Mizudori’s home

二次創作まとめ

ユアマイヒロイン

【サトセレ】

■アニポケXY

■アニメ本編時間軸

■短編

***

 


陽が陰りだしたある日の夕方。
カロス地方を旅するサトシ一行は、とある小さな町に立ち寄っていた。
その街でたった一つしかないポケモンセンターで宿泊の手続きをした一行は、残り数日に迫ったトライポカロンの特訓をするというセレナに付き添い、裏庭の広場へと集まっていた。
バトルフィールドとしても使用されているその場所には、サトシたち以外にも数人トレーナーの姿がある。
広場の中央に立ったセレナは、いつも通りテールナーたちと技やステップの練習を始める。
ベンチに座ってその様子を眺めていたサトシたちを観客に見立て舞い踊るセレナのパフォーマンスは、日を追うごとにクオリティが上がっている。
やがてテールナーヤンチャムの技がぶつかり合い、美しい火花が上がると同時にセレナは最後のポーズを決めた。


「フィニーッシュ!」


パフォーマンスの終了を告げるセレナの掛け声とともに、目の前で見ていたサトシたちからは歓声と拍手が上がった。
すでにプリンセスキーを2つ獲得しているセレナのハイクオリティなパフォーマンスは、仲間であるサトシたち以外からの注目も集めている。
遠巻きに多くの視線を感じながらも、セレナは拍手を贈ってくれる自分の仲間たちに“ありがとう”と頭を下げた。


「セレナすっごくかっこよかったよ!」
「ですね!日に日にクオリティが上がっているみたいです」
「これなら次のトライポカロンも優勝間違いなしだな!」


サトシがトライポカロンという単語を口にしたその時だった。
セレナの練習を遠巻きに見ていた見知らぬトレーナーたちが、がやがやと騒ぎ始めたのだ。
こちらを見つめ、ひそひそと耳打ちを始める周囲の人々に気付き、居心地が悪くなるサトシたち。
彼らギャラリーが自分たちを見て騒いでいることは火を見るよりも明らかだが、後ろ指されるような覚えは一切ない。
戸惑うサトシたちだったが、そんな彼らに一人の中年の男性が近づいてきた。


「君、もしかしてポケモンパフォーマーなのか?」


サトシたちに歩み寄ってきたその小太りな男性は、肩にペラップを乗せていた。
男性とペラップの視線が、セレナ一人に集中する。
戸惑いながら視線を合わせる一行だが、セレナは素直に頷くことにした。


「はい。そうですけど・・・」
「そうか。ならあまり外を出歩かないほうがいい。この街をパフォーマーがうろつくのは危険だ」
「どういうことでしょうか?」
「最近、街を訪れたパフォーマーの女の子たちが次々に行方不明になっているんだ」
「ゆ、行方不明!?」


男性からもたらされた情報に、サトシは思わず大声をあげてしまった。
男性曰く、ここ数週間の間に街を訪れたパフォーマーの少女たちが次々に姿を消し、その被害は10人以上にも及んでいるという。
行方知れずとなった少女たちは未だ一人として帰ってきてはおらず、街ではパフォーマーを狙った誘拐事件として注目されているらしい。
中にはゴーストタイプのポケモンによって神隠しに遭っただの、すでに少女たちは殺されてしまっているだの、数々の憶測が飛んでいるという。
おかげで街の雰囲気は暗く、パフォーマーでなくても街に住む少女たちは警戒し、夜は一人で出歩かないようにしているとのこと。
そんな話を聞かされて恐怖を覚えないわけもなく、セレナは自分の両手を握りしめて肩をすくませていた。


「君、名前は?」
「せ、セレナです・・・」
「セレナ、怖い思いをしたくなければなるべく一人にならないほうがいい。特に夜は気を付けるんだ。いいね?」
「はい、わかりました・・・」
「教えていただきありがとうございました」


丁寧に頭を下げたシトロンに頷くと、男性は片手をあげて去っていった。
どうやら親切にもわざわざ忠告しに来てくれたらしい。


パフォーマーが次々にいなくなる事件ですか……。なんだか恐ろしいですね」
「ねぇ、こんな町早く出たほうがいいんじゃない?危ないよ……」
「そうしたいのは山々だけど、もうすぐ夜だし、次の街まで結構距離があるからなぁ……」


一行がこの街に到着したのは1時間ほど前。
山道を歩いていきたためそれなり疲弊しており、街を出てこれ以上歩き回るのは体力的にも困難だった。
さらに、マップ上では次の街まで徒歩2日はかかるため、この街を素通りすればまた暫く野宿する生活が待っている。
状況的にも、この街をすぐに出ていくことは現実的な提案ではなかった。


「これ以上野宿が続くのも辛いし、今日はこの街で休みましょう」


そう提案したのは、セレナだった。
最も危険にさらされる可能性が高い位置にいる彼女の言葉に、一同は目を丸くする。


「しかし大丈夫ですか?被害に遭っているのはセレナと同じパフォーマーなわけですし」
「ちょっと怖いけど大丈夫。みんなが一緒だし、一日くらい大丈夫よ」
「でも……」


尚も不安げな表情を浮かべるユリーカは、セレナの腕を掴んで離そうとしない。
いくらセレナがパフォーマーと言えど、100パーセント被害に遭うとは限らないが、それでもやはり心配なのだろう。
その気持ちは兄のシトロンも同じであった。
戸惑い、どうするべきかと悩む兄妹だったが、その様子を見ていたサトシが場を収束させるため口を開く。


「よし、じゃあこうしよう。今夜はセレナの言う通りこの街に泊まって、明日の朝いちばんに出発する。その代わり、街にいる間はポケモンセンターから絶対に出ないようにする。そうすれば安全だろ?」
「そうですね。現状それがベストかもしれません」
「うん、わかった。でも、明日は朝早くに街を出ようね!絶対だよ?」
「おう!早起きしてすぐに出ていこう」


サトシの提案に、シトロンとユリーカは納得して頷く。
たった一晩ならポケモンセンターを出ない限りきっと安全なはず。
ポケモンセンター医療機関でもあるためセキュリティが万全で、宿泊できる部屋はすべて施錠できるようになっている。
眠るときも鍵をかけてさえいれば、よっぽどなことがない限りは誰も侵入できないだろう。
練習にも一区切りついたセレナはポケモンたちをモンスターボールに戻し、さっそくポケモンセンターへと帰ろうとする一行と共にその場を去ろうとする。
前を歩くシトロンとユリーカの背に続く形で歩き出したセレナだったが、不意に後ろから名前を呼ばれて足を止めた。


