Mizudori’s home

二次創作まとめ

きめらのつばさが見つからないっ!

カミュセニャ】

ドラクエ11

■ゲーム本編時間軸

■短編

 


「勇者イレブンの連れ立ち、カミュさまに、クレイモラン王国から報奨金を授与いたします。ここに、魔王ウルノーガ、および邪神を討伐した功績をたたえます。よくやってくれましたね。クレイモランにゆかりがある貴方の活躍、ここから嬉しく思います」
「ありがとうございます。シャール女王陛下」

それは、邪神討伐を果たした数日後のことだった。
辛苦を共にした仲間たちと別れ、クレイモランに置いて来たマヤに会うためこの街を訪れたカミュは、城の衛兵に促されシャールの御前に案内された。
そこで告げられたのは、クレイモランに縁深いカミュの活躍をたたえ、報奨金を与えたいという旨の話だった。

魔王や邪神が討伐されたことで救われた人間は多い。
クレイモランを納める若き女王シャールや、この国に住む多くの民も例外ではない。
国民たちは世界に平和をもたらした勇者その仲間たちに大いに感謝している。
なかでもクレイモランに縁ゆかりがあるカミュに対して敬意を示す者が多いのは言うまでもないだろう。
そんな国民の総意に沿って、シャールは彼に褒美を取らせることにした。
カミュ本人はこの事態を予見していなかったようだが。

「そんなにかしこまらないでください。私やこの国の国民は、貴方たちに何度も救われたんですから」
「いや。さすがに報奨金くれる女王様にはかしこまらないとな」

膝をつき、頭を垂れていたカミュは、女王に促されて顔を上げる。
かつてバイキングにいたころは、こうして王族に謁見するなどありえないことだった。
この激動の数年は、カミュの地位を大きく押し上げた。
イレブンをはじめとする他の仲間たちは元々、元王族であったり聖地の賢者様であったり、はたまた人気旅芸人だったりと、華々しい地位を持っている。
あの旅でここまで周囲の環境が変わったのは、恐らくカミュだけだろう。

「それで、これからどうするおつもりで?もともとバイキングの出だと聞いていましたが、そちらに戻られるのですか?」
「いや。この報奨金のお陰でその必要はなくなったよ。マヤも救い出せたことだし、このクレイモランに暫く腰を落ち着かせようかと」
「そうですか。ならばひとつ、ご提案があるのですが・・・」


********************


クレイモラン城周辺の路地を、カミュは一人の少女と共に歩いていた。
かつて勇者と共に旅をしていたセーニャである。
寒さ厳しいクレイモランの気候に対抗し、マフラーに手袋にニットの帽子まで身に着けてきた彼女は、肩をすくめながらカミュの一歩後ろを歩いていた。

「シャール様の護衛隊長ですか。重要な任ですね」
「まぁ、まだ正式に返事はしてないんだけどな」

黒のコートにマフラーだけを身に着けたカミュが、白い息を吐きだしながら笑う。
シャールから提案されたのは、自身の護衛隊長にならないかというものだった。
すでに、かつてこのクレイモランを氷漬けにした魔物、リーズレットが彼女の片翼としてその身を守っているが、もう一人、実力のある人間を対として置いておくべきだと近衛兵たちから常々進言されていたとのこと。
勇者の連れ立ちだったうえ、このクレイモランに縁深いカミュは適任だったというわけだ。

「どうしてすぐに返事をなさらないんです?」
「一緒にお宝探しの旅をしようってマヤとの約束があったからな。その任務を引き受けちまったら、しばらく旅には出れなくなるだろ?」

魔王ウルノーガを倒したら、一緒に旅に出よう。
カミュは、黄金化によって貴重な5年間を失ってしまった妹にそう約束していた。
彼女の黄金化の呪いは解けたものの、衝動にかられ彼女を置いて逃げてしまった過去を未だに悔いていたカミュ
彼女の失われた5年間を埋めるため、カミュはできるだけ妹の望みをかなえてやりたいと考えていた。
共に旅をするという約束を優先し、シャールの提案を保留したのもそのため。
シャールの護衛隊長になれば、カミュの将来は安泰だろう。
だが、それは同時にマヤとの約束を棒に振るということにつながる。
それだけは避けたかった。

「お優しいのですね、カミュさまは」
「どこがだよ。あいつを見殺しにして5年間も放置してた酷い兄貴だってのに」
「でも、こうして私に家庭教師を依頼したのも、マヤさまのためなのでしょう?」

カミュは、クレイモランに腰を落ち着けてすぐ、セーニャに手紙を出していた。
内容は、しばらくマヤの家庭教師として定期的にクレイモランに来てくれないかというもの。
幼い頃からバイキングの一員として育ってきたマヤには教養がない。
旅に出る前に、一人の女性として後々恥をかかない程度の教養を身につけさせたいというカミュの考えによるものだった。
勇者を導くという役目を終え、暇を持て余していたセーニャはその頼みを二つ返事で了承。
そして初日の今日にいたるというわけである。

「悪かったな、無理言って来てもらって。マルティナに頼もうかとも思ったんだけど、まさか一国の姫様に家庭教師なんて頼めるわけないし」
「構いませんわ。私もお役目を終えて暇を持て余していましたし」

クレイモランからラムダまでは少々距離がある。
雪山を超えなくてはならないし、簡単に行き来できるような距離ではない。
だが、勇者イレブンと共に旅をしていた頃大量に入手したキメラのつばさを使えば、行き来は難しくもなくなる。
今日もキメラのつばさでクレイモランまでやってきたセーニャを迎えに来たカミュ
街の中心部を抜け、城の裏手に広がる住宅街にある借家まで案内する。
そこがカミュとマヤの仮の住まいである。

「ありがとな、セーニャ。ホント助かるよ。あとは、マヤの奴が行儀よくお前の講義を聞いてくれるかだな」

困ったような笑顔を見せながら、カミュは寒さで冷え切っている家のドアノブを握った。
カミュとマヤの家は、とても新しいとは言えない外観だったが、壁に埋め込まれている美しいステンドグラスのお陰でクレイモランの街並みにしっかり溶け込んでいる。
小ぶりな家の扉を開けると、暖かい空気が二人の体を包み込んだ。

