Mizudori’s home

二次創作まとめ

ハツコイの色は赤

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■ゲーム本編時間軸

■短編


「ウーロボーロス出ておいで~、出ないと目玉をほじくるぞ~!」


ティーの中心に看板を構えるロストナンバーズの寄宿舎。
その談話室にて優雅なハーブティータイムを楽しんでいたタイオンとユーニは、外から聞こえてきた恐ろしい脅し文句に無言で顔を見合わせた。
聞こえてきたのは幼い声。恐らくは男児だろう。
ティーの言葉で言う、“クソガキ”という厄介な生き物だ。
寄宿舎の外から大声でウロボロス宛てに叫ばれた脅迫を聞き、二人は“こわっ”とほぼ同時に呟きつつ立ち上がる。

一行がシティーに到着したのは3日ほど前。
到着と同時にノアとミオはモニカの手伝いに駆り出され、ランツとセナはモンスター討伐の依頼を受けシティーを離れてしまった。
つまり、今この寄宿舎に残っている“ウロボロス”はタイオンとユーニだけである。
なんだか厄介事の気配がするが、流石に目玉をほじくられるのは嫌だった。
渋々談話室を出て寄宿舎の外へ向かうと、やはりそこには男児が一人立っていた。
背丈はタイオンの腰くらいまでしかない。
ケヴェスやアグヌスに所属する1期の年少兵と見た目はほぼ変わらなかった。


「オイこら。アタシら脅そうとはいい度胸だなちび助」
「おまえらがウロボロス?」
「そうだが、君は?」
「ロイ!」
「用件はなんだ?」
「おまえらウロボロスにたのみがあって」


初めて訪れた頃と比べて、シティーでのウロボロスたちへの評価は目に見えて上がっていた。
他の兵士たちがどんなに渇望しようとも手に入らない強靭な力は、やはり何においても頼りになる。
更にはケヴェス、アグヌスの混成部隊であるがゆえに、両国とも強いパイプがあるというのは非常に都合がいい。

ケヴェスにもアグヌスにも、そしてシティーにも属していない実力派集団、ウロボロス
彼らの存在は、多方面から頼りにされている。
ティーに立ち寄れば、必ずと言っていいほど誰かから頼み事をされる。
護衛やモンスターの討伐など用件は多岐にわたるが、このような子供がわざわざ訪ねてくるのは初めてのことだった。
“頼みがある”と小さい体で見上げてくるこのロイという子供の依頼は出来る限り聞いてやりたいが、ユーニには少し気に入らないことがあった。


「なぁおい、その“お前”呼びやめねぇ?ウロボロス“さん”な?」
「なんでさん付けなんてしなくちゃいけないんだよ、ばぁーか」
「アァ!? てめぇ今なんつったコラ!」


まずい。ユーニからチンピラの部分がはみ出ている。
子供相手にガンを飛ばしている相方の肩を制しながら、タイオンはいたって冷静に対処する。


「落ち着けユーニ。相手は子供だぞ。だがロイ、今のは君も言葉が悪かった。これから頼みを聞いてもらおうという相手に“馬鹿”はないだろ。彼女は見た目ほど馬鹿じゃない」
ナチュラルに失礼だなお前」
「いちいちうっせぇなダサメガネ」
「おい誰がダサメガネだ!もう一度言ってみろ!」


つい先ほどまで冷静だったタイオンが、ロイのたった一言で怒りの形相へと変わる。
一瞬で態度を翻したタイオンは顔を真っ赤にしながら怒り始めるが、隣に立っていたユーニによってマフラーを引っ張られ制止させられる。


「落ち着けってタイオン。子供の言うことだろ?ホントの事だからってそんなに怒んなよ」
「なだめたいのか貶したいのかどっちなんだ君は」


数々のコロニーを命の火時計から解放してきたウロボロスの2人が、10歳にも満たない少年相手に翻弄されている。
その光景はかなり目立っており、寄宿舎の前を歩いている通行人の視線を集めていた。
悪目立ちしていることに気付いたタイオンとユーニは、焦って同時に咳払いすると、ニコニコと嘘くさい笑顔を作りながらロイの顔を覗き込む。


「よしよしロイ。困ってることがあるんだな?アタシらに言ってみ~?」
「僕たちなら基本的に何でも解決できるぞ~?」
「ホントか?」
「ホントホント」


張り付いたようなニコニコ笑顔でロイに寄り添う2人。
ウロボロスが子供をいじめていたなんて噂を立てられれば、ただでさえ自分たちの存在をあまりよく思っていない保守派の連中からの風当たりが一層悪くなる。
それに、下手をすればモニカから叱られるかもしれない。
そんな厄介事を避けるために、生意気な“クソガキ”にも優しくしなければならなかった。
一方のロイはというと、急に頬を赤く染めながらもじもじと自分の衣服の袖をいじり始めた。


「マ……、はく、……したい」
「は?なんだって?」
「ま、マリィに告白したい!」


半ばやけくそ気味に叫ぶロイ。
その顔はまるで茹でたタコのように真っ赤に染まっている。
勇気を振り絞って“頼み事”の詳細を打ち明けた彼だったが、いかんせん相手が悪かった。
 
先ほどタイオンとユーニは“基本的に何でも解決できる”と言ったが、ゆりかごから産まれた彼らにはどう頑張っても解決できない類の相談事がある。
それはまさに、“恋愛相談”である。
“告白したい”という旨の相談を受け取った二人は、互いに顔を見合わせた。
そして、ほぼ同時に問いかける。


「「なにを?」」


立ち話をするには随分込み入った内容だったため、2人はロイを寄宿舎の中へと案内した。
談話室のソファに3人並んで腰かけながら、相談の詳細を深堀していく。
なんでもこのロイという“クソガキ”には、マリィという名前の幼馴染がいるらしい。
名前からして女児だろう。
告白の内容というのは、そのマリィというもう一人の“クソガキ”に“好きです”と伝えることだという。

先ほどまで威勢よく生意気な言動を繰り返していたロイだったが、マリィの話が始まると多端に体を縮こませもじもじし始めた。
顔も赤く、唇を尖らせながらぽつりぽつりと呟くように心境を吐露している。
そんなロイの両脇にそれぞれ座っていたタイオンとユーニは、彼の話に相槌を打ちながらも全く共感出来ずにいた。

ただ“好き”と伝えるだけのことを、何故自分たちウロボロスに手伝ってもらう必要があるのだろう。
普通に言えばいいのだ。
“おれ、マリィ、すき”
“うん、ありがとう”
これで済む話じゃないか。なにをそんなにもじもじする事がある?
頭に浮かんだ疑問を先にぶつけたのは、ロイの右隣に座っていたユーニの方だった。


「なぁ。そのマリィってなのに好きだって伝えるのはいいとして、アタシらは何を手伝えばいいわけ?」
「どうやって告ればいいかいっしょに考えてよ」
「普通に言えばいいんじゃないか?“君のことを好ましく思っている”。これで解決するだろ」
「はぁ?そんなさらっと言えるわけねぇじゃん!」
「なんでだよ」
「だ、だってさ……恥ずかしいじゃん」


