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二次創作まとめ

二人三脚

カミュセニャ】

ドラクエ11

■ゲーム本編時間軸

■短編

 

 


メラガイアー!」


両手を掲げ、全身に力を込めて発せられた炎の呪文は、目の前をふさいでいた三体の魔物を一瞬にして焼き尽くす。
舞い上がる火の粉を手で防ぎながら、カミュは上昇気流によって短い髪をなびかせているセーニャの背中を見つめていた。
立ち上る炎が魔物たちを消し炭に変えた後、セーニャはぎこちない笑顔で背後の仲間たちに振り返る。


「ありがとうセーニャ。助かったよ」


セーニャに歩み寄ったイレブンは、装備していた片手剣を鞘に戻しながら微笑みかけた。
魔物がすべて消え去ったことを確認した一行は、各々武器を懐に納めつつ肩の力を抜く。


「すごいわねセーニャ。どんどん魔力が高まってるじゃない」
「ほんとね!ベロニカちゃんもビックリなほど強くなってるわ」


マルティナやシルビアが、今回の戦闘で大活躍を見せたセーニャを笑顔で褒めたたえる。
仲間たちからの賛辞に、セーニャは素直にお礼を言いつつも照れたように笑っていた。
ベロニカというかけがえのない仲間を失って数か月。
魔王ウルノーガ討伐を目指して旅を続けている一行は、今日も夜を脅かす魔物たちと対峙していた。
亡き姉の力を受け継いだセーニャは、この短期間でめきめきと腕をあげている。
以前までは後方支援に徹していた彼女だったが、今や前線で敵を屠る立派な切り込み隊長と化している。
そんなセーニャを。イレブンをはじめとする仲間たちはあつい信頼を寄せていた。
もちろん、カミュも例外ではない。
随分前から一行の最前線で戦う役割を担っていたカミュは、セーニャとタッグを組んで敵に当たる機会も多くなっている。
日増しに力をつけていく彼女を頼もしく感じながらも、自分自身の元からの力だけでなく、ベロニカの力をも使いこなしている状況を危ぶんでもいた。

戦闘が終わり、一行は木陰でキャンプの用意を始めていた。
今日の料理当番はマルティナとロウ。
他の面々は、武器の手入れや道具の整理など、思い思いの過ごし方をしていた。
そんな中、装備袋から愛用の短剣を取り出したカミュは、ハープの演奏を楽しんでいたセーニャに近づき、耳打ちする。


「悪いセーニャ。ちょっと付き合ってもらえるか?ビーストモードの特訓がしたいんだ」
「あ、はい、もちろん。ではイレブンさまも・・・」


ビーストモードは、イレブンとセーニャが魔力を合わせてカミュを強化する連携技である。
この連携技は覚えたてで、カミュはまだビーストモードを完全にものにしていなかった。
それゆえに、このキャンプの時間を利用して練習をしようとしたカミュだったのだが、肝心のイレブンは仲間たちに背を向け、鍛冶にいそしんでいる。
彼はこうして鍛冶をはじめると、周りの人間がどれだけ声をかけても届かないほど集中してしまう。
自分たちの装備を作ってくれている手前、その作業の邪魔をするのは忍びない。
そう判断したカミュとセーニャは、イレブンには声をかけず二人だけでビーストモードの特訓をすることにした。


「休んでるとこ付き合ってもらって悪いな」
「いえ。ちょうど私も特訓したいと思っていたんです。イレブンさまに頼らず、私の魔力だけでカミュさまを強化できれば、もっと効率よく発動できるはずなので」


キャンプ地から離れ、二人は特訓に良さそうな開けた場所を探していた。
ビーストモードの連携技は非常に強力なものだが、三人の力を要する関係でなかなか発動を狙いにくい技でもある。
魔力が高いセーニャが1人でカミュを強化できれば良いのだが、今はまだそれほどの力を得られていない。
イレブンをはじめとする他の仲間たちがもっと楽に戦うためにも、二人でこの連携技を完成させる価値は大いにあった。


「まぁ、あいつは他の奴との連携技もあるし、一人だけ明らかに負担がでかいからな。俺たちだけで出来ればその分あいつも楽になるだろう」
「そうですね。私も頑張らなくては・・・!」


両手でこぶしを作り、気合を入れるセーニャ。
そんな彼女を横目に見ていたカミュは小さく微笑み、視線を前方に戻した。


「あんまり気負うなよ」
「え?」
「セーニャは勇者サマを導く賢者セニカの役回り。俺と違って代わりがいないんだからな」
「そんな・・・カミュさまの代わりだって、誰にも務まりませんよ」
「どうかな。グレイグやマルティナだって前線で戦えるし、俺一人がいなくても、十分戦闘は回るだろ」


魔法を得意とするセーニャの戦法は、他の面々には真似できない芸当だが、カミュの力に頼ったやり方はグレイグやマルティナも得意としている。
身軽さにおいてカミュの右に出る者はいないが、技一発の威力はグレイグたちに劣ることもあった。
双賢の姉妹ともてはやされた片割れであるセーニャと違い、カミュは何者でもない。
自分の代わりなど、他の誰かでも簡単に務まるだろう。
そんなカミュの言葉を否定しようと口を開きかけたセーニャだったが、その言葉はカミュ自身の言葉によって遮られてしまう。


「でも、カミュさまは・・・」
「お、ここなんかいいんじゃないか?結構開けてるし」


キャンプ地から数十メートル離れた森の中。
ちょうど木々が生えていない開けた場所に出た二人は足を止めた。
確かにカミュの言う通り、この場所なら特訓にうってつけである。
さきほどの会話が途切れてしまっているのが消化不良だったが、短剣を抜き特訓の準備を始めるカミュに何も言えなくなってしまった。
仕方なくセーニャもステッキを構える。


「じゃあ、頼むぜセーニャ」
「は、はい」


細いステッキを強く握りしめ、体中の力を頭のてっぺんに集中させる。
自分の魔力を呪文として放出すること自体は何ら難しいことではない。
しかし、自分の魔力を他人に預けることは至難の業である。
ましてや、いつもはイレブンと二人で行っている作業であるため、一人でカミュを強化するのは尋常ではない集中力を要する。
力を貯め続け、両手に魔力が十分に溜まってゆくのを感じたその瞬間、セーニャはステッキを振りカミュへと大量の魔力を放出させた。


「ぐっ・・・!」


セーニャからの魔力を一身に受け取ったカミュは、体中にびりびりと電撃が走るような感覚に襲われる。
ただ立っているだけだというのに、体が羽のように軽くなっていくのが分かる。
五体を構成する筋肉が一気に活動を開始し、流れる血液が熱くなっていく。
そして、次第に意識が白くまどろんでいった。
自分が自分ではなくなるこの感覚は、カミュの中に狼にも似たもう一つの人格を作り出す。

ガサガサっ

不意に、セーニャは背後から迫ってくる一つの気配に気が付いた。
茂みの奥から顔を出したのは、一匹のドラゴンだった。
まずい。
まだカミュは完全にビーストモードに入っていない。
今、セーニャが魔力の放出をやめるわけにはいかなかった。
だが、そんなセーニャの都合など構うわけもないドラゴンは、セーニャの無防備な背中めがけて突撃してくる。
鋭利な爪を持つ右腕を振り上げるドラゴンの姿に恐れおののき、ぎゅっと目を瞑ったその時だった。
魔力の放出を続けていたセーニャのすぐ横を、信じられない速さで何が通過する。

風のように素早い動きでセーニャの横を通り過ぎたその何かは、ドラゴンの懐に飛び込むと大きな顎を下から鋭い刃が襲い掛かる。
毒を含んだ短剣で貫かれたドラゴンは一瞬で怯み、その隙を見逃さないように今度は上から頸動脈を切り裂いた。
ドラゴンは悲痛な断末魔をあげ、あっという間に消滅してしまう。
消えゆくドラゴンの体を見送るカミュの背中からは、先ほどセーニャが送り込んだ大量の魔力があふれ出していた。


