Mizudori’s home

二次創作まとめ

結婚前夜の祝い酒

【殺りん】

犬夜叉

■未来捏造

■短編

 

いくら走っても、森の出口は見つからなかった。
舘を追い出される時、持ち出すことを許されたのは、母からの唯一の贈り物である火鼠の皮衣だけ。
靴すらも持ち出すことが許されなかったがゆえに、犬夜叉は裸足で逃げ出すしか無かった。
“半妖の貴様が、いつまでもこの館にいられると思うな”
そう言って犬夜叉の背中を蹴飛ばしたのは、母の遠縁にあたる中年の貴族であった。
そいつは母が存命だった頃から嫌味ばかりで、顔をつきあわせる度に母は目を伏せながらため息をついていた。
幼かった犬夜叉も、母を困らせるこの男が嫌いで仕方なかった。
その男が犬夜叉を館から追い出したのは、母が亡くなった翌日の夜のことである。
館を出る前に、せめて何か食わせて欲しいと強請ってみたが、めざしの1本すら寄越して貰えず、まだ幼い犬夜叉の味方をしてくれる人間は一人もいなかった。
館から追い出されたその日、犬夜叉はその身をもって痛感したのである。
人間の社会に、半妖である自分の居場所など無いのだ、と。

ならば妖怪たちの群れに厄介になればいい。
そう思い立ち、館を出てから森に入って妖怪たちに声をかけてみたが、相手にされないどころか逆に食われそうになる始末。
今もまた、声をかけた妖怪たちに“餌だ”“ご馳走だ”と言われ、追い回されている。
森から出て、人里に降りれば助かるのかもしれないが、そうなったら今度は人間たちに迫害されることは間違いない。
人間を頼ろうとも、妖怪を頼ろうとも結果は見えている。

いっそ食われてしまおうか。
母はもうこの世に居ない。
顔も知らぬ父は、物心着く前に死んだ時化されている。
この世には、自分が死んで悲しんでくれるような者も、頼れる存在もいない。
今自分を追い回している妖怪たちに身を差し出せば、いっそ楽になるのかもしれない。
息を切らし、そんな事を頭で考えながら走っていると、いつの間にか足がもつれ、派手に転んでしまった。
膝に走る痛みに耐えながら状態を起こせば、追いかけてきていた妖怪たちはもうすぐそこまで迫ってきている。
万事休すか。
諦めと恐怖で強く目を瞑ると、その瞬間、ふわりとした風と共に妖怪たちの断末魔が耳に響いてきた。
ゆっくりと目を開けると、そこにいたはずの妖怪たちは無惨にも肉片と化し、地面にちらばっていた。


「何をしている」


背後から聞こえてきた低い声に肩をビクつかせ、振り返る。
そこに居たのは、随分昔に会ったことがある白い犬妖怪。
腹違いの兄、確か名前を殺生丸と言ったはずだ。


「このような雑魚妖怪すら倒せぬのか」


殺生丸の右手には、大量の血が着いていた。
おそらく、父譲りの鋭利な爪で先程の妖怪たちを引き裂いたのだろう。
流石、完全な妖怪というだけあって強い。
犬夜叉も多少は爪を使って相手を怯ませることくらいは出来るが、まだその体を引き裂くほどの力はない。
迷った森の中で、身内に出会えたのは犬夜叉にとって僥倖といえた。
兄といれば、きっと守ってもらえる。
赤の他人である人間たちや妖怪たちと違って、殺生丸は実の兄。
犬夜叉が唯一頼れる肉親であった。


「あ、兄上……」


殺生丸をそんなふうに呼んだのは初めてだった。
最後に会った時は、犬夜叉がまだ言葉を覚えたての頃だったから。
兄に縋りつこうと立ち上がり、駆け寄る犬夜叉だったが、そんな彼のたどたどしい足取りを阻むように、殺生丸は右手の爪から繰り出した光の鞭を犬夜叉の足元に叩きつける。
驚いた犬夜叉は思わず尻もちを着き、背の高い殺生丸を見上げた。


「寄るな、半妖」


自分を見下ろす瞳は、まるで氷のように冷たい。
刺すような視線が、犬夜叉に注がれる。


「半妖の貴様を、弟などと思ったことは1度もない。このような雑魚妖怪すら退けられぬ、一族の恥さらしが」


指に着いた血をピンッと弾きながら、殺生丸はあまりにも残酷な言葉を犬夜叉に浴びせた。
そして、その言葉を聞いた途端、犬夜叉の脳裏に古い記憶が蘇る。
そういえばこの男、初めて会った時も、こんな風に冷たい目をしていた。
奴が風のように去ったあと、母が俯いていた事もよく覚えている。
あの時の会話の内容は、当時の犬夜叉には難しくて理解が出来なかったが、きっとあの時も、今のような言葉を母に浴びせたに違いない。
そして母は、その言葉に傷付き、目を伏せた。


「これ以上父の名を汚さぬよう、せいぜい隠れて生きるのだな」


ひらりと白い衣を翻しながら、殺生丸は踵を返し、歩き出した。
縋りつこうとした兄は、どうやら自分のことを弟どころか、同じ生き物としても扱うつもりは無いようである。
犬夜叉殺生丸に向かって手を伸ばすが、当然その手が彼によって握り返されることは無い。
悔しさに唇を噛み、犬夜叉は伸ばした右手を拳に変えて地面を勢い良く殴りつけた。


「なんだよ……どいつもこいつも……っ。半妖って、そんなにいけないことなのかよ!! にんげんとようかいの間にうまれることが、そんなにダメなことなのかよ!!」


掠れながら声張ってみても、殺生丸は立ち止まることなく行ってしまった。
再び独りになってしまった犬夜叉は、小さな体を震わせながら、ただただ泣くしか術がない。


「おれだって……すきで半妖にうまれたわけじゃないのに……!」


絞り出すように口から出た言葉は、誰の耳にも届くことは無い。
風に揺らめく葉の音だけが、森の中に響いていた。

もし、自分があの兄のように完全な妖怪として生まれていたら、どうなっていただろう。
そうなったら、きっと人間から石を投げられることも、雑魚妖怪たちから追い回されることもなかっただろう。
半妖として生まれていなかったら。
妖怪として生まれてさえいれば。

涙で頬を濡らしたまま空を見上げれば、嫌味なほど晴れ晴れとした青空が広がっていた。
なぜ父は、人間の母と交わったのだろう。
母が妖怪だったなら、自分は半妖として生まれては来なかった。
母が、人間たちの間で迫害され、心に傷をおうことも無かった。
父は残酷だ。
妖怪なら妖怪らしく、同じ妖怪とだけ交わっていればいいものの、人間の母と交わってしまったばっかりに、母を、自分を不幸にした。


「妖怪にさえ、なれたら……」


青い空を見上げながら、犬夜叉は独り呟いた。


********************


近付いてくるいけ好かない匂いに、犬夜叉は眉をひそめた。
空を見上げれば、白い着物をゆらゆらとはためかせながら、犬猿の仲である兄がこの楓の村に向かって飛んできている。
その後ろを着いて来ている阿吽の背には、色と模様の違う小袖がかけられていた。
おおかた、いつものように貢ぎに来たのだろう。
明後日には自らの嫁になる、あの人間の少女に。

