Mizudori’s home

二次創作まとめ

【前編】トモダチを失った日

【サトセレ】

■アニポケXY

■未来捏造

■長編

 

 

act.1

 


沸き起こる歓声がドームを揺らし、座席にひしめき合うように座っている観客たちの視線がステージに降り注ぐ。
これからステージに立つ人物の名前をコールしながら手拍子する観客たちのリズムに合わせ、ドームの照明は次第に暗くなっていく。
ステージ設けられた液晶画面だけが明るくドームを照らし出し、そこに表示された“10”の数字に、観客たちは一層盛り上がった。
9.8、7と数字が小さくなるにつれ、カウントダウンの声は大きくなる。

3、2、1
0の表示が出る代わりに、ステージから色とりどりの火花が上がった。
爆音と、ステージを照らす眩しいほどの照明と共に、私はステージへと飛び出した。
ギターとピアノ、そしてテクノポップな前奏がドームに響き、このイベントの記念すべき1曲目が流れ始める。
私がハンドマイクを口元にあてた瞬間、力強い歌声がスピーカーから発せられた。

《未来の私にはどんな色が似合う? カラフルにきめて一緒に食べよ ワン・ツー・スリー》

謳いだしと共に、観客が振っているサイリウムに光がともる。
真っ黒な観客席にホタルのように浮かぶ白いサイリウムの光を眺めながら、3年前にカロスクイーンとなった私は、必死に笑顔を浮かべながら喉を震わせるのだった。


********************

「お疲れ様でしたー」

楽屋まで案内してくれたスタッフに笑顔で挨拶をして、扉を閉める。
1人きりの空間になった瞬間、力が抜けたようにソファに座り込んでしまった。
今日のイベントはいつもより疲れた。
観客が多かったからだろうか。
もう1曲も歌えそうにない。

ふぅと深くため息を吐くと、楽屋で待機してもらっていたテールナーが白いハンドタオルを持って駆け寄ってきてくれる。
彼女はいつも通りの可愛らしい笑顔を浮かべているが、その表情を見ていると罪悪感で胸がいっぱいになってしまった。

「ありがとう、テールナー。退屈だったよね、ごめんね」

ふわふわの頭をなでると、彼女はふるふると首を横に振る。
私にはよく分かってる。テールナーは、私に気を遣ってるんだ。
本当は自分もステージに立ちたいのに、我慢して裏方に徹してくれている。
彼女は私が貰った初めてのパートナーだというのに、そんな彼女に何もしてやれない自分が恨めしい。

私がカロスクイーンになったのは3年前。
17歳になったばかりの頃だった。
あの時はまだ、きちんとテールナーヤンチャムニンフィアと一緒に舞台に立てていた。
トライポカロンの認知度や注目度はカロスでも次第に高まっていき、それに比例する形で、私たちに求められるパフォーマンスの内容も変わってきた。
きっかけは私のCDデビュー。
トライポカロン協会から、パフォーマンスという文化をもっと多くの人々に知ってもらおうという観点から提案されたこの話に、私は深く考えることもなくOKしてしまった。
私が歌を出して、それをきっかけにトライポカロンに興味を持ってくれる人が増えるなら、と思って。
結果は、トライポカロンが目論んだ通りの大成功。
私のファーストシングルはカロスのオリコンランキング10位以内に入り、歌番組でもトレンドの一曲としてたくさん紹介してもらえることになった。
その時は、単純にうれしかった。でも・・・。

この一件以来、トライポカロンのイベントでは歌を披露するよう運営から要求されることが次第に増えていった。
最初は前半に1曲だけ歌を披露し、後半にはポケモンたちとのパフォーマンスの時間を設けていたけれど、それもだんだんパフォーマンスの時間が削られ、しまいには歌だけでいいです、なんてことを言いだすイベント運営者も出てきてしまった。
そして今日のイベントも、運営の意向によってポケモンたちとのパフォーマンスの時間がすべて削られ、私の歌とMCトークだけで構成されている。
何度かトライポカロン協会の上層部に、歌ではなくパフォーマンスをやらせてもらいたいと相談してみたけれど、ことどとく却下された。
歌を出したことで、カロスクイーンのセレナは一層注目され、トライポカロンの参加人数も増えたのは事実。
人々はあなたのパフォーマンスではなく、歌を求めている。
協会の役員から叩きつけられたその言葉に、心が重くなったことを今でも覚えている。

私、アイドルじゃなくてパフォーマーなのに。
テールナーの頬を撫でながら心でつぶやく。
この子たちにも、またパフォーマンスをさせてあげたい。
スポットライトを浴びるべきなのは、私だけじゃないはず。
でも、トライポカロン協会が方針を変えない限り、もう私にパフォーマンスをする機会なんて一生巡ってこないだろう。
なんだか泣きたくなった。

「セレナ、入るわよ」

ノック音と共に楽屋に入ってきたのは、ヤシオさんだった。
今は私が所属している事務所の社長をしている彼女が、わざわざイベント会場に足を運ぶなんて珍しい。
少しだけ驚きながら立ち上がって挨拶をすると、彼女は随分切羽詰まった様子でこちらに歩み寄ってきた。

「セレナ、疲れてるとこ悪いけど、緊急の打ち合わせが入ったわ。すぐ準備してもらえる?」
「は、はい。でも、打ち合わせって誰とですか?」
カントーポケモン協会よ」

ヤシオさんがわざわざここに来た理由が、その言葉ですぐに分かった。
ポケモン協会は、トライポカロン協会なんかよりもずっと上の立場にいる組織。
そんな人たちと打ち合わせをするのなら、社長自ら出席しないはずがない。
けれど、カロスならともかくカントーポケモン協会が一体何の用だろう。
思い当たる節を見つけられないまま、私は衣装から私服に着替え始めるのだった。


********************


案内されたのは、ミアレシティオフィスビル
この上層階に、カントーポケモン協会の支部があるらしい。
綺麗な廊下を進み、とある会議室に通される。
そこには、既に中年のおじさんが3名ほど座っていて、名前は知らないけれど、カントーポケモン協会の偉い人なのだろうということは予想できた。

「ヤシオ社長、突然お時間いただいてすみません。セレナさんも、お忙しいところお越しいただきありがとうございます」

一番奥に座っているおじさんが、真っ先に名刺を渡してきた。
肩書のところには、カントーポケモン協会カロス支部支部長と記載してある。
要するに、カロスに常駐しているカントーポケモン協会の一番偉い人ということだろう。
適当に挨拶をかわした後、支部長さんはにこやかな表所を崩さないまま本題に入った。

「実はですね、カントーの地でこういうイベントを企画しておりまして」

木目のオシャレなテーブルの上にスッと差し出されたのは、一冊のパンフレットだった。
その表紙には“カロスフェス”と書かれている。
日付は3か月後。
どうやら1週間の期間を設け、カントーヤマブキシティでカロスのファッションや食文化を紹介するという旨のイベントらしい。
パンフレットからは、随分と力が入ったイベントであることが伺い知れた。

「このイベントの最終日、カントーで初めてトライポカロンを実施しようと思っているのです」
「えっ、トライポカロンを?」
「はい。カントーでは既にポケモンコンテストが根付いていますから、共通点も多いトライポカロンカントーでも流行ると思っているんです。初開催ということもあって、現地での注目度はかなり高いですよ」

支部長からもたらされた話は、素直に嬉しいものだった。
トライポカロンは、カロスで人気のイベントではあるけれど、その知名度は世界的に見ればまだまだ発展途上。
カロス以外では知らない人の方が多いだろう。
カントーで、というよりも、カロス以外で初めてトライポカロンが開催されることは、今後このトライポカロンが世界に広がる第一歩でもある。
カロスクイーンの座にある私にとって、これほど嬉しいことは無かった。

「そこで、是非ともセレナさんには、このカロスフェスの公式プレゼンターを務めていただきたいのです。ヤシオさんには事前にお話しさせていただいていましたが、カロスクイーンであるセレナさんにご参加いただければ、一層現地での注目も高まると思いますので」
「やります!やらせてください!」

その返事に、迷いはなかった。
私がこのイベントに参加することで、カントーでのトライポカロンに対する認知度が高まるなら、お安い御用。
トライポカロンを世界に広げて、パフォーマンスを始める女の子たちを一人でも多く増やす。
それが、カロスクイーンとなった私の、新しい目標だった。

「そうですか!いやぁ良かった。セレナさんに参加していいただければ大成功間違いなしですね」
「フェス開催期間中は、カントーに滞在することになると思うけど、大丈夫?」

隣の椅子に座るヤシオさんの言葉に、“問題ありません”と返すと、話題はフェスの詳細と目的へと移り変わっていった。
支部長さんが熱心にフェスの説明をしているが、正直あまり頭に入ってこない。
3か月後に、カントーで設置された舞台に立つことが楽しみで仕方ないのだ。
カントーにトライポカロンを広める目的のイベントなら、きっとテールナーたちとのパフォーマンスの時間も設けられるはず。
久々にパフォーマンスする機会が巡ってきたのだから、しっかり練習しなくては。


********************


2時間に及ぶ打ち合わせはようやく終了し、私はカントーポケモン協会の事務所ロビーでくつろいでいた。
ここは会員の休憩室にもなっているらしく、中央には大きなテレビも設置されている。
テレビから流れてくる夜のニュースを聞きながら、私は端末で彼に電話をかけようとしてた。
それはカントーにいる唯一の知り合いで、かつ、ずっと憧れている人。

画面に“サトシ”という文字が表示されると同時に、端末を耳に押し当てる。
彼に電話するのは何か月ぶりだろう、
最近は忙しくてなかなか連絡が取れていなかった。
最後に声を聞いたのは、サトシがカントーチャンピオンに就任して、そのお祝いのために電話をかけた数か月前のあの時だろう。
カントーに滞在することになったこと、伝えなきゃ。
ついでに一緒にご飯とか行けたらいいな。
でも、サトシはカントーチャンピオンなわけだし、忙しいかな?
色々な想いが錯綜する中、耳に届いたのはサトシの声ではなく、無機質な留守電だった。

おかけになった番号は、現在電源が入っていないか、電波が届かない場所にあります。

どうやら電源を切っているらしい。
やはり忙しいのだろう。
仕方ない。留守電に伝えたいことだけメッセージを吹き込んで、折り返してくれることを願おう。

ピーっという発信音の後に、メッセージをどうぞ。

「もしもし。私、セレナです。サトシ、元気してる?実はね・・・」
『では次に、エンタメニュースのコーナーです。カントーチャンピオンであるマサラタウンのサトシさんの熱愛が報じられました』
「え・・・」

テレビから聞こえてきた男性アナウンサーの言葉に、留守電へと語り掛けていた私の表情が凍っていくのが分かった。
聞き間違いかと疑ったけれど、ゆっくりと視線を向けた先にあるテレビのテロップには、分かりやすく大きな文字で“マサラタウンのサトシ、熱愛発覚”とテロップが表示されている。

『お相手は一般の女性で、サトシさんご本人も、交際を認めているとのこと。いやぁおめでたいニュースですね』
『そうですね。サトシさんはまだ20歳とお若いですが、交際を認めているということは、もしかして結婚もあり得るんじゃないですか?』
『女性ファンも多いサトシさんの熱愛報道には、SNSでもお祝いの声だけでなく嘆きの声も多く投稿されているようですね』
『サトシさんと言えば、子供のころから数多くの大会に出場して華々しい戦歴を納めている実力あるトレーナーです。昔からポケモン一筋で有名な方だったので、そんなサトシさんのハートを射止めた女性というのは、相当魅力的な方なのでしょうね』

液晶画面の向こう側で、男性アナウンサーと女性のコメンテーターがニコニコ笑みを浮かべながら互いに感想を述べあっている。
心からサトシの熱愛報道を祝っている様子の彼らとは対照的に、私の心の温度はみるみるうちに冷え切っていく。
真っ白になっていく頭では、もう何も考えられそうにない。
私は、それ以上メッセージを吹き込むことなく通話を切った。


