【カミュセニャ】
■ゲーム本編時間軸
■短編
武器に防具、アクセサリーに回復薬。そして素材。
ダーハルーネほどの大きな港町なら、欲しいものは大体手に入る。
しばらくぶりに立ち寄ったこの町は相変わらず活気にあふれていて、到着した途端一行は各々行きたい場所へと散らばっていった。
相棒であるイレブンのことはグレイグやマルティナあたりに任せ、カミュも自分が必要としている道具の買い出しへと露天街に出てきていた。
買い物リストのメモに目を通しながら路地を歩くカミュ。
朝から店を回っていたおかげで、買うべきものはもう揃ってしまった。
他にやることも寄るところもないし、とっとと宿屋に戻ってひと眠りするか。
そう決めて、宿屋までの道を歩いていたカミュは、見慣れた一人の女性の姿を見つけて立ち止まった。
セーニャである。
とある店の前にいる彼女は、入り口前に置かれた看板を穴が開くほど凝視している。
その異様ともいえる光景を目にし、カミュは興味本位で話しかけてみることにした。
「セーニャ。何してるんだよ」
「あ・・・カミュさま」
カミュの姿を見つけたセーニャは、何故だかばつが悪そうに下を向いてしまった。
それほど真剣にいったい何を見ていたのだろうと目の前に看板に目を向けてみると、そこには黒い板に白いペンでこう書かれている。
本日はカップルデー。恋人同士限定、スイーツ食べ放題。
丸い字体で書かれたその謳い文句の回りには、かわいらしくハートマークが大量に描かれている。
この店は確か、以前ダーハルーネを訪れた時にセーニャがいたく気に入っていたケーキ屋であった。
恐らくは今回も食べに来たのだろうが、この“恋人同士限定”の言葉に阻まれ入店できずにいたのだろう。
「せっかくダーハルーネに戻ってこれたのでこのお店に行こうと随分前から決めていたのですが、まさか今日に限って恋人同士限定入店の日だったとは、リサーチ不足でした・・・」
「恋人同士限定ねぇ・・・」
開け放たれたお店の扉から中の様子を覗き込んでみれば、確かに店内は仲睦まじいカップルで溢れかえっていた。
普段は誰でも分け隔てなく入店を許可しているこの人気店だが、こうして定期的に特定の人間しか入れないようなイベントを企画することで特別感をあおり、店の人気を押し上げているようである。
なかなかうまい商法だなと感心する一方、せっかく長旅の末念願のケーキにありつけると思っていたにも関わらず肩透かしを食らってしまっているセーニャが少々可哀そうにも思えてきた。
店内での食事ではなく持ち帰りで購入しようにも、ケーキの販売自体が本日に限りカップル限定となっているのだから救いがない。
肩を落としているセーニャはかわいそうだが、ここは諦めるしかないのだろう。
「残念だな。せっかく来たのに」
「はい・・・でも仕方ありません。またの機会に食べに来ようと思います」
甘いものが大好物なセーニャにとって、今回の出来事は相当ショックなものだっただろう。
しかし、今は世界を救う重要な旅の最中。
我が儘を言っていられないのはセーニャもよく分かっている。
残念に思いながらも諦めようと顔を上げたその時だった。
店の奥に引っ込んでいた女性店員が、駆け足で店の外に出てきたのだ。
「いらっしゃいませー!お客様、2名様ですね!」
「へ?」
可愛らしい店の制服に身を包んでいる女性店員は、はじけるような笑顔でカミュとセーニャに声をかけてきた。
カップル限定の店の前で、一組の男女が看板を前に話している光景は、入店を迷っているカップルにしか見えなかったのだろう。
突然甲高い声で話しかけられたことに驚き。セーニャは間の抜けた返事を返していた。
「ちょうど席空きましたんで、ご案内しますね!」
「あ、いえ私たちは・・・」
「お客様、すっごくついてますよ。実はお二人が本日100組目のお客様なんです。100組目のカップルには、うちのパティシエ特製の数量限定絶品ミルクレープを無料でサービスさせていただいているんです」
「絶品ミルクレープ!?」
店員の言葉に、セーニャの目の色が変わる。
その絶品ミルクレープとやらは、100組目や1000組目といった節目のカップルにしか提供していないらしい。
限定だの、特別だの、無料だの。
とことん商売がうまい店である。
現に店の目の前で立ち尽くしていたセーニャは、その心躍る響きに魅了され、より一層ケーキへの未練が捨てられなくなってしまっている。
横でうっとりとしているセーニャを見て、ここで入店しないという選択は取れなくなってしまった。
「じゃあ、席に案内してもらえるか?」
「え、カミュさま?」
「はぁーい!100組目のカップル様、ご案内でーす!」
カミュの言葉を受け、店員は嬉しそうに手を挙げて意気揚々に店内へと入っていった。
その背を追うように店の中へと入ろうとするカミュだったが、背後から右腕をぎゅっと掴まれてしまう。
振り返ると、そこには戸惑った顔でカミュの腕を抱き締めるセーニャの姿が。
「カミュさま、私たち恋人同士じゃありません。・・・よね?」
あまりに自然な流れで入店を決めてしまったカミュの行動に、セーニャは戸惑いを隠せなかった。
ここは恋人同士限定のお店。
もしかして、知らないうちに自分たちは恋人同士になっていたのだろうか。
いや、そんなことは無い。あるはずがない。
混乱している様子のセーニャがおかしくて、クスッと噴き出したカミュは周りの客や店員に聞かれないようにこっそりと彼女へ耳打ちする。
「でも食いたいんだろ?パティシエ特製数量限定絶品ミルクレープ」
セーニャは素直な女性である。
食べたいんだろ?と聞かれれば、YESと答えざるを得ない。
恥じらいながらも小さく頷くセーニャに、カミュは笑みをこぼした。
「じゃあいいじゃねぇか。店員も俺らのことカップルだって思ってるみたいだし」
「で、でも・・・嘘はいけません!もしバレてしまっては・・・」
元盗賊であったカミュは、人を欺くことも生きる上では必要だと常々考えていた。
しかし、聖地ラムダで大切に大切に育てられた清純な彼女は、まぶしいほどにまっすぐな性格である。
嘘の一つでもつければ、もっと気楽に生きられただろうに。
ならば、自分が嘘の甘みを教えてやろう。
不敵な笑みを浮かべたカミュは、自然な手つきでセーニャの腰を抱くと、僅かに力を込めて自分の方へと引き寄せた。
「じゃあ、ばれないように恋人同士を演じなきゃな」
耳元で囁かれた言葉に、セーニャは顔を赤く染め上げる。
周りに聞こえないようわざと耳元で言ったのだろうが、そのしぐさがまるで愛読しているおとぎ話に登場する王子様のよう。