再び真っ赤になり、着ている服の袖をいじり始めるロイ。
恐らくこれが彼の癖なのだろう。
赤い顔で俯いてしまったロイの小さな頭越しに顔を見合わせたタイオンとユーニは、視線で会話する。
“意味わかる?”
“いや全然”
首を傾げながら意思疎通する2人。頭に浮かんだハテナマークは、一層大きくなるばかりである。

好きだと伝えることの何が恥ずかしいというのか。
例えば、セナはミオによく“好き”という言葉を使う。
“ミオちゃんは優しくて強いから好き!”
ニコニコと笑顔を浮かべながら気持ちを伝えているセナに、ミオは朗らかな笑顔を返しながら“ありがとう”といつも応えている。
あれと何ら変わらないはずなのに、そんなに恥じらう必要があるのだろうか。


「そ、それに、むこうはオレのこと好きじゃないかもしれないし……」
「そのマリィと君は友達なんじゃないのか?よく遊ぶ仲だとさっき言っていただろ」
「そうだけど」
「じゃあ大丈夫じゃね?向こうもロイのこと好きに決まってるって。友達なんだから」
「友達だからって、好きとはかぎらないじゃん」


ずっと強く握られていたロイの服の袖は、いつの間にかしわくちゃになっていた。
いくら子供とは言え、いや、子供だからこそ、嫌いだと思う相手とわざわざ親しく遊んだりしないだろう。
友達として親しく接しているということは、少なくとも相手もロイのことを好意的に見ている証拠だ。
好きだと伝えたところで、“わたしは嫌い”などと鋭い言葉を受けることはまずないはず。
 
だが、ロイはそれでも躊躇っていた。
彼にとって、マリィに好意を伝えることはそれなりに勇気のいることなのだろう。
生意気なクソガキの言動を繰り返していたロイが小さくなっている様子を隣で見ていたタイオンは、“よし分かった”と自分の膝を軽く叩きながら立ち上がった。


「君にとってマリィに好意を伝えることがそれなりに勇気のいることだということは良く伝わった。なら、伝えやすいように工夫する必要があるだろう」
「どうやって?」
「マリィの好きなものを一緒に贈るのはどうだ?好きなものを受け取った直後なら相手も喜んでいるだろうし、空気が柔らかくなって言いにくいことも比較的伝えやすくなる」


タイオンのアイデアに、座ったまま見上げていたユーニは“なるほどな”と深く頷いた。
これは交渉術の一環としてよく用いられる手法である。
相手が喜ぶような情報や報酬といった見返りを用意しつつこちらの要望を提示する。
味方のコロニー間と物資のやり取りをする際、こういった交渉術は必要不可欠だった。


「マリィは何を貰ったら喜ぶと思う?」
「うーん……。花、かな。あいつ花好きだし」
「花か。確かシティーの大通りに花屋あったよな」
「よし、善は急げだ」


今回の任務は、モンスターの討伐でも誰かの護衛でもなければ、コロニーの解放でもない。
一人の少年が気持ちを伝える手伝いをするという、簡単なように見えて非常に難しい任務だ。
ティーの大人たちからの依頼のように、莫大な報酬は期待できないが、それでも何故か放っておけない。
顔を真っ赤にしながら俯くロイを見ていると、タイオンはなんとか力になってやりたいと思ってしまうのだ。
それはユーニも同じだったようで、何の文句も言わずに軽い足取りでついてきた。

やがて大通りの花屋に到着すると、店の扉を開けた瞬間、色とりどりな花たちが視界一杯に広がった。
自生している草花をそのあたりで見ることはあるが、こんなにたくさんの種類の花たちを一遍に見るのは初めてだった。
花たちから漂ってくるフローラルな香りが、3人の鼻腔をくすぐる。


「あっ!見ろよタイオン。セリオスアネモネもある」
「本当だな。こうして売っているところを見るのは初めて見た」
「やっぱいい匂いだな。落ち着く」


大きな花瓶にたくさん刺さっているセリオスアネモネの花弁に顔を近づけ、ユーニは香りを楽しんでいた。
その光景を見つめつつ、思わず笑みがこぼれてしまう。
 
タイオンに初めてセリオスティーを振舞われたあの夜以来、ユーニはセリオスアネモネの花自体が相当気に入ってしまったらしい。
旅の道すがら、あの白い花を見つけるとそのたびタイオンに報告してくるのだ。
彼の袖を引っ張り、“あっちにも咲いてる。ほらあっちにも”と指さしながら報告してくる彼女の言葉には、“そうか”以外に返答のしようがない。
だが、自分が淹れたハーブの花を気に入り、わざわざ探すほど好きになってくれたことは純粋に嬉しかったのだ。


「なにかお探しですか?」


セリオスアネモネの前で立ち止まっていると、店の奥から若い女性が顔を覗かせた。
おおらくここの店員だろう。


「あぁ。実は彼が、友達に好きだと伝えたいと言っていて」
「お、おい!かってに言うなよ」


ロイの小さな肩に手を置いて事情を伝えたタイオン。
だがロイにとってはあまり口外してほしくなかったらしく、また赤い顔をしながらタイオンを小突いてきた。
そんなロイ少年の恥じらう姿を見た女性店員は、口元に上品な笑みを浮かべながらロイの顔を覗き込む。


「告白?」
「う、うん」
「そっかぁ。うまくいくといいね、頑張るんだよ」


店員に頭を撫でられながら、ロイはやはり真っ赤な顔でコクリコクリと頷いていた。
ますます分からない。
好意的な気持ちを伝えるだけだというのに、何を“頑張る”必要があるのだろう。
うまくいかない場合があるというのか。
 
相手に友好的な感情を向けられて不快感を露わにする者はなかなかいないだろう。
タイオンとて、例えばノアやランツにそのような言葉を贈られたら嬉しいし、普通に“ありがとう”と返すだろう。
ノアたちだけじゃない。ミオやセナ、リクやマナナ、それにユーニに言われたとしてもきっと――

ん?

ふと、背後を振り返る。
そこには、まだセリオスアネモネの前でその花弁を観察しているユーニの姿があった。
おかしい。動悸がする。
“好きだぜ、タイオン”。そう言って微笑むユーニの姿を想像した瞬間、心臓の鼓動が早くなった。
不整脈というやつだろうか。いや、自分はまだ9期だ。
成人間近な10期後半の兵士じゃあるまいし、体にそんな不調が出るのはまだ早い。


「どのお花を贈るかはもう決めてる?」
「ううん。まだ……」
「じゃあ、これとかどうかな?」


そういって店員が手を伸ばしたのは、ナイトチューリップだった。
観賞用としてコロニーの花壇に植えられることも多いこの花は、比較的親しみのある花だった。
店員が抱えてきた数本のナイトチューリップを視界にとらえたユーニが、ようやくセリオスアネモネの前から離れて“あ、その花見たことあるわ”と呟いた。


「ナイトチューリップは女の子にも人気の花だし、匂いもそこまできつくないから喜ばれると思うよ。それに、好きって伝えるのにはぴったりな花だと思う」
「どういう意味だ?」
「ナイトチューリップの花言葉は、“君が好き”なんです。ストレートでいいでしょ?」


