Mizudori’s home

二次創作まとめ

【後編】トモダチを失った日

【サトセレ】

■アニポケXY

■未来捏造

■長編

 


act.4

 


「友達って何だと思う?」
『はぁ?』

カロスフェス開催初日の夜。
俺は宿泊先のホテルでとある友人からの電話に対応していた。
朝は開会式に登壇して、昼はミナミとフェスを見て回っていた。
夜も一緒にご飯を食べようとミナミに誘われていたけど、どうしてもその気に慣れなくて断ってしまった。
今朝のセレナとのやりとりが、頭から離れないんだ。

サトシのこと、一度も友達だと思ったことない。

彼女が俺を睨みつけながら放った言葉は、俺の胸に重くのしかかった。
セレナはすごく優しい子で、話していて楽しいし、何より目標に向かってひたむきな姿が魅力的な、俺の大切な友達だ。
けれど今朝、10年間一緒にいて初めて彼女からの真意を聞いてしまった。
友達だと思っていたのは実は俺だけで、セレナは全くそんなことを思っていなかっただなんて。

この事実は俺を十分に傷付けた。
昼まで一緒にいたミナミからは上の空だと指摘されるほどに、俺は今まともに物を考えられなくなっているらしい。
そんなところに、もう一人の幼馴染から電話がかかってきたんだ。
表示された名前はシゲル。
今をときめく若手研究員で、ポケモン協会の一員。
かつ俺のライバルともいえる男だった。

開口一番にぶつけられた俺からの質問に、シゲルは肩の力が抜けたような声で聞き返してきた。
テレビ電話じゃなく、普通の通話だから顔は見えないが、きっと呆れた表情を浮かべているのだろう。

『なに、いきなり』
「さっきセレナから言われたんだよ。友達だと思ったことなんてないって」
『セレナ?』
「前に話したことあるだろ?子供の頃一緒にカロスを旅してた、カロスクイーンの・・・」
『あぁ。君のファーストキスの相手ね』

シゲルには、以前セレナやカロス地方での旅について話したことがあった。
キスのことを話したかどうかは覚えていなかったけれど、知っているということは話したことがあるのだろう。
シーツが綺麗に敷かれたベッドに腰かけ、ガラス張りになっている窓からヤマブキシティの夜景を見下ろしつつ、俺は言葉を続ける。

「友達じゃないってなんだよ。俺。セレナのことはずっといい友達だと思ってたのに。何で今更そんなこと言うんだよ。さすがに酷くないか?」
『そう?僕には君の方がよっぽどひどく思えるけどね』
「は?なんでだよ」
『だって君、10年もの長い間そのセレナって子のこと友達だと思ってたんでしょ?しかも彼女まで作るなんて。極悪非道だね』

シゲルの言い分には全く理解が出来なかった。
俺が彼女を作ることがそんなにひどいことなのか?
ミナミと付き合う前、シゲルは俺に彼女のひとりくらい作ったらどうだとしつこいくらいに言って来ていた。
そんなシゲルから極悪非道呼ばわりされる理由なんてどこにもないはずなのに。

「俺が彼女作っちゃいけないのかよ。タケシやカスミは喜んでくれたぜ?シゲル、お前だって・・・」
『そりゃあ僕は君のこと友達だと思ってるからね。酷いとは思わないよ。でもセレナって子は違う』
「意味わかんないって。そもそもなんでセレナは俺のこと友達だと思ってないんだよ」
『逆に聞くけど、じゃあ何で君はキスまでしてきた女の子を普通の友達だと思えるわけ?』
「え・・・」

まるで常識を説くように諭すシゲルの言葉に、俺は困惑した。
そりゃあ、キスという行為の重みはよく知っている。
けれどあれはもう10年も昔の話で、俺もセレナも子供だった。
子供同士のキスなんて、ちょっとしたじゃれあいというか、戯れというか。
大人になってからのキスとはわけが違うだろ?
そこに、色っぽい感情なんてない。
あの時のセレナは、しばらく会えなくなる俺に餞別のつもりでキスを贈っただけに過ぎないはずだ。

『普通に考えて、好きでもない相手にそこまでしないだろ?』
「そりゃあ大人ならそうかもしれないけど。あの時は二人とも子供だったし、そういうつもりでしたわけじゃ・・・」
『君はそうだったのかもしれないね。でも彼女の方は?本当に、ただの子供の戯れ程度の気持ちだったと思う?』

心の奥深くに問いかけるようなシゲルの言葉は、眠り続けている10年前の記憶を掘り起こしていく。
カロスの空港で、エスカレーターに乗って去っていくセレナを見送っていた刹那、彼女は笑顔で振り返って引き返してくる。
ほんの一瞬だった。
下に向かっていく降りていくエスカレーターの流れに逆らいながら、ふわりと押し付けられた幼い唇の感触は、今でも怖いくらいに覚えている。
そして、離れ行く真っ赤な顔をしたセレナの顔も、即座に思い出せるほど印象深い。

“ありがとう”

最後にそう叫んだ彼女は、見ているこちらが赤面してしまうほどに恥じらいに満ちていて、普段の彼女からは想像できないくらい大胆なあの行動は、相当な勇気を要したに違いない。
あれは本当に、ただの餞別でしかなかったのか。
何の感情も混ざっていなかったのか。
もしそうなのだとしたら、何故彼女はあんなにもらしくないことをしたのだろう。
そして、どうしてあんなにも赤い顔をしていたのだろう。

ドクン、と、鼓動が一つ脈打った。
あの時のことを思い出しても、今までは“懐かしい思い出”くらいにしか思わなかったのに。
何故だか今は、胸が苦しい。
今までに感じた事が無い高揚感が、俺の鼓動を急かす。

「ピカピ」
「ん?」
「ピーカッチュウ」

不意に、ベッドでくつろいでいたはずのピカチュウが、電話中の俺の膝に前足をかけ、こちらを指さしてきた。
顔が赤いよ?
恐らく俺にしか分からない相棒の言葉に、俺はうろたえた。
顔中に熱がこもっていくのが分かる。
もはや平常心ではいられなかった。

「ば、馬鹿言うなってシゲル。それじゃまるで、セレナが俺を好きみたいだろ?」
『はぁ、ここまできてまだそんなこと言うわけ?』
「だって、俺たちは10年以上友達で・・・」
「サートシ君」

ため息交じりにシゲルが俺の言葉を遮った。
セレナ以上に付き合いの長いこの皮肉屋な幼馴染が、こうやって俺の名前を呼ぶときは、大概俺を馬鹿にしたときか呆れている時だ。
今回はおそらく後者だろう。
顔は見えないけれど、電話口の向こうでシゲルが肩をすくみ上げている様子がありありと想像できた。
そして彼は、先ほどまでの余裕しゃくしゃくな話し方から一変、いつもより低いトーンで話し始める。

「どちらかが特別な感情を抱いてしまった時点で、二人は友達じゃいられなくなるんだ」
「友達じゃ、いられない・・・?」
「そう。彼女はサトシを友達だと思ったことは一度もないって言ったんだよね?つまり君は、出会ってから今までずっと、彼女を友達だと一方的に勘違いしていたってわけだ。彼女からの感情なんて一切気付かずにね」
「・・・・・」

覚えてる?私のこと・・・。
初めて会ったときもそう。最後まであきらめるなって。すごいよね、サトシらしいよね。
私の知ってるサトシは、いつも元気で、みんなを引っ張って、一生懸命で、ポジティブで、最後まで絶対に諦めない!だから私は…私は…!!
貴方は私の憧れよ。次会ったときは、もっと魅力的な女性になってるから。
最後にひとついい?
出会ってから今日まで、私たちが友達だった瞬間なんて一度もないの!
まだ分んないの!?

セレナからかけられた言葉の一つ一つが脳裏に反響する。
彼女はいつもで気の合う友人で、俺が悩んでいる時や落ち込んでいる時は、必ず言葉をくれた。
友達としての一面しか見えていなかったセレナの色が、徐々に別の色へと染め上げられるのが分かった。
あの時も、あの時も、あの時さえも、彼女は俺を想ってくれていたのか。
出会ってから今のいままで、俺たちの視線が交わったことなんてなかったのかもしれない。
目をそらしていたのは、きっと俺の方だ。

『ほんとは君に伝えなきゃいけないことがあったんだけど、それはまた今度にするよ。今は目一杯悩むといい』

それだけ言うと、シゲルは通話を切った。
言葉を失ってしまった俺に気を遣ったのだろう。
スマホロトムを床に落とし、俺は前のめりになって頭を抱える。
そんな俺を心配してくれているのか、ピカチュウが頬を擦り付けながら顔を覗き込んできた。
今の俺には、そんなピカチュウの慰めを素直に受け入れられるほどの余裕はない。
だってそうだろう?
俺が友達だと思って接してきたセレナは、実は俺のことが好きで、なのに俺はそんなこと全く気付くことなく接してきたばかりか、昨日彼女に随分と無神経なことを言ってしまった。

ミナミと仲良くしてほしいだとか、俺はお前の何なんだとか。
そんなこと言われたら、傷つくに決まってる。
誤らなくちゃ。でもどうやって?
“気持ちに気付かなくてごめん”とか?
そんなこと言われたところで、きっと俺たちの間に生まれたひび割れは治らない。
もう、今まで通りの関係には戻れないんだ。


*********************


カロスフェスが開催されている町は、喧騒に包まれていた。
街はずれのこのカフェにも、普段より明るい空気が漂っている。
先ほど頼んだばかりのカフェラテも、外をぼうっと見つめながら永延かき混ぜ続けたせいでとっくに冷え切ってしまった。
冷えたカフェラテを一口も手を付けないまま、いつの間にか30分以上が経過してしまっている。
時間を忘れてしまうほどに、俺は上の空だった。

「ねぇ、聞いてる?」
「・・・ん?」

対面の席に座るミナミが、ショートケーキをつまみながら不機嫌そうに聞いてきた。
はっと我に返り聞き返すと、彼女は心底呆れた様子でため息を吐く。

「だから、ポケモンリーグ専属の整体師にならないかって誘われた話。どう返事しようか決まったんだって」
「あぁ。悪い。ちょっとぼーっとしてた」
「もう・・・」

シゲルと電話をしたあの夜から一夜明け、俺はミナミに呼ばれてこのカフェへと単身足を運んでいた。
話がある、と神妙な顔をして話すミナミのことは気になっていたが、正直今はあまりその話とやらに集中できそうもない。
昨日の夜から、セレナのことが頭から離れないんだ。
何とかして謝る方法を探してみるけれど、何度頭でシミュレーションしても、返って来るのはセレナの冷めきった表情ばかり。
友人関係に戻ることはおろか、普通に会話することすらできなくなってしまうのではないか。
そう思うと、不安で仕方が無かった。
セレナには、嫌われたくなかったんだ。

「あのね、例の話、断ることにしたの」
「えっ」

冷めきったカフェラテをようやく口にした瞬間、ミナミからの言葉に思わず吹き出しそうになってしまう。
彼女の口から飛び出した言葉が、あまりにも予想に反していたものだったから。

「断るって・・・。リーグ専属にならないってことか?」
「うん」
「なんでだよ。ずっと夢だったって言ってたじゃんか」
「まぁね。でもほら、リーグ専属になっちゃったらサトシ君のポケモンたちの面倒見れなくなっちゃうじゃない。ねっ、ピカチュウ

俺の膝の上に乗って行儀よくオレンジジュースを啜っていたピカチュウは、急に話を振られたことに戸惑っている様子で、小さく首を傾けている。
ミナミは、俺と出会ったばかりの時からリーグ専属の整体師になることを夢見ていた。
にもかかわらず、自ら夢を蹴ったミナミの表情に曇りはない。
悲しみも迷いもなければ、気落ちしているようなそぶりも見せないミナミの態度は、俺を混乱させた。

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、やっぱりその話受けるべきだって。せっかく夢をかなえるチャンスなんだぞ?」
「いいの。もう決めたから。私は夢をかなえるよりも、サトシ君のそばで応援してたいから」
「そんなのもったいないよ!俺のために夢をあきらめるなんてやめろよ。ミナミは実力もあるんだからさ」
「・・・でも、私がリーグ専属になったら今以上に忙しくなるじゃない。そうすればなかなか会えなくなるかもしれないし」
「それが何だって言うんだよ」

気付けば、俺は語気を強めてミナミに詰め寄っていた。
突然怒鳴られたことで、ミナミは肩をびくつかせて驚愕の表情を見せる。

「夢が叶うかもしれないって時に、余計なこと考えるなよ!なんでそんなに簡単に諦められるんだよ!」
「余計なこと・・・?」
「俺のことが足かせになるって言うなら、別れればいい。それでミナミが夢を追いかける気になるなら、俺は・・・」

そこまでまくしたてて、やめた。
目の前に座るミナミが、大きな瞳から涙をこぼしていることに気が付いたから。
彼女のその姿を見た途端、俺は今自分が何を口走ってしまったのか、ようやく気付くことが出来た。

「サトシ君にとっての私って、所詮その程度だったんだね」
「ミナミ・・・」
「私にとっての最優先事項は、夢も目標でもなくて、サトシ君だったんだよ。でも、サトシ君は違う。私なんかよりも優先したいことがたくさんあって、私はいつも二の次だった」
「・・・・・」

彼女の言葉を、俺はどうあがいても否定できなかった。
確かにミナミと付き合ってからというもの、会いたいと言う彼女を放っておいて仕事やポケモンの世話にかまけることは何度もあった。
それは俺の“ポケモンマスターになる”という目標実現のための行動だったし、ミナミも言葉では許してくれていた。
けれど、ゆっくり時間をかけて形成された溝は、取り返しがつかないくらい大きなものになっていたらしい。
俺は今日、初めてそのことに気付かされた。

「サトシ君、私のこと好きじゃなかったでしょ」
「え・・・」
「分かるよ。それなりに一緒にいたんだもん。付き合ってくれたのも、私の告白が断りづらかったからなんだよね。ごめん。私、サトシ君に恋愛感情がどんなものか教えてあげるなんて大口叩いといて、結局なにも教えられなかった」
「ミナミ、俺は・・・」
「私はさ、多分一生、サトシ君の恋愛対象に入ることは無いんだろうな。サトシ君が好きなのはきっと、夢をがむしゃらに追いかけられるような子・・・。あのセレナって子みたいな女の子なんだろうな」

セレナ。
ミナミの口から出たその名前に、俺の胸は締め付けられる。
俺の動揺を察知したのか、ミナミは涙を流しながら小さく微笑みかけてきた。

「気付いてた?カロスフェスに携わるって決まってからずっと、サトシ君、セレナちゃんのことばっかり話してる」

先ほどまで曇天だった雲の合間から太陽が覗き込み、窓際に座っていた俺たちに陽の光が降り注ぐ。
照らし出されたミナミの頬には、一筋の涙が伝っていく。
きっと彼女は、俺が気付くよりもずっと前から気付いていたんだ。
俺の心に、自分以外の誰かが棲み始めていたことを。
やがてミナミは鼻をすすり、佇まいを直す。
そして、まっすぐ俺を見つめながら言い放った。

