Mizudori’s home

二次創作まとめ

その体温に溶けてゆく

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■ゲーム本編時間軸

■短編


「信じらんねぇ!」


朝、ユーニの甲高い怒鳴り声でノアは目を覚ました。
周囲を見渡してみると他の仲間は既に起床していて、寝床には自分しかいない。
カデンシア地方を船で移動していた一行は、昨晩一休みできそうな浅い洞穴を発見し、そこでキャンプを張って夜を明かすこととなった。
ユーニの声が聞こえてきたのは洞穴の出入り口からで、他の仲間たちもそこにいるようである。
長い黒髪を結いつける暇もなく、眠気眼を擦りながら洞穴の外へ出てみると、タイオンを一方的ににらみつけるユーニとそれを困った顔で囲んでいる仲間たちの姿があった。


「集めんのにどんだけ時間かかったと思ってんだ!ありえねぇだろ!」
「すまなかった。僕の不注意だ」
「すまなかったで済む話じゃねぇんだよ!」


柄にもなくばつが悪そうにしているタイオンと、一方的に怒りをぶつけているユーニ。
あまりいい空気とは言えない雰囲気が二人の間には流れていた。
ユーニの性格は穏やかな方とは言い難いが、謝罪している相手にここまで怒鳴りつけているのも珍しい。
何が起きたのか理解できなかったノアは、近くで心配そうに二人の様子を眺めていたミオにそっと耳打ちをした。


「ミオ、何があったんだ?」
「それが…。タイオン、ユーニが見ていない間にフォーチュンクローバーを2枚風に飛ばしちゃったらしいの」
「あぁ、なるほど…」


タイオンに詰め寄るユーニの右手には、計4枚のフォーチュンクローバーが握られている。
彼女が所持していたクローバーの枚数は、確か6枚だったはず。
今ユーニの手の中にない残り2枚を、タイオンが風に飛ばしてしまったのだろう。
ミオから事情を聴いて、ようやくノアはユーニの怒りの訳を理解できた。


「あと1枚だったのに…。どうしてくれんだよ馬鹿!」


手の中にある4枚のクローバーに視線を落としながら、ユーニは悔しそうに目元に皺を寄せた。
ユーニは昔からフォーチュンクローバーを集めるのが好きで、手に入れたクローバーは宝物のように大切にしていた。
“7枚集めると死なない”などという噂を本気で信じているのかは分からないが、その4枚の葉に何かしらの願掛けをしていることは確かだった。
そんな彼女の“馬鹿”に若干の苛立ちを覚えたのだろう。
今度はタイオンがむっとした表情を浮かべながら反撃を始めてしまう。


「別に7枚集まったところで意味なんてないだろう」
「は…?」
「君だってもう知ってるはずだ。僕たちは10期を迎えればいずれ死に、そして新しい命として再生される。“死なない”なんてことはりえない。そんな葉っぱに願をかけたところで無意味だ」
「ちょ、ちょっとタイオン…!」


あまりに冷たい物言いをするタイオンに、思わずミオが制止しようと口を出した。
このタイオンという男は、感情が高ぶると言葉を選ばなくなってしまう悪癖がある。
その癖が最悪のタイミングで発揮されてしまったことに、彼をよく知るミオやセナは焦りを感じていた。
そして案の定、その言葉を真っ向から浴びたユーニの肩は怒りで震え始める。


「ふざけんな!」


何度目かの怒号が響き渡り、洞窟内で反響する。
喚くようなその声に、タイオンだけでなくノアやランツも少し驚いて一歩後ずさった。


「何が無意味だ!お前みたいな正しいことしか言わねぇような奴に、アタシの気持ちなんか分かんねぇんだよ!アタシがどんな想いでこいつを集めてたと思ってる!?」
「い、いやだからそういうことじゃなく、そんなものに頼らなくても僕やみんなを頼ればいいと言いたかったわけで…」


瞳を潤ませ感情を発散させるユーニの勢いに戸惑いつつ、タイオンはなんとか彼女の怒りを鎮めようと言葉をひねり出すが、かえって逆効果であった。
焦り、相手の気持ちを鎮めようとすればするほど地雷を踏みぬいていくタイオンに、ミオとセナは肩を落としながら頭を抱え始める。
そしてついに、燃え上がっていた怒りが急速に冷え込んでいくように、ユーニの肩からがくりと力が抜けていく。
そして、うつむく彼女は先ほどとは打って変わって随分と弱弱しい声でつぶやいた。


「もういい」
「え…?」
「タイオンなんて、嫌いだ」


そう言って、ユーニは踵を返し脱兎のごとく走り去っていく。
思わず手を伸ばし彼女の名前を呼んでみるが、振り返ることもなければ足を止めることもない。
小さくなっていくパートナーの背中を見つめながら、タイオンの思考は停止する。
“嫌い”
ユーニから発せられたその鋭い言葉が胸に突き刺さって、呼吸するたび痛みが生じる。
ここではじめて、タイオンは先ほどまで自分がユーニに浴びせていた言葉たちに後悔を覚えた。


