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二次創作まとめ

ポケットモンスタートライアル

【サトセレ】

■アニポケXY

■未来捏造

■長編

 

***

act.1


カントー、セキエイこうげん。
カントー地方ポケモンリーグ本部があるこの場所で、今、ポケモン社会を大きく揺るがす重大なバトルが繰り広げられている。
ポケモンリーグ等で使われる巨大なドームの中には、そのバトルを一目見ようと、カントーだけでなく各地方の人間が押し寄せ、超満員となっている。
数えきれないほどのマスコミのカメラが中央のバトルフィールドを映し、その映像を各地方のテレビに生中継で配信している。
これほどの注目を集めているバトルを繰り広げているのは、一体誰なのか。

この熱気の中央でポケモンたちに激を飛ばし、戦っているトレーナーは二人。
一人はカントーのチャンピオン・ワタル。
そしてもう一人は、ワタルよりも遥かに幼い13歳の少年であった。

6対6のフルバトルは終盤を迎え、両者ともに残るポケモンは一体ずつとなった。
ワタルのポケモンカイリュー、そして少年のポケモンリザードンである。
いつもこの場所で行われている公式戦は、誰と誰が戦おうとも観客の熱気に溢れ、歓声が響いている。
しかし、このバトルでは違った。
ワタルと、チャレンジャーであるこの少年が纏う独特な緊張感が会場全体をつつみ、熱気を孕みながらも静まり返っている。
ワタルはカイリューに指示を飛ばしながら、冷静に考えていた。
“こんなに緊張感のある試合は久しぶりだ”と。

自分が勝てば、長年守ってきたチャンピオンの地位を守ることが出来る。
しかし、眼前に立ちはだかるこの少年に負ければ、自分は━━━━
そんな恐怖にも似た感覚を覚えながらも、ワタルは大声でカイリューに《はかいこうせん》の指示を飛ばす。
散々相手のリザードンから攻撃を受け、疲弊しているカイリューではあるが、重たい体に鞭打つように《はかいこうせん》を打つべく息を吸い込み始めた。


「決めるぞリザードン!《かえんほうしゃ》!」


少年の指示を受け、リザードンも息を吸い込む。
カイリューと同様に大きなダメージを負っているリザードンは、身体中ボロボロではあるが、それでも尻尾の炎はより力強く燃え盛っている。
体力を消耗しても尚屈しはしないリザードンの意地が、尻尾の炎となって主張しているのかもしれない。
やがて、2体は互いに強力な技を放った。
“トレーナーのためにも負けられない”
そんな2体の思いを乗せた《かえんほうしゃ》と《はかいこうせん》は、フィールドの中央でぶつかり、激しい爆発を巻き起こす。
リザードンカイリューも、その爆発に巻き込まれ、噴煙の中に姿を消してしまう。


カイリュー!」
リザードン!!」


二人のトレーナーが、強い爆風に耐えながらも互いの相棒の名前を叫ぶ。
二人とも長きに渡るバトルでポケモンに大声を伴う指示を出しすぎたせいか、その声はかすれていた。
チャレンジャーである少年のすぐそばで試合を見つめていた親友のピカチューは、あまりの爆風に一人では立っていられなかったのか、少年の足元にしがみつき、飛ばされないように必死で耐えている。
爆発による轟音と煙の匂いが、会場を包む。
観客たちはあまりに激しいバトルに、呆然と爆風を眺めていた。

やがて爆発による噴煙は収まり、巻き込まれていたリザードンカイリューの姿が現れる。
2体ともかなり体力を消耗している様子で、肩で息をしている。
しかし、どちらとも倒れずにまだ立っている。
その事実に、静まり返っていた観客席からはどよめきが起きた。
しかし、そのどよめきもすぐに収まることとなる。

ワタルのカイリューが、大きな音を立てて倒れたのだ。

まだ臨戦体勢が取れていたカイリューの姿に安堵し、ワタルが次の指示を出そうと口を開きかけた瞬間、カイリューは苦痛に表情を歪ませながら地面に身を沈めた。
一方のリザードンは、今にも倒れそうではあるがなんとか立っている。
自分が所持するドラゴンポケモンたちの中で、絶対的な強さを誇っていたカイリューが倒れ込み、視界からその背中が見えなくなったとき、ワタルは目の前が真っ白になった。
この光景は、会場の明るすぎる照明のせいなどではない。
カイリューと共に、カントーリーグチャンピオンという地位が崩れ去っていくのが良く分かった。


カイリュー、戦闘不能リザードンの勝ち!よって勝者、マサラタウンのサトシ選手!!」

 

 

***

 

 

《…先日カントーにて行われたチャンピオン防衛戦にて、新たなカントーチャンピオンが誕生しました。
前チャンピオン、ワタルさんを下し、新たにチャンピオンとなったトレーナーは、マサラタウンのサトシさん。
13歳という異例の若さながら、ワタルさんのカイリューリザードンで戦闘不能へと追い込み、会場を沸かせました。
サトシさんはカントーの出身ですが、オレンジ諸島、ジョウトホウエンシンオウ、イッシュ、そしてこのカロスなど、様々な地方のリーグに参加経験があり、華々しい功績を残しています。
バトルの後に行われた勝利者インタビューで、サトシさんは“全力で戦ってくれたワタルさんと、ここまでついてきてくれたポケモンたちにお礼を言いたい”とコメントしており、嬉しさのあまり、涙をみせる場面も見られました。
チャンピオン就任式は、一週間後行われる予定で、カントーポケモン研究家、オーキド博士を始めとする著名人も多数出席予定です。
それでは、カントーの新チャンピオン、サトシさんとは、一体どのようなトレーナーなのでしょうか。
カロス地方での公式戦を含めた輝かしい功績をVTRにまとめました。どうぞ…》


液晶画面の向こう側でニュースを読み上げるキャスターの言葉をそこまで聞くと、セレナは動画を停止し、動画サイトのページをそっと閉じた。
愛用の二つ折端末を閉じてテーブルに置くと、自然と深く長いため息が出る。

あの旅から3年が経った今、サトシがカントーリーグのチャンピオンになった。
その知らせは、彼女がいるこのカロス地方にも届いていた。
元々3年前のカロスリーグで華々しい結果を残していたサトシは、この地方の人々から注目される存在であったため、遠く離れたカントーのチャンピオン防衛戦への注目度も、これまでとは比べ物にならないほど高かった。
3年前、サトシゲッコウガという、フォルムチェンジでもメガ進化でもない不思議な力を操ることで、カロスの話題をさらったサトシが、今度はチャンピオン就任という形で世間の注目を浴びようとしている。
その事実を、セレナは複雑な心境で見守ったいた。


「お待たせしました。ガトーショコラとエスプレッソになります」


近頃、このハクダンシティで話題になっているカフェに入り、その話題の中心となっているスイーツと飲み物がようやく運ばれてきた。
トレイに乗せて、セレナの座る窓際の席まで運んできてくれた店員の女性に小さくお礼を言うと、セレナは細いフォークでガトーショコラをつまみ、エスプレッソが注がれているコップに口をつける。
苦い。エスプレッソって、こんなに苦かったっけ?
ガトーショコラも、ちっとも甘くない。
美味しいものを素直に“美味しい”と言えないように、今のセレナは、サトシの朗報を素直に喜べずにいた。

一緒に旅をしていた頃は、サトシの強さや前向きさに憧れて、彼がジム戦で勝利する度に喜び、敗北する度に悲しんだ。
サトシの勝利は自分の喜び、サトシの敗北は自分の悲しみ。
そのように考えていたと言っても過言ではないだろう。
しかし、3年の月日が経った今日、最も喜ぶべき報が耳に入ってきても、感じるのは喜びではなく、焦りだった。


「また、先に行かれちゃったな…」


小さな小さなその呟きは、店内にいる他の客には聞こえていない。
窓から頬杖をついて空を見上げるセレナの視界に映るのは、雲1つ無いカロスの晴天。
しかし、その文句なしの晴天すらも、セレナの気を落とすには立派な材料となる。
空はあんなに青く澄み渡っているのに、セレナの心は黒く濁ったままである。

今から2年前、セレナがサトシたちとの旅を終えた1年後のことだった。
カロスクイーンを目指していたセレナは、ホウエンでの武者修行を終え、以前から声を掛けてくれていたヤシオの元で修行し、ポケモンパフォーマーとしての実力を高めていった。
そして、その年のトライポカロンマスタークラスにて、ついにエルを破り、新たなカロスクイーンとなった。
それは、サトシたちと見つけた夢を現実のものにした瞬間であった。
カントーで修行していたサトシはもちろんのこと、同じく旅仲間であったシトロンやユリーカは大いに喜び、久しぶりに四人でカロスのミアレシティに集まって祝宴を開いたのも記憶に新しい。
あの時はセレナにとって、最高の時間と言えるものだった。
しかし、そんな時間は決して長く続くものではない。

夢を叶えて浮かれ喜んでいたセレナとは対照的に、破れたエルは努力に努力を重ねていた。
恐らく血の滲むような努力をしたのだろう。
半年後に行われた次のマスタークラスで、エルは見事にセレナからカロスクイーンの座を奪い返したのだ。
その光景を見て、カロスの人々は口々に言った。
“やはりクイーンの座はエルにこそ相応しい”と。
“セレナはただ運が良くて勝っていたに過ぎない”と。

エルに負けた瞬間のことを、セレナは未だに忘れられずにいた。
会場の歓声が全て、エルに奪われていく。
やはりお前はクイーンの器ではないのだ、とカロスの人々から言われているような、あの苦い感覚。
思い出しただけでも指先が震え出す。
その日からだった。
セレナがパフォーマンスの世界から遠ざかったのは。

ヤシオからはレッスンに参加するよう何度も催促の電話が掛かってきたが、全て断った。
マスコミからのインタビューも全て拒否。
サナを始めとするライバルたちからも心配の電話やメールをもらったが、まともに返事を返せずにいた。
怖くなってしまったのだ。
再び舞台に上がることが。
もしまた負けたら…?
もしパフォーマンスを失敗したら…?
またあんな思いをしなくてはならないのか。
そんなことは絶対に嫌だった。
逃げているという自覚はある。
けれど、セレナにはもう夢を追いかける勇気はない。

だからこそ、今回のサトシの朗報は、セレナにとって複雑なものだったのだ。
サトシはいつでも前向きで、迷うことを知らない。
ずっとずっと夢を諦めずに、そしてついに頂上まで登り詰めた。
彼は、臆病な自分とは違う。
日に日に開いていくサトシとの距離が、セレナを辛くさせる。
自分が立ち止まっているのが悪い。
それは知っている。でも…。
不毛な自問自答は、ただただセレナ自身を追い込むだけであった。

 

 

***

 

 

「久しぶりですね、セレナ」
「セレナ久しぶりー!元気してたー!?」
「デネネー!」


今日の宿となるハクダンシティポケモンセンターに到着したセレナは、久しぶりにシトロンがいるミアレジムへと電話をかけていた。
あの旅が終わってからというものの、カントーに帰ってしまったサトシとはなかなか連絡がとれないが、同じカロスにいて、尚且つミアレジムという特定の場所にいることが多いシトロンとは、度々連絡を取り合っていた。
あの日、エルに敗北した日も、母やヤシオを除けば、一番に連絡をくれたのはシトロンだった。
彼は優しい。
セレナがどんな状況にあっても、いつも3年前のように、同じ距離感で接してくれる。
遠ざかることも、無理に近付くこともなく、セレナにとってはそれが唯一の救いであり、居心地の良さを感じられるのだ。

サトシのカントーチャンピオン就任について、シトロンと話をしようと思っていたセレナは、久しぶりにミアレジムへとテレビ電話をかけた。
そして驚いた。
まさかユリーカもミアレジムにいるとは。
あの旅から3年が経過し、ユリーカはポケモンを持つことが許される年齢になった。
今ユリーカは、ポケモントレーナーとして、相棒のデデンネと共にカロスを旅している。
そんな彼女が、ミアレジムへのテレビ電話を繋いだ途端に、兄のシトロンの横からヒョッコリ現れたので、セレナは驚いたのだ。

なんでも、サトシがワタルに挑戦すると聞いて急いで旅を中断し、兄と共にその勇姿を見守るため、ミアレに戻ってきたのだという。
そして、生放送で配信されたサトシとワタルのバトルをシトロンと共に視聴し、サトシが優勝した瞬間は二人で泣きながら喜んだという。


「ホントにいいバトルだったよね、お兄ちゃん!」
「あぁ、そうだねユリーカ」


画面の向こうでそんなやり取りをしている金髪の兄妹に、セレナは思わず胸を痛める。
この二人は、3年前から変わっていない。
なのに自分は…。

そんなセレナの心情を知ってか知らずか、兄を押し退けて画面の前に座っていたユリーカが、デデンネの頭を撫でながら目を輝かせて言ってきた。


「ねぇねぇセレナ!サトシに会いたくない!?」
「えっ?」


ユリーカの言葉を聞いて、セレナは思わずドキッとした。
サトシに最後に会ったのは2年前、セレナのカロスクイーン就任祝いを、ミアレにてシトロンやユリーカと行ったあの時だ。
あの後、セレナはすぐにエルに敗北してしまい、カントーで努力を積み重ねているサトシに、一方的な気まずさを感じて会えなくなっていた。
シトロンやユリーカは、度々カントーへ遊びに行って、サトシと会っていたようだし、そのたび一緒に行かないかと誘いをかけてもらえるが、その誘いを受けたことは一度もない。

この二年の間で、すっかり距離が空いてしまったサトシとセレナ。
そんな二人の関係を、年の割りに鋭いユリーカが気付いていないわけもない。
何故そんなことを聞くのかと質問してみれば、今度はシトロンの方から意外な答えが返ってきた。


「実は今朝、ミアレジム宛に、シンオウ地方のヒカリさんという方から連絡がありまして。カントーヤマブキシティホールで、サトシのチャンピオン就任祝いのパーティーをやるから、是非参加してほしいと誘われたんですよ」
カントーポケモンリーグ本部が公式に主催するパーティーで、著名人やサトシの仲間たちもたくさん来るんだって!ねぇセレナも行こうよ!!」


“ヒカリ”
その名前には聞き覚えがあった。
以前サトシが言っていた、シンオウ地方を一緒に旅した仲間の一人で、ポケモンコーディネーターを目指しているのだとか。
シトロンとユリーカの話では、そのヒカリという少女は、サトシからカロスを一緒に旅してきた仲間の事を以前から聞いていて、個人の連絡先は知らないが、仲間のうち一人がミアレジムのジムリーダーだという情報をもとに、ジムへとメールを寄越したらしい。

サトシに会える。
それはセレナにとって、喜ばしくもあり、恐ろしい事でもあった。
きっとサトシに会えば、また自分との距離の遠さを痛感してしまう。
それだけではない。
サトシの身内も多く出席するパーティーなら、彼から話を聞いていた、一緒に旅をした女の子達とも顔を会わせる事になる。
彼女たちが具体的にどういう娘たちなのかは詳しく知らないが、会って、自分が気後れする姿は容易に想像できる。
わざわざカントーに出向き、サトシに会ったところで、自分が辛い思いをするだけでは無いのだろうか。


「セレナ、無理にとは言いません。ただ、これからサトシも忙しくなるでしょうから、ゆっくり会える機会は暫く無いと思って声を掛けたんです。もし何か思うことがあるのなら、伝言だけでも…」


シトロンはやはり優しかった。
サトシに会いにくいというセレナの心情を察してくれている。
だが、“会いにくい”と考える一方で、“会いたい”と思う感情が、セレナの中にはしっかりと存在していた。
なにせ、セレナはサトシに様々な感情を長年抱いている。
尊敬、憧れ、そして恋慕。
今を逃せば、チャンピオンとなったサトシには、暫く会えなくなってしまう可能性もある。
カロスチャンピオンのカルネを見ていれば分かるが、チャンピオンは忙しい。
そう思うと、会うことを躊躇していたセレナの心が、僅かながら、“会いたい”の方向へと動いていった。


「シトロン、ユリーカ。そのパーティー……私も出たい」


そう言ったセレナの表情は硬く、膝の上で握られていた拳には、命一杯の力が込められていた。

 

 

***

 

 

空気の抜ける音と共に、飛行機のハッチが開く。
機体から出ると、眩しく広がる青いカントーの空が見えた。
ここは、カントーヤマブキシティ
サトシのチャンピオン就任パーティーが行われる街である。
カロスから一緒の飛行機でやってきたシトロン、ユリーカと並んで空港を歩いていると、視界に入るのはカロスでは見られないカントー特有のポケモンたちの姿。
シトロンやユリーカと違い、久しぶりにカントーへ上陸したセレナは、それらのポケモンを興味深そうに眺めていた。

ここが、サトシが生まれ育った地域であり、かつての自分のように、新人トレーナーとして旅をした場所。
旅をしていたとき、彼はこの町にも寄ったのだろうか?
ジムがあるという話しを事前に聞いていたので、恐らくは来たことがあるのだろう。
ここのジムにも挑戦したのだろうか。
ジム戦では、どんなポケモンを使ったのだろう。
そんな疑問を一つ一つ思い浮かべているうちに、セレナたちはヤマブキ空港の外へと出ていた。


「ねぇお兄ちゃん、こらからどうするの?」
「確かパーティーは、ヤマブキシティホールで行われるのよね。何処にあるのかしら?」
「実は、ここからはある方々に道案内を頼んでいるんですよ」
「「道案内??」」


ヤマブキシティは、カントー1の大都会である。
ホールが大きいものとはいえ、余所の地方からやってきたシトロンたちだけで探すには、この街はいささか大きすぎる。
そこでシトロンは、事前にある二人の人物に空港からホールへの道案内を依頼していた。
カントーの人間であるその二人は、サトシとも親しい関係にあり、“カロスでアイツがお世話になったお礼に”と言って、道案内を快く引き受けてくれた。
シトロンも、その二人の事はテレビ電話でしか接触した事がなく、直接会うのは初めてである。
さて二人は何処にいるのかと辺りを見渡し始めたシトロンに、とある女性が声をかける。
その声は、聞き覚えのある声であった。


「シトロンね?おまたせ」


シトロン、セレナ、ユリーカが振り返ると、そこには一組の男女が立っていた。
一人はオレンジ色の髪をサイドに束ねた、シトロンやセレナよりも少しだけ年上の女性。
もう一人は、褐色の肌と細い目が特徴的な、これまた年上の男性である。
その二人を見て、キョトンとした表情を浮かべるセレナとユリーカとは反対に、シトロンはパッと表情を明るくさせた。


「カスミさんにタケシさんですね?初めまして、ミアレシティのシトロンです!」


“カスミ”に“タケシ”
その名前も、セレナにとって聞き覚えのあるものだった。
確かサトシの最初の旅仲間である。
サトシにとって、この二人には相当思い入れがあるらしく、数いる旅仲間の中でも、この二人の名前を一番良く聞いていた。
“もしかしてこの人たちが…?”とシトロンに小さく耳打ちすると、彼は頷く。
シトロンが道案内を頼んでいたのは、どうやらカスミとタケシだったらしい。
まだあどけなさが残るセレナやシトロンに対し、目の前のカスミとタケシはすっかり大人な雰囲気を纏っている。
そんな二人に緊張しながらも、自分も自己紹介しなければと“私は…”とセレナが言いかけたとき、カスミがニッコリと微笑みながらそれを妨げた。


「知ってるわ。セレナにユリーカでしょ?」
「えー?どうして私たちの名前を知ってるの!?」
「サトシから色々と話を聞いていたからな。カロスの仲間の事について」


タケシの言葉に、セレナは喜びを感じずにはいられなかった。
自分達にカスミやタケシの話をしていたように、サトシは二人にも、自分達の話をしていた。
サトシがかつての旅仲間の話をするときは、いつも楽しそうで、“今ごろ何してるんだろうなー”と当人を気にかける発言が多く見られた。
自分達も、そんな風に話をされていたのかもしれない。
セレナと同じように喜びを感じていたのはシトロンとユリーカも同じだったようで、二人で顔を見合わせながら笑っている。


「さ、そろそろホールへ向かいましょう。急がないと、パーティーに遅れちゃうわよ」
「あぁっ!ちょっと待って!」


挨拶もそこそこに、さっそくホールへ向かおうと歩き出したカスミを、ユリーカが大声で呼び止める。
カスミだけでなく、セレナやタケシも驚き、歩き出そうとしていた足を止めた。
一体どうしたんだという視線を浴びながら、キラキラした瞳でカスミを見つめるユリーカ。
そんな妹の姿に、シトロンは嫌な予感がしていた。
そして、その予感は的中することとなる。


「カスミさんキープ!お願い、お兄ちゃんをシルブプレ!!」
「しふぶ、ぷれ…?」


ユリーカは素早い動きでカスミの前に膝を折ると、まるでプロポーズでも始めるかのような勢いで例の口説き文句を口にする。
聞き覚えのない単語にポカンと口を開けるカスミとタケシ。
“あぁまたか”と苦笑いを溢すセレナ。
恥ずかしさのあまり、赤い顔で絶叫しながら背負っているリュックから出したエイパムアームでユリーカを掴み上げるシトロン。
周囲の人たちはその光景を珍妙な表情で眺めている。


「あのね、私お兄ちゃんのお嫁さんになってくれる人を探してるの!」
「えぇ!?お、お嫁さん!?」
「ユリーカ!それはやめろって何度も言ってるだろ!?」
「えー!だってカスミさん素敵なんだもん」


カロスの3人にとって、これは慣れた光景なのだろうが、このやり取りを初めて見たタケシは未だにポカンとしている。
一方のカスミは、“素敵だから”という理由で代理求婚された事実に顔を赤くしながらも、満更でもない風であった。


「そんなぁ~、素敵だなんて~」
「ハハハ、ユリーカ、カスミはやめておいた方がいいぞ。なんてったってコイツの特性はギャラドス怒りだからなぁ」
「だぁーれがギャラドスの怒りよ!!!!」


照れていた表情を一瞬で怒りへと変貌させ、カスミはタケシの耳を思いっきり引っ張り寄せた。
“いだだだだだ!”と悲痛な叫びを上げるタケシ。
どうやらこれは二人の間では日常的な光景であるらしいが、カロスの3人にとっては始めて見る光景。
カスミのまさかの変貌ぶりに恐れおののくセレナとシトロンであったが、求婚した当人であるユリーカは、目の前で繰り広げられるそのやり取りに目を輝かせていた。


「ホントだー!ギャラドスの怒り!!カスミさんつよーい!」
「こ、こらユリーカ!失礼だろ!?」


セレナは四人を眺めながら、本日何度目か分からない苦笑いを溢した。
カントーに着いて早々、こんなに濃いやり取りが待っているとは思っていなかったセレナだが、不思議と到着する前の複雑な心境は消え去り、素直に楽しいと思えている自分がいた。
サトシとの距離を感じて、辛い思いをするのではないか、という杞憂が薄くなっていく。
飛行機の中に居るときよりも少しだけ、サトシに会いたいという気持ちが強くなっていた。

 

 

act.2

 

カスミ、タケシに連れられ、セレナ、シトロン、ユリーカの3人はヤマブキシティホールへと向かっていた。
ミアレシティにも負けないほどの大都会ぶりに、ユリーカは頭に乗せたデデンネと共におおはしゃぎしている。
ホールへ向かっている間、5人の話題はやはりサトシについてであった。
豊富な経験から、トレーナーとしてそれなりに成熟した姿のサトシしか知らないセレナたちにとって、カスミやタケシが話す、まだ未熟であった新人時代のサトシの話は興味深いものであった。

はじめてポケモンを捕まえるとき、バトルせずにいきなりモンスターボールを投げてしまったこと。
タイプ相性を全く考慮せず、ピジョンに対してキャタピーで挑もうとしたこと。
トレーナーに捨てられたヒトカゲを、雨の中必死で助けたこと。
そのヒトカゲが進化して全く言うことを聞かなくなってしまったこと。
バタフリーオコリザルラプラスピジョットゼニガメ、そしてリザードンと泣く泣く別れたこと。
その全てのエピソードがセレナたちにちは新鮮な話であったが、何故だが少し聞くだけでその時の情景がすぐに想像できた。

きっとそれは、どの話も“サトシならやりそうだ”と思えるものだったから。
いつだったかサトシは言っていた。
“無駄なことなんてひとつもない”と。
カスミやタケシの側で経験した全ての事柄が、サトシをチャンピオンへの押し上げたのだろう。
カスミとタケシの話を聞きながら、セレナは自分の知るサトシを人物像を思い出していた。
強くて前向きで、諦めることを知らない、そんな彼を、セレナは誰よりも尊敬している。
だからこそ、今日はおめでとうを言わなければならない。
早くサトシに会いたい、けれど、夢を諦めつつある自分を見て、サトシはどんな顔をするだろう?
想像するだけで恐ろしかった。

空港から暫く歩くと、ようやくパーティー会場であるヤマブキシティホールへたどり着いた。
最近出来たばかりの建物らしく、大きい上に非常に綺麗な場所である。
ホールのそばには高そうな車が何台も止まっており、正装した人たちがたくさん押し寄せていた。
どうやら彼らはこのパーティーの出席者であるらしい。
周囲を見渡し、セレナとシトロンは固まってしまう。
こんなにも格式高いパーティーだとは思わなかったのだ。
しかし、良く考えればこれはこれはチャンピオンの就任祝賀パーティーである。
カントー中の注目を集めていると言っても過言ではないのだ。
これほどのパーティーになることは当然のことであろう。

カスミとタケシに連れられ、ホールの中に入ると、既に会場の準備は整えられており、参加者もまばらに集まっていた。
大きな会場を見て、ユリーカは再びおおはしゃぎである。
床には真っ赤なフカフカ絨毯が敷かれ、等間隔に置かれたたくさんの丸テーブルにはシルクのテーブルクロスがかけられている。
舞台には大きく“チャンピオン就任祝賀パーティー”という看板がかけられている。
はしゃぎまくっているユリーカとデデンネとは対照的に、セレナとシトロンはどんどんと緊張の度合いを高めていった。


「ちょっと二人とも大丈夫?固まってるけど…」
「い、いえちょっと…こんな大きなパーティーに出席するのははじめてなので、き、緊張してきました…」
「そんなに固くなるなよ?著名人はたくさん参加者するみたいだが、主役はあのサトシなんだからな」
「そうよ?それにセレナはパフォーマーなのよね?こう言う場には慣れてるんじゃないの?」
「パーティーには参加したことあるけど、こんな大きいものだとは思わなかったから…」


そんな二人に、カスミとタケシは顔を見合わせて苦笑いを溢す。
すると、先程まで会場をウロウロしていたユリーカが四人の元に走り寄ってきた。
もちろん、頭にデデンネを乗せた状態で。
彼女は兄であるシトロンの青い袖を引っ張りながら、素朴な質問をぶつけてくる。


「ねぇねぇお兄ちゃん、あたしたちドレスとか持ってきてないよね?どうするの?」


ユリーカの疑問に、シトロンは“あ゛!”と鈍い声を上げる。
隣のセレナも、思わずハッとした表情で焦りを見せていた。
シトロンたちは、このパーティーの日時と場所くらいしか情報を得ていなかった。
まさかドレスが必要なほど大きなパーティーだとは思っていなかったため、何も用意していなかったのだ。
まさか普段着で参加するわけにもいかず、シトロンとセレナは困った顔を見せる。
そんな二人の表情を見て、カスミは恐る恐る“持って来てないの…?”と尋ねる。
セレナが申し訳なさそうに頷くと、カスミは彼女を安心させるように笑み、“それなら…”と口を開く。
しかし、そんな彼女の言葉を遮り、遠くから女性の声が耳に入ってきた。


「それなら心配要らないわ!ドレスは貸し出してくれてるから」


5人が声のする方へと視線を向けると、そこには一組の男女の姿が。
褐色の肌に派手な髪型をしている少女と、緑色の髪をした青年である。
二人とも正装をしており、このパーティーの参加者であることは一目でわかる。


「あら、アイリスにデント!もう到着してたのね」


カスミが口にした、アイリスとデントという名前にはセレナたちにとって聞き覚えのあるものだった。
朝イチの便で到着したというアイリスに、デントは“サトシのお祝いだからね”と微笑む。


「ねぇねぇ!アイリスとデントって、サトシと一緒にイッシュ地方を旅してた人たちだよね!?」
「ああそうだよ。僕はデント。よろしくね」
「あたしはアイリスよ!よろしく!そっちはセレナにシトロンにユリーカよね?サトシから話は聞いてるわ」


どうやらサトシは、アイリスやデントにもカロスでの仲間のことを話していたらしい。
会えて嬉しいと話す二人は明るくセレナたちを迎えてくれた。
サトシが自分達と旅をする直前の仲間とあって、セレナにとってアイリスとデントは一番話してみたい人達であった。
だが、どうやらそんな時間はあまりないらしい。


「遠くから来てる人もいるから、ドレスは貸し出してるのよ。セレナたちも早く着替えてきた方がいいんじゃない?」
「そうだね、パーティー開始まで、あと一時間を切ってるし」
「えっ!?ウソ!」


デントの言葉に驚いて、壁に立て掛けてある時計に目をやると、確かにパーティー開始時間まで一時間を切っている。
大変だと焦るセレナとシトロン。
そんな二人をよそに、意外にも冷静なユリーカは、アイリスに更衣室の場所を尋ねると、セレナの手を引っ張って更衣室へと急ぐ。
そんな女子二人を、シトロンは“待ってくださーい!”と独特なあのがに股走りで後を追っていった。
嵐のように去っていった3人を、カスミ、タケシ、アイリス、デントは呆気に取られたような表情で見つめていた。


「まったく、さすがはサトシの仲間だな」
「そうね」


カスミとタケシはそう呟き、アイリスとデントも、思わずぷっと吹き出していた。
大騒ぎしていたカロスの3人に、チャンピオンになっても尚そそっかしいサトシの姿を重ねていたのだ。
時刻は17時10分。
パーティーが始まるまで、あと50分である。

 

 

***

 

 

シトロンと別れ、急いで女子更衣室へ到着すると、そこにはセレナとユリーカをときめかすには十分なほどの綺麗なドレスたちが用意されていた。
女子更衣室内にいる数人の女性たちは、等間隔に置かれている化粧台に腰掛け、身なりを整えている。
見たところ、未だドレスすら身に付けていないのはセレナとユリーカだけのようだ。
数々のドレスたちに目を輝かせている場合ではない。
急いでドレスを選び、会場に戻らなければ。

二人はドレスがかけられている場所へと駆け寄り、各々どれがいいのかと悩む。
あまりに数が多すぎて、ドレスをひとつひとつ吟味する暇は無さそうだ。
そんな中、一際素敵に見えるドレスがセレナの視界に飛び込んできた。
赤を基調としたフェミニンなドレスで、派手すぎないデザインはセレナの好みにぴったりである。
3年前、カロスを旅していた時に参加したダンスパーティーで着ていたドレスにどこか似ていた。
赤いドレスのかかったハンガーを取りだし、じっくり見つめていると、黄色いドレスを大切そうに抱えたユリーカが駆け寄ってくる。


「あー!セレナのそのドレス素敵!!それに決めたの!?」
「えっ?あ、うん。どうしようかなって迷ってたところ」
「それにしなよ。セレナ赤似合うし!サトシもきっと素敵って言ってくれるよ!」
「そうだといいんだけど…」


きっとサトシならいつもの笑顔で“似合ってるぜ!”と言い切ってくれるだろう。
けれど、今のセレナには、その言葉を素直に喜べるだけの余裕がない。
サトシが自分に優しくすればするほど、惨めな感覚に陥る。
彼はどんどん成長しているにも関わらず、自分は…。
サトシに会ったときのやり取りを想像し、セレナは持っていた赤いドレスをぎゅっと握りしめる。
そんな様子のセレナを見て、ユリーカは心配そうに顔を覗き込む。
ユリーカもセレナの事情や心情を理解しつつ、同情を寄せていた。


「ねぇ、もしかして貴女たち、セレナとユリーカ?」


背後から女性の声が聞こえてきた。
ドレスを選ぶのに夢中になっていた二人は、近付いてくるその女性の気配に気が付かなかったらしい。
セレナとユリーカが振り向くと、そこには二人の女性が立っていた。
彼女たちはしっかり正装をしていて、可愛らしい顔立ちがさらに綺麗に彩られている。


「そうですけど…」
「やっぱり!?パーティーが始まる前に会えるなんてラッキーかも!」
「ホントね!貴女たちのことはサトシからよく聞いてるわ!もちろん、シトロンって人の事もね」
「えっ、じゃあお姉さんたち、もしかして…」


ハルカとヒカリ。
それが、彼女たちの名前である。
もちろん、この二人の名前もセレナは記憶している。
弟のマサトと一緒にホウエン地方を旅していたハルカと、シンオウ地方を旅していたヒカリ。
二人ともポケモンコーディネーターあるということで、サトシから話を聞いていた当初、セレナはハルカとヒカリに興味を抱いていた。
自分も参加したことのあるコンテストで頂点を目指している二人と会えば、新しい刺激をもらえるだろうと考えていたのだ。

実際に会ってみる二人は非常に可愛らしく、セレナは思わず劣等感を抱いてしまう。
サトシは過去に、こんなに可愛い娘と旅をしていたのか…。
二人とサトシの関係性を考え、セレナは一人落ち込む。


「私たち、シトロンやユリーカはもちろんだけど、セレナには一度会いたいと思っていたの!」
「え、私に?」
「セレナって、パフォーマーなのよね?今度ホウエンで初めてトライポカロンが開かれるって聞いてたから、どんなものなのか知りたかったの」


ハルカの言う通り、一年ほど前からトライポカロンを他地方にも広げようとする動きがあった。
そして、近々ホウエンにて開催されることが決定したと、トライポカロン協会から聞かされていた。
ハルカはホウエン地方で活躍しているコーディネーターである。
コンテストと共通点が多いトライポカロンホウエン上陸に、強い興味があるのだろう。


「そうそう!それに、パフォーマーの演技を見れば、今後のコンテスト演技の勉強になるんじゃないかなって」


ハルカの言葉に頷きながら、ヒカリが目を輝かせて言う。


「ねぇ、もしよかったら、セレナのパフォーマンスを見せてもらえない?」
「え?」
「あ!それいい考えかも!コンテストの参考になるかもしれないし」


期待を孕んだ目で見てくるハルカとヒカリに、セレナは思わず後ずさる。
パフォーマンスなど、人前ではもうずっとしていない。
やってほしいと言われたところで、上手く出来ずに恥をかくことは目に見えている。
人前でパフォーマンスすることが怖い。
そんな感情を持ってしまっているセレナには、二人の申し出は受け入れがたいものであった。


「あ、あのね!セレナは今…」


困っているセレナをなんとかフォローしなければとユリーカが口を開いたその瞬間、ホール内に放送がかかる。


《パーティー開始30分前です。ご来場の皆様は、会場へとお集まりください》


ホール全体に流れているであろうこの放送は、セレナとユリーカを盛大に焦らせる。
まだドレスはおろか髪型すらセットしていない二人にとって、30分は短すぎる。
このままでは遅刻してしまう。
オロオロと焦りを見せるセレナは、パフォーマンスが見たいと言うハルカとヒカリに謝りながら、ユリーカの手を取って化粧台へ向かう。
その手には、あの赤いドレスがしっかり抱えられていた。


「あっ、ちょっと待って!よかったら、準備手伝うよ?」
「え?でも…そんなことしてたら、ハルカやヒカリまで遅刻しちゃうわよ…?」


セレナとユリーカを呼び止め、気をきかせたヒカリに、セレナは申し訳なさそうに言う。
手伝ってもらえるのは非常にありがたいことではあるが、自分達を手伝ってしまった事が原因で、二人までパーティーに遅刻してしまっては悪い。
そんな遠慮心から、明らかな窮地にも関わらず、セレナは二人を頼れずにいた。


「だーいじょうぶ!困ったときはお互い様でしょ?」
「そうね!同じサトシの旅仲間同士、遠慮しないでほしいかも!」
「ねぇねぇセレナ、手伝ってもらおうよ。私たちだけじゃ絶対に間に合わないしさ!」
「………そうね。ありがとう、ハルカ、ヒカリ」


ハルカとヒカリは笑顔で頷くと、それぞれの化粧台へと足を向ける。
まずはドレスに着替え、髪型をセットし、化粧を施して行く。
さすがはコーディネーターというだけあって、ハルカもヒカリも手際がよく、あっという間にセレナとユリーカを素敵な女性へと仕上げてゆく。
あまりの早さに、セレナもユリーカもおどろくばかりであった。
そして、パーティー開始5分前、二人の準備がようやく整い、ドレスアップが完了した。
セレナが鏡を見れば、そこには数十分前までとはまるで別人の、大人な女性が映っている。
この姿を見て、サトシはどう思うだろうか。
褒めてくれるだろうか。
そんなことを一番に考えてしまうあたり、やはりセレナはサトシへの想いを未だに暖めているのだと改めて痛感してしまう。


「セレナ、そろそろ行くよ!パーティー始まっちゃう!」
「あ、うん!すぐいく!」


更衣室の出入り口付近で、ユリーカがセレナを呼ぶ。
同じ場所でハルカとヒカリもクラッチバッグ片手にセレナを待っていた。
もうパーティーが始まってしまう。
まだ用意していたネックレスを身に付けていないが、仕方がない。
セレナは化粧台の上に置いてあったネックレスを掴むと、小走りで3人の元へ向かう。
パーティー開始まであと3分。
セレナ、ユリーカ、ハルカ、ヒカリの四人は、ようやく更衣室を後にした。

