Mizudori’s home

二次創作まとめ

落ちゆく先に恋心

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■ゲーム本編時間軸

■短編


ユーニはウロボロスの力を得る以前から、衛生兵としてコロニー9で活躍していた。
彼女の体内に宿るエーテルエネルギーは負傷した兵の傷を癒し、外傷と体力を回復させることが出来る。
 
しかし、彼女の能力にも限界があった。
どれほど治癒能力が高くとも、致命傷となる傷は治せない。
彼女の得意技であるラウンドヒーリングは、いわば戦場での応急処置程度でしかないのだ。
だからこそ、シティーで見学したホレイスの医療施設にユーニは強く興味を惹かれていた。
外傷だけでなく内傷をも治癒するほどの医療技術は、ケヴェスやアグヌスの技術では到底再現できないほど高度なものである。
 
自分もホレイスやその助手たちのように高等な医療技術を得られれば、ウロボロスの一員としてもっと貢献できるかもしれない。
そんな向上心から、ユーニは暇を見つけては頻繁にホレイスの医療施設を訪れていた。

今日もまた、彼女は朝からホレイスの元で学びを得ている。
人手が足りないという理由で、彼女は“お年寄り”と呼ばれる人間たちのリハビリを手伝っていた。 
ここでリハビリを受けている人間たちは自分の何倍も生きていて、“老化”と呼ばれる現象により体の自由が利きにくくなっているのだという。
 
腰が曲がった老婆の歩行訓練のため、ユーニはシワだらけの彼女の両手を支え、ゆっくりと一緒に歩く。
すると老婆は、ふるふると不安定に身体を揺らしながら、ゆっくりゆっくりと歩き始めた。
ティーの人間たちは50年も60年も生き続けることが出来ると言うが、長く生きた者はこんなにも体が動かなくなるのか。
老化って怖いな。そんなことを考えていると、ユーニの手を掴んで一緒に歩いている老婆がしゃがれた声で礼を言ってきた。


「ありがとうねぇ、お嬢さん。貴方、外の人なんでしょう?」
「ん?あぁ、まぁな」
「その羽根、とっても綺麗ねぇ」
「そうかな。ありがと」


“髪は女の命”という言葉があるが、ユーニにとって“命”と呼べるものはこの羽根だった。
毎朝念入りに手入れをするほど羽根の見た目には気を遣っている。
だからこそ、羽根の美しさを褒められるのは何よりうれしかった。
少し照れながら老婆に礼を言うと、彼女は少々疲れたようで、ユーニの手に掴まりながらゆっくりとその場にしゃがみ込む。


「ふぅ、ちょっと疲れちゃったわ。駄目ねわたし、こんなに早く音を上げるなんて。貴方たち外の世界の人たちは、日々辛い戦いに身を投じているというのに」
「まぁ、それが当たり前の世界に生まれちまったからな」
「不思議よね。わたしたちと貴方たち、見た目はほとんど変わらないのにこんなにも生き方や価値観が違うなんて。貴方たちは誰かに恋心を抱くこともないのでしょう?」
「恋心か……」


馴染みのないその単語は、このシティーに到着して以降何度か耳にした言葉だった。
正直、意味は100%理解できていない。
ただ、特別な相手に抱く感情であるということだけは分かっている。
 
誰かに恋心を抱いた結果、2人は恋人となり、家族となり、そして子供を作り共に年を取っていく。
“恋”という漠然とした言葉の先には、シティー独自の文化が紡ぐ輝かしい未来が待っている。
いわば“恋”とは、最終的に家族を形成するための第一歩なのだろう。
当然、ゆりかごから生まれたユーニは誰かに恋心を抱いたことはないし、これから抱く予定もない。
普通に過ごしていれば、恐らくその“恋”という言葉からは無縁な一生を送ることになるだろう。


「そっちは“恋”したことあんの?」
「ふふふ、あるわよ。でもねお嬢さん。恋は“するもの”じゃなく、“落ちるもの”なのよ」
「落ちる?なんだそりゃ」


老婆は含みのある笑みを浮かべながら、ユーニに恋の何たるかを語ってくれた。
しかし、ゆりかごから生まれたユーニには、自分よりも何倍も長く生きている老婆の言葉はあまり理解できない。
 
首を傾げていると、リハビリ室の外から聞き慣れた声で“どいてくれっ”という叫び声が聞こえてきた。
あの声を聞き間違えるわけがない。この世でたった一人の相方、タイオンの声である。
なぜ彼がこの医療施設に?
疑問のままに首を伸ばして部屋の外を覗くと、知らない女性を横抱きにしたタイオンが廊下を走り去っていく様子が見えた。
随分切迫している様子だ。ただ事ではなさそうなその雰囲気に、ユーニは思わず立ち上がった。


「ごめん、ちょっと席外す!」


老婆たちに一言断ると、彼女はリハビリ室から飛び出し廊下を走るタイオンの背を追った。
彼は見知らぬ女性を横抱きにしたまま処置室に向かうと、そこから顔を出したホレイスに必死の形相で何かを訴えている。
そして、何かを理解した様子のホレイスに、抱き上げていた女性の身柄を引き渡す。
処置室の扉が閉まると同時に、外に取り残されたタイオンは脱力し廊下の真ん中に座り込んだ。


「タイオンっ」
「あぁ、ユーニ、いたのか」


全力で走って来たらしいタイオンは、少々息を乱していた。
彼が身に纏っている戦術士の白い兵装は、ところどころ血痕が付着している。
驚いて事情を聞くと、どうやらこれは先ほど彼が抱え込んできた女性の血らしい。
 
タイオンがシティーの外を見回っていた際、たまたまモンスターに襲われていたあの女性を見かけ、急いで助けに入ったものの一歩間に合わず、彼女に大けがを負わせてしまったのだという。
モンスターは何とかタイオンの力で退けたものの、女性の怪我の具合は一刻の猶予も許さないほどひどいものだった。

タイオンが抱えてきた女性は、ホレイスの手によって緊急処置が施された。
その間タイオンはずっと処置室の前で心配そうに待ち続け、同じく放っておけなかったユーニもまたずっとタイオンに寄り添う形でホレイスの処置が終わるのを待ち続けた。
 
やがて数時間後、ようやく処置室から出てきたホレイスは、外で待っていたタイオンとユーニに微笑みかけ、女性の命が助かった事実を告げた。
良かった。相当ひどいけがのようだったが、何とか一命は取り留めたらしい。
ホレイスからの吉報に、2人は顔を見合わせながら安堵した。