「セレナ」


彼女を呼び止めたのはサトシだった。
彼はセレナの華奢な肩にそっと手を置くと、耳のすぐそばに顔を寄せ、彼女にしか聞こえないほどの声量で囁く。


「心配すんな、絶対俺が守る。だから俺から離れんなよ?」


不安に包まれていたセレナの心中は、サトシの言葉によって安心感を覚え始めていた。
誰よりも前向きで強いサトシの存在は、何にも代えがたいほどに頼りがいがある。
彼の言う通り、サトシのそばを離れなければきっと大丈夫。
不安を読み取って声をかけてくれたサトシに胸をときめかせながら、セレナはゆっくりと頷くのだった。


*********************


ポケモンセンターに併設されている宿泊部屋は2~4人用であり、サトシ一行は4人用の部屋をあてがわれていた。
部屋を管理しているジョーイから渡された鍵はひとつ。
部屋の鍵を開けて中に入り一通り荷物を降ろすと、シトロンとユリーカはすぐに浴室へと向かった。
2人がシャワーを浴びだしてすぐに、浴室からはユリーカの愉快な歌声が聞こえてくる。
そんな彼らの歌声をほほえましく聞きながら、サトシとセレナはベッドルームで雑談しながら待っていた。


「相変わらず仲いいな。シトロンとユリーカ」
「そうね」


膝の上で甘えるピカチュウを撫でながらサトシは呟く。
先ほどまでパフォーマーが次々行方知れずになっていると聞き怯えていたユリーカだったが、今はもうその不安も消しされれているようだ。
鏡付のドレッサーに腰掛け髪をとかしていたセレナだったが、かばんを漁り始め水筒を手にした瞬間すぐに顔色を変える。
昼過ぎごろに水筒の中身が空になったのだが、補充しておくことをすっかり忘れていたのだ。
水筒のふたを開け、中を覗き込んでみればやはり水の一滴すら残っていない。


「あっ、お水補充しておくの忘れてた。どうしよ・・・」
「じゃあ俺が買ってくるよ」
「えっ」


今夜一晩飲み水なしで過ごすのはさすがにつらいものがある。
どうしようかと肩を落とすセレナだったが、そんな彼女の様子を視界に入れたサトシは、膝の上からピカチュウを降ろしてベッドから立ち上がる。
たしか、このポケモンセンターの一階に自動販売機があった。
ついでに自分やシトロン、ユリーカの分も買ってこよう。
そう思ったサトシだったが、彼一人に買い出しを頼むのは気が引ける。
すぐにセレナもドレッサーから立ち上がった。


「じゃあ私も行く」
「いや。セレナはここで待ってろよ。部屋にいたほうが安全だしさ。ピカチュウ、ここに残ってセレナを守っててくれ」


黄色い相棒にセレナの護衛を任せると、彼は短く可愛らしい手で胸をたたくと“任せろ”と言わんばかりに頼もしくうなずいた。
浴室にいるとはいえシトロンやユリーカも近くにいる。
鍵をかけ、ピカチュウを部屋に置いていけば誰が来ても安全だろう。
サトシは自分の財布とポケモンたちが入っているモンスターボールだけを持ち、部屋を出ていくため一歩踏み出した。
しかし、そんな彼の足は、背後から腕をつかんできたセレナの手によって止められる。
振り返れば、セレナはサトシの腕を両手で抱きしめるように抱えながら不安そうな瞳でこちらを見上げていた。
ピカチュウがいるとはいえ、一人きりになるのが怖いのだろう。
なにせセレナは、被害に遭っている少女たちと同じポケモンパフォーマー
一人になれば危険な目に合うかもしれないと怯えるのは無理もない。
僅かに震えているセレナに小さく微笑みを浮かべたサトシは、彼女のミルクティー色の柔らかな頭に手を置き、優しくなでた。
その手つきはまるで小さな子供を安心させるかのように丁寧なものだった。


「安心しろセレナ。すぐ戻ってくるから。誰か来ても絶対ドアを開けるなよ?」


まだ10歳とは思えないほどの甘く優しい声に、セレナの胸はきゅんと音をたてる。
顔に熱がこもっていくのがわかる。
サトシが大丈夫だと言ってくれるだけで無条件にその言葉を信じてしまえるのは、自分が彼をどうしようもなく好きだからなのかもしれない。
そんな単純な自分に少し呆れながらも、セレナはサトシの腕をゆっくりと離し、小さく頷くのだった。


********************


廊下を進み、階段を降りるとすぐにロビーがあり、目当ての自販機はそのロビーに並んでいる。
すでに陽は沈み、外は冷たい闇に覆われているが、ロビーには未だ数人のトレーナーの姿があった。
ズボンのポケットにしまった小さな財布を取り出し、自販機の前で何にしようかと悩んでいたサトシであったが、そんな彼の耳に気になる会話が聞こえてきた。
ロビーのソファーでくつろいでいる中年の男性トレーナーたちの会話である。


「聞いたか?レスターの店、またかわいい子が新しく入ったらしいぜ」
「またか。あの店料理は不味いが接客してくれる女の子たちのレベルは高いんだよな」
「あぁ。最近女の子の数が一気に増えたよな。あんなかわいい子たちどこで仕入れてくるんだろうな」


どうやら街のどこかにあるレストランの話らしい。
女の子が接客してくれるというその店は、随分と可愛い子を集めているのだとか。
サトシにとってあまり興味がある話題ではなかったが、少女たちが連続で行方不明になっているというこの状況が、なんとなく彼らの会話を自然と聞き入っていた。


「けどよぉ、なんかあの店の子たち、みんな少し上の空だよな」
「確かにな。目に光がないというか・・・」
「レスターの相棒のフーディンに操られてたりしてな」
「まさか~!んなわけないだろ」