兄、殺生丸がふわりと村の道に降り立つと、畑仕事をしていた村の衆は一応に挨拶をしながら頭を下げる。
そんな人間たちに、殺生丸は特に返事をすることもなく慣れた様子で楓の家に向かう。
この村の巫女、楓のもとには、人間の少女が預けられている。
16歳ほどになる彼女は、子供の頃、殺生丸と共に旅をしていたという異質な経歴の持ち主。
そんな彼女から、殺生丸様と夫婦になることになったと聞かされたのは、ひと月ほど前の事だった。
楓を始め、村の者達や犬夜叉の妻、友たちは驚きながらも一様に祝福していた。
だが、弟である犬夜叉は、呑気に“おめでとう”と拍手を送る妻たちを複雑な心境で見つめていた。


「ちっ」


太い木の上で寝そべっていた犬夜叉は、殺生丸にへこへこと頭を下げている村人たちを見て小さく舌打ちをした。
気に入らない。
村人たちが奴にへつらうのも、奴が人間の娘を娶ることも、涼しい顔をして定期的にこの村を訪れている状況も。
全てが気に入らない。
あんなに人間を嫌っていたくせに。

木の上から注がれる犬夜叉の殺気立った視線を知ってか知らずか、殺生丸は楓の家へと吸い込まれるように入っていった。
長年彼のお付をしている邪見や阿吽は、大人しくその入口で待機している。
殺生丸の嫁になる少女、りんがこの村に預けられてから5年以上経つが、どれだけ時間が経っても、殺生丸たちが人里に滞在している状況には慣れない。
人間を嫌い、半妖を蔑んでいた奴の過去を知っていれば尚のこと。
おおかた、明日迎える祝言に向けて、最後の贈り物を届けに来たということだろう。
柄にもなくマメな事だ。


犬夜叉ー?」


真下から、自分を呼ぶ声がする。
聞きなれた声。
かごめである。
巫女装束に身を包んだかごめは、どうやら薬草を摘みに行った帰りらしく、なんだかよく分からない草が大量に入った籠を脇に抱えている。


「降りてきてよー。お義兄さん来てるみたい。挨拶に行こー?」


嫁の申し出は、犬夜叉の神経を逆なでさせた。
今、あいつの話はしたくない。


「………行かねぇ」
「なんでよ」
「行きたくねぇから」
「あんたねぇ。りんちゃんと殺生丸、明日祝言なのよ? お祝いの挨拶くらいしたっていいでしょ。明日は忙しくて声掛けられないかもしれないし……」
「うっせーな。行きたくねぇもんは行きたくねぇんだよ」


人と関わるのが好きなかごめは、りんだけでなく、殺生丸に対しても物怖じすることなく接する。
あの愛想の悪い大妖怪を“お義兄さん”などと親しげに呼べるのも、かごめくらいのものだろう。 
そのせいか、殺生丸も無愛想ながらかごめには多少接し方が緩くなっているように見える。
緩いと言っても、かけた言葉に対して返事かえってくる割合がほんの少しだけ高いというだけの話だが。
相手が大妖怪であろうがなんだろうが、親戚として接しようとしているかごめにとって、今の犬夜叉の態度はあまりにも礼を欠いていた。


「おすわり」
「ふぎゃっ!」


例の言霊によって強制的に下に降ろさせ、かごめは犬夜叉の傍にしゃがみ込む。


「何しやがんだかごめ!」
「あんた最近変よ? お義兄さんの話題になると途端に不機嫌になる」
「けっ、元々俺とあの野郎は……」
「仲悪いのは知ってたけど、名前を出しただけで怒ることなんてなかったわ」
「………」


かつて犬夜叉殺生丸の間には確執があった。
それは誰もが知る事実である。
しかし、奈落との長い戦いを経て、溝が埋まったとまでは言えないものの、以前のように顔を合わせればすぐにいがみ合うような仲ではなくなった。
殺生丸が村の近くまで立ち寄ると、匂いに気付いた犬夜叉がりんにそれを伝えてやったり、時にはかごめやりんを交えながら一言二言会話することもあった。
しかし今は、昔のように犬夜叉が一方的に殺生丸に対しても威嚇している。
殺生丸がまるで相手をしていないのが救いだが、いつまたお互いに刀を抜きあっての喧嘩になるか分からない。


「やっぱり、りんちゃんとのことが原因?」


かごめの問に対して、犬夜叉は口を閉ざしたままだった。
思い返せば、犬夜叉がこんなにも殺生丸に対しても敵意を剥き出しにしだしたのは、りんから“殺生丸様に嫁ぐことになった”と聞かされたあの日からだった。
頬を赤らめながら報告してきたりんに対し、その場にいたほぼ全員が祝福したものだが、犬夜叉は1人だけ難しい顔をしたまま俯いていた事を覚えている。
かごめの勘が正しければ、犬夜叉が苛立っている原因は、あの二人の婚姻にあるはずだ。

 

「ねぇ犬夜叉、話してみてよ。もしかしたら力になれるかもしれないし。私たち、夫婦でしょ?」


心の内を吐露したところで、かごめに解決できるような問題ではないという事を、犬夜叉はよく分かっていた。
しかし、話すことで不利益を被ることは恐らくない。
りんとは姉妹のような間柄にあるかごめだからこそ、もしかすると理解を示してくれるかもしれない。
そんなことを考えながら、犬夜叉は重い口を開いた。


「おめぇも知ってんだろ?殺生丸は昔、人間や妖怪を毛嫌いしてた。そんな奴が、今更人間のりんを嫁に迎え入れようなんて、ちょっと納得いかなくてな」
殺生丸も変わったのよ、きっと」
「だろうな。人間を娶るなんて、冗談でも言うような奴じゃなかった。ただ・・・」
「ただ?」


腕を組み、眉間にしわを寄せた犬夜叉は、難しい顔をしてうつむいていた。
過去の出来事を思い出していたのだろう。
悲しげで、ほんの少しの怒りを孕んだ彼の表情に、かごめは首を傾げた。


「あいつとりんが一緒になるってことは、産まれてくるガキは半妖になるってことだ」
「あ・・・」
殺生丸が人間に対して嫌悪感を抱かなくなったのはわかる。けど、それとことれとは別だ。半妖の子を産んだ人間は、人間社会からは疎外され、妖怪の社会にも当然入れない。子供の半妖も、幸せな一生を送れる保証はどこにもないんだ。殺生丸は、いつか来るかもしれないそういう苦しみを、きちんと理解してるのかって心配でな」
犬夜叉・・・」


それは、人間と妖怪の間に産まれた犬夜叉だからこそわかる理屈であった。
犬夜叉が抱いていたのは、殺生丸に対する怒りなどではなく、りんに対する杞憂。
自分が幼いころにそばで見ていた苦悩する母と、これから殺生丸に嫁ぐりんの姿を重ねたのだろう。
同じ人間たちから、妖怪とまぐわった淫らな女と罵られ、妖怪たちからは視界にも入れてもらえない。
そんな母が頼れる相手と言えば、夫であり犬夜叉の父でもある男なのだろうが、彼は母が犬夜叉を産んですぐに死んだ。
頼ろうにも、この世にいないのなら仕方がない。
母は、幼い半妖の子供を抱えながら、独り孤独に生きていた。
その苦悩は、並大抵のものではないだろう。


