【殺りん】
■犬夜叉
■未来捏造
■短編
「今回の仕事もチョロかったなァ」
茶屋の看板娘によって運ばれてきた団子を頬張りながら、もろはは言う。
いつも通り獣兵衛から寄越された妖怪退治の依頼をこなした帰り、3人の夜叉姫は帰路の途中でとある茶屋に寄った。
団子や煎茶に舌鼓を打ちながら、3人はつい数刻前に討ち取った妖怪についてあれこれと話している。
いつもは自信過剰で調子に乗りやすいもろはをたしなめるせつなも、今日ばかりは彼女と同意見であった。
周辺の村々を脅かす大熊の妖怪だと聞き、それなりに身を引き締めて退治に赴いたのだが、到着してみればそのあたりの雑魚妖怪とさして変わりない小物だった。
とんだ肩透かしを食らいながらも3人は連携し、ものの数秒で大熊の妖怪を斬り捨ててしまった。
終ってしまえばあっけなく、依頼先の地域に向かうまでの道程のほうが大変だったと思えるほどだった。
「確かに今回の仕事は楽できたよね。ちょっと拍子抜けするくらいだったよ」
「だよな~。せめてもうちょっと歯ごたえのある奴と戦いたかったぜ」
「戦いが長引かなくなるに越したことはない。むしろ楽に倒せることに感謝すべきだろう」
「相変わらず真面目だよな、せつなは」
足を組みながら団子を完食したもろはのもとに、再び皿いっぱいに盛られた団子の山が運ばれてくる。
まだ食べるのかとぎょっとしているとわとせつなの視線を気にすることなく、もろは団子に手を伸ばし幸せそうな顔で頬張った。
ここの団子は美味いと近所では評判で、遠方へお祓いに出た弥勒も食べたことがあるらしく、美味だったと太鼓判を押している。
確かに甘さ控えめで美味しい。
現代のスイーツに比べて見た目は地味だけれど、もしこれが500年後も食べられたならネットで話題になってもおかしくはない。
きっと母上もこういうの好きだろうなぁ。
そんなことを考えていたとわの脳裏には、自分たちとあまり変わらないほど若々しい母の姿が浮かんでいた。
「あ、そうだ。ねぇ、せつな。このお団子テイクアウトしていこうよ」
「て、ていく…?」
「持って帰ろうって意味!母上へのお土産にしようよ」
「確かに、母上は甘いものが好きだと言っていたし、喜んでくれるかもしれないな」
「でしょ?最近は私たちも妖怪退治で家を空けること多かったし、母上きっと一人で寂しい思いしてただろうしね!」
もろはの借金を返済するため妖怪退治を次々こなしてた三人の夜叉姫たちの勇名は、次第に広まっていた。
東国だけでなく西国にまでその名が轟いているのは、かつて西国を納めていた大妖怪の血を引いているがためだろう。
そうして広まった名前は次々に依頼を呼び寄せ、いつの間にやら三姫は舞い込んでくる妖怪退治の依頼に忙殺される日々を過ごしていた。
その多忙ぶりは、退治屋の頭領である琥珀が羨むほどである。
そんな日々を送る中で、三姫は必然的に家を空けることが多くなっていた。
「ん?一人って、お前らの親父はどうしてるんだよ?」
店の娘に団子を持ち帰りたい旨を話しているせつなの隣で、もろははとわの言葉に首をかしげていた。
もろはの父、犬夜叉も弥勒と共に妖怪退治やらお祓いやらに出かけることはあれど、基本的には家にいることが多い、
というのも、村を襲う妖怪などが現れた時のための用心棒的な存在も担っているからだ。
彼が妻のかごめと共に黒真珠の向こう側に囚われていた14年間は、村の者たちにとっても修羅場であった。
もろはは、てっきり叔父にあたると殺生丸も、父と同じように家にいることが多いのだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
もろはの問いかけに、とわは困ったように眉をㇵの字に曲げながら頷く。
「うん。うちの父上、家を空けることが結構多いから」
「どこ行ってんだ?」
「さぁ…」
「さぁって…。どこに出かけてるのか知らねぇのか?」
「うん、まぁ…。父上は聞いても答えてくれないし、母上も何も聞かないし…」
「なんだそりゃ」
とわから聞かされた殺生丸一家の現状に、もろはの頭の中は混乱していた。
三姫がそれぞれの両親と共に暮らし始めたのは半年ほど前。