四人は更衣室を出て、会場となるメインホールへと向かっていた。
床は綺麗に磨かれており妙に滑りやすい。
そのうえセレナ、ヒカリ、ハルカは高めのヒールを履いている。
走り辛いため、自然に四人の足取りは遅くなる。
それでもなんとかパーティーに間に合わねばと、小走りで先へ進む。
さて、次の角を曲がればすぐにメインホールだというところで、ハプニングが起こった。
セレナが高いヒールと滑りやすい床に足をとられ、転んでしまったのだ。
体勢が崩れてしまったものの、体ごと転ぶことなく済んだが、握っていたネックレスを手放し、床に落としてしまったのだ。

しまった、とセレナは足を止める。
ユリーカたちを呼び止めるようなことはせず、急いで床に落ちてしまったネックレスを拾い上げようと手を伸ばす。
しかし、そんなセレナの手よりもはやく、黒い影がネックレスを包み込んだ。
いったい何事かとよく見ると、そこにいたのはポケモン、それもブラッキーであった。
鋭い目をしたブラッキーは、ネックレスをくわえてセレナへと歩み寄る。
どうやら親切心から拾ってくれたようだ。


「拾ってくれたのね、ありがとう、ブラッキー


ネックレスを受け取り、頭を優しく撫でてやると、ブラッキーはグルル…と嬉しそうに喉を鳴らす。
そのしぐさがとても愛らしく、セレナは時間に追われていることを忘れ、ブラッキーとの戯れに夢中になってしまう。
そんなとき、メインホール側の角からブラッキーを呼ぶ声がした。


ブラッキー、何をしているんだ?」


その声を聞いたブラッキーは、セレナの手をすり抜け即座にその声のする方へと駆けていく。
現れたのはセレナと同じくらいの年齢の青年。
彼の足に擦り寄るブラッキーを見て、すぐに彼がブラッキーのトレーナーであることが判断できた。


「あの、このブラッキーは貴方のポケモンですか?」
「ええそうですが、ブラッキーが何かご迷惑を?」
「いいえ!さっき、このネックレスをブラッキーに拾ってもらったんです。ありがとうございます」


セレナの言葉を聞くと、青年は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに優しげな顔になり、足元のブラッキーをゆっくり撫でる。
ブラッキーは再び喉を鳴らす。
そのやりとりから、ブラッキーがその青年に非常になついていることがわかる。
“いいことをしたな、偉いぞブラッキー”と囁く青年は、トレーナーとしてかなりレベルが高いように思える。
そんな彼も、しっかりと正装をしている。
恐らくは、セレナと同じようにこのパーティーに参加するのだろう。
この青年もサトシの知り合いなのかもしれない、なんとなく何処かで見たことがあるような気がするし、自分も彼に会ったことがあるのかも…?
そう思い、記憶を辿ってみるが、どうも思い出せない。


「もしかして、君もパーティーの参加者か何かで?」
「ええ、まぁ…」
「それならはやくメインホールに向かった方がいい。そろそろパーティーが始まる時間だから」
「うわぁ!そうだった!」


セレナは急いで青年に再びお礼を言うと、小走りでメインホールへと足を進める。
向かっている間、セレナはあの青年に名前を聞くことを忘れてしまったと後悔するが、もう戻っていられるほどの時間はない。
角を曲がり、メインホールの扉前までやって来ると、そこにはユリーカ、ハルカ、ヒカリの姿があった。
どうやらついてきていないセレナを心配し、扉の前で待っていてくれたらしい。


「セレナ早く早く!始まっちゃうよ!」
「ごめーん!」


急いで3人に駆け寄ると、セレナはヒカリやハルカと一緒に厚い扉に手をかける。
息があがったまま扉を開けると、中のホールの照明は落とされ、暗くなっていた。
司会の男性が壇上に上がり、パーティー中の緒注意を連絡しているところからして、どうやらまだパーティーは始まったばかりらしい。
なんとか間に合ったことに安堵のため息をつくセレナたち。
そんな彼女たちに声をかける少年がいた。

 

 

「お姉ちゃん!遅いよ!!」


そう言いながらこちらに近寄ってきたのは、ユリーカと同じくらいの年の男の子だった。
眼鏡をかけ、他の人と同じように正装をしているその子は、ハルカに向かって怒っているようだった。
その子の後ろから、タケシ、カスミ、そしてシトロンもやってきた。
シトロンは慣れない正装に、少々歩きそうである。
ハルカはガミガミと怒る男の子を適当にあしらっているが、彼女がその子のことを“マサト”と呼んでいることはすぐに確認できた。

マサトのことは、サトシからもよく話を聞いている。
ハルカの弟で、ユリーカと同じ10歳にあたり、今年ポケモントレーナーになったばかりであると。
どうやらマサトは、準備に手間取っていたハルカが遅刻するのではないかと心配していたようだ。
彼は年のわりに随分しっかりものなのだなと、二人のやり取りを観察し、セレナは感心する。


「よかった、ユリーカもセレナも間に合ったんですね」
「えぇ。ハルカとヒカリが手伝ってくれたの」


シトロンが安心したように言う。
男のシトロンはそうそう準備に時間を取られることはないため、セレナやユリーカよりも随分早く支度を済ませ、会場に到着していたようだ。
セレナの言葉を聞き、シトロンはセレナとユリーカの後ろにいるハルカとヒカリに視線を向ける。


「貴女たちがハルカさんにヒカリさんですね?はじめまして、シトロンと言います。ヒカリさん、この度はお招きいただきありがとうございます」
「お礼なんていいのよ!シトロンたちもサトシの仲間なんでしょ?呼ぶのは当然よ」
「そうそう!それに、サトシもたくさん居てくれた方が喜ぶかも!」


二人はとてもさっぱりした性格らしく、爽やかに笑って見せた。
シトロンは、ユリーカが例のアレを二人に言っていないかと心配になっていたが、どうやら心配無用であったようだ。
当のユリーカは、同年代のマサトと早くも仲良くなっているようで、彼とどんなポケモンを捕まえたのかと盛り上がっている。

セレナたちが、メインホールに到着していて間もなく、壇上に男性が上がっていき、マイクを片手に挨拶を始めた。
彼はポケモンリーグ運営委員会の人間で、このパーティーの司会者である。
司会者は自己紹介と来賓への挨拶を済ませると、パーティーの開始を宣言した。
しかしながら、主役のサトシは未だ会場に到着していない。


「それではまず、ポケモン研究の名誉であるオーキド博士から、お話を頂戴致します」


司会の言葉に、会場へと集まった参加者は一斉に壇上へと目を向ける。
それはセレナたちも例外ではない。
壇上に上がったオーキド博士は、司会者からマイクを受けとると、一礼して挨拶を始めた。
シトロン、ユリーカは、初めて見るオーキド博士に興味津々である。


「皆さん、この度はサトシのチャンピオン就任祝いにお越しいただき、ありがとうございます。サトシに初めてのポケモンであるピカチュウを授けた身として、この結果は誇らしく思います」


カロス地方でもオーキド博士の名前は広く知れ渡っている。
彼からポケモンを貰い、トレーナーとして旅立った子供たちは数多くいるだろうが、チャンピオンにまで上り詰めたのは、サトシ一人だけだろう。
どれだけ多くの名誉や権威を手にしていても、送り出したトレーナーが頂点に君臨するというのはなかなか無い誉れだ。
サトシを新人の頃から見てきたオーキド博士にとって、今回の朗報は大変喜ばしものであったに違いない。

オーキド博士がスピーチを終えると、会場は大きな拍手で包まれた。
会場にはマスコミが多く来ているようで、博士が一礼すると様々な場所からシャッター音とともにフラッシュがたかれる。


オーキド博士、ありがとうございました。それでは次に、新チャンピオンとなりました、サトシさんの産みの親、ハナコさんからお話を頂戴致します」


司会者の言葉に、今度はセレナが過剰反応することになる。
やはり好きな人の母親というのはどういう人物なのか気になるもので。
セレナはまばたきも忘れて壇上を見上げていた。
やがて、ステージに一人の女性が上がってくる。
長い茶髪をひとつに束ねているその女性は、司会者からマイクを貰うと、先程のオーキド博士と同じように一礼する。


「皆さんはじめまして。サトシの母のハナコと申します」


カロスを旅していた頃にテレビ電話を通して話したことはあるが、彼女と直接会うのは初めてのことである。
口元に笑みを浮かべながらスピーチをするハナコは、セレナが想像していたよりもずっと若々しく、そして可愛らしい人だった。
あの人が、サトシのお母さん…。
彼女の言葉を一語も聞き逃さぬよう、懸命に耳を済ませていたセレナだったが、その様子が異様だったのか、ユリーカに苦笑いされていた。


「息子がこのような素晴らしい栄光を頂けたのも、一重にここに来てくださっている皆さんのお支えあってこそです。本当にありがとうございました。まだまだ未熟なサトシですが、どうぞこれからもよろしくお願い致します」


深々と頭を下げるハナコに、再び会場からは大きな拍手が起こる。
“サトシのお母さん美人だね!”と笑いかけてくるユリーカに頷くセレナ。
そんな彼女たちのすぐ後ろで、タケシとカスミは拍手しながら小声で喋っていた。


「ママさん、嬉しそうね」
「あぁ。ある意味、今回のことはサトシ本人よりも喜んでいるのかもな」


サトシがポケモンマスターを目指して旅に出てから3年。
可愛い子には旅をさせろという言葉もあるが、遠い場所を旅して回っている息子に、きっとハナコも大きな心配を寄せていたに違いない。
それでも決して引き留めようとはせずに、ただひたすら子供の夢を応援する。
これは生半可な気持ちで出来ることではないだろう。

セレナは、ハナコのスピーチを聞きながら、サイホーンレーサーである自分の母のことを思い出していた。
彼女もセレナの意思を尊重し、サイホーンレーサーではなくパフォーマーの道を選んだ娘の背中を押してくれた。
母には暫く連絡を入れていない。
もしも、母が今の自分の状態を見たら何と言うだろうか。
パフォーマーになりたいと啖呵を切ったくせに、半端で終わるのかと怒られるのだろうか、それとも…。
セレナは着ている真っ赤なドレスのスカート部分をぎゅっと握りしめた。


「さて皆様、大変長らくお待たせいたしました。今回の主役、新チャンピオンのサトシさんに入場いただきましょう!」


ハナコからマイクを受け取った司会者は、先程よりも比較的大きな声で言う。
その言葉に、セレナは思わずドキッと心臓を鳴らした。
周囲の参加者もざわめきだし、皆一様に会場の一番後ろにある扉へと視線を向ける。
その扉から近い位置に立っていたセレナたちも、皆落ち着かない様子で扉を見つめる。
ユリーカとマサトはセレナたちから離れ、人だかりが出来ている扉のすぐ近くまで走っていってしまう。
相当サトシに会いたがっていたらしい。
二人とも興奮状態にある。

一方セレナも、サトシと会うのは約一年ぶりである。
好きだから会いたい。けど、夢を諦めつつある自分をサトシに見せたくない。
こんな複雑な思いが入り交じり、セレナを一気に緊張させる。

やがて会場の扉が開き、暗い会場に廊下の明るい光が差し込む。
赤い絨毯が敷かれた会場の床に、光が反射して人影が映る。
サトシのものだろう。
だが、開かれた扉が邪魔をして未だにサトシの姿を見ることはできない。
そして、主人の肩からピョンと降りたピカチュウが、前へと歩を進め、会場内へと入っていく。
久しぶりに見るピカチュウは、あの頃となにも変わらず、やはり可愛らしかった。
だが、まだサトシ本人の姿は扉のせいで見えない。


「ピカピー!」


後ろを向き、主人を呼ぶピカチュウ
そうしてやっと、彼の主人は会場内へと姿を現した。
新しいチャンピオンを、パーティー参加者は盛大な拍手で迎える。
周りにいるタケシ、カスミ、ハルカ、ヒカリ、シトロンは、ようやく姿を見せたサトシに“おめでとう”と口々に叫んでいる。
しかしセレナは、久しぶりに見た彼に何も声をかけられず、ただ呆然とその姿を眺めていた。

少しの間会わないうちに、サトシは明らかに大人へと成長していた。
単に年齢を重ねた成長だけではない。
色々な苦労を経験したのだろうか、大人の雰囲気を醸し出している。
その姿を見た瞬間、セレナは自分とサトシの大きな差を痛感してしまった。
おめでとう、と声をかけてあげるべきなのだろう。
しかし、声がでない。
今のセレナに、心からお祝いの言葉を言えるだけの余裕はない。

拍手とお祝いムードの真ん中にいるサトシは、照れたように笑いながらステージへと歩いていく。
そんなサトシに、ユリーカとマサトは大声で“おめでとう”と叫んだ。
その声に気付いたのか、サトシは二人に視線を向けた。
そしてその背後にいるセレナたちにも目を向けると、少しだけ手をあげて笑いかける。
その笑顔だけは、3年前と全く変わらなかった。

 

 

***

 

 

「こうしてチャンピオンになれたのも、ここにいる皆と、そしてポケモンたちのおかげです。本当にありがとうございました!」


壇上に上がり、マイクでスピーチをするサトシは、妙に堂々としていた。
彼がチャンピオンになってから一週間。
おそらくその短い間に何度もインタビューを受けていたのだろう。
スピーチにも慣れた様子である。
彼の肩に乗る黄色い相棒も、大勢の前だというのにまったく緊張したそぶりを見せていない。


「それでは、チャンピオントロフィーの授与へと参りたいと思います。トロフィーを授与してくださるのは、前チャンピオンのワタルさんです」


司会者の紹介とともに、ステージ脇から一人の男性が登ってきた。
彼は大きなトロフィーを抱えている。
赤い髪をしている彼、ワタルは、サトシと握手をかわす。


「サトシ君、君とのバトルは本当に楽しいものだった。これからカントーチャンピオンとして頑張ってくれ」
「はい、ワタルさん。俺もすっごく楽しかったです。ありがとうございました!」
「さ、これがチャンピオン就任の証、チャンピオントロフィーだ。受け取ってくれ」


ワタルは抱えていたトロフィーをゆっくりと差し出す。
目を輝かせながら、そのトロフィーを受けとるサトシだったが、予想以上に重かったのか、受け取った瞬間よろけてしまう。
後ろに倒れそうになったサトシを、ワタルが慌てて背中に手を回して支えると、周囲から笑いが起こった。
そして体勢を立て直したサトシは、トロフィーを出来る限り上に持ち上げ、いつもの通りあの台詞をきめて見せた。


「よーし!チャンピオントロフィー、ゲットだぜ!」
「ピッピカチュウ!」


何度目か分からない拍手が起こる。
壇上にいる新たなチャンピオンは、長い付き合いになるピカチュウと顔を見合わせて笑っている。
幸せの頂点にあるかつての仲間を、セレナはただ黙って眺めていた。
周りの人たちは笑顔で拍手を贈り、純粋に祝福している。
きっとセレナも、数年前ならば彼らのように素直にサトシの優勝を喜べていたのだろう。
しかし、今はただ、彼を見つめていることしか出来ない。

やがてワタルはステージから降り、来賓に挨拶しながら会場を後にした。
これで堅苦しい挨拶は終わりかとサトシが思っていた矢先、司会者から思わぬ言葉が飛び出してきた。


「それでは最後に、特別ゲストから祝辞を賜ります」
「へ?」


どうやらサトシはその特別ゲストとやらについて何も聞いていなかったらしい。
肩に乗るピカチュウと一緒に目を丸くしている。
ステージ脇にいるオーキド博士に目配せしているようだが、当の博士は笑みを見せながら無視を決め込んでいる。
なんの話だと困っている様子のサトシを尻目に、司会者はどんどん展開を進めていく。


「ではご紹介しましょう。特別ゲストのオーキド・シゲルさんです!」


司会者の言葉とともに、スポットライトが一人の青年を照らす。
その青年の顔を見て、セレナは思わず“あ、あの人…”と声を漏らす。
青年は周りに一礼すると、ステージの方へと歩いていく。


「セレナ、あの人のこと知ってるの?」
「うん…。さっきちょっとね」


いつのまにか隣に来ていたユリーカに問われ、セレナは答える。
“シゲル”と呼ばれた彼は、先程ネックレスを拾ってくれたブラッキーのトレーナーである。
パーティーの参加者であることは予想していたが、特別ゲストとして呼ばれるような人物だとは思わなかった。
いったい彼は何者なのだろうか。
その疑問を、タケシとカスミの会話が解決してくれた。


「へぇー、シゲル来てたのね」
「あぁ、確か今はシンオウにいたはずだが…」
「僕が呼んだんだよ」


突然聞きなれない声がして、セレナたちは振り返る。
そこには見たことの無い男性が立っていたが、カスミが表情を明るくさせ、“あらケンジ!”と声をかけていたため、すぐにその男性が誰なのかが分かった。
サトシとオレンジ諸島を一緒に旅していた仲間の一人、ケンジ。
今はオーキド博士の助手をしている。
少し前に、カスミから彼はサトシがチャンピオンになってからマネージャーのような役割をしていると聞いた。
どうやらこの会場にも、サトシと一緒にやって来たようだ。


「博士に頼まれてね。シンオウまで行って迎えに行ったんだよ」
「まぁ、確かにシゲルなら特別ゲストとしては申し分ないな」
「そうね」
「ねぇねぇ!あのシゲルって人、サトシの友達なの?」


ユリーカの素朴な質問に、タケシとカスミは困ったように笑う。
友達といえば友達なのかもしれないが、その一言で括れるような関係ではないのだ。
ハルカやヒカリ、マサトはシゲルの事を知っているようだが、セレナやシトロン、ユリーカはサトシとシゲルの関係性を全く知らない。
興味を持つのも当然のことだろう。


「シゲルはあのオーキド博士の孫で、サトシとは幼馴染みなんだ。それでいて、サトシの永遠のライバルってわけだ」
「そうそう。カントージョウトを旅してた時は、サトシってばシゲルと関わる度に張り合ってたわよね」


サトシのライバルと聞いて、カロスの3人が思い浮かべたのはショータやアランの顔であるが、タケシたちの話を聞く限り、シゲルはその二人とは違った関係性をサトシと築いていたらしい。
サトシ関わる度に張り合っていたというシゲルに、セレナたちは強い興味を抱いていた。
壇上に上がったシゲルは、驚いた様子のサトシをまっすぐ見つめている。


「……シゲル」
「サトシ、君とワタルさんのバトルはテレビで見ていたよ。成長したようだね。けど…」
「……なんだよ」
「君は勝ち続けると調子に乗る癖がある。チャンピオンになったからといって、油断しないことだね。まぁ、君のことだから、トロフィーを前にして有頂天になっているに違いないと思うけど」
「な、なんだと!?」


拳を握りしめ、サトシは目の前の幼馴染みを睨み付ける。
まさかの一触即発の事態に、会場はどよめくが、近くで見ていたオーキド博士ハナコはそのやり取りをにこにこしながら眺めている。
珍しく怒るサトシの様子に驚きながらも、この空気を心配したセレナとシトロンが後ろのカスミやタケシに目を向けるが、彼らも同じように苦笑いを溢しながらこの光景を眺めている。


「シゲルお前、祝辞を言いに来たんじゃないのかよ?」
「僕はお祖父さんに、“サトシに何か一言言ってやれ”と頼まれただけだよ。祝辞を言ってくれなんて言われてない」


それを聞いて、サトシはシゲルの背後に見えるオーキド博士を睨み付ける。
しかし当博士はそんな訴えかけるようなサトシの目から視線をそらす。


「君は僕をはじめとする沢山のトレーナーと戦い、そして勝ってきたんだ。君に負けたトレーナーのためにも、チャンピオンになったからには勝ち続ける義務があるんだ」
「勝ち続ける、義務…?」
「たとえ一時頂点に立てたとしても、すぐに負けてしまったら意味がない。僕らのためにも、勝ち続けてくれと言ってるんだよ、サートシ君」
「シゲル…お前…」


ようやくシゲルが言わんとしていたことの意味が理解できたのか、サトシは先程まで険しかった表情を緩くさせる。
昔から天の邪鬼であったシゲルは、ストレートに祝いの言葉を口にするようなタイプではない。
だが、その刺々しい言葉の数々に、隠れた優しさがある。
勝ちに傲るなと助言したシゲルは、司会者に向けて“僕からは以上です”と微笑むと、壇上の自分達に目を向けていた来賓たちに一礼し、舞台から降りようとする。


「待てよ、シゲル!」


そんなシゲルを、サトシが呼び止める。
素直に足を止め、振り返ると、そこには何度も見たことがある挑発的な笑みを浮かべたサトシがいた。


「今度会ったら、またバトルしようぜ」


右手を差し出してそう言うサトシに、シゲルは一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに呆れたような笑みに変わる。
3年前とは立場が違うにも関わらず、あの頃となにも変わらない笑顔と言葉に、なんだか少しだけ安心しただなんて、天の邪鬼を貫き通すシゲルには言えそうもなかった。


「望むところだ」


差し出された右手を握り返すと、再び会場から拍手がわいた。
それを見ていたカスミが、“素直におめでとうって言えばいいのに”と呆れたように笑ってかいたが、彼女の表情を見るに、あれは珍しくないやりとりだったようだ。


「ねぇお兄ちゃん!サトシとあのシゲルって人、なんだかとってもいい感じだね!」
「そうだねユリーカ。あれこそが、ライバルとしての理想的な関係なのかもしれない」


セレナの隣で見ていたシトロン、ユリーカの兄妹は、他の客と同様に拍手をしならが言う。
お互いに認め合い、競い合えるようなライバル。
自分にはいただろか?とセレナは考える。
同じようにカロスクイーンを目指し、パフォーマンスの腕を磨いてきたサナ、ミルフィ、ネネ。
セレナにとってのライバルたちは、彼女たちにあたるだろう。

2年前、セレナがエルに勝利し、カロスクイーンの座を手に入れたら時、彼女たちに3人は舞台の上にいるシゲルと同じように、セレナの実力を認め、祝ってくれた。
しかし、次のマスタークラスでエルに負けたその瞬間から、セレナはライバルたちからの連絡手段を全て断ち切ってしまった。
“次がある”“また頑張ろう”
そう言ってくれた彼女たちの言葉が怖くなってしまったのだ。
励ましの裏に、“自分達に勝ったくせにあっさり負けるだなんて”という恨みが隠れているような気がして。

“負けたもののためにも勝つ義務がある”
シゲルがサトシに向けて言った言葉は、セレナの胸に深く突き刺さる。
自分はその義務を果たしていたのだろうか。
いや、勝ったばかりの自分はそんな義務感など全く感じず、ただただ勝利に酔っていた。
その間にも、敗北したエルは努力に努力を重ねていたに違いない。
今になって思い返してみれば、頂点から転げ落ちたのも当たり前の結果であった。
これからチャンピオン・サトシは、シゲルが言った通り、勝ったものの義務を果たしていく事になるだろう。
同じように頂点に立った時の自分とは全く違う顔をしたサトシを見て、セレナは確信した。

 

 

 

挨拶を終えてシゲルは降壇した。
これで堅苦しい挨拶は全て終わったのかと思いきや、まだまだ来賓からの挨拶は続く。
そのほとんどがサトシにとって会ったこともない、ポケモンリーグやチャンチャンリーグの関係者である、いわゆる“お偉いさん”なのだ。
何人かの挨拶聞き、ようやくパーティー序盤の挨拶会が全て終了したことが司会者の言葉で判明し、サトシは安心したようにため息をつき、来賓に一礼すると軽い足取りで降壇した。

ようやく解放されたサトシにお祝いの言葉を贈ろうと、シトロンとユリーカはサトシに駆け寄ろうとするが、彼に近付くことはかなわない。
降壇した途端、サトシは大勢の大人たちに囲まれてしまった。
リーグの関係者たちが新しいチャンピオンに挨拶をと考えたのだろう。
チャンピオンというのは、ユリーカたちの想像を絶する忙しさに襲われるものなのだろう。
サトシと話すことが出来ないと知り、落胆するユリーカ。
そんな妹の頭を撫でながら“仕方ないよ”と話すシトロンも、どこか残念そうである。
明らかに忙しそうな彼の様子に、話しかけることを自粛した二人だったが、そんな二人をすり抜け、一人の少年がサトシへと近づいていく。


「サトシ!!」


声変わりが済んでいない少年の声はよく通る。
サトシだけではなく、その周りを取り囲んでいる大人たちまでも少年の方へと視線を向ける。


「マサト!!久しぶりだな」


声をかけてきた少年、マサトの顔を見て、サトシは表情を明るくさせる。
知らない大人とばかり話していたサトシにとって、よく知る仲間であるマサトの登場は文字通り救いの手であったに違いない。
大人たちをかきわけ、サトシはマサトに駆け寄る。


「サトシ、チャンピオン就任おめでとう。僕、信じてたよ。サトシならやってくれるって」
「ありがとな。マサトたちがいてくれたおかげだぜ」
「………あのね、サトシ」
「ん?」


突然うつむき、口をつぐんでしまうマサト。
そんなマサトの様子に、サトシは彼が何か重要なことを言いたがっているに違いないと察し、なにも言わずに耳を澄ます。
そんな二人の背後では、サトシを囲っていた大人たちが“早くしてくれ”と言わんばかりの表情で立ちすくんでいる。
しかし、サトシにとって、顔も知らないお偉方よりも、一緒に旅をしていた仲間の方が大事であり、優先したい存在であった。
もう一度“どうした?”と尋ねると、マサトは何か決心したかのように顔をあげる。


「サトシ、僕とバトルしてほしいんだ!」


マサトの口から飛び出た言葉に、パーティー会場はざわめく。
セレナやシトロンは驚いた表情でマサトを見つめているが、一番焦ったのは彼の姉であるハルカだろう。
急いで駆け寄り、マサトの肩に手をかける。


「ちょっとマサト!?貴方何言ってるの!」
「サトシ、覚えてる?僕がトレーナーになったら、一番最初にバトルしてくれるって約束」
「ああ、覚えてるよ」


サトシたちがホウエンを旅していた当時、マサトはまだポケモンを持てる年齢ではなかったため、ポケモンと共に夢を追いかけるサトシやハルカを羨ましく思っていた。
そして旅が終わる直前、マサトはサトシと約束を交わしたのだ。
マサトがトレーナーになったら、一番最初にバトルする、と。
しかし、この3年の時を経て、サトシはチャンピオンにまでなってしまった。
トレーナーになったばかりのマサトにとって、サトシは大きな存在になりすぎた。
それでもマサトは、バトルを申し込まずにはいられない。
あの約束を果たすためにトレーナーを目指していたのだ。
どうしても諦めきれないマサトは、このアウェイの中、勇気をもってバトルを申し込んだのだ。


「マサト、サトシはもうチャンピオンなのよ!?そう簡単にバトル出来るわけないでしょ?」
「でも…」
「いいぜ」


驚いたハルカとマサトは、サトシに視線を向ける。
視界に入ってきたサトシの表情は、不適な笑みを浮かべていた。
驚いたのはハルカやマサトだけではない。
周りにいるパーティー参加者たちも、サトシの言葉に驚きを隠せずにいた。


「目と目が合ったらポケモンバトル。これがトレーナーのルールだ。マサト、バトルしようぜ!」
「サトシ…!」


バトルを快諾してくれたサトシに、マサトは目を輝かせる。
たとえかつての仲間とはいえ、方やチャンピオン、方や新人トレーナー。
バトルをするには全く不釣り合いな関係といえる。
多忙なチャンピオンに新人トレーナーがバトルを挑むなど、普通なら失礼な事として糾弾されるものだが、サトシは違った。
バトルを楽しむ心を忘れないサトシにとって、自分や相手の立場など関係ない。
ましてや相手が約束を交わしたマサトならば、バトルの申し出を受けるのは当然のことである。
しかしながら、周りの大人はそれを黙って見てはいられない。


「お待ちくださいチャンピオン。一般のトレーナーとむやみにバトルするなど…」
「これは公式戦じゃなく、練習試合ですよ。それならいいですよね?」


先程までサトシを囲んでいた大人のひとりが止めに入るが、サトシは全く聞く耳を持たない。
一度やると決めたら絶対に曲げることのないサトシには、彼らの助言など無意味である。


「タケシ!審判頼むよ」
「え!?……ああ、わかったよ」


突然声をかけられたタケシは一瞬驚いたが、親友の頼みを断るわけもなく、審判としてバトルに参加することになった。
サトシと一緒に旅をした長い時間の中で、何度も彼のバトルを審判として見守ってきた。
だが、当時の彼は想像すらしていなかっただろう。
チャンピオンになったサトシと、トレーナーになったマサトのバトルをジャッジすることになろうとは。

サトシとマサトを取り囲むパーティー参加者たちも、チャンピオンのバトルに強い興味を抱いているらしく、熱視線をおくっている。そんななか、セレナとシトロンは戸惑っていた。
いくらなんでもチャンピオンであるサトシがむやみにバトルしてよいものだろうかと。


「ねぇ、いいの?あんなに簡単にバトルを引き受けちゃって」


今までサトシとマサトのやり取りを黙って見ていたカスミとケンジに、セレナは尋ねた。
すると二人は顔を見合わせて笑う。


「サトシがいいって言うんならいいんじゃない?」
「チャンピオンになったとはいえ、ああいうところはサトシらしいよね」


チャンピオンという大きな肩書きを手に入れても、サトシは昔のまま何も変わらない。
このパーティーに参加する前は、サトシとの差を感じてしまうのではないかと恐れていたセレナであったが、実際にこうして会ってみると、サトシはサトシのままである。
だからこそ、何も変わらずにどんどん上へと登り詰めてしまう彼が眩しくて仕方がないのだ。


「これより、サトシとマサトによるバトルを始めます。使用ポケモンは一体。どちらかのポケモンが戦闘不能になったらバトル終了です。それでは両者、ポケモンを!」
「頼んだよ、ラルトス!」


タケシのコールと共に、マサトはたったひとつのモンスターボールを投げる。
光とともに現れたのは、ホウエンに多く生息するポケモンラルトスであった。


「そのラルトス…もしかして…」
「うん、あのときのラルトスだよ。トレーナーになった日に迎えに行ったんだ。僕の最初のポケモンさ!」


サトシたちがホウエンを旅していたある日、マサトは命の危機に陥っていたラルトスを助けたことがあった。
別れ際、マサトはそのラルトスと堅い約束を交わしたのだ。
“自分がトレーナーになったら迎えにいく”と。
3年の時を経て、マサトはその約束を果たしたのだ
トレーナーになるには、その地域の有識者からポケモンを貰うことが普通であるが、例外はある。
マサトこそが、その例外に該当する。
彼のラルトスは、レベルこそ高くはないものの、マサトに非常になついているらしく、ボールから出てからもマサトの方へと振り向き、笑顔を見せている。


「最初のポケモンか。なら俺も最初のポケモンでバトルといくか! ピカチュウ、きみにきめた!」
「ピッカ!!」


肩から飛び降り、ピカチュウはその小さな電気袋から電流を流し、やる気に満ちた表情を見せている。
ピカチュウはサトシにとって最初のポケモンであり、最も信頼するポケモンでもある。
そんな最高の相棒で、サトシは自分とバトルしようとしてくれている。
その事実が、マサトを奮起させるのだ


「それでは、バトル開始!!」


勢いよく腕をあげ、コールするタケシ。
いよいよバトルが始まった。
最初に動いたのはサトシであった。
マサトも聞き慣れたあのハスキーな声で“でんこせっか”の指示を飛ばすと、ピカチュウは目にも止まらぬ速さでラルトスへと突っ込んでいく。
構える隙を与えずにぶつかり、ラルトスは後ろへと吹き飛ばされてしまう。
あまりの早業に、マサトは何も指示を出すことが出来ない。
先制したサトシに、周囲からは感嘆の声が漏れる。
だが、サトシの攻撃はまだ終わらない。


「続いて10まんボルト!」


反動で空中に体を浮かせていたピカチュウは主人の指示を聞き、力みながら電撃を発動させる。
不安定な体勢にも関わらず、地面に伏せているラルトスへと真っ直ぐに電撃を放つ。
経験豊富なピカチュウだからこそ出来る芸当ではあるが、感心している場合ではない。
あの電撃を受ければ、ラルトスは間違いなく戦闘不能になってしまうだろう。
マサトは急いでラルトスへの最初の指示を飛ばす。


ラルトスかげぶんしん!!」


焦ったようなマサトの声を聞き、ラルトスかげぶんしんを発動させる。
沢山の影を出現させ、10まんボルトをかわすことに成功したラルトス
新人トレーナーにしては早い判断に、バトルを見ていたヒカリは驚いた。


「マサトすごいじゃない。あんなに判断が早いだなんて」
「サトシのバトルを側で見てたから、それが成長につながったのかも!マサトー!がんばれー!!」


姉の応援を背に、マサトははじめてのバトルを楽しんでいた。
これが、夢にまで見たポケモンバトル。
しかも相手はあのサトシである。
これほどまでに嬉しいことがあるだろうか。
全力でぶつかってやる!
マサトは握った拳を震わせる。


ピカチュウ、落ち着いて本物を見分けるんだ!」
「させないよ!チャームボイスだ!」


ピカチュウは耳を立てて本物のラルトスを見分けようとするが、マサトはそれを許さない。
多くの影から発動されたチャームボイスは、ピカチュウを苦しめるに十分な威力を発揮した。
素早さが命であるピカチュウの動きが止まってしまう。
それを好機とみたマサトは、次の指示を出す。


「よし今だ!ねんりき!」


ラルトスと微弱なねんりきが、ピカチュウを捉える。
青い光に包まれ、動きを封じられたピカチュウは、苦し気な声を挙げながらもがく。
しかし少しもがいただけでは、エスパータイプが繰り出すねんりきから逃れることは出来ない。
ラルトスはそのままピカチュウを吹き飛ばし、ピカチュウは床に叩きつけられてしまう。


ピカチュウ!大丈夫か!?」


心配そうに声かをかけるサトシを安心させるように、ピカチュウは勇ましい表情で立ち上がり、再び戦闘体勢をとる。
戦い慣れしたピカチュウにとって、チャームボイスもねんりきも大したダメージではない。
サトシにとっては、マサトがこれほどまでに的確に指示を出すことが出来、さらに反撃までしてきたということの方が驚きであった。
正直、新人トレーナーということもあってサトシは少々マサトを甘く見ていた。
しかし、どうやらマサトはサトシが知らない間に相当勉強していたらしい。
早い判断と的確な指示は、“ただの新人トレーナー”とは言い難い技術である。

新人とはいえ、相手は立派なトレーナー。
手加減など必要はない。
振り返り、微笑みかけてくるピカチュウに、サトシは強く頷いた。


ピカチュウ、エレキボールだ!」


勢いよくジャンプし、尻尾から黄色いエレキボールを繰り出すピカチュウ
しかし、その攻撃も再びマサトが指示したかげぶんしんでかわされてしまう。
このままでは先程のようにチャームボイスを食らってしまう。
しかし、同じ轍を踏むほど、サトシは甘くはない。


ラルトス!チャームボイスだ!」
アイアンテールでジャンプ!」


ラルトスがチャームボイスを発動させる前に、ピカチュウは鋼の尻尾を床に叩きつけ、高く高く飛び上がる。
天井近くまで飛び上がったピカチュウに驚き、ラルトスは思わず動きを止めてしまう。
マサトも、まさかピカチュウがあそこまで高く飛べるものだとは思いもよらなかったようで、上を見上げながら呆気にとられていた。
思考が停止してしまうふたり。
その隙を、サトシは見逃さなかった。


「今だピカチュウ!全ての影に10まんボルト!」


上へと飛び上がったことで全てのラルトスを視界に捉えることが出来ていたピカチュウは、その影全部に黄色い電撃を浴びせてしまう。
影は消え去り、本物のラルトスのみがその電撃に苦しむこととなる。


ラルトス!!」


マサトの悲痛な叫びが、ラルトスの耳に届く。
しかし、あの10まんボルトを食らってしまっては、もう戦うことは出来ないだろう。
バトルを見ていた観客全員がそう感じていた。
だが、その想像を裏切るように、ラルトスは未だ立っていた。
ピカチュウ渾身の電撃を浴びたにも関わらず、倒れることなくフラフラと立っている。
審判のタケシをはじめ、観客たちは驚いた。
しかし、立っているのがやっとのようで、ラルトスは体を感電させ、ボロボロの状態である。
そんなラルトスの姿にマサトは動揺し、指示が出せない。


ラルトス…‼︎」
「とどめのアイアンテール!」


サトシは畳み掛けるように指示を出し、ピカチュウは空中からラルトスに向かってアイアンテールを叩き込んだ。
埃が舞う会場にざわめく観客たち。
10まんボルトに耐えたラルトスだったが、とどめのアイアンテールには耐えることが出来ず、目を回して床に倒れていた。
ラルトスの状態を確認すると、タケシは“そこまで!”と試合を止める。


ラルトス戦闘不能ピカチュウの勝ち。よって勝者サトシ!」


勝負はピカチュウの勝利に終わった。
アイアンテールをきめ、着地したピカチュウは“ピッカ!”と気合いの入った声で鳴く。
周囲からは歓声と拍手がわき、会場は熱気に包まれた。
マサトは急いで目を回しているラルトスに駆け寄り、名前を呼びながら抱き起こす。
大きなダメージを負っているものの、ラルトスは少しだけ微笑んで小さな手をあげた。
パートナーの無事を確認し、マサトは安堵する。
一方勝利したピカチュウは、嬉しそうに尻尾を振りながら主の肩に飛び乗る。
“よくやったな”と頭を撫でられると、甲高い声で鳴き声を漏らすのだった。


「マサト、楽しいバトルだったぜ。ありがとな」


こちらに近付き、右手を差し出してくるサトシ。
チャンピオンという地位にありながら、彼は新人トレーナーである自分と同じ立場としてバトルを引き受けてくれた。
それが何より嬉しくて、マサトは満面の笑みでその右手を握り返した。


「こちらこそありがとう、サトシ。楽しかったよ!」


マサトの笑顔からは、達成感というものを感じることができた。
サトシの肩に乗っているピカチュウと、マサトに抱き抱えられたラルトスも、その小さな手でしっかりと握手をしていた。


「マサト、今日から俺たちはライバルだな」
「ライバル…?僕と、サトシが?」
「ああ!一度バトルした奴はみんなライバルだ。また今度バトルしてくれよ?」


太陽のように清々しく笑うサトシの笑顔はどこまでも眩しくて、その手を握ったまま、マサトは一瞬だけ固まってしまった。
3年前はただ見守ることしか出来なかったサトシに、ライバルだと言ってもらえた。
チャンピオンとバトルが出来たことよりも、サトシにライバルだと認めてもらえた事の方が、マサトにとっては喜ばしいものだった。
その言葉を噛みしめ、マサトは右手を強く握り返す。


「うん!そのときは負けないよ!? もっともっと強くなって、必ずサトシに勝ってみせるから!」
「おう、望むところだ!」


敗北の味を知って、人は強くなる。
マサトはきっと、これから長い時間をかけて強くなることだろう。
楽しみがまた増えた。
新たなライバルの出現に、サトシは胸を踊らせていた。


「ライバルかぁ…いいなぁ。私もライバルが欲しい」
「ユリーカにも、いつかきっといいライバルが現れるよ」


サトシのマサトのやり取りを羨ましげに見ていたユリーカの肩を、シトロンが優しく叩く。
そんな光景を、セレナは優しい眼差しで眺めていた。
久しくトライポカロンに出場していないセレナは、ライバルがいることで上を目指せるあの感覚を、すっかり忘れてしまっていた。
爽やかに笑い合うサトシとマサトを見て、何か心の奥底から沸き上がってくるものを感じる。
熱く燃え盛る闘争心のようなものが、確かにセレナの中に燻っている。

そうだ。
ライバルと戦って勝つということは、すごく楽しいことだった。
たくさんの時間をかけて、たくさん努力して、たくさん考えて、たくさん笑って、たくさん泣いて、それがひとつの勝利へと繋がっていく。
大会で優勝できたときは本当に嬉しくて、そして次も勝てるように頑張ろうと努力する。
認め合えるライバルがいて、信頼できるポケモンたちがいて、応援してくれる仲間がいて、そんな関係性の中で自分は夢を目指していた。
あの頃は、たとえ負けても次こそは…!と前を向いていられたのに。

セレナは自分の胸に手をあて、心臓の音を確かめてみる。
あたたかい。白熱したバトルを見たためか、ドクドクと煩く鼓動している。
マスタークラスで敗北してから、こんな感情を抱くことは今まで一度たりとも無かった。
セレナは忘れていたのだ。
戦うものにとって必要不可欠な、闘争心というものを。
負けることを恐れ、逃げ続けていた。
勝ちたいという気持ちがなければ、頂点になど立てない。
サトシがずっと夢を持って戦い、そして勝利できたように……。

私だって、負けてられない!

