Mizudori’s home

二次創作まとめ

タイギメイブン

【あむあず】

名探偵コナン

■未来捏造

■短編

 


「だから連絡取れなくなるなら事前に言いなさいよ」
「仕方ねぇだろバタバタしてたんだから」
「事故にでも逢ったのかって心配になるじゃない」
「だから悪かったって!そんなにピーピー怒るなよ」
「何よその言い方は!」

コーヒーを淹れる梓の目の前に位置しているカウンター席で、若い男女が口論を繰り広げている。
大学の帰りに2人そろって寄ってくれたのは嬉しかったが、入店して僅か5分ほどで口論になるとはさすがに思わなかった。
議題は、先日まで彼氏側が他者と連絡が取れない状況に陥った際、事前に彼女側にそうなることを予告しておかなかったこと。
数日の間ならばそこまで気にすることは無いのだろうが、丸半月もの間連絡が取れなくなっているとなれば話は別だろう。
しかも、その彼氏というのはあの工藤新一。
物騒な難事件にいつも片足を突っ込んでいるうえに、高校二年の頃に一年ほど行方不明も同然な状況に陥っていた過去がある彼が相手ならば、彼女が心配するのも無理はない。
入店した時から既に少々機嫌が悪かった彼女、毛利蘭は、説教を右から左へ受け流していく隣の新一に苛立ちを感じながら、注文したケーキを頬張った。

「あ、美味しい」

むくれていた顔が、ケーキを一口食べた瞬間に晴れやかなものへと変わる。
疲れた時やイライラした時には糖分が一番効くと言うが、それは本当だったらしい。

「でしょ?この新作ケーキ、降谷さんから作り方教わったの」
「降谷さん?」

梓の言葉に先に反応したのは、蘭ではなく新一の方だった。
安室透と名乗りこの喫茶ポアロに潜入してた彼のことを、新一はよく知っている。
追っていた組織の壊滅と同時に、彼は安室の名前を捨て、このポアロも辞めたと聞いていた。
まだ彼がポアロに潜入していた頃に教わったのだろうか。
だが、彼がここをやめて既に1年以上の時が経過している。
蘭と出かけるたびこのポアロに足しげく通っていた新一だが、今までこのケーキを一度もメニュー表で見かけた事が無い。
降谷がポアロで働いていた頃に教わったのであれば、1年以上も前に教わったケーキを今さらになって新作として出すのは少々不自然思えたのだ。

「降谷さんがここを辞めるとき、約束してもらったの。月に一度の新メニュー会議に出席するようにってね」

不思議そうに眉をひそめる新一の表情に気が付いたのか、梓は新一が尋ねる前に背景を話してくれた。
今から1年前。
安室さんと呼んでいた同僚から素性を聞かされたのは、本当に突然のことだった。
本名は降谷零。職業は警察官。それもちょっと特殊な職務を任されているという。
探偵として毛利小五郎に弟子入りし、このポアロで働いていたのは実は潜入捜査の一環で、とある組織を追っていたため。
そして、その組織は無事壊滅し、日本は守られたので今日限りポアロを辞めます。

見慣れない高そうなスーツを羽織り、薄い笑みを浮かべながらつらつらと事実だけを並べる安室、もとい降谷零の言葉に、梓とポアロのマスターは開いた口が塞がらなかった。

突然無断欠勤したり、いきなり早退したりと、もともと普通の生活を送っている人ではないのだろうとは思っていたけれど、まさか警察官だったなんて。
混乱した頭を必死に落ち着かせた先に生じた感情は、怒りだった。
騙されていた、という1つめの憤りと、突然現れて事実だけ突き付け、辞めたいだなんて何を言っているんだ、という2つめの憤り。

感じたことをそのままぶつけた梓だったが、すこし悲し気な表情で意外にもあっさりと“すみません”と返されたことで、肩透かしを食らってしまった。
そんなに素直に謝られたら、責めるに責められない。
ならばと、梓は降谷に一つの枷をつけた。

騙していた罰として、月一で開かれる新作メニュー発案会議に暫く出席すること。

安室透が作るランチメニューやデザートは、常連客からすこぶる評判だった。
ポアロとしては、客の胃袋を掴んでいた安室の腕が離れるのは惜しい。
彼が新作メニュー発案の場にいてくれさえすれば、きっと彼のメニュー目当てに通ってくれていた客たちも離れることは無いだろう。
梓の機転の利いた罰に、マスターも賛同。
そんなことでいいのなら、いくらでも。という降谷の同意も取りつけ、彼はこのポアロのオブザーバーのような立場に立つこととなった。
この新作ケーキの作り方を教わったのも、その一環である。