「もう別れよう。私はあの子みたいにはなれない」


********************


曇りのち晴れ。
今朝ニュースでやっていた天気予報は見事的中した。
先ほどまで曇天だったというのに、夕暮れ時になった今は雲一つ見当たらない。
お陰で、美しい茜色の空が雲に邪魔されることなく悠々とカントーの空いっぱいに広がっている。
地上を照らす夕日の色はどこか物悲しくて、俺の心を余計に落ち込ませる。

ミナミのことは好きだった。
けれど、恋愛対象として好きだったのかと言われれば、確かに違うと言わざるを得ない。
ポケモンマッサージ師として並ぶ者はいないほどの実力を持ったミナミの腕を俺は信頼していたし、ポケモンたちの体のことで気になることがあったとき、一番に相談しに行くのはやっぱりミナミだった。
今思えば、彼女は恋人というよりも、いいビジネスパートナーだったのかもしれない。

カフェからホテルまでの道を歩いている途中、何組かカップルとすれ違った。
腕を組んだり、手を繋いだり、見つめあっていたり。
どのカップルもお互いに想いあっているのは目に見えていた。
でも、きっと俺とミナミは違ったんだろうな。

カントー地方のみなさん、こんにちは!カロスクイーンのセレナです!』

不意に頭上から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
声が聞こえてきた方を見上げると、そこには大きな電光掲示板に映し出されたセレナの姿があった。
舞台衣装を身にまとい、画面のむこうで小さく手を振っている彼女は、昨日見た泣き顔からは想像できないくらい穏やかな笑みを浮かべていた。

『現在、ヤマブキシティ中央公園にて、カロスフェスが開催中です!カロスで大人気の大会、トライポカロンも開催予定です!日時はフェス最終日の午後13 時。皆さん、是非足を運んでみてくださいね!』

大通りに面したショッピングビルの側面に設置された大型モニター。
そこに映る彼女の姿を、何人もの人たちが足を止めて見上げていた。
セレナは10年前から、夢に対してひたむきな女性だった。
俺と同じで、何度も勝利と敗北を味わいながら前へと突き進んできた彼女は、きっとあの旅の途中でも、上手くいかない現実に涙したこともあっただろう。
けれど俺は、彼女の涙を見た事が無い。
決して弱さを見せようとしない彼女を、俺は尊敬していた。

そんな彼女が、一度だけ俺に弱さを見せてくれたのは、再会したあの夜のこと。
自分の好きなことが出来ず、半ばあきらめようとしていた彼女を、俺は理解できていなかった。
彼女があの時言ったように、自分を曲げなければ叶わない夢もあるのだ。
ポケモンリーグ公認の整体師になるという夢をかなえるため、ミナミは俺と一緒にいるという願いを捨てなければならなかった。
結果ミナミは自分を曲げきれず、夢をあきらめてしまった。

だが、セレナはどうだ。
歌うことが苦手だと言いながらも、トライポカロンを世界中に広げるという夢のため、自分を曲げて前へと突き進んでいる。
そんな彼女に対して、俺は随分と無神経な態度を取っていたのかもしれない。
彼女の裏にある大きな覚悟も知らないで。


********************


ホテルに着くころには、すっかりあたりは暗くなっていた。
メインエントランスからホテル内に入ろうとする俺だったが、肩に乗っていたピカチュウに耳を引っ張られ、足を止める。

「なんだよピカチュウ
「ピカピ」

俺の名前を呼び、耳を立てるピカチュウ
どうやらなにか聞こえるらしい。
俺には何も聞こえないが、ポケモンの聴覚や嗅覚、視覚は人間のそれよりも優れている。
“あっちから聞こえる”と小さな指でエントランスの脇に伸びる小道を指すピカチュウに従い、俺は音がする方へと行ってみることにした。

歩を進めるごとに、確かにわずかな音が確認できた。
それは女性の声で、歌を歌っているようだった。
やがて俺とピカチュウは、メインエントランス裏側にあるプライベートガーデンへとたどり着く。
そこにいた人物を見て、俺は思わず固まってしまった。
先ほどから俺の頭の中を支配していた張本人、セレナだったのだ。

彼女は先日見た光景と同じように、パフォーマンスの練習をしていた。
先日と違うところがあるとすれば、テールナーだけを練習させていた先日と違い、今日はヤンチャムニンフィアも一緒に練習しているところだろうか。
しかもよく聞いてみれば、セレナはスマホロトムで微量な音量で流している音楽に自分で歌を口ずさみながら、ポケモンたちと一緒にステップを踏んでいた。
今まで何度もセレナのパフォーマンスを見てきたが、彼女が歌いながらポケモンたちと一緒に踊っているところを見るのは初めてだった。

《でもね やっと見つけたんだ ホントの私が胸につむじ風を起こす》

セレナの歌う歌詞に合わせて、ニンフィアが妖精の風を繰り出し、舞い上がる風に乗せるようにテールナーが枝に灯った炎で火の粉を飛ばす。
歌がサビに突入してからもセレナの声量は衰えず、ダンスのキレも保たれている。
サビの入りと同時に、ヤンチャムストーンエッジで岩の柱を作り出し、ニンフィアテールナーがそれぞれムーンフォースかえんほうしゃを岩にぶつける。
二つの技がぶつかり合ったストーンエッジは幻想的な色へと移り変わり、最後にヤンチャムがいわくだきで破壊すると、虹色の砂があたりに舞い上がる。
その光景は実に幻想的で美しく、俺は目を奪われていた。

《君とふたり進め!新しい大好きを追いかけて》

ポケモンたちの中心で踊っていたセレナは、力強い歌声で最後まで歌い切っていた。
最後の間奏すらも気を抜かず、テールナーヤンチャムニンフィアは美しいダンスと技の応酬で、セレナの歌を幻想的に染め上げている。
そして、曲の〆に真ん中のセレナの元へステップを踏みながら集まると、慣れた様子で最後のポーズを取った。

「フィニーッシュ!」

2秒ほど間が空いて、セレナは大きく息を吐きながらその場に座り込んでしまった。
随分と息が乱れている。
歌いながらあれだけ踊っていたら無理もないだろう。
肩を上下させながら息を整えるセレナのもとに集まっていくテールナーたちは、主である彼女と同じように、達成感に満ちた表情をしている。

「よかった。上手くいったね!」

テールナーたちの頭をなでる彼女は、昨日の泣き顔からは想像もつかないほど笑顔で、充実感にあふれている。
パフォーマーでも何でもない素人騒然の俺にだって、練習とはいえ先ほどのパフォーマンスの完成度の高さはよく分かる。
普通パフォーマンスとは、パフォーマーポケモンたちへ指示を飛ばし、自身もポケモンたちと一緒に踊ることで観客に楽しんでもらうものであるはず。
しかしセレナは、先ほどポケモンたちに一切の指示を飛ばしていなかった。
おそらく、自分の歌をポケモンたちに何度も聞かせることで移動やステップ、技のタイミングを覚えさせたのだろう。
ポケモンたちは個体によって知能や記憶力も様々で、3匹のポケモンたちに振り付けだけでなく技のタイミングなども覚えさせるのは至難の業だ。
それこそ、トレーナーとのあつい信頼関係がなければ成り立たない。
それを、セレナはやりとげたのだ。

「ごめんねみんな。付き合ってもらっちゃって。今回の大会でこのパフォーマンスが出来ないのはわかってるんだけど・・・。でも、いつかこのパフォーマンスをたくさんのお客さんに観てもらえる機会がやってくるかもしれないから練習しておきたいの」

息を殺し、プライベートガーデンの中央で座り込んでいる彼女に見つからないように覗き込むと、セレナのそんな言葉が耳に届く。
俺はてっきり、セレナはポケモンたちと一緒にパフォーマンすることを諦めているものだとばかり思っていた。
けれどセレナは、少しも諦めてなんかいなかったんだ。
自分を曲げることも必要だと言ってはいたけれど、それでも信念は捨てていない。


********************


「ピカピ?」

自分の部屋につくなり、ベッドに上半身を投げ出した俺の顔を、ピカチュウが心配そうにのぞき込む。
黄色い相棒の真っ黒な瞳に映り込む俺の顔は、どうしようもないほど情けない顔をしていた。
脳裏に焼き付くのは、セレナの賢明にパフォーマンスを練習する姿。
頭に響くのは、先ほどミナミに言われた言葉たち。

サトシ君が好きなのはきっと、夢をがむしゃらに追いかけられるような子・・・。あのセレナって子みたいな女の子なんだろうな。

正直言って、俺は恋だの愛だのには疎い方だと思う。
気が合う異性の友達はたくさんいるけれど、そういう対象として見たことは一度もないし、興味を抱いたこともなかった。
シゲルやタケシあたりは、いくつになっても女っ気がない俺を心配していたようだけど、どんなに意識したって恋愛のことを考えられる頭にはならなかった。
どんな子が好きなのかと聞かれたら特にないと答えるし、彼女が欲しいかと聞かれたら別にと答えるだろう。

そんな俺に、恋愛というものを教えてあげるといってきたのがミナミだった。
ミナミとの時間が楽しくなかったと言えば嘘になる。
彼女とは気が合ったし、一緒にいて楽だった。
けれど、どんなに恋人としての時間を共有しても、ミナミは友人の一人にしか思えなくて、これが恋愛感情というものなんだろうと自分に言い聞かせていた。
そんな俺の気持ちを。ミナミはきっと早い段階から見抜いていたんだろう。
俺自身も知らない本音を、彼女は引き出してくれた。

夢を追いかけている子が好き。

きっと、ミナミの言う通りなんだと思う。
彼女がリーグ専属の整体師になるという夢を捨てて俺と一緒にいたい言い出した時は理解できなかったし、彼女の夢の障害になるくらいならいっそ別れた方がいいとも思った。
けれど、それはミナミが望んでいた返答とは違っていたらしい。
そして無意識に、セレナと比べてしまっていたんだ。
セレナならきっと、諦めたりしない。
泥道を進んででも、夢をつかみ取るため前へ進むだろう。

「なぁピカチュウ
「ピ?」
「セレナってすげぇよな」
「ピカ?」
「だって、カロスクイーンになるって目標をかなえた後もすぐに次の目標を見つけて、実現のために嫌なことでも進んでやろうとしてる。俺なんて、自分の本当の目標も見失いかけてたのに」
「ピカピ・・・」
「セレナは強いよ。ほんと、つよい」

セレナの練習風景を覗き見てしまったあの夜。
彼女からの言葉で俺は目が覚めたんだ。
ポケモンマスターになる。子供のころから見続けてきたその夢を、大人になるにつれていつの間にか見失ってしまっていた。
それを、セレナが思い出させてくれたんだ。
大人になんてなりたくない、なんてセレナに偉そうに言ってた俺が、情けないよな。
子供のころから、何かを見失いかけていた時は、いつもセレナが背中を押してくれていた。
俺、セレナに教えられてばかりだ。

「あぁいう子がそばにいてくれたら、きっと心強いんだろうな」

天井に向かって独り言をつぶやく。
その言葉が口から出きったすぐあと、俺ははっとして上半身を起こした。
突然起き上がった俺に、ピカチュウは少しだけ驚いている。

「もしかして、こういうのを恋っていうのか?」
「ピカァ!?」

確証はなかった。
だって俺は、恋を知らない。
誰かのことを想って幼いときめきを感じたり、恋に患って食欲をなくしたりするような年齢はとっくの昔に過ぎている。
だから、この溢れ出る暖かい感情の名前を俺は知らない。
ただ一つだけ言えることは、今猛烈にセレナに会いたくなっているということだけ。
彼女に会って、話して、声が聴きたい。
ただそれだけでいい。
ベッドから立ち上がった俺は、窓の方へと向かう。
一面ガラス張りになっている窓の下は、ちょうど先ほどのプライベートガーデンが広がっていて、小さくセレナとポケモンたちが練習している姿が見える。
豆粒程度にしか見えないが、時折上がるテールナーの美しい炎が、セレナがその場にいることを意味していた。

「どちらかが特別な寛恕を抱いた時、友達じゃいられなくなる、か・・・」

シゲルからの言葉が、不意に口を突いて出た。
恋愛経験の多い彼だからこそ、そんなことを言えたのだろう。
今ならよく分かる。その通りだと。
俺とセレナはもう、きっと元の友達には戻れないんだ。
いや。戻ろうとも思わない。
俺の心の奥で燃え盛るこの感情が何なのか、ようやく気付けたのだから。

窓ガラスに手を当てたまま、俺は下のプライベートガーデンを見下ろす。
遠くてセレナの顔なんて見えないはずなのに、テールナーの炎が上がるたび、俺の心臓は大きく脈打っていた。

 

 

act.5

 


「はい、わかりました、ヤシオさん。失礼します」

カロスフェスの会場に向かう車の中で、私はヤシオさんからの電話を切った。
次のイベントがカロスのミアレシティであるから、カロスフェスが終わったらすぐに帰ってきてほしいという。
正直、ありがたかった。
これ以上カントーにいたら、沈み続ける自分の心を再び浮上させる自信が無くなってしまう。
いち早くカントーから、いや、サトシの近くから離れてしまいたかった。

1週間にも及ぶカロスフェスは上々の盛り上がりを見せ、カントーのニュース番組やネット記事で大々的に取り上げられるほどの話題を呼んでいる。
日々来場者は増え続け、最終日となった今日は、開催地周辺の道路が大渋滞してしまうほどの盛況ぶりを見せていた。
私は今、夕方から行われるトライポカロンカントー大会の開会式に出席するため、この渋滞の中を進んでいる。

「すみませんセレナさん。まさかこんなに渋滞しているとは思わなくて」
「いいんです。入り時間までは結構余裕ありますから」

カントーで初めて開催される今回のトライポカロンは、カロスフェスのオオトリを務めるビックイベントであるため、それなりの盛り上がりは予想されていた。
けれど、まさかこんなにも人でごった返しているとは、まさに嬉しい悲鳴と言ったところだろう。
メディアでも大注目されているし、カントーの人たちも強い関心を寄せてくれている。
トライポカロンを世界に広めるという目標がある私にとっては喜ばしいことなのかもしれないけれど、今日の開会式はどうしても気が重かった。
何故なら、開会式のセレモニーにはサトシも出席する予定だから。

自然と深いため息が出る。
あの日以来、サトシとは会っていない。
ホテルの部屋が隣同士なわけだから、壁越しに気配は感じていたけれど、鉢合わせにならないよう予定より早く部屋を出て遅く帰る生活をここ数日は心がけてきた。
顔を合せなかったせいか、今日久しぶりに会うことで余計に気まずくなってしまった気がする。
きっともう、前みたいに気軽に話せる仲には戻れないんだろうな。
それどころか、たぶん私がカロスに帰ったら、もう二度と会うこともないんだろう。
諦めなくちゃ。サトシへの気持ちを、今日で全てまっさらにしなくちゃ。
出来るのかな。10年以上も片想いしていたのに。
日が暮れだした空を見上げながら、私は不安を胸に抱いていた。


********************


トライポカロンカントー大会の会場になっのは、街の中心にある大きなホールだった。
事前に発売していたチケットは完売。
報道陣も合わせ、会場は超満員になっていた。
舞台の上に立っている司会の男性が観客に向かって注意事項を話しているところを、私は舞台袖から眺めている。
私たちの出番は、予定ではあと3分後。
一言二言トークをして、私がオープニングのパフォーマンスをし、大会の開会宣言を行って開会式は終了となる。
もちろんここで言うパフォーマンスとは、私一人での歌のことなんだけど。
でも、だからと言って手は抜けない。
カントーの人たちにトライポカロンの良さをアピールするまたとない機会なんだから、何事にも本気で挑まなくちゃ。

