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二次創作まとめ

犬夜叉と殺生丸が入れ替わるはなし

【殺りん/犬かご】

犬夜叉

■未来捏造

■短編

 

その日、かごめとりんは犬夜叉を伴って森を訪れていた。
楓から、とある薬草を採ってくるように頼まれたのだ。
その薬草は森の奥深くに生えているらしく、妖怪が出たら危ないからということで、犬夜叉も一緒についていくよう命じられた。
薬草採りの同伴など、犬夜叉にとってつまらないことこの上なかったが、伴侶であるかごめに笑顔でお願いされては断れない。
犬夜叉は、仲良く並んで前を歩くかごめとりんを眺めながら、気だるさにため息をついていた。

湿り気を帯びたほの暗い森に到着した三人。
楓の村から少し離れた場所にあるこの草むらに、件の薬草は生えているらしい。
かごめとりんが薬草を探している間、犬夜叉は居心地の良さそうな木を見つけ、太い枝の上で腰を下ろしてひと眠りすることにした。
眠ると言っても熟睡するわけではない、目を閉じているだけである。
半妖として生まれ育った犬夜叉は、いつどこで誰に襲われるかわからない幼少期を過ごしたために、眠ろうとしても熟睡できないという厄介な癖があった。
だがその癖のおかげで、犬夜叉は目を閉じて肩の力を抜いている時でも、周囲に神経を張り巡らせることができる。
異変に気付いたのは、犬夜叉が目を閉じてしばらくした頃だった。
突然地面が揺れだし、草原の土にひびが入る。
犬夜叉は即座に枝から飛び降りてかごめとりんの前に立つと、鉄砕牙を鞘から抜いた、
鼻の利く犬夜叉にはわかる。
この地面の下に、妖怪が潜んでいる。
そんな犬夜叉の読みはあたり、ひび割れた地面から大きなミミズの妖怪が現れた。


「なにあれ気持ちわるっ!」
「おっきなミミズ・・・?」


お互いに守りあうように抱き合っているかごめとりん。
彼女たちは、長い髭のような触角を生やし、うねうね動くミミズ妖怪に鳥肌を立てていた。
見たところ雑魚妖怪でしかない。
自分の一太刀で方が付くだろうと思っていた犬夜叉だったが、横から繰り出された光の鞭が妖怪の体を貫いた。
突然入った横やりに驚き、気配のする方を振り向けば、そこにはいつの間にか来ていたらしい殺生丸の姿があった。


殺生丸様!」


邪見を伴い、まっすぐミミズ妖怪を見つめる殺生丸に、りんが喜びの声を挙げる。
りんの窮地を感じ取り、駆け付けたのだろう。
だが、横から獲物をかっさらわれては、犬夜叉としては面白くない。


「てめぇ殺生丸!俺の獲物に手ぇ出してんじゃねぇ!」
「うるさいわ犬夜叉殺生丸様がわざわざご加勢してくださったのだ!とっとと礼を言わんか!」
「頼んでねっつーの!」
「なにを!?!?」


殺生丸の後ろからやいやいとヤジを飛ばす邪見と、短気で喧嘩っ早い犬夜叉の口論が始まった。
まだ目の前の妖怪は死んでいないというのに、ほかに気を取られてしまうのは犬夜叉の未熟なところなのかもしれない。


「ねぇちょっと!まだ終わってないんじゃない?」


かごめの言う通り、妖怪は殺生丸によって深い傷を負いながらもまだ戦意を失ってはいなかった。
大きな体をしているだけあって、その分生命力も並大抵のものではないのかもしれない。
体を揺り動かしながら暴れている妖怪に、犬夜叉は不敵な笑みを浮かべた、
どうやら、とどめを刺せるくらいにはまだ元気らしい。
最近村の中は平穏で、まともに妖怪退治をしていなかったため、戦闘を好む犬夜叉は腕がなまって仕方がなかった。
この程度の妖怪、技など使わなくても鉄砕牙の一振りで終わりそうではあったが、体を動かしたくて仕方がなかった犬夜叉は、あえて大技を出してやることにした。


「食らいやがれ!金剛槍破!」


なにもそんな大技使わなくても・・・。
呆れるかごめだったが、犬夜叉の放った金剛石の礫は妖怪の体中に突き刺さり、見事に大きな損傷を与えていた。
どうだと言わんばかりに振り返り、笑いかける犬夜叉
しかし、死に際のネズミというものは猫をも噛む力を発揮するもの。
ミミズの妖怪は、悲痛なうめき声をあげながら、金剛石によって貫かれた体の傷から黒煙を噴出した。
黒煙はあたり一面に充満し、周囲の木々をことごとく枯らしてゆく。


「ちょっ、なによこの煙!」
「ものすごく臭いです!」


鼻が曲がるような腐敗臭が、かごめとりんを襲う。
二人ともとっさに両手で鼻を覆うが、それでもしつこく匂ってくるこの匂いは、妖怪の体から湧き出たあの黒煙が原因だろう。
そこで、かごめはようやく気付く。
人間である自分たちですら頭が痛くなるほどの匂いを感じているということは、人間の何倍も鼻が利く犬夜叉たちには耐え難い匂いなのではないかと。
犬夜叉に視線を向けてみれば、案の定鼻を抑え、激しく咳き込みながら膝をついていた。


「い、犬夜叉!」
殺生丸様!」


となりで、りんが悲痛な声上げる。
呼ばれたその男の方にも目を向ければ、殺生丸もまた、珍しく片膝をついてうつむき、右手で顔と口を覆っている。
いつも涼しい顔をしているあの殺生丸でさえ、膝をつくほど苦しい匂いなのだろう。
殺生丸の足元では、邪見が心配そうに主を見上げていた。
自分を苦しめた犬の兄弟が二人とも膝をついたところで、妖怪は勢いづく。
激しくうめき声をあげると、長い二本の髭を使い犬夜叉殺生丸の体を縛り上げてしまう。
普段なら回避できるような攻撃だったが、強烈なにおいに苦しんでいる2人は動くことができず、あっけなく囚われてしまった。
さらに、妖怪の職種によって強制的に接近させられてしまった犬夜叉殺生丸は、至近距離で腐敗臭を嗅いでしまい、二人ともほぼ同時に意識を手放してしまう。


「せ、殺生丸様が気を失われておる・・・!」
「うそ・・・犬夜叉しっかりして!」
殺生丸様!目を覚まして!」


長い間殺生丸に付き従ってきた邪見だったが、主が戦闘中に気を失っているのは初めて目にする光景だった。
犬夜叉殺生丸の利きすぎる鼻は、武器でもあり同時に弱点にもなり得る。
強大な力を持つ殺生丸の唯一の弱点を突くことに成功したミミズ妖怪は、大口を開け、捉えている犬の兄弟をゆっくりと引き寄せてゆく。
どうやら二人を食らい、その妖力を得ようとしているらしい。
このままではまずい。
かごめは、念のため持ってきていた弓を構え、犬夜叉を捉えている触手めがけて破魔の矢を打ち込んだ、
しかし、妖怪はそんなかごめの動きを察知していたらしい。
とっさに犬夜叉を捉えていた触手を揺り動かし、破魔の矢を回避してしまう。
そして、触手を動かしたことで、気を失ったままの犬夜叉殺生丸は接近。。
ゴン!という大きな音を立てて、二人は額と額をぶつけ合ってしまった。
だがそれでも、犬夜叉殺生丸は気絶したまま。