「あの人がそんな約束をねぇ・・・」

グラスの半分まで減ったアイスティーをマドラーでかき混ぜながら、新一がつぶやく。
新一の目から見て、降谷零という人物は“仕事人間”という言葉が似合う男だった。
なにせ恋人はこの国だ、などと言ってしまう人物である。
家族や恋人、友人と言ったプライベート関係に時間を割くとは思えない。

それなりに忙しいはずのあの仕事人間が、わざわざ月に一度ポアロの新作発案会議に出席し、あまつさえ梓にケーキの作り方まで教えているだなんて信じられなかった。
あの人にそんな暇、あるのだろうか。
いや、実際にやっているというのだからあるのだろう。
おそらく無理矢理暇を作って参加しているに違いない。
偽名を使ってだましていたことに、それほど罪悪感を感じていたのだろうか。
あまりそういうタイプには見えないのだが。

「降谷さん、結構そういうところマメなんですね」
「うん、そうみたい。あっ」

蘭の言葉に頷く梓だったが、壁に掛けられた時計に目をやり声を挙げた。
時刻は20時50分。
喫茶ポアロ閉店時間の10分前だった。
梓は“もう時間だ”と呟きながらカウンター下の戸棚を漁りだす。
閉店の〆作業でもしているのだろうか。
そう思ったとき、店の扉がカランと音を立てながら開いた。
もう閉まるというのに、一体誰だろうか。
ふと入口の方へと目を向けると、そこには意外な人物が立っていた。

「あれ、君たちも来てたのか」
「降谷さん!」

背広姿の降谷零は、スマホ片手に慣れた様子で店内に入ってきた。
事件で何度か顔を合わせている新一にとってはそれなりに見慣れた顔であった、例の組織との一件以来一度も会っていない蘭は突然現れた懐かしい顔に驚きを隠せない。
何故彼がここにいるのだろう。
もしや、例の月一で行っている新作メニューの会議とやらが今日なのだろうか。
いや、それにしてはさすがに時間が遅い気がする。
ならばプライベートできたのだろうか。
だが、降谷はネクタイこそしていないもののきちんと背広を羽織っている。
仕事帰りであることは間違いなかった。

「降谷さん、なんでここに?」
「ブツを取りにね」
「ブツ?」
「もう降谷さん、物騒な言い方しないでくださいよ」

カウンター下の戸棚を漁っていた梓がひょっこり顔を出して苦笑いを零す。
降谷の登場に全く動揺していないところを見ると、彼女にとって彼の来訪は予想の範疇だったということだろう。
やがて戸棚の前から立ち上がった梓は、茶色の袋を大事そうに抱えながらフロアに出てきた。

「はい、ブツです」
「梓さんも物騒な言い方してるじゃないですか」
「あはは、すみません」

梓の手に収まっていた茶色の袋は、降谷の手に渡る。
受け取ってすぐに、降谷は背広の内ポケットに手を突っ込んで何かを探し始めた。
にこやかなやり取りではあるが、降谷の手中にある茶色の袋の中身が気になってしまった新一は、少しカマをかけてみることにした。

「降谷さん、感心しませんね。こんなに堂々と拳銃の密売ですか」
「け、拳銃!?」

冗談で言ったつもりだった。
しかし隣に座っている蘭はそれを冗談だとは受け取れなかったようで、切羽詰まった表情で新一を見つめてくる。
そんなわけないだろ。降谷さんは警官だぞ。
呆れる新一を横目に、降谷と梓はケタケタと小さく声をあげて笑った。

「違うわよ蘭ちゃん。コーヒーよコーヒー」
「コーヒー?」
「ほら」

首をかしげる蘭に、降谷は抱えていた茶色の袋を開けて中身を開示する。
袋いっぱいに溜まっていたのは、たしかに粉末状のコーヒーだった。
袋の中を覗き込んだ瞬間、コーヒーのいい香りが蘭の鼻腔をくすぐる。
これはまさしくポアロのコーヒーのにおい。

「いい匂い・・・これってもしかして」
「そう。ポアロで使ってる特製ブレンドよ」
「へー!粉での販売も始めたんですね」
「そ。降谷さんの提案でね」

ランチメニューが評判のポアロだが、喫茶店としてコーヒーも目玉商品にしたい。
というマスターの意見を聞いた降谷が提案したのが、このドリップコーヒーの販売だった。
パックで売ればどこでもポアロの味が楽しめるし、店頭でしか手に入らないとなれば客足が遠のくことは無い。
さらに、いずれは豆の種類も増やしてオンラインショップなどを始めれば、そこからポアロ知名度を全国規模で広げることが出来るかもしれない。
全国チェーンも夢じゃないかもしれませんよ、という降谷の半分冗談だった言葉を真に受けたマスターは、あれよあれよという間にドリップコーヒーの販売準備を始めた。
提案者である降谷は、記念すべきその買い手1号なのだ。