「マヤ、帰ったぞ」

コートを脱ぎ、妹を呼ぶカミュ
玄関先で立ち止まったまま、セーニャはきょろきょろと家の中を観察してみた。
天井からぶら下がる暖色の明かり。
リビングに鎮座する存在感のあるレンガ造りの暖炉。
外の冷たい空気を取り払ってくれそうな、グレーの温かみがあるカーペット。
厳かな町であるラムダの白い家とはまた違う、趣のあるこの暖かい家は、妙に居心地がいい。

ふと、玄関に置かれている小さなチェストの上に視線が向く。
そこには一つの写真立てが置いてある。
旅の終わりに、イシの村で仲間たちと撮った写真である。
この写真を家に飾っていることも、飾ってある場所すらも自分の家と同じ。
彼もこの思い出を大切にしてくれているのだということを知り、セーニャの胸は暖かくなった。

すると、二階へと伸びる階段から小さな足音が聞こえてきた。
階段の手すりに身を隠すようにして遠慮がちにこちらを見つめている影が一つ。
本日からセーニャの生徒となるカミュの妹、マヤである。

「マヤ、そんなとこにいたのか。ほら、セーニャに挨拶しろよ」
「・・・・・・」

恨めし気に見つめてくるマヤに、カミュは深く大きなため息をついた。
彼女は昔から、躾のなっていない野良猫のように他人を必要以上に威嚇するところがある。
たとえそれが兄の友人であったとしても、その威嚇スキルはいかんなく発揮されてしまう。
カミュとしては、せっかく時間をつくって勉強を教えてくれるセーニャに、マヤが失礼な態度を取ることだけが心配だった。

「お久しぶりです、マヤさま。今日からマヤさまのお勉強を見させていただきます、セーニャです。よろしくお願いします」
「・・・・・」

一礼しながらマヤに挨拶するセーニャだったが、恨めし気な視線が注がれるだけで返事はない。
相変わらずぶっきらぼうな妹にいら立ちを覚えたカミュは顔をしかめ、階段の途中で立ち止まっているマヤの腕を取り、半ば強引にリビングに降り立たせる。

「おいこら。せっかくセーニャが来てくれたってのに、挨拶くらいしろよな」
「・・・別に頼んでねぇし。兄貴が勝手に頼んだんだろ?」
「マヤ、お前なぁ・・・!」
「ま、まぁまぁ、カミュさま。気乗りしないのはよく分かりますから。楽しい授業になるよう、私も全力で努めますね、マヤさま」

今にも妹に噛みつきそうなカミュの腕に手を添え、そっと彼を止めるセーニャ。
そんな彼女が微笑みかけても、マヤはふいっと顔を背けるばかりで、愛想は愚か言葉ひとつすらセーニャとかわそうとはしなかった。


********************


魔導書、地理学書、古文書。
持ち込んだ様々な参考書を広げ、セーニャはつらつらと学問のイロハを唱える。
生徒であるマヤが何に興味を示すのか分からなかったため、多方面からいろいろな学問を味見させてみているが、マヤはずっと頬杖をついたまま上の空。
何にも興味を示していないようだった。
さてこれはなかなか手ごわい生徒である。
どうすれば彼女の興味を惹けるだろう。
魔法の唱え方についてつらつら教えながらも、マヤの攻略法を考えていた。

「では、次のジバルンバの唱え方ですね。これはお兄様も使っていらっしゃる呪文で・・・」
「あのさ、あんたって、兄貴の女なの?」
「え?」

マヤから投げかけられた初めての言葉だった。
隣に座っているセーニャとは反対側の窓をじっと見ていたマヤが、感情のない顔でセーニャをまっすぐ見つめてくる。

「あの、“女”、とは?」
「兄貴と付き合ってんの?」

カミュと同じ色をした瞳が、セーニャを貫く。
その目で見つめられたら、心臓が無条件で騒ぎ出す。
鼓動が言葉を急かし、嘘をつけなくなってしまう。
彼女は妹であって、思い焦がれるカミュその人ではないというのに、彼と同じ青い瞳で射抜かれただけでこんなにも動揺してしまうだなんて。

「あの、えっと・・・別に、お付き合いしているわけでは・・・」
「付き合ってもないのにわざわざこのクッソ寒いここまで来て家庭教師なんてやってんのかよ。しかもあのドケチな兄貴のことだから、報酬とかないんだろ?」
「それはまぁ・・・ありませんけど・・・」

仲間のよしみ。ということで、この家庭教師の話をされたとき、報酬の話など一切出なかった。
もちろんセーニャとしては報酬など貰う必要はないと考えていたが、確かに冷静に考えて報酬もなしに雪山を超えてまで家庭教師をしに来るのは不自然なのかもしれない。
それを良しと思えたのは、セーニャが依頼主であるカミュに恋焦がれていた故か。

「普通に考えて、ただのトモダチの、それもその妹にそこまでする義理ないだろ?」

マヤの言葉に、返す言葉も見つからない。
両手の上に広げていた魔導書をそっと閉じたセーニャは、深く深呼吸して何かを決心したように口を開いた。

「お付き合いはしていません。ただ・・・私が一方的にお慕いしているだけで・・・」

頬を染め、言いづらそうに俯いているセーニャは実に女性的で清楚である。
そんな女性に、あの兄が好かれていると思うとなんだか腹が立つ。
がさつで、粗暴。
清楚や上品とは程遠い兄は、どう考えても目の前の品と清らかさの権化たりうるセーニャとは釣り合わない。
一体兄のどこがいいというのだろう。

「あんなクソ兄貴のどこがいいんだ?そりゃあ勇者の相棒ってことで少し名前は売れたけど、元バイキングの手下で盗賊だったわけだし、後ろ暗い過去ありまくりなのに」
「確かに華々しい経歴とは言い難いかもしれませんが、私は知っています。カミュさまの苦労に苦労を重ねた過去を。そして、妹想いのとてもお優しい方だということも」

カミュがバイキングの一員だったこと、盗賊になった経緯。
そのすべてを、セーニャは以前旅の途中でカミュ本人から聞いていた。
同情を禁じ得ないその経緯に涙しそうになってしまったことは記憶に新しい。
彼に恋心を抱き始めたのも、あの時がきっかけだった。
妹を助けるために身を削る彼に、敬愛してやまない姉の影を見たからなのかもしれない。

