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二次創作まとめ

赤い果実に口づけを

【ノアミオ】

ゼノブレイド3

■ゲーム本編時間軸

■短編


「完成デスも~!」


もふもふとした大きな耳で銀色のトレイを持ち上げ、跳ねるような声色でマナナは言った。
トレイの上には大きなケーキ。
雪のように白く美しいクリームでコーティングされ、随所にラブラズベリーがどっさり乗ったビジュアルに、ミオを始めとする女性陣は心を躍らせた。


「すごーい!可愛い!」
「美味そー!さすがマナナだな」


テーブルに置かれた大きなケーキを見下ろし、セナとユーニが口々にマナナを褒め讃えた。
なかなかの大きさを誇るこのケーキは、マナナが朝早くから一人で作っていた超大作である。
牢獄から解放された祝いでもあり、ミオを取り戻すことができた祝いの品でもある。
 
エムの体を借りたミオとの再会は劇的なものだった。
命の粒子となって空に昇っていくミオの体を見上げ絶望に暮れた直後、エムの体で見慣れた笑顔を浮かべるミオに歓喜した。
その数分の間で心は激しく浮き沈みし、すべてが片付いた後一行は安堵と疲労感からぐったりと倒れていた。
その間、マナナだけは久しぶりに再会したミオのために腕を振るっていたのである。


「恐縮デスも。ミオさんのために、マナナ一生懸命頑張りましたも」
「ありがとう、マナナ。すごく嬉しい」
「ミオさんに喜んでもらえて何よりデスも!」


鼻の上にクリームを乗せたマナナがはつらつと笑う。
いくら料理が得意な彼女でも、こんなに大きなケーキを一人で作るのは大変だっただろう。
長くなった白く美しい髪を揺らしながら、ミオは彼女にお礼を言った。


「つか、男どもはまだ寝てんのかよ?いい加減だらしねぇなぁ…」
「せっかくミオちゃんのお祝い会しようと思ってたのにね」


ベッドが並んでいる奥の部屋へと視線を向けながら、ユーニとセナは肩をすくめる。
午前中、一行は荒れてしまったアグヌスキャッスルの後片付けを手伝っていた。
これがまた重労働で、それなりに体力を消耗してしまった。
少し休憩する名目で全員横になっていたのだが、日が暮れてもなお、男性陣3人と1匹はまだ起床してきていない。
肉体的にも精神的にも相当疲れたのだろう。

夜には起きて来るよう念を押したというのに未だ顔を見せに来ない男性陣の不甲斐なさに、ユーニとセナは少々呆れていた。
“まったくもう”と腰に手を当ててため息をつくセナの背後で、部屋の扉が開く。
誰かがこの食堂に入ってきたらしい。
振り返ると、そこには眠気眼を擦りながら部屋に入ってくるランツとタイオン、そしてリクの姿があった。


「ふあぁぁ…、起きんの早いなお前ら」
「集まって一体何をしてるんだ?」
「もも!? なんかいい匂いがするも!」


ケーキの甘い香りに誘われて、リクがテーブルに飛びついた。
木製のテーブルに置かれた巨大なケーキを見つめ、“ケーキだも!”と嬉しそうな声を挙げた彼の言葉に釣られ、ランツとタイオンは顔を見合わせる。
テーブルを囲んでいたユーニ、セナの間を割るように入ってきたタイオンとランツは、テーブルの上に鎮座する宝石のようなケーキに目を輝かせ始めた。


「な、なんて煌びやかな…。う、美味そう…」
「飛びつくなよ?タイオン。ちゃーんと切り分けてからな?」
「あ、じゃあ私切りたい!8等分だよね?」
「セナ!ちゃんと全部同じ大きさになるように切るんだぞ?」
「分かってるって!」


マナナからケーキ用のナイフを受け取ったセナは、背伸びをしながらケーキを覗き込む。
舌を小さく出して唇を舐めると、集中力を高めながら真上からナイフを入れていく。
“もっと右”、“いやもっと左”と指示を出す仲間たちを横目に、ミオはふと部屋の扉へ視線を移す。
つい先ほどランツたちが入ってきた扉である。
ミオのそんな視線にいち早く気付いたのは、足元に立っていたリクだった。