もろはは元々犬夜叉たちが住まいとしていた小さな家に、とわとせつなは村の者たちが総出で建築を手伝ってくれた村はずれの家に腰を落ち着けた。
母のりん曰く、殺生丸は二人が産まれる直前まで決まった巣を持たず、従者の邪見と共に放浪していたという。
りんのもとへも時たまふらっと現れて、村から外れた森の中で逢引する日々を重ねていたのだとか。
そんな状況に慣れてしまっているりんは、家を持ちながらも留まろうとしない殺生丸に何の文句もない様子。
だが、現代で日暮家の一員として育ってきたとわは、その生活に一片の違和感を感じずにはいられなかった。
育ての父、日暮草太は忙しいながらも毎日きちんと帰宅し、家族と食事を共にし、休日には娘たちが行きたいところへ連れて行ってくれた。
殺生丸には、そういった所謂“家族サービス”のようなことをしてもらった事が無い。
相手は妖怪であり、人間の、しかも現代の価値観に当てはめるのは適切ではないと分かっていながらも、どうも納得が出来なかった。
それについては妹のせつなも同感なようで、自分たち娘に対してというより、母であるりんへの気遣いが無いことへ小さな疑問を抱いている様子だった。
母は何年も時代樹に囚われ、苦しい中一人で過ごしてきた。
そんな母を気遣い、もう少し一緒にいる時間を増やしてもよいのではないだろうか、と。
「一緒に暮らし始めて半年になるけど、母上はともかく父上のことはさっぱりわからないよ」
「そうだな。口数も少ない上に、なかなか帰って来ないともなれば、何を考えているのか全くつかめん」
「もろはのところがうらやましいよ。犬夜叉さん、優しいでしょ?」
「全然優しくなんてないって!乱暴だし口悪いし、アタシの戦い方にいちいち口出してくるし!お袋はお袋で“女の子なんだから行儀良くしなさい!”とか最近ガミガミ言ってくるしさぁ。もうちょっと放っておいてくれって感じだよ」
肩をすくませ、うんざりな表情を作りながら愚痴を零すもろは。
だが、少しだけ綻んでいる口元は、その言葉が真意ではないことを物語っている。
親を知らずに過ごしてきた14年間は、ごまかしきれないほどの孤独を感じていた。
だが、両親との再会は心に大きく空いた孤独の穴を一瞬で埋めてくれる。
どれだけ口うるさく説教されても、もろはにとっては両親が近くにいてくれるだけで幸せなはずなのだ。
それは、とわやせつなも同じはずなのだが、それでも比較してしまう。
いつも家族一緒にいる、幸せそうな従妹の家庭と。
「父上、ほんとに私たちのこと、家族だと思ってるのかな?」
小さく呟かれたとわの独り言に、せつなは何も言えなかった。
否定をする材料も肯定をする材料もなかったから。
それほどまでに、二人の娘たちは殺生丸という父のことを何も知らないのだ。
********************
楓の村に帰ってきたのは、かなり久しぶりだった。
たくさん集まった妖怪退治の依頼を、各地を巡りながらこなしていたからだ。
村の入口に差し掛かると、楓や駐屯していた退治屋の面々に声をかけられる。
この村で生活を始めて早半年。三姫はすっかりこの村に馴染んでいた。
「お袋!ただいま!」
もろはの家は、村の中心部にある。
とわやせつなの家は村はずれにあるため、帰宅するには必然的にもろはの家の近くを通過する必要があった。
もろはと共に彼女の家に立ち寄ったとわとせつなは、家のすぐ近くで何やら作業をしているかごめの姿を見つける。
「あらもろは、おかえりなさい。とわちゃんとせつなちゃんもおかえり」
「こんにちは」
「どうも」
もろはの母、かごめも、黒真珠の向こう側に囚われていたせいか若々しい姿をしている。
もろはと並べば姉妹のように思えるが、かごめは慈愛に満ちた母の顔をしていた。
「あ、そうだ!お袋、これお土産な」
「あら、お団子?あっ、もしかしてこれ弥勒様が言ってた美味しいお店のやつ!?」
「そうそう!美味かったからさ、その…お袋にも食べさせてあげようと思って…」
「まぁもろは…。ありがとう、優しい子ね」
もろはから受け取った団子の包み紙を大事そうに胸に抱え、かごめはその白くしなやかな手でもろはの頭を撫でた。
照れくさそうに鼻先を掻いているが、もろはも母からのお礼に満更でもないようだ。