********************


『相手の女性、やっぱセレナじゃなかったんだ』

電話の向こうにいるミルフィの声は、落胆したようにワントーン低くなった。
“うん”とつぶやいた自分の声も、彼女に負けないくらい暗くて、なんだか余計に気分が落ち込んでしまう。
ベッドに寝ころびながら天井を見上げても、視界に広がるのは白い壁紙だけ。
昨日、カントーでパフォーマンスが出来ると知ったときはあんなに気分が高揚していたのに、今はどう頑張っても楽しい気分になれそうもない。

『元気だしなよ、とは言えないか。10年も片想いだったんだもんね』
「初めて会ったのはもっと前だから、自室10年以上かな」
『そっかぁ・・・』

サトシと初めて出会ったサマーキャンプのことは、今でも鮮明に覚えている。
あの頃はただの憧れ程度にしか思っていなかったけど、今考えればあの日から私の恋は始まっていたんだ。
一緒に旅をして、夜遅くまで夢を語って、別れ際にはキスもした。
けれど、あの時の私たちはまだ10歳の子供で、恋だの愛だの、難しいことはあまり考えていなかった。
そうして10年もの歳月をかけて、すくすく育っていったサトシへの恋心は、いつの間にか大きくなりすぎていて、その大きすぎる気持ちをサトシにぶつけることすら怖くなっていったんだ。
告白することも、諦めることも出来ずに、結局他の子にあっさり取られちゃった。
なんて間抜けで、情けない最後だろう。
昨日、テレビのアナウンサーという第三者からもたらされた交際宣言は、同時に私の失恋宣告でもあった。

あぁつらいなぁ。
泣きたいなぁ。
色々感情が押し寄せてはきたけれど、涙は出なかった。
たぶん、まだ頭の中で整理がついていないのだと思う。
往生際悪く諦めがつかない自分に自嘲しながらも、サトシへの想いを振り切れた時が、本当の意味での恋の終わりなのだと思うと、怖くなった。

「ミルフィ、わたしさ、なんか自分に呆れちゃって」
『どうして?』
「パフォーマンスのこととか、カロスフェスのこととか、いろいろ考えるべきことはたくさんあったはずなのに、あのニュース見た瞬間、サトシのことしか考えられなくなっちゃった」
『セレナ・・・』
「サトシのことは好きだったよ、好きだったけどさ・・・。好きな人に彼女が出来ただけで、何も考えられなくなっちゃうほど、私って弱かったんだなって。なんかバカみたい」

ふと、部屋の棚に飾られたトロフィーたちに視線を向ける。
カロスクイーンになったときに貰ったトロフィー、各地域のトライポカロンで優勝した時に手にしたプリンセスキー、ホウエンに武者修行に行っていたときに集めたコンテストリボン。
あそこに飾られている栄光の数々は、私にとって何にも代えがたい誇りだった。
けれど今は、あのトライポカロンのことも、パフォーマンスのことも、カロスフェスのことも、なにもかもどうでもいいとすら思えてしまう。

家を出て、カロスを旅した10年前を思い出す。
思えば家を出てポケモンを貰い、旅に出ようと思ったのは、サトシがきっかけだった。
母の反対を押し切ってサイホーンレーサーの道を捨てたのも、ポケモンパフォーマーになるという目標も見つけたのも、カロスクイーンになるという夢を持てたのも、サトシのお陰。
10年前の私は、何もかもサトシを中心に物事を考えていた。
サトシみたいになりたくて、ポケモンを貰った。
サトシと一緒にいたくて、旅を始めた。
サトシに憧れて、夢を追いかけた。
10年経って、少しは自分の足で立てているのかなと思っていたけれど、全然そんなことない。
サトシに彼女がいると聞いただけで、何もかも投げ出したくなってしまう。
私は今でも、サトシの影を追い続けてるんだ。

「私がもっと大人だったら、こんなに辛くないのかな」

独り言のようにつぶやいた言葉は、今にも消え入りそうなほど弱弱しいものだった。
今年で私は20歳になる。
もう子供とは言えない年齢だというのに、心は10歳だったあの頃のまま。
もっと大人になりたくて、ベッドに寝そべったまま天井へと左手を伸ばしてみるけれど、当然何もつかめずに再び力なく腕をベッドに放り出してしまった。

『ねぇセレナ。確かに恋は敗れたかもしれないけど、あんたにはまだ夢が残ってるじゃない』
「夢・・・」
『トライポカロンを世界に広めるんでしょ?あんたこの前、きらきらした顔で言ってたじゃない。その夢は、クイーンであるあんたにしか叶えられないのよ?』
「そう、なのかな」
『そうよ。悔しいなら、ちゃんと夢かなえて証明してやんなさいよ。サトシはアンタのすべてじゃない。一人でも夢をかなえられるって』

諭すように語り掛けてくるミルフィの声は優しくて、それでいて力強かった。
真っ暗だった私の心に、一筋の細い光が差す。
そうだ。ここで落ち込んでても、一層自分が嫌いになるだけ。
立ち上がらなくちゃ。私にはまだ、叶えたい夢がある。
サトシが与えてくれた夢の延長線だけど、それでも、どうしても叶えたい夢なんだ。

「ミルフィ、ありがとう。私、一人で頑張ってみる」

頑張れセレナ。
ミルフィの声が届くと同時に、私はベッドから起き上がった。
まだ体は重いけれど、心はさっきよりもずいぶん軽くなった。


*******************


久々に見るカントーの空は、カロスの空よりも青く見えた。
この地に降り立つのは、10年以上ぶり。
あのサマーキャンプ以来だろう。
飛行機から降り立ち、空港の中で上を見上げると、案内表示がひしめき合っていた。
空港の柱や壁には、様々なお知らせや広告が電子表示されている。
その中に、あと3日に迫ったカロスフェス開催を知らせるものも交じっていた。
ポケットに忍ばせた端末で、ヤシオさんに“つきました”とメッセージを送る。
再び前を向いて歩き出すと、人込みの向こうからスーツ姿の男性が1人こちらへと向かってくるのが分かった。

「カロスクイーンのセレナさんですね」
「あ、はい」
「初めまして。ポケモン協会の者です。お迎えに上がりました」

スーツをびしっときめているその男性の胸元には、ポケモン協会会員のバッチが光っている。
ヤシオさんが、カントーについたらポケモン協会の方が面倒を見てくれるとは言っていたけれど、まさか空港までわざわざ迎えに来るとは思わなかった。
どうやら建物の外に車を止めているらしく、男性に促されるまま私は空港を後にした。
男性が運転する車に乗って向かう先は、ヤマブキプリンスホテル
カロスフェスに参加するゲストやスタッフが宿泊しているホテルらしく、大会期間中、私もこのホテルで過ごすことになるという。
到着したホテルは随分と大きくて、ポケモン協会がこのフェスにどれだけ力を入れているのかよく分かる。

「フロントマンに声をかけて、チェックインを済ませてください。ちなみにお部屋は最上階になります」
「さ、最上階!?」

車から降り、後部座席のドアをざわざわ開けてくれた男性の言葉に、思わず大きな声を挙げてしまった。
この辺で一番高そうなホテルの、しかも最上階だなんてきっととんでもなく宿泊費がかかるはず。
費用はすべてポケモン協会が持ってくれるとのことだが、それでも気が引けてしまう。

「あの、そこまでする必要ないんじゃ・・・」
「いえ。セレナさんは大事なゲストですから。それに、プレゼンターの方は最上階に宿泊いただく決まりですので」
「は、はぁ・・・」

私以外にプレゼンターを務める人が何人かいることは知っていた。
けれど、打ち合わせの段階ではまだ全員決まっていないからという理由で言及が無かったため、誰なのかは知らない。
運営側によると、フェスは広い会場で1週間もの機関開催されるため、同じプレゼンターと言っても顔を合わせるのはせいぜい1人か2人程度だという。
他に何人いるのかも分からないけれど、全員平等に最上階に泊まらされているのならいいのかな。
“わかりました”と頷くと、男性は“ではまた明日お迎えに上がります”とだけ言い残し、運転席に戻って車を発進させてしまった。
フェス直前ということもあり、明日からは毎日のように打ち合わせが予定されている。
忙しくなりそうな予感を感じながら、私はホテルのロビーへと足を踏み入れた。

高い天井には大きなシャンデリアが吊るされていて、フロントの奥には大きなグランドピアノが置かれている。
扉の正面に置かれたフロントへと足を進めると、姿勢正しく経っていた男性スタッフがにこやかな表情で頭を下げてきた。

「あの、」
「アサメシティのセレナ様ですね。お待ちしておりました。最上階2019号室のカードキーになります」

名乗る前に、男性は私の名前を言い当て、待っていましたと言わんばかりにカードキーを差し出してきた。
カードキーを受け取りながら、何故知っているのだろうと首を傾げた私に気付いたのか、男性は小さな声で“ポケモン協会の方から事前にご連絡いただいておりました”と明かしてくれた。
ポケモン協会がやることには抜かりがない。
かなりのVIP待遇に戸惑いながらも受け取ったカードキーをポケットにしまったその時だった。

「セレナ?」

背後から声がかかる。
特徴的なそのハスキーボイスには聞き覚えがあった。
忘れられるわけがない。
10年以上片想いし続けている彼の声なのだから。

ゆっくりと振り返った先にいたのは、肩にピカチュウを乗せた青年。
かつて一緒にカロスを旅した、私のあこがれの人、サトシだった。
なんで、とか、どうして、とか、投げかけたい言葉がたくさんありすぎて混乱する。
彼を目にした途端、言葉を失って、ただただ目を見開きながら彼を見つめるしかなかった。
けれど、そんな私の乱れた心なんて全く意に介すことなく、サトシは無遠慮に大股で距離を詰めてきて、きらきらした表情でまっすぐこちらを見つめてくる。

「やっぱりセレナだ!久しぶりだな!元気してたか?」
「あ、う、うん・・・」

サトシの方に乗っていたピカチュウが、私の胸元めがけて飛び移ってきた。
この黄色いモフモフとした感触を撫でるのは、本当に久しぶりだ。
甘えた声を出しながら頬ずりしてくるピカチュウは、紛れもなくサトシのピカチュウだった。

「もしかして、ここに泊まってんのか?」
「そうだけど・・・」
「そっか!俺もなんだよ、ほら」
「えっ!?」

サトシがポケットから取り出したのは、私が先ほどフロントマンから受け取ったカードキーと全く同じものだった。
しかも驚くべきことに、そこに刻まれた数字は2020。
私の部屋の隣の番号だった。

「うそ、最上階?ってことはサトシもカロスフェスに・・・?」
「あぁ!プレゼンターやってくれって頼まれちゃってさ。もしかして、セレナも?」

小さく頷いて、先ほど貰った2019号室のカードキーを見せると、サトシは一層表情を明るくさせる。
私をここまで送ってくれたあのポケモン協会の人は、プレゼンターはみんな最上階に宿泊していると言っていた。
最上階である20階の部屋のカードを持っていることが、同じプレゼンターの証というわけである。

「セレナもプレゼンター任されたんだな。セレナが一緒なら心強いぜ。よろしくな」

この時、私はこのカロスフェスのプレゼンターになったことをはじめて後悔した。
カントーで行われるこのフェスに、どうしてカントーチャンピオンであるサトシが招かれることを予想できなかったのだろう。
事前の打ち合わせで名前が挙がっていなかったから、完全に油断していた。
まさか彼も同じプレゼンターで、しかも隣の部屋に宿泊しているだなんて。
多分、少し前の私なら、これは神様が与えてくれた運命なんだ!とか思いながら浮かれまくっていたことだろう。
でも今は、悪魔の呪いに書思えない。
せっかくサトシへの想いを断ち切って、夢だけ追いかけていようと決意したのに、このタイミングで接近させられるだなんて、本当についてない。