「い、痛そう・・・」
「言うとる場合か!このままでは殺生丸様が食われてしまうわ!」


邪見の焦りはもっともだった。
早く助け出さなくては、二人とも妖怪に飲み込まれてしまう。
かごめが新しい矢を取り出し、妖怪めがけて弓引いたその時だった。


「飛来骨!」


聞き慣れた叫びとともに、珊瑚の飛来骨が、犬夜叉殺生丸を捉えていた触手を切り離す。
解放された二人は重なり合うように草村に落ち、未だあたりを覆っている悪臭に顔をゆがませたまま気絶している。
りんと邪見は、派手な音を立てて地面に落ちた殺生丸に血相を変えて駆け寄る。
かごめも犬夜叉へと駆け寄ったが、どうやら大きな怪我は負っていないようだった。


「かごめーっ!」
「みんな!来てくれたのね!」


変化した雲母にまたがり、上空から駆け付けたのは、弥勒に珊瑚、そして七宝だった。
新たな敵の登場に、妖怪は一層黒煙を噴出する。
犬夜叉たちほどではないにしろ、人間よりは鼻が利く雲母や七宝は悪臭に苦しみ悶える。
雑魚妖怪とはいえ、あの黒煙はかなり厄介である。
早く退治しなければならない。
そう判断した弥勒は、懐から護符を取り出すと、そのまま勢いよく妖怪の額めがけて放つ。
護符に宿った弥勒の法力に苦しむ妖怪。
弥勒は雲母から飛び降りると、追い打ちをかけるように、持っていた錫杖の柄を護符が張り付いている妖怪の額めがけて押し付けた。
殺生丸犬夜叉が与えた一撃で、もともと瀕死の状態まで陥っていた妖怪は、珊瑚に触手を斬られてことで完全に抵抗する術を失っていた。
弥勒の渾身の一撃により、妖怪はようやく沈黙。
清らかな力によって、その体はみるみるうちに浄化されていった。


「ふぅ、何とかなったね」
「ええ、危ないところでした」


雲母から降り立った珊瑚は、肩に七宝を載せながら、骸となった妖怪に手を合わせる弥勒の隣に並ぶ。
妖怪の骸からは、わずかにあの黒煙が漏れており、七宝と雲母はあまりの臭さに鼻をかばう。
力こそ大したことはなかったが、悪臭を放つという厄介な性質が、並の妖怪より別格強いはずの犬夜叉殺生丸を苦しめることになった。
その二人は、相当悪臭に苦しんでいるのか、揃って未だに目を覚ますことはない。


殺生丸様、お気を確かに・・・!」
殺生丸様死んじゃったの!? ねぇ邪見様!」
「大袈裟ですよ」


横たわる犬夜叉殺生丸に歩み寄った弥勒は、まず犬夜叉の息を確かめる。
苦しそうにはしているものの、きちんと呼吸はしていた。
次に殺生丸の左手を取り、脈をみる。
多少早いようだが、異常をきたしていると言うほどでもないだろう。
2人とも、命に別条がないことは明らかだった。


「気絶しているだけです。時間が経てば目を覚ますでしょう」
「ほんと? よかったぁ」
「おいたわしや殺生丸様・・・!」


安堵するりんとは対照的に、隣の邪見は水たまりができそうなど泣いている。
殺生丸が戦闘中に気絶してしまったのは初めてだったため、相当心配しているらしい。


犬夜叉はともかく殺生丸まで気を失うなんてね」
「おらでもこんなにきついんじゃ。犬妖怪なら気絶しても無理ないわい」


かごめのつぶやきに、鼻をつまんだ七宝がくぐもった声で答えた。
珊瑚が妖怪退治の際に匂い玉を使った時など、嗅覚をやられて犬夜叉が動けなくなってしまうことはたびたびあったが、殺生丸までもがこのような状態に陥ることがあるという事実に、かごめは驚嘆していた。
犬夜叉と違い、殺生丸は完全な妖怪である。
ならば嗅覚も、犬夜叉以上に優れていてもおかしくはない。
むしろ今回の敵には、犬夜叉よりも殺生丸の方が苦しめられたのかもしれない。
いつもの鋭い目つきからは想像もつかないほど安らかな顔で眠っている殺生丸の顔を見ながら、かごめはそんなことを想っていた。
腹違いとはいえ、兄弟ということもあって、瞳を閉じる二人の顔立ちはどこか似ていた。
殺生丸の顔が、ほんの一瞬犬夜叉に似ているように思えたのは、かごめの気のせいではないのかもしれない。


********************


「悪臭を放つ妖怪か。面倒なやつもいたものだな」


並んで横たわる犬夜叉殺生丸の間に座り込んだ楓は、椀に注がれた緑色の薬湯を匙ですくい、犬夜叉の口に流し込んでいく。
その様子を、かごめとりん、そして邪見は小屋の隅でおとなしく見守っていた。
森の中で気を失った犬夜叉殺生丸は、弥勒たちの手で楓の村に担ぎ込まれた。
空き家となっている物置小屋に藁を敷き、そこに二人を寝かせると、楓は手慣れた様子で薬草を煎じ、治療の準備を始めていた。
用意した薬湯を犬夜叉に飲ませると、今度は後ろで横たわっている殺生丸の口にもそれを運ぶ楓。
そんな彼女の行動に、邪見が怪訝な顔をしながら口をはさんだ。


「おいこら、何を飲ませようとしている?」
「気付け薬だ。これを飲めば、比較的早く回復するだろう」


邪見の主、殺生丸は、その強大な力を持っているがゆえに誇り高く、人に手を貸されるという状況を極度に嫌う。
彼の意識が失われていなければ、人間の老婆に看病してもらうなどというこの状況はありえなかっただろう。
柄にもなく人間の世話になってしまっている今の状況をよろしく思っていない邪見は、小さな足で激しく貧乏ゆすりをしていた。


「邪見様、さっきから態度でかいよ」
「うるさいわい!この状況、殺生丸様がお目覚めになったら何と言われるか・・・」


人間に助けられ、しかもその世話になっていたと殺生丸が知れば、きっといい顔はしないだろう。
それどころか、機嫌を損ねた殺生丸の被害を邪見が被ることも予想できる。
しかし、殺生丸本人が気を失っている以上、担ぎ込まれてしまっているこの楓の村から主を連れ出すことは、小さな体の邪見には不可能なことであった。
今の邪見は、人間にかいがいしく世話を焼かれる孤高の主を黙って見つめているしかない。