堅い握手を交わしながら会話するサトシとマサトの姿を見つめるセレナ。
彼女の表情は、明らかに先程とはうって変わっていた。
その瞳の奥に闘争心を宿した、強い目だった。

 

 

***

 

 

バトルを終えたサトシであったが、未だセレナたちのもとに来ることはなかった。
というよりも、来たくても来ることが出来ないのだ。
リーグ関係者への挨拶回りであっちへ行ったりこっちへ行ったりと、見るからに忙しそうである。
そんな様子を会場の隅で見ていたユリーカは、不満そうに頬を膨らませる。


「んもー!私もサトシとお話ししたいのにー」
「仕方ないよ。もうすぐ挨拶回りも終わるだろうし、それまで待とう」


ケーキをモグモグ食べながら、遠くで大人たちに囲まれているサトシをじっと見つめるユリーカ。
彼女の頭の上で、パートナーのデデンネも不満そうである。
このデデンネは、元々シトロンがゲットしたポケモンであったが、ユリーカが10歳を迎えたその日に譲られたのだ。
いわば、ユリーカのはじめてのポケモンである。


「ねぇユリーカ、貴女もマサトと同じで、今年からトレーナーになったのよね?どんなポケモンを持ってるの?」


不満を口にするユリーカをなだめるように、ヒカリが尋ねた。
隣で聞いていたマサトも、ユリーカのポケモンに興味があるらしく、“僕もみたい!”と駆け寄ってくる。
その場にいた全員の興味が自分に移ったことにご満悦なユリーカは、得意気な表情でひとつのモンスターボールを取り出した。
“出ておいで!”とボールを投げると、中から光と共に小さなポケモンが現れる。
フラべべである。


「あら、かわいいポケモンね」
「でしょでしょー?カスミ分かってるー!この子はね、ユリーカがはじめてゲットしたポケモンなの!」


赤い花にちょこんと乗ったフラべべは、ユリーカの手元まで飛んでくると、その頬にすりすりと擦り寄る。
フェアリータイプならではの可愛らしさに、カスミ、ハルカ、ヒカリは虜となっていた。


「ねぇねぇ、他にはいないの?」
「えっとねぇ、チゴラスがいるよ?見たい?」
「見たい見たい!」
「しょーがないなぁー。じゃあ…」


目を輝かせるマサトに“仕方かない”と言いながらも、ユリーカは嬉しそうである。
自慢のポケモンたちを見せびらかしたくて仕方がないのだろう。
カロスの化石研究所から譲り受けたチゴラス入りのボールを取り出したユリーカだったが、その手を兄のシトロンによって阻まれてしまった。


「ちょ、ちょっと待ってユリーカ!ここで見せるの!?」
「え?そうだけど…?」
チゴラスは結構大きいし、ここで見せるのはやめた方がいいんじゃないかしら?」
「えー!」


セレナも加わり、焦ってユリーカを止める。
チゴラスは進化前にも関わらず比較的大きめなポケモンで、体重もかなり重い。
そんなポケモンをこのパーティー会場で放ってしまえば、嫌でも目立つ。
場を弁えて控えるべきだが、見せる気満々だったユリーカと、見る気満々だったマサトは不満気である。


「見たかったのにー…」
「パーティーが終わって、会場の外に出たら見せてもらえばいいでしょ?ワガママ言わないの!」


ハルカの言葉に、マサトは口を尖らせながら“はぁーい”と返事をする。
そんな光景を、タケシとカスミは微笑ましく眺めたいた。
タケシはたくさんいる兄弟の長男、カスミは四人姉妹の末っ子である。
ハルカとマサト、シトロンとユリーカの、兄弟独特のやり取りを見ると、どうしても自分の姉や弟たちのことを思い出してしまうのだろう。
そんな和やか空気のなか、パーティーの主役であるサトシと相棒のピカチュウが、仲間の輪の中に近付いてきた。
最初に寄ってきたサトシに気付いたのはケンジで、彼の“お疲れサトシ”という言葉に全員が反応した。


「あー、本当に疲れたよ」
「もう挨拶回りは終わったのか?」
「なんとかな」


タケシの問いに、サトシは本当に疲れきった表情で答えた。
体力にだけは自信があったサトシではあるが、今回は大勢の大人に気を遣っていたせいか、精神的な疲れの方が大きそうだ。
見知った仲間たちに囲まれ、サトシはどこか先程よりも安堵した表情をしているよに見える。
そんなサトシに、隣に立っていたセレナが少しだけ頬を赤く染めて話しかける。


「あの、サトシ。チャンピオン就任、おめでとう」
「おう、サンキューセレナ。カロスからカントーは遠かったろ?わざわざありがとな」


久しぶりに話すサトシは、やはり昔とちっとも変わっていなかった。
ずっと憧れていた存在が、チャンピオンという大きな肩書きを手に入れても、変わらずそこにいる。
3年前と同じときめきを感じながら、セレナはサトシを見つめていた。


「……で、何の話ししてたんだ?」


自分が登場したことで話が途切れてしまったことを悪く思ったのか、サトシは話を元に戻すよう促す。
その言葉でハッとしたマサトが、今度は視線をユリーカからセレナとシトロンに移し、“二人のポケモンも見たい”と言い出した。
サトシたちと旅をしたホウエンカントー、そして地元から割りと近いジョウトシンオウポケモンたちは、マサトにとってそれなりに馴染みのあるものばかりだが、海を隔てたカロスのポケモンたちは、まだまだ知らないポケモンばかり。
トレーナーになったばかりのマサトが興味を抱くのは当然のことだろう。

マサトだけではない。
タケシ、カスミ、ケンジ、ハルカ、ヒカリも、行ったことのない地方のポケモンたちに興味津々である。
そんな彼らの期待に応えるように、セレナとシトロンは懐からモンスターボールを取り出し、そして放った。

シトロンのボールからはハリマロンホルビーが、セレナのボールからはテールナーヤンチャム、そしてニンフィアが飛び出した。
カロス地方ポケモンたちである。
見たことのないポケモンたちの登場に、その場にいた全員は驚きの声をあげる。
すぐさまケンジは“観察させてもらいます!”と何処からともなく取り出したスケッチブックでポケモンたちの絵を描きはじめる。
マサトはカロスの新人トレーナー用のポケモンハリマロンに興味があるらしく、棘を触ろうと手を伸ばす。
しかしハリマロンはそんなマサトには目もくれず、料理が並べられているテーブルの方へ一目散に駆けていった。


「うわっ!ちょっとハリマロン、何処に行くんですかー!?」
「ハハハ…ハリマロンは相変わらずだな」


急いでハリマロンの後を追うシトロン。
そんな二人の光景を見て、サトシは苦笑いを溢す。
ハリマロンはかなりの食いしん坊であり、その底知れぬ食欲は今回のパーティーでも遺憾なく発揮されている。


「へー。食いしん坊なんだね。お姉ちゃんみたい」


マサトの言葉に、またサトシは苦笑いを見せる。
“そんなこと言ってるとそのお姉ちゃんに怒られるぞ”なんて考えていたサトシだったが、どうやらその心配はなかったらしい。
当のハルカは、ヒカリと一緒にセレナのニンフィアに夢中で、こちらの会話など耳に入っていないようだった。
ハルカとヒカリは、セレナの足元で利口に座っているニンフィアの前で屈み込み、目を輝かせている。
ニンフィアがまだイーブイだった頃はひどい人見知りでセレナを悩ませていたが、ニンフィアに進化してからは随分と社交的になり、こうして知らない人に見つめられても物怖じしなくなったのだ。


「この子かわいいかもー!」
ニンフィアって言ったわよね?もしかして、イーブイの進化系?」
「ええ、そうよ!」
「やっぱり?じゃあハルカのグレイシアと同じね!」
「ハルカ、グレイシアを持ってるの?」
「うん!コンテストでは大活躍なんだから!」


ニンフィアをきっかけに、どうやらセレナ、ハルカ、ヒカリはあっという間に打ち解けてしまったようだ。
女子特有のマシンガントークが炸裂している。
コロコロと会話が移り変わる中、ヒカリがセレナに、ある提案をもたらした。


「そうだ!ねぇセレナ、さっきのパフォーマンスの話だけど、よかったら今ここで見せてもらえない?」
「へ?今!?」
「それいい考えかも!ちょうど今ならステージも空いてるし!」


ヒカリとハルカのまさかの提案に戸惑うセレナ。
確かに更衣室でパフォーマンスを見せて欲しいとは言われたものの、今ここでやれというのは少々無理がある。
現役だった二年前とは違い、今はトライポカロンの舞台から離れてしまっている。
そんな個人的な事情を、今日知り合ったばかりのハルカやヒカリに理解しろと言ったところで無理なはなしだが、セレナはどうしても、すぐに頷くことが出来ずにいた。


「し、しかし、大丈夫でしょうか?ステージを勝手に使ったりしても…」
「それなら大丈夫!俺がオーキド博士に許可もらいに行くからさ!」


渋っているセレナの様子に、なんとか助け船を出してやろうとするシトロンだったが、その好意はサトシによって脆くも粉砕されることになる。
サトシの鈍感さはこんなときに凶器と化してしまうのか、と一人シトロンは項垂れる。
が、サトシほど鈍感ではないヒカリは、セレナの様子に何か察しがついたのか、困った顔で謝ってきた。


「あ、ごめんね、無理言って。もしやり辛いならいいのよ?」
「あ、いや、そういう訳じゃ…」


言い訳を考えながら、セレナは自己嫌悪に陥っていた。
また、逃げようとしている。
パフォーマンスから、舞台上がることから。
自分も負けてられないと意気込んだはいいものの、恐いものは恐い。
けれど、本当にそれでいいのだろうか?
逃げてばかりでは何も始まらない。
一歩を踏み出さなくては。
その一歩を踏み出す勇気が、セレナには出せずにいた。


「セレナ」


そんなセレナに声をかけたのは、サトシであった。
視線を向けると、彼はいつも通りの太陽のような笑顔で親指を突き立て、こう言った。


「当たって砕けろだ!」


その言葉を聞いた途端、セレナのなかで、なにか黒いものが弾け飛ぶような音がした。
心が軽くなっていく。
胸の奥から勇気がわいてくる。
拳を握りしめれば、その手をテールナーヤンチャムニンフィアが握ってくれた。
重なりあった手から、ポケモンたちへと視線を移すと、3匹は皆、やる気に満ちた目をしている。
“やろうよセレナ”
なにも言わずとも、3匹がそう言ってくれているような気がした。
心は決まった。
セレナはポケモンたちに微笑みかけると、顔をあげる。


「ハルカ、ヒカリ。私のパフォーマンス、見てもらえる?」


決心したようなセレナの表情を見て、ハルカとヒカリは顔を見合わせて笑う。
“もちろん”と返事をする二人。
頷くセレナの瞳には、強さが滲み出ていた。


「よっしゃ!そうと決まったら…」


サトシはピカチュウを肩に乗せたまま、ステージ近くにいるオーキド博士の元へと走り去ってしまった。
どうやらステージの使用許可を貰いに行ったらしい。
オーキド博士の前に到着するなり、身ぶり手振りを加えて何やら説明している。
カロスでしか行われていないトライポカロンのパフォーマンスが見られるとあって、ハルカやヒカリだけでなく、カスミやタケシ、ケンジやマサトも喜びの表情を浮かべている。
しかしながら、セレナの事情を知るシトロンとユリーカは違った。
スランプ状態にあるセレナを心配し、戸惑いを隠せずにいる。


「セレナ、大丈夫ですか?」


シトロンが他の面々に聞こえないようにセレナに耳打ちする。
こういった気配りは、シトロンだからこそ出来るものなのかもしれない。
そんな彼に感謝しながらセレナは頷く。


「私なら大丈夫。ありがとう」


セレナの力強い表情を見て、シトロンは安心した。
どうやら自分の杞憂は無駄だったようだと。
何か吹っ切れた様子のセレナは、それまでが嘘のように強い瞳をしていた。
やがてオーキド博士と話をしていたサトシが戻ってくる。
ステージの使用許可が降りたようだった。


「セレナ、楽しんでこいよ」


サトシのそんな言葉を背に、セレナはポケモンたちと共に壇上へ上がる。
階段を一歩一歩上がっている間に、司会者から特別ゲストとしての紹介がなされている。
こんなふうに、大勢の人の前でパフォーマンスをするのは久しぶりだ。
大きな緊張がセレナを襲うが、不思議と今まで感じていた恐怖感は全く無かった。
むしろ清々しい。
ステージの真ん中に立ち、下を見下ろすと、パーティーの参加者全員の視線が自分へと注がれている。
その光景は、一年前最後に見たトライポカロンの会場と何処か似かよっていた。
しかし、もう負ける恐怖に怯えているセレナは何処にもいない。

目を閉じて、深く深呼吸する。
心を落ち着かせ、目を開くと、パフォーマーとしてのスイッチが入る。


「さぁいくよ!」


セレナの声と共に、ポケモンたちは踊り出す。
最高のパフォーマンスが、今はじまった。

 


act.3

 

ステージ上のライト全てがセレナとポケモン達を照らし出し、ホールにいるパーティー参加者全員の視線がセレナたちへと注がれる。
既に用意されていた音楽にあわせてステップを踏めば、自然と笑顔が溢れ出す。
パフォーマンスの世界から一年以上も離れていたと言うのに、不思議にも昔習得していたダンスステップは忘れずに覚えていた。
ヤシオの元で必死に練習していたあの日々は無駄ではなかったらしい。
セレナだけではなく、一緒にいるテールナーヤンチャムニンフィアもきちんとステップ踏めている。


テールナー!<かえんほうしゃ>!!」


セレナの指示に合わせ、テールナーは尻尾に突き刺した小枝から真っ赤な炎を発生させる。
リボンが巻かれた小枝から吹き出す美しい炎は、くるくると舞い踊るセレナとニンフィアの周りを彩っていく。
その間に、ヤンチャムはその身軽さを最大に生かしてバク転を披露し、セレナたちの背後へと動く。


ヤンチャム<ストーンエッジ>!」


ヤンチャムがステージの床にその小さな手をつくと、透き通った青色の岩たちが次々出現し、セレナ達を囲う。
岩の青色に、テールナーが出した炎の色が反射して、床には虹色の影が出来ている。
観客たちが思わずその床の影に注目しているうちに、いつのまにかニンフィアヤンチャムが作った岩の上へと上り、軽快に岩と岩の間を飛び回っていた。


ニンフィア、<スピードスター>、テールナー、<めざめるパワー>!」


岩の上からジャンプした上空のニンフィアと、セレナのすぐ傍で踊っていたテールナーの技がぶつかり、白く美しい光が辺りを包み込む。
技と技がぶつかり合った衝撃で突風が吹き、セレナの金髪をふわりとなびかせた。


ヤンチャム、<いわくだき>!」


視線を真っ直ぐ前に見据えながら、セレナは背後のヤンチャムへと指示を飛ばす。
するとセレナたちを囲んでいた青く美しい岩たちが、セレナのすぐ後ろのものから順に砕かれていく。
青色の岩たちは、テールナーニンフィアが作り出した白い光のアクセントとなり、ステージ上を彩っていく。
観客たちは手拍子も忘れてポカンと口を開け、セレナたちのパフォーマンスに見入ってしまっている。


「いいぞセレナー!」
「セレナかっこいいー!」
「その調子です!」


他の観客たちと同じようにパフォーマンスを見ていたサトシ、ユリーカ、シトロンは、声を張り上げてセレナに声援を送る。
3年前、四人でカロスを旅していたあの頃も、セレナがトライポカロンに出場する度にこうして3人で声を張り上げ応援していた。
長い時間が経とうと、どれだけ季節が移り変わろうと、セレナを応援してくれる仲間たちは少しも変わることはない。
どうして怯えていたのだろう?
たとえカロス中の人々がセレナのパフォーマンスを批判しても、サトシたちは変わらず応援してくれる、味方でいてくれる。
それならば、もうステージに立つことを恐れる必要なんてない。
堂々とパフォーマンスすればいい。
いつまでも応援してくれる仲間たちのために。

セレナは美しい光の中、3年前と変わらない笑顔で踊っていた。


「フィニーッシュ!」


セレナの掛け声と共に、テールナーヤンチャムニンフィアはピタリと動きを止め、パフォーマンスの終わりを飾る。
一人と3匹の息の合った動きと美しい技の応酬に、観客は盛大な拍手を贈った。
眩しすぎるほどの照明のなか、拍手と歓声を一身に受けるセレナの姿は、カロスクイーンに輝いた2年前のものと同じように堂々としていた。
先程までの激しい動きに息を切らしながら、眼下の観客を眺めるセレナの表情は晴れ晴れとしている。
全身から力が抜けていく。


*1


ステージの上で立ち尽くすセレナの右腕にテールナーが擦り寄ってくる。
ポケモンたちに視線を送ると、ヤンチャムニンフィアも満面の笑みでセレナを見上げていた。
とうやら彼女たちも、セレナと同じことを考えていたらしい。
ヤンチャムを肩に乗せ、テールナーニンフィアの頭を両手で撫でながら、セレナは観客たちに深く頭を下げた。


**********


聞きなれた着信音に反応し、ヤシオはテーブルの上の端末を手に取った。
誰からの着信だろうかとディスプレイを確認すると、そこに表示されていたのは意外な人物の名前だった。
一瞬だけ出るのを戸惑ったが、彼女には言いたいことや聞きたいことが山ほどある。
なぜ今頃になって連絡を寄越してきたのか、とりあえず問い詰めてやろうかと思い、ヤシオはその電話を取るのだった。


「………もしもし」
『お久しぶりです、ヤシオさん』


数ヵ月ぶりに聞いたその声は妙に凛としており、想像とは違った。
ソファへ腰掛け、大きな窓から外を見ながら、ヤシオは静かな声で問いかける。


「貴女の方から連絡を寄越すなんて、一体どういう風の吹き回しかしらね、セレナ」


電話の相手は、かつて自分が見出だし、そして必死に育てたパフォーマーだった。
一度はクイーンの座に就いたものの、勝利に溺れてすぐにその座を奪い返されてしまった。
それからと言うものの、彼女は連絡ひとつ寄越すことはなく、こちからコンタクトを取ろうにも全てシャットダウンされてしまう始末。
もはや彼女には未来を託せないと諦めかけていた矢先に、こんな連絡を寄越してきたセレナ。
連絡を無視し続けてきたことを謝ろうと言うのか、それとも…。


『実は、ヤシオさんに大事な話があるんです』
「なにかしら」
『………もう一度、私をパフォーマーとして指導していただけませんか?』


不思議とヤシオは全く驚くことなくセレナの言葉を聞いていた。
電話を取って、セレナの第一声を聞いたときからなんとなく言いたいことが分かっていたから。
けれど、彼女が何故このタイミングで戻ることを決意したのかは、さすがのヤシオでも察することは出来ない。
“どういうこと?”と聞いてみれば、セレナは今自分が置かれている情況、今まで抱えていた思い、これからの自分に対する考えを全て話し始めた。

現在は友人に招かれたパーティーに参加するためにカントーにいること。
どんどん先へ進んで行く友人たちを見て底知れぬ焦りを感じていたこと。
大勢の人の前に立つことで、再びパフォーマンスの楽しさを思い出せたこと。
そして、友人たちに負けたくないと強く感じたこと。
今セレナが抱える全ての思いを、通話を通してヤシオにぶつける。
対するヤシオも、そんな彼女の話しを黙って聞いていた。


『勝手なことを言っているのはわかっています。今さら戻るなんてこと…。けど、それでも私、もう一度パフォーマンスがしたいんです!カロスクイーンになりたいんです!お願いします!!』
「…………私、根性の無い子は嫌いなの」


電話の向こうで、息を呑む音がした。
否定的な事を言われる覚悟はしていたのだろう。
反論などせずに、セレナは小さく“すみません”と呟いた。
やはりだめか。
そんな彼女の心の声が聞こえてくるようだった。
しかし、ヤシオはそう簡単に輝ける素材を捨てられるほど愚かではない。


「次のマスタークラスまであと3ヶ月もないわ。これから特訓となると、今まで以上に過酷で辛い3ヶ月になる。その覚悟はあるの?」
『え?…指導してくださるんですか!?』
「質問に答えなさい。覚悟はあるの?」
『は、はい!もちろんです!』


困惑しながらもしっかりとした口調のセレナに、ヤシオは安心したように口元を緩ませる。
それでも甘く接してはいけない。
すぐに表情を真剣なものへと変え、口を開く。


「それなら、明日の夕方までにミアレにある私の事務所までいらっしゃい。3ヶ月は長いようで短いわ。すぐにレッスンを始めるわよ」
『ヤシオさん…』
「言っておくけど、一年のブランクを埋めるためにも、今まで以上に厳しくいくわよ?」
『はい!よろしくお願いします!それと、ありがとうございます!!』


電話越しに聞こえてくるセレナの声は、喜びに満ち溢れていた。
カントーでどんな景色を見てきたのかは分からないが、そこで見たものが彼女を変えたのは事実。
セレナは今、一年前に止まってしまった時間を自らの手で動かそうとしているのだ。

適当に挨拶をかわし、通話を終える。
テーブルの上に端末を置くと、ソファから立ち上がり、大きな窓へと近付いていく。
ここはミアレにある高層マンション。ヤシオの自宅である。
窓から外を見下ろすと、眼下に広がるのはミアレシティの夜景。
ネオンに彩られたプリズムタワーの向こうには、大きなミアレスタジアムが見える。
かつてカロスリーグが開催されていたあの場所で、3か月後にマスタークラスが開かれる。
いずれ戦場になるスタジアムを眺めながら、ヤシオは小さく微笑んだ。


「面白いことになりそうよ、エル」

 

 

***

 


通話終了の画面をタッチし、端末を閉じると、セレナは大きく深呼吸をした。
一人、ホールの外で電話をしていた彼女の周りに人はおらず、夜の涼しい空気の中、ただ一人でたたずんでいる。
背後にあるホールからは、パーティーの華やかなBGMが漏れ聞こえていた。
しかし、そんなBGMとは対照的に、セレナの心は静かに澄み渡っている。
まるで先程までのざわめきが嘘のようだ。
もちろん、不安が無いわけではない。
また負けてしまうかもしれない。
それでも、一度覚悟を決めた以上は引き下がれない。
それに、もうセレナは気づいているのだ。
パフォーマーにとって、一番大切なことは何なのか。


「ピーカ?」


可愛らしい声がして振り返る。
そこにいたのは見慣れた黄色い彼。
何故ここにいるのだろうと疑問を抱くが、その答えはすぐに求められた。
ピカチュウの後ろから、彼の主でありこのパーティーの主役でもあるサトシが現れたのだ。
まさかピカチュウだけでなくサトシまでやって来るとは思わず、セレナの心臓は急激に高鳴る。


「あれ、セレナ?こんなところでなにやってんだ?」
「あ、えっと、ちょっと人当たりしちゃって。サトシこそどうしたの?こんなところにいて平気?」


まだパーティーは終わっていない。
主役が外に出てきてしまっていいのだろうか。
正装のまま現れたサトシの姿からみて、帰ろうとしているのではないということが分かる。
肩に飛び乗ってきたピカチュウを撫でながら、彼はセレナに近づいてくる。


「知らない大人とばっかり喋ってて疲れちゃってさ、ちょっと抜け出してきた。話したい人と全然話せなくて困ったよ」
「話したい人って…」
「せっかく俺の旅の仲間たちが皆来てくれてるんだから、その皆と話したいだろ?」


サトシが話したい人とは一体誰なのだろう?もしかして…なんて都合のいい妄想を一瞬だけでもしてしまった自分に、セレナは呆れてしまう。
彼の言う話したい人とは、過去に彼と共に旅をした仲間たちの事であり、自分の事だけではない。
少しだけガッカリした気分になったものの、その仲間たち=自分も含まれているわけで。
そう考えると少しだけ嬉しい気分になれた。

サトシはセレナの横に並ぶと、彼女と同じように夜の星空を見上げる。
何を考えているのだろうかとサトシを横目で盗み見るセレナ。
最後に見たときよりもちょっぴり大人っぽくなったサトシの横顔に、セレナは胸のときめきを隠せずにいた。
黒ベースに青いラインが入ったタキシードに身を包んだサトシは、実年齢よりも上に見える。
控えめに言って物凄く格好いいサトシが横にいる。
それだけでセレナは幸せを感じてしまう。


「さっきのパフォーマンス、すげぇ良かったよ。綺麗だった」
「本当?」
「ああ!セレナは凄いよ。あの一瞬で見てる人全員を笑顔にさせたんだから。セレナのパフォーマンスは、見てる人を楽しくさせるんだ」


サトシのその言葉に、セレナは驚いたように目を見開いた。
そして次に、慈しむように目を細める。
サトシ本人はきっと何気なく言った言葉だったのだろうが、その言葉はセレナの胸に深く響いた。


「……サトシ、ありがとう」
「ん?何がだ?」
「私、忘れてた。パフォーマンスで一番大事なことは勝ち負けじゃない。見ている人を笑顔にさせたり、楽しい気持ちにさせることなの。それなのに私、負けることが怖くてずっと……」


今までふさぎ込んでいた自分を思い出し、セレナは瞳に涙を浮かばせる。
いつだったか、“セレナの笑顔は皆を幸せにする”とエルに言われたことがある。
いつだったか、“皆に与えられる存在でありたい”と考えたことがある。
負けることを恐れる顔をしていると、人に幸せを与えることなどできない。
それをサトシは思い出させてくれた。
ようやくいつもの調子が戻ったセレナに向き合い、サトシはにこやかに笑う。


「俺さ、カロスでの旅ではセレナに何度も助けられた。あの時の経験があったからこそ、今俺はチャンピオンになれた。だから、今度は俺がセレナの力になりたいんだ。セレナ、俺に出来ることがあるなら言ってくれ。何でもやってやる!」
「サトシ……。それじゃあ、ひとつだけいいかな?」
「おう!なんだ?」


頬を赤らめながら人差し指を立てるセレナ。
そんな彼女に、サトシは清々しいほどの笑顔を見せてきた。
カロスでの旅で、相手から多くのものを貰ったのはセレナも同じ。
サトシの言葉や行動は、セレナにとって手本になるようなものばかりであった。
そもそも、サトシを追いかけて旅に出ていなければ、カロスクイーンという大きな夢に出会うことも無かった。
サトシには感謝してもしきれない。
それでも甘えを許してくれるなら、セレナにはどうしても叶えてほしい願いがあった。


「私、3か月後にミアレシティで開かれるマスタークラスに出るの。サトシには、是非応援しに来てほしい。サトシが来てくれれば、きっとエルさんにも勝てるのと思うの」
「なんだそんなことか!いいぜ!もちろん応援しに行く」


キリッとした表情で願いを述べるセレナに対し、サトシは笑顔で返した。
あっさりと願いを聞き届けてくれたサトシに、セレナは思わず驚いた表情を見せる。
チャンピオンになったサトシは、今までとは違い、自分一人の意思ではむやみに遠出することが出来なくなるだろう。
そのため、カントーから遠いカロスまで応援しに来てほしいというこの願いは、叶わないものだと思っていた。
しかし、サトシはあっさり了承してしまう。
その思いきりの良さが、なんだかサトシらしくて、セレナはクスッと笑顔をこぼした。


「ていうか、そんなの頼まれなくても行ってたと思うぜ?」
「本当?」
「ああ!大事な仲間の夢が実現するかもしれない瞬間なんだ。この目で見て応援しなくちゃ!な、ピカチュウ
「ピーカ!」


主人の問いかけに、黄色い相棒はその小さな手を挙げて元気良く返事をする。
適当に、無責任な言葉なんかじゃない。
サトシは本当にカロスまで応援に来るつもりのようだ。
彼に応援を頼んだのは、ただ単に精神的な支えを得るためではない。
セレナなりの背水の陣なのだ。
サトシが見ている前で、恥ずかしいパフォーマンスはできない。
そんな思いが、彼女を鼓舞させる。
3か月後、カロスクイーンとして輝いている自分を思い描き、セレナは胸を踊らせた。


「頑張れよセレナ。俺、さっきのパフォーマンス見てて思ったんだ。セレナならもう一度カロスクイーンになれるって。応援してるぜ。当たって砕けろだ!」


笑顔で拳を付き出してくるサトシ。
その表情は、3年前のエイセツジム戦後に見せた笑顔と重なって見えた。
大きな壁を乗り越え、まっすぐ前だけを見つめるあの表情。
セレナは昔から、この表情に憧れていた。
力強く“うん”と返事を返し、自分の拳をコツンとぶつける。
きっと自分も、貴方に相応しいきらめきを取り戻して見せる。
ドクドクとうるさくなり響く胸に、セレナはそう誓うのだった。

 


***

 


夜がふけ、サトシのチャンピオン就任祝賀パーティーはお開きとなった。
正装をした老若男女がゾロゾロと会場をあとにする。
帰る間際にも関わらず、大人たちは一瞬の抜かりもない。
ポケモンリーグ運営委員会副委員長だの、チャンピオンリーグ運営委員実行係だの、よくわからない肩書きをちらつかせながらサトシに挨拶してくる。
そろそろ流石に疲れてきたサトシの笑顔はひきつっている。
身内以外の来賓はパッと見全員帰ったところで、サトシと相棒のピカチュウはようやく肩の力が抜けたらしく、大きなため息をついた。


「それじゃあサトシ、ワシらも帰るぞ」


ホールの外で来賓を見送っていたサトシの背後から、オーキド博士が声をかけてきた。
振り返ると、そこにはサトシの母であるハナコも隣に立っていた。
パーティーであるから当然ではあるが、オーキド博士は珍しくスーツを着用している。
仕事着である白衣姿しか見たことが無かったため、博士であるという認識が少しだけ遅れる。


「もう帰るのか」
「研究所のポケモンたちを丸一日放っておくことは出来んからのう」
「ママも帰るわね。サトシ、これから忙しくなると思うけど、きちんと食事を採るのよ?あと寝る前にはきちんと歯を磨くこと。湯船には3分以上浸かりなさいよ?それと…」
「わ、わかったわかった。もう子供じゃないんだからわかってるって母さん」


母親独特の世話焼き精神に困り顔なサトシ。
そんなサトシの言葉に、背後からカスミがニヤニヤと笑みを浮かべながら“母さん?”と呟いた。
ムッとした表情で後ろの彼女を睨み付けると、即座に視線を逸らされてしまった。
心配事が滝のように口から溢れてくる母を適当にあしらうと、母と博士はようやくホールを後にした。
博士は最後に、いつのまにかサトシの隣に並んでいたケンジに“サトシをよろしく”と言って手を振っていた。

晴れてチャンピオンになったサトシは、チャンピオンリーグ運営委員会の一員となる。
そんなサトシのスケジュール管理を任されたのが、長く彼の手助けをしていたオーキド博士である。
しかしながら、博士は名誉あるポケモン研究家。
自らの忙しさを考え、博士は助手であるケンジにサトシの事を一任したのだ。
ある意味、サトシのマネージャーに抜擢されたケンジは、いつも以上の張り切りを見せていた。
“お任せを!”と元気良く返事をしたケンジは、ポケットから端末を取りだし、何処かに電話をかけながらホールへ戻っていってしまった。


「あんた、少しは大人になったわね」
「は?」


のっそりと背後から顔を覗き込んできたカスミの顔は、先程と同じくニヤついていた。
その横から苦笑いを浮かべているタケシの姿がある。


「なんだよ、“大人になった”って」
「言葉のまんまよ」
「そりゃあもう13だしな。呼び方くらい変わるよな、サトシ」


カスミとタケシに盛大にからかわれているような気がして、サトシはむくれる。
思い返せば、3年前からいつも彼らにはいい様に言われっぱなしだ。
けれども新人トレーナー時代を世話になった恩と長い付き合いから生まれる情によって、二人に本気の反発をする気にはなれない。
何かしらの難癖をつけられたとしても、兄姉とも呼べる二人に対してはただむくれて睨み付けるしか対抗手段がないのだ。


「サトシー!私たちも帰るね」


先程までの纏っていたドレスから見慣れた普段着に着替え直したハルカとヒカリが、ホールの中から外へ出てきた。
二人とも地元であるホウエンシンオウへ帰るそうだ。
このカントーならば、列車に乗れば数時間でたどり着く。
今の時間なら、ヤマブキシティから出ているホウエンシンオウ行きの列車に間に合うだろう。


「二人とも気を付けて帰れよ?ハルカはマサトがいるから平気だとは思うけど、ヒカリは一人だし、迷うなよ?」
「だいじょーぶ!いざとなればポッチャマもついてるしね!」
「ヒカリの大丈夫は大丈夫じゃないからなぁ」


ヒカリのサトシに対する文句と共に、周囲からは笑いが起こる。
すると後ろのホールから、“お待たせー!”と少年の声がした。
どうやら正装に慣れていないマサトが着替えに手間取っていたらしい。
眼鏡を直しながら足取り軽やかにホール外の階段を降り、サトシたちのもとに駆け寄ってきた。
彼もまた、姉のハルカと共にホウエンへ帰るのだろう。


「マサト、お前も気を付けてな」
「うん!サトシ、僕、これからホウエンだけじゃなく、カントージョウトにも足を伸ばして旅しようと思うんだ。次に会うときにはもっと強くなってるから、その時はまたバトルしてくれる?」


キラキラと輝く瞳を眼鏡越しに向けてくるマサト。
興奮と闘争心を孕んだ目だ。
サトシがチャンピオンリーグを勝ち抜き、四天王を勝ち抜いていく度、周囲のトレーナーが彼に向ける視線は闘争心から羨望へと変わっていった。
妙に居心地の悪いその視線が嫌だった。
だからこそ、素直に闘争心をぶつけてきたマサトの視線が嬉しくて、なんとなく笑顔になれる。


「ああもちろん!その時を楽しみにしてるぜ!」


サトシの言葉に満足したように笑うと、マサトはハルカ、ヒカリと共にホールを後にした。
いつかまた、マサトと戦うときが来るだろう。
それは公式戦か、はたまた野試合なのかは分からない。
けれど、楽しみであることには変わりない。
そのときのために、自分はもっともっと強くならなければならない。
マサトに不甲斐ないバトルは提供できないのだから。
未来のマサトとのバトルに思いを馳せていたサトシの背中を、突然強い力で叩く手があった。
その大きな衝撃でサトシは体をよろめかせ、肩に乗っていたピカチュウは落ちて地面になんとか着地した。


「あ、ごめんねピカチュウ
「俺に謝罪はなしかよアイリス」
「なによ、これくらいで怒んないでよ。まったく子供ね」


先程のカスミの言葉とは真逆の事を言われ、サトシは思わずぷっと吹き出した。
イッシュで一緒に旅した彼女は、3年前から変わらないらしい。
昔は少しばかり鬱陶しく感じることもあったが、今になってみれば彼女の“子供ね”が嬉しく思えてしまう。
チャンピオンという大きすぎる肩書きを手に入れてしまい、サトシ自身、少しだけ違和感を感じていたのだ。