最悪だ。
そう思いつつも、心臓はやっぱりバクバクしていて、今もまだ彼に恋をしているということを思い知ってしまう。
今彼から向けられた笑顔の裏には、私ではない誰かの影がある。
サトシの心は、既にその誰かのものなのだ。
期待しちゃいけない。
自分に言い聞かせつつ、私はひきつった笑顔で言うのだった。

「よろしくね」


********************


昨晩はあまり眠れなかった。
ポケモン協会によって用意されたこの2019号室は広々としていて、ベッドもバスルームも今まで泊まったホテルの中では最高と言える。
けれど、あの壁の向こうにある2020号室でサトシが寝ていると考えると、どうしても寝付けなかった。
旅をしていた頃は、すぐ近くで眠るなんてよくあることだったのに、今は壁を隔てた向こうですら近く感じてしまう。
こんなことで、ちゃんと彼を忘れられるのかな。
そんな不安を抱きながら、私はようやく朝を迎えた。

サトシとバッティングするのが嫌で、恐る恐る覗きながら部屋を出てみたけれど、外にサトシの姿はない。
この隙に急いで1階のロビーまで降りると、すでに昨日の男性が車を止めて待っていた。
まるで何かに追われるように飛び乗り、私を乗せた車は打ち合わせ場所へと走り出す。
なんだか情けない。これじゃサトシから逃げてるみたい。
けれど仕方なかった。
サトシと近づけば近づくほど、話せば話すほど、忘れられなくなるだろうから。

幸い、打ち合わせは私とポケモン協会の方2名だけで行われるらしく、サトシはいなかった。
安堵感を覚えつつ、渡された資料に目を通してみる。
その資料は、フェス最終日に行われる第一回トライポカロンカントー大会のプログラムだった。

「セレナさんには、是非開会式でパフォーマンスをしていただきたくてですね」
「はい。問題ないです。テールナーたちもそのために調整してきましたし」
「あ、いえ。今回はセレナさんだけでお願いしく・・・」
「えっ?」

対面に座っている男性の言葉に、資料へと視線を落としていた顔を上げてしまう。
男性は取り繕うような笑顔を作り、言葉を選びながら私に語り掛けてきた。

「先日発表されたセレナさんのニューシングル、カントーでも流行ってましてね。是非生歌を披露していただきたいんですよ。それ目当てで来られるお客さんもたくさんいるでしょうし」
「でも、他のイベントならともかく、記念すべき第一回目のトライポカロンの開会式なのに、ポケモンたちとパフォーマンスしないのは、ちょっと・・・」
ポケモンを交えてのパフォーマンスなら、大会に出場するパフォーマーの子がやってくれますから。セレナさんがわざわざ披露するまでもありませんよ」
「いえ、でも・・・!」
「今回はほら、カロスクイーンではなく、アイドルとしてご参加いただければ」
「アイドル、ですか・・・?」

満面の笑みで“はい”と頷く目の前の男性には、きっと悪気なんてないのだろう。
多分、けなしているつもりなんて全くない。だからこそ傷付いた。
そうか、私はカロスクイーンでもパフォーマーでもなく、アイドルとして見られてたんだ。
そりゃそうだよね。
人が作った歌を歌って、勝手に決められた振り付けを踊って、与えられた衣装を着て、決められた演出をこなして、自分一人でスポットライトを浴びて笑顔を振りまいてるんだもん。
こんなの、私が目指してたポケモンパフォーマーじゃない。
カロスクイーンという変わった肩書を持ってるだけの、ただのアイドルだ。

膝の上で握り込んだ拳が震える。
分かってるんだ。ここで歌うことを断って我を通したりしたら、せっかくつかみ取ったチャンスが無駄になってしまう。
トライポカロンカントーに進出するまたとない機会なのに、私の我が儘でポケモン協会の機嫌を損ね、失敗に終わったりしたら元も子もない。
参加すると決めた以上は、運営側の意向に従うしかないんだ。
それが、大人のやり方だから。

「わかりました」

声はきっと震えていた。
けれど、目の前の男性二人は、了承を得たことを喜びながらさっさと次の議題に移ろうとしている。
カントーまできて、結局パフォーマンス出来ないのか。
テールナーたちになんて謝ればいいんだろう。
やりきれない思いのまま、今日の打ち合わせはいつのまにか終わっていた。


********************


気付いたら、ホテルの前にいた。
呆然自失とはまさにこういう時に使う言葉なのだろう。
打ち合わせが終わって、運転手に送られてここまで帰ってきたのだろうけど、はっきりとした記憶がない。
パフォーマンスが出来ないと知った時のショックが大きくて、頭が働かなくなってしまったのだ。
フロントで預かってもらっていた鍵を受け取って、エレベーターに乗り込む。
20階のボタンを押して、上昇していく回数表示をボーっと見つめていた。
なんだか疲れた。
部屋に戻ったらすぐに寝てしまおう。
お腹が減っている気がするけれど、食べに行くのも買いに出るのも面倒くさい。
明日も打ち合わせがあるから、とりあえずシャワーを浴びよう。
いつもならちょっとだけテールナーたちとパフォーマンスの練習をするけれど、もうどうでもいい。
だって出来ないんだもん。やれないんだもん。
練習なんてしたって仕方ない。

やがて、エレベーターの扉が開く。
のそのそと猫背気味に部屋に向かい、2019号室の前にたどり着く。
あ、カードキーどこにしまったっけ。さっきフロントマンから受け取ったばかりなのに。
セカンドバッグの中は化粧品やモンスターボールでいっぱいで、なかなかカードキーを探し当てることが出来ない。
そうしてもたもたしているうちに、隣の2020号室の扉がゆっくりと開いた。
今思い返せば、あの時カードキーをすぐに見つけだしていたら、こんな風にはならなかったのかもしれない。

「あれ、セレナ。今帰ったのか?」

かけられた声に、真っ白になっていた頭が一瞬でクリアになっていく。
そういえばすっかり忘れていた。
この部屋の隣に宿泊している彼のことを。

「サトシ」

相変わらず肩にピカチュウを乗せている彼は、いつものようにキャップをかぶり、青いロングコートに黒いジーンズを合わせている。
どこかへ出かけるのだろうか。もしかして、デート?
勝手な妄想だけが先走り、私の心に追い打ちをかける。

「ちょうどよかった。セレナを誘おうと思ってたんだよ」
「えっ?」
「これから飯、行かないか?」

トクン、と心臓が脈打つ。
てっきりこれから彼女と待ち合わせでもして、デートするもんだと思っていた。
けれど、彼が誘って来たのは他でもない私。
その言葉に意図が読めなくて、思わず言葉を失ってしまった。

「会ったの久しぶりだろ?積もる話もあるしさ」
「でも・・・」

彼女はいいの?
そう言いかけて、やめた。
だって、聞いてどうするの?
悲しくなるだけじゃない。
聞いたとして、別に関係ないと言われても、やっぱり彼女がいるんだと思い知らされて傷付くし、じゃあやめとくかと言われても、当然落ち込む。
確定している悲しい事実をいちいち掘り返しても、無意味なんだ。
だからこそ、私は断れない。
どんなに忘れようと努力したところで、結局サトシからの誘いだけは、断り方を知らないんだ。

「でも、なに?」
「ううん、なんでもない。いこっか」
「おう」

来た道を引き返してエレベーターへ向かう。
途中、サトシの肩を伝ってピカチュウが私の肩に乗ってきた。
昔はほとんど変わらない背丈だったのに、いつの間にかサトシの方が10センチ以上高くなってしまって、並んで歩く肩に高低差が生まれている。
大人になったんだな、サトシは。
その結果、カントーチャンピオンという地位と、彼女を手に入れた。
じゃあ、私は?
カロスクイーンにはなったけど、10年前に望んでいたものとはだいぶ違っている。
隣に並んでいるつもりでも、結局いつもサトシは私の先を行く。
いつになったらその背に追いつくのかな。
サトシの視界に、私が入る日は来るのかな。
来るわけないか。
だってもう、サトシには大切な彼女がいるんだから。
そんなことを考えながら、私はサトシと一緒にエレベーターへと乗り込んだ。


********************


サトシの道案内でやってきたのは、洒落たバルだった。
昼はカフェ、夜はバルとして営業しているこの店はサトシの一押しらしく、ホテルから歩いて来れるという立地も文句ない。
奥の半個室に通された私たちは、適当にメニュー表から食べたいものを選んで注文する。
サトシがビールを頼んだことに驚いたのは、子供の頃の印象がまだ根強いからだろう。
苦いものや辛いものが苦手だった彼がビールを一番最初に頼むなんて。
でも、よく考えたらあれはもう10年も前の話。
とっくにお酒が飲める年齢になっているわけだし、味覚位変わるか。
明日のことを考えてノンアルコールカクテルを注文したのは、最善策だったと思う。
酔っぱらって変なことを口走らないようにする予防線でもあった。

やがてお店特製のポケモンフーズが運ばれてくると、ピカチュウはサトシの膝から飛び降り、床に座ってお行儀よく食べ始める。
暫くたってビールとカクテルが運ばれてくると、私たちはどちらからともなくグラスを合わせた。
こうしてサトシとお酒を飲むのは初めてだった。
彼女とデートするときも、こういうオシャレなお店でお酒を飲むのかな?

「そういえばセレナ、新しいシングル出したんだって?どんな曲なんだ?」

サトシがそんなことを言って来たのは、2杯目のビールが運ばれてきた直後だった。
先日発売した4枚目のシングルが、デビューシングルを抜いて自己最高売り上げを達成しつつある。
ポケモン協会の男性たちが、カントーでも流行っていると言っていたけれど、サトシが知っているということは本当なのだろう。
私は自分の端末を取り出してイヤホンを差し込むと、片方をサトシに差し出し、もう片方を自分の耳にはめた。
当然、サトシは聞きやすいようにテーブルに身を乗り出してくる。
長さに限りがあるイヤホンのケーブルが引っ張られないよう、私も同じように身を乗り出した。

サトシの顔が近い。
こんなにも近付いているけれど、きっとドキドキしてるのは私だけなんだろうな。
そんな不毛なことを考えながら、私は端末に入った音楽再生アプリから自分の曲を選択し、再生した。
ポップな前奏から始まり、元気な自分の歌声が流れてくる。
レコーディングのとき、もっと元気よく歌ってくれという音響監督の指示で、不自然なくらい跳ねた声で歌ったことを覚えている。
サトシは黙って私の曲を聞いていた。
やがてサビを経て、1番が終了すると同時に、サトシは自分の耳からイヤホンを外す。

「うん、いい曲だな。セレナっぽい」
「うん。そうだね・・・」
「あれっ?そんなに気にいってないのか?」
「ううん。曲はすごく好き。でも、歌うこと自体が好きじゃなくて」

表情を暗くした私の変化にすぐ気が付いたサトシ。
彼からの質問に、私は随分と正直に答えてしまった。
いつもなら取り繕って、適当な嘘を吐くのに。

この曲が好きなのは本当だった。
夢を追いかけるひたむきな少女の歌。
まるで、トライポカロン知ったばかりの10年前の自分を謳っているようだった。
けれど、多分この曲は今の私には一番似合わない曲になっていると思う。
追いかけて追いかけて、つかみ取った夢の形が想像とはまるで違っていた。
そんな現実を知りながらこんな歌を歌うのは、少しだけ辛い。

「こんなにうまいのに、苦手なのか」
「最近、パフォーマンスじゃなく歌を求められることが増えて来てるの。本当はテールナーたちとパフォーマンスがしたいんだけど・・・。なんか、ただのアイドルだと思われてるみたいで」
「もっとパフォーマンスしたいって上には言ってみたのか?」
「うん。でもダメだった。求められてるのはそこじゃないって。でももういいの。仕方ないことだってわかってるから。上が取り決めたことには黙って従う。これが大人のやり方だもの」
「大人、かぁ・・・」