カミュさまは、いずれマヤさまが大切なお方と添い遂げるときに恥をかくことがないよう、教養を身につけさせたいと仰っていました。この家も、マヤさまが本当の意味で落ち着ける場所を作ってあげたかったから借りたそうです。自分のことなど二の次で、妹のことを優先されるところが、カミュさまの素敵なところです」

カミュは、妹を5年間も黄金化したまま放置してしまったことへの贖罪のためイレブンとの旅に同行していた。
魔王を倒した後は、妹の失われた5年間を埋めるために金銭や時間を惜しまず使っている。
憎まれ口をたたきながら、最後は自分に手を伸ばしてくれる優しい姉と同じだった。
マヤに向けられるカミュぶっきらぼうな優しさを見るたび、セーニャはいつしか彼に恋焦がれるようなったのだ。
ほのかに頬を染めながら笑うセーニャの言葉を聞いていたマヤは、なんだか背中のあたりが痒くなったような気がして視線を逸らす。

「ったく、お節介なんだよな、兄貴は」

呟かれた言葉には、少々の照れが混ざっていた。
兄が何においても自分を優先的に考えて行動していることは自覚していた。
シャールからの報奨金があるとはいえ、城から近い一等地に家を構えたのも、セーニャという家庭教師を用意したのも自分のため。
そんな兄のやさしさに素直に甘えられないことが、急に恥ずかしくなってしまった。

「まぁ、ちゃんと勉強しないと後で兄貴にグチグチ言われるだろうし・・・。ちゃんとやるか」

それまで全くやる気も興味も示してこなかったマヤだったが、ペンを片手にノートを開き、文字を書く構えを見せた。
少しだけ赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いているマヤの横顔は、カミュのそれによく似ている。
兄と同じでぶっきらぼうな彼女が微笑ましくて、セーニャは口元に笑みを浮かべながら小さく頷いた。


********************


月が浮かぶ夜。
寒さ厳しいクレイモランは空気が澄んでいるためか、星が良く見える。
カミュが作った夕飯を食べた後、セーニャはラムダに帰るための支度をしていた。
コートを羽織り、マフラーを巻いて手袋をする。
その帰り支度を、横でカミュが手伝っている。
リビングで繰り広げられるそんな光景を、マヤは食卓に座りながらぼーっと眺めていた。

「忘れもんないか?」
「はい。大丈夫です」
「やっぱり送ってく。外寒いし」
「いえ、大丈夫です。帰りの分のキメラのつばさも持ってきていますから」

セーニャは持ってきていた小さな鞄から、キメラのつばさを取り出した。
用意がいい彼女の言葉に“そうか”と返した兄の声が、いつもよりワントーン落ちている気がしたのは気のせいだろうか。

「じゃあ、また来週頼む」
「はい。ではまた・・・。マヤさま、また来ますね」
「おう!じゃーなー!」

手を振ると、セーニャはニコリと微笑んで小さく手を振り返してきた。
セーニャがマヤに勉強を教えるためにこの家を訪れるのは週に一度。
つまり次に彼女に会えるのは来週ということになる。
昼間のやりとりで打ち解けることが出来たマヤにとっては少々寂しい。
そんなマヤの気持ちなど知る由もないセーニャは、玄関の扉を開けてそそくさと出て行ってしまった。

降り注ぐ雪の中、セーニャの背は遠ざかってゆく。
彼女を見送るカミュは玄関を開け放ったまま何故か固まっていた。
外の冷たい空気が家の中に入り、体をあっという間に冷やしてしまう。
何故いつまで経っても兄は玄関を閉めないのだろう。
固まったまま動かない兄を不審に思い、マヤは食卓から立ち上がって彼に近づいた。

「おい兄貴!いつまで開けっ放しにして・・・」

玄関を閉めようと手を伸ばし、ついでにカミュの顔を覗き込んでみたマヤは言葉を失ってしまった。
小さくなっていくセーニャの背を見つめる兄の目は、どこか寂しそうで、悲しそうで、切なげなものだった。
まるで後ろ髪惹かれるかのような顔。
慈愛に包まれた瞳。
兄らしくもないその顔と瞳が、セーニャの背に向かって“いかないで”と叫んでいる。
これではまるで、兄貴もセーニャのことを・・・。

「おにい、ちゃん・・・?」
「・・・あ、悪い。寒かったよな」

マヤから声をかけられたカミュは我に返り、急いで玄関の扉を閉める。
がちゃりと音が鳴ったことを確認すると、カミュはいそいそとリビングに戻り、食卓に並べられた食器たちを片付け始めた。
まるで何かをごまかすようにてきぱきと片づけをこなすカミュの姿を見ていると、一つの仮説が思い浮かぶ。

「あのさ」
「ん?」
「兄貴、セーニャのこと好きなの?」

ガシャン。
シンクで食器を洗っていたカミュの手から、コップが滑り落ちる。
幸い手を滑らせた場所からシンクまでは高低差がほとんどなかったため割れはしなかったが、大き目の音がリビングとキッチンに響いた。
フリーズするカミュ
だが、すぐにコップを拾い上げるとスポンジを押し付けてこすり始めた。

「何馬鹿な事言ってんだよ」
「だって今・・・」
「俺たちはただの仲間。そういうんじゃねぇって。ガキが大人の事情に首突っ込むなよな」

笑いながら軽口をたたくカミュ
兄の言葉に少なからず苛立ちを覚えたマヤは、むっと眉をひそめる。

「誰がガキだよこのクソ兄貴!」

怒号をひとつ飛ばすと、どたどたと大きな足音を鳴らしながら2階の自室へと戻っていった。
洗い物をしながらその背を見送ったカミュは、すべての食器を洗い終えると手の水滴を振り払い、タオルで手を拭きリビングの食卓へと腰かける。
壁にかけてあるスライム絵柄のカレンダーをじっと見つめ、密かにため息をついた。

「来週・・・あと七日、か・・・」

遠いな。
カミュの心のつぶやきは誰にも聞かれることなく、クレイモランの冷たい空気の中に溶けていった。


*********************


あれから数週間。
相変わらず、セーニャがカミュの家に通い詰めて家庭教師を務める日々は続いていた。
最初こそ机に向かうことに抵抗を見せていたマヤだったが、回数を重ねるごとに彼女は徐々にやる気を見せていき、今では地理学や古文書学に興味を示しているようである。
それを察したセーニャにより、この二学問を中心的に教え込んだ結果、マヤの成績はみるみるうちに伸びていった。
今日もまた、古文書学の応用を教えるためにセーニャは教鞭をとる。