「俺は、もう二度とおふくろみてぇな女を見たくねぇ。りんには、おふくろみてぇになって欲しくねぇんだ」


殺生丸がりんを村に置いていった以来、犬夜叉をはじめ、この村の人間たちはりんを家族の一員のように接してきた。
そんな彼女だからこそ、殺生丸に嫁ぐことで苦しむことになるのなら、たとえ本人たちが望んだことでも納得がいかない。
いつか苦しむことが目に見えているのなら、ほかの仲間たちのように心から祝福はできない。


「そっか・・・。でも、犬夜叉のお母さんも、お父さんと一緒になったこと、後悔はしてなかったんじゃない?」
「かもしれねぇな。けど俺には、晩年のおふくろはとてもじゃねぇが幸せには見えなかったんだ」
「・・・・・・・・・・」


母は、父と子を成したことを後悔してはいないかもしれない。
父との子である自分に惜しみなく愛情を注いでくれたことがその証拠である。
けれど、幼いころから脳裏に焼き付いている母の顔は、いつも憂いを帯びていて、悲しげだった。
笑顔が絶えないりんが、いつかそんな顔しかできなくなるのかもしれないと思うと、他人事とは思えなかった。


「ま、だからって何だって話だけどな。祝言を挙げるだのガキを作るだの、そういうのは殺生丸たち本人の問題だ。納得いかねぇからって、俺みてぇな外野がとやかく意見できることじゃねぇから、別にいいんだけどな」
「・・・・・犬夜叉は、外野じゃないでしょ?」


かけられた言葉に、犬夜叉はうつむいていた顔を上げ、すぐ隣にいたかごめへと視線を向けた。


殺生丸は、犬夜叉のお兄さんじゃない」
「けっ、あの野郎のことを兄貴だなんて思ってことねぇけどな」
「でも、本当に他人だと思ってたら、そんな風に思わなかったんじゃない? お母さんのこともあるし、身内だと思ってるから複雑なのよ」


かごめの言葉は、犬夜叉にとって図星でしかなかった。
犬夜叉殺生丸は、何かにつけていがみ合っていたし、お互いに毛嫌いしていた。
もうとっくに兄だという認識はなくなってしまったが、他人だとも思えない。
だからこそ腹も立つし、複雑な気持ちも抱いてしまう。
だからといって、自分がやめろと騒いだところで聞き入れるほど、殺生丸は寛容ではない。
複雑な思いを抱きながら、蚊帳の外にいる犬夜叉は、黙ってりんが殺生丸のもとに嫁ぐのを見ているしかないのだ。


「よし!明日、お義兄さんと話してきなさい!」
「は? な、なんだよいきなり」


突然何かを思い立ったかのように両手をパンと鳴らすかごめに、犬夜叉は嫌な予感を覚えていた。
経験上、彼女が今のように目を輝かせて張り切っているときは、ろくなことを言ってこない。
どうせいらない企みを共有してくるに違いないのだ。
そんな犬夜叉の予感は的中したようで、かごめは突拍子のないことを言い出した。


「私も、りんちゃんのことは妹みたいに思ってるわ。そんなりんちゃんに、不幸な思いはしてほしくない。殺生丸がそこんとこ、どう思っているのかは確かに気になるところだわ。なんにも考えずにりんちゃんと結婚しようとしてるなら、犬夜叉の言う通り問題があると思うの」
「お、おう・・・」
「だから、犬夜叉殺生丸と話してきてよ! 殺生丸がこれからのことをきちんと考えているのかどうか、確かめてくるのよ!」
「俺が!? なんで俺なんだよ!」
「妖怪と一緒になったお母さんを一番近くで見てた犬夜叉だからこそ、言葉に説得力があると思うの。それに、直接話せば犬夜叉のモヤモヤも解消されるかもしれないでしょ?」


確かに、りんがこれから受けるかもしれない苦悩を理解できるのは、犬夜叉ただ一人だった。
そして、殺生丸に口出しができるのも、身内である犬夜叉ただ一人。
かごめの言う通り、殺生丸と直接話をすることができれば、犬夜叉の中にある複雑な思いも振り払えるのかもしれない。
けれど、殺生丸犬夜叉を受け入れ、話しをしてくれる保証などどこにもなかった。
人間嫌いは多少マシになったのかもしれないが、鉄砕牙をめぐって死闘を繰り広げた犬夜叉の意見を聞いてくれるほど、殺生丸は優しくないだろう。
せめて何かしらのきっかけや大義名分がなければ、溝がある兄とは話せない。


「けっ、今更殺生丸なんかと話せるかよ。それに、あいつを訪ねたところで俺と会おうなんて思わねぇだろ、あの野郎は」
「それなら大丈夫。私に考えがあるわ」


にやりと口角を上げて笑うかごめの表情は、野心に満ちていた。
やはり、ろくなことを考えていない。
犬夜叉は微笑みを向けてくる嫁の表情に嫌な予感を覚えながら、しぶしぶ彼女の考えに耳を貸すのだった。

 

********************


楓の村から1里ほど離れた森の中。
犬夜叉は、小高い丘にそびえるとある館へと出向いていた。
館の正面門に続く長い階段をのぼりながら、深いため息が出てしまう。
かごめに殺生丸とりんの婚姻への本音を吐露したのは昨日のこと。
一晩経過し、朝一でかごめにたたき起こされ、尻を叩かれる形で一人この館の前へとやってきた。
右手には大量の野菜やら薬草やらを詰め込んだ籠を持たされている。
これを持って、先月建てられたばかりの殺生丸の館に行けとかごめから命じられ、重い足取りでここまでやってきたが、やはり気が進まなかった。
この館は、殺生丸がりんを迎えるにあたって作らせたもので、人間の大名が根城にしているような館を参考に作らせたのだという。
人間であるりんが住みやすいように設計したのだろう。
階段を上った先にある正面門の前には、どこから雇ったのかわからない小鬼の妖怪が立っている。
衛兵として正面門を守らせているらしい。
殺生丸の館に入るには、あの小鬼に通してもらう必要があるが、どうも素直に通してくれるようには思えない。
館を守る衛兵が、殺生丸犬夜叉の確執を知らないわけはないのだから。
だが、かごめ曰く、殺生丸は必ず犬夜叉と会ってくれるはずだという。

“この野菜たちを、結婚祝いとして殺生丸に届けるのよ。りんちゃんのためにって伝えれば、きっと断らないはずだから!”

