う。
カミュにわざわざこんなことを頼んできたのは、いつかあこがれのユグノア国王子、イレブンと肩を並べて踊りたいという願望の表れなのかもしれない。
幸せな奴だな、イレブンは。
何も知らないであろう鈍感な相棒をほんの少し憎らしく思いながらも、カミュはセーニャに手を差し伸べた。

「じゃあ、俺と踊っていただけますか?お姫様」

差し伸べた手に、セーニャの白い指が添えられる。
“はい”と笑って返事をしてくれたセーニャの頬は、ほんのり赤く染まっていた。
出来るだけイレブンのように振舞ってみようと、柄にもない言動を取ってしまったが、どうやら正解だったらしい。
こんな気障なセリフ、自分には似合わないなと自嘲しながら、カミュはセーニャの手を握り腰を抱き寄せた。

「まずは右足から。左手は俺の肩のあたりな」
「は、はい」
「体が硬くなってる。もう少し力抜いてくれ」
「はい・・・」
「・・・大丈夫か?」

まだステップも踏んでいないというのに、セーニャは体をガチガチに固くしてうつむいている。
ダンスは軽やかな動きが基本となる。
そこまで固くなっていては、足を引っかけるのがオチである。
心配になったカミュはうつむくセーニャの顔を覗き込んでみるが、彼女の表情を目にして息を呑む。
真っ赤な顔で、こちらを遠慮がちに上目遣いで見つめていたのだ。

「す、すみません。こんなに近づくものだとは思っていなくて・・・。な、なんだか照れてしまいますわね」

恥じらうように瞳を伏せるセーニャの姿に、まるで心臓が鷲掴みにされたような感覚を覚えてしまう。
けれどきっと、目の前の彼女は意中のイレブンと自分を重ねあわせ、彼と密着することを想像して照れているに違いないのだ。
勘違いしてはいけない。
高鳴る心臓を何とか誤魔化そうと、カミュは笑いながらセーニャの腰を一層強く抱き寄せた。

「こんなことで照れてたら、“王子様”に笑われちまうぜ?」
「っ!」

ここでからかってみたのは、イレブンへの当てつけでしかなかった。
こんなに健気で無垢で、イイ女に好かれてるんだから、ちょっとくらいからかってやってもいいよな。
だが、少しいじめすぎてしまったらしい。
彼女の顔は一層赤みが増し、うつむいたまま何も言えなくなってしまっている。
そんなに恥じらうほど、あいつが好きなのか。
セーニャの態度一つ一つにいちいち胸を刺されるような痛みを感じる自分に、カミュは半ば呆れていた。

「笑わないでください・・・。お慕いしている方と、こうして踊ることが、子供のころからの夢だったんです」
「悪かったって。お優しい“王子様”は優しくリードしてくれるだろうよ。こうやってな」
「あっ」

繋いだ手を引き、腰を引き寄せてくるりと回る。
するとセーニャの着ていた聖女のドレスと、カミュの着ていた大海賊のコートが美しく翻った。
月光の下、くるりくるりと舞い踊る二人の衣擦れの音以外、その場に響く音はない。
時折、熱に浮かされたようなセーニャと目が合うたび、カミュは目を細めて微笑みかけてやった。
それは、イレブンがよくやる仕草。
慕っている相手、ユグノアの王子であるあの相棒と踊っているかのような感覚を、出来るだけセーニャに味わってもらうためだった。

とはいっても、イレブンは自分よりもほんの少し背が高いし、きっと踊っている最中も甘い言葉を絶やさず囁き続けるだろう。
あいつはそういう、悪気なしに破壊力のある言葉を発するところがある。
セーニャからしてみれば、そういうところがまさに“王子様”に見えしまうのだろう。
自分は、彼女の王子様にはなれない。
その事実を理解しつつも、カミュはこの月下のダンスを楽しんでいた。
イレブンに恋する彼女を、一瞬でも自分の腕に抱き留めることができたこの夜のことを、カミュはきっと忘れないだろう。


********************


暦をめくれば、いつの間にかあの日々から5年もの歳月が経過していた。
それなりに時間が経っているのに、勇者の連れ立ちとして旅をしていたあの頃のことを鮮明に思い出せるのは、それだけ印象強いということなのだろう。
激闘の日々から5年。
それぞれの人生を再び歩き出した勇者一行だったが、今日、ユグノアの地に再集結しようとしていた。
かの国の元国王であるロウと、デルカダール王をはじめとする各国の王。
そして王子になるはずだった勇者、イレブンの尽力により、ユグノアは着実に復興の道を歩んでいる。

崩壊してしまった城はこの5年の間に修繕され、イレブンが生まれた頃にタイムスリップしたかのような錯覚を感じさせるほど立派なものが建てられた。
街並みはまだあの頃のようにはまだ戻っていないが、住宅や露店がちらほらと立ち並び出し、街としての活気を徐々に取り戻しつつある。
ロウから招待状が届いたのは、そんな時勢でのことだった。

妹のマヤと共に、世界各地を旅して宝を追い求めていたカミュのもとに届いた、戴冠式への招待状。
中身をよくよく見て見ると、ユグノア復興への祝いと、イレブンに正式に王位を譲るための戴冠式をユグノア城にて執り行うのでぜひ来てほしいとの誘いであった。
戴冠式の終わり際には舞踏会も催されるという小さな記述を見て、カミュは思わず愛しい姿を思い浮かべた。
おそらく、勇者を導いたあの姉妹の元にもこの招待状は届いていることだろう。
“王子様”と踊るという彼女の夢が、叶うときが来たのだ。

「今夜は綺麗な満月みたいね」

茜色に染まる空を窓から見上げながら、シルビアはつぶやいた。
ドレッサーに座っていたマヤも、鏡に映る目の前の自分から目を逸らし、シルビアと同じように窓の外に目をやる。
まだ太陽が出ているため薄くしか見えないが、確かに雲に隠れている月は満月のように見えた。
陽が沈めば、一層美しく見えることだろう。

「こんな特別な日に満月なんて、さっすがイレブンちゃん。もってるわねぇ」

鼻歌交じりにマヤの髪を装飾していくシルビアは、いつも以上に上機嫌だった。
彼に髪をいじられているマヤもまた、表情がほころんでいる。
そんな妹の様子を、カミュはドレッサーの背後に置かれたソファに腰かけながら微笑ましく眺めていた。

ロウから招待状を受け取った後にカミュが頭を抱えたのは、着ていく服についてだった。
各国の王が参加する戴冠式や舞踏会に着ていくような洒落た服など、気ままな暮らしをしているカミュやマヤが持っているはずもない。
しかし、だからと言って戴冠式を欠席し、相棒の晴れ姿が見れなくなるのは惜しい。
マヤも行きたがっていることだし、何とかしなければと頭を抱えていたカミュの救世主となったのが、シルビアだった。

衣装ならいくらでもあるから貸してあげるわよ。
ついでにマヤちゃんのヘアメイクもやってあげるわ。
普段からあんまり着飾ったり出来てないんでしょ?
こういう時こそ、女は華やかに着飾らなくっちゃね!

悩める兄、カミュの救援要請を快く受けてくれたシルビアのウインクに、初めて見とれてしまった事実は隠しておくことにした。
戴冠式当日。
早めにユグノア城に到着したカミュとマヤは、まずロウに挨拶を交わした。
シルビアから事前に事情を聴いていたロウは、二人のために衣裳部屋を一つ開けておいてくれたらしく、そこに通されると既にシルビアが待っていた。
そして、あれよあれよという間にマヤはスカイブルーのドレスを宛がわれ、七つ道具のような大量の化粧品で顔を彩られ、そして最後に髪をいじられているという状況だ。

あれでも一応同じ男だというのに、ここまで女性を美しく聞かざることが出来るシルビアのセンスには素直に脱帽せざるを得ない。
あれから5年経って、それなりに大人になっているにも関わらず、化粧っけもなくいつまでも素朴なままのマヤが、瞬きするごとに大人の女性に変身していく。
そして、マヤの髪に最後の花飾りが差し込まれたことで、彼女のメイクアップは終了した。

「はぁい、おしまいっ。マヤちゃん、すっごくきれいよ~!」
「すっげぇ!オレじゃないみたい!兄貴、どう!?」

鏡に映る自分の姿に感心したマヤは、くるりと回って背後に座っているカミュに感想を求めた。
マヤが回ると同時にひらめくドレスの裾が美しい。
綺麗に編み込み、片方に流した青く長い髪を彩る造花の髪飾りが揺れるたび、もう妹は子供などではないのだと実感させられてしまった。
すると、なんだか急に寂しくなって、カミュは素直な言葉を失ってしまう。