2杯目のビールをぐいっと煽るサトシ。
汗をかいたジョッキをテーブルに置いたことで、テーブルの上に載っているお皿たちがほんの少し揺れた。

「そういうのが大人なら、俺は一生大人になんてなりたくないな」

ボソッとつぶやかれたサトシの言葉は、私の胸に突き刺さる。
そう、サトシの言う通りだ。
大人になんて、私もなりたくない。
けれど、もう子供と言えるような年齢でもなくなってしまった。
歳を重ねるごとに、制約や責任ばかりが増えていき、大人が決めた常識に縛られる。
けれど、その常識を覆そうとすれば、途端に生きづらくなる。
望むものがあるのなら、窮屈な常識の範囲内で行動しつつ、つかみ取らなくてはならない。
たとえその常識が理不尽なものであったとしても、決して狼狽えず、異を唱えてはならない。
それが大人のやり方であり、賢い生き方でもある。

「なぁセレナ。俺さ、セレナのパフォーマンスが好きだよ。セレナとテールナーたちのステージを見てると元気が出てくるというか。人に元気や勇気を与えるのって、そう簡単なことじゃないと思う。それができるセレナだからこそ、カロスクイーンになれたんだよ、きっと」
「うん」
「さっきの曲も好きだけど、俺はやっぱり、パフォーマンスしてるセレナが一番好きだよ」

サトシの言葉はまっすぐ過ぎて、私の心に矢のように突き刺さる。
なんだか、この世界のすべてが、私のパフォーマンスなんて求めていないんじゃないかといつの間にか錯覚していたけれど、それは違った。
目の前にいる彼は、私のパフォーマンスを好きだと言ってくれる。
たった一人でもそう言ってくれる人がいるという事実は、私の心を軽くした。

「ありがとう、サトシ」

ジョッキを持ちながら、サトシは真剣な表情を崩してくしゃっと笑った。
10年も経てば、少年のように幼い心を持ったサトシでさえ顔つきは変わる。
けれど、笑った顔と真剣な眼差しだけは、子供の頃と何も変わってはいなかった。
どんどん前に進んでいるくせに、心持だけはあの頃と変わらないサトシが、なんとなく羨ましい。
やっぱりこの人は、何年経っても、私のあこがれだ。


*********************


気が付けば店に3時間も滞在していて、時刻は日付が変わる寸前だった。
明日のことを考えて二人とも慌てて店を出ると、酔って熱を帯びた体に外の風が冷たく触れる。
滞在しているホテルまで歩いて数分の店を選んでくれたサトシに感謝しつつ、私は彼の横を並んで歩いていた。

「セレナ、今日は付き合ってくれてありがとな。久しぶりに楽しかった」
「私の方こそ楽しかったわ。ありがとね。もちろんピカチュウも」

彼の肩に鎮座している黄色い相棒に声をかければ、相変わらず可愛らしい笑顔で返事を帰してくれる。
サトシはカントーチャンピオンという立場上、このカントーでは変装なしに出歩けない。
けれど今は深夜ということもあって人通りもあまりなく、素顔をさらして歩いている。
こうして二人で歩いていると、普通のカップルみたいに見えるのかな。
無意味な想像と期待は、私の頭の中に浮かんでは消えてゆく。

「でもごめんね。なんか愚痴っぽくなっちゃって」
「いいんだよ。俺だってそういう時あるし。それにめったに聞けないセレナの愚痴が聞けて面白かったしな」
「えー、面白がってたの?」

いたずらな笑みを浮かべてえ笑うサトシは、何かを思いついたように人差し指を立ててこちらに笑いかけてきた。
その笑顔は、まるで悪だくみを覚えたての少年のよう。

「愚痴ならいつでも俺に言ってこいよ?ビール1杯30分で聞いてやるからさ!」
「うわぁ、ちゃっかり報酬取るんだぁ」
「何言ってんだよ。セレナだから特別に割り引いてやったんだぜ?」
「じゃあ相手がシトロンだったら?」
「ビール1杯5分!」
「なにそれ、短っ!」

しんと静まり返った夜の道に、二人の笑い声だけが響き渡る。
サトシと会うこと自体不安だったのに、いざ会ってしまうとあの頃のように笑いあえる。
一瞬だけでもあの頃に戻れたら、なんて考えてしまった自分がなんだかものすごく滑稽に思えて、私はいつもより大きめな声で笑った。
別にあの頃に戻らなくたって、サトシは今ここにいる。
あの頃と何も変わらない、かっこよくて優しいままで。
ずっと、こんな時間が続けばいい。そう思ってた。
でも、この時の私はすっかり忘れていたんだ。
サトシはもう、私の手の届かないところにいるんだってことを。

「サトシくん?」

突然背後から、サトシの名前が呼ばれた。
先に反応したのは、呼ばれた本人であるサトシだった。
振り返った先にいた茶髪のロングヘア―の女性を視界に写すなり、彼は驚いたように目を丸くさせる。

「ミナミ!? なんでここに?」

ミナミ。そう呼ばれた女性は私たちよりもほんの少し年上で、落ち着いているというよりは活発そうな人だった。
何の根拠もないというのに、私にはその人の正体が姿を見ただけで何となくわかってしまった。
これが女の勘というやつなのかな。

「ちょっとそこで買い物してたの。もしかして、彼女がさっきメールで言ってた“トモダチ”?」
「あぁ、そうなんだ」

ミナミさんが、こちらに視線を向けてくる。
暗に“紹介して”とサトシに訴えている目だ。
その視線に従うように、サトシが私の隣に立つ。
あぁ、嫌だな。
だって、きっとサトシはこのミナミさんに私を紹介するとき、自分との関係性を添えて紹介する。
残酷な、“トモダチ”という肩書を添えて。
やめてよ。言葉にしないでよ。
せめて曖昧なままが良かったのに、サトシ本人から突き付けられたら、逃げようがないじゃない。

「ミナミ、紹介するよ。10年前、一緒にカロスを旅してた友達のセレナだ」

私よりも、その子に先に紹介したことだとか、サトシがミナミと呼び捨てにしてたことだとか、傷つく要素はたくさんあった。
でも、何より傷付いたのは、サトシがこの状況に全く動揺していないことだった。
普通、彼女に他の女の子と歩いているところを見られたら、それなりに動揺するでしょ?
でもサトシは、全く慌てるそぶりを見せていない。
それはつまり、私がサトシにとって、彼女の脅威となるよな存在では決してないということ。
私が、ただのトモダチであるという確固たる証拠だった。

「はじめまして、セレナです」

上手く笑えているだろうか。
職業柄、笑顔を作ることには自信があったけど、今日は自信がない。
胸の奥からこみあげる真っ黒な気持ちを隠すのに必死で、平然を装う余裕なんてなかった。
そんな私とは対照的に、口元に笑みを浮かべるミナミさんは、動揺している私が惨めになるほど穏やかで、冷静で、朗らかに笑いかけてくる。

「はじめまして。サトシくんの彼女の、ミナミといいます」

今更驚いたりはしなかった。
彼女の小さな口から発せられた言葉は、ただの答え合わせでしかなかったから。
きっと、サトシと一緒にいるこの時間が楽しすぎて、無意識に見て見ぬふりをしていたのかもしれない。
サトシには、既に彼女がいるという、動かざる事実を。

その日、私はサトシと食事に行ったことを、カントーに来たことを、カロスフェスに参加したことを、ひどく後悔した。

 

 

act.2

 


チルタリス戦闘不能ピカチュウの勝ち!よって勝者、チャンピオンのサトシ!!』

ピカチュウバトルフィールド上に着地したと同時に、審判員が声を張り上げて勝敗を告げる。
スピーカーから大音量で発せられる審判員の言葉を聞き、会場は割れんばかりの歓声が沸き起こった。
自分よりも何倍も体が大きい相手を軽くノックダウンさせた黄色い相棒を抱き上げ、俺は右耳に着けたイヤホンマイクのスイッチを切る。

「いいバトルをありがとう。楽しかったよ」
「こちらこそ!やっぱりチャンピオンは強いなぁ・・・」

フィールドの真ん中で横たわっている自分のポケモンを撫でているチャレンジャーに歩み寄り、右手を差し出すと、相手もまた何の躊躇もなくその手を握り返してきた。
俺がチャンピオンになって、防衛戦はこれで4度目だ。
今回は前回のチャレンジャーよりもなかなか強くて、かなり白熱してしまった。
こんなに楽しいバトルは、久しぶりだったかもしれない。
俺は再び右耳のイヤホンマイクのスイッチを入れ、今度は観客に向かって声を張り上げる。

『ありがとうございました!』

スタジアムの各所に設置された複数のスピーカーから、俺の声が大音量で流れてきた。
バトルのときは集中してて気にならなかったけど、こんなに大きな音だったのか。
反響する自分の声に驚きつつ、スタッフに案内され、俺はチャレンジャーと共にスタジアムを後にした。


********************


流れていく景色を見ながら、俺は今日のバトルを頭の中で振り返っていた。
あそこででんこうせっかではなく、10まんボルトを選んでいたら、もう少し早く決着がついていたかもしれない。
もしくは、相手がゴローニャを出してきたあの時に、消耗していたベイリーフで押し通らず、素直に控えにいたミジュマルに入れ替えておけば、6体全員使わずに勝てたかもしれない。
頭の中で反省点を並べている俺とは対照的に、膝の上ではピカチュウがすやすやと寝息を立てていた。
きっと久しぶりのバトルで疲れたのだろう。

「4度目の防衛、おめでとうサトシ。今日もいいバトルだったね」

運転席でハンドルを握っているケンジが、バックミラー越しに声をかけてくる。
昔はオーキド博士の助手だったこの古い友人に、まさかマネージャーを担当してもらうことになるとは夢にも思っていなかった。
数年前、チャンピオンになったあの日を皮切りに、俺の周りはめまぐるしく変化していって、トレーナーとして故郷を旅立ったばかりのあの頃には想像もしていなかった世界に身を置いてしまっている。
夢に描いていた世界だったからこそ、充実感も味わっているけれど、時折息苦しく感じるのは何故だろう。

「あぁ。相手のトレーナー、すげぇ強かったよ。次戦う時は危ないかもな」
「そんなこと言って。結構余裕で勝ってたくせに」

ケンジに適当な返事をしながら、膝の上で眠っているピカチュウの首元を撫でる。
そろそろ、この相棒と出会って10年が経つ。
あの頃はなにもかもが輝いて見えて、バトルをするたび少しずつ成長していく自分を実感できていた。
新しいポケモンを見つければ胸が高鳴り、強いトレーナーを見ると胸の奥から闘志が沸き起こって仕方が無かった。
けれど、最近はそういう幼いトキメキやわくわくを感じにくくなっている。

自分よりも強い相手、見たこともないポケモン
そんなものに、もう何年も出会っていないからかもしれない。
一言でいうと退屈だった。

少し前、このことを幼馴染兼ライバルのシゲルに話したことがあった。
あいつは俺の話を聞くなり自嘲気味に笑って、
昇りつめた者だけが味わえる葛藤ってやつだね。羨ましい限りだよ。
なんて言って来た。
俺から言わせれば、羨ましいのはシゲルの方だ。
あいつはいつだって目標に追われていて、その目標を達成したらすぐに次の目標が見つかってしまう。
次々に現れるハードルを飛び越えるシゲルは大変そうだけど、すごく楽しそうだ。
シゲルだけじゃない。
カスミもタケシたちも、目の前のケンジにだって、目標はある。
けれど俺は、カントーチャンピオンになったあの日、目標を失ったんだ。
登りきった山は想像絶するほど高くて、その山を越えるほどの次の目標が見当たらないのだ。
目標もなく過ごす日々は、面白みがない。