外でのやり取りを聞きつけたのか、それとも匂いを嗅ぎつけたのか、背にしていた家の扉が開き、赤い衣の派手な出で立ちの男が出てきた。
犬夜叉である。
「おうもろは、帰ったのか。妖怪退治はうまくいったのか?」
「あったり前だろ?ちょちょいと片付けちまったよ!アタシがとどめを刺したんだぜ?」
「そうか。よくやった」
「へへへ」
とどめを刺したのはせつなの一太刀だったのだが、ここはあえて黙っておくことにした。
つい先ほどまでは両親の愚痴を零していたくせに、帰れば手のひらを返したように幸せな顔を見せている。
あれがもろはの本音ということなのだろう。
父と母に囲まれ、幸せそうに笑うもろはに、とわの胸はちくりと痛んだ。
両親の愛を感じた事が無いわけではない。
育ての親である草太も萌も、自分を本当の娘のように愛情を注いでくれた。
だが、それでも二人は生みの親ではない。
心の奥底で渇望していた“本当の父と母”に出会えた今、とわが心から欲しているものは実の両親からの愛情であった。
「じゃあもろは、私たちはこれで…」
「あ、待って二人とも!よかったらうちで少しお茶していかない?」
家族水入らずの時間を邪魔してはいけない。
そう思い、早々に退散しようとしたとわとせつなであったが、背を向けようとしていた2人に気が付いたかごめによって呼び止められる。
最初は遠慮しておこうと思ったが、“楓おばあちゃんからいい茶葉もらったから”と微笑むかごめの言葉を断るのも気が引けて、結局お言葉に甘えることとなった。
もろはたちの家は、現代の感覚では狭いとしか言いようがないが、この時代であることを考慮すれば普通の家だった。
物は少なく、囲炉裏の近くに布団が3組並んでいる。
火を囲うように腰かけたとわとせつなは、うながされるままかごめが淹れた茶に口をつける。
当初は最近の妖怪たちの様子や、村での出来事を世間話程度に話していたのだが、次第に話題はとわとせつなの家庭事情へと変わっていった。
ちょうど先ほど茶屋で話していた内容を、もろはがペラペラと犬夜叉やかごめに話してしまったのだ。
聞かれてまずい話と言うわけでもないため、止めるようなことはしなかったが、娘の口から姪らの現状を聞いたかごめの顔はどんどん心配の色が濃くなっていく。
「そう…殺生丸がねぇ…」
湯飲みを両手で包み、立ち上る湯気を見つめながらかごめがつぶやく。
そもそも、殺生丸がりんと所帯を持ったのは、すべての騒動が終わった後であるつい半年前のこと。
それまでは通い婚状態だったため、生活を共にすることになった殺生丸とりんの状況を聞いたのはこれが初めてであった。
だが、兄のことをよく知る犬夜叉は、輪から少し離れた家の壁に寄りかかりながら“けっ”と悪態をつく。
「殺生丸は元々そういう奴なんだよ。そもそも、あいつに優しさだの気遣いだの期待する方が間違ってんだ」
「ちょっと犬夜叉!」
相変わらず兄のこととなると刺々しくなる犬夜叉をたしなめるかごめ。
だが、叔父である彼の言い草に、とわやせつなは何の怒りも沸いてこなかった。
むしろ、同感だとさえ思える。
「そうかもしれません」
ふいに呟かれたせつなの言葉に、その場に居た全員の視線が集中する。
囲炉裏の炎に視線を落としながら、せつなは言葉を続ける。
「妖怪退治の旅すがら、いろいろな妖怪たちの口から父の名を聞きました。みんな口を揃えて“冷酷だ”と評していた。敵の言葉など信じるつもりはありませんでしたが、正直、今までの父の振る舞いを見ていると、うなずける点も多い」
「せつな…」
冷静に父のことを評するせつなに、もろはが肩を落とす。
麒麟丸との一件でも、なにも教えてはくれなかった父。
共に暮らすことになっても、表情一つほころばすことのない父。
親子とは名ばかりでしかないのではないか。
そんな思いが、せつなの中で肥大化しつつあった。
「とわちゃんはどう思ってるの?」
「えっ、私は…」
かごめによって話を振られたとわは、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
確かにせつなの言う通り、父の振る舞いに疑問を感じることは多い。
もっとコミュニケーションを取ってほしいし、父らしいことをしてほしい。