「馬子にも衣装だな」
「はあぁぁ!? もっと言うことねぇのかよ!」

いつもは強がってばかりのマヤも、今日ばかりは兄からの誉め言葉が欲しくて仕方が無かったらしい。
素直に綺麗だと言ってくれなかった兄にむくれ、頬を膨らませながら再びドレッサーに勢い良く腰掛けた。
そんな兄弟のやり取りを間近で見ていたシルビアは、口元に手を当てて上品に笑う。

「じゃあ、次はカミュちゃんの番かしら」
「えっ、俺?俺はいいって」
「ダメよダメ。ユグノアの王子様の戴冠式なのよ?相棒の貴方がちゃんと正装してないとカッコ付かないでしょ!」

ほら来なさい!
と強引に腕を引かれ、カミュはドレッサーのすぐ横に設けられているカーテンルームに引き込まれる。
いわゆる試着室となっているこのスペースにはクローゼットが付いており、シルビアが中を開けると、そこにはぎっしりとタキシードが詰まっていた。
どれもこれも高そうなものばかり。
全てシルビアの私物だという。

「うーん、カミュちゃんは顔がハンサムだし髪色が明るいから、派手なものよりシックな衣装の方が似合うと思うのよねぇ。白とかグレーとか・・・あっ、黒なんてどう?」
「なんでもいいよ俺は」
「だぁめ!今日はセーニャちゃんだって来るのよ?かっこよく決めなくちゃ」
「・・・なんでそこでセーニャが出てくるんだよ」

シルビアがクローゼットから黒のタキシードを取り出している横で、カミュは着ていたコート脱ぎ始めていた。
シルビアはてっきりイレブンの戴冠式なのだから恥ずかしくない格好をしろ、という意味で着飾れと促しているのだと思っていたが、そうではないらしい。
わかりきった質問をしてみれば、やはりシルビアは“今更何言ってんの”とでも言いたげな表情でこちらに視線を向けてきた。

「セーニャちゃんのこと、好きなんでしょ?」

首にネクタイを巻きつけながら言うシルビアに、カミュはしばらく押し黙ったままだった。
5年前、旅をしていた頃、セーニャへの想いをこのシルビアが読み取っていたことは何となく勘付いていた。
この得体のしれない旅芸人は異様なほど鋭い。
彼の前で心をごまかそうなど、無理な話だったのだ。
だからこそ、カミュは気持ちがあった過去を否定しない。

「それは昔の話だろ?今は・・・」
「ベロニカちゃんから聞いたわ。貴方、あれから一度もセーニャちゃんに会いに行ってないらしいじゃない?ベロニカちゃんやアタシ、他のみんなとは会ってるのに、セーニャちゃんにだけ頑なに会おうとしてない」

5年前、イレブンと共にニズゼルファを討伐して以来、カミュはラムダを訪れていない。
シルビアがいるソルティコや、マルティナやグレイグがいるデルカダール。
そしてユグノアの復興作業に当たっていたイレブンやロウに会いに行くことは頻繁にあった。
ベロニカとは時折彼女がラムダを出たタイミングで合流し、マヤともども一緒に食事をしていたりはしたが、セーニャとは全く顔を合わせない日々が続いている。
これは偶然ではない。
カミュが意図的に避けているのだ。

「5年も経つのに、今もまだ避け続けてるのがその証拠よ。貴方はまだ、セーニャちゃんを忘れられないのよね」


シルビアの仮説は、まさにその通りであった。
会えば想いは大きくなる。
会わない日々が続けばきっと忘れられる。
そう思って5年間必死に避け続けていたが、心に焼き付いた彼女への想いは消えることなどなく、むしろ大きくなる一方だった。

イレブンはあれから、イシの村とユグノアを忙しなく行き来して母国の復興に当たっていた。
この5年間は、結婚だの家庭だのを考える余裕などなかっただろう。
だが、今やユグノアは完全とは言えないものの国としての体裁を取り戻し始め、ついにはイレブンの戴冠式を催すほどに地盤がしっかりしてきた。
彼が王として身を固める日も近いだろう。

セーニャのあの性格からして、イレブンが忙しいうちは想いを胸に秘めていたに違いない。
となれば、イレブンの背負う荷がほんの少しだけ軽くなった今が、セーニャにとっての好機。
きっと彼女は、イレブンに寄り添いたいと思っているに違いない。
彼女の強い思いに、自分が介入する余地などない。
カミュはそう言い聞かせながら、この5年間を過ごしていた。

「あいつの王子様は、今も昔もイレブンなんだよ。俺じゃない。まぁ、相棒の俺から見てもイレブンはいい男だし、惚れるのも無理はねぇよな」

本心からの言葉だった。
イレブンはいい男だ。間違いない。
きっとセーニャが他の男に惚れていたのなら、奪ってやろうとか振り向かせてやろうとか、そういう野望も抱けたのかもしれないが、相手があの勇者さまなら仕方ない。
最初から勝てない相手に勝負を挑むほど、カミュは無謀ではなかった。
いつか踏ん切りがつくその日まで、今はこの胸の痛みに耐えるしかない。
いっそこの戴冠式でイレブンがセーニャにプロポーズでもしてくれればいい。
そうすれば、きっと吹っ切れるのに。
そんなことすら考えていた。

シルビアはジャケットを広げると、背後からカミュの袖を通して羽織らせる。
肩をポンポンと叩き、彼を鏡の前に立たせてみると、そこには王子顔負けの男が立っていた。
青い髪と瞳に、黒のタキシードがよく映える。
この色を選んだ自分のセンスに間違いはなかったなと、シルビアは一人満足げに微笑んだ。

「かっこいいわよ、カミュちゃん。セーニャちゃんもきっとときめいちゃうわ」
「おっさん、だから俺は・・・」
カミュちゃん」

すかさず否定しようとしたカミュの言葉を、シルビアは静かに遮った。
そしてゆっくりと彼の正面に立つ。
自分は愚か、イレブンよりも長身なシルビアに見下ろされ、カミュは抗議の言葉を忘れてしまっていた。
そんな彼の両手を取り、まっすぐ目を見つめながら諭すようにシルビアは語り始める。

「いい?覚えておいて。かっこいい男っていうのは、常に堂々としているものよ。敵がどんなに強大であれ、自分と比べて悲観してはダメ。怖じ気ず戦い、そして勝利を奪う。それが立派な騎士のあるべき姿よ」
「・・・・・俺、騎士じゃねぇんだけど」
「ふふふっ、男はみんな騎士みたいなもんよ」

彼の不敵な笑みは、今まで何人もの人間を魅了してきただけあって、どこか謎めいていて、なんとなくかっこよく見えた。
やがてシルビアの手によってカーテンが勢いよく開かれ、ドレッサーに座ったままだったマヤと目が合った。
一瞬だけ驚いたように目を見開いたマヤだったが、すぐに視線を逸らし、唇を尖らせながら言うのだった。

「馬子にも衣装だな」


********************


支度を終えたカミュとマヤは、シルビアとともに会場となる城の大広間に向かった。
戴冠式まであと30分。
参加者もまだ集まり切っておらず、人がまばらに立っている状況だった。
マヤは慣れないパーティーの場に少々緊張しているらしく、先ほどから口数が少ない。
ユグノアの兵士たちによって会場にテーブルや食器類が運ばれてくる中、きょろきょろと会場を見渡していたカミュたちの耳に、聞き慣れた少女の声が響いた。

カミュ、シルビアさん」

名前を呼ばれ、振り返った先にいたのは、かつて共に旅をした双子の姉妹。
ベロニカとセーニャだった。
あれから5年経ち、それなりに背が伸びたベロニカと、少しだけ髪が伸びたセーニャだったが、風貌はあの頃とほとんど変わらず美しかった。
白とエメラルド色のドレスに身を纏ったセーニャと、すぐに視線が絡み合う。
5年ぶりに会う彼女はあまりにも綺麗で、視界に入れたことを一瞬で後悔してしまった。
昔に比べて静まっていた彼女への恋心が、再び加速する。
こうなることは目に見えていたのに、今更心を奪われている自分が情けなかった。

「あらぁ、ベロニカちゃんにセーニャちゃん!久しぶりね。そのドレス、よく似合ってるわよ。ねっ、カミュちゃん」

シルビアがカミュに話を振ったのは、明らかに確信犯だった。
少しむっとしながらシルビアを睨むと、彼は随分と楽しそうに笑っている。
ここで無視をするわけにもいかない。
顔が必要以上に綻ばないよう眉間にしわを寄せ、顔を逸らしながらカミュは吐き捨てるように言った。