花言葉?”
呟いた疑問がユーニと被ってしまった。
店員曰く、花にはそれぞれ“花言葉”という何かしらの意味を含んだ言葉が割り振られているのたとか。
誰が決めたのかは知らないが、昔からシティーにのみ根付いた知識らしい。
 
この世界は元々2つの世界だったというし、アイオニオンが形成される前の世界で定められた知識なのかもしれない。
誰が決めたのかもわからない言葉にありがたがって、花を贈る者のほとんどはその花言葉を調べてから贈るのだという。

店員曰く、ナイトチューリップの花言葉は“君が好き”というなんともストレートかつ単純なものらしい。
確かに今からロイがマリィに伝えようとしている言葉そのままの意味が含まれている花を贈れば、それなりに言を担げるかもしれない。


「これ!これにする!ねぇこれ買って!」
「お前金持ってねぇのかよ……」


店員が抱えているナイトチューリップを指さして強請り始めるロイ。
花というのは想像以上に高価なもので、1輪だけならともかく花束となると子供の寂しいお小遣いで買えるような額ではなくなってしまう。
当然、バスティールすら購入できないほど少額の財産しか持っていなかったロイは、タイオンの服の袖を引っ張りながら“ねぇ買って”と訴える。
 
気持ちを伝えたい相手がいるから手伝ってくれと依頼を受けたのはこちらの方だというのに、何故こっちが花の資金を捻出しなくてはならないのか。
若干不満ではあったが、このまま難儀していても始まらない。


「仕方ない。買おう」
「やったぁ!」
「おっ、タイオン太っ腹」
「勘違いするな。僕の財布から出すんじゃない。6人共有の路銀から出す」
「えーっケチくせー」
「じゃあ君が出すか?総額6000Gだそうだ」
「オ支払イオ願イシマス」
「よろしい」


一行は個人の財布のほかに、6人共有の財布を持っている。
ウロボロス6人宛てに依頼が来た際の経費や、装備品や食料を購入する際はもっぱらこの共有資金から捻出される。
この財布のひもを握っているのはタイオンである。
当初は年長者のミオが持っていたのだが、困っている人がいると人のいいノアと一緒になって後先考えずに出費し、助けようとする事案が多発した。
コロニーラムダを覆う滝のように金がドバドバと消えていく様に、とうとう危機感を感じたユーニが財布を取り上げてタイオンに託したのだ。
タイオンの倹約のお陰もあって、現在資金は潤沢。
花束くらいでは痛くもかゆくもない程度に資金が溜まっていた。

“お包みしますので少々お待ちください”と微笑むと、店員はナイトチューリップの束を抱えて店の奥へと引っ込んでしまう。
恐らくこれから花束にして渡してくれるのだろう。
準備は整った。あとは例の女児にあの花束を渡して好きだと伝えるだけだ。

ふと目を向けると、ロイはいよいよ緊張してきたのか顔が強張り始めていた。
彼の小さな両手が、再び着ている服の袖をいじり始める。
これではまた皺になってしまう。
そんなに緊張するものなのだろうか。ただ好きだと伝えるだけの行為が。


「おいロイ、その袖いじいじするのやめろ」


不意に、ユーニが背後からロイに注意する。
その言葉を聞いたロイはハッとして服の袖から手を放したが、既に服はぐしゃぐしゃの皺だらけになっていた。
その様子にため息をつくと、ユーニは背の小さなロイの目線に合わせるように腰を落とし、皺になった服を両手で伸ばし始める。


「いいか。マリィに好きって言う時は絶対袖いじいじするなよ?」
「なんで?」
「自信なさげに見えるからだよ。堂々としてろ。もじもじうじうじハッキリしない奴は嫌われんの」
「それは君が嫌いなだけじゃないのか?」


横から口をはさむと、ユーニのぎょろっとした目に鋭く睨みつけられた。
“うるせぇ黙ってろ”という心の声が聞こえてきた気がして、即座に目を逸らす。
ユーニが袖を伸ばした甲斐あってか、ロイの服の皺は気にならない程度に伸びていた。
綺麗になった服の袖に視線を落とした後、ロイは覚悟を決めたようなまなざしでユーニをまっすぐ見つめる。


「わかった。しないようにする」
「よし、偉いぞ」


訪ねてきた時は随分と生意気だったロイだが、ユーニの青い目を前に随分と素直にうなずいた。
そんな彼の頭を優しく撫でるユーニは、メビウスやモンスターとの戦闘で見せる闘志あふれる目が嘘のように慈愛に満ちている。
そんな顔もできるのか、君は。
タイオンが心の中でつぶやいた言葉は、誰にも届くことはない。

無事ナイトチューリップを購入した後、当該のマリィという女児を見つけて憩いの小広場へと呼び出した2人。
“あとは若いお二人で”ということで退散し、少し離れたベンチに揃って腰掛けながら様子を見守っていた。
数十メテリ先に、ナイトチューリップの花束を背中に隠したロイと、そんなロイに突如呼び出され不思議そうにしているマリィの姿がある。
向き合っている2人の会話は、離れた場所にいる二人には聞こえないが、ロイが目も当てられないほど緊張している様子は遠くからでもよく伝わってきた。


「がちがちだな、ロイの奴」
「それほど好きだと伝えることは彼にとって難しいことなんだろう」
「たった二文字を伝えることがそんなに恥ずかしいかねぇ?」
「知らん。僕に聞くな」


顔を真っ赤に染め上げたロイが、背中に隠したナイトチューリップの花束を恐る恐る差し出した。
花束を向けられたマリィは、口を開けて驚いている。
だが、すぐに笑顔になって花束を両手で受け取った。
声は聞こえないが、口の動きを見るに“ありがとう”と言っているように見えた。


「口に出すのが恥ずかしくなるくらい好きってことなのかな」
「だから知らん」
「んだよ。少しくらい考えてくれてもよくね?」
「考えたところで理解は出来まい。僕たちと彼らシティーの人間とでは生き方も価値観もまるで違う」
「ロイの“恥ずかしさ”はシティー独自の価値観だっての?」
「そもそも彼の言う“好き”が、僕たちが思い描くところの“好き”と同じ意味なのかも分からない。“好き”にも色々あるだろ」
「そりゃそうだけど」


ティーの人間には彼らなりの哲学があり、タイオン達にはタイオンたちなりの哲学がある。
その間に生まれた歪みは、彼らが一生を終えるたった10年の間で埋まるほど浅いものではない。
母の胎内から生まれ、あんなに小さな赤ん坊から顔中皺だらけになるまでの長い人生で形成されたものの考え方は、ゆりかごから産まれて死ぬために生きてきたケヴェスとアグヌスの若人には理解しがたい。

ティーの人間たちから感じる数々の“疑問”は、自分たちが彼らと違っていかに不完全であるかをまざまざと見せつけてくる。
あんなに幼くか弱い子供であっても、自分たちの知らない“好き”という感情を知っている。
もしも自分たちがゆりかごではなく母体から産まれてきていたら、今目の前で繰り広げられている幼く淡い思いのぶつかり合いにも共感を示せていたのかもしれない。
そんなことを考えていると、隣に座っていたユーニが寂し気にぽつりと呟いた。