「そういえばさ、ポケホンマイク、使い心地はどうだった?サトシの友達が開発したんでしょ?」
「ん?あぁ。そういえばつけっぱなしだった」

ケンジの言葉にようやく気が付き、俺は右耳に装着したままだったイヤホンマイクを取り外す。
電源ボタンを長押しすると、点灯していた青いランプがゆっくりと消えていく。
これは昔一緒にカロス地方を旅したシトロンの発明品で、ポケモンバトルやコンテスト向けに作られたマイクである。
観客も、トレーナーのポケモンへの指示をきちんと聞き取れた方がバトルを楽しめるのではないかという配慮の元開発されたこのマイクは、対戦相手と無線でつながることが出来、ボタン一つで会場のスピーカーに声を流すことも出来れば、対戦するトレーナー同士だけで会話することも可能な優れものである。
歓声でかき消されがちな対戦相手のポケモンへの指示も聞き取れるようになるため、このポケホンがあれば、今後バトルの幅も広がることだろう。

「シトロンの奴、すげぇよな。今やカロスいちの天才発明家だぜ」
「カロスと言えば、例のカロスフェスの話、打ち合わせが1週間後に入ってるから覚えておいてね」
「あぁ、そういえば」

すっかり忘れていた。
カロスフェスの話を聞いたのは数日前。
ポケモン協会のメンバーだという人から聞かされた。
カロスのポケモンや文化を1週間かけて紹介するイベントで、過去にカロスを旅していた経験もあるチャンピオンの俺に、是非プレゼンターをお願いしたいと依頼されたのだ。
上着の内ポケットからスマホロトムを取り出して予定を確認すると、既に1週間後の日付に打ち合わせの文字が入力されている。

「なんか、プログラムの一部が変更になったらしいよ?確かカロスでしか開催されてないなんとかって大会が初めてカントーで開催されるとかで・・・大会の名前、なんて言ったっけ・・・」
「トライポカロンだな、たぶん」
「そうそう!それだ!」

トライポカロン。懐かしい響きだ。
その大会の名前を聞くと、ミルクティー色の髪をした彼女のことを思い出す。
セレナは元気だろうか。
カロスクイーンの座を手にした時のことは記憶に新しいが、最近はお互いに忙しくて連絡を取れていなかった。
きっと彼女のことだから、今も頑張っているのだろうが。

「久々に会いたいなぁ」
「ん?誰と?」
「あ、いやこっちの話」

無意識にポロっと出てしまった自分の言葉に動揺して、思わず苦笑いがこぼれる。
カロスでの旅は、俺にとって特別な思い出だった。
メガシンカという不思議な進化に初めて触れたのもあの時だったし、ともに高みを目指したゲッコウガのことも印象深い。
そういえば、初めて女の子とキスをしたのも、あの時が初めてだったっけ。
10年前のことだというのに、今でも鮮明に思い出せるあの空港でのやり取りが脳裏に浮かぶ。

「で、これからどうする?この後予定も入ってないし、このまま家に送ろうか?」

再びケンジがバックミラー越しに声をかけてきた。
防衛戦がある日はどうしても疲れてしまうから、その後の予定はいつも入れないようにしている。
今日も直行で家に帰りたいところだけれど、膝上でぐったりと眠っているピカチュウのために、俺には寄らなくてはいけないところがあった。

「いや。ミナミの店まで頼むよ」
「了解」

そう言って、ケンジはハンドルを切る。
向かう先はポケモン専門のマッサージショップ。
つい数日前、交際を開始した彼女、ミナミが経営している店だった。


*********************


診察台に横たわったピカチュウは、全身を強く揉み込む白い腕の感触にうっとりとしている。
観葉植物が多く置かれたこの個室は、ピカチュウなどの主に森に生息しているポケモンたちをマッサージするときに使うための部屋らしい。
生息地に似ている環境を出来る限り再現することで、よりリラックス効果を狙えるのだ、とミナミは言っていた。

他にも、そのポケモンのタイプによって焚くお香を変えたり、使うオイルの種類を変えたりと、ポケモンの疲れを取り払うために強いこだわりを見せるミナミを、俺は信頼していた。
なにより、ピカチュウをはじめとする俺のポケモンたちのほとんどは、ミナミのマッサージを気に入っている。
公式戦の前は必ずこの店に寄ってポケモンたちの体をほぐし、終わった後もこうして疲れを癒してやっているのだ。
ミナミのマッサージを受けた日とそうでない日では、ポケモンたちの動きが明らかに違う。
1年前、そのことに気が付いたことをきっかけに、俺はほとんど毎週のようにこの店に通うようになっていた。

ピカチュウ、痛いところはないですか?」
「ピカぁ」
「今日はいつもよりたくさん10万ボルトを使ってたから、背中のあたりを重点的に揉み込みましょうね。あの技を出すときは、背中に力を入れるはずだからね」

ミナミは、まるで自分のことのようにピカチュウの体のことを知り尽くしている。
ピカチュウだけではない。
図鑑に載っているポケモンすべての体を熟知し、どの技を使えばどの筋肉を使うのか、どこが疲れやすくなるのかよく分かっている。
ポケモン専門のマッサージ師とは言っているが、どちらかというと整体に近い。

「観てたんだな」
「うん。テレビでやってたから。勝ったんだね、おめでとう」
「サンキュ」

診察台の脇に置かれた椅子に腰かけ、マッサージの様子を眺めていた俺に、ミナミは笑いかけてきた。
4度目の防衛ともなると、そこまで大騒ぎするほど喜ぶことではない。
軽く祝いの言葉を贈ってきた彼女に頷くと、ミナミはすぐに視線をピカチュウへと戻していった。

ミナミと付き合いだしたのは、半年ほど前。
俺がミナミの店の常連客になって、しばらくたった頃だった。
何度となく顔を合わせるたび、次第に雑談をかわすような間柄になり、客と店員という関係から友人に関係が発展し始めたある日、不意に恋愛についての話題が持ち上がった。
何故その話になったのかは覚えていない。
けれど、互いの話をする中で、俺は一度も誰かを好きになった事が無いと軽い気持ちで打ち明けた。
もちろん、好きな人はいる。
けれどそれは友人の域を出ない好意であって、異性として好きかと言われたら明らかに違うものである。

誰かに恋をする気持ちがよく分からない。
そうつぶやいた俺に、ミナミはこう言った。

「じゃあ、ためしに私と付き合ってみる?」

友達の延長線上のような、軽い付き合いで構わない。
サトシ君が本当に好きだと思える人が出来たなら、その時別れる。
だから、そういう人が出来るまで、私と付き合ってみようよ。
もしかしたら、私がサトシ君に人を好きになる気持ちがどんなものか教えてあげられるかもしれないよ?

戸惑った。
正直、誰を好きになったこともなければ、付き合ったこともなかったから、“ためしに”と言われても、一体どうすればいいのか全く見当がつかなかった。
俺はともかく、ミナミは好きでもない俺と付き合ってもいいのかと問いかけると、ミナミはあははっ、と軽快に笑ってこう言い放ってきた。

「どうして好きでもないって決めつけるの?」

それ以上、何も言えなかった。
受け入れる理由は特にないけれど、拒む理由も見つからない。
だって俺には好きな人なんていない。
ミナミと付き合って不都合が働く相手もいないし、彼女の言う通り、ミナミと付き合う中で恋愛の何たるかが分かるかもしれない。
それに、なんとなく、今目の前にいるミナミの言葉を拒絶して、悲しませたくなかった。
だから俺は、いいよと返事をした。

あれから数か月。
特に何も起こらないまま時間が過ぎて、付き合う前とほとんど変わらない生活を送っている。
変わったことと言えば、マスコミやらファンの人たちに“彼女いるんですか?”と聞かれたときに“はい”と答えるようになったことくらい。
ケンジは素直に答えすぎだと苦い顔をしていたけれど、実際付き合っている人がいるんだからそこは隠す必要はないと思う。
最近は大々的に熱愛報道が出てしまって。周囲がバタバタしているけれど、あっさり俺が認めてしまっているものだから、報道も必要以上に加熱してはいなかった。

「マスコミ、店に来てないか?」
「午前中にひとり。サトシさんの彼女ですか?って聞かれたから否定しておいた」
「そっか」
「認めた方がよかった?」
「そんなことしたら店が大変なことになるだろ?」
「ふふ、そうだね」

幸い、今のところは彼女の正体がミナミだということは世間に知られていない。
鋭い記者は既にミナミに目星をつけているようだが、本人が否定している限りは過激なパパラッチに追われたりはしないだろう。
彼女がいること自体は否定する気は無いけれど、相手がミナミだということを公表する気はさらさらなかった。
彼女には、ポケモンリーグ公認のポケモンマッサージ師になるという夢がある。
俺と付き合っているということを世間に知られ、店にマスコミが押しかけてしまえば、彼女の夢の邪魔にしかならないだろう。
ミナミもまた、夢や目標に向かって日々努力している人間のうちのひとり。
そういう人は男女関係なく魅力的だし、羨ましいと思う。
それに比べて俺は・・・。
ピカチュウにマッサージを施しているミナミの姿をぼんやり見つめながら、俺は小さくため息を吐くのだった。


********************


変化のない日々は退屈を呼び、退屈は怠惰を呼び寄せる。
最近はチャレンジャーもいなく、バトルをする機会がめっきり減ってきてしまっていた。
そんな中で、俺が唯一楽しみに待っていたのが、カロスフェスである。
ゴウと一緒にサクラギ研究所を手伝っていた頃は、何度かふらっと立ち寄ることもあったが、それ以降はほとんどカロスには行っていなかった。
フェスのためにたくさん連れて来られるであろうカロスのポケモンたちを見るのも、カロスでしか食べられないグルメを味わうのも、これを機にカントーに進出する予定だというトライポカロンを見るのも、楽しみで仕方がない。
やがて、カロスフェスまであと3日と迫ったある日、俺は予想外の相手と再会することになる。

「セレナ?」

ポケモン協会から宿泊を命じられたホテルのラウンジで見かけた、見覚えのある後ろ姿。
恐る恐る声をかけてみれば、目を見開いて驚くセレナの顔が振り向いた。
その瞬間、俺の中で灰色だった世界に、一瞬で色が付いたような気がした。

「やっぱりセレナだ!久しぶりだな!元気してたか?」
「あ、う、うん・・・」

駆け寄り、勢いに任せて喜びをぶつけてみれば、彼女は遠慮がちに頷くだけだった。
ほんの少し、心がちくっと痛む。
もう少し、再会を喜んでくれると思っていたから。

話を聞くに、どうやらセレナもカロスフェスのプレゼンターを任されたらしく、はるばるこのカントーまでやってきたのだという。
しかも運営側に指定されたホテルで、偶然部屋が隣だというのだから余計に驚きだ。
気の置ける友人の一人であるセレナとの再会は、退屈に喘いでいた俺の心を晴れやかにさせる。
けれど、どうもセレナとの間に微妙な温度差を感じていた。
直接会うのはもう数年ぶりだというのに、嬉しいのは俺だけなのか?

再会した日から一夜明け、ホテルの部屋から窓の外をぼうっと眺めながらセレナの顔を思い浮かべる。
前に逢った時よりも、格段に大人っぽくなっている。
化粧をして、おしゃれをして、背も伸びて、すっかり大人の女性に変貌を遂げていた。
彼女もまた、夢を追う過程で成長していたのだろう。
そう思うと、セレナが急に遠くに行ってしまったように感じて寂しくなった。

最上階の部屋から、豆ほどにしか見えない下の通行人を目で追っていた時、手元のスマホロトムからピロンと音が鳴る。
メッセージの着信音である。
仕事の連絡だろうか。
反射的に確認してみると、そこにはミナミの文字が表示されていた。

今日オフなんだけど、よかったら夜ごはん一緒にどう?