「はーっ、なんか疲れた・・・」

先ほどまで熱心にノートを取っていたマヤだったが、ついに疲労感に負けてしまったようで、机の上に突っ伏してしまう。
マヤの腕が当たり、ペンケースが倒れて床に散らばってしまった。
乱雑に落ちているペンを拾いながら壁掛け時計に視線を向けたセーニャは、時刻がもう夕方を指していることに気が付いた。
4時間以上ぶっ続けで授業をしてしまっていたらしい。
今まで音をあげずによく頑張ったなと感心しつつ、セーニャは古文書学の教科書を閉じた。

「もうこんな時間ですか。少し休憩にしましょう」

教え手に休憩を命じられたマヤは素直に返事をすると、両手を天井に向かって伸ばし、体の骨を鳴らす。
ずっと同じ体制で机に向かっていたせいか体が凝ってしまって仕方がない。
椅子から立ち上がり、マヤは背後に置いてあるベッドに体を沈める。
さてお手洗いでも借りようかと自分も席を立ったセーニャは、マヤの自室から出て1階へと向かった。
ベッドに入り、しばらくぼーっと天井を眺めていたマヤ。
しかし10分経っても20分経っても戻ってこないセーニャを不審に思い、様子を見に行くためにいそいそとベッドを出た。

部屋を出て階段を降り始めると、いい匂いが鼻腔をくすぐる。
1階のキッチンで兄が夕食でも作っているのだろう。
キッチンの様子をこっそりと伺ってみると、そこにいるであろうカミュのほかに、セーニャの声までもが聞こえてきた。
何故だか、二人並んでキッチンに立っている。

「セーニャ、野菜切るの上手くなったな」
「ほんとですか?練習した甲斐がありました。・・・あっ」
「ん?どうした?」
「すみません。玉ねぎが目に染みて、涙が・・・」
「大丈夫か?いったん手止めろ。拭いてやるから」

鍋をかき混ぜていたカミュが火を止め、脇に置いてあったティッシュを1枚引き抜くと、セーニャの大きな瞳から零れ落ちそうになっている涙を優しく拭った。
まるで割れ物に触れるような優しい手つき。
あの兄が、女に対してあんなにやさしい扱いが出来るなんて知らなかった。
好きな人に涙を拭ってもらったセーニャは、同性のマヤでさえ見惚れるようなきれいな笑顔でお礼を言っている。
端から見ていても、セーニャのカミュに対する態度は分かりやすすぎる。
兄は気付いていないのだろうか。
あんなにも好意を向けられているのに。

マヤはカミュとセーニャに声をかけることなく、2階の自室へと戻った。
そして、勉強机の脇に置かれているセーニャのカバンを取り上げ、中を探る。
バイキングにいたころ、見ず知らずの人間たちの懐をまさぐって金品を盗み出すことは何度もしてきたが、こうして罪悪感を抱くのは初めてだった。
やがて、目当てのものを探し出す。

「あった」

取り出したのはキメラのつばさ
セーニャが毎回帰り用に持ってきているものである。
この後はきっと、ほんの少しまた勉強をして夕食を食べ、そして完全に夜になった時間帯にセーニャは帰るだろう。
いつもこのキメラのつばさを使ってラムダまで飛んでいた彼女の鞄から、これがなくなったらどういう事態になるのか、聡明なマヤには簡単に想像がついた。


********************


「あれ?おかしいですね・・・」

夕食を食べ終わった後、いつも通りラムダに帰るためキメラのつばさを探していたセーニャ。
しかし、どれだけ鞄を探してもそこにあるはずはない。
何故なら、セーニャの真正面に座っているマヤが隠し持っているからだ。
そうとは知らず、焦った様子で鞄やポケットの中身を探し続けるセーニャに、カミュは“どうした?”と声をかけた。

キメラのつばさが見当たらないんです。持ってきたはずなのに・・・」
「忘れたんじゃねぇの?そういうミス、誰にでもあるだろ」

と言いつつ、自分のポケットにしまい込んであるものを確認するマヤ。
そこにはきちんと小さなキメラのつばさが入っている。
今のところバレてはいないようだ。
あと一押し。
マヤは自分の隣で葡萄酒に口をつけていたカミュに、“セーニャを送って行ってやれよ”と進言すべく口を開いた。

「兄貴、セーニャのこと送って―――」
「じゃあ、ラムダまで俺が送っていく」
「「えっ」」

マヤが促すまでもなく、自身から送迎を提案してきたカミュの言葉に、マヤとセーニャの声が重複する。
グラスに入っていた僅かな葡萄酒を一気に飲み干したカミュは、そそくさと立ち上がり、クローゼットから革製の外套を取り出し袖を通した。

「あ、あの・・・もう夜遅いですし、送っていただのはご迷惑かと・・・」
「夜遅いからこそ送るんだろ?途中の雪原で魔物に襲われでもしたらどうすんだ」
「でも、今から送っていただくとなると丸一日かかりますし、クレイモランに戻れるのは早くて明日の朝になってしまいますよ?」
「セーニャを送った後にラムダの道具屋でキメラのつばさを買えば今日中には戻って来れるだろ。まぁ深夜にはなるだろうけど。マヤ、一人で留守番できるだろ?」
「え?あ、うん」

普段は過保護で心配性な兄だが、何故だか今日に限っては妙に信頼されている。
有無も言わさぬ勢いで同意を求めてくる兄に首を縦に振ってみると、彼は小さく笑っていた。
どうやらマヤが丁寧におぜん立てしなくても、兄は据え膳は迷わず食うタイプだったらしい。

「そうですか?では、お願いします」
「おう」

照れたように顔を赤く染め、セーニャは立ち上がった。
コートを羽織り、マフラーを巻いて手袋をする。
厚着をした二人が、並んで玄関へと歩いていく。

「じゃあ、行ってくる」
「マヤさま、また来週」

食卓に座ったままのマヤに手を振るセーニャの腰を支えながら、カミュは彼女を送るため家を出た。
がちゃりと扉が閉まった瞬間、家の中は異様な静けさに包まれる。
先ほどまでカミュが座っていた横の席を見てみると、グラスは空になっているもののボトルの中にはまだ半分ほど葡萄酒が残っていた。
確かこの酒は、兄が昨日シルビアから貰ったという美味で有名なもの。
兄はこの酒を今夜飲むことを楽しみにしていた。
まだ酔ったようには見えなかったし、今日中にこのボトルを空にしてしまう予定だったに違いない。
なかなか手に入らない美味な酒を放り出し、わざわざラムダまでセーニャを送りに行ってしまった兄。
やはり彼は。きっとセーニャのことを・・・。