「あんなちっちゃい奴でも理解できてる感情を、なんでアタシたちは理解できないんだろうな」


その呟きに、タイオンは何も答えられなかった。
理解出来るものならしてみたい。
恥じらいながら相手に好きだと伝えるその行為が、いったいどんな感情に付随するものなのか。
その感情とは、どんな形、どんな色をしているのか。
幼いあの2人にも理解出来ているのだ。きっと自分たちにだって分かるはずなのに。

やがて、花束を差し出したロイの表情が緊張から喜びの色へと変わっていく。
今度はマリィの方が少し照れたように俯きながら、何度も小さく頷いていた。
どうやら無事想いを伝えられたらしい。
これでめでたしめでたし。万事解決か。
そう思って力を抜いたその瞬間、マリィがロイの頬にふわりと自らの唇を押し当てた。
幼い2人の影が一瞬だけ重なり合ったその光景に、タイオンとユーニは同時に“えっ…”と声を漏らす。


「なんだあれ」
「さぁ。シティーの子供の間で流行っているんじゃないのか?」
「あぁそういう感じ?」


いや、多分違う。
本能的に二人ともそう思っていたが、なんだか気まずくなりそうだったのであえてその方向で無理やり納得することにした。
暫く恥じらいながら会話をしていたロイとマリィ。
その様子を二人そろって黙って見つめていると、ロイがようやくこちらに視線を向けて走り寄ってきた。
どうやら存在を忘れられたわけではないらしい。


「二人ともありがとな!マリィもオレのこと好きだって!」
「おーよかったなロイ」
「うん!両想いだぜ両想い!キセキじゃね?」
「随分おげさじゃないか?」
「だってマリィもオレと同じきもちだったんだぜ?すごいことだろそれって!」
「そういうものか?」
「そういうもんなの!」


好意を持ってくれた相手を同じように好意的に思うのは自然なことだろう。
“奇跡”という言葉を持ち出してくるほど大げさなものではない。
これからもロイとマリィは、友達として末永く仲良くしていくことだろう。
喜びを爆発させるロイの顔を、タイオンとユーニは微笑ましく見つめていた。
そんな2人からの視線を浴びていたロイは、笑みを絶やさないまま妙なことを言ってくる。


「二人もがんばれよ」
「何をだ?」
「オレ、2人はおにあいだと思うよ」
「お似合い?」
「じゃあな!ほんとありがとな!」


生意気だったロイは、素直に礼を言いながら去っていく。
ナイトチューリップの花束を抱えたまま遠くで待っていたマリィのもとへ戻ると、その小さな手を取って二人仲良く歩き出す。
しっかり手を繋いで歩いている幼い2人の背中は、憩いの小広場の階段を降りて消えていった。


「手なんか繋いで仲いいこったな」
「そうだな。これで一件落着だ。依頼料も報酬もないようだが」
「むしろマイナスだな。ナイトチューリップの花束代分」
「あぁ。赤字になった依頼事は初めてだな」


タイオンの言葉に、ユーニは“ぶはっ”と吹き出して笑い始めた。
そんな彼女に釣られるように、タイオンもまた穏やかに笑う。
ゆったりとした時間が、2人の間に流れていた。
互いの微笑みが薄くなり始めた頃合を見計らって、ユーニは腕を伸ばしながらゆっくりと立ち上がる。


「ふわぁ、なんか疲れた。終わったことだしそろそろ帰ろうぜ。ノアたちももう帰ってるかもしれねぇし」
「あ、ちょっと待った」
「ん?」


ロストナンバーズの寄宿舎へと帰ろうとしたユーニを、ベンチに座ったままのタイオンが引き留める。
自分の体で隠すようにベンチに置いていたあるものを取り出したタイオンは、“これを”と呟きユーニへと手渡した。
それは小さな花束。それも、数本のセリオスアネモネで包まれた可憐なものだった。


「え、なにこれ。セリオスアネモネじゃん。なんで?」
「さっき物欲しそうにずっと見ていたからな。ナイトチューリップほど高価じゃなかったから買って置いた」
「えぇっ!? 共有の財布で?」
「いや、流石に僕の財布で」
「あっはは!マジかよタイオン!最高!」


小ぶりなセイリオスアネモネの花束を両手で受け取ると、ユーニは喜びを隠さず伝えてきた。
弾むような声で“最高!嬉しい!”と何度も口にし、太陽のように明るい表情で花束へと視線を落としている。
まるでシティーの広場で遊ぶ子供のようなはしゃぎぶりに、タイオンは少し呆れつつ笑ってしまう。
花を愛でるような性格ではないと思っていたが、こんなに喜んでくれるとは。


「花束貰った時のマリィの気持ち、ちょっとだけ分かったような気がするわ」
「それはなにより」
「ありがとなタイオン。結構嬉しい」


立ち上がっていたユーニの気配がすぐ隣に戻ってくる。
またベンチに座ったらしい。
寄宿舎に戻るんじゃなかったのかと疑問に思ったその瞬間、タイオンの頬に柔らかい感触がふわりと当たった。
つい先ほどマリィがロイに何をしていたのか遠目で見ていたタイオンには、その行為の正体がすぐにわかってしまう。


「さっきのマリィの真似な」


驚いてのけぞり、唇が押し当てられた左頬に手を当てる。
ぎょっとしているタイオンの隣に腰かけているユーニは、何も悪びれることなく“へへっ”と悪戯な笑みを浮かべていた。


「こ、子供の行動を真似するな!」
「悪い悪い。嫌だった?」
「い、いや、ちょっと驚いただけだ……」


ただ、マリィとロイの真似をしただけで、そこに深い意味はない。
にも関わらず、こんなに落ち着かないのは何故だろう。
心臓が痛いほど高鳴っている。突然されたことで驚き、また不整脈に見舞われてしまったのかもしれない。
何だか情けなかった。ただ頬に唇を押し当てられただけでこんなに驚いてしまうなんて。

高鳴る心臓の鼓動が収まらないまま、タイオンはユーニと一緒にベンチから立ち上がった。
ロストナンバーズの寄宿舎に帰るまでの間、ユーニはずっと嬉しそうに笑みを浮かべながらタイオンから贈られた花束を両手に抱えている。
時折匂いを嗅いでは、また嬉しそうに微笑むという繰り返しだ。

そんなに嬉しいのか。僕から花束を貰ったことが。
ただ、少しの金額を出して彼女の好きな花を贈っただけのことだ。
大したことはしていない。
なのにこんなに喜んでもらえるなんて、正直こちらとしても嬉しかった。
 
喜んでいるユーニの姿を見ていると、こちらも心が跳ねる。
もう少し彼女を喜ばせてみたくなった。
何かを贈るだけでこんなに喜んでくれるなら、たまには贈り物をしてみるのも悪くない。
他には何を贈ったら喜ぶだろうか。食べ物か?身に着けるものか?それとも飾るものか?
いつの間にかタイオンは、次にユーニへ贈るものを考え始めていた。