何故だかほんの少しだけ楽しそうに笑っているカミュのいたずらな笑顔を見ていると、胸の奥がきゅんと高鳴るのが分かった。
そして、それ以上何も言えなくなってしまう。
腰に手を添えられ、まるで舞踏会での一幕のようにエスコートをしてくれるカミュに従い。セーニャは大人しく店の中へと足を踏み入れた。
********************
店員によって通されたのは、店の端にある窓越しの席だった。
道行く人を観察するにはうってつけのこの席に座った瞬間、セーニャは外の景色などには目もくれず、一心不乱にメニュー表を読み漁り始めている。
先行して運ばれてきた紅茶をたしなみながら、カミュはその様子をほほえましく眺めていた。
「見てくださいカミュさま、おいしそうなケーキがこんなに。果実のタルトにモンブラン、チョコレートケーキにショートケーキ。あ!ブリュレやパフェまであるんですね!迷ってしまいます・・・!」
「好きなの食えよ。せっかく来たんだからさ」
「はい!」
満面の笑みで返事をするセーニャ。
そんな彼女が最終的に頼んだケーキやスイーツは計5品。
運ばれてきた特製ミルクレープを入れれば6品である。
テーブルを埋め尽くすほどのケーキやスイーツの数に圧倒されていたカミュだったが、すべて美味しい美味しいと感動した様子でぺろりと平らげているセーニャの姿に関心すらしてしまう。
なかでも、やはり限定のミルクレープが一番のお気に入りだったようだ。
一口食べるごとに感嘆の声を漏らしているセーニャは、本当にここのスイーツが好きなのだろう。
ここ数日で一番楽しそうに瞳を輝かせている。
「美味いか?」
「はい!とても!」
「そうか。入って良かっただろ?」
「そうですね。嘘も方便とはこういう時に使う言葉なのかもしれません」
恋人を偽って入店したことに最初は罪悪感を感じていたセーニャ。
しかし、もはや店員や他の客たちも二人に疑惑の目を向ける者はいない。
完全に周囲のカップルたちと溶け込めているようだ。
「それより、カミュさまは食べないのですか?先ほどから何も注文なさっていませんが・・・」
「ん?あぁ、甘いものはそんな得意じゃなくてな」
「えっ」
嫌いというわけでもなかったが、セーニャのように気持ちよく食べ放題を満喫できるほど好きでもなかった。
少なくとも、こうしてわざわざスイーツ専門店に足を運ぶほどの熱量は持ち合わせていない。
そんなカミュの本音に、セーニャは驚いてしまう。
この店に入ろうと先に言い出したのはカミュの方だった。
てっきり彼も、自分ほどではないにしろ甘いものが好きなのだと思っていたのだ。
つまり彼は、スイーツ好きのセーニャのために嘘までついてくれたことになる。
そう考えると途端に罪悪感に襲われてしまい、セーニャはフォークを皿の上に置いて小さく頭を下げた。
「すみません。そうとは知らず、付き合わせてしまって・・・」
「気にすんなって。他にすることもなかったし。それに、美味かったならそれでいいじゃねぇか」
さっぱりと言い切るカミュの言葉に、セーニャの中で渦巻いでいた罪悪感は薄くなっていく。
カミュは優しい。
ぶっきらぼうに見えながらも、さりげなくかけられる気遣いにセーニャはいつも助けられていたし、好ましくも思っていた。
好きでもないスイーツのお店にわざわざ付き合ってくれたり、そのために一緒に嘘までついてくれたり。
他愛もないことかもしれないが、セーニャにとってはそれが大きな優しさに思えていた。
「おっと、もうこんな時間か。そろそろ宿屋に帰ろうぜ」
「あ、はい。ではその前にお手洗いに・・・」
「じゃあ先に出て待ってるな」
基本的に、旅の資金は一行の共通のお金である。
当然、このスイーツ店の支払いもその資金から捻出される。
カミュはその資金が入った財布を片手にレジに向かい、セーニャは反対方向にある化粧室へと向かった。
この店の化粧室は、店員が出入りするバックヤードのすぐ横に位置している。
手を洗い、個室から出たセーニャだったが、外で待っているであろうカミュのもとに向かう途中で、バックヤードの扉の向こうから店員たちの世間話が耳に入った。
「ねぇねぇ、今日の100組目のお客様見た?」
「見た見た!彼氏さんのほう超かっこよかったよね」
「あたしもあの人みたいなイケメンの彼氏欲しい~」
それは、カミュの容姿をほめたたえる声だった。
彼氏役として隣にいてくれたカミュが褒められるのは、なんだか誇らしい。
優しくて包容力もある彼は、やはり見ず知らずの人から見てもかっこよく映るのだろう。
カミュと合流したら、店員たちが褒めていたことを教えてあげよう。
きっと悪態をつきながらも喜んでくれるはずだ。
「てかさ、彼女さんの方もめちゃくちゃ美人だったし、あぁいうのを美男美女カップルって言うんだろうなぁ」
「だよね。お似合いって感じ!」
「やっぱりあんなイケメン手に入れるにはあのくらいの美女じゃなくちゃダメなのね~」
仲間への賛辞に嬉しくなってしまったセーニャだったが、その後続く店員たちの会話に、思わずぎょっとしてしまう。
まさか自分のことまで褒められるとは思ってもいなかったからである。
お似合いだなんて、きっとただのお世辞だ。
カミュは優しくて、かっこいい。
そんな彼の隣に、自分が似合っているはずもない。
そう自分に言い聞かせてみるが、顔にこもった熱がなかなか冷めてくれない。
どうしてこんなにも胸がどきどきと高鳴るのだろう。
その答えが分からぬまま、セーニャはその場を後にした。
*******************
店を出ると、空はすっかり茜色に染まっていた。
意外と長く店で過ごしていたらしい。
恐らく他の仲間たちも用事を終え、既に宿屋に帰っている頃合いか。
先に会計をすまし、店の外でセーニャを待っていたカミュは、腕を組みながらぼんやりとそんなことを考えていた。
するとそんな彼に、通りかかった見慣れた二人組が声をかけてきた。
「あらカミュちゃんじゃない。こんなところで何してるの?」
名前を呼ばれ顔を上げると、そこにはシルビアの姿があった。
その足元には、大事そうに両手杖を抱えた小さなベロニカも立っている。
買い物から宿屋への帰りらしい二人は、ガーリーなスイーツショップの前で独り佇むカミュの姿を見つけて不思議に思った。
このようなかわいらしいケーキ店なんて、武骨なカミュには似合わない。
1人で何をしているのだろう、と。
「あぁ、お前たちか」
「ここケーキ屋さんよ?あんたまさかその顔に似合わずケーキなんて食べてたわけ?」