これでは、育ての親である草太の方がよほど父親らしいとさえ思ってしまう。
けれど、ようやく会えた本当の父親を否定したくないという気持ちも少なからずあった。
「私は…正直、よくわかりません。私もせつなも、殺生丸に…父上に育ててもらった記憶が無いから、実感がわかないだけなのかもしれない。でもせつなの言う通り、冷たい印象は確かにあります。もう少し優しくしてくれてもいいのになって思ったりも…」
「そもそも、なぜ母上が父上と一緒になったのかが疑問だ。優しくおおらかな母上と、冷たい空気を纏う父上とでは正反対だと言うのに」
「確かに、私もそれ疑問に思ってた。母上は父上のどこが良くて結婚したのかな」
「んなの本人に聞いてみりゃいいじゃねぇか」
「え…」
いつも笑顔の母と、無表情の父。
人間である母と、妖怪である父。
何もかもが正反対な二人が、どうして同じ道を進むことになったのか、その経緯も理由も、二人は知る由もなかった。
疑問として頭上にはいつも浮かんでいたが、それを本人たちにぶつけようという気持ちにはならなかったのだ。
壁に寄りかかりながら腕を組む犬夜叉の言葉に、とわとせつなは息を呑む。
「俺も昔、なんでお袋は親父と一緒になったのか疑問に思ったことがある。けど、結局聞けずじまいだった。親父は既にいなかったし、お袋も小さい頃に死んじまったからな。けど、お前たちは違うだろ?」
「違う…?」
「殺生丸もりんも、すぐそばにいる。言いたいことがあるならはっきり言っちまえ。後悔する前にな」
犬夜叉からの言葉に、とわとせつなは揃ってうつむいてしまった。
やはり当人たちにしかわからない“聞きずらい空気”と言うものがあるのだろう。
一方、父親の過去を聞いたもろははほんの少しだけ驚いていた。
今まで父から祖父や祖母の話を聞いたことなどなかったし、父がとわやせつなと同じ気持ちを抱いていたことがあった事実も、初耳だったから。
反す言葉が見つからないとわとせつなが黙り込んだことで、家の中に沈黙が訪れる。
パチパチと炎が弾ける音だけが響く中、ゆっくりと息を吐いたかごめが沈黙を破った。
「私ね、殺生丸には、ちょっとした恩があるの」
「恩、ですか?」
「うん」
優しい微笑みを絶えないかごめの横顔が、囲炉裏の炎に照らされ揺らめいている。
かごめが抱いているという殺生丸の恩。
その詳細がつかめず、とわやせつなだけでなく、もろはも母の話に食いつくように顔を上げた。
「聞いたことあると思うけど、私たち、昔奈落っていう敵と戦っていたの。その奈落との最終決戦で、私、犬夜叉とはぐれて一人になっちゃって。気絶していたところを、殺生丸に助けてもらったの」
「えぇっ!?」
驚いたとわとせつなは、思わず顔を見合わせる。
今から20年近く前にはなるが、奈落と戦っていた頃の記憶はかごめや犬夜叉の脳裏に深く刻み込まれている。
四魂の玉を取り込み変化を果たした奈落の体内で、妖怪化した犬夜叉によって突き飛ばされ、窮地に陥ったことがあった。
気絶したかごめに這い寄る妖怪たちを静かに倒し、その身を守ってくれていたのは、他の誰でもない殺生丸その人。
その後も彼はかごめと行動を共にし、結果的に妖怪化した犬夜叉は自我を取り戻すことが出来た。
当人は助けたつもりなどないのかもしれないが、かごめにとっては命の恩人と言っても過言ではなかった。
あまり思い出したくはない出来事が話題に上がったことで、犬夜叉は密かに視線を落とす。
「私も、最初の頃は冷酷で無慈悲な人だと思ってた。でも、今はそんなことない。りんちゃんが殺生丸を変えたのよ」
「母上が、父上を…?」
「うん。少なくとも私が知る限り、殺生丸が変わり始めたのはりんちゃんを連れ出してからだから。分かりにくい人だけど、冷酷なんて言葉はもう似合わないわ。りんちゃんのことも、とわちゃんやせつなちゃんのことも大切に思ってるはずよ」
殺生丸と初めて会ったとき、彼はこちらが震えあがるほど冷たい目をしていた。
人間など、同じ生き物として認識していないかのような言動と表情。
そのすべてが冷たく凍りきっていて、犬夜叉と血を分けた兄弟だとはとても思えなかった。