「今のはタイオンが悪いよ」
「うん、タイオンが悪い」


振り返ると、少し憐れんだような顔をしたミオと小さな怒りを滲ませているセナの姿があった。
責めるような彼女たちの視線に射抜かれて、タイオンは思わず視線を泳がせた。
そして彼女たちは、そんなタイオンのすぐわきを抜けてユーニの後を追うように走り去っていく。
きっと慰めに行ったのだろう。その背を追う勇気はなかった。
遺されたノアとランツは、3人の女性陣が去っていった白い砂浜をじっと見つめたまま肩を落としているタイオンを見つめ、どちらからともなく深いため息を零す。


「あんまし気にすんなよタイオン。ユーニがあぁやって怒るのは割といつものことだろ?」
「あぁ。まぁでもユーニの気持ちもわかるよ。多分、フォーチュンクローバーを心の支えにしてたんじゃないかな」
「心の支え…?」


ノアの言葉に、タイオンがゆっくりと振り返る。
穏やかに微笑んでいるノアは、しゅんとしているタイオンの瞳を眼鏡越しに見つめながら“あぁ”とつぶやいた。


「死ぬのは皆怖い。それは当然だ。いつか来る死から目をそらして、心を保つために何かに縋っていたいって気持ち、タイオンにはない?」
「……ユーニにとっての縋る先が、フォーチュンクローバーだった、と?」
「たぶんな」


死は、誰にでも平等に訪れる。
命は再生されるとわかっていても、やはり恐ろしいものは恐ろしい。
死を迎え入れるその瞬間のことを考えると、背筋か冷たくなる。
いずれ来る死から救われるために、信じてもいないフォーチュンクローバーに縋っていたというのか。
その4枚の葉は、7枚集めても何も力を貸してくれないというのに。
そんな不確かなものに縋るなら、今一緒にいる仲間たちを頼ったほうがずっと健全だ。


「あいつああ見えて結構ビビりだからな。前の自分の最期を不意に思い出したりしちまうんだろ」


ぽろっとつぶやかれたランツの軽い言葉に、タイオンは後頭部を鈍器で殴られたような強い衝撃を受けた。
そうだ、そうだった。
彼女には“死んだときの記憶”があるのだ。
自分や他の仲間たちにはない、命を奪われた時の記憶が。
そして思い出されるのは、時折彼女が見せていた不安げな表情と、震える手。
コロニー5でエックスと対峙して以降、彼女が怯えることも滅多になくなったためすっかり頭から抜け落ちていた。
 
彼女は、生きている時の記憶しかない自分たちには絶対に共感できない莫大な恐怖を抱えている。
その大きすぎる恐怖を自分一人で昇華することが出来ず、フォーチュンクローバーという小さな希望に縋っていたのだとしたら…?

最悪だ。彼女の希望を奪ってしまった上に、“無意味だ”なんてひどいことを言ってしまった。
あんなに冷たい目で見られても無理はない。
きっと僕は、彼女の信用を失ったんだ。
頭を抱え、少しよろけたタイオンの肩を、ランツがとっさに支えた。


「お、おいおい大丈夫か?そんなに愕然とするなよ」
「そうそう。確かにタイオンも言い方が悪かったけど間違ったことは言ってないし、ユーニも言いすぎな部分があるから…」


明らかに動揺しているタイオンを慰めようと、ノアやランツは言葉を尽くしてみるが、もはや頭が真っ白になったタイオンにはなにも響いてこなかった。


********************


その日一日はずっと船での移動に費やされた。
リクの運転は相変わらず荒いが、その揺れに慣れてしまった一行はさほど気にすることなく談笑を続けている。
だが、談笑の間もユーニは一切タイオンと目を合わせようとしなかった。
明らかに避けられている。距離を取られている。
近付けば彼女はそっと後ずさり、声をかけようにもすかさず他の誰かと話し始める。
出会った頃よりも数倍冷たい彼女の態度は、タイオンの心のひどく締め付けた。

夜。シティーパドックに到着した一行は船を停泊させ、宿舎にて夜を過ごすこととなった。
久しぶりのベッドと風呂は疲れた体を大いに癒してくれる。
各部屋で思い思いの時間を過ごす一行。
そんな中タイオンは、風呂から上がったばかりなのだろうユーニと宿舎の廊下でばったり会った。
頭からバスタオルをかぶり、濡れた髪を拭きながら歩いていた彼女は、角を曲がってくるタイオンに気付かずその胸板に額をぶつけてしまう。


「いたっ」
「あっ、すまない…」
「あ、あぁ…」


ぶつかった相手がタイオンだとわかった途端、ユーニの羽根がぺたんとしおれたように折りたたまれる。
その羽根の動きが、まるで自分のことを拒絶しているようで、再び胸がチクリと痛む。
だがこれはきちんと謝罪する好機だ。真正面から向き合っている今なら彼女も逃げようとはしないだろう。
息を吸い込み、タイオンは意を決したように口を開いた。


「ユーニ、今朝は…」
「悪かった」
「…え?」


タイオンの言葉を遮るように、ユーニが小さくつぶやいた。
まるで独り言のようにつぶやかれたその言葉は意外なもので、思わず聞き返してしまう。
するとユーニは、想像よりもずっと穏やかな顔でこちらを見上げてきた。


「少し言い過ぎた。悪かったよ」
「い、いや、悪いのは僕だ。君が謝ることじゃ…」
「いいんだ。本当は分かってたんだ。こんな葉っぱに頼っても未来は変わらない。結局死ぬときは死ぬんだ。タイオンの言う通り、無意味なんだよ」
「ユーニ…」