「とはいえ、犬妖怪にとって悪臭は大敵。しばらくは目覚めんだろう。今日は二人ともここに寝てもらうとするかの」
「そうね。それがいいと思う。下手に動かして体調を悪化させたら大変だもの」


楓の提案にうなずいたかごめは、目を閉じたままの犬夜叉の額に触れた。
熱はなく、ひんやりとした彼の体温に触れ、かごめは安堵する。
普段は犬夜叉と同じ家で生活しているかごめだが、今日ばかりは同じ布団では寝れないようだ。
陽が落ち始めた頃合いを見て、かごめは自分の家に、りんは楓と一緒に彼女の家に帰ることとなった。
邪見は眠ったままの主を心配し、そのまま小屋に残ることに。
こうして小屋の中には、気を失ったままの犬の兄弟と、そのすぐそばで眠りについた邪見のみが残された。


********************


犬夜叉が目を覚ましたのは、太陽が沈みきってしばらくたった深夜のことだった。
ぼやける視界に目をこすりながら上体を起こせば、激しい頭痛が襲ってくる。
鼻の奥に残る不快なにおいに悩まされながら、犬夜叉は昼間の出来事を思い出していた。
かごめやりんと薬草を摘んだ帰りに、ミミズの妖怪に襲われ、悪臭に苦戦させられたことは覚えている。
犬夜叉の記憶は戦っている最中の光景で途切れていたが、今何のけがもなくこの楓の村にいるということは、あの後かごめか誰かが妖怪を退治して、自分をここまで運んでくれたのだろう。
全身から殺生丸の匂いがするということは、あの冷酷な兄が柄にもなく自分を運んでくれたのかもしれない。
余計なことしやがる・・・。
心の中で悪態をついた犬夜叉は、ずきずきと痛む頭を右手で抑えた。
すると、視界に白い着物が飛び込んでくる。
いつもは赤い火鼠の衣をまとっている犬夜叉だが、どうやら何者かによってこの白い着物に着替えさせられたらしい。
しかし、いったいなぜ?
自分が着ている着物の袖をよく見てみると、どこかで見たような模様が入っていた。
おかしい。この着物を、犬夜叉は見たことがある。
これは紛れもなく、殺生丸がいつも着ているあの着物だ。
きょろきょろと全身を見回してみると、いつも殺生丸が身に着けている重そうな鎧も、鬱陶しい白いもこもこも身に着けている。
どうして自分は殺生丸の格好をしているのだろうか。
犬夜叉が疑問に思ったその時だった。


「おお殺生丸様!お目覚めになられましたか!」


足元で眠っていた邪見が、上体を起こした犬夜叉に気が付き、声をかけてきた。
邪見はなぜか涙目で、おいおいと泣きながら“心配していたのですぞ”とわめく。
そんな彼は、なぜか犬夜叉のことを“殺生丸”と呼んでいた。


「おい、なに泣いてんだよ気持ち悪ぃ。つか誰が殺生丸だっつーの」
「へ?」
「それより俺の着物どこだよ。なんで殺生丸の格好なんてさせられてんだ?おもっ苦しいったらないぜ」


この重い鎧と無駄に着込んだ着物をいち早く脱ぎたがる犬夜叉だったが、自分の着物がないのでは容易に脱ぐことは出来ない。
この着物を着ているせいで、全身から殺生丸の匂いがして気に食わないのだ。
犬夜叉は、自分の着物を見つけるために周囲をきょろきょろと見渡すが、やはりどこにも自分の着物は落ちていなかった。
そんな様子の犬夜叉に、邪見はきょとんとしながら再び声をかける。


「あ、あの、殺生丸様?何を仰っているので・・・?」
「だから!殺生丸じゃねぇって何度も・・・・えっ」


未だ自分のことを殺生丸と呼んでくるしつこい邪見に抗議すべく、後ろを振り返る犬夜叉
そこで彼は、信じられないものを目にしてしまった。
丁寧に敷かれた藁の上で眠っている、自分自身の姿。
幻覚を疑い、何度か目をこすってみたけれど、やはりそこにいるのは間違いなく自分自身であった。
その瞬間、今自分が置かれている状況を、犬夜叉はなんとなく勘づいてしまう。
なぜか自分が殺生丸の格好をしていること、全身から殺生丸のにおいがすること、そして邪見が自分を殺生丸様と呼んでくること。
すべての辻褄があう。
しかし、にわかには信じられなかった。
こんなことになったのは初めてのことだ。
信じたくない。
この目で真実を確かめるまで、受け入れられるわけがない。


「あぁ!殺生丸様どちらへ!?」


犬夜叉は脱兎のごとく小屋から飛び出した。
後ろから邪見の呼ぶ声がしたが、足を止めることはない。
全速力で向かった先は、自分の家。
つまり、かごめがいる我が家である。
たしかかごめが、現代から持参した手鏡を持っていたはずだ。
あれを見れば、今自分がどんな姿をしているのか確認することができる。
火の明かりが消え、真っ暗になっている家の中へと飛び込むと、決して広くはない家の奥で、かごめが布団にくるまって眠っていた。

起こさないように気を遣いたいのはは山々だが、残念ながら今の犬夜叉にそんな気遣いをするだけの余裕はない。
がたがたと派手な音を立てながら箪笥をあさり、目当ての手鏡を探す。
箪笥の三段目あたりを探していたその時だった。
ようやく小さな赤い手鏡を手に入れる。
犬夜叉は深く深呼吸した後に、意を決したように鏡をひっくり返して自分自身を見つめてみた。
鏡の中には、想像通りの人物が映っている。
目を見開いてこちらをじっと見ている、殺生丸の顔であった。
自分と殺生丸が、入れ替わっている。
仮定は確証へと変わってしまった。


「犬・・夜叉・・?」


家の奥の方で、もぞもぞと動く音とともに、かごめの自分を呼ぶ声がした。
どうやらガタガタと漁っているうちに、起こしてしまったらしい。
布団から顔を出したかごめと、ばっちり目が合ってしまった。
寝ぼけ眼だったかごめの瞳が、だんだんと見開かれていく。
その表情は、どんどん怒りや焦りの表情へとかわっていってしまう。
あ、これはまずいかもしれない。
犬夜叉がそう思った瞬間、耳をつんざくようなかごめの叫び声が家の中に轟いた。


「ぎゃああああぁぁぁぁ!!何考えてんのよお義兄さん!!夜這いぃぃぃ⁉⁉」
「ばっ、ち、違っ・・・!!!」


今、かごめの目に映っているのは、夜な夜なこそこそと家に忍び込み、箪笥をあさっている殺生丸の姿。
あの箪笥には、かごめが現代から持ち込んだ下着も収納されていた。
今の犬夜叉の姿はまさに、泥棒、もしくは夜這いに忍び込んだ義兄としか映らないのだ。
なんとか嫁の誤解を解こうと口を開く犬夜叉だったが、入れ替わってしまったという事情を簡潔に話せるほどの伝達力がないために、口ごもってしまう。
殺生丸の姿をした犬夜叉のそんな曖昧な態度が、かごめの勘違いを加速させる。