「悪かったな、ケーキが似合わない男で」
ベロニカは、以前カミュが甘いものは口に合わないと言っていたことを知っていた。
彼の性格的にも、女性で溢れかえるようなこの店に一人で入店するとは考えにく。
怪訝な顔で問いかけてくるベロニカに悪態をつくカミュだったが、その横で店の前に出ていた看板を見つけたシルビアが口を挟んだ。
「へぇー、見てベロニカちゃん。恋人同士限定ですって。カミュちゃん、もしかして女の子と来てたんじゃなぁい?」
「え!うそ!旅の最中だってのに、あんた現地妻作っての!?」
「アホか!そんなのいねぇよ。俺はただ・・・」
「お待たせしましたカミュさま!」
と、何かを言いかけたカミュだったが、その言葉は店内から駆け寄ってきた一人の女性により遮られてしまう。
金髪を揺らめかせながら、ほんの少しだけ赤い顔をしてカミュに駆け寄ってくるその女性の姿に、ベロニカは顎が外れそうになるほど口をあんぐり開けて驚いていた。
その隣で見ていたシルビアもまた、少々驚いてはいたものの何かを察したように含み笑いを浮べている。
「せ、セーニャ!?」
「あら、ベロニカお姉さまにシルビアさま。こんにちは」
「こんにちわじゃなないわよ!な、なんでアンタがカミュと?」
「もうやだわベロニカちゃん、聞くのも野暮って話よ。このお店で食事してたのよね?恋人同士限定のこのお店で」
何かを含んだ言い方をするシルビアに、カミュは嫌な予感がしていた。
これはきっと誤解されている。
横目でセーニャをちらっと盗み見ると、彼女も顔を赤くしながら焦りを滲ませていた。
「いやまぁ、確かに二人でこの店には入ったけど、別に俺たち付き合ってるわけじゃ・・・」
「あっ、よかった。お客様、待ってくださーい!」
カミュの言葉は再び遮られる。
今度は店内から駆け寄ってきた一人の女性店員だった。
彼女は焦った様子でバタバタと慌ただしくカミュとセーニャのもとに駆け寄ると、何事かと首をかしげているセーニャの前にとあるものを差し出す。
「これ、お渡しするの忘れてました」
店員から差し出されたのは、一枚のカードだった。
可愛らしくデコレーションされたそのカードには、でかでかと“ベストカップル”と印字されている。
「100組目のカップル限定にお渡ししているもので、次回から使えるうちのクーポン券と、スタッフ一同からのメッセージカードです。お二人の愛が永遠のものになるよう。祈りを込めて作らせていただきました!どうぞ!」
満面の笑みでカードを渡してくる店員には、何の悪意もない。
むしろ、カミュとセーニャの幸せを全身全霊で祈ってくれている善意の塊である。
しかし、今のカミュにとって彼女の行動は非常に憎らしいものだった。
もしや付き合っているのでは?というシルビアとベロニカの疑惑は、店の店員という第三者の言葉でついに確信へと変わってしまったのだから。
「100組目のカップル・・・?」
「永遠の愛・・・?」
店員の言葉を噛みしめるように復唱するシルビアとベロニカ。
カードを渡されているセーニャは、店員の勢いに圧倒されて拒否できずに受け取ってしまっている。
そしてカミュは、絶望するかのように頭を抱えていた。
「ちょっとどういうことよセーニャ!カミュと付き合ってるなんて聞いてないわよ!」
「まさかみんなの目を忍んでデートしてたなんてねぇ。言ってくれれば気を遣って二人きりにしてあげたのに、水臭いじゃない?」
「い、いえあの・・・」
「いつからよ!? いつから付き合ってたの!? それだけは教えなさい!」
姉に詰め寄られ、焦りが頂点に達しそうなセーニャ。
彼女は必死の眼差しでカミュに助けを求めているが、助けようにも状況が最悪だった。
もちろん付き合ってなどいないし、恋人を偽って入店したことを素直に話してしまえば、あっさりとこの場は収まるだろう。
しかし、今この場所は件の店の前であり、すぐそばに店員もいる。
恋人を偽っていたことを馬鹿正直に話せば、シルビアやベロニカに誤解される以上に面倒なことになることは想像がつく。
一度ついた嘘は貫き通さなくては。
苦渋の決断であった。
「つい最近だよ。な?セーニャ」
「えっ?」
話を合わせろ。
視線でそう訴えかける。
テレパシーなど使えるわけもないが、カミュの考えていることを何となく察することが出来たセーニャは、一歩彼に近づき、赤い顔を隠すようにうつむきながらうなずいた。
「は、はい。最近です」
「う、うそ・・・」
「あらあら。二人とも照れちゃって。かわいいわね」
明らかに面白がっているシルビアとは対照的に、ベロニカはショックを受けているのか言葉が出てこない様子。
2人をだますことに対してほんの少しだけ罪悪感を抱いたカミュだったが、これも仕方のないこと。
店を離れた後でしっかり説明して誤解を解けばいい。
そう考えていた彼だったが、シルビアがまさかの行動に出たことでその算段が脆くも崩れ去ることになる。
「さ、ベロニカちゃん。あたしたちはデートのお邪魔みたいだし、そろそろ宿屋に帰りましょ」
「え、ちょっ、おい!」
「シルビアさま!?」
石のように硬直し、動かないベロニカをひょいと軽々抱き上げると、シルビアは片手をあげてさっそうとその場を去ろうとする。
まだ誤解が解けていない。
呼び止めようとするカミュとセーニャだったが、強引にその場を去ろうとするシルビアを止めることは出来なかった。
「じゃーねー!お二人さーん!夜はまだまだ長いから、楽しんでねー!」
大手を振りながら颯爽と去ってしまった。シルビア。
残されたカミュとセーニャは、嵐のように過ぎ去った出来事に未だ脳内が付いていかずにいた。
背後にいたはずの店員が店に引っ込んでいることに気が付いたのも、1分ほど経過した後のことだった。
「行ってしまいましたね・・・」
「あぁ・・・」
「誤解されてしまいましたね・・・」
「だな・・・」
「たぶんシルビアさま、宿に戻ったらみなさんにも話してしまいますよね」
「・・・・・」
「カミュさま?」
「ああああぁぁぁぁ・・・マジかぁぁ・・・」
頭を抱えながらその場にしゃがみ込むカミュ。
シルビアがあそこまで強引にこの場を離れるとは想定外だった。
空気が読める彼だからこそ、恋人同士であるカミュとセーニャの邪魔をしないよう、わざわざベロニカまで連れて去っていったのだろうが、今回はそんな気遣いが仇になっている。
恐らく、シルビアやベロニカは宿に帰ってからすぐ他の仲間たちにこのことを話すだろう。