そういえば、最近はミナミと一緒に出掛けていない。
忙しかったのもあるけれど、一番の理由は気が乗らないからだった。
“いいよ”と返事をしようとしていた手が、寸前で止まる。
俺を躊躇させたのは、頭に浮かんだセレナの顔だった。
彼女はカロスフェスが開催される期間しかこのカントーにはいない。
カロスクイーンである彼女とは、地方を跨いで頻繁には会えない。
この機を逃せば、しばらく会えなくなってしまうのではないだろうか。
ほんの少し迷いつつ、俺の指は謝罪の言葉を入力するため動き出す。

ごめん。
昔一緒に旅してた友達と昨日再会したから、夕飯誘おうと思うんだ。
全然会えてなかったし、またしばらく会えなくなると思うから優先させたいんだ。

送信して数分後、ミナミからの返信はいつもよりも早かった。

そっか。分かった!
楽しんでね!また誘うね。

気持ちよく送り出してくれたミナミの反応に、俺の罪悪感も軽くなる。
スマホロトムをポケットにしまうと、ベッドの上で遊んでいたピカチュウを呼び寄せて肩に乗せる。
スマホロトムと財布、部屋のカードキーだけジャケットのポケットに詰め込んで廊下に出ると、偶然か必然か、そこには今帰ってきたであろうセレナの姿があった。
隣の彼女の部屋を訪ねて夕食に誘おうとしていた手前、ちょうどいい。

これからご飯、いかないか?と誘えば、彼女は一瞬だけ迷ったように視線を泳がせた後、遠慮がちにうなずいた。
昔なら満面の笑みで迷うことなく受けてくれたであろうセレナが見せた一瞬の戸惑いに、俺は違和感を感じずにはいられなかった。

酒を煽りながら昔話を花を咲かせていると、セレナが抱えている問題がだんだんと明るみになってきた。
彼女はどうやら過去に自分が思い描いていた未来の自分と現在の自分に大きなギャップを抱えている様子。
やりたくもないことをやらされ、逆にやりたいことをやらせてもらえない現状に苦しみ、頭を抱えてる。
それが大人としての賢い生き方だとセレナは言っていたけれど、その言葉にどうも納得が出来なかった俺はやっぱりまだ子供とだということだろうか。
きっと俺は、今も子供のように無邪気に夢を追いかけていたんだ。
ミナミのように大きな夢がある人たちをうらやましく思うのはその証拠。

夢が叶ってしまった後の生活はどこか張りがなくて、毎日ただ現状維持を続けているだけの退屈極まりない日々が続いている。
そんな中、久しぶりに再会したセレナとのひと時は本当に楽しくて、時間の流れるスピードが妙に早く感じてしまった。
本当はもう少し長く話していたかったけれど、明日も朝から打ち合わせがあるとセレナが言うのだから仕方がない。
談笑しながら歩いていたホテルへの帰り道だった。
不意に背後から、聞き慣れた声が聞こえて振り返る。
そこにいたのは、先ほどメールを交わしたばかりのミナミだった。

「はじめまして。サトシくんの彼女の、ミナミといいます」

丁寧に頭を下げるミナミに、セレナが遅れて頭を下げる。
俺が夕食の誘いを断ったから、代わりに一人で買い物をしていたらしい。
ミナミの手には、彼女が好きだと言っていたブランドの紙袋がぶら下がっていた。

「セレナさんって確か、サトシ君と一緒にカロスを旅してた子よね? 貴女の話はサトシ君から色々聞いていたの。仲良くしたいと思ってたのよ」
「そう、ですか・・・」
「カロスクイーンなんですってね。トライポカロンって観に行ったことなんだけど、カロスフェスで開催されるみたいだし、観に行ってみたいなぁ」
「ならミナミも遊びに来るといいよ。セレナもトライポカロンのオープニングでパフォーマンスするみたいだし。な?セレナ」

それは、ただの好意と親切心からくる言葉であって、他意はなかった。
一人でも多くの人にトライポカロンを見てもらいたいとセレナも言っていたし、ミナミも誘えば、セレナも歓迎してくれると思っていたんだ。
けれど、セレナはなにも言わず苦い顔のままうつむいていた。
何も言わないセレナに不安になって、名前を呼んで顔を覗き込んでみると、セレナは勢いよく顔をあげてこちらに視線を向けてくる。
その大きな瞳が潤んでいるように見えたのは錯覚だろうか。

「ごめん、私先に帰るね」
「えっ、セレナ?」
「サトシ、今日はありがとう。それじゃあ」

まるで逃げるように小走りでその場を去っていくセレナの背を、俺は追いかけることが出来なかった。
なぜあんなにも悲し気な顔をしているのか、何故そそくさとこの場を去って行ってしまうのか、何もわからないくせに引き留めたところで何といえばいいのかすら、分からなかったから。

「私、気に障るようなこと言っちゃったかな」

ぼうっとセレナの背を見つめている俺の背後からミナミの声がかかった。

「いや。そんなことないと思うけど・・・」

セレナはもともと明るい子で、誰とでも親しくなれる気質の持ち主だ。
きっと俺の彼女であるミナミとも仲良くなれると思っていたのだけれど、大人となった今ではそうもいかないらしい。
ミナミに何か非があったわけではないだろうが、セレナにも何か思うところがあったに違いない。
そこを詮索して無理やりミナミと仲良くなってもらおうとも思わなかったため、俺は名残惜しさを感じながらもセレナの背から視線を外した。

「セレナ、いろいろ悩んでるみたいだったから、知らない人と話す気分じゃなかったのかもな」
「ふぅん」

ミナミはさほど興味がないようで、相槌も空返事だった。

「あのね、実は今日報告したいことがあって誘ったの。断られちゃったし、次に会ったときに話そうと思ってたんだけど、偶然会えたことだから言っちゃうね」

報告したいこと。
その内容に心当たりはなかった。
けれど、ミナミの表情から読み解くに悪い話ではないのだろう。
話の内容を急かすように首をかしる俺と一緒に、肩の上のピカチュウも一緒に首を傾けていた。

「さっき、ポケモン協会の人から連絡があったの。ポケモンリーグ専属のポケモン整体師にならないかって」
「えっ、ほんとに!?」
「ほんとに」

ポケモンリーグの運営チームには、大会出場者を支えるべく多くのスタッフが関わっている。
バトルの末、ポケモンが大けがを負ったとき即座に対処する医療スタッフ、不審者やテロの標的にならないよう目を光らせている警備スタッフ。
ポケモンたちの疲労回復のために、試合が終わるたびマッサージを施している整体スタッフも、その一員だ。
ミナミは昔から、ポケモンリーグ専属の整体師を目指して頑張ってきた。
こつこつと積み上げた経験と技術が実を結び、ようやくリーグ側からお声がかかったらしい。
ミナミの努力をすぐそばで見てきた俺としても、それは喜ばしい報告だった。

「やったなミナミ!夢が叶うんだな!もちろんOKしたんだろ?」
「ううん。とりあえず保留にしておいた。お店のこともあるし、すぐには返事出せないよ」
「そうなのか。でも、いずれはOKするんだろ?」
「うん、まぁ・・・そうかな」

ミナミからの返答は、妙に歯切れの悪いものだった。
夢の実現が目前に迫っているというわりには、そこまで嬉しそうに見えない。
今更何を迷うことがあるのだろう。
俺には全く分からなかった。
けれど、ミナミがそれ以上なにも語る気がないのも明白だったし、俺はそれ以上詮索するのはやめた。
と同時に、なんだかミナミがうらやましく思えた。
ミナミもセレナと同じで、夢に向かって突き進む中で悩みを抱えている。
対して俺は、目標という目標もなく、彼女たちのように悩みを抱くこともない。
曇った顔を見せながらも、二人は俺なんかよりも充実しているように見えたんだ。
たぶん、俺にはもう、追いかけるべき夢は見つけられないんだと思う。

目の前のミナミから目を逸らしたと同時に、ジャケットの内ポケットに入れていたスマホロトムが震え出した。
仕事の連絡かもしれない。
“ごめん”とミナミに一言謝り、ディスプレイに視線を落とすと、そこにはケンジの名前が表示されていた。

「もしもし」
『あぁサトシ?こんな時間にごめん。今大丈夫?』
「おー、どうした?」
『明日の朝なんだけど、カロスフェスの会議出れないかな?先方から急にお願いされちゃってさ』
「あー、何時?」
『9時半』

明日は確か、昼からヤマブキシティのスタジオで雑誌の取材が入っていたはず。
朝ならばぎりぎり予定を詰め込めるだろう。
頭の中でスケジュールを確認した俺は、小さく頷いて電話の向こうにいるケンジに笑いかける。

「OKいける。一時間くらいだよな?」
『ありがとう助かるよ。たぶん1時間で終ると思う。じゃあ明日迎えに行くから、よろしく』

電話はケンジの方から慌ただしく切られてしまった。
突然のスケジュール変更に慌てているのだろう。
チャンピオンになってからというもの、ほとんどプライベートな時間が取れなくなっている。
それはマネージャー代わりのケンジも同じである。
明日も早朝から忙しくなるのか、と若干気を落としながら、俺はスマホロトムを再びジャケットの内ポケットへとしまった。

「悪い。明日も朝からカロスフェスの打ち合わせがあるみたいだから、俺はこれで」
「うん分かった。頑張ってね」

ミナミに小さく手を振り、俺はピカチュウを肩に乗せたままホテルのエントランスへ向かって歩き出す。
階段を数段上がったとき、ふいに背後からミナミの声で呼び止められた。

「サトシ君!」

振り返ると、まだそこにはミナミがいて、先ほどまでとは打って変わって妙に寂しげな表情をしている。
どうしたんだろう。
首をかしげながら見つめると、ミナミはやがて小さな笑顔を見せてきた。
その笑顔は心からの笑顔ではなく、明らかに無理矢理作り出したものだった。

「さっきの子・・・セレナちゃんも、その打ち合わせ出るのかな?」
「セレナ?さぁ、どうだろう。なんで?」
「・・・ちょっと気になっただけ。じゃあ、おやすみ」

挨拶を済ませ、ミナミは逃げるように小走りで立ち去って行った。
その背を横目で見つつ、俺は肩に乗った黄色い相棒と顔を見合わせて首を傾げた。
様子のおかしいミナミの姿は気になったが、明日も早い。
寝坊してケンジに叱られるのは面倒だし、早く部屋に戻って寝てしまおう。
ミナミには、後でメールでもしておけばいいか。
大きなあくびを一つ零した俺は、ピカチュウと一緒にホテルの中へと帰っていった。

 


act.3

 


ポケモン協会本部まで」

行き先を告げると同時に、ドアがゆっくりと閉まった。
あまり愛想のよくない運転手は、ぶっきらぼうに返事してタクシーを発進させる。
今朝、起きたと同時に受信したポケモン協会からのメールには、今朝は車で迎えに上がれないという旨のメッセージが載っていた。
仕方なくタクシーを呼んでみたけれど、カロスクイーンである私の顔を運転手は知らなかったらしく、指摘されることもなく平和的に乗り込むことが出来た。

ドアの窓に肘をつきながら、頭を押さえる。
寝不足で頭が痛い。
やはりと言うべきか当然と言うべきか、昨日は一睡もできなかった。
サトシの彼女だというミナミという女性にあったあの瞬間から、私の胸は大きな釘が刺さったかのようにずきずきと痛んでいる。
サトシに彼女がいることなんて、カントーに来る前から分かり切っていたことなのに、何を今さら傷付いてるんだろう。

「はぁ・・・」

運転手に気付かれないように、小さく息を吐く。
ため息なんてついても現状は何も変わらないというのに、吐かずにはいられない。
流れゆくヤマブキシティの景色を窓から眺めながら、私は必死に涙をこらえていた。

やがて、いつのまにか車はポケモン協会本部へとたどり着いていた。
よろよろとタクシーを降りた私は、メールで記載されていた会議室目指してエレベーターに乗り込む。
地上から上へ上へと昇っていくごとに、下の道を歩く人々が小さくなっていく。
今朝、早くからカロスフェスの会議があることは私にとって救いと言えた。
朝から仕事を詰め込むことで、昨日の出来事を考えずに済む。
今はとにかく仕事に集中しなくちゃ。
トライポカロンの今後の繁栄のためにも、まずはカロスフェスを成功させなくちゃ。
自分のことを考えてる暇なんて、私にはないはずなんだから。