「出てって!!」
「待てかごめ!話を・・・!」
「出てってーーーっ!!」
「ぐおっ!!」


かごめは恐るべき怪力で部屋の奥に積まれていた米俵を持ち上げると、犬夜叉めがけて思いっきり投げつけた。
米俵は普通、人間の女が簡単に持ち上げられるほど軽くはないのだが、火事場の馬鹿力というものだろうか。
かごめは鬼の形相で軽々持ち上げてしまった。
重量感のある米俵を全力で投げつけられれば、いくら完全な妖怪である殺生丸の体で受けたとしても痛い。
犬夜叉は段差から転げ落ち、そのまま転がるように家から追い出されてしまった。
白い着物ともこもこは一気に泥まみれになり、端正な顔にも汚れが付着してしまう。
犬夜叉はぶるぶるとその場で体を震わせて泥を落とすと、たった今自分を怒涛の如く追い出したかごめがいる家に向かって悪態をついた。


「なんだよかごめのやつ!話くらいちゃんと聞けっての!」


しかし、かごめが勘違いしても無理はない。
中身は犬夜叉と言えど、見た目は完全に殺生丸
口から出る悪態もすべて、殺生丸の声で口から漏れ出してしまう。
何とか事情を分かってもらいたかったが、今の興奮状態にあるかごめには何を言っても伝わらないだろう。
仕方がない。時間をおいてまた来るか。
そう判断した犬夜叉は、腕を組みながら来た道を戻りだした。
これからどうするべきか、犬夜叉は珍しく頭を使って考えていた。
何が原因かはわからないが、自分が殺生丸に成り代わってしまったことは夢でも幻でもない現実。
なんとかして解決しなくてはならないが、魑魅魍魎が跋扈するこの戦国の世といえど、別の人物が入れ替わってしまうなど、そうあることではない。
夜が明けたら、人生経験も豊富で、多方面において博識な楓あたりに相談してみるか。
そんなことを考えながら歩いていると、前方から小さい影が走ってくるのが見えた。
邪見である。


「せ、殺生丸様~!どちらへ行かれていたのですかぁ~!」


ふにゃふにゃと力なく声をかけてくる邪見はなぜだか息を切らしている。
どうやら小屋を出た犬夜叉を追いかけてきていたらしい。
従順なこの殺生丸の従者は、今自分が声をかけている相手が主ではないことにまだ気づいていない。
犬夜叉は足を止めることなく、自分が眠っていた小屋に向かう。


「だから俺は殺生丸じゃねぇって言ってるだろーが」
「先ほどから何を仰っているのですか殺生丸様。 口調がこう・・・犬夜叉みたいになっておりますし」
「だーかーら!俺がその犬夜叉だっ・・・・て・・・」


小屋の戸を開けた犬夜叉は、中の光景を見て言葉を失った。
そこで眠っていたはずの自分の体が起き上がり、自身の両手に視線を落としながら呆然としているのだ。
それは、犬夜叉も最初に感じた入れ替わりへの戸惑い。
目の前に自分の体と顔があることに大きな違和感を感じながら、犬夜叉は生唾を飲んだ。


「おお、犬夜叉も起きとったか」


殺生丸の姿をした犬夜叉の足元から顔を出した邪見が、小屋の中で呆然としている犬夜叉の体に話しかける。
聞き慣れた声に我に返ったらしい犬夜叉の体は、ゆっくりと顔をこちらに向けてきた。
頭に生えた犬耳も、少々ごわついた銀色の髪もいつも通り。
違うのは、今にも人を殺せそうな冷たく鋭い目つきだけだった。
その目つきで、犬夜叉は今己の体の中にいる人物の正体がすぐに判断できてしまう。


殺生丸・・・?」


殺生丸の体をした犬夜叉が、じっとこちらを見つめている自分の体に向かって問いかけた。


犬夜叉・・・」


犬夜叉の体をした殺生丸が、じっとこちらを見つめている自分の体につぶやいた。

その瞬間、答え合わせは完了してしまい、犬夜叉はうなだれながら頭を抱えた。
やはり、入れ替わっている。
殺生丸の体に犬夜叉が、犬夜叉の体に殺生丸が入り込んでしまっているのだ。
他の誰かならともかく、なんでこいつと・・・。
犬夜叉のそんな心のつぶやきは、誰にも届くことはない。
足元で主が頭を抱えている光景を見た邪見は、犬夜叉殺生丸が互いに自分の名前を呟き合っているおかしな状況に首をかしげる


「これはどういうことだ犬夜叉。訳を話せ」


殺生丸、もとい犬夜叉の姿をした彼が立ち上がりながら聞いてくる。
その目はいつになく不機嫌で、明らかに不快感をまき散らしていた。
しかし、不愉快なのはお互い様である。
共に奈落を倒したとはいえ、二人の仲が改善したということはなく、依然微妙な確執がお互いの心に残ったまま。
そんな相手と入れ替わってしまえば、不機嫌になるのも仕方ない。
犬夜叉は睨みつけてくる自分自身の顔を睨み返した。


「けっ、知るかよ。起きたらこうなってたんだ」
「知らぬと申すか。当事者であろう」
「それはてめぇもだろうが!」
「無駄口を叩くな。分かるように説明しろ。でなければ殺す」
「おう上等だ!やるか?」


怒りのあまり、冷静に話し合うことを忘れている殺生丸
対する犬夜叉も、もともと論理的に語り合うような性格ではないため、殺生丸の威嚇に乗ってしまう。
片手で指を鳴らす犬夜叉の姿をした殺生丸と、大股を開けて構える殺生丸の姿をした犬夜叉
両者一触即発とは、まさにこのことであった。
しかし、そんな空気を一瞬で壊してしまう者がいた。
邪見である。
ぺたぺたと音を立てて犬夜叉の体に近づくと、勢いよく飛び上がり、固い人頭丈で犬夜叉の頭をぽかりと殴りつけた。


「あ」


犬夜叉は思わず声を漏らす。
邪見はわかっていないのだ。
あの犬夜叉の中身が、自身が敬愛する殺生丸だということを。


「こら犬夜叉殺生丸様になんという口の利き方か!」


怒鳴る邪見。
殺生丸を敬愛する彼ならば当然の行動であった。
しかし、今邪見が犬夜叉だと思って怒鳴っているのは紛れもなく殺生丸
邪見の行為に、犬夜叉の体に宿った殺生丸の怒気がみるみるうちに溢れてゆく。
しかし、のんきな邪見は気づかない。


殺生丸様はそもそもお前やりんを助けるために首を突っ込んで巻き込まれてしまわれたのじゃぞ!ただでさえあんなくっさい匂いを嗅いだだけで気絶してしまうという失態を晒してしまい、今殺生丸様は傷心のせいか様子がおかしいんじゃ!もっと労わらんか馬鹿者!」