***


その日以降、タイオンの心境にほんの少しだけ変化が訪れていた。
便利な道具や優れた装備品、そして綺麗な装飾などを見つけると、まず初めに“これを贈ったらユーニは喜ぶだろうか”と考えるようになった。
実際、あのセリオスアネモネの花束以降タイオンはユーニに何度か贈り物をしている。

“最近髪が絡まって困っている”と聞き、シティー内で話題になっている少し高価な櫛を贈った。
“甘いものが食べたい”と言っていたから、行列が出来る店のケーキを買って贈った。
“靴がすり減って歩きにくい”とぼやいていたから、すぐにサイズの合う新しい靴を贈った。

買ったものを差し出すたび、ユーニは毎回大げさなほど喜んでくれた。
“ありがとう”、“嬉しい”、“大切にする”。
その言葉を浴びせられるたび、タイオンの心もまた跳ねる。
また喜ばせたいという衝動に駆られるのだ。

贈ったものを胸に仕舞い込みながら笑顔を向けてくるユーニを見ると、たまらなくなる。
まるで極上のアルマサーロインステーキを一口食べた時のように、もっと、もっとその笑顔を見たくなる。


「女子部屋に飾ってあるセリオスアネモネって、タイオンが贈ったんだよね?」


ロストナンバーズの寄宿舎にて、談話室のソファに座って瞳を確認していたタイオンは、正面のソファに腰かけていたミオに話しかけられた。
コレペディアを確認していた瞳の機能をシャットダウンし、顔を上げる。
寄宿舎の女子部屋には入ったことは無いが、どうやらセリオスアネモネの花が飾ってあるらしい。
十中八九、先日ユーニ宛てに贈った花束だ。


「あぁ、たぶん」
「やっぱり?毎日嬉しそうに花を眺めてるよ」


“プレゼントされたのが相当嬉しかったんだろうね”
そう微笑むミオの言葉に、タイオンは密かに表情を綻ばせた。
そうか、そんなに嬉しかったのか。
だらしなく緩む口元を誤魔化すため、表情を隠すように眼鏡を押し上げると、彼の照れ隠しに気付いたミオがクスリと笑う。


「自分が贈った花をユーニが大切にしてるって聞いて、嬉しい?」
「当然だ。贈ったものを喜んでくれていると聞いて嬉しく思わない人間はいない」
「そうだね。でも、それだけ?」
「というと?」


自分の膝に頬杖を突くようにして前のめりになるミオ。
白く美しい髪を耳にかけながら、やけに挑発的な目でこちらを見つめてきた。
その目は、まるでタイオンの心を見透かしているようだった。


「タイオン、最近ユーニにいっぱい贈り物してるよね?それってなんでなのかなぁって」
「なんでって、それはユーニが――」


“嬉しそうにするから”
そう言おうとして、言葉が途切れた。
突然顔にカッと熱が灯って、言えなくなってしまったのだ。
何故だろう。ユーニへの感情を口に出すのが、妙に恥ずかしい。
別に恥じ入るようなことではないはずだが、心が落ち着かずどうしようもなく心拍数が上がる。
ユーニへの感情を表す言葉が、喉の奥に引っ掛かったまま出て来ないのだ。
言葉を飲み込んだまま、赤くなった顔を隠すように口元を覆うタイオンに、ミオはまた笑顔を見せる。


「好きな人が喜んでるのって、嬉しいよね」
「好きな人?」
「好きなんでしょ?ユーニのこと」


その問いには、迷わずYESだった。
ユーニはインタリンクできる唯一のパートナーだ。
かつては互いに命を狙い合った敵同士だったが、今は世界の命運を両肩に託された大切な仲間である。
好きか嫌いかで言えば、確実に好きだと言える。
当然、目の前にいるミオだって好きだ。
セナやマナナ、ノアやランツやリクも同じ。

他の誰かが自分の贈ったものを喜んでくれていれば、やはり嬉しくなるだろう。
それはユーニに限ったことではない。
例えばミオに花や櫛を贈ったとして、“ありがとう”と微笑まれたら嬉しく思うはず。
だが、なにかおかしい。

ミオやセナたちが、“あれが欲しい”、“これが気になる”と話している場面は何度か見たことがあるが、今思えば“買ってやろう”という気持ちにはならなかった。
だが、ユーニが何かめぼしいものを指さして目を輝かせた途端、“贈ってやりたい”という気持ちが芽生える。
彼女が宝石のように輝く瞳で指さすあの星を差し出せば、きっとユーニは喜んでくれる。
その笑顔を見たいと思うのは、間違いなくユーニだけだった。


「あ、そういえばね、女子部屋に飾ってあるセリオスアネモネ、最近少ししおれ気味なんだよね」


ユーニに例の花束を贈ったのは数日前のこと。
花瓶に生けてある生花は、そこまで長くはもたない。
そろそろ寿命が近くなってきたのだろう。
ユーニはあの花を毎日嬉しそうに眺めていると言っていた。
花が枯れたらきっとがっかりするだろう。
しおれたセリオスアネモネを悲し気に見つめて肩を落としているユーニを想像すると、やけに胸が痛んだ。


***


「あっ、この間の……!」


花屋に足を踏み入れたと同時に、奥から顔を出した女性店員は表情を明るくさせた。
先日、ロイのためにナイトチューリップを購入しに来た際話した店員と同じ女性である。
購入する予定の花は既に決まっている。
白いセリオスアネモネが飾られている花瓶を指さして“あれを花束にしてください”と伝えると、店員は朗らかに笑いながら“承知しました”と頷いた。

店の中に他の客はいない。
ラッピングが済むまで店内の花を見ながら待っていたタイオン。
そんな彼に、店の奥でラッピング作業をしていた店員が声をかけてきた。


「先日も同じ花を購入されてましたよね?贈り物ですか?」
「えぇ、まぁ」
「もしかして、好きな人とか?」


この花を贈る予定の相手はユーニだ。
彼女はウロボロスとしてのパートナーであり、それ以上でも以下でもない。
だが、最近は彼女のことを“好き”かどうか問われる場面によく遭遇する。
色々と考えてみたが、やはり好きか嫌いかと言われれば好きだ。
深く考えるまでもなくその答えはすぐに出たが、浮かび上がった“好き”という単語の正体はいつもぼやけている。
 
“好き”なのは間違いない。だが、どう好きなのかが分からない。
心に抱え込んだユーニへの“好き”という感情が、親愛の色をしているのか、敬愛の色をしているのか、それとも別の色をしているのか、タイオンにはまだ掴めずにいた。


「……好き、ですね」
「やっぱり!そうだと思いました。セリオスアネモネ花言葉的にも好きな人に贈る花としてはぴったりのチョイスですからね!」
「ほう。セリオスアネモネ花言葉って…?」
「白いセリオスアネモネ花言葉は、“希望”とか“真実”とかですね」


セリオスアネモネの白い花弁は、潔白な清廉さを表していた。
花言葉としてあてがわれた言葉たちは、その白く美しい花にお似合いだ。
だが、希望だの真実だのはという花言葉が、好きな相手に贈る花としてピッタリだというのは少し違和感がある。
相応しくないわけではないが、少し的がズレているような気がした。