「馬子にも衣装だな」
「ちょっとあんたねぇ、こんっなに着飾ってる女の子にそういうこと言う!?」
「ま、まぁまぁお姉さま」

素直に賞賛できないカミュに噛みつくベロニカは、体はそれなりに成長していても中身はあの頃と変わらない。
彼女をたしなめる妹のセーニャも又、鈴を転がしたようなきれいな声色は5年前と何一つ変わっていなかった。
それどころか、昔よりも綺麗になっているような気がする。
ドレスやメイクで着飾っているからかもしれない。
もっと正面から、きちんと彼女の姿を目に焼き付けたかったが、心が締め付けられて、まともに見つめられそうもない。

「おっ、デクと嫁さんも来てるみたいだな。ちょっと挨拶してくる」
「あっ、ちょっと待てよ兄貴!」

次第に戴冠式の参加者が大広間に集まる中、人だかりの中にかつての相棒、デクとその妻を見つけたのは、カミュにとって僥倖だった。
彼らへの挨拶を理由に、カミュはマヤを伴って逃げるようにその場を離れる。
そそくさと去っていくカミュとマヤの背を見つめながら、シルビアは密かにため息を零した。
彼は見かけによらず、肝心なところで急に臆病になる。
もう少し自信を持ってもいいというのに。
デクやその妻と談笑し始めたカミュの姿をぼんやりと眺めている三人だったが、セーニャだけは、その瞳に小さな悲しみを浮かべていた。


***************


各国の王族や貴族、名の知れた名家の子息、そして豪商たちが、このユグノア城の大広間に大集結していた。
かつて滅んだユグノア国の王子であり、かつ勇者の称号を持つイレブンの戴冠式とあって、世間の注目度は高い。
普段は全く関わることがないような高貴な人間に囲まれ、マヤは見るからに委縮していた。
イレブンとの旅の中で、各国の王族たちと面識があるカミュは気を張らずにいられるが、こういった社交場に初めて出るマヤにとっては、慣れない緊張感が居心地を悪くしているのだろう。
着飾った見慣れない大人たちに囲まれながら、戴冠式は厳かな雰囲気で幕を開いた。

「前王アーウィンに成り代わり、我が孫、イレブンに、ユグノア王国の譲位をここに宣言する」

吹き抜けとなっている大広間の2階ギャラリーにて声を張り上げるロウを、カミュやマヤは大勢の参加者と共に1階から眺めていた。
豪華な王冠を両手に持ったロウの隣には、煌びやかな衣装に身を包んだイレブンの姿が。
同じく正装しているロウの前で膝を折り、頭を垂れたイレブンに、ロウは手に持っていた王冠をそっと乗せる。
ゆっくりと立ち上がり、1階の大広間に集結している参加者たちを見下ろしたイレブンは、まさに王子と呼ぶにふさわしい貫禄であった。

無事王冠を受け取ったイレブンに、参加者からは惜しみない拍手が贈られる。
頭上から手を振り声援に応える彼は、もはやかつて自分と一緒に旅をしていたイシの村の青年、イレブンではなく、大国ユグノアの王子、イレブンだった。
やっぱり、王子様にはかなわないな。
そんなことを考えながら、カミュは他の参加者たちと同じように、王子へと拍手を贈った。

「では王子よ。王の位を継いで最初のパートナーを決めるのじゃ」
「はい」

ロウに促され、イレブンは2階のギャラリーから1階へと伸びる大階段をゆっくりと降り、大勢の参加者たちの前へと歩みを進める。
最初のパートナー。すなわちダンスの相手をこれから選ぼうというのだ。
誰もがイレブンのパートナーになりたがっているはず。
そう、あのセーニャも。

女性参加者たちの熱視線を一点に浴びながら、イレブンは迷わずある一人の女性の前で歩みを止めた。
彼女には見おぼえがある。
たしか旅を終えた後、イレブンの故郷であるイシの村に立ち寄った際紹介された、彼の幼馴染。

「エマ」

浴びせられる視線によそ見などすることなく、イレブンはエマだけを見つめていた。

「イレブン。今更だけど、貴方本当に王子様だったのね。なんだか、遠くに行っちゃったみたいで、ちょっと寂しいな」

黄色いドレスに身を包んだエマは、マヤ同様にこういったドレスを着慣れていない様子。
ドレスの裾を小さく握りながら俯くエマに、イレブンは柔く微笑みかけた。

「エマの前では、僕はいつまで経ってもイシの村のイレブンだよ。でも今は、ユグノアの王子として君を誘いたい」

エマの前で膝を折ったイレブンは、右手をそっと差し出し、甘く囁いた。

「僕と、踊ってくれませんか?」
「・・・私で良かったら、喜んで!」

差し出された手にそっと自分の手を重ねたエマは、太陽のような満面の笑みで頷いた。
その笑顔に安堵したイレブンは立ち上がり、彼女の腕を引き寄せて腰を抱く。
やがて、2階のギャラリーに並んでいた王国お抱えの音楽隊が、指揮者の振るタクトに合わせて穏やかな旋律を奏で始めた。
その旋律に合わせるように、イレブンはエマをリードし、衣装をなびかせながらゆっくりと踊り出す。
その姿は筆舌に尽くしがたいほど美しく、きらめいて見える。
2人がくるくると踊る姿に、カミュやマヤたちだけでなく、他の参加者たちも息を呑むほどに見とれていた。

ふと、カミュは人だかりの向こうにいるセーニャへと視線を向ける。
大広間中央で踊るイレブンとエマの姿を見つめる彼女の表情は、ここからではあまりに遠くてよく見えない。
けれど、きっと悲しみに染まっているに違いない。
彼女はイレブンに恋心を抱いていたのだから。
残酷な現実が目の前に広がっている今、彼女は何を思っているのだろう。

「兄貴、俺たちも踊ろうぜ!」

隣でおとなしくしていたマヤに腕を引かれ、カミュはハッと我に返った。
イレブンとエマにつられる形で、いつの間にか他の参加者たちもパートナーと一緒に手を取り踊り始めていた。
戴冠式が始まる前、マヤに舞踏会できちんとダンスを教えると約束していたカミュ
はしゃぐ妹にふっと口元を緩ませ、カミュはマヤに腕を引かれるまま、他の参加者たちに続いて踊り始めるのだった。

音楽隊の演奏に合わせ、数えきれないほどの男女が手を結び、ステップを踏む。
その光景を見つめているセーニャの瞳は、どこか寂しげだった。
その隣で果実水が入ったグラスを煽っている姉のベロニカも、ダンスに耽る者たちを退屈そうに眺めている。

「イレブンったら、ほんとに楽しそうね。そんなにエマさんと踊りたかったのかしら」
「そう、ですわね・・・」
「見てよあそこ。カミュも踊ってる。相手は妹さんね」

イレブンとエマが躍っている場所から少しだけ離れたところで、かつての仲間、カミュが妹のマヤと共に踊っている。
優雅に踊るイレブンたちとは対照的に、ダンスに不慣れなマヤがパートナーであるためか、カミュたちのステップはダンスの体をなしていない。
ふらふらと踊っているカミュを見ながら声を挙げて笑っている姉の横で、セーニャは何も言わずその光景を見つめていた。

「じゃあ、あたしたちも踊りましょうか。セーニャちゃん、お相手頼めるかしら」
「私、ですか? しかし、ベロニカお姉さまが・・・」

一礼し、手を差し出してくるシルビアに、セーニャは戸惑った。
舞踏会なのだから踊るのは当然の流れ。
王子や姫が登場するようなおとぎ話に憧れているセーニャは、舞踏会で踊るという行為に多少なりとも憧れを抱いていた。
しかし、姉を置いて自分だけが楽しんでよいものだろうか。

「あたしのことは気にしないで行ってきなさい。どうせこの姿じゃ踊れないしね」

5年経過し成長したとはいえ、ベロニカの体はまだ子供。
大人の男性と手を取り合って踊るには無理があった。
事前にそれを承知で参加していたベロニカは、セーニャだけが舞踏会を楽しんでいたとしても今更気にはならない。

「そうですか・・・。では、お言葉に甘えて」

申し訳なさげに頭を下げたセーニャは、差し出されたシルビアの手をとり、大広間中央に向かう。
ギャラリーをかき分け、セーニャを優しくエスコートしているシルビアは、女の扱いに慣れていて実に男らしい。
そんな彼の優雅な足取りに寄り添い、セーニャはダンスフロアの中央にたどり着いた。

「ごめんなさいね、セーニャちゃん。ホントはもっと踊りたい相手がいたんでしょ?」
「いえそんな。シルビアさまと踊れるなんて、光栄ですわ」
「ふふふっ、優しいのね。じゃあ、彼が嫉妬するくらい素敵なダンスを見せつけちゃいましょう」