この邪見という小妖怪は、時折ポロリと失礼極まりない言葉を口にしてしまうことがあった。
それを、今この場で発動してしまった。
邪見はわかっていない。
今自分がどれだけ危うい立場に立たされているのか。
おい、それ以上はやめとけ!シバかれるぞ!
犬夜叉のそんな心の叫びが聞こえるわけもなく、手綱を引くことを知らない邪見は言葉を続ける。


殺生丸様ほどの大妖怪が、人里なんぞで人間から看病を受けるなどという屈辱的な状況に陥ったのも、みんな犬夜叉、お前のせいでは、ぅぐえぇっ!」


そこまで行ったところで、邪見は犬夜叉、もとい殺生丸によって首元を鷲掴まれた。
つぶされた蛙のような声を出す邪見。
そんな彼を見下ろす犬夜叉の冷たく殺気に満ちた瞳に、邪見は震えあがった。
あれ、この怖い目、見たことある。
そう思った瞬間、邪見の頭に大きなたんこぶができていた。


********************


「い、入れ替わった・・・ですか」
「あぁ」


邪見の無礼は、犬夜叉殺生丸のぶつかり合いをうまい具合に回避させてくれた。
殺生丸が邪見を殴ったことで少しばかり冷静になったのか、その場に座り込んだため、犬夜叉も小屋の中に腰を下ろす。
結局、事情を話して邪見に理解してもらうのに、かなりの時間を要してしまった。
もう夜は明けてしまったらしく、外はだいぶ明るくなっている。
邪見は殴られた自分の頭部をを優しくさすりながら、今までの殺生丸への愚行を恥じていた。
いくら知らなかったとはいえ、殺生丸に向かって無礼なふるまいをしてしまったことは褒められたことではない。
怒鳴りつけるだけならまだしも、人頭丈で殴ってしまった。
これは二人の体が元に戻ってからも仕置きを食らうかもしれない。
邪見は今後訪れるかもしれない体の痛みを想像し、小さく震える。


「にしてもなんでこんなことに・・・やっぱ、あの妖怪が原因か?」
「ふん、ならば再び斬り刻んでくれる」


胡坐をかいて頬杖を突く殺生丸の体と、片膝をついて座り、目をつむる犬夜叉の体。
普段ならば何ら違和感のない二人の所作だが、今は互いの体が入れ替わっているため、二人のたたずまいには言い知れぬ違和感があふれていた。
なんだか慣れないなぁと心でぼやきながら、邪見は頭のたんこぶからようやく手を離した。


「しかし、あの妖怪は退治屋と法師によって既に滅せられております。たとえあの妖怪が元凶だったとしても斬るのは不可能ですな」
「そうなのか」
「はい・・・あっ」


聞き返してきたのは犬夜叉だったが、殺生丸の顔と声だったために反射的に敬語で答えてしまった邪見。
犬夜叉相手に敬語を使ってしまったことが恥ずかしかったのか、邪見は即座に自らの着物の袖で顔を覆ってしまった。
やはりこの状況は慣れないし心臓に悪い。
りんやかごめといった面倒な連中に出くわしてしまう前に戻ってもらわなければ大変なことになるかもしれない。
邪見がそんな杞憂を抱いたその時だった。
三人が詰めていたこの小さな小屋の戸が勢いよく開き、外の朝日がほの暗い小屋の中を照らす。
三人は一斉に開け放たれた小屋の戸へと視線を向けるが、そこに立っていた人物を見た瞬間石のように固まってしまった。


「あ!殺生丸様気が付いたんだね!」


そこにいたのは、殺生丸を慕う少女、りんであった。
あぁ、これはめんどくさい奴が来てしまった。
きっとめんどくさいことが起きるぞ。
邪見の読みは即刻当たることになる。


「よかった!りんすごく心配してたんだよ!」


殺生丸が回復したことがよほどうれしかったのだろう。
何も知らないりんは、殺生丸の姿をした犬夜叉の左腕に飛びついた。
殺生丸を慕う天真爛漫なりんの行動としては、それは何の違和感もない行為であった。
しかし、りんは気づいていない。
今自分が抱き着いているのは殺生丸ではなく、彼が最も嫌う半妖の弟なのだということを。
この状況がまずいことは、犬夜叉自身も気が付いていた。
だからこそ、恐る恐る殺生丸の方へと視線を向ける。
そこにいたのは、殺気を纏いながら鬼の形相でこちらを凝視している自分の顔だった。


「りん離れろ!頼むから離れるんじゃりん!」
「へ?なんで?邪見様」


尋常ではない慌てぶりを見せる邪見に、りんはのんきに首をかしげている。
たった一人の少女の何気ない行動が、戦国一の大妖怪の怒りの引き金を引いてしまった。
朝一番で、四人がいるこの小屋は吹き飛ぶことになる。


********************


陽が昇ってすぐのころ、かごめは楓の家を訪れていた。
りんは朝一番でどこかへ出かけてしまっているらしく、一式だけ敷かれた布団には楓のみが眠っている。
彼女を呼び起こし、急いで家から引っ張り出すと同時に、かごめは昨晩起きた出来事を洗いざらい楓に話していた。


「なに、殺生丸が夜這いを?」


かごめの口から語られた愛憎劇に、楓は一瞬で胃が痛くなった。
犬夜叉らが眠っているであろう小屋に小走りで向かう途中で告げられた事実はあまりにも信じがたかったが、かごめが嘘をつくような女ではないことを知っていた楓は、信じるほかない。
少しだけ息を切らしながら横を走るかごめは、楓の言葉に“うん”としっかりうなずいた。


「でもあの時のお義兄さん、今思えばなんだか様子がおかしかったの。もしかして、昨日の妖怪に操られてたんじゃないかって」


昨晩、こそこそとかごめの家に上がり込んだ殺生丸は、彼女が良く知る冷静沈着で冷酷な殺生丸からは程遠い言動をしていた。
かごめに見つかって顔色を変えたり、妙にたどたどしかったり。
そもそも夜な夜な忍び込んで箪笥を漁っていることからし殺生丸の柄ではない。
人間の所有物を欲しがって泥棒するような男ではないし、あの時は夜這いかと思って勢いで追い返してしまったが、本当は何かのっぴきならない事情があったのではないだろうか。
時間が経ち、冷静になったかごめは昨晩のことをそう分析していた。


「じゃが、殺生丸は大妖怪。そう易々とその辺の妖怪に心を乗っ取られるだろうか」
「それはわからないけど・・・とにかく様子を見に行きましょう!」


楓の疑問はもっともだった。
殺生丸ほどの強大な妖力を持っている者が、別の何かに操られるなど考えにくい。
だが、かごめが昨晩見たのは確かに殺生丸だったという。
あの特殊極まりない風貌を見間違えるわけもないし、それは事実だろう。
ならば何故、殺生丸は夜な夜なかごめの家に侵入などしたのだろうか。
謎は深まるばかりであった。