けれど、いつの間にか人間の少女が後ろをついて回るようになってからと言うもの、彼の氷のように冷たく張り詰めた空気は次第に和らいでいき、小さな優しさまで垣間見えるようになった。
それまでの過程を知っているかごめだからこそ言い切れる。
殺生丸は、決して冷酷無情な男ではないのだと。
「あ、あのさ、とわ、せつな」
今までずっと黙っていたもろはが、恐る恐る口を開いた。
一同の視線は、胡坐をかいて小さくなっていたもろはに集まる。
「アタシもさ、ついこの前までは生みの親なんてどうでもいいって思ってた。今まで一人きりで生きてきたわけだし…。でも、実際会ってみて思ったんだ。やっぱり、一緒にいたいって」
「もろは…」
「今まで親の顔なんて知らなかったんだし、すぐに馴染めないのは当たり前だって。きっと時間が経てば分かり合えるようになるよ。アタシがそうだったから…」
長い爪で自分の頬を掻くもろはの顔は、ほんの少し赤く染まっていた。
照れ屋で素直ではない彼女が、とわやせつなを元気づけるために恥じらいながらも気持ちを吐露する様子が妙に可愛らしく、正面で見ていたとわとせつなは小さく笑みをこぼした。
もろはの言う通りかもしれない。
そう言いながら笑いあえば、小さな悩みや疑問などすぐに風のようにどこかへ消え去ってしまう。
未だあどけなさを残す三人の夜叉姫たちの笑い声を聞きながら、かごめは背後の犬夜叉に振り返った。
「ですって、犬夜叉。嬉しいわね」
「けっ、んなことでいちいち喜んでられっかよ」
「何照れてんのよ」
「て、照れてねぇって!」
目を閉じ、顔を逸らしながら犬夜叉はかごめの言葉を否定する。
だが、その焦り切った態度と赤い顔が、娘の言葉に照れている事実をありありと映し出していた。
素直じゃないもろはの性格は、父親譲りらしい。
犬夜叉とかごめを観察しながらそんなことを思っていたとわとせつなに、もろはがそろそろと近づき耳打ちを始めた。
「うちの親父さ、照れるといつもあぁやって目閉じて顔逸らすんだ。殺生丸も親父の兄貴なわけだし、そういう分かりやすい癖があるのかもな」
小声で囁かれたもろはの言葉を受け、とわとせつなは父が照れている光景を思い浮かべてみる。
どれだけ頭を回してみても、あの父が顔を赤くして照れているさまなど想像ができない。
犬夜叉ほどわかりやすい仕草をしてくれれば、こちらも感情が読み取りやすいのに。
いまだ照れている、照れていないのやり取りをしている犬夜叉とかごめに苦笑いを零しながら、とわとせつなは再び視線を合わせるのだった。
********************
「とわ、せつな、おかえりなさい」
もろはの家を出た二人は、茜色の空を仰ぎながら村はずれの家へと向かう。
小さな家の脇には阿吽が寝転がっており、その背中を母のりんが拭いててやっていた。
その光景に、とわとせつなはハッとする。
阿吽がいるということは、父上が帰ってきている。と。
「母上、ただ今帰りました」
「はいこれ、母上にお土産」
「あらあら、二人ともありがとう!お団子?邪見様にも分けてあげなくちゃね」
母の口から出た邪見の名前に、やはりかと顔を見合わせた。
邪見なる小妖怪は、殺生丸の背をいつもついて回っている従者である。
阿吽だけでなく邪見もいるとなれば、父が珍しく帰ってきていることは明白であった。
「あの、母上。父上もお帰りなのですか?」
「えぇ。でも今はちょっと出かけてるの。すぐに帰ってくると思うけど…。あ、そうだ!二人に渡したいものがあるんだった。ついてきて!」
何かを思い出したように一瞬で表情を明るくさせたりんは、娘二人を手招きしながら家の中へと戻っていく。
何事だろうかと疑問に思いつつ、母の後を追い家の中へと入るとわとせつな。
娘たちから差し出された団子のお土産を丁寧に床に置くと、りんは部屋の奥に置かれた長持を開け、中から二枚の着物を取り出した。
白に紫色の蝶が施されたものと、藍色に白の花が施されたもの。
二枚の着物を大事そうに抱えながら、りんは二人にそれを差し出した。
「はい。白がとわで、藍色がせつな。殺生丸さまが持ってきてくれたのよ」
「え、またですか?」
父からは、前にも一度反物を送られている。