「すごいです、カミュさま!イレブンさまなしで、ビーストモードを完成させられましたね!」


跳ねるように喜びをほとばしらせながら、カミュの背中に声をかける。
いつものカミュ以上の身体能力を発揮している今は、まさにビーストモード。
ベロニカの力を受け継いだ今、イレブンなしでもカミュを獣にすることができた。
その喜びを隠すことなくぶつけようとしたセーニャだったが、振り返ったカミュの瞳を見てたじろいでしまう。
まるで血のような赤い瞳。
敵を倒したというのに、ビーストモードがまだ解消されていないのだ。


カミュさまっ」


セーニャが彼の名前を呼んだその瞬間を合図に、目の前の獣はこちらに向かって走り出す。
しっかり短剣を構える真っ赤な瞳をしたカミュは、確かな殺意を持ってセーニャとの距離を詰めた。


「きゃあっ」


セーニャの叫びが森に木霊する。
間一髪のところでカミュの刃をかわしたセーニャだったが、研ぎ澄まされた刃が右腕をかすめ、流血させられたことに恐怖を禁じ得ない。
一手目をかわされたカミュは一瞬だけ体制を崩したが、すぐに踵を返し二手目を繰り出すため地面を蹴り上げた。


「バギ!」


風を呼び起こしたのはセーニャの咄嗟の判断だった。
一番威力の低い呪文を選択したのは、カミュを必要以上に傷付けないため。
これで怯んでくれればいいと思っていたが、理性も恐怖心も消え失せている彼には脅しにもならなかった。
刃のような竜巻に恐れることなく突進していくカミュは、全身に傷を負いながらセーニャに突っ込んでくる。
唯一の救いは、風の刃によって彼の短剣が弾き飛ばされたことだった。

丸腰になったカミュは風の壁を抜けてセーニャを押し倒す。
草むらの上に背中から叩きつけられたセーニャは、今にも噛みつきそうなカミュを短いスティックで防ぐ。
だが、もともと非力なセーニャとビーストモードで力が倍増したカミュとでは勝負にならない。
得物を捕食しようとしているカミュの目に映るセーニャの顔は、恐怖と焦りに歪んでいる。
このままではだめだ。
状況を打開することが出来るたった一つの呪文を、セーニャはためらいながらもようやく口にした。

「ザキ!」


********************


遠くで響いたセーニャの声に最初に気付いたのはイレブンだった。
火をかけたシチューの鍋を放り出し、キャンプ地でくつろいでいた面々はイレブンの耳を頼りに森の中へ走っていく。
木々の中を抜けた先に広がる開けた場所で、座り込んでいるセーニャを見つけた。
彼女の名前を呼び、一行が駆け寄ると、その傍らに傷だらけのカミュが横たわっているのが確認できた。
セーニャもまた、右腕に傷を負っている。


「セーニャ、大丈夫!?」
「イレブンさま・・・ごめんなさい、わたくし・・・っ」


絞り出すような声が、セーニャの小さな口から漏れ出た。
彼女の大きな瞳からは、大粒の涙が零れ落ちている。
涙を流しながら、横たわるカミュに両手をかざし魔力を送り続けているセーニャは、どうやら気を失っているカミュを懸命に回復しようとしている最中のようだった。


「ちょ、ちょっと、カミュちゃん息してないじゃない!」
「事切れておるな・・・セーニャよ、魔物に襲われたのか?」


力なく横たわるカミュの脈を確認したロウ。
だがそこに命の鼓動はなく、既に息絶えていることが分かる。
セーニャが今カミュにかけているのは、命を呼び戻すザオリクの呪文であった。


「いえ・・・。ビーストモードの練習をしていたんです。そしたら、カミュさまが暴走してしまって・・・」
「まさか。襲い掛かってきたのか」


グレイグの問いかけに、セーニャは悔しそうに唇を噛みながら頷いた。
暴走したカミュがセーニャに襲い掛かり、苦肉の策で相手の命を奪うザキを唱えたことは、状況から読み取ることが出来る。
セーニャの涙も、自らの手で命を奪ってしまったカミュへの罪悪感からくるものなのかもしれない。
やがて、カミュの体を包み込んでいたセーニャの癒しの光が収まっていく。
ザオリクが終息したのだ。
だが、それでもカミュは目を覚ます気配がない。


「そんな、どうして・・・。カミュさま、目を開けてください!」


ザオリクを唱えたにも関わらず意識が戻らないカミュの様子に、セーニャは激しく動揺する。
悲痛な声で名前を呼びながら体を揺り動かしてみるが、彼の重い瞼が開かれることはなかった。


「どういうこと?ザオリクでも生き返らないというの!?」
「いや。呼吸はしておる。息は吹き返したようだが、意識だけは手放したままのようじゃな」


戸惑うマルティナの言葉を否定したロウは、僅かに上下するカミュの胸板を見て判断する。
通常、ザオリクを唱えられた相手はすぐに息を吹き返し、意識も戻るはず。
しかし、今は命こそ取り戻したものの意識は戻らぬまま。
安らかな表情で目を瞑っているカミュの姿が、一行の不安を助長させる。


「ふむ。これはわしらではどうにも出来ぬ。呪いの一種やもしれぬし、協会に連れて行った方がいいじゃろう」
「ここから一番近い協会は、ラムダの教会だね。よしセーニャ、すぐに行こう!」
「は、はい・・・!」


意識が戻らない原因が分からない以上、これ以上の措置はできそうもない。
教会の神父ならば何か原因がわかるかもしれないと判断したロウは、最寄りの教会があるラムダへ向かうことを提案した。
ラムダはセーニャの故郷である。
神聖な神の地であるラムダの神父ならば、何か打開策をあげてくれるかもしれない。
僅かな希望をもとに、一行はラムダの地へと赴いた。


********************


ラムダに到着した一行は、まっすぐ教会へと向かった。
グレイグに背負われたカミュの姿を見るなり、神父はすぐ奥の部屋に一行を通し、置かれていたベッドにカミュを寝かせるよう指示を出す。
やはり起きる気配がないカミュの姿をしばらく観察していた神父は、神妙な面持ちで一行を振り返り、口を開いた。


「命に別状はありません。ただ、一度に大量の魔力を取り込んだせいで免疫が低下し、脳が活動を停止してしまっているようです」
「脳が活動を停止?」
「はい。さらにザキのような強力な呪文を受けたことで、体内の魔力を保持するキャパシティが追い付かず、気を失ってしまったのでしょう。彼、もともと魔力が高くなかったのではないですか?」


神父の言う通り、カミュはほとんど魔法を使えない。
体内で魔力をプールできる容量も他の人間に比べて少ないため、セーニャが大量の魔力を送り込んだおかげで、暴走してしまったようだった。
イレブンがいない状況でカミュを力を覚醒させるため、あの時セーニャはいつも以上に気を張っていた。
イレブンの分も魔力を送り込まなければならなかったため、一度に大量の魔力を半ば強引にカミュの体への押し付けてしまった。
あのとき、セーニャがもっと慎重に、かつゆっくりと魔力を注入できていれば、カミュが暴走することもなかっただろう。
あのとき、セーニャがザキを唱えなければ、彼の意識が戻らなくなることもなかっただろう。
ベッドに横たわるカミュを前に、両手でぎゅっと自分のスカートを握りしめる。