自信満々にそう言い切ったかごめの言葉を疑うわけではないが、彼女は殺生丸を随分甘く見ている。
確かに、あいつはりんに対して大分優しい、かごめたち人間に対してもかなり態度が柔らかくなった。
しかし、犬夜叉に対してだけは、殺生丸の態度が和らぐことはなかった。
父が遺した刀をめぐる争いは、問題が解決した後も二人の間に確執を残してしまった。
それは、お互いに所帯を持つことになった今も同じ。


「はぁ・・・」


肩を落としつつも、犬夜叉は正門へ向けて階段を上り続ける。
このまま館を訪ねずに帰ってしまってもいいが、そうなればかごめにおすわりの刑を食らわせられるのは明白。
それに、犬夜叉自身殺生丸ときちんと話がしたいと思っていたのも事実。
やはりここで帰るわけにはいかなかった。

 

「何者だ」
「用がなければ即刻立ち去るがよい」


階段を登り切った犬夜叉は、予想通り小鬼に阻まれた。
犬夜叉の膝丈ほどの小ささの小鬼たちが、持っている長槍を互いに交差させ、正門を封じる。
小妖怪でしかないこの小鬼たちを薙ぎ払うなど、犬夜叉にとっては簡単なことだが、そんなことをしたら余計に殺生丸と話せない状況になってしまうだろう。
それだけは、なんとしても避ける必要があった。


犬夜叉だ。知ってんだろ? お前らの主の弟の・・・」


面倒くささを感じながら名乗る犬夜叉の目つきは、非常にやる気のないものだった。
自ら弟と名乗ってみたけれど、内心自分も兄もお互いを兄弟とは一度も思ったことがない。
だが、目の前をふさいでくる衛兵たちかわすには、今だけ兄弟面をしていたほうが都合がいい。
そんな犬夜叉の心情を知ってか知らずか、衛兵の小鬼たちはあっさりと長槍を戻し、あろうことか犬夜叉に向かって片膝をつきこうべを垂れてきた。
何のつもりかと問いただすと、小鬼たちは頭を下げたまま神妙な面持ちで口を開いた。


「よくぞお越しくださいました。犬夜叉様」
「どうぞお通りください」
「いいのかよそんなにあっさり通して」
犬夜叉様はわが主がお身内」
「どうしてここを阻む理由がありましょうや」
「・・・けっ」


どうせ本人は身内だなどと思ってもいないだろうに、殊勝なことだ。
だが、おかげで手間が省けた。
犬夜叉は籠を手に持ったまま、悠々と正門をくぐった。

正門の先に広がっていた庭園は広く、端の方には鹿威しがついた小さな池まである。
白洲が敷き詰められた庭を進めば、正面玄関へとぶつかった。
館の玄関口で周囲を見渡してみるが、長い廊下が左右に伸びているだけで何者かの気配もない。
仮にも客人が来ているのだから、案内の一人も寄越せよ。
内心悪態をつく犬夜叉だったが、あたりをきょろきょろと見渡しながらこめかみを掻く。
殺生丸がこの丘に館を立ててからひと月ほどが経過したが、訪れるのは初めてだった。
嫁として嫁ぐ予定のりんや、彼女の付き添いで着いていったかごめは1、2回ほど来たことがあるらしいが、犬夜叉は誘われてもかたくなに断っていた。
それが仇となったらしく、初めて訪れたこの館は広すぎてどこへ向かえばいいのかわからない。

本来の目的は殺生丸に会うことであるため、彼の部屋を探せばよいのだろうが、この館は殺生丸のにおいであふれているため、自慢の鼻で場所を特定することは難しそうだ。
適当に歩き回って部屋をひとつひとつ暴き、荒らすように探してやろうか。
そんなことを思い始めていた犬夜叉の耳に、ぺたぺたと床を小走りで走る音が聞こえてきた。
どうやらこちらへ向かってくるらしい。
ちょうどいい、誰だか知らないが、殺生丸の部屋がどこにあるのか聞こう。
そう思い、足音がするほうへ視線を向けた犬夜叉だったが、現れた人物の正体に眉をひそめた。


「ん? 貴様犬夜叉ではないか。なぜお前がここにいる?」
「ちっ」
「会って早々舌打ちするな!」


駆け寄ってきたのは、長年殺生丸に付き従った小妖怪、邪見であった。
この館を建設するにあたり、多くの小妖怪を配下として迎え入れた殺生丸であったが、側近として傍に置いているのは邪見のみであるとりんから聞いていた。
そんな邪見がこの館にいるということは、殺生丸もここにいるということなのだろう。
邪見とは見知った間柄であるため、面倒な自己紹介は省けそうだが、彼は犬夜叉にとって殺生丸贔屓の小うるさいやつという印象であったため、あまり会いたくはない存在だった。


「婚姻祝いを持ってきてやったんだよ。ありがたく思いやがれ」
「む? 祝いの品を持ってくる話は聞いておったが、かごめが持ってくるのではなかったのか」
「は?」
「昨日かごめから知らせが来たぞ。明日品を持っていくと」


どうやら、昨日のうちにかごめが殺生丸邸へ根回しをしていたらしい。
だから自分は正面門であっさりと入れてもらえたのかと合点がいった。
だが、館へ伝えられた情報には食い違いがあるらしい。
邪見は品を持ってくるのはかごめだと認識していたようだが、実際に持ってきたのは犬夜叉ただ一人。
不本意に情報が誤って伝えられたのかもしれないが、かごめのことだ。
きっと殺生丸の配下たちに門前払いを食らわないよう、あえてかごめが行くと伝えておいて、わざと犬夜叉に行かせたのかもしれない。
最初から犬夜叉に届けさせると伝えたら、祝いの品を送ること自体断られてしまうかもしれないと考えたのだろう。
自分の嫁ながら悪知恵が働くことだ、と犬夜叉は感心した。


「かごめは用があるんだよ。だから俺が代わりに持ってきた」
「なんじゃと? 話が違うではないか! 殺生丸様は、りんが姉のように慕うかごめだからこそ単独の訪問を許したのじゃぞ! 犬夜叉なんぞが来ると分かっていたら最初からそんなもの受け取らんかったわ!」
「なんだと!?」
「帰れ帰れ!お前なんぞから受け取る品などないわ!」


やはり、殺生丸贔屓の邪見は素直に犬夜叉を通そうとはしてくれない。
ぷりぷりと怒りながら、自分より一回りも二回りも大きい犬夜叉に吠えていた。
邪見の相変わらずの言い草に軽い苛立ちを覚えながらも、犬夜叉はここで帰るわけにはいかなかった。
せっかくわざわざここまで出向いてやったのだ。
殺生丸に会って直接話せなければ割に合わない。


「けっ、殺生丸の野郎も随分偉くなったもんだな」
「なに!?」
「これはかごめが用意したもんだぞ。“りんが姉のように慕うかごめ”がな! しかもこいつは殺生丸だけじゃなくりんのための品でもあるんだぜ? それを突っぱねるなんて失礼なんじゃないのか?」
「うっ・・・ならば品だけ置いてとっとと帰るがいい!」
「あぁ!? わざわざここまで出向いたってのに、館の主様に会わずに帰れってのか? りんには殺生丸様によろしく言っておいてって頼まれてるんだぜ? 俺が邪見に追い返されて殺生丸に会えなかったと知ったら悲しむだろうなぁ、りんの奴」
「ぐ・・・ここでりんの名を出すか」


殺生丸だけでなく、邪見もりんに対して甘いことを犬夜叉は知っていた。
りんを大事に思う殺生丸の気持ちを代弁しての態度だと本人は言っているが、その実、まるで彼女の親のように陰では世話を焼いている。
だからこそ、りんの名前を出されれば従うほかないのだ。
案の定、邪見はりんの話をした途端肩を落とし、観念したかのようにしおらしくなってしまう。


「・・・・・仕方ない。ついてこい」


邪見は犬夜叉に背を向け、てくてくと廊下を歩きだした。
どうやら、殺生丸の部屋に案内してくれるらしい。
思惑通りいったことに内心ほくそ笑みながら、犬夜叉は素直に邪見の後ろを歩く。
中庭に続く回廊を進み、静かな廊下を歩く二人。
この館は、表から見るよりもずっと広いらしい。
数匹の配下がいるとはいえ、殺生丸とりんたちだけでこの館を使うには広すぎるのではないだろうか。
そんなことを考えていると、殺生丸はある部屋の前で立ち止まった。
閉ざされた障子はほかの部屋よりも豪華で、留め具はすべて金でできているようだった。
その装飾の派手さから、この部屋が殺生丸の部屋なのだと理解する。
邪見はその場に膝をつき、障子の向こう側にいるであろう主に向かって声をかけた。