“無意味”。
それはタイオンが今朝ユーニに言い放った言葉である。
タイオン自身の言葉ではあったが、ユーニにそんなことを言わせてしまっている事実に胸が痛んだ。
瞳を伏せている彼女がまとう空気は妙に静かで、一種の諦めすら感じられる。
彼女にこんな顔を指せてしまっているのは、僕なのか。


「日中、無視して悪かったな。明日からはちゃんとするから。じゃあおやすみ」


そう言って、ユーニはタイオンの横を通り抜けて足早に去っていった。
これで解決、と言っていいのだろうか。
ユーニ謝らせて、大切な希望を奪ったまま、諦めの顔をさせてしまった。
不意に、今朝ユーニから言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
 
“お前みたいな正しいことしか言わねぇような奴に、アタシの気持ちなんか分かんねぇんだよ!”
 
実際その通りだった。
ユーニの気持ちなど理解しようともせず、無意味だなんて切り捨てた。
ノアやランツは彼女の気持ちを理解していたというのに、相方である自分がわかってやれなかったなんて、そんなのおかしい。
一番に理解してやるべきだった。寄り添ってやるべきだった。
なのに僕は…。

誰もいない廊下の真ん中で、タイオンは一人拳を握り締めるのだった。


********************


何度数えても、手元にあるクローバーは4枚だけ。
未練たらしく何度も数えては肩を落としてしまう自分が嫌だった。
でも仕方ない。悔やんでもフォーチュンクローバーが戻ってくるわけもない。
それに、本当はずっと前からわかっていたのだ。
こんなものを集めても無意味だと。
ただ、自分の中に生まれた恐怖感をやわらげるための逃げ道にしか過ぎない。
いつまでも怯えていないで、早く吹っ切るべきだったんだ。
これは、いいきっかけだったんだ。ユーニはそう思うことにした。

タイオンに謝罪をした翌日、ユーニはいつもより遅めの朝を迎えた。
重い体を引きずってベッドから抜け出し談話室に向かうと、既に自分以外の仲間たちが集まっていた。
しかし、タイオンの姿だけが見当たらない。
いつもなら瞳で今日の進行ルートを確かめている彼の姿をきょろきょろと探していると、ランツが声をかけてきた。


「タイオンならいねーぞ?」
「なんで?」
「コロニーラムダだよ。イスルギに呼ばれたらしい」


答えたのはランツではなくノアの方だった。
ラムダと言えば、今いるカデンシア地方からかなり離れた場所にある。
ひとりで行ったというのだろうか。しかも相方であるユーニに声もかけずに。
何の用だったのかと再度問いかけてみると、ノアは“さぁ”と首を傾げる。
どうやら談話室に“イスルギ軍務長に呼ばれたのでラムダへ行ってくる。数日で戻る”という旨の置手紙だけがあったようで、詳細は誰も知らないらしい。


「しばらくはこのカデンシアにいる予定だし、数日くらいいいんじゃない?」


微笑むミオの言葉に、全員が賛同する。
だが、ユーニだけは心に小さな小骨を残していた。
他の誰かならともなく、何故自分になにも言葉をかけずに行ってしまったのか。
もしかすると、昨日のことをまだ怒っているのかもしれない。
そんな不安にすら駆られた。
 
それから数日。一行はカデンシアの島々を順に巡る旅をしていた。
各コロニーの協力者から頼まれた素材を回収するためである。
その旅の道中、何度か強力なモンスターとの戦闘があったが、インタリンクしたノアやミオ、ランツやセナに助けられる日々。
本当ならタイオンがいてくれれば、自分もインタリンクできるのに。
そう思ってしまう局面が何度もあった。
そのたび思い浮かぶのは、タイオンの顔。

謝罪はした。けれど誠心誠意誤ったかと言われれば断言はできなかった。
言い合いをした日の日中は、タイオンが歩み寄ろうとしてくれたにも関わらず無視を決め込んでしまった。
罵倒された上に無視までされたら怒るのは当然だ。
何も言わずに出て行ってしまったのは、あんなことをした自分に嫌気がさしてしまったからだろうか。
タイオンのいない時間が長引くにつれ、ユーニの中にそんな考えが生まれつつあった。

ユーニがしびれを切らしたのは、タイオンが一行と別行動を始めて1週間が経過した日のことだった。
コロニーミューに立ち寄っていた一行は、いつも通りマシロら見知った顔の住人たちの困りごとを解決するため奔走している。
その輪から外れ、砂浜に佇んでいたユーニは瞳の機能を使ってとある人物に通信を試みていた。
タイオンを呼び出した張本人、コロニーラムダのイスルギである。
本当ならタイオン本人に連絡を取りたかったが、言い合いをした手前少々の気まずさがあった。
せめてイスルギに連絡を取って、彼がラムダに無地到着したのかどうかだけでも知りたかったのである。


《ユーニか。久しいな。どうした?》
「忙しいとこ悪いな。タイオン、もうそっち着いたか?」
《ん?タイオン?》


ラムダには久しく立ち寄っていなかったため、イスルギの声を聴いたのはかなり久しぶりだった。
相変わらず落ち着いた声色の彼は、ユーニの口から出たタイオンの名前に少し戸惑っている様子。
そして、少し間をおいてから驚くべき事実を口にした。


《ラムダには来ていないが…どうかしたのか?》
「えっ?そんなはずねぇだろ。出発したのは1週間前だぜ?とっくに着いてるはずだ」
《話がよく見えないが、タイオンがこのラムダに向かっているということか?》
「あぁ。というかアンタが呼び出したんだろ?用があるって…」
《いや、タイオンを呼び出した覚えはないが…》
「え…?」


イスルギからもたらされた事実に、ユーニは思わず言葉を失った。
呼んでない?そんな馬鹿な。タイオンはイスルギから呼び出されて一行の元を離れたはず。
イスルギが呼んでないとなると、つまりタイオンは嘘をついていたということか?
一体なぜ?