一般庶民には手が出せないような高価な生地であったため、母に着物として仕立ててもらった後も、特別な時以外は着ることなく箪笥の奥にしまっていた。
すでに一着貰っているというのに、もう二着目をくれたというのだろうか。
「父上はね、二人があの着物をなかなか着ようとしないから少し気にしていたみたいなの。高い反物だったから遠慮してるんじゃないかって私が言ったら、わざわざ少し安い反物を持ってきてくれたのよ」
りんの腕から着物を受け取ると、確かに以前貰った高価なものよりも多少生地が薄く、あまり値が張らない反物から仕立てられていることが分かった。
確かに、二人とも最初に貰った着物を父の前で着たことはない。
てっきり父は、娘たちの恰好など気にも留めていないのだと思っていたが、どうやらそんなこともなかったらしい。
「父上が帰ったら、きちんとお礼を言うのよ?」
手元の着物を見つめ、目を丸くしている娘たちに微笑み、りんは言う。
心なしか、りんの表情からは喜びが浮かんで見えている。
前に貰った着物よりも少し価値が落ちる着物を抱えながら、とわとせつなは初めて父にあの着物を着た姿を見せなかったことを後悔した。
気にかけていてくれたんだ。
わざわざもう一着分反物を用意するほど、父上は私たちを見てくれていたんだ。
「あの、母上。一つ聞いてもいい?」
「ん?なぁに?」
とわの言葉に、りんが首をかしげる。
顔を見合わせ、小さく頷きあった二人は、意を決して例の疑問をぶつけることにした。
「どうして父上と一緒になったんです?」
いつもは堂々としているせつなだったが、今回はガラにもなく恐る恐る問いをぶつけた。
一瞬だけ驚いたように目を丸くしたりんだったが、すぐに笑顔に戻り、けたけたと声を挙げて笑い始める。
「あはは、それ、いつか質問されるんだろうなって思ってた」
「え、どうして?」
「だって、二人は殺生丸様の娘だから」
その言葉の意味はよく分からなかった。
殺生丸の娘だから、この質問が来ることは分っていたと言われても、ピンとこない。
首を傾げるとわとせつなだったが、りんはその言葉の真意を答えることはなかった。
目を閉じ、両の手を胸に当て、感傷に耽るように言葉を続ける。
「殺生丸様はね、誰よりも強くて格好良くて綺麗で、それでいて、とってもとっても、とーっても優しい人なの」
「優しい…?」
「そう。優しいの。だから、一緒にいたいと思ったんだよ」
そう言って笑う母の顔は妙に無邪気で、一瞬だけ純粋な少女のように見えてしまった。
母の顔を見て、二人の娘は思う。
この人は、殺生丸に恋をしているのだ、と。
「おお、とわにせつな。帰ってきたか!殺生丸様、二人が帰ってきております」
すると、家の戸のほうから嗄れ声が聞こえてきた、
振り返ればそこにいたのは、小さな緑色の妖怪。邪見であった。
邪見に呼ばれ、白い衣をひらめかせながら家の中に入ってきたのは、殺生丸。
久方ぶりに見る父の姿であった。
「父上」
せつながぽろりと呟くと、殺生丸は二人の娘の前へと歩を進める。
琥珀色の切れ長な目に見降ろされ、とわとせつなは自然と背筋を伸ばしていた。
「無事、戻ったか」
「はい。ただ今帰りました、父上」
「ただいま、父上」
とわとせつな。ふたりの顔を交互にじっと見つめた殺生丸は、何も言わず部屋の奥へと進む。
まっていたのは妻であるりん。
“おかえりなさい、殺生丸様”と頭を下げるりんにも特に言葉をかけることなく、腰の刀を抜き取り手渡した。
相変わらず不愛想で、会話というものをしようとしない父に複雑な気持ちになる娘二人だったが、今は父に言わなければならないことがある。
着物を貰った礼を言わなければ。
とわとせつなはどちらともなく父のもとへ駆け寄り、声を合わせて“父上”と呼んだ。
「あ、あの…着物、ありがとうございます」
「大切に着ます」
「そうか」
たった三文字の返答で、父と娘たちの会話は終了してしまった。
だが、とわとせつなは父が見せたわずかな変化を見過ごしはしなかった。
瞼を閉じ、顔を逸らしたのである。
その仕草を見て思い起こすのは、つい先ほどもろはから聞いた叔父の癖。
うちの親父さ、照れるといつもあぁやって目閉じて顔逸らすんだ。
目の前の光景に、とわとせつなは目を疑った。
まさか、照れている?あの父上が?