自分はまだ子供だ。
自分はなにも変わらない。
チャンピオンになろうとも、自分は自分なのだ。
頂点に立った瞬間声色を変える大人たちのように、かつての仲間たちも、大きな肩書きを背負ったサトシに距離を作ってしまうのではないかと、どこかで不安だった。
しかし、どうやらそれはただの杞憂に終わったようだ。
アイリスだけではない。
かつての仲間全員が、大人になってしまったサトシを子供として接してくれる。
彼らにある距離感はなにも変わらない。


「サトシ、僕たちも帰るよ。このパーティーは本当に楽しいテイストだった。君にもお礼を言うよ」


アイリスの背後からデントが顔を出す。
色々なカテゴリのソムリエを自称するデントにとって、今回のパーティーはきっと相当刺激的なものであったに違いない。
強いトレーナーに強いポケモン、そして美味な料理の数々は、例えデントでなくても興奮を覚えることだろう。
ただ、ここで重要なのは彼がこのパーティーで何を感じたのかではない。
帰る、という彼らが一体どうやって帰るのかということ。
イッシュ出身であるアイリスとデントだが、この時間はイッシュ行きの飛行機はもう無い。
帰るアテなどほとんど無いというのに、どんな手段を使って帰るつもりなのかとサトシが問えば、アイリスが嬉々として答えてくれた。
どうやら彼らはこのパーティーに参加する前から、ジョウトのジムリーダーであるイブキの元に宿泊していたらしい。
ジョウトへと戻るならば列車に乗ればすぐに着く。
ならばこれから列車に乗るのかとまた問えば、再びアイリスがモンスターボールを片手に嬉々として答えてくれた。


「この子に乗って帰るのよ。出ておいで!」


夜空にむけてボールを投げれば、白い光と共に大きなドラゴンが姿を現す。
大きな咆哮が、サトシだけでなく周囲の人間すべての耳を驚かす。
つよいポケモンとして有名なカイリューの登場に、傍にいたカスミとタケシは驚いた。


カイリューか。良く育てられているな」
「ほんとね」


アイリスとデントはカイリューの背によじ登ると、サトシに手を振る。
大きな翼を羽ばたかせ、カイリューは夜空へと飛び立つ。
派手に飛んでいくカイリューは見事に周囲の注目の的である。


「じゃあねサトシー!」
「元気で!」


まさかカイリューに乗って帰るなんて…。
そんな驚きの表情を隠せないまま、戸惑いつつ手を振るサトシ。
あんなところはアイリスもデントも変わっていないな、なんてことを考え、肩に乗り直してきたピカチュウと顔を見合わせる。
私服に着替え直していたサトシは、被っていた赤い帽子が飛ばされないように押さえながら、皆が去っていった方向をじっと見つめていた。
少しだけ寂しそうな表情で。


「サトシ、俺とカスミももう行くよ」
「えぇ!?二人まで行っちゃうのか!?」
「ピーカ…?」


サトシだけでなく、ピカチュウまでもが寂しさと驚きを感じさせる声を出す。
素直すぎる彼らの反応に、カスミもタケシも思わず苦笑いを溢す。
おいおい、大人になったんじゃなかったのか?
などどいうタケシの心の呟きはサトシに届くわけもない。


「うちのジム、明日の朝にチャレンジの予約が入ってるから、今日中に帰らなくちゃ」
「俺も明日には患者さんが来るからな」


サトシが各地方のジムに挑戦していた3年前に比べ、ポケモンリーグの仕組みは大きく変わっていた。
直にジムを訪ねてその場でバトルをし、勝利すればバッチを貰い、一定の数を集めて特定の場所で開催されるリーグに出場する。
これが昔のポケモンリーグの仕組みであった。
しかし最近は、ジムリーダーの負担部分を考え、ジムに挑戦するトレーナーはあらかじめ連絡して予約を入れなければならなくなった。
おかげでジムリーダーにとっては楽になったと言えるが、トレーナーにとってはひとつ手間が増えたとも言える。
前々から“最近のトレーナーは大変そうだな”と他人事ながらに考えていたサトシであったが、身内であるカスミがこの新制度の恩恵を受けられているのならばそれでいいのかもしれない。

一方のタケシはというと、3年前からポケモンドクターを志し、長い間見習いとして奮闘してきた。
そんな彼だったが、数ヵ月前からその見習い期間を終え、やっと自分の診療所を持てるようになったのだ。
とはいっても、決して大きなものではなく、田舎にある小さな診療所で、タケシ一人で切り盛りしているそうである。
自分の診療所を大きくするために、タケシが大いに努力していることは、サトシもよく知っている。
自分の道をきちんと進もうと精進しているタケシとカスミを引き留めることは出来ない。
寂しさを感じながらも、サトシは小さく頷いた。


「サトシ、シゲルの言う通り、お前の道はまだまだこれからだ。頑張れよ」
「調子に乗るんじゃないわよ?初心忘るべからず、なんだからね!」
「分かってるって!…ほら、早く行けよ」
「ピカピ…?」


二人から目を逸らし、消え入りそうな声で言うサトシ。
様子がおかしい親友に、ピカチュウは少し戸惑っているようだった。
帽子を深く被っているため、その表情は伺い知れない。
しかし、タケシもカスミも、彼が帽子の下でどんな表情を隠しているのかはなんとなく察しがついていた。
彼が今、どんな感情を抱えているのかも。

じゃあなサトシ。
元気でね。
そう言う二人の笑顔を、サトシは直視出来なかった。
今二人の顔を見てしまったら、きっと言わなくてもいいことを言ってしまうから。


「あいつ、やっぱりなんも変わってなかったかも」
「だな」


振り返ることなくホールを去っていく二人は、穏やかな表情で言った。
もう一生会えなくなるわけでもないのに、あんな顔をするなんて、あいつはどうやらどうしようもないくらい不安を感じているらしい。
そういえば、ジョウトでの旅を終えて別れるときも、あいつはあんな顔をしていた。
新しい環境に身を置くことが楽しみで、それでいて不安で、慣れ親しんだ環境に別れを告げるのが寂しくて、それでもまだ見ぬ未来の環境への好奇心を抑えきれなくて。
そんな複雑な感情が、サトシの表情と言葉から感じ取れる。
表情ひとつで、言葉ひとつでそれを察してしまうほどに、タケシとカスミはサトシを分かりきっていた。

夜の闇に消えていく二人の姿を見つめるサトシの背は、妙に小さく見えた。
あんな空気を纏ったサトシを、セレナたちは知らない。
いつも堂々と前を向き続けていたサトシが、哀愁を漂わせて未練を感じ取らせている。
シトロンとユリーカも、セレナと同じことを思っていたらしく、3人で顔を見合わせる。
やがてシトロンが“サトシ”と声をかけると、当の本人は勢いよく振り返る。
こちらを見つめてくるサトシの瞳は、何故か数時間前に比べて力無いものになっていた。


「僕たちは……」
「シトロンたちも、帰るのか……?」


シトロンの言葉を遮るように、サトシは恐る恐るといった感じで聞いてきた。
その声色と表情で、セレナは彼の心情にようやく察しがついた。
不安なのだ。
ただ単に仲間と別れるのが寂しいわけではない。
きっと、これから新しい環境に足を突っ込んでいく自分と、もう仲間の支えが無くなっていく感覚への不安。
サトシの訴えかけるような瞳に、3人は笑みを浮かべた。


「いいえ、僕たちは帰りません。もうカロス行きの最終便は出てしまいましたから」
「え、それじゃあ…」
「お兄ちゃんがね、このヤマブキシティのホテルに予約入れておいてくれたの!私たち3人はそこに泊まるんだよ!」


ユリーカの言葉に、サトシは表情をパッと明るくさせた。
事前に知らされていたパーティーの終了時刻からみて、その日のうちにカロスへ戻るのは不可能だと考え、シトロンはヤマブキシティにて宿泊することを選んだ。
カロスへ帰るのは明日の朝になるだろう。
それを聞いて、サトシは先程までの落ち込みようがウソのように目を輝かせて3人に近付いてきた。


「そうなのか!実は俺も明日近くで取材があるからヤマブキに泊まるんだよ!! そのホテルってどこ!? ここらか近いのか!?」
「えっと、近いと思いますよ?たしかホテルの名前はヤマブキプリンスホテルで…」
「ヤマブキプリンスホテル!? 俺もそこに泊まるんだよ!」
「え!? そうなんですか?」
「やったー!サトシとおんなじトコに泊まるんだね!? やったねセレナ!」


満面の笑みで視線を向けてくるユリーカに、何の迷いもなく“うん!”と返すセレナ。
もう少しだけ、サトシと一緒にいられる。
そう思うと嬉しくて仕方がなかった。
その気持ちは、サトシもほとんど変わらないようで、年相応の胸踊るような笑顔を浮かべている。


「それじゃあ、サトシと一緒に送っていこうか?」


言いながら登場したのはケンジであった。
片手に携帯端末を持ちながら、ホール外の階段を降りて近付いてくる。
それとほぼ同時に、ケンジが現れた反対側の道路に車が路肩停車した。
シトロン、セレナ、ユリーカはその車を見て息を呑む。
なにせ見たこともないような高そうな車。
リムジンが停まっていたからである。
驚きを隠せない3人を尻目に、ケンジはその車に近付き、後部座席の扉を開ける。


「さ、乗って」


驚いて目を見開いたまま、3人はゆっくりとサトシの方に視線を向ける。
当のサトシは、なんとなく気まずそうな苦笑いを浮かべていた。

 

 

***

 


「明日は朝9時からヤマブキ通信出版さんの取材。所要時間は二時間程度らしいけど、僕は昼過ぎから合流予定だから一人で行ってもらえる?ホテル前に車だけ寄越すから寝坊しないようにね。そのあと適当に昼食をとってからセキエイ高原に向かってカントーリーグ運営委員に挨拶回り。夕方にはチャンピオンリーグ実行委員会会長に挨拶。夜はトキワシティに移動して四天王との顔合わせ。宿はトキワシティのホテルでとってあるからね。ワタルさんとの引き継ぎが明後日にあるから今日渡された書類は絶対無くさないこと。あと明日の昼までには君のポケモンをオーキド研究所からカントーリーグ運営委員会の研究施設に送るから、トレーナーIDを僕の端末に送ってね。それは明日の朝イチで頼むよ?ああそれとホウエンのダイゴさんから祝電届いてるから返事だしとくんだよ?ジムリーダー連中にも挨拶回りしないといけないから暫くマサラには帰れないと思うけど体調崩さないようにね。特にピカチュウの体調管理には気を付けるように。わかった?」
「………へーい」


スケジュール帳のようなものに目を通しながら一息に言い切るケンジに、サトシはうんざり顔で返事をした。
リムジンに揺られながら、窓に頬杖をつき、外の景色を眺めながらため息をつくサトシの表情は、今まで見たことがないくらい退屈そうなものである。
なるほどこれは息が詰まる。
彼が仲間たちと別れたがらなかった理由がなんとなくわかる。
息抜きがしたかったと言うのも理由のひとつなのだろう。

チャンピオンになった途端に忙しくなったサトシに、シトロンやユリーカからは同情の視線が集まる。
セレナに関しては、悲しげな目を向けている始末。
いたたまれない空気のなか、ユリーカのデデンネだけは呑気に寝息を立てていた。
そんなデデンネを視界に捉え、ピカチュウは苦笑いを溢した。


「あの、サトシ。さっきのお願いなんだけど、サトシ忙しそうだし、無理なら……」
「大丈夫。何があっても絶対マスタークラスには応援にいく。約束だ」


グッと親指を立てて笑うサトシは、先程の退屈顔を一瞬で消し去っていた。
サトシの忙しさ加減を目の当たりにして、申し訳なさを感じてしまうセレナであったが、無理をしてでも絶対に行くと言い切ってくれたサトシの言葉がどうしても嬉しい。
それ以上遠慮するだけの勇気は、セレナには備わっていない。
ただただ頬を赤くして押し黙り、小さくお礼をするだけに留まった。


「え、どゆこと?マスタークラスって何?」
「どうゆうって、あれだろ? トライポカロンの…」
「サトシ!そーゆーことじゃなくて!もしかしてセレナ、次のマスタークラスに出るの?」


目を丸くして聞いてくるユリーカ。
その瞳は驚きと好奇心に溢れかえっていた。
少々恥じらいながら肯定すると、ユリーカとその隣に座っているシトロンは顔を見合わせる。
その後セレナに向けられた二人の表情には、面白いくらいの違いが現れた。
ユリーカは興奮したように目を輝かせている。
対するシトロンは、ただただ驚きを隠せないようだった。


「そうなんだ!ねぇねぇ、そのマスタークラスっていつなの?」
「3か月後よ。それまで、ヤシオさんのところで特訓するの」
「3か月後かぁ。お兄ちゃん!私たちも行こうよ!セレナの応援!!」
「そうですね。セレナ、僕たちも応援しに行っても構わないでしょうか?」


驚きの表情を崩し、眼鏡を直しながらにこやかに聞いてくるシトロンの言葉に、セレナは一瞬だけ目を潤ませた。
沸き上がってくる喜びを抑えきれない。
応援してくれるのは、味方でいてくれるのはサトシだけじゃない。
シトロンもユリーカも、セレナにとっては心強い存在である。
彼らがいてくれるだけで、もう負ける気がしない。
自然と勇気が湧いてくるのだ。


「もちろんよ!シトロン、ユリーカ、ありがとう!」


今日一番の笑顔を見せたセレナに、シトロンとユリーカは微笑みを返す。
そんな3人のやり取りを見て、疲れきっていたサトシも穏やかな笑顔を浮かべる。
居心地がいい。
無意識にそんなことを考えてしまっていた。


**********


「それじゃあシトロンたち、サトシをよろしく頼むよ」


サトシたち四人を車から下ろすと、ケンジは助手席から顔を覗かせて言う。
そして四人を乗せてきた車は、そのままUターンで帰っていった。
四人が降りた場所はヤマブキシティプリンスホテル前。
彼らが宿泊するホテルである。
ここはこのヤマブキシティ、いやカントーにあるホテルの中でも群を抜いて大きいもので、知名度も抜群。
チャンピオンが泊まるには申し分ない場所なのだ。
このホテルを押さえたシトロン自身、よくこんないいホテルを押さえられたなと自分を誉めたいところである。
さて勇んでホテルの自動ドアに突入すると、中にいたボーイたちが深々と頭を下げて歓迎してくれた。


「お待ちしておりました。サトシ様」


エントランスを潜り、フロントへ向かえば、再びボーイが深々と頭を下げる。
名乗らずとも誰なのか把握されているあたり、さすがはチャンピオンとも言えよう。
サトシの姿を見るなり、フロントマンはそそくさとチェックインの準備を始めてしまう。
サトシの後ろでその光景をひっそりと眺めているセレナたちには視界にすら入っていないようだった。
やがて、一枚のカードキーが手渡される。


「最上階のスイートルームにございます」


フロントマンの一言に、サトシよりも背後のセレナたちが驚いた。
セレナ、シトロン、ユリーカが声を合わせて“スイートルーム!?”と聞き返し、静かだったフロントの視線を独占する。
ヤマブキプリンスホテルのスイートルームとえば、絢爛豪華で値の張る部屋であることは有名。
そんな部屋を宛がわれたサトシ本人は、小さなカードキーを片手に苦い顔をしている。


「サトシすごいね!スイートルームなんて。さっすがチャンピオン!!」
「あ、あぁ……」


素直に凄いと感心してくるユリーカの言葉にも、サトシはどうやらあまり喜んでいないようだ。
そんなサトシたちを尻目に、シトロンはフロントに近寄り、ボーイの何かを話している。
どうやら自分達の予約確認をしているようだった。


ミアレシティのシトロン樣ですね? 4階の415号室になります」


シトロンが手渡されたカードキーを、セレナとユリーカは覗き込む。
サトシが持っているスイートルームのカードキーと比べて、シトロンのものは作りがシンプルで、明らかに見劣りするものだった。


「私たちは普通の部屋なんだね、お兄ちゃん」
「当たり前だろ?スイートルームなんて、そんな贅沢できないよ」


ユリーカもまだまだ子供ではあるが、もう物事の分別がつかないような歳ではない。
ここで不満を言うのは間違っていると分かっていながらも、少しだけ残念そうである。
この格式高いヤマブキプリンスホテルに宿泊できるだけでも鼻が高いと言うものなのだから、それだけで満足するべきなのだろうが、やはり隣にスイートルームのカードキーがあるという状況では、羨望の意を抑えられそうにない。
そんなユリーカと、シトロンのカードキー、そして自分のカードキーを見比べて、サトシは“じゃあ…”と呟いた。


「俺の部屋で一緒に一緒に泊まらないか? せっかく同じホテルなのに別々の部屋ってのも寂しいし」
「え?いや、しかし…」
「ボーイさん!こっちの部屋をキャンセルして、全員俺のスイートに移すことって出来ますか?」


答えを渋るシトロンからカードキーをひったくるり、カウンターの上に置くと、サトシはフロントマンに問いかける。
フロントマンもまさかの要望に一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに営業スマイルを取り戻し、“もちろん”と答えた。
カウンターに置かれたシトロンのカードキーを回収すると、なにやら書類を取り出して熱心に書き込んでいる。
きっと宿泊人数を訂正でもしているのだろう。


「サトシ、本当にいいんですか!? せっかくサトシのためだけに用意された部屋だったのに」
「だって、スイートルームってメチャクチャ広いんだろ? そんな部屋俺とピカチュウだけで使ってたら勿体ないし。それに、皆で泊まった方が楽しいだろ?」
「サトシ…」
「うわーい!スイートルームだぁ!私スイートルーム泊まるの初めてーっ!」


サトシの粋な計らいに喜ぶユリーカ。
そんな彼女を微笑ましく見守っていたセレナだったが、実のところセレナ自身も内心は喜び溢れて仕方がなかった。
こんな豪華なホテルの、しかもスイートルームに一泊できるだなんて、まさに夢心地。
パーティーやパフォーマンスのこともあるが、今日のサトシには感謝してきもしきれないものを貰っている。
さて当のサトシは、カードキーを片手に持ち、隣のシトロンの首に腕を回して笑いあっている。
その光景は、3年前共にカロスを旅していたあの頃のものと重なって見えた。


「よっしゃ。じゃあ早速行くぞー!」


割り振られた部屋に向かおうと歩を進めたその時、フロントマンに“お待ちください”と呼び止められた。
何かと振り向けば、彼はフロントの棚をごそごそと探り、あるものを取り出した。
どうやらそれは花束のようである。
数十本の青い薔薇が束ねられた美しい花束は、フロントマンの手からサトシへと受け渡される。


「………これは?」
「先程のサトシ様宛に贈られてきたものです。差出人の名前がないので、誰からの物かは分かりませんが…」


花にはあまり詳しくないサトシの目にも、この薔薇は非常に美しく映っていた。
薔薇を抱えたまま、サトシ一行はスイートルームへ向けてエレベーターに乗る。
少し大きめな作りのエレベーター内には、サトシたち以外の客は乗っていなかった。
全員が乗り込んだのを確認し、最上階のボタンを押そうと手を伸ばすユリーカだったが、一番上に鎮座する最上階ボタンには手が届きそうにない。
それを察したセレナが、ユリーカの頭をポンポンと撫で、代わりにボタンを押した。

動き出したエレベーターは、どんどん上へ昇っていく。
扉とは反対側の背後はガラス張りになっており、外の夜景を見ることが出来る。
ピカチュウデデンネは揃ってガラスにひっつき、夜景に見とれている。
そんなポケモンたちとは逆に、サトシは抱えている花束を怪訝な顔で見つめている。


「これ、いったい誰が贈ってくれたんだろう」
「差出人の名前が無いって言ってましたね? サトシのファンからでしょうか…」


シトロンが言った“ファン”という言葉に、サトシは妙なむず痒さを覚えてしまう。
なりたてとはいえチャンピオンになったサトシにファンが出来るのは、何も不自然な事ではない。
けれど、例え相手が誰であれ、差出人の名前が無いというのは不思議なもので、誰からなのか知りたくなるのは当たり前である。


「ねぇ、これってメッセージカードじゃない?」


花束の包装の間に挟まっていた白いカードを、ユリーカが指差した。
サトシがそのカードを引き抜き、開いて中を見てみるが、そこには何も書いておらず、白紙の状態であった。
一文字も記されていない白いメッセージを見て、サトシだけでなく、シトロンやセレナも首をかしげる

何も書かないのなら、わざわざこんなカードを挟んでおく必要などないはずなのに。
何か仕掛けが有るのだろうかと、サトシは何気なくカードを持ち上げて見上げる。
すると、エレベーターの証明に照らされて、何やら文字が浮かんできた。
どうやら明かりに照らすと文字が浮かび上がる仕組みのカードだったらしい。
浮かび上がってきたたった一文字のマークに、サトシたちは驚愕の表情を見せた。


「これって……」
「嘘…」


浮かび上がってきたのは、赤紫色に彩られた『R』の文字。
サトシたち四人がその文字から連想するものは一致していた。
どうやらこの花束をホテルに贈ってきたのは彼らのようである。
信じられないと言った表情をしているシトロン、セレナ、ユリーカに対し、サトシはその口元に笑みを浮かべていた。
彼らとは随分長い付き合いである。
敵同士とはいえ、サトシが新人トレーナーの頃からの腐れ縁が続いている彼らなりの小さな思いやりなのかもしれない。


「青い薔薇を贈ってくるなんて、あの人たちも随分粋なことするのね」
「どういうことだ?」
「知らない?青い薔薇の花言葉


薔薇の品種は数あれど、青い薔薇というものは数年前まで存在しなかったようだ。
しかし近年、とある企業が青い薔薇を完成させ、不可能と思われた夢を実現することが出来たのだ。
そして、完成した青い薔薇につけられた花言葉は━━━


「夢叶う」


セレナの言葉に、サトシだけでなくシトロンとユリーカの顔からも、笑顔が溢れる。
彼らがこの花言葉について知っていたのかは分からない。
けれど、この薔薇と花言葉に込められた彼らのメッセージは、きちんとサトシに伝わっている。
いつのまにか自分の肩に飛び乗ってきたピカチュウの頭を撫でながら、サトシは“宝物が増えたな”と笑うのだった。

 


***

 


その部屋の扉は他の部屋のものと比べ、いささか豪華なものであった。
ドアノブ近くに設置してある電子機器にカードキーを通すと、電子音と共に鍵が開く音がする。
サトシが扉を押し開ければ、暖かい照明の光が視界いっぱいに広がる。
この部屋を割り当てられた張本人であるサトシよりも先に、背後にいたユリーカが驚愕の声をあげた。
ドアノブを掴んだままのサトシの腕の下を通り、足早に部屋の中へと駆けていく。
ヤマブキシティの夜景が一望できる窓に張り付き、デデンネと一緒に目を駆けて輝かせている。
女性というものは、夜景や夕焼けなど、綺麗な景色が好きな生き物であるようで、セレナも同じようにヤマブキの夜景にうっとりとしている。

そんな二人の様子を、サトシとシトロンは微笑ましく眺めていた。
それにしても大きな部屋だ。
キングサイズのベッドが2つに、明らかに高そうな二人掛けのソファが2つ。
何インチかも分からないほどの大きなテレビが1つ。
なによりこの部屋1つのスペースが馬鹿でかい。
考えれば考えるほど、自分たちには縁のない空間であり、こんな部屋に泊まる機会をくれたサトシには感謝しなければならいと、シトロンは改めて思うのだった。
当のサトシは、ベッド横の台にリュックを置き、中からモンスターボールやら何かの書類やら、様々な荷物を取り出して整理していた。


「サトシ、今日はありがとうございました。なんだか気を遣わせてしまったようで……」
「何言ってんだよ。俺たちは仲間だろう? 一人よりみんな一緒の方が楽しいだろう?」


チャンピオンという大きな肩書きを感じさせない笑顔を見せているサトシは、あの頃となんら変わらない。
そんな彼に妙な安心感を覚えるシトロンの耳に、サトシでもないユリーカでもないセレナでもない声が届く。
どうやらユリーカがテレビをつけたらしく、聞こえていたのは映っていたニュースキャスターの声だったようだ。
ニュースは今夜のチャンピオン就任祝賀パーティーの件を報道しており、サトシのバトル映像と共にキャスターが原稿を読み上げている。


「サトシすごい!有名人だね‼︎」


ベッドに座ってテレビを見つめていたユリーカが振り返り、キラキラした目で言う。
サトシはその言葉を素直に受け取り、顔を赤くして“いやぁ…”と鼻先を掻く。
サトシがチャンピオンに就任してから数日。
この短い間で、“マサラタウンのサトシ”の名前はカントー中に広く伝わっていた。
13歳でのチャンピオン就任という、比較的年少の快挙に、カントーは湧いていた。
トレーナー歴3年という短い期間の中で収めた数々の戦歴は、人々の注目を集めるには十分な材料である。
テレビやラジオ、インターネットなどのメディアを通して、サトシの人気はますます加熱することだろう。
しかしそれに比例するように、サトシのスケジュールが鬼のように埋まっていくのは変えがたい事実。
セレナにはそれが心配でならなかった。


「サトシはこれからどうするんです?」
「どうするって?」
「夢が叶ったわけでしょ?これからどうするの?」


トレーナーとしての実質的な頂点は、各地方のチャンピオンになること。
その頂点に君臨したサトシには上がない。
この状況でサトシは次に何を目指すのか。
3人はそこに強い興味を抱いていた。
サトシは、セレナの言葉に首をかしげると、横でちょこんと座っている黄色い相棒を撫でていた手を止める。


「セレナ、俺の夢はまだ叶っちゃいないぜ?」
「え?」
「チャンピオンになるのは目標だったけど、夢じゃない。俺の夢は、ポケモンマスターだ」


サトシの言葉に、3人はハッとした表情で口を噤んだ。
一緒にカロスを旅していた頃も、彼はポケモンマスターになる夢を何度も語っていた。
3人はチャンピオンになるという目先の目標ばかり目立ってしまい、本質を見落としていたらしい。
それでもサトシ本人はしっかりと本質を捉えていた。
しかしながら、ユリーカにはひとつの疑問があった。


「でもさぁ、ポケモンマスターって、具体的に一体何なの?」
「それは…うん、なんだろうな」


サトシの答えに、3人はズコッと腰を抜かした。
自分が何を目指しているのか具体的に理解していないだなんて……。
しかしながら、この世界に“ポケモンマスター”の具体的な定義は存在しない。
何をすればマスターだとか、どんな地位にいればマスターだとか、そんなことは誰もわからない。
もちろんサトシにも。
けれど、チャンピオンという地位に昇った今ならば、きっとポケモンマスターへの夢に少しだけ近づいているに違いない。
サトシはそう考えていた。


「けど、いつかなれる!なってみせる!」
「ピーカーチュ!」


ガッツポーズをきめるサトシの横で、相棒のピカチュウも一緒にガッツポーズをしてみせる。
その可愛らしい姿に、3人は笑みをこぼす。
何の根拠もない自信を語ってはいるものの、その曖昧さがむしろサトシらしい。
考えるよりまず動く。これを信条としているサトシは、マスターが一体何なのかを考えるよりも、夢に近づくようがむしゃらに動く方が性に合っているのだ。


「それで?ユリーカの方はどうなんだ?」
「え?私?」
「トレーナーになったばっかだろ? 目指すものは決まってるのか?」


ユリーカは数ヶ月前にトレーナーになったばかりである。
3年前に兄がゲットしたデデンネを譲ってもらい、トレーナー人生を歩みだした。
ポケモンを持つ者は皆夢を持っている。
胸に希望を絶やさないユリーカのことだ。
きっと既に未来を見据えているに違いない。
そんなサトシの予想は当たっていた。
ユリーカはふふんと得意げに鼻を鳴らすと、自分の夢について語ってくれた。


「私ね、ブリーダーになりたいの!」
「ブリーダー?」
「そう!可愛いポケモンいっぱいゲットして、いっぱい育てるの!でね、大人になったら育て屋もやりたいなぁーって!ねーデデンネ!」
「デネネー!」
「ブリーダーに育て屋かぁ。ユリーカらしい素敵な夢ね」


セレナの言葉に、ユリーカは照れたように笑った。
ユリーカは昔からポケモンが大好きで、サトシが新しいポケモンを手に入れるたびに世話をしたがった。
ブリーダー、そして育て屋という夢は、そんな彼女らしい夢と言えるだろう。
3年前と比べ、ユリーカは格段に成長している。
夢を語る彼女のキラキラした顔が、それを物語っていた。
ふとシトロンの方へと視線を向けると、彼は今まで見たことがないような慈しみの目をしていた。
妹の成長を喜ばしく思っているのだろう。


「でもね、私の夢、それだけじゃないの!もう1つある」
「何なの?」


ユリーカはニヤッと笑い、正面に座っている兄を指差して言った。


「お兄ちゃんとバトルして、ボルテージバッチをゲットする!」


ユリーカの意思表明にいち早く反応したのはサトシだった。
バトルのこととなると異様に燃える彼は、期待の眼差しを込めてユリーカとシトロンを交互に見つめる。
ユリーカの話によると、3年前からシトロンがいるミアレジムに挑戦することを決めていたそうだ。
ユリーカ本人だけじゃなく、隣にいるデデンネも、頬の電気袋から小さく放電しており、やる気に満ちている。


「フッフッフッ、いつかそう言ってくるとは思っていましたよ。僕もミアレジムジムリーダーとして、手加減はしませんよ」
「私だって、どれだけ時間をかけても強くなって、お兄ちゃんに勝ってみせる!」
「望むところです!」


闘志をみなぎらせる2人の兄妹。
そんな2人に熱い眼差しを向けるサトシ。
皆夢へと突き進んでいく。
この光景を見て、セレナは己をふるいたたせた。
自分も負けていられない、と。

ちょうどその時だった。
セレナが腰かけていたベッドの真横の台の上に置いてあった封筒が、パサリと音を立てて床に落ちた。
話に夢中になっているサトシ、シトロン、ユリーカはそれに気付いていないようで、視線をそちらに向けることはない。
1人だけそれに気付いたセレナは、それを拾い上げようと手を伸ばした。
封筒を拾い上げると、中に入っていた書類が殆ど外に出てしまい、セレナは焦る。
急いでその書類を拾い、封筒の中にしまおうとする。
しかし、不意に視界に入ってきてしまったとある書類を手に、セレナの手は止まってしまう。
その書類の一番上には、『トレーナー法改正とスクール建設法案について』とあった。
片方の手で持っていた封筒を裏返してみると、そこには『ポケモン協会』の印が押してあった。
封筒がもともと置いてあった台には、サトシの荷物がある。
恐らくこの封筒と書類もサトシのものだろう。
この書類が指し示す意味はなんだろうと考えていると、セレナの肩に誰かの手が置かれた。
振り返った時に視界に入ったのは、サトシであった。


「セレナも頑張れよ。当たって砕けろだ」


夢を追っているのは、サトシやユリーカだけではない。
今夜、セレナも新たなスタートをきった。
そんな彼女を、サトシは変わらぬ笑顔で激励してくれる。
頬を赤く染めながら、セレナはいつも通りの笑顔で“うん”と頷くのだった。

 


act.4

 

満月がよく見える晴れたある夜。
サトシはケンジと共にヤマブキシティの空港にいた。
ガヤガヤと大勢の人々が行き交う中、2人はその喧騒に紛れるように空港のフロアを進む。
あのパーティから3ヶ月が経過し、サトシの身の回りもだいぶ落ち着きだした今日、彼はカロスへと旅立つことになっていた。
パーティの場でセレナと交わした、“マスタークラスに応援に行く”という約束を果たすために。
カロスのミアレシティにて開催される今回のマスタークラスは、明日の昼過ぎにスタートし、夕方に終わる予定となっている。
つい先ほどまでチャンピオンとしての仕事をこなしていたサトシは、その足で空港に向かい、本日最後の便でカロスへ行くことになる。
ミアレシティに到着するのは、明日の朝方になるだろう。


「なぁケンジ、このメガネとって良いか?」
「ダメだって!変装の意味がないだろ?」


サトシは自分がかけている黒縁メガネに手をかけるが、ケンジによって止められてしまう。
3ヶ月前にチャンピオンになったばかりとはいえ、サトシはカントーだけでなく全国にその名を轟かす有名なトレーナーになっていた。
普通ならば、チャンピオンとして就任した地方のみで名前が知られるものだが、サトシの場合は例外と言える。
彼はトレーナーになって以来、様々な地方を旅し、その地方のリーグで数々の戦歴を残している。
さらに13歳という若さでチャンピオン就任したという事実は話題になり、サトシの顔と名前は様々な人に認識されるようなったのだ。

しかし、それはサトシにとって決して良いこととは言い切れない。
この3ヶ月間、外を歩けばすぐにチャンピオンだとバレてしまい、サインや写真、さらにはバトルを求められて追いかけ回される始末。
これでは私生活に支障をきたしてしまう。
そう判断したケンジは、サトシに外出時は必ず変装をするように言い聞かせた。
おかけで伊達眼鏡をつけなければならないという事態に陥ってしまった。
人目を避けて生活しなければならないこの事態に、サトシはため息をつく。

この生活に窮屈さを感じていたのは、サトシだけではない。
相棒のピカチュウも同じであった。
いつもはサトシの肩に乗っている彼であるが、今はサトシが背負っているリュックに隠れるように入っている。
リュックの中から黄色い耳とギザギザの尻尾が飛び出ているが、周囲はそれがピカチュウだとは気付いていないらしい。
ピカチュウくらいは堂々と外に出てても良いのではないかと思うサトシであったが、どうやらそれも無理な相談であるようだ。
何故なら、世間がサトシのトレードマークとして認識しているのは肩に乗っているピカチュウだから。
モンスターボールに入ることを嫌がり、主人の肩や頭に常に乗っているピカチュウなど、普通ならば珍しいもの。
ピカチュウを肩に乗せている少年=チャンピオンのサトシだという認識は、カントーの住人の常識として認識されようとしているのだ。


「変装なんてしなくても大丈夫なのに。なぁピカチュウ?」
「ピッカァ…」


背後に向かって声をかけると、ピカチュウはリュックから顔をひょこっと覗かせて返事をする。
ピカチュウもリュックの中は狭くて息苦しいようだ。
うんざり顔のサトシを見て、ケンジは思わず苦笑いをこぼす。
そして彼から視線を外し、フロアのお土産売り場に目を向ける。
カントー名物として売られているサトシグッズやピカチュウ人形を見て、やはりサトシには変装が必要だと思うケンジなのであった。


「とにかく、マスタークラスの翌日にはカントーへ帰ってくるんだよ? 雑誌のインタビューが入ってるんだからさ」
「わかってるって」


予定を空けてカロスへ行きたいというサトシの申し出を、ケンジは苦い顔で受け入れ、なんとか予定を調整してくれた。
おそらく多方面に頭を下げに行ったのだろう。
そんなケンジに、サトシは大いに感謝していた。
さてそろそろ搭乗時間だ。
ゲートへ向かわなければならない。
サトシはケンジに“じゃあ行ってくる”と手を挙げ、走り去ろうとした。
しかし、何か言い残したことがあるようで、ケンジは慌ててサトシを呼び止めた。


「サトシ!くれぐれもあのことは口外しないようにね!明日の夕方ごろに協会側からマスコミに発表する予定だから」
「おう!わかった!じゃあな!」


呼び止める自分を軽くあしらいながら去って行ったサトシに、ケンジは少将の不安を感じていた。
オーキド博士から仕事を頼まれていたケンジは、サトシと共にカロスへ行くことなく、このカントーに残ることになった。
その間、サトシは1人で行動することになるが、旅慣れしているあいつならきっと大丈夫だろう。
そう言い聞かせ、ケンジはその場を後にした。

人混みを掻き分けながら、サトシは空港の中を進んで行く。
ポケットの中にしまっていたエアチケットを取り出して時間を確認し、搭乗口を探す。
サトシがカロスへ向かうのは、あの旅以来のことだった。
3年ぶりとなるカロスに、そしてセレナのマスタークラスに心躍らせるサトシ。
そんなサトシの耳に、信じがたいアナウンスが飛び込んできた。


エアームドライン、695便、ミアレシティ行きをご利用のお客様に連絡申し上げます。前便のエンジントラブルにより、695便は現在、運転を見合わせております。ご利用のお客様には、大変ご迷惑を……》
「……おいピカチュウ、今の聞いたか?」


アナウンスを聞きながらピタッと止まっていたサトシは、リュックに隠れていたピカチュウに声をかける。
その声色は、妙に強張っていた。
ピカチュウは“まずい”といった表情で頷いた。
3秒ほど思考を停止させ、サトシは“インフォメーション”の看板を見つけるとすぐさま飛び出した。
全速力で駆けてきた少年の姿に、カウンターの女性は驚いて顔を引きつらせていた。


「あの!!この便、時間通りに出ないんですか!?」


エアチケットを取り出し、女性に見せるサトシ。
空が押し出してきたチケットには、“エアームドライン、695便、ミアレシティ行き”と書かれている。
間違いなく、先程運転見合わせのアナウンスがあった便である。
女性は申し訳なさそうに眉をひそめると、深々と頭を下げだした。


「もうしわけありませんお客様。こちらの便ですが、前便のエンジントラブルにより運転を見合わせております」
「そんな…なんとかならないんですか!?」
「振替便がございます。30分後のアローラ行きの便にご搭乗していただき、カロス行きの便に乗り換えていただければ…」
「それに乗ると、何時くらいに着くんです!?」
「明日の夕方ですね」


ニコリと微笑む女性とは対照的に、サトシはがっくりと項垂れた。
マスタークラスが始まるのは明日の昼過ぎ。
夕方はとっくに終わっている時間である。
そんな振替便を使っても意味はない。
しかしその便を使う以外に、手はなさそうだ。
サトシは女性に会釈すると、そのまま背中を丸めて去っていった。