タイオンによって一命をとりとめた女性の名はシュリ。ロストナンバーズの若き女隊員である。
一命は取り留めたものの、彼女は暫く医療施設への入院が必要となった。
その間、タイオンは暇を見つけては頻繁に見舞いに顔を出しているようだった。
分かりにくい性格をしているが、彼は基本的に優しい。
自ら助けた女性の身体が心配なのだろう。 
ユーニも何度かタイオンに付き合う形で見舞いに顔を出し、シュリとは顔なじみとなっていた。
 
ホレイスの治療と、タイオンの見舞いの甲斐もあり、彼女は予定よりも早く退院する運びとなった。
退院した当日、彼女はロストナンバーズの寄宿舎に身を寄せている6人のウロボロスを訪ね、正式に礼を述べてきた。
 
シュリは17歳になったばかりの快活な女性である。
笑顔が可愛らしく、そして明るいその性格に、ユーニは好感を覚えていた。
シュリは6人のウロボロス、とりわけ自らの命を救ってくれたタイオンにはいたく感謝しており、彼と言葉をかわしている時の彼女の瞳はいつもきらめいている。
その目が、“特別な相手”に向ける熱を帯びた瞳だとユーニが気付いたのは、シュリが退院して1週間後のことだった。

その日、シティーの大通りを独りで歩いていたユーニは背後からシュリに呼び止められた。
もじもじしながら“相談したいことがある”と打ち明けられたユーニは、当然快く話を聞くことにした。
ユーニは元々面倒見がいい性格である。
誰かが自分を頼りたがっていると分かれば、拒絶するはずもない。
 
公園のベンチに並んで腰かけた2人は、遠くで遊んでいる子供たちを遠目に見つめながら暫く世間話に興じていた。
そして、腰を掛けてから10分ほど経った頃、ようやくシュリは本題に入る。


「実は私、タイオンさんのことが好きなんです」


随分と恥ずかしそうにしていた割に、シュリは随分と分かり切ったことを言い放った。
彼女が命の恩人であるタイオンに好感を抱くのは当然のこと。
自分がシュリの立場でも、やはりタイオンのことは好ましく思っていただろう。
“それがどうした?”と問いかけると、逆にシュリは肩透かしを食らったかのように目を丸くした。


「お、驚かないんですか?」
「驚きはしないだろ。むしろ命助けてくれた相手を嫌う奴の方が少なくね?てか、アタシも普通にタイオン好きだし」
「えっ、ゆ、ユーニさんも、タイオンさんのことがお好きなんですか?」
「当たり前だろ?相方だしな」


出会ったばかりの頃は口論ばかりであまり好きにはなれなかったが、彼の不器用な人となりを理解するにつれて反発心は次第に薄れていった。
3か月以上一緒に旅をしてきた今となっては、心から信頼できる相方として、“好きだ”と即答できるほどの関係を築けている。
だが、ユーニのあっけらかんとしたその返答に、シュリは納得がいっていない様子だった。
複雑そうに考え込んだ後、彼女は恐る恐るユーニの顔を覗き込みながら質問を投げかけて来る。


「あの、ユーニさんの言う“好き”というのは、友愛や親愛を表す“好き”ですか?」
「ん?まぁそうだな。てか、それ以外何があんだよ」


本人の前では恥ずかしくて言えそうにないが、ユーニにとってタイオンはかけがえのない仲間の一人だ。
一緒にいると心が休まるし、彼とは間違いなく“親しい”と即答できる。
ユーニの口からこぼれ落ちた“好き”は、信頼する仲間に向けられる青く純粋な好意でしかない。
だが、彼女の隣に腰掛けているシュリという少女の“好き”は違う。
それを先に察することが出来たシュリは、ユーニがライバルになり得ないことを悟り密かに安堵した。


「ユーニさん。私のタイオンさんへの“好き”は違うんです」
「違うって?」
「なんて言えばいいんでしょう……。恋心ってやつですかね」
「恋……。恋ィ!?」


シュリの口から出たその単語に、ユーニは驚いて大声をあげてしまった。
好意にもいろいろと種類がある。
ゆりかごから生まれたユーニたちの常識の範囲内には、友愛や親愛の意味しか含まれないが、このシティーでは全く別の色をした好意が存在する。
淡い恋心を孕んだ、真っ赤な好意である。
まさかシュリがそんな好意をタイオンに向けているとは1ミリも思っていなかったユーニは、ただでさえ大きな青い瞳を見開きながら詰め寄った。


「ちょ、ちょっと待て!てことはつまり、シュリはタイオンと最終的に結婚したいと思ってるってことか!?」
「そ、そこまでは飛躍してませんけど、かなり大雑把にカテゴライズすると、そういうことかと……」
「マジかよ……」


開いた口が塞がらないとはまさにこのことか。
恋だの愛だのという曖昧な言葉よりも、“結婚”や“夫婦”という言葉の方が、ユーニの中での理解度は高かった。
グレイとロザリアという夫婦が身近にいるためだろう。
モニカとゴンドウという親子の存在も大きい。
恋をして結婚した者たちはいずれ夫婦となり、子を成す。
そのフローチャートを実際に目にしているからこそ、シュリの告白は衝撃的だった。
シュリは、タイオンと夫婦になることを望んでいる。
少々飛躍した理解ではあるが、的外れとは言い難い。


「そこでお聞きしたいのですが、タイオンさんに恋人はいらっしゃるんでしょうか?もしくは好きな人とか……」
「恋人?好きな人?うぅーん……」


恋人とはつまり、“夫婦”の一歩手前の様な関係だと理解している。
知り合いで言うと、シティーの住人であるジュリエッタとロメロが該当するだろう。
あの二人のように、タイオンにとって“特別な関係性の異性”がいるようには思えない。
 
では好きな人はどうだろう。ここで言う“好きな人”とは、シュリがタイオンに向けているような恋心を抱いている相手のことである。
タイオンの好きな人。そんな人いるだろうか。
考えに考えを巡らせた結果、一人の女性の顔が思い浮かんだ。
彼の恩師でもある女性、ナミである。


「あー……。恋人はいねぇと思うけど、好きな人に関しては思い浮かぶ奴は1人いるな」
「ほ、本当ですか……?」


ユーニの回答に、シュリは露骨に肩を落とした。
やはり自分の好きな人が別の人に好意を向けている状況はあまり気分が良くないのだろう。
人のいいユーニは、落ち込んでいる様子のシュリに焦り、なんとかフォローしようと言葉を探した。


「あぁでも、実際にタイオンから聞いたわけじゃねぇから、断言はできないな。もしかしたら違うかもしれねぇし」
「そうですか……。ユーニさんならご存じかと思ったのですが、流石にそこまでは分からないですよね」
「あぁ。悪かったな、力になれなくて」
「とんでもないです。むしろ話を聞いていただいてありがとうございます。私、今度タイオンさんに気持ちを伝えてみます」