「まだパッケージのデザインが決まってなくて、適当な袋に詰めてるだけだから一部のお客さんにしか売ってないんだけど、降谷さんは毎週買いに来てくれてるのよ」
「ちょうど1週間で飲み切れる量なので、金曜の仕事帰りにポアロに寄ってコーヒーを買うルーティーンが出来てしまいましてね」

ちょうど1週間で飲み切れる、と降谷は言うが、新一はその言葉がなんだか信じられなかった。
あの袋の大きさから察するに、1週間で飲み干すには1日最低5杯以上は飲む必要があるだろう。
毎日そんなに飲めるほど、彼はコーヒー好きだっただろうか。

「降谷さん、そんなに好きなんですか、コーヒー」
「というより、ポアロのコーヒーが好きなんだよ」
「ふぅん」

アイスティーをすべて飲み干した新一は、レジの前で話している降谷と梓をぼーっと眺め始めた。
背広の内ポケットから財布を取り出し、コーヒーの会計をする降谷の表情はなんだか明るい。
当然ともいえるだろうが、事件現場で時折遭遇する怖い顔の彼とは大違いだった。
対する梓も、安室から小銭を受け取ると笑顔でお釣りを手渡している。
時刻は21時15分。
既にポアロ閉店時間は過ぎていた。

「まさか、な」
「え?なに?新一」
「いや、なんでも」

降谷がこのポアロに未だ足しげく通っている理由。
その裏を推理してみたが、それはあまりにも現実離れしていた。
まさか、そんなわけない。
あの仕事一筋の降谷零が、まさかこの店の看板娘に会うためだけに無理してコーヒーをがぶ飲みし、わざわざ忙しい時間を縫って新作発案会議に出ているだなんて、そんなのありえない。
毛利小五郎もびっくりなほど外れているであろう自分の推理に自嘲しながら、新一はアイスティーの氷をガリっと噛み潰した。


********************


上書き保存、送信、シャットダウン。
散乱していた書類をとりあえずひとつにまとめてキャビネットに放りこみ、カギを閉める。
椅子に掛けていた背広を羽織り、マグカップ入ったコーヒーを一気飲みする。
これで、今週分のコーヒーはすべて消費した。

「悪いな風見。時間あったらこれ洗っておいてくれ」
「えっ」
「お先」

隣のデスクに腰かける年上の部下にマグカップを押し付けて、返事も聞かずに小走りでフロアを出ていった。
時刻は20時42分。
イムリミットまで18分。
エレベーターを呑気に待っている時間はなかった。
階段を駆け下りて地下駐車場へ。
一番すぐに出ていきやすい出入り口付近に停めていたおかげで、即座に愛車を見つけることが出来た。
素早く運転席に乗り込みシートベルトを締めて、サイドブレーキを下ろす。
向かう先はポアロ
今日は週に一度、彼女に会える日だった。

梓が金曜の遅番にシフトを入れがちであることは、一緒に働いていた頃から知っていた。
それを考慮して毎週金曜日にコーヒーが無くなるようサイクルを回しているのはわざとである。
今週も無くなったから、と言って毎週金曜日にポアロを訪れる生活を送っていたが、最近は梓もそのサイクルに慣れ、金曜の閉店時間ギリギリになると降谷が来ることを見越してコーヒー袋を用意してくれるようになった。
それがなんだかうれしくて、どんなに仕事が忙しくても、金曜は意地と根性で20時30までに仕事を終わらせてポアロに向かえるよう努力している。
だが今日は報告書をまとめるのに時間を取られてしまい随分ぎりぎりになってしまった。

急げ。今日を逃したら来週まで彼女に会えない。
いや、別に他の曜日に行ってもいいのだが、梓がシフトに入っている時間帯で降谷がポアロに顔を出せるのは、一週間のうちで金曜のこの時間しかないのだ。

警官として、法定速度は守らなくてはならない。
アクセルを全開にしたい気持ちを抑え、車を走らせる。
閉店時間まであと2分。
ぎりぎりのタイミングで、降谷はポアロの扉を開いた。

「あ、降谷さん。今日は遅かったですね」

皿を拭く梓が、ポアロの柔らかな照明と共に出迎えてくれる。
あぁ、なんとか間に合った。
先ほどまで感じていた焦りと、たった今襲って来た安堵感が顔に出ないよう、あくまでポーカーフェイスのまま降谷は微笑む。

