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二次創作まとめ

うちの兄が私の推しと付き合ってた件

【タイユニ】

ゼノブレイド3

■学パロ

■短編

 


鏡の前に立って早10分。
何度櫛を入れても前髪が決まらない。
あぁもう最悪。仏頂面で自室の鏡に向かっていると、空いている扉の影から兄が顔を出して覗いてくる。
既に制服に着替えているお兄ちゃんは、眼鏡のレンズ越しに呆れた視線を向けてきた。


「まだか?先に行くぞ」
「えっ、ちょ、待ってよお兄ちゃん!」


ベッドの上に乱雑に置かれている学校指定のスクールバックを掴み、私はお兄ちゃんの背を追って部屋を出た。
ちょっとは待ってくれてもいいのに、お兄ちゃんは相変わらずせっかちだ。
階段を降りて玄関から外に出ると、真冬の冷たい空気が頬を撫でる。
首に巻いている白いマフラーに顔を埋めながら、私は前を歩くお兄ちゃんの背後に回った。

お兄ちゃんは比較的身長が高い。
この背中に隠れていれば、冷たい向かい風から身を守ることが出来る。
背中にぴったり張り付くように歩いている私の様子に気が付いたのか、お兄ちゃんはまた呆れたような視線を向けて来る。


「何してるんだ?」
「風よけ」
「僕を犠牲に身を守ろうとするな」
「てかお兄ちゃん、まだそのダサいマフラー使ってるの?新しいの買いなよ」
「余計なお世話だ」


あまり趣味のよろしくないオレンジ色のマフラーを首元に巻いたお兄ちゃんは、私の言葉に少し機嫌を悪くさせた。
誰が見ても真面目で堅物なこの人の名前はタイオン。私にとって1つ年上の兄だ。
お兄ちゃんは見た目通り真面目な性格で、子供の頃から成績も優秀。
2年生になった今は生徒会長も務めている。
とにかく真面目で成績優秀なお兄ちゃんだけど、どこかズレているところがある。
ファッションセンスの悪さや引くほどの料理下手もその一つだ。

なんでこんな変な色のマフラーなんてチョイスしちゃうかなぁ。
この独特のセンスのせいで、頭はいい癖に女の子に全くモテていない。
16年間お兄ちゃんの妹をやっているけれど、一度も彼女らしき女性と一緒にいるところを見たことがなかった。
妹の私にも常に塩対応だし、勉強のし過ぎで女の子の扱いが分かってなさすぎるのかもしれない。

寒さに震えながら学校に向かう私たち。
大通りに出たところで、コンビニの前を通りかかった。
ふと視線を向けると、駐車場に立っているコンビニのポスターには“バレンタイン特集”の文字が。
恐らくバレンタイン用のチョコレートを期間限定で店頭に並べているのだろう。
ピンク色のポスターを横目に見つめながら、私は隣を歩くお兄ちゃんに鋭く質問をぶつけた。


「ねぇお兄ちゃん。今日バレンタインだよね」
「あぁそう言えばそうだな」
「チョコレートのアテはあるの?」
「どうだろうな」


適当に返事をするお兄ちゃんの反応に、私は確信する。
あぁ、これ今年も駄目な奴だ。
毎年毎年お兄ちゃんがこの日に持って帰って来る本命チョコレートの数はゼロ。
心優しいクラスメイトが、同級生全員に配っているらしい安物のチョコくらいしか獲得していない。
そろそろお兄ちゃんが本命チョコを持って帰って来る光景が見たい。
勉強一辺倒で生涯年齢=彼女いない歴な男にはなって欲しくない。
まぁ、私も彼氏なんて出来たことないから人のこと言えないんだけど。


「あっ……」


ようやく学校の正門が見え始めた頃、視界の端に見えた人影に私は足を止めた。
ぴたりと立ち止まった私を不思議に思ったのか、隣を歩いていたお兄ちゃんも立ち止まる。


「どうした?」
「やばいっ!見てお兄ちゃん!ユーニ先輩がいる!やばいやばいっ」


前から歩いてきたのは、一学年年上のユーニ先輩だった。
読者モデルをやっていて、地元ではちょっとした有名人。
同性のファンが多くて、1年生女子にとっては憧れの的でもある。

制服を着崩し、鞄を肩に背負っている先輩は今日もかっこいい。
可愛くてスタイルが良くて性格もイケメンなユーニ先輩に、私は入学当初からあこがれていた。
所謂“推し”という奴だ。

朝から姿を拝めるなんて超ツイてる。
隣にいるお兄ちゃんの肩をバシバシ叩きながら興奮していると、前方から歩いてくるユーニ先輩とバッチリ目が合ってしまう。

私たちの存在に気付いた先輩は、校門に向かっていた足を止め、まっすぐこちらに歩み寄って来た。
うわ、どうしよう。こっち来た。
心臓バクバクしてる。めっちゃ目が合ってる。死にそう!
興奮気味にお兄ちゃんの腕にしがみついていると、ユーニ先輩は私たちの目の前で立ち止まり声をかけてきてくれた。