シュリは柔らかく微笑むと、ユーニに別れを告げてその場を去って行った。
どうやら彼女は想いを伝える決心をしているらしい。
ティーの人間と違い、自分たちゆりかごから生まれた人間には時間に限りがある。
想いを伝えるなら、まごまごしていられないと判断したのだろう。
 
シュリはおしとやかですごく清廉潔白な女性だ。その立ち居振る舞いは、ナミを彷彿とさせるものがある。
きっとタイオンとの相性もいいだろう。
彼女から淡い好意を告白されたとき、彼は何を思うのだろうか。
喜ぶ?それとも困惑する?分からない。
もしも彼が本当にナミを好いているのなら、きっと断るのだろう。
 
タイオンにとって、ナミがどれほど特別で大切な存在なのか、ユーニはよく分かっていた。
ナミに恋心を抱いているということは、タイオンがナミと結婚したいと思っていることと同義だ。
彼がナミと添い遂げ、子を成しているところを想像すると、何故か胸にチクリと針で刺したような痛みが走る。
なんだろう、この痛みは。
戸惑いつつも、ユーニはこの痛みの答えを見いだせずにいた。


***

その翌日のこと。
いつも通り医療施設への見学を終えたユーニは、ロストナンバーズの寄宿舎へ帰還した。
談話室に足を踏み入れると、向かい合ったソファにはタイオンの姿しかなく、そのほかの仲間の姿は見えない。
赤いソファに腰掛ける彼は、足を組みながら手元の教本に視線を落としていた。
相変わらず真面目な彼は、こうして暇を見つけるといつも教本に目を通している。
目を伏せながら活字を見つめているタイオン。
そんな彼が腰掛けているソファの背もたれに回り込むと、ユーニは教本に視線を落としている相方に背後から声をかけた。


「タイオンってさぁ」
「ん?」
「好きな人いるー?」
「……は?」


何の脈絡もなく投げかけられた質問に、タイオンは思わず教本から視線を上げた。
ユーニは奔放な性格で、いつも自由気ままな女性である。
時々こうして突拍子もない質問を投げかけてはタイオンを困らせているのだが、今回の質問はいつも以上に突拍子がなかった。
“好きな人”というあまりにも定義が曖昧な存在の有無を聞かれた彼は、眼鏡を押し上げつつ眉間にしわを寄せる。


「好きな人と言われても、定義が曖昧過ぎないか?」
「好きな人は好きな人だよ」
「だから定義を教えてくれ。“好き”にもいろいろあるだろ」
「めんどくせーこと言うなぁ……」


タイオンが腰掛けている背もたれに突っ伏する形で寄りかかるユーニ。
気怠そうにしている彼女の態度に、タイオンはムッとした。
曖昧な質問にちゃんと答えるために定義を求めただけじゃないか。
何が面倒だ。質問に答えてもらいたいならもっと分かりやすく問えばいいものを。
再び教本に視線を戻すと、彼女は“好きな人の定義”には言及せず、“じゃあ——”と別角度で問いかけてきた。


「ミオは好き?」
「ミオ?あぁ好きだが?」
「じゃあセナは?」
「好きだ」
「ニイナ」
「好きだな」
「じゃあ……」
「さっきから女性ばかりだな」
「ナミは?」
「ナミさん?」


ユーニから呟かれた名前に、タイオンは再び教本から視線を離す。
そして、今まで挙がった名前たちと同じ答えを提示した。


「当然好きだ」
「その“好き”ってさ、どういう“好き”?」
「どういう……?」
「親愛?友愛?」
「今日は随分難しいことを聞くな」
「ナミと結婚したいと思う?」
「け、結婚!?」


再び何の脈絡もなくユーニの口から投げかけられたその単語に、タイオンは思わず振り向いた。
だがユーニは背もたれに寄りかかりながら遠くを見つめており、視線が絡むことはない。
何故彼女がそんな質問をしてきているのか理解できないまま、タイオンは戸惑うしかなかった。


「さっきから質問の意味が分からないんだが」
「どうなの?結婚したいの?」
「いや、そんなこと考えたことがなかったからな……」
「でも好きなのは確かなわけ?」
「そりゃあ、ナミさんは僕にとって大切な恩人だからな」
「ふぅん、じゃあ……」


ソファの背もたれに突っ伏して寄りかかっていたユーニはタイオンの横顔を見つめ、かすれた声で最後の質問を投げかけた。


「アタシは?」
「えっ……」


教本から視線を上げたタイオンの目が、ユーニに向けられる。
2人の視線が絡み合い、静かな沈黙が訪れる。
ユーニの蒼い瞳は何故か寂しげに揺れていて、思わずその美しい蒼をじっと見つめてしまった。
問いかけた張本人であるユーニは、戸惑ったまま言葉を失っているタイオンの答えを黙って待っている。
特定の回答を求めているわけではない。ただ気になったのだ。
タイオンにとって自分は、どんな“好き”にカテゴライズされるのだろうか、と。
親愛か、友愛か、それとも——。


「タイオン。いるか?」


外から帰って来たノアが、談話室へと顔をのぞかせた。
沈黙が続いていた室内の空気が一瞬にして現実に引き戻され、2人の視線は同時にノアへの注がれる。
穏やかな笑みをたたえた彼は、外を指さしながら口を開いた。


「シュリが来てるぞ」
「シュリ?」
「大事な話があるって」
「そうか、すぐ行く」


ノアの言葉を受け、タイオンは手元で開いていた教本を閉じ、ソファーの上に置きながら立ち上がった。
一瞬だけ背後のユーニに視線を向けたものの、彼はノアの横をすり抜け、何も言わずシュリが待つ寄宿舎の外へ出て行ってしまう。
 
ユーニには、シュリの言う“大事な話”の内容が何となくわかっていた。
恐らく、心に抱えた淡い好意を告げるつもりなのだろう。
シュリがどんな言葉で思いを伝えるのか、タイオンがどんな返事をするのか、いろいろと気になることはあったけれど、覗き見る気にはなれなかった。
やがてタイオンが出て行った談話室には、ノアとユーニだけが残される。


「悪い。邪魔したかな?」
「全然。大した話してなかったから」
「いや、でも……」


ノアの言葉を最後まで聞くことなく、ユーニは自室に戻るため談話室を出て行ってしまった。
その背を見つめつつ、ノアは複雑そうに眉間にしわを寄せながら腕を組んだ。
ユーニはああ言っていたが、ノアの目にはどう見ても大した話をしていないようには見えなかった。
自分の横を通り抜けて行ったタイオンの横顔は、何故か赤く染まっているように見えたから。
彼が赤面していた事実を、ユーニは気付く余地もなかった。


