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二次創作まとめ

そして2人きり

【サトセレ】

■アニポケXY

■アニメ本編時間軸

■短編

***

 

旅生活が長いサトシにとっても、山中で襲いかかる雨というものはやはり厄介なもの。
天気予報では深夜に降り始めると言っていたハズだが、その予報は大きく外れ、まだ夕方であるこの時間から大粒の雨が降り出した。
次の街に向けて山中を歩いていたサトシ一行は、突然の雨に狼狽え、思わず走り出す。
街はまだまだ遠いが、この近くにホテルがあったはずだ。
そこで一夜を明かそう。
そう考えた4人は、セレナのマップ端末を頼りに件のホテルへ向け走る。
幸いにもそのホテルはすぐに見つかり、彼らは突然の雨を凌ぐことが出来た。


「うえー。びしょ濡れだよぉ…」
「ユリーカこっち向いて。拭いてあげるわ」
ピカチュウ、平気か?」


ホテルのエントランスまでやって来た一行は、各々持ち合わせていたタオルやハンカチで濡れた体を拭く。
すぐにホテルを見つけ、駆け込めたものの、服や髪はぐっしょりと濡れてしまっていた。
風邪を引かない内に早く部屋に入りたい。
その一心で、シトロンはタオルで自分の金髪を拭きながら受付へと急ぐ。
チェックインはスムーズに進み、サトシたちは5階の一室を押さえることが出来た。
山中にあるにしては少し大きいこのホテルは、縦に長い構造で、7階建となっている。

エレベーターに乗り、5階のボタンを押せばすぐに動き出す。
外は雷が鳴り出しているらしく、ほんの僅かにゴロゴロと音が聞こえる。
やがて5階にたどり着き、フロントのボーイから渡されたカードキーと同じ番号の部屋へと入った。


「うわーっ!広〜い!」
「こんなにいい部屋が取れるなんて、僕たちツイてますね!」


飛び込みで部屋を取ったため、あまり期待していなかった4人だが、彼らに割り当てられた部屋は申し分のない広さであった。
ベッドはちょうど4つ。
窓も大きく、きっと晴れていたらこの森の中を一望できたことだろう。
それぞれベッドに荷物を置き、4人はようやく一息ついた。
サトシは膝の上のピカチュウをタオルで丁寧に拭いており、黄色い彼もその手つきに気持ち良さげな表情を浮かべている。

とりあえず適当に体を拭き終えたセレナは、乾いた喉を潤すためにリュックを漁った。
ピンク色の水筒を取り出し、口を付けてみるが、残念ながら中身は一向に口内に入ってこない。
どうやら空のようだった。


「飲み物無くなっちゃった…」
「じゃあ、俺買ってくるよ。ちょうど俺も飲み物切らしてたし。自販機、一階のロビーにあったよな?」
「ええ、そうね。じゃあ私も行くわ」


ベットから立ち上がり、そう申し出てくれたサトシ。
提案は嬉しいが、自分の飲み物まで彼に買いに行かせるのは忍びない。
持ち前の気遣いから、セレナも素早く立ち上がる。
セレナの記憶が正しければ、一階のフロント横には何台か自動販売機が設置されていた。
種類も豊富そうだったし、きっとあそこなら目当ての飲み物も売っていることだろう。


「あ!じゃあユリーカも行……っくしゅん!」


そう言って元気よく立ち上がったユリーカだったが、勢いよく噴射されたくしゃみによってふらついてしまう。
そんな愛らしいユリーカの様子に、サトシとセレナは思わず笑みをこぼした。


「風邪ひくといけないし、ユリーカとシトロンは先に風呂入っててくれ。2人の分も買ってくるからさ」
「え、でも、悪いですよ」


申し訳なさげに言うシトロンに、サトシは“遠慮すんなって!”と爽やかに返す。
シトロンは年の割に礼儀正しい性格だが、遠慮ばかり覚えて甘えるということを知らなのだ。
彼が気にするほど、このお使いは2人にとってそう面倒なものではない。
はずだった。
今の2人は知る由もない。
後々、何故ここでシトロンやユリーカも一緒に来てもらわなかったのか、そして、ピカチュウをはじめとする他のポケモンたちを連れて来なかったのかと後悔する羽目になるということを。

シトロンとユリーカのリクエストを聞き、飲み物を買うために2人は部屋を後にした。
ただ一階まで飲み物を買いに行くだけだからと、ピカチュウや他のポケモンたちは連れておらず、持ち物は財布と端末のみである。
ほとんど手ぶらな状態で、サトシとセレナはエレベーターを待っている。
その時だった。
エレベーターホールの窓が激しく光り、雷が大きな音を立ててその存在を知らせる。
雷鳴に驚いたセレナは体をビクつかせ、無意識に隣に立っていたサトシとの距離を詰めてしまった。