殺生丸様、邪見めにございます」
「・・・・・邪見か。なぜ犬夜叉を伴っている」


さすがに自分と同じ犬妖怪というだけあって、殺生丸犬夜叉同様鼻が利く。
障子越しに立っている犬夜叉の匂いに気が付いていたようだ。
障子の向こうから聞こえてくる声は、明らかに不機嫌なものであった。
そんな殺生丸の態度に冷や汗をかきながら、邪見はたどたどしく訳を話しだす。


「いえそれが・・・かごめが寄越すはずだった結納祝いの品を、何故だか犬夜叉が持って参りまして・・・。とっとと帰れと申したのですが、殺生丸様の顔を見るまで帰らないと・・・」
「・・・・・入れ」


低くささやかれた一言に、邪見は驚き、“よろしいので?”と拍子が抜けたように問いかけた。
邪見としては、犬夜叉殺生丸に門前払いを食らうと思っていたらしい。
こうもあっさりと入室を許されたことには、犬夜叉も驚いたが、入れと言われたからには遠慮する必要も無い。
立ち止まっていた犬夜叉は、野菜やら酒やらが入った籠を持ったまま襖を開け放った。
焦った様子で“おい待て”と制止する邪見を無視し、足早に部屋の中へ入ると、すぐに障子を閉めた。
あまり物がなく、かなり広いその部屋の奥。
開け放たれた障子からは外の様子が見え、楓の村が見下ろせる。
床に腰を下ろし、肘掛に頬杖をつきながら外の景色を眺めている殺生丸の表情は、犬夜叉からは見えない。
だが、決していい顔をしている訳では無いことは分かっていた。
殺生丸は、単身会いに来た弟を笑顔で出迎えるような男ではない。


「よお、殺生丸
「・・・・・何の用だ」
「婚姻祝いを届けに来てやったんだよ」


沈みゆく夕日を眺めている殺生丸の横顔は、赤く照らされている。
かごめから押し付けられた婚姻祝いの品を床に置いたところで、ようやく殺生丸はこちらに顔を向けてきた。


「かごめが持ってくると聞いていたが」


やはり、殺生丸はかごめだからこそ訪問を許したようだった。
彼がこれから嫁にもらおうというりんは、暇さえあればかごめや珊瑚の元へ遊びに来て、お茶菓子片手に何やら話し込んでいる。
実の家族がいないりんにとってかごめは姉のような存在で、殺生丸自身、りんからかごめに良くしてもらっているという旨の話を聞かされていたのだろう。
たがらこそ、殺生丸はりんだけでなくかごめにも弱い。
かごめがから“お義兄さん”と親しげに呼ばれ、嫌な顔をしつつも力ずくでやめさせないのがその証拠。


「俺が持ってきたんじゃ不服かよ」
「ならば用は済んだはずだ。さっさと帰れ」
「やなこった」


自分をとっとと帰らせようとする殺生丸に歯向かうように、犬夜叉はその場にどかりと座り込んだ。
そんな弟の行動に殺生丸は鋭く睨みつけるが、兄の凄みを徹底的に無視している犬夜叉は、自らが持ってきた籠の中から酒を取り出す。

「今夜は祝言だろ? 今日くらい俺に付き合えよ」
「貴様と話すことなどない」
「お前になくても俺にはあるんだよ」


一緒に持ってきた2つの杯にそれぞれ酒を注ぎ、一方を殺生丸に差し出す。
弟によって差し出された杯を無言のまま見つめる殺生丸であったが、一向にその杯を受け取ろうとはしない。
無理もないだろう。
今まで殺生丸犬夜叉は、酒を共にしたことはおろか、同じ食卓についたことすらない。
今までの確執のことを思い返せば、犬夜叉の杯を受け取るなど、殺生丸にとって屈辱的でしかないのだろう。
犬夜叉にもその気持ちはよくわかるが、今は二人で話す必要がある。
犬夜叉に酒を持たせたのは、酒が入れば無口な殺生丸でも多少は饒舌になるだろうという、かごめの考えであった。


「何の真似だ」
「かごめ曰く、結構いいところの酒らしいぜ?」
「貴様の杯など誰が受けるか」
「なんだよ。半妖の弟が注いだ酒は飲めねぇってか? それとも、殺生丸ともあろう男が、人間の酒に酔って醜態をさらすのが怖いのかよ」


殺生丸は誇り高く、自尊心も強い男である。
それをよく知る犬夜叉は、彼の神経を逆なでするような言葉をたくさん知っている。
犬夜叉の煽りに機嫌をそこねたらしい殺生丸は、切れ長の目で犬夜叉をひと睨みすると、しぶしぶ差し出された杯を受け取り、中の酒に口をつけた。
完全なる妖怪である殺生丸にとって、人間の酒などほとんど水でしかないが、かごめが選んだというこの酒は多少ほかのものと比べて風味がよく、人間が飲むにはかなり強い酒のように思えた。
質のいい酒を持ってきたというのは本当だったらしい。
殺生丸が酒に口をつけたことを確認すると、犬夜叉もまた自分の杯に口をつける。
ちびちび飲むのが性に合っていない犬夜叉は、杯の酒をすべて飲み干してしまう。
頭に一気に血が上る感覚を覚えたが、きちんと酔っていなければ殺生丸相手に聞きたいことも聞けないだろう。
これくらいの酔いがちょうどいい。
犬夜叉は杯を床に置き、意を決したように口を開いた。


殺生丸、てめぇ、なんでりんを嫁に取る気になった? 人間嫌いだったてめぇが」


いきなり本題に入った犬夜叉であったが、殺生丸の顔は見れなかった。
無粋な問いかけを投げられた殺生丸のほうも、表情を崩すことなく黙っている。
涼しい顔で再び杯に口をつける殺生丸にいらだちを感じ、犬夜叉はさらに追撃をかけた。


「わかってんのか、妖怪のてめぇが、人間のりんを娶ることの意味を」
「何かと思えば、そんなくだらぬことを聞きにきたのか」


ようやく口を開いた殺生丸であったが、真剣に問いかけてくる犬夜叉を鼻であざ笑い、外の景色に顔を向ける。
遠くに見える山々の間に、真っ赤な太陽が落ちようとしていた。
あの太陽が完全に沈み、夜の闇が訪れたとき、殺生丸は楓の村に降り立ち、りんとの祝言に臨まなければならない。
本当は人間の慣習である祝言など挙げるつもりはなかったが、長年りんを世話してきた楓が、村での祝言を強く希望したため、今夜楓の村で祝言を執り行うことになった。
楓曰く、りんはこの村の者たちにとって家族のような存在。
そんな彼女の晴れ姿を見たがっているものは数多くいる。
彼らのためにも、そしてりん自身の人間としての幸せのためにも、祝言を挙げさせてやってくれ。
りんにとって母のような存在である楓の言葉は、たとえ殺生丸でも無下にはできなかった。
あまり気乗りはしなかったが、りんがそれで喜ぶならばと承諾した殺生丸
まさかその祝言の前に、忌み嫌っていた弟につかまり酒を飲まされることになるとは思ってもいなかった。
しかも、今更そんな質問をされるなど、心外も甚だしい。
殺生丸は悪くなった機嫌が直らぬまま、外の景色を眺めながら低い声を発した。