***

翌日。
食事をとるためにミチバ食堂へ向かったユーニがシュリと会ったのは偶然の出来事だった。
1人でテーブルに向かい、あまり減っていないツルギパッツァをつつきながら肩を落としているものだから、気になって声をかけたのだ。
 
ユーニの姿を見た瞬間、シュリは大きく目を見開き驚きを露わにする。
そして泣きそうな目で微笑みかけてきた。
“どうかした?”と問いかけたユーニに、シュリはか細い声で囁く。
“フラれました”と。

昨晩、わざわざロストナンバーズの寄宿舎を訪ねてまでタイオンを呼び出したシュリは、人通りのない路地裏で彼に想いを告げたという。
最初はタイオンもユーニと同じように、シュリの言う“恋心”の意味がよく分かっていなかったらしいが、彼女が懇切丁寧に意味を解説した結果、暫く考え込んだ彼は申し訳なさげに言い放ったそうだ。
“好きな人がいるから君の気持ちには応えられない”と。

シュリからその話を聞いてもさほど驚かなかったのは、なんとなく予想していたからだろう。
タイオンの言う“好きな人”は、十中八九ナミのことだ。
昨日はユーニからの問いかけにいまいちピンと来ていないようだったが、シュリの説明で腑に落ち、ナミへの想いを自覚したに違いない。
 
確かめるためシュリに“アイツが誰が好きなのか聞いた?”と問いかけると、肯定したうえで教えてはくれなかった。
“タイオンさんに口止めされているから”と。
ほんの少しだけ悔しかった。
自分は彼のこの世でたった一人の相方だ。
距離感が誰より近い自覚はあった。
にも関わらず、自分には教えてくれずシュリには教えるなんて。
この場にいないタイオンに苛立ちムッとしていると、シュリは切なげな笑みを浮かべながら言った。


「誰かは教えられませんけど、ユーニさんもよく知っている人ですよ」


その言葉で確信する。やっぱりナミだ。間違いない。
生まれ変わった姿とは言え、自分もナミとは会ったことがあるし面識もある。
シュリの言う“ユーニもよく知っている人”には十分該当していた。
 
そうか。やっぱりナミが好きなのか。
じっくり咀嚼すると、また胸に痛みが走る。
タイオンとナミのことを考えると、いつもこの痛みに襲われる。
理由は分からない。だが、正直心地いい痛みとは思えなかった。

食事を終えたシュリは、最後に“タイオンさんのことは諦めます”と言い残し、テーブルを立った。
去って行こうとする彼女にどんな言葉をかけていいのか分からなかったユーニは、最後に気になっていた質問をぶつけてみることにする。


「あのさ、“恋心”について、どんな風に説明したんだ?」


純粋に気になったのだ。
シュリがどんな言葉で“恋心”について説明し、どんな形でタイオンが納得したのか。
するとシュリは、ユーニを見つめながら薄く微笑みを返した。


「“誰より大切で、守りたいと思う相手に抱く感情だ”って伝えました。そしたら、“その理論なら僕には好きな人がいる”って」


寂しげな目をしたまま、シュリはミチバ食堂から去って行った。
恋に破れることを“失恋”と呼ぶそうだが、シュリは今まさに失恋したということになるのだろう。
失恋とは相当辛いものらしい。彼女はずっと泣きそうな顔で俯いていた。
好きな相手が自分以外の誰かに好意を向けているという事実は、あんなに明るい性格だった少女を一瞬にして打ちのめしてしまうらしい。

1人テーブルに残されたユーニは、頭の中でシュリが告げた言葉を何度もリピートしていた。
“誰よりも大切で、守りたいと思う相手”か。
つまりタイオンにとってのナミは、そういう相手ということになる。
そうか、タイオンはそこまで強い感情をナミに向けているのか。
 
それはよく知っているつもりだった。
タイオンにとってのナミは、人生観を左右するほど大きな存在だ。
分かり切っていたはずなのに、いざその事実を目の前にするとまた胸が痛む。
どうして自分がこんな気持ちになるのだろう。
まるで失恋したシュリみたいだ。別に自分は失恋なんてしていないのに。
ユーニは気付いていなかった。頬杖をついて遠くを見つめる自分の瞳が、先ほどの失恋したばかりであるシュリと同じ色をしているという事実に。


***

インタリンクしたタイオンとユーニの連携によって、モンドの波がモンスターの身体に傷をつけていく。
四つ足のモンスターは、その巨体を揺らしながら悲痛な叫びをあげた。
崖際まで追い込まれたモンスターは、口から唾液をだらだらと垂らしながら目を血走らせている。
体力の限界が近いのだろう。体中からエーテルを噴き上げながら、モンスターは最後の力を振り絞り必死の抵抗を見せていた。

モニカからモンスターの討伐を依頼された6人のウロボロスは、当該のモンスターの住処があるというモルクナ大森林の上層部へとやってきていた。
近隣のコロニータウの兵たちの証言をもとに、深い森林の中を突き進んでいく。
 
下層の景色が良く見える崖沿いに出たところで、ようやく目的のモンスターと出くわした。
ミオとランツが敵の目を惹きつけ、その隙にノアとセナが背後から強襲する。
ユーニとタイオンは少し離れた場所から援護を行っていた。
前線で奮戦していたミオとランツの体力が限界を迎えた頃合いで、援護を行っていたタイオンとユーニは顔を見合わせ、インタリンクする。

2人が解き放つ回復の光はミオとランツを癒し、戦闘の流れを変える。
ノアが背後から斬り込んだところで、モンスターはついに体制を崩した。勝利の時は近い。
一騎加勢に攻撃を叩きこむ一同を見下ろしていたタイオンとユーニは、脳裏に響く甲高い警告音を聞き、反射的にインタリンクを解いた。
既に勝利が目の前に迫っていたことで、油断してしまったのだろう。
インタリンクを解いた二人が地面に着地する寸前、ダウン寸前だったモンスターは背中から生えていた触手を伸ばしユーニの身体を突き飛ばした。


「ぐあっ!」
「ユーニ!」


触手からの一撃を腹に受けたユーニの身体は、いともたやすく背後へと吹き飛ばされてしまう。
後ろは断崖絶壁。タイオンが手を伸ばしても、後方に飛ばされつつあるユーニには届かなかった。
彼女の身体は真っ逆さまに崖下の下層へと落ちてゆく。
助けられないと悟った瞬間、タイオンは落ちてゆくユーニの後を追い、躊躇することなく自らも崖から身を投げた。