「ノアならまだ寝てるも。起こしに行くも?」
「あ…ううん、いいの。ノア、すごく疲れてるだろうから」


聡いリクには、ミオの心情が手に取るようにわかっていた。
牢獄に囚われていた間、自分たちはエムをミオだと信じ込んで接していたわけだが、本物のミオはメビウスたちの中で孤独にエムを演じていた。
ひとりきりの戦いは、きっと寂しかったに違いない。
再会してからもバタバタしていたため、ミオはまだきちんとノアと会話できていなかった。
いち早く会いたいと思うのは当然の感情だろう。

だが、ことが落ち着いてからのノアの疲労困憊具合はひどいものだった。
今にも倒れそうなほどふらついていて、目の下には黒いクマが出来ている。
精神的にも肉体的にも限界を迎えていたノアには、今こそゆっくりしてほしい。
ノアに会いたい気持ちを抑えながらも、ミオは彼に遠慮していた。


「あーーー!」


不意に背後からユーニの叫び声が上がった。
驚き振り返ると、仲間たちの視線はテーブルの上のケーキに集中している。
嫌な予感がして顔を見合わせるミオとリク。
2人の予感は的中しており、そこにはいびつな形に切り取られたケーキが置かれてあった。
一応8個に切られてはいるが、手のひら以上に大きなピースもあれば、異様なほどに細く小さなピースもある。
どう考えても平等な大きさとは思えなかった。


「セナ、さすがにこれは…」
「ご、ごめんねミオちゃん…」


クリームが付いたナイフ片手にしょぼくれているセナ。
この惨事が故意ではないということは明らかだった。
肩を落としているセナの背中を、苦笑いを零しながらランツが力強くたたいた。


「気にすんなセナ!8つに切れただけでも上出来だ!」
「ポジティブ過ぎんだろお前…」
「まぁ、こうなってしまったことは仕方がない。誰がどれを食べるか決めるとしよう」
「ミオちゃんは大きい奴でいいよね?今回の主役だし」
「それならマナナもだな。作ってくれた張本人なわけだし」
「あ、なら、ノアにも大きいのを残してあげてもらっていい?眠ってる間に勝手に決められたら可哀そうだから…」


ミオの提案に異議を唱える者はいなかった。
牢獄に囚われている間、ノアが一番辛い思いをしていたことはここにいる全員が知っている。
懸命に牢獄の鉄格子を叩き続けた彼の頑張りに、ケーキ一切れではむしろ足りないくらいであった。


「じゃあ小さいのはリクでよくね?この中だったら一番体ちいせぇし」
「もも!? そんなの不平等だも!それに、ノアがエヌを退けたラッキーセブンはリクが持たせたモノも!つまり、リクは大きいケーキをもらうだけの権利があるも!」
「それはまぁ…確かに」


ノアがあのエヌを退けたのは、ひとえにリクが授けたラッキーセブンのお陰と言っても過言ではない。
あの剣のお陰でミオを取り戻すことも叶ったため、リクの功績は大きいと言えるだろう。
むっとした表情で胸を張るリクの言い分に、タイオンはしぶしぶと言った様子で納得した。


「私のせいでこうなったわけだし、小さいのもらうよ」
「いいのか?セナ」
「うん。気にしないで」
「いや待て。セナに任せきりにしてしまった僕たちにも責任がある。ここはセナも頭数に入れて平等に選んだ方がいい」
「平等に、か…」


極端に小さく切り取られてしまっているピースは2つ。
このはずれ枠を誰が引くか、平等に、公平に決めなければならない。
手っ取り早く物事を決める方法は様々あるが、ランツの頭に浮かんだ方法はただ一つ。


「よし、ここは公平に殴り合いで決めるか!」
「この馬鹿!どこか公平にだ。もっと平和的な決め方にしろよ」
「ユーニの言う通りだ。脳まで筋肉でできている人間の考えることはよくわからないな。ここは平等にディベートで決めるぞ。議題は“生と死について”だ」
「お前も馬鹿かよ!そんなことしてたら日が暮れるだろ!」


大真面目な顔でズレたことを言うタイオンに、ユーニの鋭いツッコミがさく裂した。
だが、タイオン本人は、ランツと同様に“馬鹿”呼ばわりされたことが予想外だったらしく、眼鏡の奥で目を大きく見開いている。
彼なりに真面目な提案のつもりだったようだ。
馬鹿ばっかりか…と頭を抱えたユーニは、仕切り直すように咳ばらいをした。