「あ、そうそう。昨日の夜のこと、犬夜叉には絶対に言わないでね!どんな事情があっても、私しかいない家に殺生丸が忍び込んだなんて知ったら、犬夜叉絶対怒るから!」
「あぁそうだな。また面倒な兄弟喧嘩になることは目に見えて・・・」


楓が言いかけたその瞬間だった。
爆発音に似た大きな音が、村中に響き渡る。
何事かと周囲を見回せば、今まさに二人が向かおうとしていた小屋から黒煙が立ち上っていた。
あの小屋には犬夜叉殺生丸が眠っていたはず。
顔を見合わせたかごめと楓は、急いで小屋の近くまで走り寄る。
するとそこでは、案の定犬の兄弟たちによる攻防が繰り広げられていた。
犬夜叉が自身の鋭い爪で殺生丸に襲い掛かり、対する殺生丸は反撃することなく必死な様子でかわし続けている。
彼らがやりあっているすぐ傍では、りんがおどおどと慌てていた。


「りん、無事か」
「りんちゃん、何があったの?」
「かごめ様、楓様!それが・・・犬夜叉様が突然殺生丸様を・・・」

ことの発端は、どうやら犬夜叉の一撃だったらしい。
2人の様子を眺めていると、確かに攻撃を繰り出しているのは犬夜叉だけで、殺生丸は防御に徹している。
まさか、昨日の出来事が犬夜叉にばれて、そのせいで殺生丸に怒っているのではないだろうか。
かごめの中で一つの推論が生まれてしまった。
どう見ても、今の犬夜叉は頭に血が上っている。
小屋の中で目を覚まし、かごめの家に忍び込んだ殺生丸と帰り際ばったり出くわし、事情を聴いて怒り狂っているのかもしれない。


「ちょっと犬夜叉!落ち着いてよ!昨日のことは何でもなかったんだって!」


大声で犬夜叉に語り掛けてみるが、彼からは何の言葉も帰ってこない。
それどころか、こちらを一瞬ちらっと見たにもかかわらず、何の反応も示さなかったのだ。
どうやらかごめにも怒っているらしい。
簡単に家への侵入を許してしまったことに怒っているのだろうか。
こちらは被害者だというのに、怒って無視を決め込むだなんて少々酷くはないだろうか。
犬夜叉の対応にムッとしたかごめは、未だに殺生丸への攻撃の手を緩めない彼に、例の禁句を言ってしまうことにした。


「もう!いい加減やめなさいってば!おすわり!!!!」


その瞬間、何故だか殺生丸の方がびくついてこちらに視線を向けてきた。
一拍遅れて、犬夜叉の首にかけられている言霊の念珠が光を放つ。


「っ!?」


尋常ではない力で地面に引っ張られる犬夜叉
一瞬だけ抵抗するように上体をそらしていたが、やはり念珠の効果には逆らえず、派手な音を立てて地面にひれ伏せられてしまった。
いつもの“ふぎゃ!”だの“ほぎゃ!”だのという悲鳴が上がらなかったことに多少違和感を覚えたかごめだったが、これでようやく落着するだろうと両手を腰に当てる。
犬夜叉から抗議の声が飛んでくるかと思っていたが、怒鳴り込んできたのは、どこからともなく走り寄ってきた邪見であった。


「くぉら小娘!!貴様殺生丸様に向かって何をやっとるんじゃ!!」
「は?殺生丸? 何言ってんの?」
殺生丸様と犬夜叉は今入れ替わっとるんじゃ!あの犬夜叉の中身は殺生丸様じゃ馬鹿者!」
「入れ替わっとるじゃと?」
「何言ってるの?邪見様」
「そんなことあるわけ・・・」


邪見の言葉は、にわかには信じがたい内容だった。
随分焦っているようだが、入れ替わったなどと非現実的なことが起こりうるわけがない。
かごめだけでなく、楓やりんも、疑いの目を向けていた。
しかし、突如として殺生丸が腹を抱えて笑い出したことで、その疑問は払しょくされることとなる。


「ぎゃはははははははははははは!!!!」
「!?!?」


大口を開け、大声で笑いだす殺生丸
地面にひれ伏している犬夜叉を指さし、目に涙を浮かべるほどに爆笑している殺生丸の行動に、かごめたち三人はぎょっとする。
冷淡で無口な殺生丸が笑うという、この世の出来事とは思えない光景は、三人にとって衝撃としか言いようがなかった。


「せ、殺生丸が・・・お義兄さんが笑ってるわ・・・」
「あんなに笑ってる殺生丸様、りん初めて見た・・・!」
「生きているうちにこのように面妖な光景を見れるとは・・・」


開いた口がふさがらないとはまさにこのこと。
爆笑する殺生丸を見つめる三人は、彼の抱腹絶倒ぶりに視線を外せずにいた。
対して彼女たちの足元にいる邪見は、主の豹変ぶりに驚きもせず、ただただ頭を抱えている。


殺生丸!てめぇが・・くくっ、おすわりを食らうなんてなぁ!ぶははっ、傑作だぜ・・っはははっ!!」
犬夜叉・・・貴様・・・!」


ひぃひぃと息苦しそうに笑う殺生丸を、地面に伏したままにらみつける犬夜叉
その光景を眺め、かごめは確信してしまう。
邪見の言う通り、この二人は入れ替わっている。
そうでなければ、殺生丸がこんなに笑うはずもなく、犬夜叉がこんなにも目つきが悪いはずもない。
昨日来た様子がおかしい殺生丸の正体は、実は犬夜叉だったと考えればすべての辻褄が合う。


「うそ・・・ホントに入れ替わってるの?」
「じゃあ、今は殺生丸様が犬夜叉様で、犬夜叉様が殺生丸様なの?」
「そういうことじゃ」


うなずく邪見。
かごめは、ほんの数秒前の自分の行いを思い起こし、一気に顔色を悪くする。
私、殺生丸に“おすわり”って言っちゃった・・・。
他の誰かならともかく、一番言ってはいけない相手に言ってしまったような気がする。
かごめは口元に手を宛がい焦り始めるが、殺生丸が怒りの矛先を向けたのは、未だに笑い続けている犬夜叉の方だった。


「そこに直れ犬夜叉。刀の錆にしてくれる」


ようやく立ち上がった殺生丸は、怒気を孕んだ瞳で犬夜叉を睨みつける。
あんなに怒った目をした犬夜叉の顔を、かごめは一度も見たことがなかった。
対して犬夜叉は、今は戦国最強である体を手にしているためか余裕があるのだろう。
特に危機感を感じることもなく殺生丸を見つめている。