「雨も雷もすごいな」
「え、えぇ、そうね…」


雨が打ち付けられる窓を見ながら呟くサトシ。
呑気な彼とは対照的に、セレナはやけに落ち着きがない。
これはサトシと2人きりだから、と言うわけではなさそうだ。
彼女のソワソワした様子に、流石のサトシも不思議に思い、首をかしげる


「セレナ、もしかして…」


サトシが何かを言いかけたその時だった。
チーンと音を立てて、エレベーターがやって来た。
“下へ参ります”というアナウンスを聞きながら、セレナは足早に中へと入る。
言葉を遮られたサトシだったが、彼が言おうとしていたのは大したことではない。
“まぁいいか”と心で呟くと、サトシはセレナの後を追うようにそのエレベーターの中へと入っていった。

一階のボタンを押し、扉が閉まる。
ゆっくりと降下していくエレベーターの中で、2人の視線は右上に表示されている階数の画面を見つめていた。
やがてその画面に3と表示された時、異変は起きる。

➖ゴゴゴゴゴッ

エレベーターの外から、今まで聞いたことのないような轟音が聞こえたのだ。
雷の音に似たその轟音に驚き、セレナは“きゃあ!”と小さく悲鳴をあげる。
さらにそのすぐ後、降下していたはずのエレベーターがピタリと止まってしまった。


「な、な、なに?」
「止まった…?」


セレナはもちろんのこと、サトシも驚きを隠せないらしく、視線を四方八方に巡らせている。
階数表示は3のまま。
扉は開くことなく、エレベーター自体が動く気配もまるでない。

閉じ込められた。

そう判断するのに、3秒とかからなかった。


「うそ…どうしよう」
「大丈夫だ。こういう時は非常用ボタンがあるだろ?」
「あ、そっか!」


動揺するセレナを落ち着かせるように、サトシは冷静に階数表示画面の下にある“非常用ボタン”を指差す。
大丈夫。
エレベーターが止まることなど、珍しいことではない。
このボタンを使えばなんとかなるはずだ。
希望の糸を手繰り寄せるように、サトシは非常用ボタンを長押しする。


「すいません!聞こえますか!?すいません!」


しかし、応答はない。
それどころか、管理システムに繋がっている気配すらない。
一体どういうことなのか。
その答えは、次にこのエレベーター内で起こる異変が教えてくれた。

➖ぷつん


「え、嘘でしょ!?」
「停電!?」


突如として照明が落ち、エレベーター内は何も見えないほどに真っ暗になってしまったのだ。
そしてようやく気づく。
このホテル全体が、先ほどの雷で停電を起こしているのだと。
だから管理システムにも繋がらず、このエレベーター内の照明も落ちてしまったのだ。
意外にも冷静にものを考えられるサトシであったが、同じ空間に閉じ込められているセレナは動揺を隠せないらしい。
姿は見えないが、“え、え?”と怯えた声を発していることから、相当怖がっている様子が手に取るように分かる。
さらにそんな彼女に追い打ちをかけるように、再び外から轟音が鳴り響く。


「きゃああ!」
「うおっ!」


大きな雷の音と共に、セレナが悲鳴を発する。
と同時に、サトシの腕に何かがぶつかって来た。
真っ暗なため何も見えないが、腕にぶつかって来たのはセレナだとすぐに分かる。
この暗闇で取り乱しては危険だ。
なんとか彼女を落ち着かせなければ。
サトシはぶつかって来たセレナらしきものに手を伸ばす。
彼女のどこに触れているのかはわからないが、生暖かい感触からして、きっとどこか素肌に触れているのだろう。
そんなサトシの予想は正解だった。
突然首元に感じた冷たい手の感触に、セレナはビクリと身体を震わせる。


「ひぅっ」
「落ち着けセレナ!俺だ!」
「さ、サトシ…」


恐怖でバクバクと鳴り響いていた心臓が、サトシに触れられることでゆっくりと落ち着きを取り戻していく。
彼もすぐそばにいる。
その事実は、セレナを急速に安堵へと導いていった。


「ご、ごめんね。私、びっくりして…」
「いいんだよ。それよりセレナ、やっぱり雷が怖いんだな?」
「……うん」


エレベーターに乗る直前、雷に肩を震わせていたセレナを見て、サトシはなんとなく察しがついていた。
セレナに対し、しっかりした強い女の子という印象を持っていたサトシにとって、雷に恐怖する彼女はなんとなく新鮮で、少しだけ意外でもある。
ようやく落ち着きを取り戻したセレナは、少々声を震わせながら心情を語ってくれた。