「うそっ!」
「だめ!タイオン!」


崖の上からミオとセナの叫び声が聞こえてくる。
自分の名を呼ぶ彼女たちの声を聞きながら、タイオンの身体は真っ逆さまに落ちてゆく。
先に崖から落ちたユーニの身体へと手を伸ばし、落下しながら彼女の腕を掴んで引き寄せた。
つい先ほどインタリンクを開放してしまったばかりのため、ウロボロスになって浮遊することはできない。
ただ落ちてゆくしかないさだめに従いながら、タイオンはユーニの身体を抱きしめる。
彼の胸に顔を埋めながら、ユーニは恐怖に抗うように目を閉じた。


***

深い水の中に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上する。
ゆっくりと目を開けると、心地よい揺れを感じて覚醒した。
ここはどこだ?ふと前を見て体を動かすと、何者かに背負われている状況を理解できた。


「起きたか、ユーニ」


ユーニの身体を背負っていたのは、ほかならぬタイオンだった。
驚いて彼の背から降りようとするが、止められた。
どうやら落下した際に足を挫いてしまったらしく、右足の感覚が薄くなっている。
これは一人で歩くのは困難だろうと判断したタイオンが、気を失っていたユーニを背負い安全な場所を求めて移動を開始したのだという。
ふと、タイオンの背に揺られながら上を見上げる。
はるか上空にはコロニータウが拠点を構える上層が見えた。
あんな高いところから落下してきたというのに、何故足を挫いただけで済んでいるのだろう。


「なんでアタシたち生きてんの?」
「落下した先が深い湖だったんだ。この下層で毒沼以外の水辺に落ちることが出来たのは幸運だったな」


そう呟きながら、タイオンは道の脇に見えるおどろおどろしい色の沼へと視線を向けた。
このモルクナ大森林はかなり独特な自然が広がっており、毒素を多く含む沼が点在しているのもその特徴である。
地面に落ちていれば当然助からなかっただろうが、毒沼に落ちていたとしてもお陀仏だっただろう。
毒素が含まれていない湖に落下できたことは、タイオンの言う通り幸運としか言いようがなかった。


「なんでお前まで飛び降りたんだよ。死ぬかもしれなかったのに」
「君に死なれたら困るからな」
「なんで」
「そりゃ……。パートナーだからだろ」
「……ふぅん」


それは至極当然の回答だった。
予想通りの模範解答。きっとユーニも同じ質問をタイオンからぶつけられたとしても、やはり全く同様の回答を打ち出すだろう。
パートナーだから後を追った。その当然でつまらない回答に、ユーニは何故か不満を抱いてしまう。
別に、何か特定の言葉を期待していたわけではない。もっと素敵な回答を望んでいたわけでもない。
だが、“パートナー”だからという分かり切った答えが、何故か妙に心に突き刺さったのだ。

歩みを続けるタイオンの背に身を預けていたユーニは、進んだ先の岩場にぽっかり空いた洞窟を発見した。
指さしてタイオンに教えてやると、彼はその洞窟へと足を向ける。
どうやらかなり奥深くまで続いている洞窟らしく、奥は真っ暗な闇に包まれていた。
出来れば奥まで進んで危険がないか調べたいところだが、負傷しているユーニを抱えてまで危険を冒すのは憚られる。
背負っていたユーニをゆっくりと下ろしたタイオンは、とりあえずこの洞窟の入り口付近で薪を集め、暖を取ることにした。


「なぁ、上層への道を探してノアたちと合流したほうがいいんじゃね?」
「いや。この下層は危険なモンスターが多い。むやみやたらと動き回るとかえって危険だ。ここはしばらくじっとして、ノアたちが助けに来るのを待つ方がいい」


そう言って、タイオンは瞳を起動させ戦術士のブレイドを解除した。
同時に、彼が身に纏っていた白い兵装とマフラーが瞬時に消える。
岩場に寄りかかる形で腰を下ろしているユーニもまた、瞳でメディックガンナーの兵装を解いた。
濡れた服のままでいると風邪をひいてしまう。
とはいえ、上着をノースリーブの薄手の兵装だけでは少々肌寒さを感じてしまう。
タイオンが起こした焚火の前に移動し自分の身体を抱きしめるように縮こまるユーニに、同じく焚火の前で暖を取っていたタイオンは視線を向けてきた。


「そっちは入り口から風が入ってきて寒いだろ。こっちへ来たらどうだ?まだ多少暖かいぞ」


自分のすぐ隣を軽く手で叩きながら促すタイオン。
入り口を背にしている位置に腰かけていたユーニは、外から吹き込む風をもろ背中に受けてしまっている。
奥側に腰かけているタイオンの隣に移動したほうが確かに温まれるだろうが、彼の隣に座るのはなんとなく嫌だった。
“ここでいい”と断ると、揺らめく炎の向こう側に座っていた彼は眉をひそめた。


「そこじゃ寒いだろ」
「寒くねぇよ別に」
「震えているようだが?」
「うっせぇ」
「何をやせ我慢している?」
「とにかくここでいいんだよ。お前の隣は嫌だ」
「は?」


言葉を選ばないユーニの一言は、タイオンを苛立たせた。
“隣が嫌”と言われていい気分になる者はいないだろう。
当然この堅物で真面目な青年も同じである。
避けられているのならその理由を聞きださなくては納得がいかない。
視線を逸らして黙り込むユーニを見つめ、タイオンは眼鏡を押し上げて立ち上がると、大股で彼女の元へと移動しすぐ隣に座り込んだ。


「えっ、なに」
「“なに”はこっちの台詞だ。僕の隣が嫌だとはどういう意味だ?」
「別に深い意味はねぇよ」
「意味もなく避けているということか?」
「そういう気分のときだってあるだろ?」
「ない。少なくとも僕には君に避けられる理由なんてないはずだ」
「……」
「……」
「……」
「……何故避ける?気に障るようなこと、言ったか?」
「……」
「……すまない。もし何か言ったのなら謝る」


先ほどまで勢いよく追及してきたくせに、ユーニが黙り込むと途端に自信を失いタイオンは萎れ始める。
肩を落とし、隣に座っているユーニの様子を恐る恐る伺うように質問を投げかけていた。
だが、彼に非はない。
タイオンを責める理由もなければ避ける理由もないことは、ユーニ自身一番よく理解していた。
これはユーニの問題であって、タイオンは関係ない。
覚えもないのに弱々しく謝罪してきた彼に、ユーニは流石に罪悪感を抱いてしまった。