一方が言った軽口に、もう一方の男性が笑い声をあげた。
冗談のつもりだったのかもしれないが、男性たちの会話にサトシは小さな引っ掛かりを感じていた。
今まで様々な地方を旅してきた中で、きな臭い事件に巻き込まれたことは何度もあったが、その原因がポケモンだったことも少なくはない。
ポケモンパフォーマーの少女たちが姿を消しているという今回の事件も、ポケモンの仕業であるという可能性はないだろうか。
例えばあの男性たちが言っていたように、エスパータイプポケモンたちが催眠術を使ってさらっているとか。
ありえない話ではない。
考えているうちに、サトシの脳裏にセレナの笑顔が浮かび上がってきた。
彼女を一人部屋で待たせているが、大丈夫だろうか。
もし騒動の原因がポケモンだったなら、部屋の扉に鍵をかけていても何らかの技でそれを破ることは可能だ。
じわじわと不安を覚え始めたサトシは、自動販売機で水を2本購入すると、速足でロビーを後にし階段を駆け上がった。
来た道を戻り、自分たちの部屋の前へとたどり着く。
飛びつくようにドアノブをつかむと、鍵をかけて出たはずだというのに簡単に扉が開いてしまった。
何故、鍵が開いてるんだ?
全身から血の気が引いていく。
恐る恐る扉を開けて中の様子を覗き見てみれば、ベッドの上で倒れているピカチュウの姿が一番に視界へ飛び込んできた。


ピカチュウ!」


倒れて動かない様子の相棒に焦り、サトシはピカチュウへと駆け寄った。
抱き上げて顔をよく見てみると、ピカチュウはすやすやと規則正しい寝息を立てて眠っているようだった。
身体をゆすっても全く起きる気配がないピカチュウ
部屋を出る前は全く眠たそうにしていなかったにも関わらず、何故この短時間でここまで深く眠ってしまったのか。
この小さな電気ネズミが、何者かによって眠らされたことは明らかであった。


「セレナ!? セレナどこだ?」


この部屋には、ピカチュウが眠っているだけでセレナの姿がない。
部屋から出ないように言っていたというのに、彼女がサトシの言葉を無視して一人部屋を抜け出すとは思えない。
それに、もし部屋を出たのであれば先ほどサトシとすれ違っているはずだ。
鍵の開いた扉、眠らされたピカチュウ、そしていなくなったセレナ。
この部屋に来た何者かが、セレナを連れ去っていったのだとサトシはすぐに理解できた。


「あれ、サトシ?」
「どうしたんです?」


背後からかけられた声に、サトシはピカチュウを抱きかかえたまま振り返る。
たった今風呂から上がったのだろう。
髪が濡れたままのシトロンとユリーカの姿がそこにはあった。


「セレナが・・・セレナがいなくなった!」
「えぇっ!?」
「なんですって!?」


サトシの切羽詰まった言葉に、シトロンとユリーカの顔色ががらりと変わる。
主の腕の中で安らかに眠るピカチュウだけが、この緊迫した状況の外側にいた。


********************

異変が起きてから数十分後、シトロンの通報によってジュンサ―がすぐに駆け付けた。
部屋に入り、相棒のライボルトとともに現場検証を行った後、彼女はサトシらを椅子に座らせ事情聴取をはじめる。
調書を取りながら真剣なまなざしを向けてくるジュンサ―に、サトシらは数分のうちに起きた出来事を詳細に語り始めた。


「つまりこういうことね。サトシ君が1階の自販機に飲み物を買いに行っている間に、パフォーマーのセレナさんという女の子がいなくなってしまった。シトロン君とユリーカちゃんはお風呂に入っていて、同じ部屋にはピカチュウがいたけれど眠らされていたと」
「はいそうです」
「この部屋、鍵がかかるようになってると思うんだけど、鍵は誰が持ってたの?」
「俺です。外から鍵をかけて1階に下りました」
「他にこの部屋の鍵を持っている人は?」
「サトシが持っている物だけです。マスターキーが存在するとしたらジョーイさんが持っているとは思いますが」


セレナを残して部屋を出るとき、サトシは外からしっかりと鍵をかけていた。
宿泊の手続きをしたときに貰った部屋の鍵はひとつだけで、サトシ以外の仲間は持っていないはず。
このポケモンセンターに到着したと同時に、ジュンサ―は受付にいたジョーイにも話を聞いていたのだが、彼女はずっとカウンターで仕事をしていて、ロビーでくつろいでいた他のトレーナーたちにもその様子は目撃されている。
マスターキーを持っているのはジョーイただ一人であるが、アリバイがある以上2階に上がって部屋に侵入することは難しい。


「自販機で飲み物を買っているサトシ君の姿も他のトレーナーに目撃されているし、鍵を持っているサトシ君やジョーイさんに犯行は難しいってことね」
「そうですね。外から鍵を使って侵入するのはまず無理でしょうね。となると窓から侵入したのでしょうか・・・」
「それも考えにくいわね。もし2階から侵入したのなら、中にいるセレナさんやピカチュウは大騒ぎしたハズ。お風呂に入ってた二人は物音を聞いてないのよね?」
「ええ、まぁ・・・」


浴室でシャワーを浴びていたシトロンとユリーカは、いつものように歌を歌いながらバスタイムを楽しんでいた。
浴室内では声が良く響いていたため、外からの小さな物音は聞き逃していただろうが、さすがにセレナが悲鳴を挙げたりピカチュウが戦闘を始めれば気が付くだろう。
だが、二人が異変に気が付いたのはサトシが部屋に帰ってきてからだった。
つまりそれは、サトシが部屋に帰って来るまでセレナが大声で助けを求めるような状況に陥らなかったことを意味している。


「ピカピ、ピカピカッチュウ!」
「ん?どうしたピカチュウ


それまでサトシの膝でおとなしくしていたピカチュウが、突然彼の膝から飛び降り部屋の扉を指さしながら何かを伝えようとし始めた。
その場に居た面々は一様にピカチュウの方へと視線を向けるが、当然この小さな電気ネズミが何を伝えようとしているのか理解できるはずもない。
ただ、長年彼と共に旅をしてきたサトシには、ピカチュウの言わんとしていることが何となくわかってしまう。
恐らくは、セレナが連れ去られた時の様子を伝えようとしているのだ。
当時この部屋にいたのはセレナを除けばピカチュウのみ。
彼の証言こそ事件解決に不可欠なヒントなのだ。


「サトシ君、ピカチュウの言ってることが分かるの?」
「はい、何となくですけど。犯人はドアからやってきて、セレナが自分でドアを開けたみたいです」
「え?犯人がドアをこじ開けたとかじゃなくて、セレナが開けちゃったの?」