「サトシさん入りまーす」

舞台袖に控えていたスタッフの誰かが、声を張り上げた。
その声に、私の心臓はみっともなく跳ね上がる。
背後から革靴の音がする。
人の気配がゆっくりゆっくりと近づき、すぐ横で立ち止まった。
サトシが、私のすぐ横にいる。
隣を見れない。見てしまったら、せっかく集中していた心がすぐに乱れてしまう気がして。

「久しぶりだな。セレナのパフォーマンス見るの」

不意に、隣から声がかかる。
幼いころに比べてほんの少しだけ低くなった声。
一瞬聞こえないふりをしようかとも思ったけれど、反射的に返答してしまった。

「パフォーマンスって言っても、歌うだけだし」
「それでも、パフォーマンスはパフォーマンスだろ?」

恐る恐るサトシの方を見上げてみると、彼は体を舞台の方へ向けてまま視線だけをこちらに向けていた。
目が合ってしまったことに驚いて、思わずそらしてしまう。
これじゃ動揺していることが丸わかりじゃない。
カッコ悪い。
でも、サトシはそんな私の心情を知ってか知らずか、いつものようにはにかみながら言葉を続けてきた。

「セレナのパフォーマンスは、みんなを笑顔にする。今日来てるお客さんたち、きっと今夜のこと忘れられなくなると思うう。たぶん、俺も」
「え・・・?」

その言葉の意味を、私は推し量ることが出来なかった。
どういう意味だろう。思わずサトシの方へと視線を向けてしまう。
視線は絡み合う。どんな言葉をぶつけていいのか分からず戸惑っているうちに、舞台上からお呼びがかかった。

「それでは登場していただきましょう!カロスクイーンのセレナさん!そして、我らがカントーチャンピオン、サトシさんです!」

無言で微笑んだまま、サトシは舞台へ駆けあがってしまった。
何も答えが得られないまま、私もその後を追う。
眩しすぎるほどの照明に照らされた瞬間、観客たちから割れんばかりの声援が巻き起こる。
その声援は、カロスでいつも私が浴びているものとなんら変わりなくて、すぐに私を“アサメタウンのセレナ”から、“カロスクイーンのセレナ”へと変身させてくれる。
その歓声と照明を浴びた瞬間、心の中にあった戸惑いは打ち払われ、私は自然と笑顔で客席に手を振れていた。

「いやぁお二人とも。カロスフェス開会式に引き続き駆け付けていただきありがとうございます!今回はカントーで初めてのトライポカロン開催ということですが、どうですかセレナさん」
「はい!トライポカロンに携わっている人間の一人として嬉しく思います。昔私が初めてトライポカロンを見た時のように、カントーの女の子たちに大きな夢を見せてあげられる大会になればと思っています。みなさん、楽しんでくださいねー!」

私が大きく手を振ると、観客たちはそれに応えるようにピンク色のサイリウムを振っている。
トライポカロンは女の子だけがパフォーマンスに参加できる大会ということもあり、どうやら幼い女の子連れの親子が多いようだった。

「ものすごい盛り上がりですね!カントーチャンピオンであるサトシさんは、トライポカロンを本場カロスで見たことがあるんですよね?」
「はい。子供の頃に。まだセレナがクイーンになる前から彼女のパフォーマンスはよく見ていたんですけど、ポケモンとの息の合ったパフォーマンスがほんとに素晴らしいんですよ!」
「息の合ったパフォーマンスですか!是非見て見たいところですが、今回セレナさんは歌を披露してくださるんですよね?」
「あ、はい。先日発売開始した新曲の・・・」
「えぇ!? ポケモンとのパフォーマンスしないんですか?」

私の言葉を遮って、サトシが随分とわざとらしく驚いて見せた。
一応用意されている台本では、司会に促される形で私が新曲の紹介をして、そのまま歌を披露、となる予定だった。
もちろんサトシもその台本は読んでいるはずだし、事前の打ち合わせでポケモンたちとのパフォーマンスはしないと知らされているはず。
何故今更そんなことを言い始めたのだろう。

「セレナのパフォーマンスはテールナーニンフィアたちとの華麗なダンスが一番の見どころなのにもったいないですよ!」
「えっと・・・しかしですねサトシさん」
「会場のみんなー!テールナーって知ってる?カロス地方で最初にもらえる炎タイプのポケモンフォッコの進化系なんだ。ニンフィアはあのイーブイの進化系!カントーじゃなかなか見られないポケモンなんだぜ?」

カントーチャンピオンであるサトシは、地元カントーの子供たちにとっての憧れの的で、その親しみやすさからも大人気だと聞いたことがある。
そんなサトシの呼びかけにざわつき出す会場。
戸惑い始める司会者を尻目に、サトシは観客に向けて再び呼びかけ始めた。

「なぁーみんな!カントーでは見られないセレナのポケモンたち、見てみたいよなー?」
「「「見たーーい!!」」」
ポケモンたちとセレナのパフォーマンス、見てみたいよなー?」
「「「見たーーーーーい!!!!」」」

サトシの呼びかけに、子供たちの声は次第に大きくなっていく。
地元では見られないカロスのポケモンたちを目にする機会は今後もなかなかないだろう。
1週間続いたカロスフェスを通じて、カロス地方ポケモンたちへの興味が最大級に膨れ上がっているカントーの子供たちは、期待の眼差しで舞台上を見つめていた。
まるで子供番組の司会者のように子供たちを煽るサトシに、運営側の司会者は焦りを隠しきれていない。
困り切った顔でサトシに近付くと、マイクに入らない程度の小さな声で耳打ちを始める。

「さ、サトシさん困りますよ!歌だけの予定なんですから」
「でもほら、子供たちが見たがってますし。やっちゃいましょうよ」
「そう仰られましても・・・。トライポカロン協会との兼ね合いもありますし・・・」
「じゃあ、わざわざ来てくれたお客さんの要望は無視するってことですか?」
「い、いえそういうわけでは・・・。それに、リハも無しにいきなりポケモンたちとのパフォーマンスだなんて。音源もありませんし」
「ならセレナに歌いながらパフォーマンスしてもらえばいい。歌も披露出来て一石二鳥でしょ?」

サトシの無理な提案に、舞台上の司会者だけでなく舞台袖のスタッフたちまで慌て始めていた。
このカロスフェスを運営しているポケモン協会は、チャンピオンであるサトシに協会のプロモーションを頼り切っている節がある。
そのせいか、サトシの言うことに無暗に意見できる人間は少ないのだとヤシオさんから聞いていた。
あのサトシがそこまでの発言権を持っているだなんてにわかには信じられなかったけれど、今目の前で繰り広げられているやり取りを見るに、それはどうやら本当の事らしかった。

「しかし、歌いながら踊るというのはいささか難しいのでは・・・」
「大丈夫。セレナなら出来ますよ。なっ?」
「えっ?」

不意に、サトシがこちらを振り返り笑顔を見せてくる。

「歌いながらのパフォーマンス、練習してただろ?」

そんな機会、今後一度も巡ってくることは無いと思っていた。
けれど希望を捨てきれなくて、無駄なあがきと自覚しながら練習していたあの瞬間を、サトシに見られていたらしい。
そうか。だからいきなりポケモンとのパフォーマンスをしようだなんて提案してきたんだ。
私が、この舞台でのパフォーマンスをあきらめていないと見透かしていたから。
私からそんなお願いをすれば角が立って、今後トライポカロンを世界に広める機会は失われてしまうかもしれない。
けれどポケモン協会に顔が利くサトシなら、多少の無茶ぶりでもトライポカロン協会が非難されることは無い。
もしかしてサトシは、私のためにこんなことを・・・?

「・・・やれます。やらせてください!」

サトシの気遣いを無駄にしたくはない。
何より、カントーの人々が見ている前で、本当の私のパフォーマンスを見てほしかった。
この機会を逃せば、次はない。
与えられた細い糸を、私はつかみ取ることにした。

司会者はやはり戸惑ったように視線を泳がせ、舞台袖の方へと顔を向ける。
袖に控えていたスタッフたちがぼそぼそと何かを話し合っていた。
やがてスタッフうちの一人が腕をあげて大きな丸を作る。
どうやらOKが出たらしい。
その合図を見送った司会者はすぐに私たちの方へと向き直り、私とサトシに小さく耳打ちを始める。

「分かりました。ではお願いしてもいいですか?」
「は、はい!ありがとうございます」
「やったな、セレナ」
「うん!」

今すぐサトシにお礼を言って、命一杯の感謝の気持ちを言葉を尽くして伝えたい気分だった。
けれど、今は本番中。サトシにお礼を言うのも、ご飯をおごるのも、この前怒鳴ってしまったことを謝るのも、全部後回しだ。
今はただ、サトシがお膳立てしてくれたこのチャンスを完璧にこなさなければ。
それが、今ここで私がサトシ出来る唯一の恩返しだった。

「それではみなさん、長らくお待たせいたしました!ご要望にお応えして、歌とポケモンちの奇跡のコラボレーションを披露していただきます!では舞っていただきましょう!カロスクイーン、セレナさんのエキシビジョンパフォーマンスです!」

眩しかった照明が次第に落ちていくと同時に、司会者とサトシが舞台袖にはけていく。
テールナーたちのモンスターボールを念のため携帯しておいてよかった。
まさかこんなことになるなんて思わなかったけど、ボール越しに聞いていたであろうテールナーたちもきっと喜んでいるに違いない。
バックでかかっていた明るいBGMがゆっくりとフェードアウトしていき、会場に静けさが訪れた。
張り詰めた空気感は、かつて私がカロスクイーンを目指して大会に出場していたあの日々を思い出す。
あの頃と変わらない緊張感が、そこにはあった。

やがて、聞き慣れたポップなイントロが流れ始める。
ドラムとエレクトリカルな電子音と共に流れるメロディーに合わせ、白いスポットライトは私の体を照らし出す。
メロディーが変化し、歌いだしの前の盛り上がる瞬間にぴったり合うようにボールを投げれば、3つのボールから3匹のポケモンたちが勢いよく飛び出した。
テールナーヤンチャムニンフィア
見慣れないカロスのポケモンたちの登場に、子供たちをはじめとするカントーの観客たちは一気に歓声を上げた。
小気味よいメロディーに乗りながらステップを踏み始める3匹は、あの頃の輝きを失っていない。
そして歌いだしが近付き、同じくステップを踏む私はマイクを構えた。

《未来の私にはどんな色が似合う? カラフルに決めて一緒に食べようワン、ツー、スリー》

歌いだしと共に繰り出されたのはテールナーかえんほうしゃ
妖艶に煌めくオレンジ色の炎はテールナーの枝先で自在に舞い踊り、私たちを包み込んでいく。
かえんほうしゃの炎が消え去ったタイミングを見計らって、ニンフィアヤンチャムムーンフォースあくのはどうを空高く放ち、互いにぶつかり合う。
桃色と黒の光がはじけ飛ぶ様に、観客たちは口を開けて驚いていた。

私は歌を歌っているため、ポケモンたちに口で指示を出すことは出来ない。
パフォーマンスの内容をポケモンたちに覚えさせることは可能だけど、それでもタイミングの指示はパフォーマーがきちんと指示を飛ばさなければならない。
そこで考えたのは、振り付けのタイミングで技を繰り出させるというものだった。
テールナーたちには私の振りを覚えてもらい、この振り付けが来たらかえんほうしゃ、この振りのときはストーンエッジなど、振り付けと技の組み合わせを作ることで、口で指示しなくてポケモンたちが自主的に動くようになったのだ。
特訓の成果もあってか、テールナーたちは私の指示が無くても問題なく動けている。

《でもね、やっとみつけたんだ》

揺れるサイリウムが、舞台上からよく見える。
私の歌を何十回も聞いていたテールナーたちは、もうすぐサビに入ることを理解して、ステップを踏みながらフォーメーションを組み替えていく。

《ホントの私が胸につむじ風を起こす》

私の後ろに回ったニンフィアにより、ようせいのかぜが繰り出される。
テールナーの小さな炎をまとったようせいのかぜは、私たちをまわりに渦を作り、追い風となって舞い上がる。
これからサビへ移行していく歌の盛り上がりを表すかのようだった。

《ドリドリ ドリームパワー  DreamDreamパワー 私たち=奇跡のチカラ リームパワー  DreamDreamパワー 夢見た時からはじまるの》

サビの入りと同時に、ヤンチャムストーンエッジを出現させ、テールナーニンフィアが飛び跳ねながら岩を渡っていく。
飛び降りながら岩に繰り出されたかえんほうしゃムーンフォースが、ストーンエッジを虹色に染め上げる。
そして、ヤンチャムがいわくだきで次々にストーンエッジを粉砕していけば、虹色の破片が降り注ぎ、幻想的な光景が現れる。
舞台上からは、観客たちが息を呑んでいるのが確認できた。

《君とふたり進め!新しい大好きをおいかけて》

ポケモンたちの技の応酬の真ん中でステップを踏みながら、私は改めてこの歌の歌詞を聞き入っていた。
最初はポケモンたちと一緒にパフォーマンスが出来ない現状に不貞腐れて、あまり好きになれずにいたこの歌だったけれど、よくよく聞いてみれば私のことを謳った曲にしか聞こえなかった。
まだ何色にも染まっていない女の子が、自分自身の色を見つけるために奔走するこの歌は、まさに10年前、夢も目標もなくカロスでの旅を始めた頃の私そのもの。
やがてフォッコという唯一無二のパートナーに出会って、トライポカロンの存在を知って、エルさんに憧れを抱いて、そして進化したテールナーヤンチャムニンフィアとともに夢の階段を一歩一歩駆けあがってきた。
今、私のパフォーマンスを観客席で見ている子供たちの中に、将来クイーンを目指す子はいるのだろうか。

間奏が終わり、照明は私を照らす一本のスポットライトを残してすべて暗くなる。
メロディーが落ち着くこのCメロの部分は、曲の良さを引き立たせるためにも私のソロで行くと決めていた。
事前の指示通り、テールナーたちはその場に伏せ、舞台には私の歌声だけが響き渡る。

《期待はずれな毎日だって自由度100%で塗り替えていけるんだ》

カロスでの旅を始める前、私は母と同じようにサイホーンレーサーになるものだと思っていた。
敷かれたレールの上を歩くことは簡単だし、きっとそれなりに成功もするだろう。
サイホーンレーサーになることは、夢でも何でもない。ただの義務。
それ以外に好きだと言えるものもなかったし、夢も目標もなかったあの頃の私。
でも、サトシとの再会で、初めてそんな自分を恥ずかしく思った。
サトシには大きな夢があって、その夢に向かってますぐ突き進んでいる。
与えられた道を何となく歩くだけの私なんかより、よっぽど大人で、かっこよくて、素敵だった。
サトシとの出会いが、私を変えたんだ。

《広いこの世界で君と巡り合えた 言葉よりもっと強く結ばれている 一人より二人》

メロディーは再び明るさを取り戻し、テールナーたちもダンスを再開する。
間奏中、舞台袖にから様子をうかがっていたサトシと目が合った気がするのは気のせいだろうか。
やがて曲は佳境を迎え、テールナーたちの動きも一層激しさを増していく。