「小さい頃、1人で留守番してた時に雷が落ちて停電した事があったの。それから、ちょっとトラウマで……」
「そっか。けど大丈夫!俺もついてるから、心配すんな!」
「うん…ありがとう、サトシ」


雷を怖がる人間に、この暗闇で閉じ込められるという状況は非常に過酷なものだろう。
そんなセレナの心情を察し、サトシはなるべく優しい言葉をかけてやる。
そんなサトシの気遣いは喜ばしいものであり、セレナは頬を赤らめた。
この空間が暗闇で良かった。
明るいままだったら、きっと真っ赤になっているのがサトシにバレてしまうだろうから。


「さて、どうすっかな…。とりあえず真っ暗なままじゃ嫌だよな」
「そうね…。あ、そうだ!ちょっと待ってね」


自らのポケットをまさぐるセレナ。
中から取り出したのは、ピンク色のマップ端末だった。
これにはライト機能が付いている。
懐中電灯ほど明るくはないが、光源としては申し分ないだろう。
セレナは端末を開き、ライト機能をONにする。


「これで少しは明るく……」


明かりがつき、辺りが照らされる。
光を得てようやく周りの様子が伺えるようになった2人だが、お互いの顔を見合わせて一瞬だけ固まってしまった。
今まで真っ暗だったおかげでお互いの姿や位置がイマイチ把握できず、2人の距離は驚くほどに近付いていたのだ。
その距離わずか数センチ。
サトシの腕にしがみつくセレナと、セレナの頬に触れているサトシ。
これほどまでに近い距離で彼の顔を見た事がなかったセレナは、再び頬を真っ赤に染めて勢いよく彼から離れた。


「ごっ、ごめん!」
「お、おう…」


あまりの近さに、流石のサトシも動揺したらしく、離れたセレナから視線を外している。
今までは雷と停電の恐怖で気付かなかったが、これは相当まずい状況なのではないだろうか。
暗闇の中で、好きな男の子と、密室で、2人きりで……。
そう考えると、セレナは途端にいたたまれなくなってしまう。
どうしよう。
平常心を保てる自信がない。
あたふたと動揺するセレナだったが、そんな彼女とは対照的に、サトシは冷静にこの状況を分析できていた。


「なぁセレナ。その端末で、シトロンたちに連絡取れないか?」
「へ?あ、あぁそうね!その手があったわ!」


端末があるのなら、何も怖がる必要などない。
電話という科学の力で外に助けを求めれば良いではないか。
そんな単純なことにも気付けないだなんて…。
セレナは自分の動揺っぷりが情けなく、少しだけ肩を落としながら端末の画面に目をやった。

 

 

 

『圏外』

絶望的な言葉が、そこには表示されていた。
停電の影響がこの端末をめぐる電波にも影響しているらしい。
望みは絶たれ、2人はため息をつく。
ここで初めて、サトシは数分前の自分の行動を後悔し始めていた。
シトロンがていくれたら、得意の発明で何とかしてくれたかもしれない。
ピカチュウを連れてきていれば、電気を発生させることでエレベーターを動かせたかもしれない。
しかし、今更後悔しても何も始まらない。
自分が動揺していては、きっとセレナも不安になってしまう。
落ち着かなければ。
そんな責任感がサトシの背を押し、1つのアイデアを絞り出してくれた。


「じゃあ、天井から脱出してみるか」
「天井から?」


右手に持った光源の端末を天井に向けてみれば、そこには開閉可能な扉のようなものが設置されていた。
あそこを開ければ、エレベーターの真上に登れるらしい。
なんとかあの扉まで手を伸ばせれば、状況を打開できるかもしれない。


「よし、じゃあ肩車するぞ」
「え?」
「俺が下になるから、セレナが登ってくれ」
「えっ、ちょ、ちょっと待って!無理よそんなの!」
「へ?なんで…?」
「だ、だって……」


彼女を肩車するためにサトシは床に膝をつくが、当のセレナはその案を受け入れられないようだ。
セレナは自分のスカートを押さえて顔を赤くしている。
その様子を見れば、彼女がどうして肩車を嫌がるのか、鈍感なサトシでも直ぐに勘付いてしまう。