「はぁ、馬鹿兄貴。さっさと好きだって言えばいいのに」

何を恐れているのかは知らないが、兄はこういうことには臆病すぎる。
肩から抜けるように息を吐き、マヤは席を立った。
さて、このポケットに忍ばせたキメラのつばさはどうしたものか。
兄に見つかればきっと怒られるし、どこか見つからない場所に隠さなければ。
とりあえず箪笥の奥にでも入れておくか。
そう思い、リビングの箪笥の一番上を開けたマヤは目を丸くした。
そこに大切そうに仕舞ってあったのは薄紫色の冊子。
表紙には上品な字体で“メダル女学園”と印字されている。

この学園のことは知っている。
名家の子女たちが通う全寮制の女子高。
兄たちが魔王討伐の旅をしていた頃、この学園の校長にはいろいろと世話になったとも聞いていた。
何故、この家にメダル女学園のパンフレットなどがあるのだろうか。

“いずれマヤさまが大切なお方と添い遂げるときに恥をかくことがないように教養を身につけさせたいと仰っていました”

セーニャの言葉が脳内で木霊する。
兄は妹である自分に教養を身に着けさせようとしていた。
そして、この引き出しに隠されていたように全寮制の女子高のパンフレットが入っていた。
もしかすると兄は、自分をこの学校に入れようと思っているのではないだろうか。
全寮制のこの学校に。

そう。兄はきっとセーニャに恋心を抱いている。
そしてそれはセーニャも同じ。
妹が寮に入ればこの家は兄だけのものになる。
そうなれば、きっと兄は気兼ねなくセーニャを毎日のようにこの家に呼べることだろう。
もしかして、兄が妹に教養をつけてほしがっているというのは単なる大義名分で、本当は邪魔ものである自分を厄介払いするために・・・。

「・・・っ」

冊子を握る手に力が入る。
約束したのに。
いつか、一緒に旅をしようと約束したのに。
黄金化して、迷惑をかけた妹の存在なんて、やっぱり邪魔でしかなかったんだ。
当たり前か。
おれは5年間も黄金化していてまだ子供のままだけど、兄は5年の間に大人へと成長している。
少年とは言い難い年齢にまで達してしまった兄には、大人としての幸せを求める権利がある。
きっとその幸せの中に、おれという存在は必要ないんだ。

マヤは手にしていたメダル女学園のパンフレットを食卓に投げつけるように置き、クローゼットから外套を取り出して羽織ると、飛び出すように家の外に出た。
行く宛などない。
けれど、もうこの家にはいたくなかった。


********************


夜が明けてすぐ、セーニャはすぐにキメラのつばさを使ってクレイモランに戻ってきた。
彼女が最後にカミュの家を訪れたのは昨日のこと。
カミュにラムダまで送ってもらった後、キメラのつばさですぐにクレイモランに戻ったはずの彼は、数分経ってからまたすぐにラムダに戻り、妹がいなくなったと青い顔で知らせてきた。
セーニャのもとに来ていないかと聞かれたが、無論マヤは来ていない。
夜が明け、クレイモランに戻ったセーニャは、必死で妹を探すカミュに鉢合わせた。

「セーニャ、わざわざ来てくれたのか」
「はい。私もマヤさまが心配だったので・・・」

マヤがいなくなったと知らせを受けた昨晩、セーニャはどうしても眠れなかった。
もしかしたら、あの家にマヤしかいなくなった隙を狙って誘拐されたのかもしれない。
自分がキメラのつばさを忘れなければ、カミュが自分を送るために家を出なければ、彼女は行方不明などにはならなかった。
今回の原因は自分にもあるとセーニャは考えていたのだ。

「マヤさまは、やっぱり誘拐されてしまったのでしょうか」
「いや、多分違う。食卓にこれが置いてあったから・・・」

カミュが手に持っていたものは、メダル女学園のパンフレットだった。
先日カミュに付き添う形で見学に行った学園で、校長から貰ったパンフレットである。
カミュは旅をしていた頃からメダル女学園に妹を入学させたいと言っていた。
勇者の相棒としての役目を終え、自由の身になったカミュは本格的にメダル女学園の情報収取を開始し、校長からも“勇者サマの連れ立ちの妹君なら”ということで学費の免除も提案されていた。
しかし、妹と共に旅をするという約束がある手前、入学させるべきか辞めておくべきか悩んでいたのだ。
答えを保留にし、引き出しの奥にしまい込んでいたのだが、どうやらマヤはその宝を引っ張り出してしまったらしい。

「メダル女学園のパンフレット、ですか・・・」
「こいつを見て、俺が勝手に入学させるつもりなんだと思って飛び出したのかもしれない。こんなことになるなら、内緒になんてしないで最初からマヤに話を持ち掛けておけばよかった」
カミュさま・・・」

誰だって、隠すように仕舞われた学校のパンフレットを見ればそこに入学させるつもりなのだろうと勘繰るだろう。
たった二人だけの身内。
全寮制の学校とあらば、厄介払いされていると勘違いされても不思議ではない。
最初から入学についてマヤ本人に相談を持ち掛けていたら、断られていたかもしれないがこうして勘違いされることはなかっただろう。

「とにかく探しましょう。まだ一晩しかたっていませんし、きっとそこまで遠くには行っていませんわ」
「あぁそうだな。悪い、セーニャ」

申し訳なさそうに眉を顰めるカミュと別れ、セーニャはクレイモラン中を駆け回りマヤを探した。
住宅街に店の中。
城門付近まで探してみたがやはりマヤの姿はない。
まさか、キメラのつばさやルーラを使って遠くまで行ってしまったのだろうか。
走りながらマヤの名前を叫んでいたため、ほんの少しだけ息が上がりセーニャの口元から白い息が発せられる。
こんなに寒い中、彼女はどこに行ってしまったというのか。
せめて彼女が行きそうな場所を考えないと。