「私が何を思い、りんを迎えようと貴様には関係のないことだ」
「関係あるだろ! 俺はお前の・・・」


そこまで言って、犬夜叉は口を閉ざす。
その先の言葉を言ったところで、きっと殺生丸に激怒され、言い合いになるのは目に見えている。
ずっと心の中で否定し続けてきた本音が出かかり、犬夜叉は自分の甘さに苛立ちを覚えた。
突然大声をあげた犬夜叉に、さすがの殺生丸も外の景色から視線をそらし、犬夜叉に目を向ける。
視界に入ってきた犬夜叉はうつむき、苦虫を嚙み潰したような顔でを見せていた。


「かごめがりんを妹みてぇに思ってるのと同じように、俺だってりんとは知らない間柄じゃねぇ。嫁ぐことで不幸になるかもしれないのなら、最初から嫁になんて出したくねぇんだ」


絞りだすかのようなか細い声は、実に犬夜叉らしくない弱弱しいものだった。
こんなこと、祝言を迎える男に言うべき台詞ではないことくらい、犬夜叉にもわかっている。
きっと責められるだろう。
きっと激怒されるだろう。
だがそれでも、言わずにはいられない。


「私に嫁ぐことが不幸につながるというのか」
「少なくとも、確実に幸せになれる保証はない」


殺生丸の声は、明らかに怒気を孕んでいた。
まっすぐこちらに向けられる視線が痛い。


「知ったようなことを抜かすな」
「知ってんだよ! おふくろがそうだったから・・・・」


思い返せば、殺生丸相手に父親の話をすることはあっても、母親のことを話す機会はほとんどなかった。
彼が父の墓のありかを暴こうと久しぶりに犬夜叉に接近してきたあの時は、母の姿を模した妖怪を差し向けてきた。
それを、犬夜叉は無意識にも忘れられなかったからかもしれない。
人間の母の話など、きっと殺生丸は興味などない。
けれど、今、殺生丸が愛し嫁に迎えようとしているりんが歩く先には、犬夜叉の母と同じ未来が待っている。
それを殺生丸に諭すことができるのは、かごめの言う通り、犬夜叉ただひとりだけなのだ。


「俺の記憶の中にいるおふくろは、いつも辛そうに泣いてた。妖怪の子を孕み、半妖の俺を産んだからこそ周りから迫害されてたんだ。りんも、同じ末路をたどるかもしれないだろ」


言い合いになるのは覚悟の上だった。
犬夜叉は空になった杯に再び手酌で酒を注ぎ、二杯目も一気に飲み干す。
殺生丸と二人だけで話しているという状況だけでも居心地が悪いのに、話している内容が内容なだけに、余計胃が痛くなる。
犬夜叉にしては珍しく言葉を慎重に選び、一言一言伝わるように気遣っていたが、対する殺生丸は再び酒を煽ると小さく鼻で笑った。


「愚か者」
「はぁ!?」


たった一言つぶやかれた言葉は、犬夜叉の気遣いを一気に無駄にさせた。
驚いた犬夜叉は、思わず顔をあげる。
この部屋に入って、初めて殺生丸と視線が交わった。
どうせ睨みつけられているだろうと思っていたが、犬夜叉に注がれている殺生丸の視線は、意外にもいつも通りの冷めた目でしかなかった。


「りんは貴様の母とは違う。私も、父上とは違うのだ」
「どこが違う!? 妖怪の身分で人間と一緒になろうだなんて、親父と同じじゃねぇか! それに・・・」


床を勢いよく殴り、怒鳴ってみるが、殺生丸は憎らしいほど動じない。
言いかけた言葉の先を吐露してしまおうかと一瞬迷ったのは、その話を今この場でしていいものかとためらったからだった。
まるで、自分がされった過去のことを今でもネチネチ恨んでいるのかと思われたくはない。
だがこの際だ。
言いたいことを言ってやろう。
えいやと意を決し、殺生丸をまっすぐ見つめながら声を絞り出した。


「産まれてくるガキは、俺と同じ半妖なんだぞ。てめぇが虫けらみたいに思ってた人間を嫁に取り、蔑んでた半妖の子を、てめぇは生涯かけて守っていけんのかよ」
「・・・・・半妖か」


小さくつぶやいた殺生丸は、手に持っていた杯の酒を飲み干すと、黙ってからの杯を犬夜叉に差し出した。
酌をしろということなのだろう。
むっとした表情をしながらも、なるべく空気を壊さないよう、犬夜叉は素直に従った。
自分の酌が届くように、ほんの少しだけ距離を詰め、ゆっくりと殺生丸の杯に酒を注いでいく。
殺生丸は、注がれた杯に口をつけると、深く息を吐き口を開いた。


犬夜叉よ、私は貴様が嫌いだ」
「なんだよいきなり。そんなのお互い様じゃねぇか」
「私が何故、貴様を嫌悪していたのかわかるか」
「半妖だからだろ? 大妖怪の一族の血を汚してるだのなんだのって」
「違う。貴様が、私の弟だからだ」


先ほど犬夜叉が口に出すことをためらった言葉を、いとも簡単に言ってしまう殺生丸
そんな兄に驚き、思わず言葉を失った犬夜叉
動揺している弟をしり目に、殺生丸はやはり涼しい顔で再び酒を煽る。
犬夜叉から顔をそらし、杯に視線を落とすと、自身の整った顔が波打つ酒に映し出されていた。
そんな自分自身に語り掛けるかのように、殺生丸は言葉を紡ぎだす。


「私は己の力、強さに疑問を持ったことがない。おそらく、父上も同じように思っていただろう。それゆえに、私は父上から何かを賜ったことが一度もない。武具を授かったこともなければ、戦いの手ほどきを受けたことも一度もない。父の血や力を濃く受け継いでいたがために、必要ないとお考えだったのやもしれぬ」
「・・・実際、必要なかったんだろ? おめぇは無駄なくらい妖力が高いから」


犬夜叉が幼かった頃は、殺生丸と言えば雲の上のような存在だった。
同じ父から生まれているにも関わらず、半妖の犬夜叉とは比べ物にならないほど妖力が強く、力もある。
大妖怪である父の子として申し分ない存在だと、自分のお目付け役である冥加もよく言っていた。
父はおそらく、殺生丸に対して強さに関する心配は一切していなかったのだろう。
殺生丸は十分強い。
自分が何か助けを起こさなくても、自力で解決してのけるだけの能力があるに違いない、と。


「それでも私は、力を追い求めた。いつか父上を超え、認めてもらいたいと。・・・・・そんな時、母から、人間の女が父上との子を成したと聞かされた。貴様の母のことだ」


あの時のことを、殺生丸は一度も忘れたことがなかった。
あの淡白な母から、事後報告として弟ができると言われたあの時。
殺生丸は崖から突き落とされるかのような絶望感と、激しい怒りを抱いた。
何故父は、この殺生丸に見向きもせず、人間などという弱い生き物に身を任せてしまうのか。