「はい。ちょっといろいろありまして。例の奴、あります?」
「もちろんです。でも、今日は降谷さんにちょっとしたサプライズがあるんですよ」
「サプライズ?」

今日の梓は随分と上機嫌だった。
密かに想いを寄せている相手にサプライズがある、なんて言われたら、期待せざるを得ない。
柄にもなく胸が躍る。
一体どんな可愛らしい驚きを味わわせてくれるのだろう。
期待に胸膨らませた降谷だったが、梓が戸棚から取り出したものを目にした途端淡い期待はすぐさま溶けていくことになる。

「じゃーん!なんと、ついにパッケージが完成しましたーっ!」

緑と茶色のパッケージで装飾されているコーヒーの袋を楽しそうに見せびらかしてくる梓に、“なんだそんなことか”とは言えなかった。
梓の高校時代の友人に、商品パッケージのデザインに関わっている人がいるからその伝手を頼ってみる。と言われたきり話が進んでいなかったパッケージの作成だが、ようやく完成までこぎつけたのだという。
正直期待していたサプライズとは程遠い知らせであったが、嬉しそうな彼女の機嫌を損ねないようここはそれなりに驚いたリアクションをしてみる。

「へぇー。ついにですか。なかなかいいデザインですね」
「ですよね~!なんかクラシカルで洗練されてるというか、かっこいいですよね!さすがサヤカだなぁって。あ、サヤカって、デザインをお願いしてた高校の同級生なんですけど」

途切れることなく“サヤカ”という人物への賛辞を述べる梓。
コーヒーのパッケージデザインが完成したことがよほどうれしいのか、頬を紅潮させながらはしゃぐ彼女はまるで幼子のようだった。

「ということで、番組をご覧の降谷さんに嬉しいお知らせがあります」
「ん?」

突然始まったテレビショッピング感に、降谷は首を傾げた。
同僚として一緒に働いていた頃から、梓はこういうった小さな遊びが好きだった。
ノリのいい好青年である安室を演じていた頃は大袈裟なほどそのノリに乗っかってやっていたが、血なまぐさい警察という組織に身を置く降谷には、あいにくそのノリに心置きなく身をゆだねられるほどの明るさはない。
だがそれでも、梓のテレビショッピング感は止まらなかった。

「パッケージの完成を記念して、なんと今回、降谷さんには特別に、このドリップコーヒーを無料でプレゼントさせていただきます!」
「おぉ」

小さく感嘆の声を挙げて拍手をしてみせる降谷だったが、梓はそんな彼の反応が少々気に入らないらしい。
抱えていたコーヒーの袋をカウンターにそっと置くと、妙に恨めし気な瞳でこちらを見つめてきた。

「あれっ。なんかあんまり嬉しくなさそうですね」
「いえいえ、嬉しいですよ?でも、特別とかいいつつ毛利さんとか工藤君とか、他の常連客にも無料で配っているんでしょう?」
「降谷さん、そんなにたくさんの人に無料で配れるほどの余裕、当店にはありません。コーヒー粉末の販売を提案してくださった降谷さんだけには、感謝の気持ちを込めて無料で贈ったらどうかって私がマスターに提案したんですよ」
「え、そう、なんですか」
「そうなんです」

感謝してくださいね、とでも言いたげに胸を張る梓。
まさか本当に自分だけにしか贈っていないとは思わず、降谷は思わず面食らってしまった。
しかも、梓からの提案だったというところもポイントが高い。
つまり目の前にあるコーヒー粉末は、商売ではなく完全に梓の好意によって差し出されているものなのだ。
いつもは彼女に会う口実にしか過ぎないただのコーヒー粉末が、今は宝石のように輝いて見える。

「さらにさらに、ここで降谷さんに朗報です!」
「朗報?」
「パッケージ作成と同時に、いつもの量より2.5倍増量したお徳用サイズも販売することにしたんです。今回は降谷さんには、こっちのお徳用サイズをプレゼントさせていただきたいと思います!」
「えっ」

カウンターに置かれたいつものサイズのコーヒー粉末の隣に、ドスンという音を立てて2倍以上の大きさがある同じパッケージの袋が置かれた。
いつも降谷が購入している袋が子供サイズなら、横の袋はまさに横綱級といえるだろう。
丸々太った袋を前に言葉を失う降谷だったが、梓はそのはちきれんばかりの袋を優しく撫でながら得意げな表情を浮かべていた。