「真実に希望、か。いい言葉ではあるが、好意を伝えるにしては少しずれているような気がするな」
セリオスアネモネには色ごとに違った花言葉があるんですよ。例えば紫の花言葉は“貴方を信じて待つ”。青は“固い誓い”。そして赤は“君を愛す”なんですけど、色に関係なくすべてのセリオスアネモネに共通する花言葉があってですね――」


リボンを結ぶ“きゅっ”という小気味いい音と共に、白いセリオスアネモネの花束が完成する。
小ぶりなその花束を持ち上げ、ニコニコと微笑みながら店員はタイオンに差し出してきた。


「“儚い恋”です」
「恋……?」
「はい。恋です」


満面の笑みを浮かべている店員の女性から花束を受け取りながら、タイオンはその二文字を噛みしめた。
恋。そうか、恋か。
ぼやけていたユーニへの“好き”が、どんな色をしているのかようやくわかった。
親愛の紫でも、敬愛の青でもない。真っ赤な“恋”だ。
ティーに初めて来訪した時に触れた、理解し難いあの概念。
あのうまく言語化しがたい概念が、“好き”という言葉に化けてタイオンの心の中で仁王立ちしている。

そうか、僕はユーニに恋をしているのか。

自覚してしまえば随分とあっけなかった。
ユーニに恋をしていることへの動揺よりも、なるほど、これが。という感心が先行してしまった。
知識欲豊かなタイオンにとって、恋という未知なる経験をしている事実は心躍る。

受け取った花束を抱えて、店を出た。
咲き誇る花弁に顔を近づけると、優しい香りが鼻腔をくすぐる。
この花束を贈ったらユーニは、僕の好きな人はまた喜んでくれるだろうか。


***

扉を3回ノック。
すぐに中から“ほいほーい”というユーニの声が聞こえてくる。
扉が開いた瞬間、ユーニの青く綺麗な瞳がタイオンを見上げた。
突然寄宿舎の女子部屋を訪ねてきた相方に、ユーニは“ん?”と首を傾げる。
揺れる髪と白い羽根が妙に可憐に見えて、心臓がまた跳ねた。

花束を購入したとて、きちんと相手に贈らなければ意味がない。
すくむ足にムチ打ちながら女子部屋をノックしたのだが、ユーニを前にするとまた逃げ出したくなってしまった。
己の心に浮かび上がった“好き”という文字の色を自覚したのはつい数分前。
好きな人を前に、タイオンはまだ何も喋っていないというのに急速に喉が渇いてしまう。


「どした?」
「あ、いや、その……わ、」
「わ?」
「渡したい、ものが……」


背中に隠した花束を握る手に力が入る。
手汗がすごい。
心臓がバクバクとわめいて、顔に熱が籠る。
前回彼女に同じ花を贈った時は特になにも考えずに渡すことが出来ていた。
なのに今は、何故か躊躇われてしまう。
恥ずかしいのだ。それも物凄く。

ただ花束を渡すだけじゃないか。
先日贈った花がしおれ始めたと聞いたので新しいものを用意した。そう言って背中に隠した花束を渡すだけのことだ。大したことじゃない。
なのに、どうしてこんなに足がすくむんだ。
 
そして思い出した。そういえば、あのロイという少年もマリィに花を差し出すとき随分恥ずかしそうにしていた。
多分今の自分は、あの時のロイと同じ顔をしている。
彼がマリィに抱いていた“好き”の色は、タイオンがユーニに向けている“好き”と同じ色だったのかもしれない。


「渡したいもの?何それ。ってかさっきからなにもじもじしてんの?」
「し、してない!」
「してんじゃん。……あっ!」


タイオンの背中を覗き込んだユーニが、突如手を伸ばしてきた。
花束を掴んでいたタイオンの手に、ユーニの手が重なる。
強引に引っ張られたことで、隠していたはずの白い花束がユーニの眼前に晒しだされてしまった。


「あっ」
「うわぁセリオスアネモネじゃん!もしかして渡したいものってこれ?」
「あ、あぁ、まぁ」
「また買ってきてくれたんだ!ちょうど萎れかけてたんだよなぁ。ありがとなタイオン」
「これくらい、別に……」


あぁ逃げたい。今すぐ逃げたい。穴があったら入りたい。
何故かは分からないが無性に恥ずかしい。羞恥心で死にそうだ。顔から火が出そうなほど熱が昇っている。
ユーニが花束を抱えながら“ありがとう”と笑う姿を見て心が跳ねると同時に、どうにもこうにも首筋のあたりがかゆくなる。
心に抱えた真っ赤な好意を知られたくない。何としても隠したい。誤魔化したい。
そんな気持ちが生まれていた。


「じゃあ僕はこれで――」
「えっ、おいちょっとちょっと」


足早に立ち去ろうと背中を向けたタイオンだったが、突然ユーニに手を掴まれビクリと体を震わせた。
“なんだ?”と焦りながら振り返ると、白い花束を抱えたままこちらを見上げているユーニと目が合った。


「マナナに食材集め頼まれてるんだ。カデンシアのキノコが欲しいんだって」
「き、キノコ?」
「タイオン、キノコに結構詳しかっただろ?採りに行くの手伝ってくんない?」
「……これから“瞳”で調べ物をしようとしていたんだが」


そろそろこのシティーを出て他のコロニーを訪れようかとノアと話していたところだった。
次の目的地はコロニーミュー。
そこへ向かうための最適なルートを検索しノアに提案するのが、タイオンの役目である。
ティー出立の日が迫った今、なるべく早くルートの確保をしておきたかったのだが、そんなタイオンの事情を聞いたユーニは握っていた彼の手をゆっくりと放す。
指先から離れていくユーニのぬくもりを感じて、タイオンは思わず彼女の手を目で追ってしまった。


「忙しいならしゃーねぇか。タイオンと2人だったらすぐ終わると思ったんだけどな」
「君と、2人…?」
「ま、一人で採って来るかな」
「待った!」


花束を抱えて女子部屋に引っ込もうとするユーニ。
そんな彼女の背中に焦ったタイオンは、咄嗟に彼女の腕を掴んでしまった。
止まる足。なびく髪と共に振り返る青い目。
セリオスアネモネの香りを漂わせながらこちらを見つめ返してきたユーニの顔は、やけに眩しく見えた。


「なに?」
「やっぱり行く」
「え?」
「君一人で行ったら、どうせ毒キノコばかり選んでくるのがオチだ。また不本意に熟睡してしまうのは勘弁願いたいからな」
「んだよそれ。アタシのこと舐めすぎだろ。一人でも大丈夫だっての」


腕を掴んできたタイオンの手をやんわりと振り払い、ユーニは部屋の奥へと足を進めた。
まずい。少し言葉を間違えてしまったらしい。
あんな言い方じゃ怒るのも無理は無い。最悪だ。せっかくいい雰囲気だったのに。
 
一人で行こうという意思を固めつつあるユーニに焦りが滲む。
2人で出かけられる機会を逃したくはない。荒波のように羞恥心が襲ってくるが、それでもなお、ユーニと一緒にいたい。
なんとかして彼女についていく口実を作ろうと思考を巡らせる。
ユーニは花瓶に生けてあった萎れ気味の花を取り出し、新しいセリオスアネモネを入れ替えると、振り返りながら言った。