「ごめん。タイオンは別に何も悪くない。ただ……」
「ただ?」
「なんて言えばいいんだろ。うーん……」
「言ってくれ」
「えーっと……」


この心にかかった曖昧なモヤモヤを、何と表現すればいいのか分からない。
まさかストレートに“タイオンとナミのこと考えると腹が立つ”などと言えるわけもない。
そんなことを言ったらタイオンは驚くだろうし、流石に不快になるだろう。
タイオンを怒らせたいわけでもなければ困らせたいわけでもない。
どう伝えれば、タイオンに嫌われずにこのモヤモヤを伝えられるのだろうか。
考えに考えた結果、ユーニは石橋を叩いて渡るように慎重に一歩目を踏み出した。


「この前さ、シュリに“好きだ”って言われたんだろ?」
「えっ」


ユーニの口から投げかけられた質問に、タイオンはぎくりと身体を固くした。
隣に腰かける彼女を凝視した後、眼鏡のレンズの奥で彼の目が四方八方に泳ぐ。
そして気まず気に顔を逸らす。
タイオンのそんな態度を横目に見つめながら、ユーニは心の中で呆れながら呟いた。
分かりやす過ぎるだろ、こいつ。


「な、なんで知ってるんだ」
「シュリから聞いた。“好きな人がいるから”とか言って断ったらしいな」
「あ、う……」


どうやらシュリの言葉に嘘偽りはないらしい。
すぐ横で身体を縮こませ、言葉に詰まっているタイオンの態度が事実を物語っている。
やっぱりそうなんだ。ナミのことが好きだから断ったんだ。
不動の事実を実感し、ユーニの胸はまた痛む。


「ど、どこまで聞いたんだ……?」
「どこまで?たぶん全部だと思うけど?」
「はぁ……。君にだけは絶対に言うなと念を押しておいたのに……」


随分と恥ずかしそうに真っ赤な顔をして頭を抱えているタイオンに、ユーニの心はますます荒んでいった。
どうやら彼はシュリに、“ユーニには言うな”と命じていたらしい。
“誰にも言うな”と命じるならまだしも、自分を名指ししてまで口外するなと命じたその事実に、余計に苛立った。

なんだそれ。アタシにだけは絶対聞かれたくなかったってことかよ。
これでも一応相方なのに。教えてくれたっていいじゃん。
まぁ、わざわざ教えてくれなくたってお前の好きな人くらい丸わかりだけど。

苛立つユーニの隣で、タイオンは“だからさっきから様子がおかしかったのか”などとぶつぶつ呟いている。
こっちの様子を観察して、事実と照らし合わせながら考察している彼の様子がいちいち気に食わなくて、ユーニは唇を尖らせた。


「……こんな形で露見するとは思わなかった。僕自身、ちょっと動揺してる」
「うん」
「……で、あの、ど、どう、思った?」
「どうって?」
「全部シュリから聞いたんだろ?聞いたうえで、どう思ったんだ……?」


真っ赤になった顔を隠すように口元を片手で覆い、彼はまた視線を泳がせている。
何故自分に感想を求めるのだろう。
疑問に思いつつも、これはこの心のもやもやを上手く伝える好機でもあった。
少し怒らせるかもしれないが、“言ってくれ”と促してきたのはそっちだし、もう素直に言ってしまおう。
たどたどしく感想を聞いてくるタイオンに、ユーニは残酷なまでに素直な気持ちを吐き出した。


「正直に言っていい?」
「あぁ」
「めちゃくちゃ嫌な気持ちになった」
「えっ……」


ユーニの言葉に、タイオンはまるでショックを受けたかのように固まっていた。
そして、“嫌な、気持ち……?”とか細く呟き、ゆっくりと俯き始める。
少しストレートに言い過ぎてしまっただろうか。
だって仕方ないじゃないか。本当のことだ。
タイオンがナミに恋心を抱いていると知った瞬間、胸がぎゅうっと締め付けられて苦しかった。
この感覚は今も続いている。


「それは、つまり、その……。迷惑だと?」
「迷惑?うーん……。まぁいい気はしないかも。理由はよくわかんないけど、そのことを考えるとムカムカするっていうか、腹が立つっていうか、イライラするっていうか」
「生理的な嫌悪感があると!?」
「そんな感じかな」


ユーニが言葉を重ねるたび、タイオンは心に矢が刺さったかのように傷付いた様子を見せていた。
どうやら自分の恋心を応援して欲しいとでも思っていたらしい。
相方であるユーニだからこそ、背中を押してほしかったのだろう。
だが、残念ながら彼の淡い恋路は応援できそうにない。
だって今もこんなに胸が痛くてたまらないのだから。


「てか何傷付いてんだよ?別にいいだろ、アタシが何を思ったって」
「いいわけない。受け入れて欲しいとまでは思っていなかったが、せめて、少しくらい喜んでくれるものと……」


喜ぶ?そんな馬鹿な。
タイオンがナミに熱視線を送っている様子を、背中から“頑張れ”と応援するとでも思っていたのか。
出来るわけない、そんなこと。
この堅物な相方にとってナミという存在はいつだって“一番”で、運命を共にする相方であるにも関わらず自分はいつも“二番手”だった。
インタリンクするときに見える彼の記憶の断片には、いつもナミの顔がある。
あの涼やかで美しい微笑みをウロボロスの胎内で見るたび思うのだ。
タイオンは、どこまでもナミを慕っているのだな、と。

“誰より大切で、守りたいと思う相手”に抱く感情。それが恋心。
懇切丁寧に説明されたタイオンは、シュリの想いを蹴散らし言い放った。
“好きな人がいる”と。
彼の感情は勘違いや解釈違いなどではなく、間違いなく本物なのだろう。
タイオンに、“誰よりも大切で守りたい”と思われているナミが羨ましい。
自分も、タイオンにとってそんな存在になれたなら——。

そこまで考えて、ユーニは悟ってしまう。
あぁそうか。このモヤモヤの正体が分かった。嫉妬だ。
自分は今まで、浅はかで汚らしい嫉妬心を抱いていた。
それはきっと、自分にとってタイオンという男が、“誰よりも大切”だからだ。
胸に巣食う曖昧な感情を両手で触り、その形を確かめる。
そしてようやく理解した。自分は、タイオンに恋心を抱いているという事実を。

気付きたくなかった。
知りたくなかった。
だって、気付いた瞬間失恋しているじゃないか。
失恋はひどく悲しいものだと聞いたことがあるけれど、どうやらその言葉も本当だったらしい。
胸が痛くて、苦しくて、張り裂けそうだ。
医療施設で出会ったあの老婆は言っていた。
“恋はするものではなく落ちるものだ”と。
落ちた先で見つけたこの恋は、この胸に傷しか残さない。
こんなことなら、恋なんて知らないままでよかったのに。