「ご、ごめん!そういうつもりで言ったんじゃないんだ!ナシナシ!今のナシ!」


慌てて発言を撤回するサトシに、セレナは小さく安堵の溜息をついた。
女の子相手になんて事を言ってしまったのだろうと、サトシは1人、羞恥と自己嫌悪に襲われる。
相手がシトロンあたりならまだしも、同じ年頃の女の子にする提案ではなかった。
何か別の方法を考えなくてはと、サトシは立ち上がる。
顔を真っ赤にしながら俯くセレナを直視できず、サトシは思わず視線を逸らした。


「じゃ、じゃあ、とりあえず大声で助けを呼んでみるか」
「え、えぇ…」
「耳塞いでてくれ」


大声で助けを求めれば、外にいる誰かが気付いて助けてくれるかもしれない。
“はぁーっ”とサトシが息を吸うのと同時に、セレナは端末を持ちながら両耳を塞ぐ。


「だれかいませんかぁーーーっ!!!!たすけてくださぁーーーーい!!!!」


サトシが発した声は驚くほどに大きく、狭いエレベーター内に響く。
しかし、外から聞こえるのは僅かな雷と雨の音のみで、サトシの声に応えるような人の声は一切しない。
どうやらこの大声作戦も徒労に終わったようだ。


「……だめか」
「この建物全体が停電になってるなら、外の人たちも混乱してて気付かないのかも」


突然の停電に、おそらくホテルの人間や宿泊客も慌てているのだろう。
特にホテルスタッフは、まずこの停電をなんとか直そうと躍起になっているに違いない。
エレベーターにまで気が回っていなくても、不思議ではないのだ。


「仕方ないな。ならこの扉をこじ開けるしかない」
「そうね。私も手伝う」


セレナはライト機能をオンにしたままの端末を床に置くと、閉じている扉の隙間へと指を入れる。
反対側からもサトシが指を入れ、顔を見合わせた。
頑丈そうな扉だが、2人で力を合わせれば何とか開くかもしれない。
そんな一抹の希望を頼りに、2人は頷く。


「いくぞ。せぇーのっ!」


サトシの掛け声とともに、同時に反対方向へと扉をこじ開けようとする。
全力で開けようとする2人だが、扉はビクともしない。
人よりも力に自信があるとはいえ、サトシも10歳の少年だ。
セキュリティがしっかりとしているエレベーターの扉を素手で開けようなど、無理がある。


「はぁ、ダメそうね」
「あぁ。ビクともしないな」


力を抜き、扉から手を離す2人。
あまりに強い力で引っ張ったため、指先が真っ赤になっていた。
どこかに脱出する手がかりはないかとエレベーター内にくまなく目をやるサトシだったが、どうやらそのような隙はないらしい。
エレベーターという正方形の箱の中では、2人に為す術などない。
さてどうするかと考えるサトシの横顔からは焦りが感じられ、セレナも不安げにその様子を見つめている。
端末で助けを呼ぶことも出来ない。
大声を出すことも失敗。
さらには扉をこじ開けることも不可能。
となると、希望の光はもはやあの一箇所にしかないのではないだろうか。
天井を見上げるセレナ。
そこには人1人が出られそうなほどの大きさの扉がある。


「ねぇサトシ」
「ん?」
「やっぱり、肩車しよう」
「えぇ!?でも…」


セレナのまさかの提案に、サトシは戸惑う。
思わず彼女のスカートへと視線を向けてしまうが、途端に心臓がうるさくなったので、すぐに目をそらした。


「もうそんなワガママ言ってる状況じゃないと思うの。それに私、サトシが相手なら、それでもいいって言うか、その……」


“もじもじ”という言葉は、きっと今のセレナのためにあるのだろう。
彼女は赤い顔を隠すようにうつむきながら視線を外し、スカートをぎゅっと握りしめていた。
その姿を見ていると、不思議と胸が締め付けられる。
心臓がうるさい。
つられるように顔が赤くなる。
いけない。
この狭い空間の中で2人きりという状況は、嫌でも相手を意識してしまう。
今まで、セレナと一緒にいてもこんな気持ちにはならなかった。
なのに、今はとてつもなく落ち着かない。
その理由がわからず、サトシは頭を激しくかきむしる。

そんなサトシの様子を不思議がり、セレナは首をかしげた。
サトシの顔が少しだけ赤くなっているように見えるのは、気のせいだろうか?
キョトンとした表情を見せるセレナを横目に、彼はしゃがみこみ、床に膝をついた。


「……ゆっくり持ち上げるから、しっかり掴まっててくれ」
「う、うん」


せっかく勇気を出して肩車をすると決心してくれたセレナを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
丁寧に接してやらなくては。
そんな事を考えていたサトシの肩に、セレナがゆっくりと乗る。
思ったよりも軽い。
サトシの顔のすぐ横には、セレナのスリムな太腿が触れ、後頭部には彼女の……。


な、何考えてるんだ俺は!?