「普通にじゃんけんで決めるぞ、じゃんけんで」


***


皿に乗った小さなケーキに視線を落とし、ランツとタイオンは深いため息を零した。
4人で行われたバトルロワイヤル形式のじゃんけんによって、小さなケーキを獲得してしまったのはタイオンとランツだった。
悲し気に背中を丸める二人の姿からは哀愁が漂っている。


「ご、ごめんねランツ、タイオン。やっぱり私のと交換する…?」
「放っておけよ。じゃんけん激弱なあいつらが悪い」


しょぼくれる二人の男を横目に、ユーニは自分のケーキにフォークを入れた。
ラブラズベリーが乗った豪勢なケーキは甘く、体に溜まった疲労感を癒してくれる。
ユーニの言う通り、一度じゃんけんで決めることに賛成した以上今更文句は言えない。
子供サイズなケーキを惜しむようにフォークを入れ、ランツとタイオンはようやく食べ始めた。


「もも?ミオさんどこに行くんデスも?」


リクと並んでケーキに手を付けていたマナナが、テーブルから立ち上がったミオに気が付く。
右手には自分のケーキ、左手にはノアのためにとっておいたケーキの皿を持っている。


「ノアにも持って行ってあげようと思って。早く食べないと痛んじゃうかもしれないし」


ケーキはそう長くもつ食べ物ではない。
時間がたてば味も落ちるうえ、下手をすれば腐ってしまう。
せっかくマナナが丹精込めて作ったケーキを無駄にしてしまうのは惜しい。
ノアを起こすついでに、ケーキを届けてあげようというミオの気遣いである。
そんなミオの返答に一番に反応したのは、奥の席に座っていたセナだった。
“待ってミオちゃん!”と手を挙げ立ち上がった彼女は、自分のケーキが乗った皿を両手に抱えて駆け寄ってくる。
そして、ケーキの上に堂々鎮座している大きなラブラズベリーにフォークを刺すと、それをノアのケーキのお皿に乗せてきた。


「私のラブラズベリー、ノアにあげる。一番頑張ってたと思うから」
「セナ…」
「おっ、そういうことならアタシも」


ノアの皿にラブラズベリーを乗せたセナに習い、今度はユーニが立ち上がった。
同じくラブラズベリーをひとつフォークで突き刺し皿の上へ。
“あいつラブラズベリー好きだったしな”とユーニは微笑んだ。


「マナナのもあげますも!ノアさん、監獄にいる間ずっとご飯我慢していましたも。きっとお腹すいてるハズですも!」
「仕方ないからリクのもやるも。じっくり味わって食べろって伝えてほしいも」


自分のラブラズベリーをフォークに突き刺し、ひょこひょこと近づいてくるマナナとリク。
彼らの背丈に合わせるようにひざを折ると、二人は顔を見合わせながらラブラズベリーをノアの皿に乗せる。
ノアの皿の上に、赤いラブラズベリーが続々と増えていく。


「んじゃあ俺のもな。お疲れさんの意味を込めて」
「まぁ、ノアが一番疲弊していたからな。甘いものは疲れによく効くというし」


最後に、ランツとタイオンがそろってラブラズベリーをノアの皿に乗せてきた。
ノアの皿に盛られた赤い果実は、元々乗っていたものを含めて7つ。
もはやケーキよりも質量が多くなっている。
ラブラズベリーに押しつぶされそうになっているケーキに少しだけ苦笑いを零すと、ミオは6人の仲間たちに再び視線を向けた。


「みんなありがとう。行ってくるね」


両手がふさがっているため肘で扉を開けると、ミオはベッドが並んでいる隣の部屋へと向かった。
その背を見送ったランツは、極端に小さい自分のケーキを平らげると、勢いよく立ち上がる。


「おっしゃ。俺も行ってくる。いつまでも寝てるノアを叩き起こしてやんなきゃな」
「あ!ランツ、私も行く!ノアにお疲れって言わなくちゃ」
「おう。行こうぜセナ!」


ノアとまともに会話ができていなかったのは、ランツやセナも同じ。
落ち着いてからきちんとノアにねぎらいの言葉を送ろうと決めていた二人は、今が好機と見て同時立ち上がった。
しかし、そんな二人の腕を、それぞれの隣に座っていたユーニとタイオンが捕まえて引き留めた。