「あの・・・いつか、目を覚ますんですよね?」
「もちろんです。しかし、それが明日になるのか、1か月後になるのか、5年後になるのかはなんとも・・・」


イレブンの問いに、神父は首を横に振りながら答えた。
意識を失った人間は、その人の生きたいという気力に頼るしか復活の手段はない。
それが病気や怪我ならば何かしらの施しようがあるが、魔力が原因ならば何も手が付けられない。
もはや一行は、ただただカミュの回復を祈るほかなかった。


********************


教会から歩いてすぐの場所にあるとある家。
セーニャと、亡きベロニカが育った実家であるこの家にカミュを運び込み、家主である姉妹の両親の意向で、一行はこの家に泊まることになった。
主を失ったベロニカ部屋。
この部屋のベッドに寝かされたカミュは、小さく呼吸をしているものの未だに目を覚ます気配がない。
彼の看病を買って出たセーニャをベロニカの部屋に残し、一行はリビングで出された茶菓子をつまみながら今後の方針について話し合っていた。


カミュちゃん、大丈夫かしら・・・」
「あいつは気骨のある男だ。命に別状はないらしいし、絶望することはないだろう」


テーブルに肘を突き、うなだれる様子のシルビアに、隣で紅茶を飲んでいたグレイグが応える。
だが、前向きな言葉に反して彼の表情は暗いものだった。


「じゃが、参ったのう。いつ起きるかもわからないとなると・・・」
「ねぇみんな。カミュの意識が戻るまで待とうよ。セーニャのご両親はしばらくここにいていいって言ってくれてるし」


テーブルに手を突き、周囲の仲間たちに呼びかけるイレブンだったが、皆一様に下を向く。
もちろん、この場にいる全員がカミュの回復を待ちたいとは思っているが、勇者一向にもたもたしている時間はない。
早く魔王ウルノーがを倒さなければ、世界は破滅の一途をたどってしまう。
いつ目が覚めるかもわからないカミュの回復を待っていられるほど、悠長にはしていられなかった。


「イレブン。気持ちはわかるけど、そう長くは待てないわ。わかるでしょ?世界崩壊は目前なのよ」
「それは・・・」


優しく説き伏せるマルティナに、イレブンは言葉を詰まらせる。
イレブンにとって、仲間内でもっとも付き合いが長いのはカミュだった。
魔王ウルノーがを追い求める旅は、カミュとの二人旅から始まった。
互いに信頼しあい、相棒として隣で戦ってきたカミュを置いて旅を続けるなど、イレブンにはつらすぎる。
けれど、勇者としての使命を持つ身としては、マルティナの言う通りいち早く役目を果たすため旅を続けなければならない。
使命と友情のはざまで、イレブンは揺れていた。


********************


霧に包まれた冷たい世界。
始まりも終わりもないこの閉鎖的な空間を、セーニャはさまよっていた。
前に進むセーニャの足音だけが周囲に響き渡る。
ここは一体どこだろう。
妙に寒い。押しつぶされそうになるほどの孤独が胸をつく。
真っ白な世界は自分一人だけしか存在しないようで、恐ろしい。
誰か。誰か助けて。
お姉さま・・・っ。


「セーニャ、あんたはグズだから、こういう時でもめそめそ泣いてるのね」


聴きなじみのある声に振り返ってみると、そこにいたのは赤い小さな影。
どこか透けて見えるその姿は、セーニャの心に懐かしさを与えてくれる。


「お姉さま」


失ったはずのその愛しい存在を抱きとめようと走り出せば、彼女は小さな手を前に突き出してセーニャを制止させる。


「だめよ、セーニャ。あんたはまだ来ちゃだめ」
「えっ」
「勇者を導く賢者の役目は、あんたにしか担えないのよ」


厳しかった姉の瞳は、優しく揺れている。
幼い見た目に見合わぬ大人びた表情で見つめてくるベロニカの言葉に、セーニャは思わず足を止めた。


「賢者様の役目は、私にはふさわしくありません。お姉さまのほうがよっぽど・・・」
「そういうところがグズだって言ってんのよ。あんたが思ってるほど、あたしの妹は弱くないんだから」


幼い頃から、魔法使いとして優秀だったのはいつも姉の方だった。
呪文を早く使えるようになったのも姉。
勉強ができたのも姉。
セーニャはいつも前を行く姉の背を、いつも追いかけてきた。
自分にできて、姉にできないことなどきっと何もない。
その背を追い続けることで、行くべき道の指針としていたのだ。
だが、もはやこの世に姉はいない。
この霧に包まれた世界が夢の中であるということも、セーニャには分かっていた。

世界を包む霧が、一層濃くなっていく。
ベロニカの姿も、次第にかすんでいく。
別れを示唆するように薄くなっていくベロニカの姿に焦りを感じたセーニャは、虚空に向かって手を伸ばす。


「待って、お姉さま!」
「セーニャ。もう涙は見せないって、決めたんでしょ?」


ふわりと舞い上がるように、ベロニカの姿は消えてしまった。
何度姉の名前を呼ぼうとも、返ってくるのは木霊する自分の声だけ。
また、独りになってしまった。
肩を落とすセーニャだったが、背後からこつこつと聞こえてくる足音に気が付き振り返る。
そこにいたのは、探し求めていた姉の姿ではなく、青い髪をした青年だった。


カミュさま・・・」


穏やかに微笑む彼もまた、先ほどのベロニカと同じように足元が透けていた。
霧に包まれている彼の姿はやけに不安定で、本当にそこに存在しているのかどうかすら怪しい。
これは幻なのだろうか。
例えそうだとしても、彼の存在によって自分の孤独が解消できるのならば何でもよかった。


「悪いな、セーニャ。俺は、最期までお前のそばにいれそうにない」
「なにを、おっしゃってるんです・・・?」
「けど、お前は強くなった。ベロニカや俺がいなくても、きっとイレブンを守れるよな」


儚げに笑うカミュ
再び濃くなっていく霧は、カミュの体をゆっくりと包み込み、飲み込もうとする。
また、いなくなってしまう。
絶望にかられたセーニャは、遠く離れたカミュの姿めがけて走り出す。


「わ、私、強くなんかありませんっ!カミュさまたちが傍にいてくれるからっ、私は自分を見失わずに済んだんです!だから・・・っ!!」


手を伸ばし、カミュの姿をつかもうとするセーニャ。
しかし、彼の姿は霧となってすぐに消え失せてしまった。
虚空をつかんだ己の右手に視線を落とし、セーニャは力が抜けたようにその場に座り込む。
そして、絞り出すようにかすかな声でつぶやいた。


「私を、置いていかないで・・・」


***************


「っ!」


目を開けると、そこは姉の部屋だった。
椅子に座った状態で、上半身をベッドの上に投げ出して眠ってしまっていたらしい。
ベロニカの赤い杖が立てかけられているそのベッドの上には、カミュが静かに眠っている。
彼の意識を奪ってしまったあの出来事も、夢だったのならよかったのに。
セーニャは布団の外に出ているカミュの左手を握った。
無骨なカミュの手からは、ぬくもりが一切感じられない。
冷え切っている彼の体はまるで命が枯れてしまっているようで、セーニャはいっそう悲しみを募らせた。
重ね合わせた手を強く握りながら彼の名前を呼んでみても、カミュが返事を返すことはない。


カミュさま・・・私のせいで・・・っ」


セーニャの大きな瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
その涙がカミュの手の甲に落ちたとき、セーニャは夢の中で聞いた姉からの言葉を思い出す。

もう涙は見せないって、決めたんでしょ?