肩車というこの行為は、サトシが思っていた以上に危険極まりない行為だった。
すぐ横を見れば、セレナの白い太腿が視界に入る。
彼女が落ちないようにその太ももに触れ、しっかり掴んでやれば、彼女が足に少しだけ力を入れたのがわかった。
その感触は柔らかくて、サトシから一気に冷静さを奪う。


「い、いくぞ」
「うん」
「ぃよっと」
「きゃっ」


ゆっくりと立ち上がったサトシ。
たとえどんなに丁寧に動いても、揺れは起きてしまうもの。
そんな不安定な揺れに驚き、セレナは思わず足の間にあるサトシの頭に捕まってしまった。
持ち上げたセレナは、自分よりも身長が高いというのにやけに軽くて、サトシは少しだけセレナの健康を心配してしまう。


「どうだセレナ。届きそうか?」
「あ、うん、ちょっと待ってね」


肩車のおかげで、なんとか天井まで手が届きそうだ。
セレナは天井の扉へと手を伸ばし、ぐっと押してみた。
しかし扉は予想以上に重く、彼女は戸惑ってしまう。


「んっ、重い…!」
「大丈夫か?」
「ひゃあ!ちょ、ちょっとサトシ、動かないで!髪が当たって…くすぐったい!」
「うわっ、悪い!」


セレナを心配し、サトシは少しだけ上を向くが、その瞬間彼女は悲鳴をあげた。
彼が頭を動かしたことで、髪が太ももを刺激してしまっているらしい。
高めのトーンで抗議するセレナの声は、いつもより可愛くて、何故だかドクンと胸を打つ。
まずい。本当にまずい。
鈍感なサトシではあるが、今この状態がいかがわしい空気にあるということは察していた。
どうしようもなく心臓が騒ぐ。
妙な気分になりかねないこの空気を振り払うべく、サトシはピタリと固まり、何も考えないようにぎゅっと目を瞑る。


「いよいしょっと……開いた!」


ガコンという音と共に、頭上から喜びを含んだセレナの声が聞こえて来る。
頭を動かすことができないサトシには見えないが、どうやらセレナが天井の扉を開けたらしい。
埃が僅かに落ちてきたため、鼻がムズムズする。
くしゃみが出そうになるが、ここで噴射すれば先ほどの二の舞だ。
サトシが必死で我慢する一方で、セレナはエレベーターの上に登るため動き出す。


「うんしょ…」


サトシの両肩に乗っていた彼女の体重が、スッと軽くなる。
何とかして上に登ったセレナは、すぐに下で待つサトシへと手を伸ばす。
ジャンプしてその手を取り、ぶらさがったサトシだったが、セレナの細い腕では彼を持ち上げられそうにもない。
それを分かっているサトシは、ほとんど自分の力を使って上へと這い上がる。
旅をしていると、体力がある方で本当に良かったと感じることは多々あるが、今日ほどそれを感じたことはない。


「ありがとな、セレナ」
「うん。でも……」


少しだけ上がった息を整えながら、上を見上げるセレナ。
その視線を追うように、サトシも上を見上げてため息をつく。
上に登れば何とかして脱出できるかと思ったが、どうやらそれは無理があったようだ。
エレベーターが止まったのは2階と3階の間らしく、どちらにも行くことは出来ない。
かといってこのエレベーターが上下していた空洞を登るのも難しいだろう。
結局、このエレベーターに登る作戦も徒労に終わってしまった。


「どうしよう…」
「……しょうがないな。助けが来ることを祈って、エレベーターの中で待つしかない」
「そうね…」


明らかに落胆し、肩を落としているセレナ。
しかし、落ち込んでいても始まらない。
この上で待っているのは危険だと判断したサトシは、開きっぱなしになっていた扉から素早くエレベーター内へと飛び降りる。
彼が飛び降りた衝撃で狭い箱は僅かに揺れ、セレナはふらついてしまう。
難なく着地したサトシはすぐに振り返り、セレナにも飛び降りるよう促した。
しかし、上から自分を見下ろすセレナの表情は不安げで、一向に飛び降りる気配がない。
恐怖のためか、彼女は飛び降りる事を躊躇っているのだろう。
そんな彼女のために、サトシは両腕を広げる。