「な、なんだよユーニ」
「どうしたの?タイオン」
「今は二人っきりにしてやれよ。なぁタイオン」
「ユーニの言う通りだ。ミオに任せておけばいい」


引き留められたランツとセナは、同時に“えー”と不満そうな声を漏らす。
渋々席に着く二人。そんな彼らの隣で、対面に座るタイオンとユーニは顔を見合わせて小さく笑うのだった。


***


アグヌスキャッスルは他の場所と比べて空が近い。
いつもは窓から陽の光がさんさんと降り注いでいるこの詰所も、さすがに日が暮れれば薄暗くなってしまう。
エーテル灯が灯されている廊下を進み、ベッドルームに向かうミオ。
両手に自分とノアの分のケーキを持ちながら、彼女は肘でベッドルームの扉を開けた。
暗い部屋の中に、廊下のわずかな明かりが差し込む。
その光が差す先に、彼はいた。
 
ちょうど今起きたところなのだろう。
ベッドの上から起き上がり、気だるい様子で眼を擦っている。
うつろな瞳、乱れた長い黒髪。
目の前にいる男は確かにノアのはずなのに、どこか別の誰かに見えてしまった。
悲し気な目をしていたもう一人の彼、エヌ。
目の前にいるノアにあの男の面影を感じ、ミオは一瞬だけ息をつめた。


「ミオ…?」


優しい声が聞こえてくる。
ベッドルームに入ってきたミオに気が付いた彼が、不思議そうにこちらを見つめていた。
その顔も声も間違いなくノアのもので、なんとなく安心してしまう。
そうだ、彼はエヌじゃない。私のノアだ。


「ごめん。ずっと寝てたみたいだ」
「いいの。疲れてたんでしょ?」
「少しだけ」


ベッドに座っているノアの隣に腰かけ、ミオは微笑む。
“少し”だなんて嘘だ。
再会したノアは幾分か痩せていたし、目の下のクマもひどかった。
牢獄の中で精神をすり減らしていたせいか、仲間の中で一番無理をしていたとタイオンやセナからも聞いている。
自分を心配し、頑張ってくれたのは嬉しい。
けれど、やせ我慢だけはしてほしくなかった。


「ノア、お腹すいてない?このケーキ、マナナが作ってくれたの」
「ケーキ?」
「うん。痛んじゃうといけないし、せっかくだから今食べてもらおうと思って持ってきた」


ミオは、ベットの横に置かれたサイドチェストに自分のケーキを置くと、ノアの分として持ってきていたケーキを彼に差し出した。
白く柔らかなケーキの周りには、大量のラブラズベリーが寄り添うように置かれている。
監獄の中ではあまり食事が喉を通らなかったため、ミオの言う通りかなりの空腹感に見舞われていたノア。
その可愛らしくもボリューム満点なケーキを前に、彼は表情を明るくさせた。


「美味そうだな。ラブラズベリーがいっぱいだ」
「みんなが分けてくれたの。ノアが一番頑張ってたからって」
「そんな…。俺が頑張れたのはみんながいたからなのに」
「でも、今回のMVPは間違いなくノアだと思うな」


ノアが土壇場でラッキーセブンを抜かなければ、きっと運命は大きく変わっていただろう。
その事実は、7人の仲間全員がよくわかっている。
並べられたラブラズベリーは、そんな仲間たちからのノアへの感謝の印なのだ。
そう思うと、この赤い果実がまるで宝石のように輝いて見えた。


「じゃあ、もらおうかな」
「うん、召し上がれ」
「いただきま……いっ、」


ミオが持っているケーキの皿を受け取ろうと右手を伸ばした瞬間、痛みが走る。
右手の甲から指先にかけて負った傷が、手を開いた瞬間うずいたのだ。
ユーニに応急処置程度の治療を施してもらいはしたが、何日も何日も固い鉄格子を殴り続けた手がそう簡単に治るわけもない。