大事に伸ばしていた長い髪を切ったあの夜。
セーニャは己に誓った。
弱い自分との惜別を果たし、強くなろうと。
いつまでもめそめそ泣いていては、きっとお姉さまに叱られる。
こんな時、気高いお姉さまならきっと下を向くことなく何か打開策を探すはず。
考えることをやめ、悲しみに暮れるのは愚か者のすることだ。

握りしめていたカミュの手をそっと離すと、セーニャは椅子から立ち上がり本棚の前へと移動する。
姉はああ見えて昔から勉強熱心で、自室の本棚に魔導書をたくさんため込んでいた。
この大量の本の中に、きっとカミュの意識を取り戻すヒントが隠されているはず。

本棚に並ぶ数々の魔導書たちの背表紙を、人差し指で追いながら見定めていく。
そして、上から二段目の端に、気になる本を見つけた。
魔力の取り扱いと有益な道具、というタイトルの本である。
誇りをかぶっているその本を引っ張り出し、開いてみる。
しばらくパラパラとページをめくっていると、ある項目が目に入った。

虹の氷。
ㇱケスビア雪原南東部に稀に現れるという虹色の氷。
この氷を溶かした水は、体内にある魔力を分解する効果がある。


「これですね・・・」


カミュが意識を失った原因は、体内に大量の魔力をため込んでしまったこと。
ならば、その魔力を分解してしまえば、きっと彼は目を覚ます。
その効果を望める道具こそが、この虹の氷なのだ。
シケスビア雪原はラムダからそう遠くはない。
強い魔物が多く存在しているが、イレブンたちに声はかけないようにしよう。
なにせカミュがこうなった原因は自分にある。
自分が蒔いた種は、自分自身の力だけで何とかしなくては。
セーニャは何かを決意したように息をのむと、持っていた魔導書を開いたまま、サイドチェストの上に置いた。


「待っていてくださいカミュさま。あなたは、私が必ず助けます」


ベッドに立てかけられていたベロニカの杖を、セーニャはカミュの隣にそっと寄り添うように置く。
窓から漏れてくる月の光に照らされ、ベロニカの杖は鈍く輝いていた。

お願いです、お姉さま。
私が戻るまで、どうかカミュさまをお守りください。

カミュとよく口論していた亡き姉の姿を思い浮かべ、セーニャはひとり、ベロニカの部屋を後にした。


********************


・・・なさい

・・・きなさい

・・・おきなさいよ!!

脳内に響く甲高い声に驚き、そっと瞳を開ける。
真っ白な霧に包まれた世界。
この世ともあの世とも言い知れぬぼんやりとした世界で、カミュは目を覚ました。
いったい何が起きているんだ。
鈍くなっている頭で懸命に考えてみる。
思い出せるのは、セーニャとビーストモードの特訓をしていたこと。
その途中でドラゴンが乱入してきたこと。
セーニャに襲い掛かってきたドラゴンの姿を見て頭に血が上り、カッとなって飛び出してしまったこと。
そして・・・。
そこまで思い出したところで、カミュは片手で顔を覆った。

そうだ。
あの時、俺は暴走してしまったんだ。
身体から湧き上がってくる力をコントロールできなくて、もがくように暴れた結果、セーニャの腕に傷を負わせてしまった。
一番守らなくてはならない存在を、この腕で傷つけてしまったのだ。
大きすぎる罪悪感が、カミュの胸を押しつぶそうとする。
と、その時だった。後ろから何か堅いもので頭を思い切りたたかれた。


「いっ!」
「なに項垂れてんのよ」


耳になじみのある幼い声。
カミュは、その声の主をよく知っていた。
勢いよく振り返ると、そこには長い両手杖を持ち腰に手を当てた小さな赤い影が立っている。
失ったはずのかけがえのない仲間、ベロニカだった。


「お、お前・・・なんで・・・」


ここにいるんだ?
そう言いかけ、カミュはすぐに状況を理解し乾いた笑顔を見せた。


「あぁそうか。セーニャがザキで俺を止めてくれたのか。死んだんだな、俺は」


薄れゆく意識の中、セーニャが震える声でザキを唱えたことだけは覚えていた。
ザキは、対象の命を奪う呪文。
それでしかカミュを止められなかったのだろう。
だが、カミュはセーニャを恨んでなどいない。
あのままビーストモードが解除されることなくセーニャを殺してしまっていたら、きっと死んでも死にきれない。
ならばいっそ、殺してくれたほうがずっとましだ。
結果、自分が一生目を覚まさなくなったとしても。


「馬鹿ね、死んじゃいないわよ。セーニャがザオリクですぐ蘇らせたから。正確には昏睡状態にある」
「昏睡状態?」
「あんたの体が魔力に対して貧弱すぎたから、一度に大量の魔力を浴びたせいで脳の機能が停止しちゃってるのよ。ほんとにアンタはひよっこなんだから」
「・・・・・悪かったな、ひよっこで」


つまりは、この霧に包まれた世界も昏睡状態に陥っている脳が見せている幻に過ぎないということ。
この小さいな自称天才魔法使いは、幻の中でも生意気だった。
カミュはがみがみと説教を垂れるベロニカを背に、胡坐をかいてふてくされる。


「で、なんでお前はわざわざ俺に会いに来たんだよ。お迎えってやつじゃないのか?」
「違うわよ。あんたに釘を刺しに来たの」
「釘?」


カミュはてっきり、ベロニカがわざわざ黄泉の国から自分を迎えに来たのだとばかり思っていた。
死ぬ前には走馬灯が見えるだとか、先に逝った知り合いが迎えに来るだとか、いろいろな迷信を聞いてきたが、まさか本当だとは思わなかった。
しかし、幻想として現れたベロニカはそれを否定する。
彼女らしくもない真剣極まりない表情でカミュを見つめると、穏やかな口調で話し始める。


「昏睡状態のあんたは、自分の意志で目を覚ますことが出来るはず。でもあんたは一向に目を覚まそうとしない。あんた自身が、それを拒んでいるからよ」
「・・・・・」
「現実に戻りなさい。あんたはまだ、死んでいいはずないんだから」
「・・・目を覚ましたところで、どの面下げてセーニャに会えっていうんだよ」


自分の右の手のひらを見つめ、カミュは静かに首を横に振った。
この手で、自分はセーニャを傷つけた。
襲い掛かっている最中、組み敷いていたセーニャの顔が恐怖で歪んでいたことはカミュにもわかっている。
仲間を傷つけた自分に、また一緒に旅をする権利などあるのだろうか。
カミュは迷っていた。


「あいつらはみんな強い。俺一人いなくても、魔王くらいなんとかなるだろ。俺の代わりは、誰にだって務まる」


半ば自棄になっているカミュ
そんな彼の青い頭を、ベロニカは手に持っていた堅い杖で思い切り殴った。
ドゴッという鈍い音が響き、カミュに壮絶な痛みを与える。


「いってぇ!何しやがる!?」
「あんたってホントそういうところ馬鹿よね」
「なんだと?」
「あんたは気を失ってて知らないだろうけど、イレブンもみんなも、あんたのこと死ぬほど心配してるのよ!? セーニャだって、あんたがこうなったのは自分のせいだと思ってずっと泣いてるし」
「え・・・」


知らなかった。
イレブンたちが、自分を心配してくれていることも、セーニャが泣いてくれていることも。
カミュは今まで、妹と二人だけで生きてきた。
そんな妹が黄金化し、別れてからは、たった一人で孤独に世を渡り歩いてきた。
自分の身は自分だけのもので、この体にいくつ傷が付こうと心配する者も涙を流すものもいない。
いつか自分は、たった一人で誰にも惜しまれることなく死んでいく定めにあるのだと、本気でそう思っていた。
けれど、今のカミュには、命を失うことで惜しんでくれる仲間がいる。
彼はそのことを、ずっと忘れていた。


「セーニャには、賢者セニカ様の生まれ変わりとして勇者様を支える役目がある。けど、セーニャだって、誰かに支えてもらえないといつか崩れ落ちてしまう。あの子を支えられるのは、あんたしかいないのよ、きっと」