《君とふたり進め!新しい大好きを追いかけて》

曲の最後のフレーズが終わる。
ステップを踏みながらステージの真ん中へと移動すると、私は目の前で舞い踊っているテールナーに向け、最初で最後の指示を飛ばした。

テールナーかえんほうしゃ!続けてだいもんじ!」

それは、練習中編み出した新しい技の組み合わせだった。
かえんほうしゃの美しい炎が、だいもんじの力強い炎にかき消され、艶やかな火の粉をあたりにまき散らす。
パチパチと音を立てながら舞い落ちる火花状の火の粉を浴びながら、私たちは最後の掛け声を挙げた。

「フィニーッシュ!」

曲が終わったその瞬間、会場は割れんばかりの拍手と歓声に満たされた。
息を乱しながらホールを見渡してみれば、集まってくれた1万人近い観客が全員立ち上がり、大きな拍手を私へ贈っている。
真っ白な照明に照らされながら、私は初めて自分のパフォーマンスが成功したのだと知った。
良かった。みんなが喜んでくれてる。

振り返ればそこには、こちらに向かって親指を立てているサトシの姿があった。


********************


トライポカロン会場となったホールには、VIPルームというものが設けられている。
このホールで開催される各大会に呼ばれたVIPが、人目を気にせずステージを堪能できる場所。
私はポケモン協会のスタッフたちに案内され、一人そのVIPルームからステージを見つめていた。
客席の真上に設置されたこの部屋からは、ホールの中が一望できる。
高いソファに座って、高所からステージを見るのも悪くはないけれど、本音を言えば観客席の真ん中で観覧していたかった。
カントーで初めて開かれるトライポカロンを、熱狂するお客さんたちの真ん中で味わいたかったんだ。

ホウエンシンオウのように、ポケモンコンテストが既に浸透している地域というだけあって、本場カロスのパフォーマーたちにも引けを取らないほど、ステージに上がる少女たちのレベルは高かった。
ポケモンたちが技を披露するたびに観客は歓声をあげ、パフォーマーステップを踏むたびに軽快な手拍子が響き渡る。
パフォーマーたちの技ひとつひとつが、観客たちを夢中にし、そして笑顔に変えていく。
これがトライポカロン。私が今も昔もずっと夢見てきた舞台だ。

やがて大会は終盤にさしかかり、最後まで勝ち進んだファイナリストへの投票の時間がやってきた。
一般の観客ではない私に投票権は与えられていないけれど、もし票をあげるとすれば水色の衣装を身にまとった、ジュゴンを連れているあの少女に投票したい。
氷と水のコントラストを見事に表現して見せたあのパフォーマンスは素晴らしかったから。
そんなことを思っていると、票はみるみるうちにその少女の元へと集まり、大差をつけて彼女は優勝してしまった。
涙を見せながら飛び跳ね、喜んでいる少女の姿に、私まで嬉しくなってしまう。
そういえば、私も初めてトライポカロンで優勝した時はあんな風に飛び跳ねながら喜んだっけ。

優勝した少女には、カントーにはまだたった一本しかないプリンセスキーが授与される。
優勝した彼女を筆頭に、これからもトライポカロンという文化がカントーに広まればいい。
今日彼女に敗れた少女たちを筆頭に、カントーで活躍するパフォーマーのレベルがもっともっと上がればいい。
そしていつか、このカントーでもマスタークラスが開催されればいい。
いつかその時が来るまで、私の夢は終わらない。

眼下で優勝者である少女のインタビューが行われる中、背後にあるVIPルームのドアが静かにノックされた。
このインタビューが終わったらすぐにトライポカロンとカロスフェスの閉会式が始まる。
もう登壇のスタンバイをする時間だろうか。
“はい”という私の返事を待ってから、その扉はゆっくりと開かれた。

「久しぶりね、セレナ」
「ヤシオさん!?」

部屋に足を踏み入れてきたのは、ヤシオさんだった。
トライポカロン協会の幹部を務め、さらには私が所属している事務所の社長でもある彼女のスケジュールは相当厳しいはず。
カントーに来る予定もなかったはずなのに、なぜここにいるのだろう。
そんな私の疑問を察したのか、ヤシオさんはこちらが聞く前に答えてくれた。

「ついさっきカントーに到着したのよ。記念すべき初めてのカントー大会ですもの。この目で見ておかなくちゃと思って。まぁ、開会式には間に合わなかったけど」
「そうだったんですね。わざわざありがとうございます。無事終われそうです」
「ならよかったわ。それよりもセレナ、貴女当初の規約を破って開会式でポケモンたちとパフォーマンスしたそうね」

その話題が出ることは覚悟していた。
けれど、こんなにも早く指摘されるとは思ってもいなかった。
どんな理由があれ、トライポカロン協会とポケモン協会との間で交わされた規約を破って開会式を進めてしまったことには違いない。
立派な規約違反だ。
いくらカロスクイーンとはいえ、説教で終るとは到底思っていない。

「すみませんヤシオさん。私、どうしてもポケモンたちとパフォーマンスがしたかったんです。カントーの女の子たちに、本当のパフォーマンスがどういうものなのか見てもらいたかった。だから・・・」
「勘違いしないで。私は別に怒っているわけじゃないわ。むしろ謝りに来たの」
「え・・・?」

顔を上げた先に、ヤシオさんの優しい目があった。
この人は一見怖そうに見えて、実は誰にもない深い優しさがあることを知っている。
彼女は私に慈しみの笑みを見せたまま、そっと瞳を伏せた。

「貴女が自分の歌手活動に疑問を持っていることは知っていたわ。現実と理想のはざまで苦しんでいることも。けどどうにもしてあげられなかった。歌手として世間に求められている貴女を推し出すことが、そのままトライポカロンの人気向上につながると信じている面々が協会の中でも大多数だったから。でも、さっき会場に到着した時、ポケモン協会の人たちから言われたわ。“どうしてあんなに素晴らしいパフォーマンスが出来る人を正しく売り出さないんだ”ってね」
ポケモン協会の人がそんなことを・・・」
「セレナのパフォーマンスを見れば、全員貴女のとりこになる。そういう確信はあったけれど、機会に恵まれなかったのよ。だからカントーチャンピオンからの提案には、協会には報告せず私の独断で乗ることにしたの」
「チャンピオンの提案?サトシから何か依頼されたんですか!?」
「あら、本人から聞いてない? 昨日彼から連絡があって、開会式で貴女にパフォーマンスしてもらいたいって言われたのよ。カントーチャンピオンの自分が言えば、誰も責任を問われることは無いはずだからって」

ヤシオさんの言葉で、ようやくすべての辻褄が合った。
サトシが開会式本番にあんな無茶な提案をしてきたのは、事前にヤシオさんと打ち合わせていたからだ。
それも、ポケモン協会やトライポカロン協会には報告せずに、独断で。
私をとりまくしがらみを理解して、一番傷が浅くて済むやり方で私にパフォーマンスを披露させる。
それは、カントーチャンピオンであり、私と同じくカロスフェスのプレゼンターとして開会式に登壇するサトシでなくては出来ないことだった。
自分の足元に視線を落としつつ、私は息を吐く。
私、またサトシに助けられちゃった。情けないな。

「今回のことで、きっとトライポカロン協会も考えを改めると思う。私からも上層部に掛け合うわ。セレナに本来のパフォーマンスをさせてほしいって」
「でもいいんですか?それって、上の方針に逆らうことになるんじゃ・・・」
「いいのよ。チャンピオンの提案を呑んだ時からそんなこと承知の上だし。それに、貴女は舞台の上でパフォーマンスをし続けるべきなのよ。貴女はポケモンパフォーマー。歌手でもアイドルでもないんだから」

歌手でもアイドルでもない。
その言葉は、今私が一番欲しいものだった。
そう。私がなりたかったのはポケモンパフォーマー
自分だけマイクを持って舞台に上がるなんて、私のしたかったことじゃない。
テールナーヤンチャムニンフィアと一緒に、世界中の人を笑顔にする。
それが私の永遠の夢であり、目標なんだから。

「はい!ヤシオさん、本当にありがとうございました!!」

深々と頭を下げると、ヤシオさんは柔く微笑んで去っていく。
彼女が履いているヒールの音が、VIPルームの扉に向かう。
やがて扉が開く音が聞こえてきたが、ヒールが遠ざかると音も扉が閉まる音も聞こえてこない。
どうやら扉を開けたままヤシオさんは立ち止まっているらしい。
どうしたのだろうかと顔を上げてみると、そこには扉の向こうに立ってヤシオさんに会釈をしているサトシの姿があった。

「サト、シ・・・」

思わずつぶやいた彼の名前。
私の言葉が聞こえていたのかいないのか、サトシはヤシオさんと軽く挨拶をかわすとこちらに視線を向け、ヤシオさんと入れ替わるようにVIPルームへと入ってきた。
その肩に、珍しくピカチュウの姿はない。
言葉通り、この部屋には私とサトシの二人きりしか存在しない。
思わぬ来訪に、戸惑いを隠せない。
私はすぐさまサトシに背を向け、眼下に広がっているステージに向かってソファへ腰かけた。
ガラス張りの窓の向こうには、何万人というお客さんがVIPルームに背を向けてステージに熱視線を送っているというのに、防音設備が整ったこのVIPルームには歓声ひとつ響いてこない。
そのせいで、この部屋は気まずい静寂に包まれている。
そんな気まずい沈黙を破ったのは、サトシの方だった。

「よかったよ」
「・・・え?」
「さっきのパフォーマンス」
「あぁ・・・」
「なんか、10年前のセレナを見てるみたいで懐かしくなった」

どうしよう。振り返れない。
今、サトシがどんな顔してるのか物凄く気になる。
でも、振り返ったらもう後戻りできなくなってしまう気がする。
せっかくもうあきらめるって決めたのに。顔を見たらきっと、また無様に好きになってしまうんだ。
それが分かっているから、意地でもサトシの方を振り向いたりしない。

「あの・・・サトシがヤシオさんに提案してくれたんだよね?開会式で私にパフォーマンスさせてほしいって」
「あぁ」
「ありがとね。おかげでやりたいことが出来た。お客さんも喜んでくれてるみたいだし・・・」
「別に俺は何もしてないよ。お客さんを盛り上げたのはセレナの実力だろ?」
「でも、サトシがいてくれなかったら、パフォーマンスすらできなかった」

ソファに座りながら、私は無意識に自分の体を小さく折り曲げていた。
膝を抱えて、まるで拗ねた子供みたいに下を向く。
目の前でこんな弱音を吐かれたって、きっと面倒くさいだけだ。
サトシだってきっとそう思ってる。
でも、吐露せずにはいられない。

「なんか、かっこ悪いなぁ私。サトシにあんなひどいこと言ったのに、結局サトシに助けてもらってる。もう、サトシには頼らないって決めたのに」

もうサトシとは友達じゃいられない。
ううん。最初から友達だなんて思っていなかったけど、きっと元の関係に戻るのは絶対に無理なんだ。
だから一人で何とかしたかった。
私には私の歩くべき道があって、サトシにはサトシの道がある。
この二本の道は、永遠に平行線をたどって決して交わることは無い。
だったら忘れてしまおう。
サトシに頼りっぱなしの私からも、サトシを好きな私からもお別れしないといけない。
なのに、貴方はいつも私を惑わせる。

「そんなこと言うなよ」

まるで独り言のように呟かれたサトシの声が耳に届く。
聞き間違いだろうか。
私が聞き返すより先に、サトシはもう一度言葉を繰り返す。

「頼らないなんて、そんなこと言うな」

先ほどよりもはっきりと、確かに呟かれたその言葉は、私の背中にぶつけられた。
苛立ちのような、悲しみのような、様々な感情が混ざり合ったような声色に、私は何と答えていいか分からなかった。

「もっと俺を頼ってくれよ。前に言っただろ?俺はいつだってセレナを応援してるって。セレナが困ったとき、一番に手を差し伸べるのは俺でありたいんだよ」
「やめてよ!」

きっと今の言葉は、10年前に聞いていたらもっと素直に喜べた。
でも、今の私は凄くひねくれているから、そういう言葉を聞いても素直になれない。
お互いのために距離を置こうとしてるのに、私が作った壁なんていともたやすく壊して接近しようとするサトシが怖くて仕方がない。
こっちは必死で離れようとしてるのに、どうして私の気持ちを汲んでくれないの?
私が手を伸ばしたって、手に入るのは所詮“サトシの友達”というポジションだけ。
私が欲しい席にはもう、別の人が座ってるんだから。

「そうやっていつもいいように言って期待させるのやめてよ!こっちの気も知らないで・・・!」
「だったら教えてくれよ!」

サトシからの大声の反論で、私は思わず肩を震わせてしまう。
サトシはいつも優しい。
彼がこうして大声で誰かを怒鳴るのは、稀なことだった。

「セレナにとって俺は何なんだ!? セレナは俺のことどう思ってんだよ!」
「そんなこと、今更聞くの?」
「今更もなにも、俺まだセレナの口から何も聞いてない。セレナならよく知ってるだろ?俺、そういうことには疎いんだ。きちんと言葉にしてくれなきゃ分かんないよ」

サトシは酷い人だ。
自分がどんな感情を抱かれているのか分からないほど、貴方は子供じゃない。
私の気持ちなんて、とっくに察してるくせに。
そうやってわざと言わせて、自覚させようとしてるんだ。
感情を口にすれば逃げられないってことを、彼はよく知ってる。
ポケモンバトルで鍛えたその駆け引きに、私を引きずり込もうとしてるんだ。
言っちゃダメ。今更想いを打ち明けたところで何になるの?
結局もう一度しっかりフラれて、惨めになるだけじゃない。
分かってる。分かってるのに。
ソファから立ち上がり、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこにいたサトシはいつも通りのサトシで、痛いくらいまっすぐな瞳で私を見ている。
やっぱりだめだ。サトシも顔を見た途端、抑え込んでいた感情が堰を切ったように溢れだす。
もう隠せそうにない。
言わずにはいられなかった。
10年以上も隠し続けてきた、この大きすぎる感情を。

「好きだよ」

 


act.6

 


「好きだよ」

それは分かり切っていたはずの答えだった。
それでも、こうして面と向かって目を見ながら打ち明けられたその言葉には想像以上の破壊力がある。
今にも泣き出しそうな濡れた瞳でそんなことを言われて、なびかない男なんてこの世にいるんだろうか。

「サマーキャンプで出会ったときから、ずっとずっと好きだった」
「サマーキャンプ?」

セレナの口から飛び出したその単語に、俺は目を見開いた。
彼女が俺と出会った日から好きでいてくれたことは知っていた。
でも、俺の中で“出会った日”というのは、カロス地方を旅し始めたばかり頃、一つ目のジムに負けてポケモンセンターに駆け込んだあの日のことだった。
まさか、それより前のサマーキャンプの日から想っていてくれたなんて、予想外でしかない。
そんな昔から、彼女は俺のことを・・・。
顔に熱がこもっていくのが分かる。
それを隠すように口元を抑えて視線を外すと、セレナは小さくため息をついて再び俺に背を向け、ソファに腰かけた。
再び沈黙が訪れたら、また気まずくなってしまう。
ソファに腰かけているセレナの小さな背に、俺は慌てて声をかけた。