セーニャは記憶をさかのぼってみる。
マヤが好きだと言っていた場所。
落ち着くと言っていた場所。
思いつく場所はすべて探した。
他に彼女が行きそうな場所と言えば・・・。

********************


この場所は相変わらず寒い。
岩場に囲まれているこの隠れ家は、夏であろうと冬であろうと空気が冷え切っていて暖かさとは正反対の位置にある。
けれど、今はクレイモランの家よりこの場所の方が居心地がいい。
兄もセーニャもいないけれど、今だけは一人になりたかった。
かつて兄と二人で隠れるように生活を共にしたこの隠れ家にいれば、あの頃に戻れるような気がして。

「マヤさま」

洞窟に響く綺麗な声に、マヤは肩を震わせた。
振り返ってみると、そこには厚着をしたセーニャの姿が。
安心したように微笑んでいるその顔を見て、マヤは心が痛くなった。

「なんで、ここが・・・」
カミュさまなら、マヤさまが行きそうな場所をたくさん知っていたのかもしれませんけど、私にはここしか思い当たりませんでした」

木箱に腰かけていたマヤは、膝を抱えて小さくなる、
彼女にゆっくり近づき、正面に立ったセーニャは、あくまで優しい口調で再び語り掛ける。

カミュさま、とても心配していましたよ」
「・・・そんなわけないじゃん。おれを厄介払いしようとしてるような兄貴だぜ?むしろいなくなってせいせいしてるだろうぜ」

ふいっと顔を背けるマヤは、明らかにいじけていた。
やはりカミュの読み通り、彼女は兄が全寮制の学校に入学させられることで自分を厄介払いしようと画策していると思い込んでいる様子。
誤解している彼女のこんがらがった心をなんとかほぐしてやらなければ。
セーニャはマヤが腰かけている木箱に自分も腰を下ろし、微笑んだ。

「メダル女学園のパンフレットを見たんですね、マヤさま」
「隠すみたいに仕舞ってあったんだよ。強制的に入学させて、おれをあの家から追い出そうってんだろ?そりゃあ、黄金化なんかして迷惑かけた妹なんて、一緒にいてもいいことないもんな」

マヤには、カミュに迷惑をかけているという自覚があった。
兄はいつも、幼い妹を守るために自分のことは後回しに、必ずマヤを最優先にして生きてきた。
今となっては知り得ないが、黄金化したことで止まってしまった5年間も、マヤを元に戻すために勇者と旅をしていたと。
兄が生きてきた19年は、妹であるマヤのために費やされてきたものと言っても過言ではない。
だからこそ、今になって兄が自分を邪魔に思っても仕方がない。
けれど、兄だけを頼りに生きてきたマヤにとって、兄に見捨てられるのは辛すぎる。

「先日、カミュさまから相談されたんです。マヤさまをメダ女に入学させていいものか、と」

セーニャの話しに、マヤは視線をわずかに上げた。
兄が1人で勝手に決めたことだと思っていたのだが、まさかセーニャもこのことを把握していたとは。

「メダル女学園は格式ある学校で、望んでも通えない方が多くいらっしゃいます。そんな学園に、無償で入学できる話を貰っているというのに、迷う理由が私は分かりませんでした。聞くと、カミュさまはおしゃっていましたよ。マヤさまとの約束を反故には出来ないと」
「旅・・・」
「一緒に宝探しの度に出るという約束があるのでしょう?」

マヤの脳裏に、ともに旅するという約束を取り付けた時の兄の顔が思い浮かぶ。
忘れているとばかり思っていた。
兄は自分の目から見ても日々忙しそうにしていたし、勇者と共に歩んだ激闘の日々が終わりを告げたことで、たまりに溜まった疲労を癒すことしか頭にないものだと思っていたから。
しかし、兄はきちんと覚えていたようだ。

「マヤさまとの約束は守りたい。けれど、幼いころから学を身に着けずに育ったマヤさまに、女性としての教養を備えさせたいという兄として気遣いも捨てがたい。その二つの想いに揺れておられたようです」
「・・・・・だから、セーニャに家庭教師を頼んだのか?おれが学校に通わなくても教養を身に着けられるように」
「えぇ。まあ私としては、カミュさまに頻繁にお会いできる口実が出来たので、都合が良かったのですが」

眉をㇵの字に曲げて小さく笑うセーニャの頬は、ほんの少しだけ赤く染まっていた。
カミュから家庭教師を任ぜられたとき、メダ女に通わずとも教養をつけられる手段として協力してほしいと打診され、それを受け入れる形で享受したのだ。
セーニャの話しを受け、マヤは小さく縮こまっていた体をさらに小さく丸める。
どうやら、彼女も少し照れている様子だった。

「馬鹿兄貴。いっつもおれのことばっか優先して・・・。おれを手放してれば、もっと早く幸せになってただろうにさ」
「マヤさまの幸せが、カミュさまの幸せなのですよ、きっと」

セーニャがカミュに恋心を覚えた理由の一つに、妹想いであるというものも含まれる。
幼いころから姉の背を追って生きてきた彼女は、妹想いなカミュにどこか姉の影を見ていたのかもしれない。
何においても妹を優先的に考えるカミュに嫉妬を覚えながらも、そんなところさえも素敵だと思えるほど、セーニャは彼に恋をしていた。

「仕方ないな。そろそろここの寒さもきつくなってきたし、戻ろっかな」
「そうですね。それがいいですわ」

勢いをつけて木箱から立ち上がったマヤに続き、セーニャもまた立ち上がる。
長らく誰もこの場所を訪れていないせいか、二人が飛び降りた瞬間に埃が舞い上がる。

「なぁセーニャ」
「はい?」
「兄貴、怒ってた・・・?」

恐る恐る問いかけてくるマヤ。
いつもは野良猫のように周囲を威嚇している彼女だったが、この時ばかりは年頃の女の子でしかなかった。
どうやら彼女でも、兄からの折檻は恐ろしいらしい。
セーニャはふふっと笑みをこぼすと、首を横に振った。

「いいえ、全く。カミュさまはお優しいですから」

微笑むセーニャの顔は、マヤに小さな安心感を与えてくれる。
彼女は兄を都度都度優しい人だと評価するが、妹のマヤからしてみればそれは違う。
兄は昔から現実主義者なところがあって、誰彼構わず優しさを振りまくような人間ではなかった。
彼が優しくする人間は3種類。
家族か、優しくするに値する価値がある人間か、もしくは損得勘定なしに好きだと思える人物。
セーニャが兄を優しいと評するたび、マヤは実感してしまうのだ。
兄は、この人のことが好きでたまらないのだろうと。