首をかしげるユリーカに、ピカチュウは力強くうなづいた。
どうやらピカチュウが伝えようとしていることをきちんと理解できたらしい。
だが、サトシは部屋を出る前、セレナに“誰か来てもドアを開けないように”と念を押していた。
パフォーマーが次々と行方不明になっていることはセレナ本人も知っていたというのに、そう簡単に見知らぬ人間を部屋に招き入れるだろうか。
眉を顰め考え込むサトシに、ピカチュウはさらにジェスチャーを交えながらまた何かを伝え始めた。


「ん?ドアの向こうから開けてくれって声がして、セレナがドアを開けたんだな?」
「ピカ。ピカピ、ピカピカチュウ!」
「え!? ドアの向こうから聞こえてきたのは俺の声だった!?」


ピカチュウからもたらされた事実に、一同は一斉に驚愕の声を挙げた。
当のピカチュウはしっかりと頷いており、サトシの効き間違いというわけでもなさそうだ。
しかし、サトシは事件が発生した時刻は1階で飲み物を買っており、その姿を目撃している者もいる。
2階に戻って部屋を訪ねる暇などなかったはずである。


「じゃあサトシが犯人なの?」
「ちょっと待てって!俺が犯人だったらなんで中のセレナにわざわざ開けてくれって頼んだんだ?俺自分で鍵持ってるんだぞ?」
「あ、そっか・・・」
「それにサトシ君の姿は1階にいたトレーナーたちに目撃されているし、サトシ君に犯行は不可能よね」
「では誰かがサトシの声真似をして部屋を訪れたということでしょうか・・・?」


確かにサトシの声で外から呼びかければ、セレナは彼が返ってきたのだと思い1ミリも警戒することなく部屋の扉を開けるだろう。
しかし、ドア越しとはいえそう簡単に声真似など出来るのだろうか。
ずっと一緒に旅をしてきたピカチュウが“サトシの声だった”と断言するほどに完成度が高い声真似を、赤の他人が出来るとも思えない。
では一体誰が?
考え込む一同だったが、再びピカチュウがドアの前でジェスチャー交じりに何かを伝え始めた。


「ピカピカ、ピカチュピッカ」
「セレナがドアを開けたと思ったら突然変な光が見えて眠くなったんだな?犯人の姿は見てないのか?」
「ピカ。ピカッチュウ」
「見る前に眠っちまったのか・・・」


サトシが部屋に戻ってきた時、部屋の鍵は開いていて、ピカチュウはベッドの上で眠ってしまっていた。
ピカチュウの証言通りなら、彼はいつの間にか眠気に襲われたのではなく突然眠らされたと言って差し支えないだろう。
薬品で眠らされたわけでもなく、妙な光を見て眠くなったというピカチュウ
そんな芸当が生身の人間に出来るわけがない。
となると、考えられる可能性はポケモンによる犯行。
一瞬で相手を眠らせるほどの強力なさいみんじゅつを使うとなると、恐らくエスパータイプかゴーストタイプだろう。
だが、セレナ以外のパフォーマーも次々いなくなっていることを考えると、野生のポケモンによる突発的ないたずらというよりは、裏で悪だくみをしている人間がいると考えて間違いないだろう。
だが、そんなにたくさんの女の子たちを攫っていったい何をしようというのか。
サトシは必死で考える。
懸命に記憶の糸を探ってみた彼の脳裏に、とあるひとつの会話が浮かび上がってきた。

――聞いたか?レスターの店、またかわいい子が新しく入ったらしいぜ
――けどよぉ、なんかあの店の子たち、みんな少し上の空だよな
――レスターの相棒のフーディンに操られてたりしてな

かけていたパズルのピースが繋がった瞬間だった。
あの時、トレーナーたちが言っていたレスターという人の店では、最近接客してくれる女の子の数が一気に増えたという。
しかもそのレスターの相棒はエスパータイプフーディン
ピカチュウを一瞬で眠らせるだけの強力な催眠術を使えてもおかしくはない。


「ジュンサ―さん、レスターって人がやってる店、知ってますか?」
「え?えぇ。確か街の東の外れにある緑色の屋根の店よ。そこがどうかしたの?」
「その店、どういうお店なんですか?」
「どういうって・・・」


サトシの質問に、ジュンサ―が一瞬だけ戸惑う。
子供相手にどこまで説明してよいものかと躊躇したのだ。
しかしサトシの必死な形相に押され、彼女は言葉を選びつつレスターの店について教えてくれた。


「女の子のショーを見ながら食事をするレストランよ。子供の貴方が気にするようなお店じゃないわ。行くのは大人の男の人だから」
「セレナ、もしかするとその店のレスターって人にさらわれたのかもしれません!」
「え?」


サトシの突拍子もない発言に、ジュンサ―は面食らう。
一報、レスターの店について何も知らないシトロンとユリーカは首をかしげながら顔を見合わせていた。


「ちょ、ちょっと待ってサトシ君。確かにあのお店は少しいかがわしい雰囲気のお店だけど、れっきとした飲食店よ。営業許可だってきちんと取ってあるはずだし・・・」
「さっき1階で大人のトレーナーたちが話してるのを聞きました。最近その店女の子が一気に増えてるって。セレナや他のパフォーマーもその店で働かされてるんじゃないですか?」
「うーん、でもたまたま増員したタイミングが同じだっただけかもしれないじゃない?」
「それに、レスターって人の相棒はフーディンなんですよね?エスパータイプフーディンなら、ピカチュウを催眠術で眠らせることだってできるはずです」


フーディンと言えば、メガシンカできるほど強力なポケモンである。
噂話をしていたトレーナーたちは冗談めかして言っていたが、本当にフーディンが攫って来た女の子たちに催眠術をかけて操り、強制的に店で働かされているのかもしれない。
おそらくはセレナも、店のキャストの仲間入りをさせるためにレスターの命令でフーディンが攫って行ったのだろう。
サトシは頭に浮かんだ仮説をありのままジュンサ―にぶつけてみるが、彼女は難しい顔をしたまま視線を落としていた。


「ジュンサ―さん、すぐにレスターの店を捜索してください!きっとセレナもそこにいるはずです!」
「サトシ君、申し訳ないけどそれは難しいわ。お店にガさ入れをするなら令状が必要なのよ。その令状はたった一晩で用意できるものではないし、そもそも状況証拠だけでお店に踏み入るのは無理なのよ」
「そんな・・・」
「せめて、レスターさんがさらわれた女の子たちと一緒にいたという証拠があればね・・・」