17階にたどり着いた私はエレベーターを降り、会議室へと足を運ぶ。
無機質な黒い扉に手をかけ、大きく深呼吸をする。
私はカロスクイーン。
人を笑顔にさせるのが私の仕事。
プライベートなことで落ち込んで、周りに迷惑をかけるわけにはいかない。
いつでも最高の笑顔でいなくちゃ、クイーン失格だ。

「よし」

心を落ち着かせ、会議室の扉を勢いよく開け放った。

「おはようございます!」

にこやかに、そして元気よく挨拶をした私の笑顔は、たった一秒で凍り付いてしまった。
だって会議室には、あのサトシがいたから。

「よう、おはよう、セレナ」

テーブルについていたサトシは、膝のうえに乗せたピカチュウと一緒に顔を上げて笑いかけてくる。
この状況を予想できなかったわけじゃない。
彼も私と同じくカロスフェスのサポーターを担当しているのだから、いずれ会議の場で顔を合わせることになるのはわかっていた。
でも、それがまさか今日になってしまうなんて。
せめて今日だけは、顔を見たくなかった。

「・・・お、おはよう」

深海よりも深く、暗い気持ちをひた隠し、なんとか笑顔を作ってみる。
上手く笑えている自信なんてない。
でも、なんとかして誤魔化さなくちゃ。
鉛のように重くなった体を引きずり、私はサトシの正面の席に座った。


*******************


「いやぁ、まさかサトシさんとセレナさんがお知り合いだったなんて驚きましたよ。子供の頃一緒に旅してたんですって?未来のカントーチャンピオンとカロスクイーンが一緒に旅してたなんて、なんだか運命的ですねぇ」

会議に同席している協会のお偉いさんが、私たちを見比べながら豪快に笑う。
私とサトシの関係を、ありもしない運命に紐づけてはやし立ててくる彼の話を、私はただただ苦笑いして聞き流すしかなかった。
目の前に座っているサトシの顔が見られない。
私の視界は、自然と手元の資料に落ちる。
数枚の冊子で渡されたその資料には、“カロスフェス開会式プログラム”と書かれている。

「子供のころからの付き合いなら、開会式での掛け合いも安心ですな」
「はい。任せてください。セレナとなら何の不安もありませんから!」

言い切るサトシに、胸の奥がチクリとうずく。
昔の私なら、彼の言葉を無邪気に喜んでいたのだろう。
でも今は、ただただ虚しい気持ちにしかならない。

この打ち合わせは、カロスフェスの開会式の段取りを取り決めるものだった。
開会式には司会を務める男性のほかに、私とサトシの二人が登壇する。
司会を介して数分間ほどのトークショーが行われ、開会式は終了となる。
ちなみに、私がパフォーマンスをするのはカロスフェス最終日に行われるトライポカロンカントー大会の開催式。
まぁ、パフォーマンスと言っても、テールナーたちと出るわけではなく、私が1人で歌を披露するだけなんだけど。

「そうだ。どうせなら、サトシさんとセレナさんでバトルをしてもらうというのはいかがでしょうか」
「えっ」
カントーチャンピオンとカロスクイーンのバトルなら注目されること間違いなしですよ!どうでしょう、お二人とも」
「全然かまいませんよ。セレナが大丈夫なら」

運営側が嬉々として提案してきたバトル案は、正直言って気が乗らなかった。
必要以上にサトシとの絡みを増やしたくはない。
しかも、最近はテールナーたちとパフォーマンスすら出来ていないというのに、バトルはさせるのかという矛盾もある。
私が披露したいのは、バトルでもなく歌でもなく、パフォーマンスなのに。
けれど、運営側の言う通り、サトシとのバトルを行えばより注目されることは間違いない。
そもそもカントーの人々たちから注目されなければ、トライポカロンの認知度を上げるという目標も達成できないだろう。
客観的に見て、断れる要素など何一つなかった。

「はい。大丈夫です。やります」
「そうですか!やってくれますか!これはトレンド入り間違いなしですね!ではでは、お二人のバトルは開会式には入りきらないので…開会式でもいいでしょうか」
「構いませんよ。楽しみだな、セレナ」
「うん、そうね・・・」

会議室の壁に取り付けられたホワイトボードに、“閉会式 バトル”と書き込まれる。
バトルの予定が入り込んだことで、サトシはどこか喜んでいるように見える。
彼はチャンピオンになった今でも生粋のバトル好きらしく、誰が相手であろうとバトルとなれば目の色が変わる。
こういうところは、まだ10歳の少年だった頃と何も変わらない。

そういえば、私が初めてサトシと1対1でバトルしたのは、私がホウエンに武者修行しに行くと決めたあの時だった。
あれが初めてのサトシとのバトルであり、最後のバトルでもある。
まさかこんな形で2度目のバトルの機会が巡って来るなんて、夢にも思わなかった。
せめて、もっと幸せな気持ちで対峙したかったのに。

会議は1時間きっかりで終了した。
資料をしまい、ポケモン協会の人たちに見送られながら、私はサトシと一緒にエレベーターに乗り込んだ。
ピカチュウがいるとはいえ、二人きりのエレベーターは気まずかった。
けれど、気まずさを感じているのはどうやら私だけだったようで、隣のサトシは私の顔色も窺わずいつもの調子で話しかけてくる。

「セレナ、俺このあとちょっと時間あるんだけどさ、よかったらどっかでお茶しないか?」

行きたくない。
と言えばうそになる。
本当はすごくいきたい。
でも、昨日見た光景が脳裏に浮かぶ。

“はじめまして。サトシくんの彼女の、ミナミといいます”

サトシには彼女がいる。
天地がひっくり返っても、私はサトシの彼女にはならない。
その事実が、私の中でサトシへの高く暑い壁を作り上げていた。

「ごめん、ちょっと用事あるの」

咄嗟に嘘を吐いてしまった。
カントーにはサトシ以外の知り合いはいない。
仕事以外で予定が入るなんてありえなかった。
私の返答に残念そうな顔を見せ、サトシは“そっか”と肩を落とす。
そんな風に悲しい顔をしないでほしい。
気のせいだと分かっていても、無駄な期待をしてしまう。
あぁ私とお茶できなくてがっかりしてくれたのかな、とか。
そんなに私とはなしたかったのかな、とか。
いらない期待ばかりが膨れ上がっては、無駄だったと気付いた時の傷は大きくなる。
お願いだから、これ以上私を惑わさないで。
貴方のことは、もう忘れてしまいたいの。

 


********************


私が滞在しているヤマブキプリンスホテルには、上層階に宿泊している客しか利用できないプライベートガーデンがある。
そこはポケモンたちを遊ばせたり、バトルさせることも可能なほどの広さがある。
会議から戻ってきて一息ついた私は、そのプライベートガーデンでテールナーたちの特訓を始めていた。
サトシとバトルをすると決まった以上、無様な姿は見せられない。
チャンピオンであるサトシとは実力差があることは十分に理解しているけれど、それでもまともやりあえる程度には特訓をしておかなくちゃ。

テールナーかえんほうしゃ!」

私の指示に合わせ、テールナーは尻尾に突き刺した枝から美しい炎を空に向け放った。

「続いてだいもんじ!」

間髪入れずに繰り出されただいもんじは、直前に空へと放たれていたかえんほうしゃを打ち消し、煌びやかな火の粉となって消えていく。
その光景は実に美しく、それでいて幻想的だった。
そういえばこの技の組み合わせ、パフォーマンスでは取り入れたことが無かったとこを思い出す。

「ねぇテールナー、さっきのもう一回やってみせて」

私の要望にテールナーは力強く頷き、もう一度かえんほうしゃを繰り出し、直後にだいもんじが打ちあがる。
やはり煌びやかな火の粉が舞い上がり、幻想的な光景が広がっていく。
これだ。この組み合わせは使える。
久しぶりに舞い降りたひらめきに、私は喜びを隠し切れなかった。

「これよテールナー!今の組み合わせすごくいい!ちょっとステップと一緒にやってみようか!」

即座に頷いたテールナーは、プライベートガーデンの中心に立つ。
さて始めようと立ち上がったその時、いつもパフォーマンスで使用している楽曲が手元にないことに気が付いてしまった。
仕方ない。スマホロトムの音楽アプリに入っている私の新曲を使おう。
あれは元々私がパフォーマンスで使っていた楽曲に歌詞をつけたものだから、メロディーは同じはず。
私はスマホロトムで音楽アプリを起動し、音量を最大にしてセットした。
数秒間の空白があって、ポップで明るいメロディーが流れ始める。
と同時に、私はすぐにテールナーの隣に立ち、一緒にステップを踏む。

こうしてテールナーと並んでパフォーマンスの練習をするのは久しぶりだった。
スマホロトムから流れ始めてきた自分の歌を口ずさみながら、私たちは何度も練習を重ねたステップをこなしていく。

《進め!新しい大好きを追いかけて》

テールナーかえんほうしゃ!続けてだいもんじ!」

曲の終わりに合わせ、先ほど完成した技の組み合わせを試してみる。
案の定、この曲を締めくくるのに最適な演出だった。
舞い上がる火の粉の真ん中で最後の振りを決めると、自然と肩の力が抜けていく。
テールナーと顔を見合わせ、顔を綻ばせたその時だった。
どこからともなく、パチパチパチと拍手の音が聞こえてくる。
音のする方へと視線を向けてみると、そこには見慣れた姿があった。

「すごかったぜセレナ!さすがカロスクイーン」
「サトシ・・・」

肩に黄色い相棒を乗せた彼は、私に賞賛の拍手を贈りながら屈託のない笑顔を見せている。
そうか。私と同じく最上階に宿泊しているサトシも、このプライベートガーデンに入れるんだった。
ゆっくりとこちらに歩み寄ってくるサトシに気まずさを感じ、視線を外すと、彼は近くのベンチに腰を下ろす。

「久々にセレナのパフォーマンス観た気がする。今かけてた曲って、昨日聞かせてもらったセレナの新曲だよな?」
「う、うん・・・」
「もしかして、あの曲でパフォーマンスする予定なのか?」
「ううん、違うの。いつも使ってる曲の音源が無かったからあれを使ってただけ。あの歌自体、いつも使ってる曲に歌詞を載せただけのものだから」
「なんだ。そうなのか」

肩に乗っていたピカチュウが、軽やかな足取りでサトシの膝の上へと移動する。
自分の膝の上でじゃれついてくるピカチュウを撫でながら、サトシは半ば独り言のようにつぶやいた。

「あの歌でパフォーマンスしたらかっこいいだろうなぁ」
「・・・・・」

サトシの言葉に、私は何も言えなかった。
絶対に実現しないことだと分かり切っていたから。
世間が私に求めていることは、アイドルのような歌と踊りであって、煌びやかなパフォーマンスではない。
以前、とあるイベントに呼ばれていつも通り歌を披露するよう要望された時。せめてポケモンたちと一緒に踊りたいと主張したが、ことごとく却下された。
舞台の主役は歌を披露するセレナというアイドルであり、ポケモンたちではない。
観客もそれを楽しみに来ている。
ポケモンもステージに上がったら、歌っている私が陰になるから必要ない。
そう言い切られたのだ。
その後、同じ主張を別のイベントに呼ばれた際にもしてみたけれど、結果は同じだった。
結局私は、ただのアイドルでしかない。

「新しいパフォーマンスのアイディアが浮かんだから思わず試してみちゃったんだけど、よく考えたら無駄だったのかもね。結局イベントでは披露できないんだし」
「無駄じゃないだろ」

テールナーの頭をなでながら愚痴を零した私の耳に、サトシの言葉が重く響く。
思わず視線を向けると、サトシはいつになく真剣そうな顔でこちらを見つめていた。

「前にも言っただろ?無駄なことなんて何もないって。今のセレナの頑張りは、きっといつか実を結ぶ日が来るって」
「そう、かな」
「そうだよ!なんなら俺からポケモン協会に頼んでみようか。カロスフェスでセレナにパフォーマンスさせてほしいって。そうすれば・・・」
「やめてっ!」