「ほらセレナ!受け止めてやるから!」
「う、うん……」


サトシの胸に飛び込むという、いつもならときめいてしまうようなシュチュエーションだが、今は高所からのダイブという恐怖感の方が優っている。
両手を広げ、待ってくれているサトシめがけて勇気を振り絞り飛び降りた。
“きゃっ”と小さく悲鳴をあげて落ちて来るセレナを、サトシは抱き留めるが、足元のバランスを崩して後ろに倒れ込んでしまう。


「いだっ!」


倒れ込んだサトシは後頭部を壁にぶつけてしまった。
そんな彼に覆いかぶさるように倒れこんだセレナは急いで上体を起こす。
頭を抑えている彼は相当痛そうな表情を浮かべていた。
重かっただろうか。
申し訳なくなったセレナは、急いで謝罪の言葉を述べた。


「さ、サトシごめんね!大丈夫?」
「あぁ、なんとかな。セレナ、身長の割に軽いよな」


彼の上から即座に退いたセレナに、サトシは苦笑いを浮かべた。
本当はものすごく痛い。
けれどそれは、これ以上セレナに余計な心労をかけまいとするサトシの小さな心遣いだった。
そんな彼の笑顔に、少しだけ安堵を覚えるセレナ。
ケタケタと笑い合う2人だったが、そんな空気を壊すように、床に置かれた端末のライトが消えた。


「えっ、あっ、ライトが……」
「バッテリー切れかもな」


再び真っ暗になるエレベーター内。
お互いの顔が見えないこの状況は、セレナを不安にさせる。
この狭い箱の中にサトシもいるとは分かっているものの、目に見えないという事実は一気にセレナを孤独に追いやってしまうのだ。
一方のサトシは、とりあえず床に置かれていたはずの端末を回収しようと手探りに床を触っていた。
確かこの辺に置いてあったような…。
真っ暗な中、目的のものを探すというのは至難の技だ。
ようやく何かに触れ、見つけた!と喜んだその時だった。
外から何度目かの轟音が鳴り響き、2人の鼓膜を刺激する。


「きゃあっ!」


その瞬間、サトシは自分の右足にズボン越しで何かが触れるのを感じた。
その“何か”の正体がセレナだと言うことは、すぐに察することができる。
雷に驚き、咄嗟に倒れていた自分の足を掴んでしまったらしい。


「セレナ落ち着け!俺はここにいるから」
「サトシ…」


自分の右足のズボンを握りしめるセレナへと手を伸ばせば、彼女の体のどこかへ触れることができた。
感触的に、おそらく肩だろう。
目に見えないセレナを安心させようと、サトシは再び声色を穏やかにさせ、口を開く。


「心配すんな。俺がついてるだろ?」
「うん…。ありがとう。取り乱しちゃってごめんね」
「おう。……へっきし!」


突然のくしゃみに驚くセレナ。
暗くてよく見えないが、サトシはズルッと鼻をすすらせ、ため息をついている。
よく考えれば、先ほど雨に濡れてからきちんとシャワーを浴びる暇もなくこのエレベーターに乗り込んでしまった。
体が濡れ、寒さを感じるのも無理はない。


「サトシ、寒いの?」
「ああ、ちょっとな」


辺りが真っ暗なため、サトシの状況を読み取れる情報は声しかないが、その声色は明るいものだった。
しかし、彼は寒さを訴えている。
今まで散々不安を訴え、彼に気を遣わせてしまっていた。
自分も、サトシの役に立ちたい。
なんとか彼の寒さを取り除いてやりたい。
しかし、あいにく今は暖を取れるようなアイテムを持ち合わせていない。
となると、取れる手段は限られてくる。
……やるしかない。
この暗闇というサトシの顔が見えない空間は、セレナをいつも以上に大胆にさせてしまうのだ。

 

 

 

そこにいるであろうサトシへと、ゆっくり近付くセレナ。
小さな吐息がすぐそばに感じ、彼が目の前にいるということがよくわかる。
段々と煩くなる心臓の鼓動を感じながら、セレナはそっとサトシの胸へと顔を寄せた。


「せ、セレナ?」
「これで、少しはあったかくなるかなって…」


きっと、明るい状態ならこんなことは絶対にできない。
暗い上に、彼の胸に寄り添っているこの体勢のため、サトシがどんな表情をしているのかは分からない。
迷惑に思われていないだろうか。
引かれていないだろうか。
今更になってそんな不安が押し寄せる。
しかし、そんな不安を上から消し去るように、セレナの体は暖かな温もりに包まれる。