愉快に笑うシルビアには、セーニャの心根など奥の奥までお見通しであった。
ほんの少し照れくささを感じながら小さくうなづくと、シルビアは軽く膝を折りながら頭を下げた。
そしてセーニャもまた、目の前にいるシルビアにつられるように、ドレスの裾を両手で持ち上げながら頭を下げる。
手を取り合い、シルビアの手が腰に回る。
音楽隊の演奏に合わせ、シルビアとセーニャは体を揺らし始めた。

「あらセーニャちゃん、舞踏会は初めてだって聞いたけど、随分ダンスが上手じゃない」
「ありがとうございます。昔、ある方に教わったんです」

瞳を伏せ、愁いを帯びたセーニャの表情は実に美しいものだった。
こんな可憐な女の子を放っておくなんて、彼はなんて罪深いのかしら。
そんなことを考えながら、シルビアは優雅にステップを踏む。

彼ら二人と同じ空間で踊っている者たちは多種多様で、優雅に踊る者たちもいれば、楽しさ重視でダンスの型など全く気にしない者たちもいる。
カミュとマヤの兄妹も、そのうちの一組だった。
なんとか妹に恥をかかせないようステップを教えながら踊るカミュであったが、やはりぶっつけ本番で舞踏会に挑むのは無謀だったらしい。
マヤは何度もカミュの足を踏みつけていた。

「いってぇ!マヤ、ヒールで足踏むんじゃねぇ」
「仕方ないだろ!? 初めてなんだから!・・・あっ」

マヤはとある方向を見つめ、驚いたように口を開けた。
なんだ、どうしたと聞きながらマヤの視線の先を追ってみると、そこには手を取り合って踊るシルビアとセーニャの姿が。
シルビアにエスコートされているセーニャは、楽しそうに表情を綻ばせている。
長身で優雅なたたずまいのシルビアと、可憐な金髪をなびかせているセーニャのダンスは、はたから見ている者たちの視線を釘づけにしている。
今回の主役であるイレブンたちにも引けを取らないほど注目されている2人は、はたから見ればお似合いに映るのだろう。
特に、エメラルド色のドレスをひらめかせるセーニャに向けられた男たちの視線は、どれも熱を持っているように思えた。

そうだ。
セーニャはたとえイレブンの相手を務めていなくとも、引く手数多。
イレブンが彼女ではない他の誰かを選ぼうとも、彼女の相手はきっとすぐに見つかってしまうだろう。
彼女の隣に、自分が立つことはきっとない。
彼女が誰かと恋に落ちるとき、いつだって自分はただの脇役で、王子様役を引き立てるモブ1号に過ぎないのだ。
シルビアとセーニャから視線を外し、カミュはマヤとのダンスに専念することにした。
けれど、自然と意識が遠くの二人へと引っ張られてしまう。
突然上の空になってしまった兄の様子を、マヤは不思議そうに見つめながら劣り続けるのだった。


*********************


数十分間ダンスを楽しんだカミュとマヤは、人だかりから外れ、大広間の端に並べられた椅子に座っていた。
慣れないパーティーの雰囲気に疲れたというマヤを休ませてやっているのだ。
トレイ片手に歩き回るボーイから貰ったジュースと軽食を与えると、疲れ切っていたマヤの表情は一気に明るいものへと変わる。
元々ダンスよりも、パーティーで出される食事の方を楽しみにしていたらしいマヤの興味は、テーブルに並べられた豪華な食事たちへと一瞬で移ってしまっていた。

「うんまー!兄貴、この肉超うまいぜ!」
「お前なぁ、もっと落ち着いて食えよな」
「楽しんでくれてるみたいでよかったよ、二人とも」

背後からかけられた懐かしい声に振り返れば、そこにはかつての相棒、イレブンが一人立っていた。
今回の主役であるユグノア王子の登場に驚きを隠せないカミュ
豪華な装飾品を身にまとったイレブンは、なんだか自分の知っている彼とはまるで別人のようで、圧倒されてしまう。

「イレブン・・・。主役がこんなところにいていいのか?」
「さっきまで各国のお偉いさんに挨拶してたんだけど、おじいちゃんに任せて逃げてきちゃったよ。やっぱり僕は気の許せる仲間と一緒にいる方が好きだから」
「お前らしいな」

どんな格好をしていても、イレブンはイレブンだった。
優しい笑顔が似合う、どこかぼんやりしている相棒。
王子の名を継いでも、あの頃と何も変わらない笑顔を見せる相棒に安堵し、カミュは握った拳を突き出した。
イレブンもまた、自分の拳を突き出しカミュの拳に押し当てる。
元とは言え、盗賊だった自分を友人として受け入れてくれるような王族など、世界中どこを探してもイレブンだけだろう。
そんな彼だからこそ、セーニャは好きになったのかもしれない。

「マヤちゃんも、わざわざ来てくれてありがとう。そのドレスとっても似合ってるよ」
「いしし。サンキュ。勇者サマはその王冠、あんまり似合ってないな」
「おいこらマヤ」
「あははっ、山岳地帯の田舎村で育った僕に、王冠なんてちょっと荷が重いよね」

イレブンが被っている王冠は、小顔の彼が被るには少々大きすぎるような気がしてならない。
彼自身もそれを自覚していたようで、マヤの言葉に不快感を示す気配もなく気持ちよく笑っていた。

「なぁイレブン、あのエマって子をパートナーに選んだってことは、やっぱりその・・・あの子と結婚するつもりなのか?」
「ん?あぁ、そうだね。いずれきちんと求婚するつもりだよ。この5年間、エマをずっと待たせてしまっていたから」
「そうか・・・」

イレブンが、故郷に残してきた幼馴染に想いを寄せていることは知っていた。
5年前、旅をしている間に彼女のことを彼の口から詳しく聞いたことは無かったが、時折村に立ち寄るイレブンが、彼女の前だと自分たちには見せない甘い顔をしてることは、誰が見ても明らかだったから。
けれど、イレブンを5年間ずっと待ち続けていたのは、エマだけではない。
邪神討伐の旅で、誰よりも近くで辛苦を共にしてきた彼女の視線に、イレブンは気付いていたのだろうか。
今日、エマに手を差し伸べたイレブンの姿を、つらい面持ちで見つめていた彼女の気持ちに、イレブンは気付いているのだろうか。

カミュ、どうしてそんなことを?」
「なぁ相棒、お前はセーニャのこと・・・」
「イレブンさま、カミュさま」

カミュの言葉を遮るように、小鳥のさえずりのような声が耳に届いた。
ヒールをこつこつと鳴らしながら近づいてくるのは、セーニャである。
先ほどまでシルビアと踊っていた彼女だったが、今は一人のようだ。
頭の中を支配していた本人が登場したことで、カミュは動揺し、すぐさま視線をそらしてしまう。

「セーニャ。久しぶりだね」
「お久しぶりです、イレブンさま。戴冠式、お疲れ様でした」
「ほんとに疲れたよ。慣れないことするもんじゃないね。ねっ、カミュ。・・・あれ、カミュ?」

背後に立っているはずのカミュに話を振ったイレブンだったが、既にそこに友人の姿はなかった。
きょろきょろとあたりを見回してみれば、こちらに背を向けて離れていく彼の姿が目に入る。

「ちょ、兄貴!どこ行くんだよ!」
「トイレだトイレ」

後ろから呼び止めるマヤの声に、カミュは片手を挙げて返事をする。
だがそれは、ただの言い訳でしかなかった。
本当はセーニャから。いや、イレブンとセーニャから逃げたかっただけ。
きっとセーニャはイレブンと話がしたくて声をかけたのだろう。
2人が仲睦まじく話している光景を、平穏な心で見ていられる自信がなかった。
昔、一緒に旅をしていた頃は、二人が話をしていても心に小さな痛みが走るだけで耐えられたというのに、5年経った今では見ていられなくなってしまった。
いつの間に、こんなに女々しくなってしまったのだろう。

年々弱くなっている自分の心に呆れながらも、カミュはセーニャとイレブンから逃げ出した。


********************


大広間につながるバルコニーで、セーニャは一人火照った火照った体を冷やしていた。
パーティーが嫌いなわけではない。
だが、ここまで人が多い場に出る機会が無かったため、少しだけ疲れてしまったのだ。
今日、セーニャはある目的のためにここに来た。
5年間、ずっと会いたかった愛しい顔。
その顔を見るために、一番きれいなドレスを選び、髪を飾り付け、化粧も施し、少しでも美しく見えるよう気合を入れてきた。
けれど、彼はそんな自分を視界の端にすら入れようとしない。
あまつさえ、自分ではない別の人と手を取り踊っている。
相手が彼にとって最も大切な人であるということはよく分かっていたが、それでも、一瞬だけでも自分に手を差し伸べてほしかった。
久しぶりに会えば、またあの頃のように笑いあえるだろうと期待していた自分が愚かだったのだろうか。