脳裏に浮かぶのは、昨日の言い合い。
タイオンがたった一つの喧嘩でへそを曲げてしまうような人物だとは思わないが、何の理由もなく嘘をついてまで一行から離脱するような人物とも思えない。

もしかして、アタシのせい?

イスルギとの通信を切った後も、ユーニは穏やかな海を見つめながら茫然としていた。
タイオンが何を考えているのか分からない。今どこで何をしているのかも分からない。
そう思うだけで、不安がまるで波のように押し寄せてくる。
言い知れぬ孤独感に体が包まれていく。


「ユーニ…ユーニ!…おいユーニ!」
「っ!」


青い空と海の境界線をぼうっと眺めていたユーニは、背後から名前を呼んでくるランツの声にようやく振り返る。
どうやらずっと名前を呼んでいたらしく、背後に立っていたランツは少し呆れ気味だった。
一方、隣にいるセナが心配したように顔を覗き込んでくる。
相当驚いた顔をしていたのだろう。“大丈夫?”と聞いてくるセナの問いに、ユーニは平然を装って“あぁ”と頷いた。


「ユーニ、これから船に乗って孤島の洞窟に行くぞ」
「孤島の洞窟?」
「あぁ。マシロに聞いたんだ。ここから比較的近い孤島に鉱石がたくさん採れる洞窟があるんだと」
「珍しい鉱石がたくさん採れるから、装備の強化にきっと役立つだろうってさ!」


メビウスという強敵を相手に戦っている以上、武器や装備品の強化は必須事項だ。
そのためには希少な鉱石を集めなくてはならない。
マシロからもたらされた洞窟の情報は、一向にとってまさに目からうろこな情報と言える。
反対する道理はなかった。


「そっか、洞窟か…。いいんじゃね?行こうぜ」
「そう来なくっちゃな。まぁ洞窟には結構強いモンスターも出るって話だが、俺たちなら問題ないだろ」
「え…」


軽い足取りで去っていくランツ。
そんな彼の言葉に、ユーニの心臓は強く締め付けられる。
今までならどんな敵がいようとも恐怖心を感じるようなことは少なかった。
それもこれも、インタリンクという切り札があったからだろう。
タイオンが隣にいてくれる限り、自分は一人ではない。
戦うときは、いつも彼が一緒だ。
そう思えるからこそ、何が相手でも立ち向かえた。
だが今は、信頼していたパートナーがいない。
これほどまでに不安を感じたのは初めてだった。


「ユーニ、もしかして不安?」
「え?」
「大丈夫!タイオンはいないけど、私たちがいるもん!絶対なんとかなるから!」
「あ、あぁ…」


セナの励ましを聞いてもなお、ユーニの心から霧のような不安が晴れることはなかった。
だが、行きたくないとは言えなかった。言いたくなかった。
ノアやミオ、ランツやセナと同じように、自分も世界の命運を託されたウロボロスの一人なのだ。
恐怖心に負けて逃げ出すわけにはいかない。
震える体にムチ打ち、ユーニはリクの運転する船へと乗り込むのだった。


********************

件の孤島には数十分で到着した。コロニーミューからほど近いという情報は本当だったらしい。
人も住めないような小さな島で、降り立った砂浜の目と鼻の先にその洞窟はあった。
青く美しい空のもと、大きく口を開いた洞窟の奥は漆黒の闇に包まれており、ずっと見ていると吸い込まれそうだ。
 
“よし行こう”というノアの掛け声を先頭に、一行は洞窟内へと足を踏み入れていく。
先頭を行くのはノアとミオ。次にランツとセナ、そのあとにリクとマナナ。そして最後尾にユーニ。
互いにパートナーの隣を歩く中、ユーニの隣に人影はない。
洞窟を奥へ奥へと進むごとに、闇と不安は広がっていく。
自然と手が震えていたのは、決して寒いからなどではなかった。


「見つけたも!」


突然上がった大声に、ユーニは肩を震わせた。
リクが遠くで輝く鉱石を見つけ、歓喜の声を挙げたのだ。
いつもはクールな彼が、その小さな体を揺らしまっすぐ鉱石の元へと走っていく。
そのあとに続くマナナも、この洞窟の暗闇には不釣り合いなほど楽し気な笑みを浮かべていた。

 

「それがその鉱石?」
「間違いないも!みんな早くこっちに来て手伝うも!」
「へいへい、しゃーねーな」


リクに促され、ノアたちは先に鉱石の元へたどり着いていた二匹のノポンたちへと駆け出した。
ユーニもまた、一拍遅れて走り出そうとしたその時。
腹の底から鳴り響く地響きと共に、ユーニとノアたちの間を引き裂くようにして地面が割れる。
砂埃と共に現れたのは、巨大なアングだった。
うねうねと動く巨体がとぐろを巻き、鋭い牙でノアたちを威嚇している。
固いうろこで覆われた皮膚は不気味で、その姿を見ただけでユーニの思考は停止してしまう。