確かにジュンサ―の言う通り、サトシの推理はただの憶測でしかなかった。
ポケモンセンターフーディンを観たという証言もなければ、そのフーディンによってセレナが連れ去られたという証拠もない。
証拠もなしに疑って、もし見当違いという結果に終われば責任は重い。
そのような状況では警察も動くに動けないのだ。
歯がゆさに拳を握りしめるサトシ。
もしかしたら、こうしている間にもセレナが危険な目に逢っているのかもしれないのに。
令状だの証拠だの、そんなものを集めている間に彼女は・・・。


「だったら俺が証明します!行くぞピカチュウ!」
「え、ちょっ、サトシ君!?」
「サトシどこ行くんです!?」


証拠がないなら作ればいい。
今からレスターの店に行って、自分で調べてやる。
サトシは肩に伸び乗ってきたピカチュウと一緒に部屋を飛び出した。
後ろから自分を呼び止める声がする。
けれど一度も振り返ることなく、サトシは全速力でポケモンセンターを出ていった。

セレナ、待ってろ。
今すぐ助けに行くから。

心の中で彼女への誓いを立て、サトシは街の東はずれにあるレスターの店へと向かった。


********************


「セレナ、セレナ」


自分を呼ぶ声に、セレナは朦朧とする意識の中目が覚めた。
ぼやける視界の先に見えるのは、見慣れた青い服と赤い帽子。
何度も自分を呼ぶその声は、間違いなくサトシのものだった。


「サト、シ・・・?」
「セレナ」


床に膝をつき、すぐそばでこちらを見下ろしているサトシの顔がはっきりと目に映る。
体が冷たい。どうやら冷え切った床に横たわっていたらしい。
辺りは暗く、見慣れない机やソファが散乱している。
特徴的なにおいが鼻につく、これは、たばこの香り?
ここは一体どこなのだろう。
上半身を起こしあたりを見渡してみたが、見覚えのない屋内だった。


「サトシ、ここはどこ?私、一体・・・」
「セレナ、俺だ。ここを開けてくれ」
「え?サトシ?」
「セレナ、オレだ。ココを開けてクレ。セレナ、オレダ、ココヲアケテクレ。セレナ、オレダ、ココヲアケテクレ」


無機質な顔のまま、サトシは一定のリズムと抑揚のない声で何度も同じ言葉を繰り返す。
ようやく思い出してきた。
確か自分はポケモンセンターの部屋にいたはず。
外からサトシの声がして、ドアを開けた瞬間に気が遠くなったんだ。
ドアの向こうから聞こえた声は、今目の前にいるサトシと同じように抑揚のない喋り方だった。
まるで壊れた人形のように同じ言葉を繰り返すサトシの姿に、セレナは大きな恐怖を覚えていた。


「あ、あなたサトシじゃない・・・。一体何なの!?」


セレナが指摘に、サトシはニヤーッと怪しげな笑みを口元に浮かべる。
不気味なその表情は、彼が本物のサトシではないという証拠だった。
やがて彼の体は怪しげな光を放ち、元の原型をとどめないほど小さくなっていく。
足元に現れたその偽サトシの正体に、セレナは絶句する。


「め、メタモン!?」


実物を見るのは初めてだった。
メタモンには、何でも擬態してしまう“へんしん”といい能力が備わっていることをセレナは知っていた。
先ほどまでサトシだと思っていたそれは、メタモンが変身した姿に過ぎなかったらしい。
だが、あの抑揚のないサトシそっくりな声はまだこの空間に響いている。
どうやらこのメタモンが発していた声ではなかったようだ。
一体誰がこんな声を出しているのかとあたりを見回すと、暗くなっている奥の部屋からひとつの人影がゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
サトシの声がその人影から発せられていることは明らかだった。
窓から差し込む月の光に照らされ、その人影の姿が白日の下にさらされる。
視界に飛び込んできたその人物の顔に、セレナは見覚えがあった。


「あ、あなたさっきポケモンセンターで会った・・・!」
「覚えていてくれたか。光栄だよセレナちゃん」


それは、先ほどポケモンセンターパフォーマーが行方不明になっていると教えてくれた中年の男性だった。
夕方ごろ会ったときと同じように方にはペラップが乗っている。
ペラップはまるで狂ったようにサトシの声で同じ言葉を繰り返し発していた。
このペラップがサトシの声を真似し、そしてサトシの姿に変身したメタモンと一緒に部屋を訪ねてきたということか。
全ての辻褄が頭の中で繋がり、セレナの心に怒りの感情が生まれ始めた。


「だから言ったんだ。この街は危険だって。にも関わらずあんなに簡単に扉を開けるなんて警戒心のかけらもないようだね」
「サトシの声と姿でだましたのね!?」
「あぁ。声は夕方話したときにペラップに覚えさせた。実に賢いだろう?」
「どうしてこんなことを・・・目的は何!?」
「うちは女の子による接客が評判の店でね。かわいい子がたくさん必要なんだ。それも、ポケモンパフォーマーを目指せるくらいのレベルの子がね」


男はそう言うと、視線を横に向けた。
釣られるようにセレナも同じ方向に視線を向けてみる。
暗がりで今まで全く気付かなかったが、このフロアの壁際に大勢の女の子たちが横たわっていた。
みんな露出度の高い同じ服を着ていて、ざっと見る限り10人以上は確認できる。
まさか、死んでいるのだろうか。
視界に飛び込んできた恐るべき光景に、セレナは思わず息を詰める。


「安心してくれ。眠っているだけだ。このフーディンのさいみんじゅつでね」
フーディン?」


辺りにはフーディンの姿などどこにもいない。
一体どこにいるというのだろうか。
見回してみるセレナだったが、次の瞬間目の前にふわりと現れた一匹のポケモンに驚き、しりもちを着いてしまう。
テレポートにより、フーディンが何の前触れもなくいきなり目の前に現れたのだ。
両手にスプーンを持ったフーディンは、瞳を怪し気に光らせまっすぐにセレナを見つめている。


「さぁ、君も今日からこの店のキャストだ。喜べ、君ほどの子ならナンバー1になれるよ」


悪意に満ちた目つきで、男はセレナを見下ろしている。
まるで獲物を前に舌なめずりをする獅子のように、男の顔には愉悦の色が浮かんでいた。
察するに、あの町で次々にパフォーマーを攫っていたのはこの男だったのだろう。
自分を攫ったときと同じ手口で彼女たちの懐に入り、フーディンで眠らせここに連れてこられたのだ。