「よう。今朝も一緒に登校?相変わらず仲良し兄妹だな」
「せ、先輩おはようございます!仲良しだなんてそんなっ。ぶっちゃけお兄ちゃんとは全く気が合いません!」
「おい、大声で言うことか?」


ユーニ先輩に声をかけてもらったことで緊張し、思ったよりも大きな声で変なことを言ってしまった。
呆れた様子で見つめて来るお兄ちゃんとは対照的に、ユーニ先輩は“ぶはっ”と勢いよく吹き出している。


「堅物だもんなぁ、生徒会長サンは」
「悪かったな」


ユーニ先輩の一言に、お兄ちゃんは不満げに目を細めながら眼鏡を押し上げていた。
この二人は同級生のはずだけど、まともに話している姿を見たことがない。
出来る事ならお兄ちゃんにはユーニ先輩と仲良くなってもらって、私と先輩を繋ぐパイプ役になってもらいたかったけれど、ギャルな先輩と堅物真面目なお兄ちゃんとではどう考えても馬が合いそうにない。

お兄ちゃんは生徒会長だし、ユーニ先輩は読者モデルとして結構有名だ。
お互いの存在を知ってはいるのだろうが、恐らく“友達”と言えるほどの仲ではないのだろう。


「あっ、そうだ。いつも慕ってくれてる妹ちゃんにいいものやるよ」
「いいもの、ですか?」
「ほらこれ」


ユーニ先輩は右手に大き目の紙袋をぶら下げていた。
その紙袋の中から取り出したのは、ビニールのラッピングが施された小さな袋。
透明なビニールで梱包されているため、中身が確認できる。
見たところ、手作りのトリュフや生チョコのようだった。


「えっ、嘘!これって……!」
「今日バレンタインだろ?やるよ。いつも慕ってくれてるお礼な?」
「い、いいんですか!? めちゃくちゃ嬉しいです!家宝にします!」
「大袈裟だなぁ」


まさかユーニ先輩からバレンタインのチョコを貰えるなんて思いもよらなかった。
先輩とは校内で会ったら黄色い歓声を上げながら手を振るだけの間柄。
こうしてちょくちょく声をかけてもらうこともあったけど、一方的な憧れの対象でしかなかった。
そんな先輩からチョコを貰えるなんて嬉しいなんてもんじゃない。
これは友達に自慢できる。ゆっくりじっくり味わって食べなくちゃ。

私にチョコの小袋を手渡すと、ユーニ先輩は“じゃあな”と手を振りながら一足早く学校に向かい歩き出す。
去っていく先輩の背に全力で手を振りながら、“ホワイトデー必ずお返しします!”と上ずった声で叫んだ。
さっきまで2月の寒さに震えていたというのに、先輩からチョコを貰った瞬間心の奥に火が灯ったように温かくなった。


「ねぇヤバいよお兄ちゃん!見て見て、チョコ貰っちゃった。先輩から貰った!チョコを!」
「はいはい良かったな」
「お兄ちゃんより私の方が早くチョコ獲得するってどうなのよ?早く彼女作りなよー?」
「放っておけ」


眼鏡を押し込み、お兄ちゃんは不満げな表情でムッとしている。
とはいえ、お兄ちゃんに彼女が出来たら出来たでそれなりに寂しいんだろうな。
もしお兄ちゃんが彼女を作るなら、ユーニ先輩みたいに綺麗でかっこいい人がいいな。
いや無理か。お兄ちゃんはあぁいう派手目なタイプには縁がないもんね。

そういえば、ユーニ先輩が右手からぶら下げていた紙袋はかなり大きいものだった。
恐らく私にくれたチョコと同じ配布用のチョコがたくさん入っているんだろうけど、あの中に本命のチョコはあるのだろうか。


「ていうかさぁ、ユーニ先輩って彼氏いるのかな?あの紙袋の中に本命が入ってたりして」
「さぁな。僕に聞くな」


そう言って、お兄ちゃんはスタスタと速足で学校へと歩き出す。
相変わらず冷たいし、恋愛の話となるとあまりにも食いつきが悪い。
彼女はともかく、気になってる人すらいないのかな?
少しくらい話してくれてもいいのに。

ユーニ先輩から貰ったチョコの小袋を丁寧に鞄に仕舞い、先に歩いて行ったお兄ちゃんの背を急いで追うのだった。


***

放課後、いつも私はお兄ちゃんと一緒に下校している。
ただ生徒会長であるお兄ちゃんは私とは違い毎日暇なわけじゃない。
今日も生徒会の仕事が残っているらしく、“先に帰ってくれ”という旨のメッセージがスマホに届いていた。
久しぶりに一人きりの下校だ。
たまにはどっかに寄って買い物でもして帰ろうかな。