そろそろ、兄貴にも幸せになってもらわないと困るよな。

心の奥でつぶやいたマヤは、ある一つの決心を胸に、かつての隠れ家を後にした。


*********************


上品な黒が、マヤのひざ元で翻る。
くるくると回るたび、ミモレ丈のスカートが揺れる。
こんなにも女性的な服を着るのは初めてだったが、悪くない。
鏡を前に、マヤはにやける顔を隠せずにいた。

「お似合いですよ、マヤさま」
「馬子にも衣裳だな」
「一言多いんだよ、クソ兄貴」

背後に立っている兄を睨みつければ、彼は反論もせずに笑っている。
その笑顔はどこか達成感に満ちていて、上機嫌であることがよく伝わってきた。
となりのセーニャもまた、メダル女学園の制服に身を包んだマヤに見惚れているようである。

「いいかマヤ。メダル女学園はレディを目指す高貴な学園だ。言葉遣いには気をつけろよ?」
「大丈夫ですわ、カミュさま。きっとマヤさまならすぐに順応できますわ」
「そうそう。レディなんてくそくらえだぜ。おれはおれのやり方で学園ライフを満喫してみせるよ」

腕を組み、堂々とした立ち居振る舞いを見せるマヤはとてもレディとは言い難い。
彼女の今後の学園ライフを想像し頭を抱えるカミュだったが、マヤ本人はあまり深刻にとらえていないようだった。

マヤが行方をくらませたあの日。
セーニャとともに帰ってきたマヤは、心配し駆け寄ってきた兄に対してすぐにこう言った。

おれ、メダル女学園に通う。

確実に嫌がると思っていたが、まさかマヤ本人から希望してくるとは思わず、カミュは面食らった。
もちろん横にいたセーニャもである。
産まれてからずっと兄と一緒だったから少し離れて過ごしたい。
同年代の友達を作りたい。
セーニャとの勉強で興味が出た学問をもっとしっかり学びたい。
マヤからはいろいろと理由を聞いたが、誰がどう聞いても、カミュを気遣ってメダ女への入学を決めたようにしか聞こえなかった。

自分と離れれば、きっと兄は幸せになれる。
兄が望んだとおり学園に通い教養を身に着ければきっと喜んでくれる。
妹のために身を削ってきた兄への借りを返すため、今度は自分が身を削ってやろうとマヤは思ったのだ。
親孝行というか、兄孝行のためである。

「じゃあ、そろそろ行くかな。最初の授業で遅刻なんてしたら最悪だし」
「一人で大丈夫か?キメラのつばさがあるとはいえ、荷物も多いし・・・」

マヤはトランクケースを片手に、玄関の扉を開けて外に出た。
彼女は今日、メダル女学園に入学する。
それはすなわち、寮に入るということ。
この家にはしばらく帰って来ないということ。
必要最低限の荷物だけを持って出ていこうとするマヤの背中は、カミュの目にいつもより大きく映った。

「大丈夫だって。もうガキじゃないんだし。じゃあなクソ兄貴」
「あっ、待てマヤ!」

さっそうと出ていこうとする妹の背を、カミュがとっさに引き留める。
足を止め、無言で振り返ってくるマヤに、カミュは柔く微笑んで言葉を投げかけた。

「元気でやれよ。いつでも帰ってきていいから」

ほんの一瞬だけ、マヤが泣きそうな顔をように見えたのはセーニャの気のせいだろうか。
だが、すぐに笑顔を見せると、手を振って去っていった。
キメラのつばさを使い、あっという間にその場から消え失せてしまったマヤ。
彼女がいなくなった家は、静かすぎて少し居心地が悪かった。

「行ってしまいましたね」
「そう、だな」
「寂しいですか?」
「まさか。肩の荷が下りて楽になったよ」
「ふふっ」
「なんだよ」
「いえ。兄妹揃って似ておられるなぁ、と」

控えめに笑うセーニャに反論できなかったのは、似ている自覚があったからなのかもしれない。
互いが一番大切なくせに素直になれず、妙なところで遠慮してしまうのは、カミュとマヤに共通して言える悪いところなのだろう。
カミュはマヤのいない部屋の扉を閉め、ふぅと一息つく。
もうこの家に、マヤの私物はない。
マヤのために用意した部屋も、見事にもぬけの殻となってしまった。

「私がこのお家に通うのも、今日で最後ですね」

朝まで三人で団欒していた食卓をそっと撫で、セーニャは言う。
マヤの家庭教師としてこの家に定期的に通っていた彼女だったが、生徒がいなくなってしまった以上、この家に通い詰める理由もない。
寂しげな声色のセーニャは、背を向けているためどんな顔をしているのかカミュには分からない。
けれど、彼女の背中はいつもよりも小さく、それでいて弱弱しい。
カミュはそんなセーニャに言葉をかけずにはいられなかった。

「セーニャ。一緒に住まないか」

カミュの口からついて出た言葉に、セーニャは思わず振り返った。
彼女の大きな瞳は見開かれ、驚きの色を隠せない様子でカミュをまっすぐに見つめている。
一方で、何も考えずに勢いで言ってしまったカミュは、自分へと注がれる視線に焦り、途端に早口になってしまう。

「いや、ほら。この家マヤと二人で暮らすために借りたもんだからあいつが寮に入ったら俺だけになるだろ?俺だけで暮らすには広すぎるっていうかなんていうか、一緒に住めば色々楽になるしセーニャとならマヤも喜ぶだろうし、その、だから・・・」

一息にまくしたてたカミュだったが、セーニャからの返答はない。
ただ驚いたままこちらを見つめるばかりである。
その視線に射抜かれながら、カミュは気付いてしまう。
口に出した言い分はすべて言い訳だ。
本当は、セーニャとの関係をこのまま終わりにしたくないだけ。
一瞬の沈黙の後、カミュは赤くなった顔を誤魔化すように自分の青い髪をガシガシと搔き上げた。