「手、まだ痛むの?」
「あぁ。ほんの少しだけど」
「エヌと戦っていた時はそんな素振り全然見せなかったのに」
「あの時は、何としてもミオを守らなきゃって必死だったから…」


包帯が巻かれた右手を撫でるノアを見つめ、ミオの心の奥にじんわりとした温かさが広がる。
痛々しい傷を見ていると悲しくなると同時に、不謹慎だが嬉しくもなってしまう。
ノアが、こんなになるまで自分を取り戻そうとしてくれたのか、と。
彼はエムの記憶の中にあった、かつてのノアと同じくどこまでも優しかった。
エヌとノア。同じだけれどまったく違う二人の人間は、どうしてこうも違う運命をたどってしまったのだろう。


「右手、しばらく動かさない方がいいね」
「そうだな。しばらくは食事も左手かな」
「じゃあ、今回は特別に食べさせてあげる」
「えぇっ!?」


フォークでラブラズベリーを突き刺し、ノアに向けて刺す出すミオ。
にこやかな彼女の行動に、ノアはまだクマが残っている目を大きく見開いた。
上半身をのけぞらせ、大げさに驚いて見せたノアの反応がなんだか嫌がっているように見えて、ミオは耳を折りたたみながら肩を落とす。


「なぁに?いやなの…?」
「そ、そうじゃない!嫌なわけないって!ただ、その…えっと…」


嫌なわけがない。むしろ嬉しかった。
だが、なんだか介護されているようで恥ずかしい。
ただでさえ、ミオを失いかけて取り乱したところを見せているというのに、これ以上情けないところを見せたくはなかった。
だが、彼よりも1期年上なミオは、そんなノアの強がりを許してはくれない。


「もう。病人が強がらないの。ほら、口開けて。あーん」
「うっ…」


強引に差し出されたフォークの先に刺さるのは、仲間の誰かからおすそ分けされた真っ赤なラブラズベリー
もはや突っぱねられる雰囲気ではなかった。
遠慮がちにパクリと食べると、ラブラズベリーの酸味と甘みが口の中一杯に広がっていく。
その瑞々しさを味わいながら、ノアは思う。
あぁ、たぶん今の俺、このラブラズベリーと同じくらい赤い顔をしている、と。


「おいしい?」
「うん。すごく」
「よかった。じゃあもういっこね」
「えっ、まだ食べるのか?」
「だって一人じゃ食べれないでしょ?手が治るまで置いておいたら痛んじゃうじゃない?」
「そ、それはそうか…」


まだこの恥ずかしい介護空間が続くのかとぎょっとしたノア。
しかし、ミオの言う通り誰かに食べさせてもらわなければ、マナナがせっかく作ったケーキは虚しく腐ってしまう。
それは非常に勿体ない。
左手で食べようにも、慣れていないため上手く食べられないだろう。
ミオの好意に甘えるほか、このケーキを平らげる方法ないのだ。


「それに、こういう時じゃないと、ノアは甘えてくれないから」
「ミオは俺に甘えてほしかったのか?」
「だって、いつも私ばっかり助けられて、ずるい」


視線を落とすミオは、ほんの少しだけ落ち込んでいるようだった。
ノアや仲間たちが、自分のために窮地に陥ったことを気にしているのだろう。
彼女は年長者ゆえか、それとも元々の性格ゆえか、責任感が強い。
そんな彼女が、エムとしてメビウスの中に飛び込み、エヌの隣でたった独りノアたちを救い出す方法を模索していたと思うと、胸が張り裂けそうになった。
 
きっと、孤独だっただろう。
彼女のことだから、一時的にも皆を欺いた罪悪感に苛まれたに違いない。
甘えてほしいと言いつつ、彼女はノアに甘えているのだ。
献身という形で繕いながら。

以降、不思議と羞恥心はなくなった。
彼女の要望に応えるためなら、いくらでも甘えてやろう。
差し出されるフォークに従って次々ラブラズベリーを食べ続け、ついにノアの皿は空になった。
ケーキ自体はそこまで量は多くなかったが、その脇に鎮座していた7つのラブラズベリーたちがなかなかの強敵だった。
一つ一つが大ぶりな果実だったため、7つも食べればさすがに腹に溜まる。
寝起きであることも相まって、いつもより早く訪れた満福状態にノアは“ふぅ”と息を吐いた。