**********


空港の建物から外へ出て、夜風に当たりながら、サトシは一人で呆然と夜空を眺めていた。
あの空の向こうにカロス地方がある。
しかし、その距離はサトシが想像している以上に遠い。
夜空を見上げながらサトシはギュッと拳を握りしめた。
“サトシが来てくれれば、エルさんにもきっと勝てると思うの”
3ヶ月前に聞いたセレナの台詞が頭をよぎる。
約束したのに。
必ず応援しに行くと約束したのに。
こんなことで約束を破ることになるなんて。
交わした約束を守れないことが、そして、明日夢を叶えるかもしれないセレナを見守ってやらないことが、サトシには悔しくてならなかった。
リュックから出て、サトシの肩に乗るピカチュウも、そんな主人に何と声をかけていいか分からず、戸惑っているようだった。


「くっそ…おれが空を飛べたら、ミアレシティまで飛んで行くのに………。ん?空を、飛ぶ……?」


サトシは先ほどの鬱々とした顔から一転、何かを思いついたような晴れ晴れとした表情へと変わっていった。
そして目を輝かせながら夜空を見上げる。


「そうだよ!飛べばいいんだよ!飛行機がダメなら、自分で飛んで行けばいいんだ!!」


サトシは腰につけた小さなモンスターボールを取り出すと、それを宙に向けて投げる。
光りた共にボールから飛び出したのは、リザードンであった。
その姿を見てピカチュウはサトシがしようとしている事がなんとなくわかってしまう。


リザードン、俺を乗せてカロスのミアレシティまで飛んでくれ!」


やはりである。
飛行機に乗れないのならリザードンに乗ればいいじゃない。
サトシは出て来たリザードンに懇願するように頼む。
しかし、カントーからカロスまでは飛行機でも半日近くかかる。
その長距離を人を乗せながら移動するなど不可能に近い。
いくら強靭な体力を誇るリザードンでも無理がある。
側から見ていたピカチュウは止めざるを得なかった。


「ピカピ!ピーカーチュ!」
「無茶でもなんでもやってみなくちゃ分からないだろ!?頼むよリザードン、俺、セレナと約束したんだ。必ず応援に行くって!こんなところで立ち止まってられないんだ!!」


必死に頼み込むサトシ。
そんな主人の命を、リザードンが無下にするわけがない。
力強く頷くと、両腕を地面につけて体勢を低くし、“乗れ”の合図を見せる。


リザードン…ありがとう!」


サトシはリザードンに飛び乗ると、変装のためにかけていた黒縁メガネを外し、上着のポケットにかけた。
そして手を伸ばし、地面にたたずんでいたピカチュウに“おいで”と声を掛ける。
こうなってしまっては仕方ない。
たとえ無理でも、サトシがやると決めたなら着いていくしかないのだ。
ピカチュウはサトシの腕に飛び乗り、肩に乗った。


「お、おいあれって……!」
「嘘!チャンピオンじゃない!?」
「本当だ!チャンピオンのサトシだ!」


外にいたサトシの背後には空港の建物になっており、建物自体がガラス張りであるため、外がよく見える。
リザードンに跨り、肩にピカチュウを乗せた少年の姿は流石に目立つようで、空港の中にいた人たちは一斉にざわめき出した。
そんな野次馬たちの声を、空港のから帰ろうとしていたケンジは聞いていた。
まさかと思い、野次馬がたかっているガラス窓へと足を進めると、そこには衝撃の光景が広がっていた。
先ほど飛行機に乗るため別れたサトシが、リザードンに乗って地上から飛び立ったのだ。


「さ、サトシ!?なにやってんだ!?」


どうしてそうなった。
ケンジは思わず叫ぶが、ガラス一枚隔てた向こう側のサトシには聞こえない。
ガラス越しに飛び立っていくサトシに向け、野次馬たちが一斉に端末を構えて写真を撮りだした。
その光景に、ケンジは頭が痛くなっていく。


「いくぜリザードン!カロスまでひとっ飛びだ!」


リザードンの咆哮と共に、カロスへ向け旅立っていくサトシ。
目指すはミアレシティ。セレナの元へ。

 


***

 


「うわあああぁぁぁぁ!!!!」


家中に響き渡ったその叫び声は、ユリーカのものだった。
トーストした食パンをかじりながらテレビを見ていたシトロンは、上の階からしたその叫び声を聞いてため息をこぼす。
だから昨晩あんなに早く寝ろと言ったのに…。
娘が寝坊したらしいと悟った父のリモーネは、“朝から元気だな”と豪快に笑った。
やがてドドドと階段を駆け下りる音と共に、髪を寝癖で乱したユリーカが現れる。


「お兄ちゃん!なんで起こしてくれなかったの!?」
「起こしましたよ。げど全然起きなかったじゃないですか」
「んもー!!」


肩にデデンネを乗せた状態で、ユリーカは洗面所へと消えて行った。
今日はミアレスタジアムでトライポカロンマスタークラスが開催される。
出場するセレナを応援するため、旅に出ていたユリーカは昨日からミアレの実家に帰省していた。
よっぽど自分のベットが心地よかったらしい。
現在は朝というには随分遅い時間だが、こんな時間までぐっすり眠ってしまっていた。


「とうとう今日なのか。チケットはきちんと買ってあるのか?」
「もちろんですよ。サトシにも送っておきましたしね」

 

シトロンは食卓に置いてあった白い封筒を持ち上げて見せた。
トライポカロン協会の印が押してあるそのチケットは、先日セレナからプレゼントされたものである。
シトロン、ユリーカ、そしてサトシの分が渡され、サトシにはカントーあてにそのチケットをあらかじめ郵送しておいた。
カントーでのパーティから今日までの3ヶ月。
シトロンやユリーカはこの日を楽しみに待っていた。
約一年ぶりにセレナのパフォーマンスが見れる。
彼女の仲間でありファンでもある2人にとって、今日という日は特別な日なのだ。


「セレナちゃんによろしくな。サトシくんも来るんだろ?終わったらうちに遊びに来るといい。ご馳走用意して待ってるからな!」
「ありがとうございます。今日は一日中ミアレにいるんですか?」
「いや。今日は頼まれごとがあってな、ヒャッコクシティに行って来る。夜には帰るよ」


電気屋を営んでいるリモーネは、時折こうしてミアレから出て出張業務を行っている。
今日もバイクに乗ってヒャッコクシティへ向かうらしい。
そんな会話をしているうちに、シトロンはあっという間にトーストを食べきってしまった。
ユリーカもようやく準備が完了したようで、ポシェットにデデンネを入れ、シトロンの元へと駆けてきた。


「お兄ちゃん、早く行こ!」
「ご飯食べなくていいんですか?」
「向こうでなんか買うよ!それより早く!混んじゃうよ!」


近年のトライポカロンへの注目度は高く、マスタークラスへの関心も非常に高まっている。
今大会も多くの人々が見に来ることだろう。
事前にチケットを入手していたシトロンたちは、どんなに混雑していようと会場に入れることは間違いないのだが、ユリーカは混む前に会場入りしたいようだ。
妹に急かされるまま、いつものリュックを背負うと、父に挨拶を済ませて家を出た。

シトロンたちがカロスを旅していた3年前に比べ、トライポカロンを取り巻く環境は大きく変化していた。
カロスではポケモンリーグに並ぶほどの注目を集める大会となり、パフォーマーを目指す少女たちも増加傾向にある。
おかげで今回マスタークラスが行われるこのミアレの街並みも、トライポカロン一色である。
そんな街並みを、ミアレスタジアムに向けて走っているリムジンがある。
その車の中でシートに腰掛けているヤシオは、頬杖をつきながら窓の外な眺めている。
彼女の正面に座っているのは、今回ヤシオがプロデュースしたパフォーマー・セレナである。
セレナは自分の手元に視線を落とし、ずっと口を噤んでいる。
顔はこわばり、小さく作った拳は小刻みに震えている。


「そんなに力むことないわ」


そんなセレナ、ヤシオはかけていたサングラスを外し、声をかける。


パフォーマーは観客を楽しませるのが仕事。あなたがそんな顔をしていたら、誰一人笑顔にさせることなんて出来ないわよ」
「……はい」


ヤシオの言葉は、セレナもよく理解できている。
しかし、そう自分に言い聞かせて簡単に解決できる問題ではない。
一年以上現役を離れていた不安と、久しぶりの舞台に対する緊張。
多くの不安要素が、セレナを襲っていた。
やがて車はミアレスタジアムに到着する。
3年ぶりに訪れるこの会場はやはり大きくて、セレナの緊張をより一層煽ることとなる。
VIP席で観覧する予定だというヤシオと別れ、セレナは手持ちのポケモンたちと共に、パフォーマーの控え室へと向かう。
控え室の扉を開け、中へ入ると、既に待機していたパフォーマーたちの視線がセレナへと突き刺さる。
一度はエルからクイーンの座を奪い、次の大会で即座に奪い返されてしまったセレナの姿は、他のパフォーマーにどう見えているのだろう。
視線のせいで居心地が悪い。
だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「絶対負けない」


小さく気合を入れ、セレナは空いている化粧台へと向かった。
慣れた調子でメイクや髪を整え、ポケモンたちも着飾ってやる。
セレナ自身も、昔母から貰ったステージ衣装に着替え終わった頃だった。
控え室の扉が開き、スタッフが中のパフォーマーを見渡しながら声を出した。


アサメタウンのセレナさん、いらっしゃいますか?」


自分の名前が呼ばれ、セレナは手を止める。


「はい、私ですけど…」
「お客さんですよ」


駆け寄ってみると、スタッフは控え室から出るよう促してきた。
ドアの向こうへ視線を向けると、そこにはよく見知ったあの兄妹の姿があった。


「こんにちは、セレナ」
「セレナー!応援しにきたよ!」
「シトロン!ユリーカ!」


それまで顔を強張らせていたセレナだったが、二人の登場で一気にその表情を明るくさせた。
自分より少しだけ背の低いユリーカと両手をつないではしゃぐセレナ。
そんな彼女の様子を見て、シトロンは安心した。
また不安にかられているのではないかと心配だったのだ。
どうやらここのスタッフに無理を言って本番前に会いにきたのは正解だったらしい。
二人が姿を見せたおかげで、セレナの緊張は一気にほぐれていく。


「二人とも来てくれたんだね!ありがとう!」
「セレナ頑張ってね!セレナのパフォーマンス、すっごく楽しみにしてるから!」
「うん!」


シトロンとユリーカが来てくれたことで安心したのか、セレナと同じように緊張していたテールナーたちも笑顔を見せていた。
安心したところで、セレナには1つの疑問が浮かんで来た。
“応援に来て欲しい”と頼んだ、もう一人の彼がいない。
心から憧れる存在である彼は、セレナにとって最も頼りになる人でもある。
そんな彼の姿が見えず、セレナは思わずキョロキョロと辺りを見渡してしまう。
そんなセレナの視線に気付き、シトロンは彼女の考えが何となく読めてしまう。


「セレナ、サトシならもうすぐ来ると思いますよ。昼前の飛行機でカロスに到着するそうですから」
「そ、そっか、よかった」


考えていた事がシトロンに筒抜けである事態に少々恥じらうセレナ。
しかし、彼の言葉を聞いて安心した。
シトロンやユリーカだけでなく、サトシまでもが自分の応援に来てくれる。
その事実は、セレナを勇気付けるに十分な材料であった。


「それじゃあユリーカ、僕たちはそろそろ行こうか」
「そうだね。じゃあねセレナ!頑張って!」
「ええ。ありがとう、二人とも!」


会話もそこそこに、シトロンとユリーカは控え室から去って行った。
大会直前のセレナを気遣って、わざと早めに退散したのだろう。
二人のおかげで、先ほどの不安や緊張は嘘のようになくなっていた。
セレナは背後のポケモンたちへと視線を向ける。
彼らを見つめるその瞳は、闘志にあふれていた。


「みんな、絶対に勝とうね!」


セレナの言葉に、ポケモンたちは腕やリボンを挙げて各々鳴き声を発する。
一回戦まであと30分。
セレナはその短い時間で、最後の調整を行おうとしていた。

 


***

 


「Ladies and gentlemen‼︎ 乙女の祭典、トライポカロンマスタークラスの開幕です!」


壇上のピエールの言葉とともに、ミアレスタジアムの照明が色鮮やかに輝き、マスタークラス開催を彩る。
注目の大会なだけあって、観客の熱も半端なものではない。
スタジアムの脇には数台のカメラが設置され、この映像はカロス中に生中継されている。
この熱気あふれる会場の観客席で、シトロンとユリーカはステージを見つめていた。


「ねぇお兄ちゃん、サトシまだ来ないの?」
「うーん…。流石に遅いですね。ちょっと電話してみます」


もう開演時間は過ぎている。
朝にはミアレシティに到着すると言っていたサトシだったが、昼になってもまだスタジアムに姿を現さない。
あのサトシのことだ。
もしかすると何かトラブルに巻き込まれているのかもしれない。
シトロンはサトシに電話をかけるため、一次審査が始まる前に端末を持って会場の外へ出た。
席に残ったユリーカは、自分の端末を開いてSNSをチェックしてみる。
なんとなくみていたページだったが、そこにはユリーカの目を引く写真が投稿されていた。


***********


『お掛けになった番号は、現在、電源が入っていないか、電波の届かない場所にいるため、電話に出ることができません』


会場外で電話をかけていたシトロンだったが、端末から聞こえてきたのはサトシの声ではなく、相手が出られないという冷静なアナウンスのみ。
あんなにセレナの晴れ舞台を楽しみにしていたサトシが、約束をほっぽり出すはずがない。
何があったのだろうか。
サトシの身を案じながらも、シトロンは会場へと戻る。
ステージでは一次審査の一人目がパフォーマンスを始めていた。
ユリーカが待つ席に戻ると、彼女は心配そうな瞳で“どうだった?”と聞いてくる。


「出ないんだ。何かあったのかも」
「そっか。ねぇお兄ちゃん、これ見て」


ユリーカが差し出してきたのは、彼女の端末であった。
その画面にはSNSが表示されている。
写真とともに投稿されているそのページは、シトロンと驚愕させる。
昨日の夜に投稿されたそのつぶやきは、“ヤマブキ空港でチャンピオンがいた”という内容であり、さらには一人の少年がリザードンらしきポケモンに乗って飛び立っている写真も添えられている。
写真自体がかなり遠目であるため確認しづらいが、この写真の人物は恐らくサトシであろう。
もしこの投稿が事実であれば、投稿時間を見るに、サトシは飛行機に乗っていないことになる。
なぜそんなことになったのだろうか。
その答えはユリーカの言葉ですぐ判明することになる。


「さっき調べたらね、ヤマブキ空港発のカロス行きの飛行機が運転見合わせしてるんだって」
「えぇ⁉︎ じゃあもしかしてサトシは…」
「うん。リザードンに乗ってここまで来るつもりなのかも」


恐らくユリーカの推測は当たっている。
普通に考えれば、たとえどれだけ体力があるリザードンであってもカントーからカロスの横断など無茶すぎる。
しかし、サトシはセレナの晴れ舞台を非常に楽しみにしていた。
無茶を承知でチャレンジする姿が見え容易に想像できる。
さらにリザードンに乗って移動しているのであれば、先程シトロンの電話に出れなかった事も説明がつく。
彼はまだカロスにすら着いていないのだ。
巻き込まれ体質なサトシだが、まさかこんな時でもトラブルに見舞われてしまうとは、シトロンも予想できなかった。
果たしてセレナのパフォーマンスの番が来るまでに間に合うのだろうか。
未だ姿を現さないサトシに、シトロンとユリーカは心配を募らせるのだった。


***********


ちょうどその頃、サトシはシトロンやユリーカの推測通り、リザードンに跨り海の上を飛行していた。
バトルでは無類の強さを発揮するリザードンであったが、カントーから休まず飛び続けていた彼の体力は限界に近づいている。
時刻は既に大会開催時間を過ぎている。
リザードンを休ませたいのは山々だが、悠長にしている場合ではない。
リザードンを励ましながらも内心焦っていたサトシだったが、そんな彼の視界に喜ばしい光景が飛び込んできた。
ようやくカロス地方の土地が見えてきたのである。


「見ろよリザードン!カロスが見えてきた!あと少しだ!」


リザードンを鼓舞しながらその頭を撫でてやれば、彼は尻尾の炎を激しく燃やしながらスピードを上げた。
ラストスパートで空をかけるリザードンは、低空飛行で水面ギリギリを飛ぶ。
肩に乗っているピカチュウは、あまりのスピードに飛ばされそうになっているが、なんとかサトシの肩にしがみついている。

やがてカロスの街がすぐそこに見えてきた。
街の脇に立っている大きな日時計は、その街・ヒャッコクシティのシンボルである。
疲労がたまっているリザードンにこれ以上無理をさせるわけにはいかない。
ヒャッコクシティの上空にたどり着いたサトシは、リザードンに降下するよう命じた。
地上に降り立つなり、リザードンは体勢を崩して倒れ込んでしまった。
やはり限界にきてしまったのだろう。
サトシは急いでリザードンから降りると、その頭をゆっくり優しく撫でてやる。
突然街の真ん中に降り立ったリザードンカントーチャンピオンの姿は大いに目立つようで、彼らの周囲には人だかりが出来ていた。


リザードン、よく頑張ってくれたな。ゆっくり休んでくれ」


ぐったりしているリザードンモンスターボールに戻すサトシ。
ようやくカロスにたどり着けたはいいものの、ここは会場があるミアレシティではなく、そこからかなり離れたヒャッコクシティ。
ヒャッコクからミアレはどんなに急いだとしても一日はかかる距離である。
セレナのことだ。
きっとファイナリストとして最後まで勝ち残るとは思うが、このままでは決勝にすら間に合わない。
かといって今日のサトシの手持ちには、ライド型のポケモンは先ほどのリザードンしかいない。
空が疲れ切ってしまっている今、サトシには徒歩しか移動手段がない。
さてどうするべきか。
“あれはカントーのチャンピオンではないか”と騒つく野次馬たちを全く気にすることなく、サトシは考える。


「あれ、サトシ君⁉︎」


そんなサトシの耳に、聞いたことのある声が届く。
振り向けば、そこには一人の中年男性の姿があった。


「リモーネさん!」
「久しぶりだな!けど、どうしてこんなところに?セレナちゃんの応援でミアレに来るって聞いてたが…」


そこにいたのはシトロンとユリーカの父・リモーネだった。
彼は自前のバイクを押しながら、野次馬を掻き分けて歩み寄って来る。
そんなリモーネは、サトシにとって救世主とも言える人物であった。
サトシはリモーネの両腕をガッシリ掴むと、懇願する様な瞳で訴えかけた。


「リモーネさん!お願いします、助けてください」
「ピカピカチュウ!」
「え?」


***********


「一次審査、最終グループを勝ち抜いたのは……パフォーマー、セレナ!」


ピエールの言葉とともに、観客席からは大きな歓声が沸き起こる。
ステージ場のセレナは、先程一緒にパフォーマンスをしていたヤンチム、ニンフィアと共に喜んでいる。
一次審査にてセレナが見せたパフォーマンスは素晴らしいものだった。
数ヶ月前のスランプが嘘の様な立ち回りは、カロスの人々を驚愕させる。
シトロンとユリーカは、ステージで輝くセレナを見て、半ば確信していた。
彼女ならば、必ずエルの元へとたどり着くと。
しかし、二人にとって心配なのはセレナよりもサトシの方である。
リザードンで移動しているらしい彼は、決勝までにたどり着いてくれるのだろうか。
セレナはきっと、サトシがこの会場で見ていてくれていると思っているはず。
そんな彼女の期待を裏切ってしまう様で、二人はひたすら焦りを感じていた。

と、その時だった。
シトロンの手元でマナーモードに設定していた端末が震える。
画面を見てみると、そこにはサトシからの着信を告げる文字が表示されている。
画面を見たシトロンは、隣のユリーカと一瞬だけ顔を見合わせ、急いでその着信に出るため一人席を離れた。


「もしもし!」
『おおシトロン!さっきの電話出れなくて悪いな!』


再び会場の外に出て着信に出れば、端末越しにサトシの声が聞こえてくる。
その声色があまりにもいつも通りであったため、シトロンは拍子抜けしてしまう。


SNSを通して事情は知っています。リザードンに乗って移動しているんですよね? 今どこにいるんです?」
リザードンはもう休ませてるよ。今はヒャッコクシティからそっちに向かってるところだ!』
ヒャッコクシティですか⁉︎」


既にカロスに到着していると聞いて安心したシトロンだったが、ヒャッコクシティ付近にいると聞いて再び驚いた。
ヒャッコクシティからミアレシティまではかなり距離がある。
どんなに急いでも、決勝が始まる夕方までには間に合わないだろう。


『実はさっきリモーネさんに会ってさ、今バイクの後ろに乗せてもらって移動してるんだ』
「え、父に会ったんですか?」


言われてみれば、端末を通して聞こえるのはサトシの声と周りの雑音、そしてバイクのエンジン音らしき音。
今朝リモーネはヒャッコクシティに用事があると言っていたし、二人はたまたま遭遇したらしい。
サトシの強運は相変わらずだが、悠長に安心してはいられない。
たとえバイクに乗って移動したとしても、夕方までにミアレシティに到着できるかは微妙なところ。
さらにセレナも、必ずしも決勝まで勝ち残れるとは限らない。
未だ油断できない状況なのだ。


『リモーネさんがいてくれてよかったぜ。急いでそっちに向かうから!』
「はい、お願いします!今一次審査が終わったところで、セレナは勝ち残ってますから。決勝までには絶対に来てくださいね!セレナが待ってますから‼︎」
『おう!任せろ!』


シトロンは通話を終了し、急いで会場へと戻る。
サトシはなんとかこの会場へと来てくれる。
そう信じて待つしかないのだ。
会場では、二次審査が始まろうとしていた。
一方サトシは通話を終え、端末をポケットへと仕舞うと、前でバイクを運転するリモーネへと声をかける。


「そういうわけでリモーネさん、できる限り急いでください!」
「おう!せっかくリザードンに乗ってまでここまで来たんだからな!サトシ君、ピカチュウ、しっかり掴まってろよ⁉︎」
「はい!お願いしまっうあ"あ"あああぁぁぁぁぁ!!!!」
「ピ、ピカァァーーーーッ!!!!」


サトシの返事を待たずして、リモーネはアクセル全開でスピードを上げる。
ヒャッコクシティを抜け、森林の道を信じられないスピードで駆け抜けていく。
このスピードでいけば何とか間に合いそうではあるが、あまりの速さにサトシもピカチュウもリモーネにしがみつきながら目を回していた。

 


***

 


「フィニーッシュ!」


パフォーマンスの終わりを告げるセレナの叫びが会場に木霊する。
そんな彼女と背中合わせでポーズを決めるテールナーは、最後に使った《だいもんじ》の火の粉を浴びて美しくきらめいていた。
彼女たちの素晴らしいパフォーマンスに、会場からは溢れんばかりの拍手が沸き起こる。
シトロンとユリーカも、周囲の観客たちに負けじと大きな拍手をセレナたちに贈っていた。
大会は滞りなく進み、ついに準決勝へと突入した。
セレナがラストを飾るこの準決勝に勝てば、カロスクイーンであるエルと戦うことができる。
今回のファイナリストはセレナを入れて3人。
どのパフォーマーもハイレベルであり、誰が勝ち残ってもおかしくない状況であった。


「ファイナリスト三名のパフォーマンスが終了しました。カロスクイーン、エルが待つ決勝に上がれるのはたったの一名。その名誉あるパフォーマーを、会場及びテレビの前の皆さんに決めていただきましょう。会場の皆さんはお手元のポケリウムで、テレビの前の皆さんは端末のボタンで、より素晴らしいと思ったパフォーマーにご投票ください。それでは……un deux trois!!」


ピエールの合図とともに、会場中から様々な光がステージへと集まっていく。
それぞれのパフォーマーたちへと寄せられていくその光は、彼女たちにとって誉の光である。
シトロンとユリーカは、二人ともポケリウムをセレナの色であるピンクに輝かせ、ステージへとかざす。
ステージ上で結果を待っていたセレナは、胸元で拳を握りしめ、ギュッと目を瞑っていた。
そんな彼女の左手を、横にいたパートナーのテールナーは優しく握る。
セレナが視線を向ければ、テールナーはニッコリと微笑んだ。
“大丈夫だよ”
自身に溢れたテールナーの瞳からは、そんな言葉が読み取れた。
何も臆することはない。
完璧なパフォーマンスが出来たではないか。
自信を持とう。
そう言い聞かせ、セレナはしっかりと目を開け、観客席に視線を向けた。
そして……。


「数々の試練を乗り越え、エルへの挑戦権を手にしたのは…………パフォーマー、セレナ!!!!」


その瞬間、会場が揺れはどの歓声があがった。
3人のうち、セレナの票数だけが群を抜いており、圧勝で決勝戦進出を決めたのだ。
自分の名前が挙がった瞬間、セレナはテールナーと抱き合いながら喜びを分かち合った。
そんなセレナを、会場の観客たちは拍手にて賞賛した。


「やったよお兄ちゃん!セレナが勝った!」
「これはもしかするかもしれませんね!」


観客席で見ていたシトロンとユリーカも、自分のポケリウムを握りしめながら喜んでいた。
セレナがスランプに陥ってから約1年の間、彼女の気苦労を誰よりも知っていた二人にとって、この光景は涙が出るほどに喜ばしいものなのだ。
しかし、マスタークラスはまだ終わっていない。
最後に立ちはだかる相手は、あのカロスクイーン、エル。
一度勝利したことがあるとはいえ、クイーンの座は直ぐに奪い返されてしまったうえ、エルの実力はセレナが勝利した時のものよりも遥かに上回っている。
まさにカロスが誇る最高のパフォーマー相手に、セレナは戦いを挑もうとしていた。


**********


セレナは与えられた個室で待機していた。
現在は10分間取られたインターバルの時間であり、この時間はパフォーマーにとって非常に重要になる。
メイクや衣装直しはもちろんのこと、次のパフォーマンス構成を練るためにも、この時間は必要不可欠なのだ。
セレナが決勝を共にするのは、テールナーヤンチャムニンフィアの3体。
彼らの衣装を直しながら、セレナは決勝で行うパフォーマンスの流れを頭で繰り返す。
相手はあのエル。
少しの緊張すらも大敵になるこの状況で、セレナは冷静でいようと必死であった。
そんなセレナの控え室の扉がノックされる。
誰かが訪ねてきたようだ。
“どうぞ”と一声かければ、一人の女性が扉を開ける。


「お邪魔するわね」
「エルさん!?」


訪ねてきたのはエルであった。
これから戦う相手の登場にセレナは驚き、思わず立ち上がる。
その拍子に化粧台に置いてあったファンデーションが音を立てて床に落ちてしまう。
慌てて拾い上げるセレナの忙しなさに、エルは口元に手を当てて笑みをこぼす。


「相変わらずね」


微笑むエルに恥を覚え、セレナは苦笑いをこぼした。
3年前と比べてより一層綺麗になったエルの姿に、セレナは見とれてしまう。
何年経っても、エルはセレナにとって憧れであり遠い存在なのだ。
そんな彼女を目の前にして、セレナは自然と体を強張らせていた。


「セレナ、ようやくここまで来てくれたわね。待ってたわ」
「エルさん、私、負けるのが怖くてずっと逃げてました……。けど、もう逃げたくない。カロスクイーンの座は、必ず手に入れます」
「臨むところよ。お互い全力で戦いましょう」


右手を差し出して来たエルに力強く頷くと、セレナはその手を握り返す。
固く握られた二人の手は、熱い闘志によって力が込められていた。
エルは“じゃあね”と手を振ると、そのまま控え室から去っていった。
敵を目の前に、セレナはその闘志をより一層高めていく。
絶対に負けたくない。
もう逃げたりしない。
セレナの表情はそんな強い意志に溢れていた。


「セレナー!」


エルと入れ替わるように、シトロンとユリーカが控え室を訪ねてきた。
決戦前のセレナを気遣い、様子を見に来てくれたらしい。
よく見知った二人の姿を見て、セレナはもちろんのこと、テールナーたちの表情も柔らかくなる。
セレナに駆け寄ったユリーカは、息をする暇もなく先程のセレナが行なったパフォーマンスの感想を述べている。
目を輝かせてセレナを褒めるユリーカに、そばで見ていた兄のシトロンは目を細めて微笑む。


「すごいよセレナ!次勝てばクイーンだよ!!」
「デネネ!」
「ありがとうユリーカ。みんなが応援してくれたお陰よ」


カロスクイーンまでの道のりはあとわずか。
その僅かな道は予想以上に険しい道になるだろう。
しかし、セレナにはシトロンやユリーカといった頼れる仲間がいる。
彼らの応援は、セレナにとって大きな力になるのだ。
特に、セレナが長年思いを寄せ続けた彼の存在は、セレナが全力を振り絞れる糧となる。
だが、その彼は今この場にはいない。
先程のシトロンとユリーカが訪ねて来た時もその姿はなく、まだ到着していないのだと知らされたが、大会が始まって数時間経つ今、彼もこの会場に来ているはずなのだが…。
さすがに心配になったセレナは、思わずシトロンに問いかけてみる。


「ねぇシトロン、サトシは…?」
「あ…えっと、それが…」


バツが悪そうなシトロンの表情を見て、セレナは嫌な予感がしてしまう。
その予感は的中していた。
申し訳なさげに事情を話すシトロンとユリーカの話しに、セレナは落胆を隠せなかった。
サトシがいない。
その事実は、セレナから自信を奪うに十分な材料となる。
今までシトロンやユリーカだけでなく、サトシもこの会場で自分を応援してくれていたと思い込んでいたセレナにとって、それは冷酷な事態なのである。


「すみませんセレナ。こんなことになってしまって…」
「…シトロンが謝ることじゃないわ。大丈夫、気にしないで」


二人に心配させまいと必死で笑顔を作るセレナであったが、その表情は先ほどと比べて明らかに不安を滲ませている。
“今はトイレに行っている”とでも嘘をついて、セレナを安心させるべきだったかと後悔するシトロンであったが、やはりそんなことが出来たはずもない。
いずれ分かる嘘はセレナを傷つけるだけだ。
なんとかセレナに気の利いた事を言おうとして言葉を探すが、結局シトロンは何も言えずに押し黙ってしまう。
それはユリーカも同じであるようで、ただ心配そうな瞳でセレナを見上げている。
やがて彼らがいる控え室に、間も無く決勝が始まる旨を伝える放送が流れる。


「…ユリーカ、そろそろ始まるし、客席に戻ろうか」
「……うん」


長居してもセレナに迷惑が掛かる。
そう判断したシトロンはユリーカに声をかけ、控え室から去ろうと扉へと足を進める。
しかし、やはりセレナが心配だ。
ユリーカとともに出て行こうとした足を止め、シトロンはセレナがいる背後へと振り返った。


「セレナ」
「ん?」
「サトシはきっと来てくれます。だから、心配しないでください」
「……そうよね。ありがとう、シトロン」
「それと…」


強張った表情を笑顔に変えて、シトロンは口を開く。


「僕らはここにいます。きちんと見守っていますからね」


シトロンの言葉は、セレナの胸に暖かくしてくれた。
サトシはいない。
それは事実だが、シトロンやユリーカはきちんとそばにいてくれる。
ならば、何も不安がる必要はない。
目の前で微笑んでくれるシトロンとユリーカのお陰で、セレナの不安と緊張は緩やかに消えて行った。


「うん、見ててね。絶対勝つから」


**********


リモーネの協力を得てミアレスタジアムを目指すサトシは、ようやくミアレシティへと到着していた。
しかし、トライポカロンが開催されているということもあって、町は人で溢れ、道路も多くの車で溢れかえっている。
案の定二人が乗るバイクも渋滞に巻き込まれ、町の端から全く動かなくなったしまった。
スタジアムまであと少しだというのに、ここまで来て足止めされてしまっている状況に苛立つサトシ。
そんなサトシを、肩に乗るピカチュウはなだめるようにその頭をつつく。


「サトシくん、こっからは走った方が速いかもしれないぞ」
「そうですね、俺、こっからは自力で行きます!」


サトシたちが足止めを食らっている場所からスタジアムまでは徒歩10分ほど。
夕暮れが近づいている今、おそらく大会は決勝に差し掛かっている頃合だろう。
セレナならば決勝に残っているに違いない。
そう信じ、なんとか決勝には間に合わなければと自力で向かう事を判断する。
サトシはバイクの後ろから飛び降りると、腰につけた1つのモンスターボールをリモーネに差し出した。


「リモーネさん、これ、リザードンのボールです。悪いんですけど、こいつをポケモンセンターに預けておいてもらえませんか!?」
「おう、任せとけ!」
「ありがとうございます!本当に助かりました。それじゃあ!」


ひどく疲労しているリザードンを回復させたいが、自分でポケモンセンターに寄っているだけの時間はない。
事情を知っているリモーネは、サトシの申し出を快く受け入れてくれた。
サトシはリモーネにボールを預けると、深々と頭を下げて礼を言い、走り出した。
遠ざかっていくサトシの背に向かって、リモーネは大声で叫ぶ。


「サトシ君!スタジアムの場所は分かるのか!?」
「もちろん!俺にとっても思い出の場所ですから!」


ミアレスタジアムは、三年前サトシが参加したカロスリーグが開かれた場所である。
ゲッコウガを始めとするカロスの仲間たちと共に奮戦したあの日々は、サトシにとって綺麗な思い出として残っている。
そして今度はあの場所で、セレナが夢を叶えようとしている。
見逃すわけにはいかない。
全力で走るサトシにエールを送りながら、リモーネはその背を見つめていた。

爆走するサトシに、町の人々は驚いて次々に道を開けていく。
やがてスタジアムの目の前まで到着した。
足を止めずに走り続ければ、スタジアムの前に立っていた二人の警備員が走ってくるサトシを見つけて驚きの表情を見せる。
チケットを持っていなければ入ることが出来ないこのスタジアムは、厳重な警戒によって守られている。
突然全力で走って来たサトシを、警備員たちが見逃すはずもなく、案の定サトシに向かって“止まりなさい”と叫んで来た。


「止まってる時間はないんだ!ピカチュウ頼む、リュックの中だ!」
「ピッカァ!」


走りながら相棒のピカチュウに声をかけるサトシ。
ピカチュウはサトシのリュックに潜り込むと、ガサゴソと中を漁り、白い封筒を取り出すとピョンと肩から飛び降りた。
一方サトシは取り押さえようとする警備員を巧みにかわし、スタジアムの中へと突進していく。
不審者にしか見えないサトシを取り逃がしてしまった警備員たちは、急いでその後を追おうとするが、残ったピカチュウがそれを引き止める。
何事かと振り返る警備員たちに、ピカチュウは手に持っていた白い封筒を差し出す。


「ピーカ」
「これは…チケットか」


中身はマスタークラスのチケットであった。
彼らにチケットを見せるために足を止める手間を煩い、ピカチュウにチケットを託して一人でスタジアムに走るサトシ。
中へと入り、階段を駆け上がるサトシ。
そんなサトシの耳に、スタジアム中に響くアナウンスの声が届く。


パフォーマー、エルの演技、いかがだったでしょうか? さて続いては今大会最後のパフォーマー、セレナのパフォーマンスです!』


そのアナウンスが、サトシを焦らせる。
間に合え!
急いで駆け上がるサトシは息を切らせ、上へと目指す。

一方、セレナは舞台の上でポケモンたちと共にスタンバイしていた。
ステージ上のライト全てがセレナに集まる。
先程のエルのパフォーマンスで盛り上がっていた観客の声援がピタリと止み、何百何千の視線がセレナを捉える。
観客席から見つめていたシトロンとユリーカは、ステージにいるセレナの緊張が移ったのか、二人とも険しい表情で視線を向けている。
この一瞬で全てが決まる。
激しく高鳴る胸を押さえながら、セレナがゆっくりと目を開けた、その時だった。


「セレナァーーーーーーーーッ!!!!」


会場の一番後ろにある扉が開き、少年が駆け込んできた。
自分の名前を呼ぶ声に驚き、顔を上げるセレナ。
大声で響いたその声は、セレナが待ち望んだ彼のものであった。
突然聞こえて来た大声に、会場は一瞬だけどよめく。
セレナがいるステージからは、遠すぎて彼がどこにいるのかは分からない。
しかし、彼は確かにこのスタジアムにいる。
そして自分を見守ってくれている。
それが分かった瞬間、セレナの内からふつふつと勇気が沸き起こってきた。
まっすぐ視線を前に向け、セレナは拳を握る。


「さぁいくよ!」


スピーカーから流れる音楽と共に、テールナーヤンチャムニンフィアは元気よく前へと飛び出していく。
セレナの最後のパフォーマンスが、今始まろうとしていた。

 

 

***

 


照明が照りつける中、音楽に合わせてポケモンたちは軽やかにステップを披露する。
セレナを中心に、テールナーニンフィアが左右に広がり、ヤンチャムはセレナの背後へとバク転で移動していく。
それぞれが位置についたところで、セレナから最初の指示が飛ぶ。


ニンフィア、《ミストフィールド》!」


セレナの指示を受け、ニンフィアはそのリボンのような触覚から技を繰り出す。
薄桃色の空気が辺りを取り巻き、ステージの床はピンク色のミストでいっぱいである。
一瞬にして幻想的な雰囲気になったステージに、観客たちは感嘆の声を漏らす。


ヤンチャム、《ストーンエッジ》!」


背後にいるヤンチャムは、ステージの床へと手をつき、透き通った青色の岩を出現させる。
両脇にいたテールナーニンフィアは、音楽に合わせて岩の上を飛び移っていく。
さらに地上にいたヤンチャムはセレナの足の間を転がるように進み、セレナの前へとへ出る。