「っ」
「ああ。あったかい」


まさか抱きしめ返されるとは思っておらず、セレナは息を詰める。
後ろから抱きしめられているこの状態は、もしも第三者が見たらどう思うだろうか?
この場には2人だけしかいないにも関わらず、セレナはそんな事を唐突に思ってしまう。
顔がどんどん赤くなるのがよくわかる。
今、この場が明るかったなら、きっとこの赤い顔をサトシに見られてしまう。
ああ、暗くてよかった。
セレナは心でそう呟くのだった。

胸の中で小さくなっているセレナの体温は、ダイレクトにサトシの腕へと伝わってくる。
先ほどまであんなに寒かったというのに、彼女を抱きしめた途端に熱くなっていく。
心臓の鼓動が早まる。
何故だろうか。
彼女を離したくないと考えている自分がいる。
顔がどんどん赤くなるのがよくわかる。
今、この場が明るかったなら、きっとこの赤い顔をセレナに見られてしまう。
ああ、暗くてよかった。
サトシは心でそう呟くのだった。


「セレナ」
「うん?」
「怖くないか?」
「へーき」
「疲れてないか?」
「だいじょぶ」
「寒く、ないか?」
「………ちょっと」


互いに正しい距離感を探り合うように、2人は消え入りそうな声で会話を紡ぐ。
“寒い”
その言葉はサトシに都合のいいキッカケを与え、彼はセレナを抱く腕の力を強める。
ぎゅっと強くなった彼の腕の中で、セレナはただ小さく丸まり、顔を赤くしていた。
どうしよう、すごくドキドキする。
心臓が破裂しそうだ。
この音がサトシに聞こえていたらどうしよう。
サトシは、この状況をどう思っているのだろう?
暗闇がセレナに与えるのは、不安と、期待と、そして少しの勇気。
彼の姿が見えない今なら、長年蓋をしていたこの気持ちを素直に吐き出せるかもしれない。
きっと今なら、言える。
そんななんの根拠もない自信が暗闇から沸き起こり、セレナの背を押す。
自分を包んでいるサトシの手に自分の手を重ねると、セレナは小さく深呼吸して口を開いた。


「サトシ、あの、あのね!」
「ん?」
「わ、私、実はサトシのこと……」


切羽詰まったような彼女の声色は、自然にサトシを緊張させる。
明らかにいつもとは違うセレナの様子に、いやでも困惑してしまう。
彼女が何を言おうとしているのか、その先を聞く直前に、悲劇のような奇跡は起きた。
今まで2人の味方をしていてくれた暗闇が消え去り、エレベーター内の照明が一瞬にしてついたのだ。

突然明るくなったことで、眩しさに目を細める2人。
数秒で目が慣れてくると、お互いにお互いの顔へと視線を向ける。
後ろから抱きしめるサトシと、その腕の中で小さくなっているセレナ。
2人の距離は近く、そして頬を赤らめている。
視線がかち合うことなど、旅をしていて何度もあるくせに、今日は何故だか照れ臭い。
2人とも視線を即座にそらし、動揺したように目を泳がせた。
どうして照明がついたのか。
そんな事を2人が考え出す前に、エレベーターはゆっくりと動き出した。


「あれ?動いてる?」
「みたいだな」


階数表示の画面が付き、3から2へと移る。
サトシは立ち上がると、繋いでいたセレナの手を引っ張り、彼女が立ち上がるのを手伝ってやる。
2人がよろけながら立ち上がったと同時に、“チン”と音を立ててようやく扉が開いた。
久しぶりに見た扉の外の世界は随分明るく見えて、2人は揃って目を丸くする。


「サトシ!セレナ!」
「よかった!やっぱりエレベーターにいたんですね!」


扉の先にいたのはシトロンとユリーカだった。
突然の事にあっけにとられるサトシとセレナだったが、シトロンとユリーカはそんな2人の様子に安心したような表情を向けている。
ユリーカはセレナに駆け寄ると、サトシに握られていた手とは反対の手を握った。


「シトロン……停電は?」
「ついさっき直りましたよ!部屋にも戻ってこないし、一階のロビーにも居ないようだったのでまさかと思いましたが、本当にエレベーターに閉じ込められていたとは」


やはり先ほどまで建物全体が停電していたらしい。
サトシらがエレベーターに閉じ込められていると見事推理したシトロンはさすがと言えるだろう。
突然のことに呆然としていたサトシだっが、ようやく出られたという事実を認識し、思わず肩の力が抜けてしまった。
よかった。
安心した途端、疲れがどっと押し寄せてくる。
ため息をついたサトシを見て、シトロンはその心中を察し、思わず苦笑いをこぼした。