「ここに、いてくれよ。頼むから」

目の前のセーニャが今、どんな顔をしているのか気になって仕方がない。
けれど、あまりに恥ずかしくて彼女の方をまっすぐ見ることが出来なかった。
マヤは“好きなの?”なんて呑気に聞いてきたけれど、好きだなんてとんでもない。
“好き”だなんてたった二文字の言葉で言い表せないほど、カミュのセーニャへの想いは大きくなっていた。

超が付くほど天然なくせに、いざとなったら誰よりもしっかりしているところ。
純粋無垢すぎて、どこか放っておけないところ。
誰に対しても優しくて、まさに聖女と呼ぶにふさわしい慈悲の心を持っているところも、すべて愛おしくて仕方がなかった。

一緒に旅をして毎日ともに過ごしてきた経験があるせいか、一日でも顔が見れないと落ち着かなくなる。
家庭教師の仕事を終え、夜になってラムダに帰ろうとする彼女に、何度“いかないでくれ”と言いそうになったことか。
そんな情けないこと、一生言うまいと決めていたのに、今は無様なほど素直に口に出してしまっていた。

カミュさま、あの、私・・・」

戸惑うセーニャの言葉が聞こえてきた。
カミュの突然の申し出に、明らかに困っている。
優しい彼女のことだ。きっと傷付かないよう断るいい文句を探しているのだろう。
困惑する彼女の様子はカミュを大いに傷つけ、そして焦らせる。

「わ、悪かったな変なこと言って。もう忘れてくれ」

この居心地の悪い空間からいち早く逃げ出してしまいたかった。
セーニャの顔も見ずに2階に上がろうとするカミュだったが、そんな彼の腕をセーニャはつかみ、必死で引き留める。

「私っ、そういうことには疎いようなので、よくわからなくて。もし違っていたら申し訳ないのですが・・・」

赤い顔と、恥じらいから潤んだ瞳。
そして戸惑うようにそらされた視線。
けれども強い力でカミュの腕を捕まえる彼女の手。
カミュの心臓が口から飛び出そうなほど高鳴っているのは、目の前にいるセーニャが可愛らしくて仕方がないせいだった。

「今のお言葉は、結婚を申し込まれているように聞こえてしまったのですが・・・違い、ますか・・・?」

なんてことを聞くんだこの聖女様は。
カミュは掴まれていないほうの手で、己の赤い顔を覆った。
この純粋無垢、かつ鈍感な聖女に“わかってくれるだろう”理論が通用しないことはずっと前から知っていたはずなのに、勢いと恥じらいに負けて随分遠回しな言い方をしてしまった。
おそらくセーニャは、きちんと言葉にして示さなければ開放してくれないだろう。
覚悟を決めたカミュは、大きく深呼吸し、はじめてセーニャの目をまっすぐ見つめた。

「そうだ。俺と結婚してくれ、セーニャ」

力強くつかんでいたカミュの腕をようやく離したセーニャは、小さな両手で自分の口元を覆う。
ほんのり頬を桜色に染めてはいるが、喜びや恥じらいよりも驚きの感情のほうが色濃く表情に現れていた。

「これが、プロポーズというものなのですね・・・!初めて言われました!」
「はぁ。俺も初めて言ったからな」

予想していた反応とは全く違ったものが返ってきたことで、カミュは戸惑った。
普通プロポーズされた女は喜ぶか泣き出すかの二択ではないか?
何故そうも興味津々な瞳で驚いているのだろうか。

「こうしてはいられませんわ。お姉さまに報告しなくては!」
「え!? お、おいちょっと待っ・・・」

どこに隠し持っていたのか、懐からキメラのつばさを取り出したセーニャは、カミュが引き留める間もなく一瞬でその場からいなくなってしまった。
おそらくラムダにいる姉にカミュからプロポーズされたことを報告しに行ったのだろう。
未だに姉離れできていないセーニャは、何でもかんでもベロニカに報告連絡相談するくせがある。
人生の一大イベントであるプロポーズをされてしまった以上、やはりベロニカに一番に報告するのは自然な流れだろう。
しかし、せめてプロポーズの返事をしてからにしてほしかった。
すでにいなくなってしまったセーニャにそんなことを思っても仕方がないのだが。

「あとでベロニカがすっ飛んでくるかもなぁ、こりゃ」

小さな体からは想像もつかないほどの大声で乗り込んでくるベロニカの姿を想像し、カミュは苦笑いをこぼした。
おそらく、セーニャからきちんとプロポーズの返事をもらえるのは当分先だろう。
どんな返事が返ってくるかはなんとなく想像がつくが、今はその時を待つしかないようである。
さて、妹からまさかの報告を受けてベロニカが乗り込んでくる前に、この家を片付けておこうかとリビングの暖炉に火をくべたその時だった。
玄関の扉が勢いよく開き、セーニャが入ってきた。

カミュさま!」
「セーニャ?もう戻ってきたのかよ。早かったな」
「はい。プロポーズのお返事、していませんでしたので」
「えっ」

あわただしく家に押し入ってきたセーニャは、小走りでカミュに近づく。
そしてカミュの両手を握り込むと、顔をぐっと近づけた。

「結婚します!私、カミュさまとずっとずっと一緒にいたいです!」

顔を寄せ、勢いの任せて思いを告げてくるセーニャは喜びに満ちていていた。
プロポーズの返事をしていなかったことを思いだした彼女は、わざわざそれを言うためだけに戻ってきたらしい。
やはり彼女はどこか抜けている。
相変わらずなセーニャの姿を目の前に、カミュの心にじんわりとした温かい愛しさが広がった。

「ではそういうことで・・・あっ」

言いたいことだけ言って再び去っていこうとするセーニャの腕をカミュはとっさに捕まえ、力強く抱きしめてしまう。
まるでどこにも逃がさないとでも言うかのように両手に力を込め、腕の中にセーニャを閉じ込めているカミュに、セーニャは驚き息を詰めた。

「もう少し、こうしていたい」
カミュ、さま・・・」

ロトゼタシアでもっと寒い国、クレイモラン。
家の中にいても冷気を感じずにはいられないこの町だが、こうしてセーニャを抱きしめているときだけは寒さを忘れることができた。
カミュの背中に回ったセーニャの手は暖かくて、カミュの心を落ち着かせてくれる。
これから毎日、こうして彼女のぬくもりを感じられるのだと思うと、幸せでたまらない。
結局、カミュに開放してもらえなかったセーニャがラムダに帰ったのは、それから2日後のことだった。