【サトセレ】
■アニポケXY
■アニメ本編時間軸
■短編
燦々と輝いていた太陽が山々の陰に隠れ、月が辺りを照らし出したある夜のこと。
テーブルに並べられたご馳走の数々に、ユリーカは密かによだれを垂らす。
しばらく野宿が続いていたため、あまり豪勢な食事を取れていなかった。
ポケモンセンター特有の美味な料理を前に、ユリーカの腹は空腹で鳴き声を漏らす。
床にはピカチュウやテールナー、ホルビーらがポケモンフーズの入った皿を前に礼儀正しく座っている。
あとはみんなで手を合わせれば食事開始となるわけだが、セレナたちはそれを一向に出来ずにいた。
「まだかなぁ、サトシ」
そう呟くユリーカは、壁に掛けられた時計に視線を向ける。
19時を回ったばかりのポケモンセンター食堂は、たくさんのトレーナーで溢れ、活気に満ちていた。
そんな中、いつもはご飯となれば一目散に飛んでくるサトシだけがいない。
というのも、彼はこのポケモンセンターに到着するなり、ゲッコウガと共に特訓を始めてしまったのだ。
あれから2時間ほど経過しているにもかかわらず、一向に中断して戻る気配がない。
そんなサトシとゲッコウガに、セレナたち3人は大きな心配を寄せていた。
「最近のサトシ、ずいぶん頑張りますね」
「あんなにいっぱい特訓して、疲れないのかな?」
「………私、呼んでくる!」
特訓に精を出すのは実に結構。
しかし、このままではせっかく用意された料理が冷え切ってしまう。
それを気にしたセレナは、外のバトルフィールで特訓しているであろうサトシを呼んで来ようと、食卓から立ち上がる。
と、そんな彼女とほぼ同時に、ポケモンセンターの自動ドアが機械音と共に開いた。
中に入ってきたのはサトシである。
随分と疲れた様子で肩を落とし、カウンターに立つジョーイの元へと背中を丸めながら足を進める。
やがて手に持っていたモンスターボールをジョーイに預け、彼は一礼する。
恐らくあのボールの中身はゲッコウガだろう。
「回復お願いします」
「はい。お預かりします」
「サトシ!」
カウンターでジョーイとやりとりするサトシへと駆け寄るセレナ。
そんな彼女に気付き、彼は力無い笑みを見せた。
その笑顔は、いつものきらめきがなく、疲労感を漂わせている。
そんなサトシに少しだけ躊躇しながら、セレナは遠慮がちに口を開いてみた。
「大丈夫?」
「ん?ああ。ちょっと疲れたからもう休むよ」
「え?でも、ご飯……」
「あんまり食欲ないんだ。ごめんな」
言い終わる前に遠慮されてしまい、セレナはそれ以上何も言えなくなってしまう。
彼らしくない元気を欠いた姿は、セレナを不安にさせる。
そんな彼女の心情を知ってか知らずか、サトシはカウンター脇にある階段へと足早に去って行ってしまった。
この上にある宿泊部屋へ帰るのだろう。
去っていくその背はやけに小さく見える。
「ピカピ……」
少し離れた食卓でその様子を見ていたピカチュウは、主人の名前を心配そうに呟く。
しかし、その声はサトシに届くことはない。
一行のリーダー的存在であり、そしてムードメーカーでもある彼が不在の食卓は、いつもよりも冷たく感じた。
**********
204号室。
サトシたちの宿として割り当てられた部屋である。
クリーム色のその扉をコンコンとノックしてみるが、応答はない。
ゆっくりとドアノブに手をかけ、扉を開けてみるが、中は違和感を感じるほどに静かだ。
お盆に食器を乗せ、そっと中に入ったセレナは、なるべく音を立てないように奥へと進む。
4つ並んだベッドのうち1つ。
一番奥のベッドで、案の定サトシは眠っている。
急いで夕飯を食べ終えたセレナは、サトシの分の夕飯をお盆に乗せ、1人で部屋まで運んで来ていた。
迷惑に思われるかもしれないが、あんなふうに疲れたような表情を見せられたら、気になって仕方がなくなってしまう。
ピカチュウも一緒に行きたいと主張してきたが、彼はまだご飯を食べている真っ最中だったため、置いてきた。
スヤスヤと眠っているサトシの寝顔はこれ以上ないほどに安らかで、その様子見てセレナはクスッと笑ってしまう。
音が鳴らないよう、彼を起こさないよう、そっとベッド横のサイドテーブルへとお盆を乗せようとするセレナ。