「父が人間の女と良い仲になっているなど、知らなかった。ただ、もう一人子ができると嬉々として話していた父上が憎らしかった。私のことは見向きもしない父上が、人間の女と、これから生まれてくる半妖の子に入れ込んでいる。その事実だけが、私を卑屈にした」


淡々と話す殺生丸の言葉が、どんどん犬夜叉の肩を重くしていく。
今まで、殺生丸からそんな過去を聞かされたことがなかった犬夜叉は、ただただ戸惑うしかなかった。
いつも己の強さを鼻にかけ、自信満々で涼しい顔をしていた兄が初めて明かした心情は、実に単純で明快なものだった。
父が人間の母を愛し、半妖の自分が生まれたことで殺生丸が感じたことは、孤独と嫉妬。
いくら強くなろうとも、父は兄の力に関心を示さず、自分よりはるかに弱い人間や半妖にばかり関心が向いている。
そんな父の目を自分に向けるには、やはりもっと強くなるしかなかったのだろう。
兄が自分を異様なまでに嫌悪していた背景がだんだんと明るみになり、犬夜叉はいたたまれなくなってしまう。
何か声をかけるべきなのだろうが、言うべき言葉が見当たらない。


「俺・・・俺は・・・・・」
「そして父上は、幼い貴様と、貴様の母のために死んだ。強さを追い求める私を置いて、弱い貴様らを守るために死んだのだ。死した後も父上は、貴様を気にかけていた。鉄砕牙も、冥道残月破も、結局は父の意向で貴様のものになったな」


兄が鉄砕牙に固執していたのも、ただ単に強い刀だからというわけでもなかった。
父が遺した、力を追い求める刀。
父の遺品だからこそ、手に入れたかったのだ。
だが父は、そんな殺生丸の願いすら聞き入れず、残酷にもすべてを半妖の犬夜叉に残した。
だがそれは、犬夜叉殺生丸ほどの力がなかったが故。
力ある兄を信頼しているからこそ、弟である自分に惜しみなく力を残してくれたものだと、犬夜叉は解釈していた。


「・・・・・それは、俺が半妖で、おめぇほど力がなかったからで・・・」
「そうだ。貴様は弱い。弱いがゆえに、父は貴様を気にかけた」


普段ならば噛みつくような発言ではあったが、今は目の前の殺生丸に対して強い言葉をかける気にはなれなかった。
ずっと杯の酒に映った自分自身を見つめていた殺生丸だったが、その杯に口をつけ、ぐっと一気に中身を飲み干してしまう。
そして今度は、外の夕日に顔向けた。
犬夜叉の方から、殺生丸が今どんな顔をしているのかはわからない。
だが、やはりにこやかではないのだろう。
ほんの少しの沈黙が、途方もなく長いものに思えてしまう。
今、心内を独り言のように語ってくれた兄に対して、何を言えば心に響くのか。
珍しく思案してみるが、気遣いという行為とは程遠い場所にいる犬夜叉には、適切な言葉が見つからなかった。
難儀している犬夜叉の心を知ってか知らずか、殺生丸はゆっくりと犬夜叉に視線を戻し、口を開いた。


「半妖だから、人間の血が混じっているからというのはただの建前でしかない。私は、貴様がうらやましかったのだ」


夕日を背に語る殺生丸は、いつもの無表情であった。
けれど、今日ばかりはなぜか哀し気に見えた。
己の強さを自覚し、長らく半妖である自分を虐げ続けた殺生丸が、この言葉を絞り出すためにどれだけ精神力を使ったのか、犬夜叉には想像ができない。
けれど、本音を話すことが容易ではないことくらいはよくわかる。
だからこそ、自分も、長年封印してきた本音をぶつける時が来たのではないだろうか。
一生相いれないと思っていた、この兄に。


「俺だって、お前がうらやましかった。俺にはない力を持ってるお前が。自分一人の力で強くなってるお前が・・・。親父と話したことがあるお前が・・・」


犬夜叉の言葉を、殺生丸は決して遮ることはなかった。
ただ黙って、絞り出される言葉を聞いていた。


「俺は、お前みたいになりたかったんだ」


犬夜叉が渇望したものは、絶対に手に入ることはない力と記憶。
それをすべて持ち合わせている殺生丸が、うらやましくて仕方がなかった。
自分と違って、完全な妖怪である殺生丸のようになりたい。
今思えば、その一心で四魂の玉を狙っていたのかもしれない。
こんなにも長く、殺生丸の目を見て話したのは初めてだった。


「・・・・・結局は、ないものねだりということか」


あきれたように肩を落とした殺生丸
兄がこんな風に笑うのは初めて見た。
ほんの一瞬だけ、殺生丸との間に立ちはだかっていた大きく厚い壁にひびが入ったような気がした。


「・・・・・お前が半妖に対してもう何も思ってないことはわかった。だが、りんや、産まれてくる半妖のガキが周りに良く思われないのは事実だ。殺生丸、お前は、りんを俺のおふくろのようにはしないって、心から言えるのか」


殺生丸が持っている杯が空になったことに気がついた犬夜叉は、自ら空の杯に酒を注いでやる。
その酌を黙った受けた殺生丸は、すぐに三杯目に口をつけた。

父は、犬夜叉が物心つく前に死んだ。
そのせいで、母の十六夜には何の後ろ盾もなく、他の人間たちからは疎外される羽目になってしまった。
あの頃、父が生きてさえいれば、母も自分もあんなに苦しむことはなかっただろう。
だからこそ、犬夜叉は父を恨んでいた。
何故自分たちを置いて死んでしまったのか。
誰に問いかけようとも、その答えは得られなかった。
母が心労で死に、犬夜叉自身それなりに大人になってからあの頃を思い返すと、母は本当に父と結ばれて幸せだったのかという疑問だけが残る。
母のように、いつかりんも、殺生丸と結ばれたことを後悔するかもしれない。
そう思うと、やはり放ってなど置けなかった。
他人事とは思えなかった。


「言ったはずだ。私は父上とは違う。りんを置いて、死にはしない。私がいる限り、りんや子供が孤独になることはない」


その言葉を聞いて、犬夜叉はふと思い出していた。
いつだったか、母に聞いたことがある。
父とは、いったいどういう人物だったのか、と。
あれはまだ物心ついて間もないころ。
自分が半妖だということも認識していなかった頃である。
幼い息子のそんな素朴な疑問に、母は柔らかく微笑み、こう言っていた。

“強く、気高く、優しい方でしたよ”

微笑む母の瞳から感じられたのは、慈しみと愛おしさだった。
人間から疎外されたという負の記憶が、犬夜叉の中にある母との美しい記憶を押しのけてしまったのだろう。
犬夜叉の記憶の中の母は、いつも泣いていたわけではなかった。
きっと母は、父のことを恨んでなどいない。
あの顔を見て、恨んでいたなんて思えない。
もしかすると、りんもまた、殺生丸に対して同じ気持ちを抱いているのではないだろうか。
母が、妖怪である父に惚れ込み、自分を産んだように、きっとりんも殺生丸のことを・・・・・。

犬夜叉は下唇を強く噛みしめ、下を向く。
そして、震える声で言い放った。


「なら、約束しろ。りんを絶対一人にしないって」


うつむく犬夜叉の表情は、殺生丸からはうかがうことができない。
だが、子供のように小さくなり、体と声を震わせている犬夜叉が、なんだか幼く見えて、殺生丸は目を細めた。