 

「な、なんだこいつ!」
「地面に隠れてたんだよ!」
「仕方ない。ミオ、インタリンクを!」
「えぇ!」


ノアとミオが互いに顔を見合わせた瞬間、巨大なアングはしっぽの先から白い粘液のようなものを吐き出した。
スパイドの糸にも似たそれはノアたちに降りかかり、一行の動きを封じてしまう。
粘性の高い糸に絡みつかれ、なすすべもなく4人と2匹は身動きが取れなくなった。
インタリンクはもちろんのこと、ブレイドを出すことすらできない状況に、ノアたちは焦りの表情を浮かべる。


「くっそ!なんだよこれ!」
「動けない…!」


必死にもがく彼らに、アングはゆっくりと忍び寄り猛毒が含まれた鋭い牙を向け始める。
このままではノアたちがやられてしまう。
恐怖の中、たった1人だけ体の自由がきくユーニは、懸命に勇気を振り絞りブレイドを構えた。


「や、やめろ!」


自分に背を向けるアングに光の弾丸をお見舞いすると、固いうろこに弾かれその体には傷一つつかない。
着弾するじゅっという焼けるような音と共に振り返ったアングは、その不気味な黄色い双眸でユーニをとらえる。
その目は、かつての自分を殺したメビウス、ディーにどこか似ていた。


「っ!」


その瞳に射抜かれた途端、体が動かなくなる。
息が詰まり、まるで金縛りにでもあったかのように足が重くなってしまった。
底知れぬ恐怖感が、ユーニの胸に押し寄せてくる。
震えることすら忘れ、チロチロと舌を出すアングに睨まれたまま、ユーニの頭の中は真っ白になっていた。


「何してるユーニ!逃げるんだ!」
「ユーニしっかりして!ユーニ!」


アングを見つめたまま動こうとしないユーニの名を、ノアとミオが声を枯らしながら呼ぶ。
だがその声は、恐怖に支配されたユーニの耳には届かない。
やがてアングは巨体をくねらせユーニへと向かっていく。
鋭い牙を持った大きな口が開かれ、猛毒の牙が寸前に迫る。
もうだめだ。ユーニが目を閉じたその瞬間だった。
狭い洞窟内に、聞き慣れたあの声が響き渡る。


「いけっ!モンド!」


紙の擦れる音と共に、大量の白い影が束となってアングの顎へとぶつかっていく。
意志を持って操られたその白い影は、見慣れたブレイド、モンドだった。
 
まさか――、と思ったのも束の間。顎を一撃を食らってよろめいたアングが、今度は巨大な尻尾を振りかざしてきた。
あの尻尾ぽに叩きつけられたらひとたまりもない。
未だ足がすくんでいるユーニがぐっと歯を食いしばった瞬間、何者かによって抱きしめられ、後方へと突き飛ばされた。
洞窟に散乱している石が体中にあたる。
だが頭に何も衝撃が来なかったのは、抱き留めてくれた人物がユーニの後頭部を片手で抱え込んでくれたおかげだろう。
次に目を開けたとき、ユーニの視界に飛び込んできたのは、いつも見ていた白と橙色だった。


「らしくないぞ、ユーニ」
「タイ、オン…」


その名前を口にしたの久しぶりだった。
離れていたのはたった数日だったというのに、もう何年も会っていなかったような感覚に陥ってしまう。
ユーニをかばい、白い戦術士の服を砂で汚したタイオンは、足場の悪い洞窟の岩場をよろけながら立ち上がった。
眼鏡をかけ直し、まっすぐアングを睨みつけるその姿は、いつも通りの彼だった。


「タイオン!」
「やっときたか!」


アングの白い糸にからめとられている仲間たちから歓喜の声が挙がる。
九死に一生、とはまさにこのことだろう。
彼の大きな背中を見つめながらなんとか立ち上がったユーニは、ようやく現れた自らのパートナーにずっと抱えていた疑問をぶつけた。


「お、お前っ、なんで…!」
「コロニーミューの連中に聞いたんだ。君たちがこの島に向かったと」
「そうじゃねぇ!なんで急にいなくなったんだって聞いてんだ!」


タイオンは一瞬目を見開きながらユーニに振り返った。
“それは…”とばつが悪そうに弁明しようとしたタイオンだったが、その言葉を遮るようにアングの大きな咆哮が洞窟内に響き渡る。
どうやら食事の直前に攻撃されて激怒したらしい。
アングの不気味な黄色い瞳は怒りに燃えている。
今この場で身動きが取れるのはタイオンとユーニだけ。
どうやら二人で片づけるしか道はないようだ。


「ユーニ、話はあとだ!今はあいつを倒すことに集中しろ!」
「…っ」


ユーニの震えは未だ治まってはいなかった。
力の入らない手は小刻みに揺れ、握ったブレイドからカタカタと音が鳴っている。
そんな彼女の様子に気が付いたタイオンは、まっすぐアングに視線を向けながらも、ブレイドを握るユーニの手に自らの手を重ねた。