険しい表情を崩し、今度は穏やかに微笑むベロニカ。
その顔は妙に大人びていて、一度も見たことがないはずの彼女の大人になった姿を彷彿とさせる。
やがて彼女は目の前の虚空をそっと指差した。
彼女が指さす場所には、霧に紛れて暖かな光が漏れ出ていた。
それは、このまどろみの空間から脱出できる出口のようである。


カミュ、あんたは勇者イレブンのたった一人の相棒なんでしょ?だったら、これ以上あたしを失望させないでよね」
「なんだよ、それ」


まるで早くここから出るよう促しているかのようなベロニカの言い草に、カミュはそっと彼女のほうを振り返る。
するとベロニカは、白い霧に包まれその姿を消そうとしていた。
次第に薄くなっていくベロニカの姿に焦ったカミュは、とっさに右手を出して彼女の体に触れようとするが、すぐにすり抜けてしまう。


「ちょ、ちょっと待てよ!ベロニカ、お前にはまだ話したいことが・・・!」
「セーニャのこと、頼んだわよ」


白い霧はふわりと舞い上がり、ベロニカの小さな体をかき消してしまう。
何もいなくなってしまったその空間には、カミュだけが取り残されてしまった。
戸惑うカミュをせかすように、背後で光る出口が輝きを増す。
ベロニカが示してくれたあの出口を使えば、きっとカミュの意識は戻るだろう。


「あいつ、何が失望させるな、だ。好きかって言いやがって」


ベロニカの言葉を思い出し、カミュは両手の拳をぎゅっと握りしめる。
まるで煽られているかのような言い草に、苛立ちを禁じ得ない。
彼女は、セーニャを支えられるのはカミュしかいないと言っていた。
セーニャが日増しに強くなっていることは、カミュもよく知っている。
そんな彼女がカミュの支えなしではいられないなど、到底思えない。
けれど、彼女がベロニカの言う通りカミュが意識を失ってしまったことの責任を強く感じているのなら、その考えを正してやらなくてはいけない。

あれは自分で力を抑えられなかった俺の責任であり、セーニャのせいなんかじゃない。
俺のために、これ以上傷付かないでくれ。

姉を失った悲しみからようやく前を向き始めていたセーニャを、自分のせいで再び悲しみの渦に突き落としたくはないのだ。
出口を照らす光が、だんだんと強くなっていく。
カミュは、その光めがけて走り出す。
ベロニカの望み通り、セーニャを支えるために。


********************


ゴツンという鈍い衝撃を頭に受け、カミュの意識は霧の世界から現実に引き戻された。
視界に広がるのは見慣れない天井。
手入れの行き届いたきれいなベッドの上で、カミュは横たわっていた。


「いっ・・・てぇ・・・」


衝撃を受けた頭を優しく摩りながら上体を起こすと、カランという音と共に両手杖が布団の上に転がってきた。
あの霧に包まれた世界で、ベロニカが持っていた杖と同じものである。
どうやらカミュが横たわっていたベッドに立てかけられたものが、何かの拍子にカミュの頭の上に振ってきたらしい。
幻想の世界でも、この現実でもカミュに痛みを与えてきたこの杖は、まさに持ち主と同じくらい気性が荒いようだ。

窓の外を見てみると、まだ明け方らしく、昇ったばかりの太陽が美しいラムダの里の建物たちを照らしている。
いそいそとベッドから抜け出して立ち上がると、突然の眩暈に立ちくらむ。
どうやらまだ体の調子が元には戻っていないようだ。
痛む頭を押さえながらあたりを見渡してみると、部屋の本棚にはたくさんの魔導書が並んでいた。
赤で統一された家具から察するに、ここはセーニャとベロニカの家。そしてこの部屋はベロニカの部屋なのだろう。
そうだ。セーニャはどこに?
彼女と話をしなくては。

急いで部屋を出たカミュは、すぐ隣のセーニャの部屋に向かった。
初めてこのラムダに一行が訪れたとき、セーニャとベロニカは自分たちをこの家に招き、命の大樹に出発する前に景気づけだとパーティーを開いてくれた。
その時に、各部屋の配置などを案内されていたのだ。
セーニャの部屋の前に立ったカミュは、迷わずノックする。
しかし何度扉をたたいても応答はない。眠っているのだろうか。
少々ためらいながらも部屋の扉を開けてみると、部屋はもぬけの殻だった。
それだけではなく、彼女の装備品や武器までもが部屋から消えている。
セーニャが出かけてしまったことはすぐに想像がついた。

しかし、イレブンをはじめとするほかの仲間たちは、他の部屋ですやすやと眠っている様子。
カミュだけが置いて行かれたのではなく、セーニャが仲間を置いて一人で出て行ったのだ。
出て行ったのはおそらく深夜だろう。しかし、何故?

一度ベロニカの部屋に戻ったカミュは、ベッドの上に腰掛けて考える。
幻惑の中でベロニカは、セーニャがカミュの意識が失われたことで責任を感じていると言っていた。
それが本当なら、自責の念に駆られて姿をくらましてしまったのだろうか。
それとも、ただ夜の散歩に出ただけか。
色々な考えが、カミュの頭をめぐる。
と、頭を使っていたカミュの視界に、テーブルのうえに置いてあった一冊の魔導書が目に入る。
開かれた状態で放置されているその魔導書を覗き込んでみると、そこには興味深いアイテムについて掲載されていた。

虹の氷。
シケスビア雪原南東部に現れるというその氷を解かせば、魔力を分解する水に変化するという。

確かベロニカは、カミュが昏睡状態に陥った原因は大量の魔力を浴びたせいだと言っていた。
未だ頭痛が収まらないのは、恐らくまだ体内に多量の魔力が残っているせいか。
この魔導書をセーニャが見ていたのなら、もしかすると、自分を目覚めさせるためにこの氷を採りに行こうという考えに至ったかもしれない。
責任感の強い彼女のこと。
この事態に責任を感じていたのなら、イレブンたちにも声をかけず、独りシケスビア雪原に向かったとしても不思議ではない。


「セーニャ・・・」


短い髪をなびかせるその少女の姿を思い浮かべ、カミュはそっと魔導書を閉じた。
独りで責任を背負い込んでいる彼女を、放ってなどおけない。

俺はあいつに、ベロニカに託されたんだ。
セーニャを任せたと。
もうこれ以上、あいつを傷つけさせやしない。

テーブルの上に置いてあった二本の短剣を手にしたカミュは、窓を開け放ち、隣の民家の屋根を伝って外へ飛び出していくのだった。


********************


眠気眼をこすりながら、イレブンは階段を下りる。
昨夜はカミュのことを考えていたためなかなか眠りにつけなかった。
寝苦しい夜を越えた一行は、厚意に甘えて宿泊したセーニャの家で朝を迎えた。
朝食を採るために一階に降りてきたイレブンだったが、リビングに仲間たちの姿はない。
それどころか、セーニャの両親の姿すらなかった。
首を傾げ、イレブンは外の様子をみるために玄関の扉を開けてみる。すると・・・。


「セーニャちゃーん!どこにいるのー!?」
「いたら返事をするんじゃー!」


家の外、ラムダの広場では、里の人たちに交じって仲間たちが忙しなく歩き回っていた。
セーニャの名前を必死な形相で叫びながら周囲を見渡す仲間たちと里の住人達。
この里で何かが起きてしまったことは明らかだった。
呆然としていたイレブンだったが、横から近寄ってきたグレイグの声ではっと我に返る。


「イレブン、起きたか」
「いったい何が・・・」
「セーニャがいなくなったんだ」
「え!?」


セーニャを探す里の者たちの中に、行方不明になってしまったらしいセーニャの両親がいた。
彼らもまた、今にも泣きだしそうな表情で娘の名前を呼んでいる。
グレイグの話によると、朝になってセーニャの様子を見に行ったマルティナが、彼女のベッドが空になっていることに気が付いたことで騒動が広まったとのこと。