そんなことがあるのだろうか。
呆然と父の整った顔を見つめていた2人だったが、殺生丸はすぐに目を開き、玄関口にたたずんでいた従者へと視線を向けた。
「邪見」
「あっ、はい!ただいま!」
名を呼ばれた邪見は即座に外へ出て、漆塗りの箱を持って戻ってきた、
人間が持つにはちょうどいい箱でも、体の小さい邪見が持つには大きすぎるらしく、よろけながら殺生丸の元へと箱を運んでくる。
箱の正体は気になるが、とわとせつなからしてみれば、名前を呼ばれただで用件を察知できる邪見の察しの良さの方が気になってしまった。
ここまで無口な主に仕えていれば、察しが良くなるのも当然の流れなのだろうか。
やがてりんの目の前で箱をおろした邪見は、その細く貧相な指で箱を開けて見せた。
中に収納されていたのは、紫色の立派な帯だった。
「うわぁ、綺麗な帯!」
「りん、殺生丸様からお前にだ」
「えっ、私?」
「感謝せぇよ?りんに贈るために都にまで赴いて手に入れたんじゃ。しかも、殺生丸様自らわざわざ足をはこんでぇっ!」
最後まで言い切る前に、邪見は殺生丸によって背中から蹴り飛ばされていた。
壁にめり込む邪見。
そんな彼を気にすることなく、りんは目を輝かせながら箱の中へと手を伸ばす。
りんの華奢な手によって持ち上げられた紫色の帯は相当高価な者らしく、今まで見たどの帯よりも艶めいて見えた。
帯を大事そうに抱きかかえ、りんは殺生丸を見上げて満面の笑みを見せる。
「殺生丸様、ありがとうございます。とっても嬉しいです」
素直に喜びをぶつけるりん。
そんな彼女を見つめる殺生丸の表情は、今までに見た事が無いくらい柔らかいものだった。
目を細め、りんをまっすぐ見下ろす彼の表情からは、僅かながら優しさがにじみ出ている。
父上のこんな顔、始めて見た。
母を慈しむかのような父の表情に見とれていたとわとせつなだったが、家の戸ががらりと開く音に驚き玄関口へと振り返る。
「おう、やっと帰ってきやがったか殺生丸」
「よっ、とわ、せつな」
尋ねてきたのは、犬夜叉とかごめ、そしてもろはの三人だった。
犬夜叉ともろはの後ろから、かごめがりんに向かって小さく手を振っている。
つい先ほど別れたばかりである彼らが何故また訪ねてきたのだろう。
疑問に思っていると、戸に背を預けた犬夜叉が殺生丸をじっとみつめた後、突然“ぷっ”と噴き出した。
「殺生丸、おめぇ屋内似合わねぇな」
いつも野外で会うことが多い兄が屋内にいる光景がおかしく映ったのだろう。
犬夜叉は口元を緩ませてくすくすと笑っていた。
そんな弟の姿に苛立ったのか、殺生丸は隣のりんが抱えている自分の刀の柄を握り込んだ。
まずい、一度刀を抜いたらしばらくは収まりがつかないぞこの二人。
そう判断したとわとせつなは、急いで殺生丸を止めにかかる。
「ち、父上!お待ちを!」
「落ち着いてってば!」
「…犬夜叉、貴様何の用だ」
明らかに殺気を放っている殺生丸は、どすの効いた低い声で犬夜叉に問いかける、
一触即発な雰囲気に焦りを見せる夜叉姫たちだったが、睨みつけられている犬夜叉にとってはこのような殺気は慣れたものらしく、顔色一つ変えていない。
「もろはたちも帰ってきたことだし、おめぇもいるんなら親父の墓参り行っちまおうぜ?おめぇが言い出しっぺだろ」
犬夜叉の言葉に、殺生丸から殺気が薄れていく。
やがて爆砕牙から手を離すと、壁にめり込んだままの邪見へと視線を向けた。
「邪見」
「え、あ、はい」
「阿吽の支度を」
「はいただいま!」
「りん」
「はい」
「その帯を仕舞って身支度をしろ」
「はい!」
「とわ、せつな」
「「は、はい」」
「父上にお前たちの無事を報告する。支度をしろ」
「「はい」」
詳細な説明はなかったが、どうやら以前から祖父である犬の大将の墓参りに行こうという話が出ていたらしい。