「ごめん、知らなかった。そんなに前から想ってくれてたんだな」
「いいの。言わなかった私が悪いんだし」

自嘲気味に笑うセレナ。
彼女の声が震えていることは明らかだった。
きっと泣くのをこらえているのだろう。

「私ね、酷いんだ。サトシに彼女が出来たって聞いて、ものすごく嫉妬しちゃったの。私の方が昔からサトシのことを知ってるのに、とか。ミナミさんと一緒にいないでほしい、とか。そういうことばっかり考えちゃう。私、嫌なひとなの」
「セレナ・・・」

彼女がそんなことを考えていたなんて、全く知らなかった。
セレナはいつだって笑顔で、明るくて、他人に対する劣等感とか嫉妬とか、そういうものとは無縁だと思っていたから。
よく考えれば、俺はセレナのことを知ってるようで何も知らなかったのかもしれない。
なにせ彼女が10年も抱えてきた大きな感情を察することすらできなかったのだから。

「シゲルが・・・俺の幼馴染が言ってたんだ。どちらかが特別な感情を抱いた時点で、二人は友達じゃいられなくなるって」
「・・・・・」
「もう、前みたいには戻れないのか」
「・・・・・そうね。無理よ、きっと」

バッサリと切り捨てたセレナの言葉に、俺の心臓まで引き裂かれそうになる。
誰かに拒絶されるのって、こんなに辛いものなんだな。
セレナの言動に一喜一憂している自分の心を、俺はもうとっくに気付いていた。
目の前でソファから立ち上がった彼女は、横に置いた鞄を持ち上げ、再び立ち上がる。
どうやらステージでは、トライポカロン優勝者のインタビューが終わったらしい。
すぐに俺たちが登壇する予定の閉会式が始まる。

「私ね、このカロスフェスが終わったら、カロスに帰るつもりなの。しばらくは地元で活動するつもり。だから・・・サトシと会えるのも、多分これで最後」
「え、最後って…」
「もうサトシのことは忘れるから。だから、元気でね」

彼女が最後に浮かべたのは、精いっぱいの笑顔だった。
無理矢理口角を上げたその笑顔が、彼女の心からの笑みじゃないことくらい俺にもわかる。
彼女の笑顔はもっと綺麗で、見ているこっちまで明るくなれるような、そういうものだ。
彼女にこんな顔をさせているのは、他の誰でもない俺自身。
ならば、そんな顔をさせたまま行かせるわけにはいかない。
俺の横を通ってVIPルームから出ようとするセレナ。
そんな彼女の腕を、俺はとっさに握って引き留めていた。

「勝手に決めるなよ」
「え・・・」
「俺は、セレナと距離を置くつもりなんて一切ない」
「な、なに言って・・・」
「失礼しまーす!セレナさんそろそろスタンバイの方を・・・」

ノックもせずにVIPルームへと入ってきたのは、ポケモン協会のスタッフだった。
今大会用に作成されたオリジナルTシャツを身に纏っているそのスタッフは、VIPルームの真ん中で腕をとっているカントーチャンピオンとカロスクイーンの姿を見て、一瞬だけ焦ったような表情を浮かべる。

「す、すんません。お邪魔でしたか・・・?」
「い、いいの大丈夫!すぐ行きますから!!」
「は、はぁ・・・」

気まずそうな顔のまま、スタッフはそっとVIPルームの扉を閉めて去っていった。
どうやらもう静かに話していられる時間はないらしい。
カロスフェスが終われば、セレナはすぐにカロスへと旅立ってしまうと言うし、もう言葉を尽くして彼女の心を解きほぐしている暇はない。
かといって、愛だの恋だのよく分からないまま大人になってしまった俺には、そっぽを向いている好きな人を一瞬で振り向かせられるキラーワードみたいなものを知っているわけもない。
だから、ひとつ勝負に出ることにしてみた。

「セレナ、ひとつ賭けをしないか?」
「賭け?」
「この後、閉会式で俺とセレナのバトルがあるだろ?そのバトルでセレナが勝ったら、予定通り俺たちはもう会わない。赤の他人になる」
「・・・サトシが勝ったら?」

恐る恐る聞いてくるセレナ。
彼女の細い腕を握る力をほんの少し強め、俺は意を決して口を開いた。

「1週間後の20時。カロスのミアレシティ、プリズムホテルの屋上に来てくれ。そこで俺の気持ちを伝える」
「き、気持ちって・・・」
「今は時間もないし、ここじゃ誰が入って来るか分からないからさ。ゆっくり二人きりで話せる時間を作ってほしいんだ。もう一回俺にチャンスをくれ。友達としてじゃなく、一人の男として」

もしかしたら、もっと手っ取り早くてムードのある気持ちの伝え方があったかもしれない。
でも、俺はこういうやり方しか知らない。
子供のころから勝負の世界で生きてきた俺には、やっぱり欲しいものは勝負で勝ち取るのが性に合ってる。
きょとんとした表情のまま固まるセレナの腕から手を放し、俺はゆっくりとVIPルームの扉の前へと歩み寄る。
そして扉を開け、去り際に再びセレナの方へと視線を向けた。

「逃げんなよ」
「ちょっ、まっ・・・」

扉越しにセレナの俺を制止する声が聞こえる。
けれど、ここはあえて無視をした。
せっかく固めた決意を余計な会話で乱したくなかったんだ。
すたすたと早歩きで歩を進め、非常階段の踊り場までやってきた辺りで、俺は足を止めた。
壁に背中を預けると、全身の力が一気に抜けていく。
やがて崩れ落ちるようにその場に座り込むと、今になって心臓がバクバクと自己主張を始めていた。

「緊張した・・・っ」

好きな人とふたりで話すのって、こんなに緊張する者ものなのか。
セレナは俺に片想いしていた頃、毎日こんな感覚を抱きながら一緒に旅をしてたのか。
メンタル鋼タイプなのか?俺なんて10分話しただけでこれなのに。

頭を乱暴にかき乱しながら、さっきの会話を思い出す。
思い返せば、核心を突くような言葉は何一つ言ってなかった。
特にミナミと別れたことはまず一番に言った方が良かったんじゃないのか?
あれじゃ二股しようとしてると勘違いされてもおかしくないよな?
まずい。伝える順番を間違えたうえ焦って向こうの意見も聞かず出てきちまったせいで印象最悪なんじゃないか?
そもそも、バトルして勝ったら時間作れとかちょっと強引過ぎたか?

今になって襲ってくる後悔の嵐に、俺は一人で悶えていた。
仕方ないだろ。こんなの初めてなんだから、どう攻めていいか分かるはずもない。
もう一回戻って一から伝えるか?いやもうそんな時間は・・・。

「ピカピ?」

脚の当たりをつんつんとつつかれ、視線を落とす。
そこにいたのは他でもない、相棒のピカチュウだった。
どうやら楽屋を抜け出したきり戻ってくる気配がない俺を心配して探しに来てくれたらしい。

ピカチュウ・・・」

10年来の相棒の顔を見て、俺はほんの少し冷静さを取り戻すことが出来た。
そうだ、あたふたしてても仕方がない。
勝負を吹っ掛けた以上、勝たなくちゃ。
深く考えるのはそれからだ。
俺は小さなピカチュウの体を両手で抱き上ると、そのまん丸な黒い瞳を見つめる。

ピカチュウ、ここ10年で一番負けられないバトルになるかもしれないぞ」
「ピカ?」
「気合を入れろピカチュウ。このバトル、意地でも勝つぞ!」
「ピカッチュウ!」

俺の気合に応えるよに、ピカチュウは元気よく短い腕をあげて返事をくれた。
まだピカチュウは気付いてすらいないだろう。
このバトルが、俺の人生をも左右する重要なものになるなんて。


********************


「さて、トライポカロンも大盛り上がりのうちに終幕し、長かったカロスフェスも、いよいよお別れの時間が近づいて参りました。カロスフェスのラストを締めくくるのは、カロスクイーンのセレナさんと、我らがカントーチャンピオンのサトシさんによる、ポケモンバトルになります!!」

司会者の言葉に、観客は色めき立ち歓声を上げる。
盛大な盛り上がりを見せる観客たちを舞台袖から見ていた私の心臓も、まるで声援とリンクするかのように次第に大きくなっていく。
それもこれも全部サトシのせいだ。
バトルに勝ったら気持ちを伝える、なんて言うから。
賭けなんて言ってたけど、そもそも私がカントーチャンピオンのサトシに勝てるわけないのに。
負けるはずのない賭けを挑んで私をからかってるのかな。
でもサトシはそんなことするような人じゃないし。

そもそも気持ちって何?
あの言い方じゃ、まるでサトシも私のことが好きみたいな感じだったけど・・・。
違う。絶対そんなんじゃない。
だってあのサトシだし。ヤドンより鈍感なサトシだし。
サトシも同じ気持ちでいてくれるなんてありえない。
なら、わざわざ時間を作ってまで伝えたい気持ちって一体・・・。

「セレナさん、こちらをどうぞ」
「へっ?」

外界からの情報をシャットダウンし、深く考え事をしていた私に、大会運営側のスタッフから声がかかる。
彼女が私に差し出してきた掌の中には、小さなワイヤレスイヤホンがあった。

「これは・・・?」
「ポケホンマイクというもので、トレーナーの声をこのホールに拡散できる機械なんです。たしか、カロスのジムリーダーの方が開発されたとか。えっと名前は・・・」
「もしかしてシトロン!?」
「あっ、はいそうです!シトロンさんって方です。そのポケホンマイク、カントーでは公式戦に欠かせないアイテムになってるんですよ」

渡されたピンク色のポケホンマイクをよく見て見ると、シトロンが開発した証であるイナズママークが描かれている。
確かにこれはシトロンが発明したもので間違いないらしい。
こんな遠いカントーの地でシトロンの発明品に出会えるなんて、シトロンも名前が売れたものね。
たしかにサトシが参加したカロスリーグを見に行った時、フィールドで戦っているサトシ達トレーナーの声が全く聞こえなかったことに不便さを感じた記憶がある。
きっとその経験をもとに作ったのだろう。
これがあれば、ポケモンバトルがもっと楽しめるようになるのかもしれない。

「ちなみにこのボタンを押すと、ホールに音声が拡散されず、対戦相手とだけ話すことが出来るんですよ」
「えっ、つまり通話機能ってこと?」
「はい!便利ですよねー!」

ポケホンマイクの右耳側に用意されている小さなボタンを指さし、スタッフの女性が嬉々としてプレゼンしてくる。
このボタンを押せば対戦相手と、今回で言えばサトシと通話が出来てしまうらしい。
うわ。絶対押さないでおこう。
そんなことを思いながら、私は両耳にポケホンマイクを装着した。

「さぁお待たせいたしました!チャンピオンのサトシさんとカロスクイーンのセレナさんの登場です!」

盛大な拍手の中、私は下手側の舞台袖からステージへ上がる。
反対側の舞台袖から上がってきたサトシと同じペースでステージ中央に歩み寄り、司会者を挟んで並び立った。
先ほどとは違い、ピカチュウを肩に乗せたピカチュウは明らかに臨戦態勢をとっている。
本気で戦うつもりなのかしら。

カントーチャンピオンとカロスクイーンの一戦、恐らく歴史に名を遺すバトルとなると思われますが、サトシさん、自信のほどは?」
「自信というより、勝たなきゃなって思ってます。ここ10年で一番気合入ってます」

やる気満々なサトシの返答に、会場は大いに沸きあがる。
なんでよ。ここ10年で一番って、絶対もっと重要なバトルあったでしょ?
なんで今日に限ってそんなに本気なの?
そこまでして私に伝えたい気持ちって何!?
やっぱりサトシも私のこと・・・。
いやいやいやありえない。だってあのサトシだし。

「流石チャンピオン!エキシビジョンマッチとはいえ手は抜かないということですね!そんなサトシさんに挑むセレナさん、今のお気持ちを聞かせてください」
「へっ?あ、えっと・・・その・・・」

突然マイクを振られ、私の頭は真っ白になってしまう。
しまった、何も考えてなかった。
焦る私の視界に、期待に満ちた観客たちの視線が一転に集中する。

「と、とにかく頑張ります」

当たり障りのない私の言葉にすら、観客は盛り上がってくれる。
チャンピオンとクイーンのバトルが目の前で見られるという状況が観客のボルテージを上げているのだろう。
審判の役割も担う司会者に促され、私たちはステージの特設されたバトルフィールドの端に立つ。
こうしてサトシとバトルするのは10年ぶりだ。
最後にしたのは確か、カロスを旅していた頃。
私がホウエンへ旅に出ると決めたあの日のことだった。

「それではこれより、カントーチャンピオンのサトシと、カロスクイーンのセレナによる、エキシビジョンマッチを始めます。使用ポケモンは一体。どちらかのポケモンが戦闘不能になった時点でバトルは終了となります」

審判へと立場を変えた司会者が慣れた様子で試合前の説明を始める。
その説明を横耳で聞いてた私だったけれど、突如耳にはめたポケホンマイクから電子音が鳴り、思わずボタンを押してしまった。

『さっきの賭けの話、忘れてないよな?』

聞こえてきたのは、サトシの声だった。
だが、ホールに彼の声は響いていない。
どうやら先ほどスタッフから説明された、対戦相手との通話機能を使って話しかけてきているようだった。
バトルフィールドの反対側にいるサトシへと視線を向けてみるけれど、ステージを照らす証明が明るすぎて彼の表情が良く見えない。

「賭けって・・・私まだ乗るなんて一言も言ってないし。それに伝えたい気持ちって何なの?ここで言えないようなこと?」

わざわざ時間を取らずに、どうせならこのポケホンマイクで今言ってしまえばいい。
それがだめなら後日スマホロトムで電話化やメールで伝えてもいいはず。
わざわざ勝負をしかけて勝ったら時間をとってくれなんて回りくどい依頼しなくても済む話なのに。

『少しは察せられると思ったんだけど、セレナって意外に鈍感なのな』
「なっ・・・」

小さく笑うサトシ。
なんだか少しだけ馬鹿にされているような気がして、思わず怒りがこみあげてくる。
鈍感だなんて、サトシにだけは言われたくない。
10年間私の気持ちにまったく気付かず“友達だ”なんて言い放っていたサトシだけには。

「鈍感はどっちよ!サトシの方こそ・・・!」
「それでは両者、ポケモンを!」
ピカチュウ、君に決めた!」

ポケホンマイクを通じてサトシに抗議しようとした私の言葉は、審判の声によって遮られる。
サトシの指示によって、肩に乗っていた黄色い相棒は元気よくバトルフィールドへと駆けだしていく。
愛らしい顔とは裏腹に、真っ赤な頬袋からは微量の電気が放出されている。
どうやらトレーナーだけでなくピカチュウの方もやる気満々らしい。
どうしてそこまで気合が入っているのか理解できないまま、私は戸惑いつつも腰のベルトに装着したモンスターボールへと手を伸ばした。

「お、お願いテールナー!」

ボールからテールナーが飛び出した瞬間、観客は両者のポケモンがフィールドに出そろったことにより一層沸き立つ。
ピカチュウテールナー
確か10年前のあのバトルでも、この二匹が選出された。
あの時はきちんと決着がつかなかったけれど、きっと今日はどちらかが負け、どちらかが勝ってしまう。
サトシが勝てば私は彼の気持ちとやらを聞かなくてはならない。
でも私が勝ったら、私とサトシはもう・・・。