サトシの言葉を遮り、私は自分でも驚くほど大きな声を出してしまった。
隣に立っていたテールナーも、サトシの膝の上でくつろいでいたピカチュウも、一様に驚き固まってしまっている。
サトシもまた、私の切羽詰まった様子に驚き、言葉が途切れてしまう。

「・・・トライポカロンはね、カロス地方以外ではまだまだマイナーな大会で、今回のカロスフェスは、そんなトライポカロンを世界に発信するまたとないチャンスなの。カロスフェスを成功させるためには、ポケモン協会の協力が必要不可欠。下手なこと言って、協会の機嫌を損ねたくないの」
「それは分かるけど、セレナは歌じゃなくパフォーマンスがしたいんだよな?だったら・・・」
「私の今の夢はね、トライポカロンをもっともっとたくさんの人に知ってもらうこと。昔は夢を叶えるために、がむしゃらにまっすぐ突き進むことしか出来なかったけど、大人になった今ならわかる。夢を叶えるためには、自分を曲げなくちゃいけない時もあるって」

振り絞った小さな声は、たぶん震えていたと思う。
本当は歌なんて歌いたくない。パフォーマンスがしたい。
今すぐポケモン協会の人たちに抗議して、プログラムを変更してもらいたい。
でも、出来ない。
私には叶えなくちゃならない夢があって、それを叶えるためには、まっすぐ進むだけじゃいけないと知ったから。

「自分を、曲げる・・・?」
「そう。自分の好きなことばかりしてても、夢はかなわない。目標には近づかない。だから、どこかで折り合いをつけて少しずつ前に進むしかないの。諦めたくはないけど、諦めなくちゃ埒が明かない時だってあるじゃない?」
「・・・・・」

黙り込んでしまったサトシを、ピカチュウが彼の膝の上から心配そうにのぞき込んでいる。
彼が今、何を考えているのかは分からない。
けれど、その複雑そうな顔からはポジティブな感情が連想できない。
なんだかまた愚痴っぽくなってしまっただろうか。
私は密かに反省しつつ、テールナーをボールに戻し、部屋に戻るために一歩歩き出した。

「セレナは強いな」

背後から聞こえてきた声に、私の足は止まる。
そっと振り返った先にいたサトシは、ベンチに座ったまま俯き加減に自分の足元へと視線を落としていた。

「俺、カントーチャンピオンになった後、目標がなくなってずっとふわふわしてたんだ。でもセレナは、大人になってからもちゃんと夢を持ってて、嫌なことがあって逃げたりせずにきちんと自分の力で向き合おうとしてる。そういうとこ、ほんと強いなって」

自分の膝に肘をつき、自嘲気味に笑うサトシの姿に、私は少し驚いてしまった。
彼がこんな風に弱音や愚痴を零すところを見たのは初めてだったから。
若くしてチャンピオンの座を手に入れ、順風満帆に見える彼にも、他人には理解しきれない悩みや不安があるのだろう。
けれど私は、さっきのサトシの言葉に小さな違和感を感じていた。
チヤンピオンになったことで、目標が無くなったと言っていたが、それはおかしい。
彼は忘れてしまったのだろうか。
子供のころから追い続けた、彼自身の大きな夢を。

「サトシにだって、今もあるでしょ?夢」
「えっ?」
「子供のころから言ってたじゃない。ポケモンマスターになりたいって」

ポケモンマスター。
それが具体的にどんな立場の人を表すものなのかはよくわからないけれど、きっとサトシはまだ、ポケモンマスターになるという夢をかなえていない。
驚いたように目を見開き、言葉を失っている様子のサトシに小さく“おやすみ”と告げ、私はその場を後にした。
その晩、不思議とサトシの彼女の存在を思い出すことはなかった。
夢や目標の話ばかりしていたせいだろうか。
子供のころから、トライポカロンのことを考え始めると、不思議と他の悩みはどこかへ吹き飛んでいた。
カロスフェスを翌日に控えたこの日、私はようやく深い眠りにつくことが出来たのだった。


********************


カロスフェス開催初日は、あいにくの曇り空だった。
けれど、喜ばしいことに会場には多くの参加者が集まり、会場となったヤマブキ中央公園は人でごった返している。
運営スタッフの手によって組み上げられた特設ステージには、地元で有名だというアナウンサーが司会者として登壇し、会場に詰め掛けた人々になにやら呼びかけている。
やがて司会者が登壇して5分ほどたったのち、司会者の呼び込みによって私とサトシがステージへと上がった。
途端、ステージを見上げていた観客たちから歓声が上がる。
これはカロスクイーンの私への歓声ではなく、ほとんどがカントーチャンピオンであるサトシに向けられたものだろう。
老人から若者、子供や若い女性まで、幅広い年代の人たちがサトシに向かって手を振っている。
どうやらサトシは、全世代から平等に人気があるらしい。
このカロスフェスが盛況なのも、そんなサトシがプレゼンターとして就任しているからなのかもしれない。

「みなさん!カントーチャンピオンとカロスクイーンの御登壇ですよ!ほんと豪華な組み合わせですよねぇ!実はお二人、子供の頃に一緒に旅をしていたことがあるんですよね?」

地元では名物司会者と言われていらしい男性アナウンサーが、跳ねるような声色で私たちに話を振ってきた。
一瞬だけサトシの顔を伺った私だったが、サトシも同じタイミングでこちらを見たせいで目が合ってしまい、思わず小さく笑いあう。

「一緒にカロスを旅してました。な、セレナ」
「はい。サトシさんとは10年来の付き合いです」
「ということは、幼馴染ってやつですね」
「「そうですね」」

今度は言葉が被ってしまい、再び顔を見合わせる。
なんだか恥ずかしくなって笑ってしまう私に、サトシもはにかみながら肘で私を小突いて来た。
その行動に、特に深い意味はない。
ただ、互いに照れ隠しをしているだけだった。
しかし、端から見ていた司会者の目には違って映ったらしい。

「いやぁ、お二人とも仲いいですねぇ~、羨ましいっ。カントーチャンピオンとカロスクイーンなんてお似合いじゃないですかぁ!あっ、失礼。サトシさんには既に恋人がいらっしゃるんでしたね」

ハイテンションな男性アナウンサーから突然投下された爆弾に、私の心臓は一瞬止まりかける。
そういえば、サトシはついこの前熱愛報道が出たばかりだった。
しかも本人は否定していない。
カロスフェスの取材のため報道陣も来ているし、こういう公の場に立てばそういう話が出てもおかしくないというのに、すっかり不意を突かれてしまった。
せっかく忘れかけていたというのに、わざわざ掘り返さないでよ。
心の中にあるそんな要望がアナウンサーに伝わるわけもなく、報道陣や観客たちの視線は、無慈悲に私とサトシへと注がれる。

「まぁ、そうですね」

マイクを片手に苦笑いを浮かべるサトシは、曖昧に返事を濁した。
別に、なにか言ってほしかったわけじゃない。
きっとサトシが何を言っても、私は傷付いたんだろう。
やっぱりというか案の定というか、その話題が出るたびに私の心は荒んでいく。
せっかくカロスフェスだというのに、お願いだから心を掻きまわさないでほしい。

その後数十分間のトークショーののち、開会式は幕を閉じた。
私はサトシや司会者と降壇し、特設ステージの裏へはける。
スタッフたちがお疲れ様でしたと拍手を贈る中、私とサトシはペコペコ頭を下げながら奥へと進む。
そのスタッフやボランティアたちの中に、見つけてしまった。
先日あったばかりの、サトシの彼女である。

「サトシくん、お疲れ様」

私の横を素通りし、彼女、たしかミナミさんはサトシへと駆け寄っていく。
彼女が身に纏っているフローラル系の香水の香りがふわりと横切った瞬間、私の心は強く締め付けられた。
背後で、サトシとミナミさんの会話が聞こえてくる。
聞きたくない。サトシとその彼女の会話なんて。

私は、零れ落ちそうになる涙を必死にこらえ、スタッフたちに笑顔で挨拶をかわしながら速足でその場を離れた。
昨晩、サトシと彼女のことを思い出すことは無かった。
だから、てっきりもうこの悩みは頭の片隅に追いやることが出来たと思い込んでいた。
でも実際は全然そんなことなくて、私が思っている以上に、サトシへの想いは私の中で大きな存在感を放っている。
せっかくカロスフェスに集中しようと決めていたのに、当日になってまでまたウジウジ悩みだすなんて情けない。
忘れなきゃ。振り払わなきゃ。
パフォーマンスと同じで、どこかで折り合いをつけなければ前には進めない。
サトシへの想いを斬り捨ててでも、私は前に進まなくちゃいけないんだ。

「セレナ!」

不意に名前が呼ばれる。
この声の主を聞き間違えるはずはない。
振り返れば、そこにはやはりサトシがいた。

「なぁセレナ、よかったらこれからカロスフェス一緒に回らないか?ミナミも一緒に」
「え・・・?」

ミナミも一緒に。
その言葉が、どれほど私の心をえぐるのか、サトシは全く分かっていない。
サトシの肩越しに、ピカチュウを腕に抱いたミナミさんが遠くからこちらの様子をうかがっているのが見える。
彼の相棒であるピカチュウが。私の知らない女の人の腕に収まっているその光景を見た途端、私の中で何かが弾けた。

「ミナミがさ、セレナと仲良くなりたいんだって。セレナは俺の大事な友達だし、二人が仲良くなってくれたら俺も嬉しいからさ」
「・・・行かない」
「あ、もしかして、このあと用事あんのか?」
「そんなのない」
「なら一緒に・・・」
「あのさ!」

もうこれ以上聞きたくなかった。
何かを断ち切るように大声を出せば、自然とサトシの言葉も途切れてしまう。
そして、いつの間にか私よりも背が高くなったサトシを見上げ、声を振り絞る。

「私、サトシのこと友達だなんて一度も思ったことない」

笑顔を浮かべていたサトシの表情が、一瞬で凍りつく。
サトシは一瞬呆然として、私から目を離さなかった。
やがてようやく我に返ったのか、ハッとなった様子でようやく顔に動揺が現れる。

「なんだよ、それ。どういう意味だよ」
「言葉の通りよ。出会ってから今日まで、私たちが友達だった瞬間なんて一度もないの!だからミナミさんと仲良くするなんて絶対無理!」
「なんでだよ!俺セレナになんかしたか!? 友達じゃやないなら、セレナにとっての俺って何なんだよ!」
「まだ分んないの!?」

半ば喚くようにサトシを睨みつければ、彼は困惑したように眉を寄せていた。
本当に分からないんだ。
これだけ長い間傍にいて、全く気付いていなかったんだ。
10年以上も片想いしていた私の恋は、いつの間にか現れた見ず知らずの女の子に奪われてしまった。
でも、ミナミさんもサトシも、何も悪くない。
悪いのは私。
付き合いが長いことに胡坐をかいて、想いを伝えていなかった私が悪い。
うだうだしているから、こうやって誰かにとられちゃうんだ。
なのに、まるでサトシを責め立てるように喚いてしまうなんて。
私って、本当に最悪だ。

「何、泣いて・・・」

サトシに指摘されて、私は初めて自分が泣いていることに気が付いた。
そういえば、サトシの前で泣いたのは、初めて会ったあの時以来かもしれない。
そんなことを考えられるほど頭の中は冷静なのに、あふれ出した感情は止まらない。

「ごめん。今の、忘れて」
「あっ、おいセレナ!」

両目から零れ落ちる涙を乱暴に拭きとり、私は小走りでその場を去った。
後ろからサトシの呼び止める声がする。
いつもなら立ち止まっていたかもしれないけれど、今は聞こえないふりをした。
カロスフェスに参加する人々の楽しそうな声を背中に、私は逃げるように会場を後にした。

 


続く