「貴様に言われるまでもない」


三杯目の酒を飲み干した殺生丸は、そのまま杯を床に置いた。
腰掛けている殺生丸の向こう側に見える山々の奥に、太陽が沈もうとしてるのが見える。
そろそろ祝言の準備を始めなくてはいけない時間だ。
犬夜叉自身、親族として様々な準備がある。
これ以上遅くなっては、かごめに叱られるだろう。
殺生丸の言葉で納得した犬夜叉は、飲みかけていた杯の酒を飲み干すと、よろけながら立ち上がった。
長時間座っていたせいか、どうやら足がしびれてしまったらしい。


「そうか。なら、もう何も言うことはねぇ。さっさとりんを嫁に持っていきやがれ」
「貴様、わざわざそれを言うためにここまで来たのか」
「あぁ。りんが心配だったからな。それに、俺とお前は、お互いがどれだけ否定しようと、結局兄弟だからな、弟として、兄貴に釘さしとこうと思ったんだよ」


弟として。
この言葉を強調した犬夜叉に、殺生丸はなぜか不快感を感じなかった。
犬夜叉に対して親しみを覚えたと言えばウソになるが、わだかまりがほんの少し解消されたのは事実なのだろう。
床に置いていた鉄砕牙を回収し、腰に差しなおすと、犬夜叉は部屋の入り口に向かって歩き出した。


「じゃあな、祝言の時間に遅れんなよ?」
犬夜叉


障子に手をかけた犬夜叉を、殺生丸が制止した。


「あ?」


出ていこうとする足を止め、殺生丸のほうを振り返る犬夜叉
夕日が完全に沈み、光源が無くなった部屋は暗く、一番星が輝き始めていた。
赤から濃い青に色が変わってゆく空を背後に、殺生丸はまっすぐ犬夜叉を見つめてつぶやいた。


「貴様に頼みがある。兄として」


********************


今夜は満月であった。
美しく大きな月が楓の村を照らし、夜だというのにあたりは明るくなっていた。
つい先ほど、花嫁となるりんが祝言の場となる集会場に入り、化粧やら衣装やらの準備が始まった。
祝言に参列する村の衆たちが集会場近くに集まり、立ち話をしている。
珊瑚は楓と共にりんの気付けの手伝いを。
七宝と、久しぶりに村へ帰ってきた琥珀は、祝言に使う荷物の運搬を。
弥勒は珊瑚の代わりに自分の子供たちの世話に追われていた。
そしてかごめはというと、落ち着かない様子で村の入り口をうろうろと歩いていた。
自らの夫で、婿の弟である犬夜叉が未だに帰ってこないのだ。
準備があるから陽が落ちる前に帰ってくるようにと念を押したのに、何故日が暮れても帰ってこないのか。
あの二人の関係上、殺生丸と話が盛り上がって帰る機を逃したとは考えにくい。
ならば、やはり言い合いになってしまい、まさに喧嘩の真っ最中なのだろうか。
もしそうならまずい。
犬夜叉だけならまだしも、今回の主役の一人である殺生丸まで遅れてしまっては最悪だ。
犬夜叉に使いを出したかごめの責任でもある。
どうか早く帰ってきてほしいと願うかごめであったが、そんな彼女の願いはむなしく、月明かりを遮るように、空から牛車が現れた。
阿吽によって引かれたその牛車は、間違いなく殺生丸のものだった。
まずい。
犬夜叉よりも先に殺生丸が到着してしまった。
もうすぐりんの準備も終わるだろうし、本格的に犬夜叉は遅刻をしてしまっているのかもしれない。
牛車はゆっくりと楓の村に降り立ち、阿吽の背に乗っていた邪見が急いで降りると、牛車の扉を開け放ち、頭を下げた。


殺生丸様、到着にございます」


牛車の中から出てきたのは、やはり殺生丸だった。
ふわりと降り立った殺生丸の姿に、周りで立ち話していた村の衆は一様に頭を下げる。
中にはおめでとうございますと遠くから声をかけている者すらいた。
もちろん、その言葉には全く応えない殺生丸だったが、この村にとって殺生丸がかなり親しみやすい存在になっていることは確かだろう。
昔とは大違いだなと心で思いながら、自分も挨拶に行こうと一歩踏み出したかごめ。
しかし、殺生丸に続き牛車から出てきた人物が視界に入ってきた途端、かごめは驚きの声をあげた。


犬夜叉!?」


殺生丸に続いて牛車から出てきたのは、先ほどまでかごめが待ち続けた犬夜叉であった。
まさか殺生丸と一緒に村に来るとは思わず、かごめは目を白黒させる。
犬夜叉は、かごめの姿に気付くと、かごめのところへと歩み寄る。


「なんでお義兄さんと一緒に来てるの?」
「なんでって・・・お前が話に行けって言ったんだろ? 話してたら時間になったから一緒に行くかってなっただけだ」
「そ、そう・・・」


たしかに、複雑な心境をぬぐうため殺生丸と二人で話すことを勧めたのはかごめだが、まさか一緒に来るとは夢にも思わなかった。
あれからお互いに変わったとはいえ、二人は一時期殺しあうような間柄だった。
それが、同じ牛車に乗って仲良く兄の祝言会場まで来るだなんて。
殺生丸の館で二人が一体どんな会話をしたのか、かごめは気になって仕方がなかった。


「おお来たか婿殿。こっちじゃ、花嫁がまっておるぞ」


集会場からひょっこり顔を出した楓から手招きをされ、殺生丸は黙って歩き出す。
その後ろを邪見がひょこひょこと着いていく。
婿である殺生丸も到着し、犬夜叉も無事時間通り間に合った。
りんの準備が整うまであと少し。
かごめも集会場に入って待とうと考え、殺生丸たちに続くように歩き出したが、すぐ背後にいた犬夜叉に呼び止められる。


「かごめ。ちょっと、髪に櫛入れてくれねぇか?」
「え? いいけど、珍しいわね」


現代にいたときからの習慣で、かごめは毎日自分の髪に櫛を入れているが、同じように長髪の犬夜叉に櫛を入れようとしても、いつも嫌がって断られてしまう。
自ら櫛を入れてほしいと言ってくるなんて珍しい。
兄の結婚式だから、少しでもちゃんとしようとしたのだろうか。
だが、普段の犬夜叉がそんなことを思うはずもない。
首をかしげるかごめに、犬夜叉は照れ臭そうに鼻を掻きながら訳を話してくれた。


祝言の仲人することになってな」


犬夜叉の言葉に、かごめは驚き言葉を失った。
殺生丸の館に行くまでは、仲人をするなどという話は一切出ていなかった。
となれば、きっと館に行った後、殺生丸の方から仲人を任せたいと頼まれたに違いない。
今までの2人の関係性では、考えられないことだった。
犬夜叉からの言葉で、かごめは、二人が館でどんな話をしたのかなんとなく想像がついた。
昼までは、のど元に小骨が突っかかっているような顔をしていた犬夜叉だったが、今は妙に晴れやかである。
きっと、館でのひと時は、有意義なものだったに違いない。
かごめは満面の笑みを見せ、犬夜叉の右手を強く握った。


「うん。さらっさらにしてあげるからね!」


楽しげに笑うかごめに、犬夜叉は柔く微笑むのだった。

 

 

END