「降谷さんお仕事忙しそうですし、週一でわざわざ買いに来るのは少し大変かなと思いまして。オンラインショップはまだ準備中ですし、とりあえずこの大きいサイズを作って購入してもらえば、頻繁に買いに来なくても暫く持つと思いますよ」
「はぁ。えっと、2.5倍サイズでしたっけ?」
「はい!だいたい半月分ですね」
「半月・・・」

それは、確かに梓による好意であった。
降谷は、毎週金曜日の夜、仕事終わりに車を飛ばして閉店間際にやって来る。
彼が警察官として、具体的にどんな部署でどんな事件を追っているのか詳しく聞かされていない梓であったが、毎週駆け込むように店に飛び込んでくる降谷を見ていれば、壮絶に忙しいのであろうということは想像できる。
毎週欠かさず購入するほどポアロのコーヒーを気に入っているようではあるし、買いに来ないという選択肢は彼の中にはないのだろう。
ならば、忙しい合間を縫って頻繁に来店しなくてもこのコーヒーを降谷が楽しめる方法はないだろうかと考えた結果が増量だった。
単純に量を増やせば、降谷がポアロを訪れる頻度も減るはず。
そんな梓の気遣いだったが、当の降谷にとっては有難迷惑に他ならなかった。
降谷は別にポアロのコーヒーが好きなわけではない。
忙しい仕事の合間を縫ってでも飲みたいとは思ってもいないし、どちらかというと紅茶派だ。
それでも足しげくこの喫茶ポアロに通っているのは、コーヒーを口実に梓に会うため。
そんな青臭い理由、本人の告げられるはずもなかった。

「さぁどうぞ!」

満面の笑みで袋を手渡してくる彼女が、なんだか恨めしい。
きっと彼女は、半月降谷に会えなくても別に構わないと思っているのだろう。
でなければ、こんなにうれしそうに大容量パックを渡すはずがない。
けれど、自分の体やスケジュールを気遣ってわざわざ大きいサイズを作ってくれた彼女のやさしさを突っぱねることなど、降谷にはできなかった。

「ありがとうございます」

上手く笑えているだろうか。
自慢のポーカーフェイスは、彼女の前だと途端に崩れてしまう。
苦笑いを作りながら袋を受け取ると、降谷は背中を丸めて喫茶ポアロを後にした。


********************


「あの、降谷さん。そろそろやめておいた方がいいじゃないですか?」

隣のデスクで、風見がひきつった顔を見せながら言う。
彼の視線の先には、マグカップでコーヒーを啜る降谷の姿が。
カップ片手にパソコンを睨む降谷のデスクには、ミルクやら砂糖の包装紙のごみが散乱していた。
足元にゴミ箱に捨てればいいのに視線を落としてみるが、どうやらゴミ箱も資料や昼食に買ったパンの袋でいっぱいになっている様子。
こんなにもこの上司のデスク周りが散乱している様を見るのは初めてだった。

「やめるって何をだ」
「コーヒーですよ。それ何杯目ですか?」
「・・・12?」
カフェイン中毒になりますよ?」

実のところ、今降谷が飲んでいるコーヒーは14杯目だった。
しかし、飲みすぎてもはや何杯目か数える気が失せてしまい、適当に答えたのだったが、風見はその異常ともいえる数字に呆れてしまう。
褐色な降谷の肌も、最近ではコーヒーを飲みすぎたせいでこんな色になってしまったのではないかと思うほど、彼は毎日ポアロのコーヒーを飲んでいた。

「そう思うならお前も手伝え、あと半分で消費できるから」
「すみません勘弁してください」

降谷が毎週ポアロに通いつめ、コーヒードリップコーヒーを購入していることは、風見だけでなく数多くいる彼の部下ほぼ全員が知っている。
最初のうちは、以前潜入していた店のコーヒーがそんなに気にいってしまったのかと呑気に考えていたのだが、一度だけそのコーヒーを分けてもらってから考えを改めるようになった。
確かに美味いが、忙しい仕事の合間を縫ってわざわざ車を飛ばし、閉店間際に転がり込むようにしてまで買いに行きたくなるほどの味かと問われれば微妙なところである。
そして部下たちの間で建てられた仮説は、潜入時に随分と仲良くしていた榎本梓に会いに行くための口実としてコーヒーを購入しているのではないか、という現実離れしたものだった。

まさか、あの仕事の鬼たる降谷零に限ってそんなことはない。
同僚たちが面白半分に語る仮説を鼻で笑っていた風見であったが、毎週週末近くなると半ば無理矢理にコーヒーを消費しようとしている降谷を見て、あながちその仮説も間違いではないのではと考えるようになった。
そして、先日大容量のコーヒー袋を抱えて出勤してきた降谷の死んだ目を見て、確信してしまったのだ。
これはビンゴだと。