「待たせてすまなかった。あとは僕に任せろ」


タイオンの大きな手のひらから、彼のぬくもりが伝わってくる。
数日間感じることのできなかった、優しいぬくもりだ。
目の前の広い背中を見つめていると、不思議と心休まるのはどうしてだろう。
彼が相方だからだろうか、それとも…。
深く考えを巡らせる前に、ユーニは重ねられたタイオンの手を握り返し、力強く頷いた。

2人の体が粒子で包まれ、白い光のウロボロスへと変化する。
背筋を伸ばし、優雅に浮遊するその白い体は、タイオンの凛とした人となりを強く表していた。
ユーニとひとつになった彼は、鋭い瞳でアングを睨む。
その視線に一瞬だけおののいたアングは体を小さく丸め、やがてあの巨大なしっぽをウロボロスと化したタイオンめがけて振り下ろす。


「危ない!」
「タイオンっ!」


ノアとミオの叫びが響くと同時に、アングの尻尾がタイオンの体を叩き潰す。
しかし地面に跳ね上がったのはタイオンの体ではなく、小さな無数のモンドたち。
はらはらと落ちるそのモンドが、タイオンの幻影を作り上げていたのだ。


「どこを見ている」


背後から聞こえてきた響き渡るような声に、アングは瞬時に振り返る。
しかし時すでに遅し。
囚われたノアたちをかばうように立ちはだかっていたタイオンの姿を視界に入れた瞬間、四方八方から無数のモンドが刃のようにアングの体に突き刺さった。
固いうろこを突き破り、アングの体に食い込む鋭いモンド。
痛みに悶え、咆哮するアングをまっすぐ視界にとらえながら、タイオンはしなやかな指を前に掲げた。


「僕がいない間に随分彼女を怖がらせてくれたようだな。これが礼だ。受け取れ!」


開かれた掌がぎゅっと握りこまれた瞬間、突き刺さった無数のモンドが爆散する。
アングの体はあっという間に消し炭になり、命の粒子が暗く狭い洞窟に舞い上がった。
モンドの破片と命の粒子が舞い落ちる中、静かに佇むウロボロスは、美しくも怪しい光を放っていた。


********************


集めた鉱石は麻袋に入りきらないほど大量で、持ち帰るのもなかなか重労働だった。
船から降り、コロニーミューに戻ってきた一行は早速リク指導の元ジェムクラフト準備を進め始める。
鼻歌交じりに器具を組み立てるリクは、鉱石を大量に手に入れたおかげで随分と上機嫌である。
そんなリクを見下ろしながら、ランツはどこか不満そうにつぶやいた。


「なんか、今回俺ら全然活躍してなくないか?」
「確かにね。でも、その分タイオンが大活躍だったよね!」
「あぁ。みんな無事に帰ってこれたのは間違いなくタイオンのおかげだ」
「同感。かっこよかったよ、タイオン」
「急に褒めないでくれ。気味が悪い」


仲間たちからのまっすぐな賞賛は、タイオンにとってはむずがゆいものだった。
ほんの少しの照れを隠すように眼鏡を直すと、熱湯が入ったポットをタンブラーに注ぎ入れる。
湧きたつ湯気からは、甘いセリオスアネモネの香りが含まれていた。
その匂いを嗅ぎつけたらしく、歩み寄ってきたランツが期待に胸膨らませた表情で手元を覗き込んできた。


「おっ、ハーブティーか!」
「君の分はないぞ」
「えー!じゃあ独り占めかよ」
「僕のでもない」
「は?じゃあ誰の…」


ランツの問いかけに答えることなく、タイオンはセリオスアネモネハーブティーが注がれたタンブラーを持って仲間たちの輪から離れていった。
向かう先はコロニーミューの花畑。
小さくなっていくタイオンの背を眺めながら首を傾げているランツには、あのハーブティーの行方が分からなかった。
だが、察しがいい他の仲間たちは顔を見合わせながら笑う。
そして、未だ理解していないランツに、ノアが腰に手を当てながら言ったのだった。


「誰のって、決まってるだろ?」


********************


ミオやセナと違って、ユーニには花を愛でるという趣味はあまりなかった。
だが、このコロニーミューの花畑はどこか落ち着く、
仲間が死ぬごとに植えられているというこの花たちが美しく咲き乱れているのは、散っていった命が同じように美しく儚いからなのかもしれない。
足で踏みつければあっけなくしおれてしまうこの小さな花も、自分と同じ命。
そう思うと、何故だかこの無数の花々も愛しく見えた。


「はー…」


花畑の中に座り込みながら、深く息を吐く。
手が、足が、まだ震えている。
あんなふうに強力なモンスターに襲われることなど、旅に出た時から何度もあったというのに、それでも今日の戦闘は怖かった。
インタリンクできないという状況が、隣にタイオンがいないという事実が、ユーニを孤独にさせる。
自分の掌に視線を落とすと、指先がかすかにふるえているのが分かった。
こんな情けないところ、仲間たちには見せられそうにない。


「喉乾いてないか?」
「…え?」


突然後ろから声をかけてきたのはタイオンだった。
振り返ると、彼は右手に持っていたタンブラーを差し出しだしてくる。
ふわりと漂う香りですぐに理解できた。セリオスアネモネハーブティーだ、と。
どうやらタイオンがわざわざ淹れてくれたらしい。
 