「お客様、お待たせして申し訳ありませんでした。お怪我はありませんか?」
「あ、はい。大丈夫です。セレナも平気か?」
「うん、大丈夫」


ホテルの責任者と思われる中年の男性が後ろからやってくると、彼は深々と頭を下げる。
そこまで申し訳なさそうにされると責める気にもなれない。
隣のセレナに視線を向けてみるが、彼女も安心しているようで、表情から穏やかさが戻っている。
そんなサトシとセレナを交互に見つめ、ユリーカは首をかしげた。


「ねぇ、なんで手繋いでるの?」
「へ?」
「え?」


幼い彼女の一言は、2人を一気に現実へと引き戻す。
手元に視線を落とせば、そこにはがっしりと指が絡まり、繋がれたサトシとセレナの手がある。
ほとんど無意識に繋がれていたその手に驚き、2人は赤い顔をしながらほとんど同時に手を離した。
ドギマギしながら視線を泳がす2人を見て、シトロンはキョトンとした顔を向ける。
2人とも何故そんなに赤くなっているのだろう、と。


「い、色々あったんだよ!な?セレナ」
「え、えぇそうそう!色々、ね。ははは…」


明らかに動揺している2人は妙に落ち着きがなく、ますますシトロンを不思議がらせる。
そしてニヤニヤと口元に笑みを浮かべるユリーカ。
兄妹の反応は明らかに違っていた。
これは何かあったに違いないと察するユリーカは、笑みを抑えられていない。


「あ、そうだ。飲み物買えましたよ。人数分ありますから、部屋に戻りましょうか」
「そ、そうだな!サンキュー、シトロン!よしよし行こう!」
「?」


口どもるサトシはソワソワしながらも、シトロンの肩を組み、階段の方へと歩き出す。
さすがにもうエレベーターを使う気にはなれないらしい。
様子がおかしいサトシを不思議がりながらも、シトロンは“え、えぇ”と返事をし、歩き出す。
その後ろを追うように、セレナとユリーカが歩いている。


「ねぇ、“色々”ってなにがあったの?」
「ふぇっ!?い、色々は色々よ!うん!」
「ふーん」


こっそりと小声で尋ねてくるユリーカに、セレナは抵抗の余地なく赤面する。
あの真っ暗な箱の中での出来事は、セレナにとって刺激的過ぎた。
あれを言葉に出して説明しようなど、きっと心臓の音が邪魔をして上手くいかなくなるに違いない。
そんなセレナを、ユリーカはやはりニヤニヤと笑いならが見つめていた。

前方には、シトロンと肩を組んで歩くサトシがいる。
数分前、自分を後ろから包んでくれたサトシが。
あの時、照明がつくのが少し遅れていたら、自分は彼に思いを伝える事が出来たのだろうか。
あの時、気持ちを吐露していたら、彼はどんな反応をしたのだろうか。
今となっては分からない。
気持ちを伝える機会を失い、ホッとしたような、残念なような、そんな複雑な感情がセレナを支配していた。


「サトシは緑茶で大丈夫でしたか?」


ペットボトル片手にシトロンは言う。
しかし、自分の肩を組みながら歩くサトシはどこか上の空で、返事すら返してくれなかった。
ぼーっとしている彼が珍しくて、シトロンは声をかける。


「サトシ?」
「え?あ、あぁ、どうした?」
「………セレナと、やっぱり何かあったんじゃ」
「ぅえ!?な、ないよ何にも!りょ、緑茶ありがとな!」
「はぁ…」


挙動不審すぎるサトシはシトロンの手から自分用の緑茶をひったくる。
そう言う方面に疎いシトロンでも、ここまで分かりやすく動揺されては流石に察しがついてしまう。
2人があの狭い箱に閉じ込められた数十分間は、彼らの距離を確実に縮めてしまったらしい。
しかし、急速に縮まりすぎてお互いに頭が付いて行っていないのだ。
サトシは混乱する。
どうしてこうも落ち着かないのかと。
どうしてこうも心臓が高鳴るのかと。
その答えはわからない。

“実はサトシのこと……”

あの時の言葉の先にある答えもわからない。
彼女は一体あの後に何を言おうとしていたのだろう。
気になる。聞きたい。けれど聞けない。
聞いたら最後、セレナとはもう今までの関係では居られなくなるような気がして怖かった。
セレナは友達だ。大事な仲間だ。
そう心に言い聞かせれば言い聞かせるほど、本当にそれで良いのかと問う自分がいる。
友達でいたい。
でも、友達ではいられないような気がする。
この居心地が悪いような、それでいて体が浮ついているような、そんな複雑な感情を抱きながら、サトシは顔を赤くするのだった。


END