「刀だぁ?笑わせんな。今てめぇの腰にあるのは鉄砕牙だぞ?てめぇには使えねぇ刀だろうが」


鉄砕牙は、犬夜叉が父から受け継いだ刀であり、人間の血が通ったものにしか触れることができない代物である。
殺生丸はかつて何度もその鉄砕牙を奪おうとしてきたが、そのとび刀に宿る強力な結界によって阻まれてきた。
完全な妖怪であるがゆえに掴むことすらできない刀で何ができる。
しかも、殺生丸自身の刀である天生牙や爆砕牙は、今犬夜叉の腰に刺さっている。
犬夜叉からこの二振りの刀を奪わない限り、殺生丸は刀で戦うことは出来ないはずだ。


「ふん、愚か者が。互いが今誰の体を使っているのか、まだ分らぬか」


殺生丸は、ゆっくりと鉄砕牙の柄に手をかけた。
いつもなら激しい結界に阻まれ、触れることすらままならないはずだが、今の鉄砕牙はまったく抵抗することなく殺生丸の手を受け入れている。
それもそのはず。
今、鉄砕牙を握っているのは犬夜叉の手であり、殺生丸は今半妖の体をしているのだから。
初めて握ることができた鉄砕牙に、殺生丸は怪しげな笑みを浮かべた。


「風の傷!」
「なっ!」


抜刀すると同時に放たれた風の傷に驚く犬夜叉
即座に飛び上がって交わしたが、あの数秒避けるのが遅れていたらあのすさまじい衝撃波の餌食となっていただろう。
放たれた風の傷に巻き込まれたらしい、薪を置いておくための小さなあばら家は木っ端みじんに吹き飛んでいる。


「てめぇこの野郎!本気でやりやがって!」
「鉄砕牙・・・。やはり凄まじい破壊力だ」
「聞けよこら!」


己の手の中にある鉄砕牙の刀身を見つめる殺生丸の表情は柔らかかった。
今までにも何度か鉄砕牙をふるったことはあったが、人間の腕を使っていたり、阻んでくる結界に耐えながらだったりと、悠々振るう機会は一度もなかった。
思いがけず鉄砕牙を手にする機会がやってきたことに、殺生丸は内心小さな喜びを感じている。
だが、犬夜叉からしてみればたまったものではなかった。
体だけでなく、鉄砕牙をも奪われてしまったのだから。


「けっ、てめぇが鉄砕牙を使うってんなら、俺はこいつを使わせてもらうぜ?」


鉄砕牙を構える殺生丸に対し、犬夜叉は自分の腰に刺さった二振りの刀に手を伸ばす。
そしてその手は、爆砕牙の柄をつかんだ。
爆砕牙は、あの奈落にも痛手を負わせた強力な刀。
あれ繰り出す技に巻き込まれたらひとたまりもない。
それをわかっていて、犬夜叉は爆砕牙を鞘から引き抜いた。


「くらえっ!爆砕牙!!」


鉄砕牙とは違い、細くしなやかな爆砕牙を両手で持ち、犬夜叉は全力で振り下ろした。
しかし、刀身からは何も発生せず、その場にはただむなしい静寂が漂う。


「な、なんでだ?なんで爆砕牙の技が使えねぇ!?」
「ふん、忘れたか犬夜叉。その刀は父上の形見ではなくこの殺生丸自身の刀。貴様を贔屓にした父上の牙ならいざ知らず、この私の刀が貴様ごときに従うと思ったか」
「はぁああ? っざけんじゃねぇ!今は俺が殺生丸だろうが!」


何の反応も示してくれない爆砕牙に怒り、犬夜叉は力任せに刀を振ってみるが、やはり刀は答えてはくれない。
犬夜叉に忠誠心を向けている鉄砕牙は、彼の父親の牙から打ち出した刀。
それが犬夜叉の心に従うことは自然の摂理であったが、今犬夜叉が両手に持っているのは殺生丸の内から出現した刀、爆砕牙である。
殺生丸の分身ともいえるこの刀が、容易に犬夜叉の命に従うはずなどあるわけがなかった。
殺生丸の体を使っている犬夜叉の手元には、もう一本だけ刀があるが、この天生牙は斬れない刀、
蘇りの力を持つこの刀を今使っても、なんの効果も得られないだろう。
つまり、爆砕牙が使えないとなった今、犬夜叉は丸腰も同じなのである。


「覚悟しろ犬夜叉。風の傷っ!」
「うおっ!」


再び繰り出された風の傷を、犬夜叉は爆砕牙を握ったままなんとかかわす。
殺生丸はというと、自らの手で鉄砕牙を握ることができているこの状況に少々機嫌がいいようだ。
珍しく口元に怪しく笑みを浮かべている。


「あぁもう!やめなさいよ二人とも!」


鉄砕牙を手に入れ、勢いをつけた殺生丸と、そんな彼の攻撃を必死で交わす犬夜叉
2人の攻防は、村の家や畑を徐々に巻き込んで大きな騒動となっていた。
早朝から盛大に始まった犬の兄弟喧嘩に、村に住まう人間たちががやがやと見物に来ている。
そんな状況をなんとか止めようと声を張るかごめだったが、渦中の犬夜叉殺生丸には全く聞こえていないようだった。
そんなかごめの横で迷惑な喧嘩風景を眺めていた楓だったが、ふと何かを思い立ったように背筋を伸ばし、昨日の妖怪退治の件について聞いてきた。


「かごめ、昨日の昼間に退治した妖怪というのはもしや、妖忘蚯ではないのか?」
「ようぼうきゅう・・・? 妖怪の名前はわからないけど、ものすごい臭い煙を吐くミミズの妖怪だったわよ?」
「そやつは、髭のような長い触角をもっていたか?」
「えぇ、持ってたわ」
「では間違いない。それは、敵の魂を体外に放出する術を使う、妖忘蚯だ」


楓以外、その場に居る者は全員その妖怪の名前に聞き覚えがなく、一様に首を傾げた。
邪見が“なんじゃいそれは”と尋ねたことで、楓はその妖忘蚯という妖怪の詳細について語りだす。
妖忘蚯は、長い髭で敵を捕らえ、強烈なにおいの黒煙をまき散らすことで相手を気絶させ、その間に捉えた者の魂を体から抜き出してしまう妖怪だという。
本来であれば、放出された魂は体から抜きで出て、抜け殻となった空っぽの体を食らうというのだが、今回に至っては、激臭を嗅いだ犬夜叉殺生丸は気を失った後、妖忘蚯によって頭をぶつけられている。
魂を放出させようとしていた最中に、お互いの体と体がぶつかり合ってしまい、そのせいで魂が入れ替わってしまったのではないか、と楓は推測した。
よくよく考えれば、あの二人が入れ替わったのは妖忘蚯との戦いで意識を失ってからだ。
楓の言う通り、二人の入れ替わりの原因が妖忘蚯にある可能性は極めて高い。


「え、でも、あの妖怪退治しちゃったよね?」
「そうよね。じゃあまさか、二人はもう戻らないの?」
「そんな!殺生丸様があのまま戻らなかったらこの邪見はどうしたら・・・」