「それではバトル開始!」
ピカチュウでんこうせっか!」

会場となったホールに、サトシの指示が響き渡る。
審判が試合開始の合図を出した瞬間、常人とは思えない素早さで指示を出し、これまたありえない反射能力で飛び出したピカチュウでんこうせっかテールナーに直撃。
後方へ吹き飛ばされたテールナーの悲痛な鳴き声で、私はようやく我に返った。

テールナー!大丈夫?」
『どうしたセレナ。もうバトルは始まってるんだぜ?』

ポケホンマイクから聞こえてきたまるで煽るようなサトシの言葉に、私の中に眠る熱が温度を上昇させていく。
彼が何を思っているのか、未だに全く見当がつかない。
けれど、ステージ立った以上、どんな勝負であれ負けるわけにはいかない。
たとえ相手がサトシであっても。

テールナーかえんほうしゃ!」
でんこうせっかでかわせ!」

尻尾に突き刺した枝から繰り出されるかえんほうしゃを、ピカチュウは驚くべき速さでかわしていく。
10年前からあのピカチュウが最も優れいる点は、誰にも負けないスピードであった。
加えてでんこうせっかで加速をつけた今の状態では、どんな技も当たるわけがない。

10まんボルトだ!」
かえんほうしゃで防いで!」

空中へ飛び上がったピカチュウは、地上のテールナーめがけて電撃を撃ち放つ。
咄嗟にかえんほうしゃを指示したが、一足遅かった。
文字通り電光石火のごとき攻め手で、ピカチュウテールナーが炎を撃つ前に電撃を浴びせてしまったのだ。

テールナー!」
「たたみかけろ!アイアンテール!」
「ステップで避けて!」

ピカチュウの鋼の尻尾が、テールナーへと襲い掛かる。
ホウエンを旅していた頃、トライポカロンにはなかったコンテストバトル対策で取り入れたバトル用のステップで、テールナーは何とかピカチュウの連続したアイアンテールをかわし続けている。
だが、でんこうせっか10まんボルトをまともに喰らったテールナーの体力はおそらくあとわずか。
そう長く時間をかけてはいられなかった。

『悪いなセレナ。今回のバトル、絶対に負けられないんだ。勝たせてもらう』

再びポケホンマイクからサトシの声が聞こえてくる。
先ほどの茶化すような声ではなく、今度は真剣そのものだ。
なんだか、余計に分からなくなった。
サトシは私と距離を置くつもりはないって言うけれど、どちらにしても私はサトシと友達に戻るつもりなんてない。
友達に戻ったところで、結局また好きになってしまう。
苦しい思いをするくらいなら他人でいたいのに、サトシは賭けまでしてそれを阻止しようとする。
どうして?なんでそんなことするの?
希望はないってわかっているのに、変に期待しちゃうじゃない。

「この賭けに意味なんてないでしょ?サトシが何を伝えたいのか知らないけど、私はサトシと友達に戻るつもりなんてないんだよ」
『それでいい。俺だって友達に戻ってくれなんて言うつもりない』
「じゃあ何?付き合おうとでも言うつもり?からかうのもいい加減に」
『そうだと言ったら?』

息を呑む音がした。
サトシの言葉を聞いた瞬間、この世のすべてがスローモーションになったような、そんな不思議な感覚に見舞われる。
聞き間違い?幻聴?それともサトシが言い間違えただけ?
激しい技の応酬を繰り広げるピカチュウテールナーの向こう側に立っているサトシの表情は見えない。
どうしよう。なんて言って答えればいいか分からない。
言葉を失っているうちに、バトルフィールド中央で戦っていたテールナーはとうとうピカチュウの連続アイアンテールを防ぎきれず、強烈な一撃に後方へと吹き飛ばされた。

「て、テールナー!」
「もらった!ピカチュウ、とどめの10まんボルト!」

一瞬の隙をサトシは見逃さなかった。
膝をついたテールナーにとどめを刺すべく、電撃を向けるピカチュウ
渾身の10まんボルトを受ければ間違いなくテールナーは戦闘不能に陥ってしまう。
全く手を抜く様子のないサトシのバトルスタイルは、余計に私を混乱させる。

サトシは私に告白するつもりなの?
そんなのあり得るはずない。
だってサトシの中で私は永遠に友達で、それ以上の関係になれるわけなんてないんだから。
それにサトシにはミナミさんという立派な彼女がいる。
最初から相手がいるというのに、どうして今更私を惑わせるようなことう言うの?
もうサトシのことで一喜一憂しないって決めたのに。

テールナー、地面にかえんほうしゃ!」

サトシへの戸惑いは怒りへと変わり、怒りのエネルギーはひらめきを呼ぶ。
私の咄嗟の指示にテールナーは機敏に動き、地面に灼熱のかえんほうしゃを撃ち出した。
火炎の勢いで、体重の軽いテールナーは飛び上がり、ピカチュウの10万ボルトを何とかかわすことが出来たのだ。

テールナーが飛んだ!?」
「今よテールナー、おにび!」

宙を舞うテールナーは、地上で面食らっているピカチュウへ向けておにびを放つ。
妖艶な青白い炎はピカチュウを捕らえ、その小さな体にやけどを負わせた。
やけどを負ったポケモンは物理攻撃の威力が弱まる。
さらに言えば、スピード命のピカチュウにとってこのやけどは走るたびに痛みを伴うため有効に働くはず。
自慢のスピードを封印できればまだ勝機はある。

「追い込むのよテールナーかえんほうしゃ!」
ピカチュウかわせ!!」

テールナーの枝から繰り出される灼熱の炎が、ピカチュウめがけて押し寄せてくる。
サトシの指示に従い必死で駆け出し逃げるピカチュウだったが、体に追ったやけどの痛みがその足を鈍くした。
炎に追いつかれたピカチュウは、甲高い鳴き声を上げながらバトルフィールド後方へと飛ばされる。
ようやくピカチュウに決定的なダメージを与えることが出来た。
初めて訪れた私の反撃の機会に、会場を埋め尽くすほどの観客たちは声援を送ってくれる。
体から白煙を上げながら息を切らすピカチュウは、やけどのダメージもあるせいかかなり体力を削られた様子。
けれど、先ほどまで押されていたテールナーもまた、蓄積されたダメージに苦しみ肩で息をしている。
両者ともに、これ以上長くは戦えそうもなかった。

『やるなセレナ。やけどでピカチュウのスピードを封じるなんて。もう小手先の戦い方じゃ通用しないってことか』

ポケホンマイクから流れてくるサトシの声色は、心なしか先ほどよりも高揚しているように聞こえた。
彼は誰が相手であろうとバトルを楽しむことを忘れない。
きっとこのバトルも、彼にとっては心底楽しいものなのだろう。
けれど私は、サトシほど楽しめそうもない。

「サトシ。私、貴方がこのバトルに勝って私に何を伝えようと、承諾するつもりないから」
『・・・どうして』
「彼女がいる人の気持ちなんて受け取れないよ」

誰かにとっての都合のいい存在になんてなりたくなかった。
相手がサトシならなおのこと。
それに、私はサトシを浮気者にしたくない。
だから、サトシが伝えようとしている言葉がどんな形、どんな色をしていようと、私に受け入れる権利なんてないんだ。
少しの沈黙ののち、ポケホンマイクから再びサトシのささやきが聞こえてきた。

『ミナミとは、別れたよ』
「えっ」

サトシの声は、ステージに降り注ぐ歓声に負けてしまいそうなほど小さく、弱弱しいものだった。
別れた?いったいどうして・・・。
その追及を始める前に、サトシは間髪入れずにピカチュウへと最後の指示を飛ばす。

ピカチュウ!渾身の力で10まんボルト!」
「っ!テールナーだいもんじで防ぐのよ!」

命一杯息を吸ったピカチュウは、体の奥深くに眠る底知れぬ力を解放するかのように鋭い電撃を放つ。
先ほどまでの10まんボルトとは比べ物にならないほどの威力で迫ってくる電撃に一瞬だけ慄いてしまった私は、一拍遅れてテールナーだいもんじの指示を出す。
電撃が到達する直前、テールナーだいもんじを繰り出し10まんボルトを真っ向から防ぐ。
ぶつかり合う炎と電撃。
渾身の力で体内の電気を放出するピカチュウに、テールナーは防戦一方だった。
衝突する2つの力に、観客たちは声を挙げることすら忘れて見入っている。

『俺、ようやく気付けたんだ。今俺に一番必要なのは、夢を支えてくれる人じゃない。一緒に夢を見られる人なんだって!』
「一緒に夢を見られる・・・?」

バチバチと音を立ててぶつかり合う炎と電気の向こう側で、サトシが再び私だけに語り掛けてくる。
その声はひっ迫していて、余裕のないものだった。

『セレナとなら一緒に夢を追いかけられる!セレナとなら俺は俺らしくいられるんだ!』
「サトシ・・・」
『セレナとなら・・・いや、セレナじゃなきゃダメなんだ!だから俺は、絶対に負けられない!』

ポケホンマイクの個別通話機能をOFFに切り替え、サトシは大声で“ピカチュウ!”と相棒の名前を叫ぶ、
ホール中に響き渡ったその声はピカチュウを鼓舞する。
まるで心がシンクロするかのように、サトシの力強い決意がピカチュウの力となり、10まんボルトの勢いは一層増してゆく。
目の前でテールナーだいもんじが押されていく中、私はサトシのようにテールナーに声援を送れなかった。
それはきっと、このバトルに勝ちたいという気持ちが最初から薄かったからなのだろう。
やがてテールナーだいもんじで作られた結界は破られ、電撃はテールナーを直撃した。
爆音とともに煙が舞い上がり、会場はしんとした静寂に包まれる。
やがて舞い上がった煙が晴れ、このバトルに終焉の時が訪れた。

テールナー戦闘不能ピカチュウの勝ち。よって勝者、チャンピオンのサトシ!」

ぼやける視界は、煙が目に入ったからなんかじゃない。
ポケホンマイクを通して叫ばれたサトシの言葉が、心の奥底にはりついて剥がれないからだ。
どうして悲しくもないのに涙が出るんだろう。
負けたから?違う。
溢れ出る色とりどりの感情を隠し切れないからだ。

 


act.7

 


午後21時。
数日かけて行われたカロスフェスは、トライポカロンカントー大会の閉会式を最後に幕を閉じた。
お客さんが帰った後のホールは実に寂しいもので、清掃スタッフが飛び散った紙吹雪やごみを回収している様子を照明が落ちたステージから見下ろしていた私は、目を閉じて数時間前の熱狂を思い出してみる。
このステージで、久しぶりにパフォーマンスできた。
お客さんたちの前で自分のパフォーマンスを披露するのはやっぱり楽しい。
私、やっぱりパフォーマンスが好きだ。
トライポカロンをカロスやカントーだけじゃなく、全世界に広めていきたい。
そしていつか、世界中のみんなが私のパフォーマンスを見て笑顔になれたらどんなに幸せなことだろう。

「セレナさん」

ステージの真ん中で目を閉じ、感傷に浸っていた私の耳にとある声が聞こえてくる。
すぐさま目を開けてみると、イベントスタッフたちがせわしなく後片付けをしている舞台袖の方から中年の男性が歩み寄ってきていた。
彼はポケモン協会カントー支部のお偉いさんで、このカロスフェスを企画してくれた人でもある。
そんな彼の隣には、先ほどまでバトルフィールドで対峙していたサトシの姿もあった。

「いやぁ無事終わって良かったですな。会場のお客さんたちもみんな笑顔で帰っていきましたよ」
「そうですね。それもこれも、カロスフェスを提案してくださったポケモン協会の皆さんのお陰です」
「何を仰る。今回の成功はひとえにセレナさん、あなたの尽力あってこそ。特にサトシさんとのバトルは大いに盛り上がりましたからなぁ」

協会幹部の男性は、隣にたたずむサトシへと視線を向ける。
彼の肩にピカチュウの姿はなかった、
恐らく先ほどのバトルで消耗したため、私のテールナーと同じようにポケモンセンターに預けたのだろう。

「いいバトルをありがとな。おかげで楽しかった」

サトシは朗らかな笑みを浮かべ、そっと右手を差し出してきた。
ぎこちなく握り返した私の手を、サトシの手が包む。
10年前は手の大きさも同じだったはずなのに、今はいつの間にか身長も手の大きさも彼の方が上。
私の知らない間に、彼は大人になっていた。
大人になるにつれ、誰とでも仲良くできる無邪気さは失っていくものだけれど、彼は違う。
どんな時でも子供みたいに明るくて、私とは比べ物にならないくらい純粋で、誰よりもまっすぐなところは何も変わらない。
そんなサトシことが、好きだった。昔も、そして今も。

「セレナさん、これからカロスフェスの打ち上げがあるんですが、ご一緒にどうです?」
「あっ、すみません。私ちょっと用事が・・・」
「あぁ。そういえば明日にはカロスに戻るとヤシオさんがおっしゃっていましたな。荷造りですか?」
「そんなところです。では。今回は本当にありがとうございました。失礼します」

男性に一礼し、彼の横を通って会場を後にしようとした私。
そんな私を、背後から呼び止める声があった。
サトシである。

「セレナ」

反射的に立ち止まる。
振り返ったりはしなかった。
彼がこれから私に何を言おうとしてるのか、何となくわかっていたから。

「さっきの賭け、忘れてないよな?」
「・・・・・」
「待ってるからな」

返事も返さず、頷くこともせず、私は再び歩き出した。
遠ざかっていく背後から、男性とサトシの声で“賭けって何のことです?”“こっちの話です”という会話が聞こえる、
そんな会話を背に聞きながら、私はまるで逃げるかのように会場となったホールを後にした。

カロスフェスが開催されたこの中央公園は一般車両の進入が禁止されている。
トライポカロン協会が手配してくれたホテルまでの送迎の車と合流するには、ホールを出ていったん中央公園を横断し、大通りへと出なければならない。
日中はあんなにもお祭りムードだったというのに、時間が過ぎ去ってしまえばいつも通り静かな公園へと様変わりしてしまう。
夜の冷たい空気を肌で感じながら、私は歩みを勧めつつ考え事に耽っていた。
頭に浮かんでくるのは、先ほどのバトルで言われたサトシの言葉。

セレナしかいないんだ。

あの言葉をストレートに飲み込めば、1週間後にサトシが私に何を告げようとしているのか大体の察しはつく。
嬉しくないと言えば嘘になる。
だってもう10年以上片想いしていた相手なんだから。
嬉しいに決まってる、まるで夢のようだ。
でも、本当にそれでいいのかな?
サトシの言う通り、ミナミさんと既に別れていたとしても、ついこの前は一緒にいたわけだし、つまり別れたのはここ2.3日前のハズ。
サトシは思い立ったら即行動な人だから、別れてすぐに次の相手に飛び込む行動は頷ける。
でも、それってミナミさんにものすごく失礼なことなんじゃないだろうか。