しかし、そんなセレナの気遣いも、食器同士が触れ合う“カチャカチャ”という音のおかげで水泡に帰してしまう。
予想以上に大きく鳴ってしまったその音は、サトシの安らかな眠りを妨げる原因となってしまった。
「んんっ……」
僅かに吐息を漏らし、体を縮こませるサトシ。
ああ、まずい。
起こすつもりなんてなかったのに。
申し訳なく思いながら視線を彼に向けてみれば、向こうも眠気で半開きな目をこちらに向けてくる。
「セレナ……?」
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
「んー」
眠気まなこを擦りながら上半身を起こすサトシは、いつもの帽子と上着を脱ぎ、黒いTシャツ姿で眠っていた。
どうやら寝間着に着替える手間を惜しむほど疲れていたらしい。
それなら悪いことをしたなと、セレナは視線を落とす。
旅をしている身として、1日3度の食事は重要なエネルギー要因となる。
それを省いては健康に良くない。
そんな気遣いから、せめて少量でもと思い、半分ほどの量を盛り付けてお盆に乗せたのだ。
「それは?」
「お夕飯。少しでも食べた方がいいと思って」
「ああ、サンキュー。あとで食べるよ」
“ふあぁ”と欠伸をこぼすサトシは、目の端に涙を溜めていた。
やはりこの数十分の睡眠では、疲労は完全に取れないらしい。
彼の表情からは、まだ疲労の色が感じられる。
“俺はゲッコウガになる”
数日前にそう宣言して以来、彼は毎日のようにゲッコウガと共にキツイ特訓に励んでいる。
特訓中倒れ込んでしまうことも時にはあった。
そんなサトシを、セレナは心配せずにはいられない。
「大丈夫?」
疲労した彼にそんな言葉をかけてみれば、サトシはまた力のない笑みを向けてくる。
その笑顔からはやはり疲労感がにじみ出ており、セレナを心配させてしまう。
「んー。やっぱりシンクロは体力使うみたいでさ。身体中バキバキだよ」
肩を回しながら言うサトシ。
コキコキという痛々しい音がこちらにまで聞こえてくるその光景は、セレナにある提案をさせた。
「ねぇサトシ。マッサージしてあげよっか。私、結構得意なの」
余計なお世話だろうか。
そんなことを思って一瞬だけ躊躇ったものの、それでも彼の力になれればと、セレナはニッコリ微笑んだ。
唐突な彼女の提案はサトシを驚かせるが、疲れきった体に、彼女のマッサージはいい薬になるだろう。
サトシはセレナの提案に甘えることにした。
ベッドの上で胡座をかくサトシ。
そのすぐ後ろで膝立ちするセレナ。
彼女の両手はサトシの肩に乗り、強い力でその筋肉をほぐしている。
固く凝り固まったその筋肉は、サトシの体に溜まった疲れの大きさを表していた。
“んあー”と力の抜けた声を出すサトシがなんだかおかしくて、セレナは彼の肩を揉みながらケタケタと笑ってしまう。
「ふふふっ、ほんっとに疲れてたのね」
「まぁな」
「あんまり無茶しないでよね」
旅の中で、何度この言葉を彼にかけたことだろう。
彼はポケモンやバトルのこととなると、無茶をしすぎる傾向にある。
そんな想い人の性格に、セレナは前々から大きな尊敬と小さな不安を抱いていた。
いつもは必ず頷いてくれる彼だが、何故か今日に限って返事が無い。
様子がおかしいサトシに、セレナはその肩をほぐしながら首をかしげた。
数秒間の沈黙があったのち、今度はサトシの方からその静けさを破ることとなる。
それも、囁くような、弱々しい声で。
「セレナ」
「ん?」
「俺、きちんとゲッコウガとひとつになれると思うか?」
彼の言葉を聞き、セレナは肩を揉む手をピタリと止める。
彼女がほんの小さな反応を示したことには気付いていたが、サトシはあえて様子を見るため振り返るような行動はとらなかった。
今、きっと自分は情けない顔をしている。
そんな顔を、彼女に見せるのが怖かったから。
今更そんなクダラナイ見栄を張るくらいなら、最初からこんな事聞かなければよかったのに。
ほとんど無意識に口から飛び出してしまった言葉に、サトシは後悔の念を抱いていた。
「不安なの?」
「少しな」
その声色は低く、哀愁に満ちている。
“不安”などという言葉は、サトシには一生縁のない言葉だと思っていた。
けれど、それはセレナが抱いていた都合のいい幻想に過ぎない。