「はぁ・・・」

セーニャのため息は、虚空に消える。
バルコニーの手すりに寄りかかり、空を見上げれば、漆黒の夜空にまんまるい月が浮かんでいた。
そういえば、あの日もこんな満月が出ていたっけ。
セーニャが初めてダンスを踊った、あの日。
みんなが寝静まった夜、月光に見守られながらステップを踏んだあの日の光景は、5年経った今でも忘れられない。
まるでおとぎ話のワンシーンのようだったと、今思い返しても胸が高鳴ってしまう。

“お慕いしている方とこうして踊ることが、子供のころからの夢だったんです”

あの時、煩く騒ぐ心臓の音を隠しながら言った言葉は、彼には伝わらなかった。
精いっぱいの告白のつもりだったのだが、彼はいつも通りの笑顔を見せながら、動揺など微塵も見せずに踊りを続けていた。
いっそ、もっときちんとした言葉でフラれていれば、5年も引きずらずに綺麗に吹っ切ることが出来たのかもしれない。
彼は、セーニャが5年も前から思い続けているカミュは、あの日のことを覚えているだろうか。

「おひとりですか?お嬢さん」

聞き覚えのない声に呼ばれ、振り返る。
そこにいたのは、見たことのない男性だった。
煌びやかな装飾に身を纏ったその男性は、恐らくどこぞの王族か、貴族なのだろう。
整った顔立ちをしているが、彼の風貌はカミュとは似ても似つかない。

「貴方は・・・?」
「デルカダールに邸宅を構える、コーネリア家の息子、アダンと申します」
「コーネリア家・・・。あの貴族の、ですか?」
「ご存じでしたか。光栄です」

騎士のように美しく一礼する彼、アダンの所作は品がある。
コーネリア家は、5年前の旅でデルカダールを訪れた際に聞いた貴族の名前だ。
その子息というのだから、きっと育ちもよいのだろう。
金色の髪に青い瞳。
すらりと伸びた長身に、よく似合っている白のタキシード。
まさにおとぎ話の王子様のような見た目だというのに、何故だかセーニャの胸はときめこうとしない。
彼が、セーニャの心をつかんで離さないカミュと全く似ていないからだろうか。

「お嬢さん、お美しい貴女のお名前を伺っても?」
「セーニャと申します」
「セーニャさん。見た目に違わぬ美しいお名前ですね。どうでしょう、私と踊っていただけませんか?」
「えっ・・・」

差し出された手に、セーニャは思わず戸惑った。
こうして見知らぬ人間にダンスに誘われたのは初めてだったから。
頭で思い浮かべるのは、やはり青い髪の彼。
だが、彼は自分が声をかけるたびに逃げるようにその場を離れていく。
彼と手を取り再び踊りたいという気持ちはあったが、今目の前にいる彼とのダンスを拒絶する理由にはなり得なかった。
もし、カミュに嫌われているのなら、早く忘れた方がいいのかもしれない。
5年も引きずってしまった想いに終止符を打つ、最後のチャンスが今なのだろう。
一抹の寂しさを感じながらも、セーニャは恐る恐る、アダンの手を取った。

セーニャの手を握り返してきたアダンの指はしなやかで、女性のように細いものだった。
きっと武器はおろか、ワイングラスより重いものを持ったことがないのだろう。
5年前、月下のもと一緒に踊ったカミュの武骨な指とは大違いだ。
アダンにリードされる形で、セーニャは再び大広間の中心へと歩を進める。
パートナーが整った顔の貴族だからだろうか、妙に注目されているような気がする。
向かい合って一礼し、互いに手を握ると、すぐさま彼の手が腰に回ってきた。
慣れた手つき。いろいろな人と様々な場所で踊ってきた経験があるのだろう。
先ほど踊ったシルビアに負けないほどエスコートが上手いアダンであったが、何故だか居心地は悪かった。

握った手の感触も、ステップを踏む歩幅も、ありすぎる身長差も、何もかもが微妙に合わない。
大広間に響く演奏に合わせて踊っていたセーニャだったが、シルビアと踊っていた時と比べて早く疲労感が襲って来た。
履き慣れないヒールに、足を痛めてしまったらしい。
数分踊ったところで、セーニャはステップを踏む足を止めた。

「どうされました?」
「すみません、ちょっと、休憩にしませんか?」

舞踏会になれている様子のアダンに対し、靴擦れしたから休みたいとはみっともなくて言い出せなかった。
しかし、まだ踊り始めてから数分と経っていない中で提案された休憩に、アダンは納得がいかない様子。
セーニャの腰を抱いた手を離そうとはしなかった。

「何を仰います。まだ始まったばかりではありませんか」
「はい、でも・・・」
「せっかく貴女のようなお美しい方と一緒に踊れるのです。もう少し、楽しませてください」
「・・・・・」

アダンに悪気がないのはよく分かっている。
自分に気があることも。
だからこそ、強い言葉でその腕を振り払えないのは、傷ついたセーニャの心が見せる弱さなのかもしれない。
仕方がない。足は痛いけれど、せっかく誘ってくれたわけだし、彼が満足するまで一緒に踊ろうか。
密かに肩を落とし、アダンの手を握り返そうとしたその時だった。
セーニャの腕が、アダンではない第三者によって掴まれ、強引にアダンから引き離されてしまった。

「楽しんでるところ悪い。こいつ、借りてくぞ」
「えっ」

腕をつかんできたのは、他の誰でもないカミュであった。
鋭い瞳でアダンを見つめるカミュの目は、気のせいだろうか怒りの色を示しているように見える。
今まで自分を避けていたというのに、何故ここにいるのか。
何故こんなことをするのか。
様々疑問は浮かんでくるが、目の前に不意に現れた想い人の顔に心臓が急激に高鳴り、頭の回転が鈍くなってしまう。

「か、カミュさま・・・?」
「なんなんだ君は!いきなり失礼だろ」
「悪かったな。でも、こいつは俺のパートナーなんだ。返してもらうぜ」
「は、はぁ?おい待て!」

突然パートナーを奪われたアダンは、怒りをあらわにしてカミュを怒鳴りつける。
しかし、カミュは一切動じることなく、セーニャの腕をつかんだままその場を去っていく。
カミュに引きずられるようにして歩くセーニャは、前を歩く彼に何も問いかけられずにいた。
彼は自分をパートナーだと言っていたが、一緒に踊る約束をした覚えはない。
誘おうと思って近づくたび、避けていたのは彼の方なのに、どうして今更そんな期待させるようなことを言うのだろう。
彼の心が分からない。
強く自分の腕を握っている彼の行動に混乱しながらも、小さな喜びを感じてしまっている自分自身にも、呆れてしまう。
セーニャはカミュに連れられながら、何も言わずただただ視線を落とした。


********************

やはり来るべきではなかったか。
時間が経つにつれ、カミュはそんなことを思うようになっていた。
着飾ったセーニャを視界の端に見つけるたびに、想いは滾る。
どうあがいても彼女を想う心から逃れることは出来ないのだと思い知らされてしまうのだ。

トイレから大広間に戻ってきたカミュは、妹のマヤを探して歩き回っていた。
音楽隊による演奏はまだ続いており、高貴な人間たちが飽きずにダンスを踊り続けている。
よくもまぁそんなに長時間踊り狂えるものだ。
呆れた眼差しで踊り続ける人々の群れに一瞬だけ視線を向けたその時だった。
エメラルドグリーンのドレスに金髪の長い髪の彼女が視界に入る。
髪を揺らしながら大広間の中心にいた彼女は、見覚えのない男と踊っていた。

彼女とその男以外の人々がぼやけていく。
腰を抱かれ、手を重ねられているセーニャから目を離せない。
何をいまさら驚いているんだ俺は。
今は舞踏会の真っ最中。
あいつが男と踊るなんて普通のことだろ。
たとえイレブンでなくても、彼女の相手が務まるような男はそこら中にいる。
今更気にしたって仕方がない。
そう言い聞かせてみたものの、カミュの心のざわめきは収まることを知らない。

やがて、視界の先にいるセーニャの動きが止まった。
左足に重心を置き、右足をかばうように立っている。
もしや、足を負傷したのだろうか。
セーニャは男から離れようと、彼の体を優しく押しているが、男は聞く耳を持たず彼女の腰を引き寄せている。
気のせいかもしれないが、セーニャは少し困っているように見えた。
さしずめ、足を負傷してこれ以上踊ることが出来ないにも関わらず、男に強引に迫られていると言ったところだろうか。