おいおいと泣き出してしまう邪見。
基本的に妖怪がかけた術ならば、その術者を倒せば解決するもの。
しかし、妖忘蚯を退治した後も二人が元に戻る気配はいっこうにない。
しかも術をかけた妖忘蚯がもういないとなると、元に戻す術などもうないのではないだろうか。
悲嘆する邪見とりんだったが、楓は一方で冷静であった。


「泣くな小妖怪。まだ手はある」
「ほんと?楓ばあちゃん」
「うむ。かごめ、依然桔梗お姉さまが復活した折のことは覚えておるか?」
「うん。確か私の魂を使って・・・そっか!あの時と同じことをすればいいのね?」


かごめのひらめきに、楓は深くうなずいた。
あれは三年以上も前のこと。
桔梗が裏陶という鬼女の手によって骨と墓土、そしてかごめの魂を使い、桔梗を死人として復活させた。
当時、桔梗の魂は生まれ変わりとしてかごめに宿っていたため、かごめの体から魂を取り出し、桔梗の体に一部を移したことで、桔梗は再び生を得ることができた。
原理としては、あの時裏陶がおこなったものと同じ。
犬夜叉殺生丸に宿る魂を一度体から放出し、再び入れ替えてやればいいのだ。


「けど、楓ばあちゃんあんなことできるの?」
「あぁ。昨日かごめとりんに採って来てもらった薬草を使えばな」
「あ、それならりん、まだ持ってるよ!はいこれ」


昨日、かごめとりんが採りに行っていた薬草は、森の奥にしか生えない貴重な薬草だと楓から事前に聞いていた。
まさかそれが、そのような効果があるとは全く知らず、かごめは驚かされる。
昨日から持ったままだった薬草を懐から取り出したりんは、楓に深い緑色をしたその薬草を手渡した。
楓は受け取った薬草を改めて確かめると、これで間違いない、とうなずく。


「よし。準備をしてくる。それまで、これ以上被害が広がらぬように見張っておいてくれ」
「え、えぇ、わかったわ!」


老体に鞭うつように、楓は自らの家目指して走り出した。
魂を取り出すという大それた儀式を行うのだ。
準備が整うにはそれなりに時間がかかるだろう。
しかし、長い間、主を半妖の体にしておくわけにはいかないと判断した邪見は、去っていく楓の背にひとつ問いかけた。


「おい老婆!その準備とやらはどれくらいかかるんじゃー!?」
「半日だ!」
「長いわ!!」


振り返らず答えた楓の返答に、邪見は思わず大声で驚いてしまった。
まさかその準備に半日もの時間を要すとは思ってもいなかったかごめは、去っていく楓の背中に苦笑いをこぼした。
半日もの長い間、このままなのか・・・・。
連発する爆発音とともに刃をふるう殺生丸と、必死にかわし続ける犬夜叉の様子を遠巻きに見つめながら、三人は途方に暮れる。
周りで見物している事情を知らない村人たちにとっては、冷たい目をしながら鉄砕牙を振り回す犬夜叉と、それを必死の形相でかわしつづける殺生丸のやり取りは何とも違和感満載で、ほぼ全員が開口してその光景を見つめていた。


「いい加減にしやがれ殺生丸!」


殺生丸の姿をした犬夜叉が、その低く響く声で兄を怒鳴る。
そして、自らの爪から光の鞭を繰り出すと、犬夜叉の姿をした殺生丸の右手に握られている鉄砕牙に巻き付いた。
どうやらその技は犬夜叉がとっさに繰り出したもののようで、犬夜叉自身も自分の爪から伸びている光の鞭に驚いている様子である。
動きを封じられる殺生丸
中身は犬夜叉とはいえ、相手は戦国最強の力を誇る自分自身。
殺生丸が借り受けている犬夜叉の体では、殺生丸の腕力には到底太刀打ちできそうもなかった。
殺生丸は、犬夜叉から繰り出された光の鞭に引っ張られ、鉄砕牙を手放してしまった。


「鉄砕牙、返してもらうぜ!」


奪い取った鉄砕牙を自分の方へと勢いよく引く寄せた犬夜叉は、刀の柄を握ろうと手を伸ばしたが、その瞬間、バチバチという激しい光とともに結界に拒まれる。
驚いた犬夜叉は思わず鉄砕牙を手放し、太い牙の刀身は錆刀へと姿を変えて地面に突き刺さってしまった。
犬夜叉はすっかり忘れていたのだ。
自分が今、鉄砕牙に受け入れられている半妖ではなく、結界に拒まれる大妖怪の姿をしているということを。
ハッと我に返ったその瞬間、犬夜叉は急激に間合いを詰めてくる殺生丸の拳によって、後方へと吹き飛ばされてしまう。
はたから見れば、強靭な兄の美しい顔に犬夜叉が一発決めたようにしか見えないその光景に、村の衆からは“おぉ”という感嘆の声と、なぜか小さく拍手が上がった。


「あぁ!こら犬夜叉殺生丸様のお顔に何ということを・・・!」
「痛そう・・・。殺生丸様大丈夫!?」
「りんちゃん、邪見、やられたのは犬夜叉だから」
「「あっ」」


白熱していたためにどちらがどちらなのかわからなくなってしまったのだろう。
犬夜叉殺生丸だと勘違いして憂慮していたりんと邪見に、かごめが小さくつぶやいた。
だが、わからなくなる気持ちよくわかる。
かごめ自身も、殺生丸の体をした犬夜叉に向かって“やめなさい!”と命じるのは少々気が重い。
もう一度“おすわり”と叫んで強制的に殺生丸を鎮めることは出来るが、あとのことを考えると容易に言霊を使えない。

武器を取らず、もはや殴り合いの喧嘩に発展している兄弟のやりとりに、村の衆からは何故か“やれやれ”だの“そこだー!”だの、白熱した野次が飛んでいる。
これは、かごめの生まれた時代風に言えば、もはやプロレスと化しているのだろう。
自分の体ではないため、お互いにいつもより無茶な戦い方をしているように見える。
犬夜叉が使っている殺生丸の顔には青あざができているし、殺生丸が使っている犬夜叉の顔にはいくつもの引っ掻き傷が浮き出ている。
相手に傷を残せば後々公開するのは自分になるという事実を、犬夜叉殺生丸も忘れているのだろう。


「あぁ嘆かわしや・・・殺生丸様のお顔がぁぁ・・・」
「ものすごい腫れてるね、邪見様」
「お願いだから犬夜叉の顔にそれ以上傷をつけないでよ・・・」


二匹の犬の取っ組み合いを見守る三人の心境は一致していた。
止めるに止められないその喧嘩がようやく幕を閉じたのは、あたりが暗くなり始めたころだった。
ずっと殴り合っていた二人の顔は無残にも腫れ、ようやく準備が整った楓の手によって元の体に戻れた後も、傷ついた己の顔を見て相手に激怒し、結局また喧嘩に発展してしまったのは言うまでもない。
獲物の魂を放出してしまう妖怪、妖忘蚯の名前は、その後しばらく楓の村では禁句となった。

 

 

END