「でもまぁ、タイオンと一緒の方が楽しいか」


さらりと言い放たれるユーニの言葉に、タイオンはまた淡い喜びを抱いてしまう。
ユーニの言動にいちいち一喜一憂していしまう今の自分は、ひどく情けない。
これが、恋というものか。恋をすると、こんなにも心がくるくると回るものなのか。
無様だ。何もかもがユーニを中心に回って、その引力に逆らえなくなる。
けれど、悪くはない。
これはこれで、ほんの少しだけ楽しいと思えた。


***


ユーニと二人で行く楽しいキノコ狩りの時間は、目的地に着いた後わずか5分足らずで幕を閉じてしまった。
黒く不穏な雲に覆われていた空から、とうとう雨が降り出してしまったのだ。
一気に本降りになってしまった雨に顔をしかめ、駆け足で雨宿りできそうな場所を探す二人。
だが森の中にマトモに雨をしのげるような建物などあるわけもない。
唯一雨に晒されずに済みそうな場所は、森の真ん中に堂々と生えていた大木の下だった。

雄大に枝を伸ばす大木の地面は乾いている。
なんとか木の下に入り込んだ二人は、相変わらず分厚い雲に覆われている空を見上げながら肩を落とした。
暫くやみそうにない。
ユーニと二人で出かけるという事実ばかりに意識が注がれていたため、天気に気をかける余裕などなくなっていたのだ。
こんなことになるなら、きちんと天気予報を確認してから外に出るべきだった。


「へっきし!」


すぐ隣で、ユーニがくしゃみをする。
彼女へと視線を落とすと、ミルクティー色の髪の毛先や白く美しい羽根の先端がわずかに水気を帯びている。
僅かに吹く風が、雨に濡れた体を冷やし、体温が奪われていく。
ユーニは他の仲間たちと比べて寒さに弱い。このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。

首に巻いていたマフラーを解いて広げ、タイオンは彼女の頭に被せた。
突然頭上から振って来た橙色に驚いたユーニは、隣に佇むタイオンを見上げる。


「え、なに?」
「それで拭いてくれ」
「いやでも」
「風邪をひかれたら困るから」
「ダサいと思ってたけど、タオル代わりになるなんて結構役に立つな、このマフラー」
「……やっぱり返してくれ。君には勿体ない」
「あははっ、うそうそ。ありがとな」


本当はきちんとしたタオルを差し出したかったが、手元にない以上仕方ない。
タイオンのマフラーで濡れた頭を拭き始めたユーニを横目に、タイオンは“瞳”で天気を確認し始める。
予報では、暫くこの雨はやまないらしい。
 
長い雨宿りになるだろう。ずっと立っていては疲れてしまう。
雨避け代わりにしているこの大木の根は随分立派に育っており、地面に張り巡らされている太い根は腰掛けるのにちょうどよさそうだ。
背後に横たわっている根にタイオンが腰掛けると、ユーニもそのすぐ隣に座った。

雨が降る心地よい音と、大木の葉から雫がポタポタと滴り落ちる音だけが周囲に響いている。
腕と足を組み空を見上げるタイオンと、隣で髪を拭くユーニの間に会話はない。
空の様子を観察するふりをして、タイオンはちらちらとユーニの様子を伺っていた。
 
すぐ隣にユーニが座っているという状況だけで、胸が騒がしくなる。
何か彼女を楽しませる話題を提供できればよかったのだが、生憎とタイオンにそのような話術の才能はない。
思いつく話題といえば、どれもこれも面白みのない堅い話ばかり。
ユーニが笑って乗ってくれそうな話題のカードは、タイオンの手札にはなかった。

何か話したい。
自分はここにいるだけで十分楽しいのだが、ユーニが同じ気持ちでいてくれているのかは分からない。
もしかしたらつまらない、早く帰りたいと思っているのかもしれない。
ユーニを退屈させたくない。ほんの少しでも自分との時間を楽しいと感じてもらいたい。
何か、何かいい話題はないか。

ちらりとユーニに目を向けた瞬間、彼女の白い羽根に上から水滴が垂れ落ちてきた。
落ちてきた雫はユーニの羽根を濡らしてしまうが、当の彼女は髪を拭くのに集中しているようで気付いていない。
上を見上げると、ユーニの羽根の真上に葉を何枚かつけた小枝が生えていた。
葉の一枚には雨水がたまっている。おそらく先ほどの雫はあの葉から垂れてきたのだろう。
ユーニは羽根が濡れることを嫌っている。
今は気付いていないものの、きっと雫が羽根に落ち続けていると知ったら嫌がるだろう。

やがて溜まった雨水が葉を揺らし、再び雫を真下のユーニへと投下しようとしていた。
あぁまずい。またユーニが濡れてしまう。
咄嗟に出した手のひらが、落ちてきた雫からユーニの羽根を庇った。

突然背中から頭上に手を伸ばしたきたタイオンを不思議に思い、ユーニは視線を向けてくる。
至近距離がで目が合った瞬間、タイオンは少し視線を泳がせながら顔を逸らした。
逃げるように視線が逸らされてもなお、背中から延びてきた手はユーニの頭上を離れようとしない。
彼が何をしているのか知りたくなり、上を見上げたユーニはようやくその真意を知った。
タイオンの手が、上から滴り落ちてくる雫を皿のように受け止めている。


「雫から守ってくれてんの?」
「羽根が濡れるのは嫌なんだろ?」
「まぁな。気が利くなタイオンは。くるしゅうない」
「女王か君は」
「でもそれずっとやってるつもりか?手疲れねぇ?」
「別に」


屋根のある建物なら、雨の雫から完全に身体を守れたのかもしれないが、ここは大木とはいえただの木の下だ。
重なり合った葉の間からすり抜けるように雨が滴っている。
雨に濡れずに済む場所は大木の下でも限られており、タイオンが座っている場所の反対側も雫が上から滴っていた。
恐らく、座る場所を詰めたところでどうせ濡れてしまう。
しばらくすれば腕は疲れてしまうだろうが、そのせいでユーニが垂れ落ちる雫に悩まされるよりはずっとましだった。


「タイオン、脚広げて」
「え?」
「いいから早く」


その真意が分からないまま、タイオンはユーニに促されるまま足を開いた。
そして立ち上がったユーニは、開かれたタイオンの足の間に入ると、そのまま彼の左膝の上にそっと腰掛けた。
思わず息を詰める。
まさか膝に腰掛けてくるとは思わず、眼鏡の奥で目を見開いた。
そんなタイオンの肩に手を添えて掴まりながら、ユーニは笑顔を見せる。