その仮説が頭を過った瞬間、カミュは自分の頭に血が上っていく感覚を覚えた。
いつのまにか足が勝手に動き、いつの間にかセーニャたちの前に立っていたカミュは、ほとんど衝動的に彼女の腕をとってその男から引きはがしてしまっていた。
パートナーを名乗ったのは、その方が穏便に彼女を奪えると思ったから。
回らない頭で行動してしまったがゆえに、男を納得させられずに怒鳴り散らされてしまったが、気にせずセーニャの腕を引いたまま大広間を出た。
その間も、何故だかセーニャは何も話さない。
カミュを責めるわけでも質問するわけでもない彼女の心が読めないまま、廊下に出た二人は足を止めた。

「そこ、座れ」

シャンデリアが吊り下げられていた廊下の隅には、パーティーで疲れた人たちが休めるように椅子やソファが並べられている。
セーニャはカミュの指示に大人しく従い、赤いソファに腰かけた。
そんな彼女の前で膝まづいたカミュは、そっとセーニャの右足に触れ、履いていたヒールを脱がしてやる。
するりと顔をだした白い足。
その小指は赤く腫れあがっており、やはりカミュの予想通り靴擦れを起こしているようだった。

「やっぱり。こんなになるまで踊るなよな」
カミュさま・・・どうして怪我をしていると気づいたんです?」
「見てれば分かる」

そこまでして、あの男と踊りたかったのか。
出かかった言葉をぐっと飲みこんだカミュは、ジャケットの内ポケットをまさぐり一枚の絆創膏を取り出した。
幼いころからやんちゃで、よく怪我をして帰ってきていた妹をすぐに手当てできるよう、こうして懐に軽い応急道具を忍ばせておくのは彼の癖だった。
彼女の足首を固定し、取り出した絆創膏を細く小さな小指に巻いていく。

カミュさまは、今も昔も、人の変化に一番に気付いてくださいますね」
「そうか?」
「覚えていませんか?5年前に旅をしていた時、仲間のどなたかが怪我を隠していても、カミュさまが一番に気付いておられました。そういうところ、変わってないですね」

微笑むセーニャの笑顔は、5年前と何も変わらず可憐だった。
カミュは変わっていないのではない。変われなかったのだ。
心に秘めた想いを告げることが出来たなら、きっと少しは変われたのだろうが。
絆創膏をしっかりと貼り終わったカミュは、セーニャの言葉に返事をすることなく立ち上がる。

「舞踏会が楽しいのは分かるけど、あんまりはしゃぎすぎるなよ。じゃあな」
「あっ、カミュさま!」

セーニャをその場に残し、そそくさと去ろうとしたカミュだったが、背後から袖を掴まれ引き留められる。
なにかと振り返れば、彼女はソファに座ったまま赤い顔でこちらを見上げていた。
何か言いたげなその表情に、カミュの心臓はぎゅっと締め付けられる。

「わ、私と・・・踊ってもらえませんか?」

絞り出すように、小さな声で囁かれた言葉に、カミュは己の耳を疑った。
踊る?誰と?この俺とか?
彼女の言葉が一瞬だけ理解できず、気まずい沈黙が訪れてしまうが、はっと我に返ったカミュが視線を逸らしたことで会話が再開される。

「踊るって、俺とか?」
「は、はい」
「でもお前・・・足はいいのか?」
「絆創膏を貼っていただいたので、大丈夫です」
「けど・・・」

俺なんかでいいのか?
本当はイレブンと踊りたいんじゃないのか?
そんなことを口に出そうとしたカミュだったが、袖を握る力を強めてきたセーニャの言葉によって遮られてしまった。

「私と踊るのは、お嫌ですか・・・?」

悲し気に瞳を伏せるセーニャ。
彼女と踊ることが嫌なはずなどない。
むしろ、心の奥では誰より強く彼女との夜を望んでいた。
その手を取れるなら、こんなにも嬉しいことは無い。
照れたように鼻先を掻きながら、カミュはセーニャに向き合った。

「そういうのは、男の方から申し入れるもんだろ」

再びセーニャの前に跪いたカミュは、そっと右手を差し出し、囁くように言う。

「俺と踊ってくれるか?セーニャ」
「はい、よろこんで!」

カミュの手に己の手をそっと重ねたセーニャは、5年前のあの夜と同じ笑顔で頷いた。
すぐさまヒールを履きなおし、跳ねるように自分の横を歩く彼女の姿に、一抹の喜びを感じてしまうのは仕方のないことだろう。
自分と踊れることが、そんなにも嬉しいのか。
これ以上、惑わすような態度を示すのはどうか辞めてもらいたいと思う一方で、彼女の時間を独占できることに嬉しさを感じてしまう自分もいた。

「あら?ベロニカちゃん、あれ見て」

大広間に入ってきた一組の男女を目にしたシルビアは、横で肉料理を食べていたベロニカの肩を叩いた。
もぐもぐと口の中の柔らかな肉をかみ砕きながら、シルビアが指さす方向に目をやったベロニカは、思わずむせ返りそうになってしまう。
そこにいたのはカミュと、彼にエスコートされている妹だった。

「せ、セーニャ!? なんでカミュと!?」
「ふふふっ、ようやく念願叶ったみたいね。かっこいいわよ、カミュちゃん」

大広間の中心に移動し、互いに向かい合って一礼するカミュとセーニャ。
2人を見つめながら軽やかに笑うシルビアだったが、横でその光景を見ていたベロニカはわけが分からないと言った様子で首をかしげていた。

やがて、音楽隊による演奏は穏やかな旋律から軽やかなリズムの曲に変わる。
曲に合わせて踊っていた面々も、その軽快なリズムに合わせてステップを変えていく。
カミュはセーニャの腰にそっと手を添え、互いに寄り添いながら踊り始めた。
先ほどのアダンと踊っていた時は、言い知れぬ違和感ばかりが気になっていたが、相手がカミュに変わった途端、そのような違和感は鳴りを潜めてしまう。
握った手の感触も、足の揃え方も、身長差も、すべてがちょうどいい。
胸はどきどきと高鳴っているのに、不思議と安心感を覚えていた。

「こうしてカミュさまと踊っていると、5年前を思い出しますわ。覚えていますか?あの夜のことを・・・」
「あぁ。お前がダンスを教えてくれって言って来た時だろ?確か、“お慕いする方と踊るのが夢だ”とか言って・・・」

忘れるはずが無かった。
あの頃から、カミュはセーニャに特別な感情を抱いていたから。
彼女のことを思い、イレブンを演じながら満月の下で踊っていた。
儚くも、甘い思い出。
あの日、彼女は慕っている男と踊りたいと希望を語っていたが、結局その夢はかなうことなく、イレブンは別の女を選んでしまった。
夢破れた彼女は今どんな心境なのだろうか。
聞けばきっと虚しくなるだろう。
気まずさを感じて視線を逸らしたカミュとは対照的に、セーニャは随分と穏やかな声で言葉を続けた。

「はい。あれから5年も経ちましたが、また夢がかなうとは思いませんでした」

セーニャの言葉に、カミュはピクリと眉を動かした。
夢がかなった?
彼女は自分が見ていない時に、イレブンと踊っていたのだろうか。
いや、カミュがこの大広間から離れたのはほんの数分。
戻ってきたときには既にあの見知らぬ男とセーニャは踊っていた。
彼女がイレブンと踊れる時間があったとは思えない、

「それってどういう・・・」
「今こうして、お慕いしている方と舞踏会で踊ることが出来た。5年もかかってしまいましたが、ようやく夢をかなえることが出来ました」

頬を染め、照れたように笑うセーニャ。
彼女からまっすぐ視線を向けられ、カミュの脳内はどんどん霧がかかったように白くなっていった。
彼女は何を言っているのだ。
それじゃまるで、俺がすきだと言っているようじゃないか。
自惚れでしかない。きっと聞き間違いだ。
そう言い聞かせても、心に灯ったわずかな希望にすがらずにはいられない。

「お、おい・・・じゃあお前が好きな奴って・・・」

彼女は何も言わず、ただただ穏やかな笑みを浮かべたままこちらを見つめてきた。
その瞳は、何も言わずとも肯定の意を示している。
まさか、そんなことが本当にあるのか。
呆然と聞いていたカミュは、いつの間にかステップを踏む足を止めていた。
周囲が踊り続ける中、カミュとセーニャだけが、互いに見つめあったまま動こうとしない。