2人がどういう経緯で別れたのかはよく知らない。
でも、さすがに別れて2、3日程度しか経っていない人とすぐに付き合うのは気が引ける。
本当にそんなことしていいの?
ミナミさんが傷つくんじゃない?
それにサトシはミナミさんとの交際を報道されたばかりだし、もし私とそういうことになったりしたら、すぐに女を乗り換える人だってイメージが付いちゃうんじゃ・・・。
様々な不安要素が頭に浮かんでは消えてゆく。
純粋な子供の頃なら、サトシからの好意に迷いなく飛び込んでいただろうけど、大人になった今は違う、
背負っている物も昔より大きいし、お互い肩書もある。
そう簡単に決められることじゃないんだ。

「はい。分かりました。では明後日に。・・・はい。それでは」

集中して考え事をしていたせいで、通りがかった近くのベンチに人がいるだなんて全く気が付かなかった。
ベンチの真横を通り、人の気配を感じて何となく視線を向けたその時、ベンチに座っている人の正体を見て私は思わず目を見開いてしまう。

「ミナミ、さん・・・」
「あれ、セレナさん?」

スマホロトム片手にこちらを見上げてくるミナミさんに、私は言葉を失ってしまう。
何故ここにいるんだろう。
もしかしてサトシに会いに?
そのスマホロトムで誰と連絡を取ってきたんだろう。
疑問だらけの私の顔を見て、ミナミさんは口元を緩ませる。

「誰と連絡取ってたか気になるの?」
「い、いや、別に・・・」
「サトシくんだよ」
「えっ!?」

ミナミさんの口から飛び出た名前に、私は思わず大きめの声を挙げてしまう。
見るからに狼狽えている私の様子に、ミナミさんは“ぷっ”と噴き出して愉快そうにケタケタ笑い始めた。

「あははっ!うそうそ!冗談よ」

どうやらからかわれたらしい。
むっとした表情でミナミさんを見つめてみるけれど、彼女はそんな私の小さな怒りなんてどこ吹く風で、ベンチの背もたれに背中を預けて夜空を見上げ始めた。

「サトシ君から聞いてない?私たち別れたの」
「はい・・・。ちらっと聞きました」
「フラれちゃったんだぁ、私」
「サトシの方から別れを切り出したんですか?」
「ううん。それは私の方から。でも、分かってたんだよね。最初からサトシ君、私のこと好きじゃなかったから」

ミナミさんの言葉に、私は首を傾げた。
最初から好きじゃなかったってどういうことだろう。
普通好きだから付き合うものなんじゃないの?
色々聞きたいことはあったけれど、ミナミさんは私が口を挟む前に次の語りを始めてしまう。

「ねぇ知ってた?サトシくんね、カロスフェスがカントーで開催されるって聞いてから、ずーっとセレナさんの話ばっかりしてたのよ?」
「え・・・」
「サトシくんってば、聞いてもいないのにペラペラ貴女のこと話すんだもん、おかげで会ったこともないのに貴女のこと詳しくなっちゃった。アサメタウン出身で、お母さんがプロのサイホーンレーサー。おしゃれが好きでお菓子作りが得意。気遣いが出来て優しくて、明るくて芯が強い、とっても可愛らしい女の子」
「・・・・・」
「これ、全部サトシ君から聞いたの。笑っちゃうでしょ?」

ミナミさんは笑っていた。
でもその笑顔は、本当の笑顔じゃない。
瞳一杯に涙をためて、泣き出してしまうのを懸命にこらえている。
知らなかった。サトシが私のことをそんな風に言ってくれてたなんて。
知らなかった。ミナミさんがサトシにそんなことを言われ続けていたなんて。
今、彼女にどんな言葉をかけるべきなのか、私にはわからなかった。

「こんな話毎日のように聞かされたらさ、気付いちゃうじゃん。サトシくんが本当に好きな人は、そのセレナさんって人なんだって。しかも、本物のレセナさんがカントーにやってきて、滞在してるホテルの部屋が隣同士になってちゃうとか、もう私に勝ち目なんてなかったんだよ」
「あの、ミナミさん、私・・・っ」
「やめて。何も言わないで」

謝ろうと思った。
彼女の心情を何も知らず、ただただ嫉妬してしまった自分が恥ずかしくて。
けれど、ミナミさんは掌を見せて私を制止する。

「何を言われても、きっと惨めになるだけだから」

呟かれたその声は震えていた。
彼女の気持ちは、私にもわかる。
大切な人が自分を見てくれていないと知ったその瞬間の虚しさは言葉に言い表せないほど辛いはず。
奪い取ってしまった側である私が何を言っても、嫌味にしか聞こえないだろう。
押し黙る私に、ミナミさんは一瞬だけ俯いて涙を拭くと、やはり無理矢理作った笑顔をこちらに向けてきた。

「私ね、明後日研修に行くの。ポケモンリーグ公認マッサージ師になるための研修」
「リーグ公認マッサージ師?」
「そう。とっとと夢叶えてサトシ君を見返そうと思って。だからさ・・・」

ベンチから立ち上がり、ミナミさんは私に背を向ける。
彼女を始めてみた時に比べて、その背は随分華奢に見えた。

「私に遠慮してるなら、やめてよね」
「・・・・・」
「彼がどれだけあなたのことを想ってるか、私にはよく分かる。本当にサトシ君のことを想うなら、私に遠慮して遠ざけるなんて馬鹿な真似しないでよね?あなただって、サトシ君のこと好きなんでしょ?」

ミナミさんは、私が思うよりもずっと敏感で、ずっと察しが良かった。
私がサトシのことを好きだってことも、ミナミさんのことを考えて迷っていたことも、全部お見通しだったんだ。
私に背を向けたままその場を去ろうとするミナミさんの背を見つめながら、私はとっさに彼女を呼び止める。

「ミナミさん!私、ミナミさんの夢、応援してますから!」

彼女は足を止めることも、振り返ることもしなかった。
ただ颯爽と去っていくその背中は、同じ女としてとてつもなくかっこよく見える、
きっとサトシは、ミナミさんだから付き合ったんだ。
あんな風に包容力のある彼女、きっとどこを探してもいない。
私ははなれるだろうか。サトシを包み込んであげられるような、そんな存在に。


********************


荷造りは意外と早く終わってしまった。
このホテルには数日しか滞在しなかったため、それほど荷物を広げていなかったのが幸いしたようだ。
来た時に持って来たものと同じトランクルームに荷物を詰め込み、部屋を出る。
ふと隣の部屋を見ると、まだサトシは帰ってきていないようで、部屋の前は随分と静かだった。
私は断ってしまったけど、サトシはきっとカロスフェスの打ち上げに言ったのだろう。
最後に挨拶くらいかわしておこうかとも思ったけれど、帰ってきていないのなら仕方がない。
トランクを引きずりながらエレベーターの前まで足を運ぶと、複数あるエレベーターのうちの1つがちょうど到着したところだった。
扉が開くと同時に乗り込もうとする私。
しかしどうやらそのエレベーターには先客がいたらしく、外に出ようとするその人と危うくぶつかりそうになってしまった。

「あっ、すいません」
「ごめんなさ・・・あっ!」

エレベーターから降りてきたのは、私よりもほんの少し年上の背が高い男性だった。
その男性には見覚えがなかったけれど、彼が背中に負ぶっている人のことはよく知っている。
男性の肩に頬を押し付けるようにしてスヤスヤ眠っているのは、紛れもなくサトシだった。

「サトシ!?」
「え?あぁもしかして、君がセレナ?カロスクイーンの」
「あ、はい。そうですけど・・・」
「サトシから話は聞いてるよ。僕はケンジ。サトシの・・・まぁマネージャーみたいなものかな。よろしく」

ケンジと名乗るその青年は非常に気さくで、人の良さそうな男の人だった。
よろしくと会釈しあう挨拶もほどほどに、私はとにかくケンジさんの背中に引っ付いているサトシが気になって仕方が無かった。
眠っているようだけど、どこか顔も赤いし、恐らくお酒を飲んで酔いつぶれたのだろう。
サトシとお酒を飲む機会にあまり恵まれなかった私にとって、サトシの酔っぱらった姿を見たのはこれが初めてだった。

「ごめん。ところでサトシの部屋どこかな?」
「あっ、こっちです!」

私はケンジさんを先導しながら来た廊下を戻っていく。
ついさっき荷物をまとめて出てきた自分の部屋の隣にたどり着き、ここですと指さして見せた。

「ありがとう。えっとカードキーは・・・。しまった。サトシの服のポッケの中だ」
「私取りましょうか?」
「ごめん頼むよ。多分ジャケットの内ポケットだと思う」

サトシを背負っているケンジは両手が塞がっているため、サトシの服の中に隠れているカードキーを探しあてるのはどう考えても無理だった。
ケンジさんに代わって、そっとサトシの肩からジャケットを脱がせ、内ポケットをまさぐってみる。
狙い通り、部屋のカードキーはそこに眠っていた。
すぐに部屋の扉のロックを解除すると、ケンジさんは私に小さくお礼を言い、サトシを背負ったまま部屋の中へと入っていった。
何となく心配になった私は、小さく“失礼しまーす”と口にしながら恐る恐るサトシの部屋に入る。
部屋の中はモンスターボールやらポケモンフーズの袋やらが散乱していて、とてもじゃないけれど綺麗とは言い難い。
まさに男の人の部屋!と言った感じ。
ケンジさんは真ん中に鎮座するベッドにサトシを横たわらせ、肩を回しながらふぅと一息ついた。

「まったく、お酒弱いくせにぐびぐび飲むから潰れるんだよ」

ベッドにおろされたサトシは、ムニャムニャと口を動かしながら枕を抱き締めている。
ネクタイは緩み、カフスボタンは外れ、シャツも半分ズボンから出てしまっている。
寝顔、10年前と変わってないな。
一緒に旅をしていたあの頃から、口を半開きにして体を左に傾ける癖は変わらない。
なんか、かわいい。
恐らくケンジさんが隣にいなければ口から出ていたであろう感想を、私はぐっと飲み込んだ。

「サトシ、打ち上げに参加してたんですよね?飲みすぎちゃったんですか?」
「みたいだね。いつもならこういう大きなイベントや仕事の後は疲れ切ってほとんど飲まないのに、今日はなんか機嫌よくてさ。お偉いさんに進められるがままにガンガン飲んでこのザマだよ。なんかいいことでもあったのかもね」

サトシの身に起きた“いいこと”が一体何なのか、私には見当がついていた。
そっか。そんなに嬉しかったんだ。
私に勝ったことが、想いを伝える機会を得られたことが。
頬がどんどん綻んでしまう。
ケンジに悟られないよう、ニヤつく顔と心を隠すのに必死だった。

「じゃあ、私そろそろ行かないと」
「そっか、カロスに帰るんだっけ。せっかくだしサトシ起こそうか?」
「いえ大丈夫です。その代わり、伝言頼めますか?」

首をかしげるケンジさんに、私はそっと耳打ちをした。
私から託された伝言の内容が腑に落ちないのか、首をかしげていたケンジさんだけど、伝えておくと約束してくれたから深く説明はしないでおく。
部屋を出るとき、眠っているサトシの方をちらっと見てみる。
やっぱり彼は深い眠りについたままで、枕を抱きながら幸せそうに夢の中を漂っている。
結局最後の挨拶は出来なかったな。
でもいっか。これが今生の別れではないんだし。
1週間後の夜20時。ミアレシティの夜景のもと、もう一度サトシと会えるんだから。


*******************


「なんで起こしてくれなかったんだよ!」

自分で発した大声が頭に響く。
起きた時からガンガンと痛む頭に自分自身でとどめを刺してしまったらしく、襲ってくる吐き気に思わず口をふさいだ。
そんな俺の背中を、ポケモンセンターから帰ってきたばかりのピカチュウが小さな手で優しく摩ってくれている。

「何度も起こしたよ。でも起きなかったのは君の方だろサトシ」
「だからって部屋にまで入れるなよ・・・。もっと片づけておけばよかった。しかも酔いつぶれた姿見られたとか最悪だろ・・・」

頭を抱えうなだれる俺を、ケンジは憐れむような眼で見降ろしてくる。
昨日のカロスフェスでの打ち上げは大いに盛り上がり、ポケモン協会やトライポカロン協会のお偉いさんたちが代わる代わる俺の隣にやってきては酒を進めて去っていった。
セレナとのことがあって浮かれ切っていた俺は進められるがままに酒を煽り、結果的に1時間もしないうちに記憶がすべて吹き飛んでいた。
いつの間にか自分の部屋のベッドに横たわっていた俺を起こしてくれたのは、ケンジの手によってポケモンセンターから帰ってきていたピカチュウ
激しい二日酔いに悩まされながらベッドから起きたとほぼ同時に、ケンジからもたらされた爆弾発言によって俺の目は一瞬で覚めることになった。

「そういえば酔いつぶれたサトシを運んでるとき、セレナに会ったよ。部屋の中まで案内してくれてすごく助かった。あとでお礼言っといて」

頭が真っ白になる、とはまさにこのことだった。
ネクタイも緩んでる、ジャケットも何故か着ていない、カフスは取れてる、髪の毛もグッシャグシャ。
こんな状態で酔いつぶれてる姿を見られたなんて。
ありえない。最悪だ。今なら羞恥心で死ねる。
このことが原因で1週間後来てくれなかったらどうすんだよ!