「結構食べたなぁ…」
「もうお腹いっぱい?」
「それなりに」
「そっか」
「どうかした?」
「私のもあげようと思ってたから」


そう言って苦笑いするミオの手には、フォークが握られていた。
その先端には、彼女のケーキの上に乗っていたラブラズベリーが。
白いクリームがわずかに付着したそれは、他の仲間たちが分けてくれた果実よりも少しだけ大きかった。


「たくさん心配かけたお詫びと、頑張ってくれたお礼に」
「ミオ…」
「でも、もうお腹いっぱいならこれは私が——」


フォークを握っている彼女の手を左手で引き寄せ、先端にあるラブラズベリーをノアはぱくりと頬張った。
驚き、固まるミオ。
ラブラズベリーの甘さを味わいながら彼女を見つめると、その顔がどんどん赤く染まっていくのが分かる。
自分から言い出したことなのに、いざ不意打ちされると照れるだなんて。
心の中で呆れ笑いを零しながら、ノアは果実を飲み込んだ。


「うん。ミオのがいちばん美味い」


妙に爽やかなノアの笑顔に、ミオは限界を感じて思わず目をそらしてしまった。
いちばん、と言われても、他の7つも同じラブラズベリーだ。味に差異などない。
それでも、こういうことをさらりと言ってのけるノアの爽やかさが時折恨めしい。
エムが抱えていた途方もない記憶を見てからは、余計に彼のことを意識してしまっていた。
心臓が高鳴る。まっすぐ彼の青い目を見つめられないくせに、出来ればずっと見ていたくなる。
これが、“愛しさ”というものなのだろうか。
エヌを想い続けたエムの気持ちが、今ならわかる気がする。


「ミオ」


やけに優しい声で名前を呼ばれる。
視線を彼に合わせると、ノアは真剣な目をこちらに向けていた。
ミオには分かる。これは何か大切なことを伝えようとしている目だ。


「ミオは俺に助けてもらってばっかりだって言ってたけど、それは違う。俺だってミオに助けてもらってるんだ。きっと、覚えていないくらいずっとずっと昔から…」
「エヌとエムのはなし?」
「あぁ…」


めぐる命の中で二つに分かれた命。
エヌとノア。そしてエムとミオ。
2人は互いに背中合わせの鏡のような存在で、自分で合って自分ではない。
エヌの過去はノアの過去でもあり、エムの過去はミオの過去でもある。
何度も何度も“ノア”と“ミオ”を繰り返し、二人は何度も何度も出会い、そして別れた。
たった10年という短い生涯ではあるが、その10年を何度も繰り返した二人の歴史は長い。


「ずっと考えてたんだ。どうして俺たちだったんだろうって。でも、ホントは明確な理由なんてないんだ。理由があるとすれば、運命だからだ」
「運命…?」
「そう。何度再生されても、どんな生き方をしようとまた巡り合う。そういう運命なんだよ、俺たち」


彼の青く澄んだ瞳は、ミオの顔だけが映っていた。
彼と出会ったばかりの頃は、いつも現実的で、この世界に悲嘆しているように見えた。
けれど今は違う。
静かながら熱い情熱と、あたたかな希望を瞳に宿している。
あのエヌと同じ瞳を持っているというのに、彼の色は全然違う。
悲しみも、寂しさも、苦しみも、怒りも、全部忘れさせてしまうほどに優しい。


「エヌは諦めてしまったけど、俺は諦めないよ。世界も、命も、ミオのことも」


ミオの白く細い手に、ノアの手が重なる。
彼の手は驚くほどに暖かかくて、触れられているだけで安心してしまう。
私には、この人がいるから大丈夫。
本能でそう思ってしまうのだ。
指を絡め、そっと顔を近づける。
瞳を閉じて、彼の薄く開いた唇に触れるだけのキスをした。
覗き込んだ彼の顔は意外にも驚いてなどいなくて、揺れる瞳を細めて熱い視線を向けていた。


「過去の私たちも、こういうこと、してたのかな?」
「さぁな」


ミオの頬に手を添え、今度はノアから口づける。
口内に広がるのはラブラズベリーの甘酸っぱい香り。
初めてするキスなのに、何故だか懐かしく感じた。

過去の自分たちが同じことをしていたのか、なんて、ノアにとってはあまり興味のないことだった。
だって、今の自分たちはここにいる。
今目の前にいるのは、過去のミオでも未来のミオでもない。
今を生きる、自分だけのミオなのだから。