「……喜ぶわけないじゃん」
「え?」
「なんでアタシがタイオンの気持ち知って喜ばなくちゃいけないんだよ。こんなに辛いのに……」
「……」
「知りたくなかったよ、何もかも」


それは紛れもない本心だった。
こんな気持ちになるくらいだったら、恋なんて知りたくなかった。
だが、彼女のそんな呟きを耳にした瞬間、隣で腰かけていたタイオンは息を詰める。
そして、突然ユーニの両肩を力強く掴むと、強引に自分の方へと向かせてしまう。
紅潮した彼の顔は、何故だか深い悲しみに染まっていて、その顔を見た瞬間ユーニはぎょっとした。
なんでこいつまで、そんな辛そうな顔してるんだろう、と。
言葉を失っているユーニに、今度はタイオンが喚くように言葉を投げかける。


「そんなに僕のことが嫌いか!?」
「はっ?」
「嫌悪感を抱くほど嫌いなのか!辛くなるほど嫌いなのか!僕はこんなに君が……っ」
「な、何言って……、うわっ」


突然腕を引かれ、腰を引き寄せられ、ユーニの身体はタイオンの腕の中に捕らえられてしまう。
彼の腕が背中に回り、きつく抱きしめられている事実にユーニの心臓の鼓動は早まった。
突然のことに一瞬に頭がフリーズしてしまったが、数秒後ようやく我に返ったユーニは焦りながらタイオンの胸板を押し返す。


「ちょ、何してんだ急に!やめろって!」
「触れられることすら嫌か」
「そうじゃねぇけど……。てかこういうことは“好きな人”にやれよ!」
「だから今やってるだろ!君に!」


………え?

やけくそ気味に言い放たれたタイオンからの一言に、ユーニの思考は再び停止する。
今の一言はおかしい。何かがおかしい。
というか、冷静に考えて先ほどから微妙に話が噛み合っていない気がする。
 
タイオンはナミのことが好き。この前提で話を進めていたが、どうも違和感を感じる。
何故彼はただの相方である自分の意見にいちいち傷付いているんだ?
相方と言えどユーニは第三者。彼が想いを寄せている張本人ではないのだから何を思われようと気にしなければいいだけの話だ。
それに、このタイオンらしからぬ突拍子もない行動と直前のあの言葉。
“そういうことは好きな人にやれ”に対する返しは、“だから今やってる”という斜め上を行く内容だった。

もしかして、こいつの好きな人ってナミじゃないのか?
だとしたら、まさか——。

ふと、自分を抱きしめているタイオンを見上げる。
するとそこには、今までにないほど真っ赤な顔でこちらを見つめているタイオンの顔があった。

仮説が真実味を帯びていく。 
何か言わなくちゃ。
何か、何でもいいからとにかく言わなくちゃ。
そう思って口を開いた瞬間、洞窟の奥から妙な気配を感じ2人は同時に視線を向けた。
奥の暗がりから、複数の目がこちらの様子を伺うようにじっと見つめている。
明らかに殺気を孕んだその視線の主は、どう考えても味方とは思えない。
にじり寄ってくる気配に、タイオンとユーニは一気にウロボロスの顔つきへと変わった。


「……タイオン」
「あぁ、なにかいるな。それも数が多い」
「どうする?」
「君は入り口の方へ下がれ。僕が前衛に出るから援護を頼む」
「了解」


右足を負傷しているユーニには、動き回って戦う余裕などない。
だが、一定の場所に留まり援護するだけの力は残されていた。
座ったままじりじりと後方へ下がるユーニを庇うように立ち上がったタイオンは、瞳を起動させながら前へ出る。
選択したブレイドは武翔士。カムナビが愛用している焔の槍である。
 
美しい炎を纏った槍を出現させた瞬間、闇に包まれていた洞窟が明るく照らされ、にじり寄っていた敵の正体が判明する。
そこにいたのは数匹のイグーナだった。
どうやらこの洞窟の奥を根城にしていたらしい。
少々数が多いが、やるしかない。


「来い!」


タイオンが叫んだと同時に、イグーナたちは一斉に飛び掛かる。
炎を纏った槍を自在に操りながら、タイオンは次々イグーナをなぎ倒していく。
彼は本来背後からの援護を得意としているが、カムナビから継承されたこのブレイドはタイオンにとって比較的扱いやすい武器と言えた。
見事な槍技でイグーナを屠るタイオンの後ろで、ユーニもまたガンロットを構えながらエーテル弾を放っている。
 
前衛で戦っているタイオンの脇をかすめ、イグーナだけを撃ち抜いているのは彼女が狙撃手と一流だからと言えるだろう。
だが、座ったまま岩場にガンロットを構え、前方だけに注視していたユーニは、壁を這ってすぐ横まで近付いてきていた1匹のイグーナに気付かなかった。
普段なら他の仲間たちがフォローに入ってくれるが、今は前衛で戦っているタイオンと後衛で援護している自分だけしかいない。
不意打ちはすなわち死を意味していた。

手に持っている錆びついた剣を振り上げるイグーナに、ユーニは息を詰めて目を閉じた。
殺される。そう思った矢先、相方の叫びが洞窟内にこだました。


「ユーニっ!」


相方の危機を察知したタイオンは、躊躇することなく彼女の身体に覆いかぶさるように抱きしめ、イグーナから庇うように背中を向ける。
振り下ろされたイグーナの錆た剣は、タイオンが身に纏っていた武翔士の兵装を傷付けた。


「ぐあっ」
「タイオン!このっ……!」


背中を斬りつけられたタイオンの悲痛な叫びを聞いたユーニは、相方に抱きしめられながら怒りに任せてガンロットを構えた。
そして、僅か数センチの距離でタイオンに斬りかかったイグーナに向けてエーテル弾を発射する。
不意打ちを食らわせたイグーナは爆風によって後方へ飛ばされ事切れたが、洞窟の奥から這い出てくるイグーナたちはまだ数匹残っている。
 
マズいこのままじゃやられる。
焦るユーニだったが、彼女の身体を抱きしめていたタイオンがゆっくりと立ち上がり、イグーナに向かって歩いていく。
肩のあたりから血を流しているタイオンはふらつきながら槍を構えた。
その後ろ姿を目にしたユーニは、ハッとして急いでガンロットを地面に突き刺す。