「ラムダの中は里の者がくまなく探しているが、全く見つかる気配がない。一体どこに行ってしまったのやら」


顎に手を添え、うつむき加減で考え込むグレイグ。
訝しげな顔を見せるグレイグにつられるように、イレブンも眉をひそめた。
セーニャは、カミュが意識を失ったことに対して責任を感じていたのか、昨晩は元気がなかった。
思いつめ、悲しみに暮れていた結果、独りで姿を消してしまったのだろうか。
弱弱しく微笑むセーニャの顔を思い浮かべ、胸中に不安が広がっていくイレブン。
そんな彼の背後、セーニャの家から慌てた様子でマルティナが飛び出してきた。


「大変よ!カミュがいないの!」
「え!?」


切羽詰まった様子のマルティナの言葉に、イレブンは思わず大声で驚いてしまう。
隣のグレイグもまた、目を大きく見開いて動揺している。
里からいなくなってしまったのは、セーニャだけでないようだった。
昏睡状態に陥っていたはずのカミュが、何故寝室を抜け出していなくなってしまったのか、イレブンには全く分からない。
しかし、事態は華急を要することだけは誰の目にも明らかであった。
とにかく、カミュまでもがいなくなってしまった事実を、皆に知らせなければ。
イレブンは里の中央でセーニャを探しているシルビアやロウに向かって駆け出した。


********************


明け方の雪原は極めて温度が低く、セーニャの体温を着実に奪っていく。
誰もいない銀世界を一人進むセーニャは、寒さによって少しずつ奪われていく体力に息を乱しながら、雪原の南東部を目指していた。
足が冷え切ってしまってひどく痛い。
吹き荒れる風は頬を切り裂くように冷たい。
けれど、こんな痛み、カミュが受けた苦しみに比べれば何ということもない。
彼を救わなければ。
その使命感だけで、セーニャは足を動かしていた。


「あ・・・ありました!」


前方数十メートル先。
凍った池の端に、虹色に光る氷の柱が立っているのが見えた。
間違いない。ベロニカの魔導書に載っていた虹の氷である。
その美麗な氷を見た瞬間、セーニャの瞳に希望の光が灯った。
あれを溶かした水をカミュに与えれば、きっと意識を取り戻してくれる。
セーニャはそれまでの疲れが嘘のように元気よく駆けだした。

氷のすぐそばまで駆け寄ると、事前に用意していたアイスピックを取り出し、氷の柱に軽く突き当てる。
そして、砕けた氷の破片をからの水筒に入れた。
ラムダに着くころには、きっと溶けて水になっているだろう。
これで、きっとカミュは・・・。

水筒のふたを閉め、安堵したその時だった。
セーニャの背後にあった雪の塊が突如として崩れ落ち、地響きと共に中で眠っていたであろう大きな魔物が姿を現した。


「あ・・・っ」


威嚇するかのような咆哮を轟かせ、目の前で仁王立ちする熊のような魔物は、巨体を揺り動かしながらセーニャとの間合いを詰めていく。
対するセーニャは、突如として現れた大きな魔物を前に動揺し、すぐに武器を構えられずいた。
熊の魔物をその大きな手を振りかぶり、セーニャに向けて容赦なく振り下ろしてくる。
セーニャは小さく悲鳴を上げると、とっさに真横に体をずらし魔物の攻撃をかわす。
だが魔物は、その後も追撃しようと大きく咆哮をしている。
イレブンたちが一緒ならまだしも、セーニャ一人でこのように大きな魔物の相手をすることはどう考えても無理があった。
ここは逃げなくては。
雪をかき分け、セーニャは懸命に走り出す。

だが、長時間雪道を歩いてきたせいか、体が冷え切り思うように走れない。
やがて数メートル走ったところで、雪に足を取られ転倒してしまった。
真っ白な雪がクッションとなってセーニャの体を衝撃から守ってくれたが、後を追ってくる魔物からは決して守ってはくれない。
追い詰めたと言わんばかりに威嚇してくる魔物を前に、セーニャは恐怖でうごけなくなってしまう。

助けて。誰か助けて。
なんど助けを求めても、誰も助けには来ない。
お願いお姉さま。助けて!
そのときだった。


「セーニャ!」


切羽詰まった声が、セーニャの耳に届く。
その声を聴いた途端、根拠のない安心感がセーニャの心を包んでいく。
瞳を開ければそこには、背後から魔物に飛びつき、その首筋に短剣を突き立てている青い髪の青年がいた。
痛みに悶える魔物は体を激しく揺らし、何とかカミュを振りほどこうとする。
やがて毒を含んだ刃を魔物の首筋から抜くと、そのまま飛び降りてセーニャをかばうように前に降り立った。


「か、カミュさま・・・どうして・・・!」
「説明はあとだ!セーニャ、お前は下がってろ」


傷をつけられ、怒りに震える魔物はカミュに容赦なく襲い掛かってくる。
両手に装備した短剣でなんとかその猛攻を防ぐカミュだったが、まだ取り払うことが出来ない頭痛に神経を削られ、うまく立ち回ることができない。
いつもより動きが鈍くなっているカミュは、ついに魔物の爪を交わしきることが出来ずに後方へと吹き飛ばされてしまった。
虹の氷の柱に体を叩きつけられ、苦痛に顔をゆがませるカミュ
そんな彼に、セーニャは急いで駆け寄った。


カミュさま、大丈夫ですか!?」
「くそ、まだ思うように動けねぇ。こうなったら・・・」


セーニャに体を支えられ、よろけながら立ち上がったカミュ
目の前の魔物に敵意を向けながら、彼は背後で体を支えるセーニャに向かって指示を飛ばした。


「セーニャ、ビーストモード頼めるか?」
「え!? で、できません!またカミュさまを暴走させてしまうかもしれません!」


カミュの提案通り、彼をビーストモードにしてしまえば楽に勝てるかもしれない。
けれど、つい昨日失敗したばかりの記憶が、セーニャを躊躇させる。
また、放出する魔力の量を間違えてカミュを暴走させてしまうかもしれない。
それに、今の彼はただでさえ体に多量の魔力をため込んでしまっていて体調が不安定になっている。
これ以上魔力を注入することは自殺行為とも言えた。
だが、カミュはためらわない。
自分の腕に添えられたセーニャの手に己の無骨な手を重ねると、彼女の大きな瞳を見つめながら落ち着かせるように語り掛けた。


「セーニャ、俺はお前を信じてる。だからお前も俺を信じてくれ」
カミュさま・・・」


覚悟を決めた鋭い瞳に射抜かれ、セーニャは息をのむ。
ここは、彼の強さに賭けてみよう。
彼ならばきっと、大きな力を得ても飲み込まれずに耐えきってくれるはず。
カミュの瞳を見つめ、力強くうなずいたセーニャは、彼から少しだけ離れててスティックを構えた。
深く集中し体中の魔力を増幅させる。
そして、一度に大量の力を放出しすぎぬよう、慎重にかつ丁寧にカミュへと送り込む。

セーニャからの魔力を体に宿し、カミュは自分の中から強大な力が沸き起こってくる感覚を覚えた。
しかし、今回は以前までと違って心が穏やかだ。
自分の中をかき乱すような激しい力などではなく、柔らかく優しい力がカミュの闘志を高めていった。
そして、彼の瞳は血潮のように赤く染まる。

風のように軽くなった体で地面の雪を蹴り上げ、目の前の魔物に飛び込んて行くカミュ
爪で引き裂こうと振りかぶってくる魔物の懐に難なく入り込むと、急所に向かって両手の刃を突き立てた。
一瞬のスキを付いて大打撃を与えたカミュは。続いて魔物の背後に回り背中に刃を突き立てる。
獣と化したカミュを前に、もはや魔物はなすすべもなかった。
もだえ苦しんだ末、魔物は霧のごとく消滅する。
魔物の背中に飛びついていたカミュは、ふわりと羽のように雪の上に着地した。