“あ、あぁ…”と頷いて受け取ると、タンブラー越しに伝わるぬくもりが冷え切った指先を温めてくれる。
その熱に、少しずつ心が癒されていく。
おとなしくタンブラーを受け取ったユーニの様子に、背後に立っていたタイオンが小さく息を漏らしたのが分かった。
歩み寄りに成功したことに対する安堵のため息である。
そして、視線を泳がせた後に恐る恐るユーニの隣に腰掛けた。
彼女が嫌な顔をしていないことを横目で確認すると、タイオンは探りを入れるようにそろそろと言葉を紡ぎ始める。


「その…すまなかった。勝手なことをして」
「もういいって」
「よくない。本当は納得してないだろう」
「過ぎたことをぐちぐちねちねち言うような性格じゃないんだよアタシは」


タイオンは勝手に一行の輪を離れたことを謝っているのだろうとユーニは思っていた。
確かに腹も立ったし心配もしたが、結局戻ってきたのだから別にいい。
たまには一人になりたいと思う時があるものだし、何故嘘をついてまで行方をくらませたのかその理由を追及する気もなかった。
イスルギの元に行ったわけではないのなら、大方ナミのいるあのコロニーにでも行っていたのだろう。
いちいちナミのことを心配していたようだし、自分と喧嘩したことで癒しを求めて行ったのかもしれない。
タイオンの不可解な行動を、ユーニはそう咀嚼していた。
だが、タイオンから小さな小瓶を渡されたことで、その解釈が間違っていると知ることになる。


「なにこれ」
「せめてもの罪滅ぼしというか、謝罪の意味を込めて…」


小瓶のラベルを見るに、それは回復薬が入っている小瓶のようだった。
これで体力を回復しろということだろうか。
ボトルをきゅぽんと外し、中を覗き込んでみると、そこに入っていたのは回復薬などではなく、青々とした瑞々しい葉。
小さな小瓶の中身は、2枚のフォーチュンクローバーだった。


「こ、これ…」
「フォーニス地方で拾ってきた。本当は3枚枚集めて合計7枚にしてやろうと思ったんだが、時間が無くてな」
「……」
「…ユーニ?」
「これ集めるために、黙って出て行ったのか?イスルギに会いに行くなんて嘘までついて…」


うわごとのように呟かれたユーニの言葉に、タイオンはぎくりと固まった。
まずい。嘘をついていたことを見抜かれていたのか。
しかし、弁明するには言い訳が思い浮かばず、素直に謝罪する以外策が見つかりそうもなかった。


「理由を話したらどうせ“そんなことしなくていい”と止めるだろ」
「当たり前だろ!? 大体、もう気にしねぇって言ったじゃねぇか」
「君が気にしなくても僕が気にするんだ。フォーチュンクローバーは君の心の拠り所だったんだろ?」
「心の拠り所?」
「現に今日、随分と怯えていたじゃないか。メビウスならともなくモンスター相手に君らしくもない。お守り代わりだったフォーチュンクローバーーの数が減ってしまったから不安になったんだろう?」


7枚集めると死なない。
そんな噂があるこのクローバーをお守り代わりに携帯している者は少なくない。
それはユーニも同じ。
まして、他の仲間たちにはない“死んだときの記憶”を持っている彼女にとっては、たとえそれが迷信だったとしても形あるものに縋りたいと思うのは当然だろう。
そんな彼女の心の拠り所を、タイオンは奪ってしまった。
その事実に重い罪悪感を抱いてしまった彼は、なんとしても彼女の心の拠り所を再び手に入れる義務があると思っていた。
たとえユーニ本人から拒絶されたとしても。


「…ほんと馬鹿だな、タイオン」


だが、ユーニから渡された言葉はあまりにも意外なものだった。
突然の“馬鹿”発言に少しだけむっとして言い返そうとしたタイオンだったが、それよりも前にユーニの優し気な瞳に射抜かれ言葉を飲み込んでしまう。
いつもは勝気な彼女のものとは思えないその優し気な瞳は、なんだか濡れているようにも見えた。


「フォーチュンクローバーが2枚なくなっただけで、アタシが怯えると思ってたのか?」
「違うのか?」
「違う。アタシが怯えてたのは、お前が傍にいなかったからだ」
「え…?」


花畑から見える青い海と同じ色をしたユーニの瞳を見つめながら、タイオンの思考が停止する。
それはどういう意味だ。
ドクンと心臓が脈を打ち、ユーニから視線を逸らせなくなってしまう。


「あんな言い合いした後に嘘までついて出ていかれたら、誰だって思うだろ?あぁ、嫌われたんだなってさ」
「なにを言って…」
「葉っぱ2枚風に飛ばした程度であんな怒鳴り散らすなんて、やっぱり大人げなかったよ。嫌われて愛想着かされたって無理ないよな」
「ば、馬鹿なことを言うな!僕が君を嫌うなんて、天地がひっくり返ったってありえない!」
「え?」
「あ…」


感情の発露に身を任せて思わず口走ってしまった言葉は、あまりにも恥じらいのないものだった。
何を言っているんだ僕は。
自分で自分を戒め、動揺を悟られないように咳ばらいをした。


「不安だったのは僕も同じだ。君にとってそのクローバーがどんなに大事なものかも理解できず、ひどいことを言ってしまった。あの晩謝られたのは、“もうお前には期待しない”と突き放されたんじゃないかと思って…」
「だから、わざわざ探しに行ったのか?」