「グロウサークルっ」


赤いエーテルの光が沸き上がり、タイオンの力を強めていく。
槍が纏う炎が一層大きくなったその瞬間、タイオンは前方のイグーナたちに向かって大きく槍を奮った。


「烽火連天!」


轟音を立てながら、タイオンが巻き起こした炎がイグーナを焼き尽くしていく。
全ての炎が消え去った後、残ったのは灰と焦げた匂いだけだった。
全てを焼き尽くしたタイオンは、脅威が消え去ったことに安堵し、その場に膝をつく。


「タイオンっ!」


ガンロットを杖代わりに、ユーニは負傷した右足を引き摺りながら急いでタイオンへと駆け寄った。
背中から斬りつけられた彼は、白い兵装を血で染めている。
座り込んでしまっているタイオンの目の前で膝を折ったユーニは、座った状態のままガンロットを地面に突き刺し、ラウンドヒーリングを展開した。
 
翡翠色のエーテルがタイオンの傷を癒し、体力を回復させていく。
乱れていた彼の息はようやく整い、痛みが引いたことで首筋にかいていた汗も自然と引いていた。
だが、1度ならず2度までも無茶をしたタイオンに、ユーニは黙っていられない。
彼の腕にしがみつくと、洞窟内に響く渡るような大声で彼を責めたてた。


「馬鹿か!崖に飛び込んだ時といい今といい、無茶しすぎだろ!アタシに死なれたら困るのは分かるけど、だからってそこまで体張らなくても……!」


崖から飛び込んだ時も、イグーナの一撃から庇った時も、奇跡的に助かっただけで本来は死んでいてもおかしくはない愚行だった。
いくら相方を守るためとはいえ、自分自身が命を落としては元も子もない。
この世で最も守るべきは、相方の命ではなく自分自身の命であるべきだ。
 
だが、タイオンの考えは違う。彼には身を挺してでもユーニを守りたい理由があった。
つい数日前に自覚したばかりのこの感情は、どんな窮地に立たされていても彼に勇気を与えてくれる。
自分の腕に縋りついて怒鳴っているユーニを見つめ、彼は囁いた。


「誰より大切な人を守るためなら、体くらい張るだろ、普通」
「へ……?」
「あっ、いたいた!ユーニ!タイオン!」


間の抜けた声を漏らしたユーニだったが、洞窟の外から聞こえてきた自分たちを呼ぶ声に肩をビクつかせた。
外を覗くと、遠くからこちらに向かって手を振りながら走って来る仲間たちの姿が見える。
どうやら上層から落ちた2人を追って探しに来てくれたらしい。
ようやく合流できたことに、タイオンとユーニは安堵のため息をついた。


「よかった。無事だったのね、2人とも」
「あぁ、助かった。ユーニを頼む。足を怪我しているんだ」
「マジかよ。ほら、おぶざれ、ユーニ」
「お、おう……」


タイオンの言葉を受け、ランツが目の前で膝を折り背中に乗るよう促してきた。
その厚意に甘え、ユーニはランツの背中に体を預ける。
筋肉質なランツはユーニを軽々と持ち上げ、彼女の身体は一瞬で浮遊した。
一方タイオンはノアが差し出した手によってゆっくりと立ち上がり、ミオやセナに腕を抱えられながら洞窟を出て行く。
疲労感に包まれているその背を、ユーニはランツに背負われながら茫然と見つめていた。


「それにしても、生きててよかったよ、ユーニ」
「だな。あんな高ぇところから落ちたんだ。二人とも死んじまったんじゃないかって思ったぜ」


笑いかけてくるノアとランツに、ユーニは浮つく意識のまま“あぁ…”と返事をする。
無事を喜ぶ仲間たちの言葉は耳に入らず、脳裏に反響するのはタイオンの言葉ばかり。

“僕はこんなに君が……っ”
“だから今やってるだろ!君に!”
“誰より大切な人を守るためなら、体くらい張るだろ、普通”

タイオンの声で脳内にリピート再生されるその言葉たちは、ユーニの頭の中にある欠けたピースを埋めてくれる。
シュリは言っていた。恋心とは、“誰よりも大切で守りたいと思える相手”に抱くものだと。
タイオンは言っていた。“その理論で言うと自分には好きな人がいる”と。
たった今、彼はユーニをこう評した。“誰より大切な人”と。


「え……えぇぇ……っ」
「あ?どうしたユーニ」
「ユーニ、なんか、顔赤くないか?」
「うわ、うわうわうわ……っ」
「おいユーニ?ぐえぇっ」


ランツの首に腕を回していたユーニだったが、急に襲ってきた羞恥心に身悶えし、無意識に腕を引いてしまった。
その瞬間、ランツの首が絞まる。
潰されたグロッグのような声を挙げたランツを気にすることなく、ユーニは彼の首を真っ赤な顔で締め上げていく。


「ぐ、ぐるじい……、ユーニ、じぬっ」
「お、おいユーニ!ストップ!ランツが!ランツの顔色が尋常じゃない!」


驚愕の事実に気付いてしまい羞恥心から顔を赤くするユーニと、首を絞められたことで酸素が行きわららず顔を赤くするランツ。そして焦りながらユーニを止めるノア。
3人の元ケヴェス兵が背後で騒いでいる様子を、前を歩いている元アグヌスの兵3人は怪訝な顔で振り返っていた。


「なに騒いでるのかしら?」
「何かあったのかな?」
「……知るか」


まだ少しふらついているタイオンを両脇から支えているミオとセナは、不思議そうに首を傾げていた。
だが、ランツやノアと何やら騒いでいるユーニを見て、タイオンは一人むくれていた。
 
人の気も知らないで何を楽しそうに……。
2人きりの洞窟で散々“嫌な気持ちになった”だの“腹が立つ”だの“ムカムカする”だの否定的な言葉を浴びせられた彼は、今までにないほど傷心していた。
不本意な形で淡い感情が看破された挙句、あまりにも酷い言われようで拒絶されたのだ。
 
初めての淡い感情に心を惑わされ、結果、タイオンはフラれてしまった。
傷付くなと言う方が無理な話である。
呑気に騒いでいるユーニを恨めし気に見つめながら、彼はむっとする。
別に、何も同じ感情を抱いていてほしいとは思っていなかった。
ただ、少し顔を赤らめて意識してくれればそれだけで良かったのに。
あんなに全力で拒絶すること無いじゃないか。
これが失恋というやつか。噂には聞いていたがやはり辛い。

どこまでも気落ちするタイオンは、背後のユーニたちから視線をそらし拗ねるようにふん、と鼻を鳴らす。
だがタイオンはまだ知らなかった。
たった今、彼の想い人が自分と同じ色をした感情を抱き始めている事実に。