カミュ、さま・・・?」


恐る恐る彼の名前を呼ぶセーニャ。
背を向けていた彼は、ゆっくりと彼女のほうへと振り返る。
こちらに顔を向けたカミュの瞳は、いつも通りの穏やかなものだった。
力が抜けたように優しく笑うカミュの顔を見た瞬間、視界がゆがんでゆく。
鼻の奥がつんとする感覚を覚えた直後、セーニャの瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
そして、ほとんど無意識で駆け出すと、カミュの広い胸元に体を預けていた。


「お、おいセーニャ?」
「よかった・・・っ。また、失敗してしまったらと、怖くて・・・」


すすり泣くセーニャの肩は、小さく震えていた。
自分の胸によりかかり泣いている彼女の様子に小さく笑みをこぼすと、カミュはセーニャの美しい金色の短髪に指を絡ませる。


「言っただろ?俺を・・・信じろ、って・・・」
「か、カミュさま!?」


突如として足に力が入らなくなってしまったカミュは、セーニャを抱いたままその場に崩れ落ちてしまった。
驚いたセーニャはとっさにカミュの体を支え、その顔を覗き込む。
汗をかき、うつろな目をした彼の息は激しく乱れていた。
身体は熱を帯び、体にため込んだ多大な魔力を体外に放出し始めているようだった。
意識が戻ったからと言って、カミュの体にため込まれた大量の魔力が消えたわけではない。
さらにビーストモードになるため再び魔力を注入したせいで、限界を突破してしまったのだろう。
今にも気を失いそうになっているカミュは、息も絶え絶えに苦悶の形相を浮かべていた。


「すまねぇ。ちょっと、無理しすぎたみたい、だ・・・」
カミュさま、こんな体で助けに来てくださったのですね・・・。待っていてください。すぐ楽にして差し上げます」


セーニャは急いでカミュの頭を正座した自分の膝の上に載せると、懐から水筒を取り出した。
ふたを開けると、中に入れていた虹の氷が少しだけ溶けだして水が滴っている。
まだ少量しか溶けだしていいないが、これを飲ませればカミュの体内にある魔力が分解され、きっと楽になるはず。


カミュさま、さぁこれを飲んでください」


水筒の飲み口をカミュの口元に持っていくセーニャ。
しかし、意識が朦朧としているカミュは、息をするのがやっとのようで、自分の力で水筒に口をつけて飲むことが出来ない様子だった。
カミュの息は次第に薄くなっている。
このまま放っておけば、きっとまた昏睡状態に陥ってしまうだろう。
迷っている場合ではなかった。
セーニャは水筒の水を口に含むと、自分の膝の上で苦しむカミュの顎を引き、彼の唇へと自分のものを押し当てた。

口に含んだ水を、カミュの口内へと押し流していく。
彼がむせないように、ゆっくりと。
そして口内の水分がなくなり、セーニャはカミュの唇から離れた。
虹色の氷から解けだした聖なる水が、カミュのはびこる魔力を分解していく。
彼の体から発せられていた熱は次第に冷めていき、荒かった呼吸も穏やかなものへと変わる。
そして、苦しそうに瞑っていた瞳がわずかに開かれ、カミュの瞳がセーニャの不安げな表情をとらえた。


「お前、こんな大胆なこと、できたんだな・・・」
カミュさま・・・っ!」


微笑みかけてくるカミュの様子は、いつもと変りなく優しいものだった。
上半身に力を込めてセーニャの膝から起き上がったカミュは、涙で濡れているセーニャの頬をそっと撫でる。


「この水を採りに来るために、こんなところまで来たのか。ったく、無茶しやがって
「だって、カミュさまは私のせいで・・・」
「お前のせいじゃない。俺がうまく力をコントロール出来なかったのが悪いんだ」


泣いているセーニャの後頭部に手を回し、カミュはそっと引き寄せる。
優しく包み込むように抱きしめると、セーニャの額がカミュの肩に押し当てられた。
カミュを救うため、この氷水を求めてわざわざたった一人でシケスビア雪原奥地までやってきたセーニャ。
彼女はベロニカの力を受け継いだとはいえ、もともと戦闘向きの人物ではない。
ここに来るまで、何度も危険な目に遭ったことだろう。
服の汚れや腕の擦り傷が、彼女の苦労を物語っていた。


「ありがとな、セーニャ。おかげで助かった」
「私の方こそ。カミュさまが来てくださらなかったら、どうなっていたことか・・・」


そっとセーニャを抱く腕を緩め、顔を覗き込むと、彼女は照れた様子で顔を赤くしていた。
鼻まで赤くなっているのは、きっと寒いせいだろう。
雪の上に長い時間いれば、風邪をひいてしまう。
2人が仲良く凍傷になってしまう前に、カミュはセーニャの手を引いてラムダの里へと戻ることにした。


********************


「かんぱーい!!」


太陽が山々に沈んだ頃。
セーニャの生家では酒やら果実水やらを片手に盛り上がる勇者一向の姿があった。
朝一でセーニャとカミュが里からいなくなったという報は一行を大いに混乱させたが、昼頃ひょっこり帰ってきた二人に脱力しつつも安堵した一行。
娘の行方が分からずパニックに陥っていたセーニャの両親は、彼女を連れ帰ってきたカミュに心から感謝し、ぜひうちで宴会をと提案を申し出た。
遊興を愛するシルビアを筆頭に、その提案を喜んで受け入れた一行は、セーニャの帰還とカミュの回復を祝う宴会を開くこととなったのだ。


「いやぁ良かったのう。セーニャが無事だったのはもちろん、カミュも問題なく回復してくれた。すべてめでたしめでたしじゃな」
「そうですね、ロウ様。ほんと心配したんだから」


もう酔いが回っているのか、すでに赤い顔をしているロウが朗らかに笑う。
隣でイレブンの杯に葡萄酒を注いでいるマルティナが、ロウに賛同する形で頷いた。
その言葉に嘘や社交辞令などはなく、本心から心配していたことが伝わる言い方だった。
カミュの肩に手を置いて微笑みかけているグレイグもまた、何も言わずとも安堵しているのがわかる。
幻惑の世界でベロニカが言っていたように、仲間たちはカミュのことを心から心配していた。
その事実にむず痒さを感じ、カミュは赤い顔を隠すようにラム酒が注がれている杯に口をつける。


「それにしても、まさかセーニャちゃんがカミュちゃんを救うために一人で危険に身を投じちゃうなんてね。カミュちゃんもあたしたちを置いて助けに行っちゃうし、少しくらい声かけてくれればよかったのに」
「あぁ。俺たちは同じ目的を共有する仲間だ。もっと頼ってくれてもいいだろう」


哀し気に眉を寄せるシルビアに、腕を組むグレイグが頷く。
カミュとセーニャが無事里に戻ってきたことに喜びを感じていた一行だったが、それと同時に二人とも周りを頼らずに一人で解決しようとしていたことにほんの少しの悲しさも覚えていた。
まるで頼られていないような、信頼されていないような、そんな感覚だった。


「すみません、皆さん。今回のことは私が原因だと自負していたので、皆さんにご迷惑をおかけするわけにもいかず・・・」


水が入った杯を両手に持ち、うつむくセーニャ。
申し訳なさそうに瞳を伏せる彼女の姿に、グレイグもシルビアもそれ以上何も言えなくなってしまった。
彼女は責任感が強い。
ベロニカが無くなった時も、独りで勇者を導く役目を果たさねばと気を張っていた。
良くも悪くも心に負担を受けやすい彼女はが、誰にも迷惑をかけないよう身を削る覚悟で一人危険に飛び込んだのも、ある意味では当然の成り行きだったのかもしれない。