「ナンバー1って・・・まさかフーディン操って皆をここで働かせていたの?」
「あぁその通り。おかげさまで評判は高かったよ。この店の子はレベルが高いとね」
「最低」
「さぁ、君もフーディンによって人形になるといい。感情もなく働く人形にね」


男の指示を受け、フーディンはスプーンを持つ両手に力を籠める。
怪しげな光があたりに立ち込め、セレナの意識を徐々に奪っていく。
嫌だ。こんな人の操り人形になんてなりたくない。
心の中で必死に抵抗したところで、フーディンの強い催眠術にあらがえるはずなどなかった。
薄れゆく意識の中、セレナの瞼の裏に浮かび上がったのはサトシの顔だった。

お願い、助けてサトシ・・・。


アイアンテール!」


堅く施錠していた店の扉が、少年のドスがきいた声と共に破壊される。
舞い上がる砂煙から姿を現したのは一匹のピカチュウと赤い帽子を被った少年。
その姿に男は見覚えがあった。
先ほど攫って来た新しい駒、セレナと一緒にいた少年である。


「ほう、こんなに早く助けが来るとはな。随分頭のキレるガキが仲間にいたんだな」
「お、お前はさっきポケモンセンターにいた・・・!お前がレスターだったのか!」


店の真ん中にたたずんでいる男の顔を見た瞬間、サトシの心に激しい怒りの炎が灯される。
わざわざこの街は危険だと警告してきた親切な大人だと思っていたが、それはサトシたちの見誤りだったようだ。
この男が、セレナや他のパフォーマーたちを誘拐していたレスターだったなんて。
レスターの傍らにはペラップメタモンフーディン、そしてこちらに背を向けて呆然と佇んでいるセレナの姿があった。


「セレナ!大丈夫か!? はやくこっちに来るんだ!」
「予想より早い到着だったが、残念だったな。つい先ほど彼女は俺の手に堕ちた」
「何だと!?」


こちらに背を向けていたセレナが、ゆっくりと振り返る。
サトシを一点見つめてくるその瞳には光が宿っていない。
恐怖も悲しみも怒りさえも感じられない無の表情を浮かべているセレナが、フーディンによって操られていることは明白だった。


フーディンで操ったのか!セレナしっかりしろ!」
「残念だが君の友達は今日からうちの店で働くことになってしまったんだ。他の子たちと一緒にね」
「ふざけんな!今すぐセレナを返せ!」
「くくっ、返せと言われて素直に返すと思うか?」
「だったら力づくで取り返してやる!ゲッコウガ、君に決めた!」


叩きつけるように投げたモンスターボールから、ゲッコウガが勢いよく飛び出してくる。
見たところ、レスターのポケモンたちの中でもっとも脅威となるのはエスパータイプフーディン
あくタイプのゲッコウガならフーディンの技は効果が薄い。
激しい怒りに身を焼きながらも、サトシは冷静に状況を分析できていた。
だが、対するレスターは高レベルのゲッコウガの出現にたじろぎもせず、むしろ余裕の笑みを売影ている。


「俺はポケモンバトルが苦手でね。代わりに彼女に戦ってもらうとしよう」
「何!?」


レスターの傍らに控えるフーディンが、己のサイコパワーを強めていく。
すると、セレナの体がまるで意図で操られているかのようによっくりと動き、懐にしまってあったモンスターボールが投げられる。
ボールから出てきたのは、セレナの一番のパートナーであるテールナーだった。
いつも通り勢いよく外へと飛び出したテールナーだったが、目の前で対峙しているのがサトシとゲッコウガでることが分かるとすぐに動揺の色を見せはじめる。
だが、動揺を隠せないのはサトシも同じであった。


「セレナにバトルさせる気か!?」
「くくっ、君にこの子と戦う勇気があるかな?」


口角を上げるレスターの表情は、人を弄ぶことが楽しくて仕方がないようないやらしい顔だった。
額に汗をかくサトシとゲッコウガ
そんな彼らを前に、セレナは抑揚のない声でテールナーへと指示を飛ばし始める。


かえんほうしゃ
「テ、テナ!?」


ゲッコウガを指さし無表情で告げるセレナの命令に、テールナーは驚き目を丸くする。
サトシもゲッコウガも仲間だというのに、なぜ攻撃をしなくてはならないのか。
訳が分からないままたじろぐテールナーに、セレナはもう一度冷たい声で“かえんほうしゃ”とつぶやいた。
ポケモンはトレーナーに従い、共に戦うもの。
トレーナーが戦闘を支持している以上、その指示に従うのがポケモンという生き物である。
今はまだ迷っているテールナーだが、もはや戦いは避けられそうもない。
だがサトシには、無理矢理操られているセレナやテールナーを攻撃するなど出来そうもなかった。
セレナがレスターやフーディンの傍らにいるため、妙な真似をしたらセレナに危害が及ぶかもしれない。
攻めてあのフーディンの気を逸らすことが出来れば、セレナを救出できるかもしれないのに。

辺りを見回しながらサトシは考える。
散乱した椅子、恥に寄せれらたテーブル、フロアの奥で倒れている他のパフォーマーたち、タイル性の床、そして天井の照明器具。
数秒部屋中を観察したサトシの頭に一つのアイデアが浮かんでくる。
フーディンを直接攻撃すれば、セレナを人質にとられるかもしれない。
だがあれを上手く使えば、なんとか隙をついてフーディンを攻撃できるかもしれない。
一か八かだが、テールナーゲッコウガを信じてみよう。
ごくりと唾をのみ、サトシは帽子を深くかぶりなおした。


テールナー、攻撃してこい!」
「テナテナ!?」
「大丈夫。絶対助けるから、俺を信じろ!」


戸惑うテールナーに、サトシが力強くうなづいて見せる。
彼が何を考えているのかはわからないが、この少年が随分と機転が利くことはテールナーもよく分かっていた。
今は彼の言葉を信じて乗ってみよう。
そう判断したテールナーは、尻尾に突き刺した枝を引き抜き臨戦態勢に入った。


かえんほうしゃ


再びセレナの指示が飛ぶ。
先ほどまで狼狽えていたテールナーだったが、今度は素直に指示に従い、ゲッコウガに向かってかえんほうしゃを放った。


ゲッコウガ、天井に張り付いてかわすんだ!」


サトシの指示のもとゲッコウガは高く跳ね上がり、証明器具を足場に天井に張り付いた。
自分たちの真上にゲッコウガが張り付いたことで、レスターやフーディンたちはセレナやサトシたちから目を離し上を見上げ始める。
当然、天井に逃げたゲッコウガを操られたセレナが放っておくわけもなく、再び抑揚のない声でテールナーに指示を飛ばす。