ヤンチャムあくのはどう》、ニンフィアムーンフォース》、テールナーかえんほうしゃ》!」


テールナーニンフィアは岩の上から、ヤンチャムはステージ上から技を繰り出す。
3つの技はぶつかり合い、白い爆風があがる。
様々な色が相殺されたおかげで、先程まで透き通っていた岩に光が反射し、虹色に光っている。
さらにテールナーニンフィアは岩から飛び降り、ミストが広がる床へと見事に着地する。
一方ヤンチャムはセレナの元へと飛びつき、セレナはその手でヤンチャムを、宙に打ち上げる。


ニンフィア《ようせいのかぜ》、テールナー《マジカルフレイム》、ヤンチャム《いわくだき》!」


ニンフィアが起こした《ようせいのかぜ》によって、地面に漂っていた桃色のミストがつむじ風のように舞い上がる。
さらにテールナーの《マジカルフレイム》も加わり、炎とミストの風が起きる。
宙に打ち上げられたヤンチャムはそのまま岩を砕き、砕かれた虹色の岩は風と共に舞い上がった。
様々なものをものを巻き込んで吹き荒れるその風の中心には、楽しそうに踊るセレナの姿が。
音楽に合わせてステップを踏むセレナとポケモンたちを前に、観客たちは自然と音楽に似合わせて手拍子を開始する。
会場中はセレナを中心には一体となっていた。
誰もが笑顔で目を輝かせ、ステージへと視線を向けている。
人々が自分のパフォーマンスを見て楽しんでいる。
ステージで踊りながらも、セレナはその事実を実感していた。


*2


久しぶりに立った舞台の上で、セレナは本当の自分を取り戻しつつあった。


テールナー、《だいもんじ》!」


セレナは上空のヤンチャムを見事にキャッチしながらテールナーに指示を飛ばす。
テールナーが放った美しい《だいもんじ》は、風と共に舞い上がる炎やミストを全て弾き飛ばし、力強い「大」の炎をステージ上に浮かばせる。
きらめく火の粉が舞い上がる中、セレナはポケモンたちとポーズを決め、ピタりと動きを止める。


「フィニーッシュ!」


終わりを告げる言葉を叫べば、観客は一人残らず立ち上がり、大きな拍手を贈る。
セレナは息を切らしながら、拍手と歓声を一身に浴び、言い知れぬ達成感を感じていた。
かつて、与えられるばかりではなく、自分が与える存在になりたいと願ったセレナ。
観客たちは今、彼女のパフォーマンスを見て笑顔を浮かべている。
未だ拍手を続けてくれている観客たちに深々と頭を下げながら、セレナは思う。
少しは成長出来たかな、と。


**********


「カロスクイーンの座に立つのはどちらの乙女か…。皆さんの投票で全てが決まります!それでは、ご投票ください!」


セレナとエル、二人のパフォーマンスが終了し、彼女たちはポケモンたちと一緒にステージにて並び立つ。
セレナにとって、この光景は一年半前に経験したことがあるものだった。
当時二人の立場は逆で、セレナがクイーン、エルがチャレンジャーであった。
投票目前のセレナは、クイーンの座から引きずり降ろされることに恐怖し、ずっと俯いていた。
案の定敗北し、クイーンの座はエルの元へと帰してしまったのだ。
しかし、今のセレナは昔とは違う。
自信に満ち溢れた表情でしっかりと前を見据えている。
隣にいるエルも、何も臆せず堂々とした目で観客席を見つめていた。

いよいよ投票の時が来た。
観客たちはポケリウムを手に、その時を今か今かと待っている。
ここでサトシは重要なことに気が付いた。
急いで中に入って来たため、ポケリウムを貰っていないのだ。
扉近くのギャラリーで立ち見しているサトシの周囲に人はなく、シトロンたちが座っているであろう観客席からも離れている。
このままでは投票ができない。
どうしようかと一人焦るサトシだったが、足元に駆け寄って来た黄色い彼がその焦りを解消してくれた。


「ピカピ、ピーカーチュ!」
「おぉピカチュウ!ポケリウムを持って来てくれたんだな!? でかした!」


ようやく中に入ったサトシに追いついて来たらしいピカチュウは、その手にポケリウムを抱えていた。
仕事のできる相棒に感謝し、その頭を撫でながら、サトシはポケリウムを受け取る。


「un deux trois!!」


ピエールの合図とともに、観客席はポケリウムの光をステージへと向ける。
サトシもまた、ピカチュウが持って来てくれたポケリウムをセレナの色に光らせ、ステージへと向ける。
エルの水色、セレナのピンク色の光が、それぞれの胸元に付けられているペンダントへと集まっていく。
全ての光が集まると、スタジアムの照明がほとんど切られ、あたりは暗闇へと包まれた。
ステージの照明だけが付けられ、ドラムロールの音だけが辺りに響く。


「トライポカロンマスタークラス、ミアレ大会。栄えあるカロスクイーンに輝いたのは……!」


セレナはそっと目を閉じる。
心臓が五月蝿い。
脳裏に浮かぶのは、辛かった特訓の日々。
最初はなんの夢も目標も無かったけれど、サトシたちと出会い、旅をする中で、ようやくやりたいことが見つかった。
初めて挫折し、それが本気で目指すべき夢だと気づくことができた。
頂点に立ち、それが簡単に維持できるものではないとわかった。
友人たちと会い、皆夢を追い続けていることを知った。
そして、自分も諦めたくないと思った。
もう一度夢を掴みたい。
ただそれだけを思ってここまで来た。
もう、悔いはない。

ドラムロールが鳴り止み、ステージの照明が全て一人のパフォーマーに注がれる。
カロスクイーンの座を手に入れたのは……。


パフォーマー、セレナ!!」


そっと目を開けば、自分に集められた照明が眩しくて驚く。
スタジアム中の拍手と歓声が鳴り響き、まるで会場が揺れているようだった。
ここから見える光景って、こんなに綺麗だったんだ。
そんなことをぼんやり考えられるほど冷静になっている反面、セレナの瞳からはツーっと涙がこぼれ落ちていた。


「ぃやったーっ!セレナかっこいいーっ!!」
「すごいですよセレナ!!」


シトロンとユリーカは立ち上がって声を張っていた。
ステージ上のセレナからは遠すぎてその声は当然届きはしないが、彼らがどんな表情でどんな感情でどんなことを叫んでいるか、セレナは簡単に想像できた。
シトロンとユリーカだけではない。
きっと彼も……。


「よっしゃアアァァーーーッ!! カロスクイーン、ゲットだぜエエェェーーーッ!!!!」
「ピッピカチュウーーーッ!!」


拳を上に突き上げて喜びを爆発させるサトシ。
その肩の上で同じように拳を突き上げるピカチュウ
まるで自分のことのように喜べるのは、セレナが彼らにとって大切な大切な仲間だから。
この瞬間を見届けるために、サトシは無茶をしてでもこのカロスにやって来たのだ。
こんなに喜ばしいことはない。


「クイーンの座に輝いたパフォーマーセレナには、こちらのプリンセスティアラを贈呈いたします!」


クレッフィが持ち上げていた美しいティアラは、セレナの金髪にそっと置かれる。
あどけなさが残る13歳の少女には、そのティアラは随分と重く、不釣り合いなものだった。
しかし、数年経てばきっとよく似合うアクセサリーとしてセレナを輝かせてくれるだろう。
このティアラが似合うようになるまで、クイーンの座を死守すればいい。
前回のように、すぐに奪われてしまわないように、セレナは瞳いっぱいに涙を浮かべながらティアラにそっと触れるのだった。


「ジャジャーン!プリンセスティアラ、ゲットよ!!」
「テーナーッ!」
「ヤッチャーッ!」
「フィアーッ!」


喜びを爆発させるセレナに、ポケモンたちもピョンピョンと跳ねながら喜ぶ。
そんなセレナに、隣に立っていたエルが歩み寄る。


「おめでとうセレナ。完敗よ」
「エルさん…」
「あなたと一緒にパフォーマンス出来て、すごく楽しかった。ありがとね、セレナ」


エルはそう言って右手を差し出した。
決勝開始前、同じように右手を差し出して来た時のエルとは全く違う表情をしている。
今の彼女は、瞳いっぱいに涙を浮かべている。
その涙は、セレナのような喜びからくる涙ではない。
そんなエルの表情を見て、セレナは悟る。
自分相手に、エルは本気で戦ってくれたのだと。
セレナはそんなエルに大きな感謝の念を抱きながら、差し出された右手を握り返した。


「こちらこそ、ありがとうございました!」


二人のパフォーマーが交わした硬い握手に、会場からは大きな拍手が沸き起こる。
両者の健闘を讃えるように鳴り響く拍手に包まれながら、マスタークラスは終わりを迎えるのだった。

 


***

 


与えられた控え室で着替えを終えると、サトシ、シトロン、ユリーカが部屋を訪ねて来てくれた。
遅れてしまった理由とここまで来た手段をサトシから事細かに説明され、セレナだけでなく、シトロンやユリーカまでもが驚き、言葉を失ってしまう。
リザードン一体でカントーからカロスを横断するなど、サトシでなければ実行できないであろう。
セレナのパフォーマンスまでに間に合ったのは、もはや奇跡である。


「ごめんねサトシ。そこまで無茶してまで来てもらっちゃって…」
「なんで謝るんだよセレナ。仲間の応援に行くのは当然だろ?」
「サトシ……」
「セレナ、おめでとう。信じてたぜ、絶対クイーンになれるって」


セレナにとって、サトシからの信頼は何より嬉しいものだった。
サトシが会場に駆けつけつけてくれたと知った時、セレナは言い知れぬ喜びを感じていた。
サトシがいれば、いや、サトシ、シトロン、ユリーカたちが揃って見ていてくれれば、怖いものなどなにもない。
セレナの優勝は、ここにいる全員で勝ち取ったものだと言っても過言ではなかった。


「これから忙しくなりそうですね、セレナ」
「そうだよね。サトシみたいに色んな人からインタビューされるんじゃない? 有名人になっちゃうね、セレナ!」
「デネネー!」


ユリーカの言う通り、クイーンは多忙極まりない。
一年半前にも一度その忙しさを経験していたため、セレナはその多忙さをよく理解している。
サトシに負けないくらい忙しくなるであろう自分の未来に、セレナは少々の不安を感じていた。
と、そんなセレナたちの耳に、興味深い話が届く。
控え室に設置されていたテレビから流れるニュースの音声である。
その番組は、早くもセレナが新しいカロスクイーンに就任したニュースを伝えている。


「もう今日のニュースやってるよ!」
「随分早いんだな」
「まぁ、近年のトライポカロンへの注目は高まりつつありますからね」


淡々とセレナの来歴を紹介するニュースキャスター。
その光景をなんとなく見ていた4人だったが、ニュース画面の上部に表示された文字を見て、全員が目を丸くすることになる。
《ニュース速報》の後に続いて表示されたのは、“元カロスクイーン、エル、パフォーマンス引退を表明”というものだった。


「え、エルさんが引退!?」
「ピーカ!?」
「嘘…なんで?どういうこと?」
「まさか、負けたからじゃ…」
「かもしれないな…ってセレナ!どこいくんだよ!?」


そのニュースを見て、セレナは1人控え室を飛び出した。
彼女が飛び出した後もニュースは続き、アナウンサーは次のニュースを読み始めている。
しかし、出て行ったセレナに注目していたため、その場にいた3人はそのニュースに誰も耳を傾けていない。


『次のニュースです。今日、カントーにあるポケモン協会にて、新会長にオーキド・ユキナリ氏が就任し、ポケモン保護法の改正を発表しました。この法案により、2年後からポケモン取扱免許は、指定されたポケモンスクールを卒業した者にのみ発行され、トレーナーは実質的にスクール通学を義務付けられることになります。なおオーキド氏は、自身もカントーにて大規模なスクール建設を予定しており、その教員として優秀なトレーナーを多数雇う方針を示しています……』


一方セレナは会場中を駆け回っていた。
大会が終わって30分ほど経過しており、会場に観客はほとんど残っていない。
廊下を走り、エルの控え室をノックして開けてみれば、そこにはもう誰もいなかった。
しかし、セレナはあきらめることなく走る。
階段を駆け下り、会場エントランスを抜け、外に出れば、そこには車に乗り込もうとするエルの姿があった。


「エルさん!」


彼女が車に乗り込む前にその名を呼べば、エルはピタリと足を止め、振り返る。


「セレナ…」
「ニュースで見ました。引退するって、本当ですか?」


セレナが追いかけて来た時点で、そのことを聞かれるのは予想していたようだ。
エルはその顔に笑みを浮かべて頷く。
そんなエルの姿に、セレナは言葉を詰まらせてしまう。
エルが何を思って引退の道を選んだのかはわからないが、ずっと憧れの対象であった彼女の引退は、セレナにとって辛いものだった。
引退しないでほしいと引き止めたい。
けれど、数十分前彼女に勝利したセレナがどんな言葉を投げかけたところで、それはエルにとって棘のある言葉にしか感じないだろう。
何を言えばいいのかわからず俯くセレナとは対象的に、エルはその顔に笑みを絶やさず口を開いた。


「前から決めてたの。もしも誰かにクイーンの座を奪われる事になったら、パフォーマーを引退しようって。きっと、セレナに奪われる事になるんじゃないかって予想はしてたけど」
「そうだったんですか…」


エルは一年半前、一度セレナに負けてから自分のパフォーマーとしての実力に限界を感じていた。
誰しも勝ち続けることは容易なことではない。
いつか敗北してしまう時が来る。
その時のために、エルは次の道を模索していた。
セレナからクイーンの座を奪い返したものの、彼女が再びその場を取り戻しに来ることは予想していた。
そして、その予想通り、セレナは今日エルからクイーンの座を奪った。
悔しさを感じなかったと言えば嘘になる。
長年クイーンの座に立ち続けたプライドと絶対的な自信が打ち砕かれたと同時に、全力で戦って負けたという達成感を得ることができた。
ここが自分の限界なのだ。
そう感じ、エルは引退の道を選んだ。


「私ね、カルネさんに女優にならないかって誘われてるの」
「カルネさんにですか!?」


カルネとえば、カラスが誇るチャンピオンであり、女優でもある。
エルは以前からステージ上での演技力の高さを買われ、カルネから直々にスカウトされていたのだ。


「上手くいくかは分からないけど、やってみようと思うの。新しい事にチャレンジする事で、もっともっと夢中になれるものが見つかるかもしれないじゃない?」


そう語るエルの表情は清々しい笑顔に溢れていた。
エルの言葉には、セレナも共感せざるを得ない。
サイホーンレースの練習が嫌で家を飛び出し、トライポカロンという新しい夢にチャレンジした経歴を持つセレナは、今のエルの気持ちがよくわかる。
パフォーマーとしての才能だけではない、もっともっと楽しくなれるような夢を追いかけ、新しい才能を見つけたいのだ。
そんなエルを、セレナが引き止められるわけもない。


「エルさんとステージに立てなくなるのは残念ですけど、応援しています。エルさんなら、きっといい女優になれると思います!」
「ありがとうセレナ。クイーンの座、守り通してね」
「はい!」


“それじゃあ”と手を上げて車に乗り込むエル。
しかし、セレナにはまだ伝えきれていない事があった。
車が発進する前に駆け寄り、エルの名前を呼べば、彼女は窓を開けて耳を傾けてくれた。


「私、エルさんがいなかったら、パフォーマーを夢見ることも無かったと思います。エルさんは私にとって、永遠に目標であり憧れなんです!今まで、本当にありがとうございました!」


半ば叫ぶように言うセレナは泣いていた。
そんな彼女の顔を見て、エルはまた笑みを浮かべる。


「いつか貴女も、誰かの夢のきっかけになれればいいわね」


エルを乗せた車はゆっくり発進し、そのまま道路に向かって走り去っていってしまった。
これから進む道は違くても、セレナにとってエルはいつまでも目指すべき目標である。
去っていく車を見つめながら、セレナは必ずクイーンの座を守り抜くと心で誓うのだった。


**********


セレナが自分の控え室に戻ると、そこにはサトシたちの他にヤシオの姿もあった。
ヤシオにエルのことを話してみれば、どうやら彼女はエルの引退について事前に知らされていたのだという。
エルはかつてヤシオがめをかけ、育てていたパフォーマー
そんな彼女の引退は、ヤシオにとっても受け入れ難い事実である。
しかし、エル本人が決めたことならば仕方がない。
そう言うヤシオに、セレナは強く頷いた。


「セレナ、エルが引退を決めた以上、貴女はカロスクイーンとしてきちんとその座を守っていく必要があるのよ」
「分かっています。エルに恥ずかしくないようなクイーンになってみせます」
「その意気よ」


スランプに陥っていた頃から想像できないほど、今のセレナはたくましくなっていた。
きっと今のセレナなら、次のマスタークラスでもクイーンの座を守りきれるだろう。
ヤシオはそんな確信を抱いていた。
“頑張れよセレナ”と声をかけるサトシたちに笑顔で答えるセレナ。
そんな光景に、ヤシオは目を細めて笑みを浮かべた。


「それでセレナ、今夜はどうするつもりなの?」
「今日はシトロンの家に泊まります」


アサメの実家に戻ることも考えたが、シトロンとユリーカの誘いがあり、2人の家に泊まる事にしたのだ。
もちろん、カントーから駆けつけたサトシも一緒に。
チャンピオンになったサトシはもちろんのこと、今日カロスクイーンになったばかりのセレナも、これからは忙しくなるだろう。
今まで以上に4人揃う事が困難になるため、今日のような機会は大切にしていかないといけない。


「そう。明日から忙しくなるし、今日はゆっくり休みなさい。それじゃあ、私は行くわね」
「はい。色々とありがとうございました!」


ヤシオはヒールを鳴らしながら控え室を出ていった。
スランプ状態だったセレナの腕を引き、ここまで仕上げてくれたのは他の誰でもない、ヤシオである。
彼女が指導していなければ、セレナがこうしてクイーンになることもなかっただろう。
去って行くヤシオの背を見つめながら、セレナは深く頭を下げるのだった。

 

 

***

 


荷物をまとめ、セレナはサトシらと共に控え室を後にした。
半ば興奮気味に今日のパフォーマンスの感想を述べるユリーカと並びながら階段を降りるセレナ。
そんな彼女たちを後ろから微笑ましく見守るサトシとシトロン。
そんな彼らが一階のエントランスに降りてくると、1人の男性が駆け寄ってきた。


「おーいみんなー!」
「パパ!」


その男性にいち早く気づいたのはユリーカだった。
パパと呼ばれたその人物は、シトロンとユリーカの父であり、さらに先程サトシをここまでバイクで送ってくれた人物でもあるリモーネだった。


「リモーネさん!さっきはありがとうございました。本当に助かりました!」
「いいってことよ!間に合ったようでなによりだ。セレナちゃんも、優勝おめでとう」
「ありがとうございます!」


リモーネがいなければ、十中八九サトシはセレナのパフォーマンスに間に合わなかっただろう。
ちょうど降り立ったヒャッコクシティにリモーネが通りかかってくれたことは、サトシにとって幸運な出来事であった。
サトシを送り、預かったモンスターボールポケモンセンターに届けた後、リモーネはポケモンセンターのテレビ画面でマスタークラスの生中継を視聴していた。
セレナが優勝を決めたその瞬間をなんとか見る事が出来たリモーネは、急いでこの会場へと駆けつけたのである。


「そうだ、サトシ君。これ、預かっていたリザードンだ。すっかり元気になったぞ」
「ありがとうございます。お帰りリザードン


リモーネからリザードンが入ったモンスターボールを受け取り、サトシはそのボールに向かって呟いた。
カントーからカロスという途方も無い距離を飛行してくれたリザードンにも感謝しなければならない。
あとであいつの好きなポケモンフーズをたんまり食べさせてやろうと考えるサトシに、セレナは慈しみの視線を向けた。


「ねぇパパ!今日サトシとセレナを家に泊めてもいい!?」
「もちろんだユリーカ。今日はセレナちゃんの優勝を祝ってパーティーだ!」


リモーネの言葉に、4人は声を揃えて喜ぶ。
実はサトシは昨晩カントーを出発してから今まで何も口にしていない。
飛行機の中で機内食を食べる予定だったが、そもそもその飛行機にすら乗れていないため、結果的に飲まず食わずの状況が出来上がってしまったのだ。
サトシはリモーネやシトロンの作るご馳走を想像し、腹を鳴らす。
そんなサトシに、周囲は苦笑いを零す。


「それじゃあ、早速我が家へ帰りましょうか」
「そうだな!…と言いたいところだが…」


シトロンの言葉に賛同しつつ、リモーネは背後の出入り口へと視線を向けた。
視線の先に何かあるのだろうかと、4人も彼の視線の先へと目を向ける。
するとそこには、セレナたちにとって非常に不都合な光景が広がっていた。
外の出入り口付近に、大量の野次馬がたかっているのだ。
あれではこの会場から簡単に出られそうに無い。


「えぇー!? なにあれーっ!」
「お、おそらくセレナのファンでしょうね…出待ちというやつです」
「あれ全部そうなのか!? すごいなセレナ!もうあんなにファンがいるなんて!」
「そ、そうかな…?」
「いや、そんなに悠長な事言ってられないと思うんですけど…」


今この会場に残っているパフォーマーはセレナのみ。
この状況で待っているということは、彼らはシトロンの言う通りセレナのファンなのであろう。
一度クイーンになった経験があるとはいえ、今日奪還したばかりの今、あれほど多くのファンを使ったことは流石としか言いようがないだろう。
呑気に褒めるサトシとユリーカだったが、シトロンはこの状況を良いものだとは思えなかった。

このまま自分たちが、と言うよりもセレナがあのエントランスを抜けて外に出れば、あの場はパニック状態に陥るだろう。
最悪、これから向かおうとしているシトロンたちの家にまで付いてきてしまう可能性も十分あるのだ。
パフォーマーにとってファンとは、自分の人気を押し上げてくれる存在でもあるが、同時に厄介なものへと豹変する場合がある。
それをきちんと理解しているリモーネも、その太い腕を組んで頭を悩ませている。


「たしかに、セレナちゃんをあのエントランスから外に出すわけにはいかないな」
「じゃあどうするの?パパ」
「せめてセレナちゃんだけでも、こっそりこの会場から出られればな…」


彼らの目的はセレナ。
セレナさえ脱出できれば特に問題は起こらないだろう。
自分がこの状況の原因を作っていることに、セレナは申し訳なさげな表情を見せる。
そんなセレナの様子を知ったか知らずか、横で聞いていたサトシが嬉々として口を開いた。


「それなら、俺に考えがあります!」


そう言うサトシの右手には、先程リモーネから受け取ったモンスターボールが握られていた。


**********


エントランスの自動ドアが開き、出入り口に群がっていたセレナのファンたちは、一斉に出てきた人物へと視線を向け、殺到してきた。
しかし、会場から出てきたのは彼らが待ち望んだカロスクイーンではなく、肩にピカチュウを乗せているこの街のジムリーダーとその父、妹のみ。
目当ての人物ではないと分かったファンたちは、落胆したよう道を開けた。


「作戦大成功だね」
「だな」
「ですね」
「ピーカーチュ!」


その光景を見て、リモーネ、シトロン、ユリーカは得意げに微笑むのだった。
一方この場にいないサトシとセレナはと言うと、先程サトシが思いついた作戦を実行し、隠密に会場の外へと抜け出していた。
その作戦とはいたって簡単。
ミアレスタジアムの開いている天井を利用して、ついさっき回復てもらったリザードンに乗り、空から脱出するというものだ。
これならばエントランスを潜らずに済むし、たとえ地上のファンたちに見つかっても空までは追ってこれないだろう。
そんなサトシの思惑通り、セレナを後ろに乗せてすんなり脱出できた。
セレナはサトシの体に腕を回し、風に煽られながらも落ちまいと必死にしがみついている。


「セレナ、リザードンに乗るのは初めてか?」
「う、うん。というか、空を飛ぶポケモンに乗るなんて初めての経験よ!」


風が五月蝿いため、2人ともいつもより大声で話す。
リザードンとはトレーナーになりたてだった頃からの付き合いであるため、サトシは彼に乗ることに慣れているが、セレナは違うようだ。
カロスにはリザードンを連れていかなかったため、そもそもこのリザードンとセレナは初対面なのである。


「そっか。じゃあ良いものを見せてやるよ!しっかり掴まってろよ!?」
「え?うわぁっ!」


サトシはリザードンに足で軽く合図を出したらしく、滞空していたリザードンは上昇を始めた。
リザードンにとってはゆっくり移動しているつもりなのだろうが、空を飛んだ経験のないセレナにとっては、物凄く速く感じてしまい、思わずサトシに捕まっている腕の力を強める。
自然と密着してしまうわけだが、今のセレナには、この状況に頬を染めるだけの余裕がない。
落ちたらどうしようかと、そればかりを考えていた。
やがて上昇するスピードが落ち、リザードンは再び滞空する。


「セレナ、見てみろよ」


サトシに促され、彼の背中越しにようやく前方へと視線を向けて見た。
するとそこには、目を奪われる光景が広がっていた。
プリズムタワーを中心としたミアレの夜景が、まるで宝石のようにキラキラ光り輝いている。
きっとこれは、この町にあるどんな高層ビルからも見ることが出来ない光景だろう。
あまりの美しさに、セレナは息を呑む。


「すごい……!」
「だろ?俺からセレナへ、優勝記念のプレゼントだ」
「ありがとうサトシ!すっごく嬉しいよ!!」


綺麗なものが大好きなセレナにとって、この夜景の海は見とれてしまうほどに美しいものであった。
しかも、このサプライズを用意してくれたのはあのサトシ。
セレナが喜ばないはずなど無かった。
満面の笑みでお礼を言うセレナに、サトシは少し照れたように鼻の下を掻く。


「良かった。セレナ、いつもの調子に戻ったな」
「へ?いつもの調子にって…サトシ気付いてたの!? 私がスランプ気味だったこと」
「ああ!まぁな」


一年半前の大会での敗北が原因で、セレナは今までスランプに陥っていた。
しかし、それまで会う機会が多かったシトロンやユリーカに相談してはいたものの、しばらく会っていなかったサトシには、何も話していない。
セレナがそんな状態であることを、サトシは全く知らなかったはずなのに、何故分かったのだろうか。
セレナは首をかしげる


「シトロンたちに聞いたの?」
「いや。2人からは何も聞いてないぜ。ただ、一年半前に負けてからセレナが大会に出なくなったのは知ってた。それに、カントーでのパーティーで全然元気なかったからさ、もしかしたらそうなんじゃないかって」


どうやらサトシは、あのパーティーでのセレナの様子を見て、スランプになっているのではないかと勘付いたらしい。
あの時、サトシは色々な大人たちへの挨拶で忙しく、会場では殆ど一緒にいなかった。
それにセレナ自身、サトシにだけは今の状態を気付かれまいと平常に振舞っていたはず。
しかし、サトシはセレナの僅かな変化に気付いていた。
かと言ってあの場で“元気出せよ”と無理に背中を押すことはかえって逆効果だろうと判断し、あえて何も言わなかったのだとか。
ずっとサトシは鈍感な人間だと思い込んでいたセレナだったが、そんなサトシの考えを聞かされて考えを改めることになる。
自分もスランプを経験したことがあるからこそ、彼はセレナの状態を察することが出来たのだろう。
色恋沙汰以外に関しては、サトシは誰よりも鋭い人間であったのだ。

サトシに気付いてもらっていた。
それはセレナにとって恥ずべき事なのかもしれないが、裏を返せばそれは、サトシがセレナを気に掛けてくれていたということにもなる。
スランプを克服した今のセレナにとって、恥よりも喜びの方が勝ってしまっていた。


「なぁセレナ。シトロンやユリーカには、悩みを相談してたんだよな?」
「うん。まぁね」
「じゃあ、どうして俺には何も言ってくれなかったんだ?」
「えっ」


背後にいるこちらを振り返らずに、低い声で呟くように言うサトシ。
その声は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも聞こえる。


「確かに、あの2人と違って直ぐに会いに行けるような距離にはいないけど、俺だってセレナの仲間なんだぜ?セレナが悩んでいるときは協力してやりたい。……それとも、何も相談できないほど、セレナにとって俺は頼りない存在なのか?」
「そんな…っ、違うよサトシ!」


サトシの優しさは嬉しい。
それこそ今にも飛び上がってしまうほどに。
けれど彼は誤解している。
その誤解を解かなければと、セレナは思わず声を荒げた。


「私、怖かったの。サトシに幻滅されることが。サトシはいつも夢を諦めず、前を向いて歩き続けてる。なのに私は、悩み続けて立ち止まっていた。こんな状態をサトシに知られたら、呆れられちゃうんじゃないかって…だから言えなくて…」
「呆れるわけないだろ!」


突然あげられたサトシの大声に、セレナは驚いて肩を震わせる。
そんなセレナの方にようやく首だけ振り向かせたサトシは、少しだけ怒っているかのような表情を見せていた。


「俺だって悩むことも立ち止まることもある。悩まない奴は成長なんて出来ないし、立ち止まらない奴はいつか道に迷うことになると思うんだ。悩んだり立ち止まることは、全然悪いことじゃないんだぜ」
「サトシ……」


サトシも多くの困難に立ち向かう中で、何度も悩み、足を止めてしまった経験がある。
しかし、そんな経験があるからこそ今の自分がいる。
スランプ状態になることは、成長への第一歩だと考えているサトシにとって、セレナの悩みは、決して呆れるようなものではなかった。
サトシは後ろのセレナを見つめながら、今度を優しく微笑む。


「俺さ、カロスでの旅では、皆に何度も救われた。だから俺も、セレナが悩んでいるときは力になりたいんだ。頼りないかもしれないけどさ、少しは甘えてくれてもいいんだぜ?セレナ」


セレナの中で、サトシという存在は非常に大きなものである。
“頼りない”だなんて、一度も思ったことがない。
そんな彼の言葉はセレナの胸に暖かく染み渡り、喜びを感じさせる。
こんなにも大きな背中がすぐそばにあったのに、どうして自分はその背に頼ることが出来なかったのだろう。
セレナはそっと頭をサトシの背に寄りかからせ、小さく頷くのだった。

 

 

 


END

 


番外編

 

四天王全員を勝ち抜くのは、容易なことではなかった。
4人全員に得意とするタイプがあったため、パーティー編成に偏りがあったものの、彼らが繰り出してくるポケモンは全てハイレベル。
覚悟はしていたものの、サトシも、彼のポケモンたちも皆満身創痍であった。
特に苦戦したのは、四天王最初の1人である、水、氷タイプ使いのカンナである。
彼女とは3年前、オレンジ諸島にて一度会ったことがあるが、その時にサトシは彼女から大事な事を教わっていた。
カンナの存在と言葉が、今のサトシを作ったと言っても過言ではない。
サトシは彼女に、返しきれないほどの恩を感じていた。

このバトルで、カンナに成長した自分を見せる。
そんな気持ちで挑んだ1戦目は、惨敗に終わった。
結局自分は何も成長していないのか。
強くなった気でいただけだったのか。
屈折しながらも、サトシは勝つために特訓をやめなかった。
迷い、悩みながらも特訓を続けるサトシを支えたのは、彼のポケモンたちだった。
苦楽を共にしながら、数ヶ月の特訓の後、迎えた2戦目。
実力だけでなく、精神的にも大きな成長を遂げたサトシ、カンナは驚いた。
そして、自身のエースであるルージュラリザードンに倒された瞬間、確信したのだ。
彼ならば、新しいチャンピオンになれる、と。

その勢いのまま、サトシは次々と他の四天王を下していった。
1人、また1人と勝ち抜いていくごとに、サトシとポケモンたちの喜びは高まっていく。
そしてついに、最後の四天王に勝利し、サトシはチャンピオンへの挑戦資格を獲得したのだった。

あれから一週間。
マサラに帰ってきたサトシは悩んでいた。
チャンピオンであるワタルに挑戦するのは、今から約一ヶ月後。
それまでにこちらのパーティー編成と戦略を練らなければならない。
サトシがこれまでゲットしたポケモンたちはどれも文句なしに強く、誰を選んでも勝てる自信があった。
だからこそ、悩んでいるのだ。
相手はあのワタルだ。一切手は抜けない。
だが、オーキド研究所で待つポケモンたちは、皆バトルに出たがる事だろう。
たった6体という狭い枠に入るために、みんな日々己を鍛えている。

誰を使うべきか、考え始めてすでに一週間は経過していた。
考えるよりまず動く、を信条としているサトシにとって、これほど長く思い悩むことは珍しい。
しかし、こればかりは考えずに実行するという行為は出来そうにない。
なにせチャンピオンとのバトルなのだ。
慎重に考えなければならない。
今日もまた、サトシはオーキド研究所のリビングで頭をもたげ、悩んでいた。
ソファに腰掛け、ぼーっと天井を眺めるサトシ。
テーブルを挟んだ向かいのソファには、幼なじみでありこの家の家主の孫でもあるシゲルが座っている。
研究員としての仕事のためか、テーブルの上に置いたノートパソコンをひたすらいじっている。

トレーナーを辞め、ポケモンの研究家を志してから3年。
シゲルは確実に成長を遂げていた。
数ヶ月前に学会に提出した、ポケモンの進化においてのDNA変化という題目の論文が脚光を浴び、10代前半という異例の若さで優秀な論文を書いた天才ポケモン研究家として、カントーでは知る人ぞ知る人物となっている。
オーキド博士の孫ということもあり、これからますます注目されるであろうシゲルは、今日も論文の執筆と収集した資料のまとめに忙殺されていた。
そんな彼にとって、目の前で天井を見ながら“あー”だの“うー”だの唸っているサトシの存在は邪魔以外の何者でもない。
パソコンの液晶に向けていた視線をサトシの方に向け、若干険しい眼差しで彼を睨みつける。


「君さ、考えるならもっと静かに考えたらどう? 気が散る」
「なーシゲル。オーキド博士とケンジいつ帰ってくるんだ?」


シゲルのクレームに何一つ反応せず、サトシは天井を眺めながら聞いた。
おい無視かよと小さなイラつきを覚えながら、シゲルは視線をパソコンに戻し、淡々とキーボードを叩く。


「さぁね。ポケモン協会に顔出してるはずだから、夜には帰ってくるんじゃない?」
「マジかよー。せっかく博士の意見聞きに来たのにー」


四天王に勝利した今、サトシは一旦各地の旅を終え、マサラにある実家を拠点に特訓をしていた。
考えが煮詰まり、ポケモンのプロフェッショナルであるオーキド博士の助言を貰おうと研究所へ足を運んだのだが、そこにいたのはたまたま帰郷していたシゲルのみ。
肝心の博士は、助手のケンジと共に遠方のポケモン協会の会合に参加するため留守にしていたのだ。
肩透かしを食らったサトシは、シゲルがわざわざ入れてくれたコーヒーにも手をつけず、一時間近くこうして唸っている。
どれだけ時間が経過しても変わらない状況に、仕事中のシゲルは呆れていた。


「博士、最近ポケモン協会に顔出すことやけに多くないか?」
「そう?」
「そうだろ。だって二週間くらい前も顔出しに行ってなかったか?」
「そうだったっけ?」
「博士と協会の間に何かあんのかな…」
「さぁね」


特別気になるわけでもないが、なんとなく思い出したことを口にするサトシ。
そんな彼の取り留めもない疑問を、シゲルは適当にあしらっていく。
幼馴染であるシゲルの特徴は、サトシが一番よく知っている。
このあしらい方は、事情を知っているがあえて言わない言い方だ。
きっとシゲルは、自分の祖父がポケモン協会に何度も足を運んでいる理由を知っている。
が、サトシにはその理由とやらを言うつもりはないらしい。
当のサトシも、博士が抱えている秘密をどうしても知りたいと言うわけでもない。
シゲルがあえて話さないというのなら、無理に聞き出そうとはしなかった。


「なーシゲル」
「………」
「なー」
「……んー?」
「お前ならどうする?」


またどうでもいいことを聞いてくるのだろうと、一瞬聞こえないふりをしてみたシゲルだったが、再び声をかかられたため仕方なく返事を返す。
するとサトシは、先ほどとはうって変わって真剣な声色で聞いて来た。
雰囲気が変わったサトシが気になり、シゲルは手を止めて再び視線を向ける。


「お前が今の俺の立場だったら、誰を選ぶ?」


真剣な声色とは裏腹に、サトシは天井を眺めたまま動かない。
そのせいで、彼が今どんな表情をしているのかうかがい知ることが出来なかった。


「僕の意見なんか聞いても参考にならないだろ」
「なるよ!」


天井に向けていた首をこちらに向け、サトシは言う。
何故の声は少しだけ怒気を帯びていた。


「お前バトル強いじゃん!ポケモンたちのこともよく知ってるし。そんなお前だから聞いてるんだよ」


それは未来のチャンピオンからのありがたい褒め言葉だった。
3年前、ジョウトリーグでサトシに負けた瞬間から、シゲルは自分にトレーナーの才がないことを自覚していた。
かといってサトシを恨んでいるわけではないが、やはり彼に対して少しばかり気後れしていたのは事実。
そんなあいてからの褒め言葉は、嬉しくもあり切なくもあった。
相手は世辞のせの字も知らないサトシである。
きっと本心で言ってくれているのだろう。
ならば素直に受け入れておこう、とシゲルは“どうも”と微笑んだ。


「僕が君だったら…。そうだな。 思い入れの強いポケモンで挑むかな」
「思い入れの強いポケモン?」
「相手はチャンピオンだ。相性が良ければ勝てるような相手じゃない。だったら、僕が強い信頼を寄せていて、なおかつ一緒に戦いたいと思うポケモンと共に挑むかな」
「相性よりも、一緒に戦いたいポケモンを、か……。そっか、そうだよな!」


シゲルの回答を聞き、途端に明るい声を出すサトシ。
どうやらなにか閃いたようである。
正直あまり深く考えずに答えていたため、サトシが一体何を考えついたのかは、シゲルにも全く見当がつかなかった。