隣に立っているセーニャの自負を振り払ってやらなければと口を開きかけたカミュだったが、突然肩に腕を回されたことで言葉を遮られてしまう。
勢いよく肩を組んできたのは、イレブンだった。
反対側の腕でセーニャの肩も組んでいる勇者様は、祖父と同じく酔っているのか赤い顔をしている。


「そんなことより。なんで二人とも、ビーストモードの特訓に僕を誘わなかったわけ?」
「「え?」」


赤い顔のまま睨みつけてくるイレブンの言葉に、カミュとセーニャはそろって声をあげる。
じっとした目で見つめてくる彼は、昨日カミュとセーニャが自分を誘わずビーストモードの練習をしていたことに苛立ちを感じていたようだった。


「あの技は僕たち3人の技でしょ?のけ者にするなんてひどいよ」
「い、いえあの・・・のけ者にしたわけでは・・・」
「お前あの時鍛冶で忙しそうだったしなぁ・・・」


言い訳を並べてみたが、イレブンは拗ねたような顔を崩さず両脇二人の肩を組んだまま。
困り果てたカミュとセーニャはイレブン越しに顔を見合わせるが、互いに困った顔を見せ合うばかりで何の解決にもならない。
イレブンの絡み酒に巻き込まれた様子のカミュとセーニャに、はたから見ていたマルティナやシルビアは至極愉快そうに笑っていた。


「とにかく!無理にあの技を二人で完成させようとしないでよ。三人でやるからこその連携技なんだからさ」


半ばやけくそのごとく、イレブンは言い放った。
確かに彼の言う通り、最初からイレブンを誘っていればカミュが暴走することもなかっただろう。
雪原にて、セーニャの力だけでカミュをビーストモードにすることはできたが、極めて短い間だけだった。
やはり、あの技は三人で完成させるべきものなのだろう。
カミュは観念したように小さくため息を吐くと、自分の肩に腕を回しているイレブンの背中を優しくたたいた。


「わかったよ相棒。みんなも悪かったな」


カミュの謝罪に、一行は微笑みを返した。
仲間たちの誰一人として、カミュやセーニャに対して迷惑だなどとは思っていない。
イレブンが納得した様子でカミュとセーニャを解放したと同時に、葡萄酒の杯を掲げたシルビアの“今日は飲むわよー!”という掛け声が家中に響き渡った。
ベロニカがこの世を去って以来、こうして楽しい宴会を催したのは初めてのことだった。
一行は飲み、食べ、そして笑い、楽しいひと時を過ごす。
いつの間にやら宴会の主役であったカミュやセーニャを放り出し、シルビアの半生について話題が切り替わったころ、カミュは居間にセーニャの姿がないことに気が付いた。
杯を置き、今を出て彼女の姿を探すと、2階のバルコニーで夕空を見上げている後ろ姿を見つける。


「何してんだ?セーニャ」


背後からかけられた声に肩をびくつかせ、セーニャは振り替える。
すぐそこに立っていたカミュの姿に安堵したセーニャは、ふわりと柔く微笑み、彼の名前をつぶやいた。


「すこし疲れてしまって。気分転換です」


彼女は普段酒を嗜まない。
今回も酒ではなく水を飲んでいたセーニャだったが、場酔いしてしまったのかほんのり頬が桜色に染まっていた。
バルコニーの手すりに両腕を乗せる彼女の横に並んだカミュは、一緒に赤く染まった夕焼け空を見上げる。


カミュさま、一つお聞きしてもいいですか?」
「ん?」
「どうやって目を覚ましたんです?教会の神父様は、いつ目を覚ますか分からないと仰っていたので、てっきり一生眠ったままかと思っていましたのに」


カミュにとって、その話は初耳だった。
昏睡状態に陥っていたとは聞いていたが、まさかそこまで重大な事態として捉えられていたとは考えてもいなかったのだ。
一生目が覚めない可能性を示唆されたことで、セーニャが焦りを感じ危険に身を投じたというのなら、勇敢過ぎるあの行動にも納得ができる。


「夢の中で煩い奴に叩き起こされたんだよ。そいつに、セーニャを任せたって言われてな」
「うるさい奴・・・ですか」


はっきりと明言しようとしないカミュに、セーニャは首をかしげる
昏睡状態に陥ってもなお、その人の夢を見るだなんて、きっとカミュの中でその人の存在は計り知れないほど大きいのだろう。
そう思うと、何故だか胸にチクリとした痛みが走る。
その痛みに気を取られていたセーニャは、自らの腕にカミュの指がそっと撫でるように触れられていたことに暫く気付かなかった。


「この傷・・・跡残っちまうよな」


申し訳なさげに瞳を揺らし、訪台が撒かれたセーニャの白い腕を優しく撫でるカミュ
この傷をつけた瞬間の記憶はきちんと残っているらしい。
いっそ忘れてくれていた方が気が楽だったのに。
カミュには、そんな顔をしてほしくなどない。


「このくらいなんてことありません。カミュさまが責任を感じるようなことでは・・・」
「いや」


包帯で隠れた傷口のあたりを、カミュは親指でなぞる。
まだ塞がらずにいる傷が、第三者に触れられたことでムズムズとうずき出す。
何となくくすぐったくて、それでいて気持ち良くて。セーニャは身をよじる。
けれどカミュは、逃げようとする彼女の腕をしっかりつかみ、話そうとはしなかった。


「責任取らせてくれよ。一生かけて、償っていくから」
「えっ・・・」


熱を帯びた真剣な瞳に見つめられ、セーニャは体温が上昇していく感覚を覚えた。
今、きっと自分は赤い顔をしている。
恥ずかしい、逃げ出してしまいたい。
けれど、何故だかこの綺麗な瞳から目を逸らしたくはない。

一生かけて、なんて言われたら、妙な期待をしてしまう。
彼はどういうつもりでその言葉を選んだのだろう。
何も考えていないのか。それとも・・・。


「あーっ!いたーっ!もうカミュちゃんもセーニャちゃんもどこ行ってたのよ~」
「主役がいなくなってどうするんじゃ!ほれ、はやく居間に戻るぞい」


いつの間に二階まで上がってきたのだろう。
バルコニーに続く部屋の扉を、シルビアとロウが勢いよく開け放った。
腕をつかみ、近い距離感で話す男女の雰囲気を察することが出来ぬほど、シルビアとロウは酔っている。
思わぬ乱入を喰らったカミュは、彼らに気付かれないよう小さくため息をつくと、捕まえていたセーニャの腕を離す。
先ほどまで逃げ腰だったはずのセーニャは、離れていくカミュの指に名残惜しさを感じてしまう。


「分かった分かった。今戻るから」


手招きするロウに従い、カミュはセーニャの元を離れて部屋から出ていこうとする。
その背中を視線で引き留めてみるが、伝わることは無い。
“セーニャちゃんも行きましょ”とシルビアに声をかけられ、ようやく我に返ったセーニャはろ、前を歩くロウやカミュを追う形で歩き出す。
先ほどまであんなに熱を帯びた真剣なまなざしをしていたのに、今はそれが嘘のようににこやかにロウと話している。
心をかき乱してくる彼の言葉や態度が少しだけ憎らしくて、後ろからじっと見つめてみるセーニャ。

あの時のあの言葉は、一体どういう意味だったのですか?
念じるように心で問いかけてみると、奇跡か偶然か、カミュはわずかにこちらを振り返った。
ふっと不敵な笑みを浮かべた彼は、まるでいたずら好きな子供のよう。
自分だけに向けられたその笑みを見た瞬間、セーニャの旨はどきりと強く鼓動を打ったのだった。