かえんほうしゃ
「ひきつけて避けろ!」


ゲッコウガテールナーの炎をかわし、床へと降り立った。
放たれたかえんほうしゃは、先ほどまでゲッコウガが足場に使っていた照明器具に直撃。
灼熱の炎は照明器具を天井からっていたワイヤーを焼き切り、床めがけて真っ逆さまに落下してくる。
飲食店用の大き目なその照明器具の真下にいたのは、他の誰でもないレスターとフーディンだった。


「何だとっ!?」


焦りを隠せないレスターの声と同時に、照明器具が彼らの真上に堕ちてくる。
セレナを操ることに神経を集中させていたフーディンの意識はすぐに落下してくる照明器具へと移り、主人を守るため即座にサイコキネシスを放った。
フーディンの強力な技により、照明器具はレスターらの頭上に堕ちてくる前にぴたりと止まる。
照明器具を支えることに神経を注ぎ始めたフーディンに、はじめて大きな隙が出来た。
この一瞬の隙をサトシが見逃すはずもない。


「いまだピカチュウ10まんボルトゲッコウガ、みずしゅりけん!」


主人の意を汲み、ピカチュウゲッコウガテールナーではなくレスターとフーディンに向かって技を叩き込む。
照明器具に全神経を集中させていたフーディンが反撃出来るわけもなく、レスターとフーディンペラップメタモンたちを巻き込む形で後方に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられて気を失ってしまった。


「やった!」


喜びに表情を緩ませるサトシ。
フーディンが戦闘不能に陥ったことで、セレナの意識を拘束していた術は弱まった。
徐々に意識を取り戻しつつあるのか、セレナは頭を抱えふらふらとよろめき始める。
床に倒れる前に差さえなければと駆け寄ろうとするサトシだったが、天井から聞こえてくるギシギシという不穏な音に気が付き、上を見上げた。
すると、先ほどレスターの上に振ってきた照明器具の隣に設置されたもう一つの照明がぐらついている光景が視界に飛び込んでくる。
先ほど発生したかえんほうしゃで飛び散った火の粉によってワイヤーが切れそうになっているのだろう。
ぐらついている照明器具の真下には、朦朧とした意識のまま立ちすくむセレナがいる。
このままではまずい。
そう思った次の瞬間、辛うじて天井から垂れ下がっていたワイヤーがついに焼き切れ、照明器具が下のセレナめがけて落ちてきてしまった。


「セレナッ!」
「テーナ!」


テールナーの絶叫が、暗い店内に響き渡る。
誰よりも早く駆けだしたサトシが床を蹴り、セレナの体に飛び込んだ。
背中から押し倒す形でセレナを覆いかぶさり、彼女を守ったサトシ。
照明器具は派手な音を立てて床に落ちたが、サトシがセレナの体を抱いて飛び込んだおかげで、二人の真上に堕ちてくることは無かった。
それぞれの主人の名前を呼びながら駆け寄ってきたピカチュウゲッコウガテールナーに囲まれながら、サトシはセレナの肩を支えながらゆっくりと起き上がる。


「セレナ、大丈夫か?しっかりしてくれ!」
「ん・・・サト、シ・・・?」


先ほどの衝撃で完全に意識を取り戻したらしい。
薄目を開けて起きたセレナに、サトシだけでなくテールナーも喜びの声を挙げて主人の腕を握っていた。


テールナー・・・?私、たしかあの男の人とフーディンに・・・」
「安心しろセレナ、あいつらは俺が倒したから」


サトシの視線の先には、目を回しているフーディンやあの男の姿があった。
先ほどまで余裕しゃくしゃくな笑みで脅してきた彼らからは想像もできないほど間抜けなその姿を見て、セレナの心にようやくじんわりと安堵感が広がっていく。


「サトシ、助けに来てくれたの?」
「あたりまえだろ?すっげぇ心配したんだからな」


鼻の奥がつんとして、瞳から涙があふれてくる。
サトシが助けに来てくれたという喜びの涙と、恐怖から解放されたという安堵の涙が混ざり合い、感情の波がまるで津波のように押し寄せてくる。
そして、理性的で我慢強い自分の殻を破り、セレナはサトシの胸に勢いよく飛び込んだ。


「セレナ1?」
「怖かっ・・・・こわかったよぉ・・・サト、シぃ」


サトシの青い上着にしがみつき、子供のように泣きじゃくるセレナ。
いつもしっかりしている彼女がこんなふうに泣くなんて、きっと相当大きな恐怖を味わったに違いない。
自分の胸の中で小さくなって泣いているセレナの頭に手を添え、ぎゅっと抱き寄せると、もう彼女がどこへも行ってしまわないように強く腕の中に閉じ込めた。


「遅くなってごめん。もう大丈夫だから」


********************


日付が変わったばかりの深夜の街に、点滅する赤いライトが浮かぶ。
応援を呼んで駆け付けたジュンサ―らによってレスターが連行されたのは、サトシがセレナを救出して20分後のことだった。
店の奥で眠らされていた他の被害者たちも無事保護され、小さなこの街を脅かしていた連続パフォーマー誘拐事件はこうして幕を下ろすこととなった。


「貴方のお陰で事件が解決できたわ。ご協力感謝します。では」


敬礼を贈り、ジュンサ―は連行されていくレスターと共にパトカーの中へと消えていった。
サトシの後を追って現場に駆け付けたシトロンとユリーカの通報によって駆け付けたジュンサ―だったが、おそらくサトシが自ら現場に乗り込み証拠を押さえに行かなければ、レスターを逮捕できずに終わっていただろう。
後日感謝状を贈ると約束されたサトシは、去っていくジュンサ―の背を少し誇らしげな表情で見つめていた。


「しかし、無事にセレナが戻ってきてくれて安心しましたよ」
「ほんとほんと、セレナがこのまま行方不明になっちゃったらどうしようかと思っちゃった!」
「ごめんね、心配かけて」