彼女が大きな憧れを抱くサトシにも、不安だとか不可能だとか、そんな負の感情も存在するのだ。
それを押し殺すのは簡単な事だが、吐き出す事は難しい。
サトシは今、自分相手に己の不安を吐露しようとしているのかもしれない。
そう思ったセレナは、少しだけ言葉を選んで口を開く。
ゆっくりと、なるべく彼の心に深く届くよう、優しい声を紡ぎ出す。
「サトシは強いし、絶対ゲッコウガとのシンクロをモノにできるって信じてるよ。でもね…」
「ん?」
「あんまり頑張りすぎると、いつか爆発しちゃうと思うの。だから、その……少しは、甘えてくれてもいいのよ?」
サトシの丸い背に頭をポスンと寄せれば、彼のぬくもりが額に伝わってくる。
彼は強い。
肉体的にも、そして精神的にも。
その強さに、自分をはじめとする旅仲間は甘えてしまっている節がある。
いつも甘えるだけでは、彼に申し訳ない。
できる事ならば、自分も彼の力になりたい。
そんなセレナの心が、言葉となって、サトシの背中にぶつかってゆく。
このきもち、このこえ、このぬくもりが、背中越しに彼へと伝わっているのだろうか。
セレナのそんな杞憂を知ってか知らずか、サトシは何かを思い立ったように背筋を伸ばした。
「甘える、か。……じゃあ、ひとつだけ頼んでいいか?」
少しの迷いと大きな遠慮が孕んだサトシの言葉は、弱々しいものだった。
ゆっくりと体を反転させ、セレナと向き合うサトシ。
まっすぐ向けられた目は、いつもの強気なものなどではなく、すがりつくような、そんな切なげなものだった。
どうしてだろう。
その目を見ていると、彼の頭を優しく撫でてやりたくなる。
頬にそっと触れてやりたくなる。
体をふわりと包み込んでやりたくなる。
普段、憧れや尊敬の念を向けているサトシ相手に、こんな感情を抱くのは初めてだった。
こういうのを、“ボセイホンノウ”というのだろうか。
「また、俺が不安になったら、言って欲しいんだ。お前なら出来るって」
口にした“頼み”というものは、セレナの予想に反して軽いものだった。
その程度かと思ってしまうが、きっとサトシにとっては大きな頼みなのだろう。
彼の真剣な表情が、それを物語っている。
自分の本心を口にするだけで、彼の力になれるのなら、きっと何度だって言えるだろう。
彼の心の拠り所となるために。
「……うん。出来るよ。サトシなら出来る。絶対に。私、信じてるから」
柔らかく、そして優しく笑いかけてくるセレナを見ていると、心の奥からジワジワと温かいものが溢れてくる。
肩に乗った大きな疲れが、一気に溶けていくような気がした。
彼女の一言で心がふわりと軽くなる。
心に降り注いでいた不安の雨が、途端に晴天へと変わっていく。
何故、セレナの言葉はこんなにも自分を楽にさせるのだろう。
サトシは彼女の頭にそっと手を乗せると、優しくその髪を撫でてみた。
サラサラな髪はよく指に馴染む。
彼の行動はセレナにとって予期していなかったものであり、彼女は一瞬だけ目を見開いた。
そんな彼女の頬が少しだけ赤らんでいることに、どこまでも鈍感なサトシは気付くはずもない。
「不思議だな。セレナにそう言われると、なんだか自信がわいてくる」
それは、サトシの本心であった。
優しく微笑みかけながら溢れたその言葉は、セレナをどうしようもなく喜ばせてしまう。
ああ、私はちゃんと、サトシの心の中にいる。
まっすぐこちらを見つめてくる彼の瞳には、セレナの姿がはっきりと写っていた。
強くて、かっこよくて、そして優しいサトシ。
そんな彼が、いつか不安に押しつぶされそうになった時は、その背をそっと押して、言葉をかけてやりたい。
きっと、世間ではそういう行動を“甘やかす”と言うのだろうが、それでもいい。
彼の力になれるなら。
彼の支えになれるなら。
そんなやりとりの後に、サトシはセレナが持って来た夕飯に手をつけた。
時間が経ってしまったその料理たちは悲しいほどに冷たくなっていて、“美味しくないな”とふたりで笑い合う。
冷たくなった白米を口に運びながら、サトシはふと思った。
そういえば、自分が迷ったときには、セレナがいつも隣にいてくれたな、と。
そして、また2人の新しい朝はやってくる。
エイセツシティまで、もうすぐだ。
END