「そういえば今日、20時から緊急会議が入るみたいですが、降谷さん大丈夫ですか?」
「何がだ」
「いつも金曜は急いで帰っているようなので」
「あぁ・・・」

降谷はカップのコーヒーを飲み干すと、ふぅと深く息を吐いて背もたれに体を預ける。
今日は一段と疲れているようで、表情が暗い。というより怖い。
毎週金曜は、怖いながらもどこか優し気な雰囲気を漂わせている降谷だが、今日に限っては怖さしか感じない。

「今日は別にいい。コーヒー、まだ残ってるからな」

低く呟かれた声からは、生気が感じられなかった。
やっぱり間違いない。
この人は、コーヒーを口実にしている。
死んだ目でパソコンに目を通す隣の上司を見つめ、風見は確信してしまうのだった。


********************


あれから1週間後の金曜日、18:43
世の中では一般的に定時と呼ばれる時間が近付いてきているわけだが、国家公務員であり日夜犯罪組織と戦っている公安の警察官に、定時という概念はないに等しい。
だが今日は、何としても19時半までには帰りたかった。
なにせ、先週は彼女に会えていない。
コーヒーが飲み切れなかったのだ。
いや、別にコーヒーが残っている状態で会いに行ってもよかった。
けれど、コーヒーの購入という大義名分のもと訪れているわけなのだから、大容量パックをもらった翌週にノコノコ会いに行けば不審がられる。
緊急会議が重なったこともあり泣く泣く断念したのだが、今日こそは会いに行ってやると気合を入れていた。

今日のために貯め込んでいた仕事もすべて終わらせ、19時半に仕事を切り上げる準備も万端。
だがひとつ問題があった。
コーヒーが飲み切れないのだ。
梓が寄越した2.5倍の袋には、本来半月分の量が入っているというが、降谷は必至の想いでその量を2週間でほぼ空にした。
もちろん、まだ残っている状態で次のコーヒーを買いに行ってもいいのだが、わざわざ梓が好意で寄越してくた大容量を残すのはほんの少しためらわれた。
降谷の中に潜む真面目な気質が、こんなところで発揮されてしまったというわけである。

あと30分ほどで出なければポアロ閉店時間に間に合わない。
だが、今カップに入っている一杯と、袋に残っているもう一杯分の粉を消費しなければならない。
すでに20杯近く飲み干しているため、腹が水分でタプタプになっている。
給湯室でコーヒーのパッケージを睨みつけながら、降谷は気合を入れた。
ここまできたら、飲み干してやる。
謎の意地が降谷を支配していた。

「あれっ、降谷さん?」

聞き慣れない声に名前を呼ばれ振り返ると、そこには工藤新一の姿があった。
先ほど降谷も出席した捜査会議に、新一も捜査に参加協力した縁で出席していたのだしていたのだ。
もう家に帰るところなのだろう。
コートを着て鞄を肩にひっかけている新一は、たまたま給湯室で殺気を放っている降谷に気が付いて声をかけてきたらしい。
だが新一は、そんな自分の軽はずみな行動をすぐに後悔することになる。
通りがかった新一を視界にとらえた降谷は、驚くべきスピードで彼との距離を詰めると、逃がすまいとその腕をつかみ上げた。

「コーヒー、飲む?」
「えっ?」
「コーヒー飲もうか、工藤君。ね?そうしよう」
「は、はぁ」

怖い。とは言えなかった。
目を血走らせてコーヒーを勧めてくる降谷は誰がどう見ても不気味で、新一はその誘いを受けるほかなかった。

自販機が並ぶ休憩スペースに移動した降谷と新一は、一面ガラズ張りになっている窓から東京の夜景を眺めていた。
片手にはコーヒーが入った紙コップ。
先ほど降谷から押し付けられた一杯である。
何故そんなにも必死になってコーヒーを勧めてきたのか疑問だったが、このコーヒーを一口飲んだ瞬間、新一の疑問は一瞬にして解決した。

なるほど、これはポアロのコーヒー。
まだ自分が江戸川コナンを名乗っていた時に何度も飲んだ覚えがあるため間違いない。
このコーヒーを、金曜のこの時間にわざわざ押し付けるように勧めてくるということは、やはり。

「降谷さんって、やっぱり梓さんのこと好きなんですか?」

隣でコーヒーを啜っていた降谷の手が止まる。
今まで何の脈絡もない会話をしていたというのに、突然惚れた腫れたの話を切り出されたことに驚いたのだろう。

「随分ストレートに聞くね」
「すいません。ちょっと興味あったんで」
「興味?」
「仕事にしか関心がないようにしか見えない降谷さんが、わざわざコーヒーの購入を口実にしてまで会いに行くなんて、相当梓さんに惚れ込んでるんだなって」