一緒にジュンサ―を見送っていたシトロンとユリーカに、セレナは小さく謝った。
奇跡というべきか運がよくというべきか、セレナはあのようなことがあったにも関わらず傷1つ負っていなかった。
それもこれも、サトシが即座に駆け付け、レスターを素早く片づけたお陰と言えるだろう。
シトロンやユリーカには、あの店の中でどのようなやり取りがあったのかはわからない。
だが、サトシの汚れきった服を観れば、それなりに激しい戦闘にあったことは想像できる。
セレナを守るため体を張ったらしいサトシの姿を見つめながら、ユリーカがにやにやと笑みを浮かべながら口を開いた。


「サトシってば、セレナがいなくなったってわかってすっごく心配してたんだよ。ねー?お兄ちゃん」
「うん?あぁそうだね。確かに今まで見た事が無いくらい焦ってましたね」
「え、ほんとに?」


セレナが姿を消してからジュンサ―が到着するまで、サトシはずっと落ち着かない様子だった。
ポケモンセンターに残っていたトレーナーたちに手あたり次第話を聞きにったり、部屋中をひっくり返しながら必死でセレナを探したり。
サトシは熱くなりやすい性格だが、そんな中でもいつも冷静さを忘れたことは無かった。
しかしあの時ばかりは冷静さを失い、珍しいほどに焦りを浮かべていた。


「あたりまえだろ?誘拐されてセレナが酷い目に逢ってるかもって、気が気じゃなかったんだから」


さらりと告げられたサトシからの言葉に、セレナは大きな喜びを感じていた。
心配をかけてしまったことは申し訳ないと思っている。
けれど、サトシが自分を見失うほど心配してくれたのだと思うと、喜びを感じずにはいられなかった。
そっかそっか、そんなに心配してくれたんだ。
にやけそうになる顔を何とか隠そうとしてみるセレナだったが、彼女をじっくり見上げて観察していたユリーカにだけは隠し切れていない。


「ふあぁ、お兄ちゃん、なんだか眠くなってきちゃったよ。もうポケモンセンターに帰ろう」
「そうだね、もうこんな時間だしね。すみませんサトシ、セレナ。ユリーカを寝かしつけてきます」
「おう。遅くまでありがとな」
「おやすみ、ユリーカ」


サトシとセレナは、犯人を制圧した現場に居合わせたということで、これから現場検証に付き合ってほしいと頼まれているためすぐにはポケモンセンターに帰れそうもない。
既に日付を跨いでいるこの時間に、ユリーカのような幼い子供が眠さを訴えても仕方ない。
本当は全く眠さなど感じてはいないのだが、ユリーカのわざとらしいあくびに、純粋なシトロンは騙されてしまったようだ。
ユリーカの思惑通り、シトロンはサトシのセレナをその場に残し、演技上手な妹を連れてポケモンセンターへと去っていく。

サトシとふたりきりになってしまったセレナは、シトロンとユリーカに小さく手を振りつつ、救出された時のことを思い出す。
勢いに任せ、サトシの腕の中に飛び込んでしまった。
よくよく考えると、ものすごく大胆で恥ずかしいことをしてしまったんじゃないだろうか。
今もまだ、サトシに抱き締められたぬくもりを体が覚えている。
あぁどうしよう。考えれば考えるほど恥ずかしくなってきた。
もうサトシ顔まともに見られないかもしれない。
セレナの顔が赤くなっていくのは、パトカーの点滅する赤い光の生などではなかった。
一人で密かに狼狽えるセレナだったが、不意に右手を冷たい手で握られ肩が震える。
手を握ってきたのは、他の誰でもないサトシだった。


「えぇっ!? ちょ、あの、サトシ!?」
「大丈夫か?セレナ。ほんとに怪我とかしてないか?」
「だ、大丈夫よ!全然怪我なんてしてないからっ」


抱き締められたことを思い出していたタイミングを見計らったように握られた手。
サトシからのそんな大胆な行動に驚くセレナだったが、どうやら腕に怪我を負っていないか確認するために手を取っただけだったらしい。
とはいえ、この動揺しまくっている状況でずっと手なんて握られて居たらマズイ。
心臓が大爆発してしまうかもしれない。
ボロが出ないうちに振りほどいてしまおう。
そう思い手を引こうと思ったセレナだったが、そんな彼女の細く白い手を、サトシは逃がすまいと言わんばかりの力で握りなおした。
何故、話してくれないのだろう。
恐る恐るサトシの方を見てみれば、彼は瞳を伏せて悔しそうにセレナの手に視線を落としている。
その姿はまるで、悲しんでいるようだった。


「ごめんなセレナ。俺、守るって約束したのに、怖い思いさせちまって・・・」


絶対俺が守る。
サトシからその言葉を貰ったとき、嬉しくてうれしくて背中に羽が生えた気分だった。
その言葉通り、彼はセレナを守るため気を遣ってくれていたし、実際にレスターの元から救い出してくれた。
その行動がどれほど嬉しかったか、目の前にいるサトシはきっと理解していない。
お願いだから、そんなに悲しい顔をしないで。
自分の手に重ねられているサトシの手に、自分の指を深く絡ませたセレナ。
そんな彼女の行動に驚き顔を上げたサトシと、初めて視線がかちあった。


「守ってくれたじゃない。サトシが来てくれなかったら私どうなってたか分からないし・・・」
「セレナ・・・」
「ほんとにありがとう。かっこよかったよ、サトシ」


セレナから落とされた柔く優しい言葉に、サトシは繋いでいないもう片方の手で照れたように頬を掻いた。
その顔を見て、セレナは再び我に返る。
視線を落とした先には、恋人つなぎのようにがっちりと繋がれたお互いの手。
しかも今さっき、はっきりと目を見て“かっこよかった”だなんて言ってしまった。
事実でしかないのだから仕方ないとはいえ、こんなに大胆に手を繋ぎながら言うことなかったんじゃないかな?
さっき抱き着いちゃったときといい、今日の私何やってるんだろう。
サトシとつないだ手の指先から徐々に熱がこもり、顔が真っ赤になっていくのが分かる。
あぁどうしよう。心がいっぱいになっていく。
心臓が暴れ出して苦しい。
そんなセレナにとどめを刺すように、サトシがセレナの手を握る力をぎょっと強めた。


「もし次同じようなことがあったら、この手は絶対離さないからな」


彼の太陽のように眩しい笑顔は、無条件でセレナの心をきゅんと締め付けてしまう。
どうして彼は、そうやって私に効果抜群の言葉ばかり選んでしまうのだろう。
顔を真っ赤に染め上げながら控えめに頷くセレナの手を、サトシはしばらく離そうとはしなかった。


FIN