俺の、ミオ。

心の中でそう呟いて、ノアは彼女の赤い唇を味わった。


***


「押すなばかっ!扉が空いちまうだろ?」
「し、仕方ないだろ!君の羽根が首筋にあたってくすぐったいんだ」
「だから暴れんなって。気付かれたらどうするんだよ!」
「タイオンさんもユーニさんも声が大きいデスも」
「そうも。少しは静かにするも」
「だってこいつが——」


わずかに開いた扉の前で座り込み、中の様子を覗き見ているタイオンとユーニ。
そしてその背に飛びつく形で同じように部屋の中の様子を見つめているリクとマナナ。
2人と2匹の様子を、ランツとセナは呆れた顔で背後から見つめていた。
小声で言い合いをしている彼らを見つめる二人の目は冷ややかである。


「お前らなぁ!さんざん俺たちに邪魔しないでやれとか言ってたくせに!」
「率先して覗いてるじゃん!」


二人そろって指をさし、タイオンやユーニの背に抗議するランツとセナ。
だが当のタイオンとユーニは一切反応する素振りを見せず、代わりに振り返ったのはリクとマナナの方だった。


「大きな声出しちゃダメですも!中のお二人に気付かれてしまいマスも」
「マナナの言う通りも。でかい声を出すなら戦場だけにしてほしいも」
「なんだとこのっ!」


リクの冷たい言い草に、ランツがこぶしを握り締め睨みつける。
今にも怒鳴りだしそうな相方の勢いに、セナは慌てて“まぁまぁ”となだめ始めた。
ミオがノアの元にケーキを届けに行って数分もしないうちに、一行はこのベッドルーム前の扉に集まっていた。
最初に“覗きに行こう”と言いだしたのはユーニ。タイオンも最初のうちはやんわりと止めていたが、元々ノアとミオのことを気にかけていたらしく、結局興味津々な様子で扉の前に陣取っている。
こうなってしまっては、“気を遣え”だの“空気を読め”だのさんざんこの2人に忠告されたランツとしては面白くない。


「あぁっ」


そんな時、部屋の中を覗いていたユーニが不意に素っ頓狂な声を挙げた。
驚いたランツは、隣のセナと顔を見合わせ、自分たちも飛びつくように扉に張り付く。
わずかに開いた扉の隙間から見えたのは、薄暗い部屋の中でベッドに並んで腰かけ、互いを愛おしむように口づけを交わすノアとミオの姿だった。
その光景を見つめ、石のように体を固くした6人。
彼らの間に、気まずい沈黙が訪れる。


「さ、さぁ~て、筋トレでもしてくるかなぁ~。せ、セナも行くだろ?」
「う、うん!行こう!今すぐ行こう!」
「マナナ!リクたちもとっとと退散するも!」
「もう行くんデスも?まだまだおっぱじまったばかりデスも!」
「いいから行くも!」


不自然に立ち去っていくランツとセナ。
そしてマナナを引きずるようにして退散していくリク。
残されたのは、積極的に覗きに行こうと扉に張り付いていたユーニとタイオンの2人だけだった。
部屋の中では未だノアとミオが口づけを交わしている。
“いや長くね?いい加減長くね?”と心でつぶやいたユーニの肩に、タイオンの手が触れた。
振り返った先にいた彼は、随分と赤い顔をしながら気まずそうに眉をひそめていた。

 

「逃げるぞユーニ。これ以上見ていたら危険だ。たぶん」
「……同感だな。逃げるか、タイオン」


なんだかここにいたらいけない気がして、タイオンとユーニは脱兎のごとく逃げ出した。
バタバタと逃げた先にいたゴンドウに“何してんだお前ら”と怪訝な顔をされたが、答える余裕などなない。
真っ赤な顔で逃げ出したタイオンとユーニは、その後落ち着くために2人揃ってハーブティーをがぶ飲みした。
数分後。ようやくベッドルームから出てきたノアのミオ。
しかし、仲間たちは全員そんな二人とまとも目を合わせることが出来なかった。

END