あの二人だけならまだしも、イレブンたちにまで誤解されたとなると少々面倒なことになってしまった。
誤解を解く手間と、セーニャを巻き込んでしまったことを嘆くカミュは、落胆の色を隠せない。
「悪いセーニャ。誤解されちまって」
「いえそんな・・・。もとはと言えば私の我が儘が原因ですし。むしろ、私の方がすみません。噂になってしまい、ご迷惑ですよね」
「いや、別に俺は相手がセーニャなら・・・」
そこまで言って、カミュは焦って言葉を飲み込んだ。
今、柄にもなくものすごく臭いセリフを言ってしまいそうだった。
セーニャの方はどう思っているのか知る由もないが、当のカミュは彼女との間柄を疑われる分には全く不快ではない。
彼女は大人しくて清楚だし、何より美人だ。
そんな女性と男女の仲を疑われるなど、男としてはやはり喜ばしい。
ただ、彼女は迷惑に思うかもしれない。
自分は元盗賊だし、ラムダの聖女とは釣り合わない。
あまり言葉を尽くしすぎては、彼女に余計な気を遣わせるだけだろう。
なにせ彼女は優しい。
たとえ迷惑に思っていても、きっと気を遣って“そんなことない”と言ってくれるだろうから。
「とにかく。宿に帰ったらみんなの誤解を解かないとな」
「そうですね」
隣にたたずむセーニャは、困ったように笑っていた。
やっぱり、迷惑だったんだろうか。
らしくもない下向きな考えが、カミュの脳内を過る。
けれど、その疑問を解消することはなく、二人は足早に宿屋へと戻るのだった。
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宿屋に戻る頃には、既に太陽は完全に沈んでいて、街の様相は夜の怪しげな雰囲気に包まれている。
セーニャと廊下で別れ、二つ取ってあるうちの片方の部屋へとカミュは入っていった。
4つ並んだ一番端のベッドの上にイレブンが座っている。
どうやらロウやグレイグはいないらしく、イレブンは一人道具のチェックをしていた。
「あ、カミュお帰り」
「おう。じいさんとグレイグのおっさんは?」
「さっきまでいたけど、出て行ったよ。ムフフ本がどうとか言って」
「あいつら・・・」
おそらくロウが強引にグレイグを連れ出したのだろう。
グレイグの方もああ見えて紳士になりきれないところがあるから、まんざらでもなかったのだろうが。
軽くため息を吐いたカミュは、持っていた荷物を自分のベッドの上に置き、その横に腰かける。
宿屋にて男女別の部屋を取るとき、カミュのベッドはイレブンのすぐ横が定位置だった。
今日もまた、いつも通りイレブンの横を確保したカミュは装備袋の中から愛用の短剣を取り出し、手入れを開始する。
「ダーハルーネは何度来てもにぎやかでいいね。しばらくここを拠点にして活動してもいいかもしれない」
「そうだな。この街なら必要なものが急に出てもすぐ買えるだろうし」
イレブンとカミュの間に、他愛もない会話が続く。
相棒と一言二言会話を進めていく度、カミュは昼間の出来事が話題に上がらないかと内心ひやひやしていた。
しかし、イレブンの口からセーニャの名前が出る気配もない。
どうやらシルビアもベロニカも、イレブンをはじめとする男衆にはまだ噂を広めていないらしい。
取り越し苦労だったなと、カミュは安堵しながら短剣を綺麗に磨き上げていく。
「そういえばカミュさ」
「ん?」
「セーニャと付き合ってるんだって?」
「え、うおっあっぶねぇ!!」
安心していた矢先、イレブンの口から投下されたまさかの爆弾に驚き、カミュは手に持っていた短剣を落としそうになってしまう。
なんとか落とさずに済んだが、突然の出来事に肝を冷やしてしまった。
「な、なんで・・・」
「さっきシルビアから聞いた」
「・・・・・ロウ爺さんたちは?」
「多分知らないと思うよ。僕だけしか聞いてなかったから」
「そっか」
やはりシルビアはスピーカーの如く先ほどの出来事を広めてしまっていたらしい。
それはそうだろう。
仲間同士の色恋沙汰など、誰もが興味をそそられるスキャンダルでしかない。
たとえそれが偽りだったとしても、本人たちが目の前で肯定してしまっているのだから、他の仲間たちに共有しない理由もない。
唯一の救いは、ロウやグレイグにまでは噂が広まっていないところか。
カミュは短剣を鞘に戻し、イレブンに向き直る。
「そのことなんだけど、あれ、嘘なんだ」
「うそ?」
「恋人同士しか入店できないケーキ屋があって、セーニャが入りたそうにしてたから恋人のふりして入ったんだよ。そしたら・・・」
「ベロニカやシルビアと鉢合わせたんだ?」
「あぁ。近くに店員もいたし、その場では否定しにくくてな。だから、俺たちが付き合ってるって話は誤解なんだよ」
悪い。と頭を下げて謝るカミュに、イレブンは一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐにこらえきれなくなった様子で声を挙げ笑い出した。
誤解したのは自分やシルビアたちだというのに、律儀に謝ってきたカミュがおかしくて仕方がなかったのだ。
「なぁんだ。そうだったんだ。結構本気で信じてたんだけどな」
あっけらかんと話すイレブンは、笑いながらも少しだけ残念そうに眉を八の字に曲げている。
シルビアから二人が付き合い始めたらしいと聞かされた時、不思議とイレブンはその情報を全く疑うことなく真実として飲み込んでいた。
それは信頼するシルビアからの情報であるからという理由だけではない。
きっと、イレブンの中でカミュとセーニャという一組の男女が、横に並んでも全く違和感がないくらい似合いの組み合わせだったから。
「マジか。冷静に考えてありえないだろ。俺とセーニャなんて」
「なんでありえないの?」
「釣り合わねぇだろ。お尋ね者の元盗賊と、ラムダの聖女さまなんて」
「そうかな」
「そうだろ」
イレブンはどこかぼうっとしているところがある、
天然でもあるがゆえに、その言葉が本心からくるものなのかよく分からない。
けれど、客観的に考えて、産まれ貧しい盗賊の自分と、聖地ラムダで箱入り娘の如く育てられた無垢な彼女とでは、議論にならないほど釣り合っていないことは確実だった。
「でも、僕はいいと思うな。カミュとセーニャ」
「なんで」
「だって、セーニャはカミュのことが好きそうだから」
イレブンの言葉に、カミュは思わず口をぽかんと開けたまま固まってしまう。
その顔が面白かったのか、イレブンはカミュを指さしながら愉快に笑っている。
からかっているつもりなのか、それとも本心なのか、イレブンのふわふわした態度はカミュを大いに惑わせた。