「ここなら水滴も落ちて来ねぇな」
「……僕の膝を椅子代わりにするつもりか?」
「椅子にしては座り心地そんなに良くねぇけどな」
「勝手に座っておいて文句を言うな」


悪戯な笑みを見せるユーニの顔が、あまりにも近い。
まずい。今、絶対に顔が赤くなっている。
誤魔化すように平静を装っているが、騒ぎ立てる心臓は限界を訴えていた。
ユーニの目をまっすぐ見れない。素直に言葉を紡げない。
緊張で手に汗がにじむ。視線が一点に定まらない。
雨の音しか聞こえないこの静かな空間のせいで、心臓の音がユーニに聞こえてしまわないか心配だった。

とにかく目を合わせられなくて顔を逸らしていると、不意に頭上から橙色が落ちて来る。
ユーニが肩から掛けていたマフラーが、タイオンの頭に被せられたのだ。


「お前も髪濡れてんじゃん。乾かしてやるよ」
「い、いい!自分でやる!」
「この体勢ならアタシがやってやった方が楽だろ?遠慮すんなよ」
「別に遠慮してるわけじゃ……」
「そのまま放っておいたらもじゃもじゃの髪が余計にもじゃもじゃになったちまうぞ」
「誰がもじゃもじゃだ!」
「いいから下向けほら」


ユーニの乱暴な手つきによって下を向かされ、強引に頭をごしごしと拭かれる。
好きな人に世話を焼かれているこの状況に、タイオンは無性に恥ずかしさを覚えていた。
こんな無様を晒しているというのに、心の奥底で喜びを感じてしまっている自分がいる。

ユーニに髪を拭かれながら下を向くタイオン。
そんな自分の足元に、一輪の花が咲いているのが見えた。
セリオスアネモネである。
こんなところに自生しているだなんて珍しい。
彼女が好きな白ではなく、赤いセリオスアネモネだったが、今ここでこの花をユーニに贈ったら少しは喜んでもらえるだろうか。
迷いながらも、タイオンは足元の真っ赤なセリオスアネモネへと手を伸ばす。


「あの、ユーニ、これを……」
「ん?」


差し出した真っ赤なセリオスアネモネを見て、ユーニは目を丸くさせた。
たった一輪のその花を受け取ったユーニの表情は、どんどん明るくなっていく。


セリオスアネモネじゃん」
「足元に生えてた」
「マジ?アタシにくれんの?」
「……好きだろ?」
「うん、好き」


その即答に、また心が騒ぐ。
花に向けられたその“好き”にさえ、いちいち反応してしまう。
タイオンの中にあるユーニへの“好き”と同じく真っ赤な花弁を持つその花は、彼女の手の中で可憐に咲き誇っている。
その花を見つめながら、ユーニは“白もいいけど赤も綺麗だな”と微笑んだ。
彼女の微笑みは、手中にある花よりも可憐で、かつ綺麗だった。

手元の花を見つめるユーニの横顔を盗み見ながら、タイオンは考える。
例えば今、ユーニに気持ちを吐露したらどうなるだろう。
好きだと伝えたら、その花を贈った時のように笑顔で“ありがとう”と言ってくれるだろうか。
それとも困らせてしまうだろうか。
 
ロイは言っていた。“友達でも同じ気持ちだとは限らない”と。
その言葉の意味が今ならわかる。
ユーニは仲間だ。好かれているか嫌われているかで言えば好かれている自覚はあった。
けれどユーニからの好意が、自分の好意と同じ色をしている保証は無い。
一方的な気持ちかもしれない。そう思うと怖くて仕方がなかった。

あの時、ロイは随分緊張した面持ちでマリィに好意を伝えていたが、今となってはよくあんなことが出来たなと感心してしまう。
受け入れて貰える保証もないのに気持ちを吐露するなんて恐ろしいこと、自分には無理だ。そんな勇気は無い。


「てか、最近タイオンに色々貰ってばっかりだな、アタシ」
「そうか?」
「たまにはお礼してやるよ。何が欲しい?」


何か見返りが欲しくて物を贈り続けていたわけではない。
強いて言うなら、ユーニに喜んで貰いたかっただけなのだ。
だが、彼女が何か礼をしたいというのなら、望むものは一つだけある。


「じゃあ――」
「今度バスティール奢ってやろうか?」
「ば、バスティール?」
「タイオン好きじゃん。シティーのバスティール」
「……そんなものいつでも自分で買える。いらない」
「えーなんだよ我儘だなぁ」


“またマリィの真似をしてほしい”
そう言おうとした瞬間、ユーニに阻まれた。
バスティールなんていらない。欲しいのは、あの頬に触れた感触だけだった。
金もかからない。1秒もあれば実行できるその“お礼”を強請ろうとしたのだが、やめた。
そんな恥ずかしいこと、言えるものか。


「そういえばさぁ、この前花屋の店員が言ってたよな。花にはそれぞれ花言葉があるって。セリオスアネモネ花言葉ってどんなのだろうな」
「えっ」
「タイオン知ってるか?」


言えるわけがなかった。
セリオスアネモネが、“儚い恋”というあまりにも可愛らしい花言葉を持っているだなんて。
そして、タイオンが花だけでなくその花言葉も一緒にユーニに贈っているだなんて。
そんなことを知られたら、あまりの恥ずかしさに死にたくなることだろう。
だから、可愛い花言葉を隠すように可愛くない嘘で誤魔化すのだ。


「さ、さぁな。どうせ“落ち着きがない”とかじゃないか?」
「落ち着き?」
「もしそうなら君にぴったりの花言葉だな」
「はぁ?んだよそれ。アタシが落ち着きねぇて言いたいのかよ」
「あると思っていたのか?」
「アタシはいつでも落ち着いてるっつーの」
「モンスターと戦うたび毎回正面から突っ込もうとする君が言うか」
「戦闘は真っ向勝負こそ華だろうが」
「美しくないな」
「んだとこら」
「いっ…ゆ、ユーニやめっ」


突然、ユーニがタイオンのこめかみのあたりを両手の拳でぐりぐりと押してきた。
軽い力といえどこめかみを両脇から押されればそれなりに痛い。
抗議の声を挙げるタイオンだったが、そんな彼の様子が面白かったのかユーニはケタケタと笑っている。


「アタシはいつだって美しいだろうが。謝るなら今だぞ?んん?」
「暴力に訴えている時点で美しくないだろ」
「この野郎分からせてやる」
「痛っ!いたたっ!」


タイオンのこめかみを押す力を強めるユーニ。
何とか逃れるために彼女の手に自分の手を重ねて引きはがす真似をしてみるが、タイオンの手に力は入っていなかった。
少しだけ痛いが、彼女とじゃれ合う時間は愛おしい。
例え怒った顔と声であっても、彼女に構ってもらえるならそれでも構わない。
相変わらず心臓はうるさく自己主張しているし、胸を押し上げている恥ずかしさも収まらない。
けれどこの現象が“儚い恋”のせいだと言うのなら、甘んじて受けれてやろうと思えた。

2人のじゃれ合いは、結局雨が止むまで続いた。
予報よりも早く上がった雨にタイオンが少しだけがっかりしたことは言うまでもない。
ティーに帰った後、ユーニは女子部屋の花瓶に飾られた白いセリオスアネモネたちの真ん中に、真っ赤な新しい花を差し込んだ。
彼女はまだ、“赤いセリオスアネモネ”に隠されたもう一つの花言葉に気付いていない。