「きめたぜシゲル」
「なにを?」
「チーム編成だよ!チャンピオンに挑む6体を今決めたんだ!」
「ふーん。誰にするの?」
「その前に、シゲルってさ、ポケモンたちの生息地について詳しかったよな?」
「ああ。その辺も専門分野だから」


シゲルが専門的に研究しているのは、ポケモンの生息地や種による小さな差異などである。
カントーポケモンならば、ほぼ全ての生息地を頭に入れている。
それを知っていて、サトシは問いただしているようだった。


「じゃあさ、渡りポケモンが今いる場所とかも分かったりするか?」
カントーを故郷としているポケモンならわかるよ。種によって通るルートが違うから、少しシュミレーションしなくちゃだけど。どのポケモン?」
バタフリーだ!!」


インストールしておいたシュミレーションソフトを起動させていた手を一瞬だけ止める。
何故数いるポケモンの中で、バタフリーの居場所を知りたいのかと疑問に思ったのだが、それを口にすることはなかった。
サトシのことだ。
きっと何か考えがあるのだろう。
黙って渡りの習性があるバタフリーたちの居場所を検索してみる。
正面のソファに座っていたはずのサトシが、ワクワクした様子で隣に腰掛けてきた。
操作しているパソコンの画面をじっと見つめてくるサトシの肩がシゲルの腕に当たり、キーボードが打ちにくい。
やがてシュミレーションが終了し、バタフリーの渡りルートが判明した。


「わかったよ。この季節なら、タマムシシティ近くの森にいるはずだ」
タマムシシティの森か……よし!」
「ただ、これはコンピューターソフトによるシュミレーションだから、渡りのバタフリーがみんなそこにいる保証は……って、ちょっと⁉︎」


シゲルの話を聞くことなく、サトシはアクロバティックにソファを飛び越えると、そのまま走ってリビングから出て行ってしまった。
相変わらず話を聞かない幼馴染に呆れるものの、シゲル自身、サトシの考えが気になっているため、放ってはおけない。
ソフトを終了させ、パソコンをスリープ状態にすると、シゲルもすぐにサトシの後を追うのだった。

 


***

 


リビングを飛び出したサトシが向かった先は、研究所の庭であった。
広大な庭を持つこの研究所では、マサラタウン出身のトレーナーたちがゲットしたポケモンたちが自由に暮らしている。
サトシのポケモンたちもまた、この庭を拠点として特訓を行なっているのだ。
この広い庭の中を方々に散っている自分のポケモンたちを一箇所に集めるには、かなりの時間と労力がいる。
しかも今は、いつも隣にいるピカチュウも研究所で遊ばせていたため手元にいない。
さてどうしようかと考えていたサトシの足元に、緑色の彼がやってきた。


「ダネダ」
「おっ、フシギダネ!ちょうどいいところに来てくれたぜ!」


足元にすり寄って来たフシギダネに目線を合わせ合わせるようにかがみ、その頭を撫でるサトシ。
フシギダネはサトシがゲットしたポケモンの中でもかなり古参であり、研究所に預けられているポケモンたちのリーダーを務めている。
責任感が強く、しっかりとした性格の殻を、サトシは昔から信頼していた。


フシギダネ、みんなを集めたいんだ。頼めるか?」


サトシの言葉にフシギダネは頷き、背中に背負った大きな種に光りを集めていく。
数秒後、そらに白く美しいソーラービームが放たれた。
サトシのポケモンたちにとって、フシギダネソーラービームは一種の合図のようなもの。
フシギダネは自分のソーラービームをいくつかに使い分けて、研究所に散っているポケモンたちに要件を伝えるのだ。
今回サトシに頼まれて打ったのは、“集合”を伝えるためのソーラービームである。
空を見上げながら、相変わらずフシギダネソーラービームは強くて綺麗だなとサトシが見とれているうちに、合図を見たポケモンたちが一斉に集まって来た。

まず初めに飛びついて来たのはピカチュウ
肩に飛び乗って来た相棒におかえりを言うと、今度は脇腹あたりにぐいぐいと何か押し付けられる感覚があった。
甘い香りを漂わせながら顔をすり寄せて来たのはベイリーフである。
彼女の頭を撫でながら周囲を見渡すと、どうやら全員集まったようだ。
さて大事な話を始めようかというところで、ようやくシゲルがサトシの元へと追いついた。
いつの間にかポケモンたちを集めていたサトシに、なんとなく察しがつき、シゲルは特に声をかけることもなくその光景を後ろから眺めていた。


「みんな、ワタルさんとのバトルに出てもらう6体がようやく決まった。今この場で発表する」


サトシの言葉に、ポケモンたちはざわつく。
全員がバトルに出たがっているために、彼らにとってこの発表は重大なものであるに違いない。
自然と空気が緊張してくる。
ざわつくポケモンたちに、サトシの肩から飛び降りたピカチュウが大声で“ピカーッ!”と一喝した。
どうやら“静かに!”と注意してくれたらしい。
流石のリーダーシップをとるピカチュウに、サトシは微笑んだ。


「まず一体目はピカチュウだ」


ポケモンたちの方に体を向けていたピカチュウは、サトシの言葉を聞いてすぐに彼の方へと視線を向け、再びその肩に飛び乗った。
サトシにとってピカチュウは一番の相棒であり、強い信頼も寄せている。
今回のバトルに任命されるのはなんは不自然なことではない。
ピカチュウは当然だとでも言いたげな表情で、サトシの肩に鎮座している。
そんな彼の様子に、他のポケモンたちが密かに苦笑いをこぼす。


「二体目はリザードンだ」


体が大きいため、一番後ろで腕を組みながら様子を見ていたリザードンに視線を向けて言うサトシ。
リザードンはそんな主人の言葉に強く頷く。
これまた驚いた様子もなく、まるで自分が選ばれることを予想していたかのような表情である。
サトシにとってリザードンは切り札とも言える存在。
大きなバトルはいつも彼とともに乗り越えて来た。
リザードンが選抜されるということは、本人だけでなく周りも予想していたこと。
周囲もとくにざわつくことなく、サトシの声に耳を傾けていた。


「そして三体目はお前だ、フシギダネ
「ダネ!?」


急に自分へと視線を向けたサトシに、フシギダネは驚愕の声を挙げる。
どうやら自分が選ばれるとは思っていなかったようである。
自分でいいのかと問いかけるような視線をサトシに向けるフシギダネだが、対した周囲のポケモンたちは何の疑問も抱いてはいなかった。
フシギダネは進化前にも関わらず、経験も豊富で無類の強さを誇っている。
その事実を、研究所のポケモンたちもよく知っているのだ。
サトシにとってのフシギダネという存在も、ピカチュウの次に付き合いが長いポケモンというだけあって、その信頼はあつい。


「よし、とりあえず以上だ」
「以上!?」


そんなサトシの言葉に驚いたのは、後ろで見ていたシゲルであった。
聞いていたポケモンたちも、顔を見合わせたり首をかしげたり、反応はさまざまである。
ワタルとのバトルで使用するポケモンは6体。
先程サトシが指名したポケモンは3体だけ。
あと3体も足りないのだ。
もう少し発表が続くと思っていたポケモンたちは、みんな腑に落ちない様子であった。


「サトシ、今回のバトルはフルバトルなんだぞ? あとの三体は…」
「もちろん、あとの三体もきちんと決めてある。けど、ここにはいないんだよ」
「ここにいない?」


一瞬だけどういうことかと戸惑ったシゲルであったが、先程バタフリーの居場所を聞いて来たサトシの行動を思い出し、合点がいった。


「サトシ、君まさか…」
「ああ。俺が一緒に戦いたいと思う6体は、俺にとって最初の6体だ」


シゲル以上に驚いた顔をしていたのは、サトシの肩に乗っていたピカチュウや、様子を見ていたリザードンフシギダネであった。
サトシにとって最初の6体は、ピカチュウたちにとって同期とも言える存在。
しかしながら、その中の三体は今、サトシの手元にはいない。
彼らを使おうなど、一体誰が予想できるだろうか。
サトシとポケモンたちの事情を知っているシゲルも、オドロキを隠せないようである。


「君が最初にゲットした6体で、残りの3体と言えば…」
ゼニガメピジョット、それにバタフリーだ。これは、俺が上を目指す最後のバトルだ。だからこそ、あいつらで勝ちたい。あいつらと一緒に戦いたいんだ」
「ピカピ……」


驚きはすぐに喜びへと変わる。
サトシの言葉は、ピカチュウたちの胸を熱くするものだった。
トレーナーになりたての頃、右も左もわからないサトシと共に、夢を叶えるため旅に出た6体。
サトシが彼らに向けていた愛情や信頼は、三年経った今でも変わらない。
それが嬉しくて、ピカチュウは思わず涙ぐんでしまう。
足元にいるフシギダネも、離れて見ているリザードンも、穏やかな目でサトシを見つめている

きっと彼らも、考えていることは同じなのだろう。
サトシが他のポケモンたちへと視線を向けると、彼らも満足気な表情をしていた。
サトシが決めたことならば、仕方がない。
そんな空気が、周囲を支配していた。
バトルに参加できない他のポケモンたちに一言詫びを入れると、サトシはシゲルがいる背後を振り向き、口を開く。


「シゲル、あとのことは任せた。俺は今からあいつらを迎えに行く」
「は?今から?」
「ああ!夜までには帰ってくるからさ!フシギダネリザードン、お前たちも一緒行こうぜ」


驚くシゲルを尻目に、サトシはもう行く気満々なようで、表情が生き生きしている。
フシギダネは満面の笑みで頷き、サトシの胸に飛び込んで来た。
彼を抱えながら、サトシはリザードンに視線を向ける。
ぶっきらぼうな彼は、ピカチュウフシギダネほど素直ではないが、一緒に行きたいと思っているらしい。
サトシに背中を向け、腕を地面につけて体勢を低くする。
“乗れ”の合図である。
素直じゃないリザードンに苦笑いをこぼしながら近付き、その背中にまずは抱えたいたフシギダネを乗せてやる。


キングラーはいるか?」


ポケモンたちの塊に声をかけかけると、小さなワニノコツタージャたちの間から、大きなハサミを持った赤い体が前へと出て来た。
キングラーは、じぶんはここにいるぞとハサミを植えに持ち上げて自己主張する。
そんな彼にサトシは近付き、その巨大なハサミを何の躊躇もなく触れて撫でてやる。


フシギダネがいない間、キングラーがこの研究所のリーダーだ。皆きちんと言うことを聞くんだぞ?」


サトシの言いつけに、ポケモンたちは皆一様に腕やら触覚やらを挙げて元気よく返事をする。
まるで託児所のような光景に、シゲルは思わず吹き出した。
キングラーは普段ポケモンたちの世話よりも、オーキド博士の手伝いをしているが、この研究所にいた期間はフシギダネよりも長く、研究所の大黒柱とも言える存在である。
フシギダネに代わってリーダーを務めるには申し分ない。
“頼んだぞキングラー”とサトシに微笑まれ、信頼されたことが嬉しいのか、その巨大ハサミを上げ下げして喜んでいる。


「それじゃあなシゲル。行ってくる」
「あ、あぁ…」


シゲルへの挨拶をさっさと済ませると、サトシは素早くリザードンへと跨る。
肩にはもちろんピカチュウが乗っている。
リザードンはその大きな翼を数回羽ばたかせると、周囲に突風を起こしながら飛び立って行った。
トキワシティ方面へと飛んで行くリザードンの背に向かって、ポケモンたちは見送りの手振っていた。
サトシというトレーナーはまったく嵐のような奴である。
一度決めたら動かずにはいられない。
誰にも止められないのだ。
しかし、その勢いがサトシのいいところでもあるのだが。


「ようやく静かに仕事が出来るな」


そう呟いて、シゲルは一人、研究所の中へと帰って行くのだった。

 


***

 


サトシとピカチュウ、そしてフシギダネを乗せたリザードンが現在飛んでいるのはトキワの森上空。
一番最初に用がある場所である。
サトシは10年前、この場所に大事な仲間を置いて来た。
当時ピジョンから進化したピジョットである。
このトキワの森で、オニドリルから虐げられていたピジョンの群れを守るため、ピジョットはここに残ったのだ。
いつか迎えに行きたいと考えながら、もう3年の月日が流れてしまっていた。
彼は自分を覚えているだろうか。
そんなことを考えながら、サトシは鬱蒼と生い茂る森を見下ろしていた。

上空からならば森全体が見渡せるため、見つけやすいと思っていたが、どうやら間違いだったらしい。
木々が邪魔で、上空からは森の中が見えそうにない。
低空飛行に切り替えて探すべきだと判断したサトシは、リザードンに低く飛ぶよう指示を出そうと口を開くが、すぐにその口を閉じてしまう。
一瞬だけ視線を向けた前方に、こちらへと飛んでくる影が見える。
美しいたてがみに、黄土色の翼。
あれは間違いなくピジョットである。
こちらへとまっすぐ飛んでくるピジョットに、サトシは思わず笑みを浮かべた。

よかった。こんなにすぐに見つかるとは思っていなかった。
手を挙げて満面の笑みで“ピジョットー!”と叫んでみる。
しかし、どうやら様子がおかしい。
リザードンとの距離が近くなっていると言うのに、こちらに向かってくるピジョットは一向にスピードを落とそうとしない。
それどころか、どんどん加速している。
まさかとは思ったが、サトシの予想は当たってしまった。
ピジョットリザードンめがけて全速力で突っ込んで来たのだ。
ものすごいスピードであったが、リザードンは間一髪というところでかわす。
振り落とされないように、フシギダネを抱え込みながらリザードンに捕まるサトシ。
肩に乗るピカチュウも、落ちないように必死でサトシにしがみついている。

再び攻撃するつもりなのか、相手のピジョットリザードンの直ぐそばを旋回する。
直ぐ真横を通ったピジョットの姿を見て、サトシは確信した。
あれは自分のピジョットではない。
リザードンから距離を空けて、再び加速してきた。
また突っ込んでくるつもりらしい。
反撃してやろうとリザードンは口内に炎を溜めるが、それをサトシが制止した。


「まてリザードン!あのピジョット、もしかしたらあいつの仲間かもしれない。攻撃しちゃダメだ!」


“ならどうしろってんだ⁉︎”とでも言うように、リザードンは激しく唸る。
だが、相談している暇などない。
加速したピジョットは一気にサトシへの距離を詰めてくる。
リザードンは再び旋回し、かわすことに成功した。
しかし、手元で踏ん張っているフシギダネを庇うことに手一杯だったサトシは、自分の肩にいるピカチュウを守るだけの余裕は無かった。
ピジョットをかわすために激しく旋回したせいで、ピカチュウはサトシの肩から滑り落ちてしまう。
サトシがそれに気付き、手を伸ばしたがもう遅い。
サトシの手をすり抜け、ピカチュウは真下の森へと真っ逆さまに落ちてしまう。


ピカチュウーーーーッ!!!!」


もうだめだ。
そう諦めかけた瞬間だった。
森の中から黒い影が、物凄いスピードで低空飛行しながら間一髪のところでピカチュウをすくい上げた。
ピカチュウは、自分の身に何が起きたのか一瞬だけわからなかったが、周囲を見渡して自分が鳥ポケモンの背に乗っているのだと直ぐに判断できた。
しかも、ただの鳥ポケモンではない。
彼を助けたのはーーー


ピジョット!」


ピカチュウをその背に乗せたかつての仲間の姿に、サトシは歓喜の声を挙げた。
手元にいるフシギダネも、サトシを乗せているリザードンも、すぐにあのピジョットが彼だと気付き、笑みを見せている。
ピジョットはそのままこちらに近付くと、リザードンの隣に羽を落ち着かせる。
ようやく戻ってこれたピカチュウは、“ピカピー!”と叫びながらサトシに飛びついた。
無事に戻ってきたピカチュウに安堵のため息をこぼすと、サトシはすぐにピジョットへと視線を向けた。


ピジョット…本当に、お前なんだな」


サトシの問いかけに、強く頷くピジョット
その姿は、3年前と比べて少しだけ立派になっていたが、サトシがわからないわけがない。
当のピジョットも、自分のことをきちんと覚えていてくれた。
それが嬉しくて、サトシは思わず涙ぐんでしまう。


ピジョット……会いたかった……ッ!」


リザードンの背に跨ったまま、サトシはピジョットに抱きついてしまう。
ピジョットも久々の再会が嬉しいのか、まるで猫のように喉を鳴らしている。
感動の再会が繰り広げられる中、リザードンフシギダネは顔を見合わせて笑い合う。
だが、今は感動に浸っている場合ではない。
もう一方のピジョットが攻撃を仕掛けていた最中なのだ。
サトシの腕の中にいたピジョットは、すぐにその場を離れて、もう一方のピジョットの近くへと飛んで行く。
そしてなにやら話しているようだった。
心なしか、サトシのピジョットは怒っているようである。
そんなピジョットに叱られて、もう一方のピジョットはハッとしたような表情を見せた後にしょんぼりとまゆを垂らした。
もう一方のピジョットは、サトシのピジョットに比べて少しだけ身体が小さい。
この光景を見て、サトシはなんとなくこの二匹の関係性を察することができた。


**********


2匹のピジョットに案内されるように森の中へと降り立つと、そこは木々に囲まれた楽園のような場所であった。
たくさんのポッポやピジョンたちが寄り添っているのを見ると、どうやらここは彼らの大きな巣であるらしい。
リーダーであるサトシのピジョットの帰還に、周囲で見つめていたポッポたちは喜びの鳴き声を挙げる。
3年前に別れて以来、ピジョットはしっかりとこの群れのリーダーを務めているようだ。
しかし、そんなピジョットも、そろそろ世代交代の準備をしているのだろう。
先程サトシたちを襲ってきたピジョットが、この群れの新リーダー候補なのだ。
彼はサトシたちを縄張りを荒らすトレーナーだと勘違いし、襲ってきたのだという。
この自然に囲まれた空間はポケモンたちにとって非常に心地いいものらしく、ピカチュウリザードンフシギダネは早速草の上でくつろいでいる。


「それにしてもピジョット、お前本当に立派になったな」


そう言ってピジョットの頭を撫でてやると、彼は気持ちよさそうに目を瞑った。


「ごめんなピジョット。ずっとずっと待たせちゃって…。俺、お前のトレーナー失格だな」


サトシの言葉に、ピジョットはその綺麗なたてがみを揺らしながら首を横に振る。
ピジョンだった頃から、彼は気が優しく、そして素直であった。
3年前、彼と出会ったのも別れたのもこのトキワの森である。
彼と過ごした日々を思い出し、サトシは再びピジョンを抱き寄せた。
やはり、最後のバトルは彼と共に戦いたい。
いや、彼だけではない。
旅だった頃のあの6体全員で戦いたい。
その決意を固めたその時だった。
上空から、鳥ポケモンの鳴き声が響く。
その場にいた全員が何事かと上を見上げれば、木々の間から覗く空を、大きなオニドリルが飛び回っている。


「あいつ、まさか……」


3年前からピジョットたちと縄張り争いをしているオニドリルである。
昔サトシのピジョットが追い払った過去があるが、今でもピジョットたちの縄張りを侵そうとしているようだ。
まだ懲りないのかと拳を握るサトシ。
その背後で翼を羽ばたかせる音がした。
サトシがその音に振り向くと同時に、新リーダー候補のピジョットが空へと飛び立っていった。
ハイスピードで上昇して行ったピジョットは、オニドリルと上空で向き合った。

ピジョットは体を張って群れを守ろうとしているのだろう。
大きな雄叫びとともに、物凄い勢いでオニドリルに突っ込んでいく。
先程リザードンに挑んだやり方と同じである。
突っ込んでいくスピードは申し分ない。
しかし、ピジョットの動きは単調で、オニドリルにすぐにかわされてしまう。
そして背後からすぐにオニドリルの反撃が開始する。
翼を光らせて発動させた〈はがねのつばさ〉は、ピジョットの背中に直撃してしまった。
技を受けてしまったピジョットに、地上で見上げていたポッポたちは心配そうな鳴き声をあげる。
彼を心配しているのは、ポッポたちだけではない。
サトシも同じである。
オニドリルからの一撃を受けてしまったピジョットを見て息を呑むと、近くの木に寄りかかっていたリザードンに視線を向けた。


リザードン!俺たちも行くぞ!」


突然自分に向けられた視線に、リザードンは仕方ないなとでも言いたげな態度で立ち上がった。
しかし、そんなリザードンをサトシピジョットがその大きな翼で制止する。
そんなピジョットの行動に、リザードンもサトシも驚きの表情を見せる。


ピジョットお前……手を出すなって言うのか?」


サトシに問いかけに頷くピジョット
これはあのピジョットが群れを守るための戦いであり、自分たちは手を出すべきではない。
そんなピジョットの心情を、サトシはよく理解できた。
男なら、たった一人で戦わなければならない時もある。
サトシのピジョットが上空を見つめる目は、これ以上ないほど真剣なものだった。

空ではまだ2匹のバトルが繰り広げられている。
再び突っ込んで行くピジョットの攻撃をかわし、オニドリルがその背に〈ドリルくちばし〉をきめる。
ピジョットは突っ込んで行くばかりで、その動きを完全に読まれてしまっているのだ。
このままではまずい。
ポッポたちがピジョットのピンチに騒ぎ出す。
二発もの攻撃を受けてよろめくピジョットに、今度はオニドリルが突っ込んでいく。
これでとどめをさすつもりなのだろう。
サトシが見た所、ピジョットの体力はもう限界だ。
この一撃を受けてしまったら、きっとピジョットは飛ぶことすらままならなくなってしまうだろう。


ピジョット、あぶない!」


サトシの叫びとともに、周囲の空気が緊張していく。
だが、ピジョットはまだ諦めてはいなかった。
突っ込んでくるオニドリルめがけて、今度は特殊攻撃である〈エアスラッシュ〉を打ち込んだ。
物理攻撃しか仕掛けてこなかったピジョットの、このタイミングでの〈エアスラッシュ〉は予想できなかったらしい。
技をもろに受けて、オニドリルはふらふらと後退する。
その隙を逃すことなく、ピジョットは〈つばめがえし〉をお見舞いする。
畳み掛けるような攻撃に戦意を失ったのか、オニドリルは悲痛な鳴き声を挙げながら飛び去って行った。


「やったぜピジョット!」


新リーダー候補の勝利に、ポッポたちは素直に喜んでいる。
自分のピジョットに目を向ければ、彼も満足気な表情で見上げていた。
オニドリルを倒したピジョットも、喜びの雄叫びをあげる。
しかし、その喜びもつかの間。
喜ぶピジョットの背後から大量のオニスズメたちが列をなして飛んできた。
恐らくあのオニドリルの仲間なのだろう。
ピジョットは近付いてくるオニスズメたちに気付いていない。
たとえ進化前のオニスズメであっても、あれほどの数で一斉に襲われてはひとたまりもないだろう。
なんとか助けなければと身構えたサトシであったが、彼が反応するよりも早く、隣にいたサトシのピジョットが空へと飛び上がった。
翼の羽ばたきによって舞い上がる木の葉に顔をしかめるサトシ。
ピジョットは猛スピードでもう1匹のピジョットオニスズメたちの間に割って入ると、その大きな翼を力強く羽ばたかせる。
その羽ばたきによって生まれた風は突風となってオニスズメの群れを襲う。
あれは単なる〈かぜおこし〉ではない。
昔見たことがあるひこうタイプの技に酷似していたため、サトシあの技の正体にすぐ勘付いた。


「あいつ、〈ぼうふう〉を覚えてたのか!」


ピジョットが発生させた強力な〈ぼうふう〉によって、オニスズメたちは離散し、そのまま逃げて行った。
現リーダーの貫禄勝ちに、ポッポたちも歓声をおくる。
一層大きくなった体に、強力な技。
明らかに強くなったピジョットの姿に、サトシは見上げながら目を細めた。

 


***

 


「やったなピジョット!お前の力で群れを守ったんだ!」


地上に戻ってきた二羽のピジョットを、ポッポたちは歓声とともに迎えた。
サトシが新リーダー候補のピジョットの頭を撫でながらそう言うと、彼は嬉しそうに頷いた。
彼を褒め称えたのは、サトシだけではない。
サトシのピジョットもまた、彼に何やら声をかけている。
具体的に何を言っているのかは分からないが、彼を認め、褒めていることは確かである。
さらに周囲のポッポやピジョンピカチュウフシギダネまでもが、新リーダー候補の彼に駆け寄り、褒め言葉や労いの言葉をかけているようだった。
照れたように笑う彼を、サトシとピジョットは慈しみの表情で見つめていた。


ピジョット、お前、あいつにリーダーの座を渡すつもりなのか?」


声をあげずに頷くピジョット
その表情は少しだけ寂し気だった。


「そっか。お前はこれからどうするんだ?」


ピジョットは何も言わずに俯く。
どの種族のポケモンも、リーダーの座を明け渡した者は群れから離れるケースが多いとシゲルから聞いたことがある。
ここのピジョットたちもその例に漏れていないのであれば、サトシのピジョットもこの群れを離れることになる。


「……実は俺さ、今日はお前を迎えに来たんだ」
「?」
「俺、1ヶ月後にチャンピオンのワタルさんとバトルするんだ。今まで以上に大きなバトルになると思う。だからこそ、信頼できる奴と一緒に戦いたい」


ピジョットはただ黙ってサトシの言葉を聞いていた。


ピジョット、俺と一緒に来ないか? お前と一緒に戦いたいんだ」


サトシの言葉に、ピジョットは驚きを隠せないようだった。
チャンピオン戦という大きなバトルに、長らくバトルの舞台から遠のいていた自分を使うのかという驚きと、サトシがまた自分を必要としてくれたという喜びが、同時にピジョットを襲う。
動揺しているピジョットをよそに、サトシは真剣な眼差しをまっすぐに向けてくる。
どうすればいいのかと言葉を失ってしまっていたピジョットの耳に、その場にいたポケモンたちの声が届く。
ふと視線を向ければ、笑顔のポッポやピジョンたちがそこにいた。
彼らに囲まれている新リーダーのピジョットは、胸を張って強く頷いている。
群れのことは自分に任せろ。
そう言いたいのだろう。
ピカチュウフシギダネも、ピジョットの足元に駆け寄り、笑顔を見せている。
“いっしょに行こうよ”
そう言いたげな二人の表情に、ピジョットは胸の奥から湧き上がる熱いものを抑えられずにいた。
視線をサトシへと戻すと、ピジョットは笑顔で首を縦に振った。


ピジョット…!よかった!」


サトシは喜びを抑えることなく、ピジョットに抱きついた。
ピジョットもまんざらでもない様子で、自分の頬をサトシに擦り寄せている。
3年の月日が経とうとも、サトシとピジョットの間に芽生えた絆は断ち切れる事がない。
ふたたび自分の元へと帰ることを決意してくれたピジョットの頭を、サトシは愛おしむように撫でるのだった。

やがて落ち着きを取り戻したサトシは、新しいリーダーとなったピジョットやポッポたちに別れを告げ、肩に乗って来たピカチュウと共にリザードンへと跨る。
フシギダネを背に乗せたピジョットと共に、ポッポたちの鳴き声を背に受けながら森を飛び立つ。
慣れ親しんだ群れを離れるのは、ピジョットにとって寂しいに違いない。
そんな彼が決断してくれた今日の出来事を、決して無駄には出来ない。
絶対に勝ってやる。
そんな決意のもと、サトシは次の目的地へと向かうのだった。


**********


あれからしばらく飛んで、現在はヤマブキシティ上空を飛んでいる。
夜ならばともかく、昼間の大都会は非常に騒々しいものである。
流れる車の列を眺めながら、サトシはある建物を探していた。


「あったぞ!あれだ!」


サトシの言葉を聞き、リザードンピジョットはゆっくりと降下していく。
突然降り立った大型のポケモン2匹は非常に目立つようで、道行く人々の視線が一気にサトシへと集まる。
しかし彼らはポケモン世界の住人。
ひこうタイプのポケモンに乗って移動するトレーナーはそう珍しいものではなく、集まった視線はすぐに離れていった。
サトシが降りたのは、あるビルの前。
このビルには、カントーで最も大きなポケモン消防隊である、ゼニガメ消防団の本部が入っている。
この消防団のリーダーであるゼニガメは、元々サトシのポケモンなのだが、彼が消防団に参入した3年前と比べ、消防団は格段に大きくなっていた。
今ではカントーが誇る優秀なポケモン消防隊にまで成長したゼニガメ消防団だが、サトシがこのヤマブキにある本部を直接訪ねるのは初めての事だった。
リザードンピジョットに外での待機を命じ、ピカチュウフシギダネを連れてビルへと足を進める。
フシギダネゼニガメと特別仲が良かったため、早く会わせてやろうとするサトシの計らいであった。
ビルの押し扉を開けようと手を伸ばした時だった。
一台のサイドカーが、ビルの目の前で停車する。


「あれ、サトシくん?サトシくんよね?」


そのサイドカーから降りて来た人物に声をかけられ、振り向くサトシ。
そこにいたのは、見慣れた顔なジュンサーであった。


「ジュンサーさん!お久しぶりです」


彼女は昔からゼニガメ消防団の管理をしている女性で、サトシとも深い関わりがある。
バトルでゼニガメが必要になった時は、いつもそのサイドカーに彼を乗せて駆けつけて来てくれた。
しかし、今日はそのサイドカーにサトシのゼニガメはいないようである。
ジュンサーはハイヒールをコツコツと鳴らしながら、ビルへと入ろうとしていたサトシへと近づく。


「本当に久しぶりね。チャンピオンリーグ、テレビで見てたわよ?今度チャンピオンに挑むらしいわね」
「はい、その前に、ゼニガメの様子を見に行こうと思って」
「そうだったのね。あの子も喜ぶわ。案内するから、こちらへどうぞ」


ジュンサーの申し出は、サトシにとってありがたいものだった。
このビルはどうにも大きすぎて、サトシ一人では迷っていた事だろう。
外で待機しているリザードンピジョットに、“ちょっと待っててくれ”と手を振ると、サトシはジュンサーに連れられてビルへと入っていった。
受付を通り過ぎ、大き目のエレベーターに乗り込むサトシとジュンサー。
ジュンサーの手によって四階のボタンが押されると、そのままエレベーターは上昇する。
やがて四階に到着すると、ジュンサーはある扉の前で足を止めた。
どうやらここがゼニガメ消防団の事務所であるらしい。
扉の真ん中あたりに、ゼニガメの似顔絵が描かれたプレートがかかっている。


「ただいまー!みんな、お客さんよー!」


ジュンサーの元気な声と共に、扉が開かれる。
ジュンサーの肩越しに部屋の中を覗けば、中に数匹のゼニガメが存在が確認できた。
ソファに座るもの、テーブルのお菓子をポリポリたべるもの、テレビを観ているもの、同じゼニガメと言ってもその行動は様々だ。
その中の1匹に、サトシの視線が注がれる。
奥のテーブルに乗り、窓の景色を見ているそのゼニガメはこちらに背を向けており、サトシからは甲羅姿しか確認できない。
しかし、それでもすぐにわかった。
彼こそが、自分のゼニガメあると。


ゼニガメ


サトシが呼んでやると、そのゼニガメはピクリと反応し、勢いよくこちらに振り向いた。
ジュンサーの後ろにいるサトシの姿を確認すると、ゼニガメの表情はみるみるうちに喜びへと染まっていく。
そしてゼニガメは目を輝かせながら、サトシの名前を呼び、猛ダッシュでサトシの胸へと飛び込んだ。
周りに何の配慮もせず走って来たゼニガメのせいで、テーブルに置かれていたお菓子の皿が盛大にひっくり返ってしまったが、当のゼニガメにそれを気にしている余裕はない。


ゼニガメ、久しぶりだな!相変わらず元気だなお前!」


痛いほどに胸へと顔を擦り寄せてくるゼニガメの甲羅を優しく撫でてやるサトシ。
丸まっている尻尾をブンブン振って喜んでいるゼニガメの様子に、ジュンサーも和んでしまう。
ようやくサトシの胸から顔を離したゼニガメは、彼の足元にいたピカチュウフシギダネの存在に気付く。
サトシの腕の中から飛び降りると、ピカチュウフシギダネと何やら笑顔で話し始めた。
久しぶりの再会を喜んでいるのだろう。
彼ら三匹が揃って楽しそうにしているのは、カントーを旅していた時によく見た光景である。


「サトシ君が来てくれてよかったわ。この子、サトシくんに会いたがってたから」
「本当ですか?」
「ええ。チャンピオンリーグでサトシくんの試合がある日は、テレビにかじりつく様にして観てたから」


チャンピオンリーグは、各地方のポケモンリーグ優勝経験者が参加できる大会で、全国に生中継でテレビ放映される。
サトシが参加して優勝した数ヶ月前のチャンピオンリーグも、このカントーでは大いに注目されていた。
ゼニガメもそのチャンピオンリーグを気にしていてくれたらしい。
サトシにとって、それは何よりも嬉しい事実であった。


「ねぇサトシくん。今度のチャンピオン戦だけど、もうチーム編成は考えてるの?」
「はい。あの、そのことでジュンサーさんとゼニガメに話が……」


ゼニガメを連れ戻したい旨を話そうと口を開いた瞬間。
事務所のスピーカーからサイレン音と共に放送が鳴り響いた。
どうやらこの放送はビル内全域に響いているらしい。
ジュンサーだけでなく、ゼニガメたちまで一瞬のうちに静かになり、放送へと耳を傾けている


『消防本部より各局、消防団本部より各局。ヤマブキシティ西区民家から火災が発生。至急出動せよ。繰り返す。ヤマブキシティ西区民家から……』
ゼニガメ消防団、出動!」


放送が終わる前にジュンサーは指示を出し、ゼニガメたちは慌ただしく準備を始めた。
サトシのゼニガメもまた、壁にかかった消防団の刺繍入り法被を羽織ると、背負っている甲羅の隙間から慣れ親しんだサングラスを取り出した。
あのサングラスまだ持ってたのかと苦笑いするサトシをよそに、ゼニガメはサングラスをかけ、他のゼニガメたちを整列させる。
リーダーシップを発揮するゼニガメを先頭に、彼らはなんと窓から次々に飛び降りてしまう。
この四階から飛び降りれば、ひこうタイプ以外のポケモンはひとたまりもないだろう。
驚いて駆け寄ろうとするサトシを、ジュンサーが止めた。


「大丈夫よ。あの窓は滑り台になっていて、外まで直通なの」
「そうなんですか」
「聞いた通り火事が起きたみたいだから、私たちは行くわね。サトシくんはここで待って」
「待ってくださいジュンサーさん!俺も連れて行ってください!」
「え!?」


サトシのまさかの申し出に、ジュンサーは思わず頓狂な声を出してしまう。
未だサイレンが鳴り響く事務所の中で、2人の問答は続く。


「お願いします!俺、邪魔にならない様に後ろで見てますから!」
「……わかったわ。じゃあわたしのサイドカーに乗ってもらうから、急いで着いて来て!」
「はい!ありがとうございます!」


普通なら、こんな急を要する様な仕事に一般人を連れて行くことなどありえない。
しかし、サトシはリーダーのゼニガメのトレーナーである。
ジュンサーもそんな彼の願いを断ることが出来ず、首を縦に振った。
無理を押してワガママを通してもらった手前、ジュンサーの足を引っ張るわけにはいかない。
階段めがけて走り去って行った彼女を追うため、フシギダネを抱き上げ、ピカチュウを背に乗せて走り出した。
一気に1階まで駆け下り、ビルの外へと出ると、すでにジュンサーはサイドカーへと跨り、エンジンをかけて準備をしていた。
その前方には黒い大きな車両が停まっており、4階の滑り台から降りて来たゼニガメたちが乗り込んでいる最中であった。
猛スピードでビルから飛び出して来たジュンサーやゼニガメ、サトシたちに驚き、何が起きたのかと目をパチクリさせているリザードンピジョットが視界に入る。
彼らに“そこで待っててくれ”と告げると、ジュンサーのサイドカーに飛び乗る。
前方のゼニガメを乗せた車両は既に発進している。
サトシが飛び乗るのを確認すると、シートベルトを着けるのを待つことなく、ジュンサーはサイドカーを発進させた。

 

***

 


サイレンを鳴らした状態で道路を走れば、普通車両が面白い具合によけてくれる。
火災現場の西区に到着したのは、ビルを出て数分後だった。
サイドカーから降りたジュンサーが吹いた笛の音と共に、近くに停車していた黒い車両からゼニガメたちが続々降りてくる。
民家は一階部分が既に火に飲まれており、炎の勢いもかなり強い。
民家の目の前へと整列したゼニガメ消防団のすぐ背後には、サトシのゼニガメが立っている。
彼が大声で合図を出すと、ゼニガメたちは一斉に〈みずでっぽう〉を発射する。
サトシのゼニガメの指示一つで、〈みずでっぽう〉の標準が変わり、どんどんと炎を消して行く。
多くの野次馬が見守る中、ゼニガメたちは全く動揺することなく消火作業を進めて行く。
その光景を、サトシはフシギダネピカチュウと共に呆然と眺めていた。

やがて消火活動は終了し、民家の炎は完全に沈静化した。
野次馬たちからは大きな拍手がおくられ、ゼニガメたちは何事もなかったかの様に黒い車両へと帰って行く。
それも、サトシのゼニガメの指示によってきびきびと列をなし、進んで行く。
ジュンサーもサイドカーへと戻って来た。


「ジュンサーさん、いつもこんな感じなんですか?」
「ん?ええ。サトシくんのゼニガメには、本当に助けられてるわ。この町のヒーローね」


“この町のヒーロー”
そんなジュンサーの言葉が、なぜかサトシの胸に深く突き刺さった。
サトシにとってゼニガメは大切な仲間の1人であり、かけがえのない存在である。
しかし、そんなゼニガメを必要としているのはサトシだけではない。
今やカントーで最も大きな消防団のリーダーであるゼニガメは、この町の人たちにとって無くてはならない存在なのだ。
先程の野次馬たちの拍手を聞けばよくわかる。
たくさんの人に必要とされているゼニガメを、自分1人のワガママで連れ戻していいものだろうか。
サトシは先程までしようとしていた自分の行動に、一抹の疑問を感じていた。