「おいこらイレブン。テキトー言うのも大概にしとけよ?」
「ホントだって。セーニャは絶対カミュのことが好きなんだよ」
「その根拠は?」
「ないけど」
「お前よく絶対とか言えたもんだな」
イレブンの人物評は、要するに“なんとなく”からきている、究極にテキトーなものだった。
そりゃあ確かに、セーニャのような人に想いを寄せられていたとすればこれほど嬉しいことは無い。
けれど、その喜びが何の根拠もないただの“勘”からくるものなら、ただのぬか喜びにしかならない。
変に“お似合いだ”“きっと好かれてる”と持ち上げられたところで、そんなことはないわかっているからこそ虚しくなってしまう。
「でもさ、セーニャって、困ったときはまず一番にカミュに相談するよね」
「・・・そうだっけか?」
「そうだよ。それに、最近は二人で行動することが多いじゃない」
「そりゃあまぁ、そうだけど・・・」
イレブンの言葉には、カミュも自覚があった。
セーニャは何か困りごとがあると必ずカミュに駆け寄り、こそこそと耳打ちして相談してくる。
けれどそれは、カミュが一番イレブンと話す機会が多いから、伝達役として相談されているのだと解釈していた。
最近セーニャと行動する機会が多くなっているのも、戦闘面において前線で戦うことが多いカミュと回復型のセーニャの相性がいいからでしかない。
全て、必然と言える現象。
セーニャがカミュを想っている判断材料にはならない。
しかし、イレブンにはどうやら違って見えていたらしい。
「だから、ちょっと残念だよ。疑う余地なんてないほどお似合いだったから」
イレブンのその言葉を最後に、ふたりの会話は途切れた。
再び道具のチェックをはじめるイレブンの横で、カミュもまたもう一本の短刀を磨き出す。
けれど、短刀を握る手に一向に力が入らない、
どうしても集中できないのだ。
“セーニャはカミュのことが好きそうだから”
脳裏にへばりついたイレブンの声に、そんなことない。あるはずない。と自分に言い聞かせる。
けれど、どう頑張んてもその声が聞こえなくなることはなかった。
頭と心に浮かび上がってきた淡い期待が、これ以上大きくならないように、カミュは深く息を吐いた。
********************
「えー!じゃあ嘘だったの!?二人が付き合ってるって話」
「はい。誤解させてしまって、どうもすみません」
宿屋に到着し、女性専用として取られていた部屋に帰るなり。セーニャは待っていた3人の乙女たちに囲まれ質問攻めにあっていた。
先ほどカミュと一緒にいたセーニャを直接目撃したベロニカやシルビアはもちろん、彼女たちから話を聞いていたマルティナも、珍しく興味津々といった様子で目を輝かせている。
ゴシップ記者のごとく質問を投げかけてくる彼女たちの問いかけをかわしながら、セーニャは先ほどカミュと約束した通り、まずは誤解の解消から始めることにした。
セーニャが恋人同士限定の店に入りたがったため、カミュに協力してもらったこと。
たまたまそこにベロニカとシルビアが通りかかり、店の目の前だったせいですぐに否定できなかったこと。
そして、二人は恋人同士などではないこと。
全てを話し終わった頃には、聞いていた3人の熱は既に冷めているようだった。
「やっぱりね。そうだと思ったのよ。セーニャはまだおこちゃまだから、そういうのは早いのよね」
セーニャの隣で話を聞いていた姉、ベロニカは、腕を組み、最初から分かっていたかのような口ぶりで胸を張る。
子供の姿で妹をおこちゃま呼ばわりするベロニカにマルティナは苦笑いを零した。
見た目から言えば、明らかにセーニャの方が大人と言えるわけだが、確かにセーニャはどうも純粋無垢すぎてある意味子供っぽいところがある。
相手がカミュであろうが誰であろうが、そもそも男女交際する域に達していないと思うのは何となくわかる気がしていた。
マルティナもまた、セーニャのように天然でぽやんとした弟分を持つ身としては、ベロニカのそんな杞憂にも共感できるのだ。
「けど残念ねぇ。やっとそういう関係になれたのかって喜んでたのに」
「やっと?どういうことですか?」
人差し指を口元に押し当て、上品な仕草で憂うシルビア。
彼はカミュとセーニャが付き合っているとマルティナやイレブンに報告していた時、動揺しまくるベロニカとは対照的に落ち着き払っていた。
そして、非常にうれしそうにもしてた。
今、セーニャ本人から交際説を否定され、一番残念そうにしているのも彼である。
その心中が分からないセーニャは、首をかしげながら問いかける。
するとシルビアは口元に不敵な笑みを浮かべ、得意げな声色でこう言い放った。
「だって、カミュちゃんって絶対セーニャちゃんのこと好きでしょ?」
「えぇっ!?」
シルビアからの言葉に、セーニャは思わず大声で叫んでしまった。
そして、夜にも関わらず大声をあげてしまった己のはしたなさを恥じて、両手で口元を覆う。
また、シルビアの言葉に驚いていたのはセーニャだけではなかった。
ベロニカもまた、突然呈されたシルビアの仮説に驚きを隠せないようである。
「カミュが?セーニャを?そんなことありえる?」
「全然あり得るわよベロニカちゃん!あたしには分かるわ」
「あの、シルビアさま・・・一体何を根拠にそのようなことを・・・」
「んもう!根拠なんてないわよ!恋ってのは理屈じゃ計り知れないものなの。それに目を見てれば分かるわよ」
「は、はぁ・・・」
要するに、なんとなくである。
特に何の根拠もなさそうなシルビアの言葉にセーニャは肩を落とすが、何故だか胸の鼓動が先ほどよりも速く高鳴っているのを感じていた。
まさか、カミュが自分に想いを寄せているなんてありえない。
彼は強くて優しくて、それでいて頼りになって、経験も豊富で、申し分のない相手である。
だからこそ、こんな自分には釣り合うわけもない。
街を歩けば見知らぬ女性から“かっこいい”とカミュがひそひそ言われている光景は何度も見てきた。
誰もが恋人にしたいと羨望するような彼が、自分を好きだなんて、そんなこと天地がひっくり返ってもあり得ない。
セーニャは高鳴る鼓動を落ち着かせるように、心で自分に言い聞かせていた。
「でも、私も少し思ってた。カミュはセーニャのことが好きなんだろうなって」
「えぇっ!? マルティナさんも?」
だが、必死に自分を落ち着かせようとしていたセーニャに、マルティナが追撃とばかりに口を開く。
まさかマルティナもシルビアの意見に賛同するとは思わず、ベロニカは何度目かの驚愕の声をあげた。