「分かっています。カミュさまが、私のことをお嫌いなのは。でも、どうしても気持ちだけはお伝えしたかったんです」

俯くセーニャの瞳は、悲しみからか、それとも諦めからか、はかなげに揺れていた。
嫌っているなど、あるはずがない。
なぜそんな勘違いをしてしまったのか。
カミュは慌ててセーニャの両肩を掴み、思わず声を荒げてしまった。

「待てよ。俺がいつお前を嫌ったんだ」
「えっ、だって、5年間ずっと私を避けていらしたではないですか」
「それは・・・お前が、イレブンのことが好きなんだと思ってたから・・・」
「イレブン、さま?」

今その名前が出てくるとは思ってもいなかったセーニャは、きょとんとした表情で首を傾げた。
5年もの間、一度もセーニャに会いに行かなかったのは、彼女がイレブンをまだ想っていると勘違いしていたからこそのこと。
だが、セーニャの反応からしてそれは間違いだったと気付かされた。
あぁ、俺は一体5年もの間何をしていたのか。
もっと早くにこの勘違いに気付いていたら、こんな思いをしなくて済んだというのに。
カミュはその武骨な手で、セーニャの白い頬にそっと触れてみる。
まっすぐな眼差しでこちらを見つめてくるセーニャの瞳を見つめ返すと、まるでこの世界には自分たちしか存在していないかのような錯覚に陥ってしまう。

「ずっと忘れようと思ってたんだ。避け続ければ、いつか気持ちもなくなると思って。でも、避ければ避けるほど、忘れられなくなってた」
カミュさま」

離れている時間はが長くなるほど、思いは次第に大きなっていく。
こうして久しぶりに会った今日も、本当は言葉を交わしたくて仕方が無かった。
とりとめのない会話でいい。
昔のように笑いあえたなら、どんな幸せだっただろう。
また想いが滾り、心が痛むことだけが恐ろしくて、ずっとセーニャの影から逃げていた。
けれど、彼女の気持ちがはっきりとした形となって見えた今、カミュの心を制止するものは、もう何もない。
カミュは己の額をセーニャの額に近づける。
触れ合う鼻先、絡み合う視線。吐息がぶつかりそうになるほど近い距離に心締め付けられながら、カミュは甘い声で囁いた。

「お前のこと、嫌いになれるわけないだろ」

どんなに努力しようとも、セーニャを嫌おうなど無理な話。
目の前の純朴な聖女はいつ何時も美しく、視界に入るたびにカミュの心を奪っていく。
もっと早く、好きだとか愛してるだとか、無責任な告白をしてしまえばよかった。
けれど、5年も温めていた想いは、本人たちも予期せぬほど大きくなっていて、膨らみ続けた風船が破裂した時のように、限界を迎えた想いは派手な音を立てて暴走する。
もう、理性で止められそうもない。

頬に触れたカミュの手に、セーニャの手が重なる。
それは、カミュを受け入れるという、彼女なりのサインだった。
セーニャの大きな瞳が閉じられると同時に、カミュは息を呑んだ。
熱に浮かされ、何も考えられなくなったカミュは、彼女の唇に誘われるように己の唇を押し当てる。
食むように口づけた彼女の唇は柔らかくて、体の奥底からどうしようもなく熱い思いがこみ上げてきた。

好きだ。もうなにも考えられなくなるほどに。
叶うはずもないと思っていたこの日の光景を、何度夢見た事だろう。
セーニャの唇を味わいながら、カミュは彼女の腰を抱く腕の力を強めた。
その時だった。

パチパチパチ・・・
と周囲から突然拍手が沸き起こった。
不意に聞こえてきた大勢の拍手の音に驚いたカミュとセーニャは、互いに肩をびくつかせ、思わず顔を離す。
何事かとあたりを見回してみると、つい先ほどまで踊っていた舞踏会の参加者たちが、全員一人残らずこちらに視線を向けていて、にこやかな顔で拍手を贈っていた。
何が起こっているのだろう。
呆然としている2人だったが、人込みをかき分けて姿を現したこの戴冠式の主役の姿に、今度は顔を真っ赤にする羽目になってしまった。

「こんな大勢の前でそんなことするなんて、大胆だねカミュ

その他大勢と同じように拍手を贈っているイレブンは、口元ににやにやと笑みを浮かべている。
彼の背後には、やはりにやにやとしているシルビアやマヤ、そして若干不機嫌な表情を浮かべているベロニカの姿まであった。
どうやら事のあらましをすべて見られていたらしい。
まさか彼らに見られていたとは知らず、セーニャは今にも顔から火が出そうなほど頬を真っ赤に染めている。

「よかったわねー、セーニャちゃん!カミュちゃんと踊れる夢が叶って」
「兄貴、恥ずかしいからこんな大勢の前でいちゃつくなよなー」

野次を飛ばすシルビアとマヤの言葉に、周囲から笑いが沸き起こる。
イレブンたちだけでなく、見ず知らずの者たちからこんなにも注目されているにも関わらず、自分たちは気付かなかったらしい。
それだけ二人の世界に没頭していたということか。
その事実が実に情けなく、カミュは深いため息をついて頭を抱えた。

「やめてくれイレブン。頼むから、それ以上言わないでくれ・・・」
「何今更恥ずかしがってるんだよ。こんな大勢の前であんなことしておいてさ」
「ほんとよ。セーニャ、あんたがあんな大胆なこと出来る子だとは思わなかったわよ」
「お、お姉さま!私はそんな・・・」

腕を組みながら冷ややかな目で見てくる姉の視線が痛い。
セーニャは慌てて弁明しようとするが、大勢の前で大胆に口づけしていたことは事実であるため何も反論できずに口ごもる。
頭を抱えるカミュと恥じらうセーニャ。
居心地の悪さを感じる二人の事情など全く考慮する気のないイレブンは、酒に酔っているのか随分上機嫌な様子で朗らかに笑い出した。

「よし、じゃあ皆さんグラスをお持ちください!今回は僕の王位継承とユグノアのおおいなる発展。そして、僕のかけがえのない仲間、カミュとセーニャの末永い幸せを願って――」
「はっ?」
「えっ・・・」
「かんぱーい!!」

陽気な王子の掛け声とともに、大勢の参加者がグラスを掲げて乾杯!と復唱する。
何度目かの拍手が沸き起こる中、ところどころから知らない声で“おめでとう”“お幸せに”などの言葉がかけられた。
突然この場にいる全員の注目を集めてしまったこの状況に戸惑うしかないセーニャは、カミュの腕の中で未だに赤くなっている。
対してカミュの方はというと、もはや観念した様子である。
きょろきょろと周りを見渡しているセーニャの額にそっと口づけを落とすと、優しい眼差しで彼女の瞳を見つめた。

「王子様に見られちまったんじゃ、逃げられそうもねぇな」
「そうですわね」

今日の主役であるイレブンにあおられ、参加者たちは一層の盛り上がりを見せている。
困ったように笑うセーニャと見つめあい、カミュは微笑む。
恥じらいを忘れたわけではないが、もはや逃げられそうもない。
カミュはセーニャの腰を抱きながら、手招きする仲間たちの元へと歩き出すのだった。


*********************


舞踏会は次第にただの立食パーティーへと形を変え、酔いが回った参加者たちの熱気で会場は大盛り上がりとなった。
上機嫌極まりないイレブンの腕をすり抜け、からかってくる仲間たちから何とか逃れ、カミュは疲れ切った足取りで城の中庭まで逃げてきた。
中庭の真ん中には、ここで待ち合わせをした愛しい人の姿がある。
会場とは打って変わって静かなこの中庭で、彼女は一人静かに月を見上げていた。

「セーニャ」

呼びかけれると、彼女は喜び滲む笑顔で振り返る。
髪につけた飾りが揺れ、月明りにきらめいている光景が、余計に彼女を美しく彩った。

「遅くなって悪かった」
「いえ。イレブンさまに捕まっていたのですか?」
「あぁ。あいつ酔うとタコかってくらい絡みついてくるからな」

口元を抑え、セーニャは軽やかに笑う。
邪神討伐の旅をしてた頃、何度か宴で酒を口にしたことがあったが、そのたびイレブンはカミュをはじめとする男性メンバーに絡みついては相手のことを褒めちぎっていた。
酔いが回ると褒め上戸、かつ絡み酒になるため、なるべく酒の席ではイレブンの隣に陣取らないようにしていたカミュだったが、イレブンのターゲットになる頻度が一番高かったのはやはり今も昔もカミュだった。