やがてビルに戻って来たサトシたちは、先程の事務所でお茶をしていた。
ソファに腰掛けるサトシの隣には、先程まで法被姿で勇ましく号令をかけていたゼニガメが座っている。
おやつを両手でつまんでいるゼニガメのすがたは非常に愛らしい。
そんなゼニガメの様子を、サトシは複雑な瞳で見つめていた。


「サトシくん、そういえばさっき、出動する前に何か言いかけてたわよね? チャンピオン戦の話で……」
「あぁ…はい……」


なんとなくばつが悪そうに、サトシは俯く。
様子がおかしいサトシに、ゼニガメとは反対側の隣に座っていたピカチュウフシギダネは首をかしげる
サトシ自身、ここで迷うとは思っていなかった。
けれど、実際に多くの人に必要とされているゼニガメの姿を見てしまったら、強固だった決意も揺らいでしまう。
この町のことを、そしてゼニガメのことを考えれば、やはりここに置いて行くのが一番いいのかもしれない。
ゼニガメはこの町にとって必要なポケモンだ。
それを、自分1人の都合で振り回していい理由はない。


「……チャンピオンと戦う前に、ゼニガメと会っておきたかったんです。元気付けてもらうために」
「え?それだけ…?」


サトシの答えが意外だったのか、ジュンサーは驚いた様に聞き返した。
驚いたのはジュンサーだけではない。
サトシがここへ来た本当の理由を知っているピカチュウフシギダネも、驚いた様に顔を見合わせた。
しかし、彼らもサトシとは長い付き合いである。
主人の心情を察し、2人とも何も口には出さなかった。


「それだけです……」
「……そう」
「じゃあ、俺そろそろ行きます。ゼニガメ、これからも頑張れよ。それと……元気でな」


ゼニガメの頭を撫でるサトシの表情は、物悲しげであった。
ゼニガメはそんなサトシの表情から滲み出る彼のこころを読み取ることは出来ない。
どうしてそんな顔をしているの?
そんな疑問を孕んだ目を向けてくるゼニガメには気付いていたが、あえて知らないふりをして、サトシはピカチュウフシギダネを抱き上げた。
事務所から出て行こうとするサトシに、ジュンサーは慌てて立ち上がり、“下まで見送るわ”と申し出た。

ビルの外にはリザードンピジョットが待っていた。
“来てくれてありがとう”と言うジュンサーと握手を交わすと、足元のゼニガメに少しだけ視線を送り、直ぐに逸らしてその場から立ち去ろうと足を踏み出した。
リザードンにのって飛び立つには、この道路では人通りが多すぎて迷惑になる。
そう考えたサトシは、リザードンに乗ることなく、近くの公園目指して歩き出した。
一部始終を知らないリザードンピジョットは、どうしてサトシがゼニガメを連れてこなかったのかが疑問なのだろう。
リザードンが問いただす様にサトシの耳元で唸る。


「いいんだよリザードン。これでいいんだ」
「ピカピ…」


まるで自分に言い聞かせる様なサトシの声は震えていた。
自分のことよりも、ポケモンたちの幸せを第一に考えるサトシのことだ。
ゼニガメのことを考えて、やはりここに置いて行くことを選択した事は、リザードンたちにもすぐ理解できる。
声を震わせるほど悲しいのなら、もっと自分の気持ちに素直になればいいものを…。
そう思っていても、リザードンは決して態度には出さなかった。
サトシがそう決めたのなら、きっとそれが正解なのだと疑わないからだ。

去って行くサトシとポケモンたちの姿を、ゼニガメはジュンサーの横でじっと見つめていた。
その目はどこか寂しそうで、一切目をそらす事はない。
じっと見つめていたゼニガメだったが、そんな彼の方を振り返った者がいた。
フシギダネである。
サトシたちの一番後ろで歩いていた彼は、仏頂面で足を止め、じっとゼニガメの方を見ている。
すると踵を返し、走ってゼニガメとジュンサーの元へと戻って来た。
“置いていかれるわよ?”と声をかけようとしたジュンサーの言葉は、フシギダネの怒鳴り声に阻まれてしまう。
ゼニガメに何やら大声で怒鳴りつけているフシギダネの表情は怒りに満ちており、対するゼニガメフシギダネから視線を逸らし、黙って俯いている。
やがてゼニガメは目線を上げ、去って行くサトシの背を再び切なげな目で見つめている。
そのやりとりを見て、フシギダネゼニガメに何を言っていたのか、ジュンサーはなんとなく察しがついてしまった。


「ねぇゼニガメ。貴方、サトシくんに着いて行きたいんじゃない?」


ゼニガメの視線に合わせる様にしゃがみ込み、そう問いかけるジュンサー。
そんな彼女に、ゼニガメは驚いた様な視線を投げかける。


「だって、今物凄く悲しそうな顔してるわよ?」
「ゼニ……」
「私には、確かに貴方が必要よ。だからって、貴方の意思を無視してここに縛り付けるわけにはいかない。だって、貴方はゼニガメ消防団である前に、サトシくんのポケモンなんですもの」


今度はまたサトシへと視線を向けるゼニガメ
その背はどんどん小さくなっていく。
その背を見つめ、ゼニガメは小さな手をギュッと握りしめた。


「行きなさい。貴方のトレーナーの元へ」


もう限界だった。
我慢なんて出来ない。
ゼニガメは脇目も振らずサトシ目掛けて全力で走り出した。
彼と初めて出会った日、その旅に着いて行こうと歩き出したあの時の様に。


「ゼニガーーーッ!!!!」


サトシの名前を大声で呼んでみれば、彼は直ぐに振り向いてくれた。
全力で駆け寄ってくる小さな姿に、サトシは驚く。


ゼニガメ!?」


膝を折ってしゃがむサトシの胸に、再びゼニガメが飛び込んでくる。
頭を押し付けてくるゼニガメはどうやら泣いている様で、身体を震わせていた。


「なにやってるんだよ。着いて来ちゃダメだろ?」


ゼニガメは泣きじゃくりながらサトシは青い服を握りしめて離そうとしない。
そんな彼の姿を見てしまっては、サトシも拒絶することなど出来ない。
追いかえさなければいけない。
そう分かっていながらも、サトシはゼニガメの小さな身体を抱き込んでしまう。
そんなサトシたちのそばに、ジュンサーが歩み寄って来た。


「サトシくん、ゼニガメのこと、連れて行ってあげて欲しいの」
「え!?でも……」
「今日は、チャンピオン戦で一緒に戦うためにゼニガメを連れ戻しに来たんじゃないの?」


サトシの心中は、ジュンサーには筒抜けだったらしい。
隠すことなく、サトシは俯きながら頷く。


「確かにこの子が抜ける損害は大きいけど、ゼニガメは貴方と一緒にいることを望んでる。その意思を尊重してあげたいの。ゼニガメのために」
「ジュンサーさん…」


ジュンサーとゼニガメの付き合いも長い。
サトシが出る大会は必ずリアルタイムで見る様にしていたゼニガメの行動を、ジュンサーはよく知っていた。
そんな彼の姿を見ていれば、その本心などすぐに分かる。


ゼニガメ、お前はいいのか?」


自分に張り付くゼニガメを覗き込んで問いかけるサトシ。
そんな主人に、ゼニガメは涙で顔を濡らしながら満面の笑みで頷いた。
そんなゼニガメの顔見たら、サトシも堪えていたものを抑えられなくなってしまう。


「そういえばお前、初めて会った時も、こうやって着いて来ちゃったんだっけ」


そう呟いて、サトシは目元を拭う。
ゼニガメを抱き上げると、3年前と変わらない重みがその腕の中にあった。


「ありがとうゼニガメ。一緒に行こうぜ!」

 

サトシの言葉に、ゼニガメは両手を上げて元気よく返事を返した。
その光景を、ピカチュウフシギダネリザードンピジョットは笑みを浮かべながら眺めている。
3年前と変わらない絆を持っているサトシたちを見て、ジュンサーは思うのだった。
彼らなら、本当にチャンピオンになってしまうかもしれない、と。

 

 

 

***

 


サトシとピカチュウを乗せたリザードン、そしてフシギダネゼニガメを乗せたピジョットカントーを空から横断していた。
やがてタマムシシティへとたどり着く。
大きなその街を素通りし、そのまままっすぐ飛べば、最後の目的地である森が見えて来た。
シゲルの話が正しければ、バタフリーはこの森にいる可能性が高い。
ゼニガメピジョットと違って、バタフリーは現在渡りポケモンとして野生で生きているため、確実にこの森にいるとは言い切れないが、可能性が少しでもある限りかけて見るしかない。
バタフリーを上空から探すため、サトシはリザードンに乗ったまま、ピジョットと二手に分かれて行動することにした。

たしかにこの森には渡りのバタフリーが多く生息しているらしい。
数分森の上空を飛んでいるだけで、何匹ものバタフリーを見つけることができた。
しかし、どれもこれもサトシのバタフリーではない。
3年前、サトシはバタフリーと別れる直前、彼の首に黄色いスカーフを巻いてやっていた。
あのスカーフをまだつけているかどうかは分からないが、それを目印にして探して見るが、どこにもいないのだ。
さらにバタフリーは、お嫁さんにしたピンク色のバタフリーと行動を共にしているはず。
もしもバタフリーがスカーフを外してしまっていても、ピンク色のバタフリーさえ近くにいれば直ぐに発見できるはず。
だが、そのピンク色のバタフリーさえも見つからない。
日がだんだんと傾き、夕焼けに変わる頃、別れて探していたピジョットと合流してみたが、彼らもバタフリーを見つけられていないようだった。
シゲルは、渡りのバタフリーがみんなこの森にいるとは限らないと言っていた。
もしかしたら彼の言う通り、この森には来ていないのだろうか。
数時間探しても見つからない事実に、サトシは落胆する。


「いや。最後まで諦めちゃダメだ!もう少し探そう!」


そう言って気合を入れ直したサトシに、ポケモンたちも強く頷いた。
最初の6体で戦いたいと思っているのは、探そうだけではない。
ポケモンたちも同じ思いなのだ。
ここまで来たからには、あの6体全員揃ってサトシをチャンピオンにしてやりたい。
バタフリーが欠けてしまっては、自分たちは完全にはなれない。
サトシとポケモンたちは、どうしても諦められなかった。
もう一度探し直そうと、その場から離れようとしたその時だった。
背中から押される感覚共に、ピカチュウの悲鳴がサトシの耳に届く。
先程まで体重がかけられていた肩が突然軽くなり、ピカチュウがいなくなったことがわかる。


ピカチュウ!?」


振り返ると、自分の肩にピカチュウはいない。
代わりによく見慣れた気球のすがたが確認できた。
ニャース型の気球には何やら機械が取り付けられており、その機械から伸びるアームがピカチュウの身体を捉えていた。


「一体なんなんだ!?」


サトシの言葉に反応し、気球に乗った男女とポケモンたちが口を開く。


「何だかんだと聞かれたら」
「答えてあげるが世の情け」
「世界の破壊を防ぐため」
「世界の平和を守るため」
「愛と真実の悪を貫く」
「ラブリーチャーミーな敵役」
「ムサシ!」
「コジロウ!」
「銀河を駆ける、ロケット団の2人には」
「ホワイトホール、白い明日が待ってるぜ!」
「ニャーんてニャ!」
ソーナンス!」


長い付き合いになる彼らの登場に、サトシは怒気を帯びた声で“またお前達か!”と叫ぶ。
身体に食い込んだアームに対抗しながらも、ピカチュウは逃れるために放電してみる。
しかし、あのアームは電気を通さない素材で作られているらしい。
例のごとく、ピカチュウの電撃は通用しない。


「油断したわねジャリボーイ、ピカチュウは頂いていくわ!」
「ふざけるな!ピカチュウを返せ!」
「返せと言われて返すわけないだろー?」
リザードン、〈かえんほうしゃ〉だ!」


話してわかる奴らだとは最初から思っていなかった。
サトシの指示を受け、リザードンは口から灼熱の炎を発射する。
ロケット団の気球に向かってまっすぐ放射された炎だったが、ニャースが取り出した傘のような形な機械に全て吸収されてしまった。
それだけではない。
その傘から、先程リザードンが発射した炎が出現し、サトシたちめがけて放射された。
驚いたリザードンピジョットであったが、間一髪その攻撃を飛び上がってかわす。


「ニャーはっはっは!このメカは技を吸収して跳ね返してしまうスグレモノなのニャー!」
「くっ…炎がダメなら水でどうだ!ゼニガメ、〈みずでっぽう〉!」


ピジョットに乗っているゼニガメに指示を飛ばすサトシ。
ゼニガメは全力で〈みずでっぽう〉を発射するが、その技もニャースのメカによって吸収され、そして跳ね返されてしまう。
反射されたみずでっぽうも何とかかわすリザードンピジョットだが、これではこちらに勝ち目はない。
どうすればいいかと焦るサトシとは対照的に、ピカチュウを捕らえて有利な位置に立っているロケット団は有頂天になっていた。


「無駄なのニャ!どんな技でもぜーんぶこのメカが跳ね返すのニャー!」
「おおっ!何か今日の俺たちいい感じじゃないか!?」
「ついに、ついにあのピカチュウをサカキ様に献上出来るのね!」


このままピカチュウを奪われるわけにはいかない。
かと言って取り戻そうと攻撃を仕掛ければ跳ね返される。
どうすればいい…!?
焦るサトシにとどめを刺してやろうと、ムサシとコジロウが腰につけているモンスターボールへと手を掛けたその時だった。
青い光が、ニャースの持つメカを包み込み、一瞬にして強い力でメカをぐしゃぐしゃに凹ませてしまった。
一瞬の出来事に驚き、混乱するニャース
対面するサトシも、何が起こったのか分からず、目を見開いていた。


「ちょっと、なによこれ!どうなってんの!?」
「わ、わからないニャ。突然メカが壊れてしまったのニャ」
「一体誰だ!?」


怒るロケット団と戸惑うサトシの間に、宙を舞う二匹のポケモンが現れた。
バタフリーである。
一匹はピンク色の身体をしたメスのバタフリー
そしてもう一匹はクビに黄色いスカーフを巻いたオスのバタフリーである。
そのバタフリーたちには見覚えがあった。
特にあの黄色いスカーフ。
少し汚れているものの、あれは3年前にサトシたちがつけてやったものだ。
間違いない。彼こそ、サトシが初めてゲットしたポケモンバタフリーである。


バタフリー……お前、なのか……?」


消え入りそうな声で問いかけてくるサトシに首だけ振り向き、頷くバタフリー
その姿に、サトシは懐かしさと嬉しさを感じていた。
シゲルの言葉は本当だった。
やっぱりこの森にいたんだ。
ようやく会えた。
色々な思いが、サトシの胸に込み上げてくる。
だが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。
ピカチュウを取り戻し、ロケット団を追い払わなければ。


「何よあんたたちだけで勝とうっての?」


たった二匹のバタフリーなど恐るるに足らない。
そんな様子のロケット団であったが、直ぐに焦る事になる。
二匹のバタフリーはアイコンタクトを交わすと、同時に青い光がその身体を包む。
ニャースのメカを壊したものと同じあの光は、〈サイコキネシス〉である。
ピカチュウを捕まえているアームが青い光によって包まれると、すぐさまバキバキと派手な音を立てて壊れ始めた。
簡単に壊れてしまったアームを見て、ロケット団は驚きの声をあげる。
やがてバタフリーたちの〈サイコキネシス〉に包まれたピカチュウは、宙を浮いてサトシの腕の中へと帰ってきた。


ピカチュウ!怪我はないか?」
「ピッカ!」
「ありがとうバタフリー、助かったよ」


二匹のバタフリーは息の合った動きでフワフワと飛んで見せた。
どうやらサトシに褒められて喜んでいるらしい。
しかしそんな和やかな空気も、焦りに満ちたロケット団の声によって壊されてしまう。


「逃すか!ニャース、もう一度ピカチュウを捕まえるんだ!」
「了解ニャ!」
フシギダネ!〈はっぱカッター〉だ!」


ニャースが手元のリモコンのボタンを押したと同時に、気球下に取り付けられていた新しいアームが伸び、サトシたちへと突っ込んでくる。
しかし、同じ手にかかるわけにはいかない。
サトシの指示を受けたフシギダネが、ピジョットの上から強力な〈はっぱカッター〉を発射せる。
物凄いスピードで放たれた〈はっぱカッター〉は、伸ばされたアームごとニャース型気球を切り裂いていく。
一気に空気が抜けてしまった気球は、ロケット団を乗せたまま森の中へと墜落していく。


「みんな、追うぞ!」


ピカチュウを一瞬でも奪われてしまった以上、やり返さなければ気が済まない。
サトシを乗せたリザードンピジョット、そして二匹のバタフリーも、落ちていったロケット団を追って森の中へと降下していく。
地上に降り立つと、そこにはボロボロになった気球の中でぐったりしているロケット団の姿が。
しかし目の前に現れたサトシたちの姿を見ると、直ぐに気球の中から飛び出し、モンスターボールを片手に臨戦態勢をとる。


「よくもやってくれたわね!出て来なさいパンプジン!」
「お前もだマーイーカ!」


ムサシとコジロウが投げたボールからは、パンプジンマーイーカが飛び出して来た。
どうやらポケモンバトルで決着をつけようという腹らしい。
後ろではソーナンスニャースも控えている。
望むところだとサトシは構え、リザードンに指示を飛ばす。


リザードン!〈かえんほうしゃ〉!」
ソーナンス!お願いっ!!」


リザードンのパワー全開の〈かえんほうしゃ〉は、ピョンと前にて出て来たソーナンスの〈ミラーコート〉によって跳ね返されてしまう。
あのソーナンスの反射技は非常に強力だ。
ただでさえ強いリザードンの〈かえんほうしゃ〉が、2倍の威力になって帰ってくる。
あの技を防げるのは、彼しかいない。


ゼニガメ、〈ハイドロポンプ〉だ!」


ゼニガメはその場で高速回転をはじめ、甲羅の間から勢いよく反射している水によって〈かえんほうしゃ〉を防ぐ。
強力な技のぶつかり合いに、周囲には轟音が鳴り響く。
あの〈かえんほうしゃ〉を防げたのは、相性がいいゼニガメだけだっただろう。
なんとか防ぎきったものの、あのソーナンスの〈カウンター〉や〈ミラーコート〉は強力だ。
迂闊に攻撃する事はできない。
その隙をつき、今度はロケット団の反撃が始まる。


パンプジン!〈タネばくだん〉!」
マーイーカ!〈サイケこうせん〉!」


パンプジンマーイーカの攻撃が、サトシたちを襲う。
なんとか防がなければと、今度はピジョットに指示を飛ばした。


ピジョット!〈ぼうふう〉だ!」


大きな翼を激しく羽ばたかせ、強い風を作り出すピジョット
その〈ぼうふう〉によって、〈タネばくだん〉と〈サイケこうせん〉は相殺される。
この勢いを殺してはいけないと、サイケは間髪入れずに次の指示を飛ばす。


ピカチュウ!〈10まんボルト〉!」


技がぶつかり合った衝撃で埃が舞う中、ピカチュウの電撃がまっすぐロケット団へと向かっていく。
しかし、その攻撃を容易く受け入れてしまうほど、ロケット団は愚かではなかった。


ソーナンス!」


相変わらず技名を指示しない主人の声に反応し、ソーナンスは自らの意思で〈ミラーコート〉を発動させる。
ピカチュウが全力で放った電撃も、虚しく跳ね返されてしまった。


「みんなかわせ!」


跳ね返されたあの電撃は防げないと一瞬で判断したサトシは、全員に指示を出す。
サトシのポケモンたちは全員スピードには自信がある。
黄色い電撃はポケモンたちの間を縫って、彼らの後ろへと通り抜けていった。


「無駄よ無駄!みーんなソーナンスの技で跳ね返してやるわ」
ソーナンス!」


単調な攻撃はみんなあのソーナンスによって跳ね返されてしまう。
ならば少しだけ攻撃方法に工夫を加えなければ。
サトシは少しだけ考えると、あるひとつの策を思いついた。


「それならこれでどうだ!フシギダネ、〈はっぱカッター〉! バタフリー、〈サイコキネシス〉!」


フシギダネから発射された〈はっぱカッター〉が、二匹のバタフリーによる〈サイコキネシス〉の光を得て威力が増していく。
この見事なコンビネーション攻撃が、まっすぐにソーナンスへと向かっていった。


ソーナンス、あれも跳ね返しちゃって!」


ソーナンスになんの迷いもなく指示を飛ばすムサシであったが、当のソーナンスは戸惑ったいるようだった。
それも当然である。
フシギダネの〈はっぱカッター〉は〈カウンター〉で跳ね返せる物理技。
対してバタフリーたちの〈サイコキネシス〉は〈ミラーコート〉で跳ね返せる特殊技である。
こういった状況にあっては、普通ポケモンはトレーナーの指示に頼るものだが、ムサシは技名を指示しない。
ソーナンスはどちらの技を跳ね返していいのか分からずに戸惑い、そして青い光をまとった〈はっぱカッター〉によって吹き飛ばされてしまった。


「えぇ!?ちょ、ちょっとソーナンス!?」
「どっちの技を跳ね返していいのか分からなかったのニャ…!」
「よし今だ!フシギダネ!〈ソーラービーム〉だ!」


ソーナンスがいなくなった今が好機だと、サトシはフシギダネに指示を出す。
フシギダネはその小さなタネに、太陽の光を集めていく。
すると、そんなフシギダネを見ていたサトシのバタフリーが、黄色いスカーフを揺らしながらサトシに近づいてきた。
ソーラービーム〉のスタンバイをしているフシギダネを指さし、何やら自己主張している。


バタフリー、もしかしてお前も〈ソーラービーム〉が使えるのか!?」


そう聞いてみると、バタフリーはブンブンと頭を縦に振る。
どうやら離れている間に、〈サイコキネシス〉だけでなく〈ソーラービーム〉まで覚えたらしい。
フシギダネの技と合わせれば、より強力なものになるだろう。
使わない理由は何処にもない。


「よし!バタフリー、お前も〈ソーラービーム〉だ!」


サトシの指示を受け、バタフリーもその綺麗な羽に太陽の光を集めだした。
ソーラービーム〉は強力な技だが、打つまでに時間がかかる。
それまでは迂闊に動けないフシギダネバタフリーを守らなくてはならなくなる。
その分隙が生まれやすくなるが、ロケット団がその隙を逃すわけもない。


「まずいわ!パンプジン!〈シャドーボール〉」
マーイーカ!〈サイケこうせん〉だ!」


ソーラービーム〉を発射させまいと、必死で指示を飛ばすムサシとコジロウ。
パンプジンマーイーカから繰り出された2つの技は、真っ直ぐにフシギダネバタフリーへと伸びていく。
二匹に手を出させるわけにはいかない。
サトシは技を防ぐため、ゼニガメへと指示を飛ばす。


ゼニガメ!もう一度〈ハイドロポンプ〉だ!」


高速回転を加えた〈ハイドロポンプ〉によって、2つの技は防がれる。
鉄壁の防御を誇るゼニガメに、ムサシとコジロウは驚きを隠せずにいた。


リザードンピジョットパンプジンマーイーカを掴んで飛び上がるんだ!!」


サトシを指示に、両脇にいたリザードンピジョットが素早く反応し、前へ出る。
物凄いスピードで間合いを詰めると、リザードンパンプジンを、ピジョットマーイーカを抱えて飛び上がった。
ジェット機のような速さであっという間に森の中真上へと飛び上がってしまい、既にパンプジンマーイーカは目を回していた。


「急降下!叩きつけろ!!」


大声で叫んだサトシの指示は、上空のリザードンピジョットの耳にもきちんと届いていた。
二匹は同時に急降下をはじめ、息の合った動きで地上へ目指していく。
やがて地面スレスレで掴んでいたパンプジンマーイーカを離し、二匹は轟音とともに地面にめり込んでいた。
もはやマトモに戦えるポケモンはいない。
だが、最後の一匹、ニャースは諦めていなかった。
鋭い爪をむき出しにし、サトシへと向き合う。


「仕方ない、ニャーが行くニャ!〈みだれひっかき〉ニャー!!」
ピカチュウ!〈アイアンテール〉だ!」


向かってきたニャースに、今度はピカチュウへと指示を出す。
ピカチュウのギザギザの尻尾は白く光り、ニャースの腹へと叩き込まれた。
一撃もダメージを与えることができず、ニャースは後ろへと吹き飛んでしまう。
もはや決着はついた。
サトシは最後の締めとして、フシギダネバタフリーに指示を飛ばす。


「これで最後だ!フシギダネバタフリー、〈ソーラービーム〉、発射!!」


サトシの叫びと同時に、フシギダネバタフリーは溜め込んでいた光を放出させる。
美しく強大なその光は、容赦なくロケット団を貫いた。
盛大な爆発とともに、ロケット団3人組は空へと飛ばされて行く。
恒例のあの掛け声と一緒に。


「「「やな感じーーーっ!!!」」」

 

 

 


***

 


遠く空の彼方への飛んで行くロケット団を眺めながら、サトシは安堵のため息をついた。
この森にやってきて、ようやく一息つける時がきたようである。
見事な連携攻撃でロケット団を撃退したサトシのポケモンたちは、それぞれ喜びを露わにしていた。


「サンキュー、バタフリー。おかげで助かったよ。お嫁さんもありがとう」


フワフワと宙を舞う2匹のバタフリーに微笑みかけると、お互いに鱗粉を飛ばしながら頷いた。
サトシのバタフリーは久しぶりに主人の顔を見て感極まったようで、サトシの胸めがけて勢いよく飛び込んでくる。
対するサトシも、そんなバタフリーを迎え入れるように優しく腕に抱く。
サトシにとってバタフリーは、初めてゲットしたポケモンであり、そして初めて進化させたポケモンでもある。
そんな特別とも言えるバタフリーと別れたあの日のことは、まるで昨日のことのように覚えている。
旅立つバタフリーの背に瞳いっぱいの涙を浮かべながら手を振ったあの日は、まさはこうして再会することになるとは思ってもいなかった。
バタフリーにさよならをしたあの時と同じように、サトシその目に涙を浮かべていた。


「元気そうで良かった…。このスカーフ、すっかりボロボロになっちゃったな」


バタフリーの首元に巻かれたスカーフは、あちらこちらに汚れが付着していた。
こんなに汚れているにも関わらず、バタフリーはこれをずっと着けていてくれたらしい。
地面からピョンと肩に乗ってきたピカチュウが、サトシの腕の中にいるバタフリーに何やら挨拶をしている。
するとバタフリーはサトシの腕からスルリと抜け出すと、ピカチュウをはじめとする他のポケモンたちと一人一人コンタクトを取り始めた。
バタフリーと久しぶりに会うのはサトシだけではない。
そもそもこの6体が全員集まるのは、カントーを旅していた時以来なのだ。
進化した者、新しい技を覚えた者、体が大きくなった者。
懐かしさと新鮮さに盛り上がるポケモンたちの姿は、サトシの心を和ませた。

そんな彼の耳に、この場にはいないはずのポケモンの鳴き声が聞こえてきた。
一緒に聞こえてきたガサゴソという音のする方へと視線を向ければ、茂みの間から小さなキャタピーたちがのそのそと近付いてきた。
現れた5匹のキャタピーに、ピンク色のお嫁さんがフワフワと近付いていく。


「おい、もしかしてあれって、お前の子供か?」


頷くバタフリー
驚くピカチュウたち。
そんなリアクションになるのも無理はない。
なにせかつての仲間がもうパパになってしまったのだから。
しかし、元々バタフリーは子孫繁栄のために旅立ったのだ。
あれから3年が経った今、きちんと子供を成しているというのは何ら驚くことではない。


「そっか。……俺はサトシ。お前たちのパパの友達だ。よろしくな」


自分のポケモンが父親になったという事実に、サトシは喜びを隠しきれなかった。
サトシが腰をかがめて自己紹介をする。
どうやらキャタピーたちは父親に似て人懐っこいらしく、可愛らしい鳴き声を挙げて体をゆらゆら揺らし、友好的な態度を示してくれている。
可愛らしい動きを見せるキャタピーたちを見て、サトシはかつての仲間であり虫嫌いな彼女のことを思い出した。
あいつがこの場にいたらきっと叫び散らすんだろうな…。
そんなことを考えて、サトシは苦笑いをこぼす。


「なぁバタフリー。実は俺さ、お前がここにいるって聞いて、ここまで探しにきたんだ」


フシギダネの種の上に腰を落ち着かせているバタフリーを見つめ、サトシは言う。
突然真剣な顔になったサトシの様子に、バタフリーは首をかしげた。


「1ヶ月後に、ワタルさんとバトルすることになったんだ。それに勝てば、俺はカントーのチャンピオンになれる。これは今まで以上に特別で、大切なバトルなんだ。だから…」


サトシはバタフリーに向けて腕を伸ばす。
“こっちへおいで”の合図である。
バタフリーフシギダネの種から舞い上がると、サトシの腕にとまる。


「また、俺の元に戻ってこないか? お前を加えたこの6体で、ワタルさんに挑みたいんだ!」


バタフリーは驚き、動きをピタリと止めてしまう。
驚くのも無理はない。
昔からの仲間とはいえ、バタフリーはリーグの出場経験はおろか、公式戦に参加した経験すらほとんどない。
そんな自分をバトルのために、しかもチャンピオン挑戦に使うために迎えに来たというサトシの言葉は、バタフリーにとって信じられないものなのだ。


「重要なバトルだからこそ、俺が一緒に戦いたいと思うポケモンで参加したいんだ。今俺が一緒に戦いたいのはお前なんだよ、バタフリー


サトシの言葉に、バタフリーの赤い目が次第に潤んでいく。
色々な地方を巡り、サトシは様々なポケモンたちを仲間にしていった事だろう。
そんな仲間たちと過ごす時間のなかで、自分のことはきっともう忘れてしまっているだろうと、バタフリーは考えていた。
しかし、サトシはバタフリーのことを忘れてなどいなかった。
それどころか、わざわざここまで会いに来て、一緒に戦いたいとまで言ってくれた。
その事実がただただ嬉しくて、バタフリーは涙をこぼす。
だが、残念ながらバタフリーには、サトシの提案を二つ返事で了承できるほど身軽ではない。
潤んだ瞳で、背後にいるピンク色のお嫁さんと5匹のキャタピーたちを見つめる。


「家族のことが心配なのか?」


その視線に気付いたサトシが問いかけてみれば、バタフリーは小さく頷く。
サトシの申し出は嬉しい。
しかし、父親になったバタフリーは、そう簡単に家族を置いていけるわけがなかった。
どうしても首を縦に振れないバタフリーを見て、サトシは“安心しろ”と呟いた。
そして腕に止まっていたバタフリーを胸に抱き直すと、お嫁さんや子供達に視線を合わせるように膝をついた。


「どうかな、皆も俺と一緒に来ないか?」


今度はお嫁さんや子供達が驚く番である。
まさか自分たちにまで声がかかるとは思っていなかったようで、皆顔を見合わせて戸惑っている。


「俺のポケモンたちが住んでるオーキド研究所は、ここに負けないくらい自然豊かで、子育てにはピッタリだと思うんだ。みんないい奴ばかりだから、他の野生のポケモンたちに襲われる心配もないし。それにな、ここだけの話だけど……」


そこまで言うと、サトシはわざとらしく周囲を見渡すと、小声でひっそりと囁く。


「たぶん、ここにいるより美味い飯が食える」


サトシの囁きに、キャタピーたちは一匹残らず目を輝かせた。
研究所にいれば、ケンジが毎日特製のポケモンフーズを用意してくれる。
その辺のきのみを頬張るよりはよっぽど豪勢な食事だろう。
それは幼いキャタピーたちにとっては非常に魅力的な事実である。
さらに野生のポケモンに襲われないと言うことは、お嫁さんにとって重要なことでもある。
特にとても強いとは言えない虫ポケモンたちにとっては、食料不足よりも他種族のポケモンからの被害のほうが深刻である。
人間の監視によって平和が約束されている世界に移り住めば、一生安寧に暮らすことができる。
サトシとバタフリー一家の利害は完全に一致していた。

ピンク色のお嫁さんは、サトシの腕の中にいる夫を見つめると、強く頷いた。
するとサトシのバタフリーは嬉しそうに脚をバタつかせ、サトシを見上げて甘えた鳴き声を挙げる。
“いっしょに行きたい”
彼はそう言っていた。


「来てくれるのかバタフリー!? いよっしゃああ!!」


喜びを爆発させ、腕に抱いていたバタフリーを両手で持ち上げるサトシ。
そんな彼のすぐ横で、ポケモンたちも喜びの声を挙げていた。
バタフリーを地面に下ろすと、サトシは横に並んだ6体のポケモンたちを順に眺めていく。
最初で最高の相棒、ピカチュウ
初めてのゲットしたポケモンバタフリー
素直で責任感が強いピジョット
研究所のリーダー、フシギダネ
最強のエース、リザードン
そして消防団の隊長、ゼニガメ
ワタルに挑む6体が全て揃った。
彼らを見つめるサトシの瞳は、闘志に燃えていた。


「お前たちとなら、絶対勝てる。俺はそう信じてる。これから1ヶ月かけて、もっともっと強くなるから、お前たちも俺について来てくれ!」


拳を握って力説するサトシに、ポケモンたちは強く頷く。
その表情は主人と同じで、闘志に燃えていた。


「いくぜみんな!打倒ワタルさん!そして、めざせポケモンマスターだ!!」
「ピカーッ!」
「ゼニーッ!」


サトシの叫びと共に、ピカチュウゼニガメは右手を上げて共に叫ぶ。
ピジョットは翼を広げて雄叫びをあげ、バタフリーは飛び上がって小さく右手を挙げている。
リザードンは口から灼熱の炎を吐き、フシギダネピカチュウゼニガメと共に闘志あふれる叫びを聞かせてくれた。
サトシの最初の6体は、最強の6体へと変化をとげようとしている。
1ヶ月後の未来を見据え、サトシは闘志を燃やすのだった。


**********


《さあとうとうこの日がやって参りました!チャンピオン防衛戦です!数年に渡りチャンピオンの座を守って来たワタル選手は、今回も防衛なるのでしょうか!?そして、今回のチャレンジャーは、新たなチャンピオンの座を手に入れることが出来るのでしょうか!?世紀の一戦が、今始まろうとしています!!》


入場ゲートの前で待機しているサトシの耳に、会場で鳴り響いている実況の声が届く。
ドームを埋め尽くさんばかりの観客の声援までもが、サトシには丸聞こえである。
だが、そんな騒がしい環境のなかでも、サトシの心は静かに澄み切っている。
そんかサトシの肩には、いつも通り黄色い相棒が乗っている。


「サトシ」


そんな彼を呼ぶ声があった。
振り返ると、そこにいたのはシゲル。
上着のポケットから何やら取り出すと、それを握っていた手のひらを開き、サトシに見せる。
彼が握っていたのは、サトシもよく知っている、あの“お守り”だった。


「これ、覚えてるか?」
「もちろんだ」


サトシも自分の上着をあさり、そのお守りを取り出した。
ボロボロになり、2つに割れたこのモンスターボールは、サトシとシゲルにとって特別な宝物である。


「負けるなよサトシ。君に負けていったトレーナーたちのためにも。僕のためにも」


ゲートのすぐそばで待機していたスタッフに、“入場お願いします”と声をかけられ、サトシはシゲルに背を向けて歩き出した。


「チャンピオンになって帰ってくるぜ」


ゲートが開き、光が差し込む。
逆光のためサトシの姿がシゲルからはよく見えないが、彼が赤い帽子を被りなおしたことは確認できた。
そしてサトシは、チャレンジャーとして、会場へと進む。
歓声がより一層大きくなり、会場は熱狂の渦に巻き込まれる。
既に入場していたワタルと向き合えば、審判によってルール説明が開始される。
使用ポケモンは6体。
チャンピオン、チャレンジャー共にポケモンの交代は自由。
時間無制限。
分かりきったルールを聞きながら、サトシはずっと数メートル先のワタルを見つめていた。
ワタルもサトシから目を逸らそうとしない。
闘志と闘志のぶつかり合いは、もう始まっているのだ。
あの人を倒せば、自分はチャンピオンになれる。
しかし、目の前にそびえ立つワタルという壁は、そう安易に越えられるような壁ではない。
だからこそ燃えるのだ。
相手が強ければ強いほど、サトシの闘志は熱く燃えたぎる。
絶対にまけない。勝ってみせる。
サトシはその顔に不敵な笑みを浮かべた。


「それでは両者、ポケモンを!」
「行け!ギャラドス!」


先攻を言い渡されたワタルが繰り出したのは、あの赤いギャラドスだった。
陸と水のフィールドに放たれたギャラドスは、サトシを威嚇するように咆哮する。
あのギャラドスの強さはよく知っている。
相手にとって不足はない。
サトシは肩に乗っている相棒へ視線を向けて叫んだ。


ピカチュウ、きみに決めた!」
「ピッカーッ!!」


フィールドを指差すサトシの腕を伝って、ピカチュウはフィールドへと飛び出していく。
電気袋からピリピリと放電させ、小さな体でギャラドスを睨むピカチュウは、誰よりも心強かった。
互いのプライドと実力をかけて、カントーの頂点を決める戦いが、今始まる。


「バトル開始!!」


でんこうせっかで駆け出すピカチュウを迎え撃つギャラドス
たった今始まったこの世紀のバトルは、後にカントーの住人の記憶に深く焼き付けられることとなる。


END

*1:忘れてた。パフォーマンスって、こんなに楽しかったんだ…

*2:やっぱり私、パフォーマンスが好きだ