祖父の亡骸があるあの世とこの世の境には一度行ったことがあるが、麒麟丸の一件が片付いてからはまだ言っていない。
見の周りが落ち着き出した今、麒麟丸の最期も含めて祖父に報告しようということらしい。
父に言われた通り、とわとせつなは急いで屏風の向こう側に隠れて着替えを開始する。
「犬夜叉。黒真珠は」
「今はもろはが持ってるんだったよな?」
「あぁ。ほら、ばあちゃんの紅の中に」
「…明道を開く。付いて来い」
黒真珠から道を開く準備のため、家から出ていく殺生丸。
犬夜叉ともろは親子もその背に続き外へ出て行ってしまった。
残ったかごめは、いそいそと出かける準備をしているりんの手伝いに入っている。
屏風の向こうに引っ込んだとわとせつなは、妖怪退治で汚れてしまった服を着替え始めていた。
「ねぇせつな。父上のことだけど…」
「あぁ。どうやら父上は、私たちが思っているほどつかみにくい人物ではないようだ」
「だよね。というかどちらかというと…」
“わかりやすい”
顔を見合わせた二人の言葉が綺麗に重なる。
同じことを思っていた事実に、二人は声を挙げて笑いあった。
無表情で言葉数少なく、何を考えているのか一目ではわからない父。
だが彼の様子をよくよく観察してみると、その仕草一つ一つから小さな感情の波が読み取れる。
その特徴を掴んでしまえば、むしろ口数も表情の変化も少ない分、分かりやすいとすら思えた。
自分たちに反物を寄越してくれたことも、母に帯を贈っていたことも、父なりの優しだったのだろう。
育ての父である草太とは正反対ではあるが、殺生丸は間違いなく自分の父なのだととわは実感した。
「こりゃー、とわ!せつな!早くせんか!」
家の外、開け放たれた戸の向こうから邪見の催促する声が聞こえてくる。
急いで帯を締めた二人は、着慣れない小袖を見に纏い外へ飛び出した。
外では既に二人以外の面々がそろって待っており、一番奥にいる犬夜叉やかごめの向こうには黒真珠によって開かれた黒く大きな歪みが出現していた。
どうやらみんなを待たせてしまったらしい。
せつなの手を取り外へ出たとわが“お待たせ”と声をかけると、犬夜叉の肩口から二人を見ていたかごめが明るい声色で“まぁ”とつぶやいた。
「かわいい着物ね!新しく買ったの?」
「父上に頂いたんです」
「殺生丸がァ?」
信じられないとでも言いたげな顔で兄の顔を覗き込む犬夜叉。
弟からの疑惑の眼差しが気に障ったのか、殺生丸は不快そうな顔で睨み返している。
そんな父と叔父の火花散る視線の戦いになど目もくれず。かごめの隣で二人の姿を眺めていたもろはは後頭部を支えるように手を組みぼやき始めた。
「いーなー、親父に着物貰うなんていいなー。アタシも新しい着物欲しいなー」
「え”」
「もろは、お父さんに頼めばきっと用意してくれるわよ」
「えっ、ほんとに?」
「ばっ…かごめ!適当言うな!」
着物が欲しい、今度にしろの攻防を始めてしまった犬夜叉親子。
そんな彼らを横目に、とわとせつなの母、りんは、いつもの柔い笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。
「とわ、せつな、良く似合ってる。ねっ、殺生丸様?」
自分よりも頭2つ分以上背が高い殺生丸を見上げ、りんは微笑む。
白の小袖に身を包んだとわと、藍色の小袖に身を包んだせつなは、そろって父を見上げた。
優しい誉め言葉を期待していたわけではない。
父が無口であることはよくよく理解していたから。
そんな双子の瞳に映る父の表情が、ほんのわずかに和らいだ。
表情の乏しい父が見せた、僅かな変化。
言葉などなくとも、その小さな微笑みだけでとわとせつなは満足だった。
“よく似合っている”
父が、そう言ってくれているような気がしたから。
完