それだけ気を許しているということなのだろう、とロウやシルビアは朗らかに笑っていたが、永延犬のように頭を撫でられ、カミュは男らしいだの頼りになるだの僕の一番の親友だだの言われ続ければ、嬉しい反面逃げ出したくもなる。
今日に限っては、やはり頭を撫でまわされながら“セーニャはいい子だしカミュは優しいしほんと一緒になってくれてよかったカミュの幸せは僕の幸せセーニャの幸せは僕の幸せほんとにほんとに良かったうわああぁぁ”とまくしたられながら号泣されてしまった。
鬱陶しさすら覚え始めた頃合いで、カミュは何とかイレブンの魔の手から逃れ、セーニャが待つこの中庭へとたどり着いたというわけである。

「後でイレブンさまにもお礼を言わなくてはいけませんね。あんなに盛大にお祝いしてくださったのですから」
「盛大すぎてちょっと嫌味言いたくなるほどだったけどな」
「まぁ」

セーニャは楽しそうに笑ってはいるが、カミュからしてみればたまったものではなかった。
せっかく何年か越しの想いを遂げることが出来たというのに、シルビアにはからかわれ、ベロニカからはちくちく嫌味を言われ、マヤからは質問攻めにされる始末。
あれから2時間ほど経過したが、こうしてセーニャとゆっくり話をすることさえままならない祝われようであった。

「そうだ。見てくださいカミュさま。今夜は綺麗な満月ですよ」

不意に、セーニャが夜空を見上げてつぶやいた。
彼女の視線を追うように空を見上げてみると、確かにそこには多き美しい満月がこちらを見下ろしている。
そういえば、戴冠式が始まる前にシルビアが今夜は満月だろうと呟いていたっけ。

「5年前のあの日も、こんな風にきれいな満月が出ていましたわ」
「あぁ。セーニャが俺にダンスを教えてくれって頼んできた日のことだろ?」
「覚えていてくださったんですか?」
「忘れるかよ」

あの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。
淡い月の光に照らされながら金髪を揺らすセーニャは美しくて、どうにも目が離せなかった。
あの頃はまだ彼女がイレブンを好いているものだと思っていたから、彼女に遠慮してイレブンの所作を真似てみたりしていたが、やっぱり王子様なんて柄じゃない。
世界の希望を一身に背負った勇者であり、かつユグノアの王子であるイレブンに、きっと引け目を感じていたのだろう。
セーニャがあいつを好きでいる限り、きっとどうあがいても彼女は手に入らない。と。
しかし、あれから5年経った今、どんなに美しい宝物よりも渇望した彼女はこの腕の中にある。
夢だと思わずにはいられなかった。

「お前はあの時から、俺を?」
「はい」
「そうか」

ゆっくりと彼女の背後に回り、後ろからその細い腰を抱き寄せた。
頬に彼女の髪が当たる。
一緒に踊っていた時に気付かされたが、彼女の髪は甘い花の香りを纏っていて、嗅いでいると妙に落ち着く。
こんなことを口に出すと変態臭く聞こえるだろうから、黙っておくことにするが。

「もっと早く気付けてれば良かったのにな」
「でも、今はこうしてカミュさまと一緒にいられるので、私は幸せですわ」

彼女の気持ちにもう少し早く気が付いていれば、もう少し早く勇気を出していれば、5年もの間うだうだと片想いせずとも済んだのに。
離れていた5年間が惜しまれる。
しかしセーニャは過去を振り返る気などさらさらないようで、何の憂いもなく笑っている。
彼女はこの5年間をどう過ごしていたのだろう。
中身は何も変わらないのに、見た目はすっかり綺麗になっていた。
強くなったかどうかは今のところ確かめようもないが、少なくともダンスの技術は5年前のあの頃に比べて格段に上がっている。
もしや練習したのだろうか。
なんとなく嫌な予感が頭を過り、カミュはその予感に導かれる世に質問をぶつけることにした。

「そういやお前、随分ダンスが上手くなったんだな」
「はい。いずれユグノアで戴冠式と舞踏会が行われることは聞いていたので、カミュさまに笑われないよう練習していたんです」
「へぇ、練習ねぇ。誰と?」
「それはもちろん、ラムダの里の男性たちに頼んで・・・」

そこまで言葉を紡いだところで、セーニャはハッとした。
自分の腰に回っているカミュの腕の力が、ほんの少しだけ強くなったのだ。
何も言わなくなってしまったカミュから発せられる空気感は少しだけぴりついていて、なんだか怖い。
後ろから抱きすくめられているセーニャには、背後にいる彼の表情をうかがい知ることは出来ない。
怒っているのだろうか。

「あの、カミュさま・・・?」
「・・・・・ん?」
「怒ってますか?」
「・・・・・怒ってねぇよ」

明らかに嘘である。
先ほどよりも声がワントーン低い。
抱き締められている力もだんだん強くなっている気がするし、どうして突然機嫌が悪くなってしまったのだろう。
気になったセーニャは身をよじり、彼と向かい合ってみることにした。
視界に入ってきたカミュの表情は不機嫌そのもので、怒っているというよりは拗ねているという表現が相応しい顔をしている。
見上げてくるセーニャにとうとう不機嫌を隠せなくなったカミュは、じとっとした瞳でこちらを見下ろしながらしぶしぶ口を開いた。

「さっきの男といいラムダの男どもといい、俺以外の男と踊りすぎじゃないのか?」

カミュのまるで子供のような言い草にあっけにとらてしまったセーニャ。
しばしの沈黙が訪れた後、耐えきれなくなってしまったセーニャはふふっと小さく噴き出した。

「何笑ってんだよ」
「だ、だって・・・ふふっ、お可愛らしくて」

口元を隠し、肩を震わせて笑うセーニャを、カミュはただただ拗ねた瞳で見つめるしかなかった。
普段は人付き合いがあっさりしていて、どこかドライな印象を受けるカミュ
そんな彼が、ただ一緒に踊っただけの名前も知らない男たちに、子供のようにやきもちを焼いている。
それがなんだか可愛くて、おかしくて、笑いがこみあげてしまったのだ。
大人げない嫉妬心だということはカミュも自覚している。
だからこそ必死で隠して黙っておこうと思ったのに、彼女が強引に顔を覗き込もうとするから白状する羽目になってしまった。
不機嫌な顔をもはや隠そうともしないカミュの顔を覗き込みながら、セーニャは実に楽しそうな笑みを浮かべてこう言い放った。

「私が踊りたかったのは、カミュさまただ一人ですわ」

どうして彼女はこうも、相手の心に一番刺さる言葉を繰り出すのが上手いのだろう。
その笑顔と言葉を向けられたら、どんなに汚い嫉妬心もきれいさっぱり浄化されてしまう。
セーニャの後頭部に手を添えたカミュは、そのまま彼女の頭を引き寄せた。
月に照らされた二人の影が重なり合う。
いったん離れた唇は、セーニャを解放することなく角度を変えて再び重なり合う。
それを繰り返していくうちに、カミュの胸の上に置かれたセーニャの両手に力が入る。
やがて数十秒の後、セーニャに胸を押されたカミュはようやく唇を離した。

「どうした?」
「は、恥ずかしくて・・・」
「あんなに大勢の前でキスしといて、今更か?」
「だ、だって・・・」

月の光しか光源がない中庭にいるというのに、セーニャの顔が赤く染まっていることだけはよく分かる。
カミュから視線を知らし、額をこんつと彼の肩口に寄せたセーニャは、抑えられない恥じらいを必死で隠すように声を絞り出した。

「今日のカミュさまは、王子様みたいに素敵で・・・。目が合うたびに、心臓が破裂してしまいそうになるんです」

素直すぎるセーニャの言葉に、カミュはむず痒さを覚えた。
王子様だなんて、自分には一番似合わない言葉だ。
けれど、いつもの自分なら絶対に着ないであろう黒のタキシード姿は、彼女の目には王子様に見えたのだろう。
本物の王子様には目もくれなかったくせに、元盗賊のエセ王子様には心惹かれるというのか。
彼女の男の趣味はよく分からないな。
当事者であるにも関わらず、カミュはそんなことを考えていた。
そして、未だ自分の肩に顔をうずめている彼女を引き離し、顔を覗き込んだカミュはあることを思い出した。
そういえば、まだ彼女にあの言葉を言っていなかった。

「セーニャ」
「は、はい」

たまには、彼女が好きな恋愛小説に出てくる王子様のような甘いアクションでも起こしてみようか。
思い立ったカミュは、セーニャの小さな耳に唇を寄せた。

「今日のセーニャ、すっげぇ綺麗だぜ」

目を見開くセーニャは、やはり顔を真っ赤に染めていた。
その顔を見つめながら、カミュは思う。
やっぱり王子様なんて、ガラじゃない。