「ほら、カミュってやたらとセーニャに甘いじゃない?魔物との戦いの後、彼が一番最初に心配するのは勇者であるイレブン。次に声をかけるのはきまってセーニャだし」
「うーん、確かに」
マルティナの言葉はもっともであった。
魔物との交戦が終わると、兄貴肌であるカミュは必ず周りを見渡してけが人がいないか確認している。
最初に声をかけるのは、一行にとって最も守るべき存在である勇者、イレブン。
そして次に声をかけるのは、決まってセーニャなのである。
セーニャ自身、その事実には気が付いていたが、回復役である自分はパーティーの要であるため、今後の戦闘を有利に運ぶためにも怪我をされては困るからという理由で心配されているのだと思っていた。
確かに、カミュはセーニャに甘い。
てっきり打算的に優しくされているのだと思っていたが、シルビアやマルティナの言う通り、好意があったから優しくされていたのかと考えると、今日一緒に恋人のふりまでして一緒にケーキ屋に入ってくれた行動も頷ける。
「あらセーニャちゃん赤くなっちゃって、かわいい」
ふふふと笑うシルビアのからかいに、セーニャは一層顔に熱がこもるのを感じていた。
どうしようもなく胸がドキドキする。
そういえばカミュは、先ほどシルビアとベロニカに誤解されてしまったとき、何かを言いかけていた。
“別に俺は相手がセーニャなら・・・”
あの時、何を言おうとしたのか全く分からなかったが、もしかすると、ものすごく甘い言葉を言ってくれようとしたのではないだろうか。
そうだと考えれば、彼がこんなにも優しくしてくれるのも、なんとなく辻褄があう。
まさか、ほんとうに。
そんなことがあり得るのだろうか。
カミュが、自分を好いてくれているだなんて。
「ねぇ、ベロニカはどう思う?セーニャとカミュのこと」
「えー?うーん・・・まぁ、セーニャはいつもぼーっとしてるから、悪い虫に付きまとわれるよりは、知り合いのカミュとくっついてくれた方が安心なのかもね。ちょっといけ好かないけど」
「そんなっ。お姉さままで・・・」
いつもはカミュとガミガミ言い合っているベロニカだったが、何故だか今日は妙にカミュの味方をしている。
犬猿の仲とは言え、彼女も本心ではカミュを認めているのだろう。
姉にまでカミュとの関係性を肯定されてしまったセーニャは逃げ場を失い、ただただ赤くなっているほかなかった。
彼女の頭の中に浮かぶのは、照れたように視線を向け、小さく笑うカミュの顔だけである。
********************
これほどまでに寝付けない夜は初めてだった。
瞼を閉じ、寝よう寝ようと念じても全く眠気は襲ってこず、逆に頭がさえてきてしまう。
セーニャは一刻も早く眠ってしまいたかった。
起きていると、余計なことを考えてしまうのだ。
カミュが、自分のことを好いているという疑惑。
それが浮上してからというもの、彼女の頭の中はカミュ一色で塗りつぶされていた。
彼のことを考えると顔が熱くなる。胸も苦しくなる。
他のことなんて、とてもではないが考えられない。
これは何かの病気だろうか。
セーニャはついに、布団から上体を起こした。
外の空気を吸えば、もしかしたら眠くなるかもしれない。
そう考え、セーニャは同じ部屋でぐっすり眠っているベロニカたちを起こさないよう静かに部屋を後にした。
宿屋の店主曰く、ここの建物は屋上があるらしい。
そこから風に当たれば、少しは気分転換になるだろう。
頭に浮かんだはしたない考えも、きっときれいさっぱり消してくれる。
そのような淡い期待を胸に屋上へ伸びる階段を上がっていったセーニャだったが、彼女の期待は屋上に到着した瞬間脆くも崩れ落ちることになる。
屋上の手すりに身を預け、こちらに背を向けた状態で青い髪をなびかせる青年。
カミュの姿がそこにはあった。
彼の姿を瞳に捉えた瞬間、ドクンと心臓が自己主張する。
まるでそれは、彼への感情をセーニャ自身に教えているかのよう。
心を支配していた存在の登場に動揺したセーニャは思わず後ずさり、床に転がっていた樽を思い切り蹴飛ばしてしまった。
まずいと思ったときにはもう遅い。
派手な音を立てて転がる樽の音に反応して、目の前の青い髪が振り返る。
そして彼は、驚いたように目を見開いて、彼女の名前を呼んだ。
「セーニャ?」
その声で名前を呼ばれたとき、またもや心臓が大きく高鳴った。
きっと、真っ赤な顔をしているとカミュにもバレているだろう。
恥ずかしい。
けれど、まっすぐに射抜いてくる彼の視線からは逃げられない。
セーニャは震える声で、遠慮がちに囁いた。
「か、カミュさま・・・」
********************
瞼を閉じていても、イレブンの言葉が何度も脳内で響き渡る。
“セーニャはカミュのことが好きそうだから”
その言葉には何の根拠もなかった。
ただの気休めでしかない。
期待などしてはいけない。
それはわかっているけれど、まるで呪いにでもかかったように、頭ではセーニャのことしか考えられなくなってしまった。
あまりにも眠れないので、カミュは一人でこっそりと寝床を抜け出し、気分転換のために宿屋の屋上へと向かった。
イレブンと旅をして以来、常に周りには仲間がいて、一人になる時間がほとんどない。
にぎやかなのが嫌いというわけではないが、孤独な時間が長かった分、集団行動がどうも苦手なカミュは、時折深夜に起きて来ては、こうして一人で夜空を見上げていることがあった。
考えるのはいつも、妹のマヤのこと。
黄金化してしまった彼女は、今もまだあの隠れ家で一人寂しい思いをしているのだろうか。と、いつも感傷的になってしまう。
けれど今日ばかりは、マヤではない別の人物の顔がカミュの頭を支配していた。
他の誰でもない、セーニャである。
イレブンがあんなことを言ってきたせいで、妙に意識してしまっているのだ。
彼女が自分を好きでいるだなんて、あるはずがないのに。
バカな期待はやめよう。
下手をすると、旅をするうえでその邪な気持ちが障害となってしまうかもしれない。
忘れよう。今日の出来事はすべて忘れるんだ。
屋上の手すりに身を任せ、目を閉じてそう言い聞かせるカミュ。
穏やかな風の音だけが耳に聞こえてくる中で、不意に背後から派手な物音が聞こえてきた。
樽をひっくり返したような音。
咄嗟に振り返るとそこには、頭の中を支配していた厄介な相手が立ち尽くしていた。
「セーニャ?」
「か、カミュさま・・・」
顔を真っ赤に染めながら、悩まし気な瞳でこちらを見つめてくるセーニャ。
何故、今そんな顔をする?