さらりと状況を言い当てられた降谷は、驚きを隠すことなく顔に出す。
四六時中一緒にいると言っても過言ではない部下や同僚たちならまだしも、一か月に一度顔を合わせるかどうかも怪しいこの若い探偵に見透かされるとは思ってもいなかったのである。
降谷は小さく笑みをこぼすと、丸いカウンターテーブルに肘をついた状態で遠くを見つめた。

「本当に、末恐ろしいな君は。いや、既に恐ろしいのか」

どうやら新一の推理は当たっていたらしい。
公安警察も舌を巻くほどの洞察力を持つ大学生探偵に呆れつつ、降谷は再び紙コップに口をつけた。

「仕事以外に関心がない、か。前に梓さんにも同じことを言われたことがあるよ。けど心外だな。僕にも仕事以外に興味関心が向くことくらいある」
「それが梓さんってことですか?そういうの、口に出した方が良くないですか?」
「僕は勝てない勝負はしない主義だから」

笑みは浮かべているものの、降谷の表情はどこか暗かった。
やがてコップの底に残ったコーヒーをぐいっと飲み干すと、自販機のそばに置いてあったゴミ箱へと紙コップを投擲する。
壁に賭けられたアナログ時計は、既に19時半を指示していた。

「降谷さんにも、勝てない勝負とかあるんですね」
「あるよ。あるからこうして回りくどいやり方で攻めてるんじゃないか」
「あ、回りくどいのは自覚してたんだ」
「けど、そろそろ我慢の限界かもしれないな」

独り言のように呟かれた言葉の意味を、新一は理解できなかった。
どういう意味ですかと聞こうとした瞬間、降谷は片手を挙げて“じゃあ”と去って行ってしまう。
その足取りはやけに軽く見える。
小さくなっていく降谷の背をぼうっと見つめながら、自分も蘭に会いに行くときはあんなに浮かれた感じなのだろうかと考えてしまい、新一は一人ため息をつくのだった。


**********************


今日は随分とついていた。
あと一杯で梓から受け取った大容量コーヒー粉末を消費し終えるというところで、工藤新一という若い胃袋を巻き添えにすることが出来た。
ふざけた報告書を提出して、降谷の帰宅時間を大幅に後ろ倒しにする部下が毎日一人や二人はいるものだが、今日は一切いなかった。
そして、ポアロに向かう道はいつも以上にすいていて、信号にも引っかからなかったため閉店時間の15分前に到着することが出来た。
2週間ぶりのポアロは、外見上特に何も変わった様子はない。
けれど、まるで10年近く来ていなかったような、そんな懐かしい感覚を覚えてしまう。
きっと彼女は、たった2週間程度会わずとも何も変わっていないのだろう。
この扉を開ければいつも通り“あ、降谷さんいらっしゃい”と、他の客に対するものと変わらない笑顔で出迎えてくれるはず。
それが嬉しくもあり、悲しくもあるのだが、今は彼女の顔が見れるだけで充分だった。

「降谷、さん・・・」

けれど、扉の向こうで待っていた梓は予想とは全く違った表情を浮かべていた。
まるで幽霊でも見たのかと問いたくなるような、驚いた顔。
来るとは思っていなかったのだろうか。
その反応にほんの少し戸惑いながら“こんばんは”とあいさつすれば、やはり戸惑ったような“こんばんは”が返ってきた。

「例のコーヒー、買いに来ました」
「えっ、もうなくなったんですか?」

彼女が驚いていた理由が何となくわかってしまった。
そうか、あの大容量パックは本来半月ほどもつはずだったもの。
降谷は毎日10杯以上飲み干して僅か2週間で平らげてしまったが、梓は今日ではなく来週に降谷が買いに来るものだと思っていたのだろう。
とてもではないが2週間で飲み干せる量ではなかったはずなので、今日やってきた降谷の姿に驚くのも無理はない。

「職場のみんなと一緒に飲んでたら、あっという間になくなりましたよ」
「そう、ですか・・・」

伏し目がちに頷くと、梓はカウンター下の棚からコーヒーの袋を2つ取り出した。
2週間前降谷が無料でプレゼントされた大容量パックと、普段定期的に購入している通常サイズのパックである。