「そうそう。そのセレナから伝言を預かってたんだ」
「え、なに・・・?」

思い出したように手を叩くケンジ。
嫌な予感がする。
まさか、“酔いつぶれるなんてかっこ悪すぎて幻滅した。もう絶対会わないから”とか?
それとも、“お酒に飲まれるような人は嫌い。さようなら”とか?
二日酔いのせいだろうか。いつもより思考がネガティブになっているような気がする。
そんな俺をよそに、ケンジは視線を天井に向けながら思い出すそぶりをしてみせる。

「えっと確か・・・“ロマンチックなセリフ考えておいてね”だったかな。これどういう意味?僕にはさっぱり意味が分からなくて」

セレナが少しだけ頬を赤らめながらケンジにこの言葉を託した瞬間の光景が、俺には容易に想像できてしまう。
その言葉の裏側にある意味も、今の俺ならすぐわかる。
セレナは、俺が1週間後何を伝えようとしているのか理解したうえで、“ロマンチックな言葉を用意しておけ”と言っているんだ。
それはつまり、1週間後、指定した場所へ来てくれるという意思表示に他ならない。
体の奥底から、歓喜の感情が湧き上がってくる。

「ぃやったーーーーっ!!やったぜピカチュウ!最高だ!!」
「ピ、ピカピ?」
「サトシ・・・?」

ケンジが怪訝な目でこちらを見つめてくる中、俺は横に座っていたピカチュウを両手で抱き上げ上下左右に揺さぶった。
とにかく喜びを抑えられない。
ついさっきまで二日酔いに悩まされていたなんて嘘みたいに頭がすっきりしている。
もうなんだか、今すぐ高いところに行って大声で叫び散らかしたい気分だ。

「何をそんなに喜んでるわけ?」
「そりゃ喜ぶって!だってセレナが来てくれるんだぜ?」
「はぁ・・・よく分かんないけど、そんなサトシにもう1つ朗報があるよ」
「ん?朗報?」
「昨夜、君が酔いつぶれてる間にオーキド博士から連絡があったんだ。君に知らせたいことがあるって。朝起きたら連絡折り返してくれって」

すぐに自分のスマホロトムを確認してみると、確かにオーキド博士からの着信が昨日だけで5件も入っていた。
こんなに断続的に連絡をしてくるのだから、相当重要な要件なのだろう。
けれど、思い当たる節がない。
一体何の用だろう。
すぐに折り返そうとリダイヤルの操作をして、スマホロトムを耳に押し当てる。
するとその様子を見ていたケンジが、俺の肩に手を置き、微笑みながらこう言った。

「おめでとう、初代ポケモンマスター」
「えっ?」

一瞬、ケンジが何を言っているのか分からなかった。
ポケモンマスター?いったい何のことだ?
聞き返すよりも前に、オーキド博士の“もしもし?”という声が先に耳に届く。
この日、俺は2つの朗報を耳にすることになる。
1つはセレナからの伝言、
そしてもう一つは、オーキド博士から貰らされた、初代ポケモンマスターに任命された、という夢のような話であった。


********************


『次のニュースです。カントー地方のチャンピオンであるマサラタウンのサトシ氏が、ポケモン協会からの推薦により、初代ポケモンマスターの称号を授与されました。サトシ氏は幼い頃から各地方をめぐり、数々の公式大会で優秀な成績を収めたトレーナで、各地方の識者やジムリーダーとも深い交流があります。また、伝説、幻と称されるポケモンたちとも数多く交流し、人為的な天変地異やテロ行為等をポケモンたちと協力し防いだ過去もあり。こうした功績から、ポケモン協会はサトシ氏を初代ポケモンマスターとして任じ、以降、世界にたった一人のポケモンマスターとして、各地方のポケモンたちの保護活動、トレーナーの育成等に従事していくと発表されています。ではここで、サトシ氏の華々しい功績を詳しく――』

画面の向こうで原稿を読み続けるアナウンサーが、サトシの功績を紹介しようとしているところまで見た私は、そっとその動画を停止した。
世界で初めてのポケモンマスターの誕生。
このニュースは世界中で一斉に報道され、サトシの名前は全世界に広まった。
噂によると、今回ポケモン協会にサトシの名前を推薦したのはオーキド博士だったらしく、その推薦にプラターヌ博士などの各地方の博士たちがこぞって賛成したことで、今回の任命に至ったらしい。
幼い頃から各地方をめぐっていたサトシの行動力と人脈がようやく花開いたということだろう。

動画を再生していたスマホロトムを鞄にしまい、私はエレベーターの前に立って“上”ボタンを押した。
ミアレシティにあるこのプリズムホテルは、カロス地方を代表する高級ホテルで、私も仕事以外では泊った事が無い。
絢爛豪華なエレベーター扉が開き、中に入って最上階のボタンを押す。
扉はゆっくりと閉まり、セレナを乗せて上へ上へと運んでくれる。

左腕にはめた腕時計が差す時刻は19時57分。
1週間前に約束した時間の3分前を示していた。
このホテルの一番上に、サトシがいる。
扉の上に表示された回数表示がどんどん上へと上がっていくごとに、私の心臓も騒がしくなっていく。
そして、エレベーターはとうとう最上階に到達した。
ふかふかの絨毯が敷き詰められた廊下を進み、屋上へ続く非常階段へと向かう。
重たい扉を開けた先には、先ほどまでの豪華な廊下からは一変。
鉄骨で出来た簡素な階段が屋上に向かって伸びていた。
階段を上るたび、私のヒールの音があたりに響く。

1週間前から今日までの間、私は一度もサトシと連絡を取っていなかった。
仕事に忙殺されていて、連絡を取る暇が無かったのも確かだったけど、なにより怖かった。
サトシの気が変わっていたらどうしよう。
そんなことばかり考えながら、今日を迎えてしまった。
今でも、不安がないと言ったら嘘になる。
この階段を上った先で、本当にサトシが待ってくれているのだろうか。
私のそんな不安は、屋上についた瞬間風と共に吹き飛ばされてしまった。
遠くの方、正面に見えるプリズムタワーを眺めているあの背中は、間違いなく彼のものだった。
風に揺れる彼のジャケットを見ながら一歩近寄れば、彼の足元にいた黄色い相棒が私の存在に気付き、主人のズボン裾を引っ張る。
背後の私に気が付き、振り返ったサトシは、誰かと電話で話していたらしく、慌ただしく通話を切った。

ようやく向き合った私たちの間に、障害は何もない。
風の音がうるさい。
心臓の鼓動もうるさい。
ライトアップされたプリズムタワーを背にしてこちらを見つめているサトシの佇まいはいつも通りかっこよくて、視界に捉えるたび、胸が張り裂けそうになる。
カントーチャンピオンからポケモンマスターへと肩書を変えても、彼は変わらずそこにいる。
私が大好きなサトシのままで。

「セレナ」

私の名前を呼んで柔く微笑むサトシの瞳から、目が離せない。

この日、私は大切な友達を失った。
代わりに、とてもかけがえのない人を手に入れることになる。
プリズムタワーの夜景が揺れる中、私たちの想いは繋がった。

――セレナの事がすきなんだ
――私でよければ、喜んで

 

 

あとがき


いやいや長くない?と言われたら、すいません、としか言いようがない仕上がりになりました。
どうも私は物語を冗長にしてしまいがちで、簡潔な描写が苦手なようです。
読みにくいったらありゃしない。

さて、実は今作ですが、Twitterで事前に告知していた通り、以前執筆した「同棲サトセレシリーズ」の直前を描いたものになります。
もともと今回のシリーズと同棲シリーズは1本の長編だったのですが、あまりにも長すぎるので分割。
そしてどちらかというと需要がありそうな同棲編の方をシリーズ化して先に出した。という経緯があります。
同棲シリーズではR指定作品を2本ほど書いています。
そこで登場するサトシが手慣れている、というご指摘をコメントでいただいたのですが、あれは今作で描いたような過去があったからという土台の設定があったからなんです。
つまり、同棲シリーズに登場するサトシはそれなりに恋愛経験を積んでいる(といっても疑似的な交際ですが)わけです。
もしもイメージが崩れた!という方がいらっしゃったら申し訳ないです。

今回書きたかったシーンとしては以下の通り。
■彼女がいるサトシ
■アイドルみたいなことやらされて悩むセレナ
■サトシのセレナのバトル

サトシの好きなタイプって具体的にどんな子だろうと私なりに真剣に考えた結果、『夢を持って諦めず追い続けている子』という答えにぶつかりました。
というのも、アニポケXYを観て思ったのですが、まだ目指すべき夢が見つかっていない時のセレナと、パフォーマーになると決めた後のセレナに対するサトシの接し方に軽い温度差があるように思えたのです。
まだ目標を定めていない頃のセレナに対しては、優しくしてるのはもちろんなんですがどちらかというとドライというか。言い方を考えずに言うとあまりセレナへの興味が無いように思えます。
対して目標を見つけた後、もっと言えば断髪した後のセレナに対してのサトシは、夢に向かって突き進むセレナをサポートしたり、積極的に背中を押したりと、自ら彼女に関わっていく描写が増えているように思えるんです。
自身のジム戦ではなくセレナのトライポカロンを優先したり、シトロンやユリーカと一緒に夜遅くまでポフレづくりに付き合ったり、最後のデート回ではセレナの服の好みを理解していたり、『いつだって応援している』という発言があったりと、断髪前よりはセレナとの距離も近くなっています。
これってつまり、セレナがきちんと夢を見つけてそれを実現しようと頑張っているから、サトシも無意識にサポートする手に力が入ったのでは?と思い、こういう作品が出来上がったわけです。

サトシの彼女ポジションとして登場させたモブ、ミナミちゃんは、そういう意味ではセレナと真逆なタイプです。
夢も目標もあるけれど、もっと大切なものが他にあるし、その大切なもののためなら夢も目標も簡単に捨てられるタイプ。
ある意味家庭に入ったらいいお母さんになりそうな気もしますが、私が勝手に妄想したサトシの好みのタイプではないため、最終的にはお別れという形をとらせていただきました。

今回のテーマは『友達』
どちらかが友達だと思っていても、もう片方が恋愛感情を持ってしまった時点で、二人の関係はもろくも崩れ去ってしまうもの。
胸に隠した桃色の感情が露になった瞬間、もう元の関係には戻れない。
じゃあいっそ友達なんてやめちまおうか。そのほうが傷つかなくて済むもんね。
でも、ほんとにそれでいいの?

要するに10万字くらい使ってこれが言いたかっただけです。
やっぱり長いね。うん。

ちなみにですが、今作は自分の中でテーマソングというかイメージソングみたいなものを設定して作ってみました。
乃木坂46さんの『今、話したい誰かがいる』です。
ご存じない方はぜひ聴いてみてください。いい曲なので。


おまけ


「よく考えたら、わざわざあんな賭けする必要なかったわよね」

ぽつりとつぶやいた私の言葉に、隣のサトシが息を呑むのが分かった。
悪戯をした子供が、母親に図星を突かれたときのように固まるサトシ。
そんな彼に遠慮することなく、私は言葉を続ける。

「トライポカロンの閉会式が始まる直前、私の控室来てくれたでしょ?あの時素直に気持ちを教えてくれればよかったのに。なんか回りくどくない?」

隣に立っているサトシを見上げると、彼はどんどん降下するエレベーターの回数表示を見つめたまま視線を動かそうとしない。
その表情は気まずそうに笑っていた。
バトルで勝ったら時間をくれなどという、勝敗が分かり切った賭けを強引に押し付けられ、案の定負けた私はこうして1週間後にサトシから交際を申し込まれてOKしたわけだけど、すべてが終わった後に振り返ってみればどうも納得がいかない。
焦らさずあの時とっとと告白してくれていれば、あんなに不安に陥ることもなかったし、何より手っ取り早かったはず。
何故こんなにも回りくどいやり方で思いを告げられたのだろうか。

「サトシさーん?」

数秒待ってみたけれど、サトシからの返事はなかった。
このエレベーターには私とサトシの2人きりしかいない。
強いて言えばピカチュウもいるけれど、どう考えたって聞こえていないわけもない。
顔を覗き込んでみれば、彼はやっぱり気まずそうに眉を潜めながらようやく口を開いた。

「よく考えてみてくれよセレナ。俺があの時好きだとか付き合ってくれだとか言ったとして、受け入れたと思うか?」
「えっ」

逆に聞き返されてしまい、私は言葉に詰まった。
確かあの時は、サトシがミナミさんと別れたことを知らなかったし、そもそも鈍感で疎いサトシが私を好きになるなんてありえないと思っていたから、確かにあの時ストレートに告白されていたとしてもすぐには信じられなかったかもしれない。
何も言わず考え込んでいる私に安心したのか、サトシはほんの少し余裕を取り戻したようで、得意げに“ほらな”と胸を張る。

「時間もなかったし、あぁするのがベストだったんだよ。告白の言葉がすぐに見つからなかったとか、緊張して上手いこと言えなかったとか、そういうんじゃないからな、絶対」

あぁ、本音はそこか。
何故か腕を組み、堂々としているサトシがなんだかおかしくて、私は小さく笑ってしまった。
やがてエレベーターは私たちを1階のメインフロアへと運び、扉が開かれる。
テルマンたちや宿泊客らが行き交うロビーを並んで歩く私たち。
先日ポケモンマスターに任じられたばかりのサトシは、変装用の眼鏡を素早くかけていた。

「じゃあ、今日は来てくれてありがとな」
「うん。こちらこそありがとう」
「後で連絡するから。マンションのこととか、ちゃんと決めなきゃだしな」

想いを告げられたと同時に、サトシからは一緒に住もうと提案された。
交際してすぐに同棲する流れになるとはさすがに予想していなかったけれど、サトシ一緒なら何も問題ない。
そう思った私は、ヤシオさんに許可も取らず、勝手にOKしてしまった。
あーあ。明日ヤシオさんに伝えなきゃ。
勝手に決めたこと怒られちゃうかな。反対されるかな。
ヤシオさんが許してくれても、他のトライポカロン協会の人たちがうるさくするかもしれない。
私に説得できるかな。
サトシと気持ちがつながっても、私の頭の中は新たに生まれた不安で満たされようとしていた。

「じゃあ、俺そろそろ行くな。気をつけて帰れよ?」
「うん、またねサト――」

サトシに別れを告げようとした私の言葉は、彼の行動によって失われてしまった。
私の頭にそっと左手を添えたサトシは、私の前髪に触れるほどの優しいキスを落とした。
何が起こったのかいまいち把握できない私を置いて、サトシは手を振りながら遠ざかっていく。
なに、今のは。
サトシってば、いつのまにあんな必殺技覚えたの?
多分今、私の顔は真っ赤になっているんだと思う。
両頬に手を当てて、一人うつむく。

あぁ、なんとしてもヤシオさんやトライポカロン協会の人たちを説得しなくちゃ。


******************


「あ~~~~~~~」

後部座席で頭を抱えうなだれる俺を、ピカチュウは憐みの目で見ながらその小さな手で慰めるように肩をたたいてきた。
一部始終を見ていたピカチュウにしか、きっと俺の気持ちは分からないだろう。

「さっきからどうしたんだよサトシ。お腹でも痛いの?」
「なんでもない。気にすんな。あ~~~~~~~~」
「いや気になるんだけど・・・」

車を運転してくれているケンジは、バックミラー越しに俺の様子をうかがいながら苦笑いを零す。
言えるわけがない。
ついさっきできたばかりの彼女に対してあんなことをしてしまったなんて。
さすがに付き合ったその日にあんなことするのはマズかったか?
というかキモかったか?
普通に手を振って別れればよかった。
別れ際におでこにキスなんてして許されるのはきっとシゲルくらいなものだ。
恥ずかしい。とにかく自分の行動が恥ずかしい。

「というか、わざわざカロスに何の用だったの?まぁ僕はついでに観光できたからよかったけど」
「あ、そうだケンジ。俺同棲することになったから」
「へぇ、そうなんだ。それはよかっ・・・は?同棲!?」

俺の野暮用に付き合ってくれたケンジには感謝してる。
だから一番最初に報告しておこう。
ケンジは俺の信頼できるマネージャー役だし、一応私生活のことも把握しておいてもらわないとな。

「い、いつからするの?ミナミちゃんとだよね?」
「いやセレナと」
「えぇっ?セレナ!? ちょ、ちょっと待って」
「多分このミアレシティでマンション探すことになると思うからよろしくな」
「よろしくなって・・・ど、どういうこと?ミナミちゃんとはどうなったの!?」
「ふぁ~、なんか安心したら眠くなってきた。空港に着いたら起こしてくれ。俺ちょっと寝る」
「サトシ!? こら寝るなって!!」

ポケモンマスターに任命されてからというもの、毎日イベントに取材にバトルにと目まぐるしいスケジュールをこなしてきた。
そんな中スケジュールの合間を縫ってはるばるカロスまで来たせいか、体に疲れがたまっている。
ジャケットのポケットに入れたスマホロトムがさっきからずっと震えているけど、たぶんさっき通話を一方的に切ったシゲルからだろう。
かけなおすのは後でいいや。
ケンジも何かごちゃごちゃ言っているけど今は無視。
とにかく疲れた。
俺は後部座席の背もたれを倒すと、そのまま眠りについた。
数か月後に訪れる、セレナとの同棲生活を夢見て。

 

 

END