まるで、イレブンが提唱したクダラナイ仮説を裏付けるような表情。
動揺が隠せない様子のセーニャは、あわあわと視線を泳がせながら落ち着かない様子だった。
だが、動揺しているのはセーニャだけではない。
頭の中に鎮座していた人物が突然目の前に現れた事実は、カミュさえも動揺させてしまう。
待て、落ち着け。焦るな。焦ったら負けだ。
イレブンが言っていたあれは所詮あいつの仮説に過ぎない。
セーニャが自分のことを好いているだなんてそんなの嘘だ。ありえない。
彼女はただの仲間であって、それ以上でも以下でもないのだ。
いつも通り話せるはずだ。
そう、いつものフランクな感じで。
「よ、よぉ」
どもってしまった。
「っ!」
「えっ、おい!」
すると、突然セーニャが踵を返し、下の階に降りようとしてしまう。
綺麗な金髪をなびかせながら逃げようとするセーニャの腕を捕まえたのは、本当に咄嗟の出来事だった。
「なんで逃げるんだよ!」
「す、すみません・・・ちょっと、は、恥ずかしくて・・・」
「へ・・・?」
ゆっくりとこちらを振り返るセーニャは、何故だか泣きそうな顔をしていた。
潤んだ瞳。
赤い顔、
恥じらう仕草。
そのすべてが、カミュの心を動揺させる。
「私、今おかしいんです。カミュさまのことばかり考えてしまって・・・どうにかなってしまいそうで・・・」
「な、なんだよ、それ・・・」
まるで、答え合わせのような回答だった。
真っ赤な顔で見つめてくる彼女の姿を目にすると、イレブンのあの言葉が何度も頭の中で反響する。
セーニャは、カミュのことがすき。
事実を裏付けるような彼女の行動は、カミュの頭を真っ白にさせていってしまう。
********************
こちらを見るなり、ぎこちない笑顔を浮かべながら右手を挙げ、“よお”と声をかけてくるカミュ。
その姿はなんとも不自然で。
というよりも、なんとか平然を装おうと必死になっているようにしか見えない。
シルビアは、目を見れば気持ちが分かると豪語していたが、その通りであった。
カミュの顔を見ていると、彼の想いが何となく伝わってしまう。
意識しているのだ。
セーニャと二人きりだというこの空間を。
「っ!」
「えっ、おい!」
そう確信した途端、急に居心地が悪くなって、とっさに逃げ出そうとしてしまった。
これ以上この空間に居たら、きっと心臓が壊れてしまう。
そう思わせるほど、胸がきゅんとして、バクバクして、仕方ないのだ。
「なんで逃げるんだよ!」
腕を掴まれ、引き寄せられる。
ただそれだけの動作なのに、何故ここまで意識してしまうのだろう。
必死な形相のカミュの視線が、痛いほどセーニャに突き刺さる。
熱を持ったその視線で貫かれるたび、セーニャの心はとろけてゆく。
「なんで逃げるんだよ!」
「す、すみません・・・ちょっと、は、恥ずかしくて・・・」
「へ・・・?」
「私、今おかしいんです。カミュさまのことばかり考えてしまって・・・どうにかなってしまいそうで・・・」
絞り出すような声で呟けば、カミュは驚きを隠せないようだった。
困らせてしまっている。
それはよく分かっていた。
けれど、真実を打ち明けずにはいられない。
カミュが自分に想いを寄せ居ているとのではと疑惑を持ってからというもの、どうあがいても彼のことばかり考えてしまう。
こんなにも恥ずかしくて、胸をつくような想いは初めてだった。
「な、なんだよ、それ・・・」
ふと、カミュの方を見上げると、彼は片手で自分の口元を覆い、真っ赤な顔で視線を逸らしていた。
その顔を見た瞬間、セーニャの胸の奥で何かがキュンと音を立てた。
いつもは男らしくて、頼りになるカミュが、こんなにも赤くなっている。
可愛い。素直にそう思った。
彼のこんな姿を見られるのは、世界で自分一人だけだったらいいのに。
そんなことを考えながら、セーニャはカミュに見とれていた。
「セーニャ、あのさ。今日のこと、謝りたかったんだ。もう少しやりようがあったはずなのに、シルビアやベロニカに誤解されちまって。迷惑かけたな」
「め、迷惑だなんて思っていません!」
ぎこちなく紡がれた言葉に、セーニャはとっさに反論した。
彼は優しいから、いつもこちらに寄り添って物事を考えてくれる。
あの時も、セーニャの願望をかなえてくれただけなのに、カミュは何故か謝っている。
彼に感謝こそすれ、迷惑だと感じるなんてありえない話だったのだ。
「正直に言って、嬉しかったんです。皆さんにお似合いだと言ってもらえて・・・。だってカミュさまと私は、どうあがいたって釣り合わないと思っていましたから」
ケーキ屋の店員やシルビアたちから言われた言葉に、セーニャは動揺と同時に喜びを感じていた。
もしも、彼女たちの言葉通り自分がカミュの隣に居られたのなら、それはどんなに素敵なことだろう。
偽りの恋人としてではなく、本物の恋人としてあのお店に一緒に行けたら、どんなに誇らしいことだろう。
きっと自慢してしまう、
この強くて優しくてかっこいい人は、私のただ一人の恋人なんです、と。
れど、自分のように平凡極まりない人間が、彼の隣に相応しいとは思えない。
だからこそ、シルビアや店員たちの言葉は、セーニャの心に甘く響いたのだろう。
不意に、セーニャの長く美しい金髪にカミュが指を差し入れた。
優しく撫でるその手つきは、まるで大切なものを愛でるかのよう。
セーニャを見下ろす彼の瞳もまた、慈愛に満ちた優しいものだった。
「おんなじこと、考えてたんだな」
揺れる瞳の奥は熱を帯びていて、まっすぐにセーニャを捉えて離さない。
その瞳を見つめているうちに、セーニャは彼の本心が聞きたくなってしまった。
シルビアやマルティナを介して聞く仮説などではなく、彼の口から直接、思いのたけを聞いてみたい。
答えは分かり切ってはいるけれど、それでもきちんとした言葉が欲しいと思うのは、いけない事だろうか。
「カミュさま、私・・・」
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今思えば、こうしてセーニャの髪に触れたのも初めてだった。
見た目以上に柔く、美しい彼女の髪の感触を味わいながら、カミュは自分の心がキュウと強く縛りつけられるような感覚を覚えていた。
自分を卑下するばかりに、相手の気持ちを否定していたのは、セーニャも同じ。
彼女の口からもたらされたその事実は、カミュの心をどうしようもなくかき乱す。
「カミュさま、私・・・」
何かを決意したかのような瞳で、カミュを見つめるセーニャ。
その瞳は、彼女が今から何を言おうとしているのかカミュに伝えてくれる。
心に秘めた想いを吐露しようとしているのだろう。
マズイ。カミュは息をのんだ。
女に先に告白されるのは、カミュの性分ではなかった。
好意を伝えるのは、それなりに勇気がいる。
勇気を奮わなければならないその役目は、彼女ではなく自分が担うべきではなかろうか。
カミュは、今にも言葉を発しようとするセーニャの両肩を掴み、まっすぐその大きな瞳を見つめ返す。
「セーニャ、お前が言いたいことはわかってる。でも、もう少し待ってくれないか?」
「え・・・?」
「俺にもお前にも、イレブンと一緒に世界を救うという大きな役目があるだろ?その役目を果たすまで、色恋だとか、恋人だとか、そういうことはどうしても考えられないんだ」
預言者から勇者に力を貸すよう告げられたあの日から、カミュは勇者に会うため奔走してきた。
そして今は、たったひとりの妹を救ってくれた恩を返すため、勇者の右腕となって彼の旅路に最後まで付き添うと決めている。
今までも、きっとこれからも、イレブンとの旅は過酷極まりないものになるだろう。