ばつがわるそうに、タイオンは小さく頷いた。
あの晩謝罪したユーニの言葉は、彼女の心からの言葉だった。
だが、当のタイオンにはどうもその謝罪が歪なものに感じられていた。
本当は許していないけれど、許さなければいけないから許す。
そんな義務的な、諦めからくる虚しい謝罪のような気がして。
少しでもユーニの機嫌を取ろうとして取った行動が、まさかユーニの恐怖をあおる結果になってしまうとは思わず、タイオンは罪悪感から目をそらし足元の花々へを見つめた。
そんな彼の耳に、ユーニの乾いた笑い声が届く。


「はははっ、お前やることが極端だよな。だからって一人で探しに行くか?普通」
「…仕方ないだろう。それしか君に許してもらえるすべが思いつかなかったんだ。不安にさせて悪かった」
「ほんとだよ。おかげで思い知ったよ。アタシ、タイオンにこんなに支えられてたんだなってさ」


小瓶に入ったクローバーを眺めながら、ユーニは言う。
ガラスでできた小瓶が日の光に反射してきらきらと輝いている。


「悔しいけど、タイオンが隣にいないってだけでめちゃくちゃ怖かった。たった一人で戦ってる気がしてさ。臆病な自分が嫌になるよまったく」
「ユーニ…」
「アタシに心の拠り所があるとすれば、フォーチュンクローバーじゃなくて、お前なんだろうな、タイオン」


ひゅるりと温かい風が吹いて、花びらが舞う。
青い空に白や桃色の花びらが散らばる光景は美しかったが、何よりも、隣で遠くを見つめているユーニが一番美しく、そして儚く見えた。
強い言葉と態度で自分を着飾ろうとしている彼女が見せた一点の弱味は、きっと自分しか知らない一面なのだろう。
そう思うと、心の奥から暖かい感情の波が押し寄せてきた。
今すぐに、彼女の肩や頭に触れて、何者にも脅かされないよう腕の中に抱え込んでしまいたい。
この衝動は、この感覚は、いったい何だろうか。
まだ8年と少ししか生きていないタイオンには、答えが分からなかった。

花の香りだろうか、甘い匂いがする。
心の奥がとろけてしまいそうな、甘い香りだ。
その香りに誘われるように、タイオンは小瓶を持っているユーニの手に自分の手を重ねていた。


「もう二度と君を不安にさせたりしない。傍を離れることもない。僕が隣にいる限り、君は死なない。死なせない。絶対に」


ユーニの瞳が大きく見開かれる。
そこに映るタイオンの表情はいつになく真剣だった。
重ねられた手から伝わる体温は、ユーニの不安や恐れを溶かしていく。
触れているだけでこんなにも心落ち着くだなんて、どうかしている。

やがてユーニは青い目をゆらゆらと揺らし始め、長いまつげを伏せたと同時に頭をタイオンの肩口に寄せた。
わずかに風に揺れる彼女の髪が、首にあたってむずがゆい。
至近距離に感じるユーニのぬくもりに緊張して体を強張らせたタイオンは、思わず周りを見渡した。


「ユーニ?ど、どうした?」


声が上ずる。
動揺のままに、とにかく彼女の様子を伺うためうつむいている顔を上げさせようと頬に手を添えたその時だった。
タイオンの指先に、冷たい何かが伝っていく。
顔をタイオンの肩にうずめているため表情をうかがい知ることはできないが、彼女が泣いていることは確かだった。
 
あぁ、しまった。
指先に触れた涙を感じた瞬間、今ユーニの顔を見るのはまずい気がして、頬に添えていた手をそのまま彼女の後頭部に移動させ、引き寄せた。
タイオンの服を柔い力で握っている彼女の手が、小さく震えている。
寄り添ってくる彼女はまるで言葉なく自分に縋っているようで、胸の奥から喜びに似た感情が沸き上がってきた。
こんなことを口にしたら、きっと彼女は怒るだろうから口が裂けても言えないが。


「…時間、かかっただろ」
「え?」
「クローバー集めるの」
「あ、あぁ…。まぁ、何日か粘ったが、そこまで大変じゃなかった」
「そっか」
「……嫌いだと言っただろ、僕のこと」
「そうだっけ」
「忘れたのか!? あの言葉に僕がどれだけ…」
「嘘だよ」
「え?」
「天地がひっくりかえったって、ありえねぇよ…」


彼女の声は少しだけ震えている。
柔らかなユーニの髪に指を掻き入れゆっくりと撫でおろしてみると、彼女の小さな震えも少しずつ落ち着きを取り戻していった。
早くなった心臓の鼓動を聞かれてはいないだろうか。
一瞬そんな不安に駆られたが、だからといって彼女を解放するのは惜しかった。
もう少し、あと数分だけでいいから、ユーニを腕の中に留めておきたい。


「まぁ、タイオンが数日かけて集めてくれたこのクローバーの方が、お前がいてくれるより効果あるかもしんねぇな」
「僕は葉っぱ6枚以下なのか」


呆れるタイオンに、ユーニの笑い声が重なった。
とっくに涙は引っ込んでいたというのに、ユーニがタイオンの腕の中から退くことはない。
そうして、タイオンが淹れたハーブティーが冷めるまで、二人は同じ体制で囁き合うように会話を続けるのだった。