「じゃあ、どっちにします?」

カウンターに並べられた2つのサイズのコーヒー袋。
小さい方を買えば1週間で梓に会える。
大きい方を買えば2週間で梓に会える。
まるで昔ばなしのような選択を迫られながら、降谷は考え込んだ。
もちろん、心情としては小さい方を選びたい。
大きい方を受け取ってしまったがゆえに、先週と今週は梓に会えず辛い日々だった。
だが、あくまでコーヒーを目当てに来ている降谷がわざわざ小さい方を選ぶ理由はどこにもない。
何故あえて小さい方を?と問われれば、納得できる大義名分を用意できないのだ。
まさか馬鹿正直に“貴女に会うため”などと言えるわけもない。
選択肢を与えられつつ、降谷が取れる選択はたった一つしかないのだ。

「じゃあ・・・」
「あのっ、こっちにしませんか?」

梓から突き出されたのは、降谷が選ぼうとした大きい方ではなく、小さい方だった。
まさか梓の方から小さい方を提案されるとは思わず、その真意が分からない降谷は思わず言葉に詰まってしまう。

「えっ、なんで・・・」
「私、ちょっと後悔してたんです。2週間前、なんで大きい方を渡しちゃったんだろうって」
「後悔?」
「はい。先週の金曜日、降谷さんが来なかったから、正直寂しかったんです。小さい方を渡していれば、今週も来てくれたのになって。だから、今週は来てくれてものすごくうれしくなってしまったというか・・・」

照れ隠しのつもりか、梓は視線を逸らしながらセミロングの自分の髪を指に絡ませている。
彼女の口から出た言葉が、冗談や世辞などではないことは、その行動ですぐに理解できた。
硬直する降谷。
つい先ほどまで胸に浮かんでいた寂しいという感情を、まさか彼女も抱いていたとは思わず、頭が真っ白になってしまった。

「なぁんて。すみません、自分勝手なこと言っちゃって。降谷さん、お仕事忙しそうだし、やっぱりこっちの大きい方がいいですよね」

返事も聞かず、大きい方の袋を持ってそそくさと会計をしようとする梓。
袋を持つ彼女の手に自分の手を重ねる形で、降谷は梓を制止した。
重なる手に驚き動きを止めた梓は、カウンター越しにいる少し背の高い降谷を見上げる。
まっすぐ見つめてくる降谷の顔は、今までに見た事が無いほど真剣で、射抜くものすべてを溶かしてしまいそうなほど、熱が込められていた。

「すみません。やっぱり、どっちもいりません」
「えっ」
「僕、梓さんに嘘を吐いていました。本当は、コーヒーなんて別に好きじゃないんです」

突然の告白に、梓は戸惑いを隠せなかった。
降谷零が安室透を名乗っていた頃から、彼はコーヒーが好きだと明言していたし、飲んでいるところを頻繁に目撃もしていた。
現に、コーヒーを購入するため毎週のようにこのポアロに通い詰めている。
コーヒー好きでないのだとしたら、一体なぜわざわざそんなことをしていたのだろう。
梓の疑問は、降谷からの言葉によってすぐに解決することになる。

「じゃあ、どうして・・・?」
「貴女に会うためですよ、梓さん」
「へっ」

静かな店内に、梓の素っ頓狂な声が響き渡る。
この時梓は、初めて今が閉店間際でよかったと思った。
お陰で客はひとりもおらず、店内は降谷と梓の二人しかいないのだから。

「コーヒーを毎週買いに来てたのは、梓さんに会うための口実です。なのに貴女はそうとも知らず、あんなに大きな袋を寄越してきた。おかげで2週間も会えなかったじゃないですか」
「う、うそ・・・」
「嘘じゃありません」

やはり彼女には、回りくどくじわじわ足場を崩していく攻め方は効果が薄かったらしい。
降谷がどんなに仕事の時間を削ってポアロに毎週駆け込んでも、彼女はその行動をただのコーヒー好きからくる努力としか受け取ってくれていなかった。
自分もそうだが、彼女はもう大人としか言いようがない年齢である。
ここまで言えば、目の前の男が自分にどんな感情を抱いているのかくらい、察しはつくだろう。
しかしそれでも、降谷は決定的な言葉をきちんと言ってやることにした。
とどめの一撃を放って、逃げられなくするために。

「梓さん。僕、もうここにコーヒーを買いに来るのは辞めます。その代わり、新しい口実をください」
「口実、ですか」
「はい。僕が梓さんに会いに来るための大義名分が欲しいんです」

梓さん、と呼びかければ、彼女は浮かされたような声ではい、と返事をした。
今思えば、彼女にこんなにもまっすぐ見つめられたのは今日が初めてのような気がする。
カウンターの上に置かれた梓の白い手に自分の手を重ね、指を絡めた降谷は、赤くなっている彼女の顔にぐっと鼻先を近づけて、囁いた。


「僕と付き合ってください」

 

END