この過酷な旅が終わるまでは、きっと前に進めない。
カミュの心をよく理解しているセーニャは、彼の言葉にうつむき、肩を落とす。
「けど、もしも・・・もしもこの旅を終えてお互い生きていたら、必ずお前に俺の気持ちを伝える」
「カミュさま・・・」
「だから、それまで待っていてくれるか?」
心に秘めた想いがありながら、ずっとその想いを打ち明けられずにいる時間は、きっとつらいものだろう。
待たせれば待たせるほど、セーニャに孤独や不安を与えることになる。
それでも、どうか待っていてほしかった。
彼女が自分を好いてくれているように、カミュもまた、いつの間にかセーニャに惹かれてしまっていたのだから。
カミュの真剣なまなざしに射抜かれたセーニャは、一瞬だけうつむくと、息を詰めながら目の前のカミュの胸板へと飛び込んだ。
セーニャの髪からふわりと香る花の香りと、背中に回された華奢な腕に驚くカミュ。
そんな彼の様子など構うことなく、セーニャは涙で濡れた頬をカミュの胸に押し当てた。
「はい・・・!待っています。いつまでも・・・っ」
涙声になっているセーニャの言葉に安堵したカミュは、そのまま腕をセーニャの背中に回した。
予想以上に強い力でカミュを抱き締めるセーニャに、小さく微笑みが漏れる。
こんな華奢な体のどこにそんな力があるのだろう。
再びセーニャの肩に手を添え、顔を覗き込むように上半身を離すと、カミュは彼女の小さな額にそっと口づけた。
突然の行動に驚いたセーニャは、真っ赤な顔しながら大きな瞳で見上げてくる。
「もしまた恋人限定の店があったら、もう俺以外とは行くなよ」
早速の独占欲を発揮してくるカミュがおかしくて、セーニャは思わずけたけたと笑い出す。
そして、ほんのり頬を染めたまま、深く頷くのだった。
********************
街を出て数時間。
そろそろ夕暮れ時といった時間に差し掛かり、イレブンのキャンプをしようという提案をきっかけに一行は準備を開始した。
薪をくべ、料理を用意し、テントを張る。
夕食のシチューが入った皿を片手に雑談する仲間たちの真ん中で、ベロニカは丸太の上に腰かけ、頬杖をついて一点を睨みつけていた。
視線の先にいるのは一組の男女。
大き目の丸太に並んで腰かけている2人、カミュとセーニャは、お互いに随分近い距離感で会話をしている。
まるでこの世界には二人しかいないような空気感を醸し出しながら、時折こそこそと耳打ちをしながら笑いあっている。
そんな妹たちの姿を、ベロニカは不機嫌丸出しのオーラを隠そうともせず見つめていた。
「ねぇ、イレブン」
「なに?ベロニカ」
「あの二人、結局付き合ってなかったのよね?」
「うん・・・そのはずだけど」
ベロニカが何を言いたいのか察してしまったイレブンは、思わず苦笑いを零す。
姉や相棒が怪訝な眼差しを向けていることに全く気付く気配がないカミュとセーニャは、相変わらず仲睦まじく話し込んでいる。
「じゃああの距離感は何!? ただの仲間の距離じゃないでしょ」
「それはまぁ・・・確かに」
甲高い声で抗議するベロニカの言葉に、同意するしか出来ないイレブン。
ダーハルーネの街を出て以来、カミュとセーニャはずっとこんな調子である。
戦闘に出れば互いを過剰にフォローしあい、移動中はずっと一行の最後尾をついて歩きながら二人で話している。
2人は交際を否定してはいたが、これは明らかに男女の仲にある雰囲気としか言いようがないのだ。
「付き合ってないってはっきり言ってたし、ただ仲がいいだけなんじゃないの?」
「まぁ、もともとカミュちゃんとセーニャちゃんは仲が良かったし、そんなに気にすることないんじゃない?ベロニカちゃん」
イレブンとベロニカの会話を聞いていたマルティナとシルビアが、横から口を挟む。
彼女たちもまた、カミュとセーニャの関係性があの夜を境に劇的に変化していることには気が付いていた。
2人の間に何があったのかは知らないが、仲間同士の仲が深まるのは悪いことではない。
しかしながら、セーニャの姉であるベロニカにとって、この現状はあまり微笑ましいとは言い難い。
腰かけていた丸太からひょいっと立ち上がったベロニカは、甘い雰囲気を醸し出す二人に全く構うことなく目の前に仁王立ちし、般若の如く怒りを滲ませながら腰に手を当てた。
「ちょっとカミュ!あんたどういうつもり?」
「ん?なんだよ」
「あたしの妹と何があったのか知らないけど、この子とどうにかなる前にまず姉であるあたしに一言断りを入れるのが常識ってもんじゃない?」
「ちょ、ちょっとベロニカ!」
猪突猛進にカミュへと抗議をするベロニカ。
不機嫌をあらわにする小さい彼女の後ろから、焦りながら引き留めようとしているイレブンだったが、ベロニカは全く引こうとしない。
「セーニャと付き合いたいのなら、まずあたしに許可を取れって言ってるの!あたしに内緒でセーニャといい仲になろうなんて考えないでよね!」
「お、お姉さま、私たち本当に付き合っているわけでは・・・」
双子の姉妹としてずっと一緒に育ってきたベロニカとセーニャ。
姉であるベロニカにとって、妹のセーニャは半身のようなもの。
たとえ相手が信頼できる仲間の一人とはいえ、ベロニカが知らないところで勝手に妹に手を出されるのは不愉快極まりない。
カミュの横で姉からの抗議を聞いていたセーニャは、なんとか姉の怒りを納めようと弁明をしてみるが、そんな彼女の言葉は隣のカミュから肩を抱かれたことで遮られてしまう。
「なんだよベロニカ。いっちょ前にやきもちか?お前も可愛いところあるじゃねーか」
「なっ・・・」
「か、カミュさま・・・!」
セーニャの肩を抱き寄せたカミュの行動に、イレブンは頭を抱えたくなってしまう。
どうしてそう目の前のイノシシを挑発するような行為をしてしまうのか。
現にベロニカは、顔を真っ赤にしながら今にも口から火を噴きそうになっている。
そして抱き寄せられているセーニャは、姉とは全く違う意味で顔を赤くし、思考を停止してしまっていた。
「あら、カミュちゃんやるじゃない」
「あぁいうの、セーニャは弱いでしょうね」
はたから見ていたシルビアとマルティナの呑気な声が届く。
そんな風に感心している暇があったら一緒にベロニカを止めてほしい。
イレブンの願いはついに敵わなかった。
「カミュ・・・あんたねぇ・・・いい加減にしなさいこのチャラ男が!!!!」
まさにメラガイアーの如き勢いで、ベロニカは怒号を発する。
その声があまりにも大きかったせいで、木々に止まっていた小鳥たちは散り散りに飛んで行ってしまう。
離れたところで地図を広げ、この後のルートを確認していたロウとグレイグもまた、ベロニカの怒号に驚き何事かと視線を向けてきた。
「おいこら誰がチャラ男だ!」
「チャラ男じゃない!付き合ってないのにそんな風にべたべたしちゃって!とにかく離れなさいよ!」
「あっ、こらやめろ馬鹿!」
「お、お姉さま!痛っ!」
「あぁもうベロニカ、ストップストップ!」
「ちょっと!止めないでよイレブン!」
無理矢理セーニャをカミュから引きはがそうとするベロニカ。
絶対に話すまいと両手でセーニャを抱き締め始めるカミュ。
引きはがそうとするベロニカと、離すまいと抵抗するカミュに挟まれ、痛がるセーニャ。
そしてベロニカの暴走を止めようとするイレブン。
その光景を見て大爆笑するシルビアとマルティナ。
一行のキャンプ地は混沌と化していた。
「い、一体何をしておるのじゃイレブンたちは・・・」
「さぁ。喧嘩、でしょうか」
事情を全く知らないロウとグレイグは、目の前で繰り広げられる謎の乱闘騒ぎに顔を見合わせていた。
彼らがマルティナから事情を聞いたのは、この場がようやく収まった数十分後のことだった。