バレンタイン当日の今日は、校内が全体的に桃色の空気感に包まれていた。
とはいえ、彼氏も好きな人もいない私にはあまり関係がない。
用意していた友チョコや義理チョコは全て配り終えたし、もうチョコを渡す相手がいない私は1人階段を降りて正面玄関に向かっていた。


「あれ……?」


階段を降り、正面玄関に向かって歩いていた私の視界に、二つの人影が入って来る。
下駄箱の影で立ち話しているらしいその人影は、恐らくチョコレートを渡しているカップルなのだろう。
同じように甘い空気感を醸し出している男女の姿を、今日は校内のいたるところで目撃している。
やっぱりバレンタインはあぁいうイチャついてるカップル増えるよなぁ。
いいなぁ、私も早く彼氏ほしい。
なんてことを考えながら自分の下駄箱から靴を取り出した瞬間、下駄箱を一列挟んで向こう側にいるカップルの会話が耳に聞こえてきた。


「はいよ、これ」
「ありがとう。今年もくれるとは思わなかった」
「毎年あげてんじゃん。それともアタシからのチョコはもういらねぇってか?」
「そんなわけないだろ?ありがたく頂くよ」


あれ?この声、もしかして。
聞き覚えのある声にハッとして、私は耳をそばだてた。
やっぱり間違いない。ユーニ先輩の声だ。
えっ、もしかして先輩、彼氏に本命チョコあげてるの?
そりゃそうだよな。彼氏くらいいるよな。先輩明らかにモテそうだもんね。
どんな人が彼氏なんだろう。
気になる。ものすごく気になる。
覗きなんて趣味悪いのは自覚しているけれど、どうしても好奇心を切り捨てられなかった。

下駄箱に身を隠しながら、そっと声がする方を覗き見る。
するとそこには、下駄箱に寄りかかりながら笑顔で話すユーニ先輩の姿があった。
随分と気の抜けた笑顔だ。きっと心許せる相手なのだろう。間違いない。一緒にいるのは彼氏だ。
ユーニ先輩の影に隠れている男の方へそっと視線を向けた瞬間、その正体に思わず息を詰めてしまう。

え、嘘。そんなことある?

ユーニ先輩とにこやかに話していたのは、先輩やお兄ちゃんと同い年の2年生、ノア先輩だった。
吹奏楽部に所属していて、2年生で一番と言っていいほどのイケメンなため、私たち後輩の女子たちからの人気も厚い。

とはいえ、ノア先輩には彼女がいることで有名だった。
相手は3年生で吹奏楽部の部長、ミオ先輩。
あちらも美人で有名だから男子からの人気も高い。
人気者同士のカップルは当然のごとく有名で、校内で2人が付き合っている事実を知らない生徒はいないと言っても過言ではない。
どうしてユーニ先輩がそんなノア先輩と一緒にいるのだろう。
まさか、まさか——。

あまりに衝撃的な光景を前に、私は脱兎のごとく逃げ出した。


***

午後19時。
家に帰って来た私は、自室で先輩から貰ったチョコを楽しんでいた。
手作りだと言っていたけれど、手作りとは思えないくらい美味しかった。
推しから貰ったチョコ、最高か?

最後の一粒を口に入れた瞬間、学校からの帰り際目撃してしまったあの光景が脳裏に浮かんできた。
舌でとろける甘やかな風味と共に、苦い感情が広がっていく。

ユーニ先輩はあの時、明らかにノア先輩にチョコを渡していた。
友チョコの可能性もあるけれど、少なくともノア先輩に手渡していたチョコは私がもらった小さなチョコとは梱包が違っていた。
いろんな人に配るための量産型のチョコとは違うということだ。

ユーニ先輩はノア先輩と付き合ってるのかな。
いやでもノア先輩は3年のミオ先輩と付き合っているはず。
もしかして片想いしてるとか?もしくは、浮気とか……。
いやいやユーニ先輩に限ってそんなことあるわけない。
——と、思いたいけど、ただのファンでしかない私には見えない一面を持っているのかもしれない。
どちらにせよ、私はユーニ先輩の見てはいけない場面を目撃してしまったということになる。


「あーあ。見なきゃよかったなぁ」


好奇心に負けて覗き込んでしまった数時間前の自分を呪いたい。
余計なことをしなければ、こんな複雑な感情を抱くこともなかったのに。
推しのアイドルのスキャンダルが発覚してしまって落ち込んでるファンって、こういう気持ちなのかな。

ユーニ先輩のチョコレートを完食した私は、汚れた手をティッシュで拭き取りながら立ち上がった。
甘いチョコを食べ続けていたせいで喉が渇いた。
キッチンにいってお茶でも飲もう。
部屋を出て階段を降り、1階のリビングに入ると、ソファにお兄ちゃんが腰掛けていた。
目の前のローテーブルにはラッピングが剝がされた箱が置かれている。
ソファに腰掛けながら何かを食べているらしいお兄ちゃんの姿を見た瞬間、ピンと来てしまった。
まさかお兄ちゃん、チョコ食べてる?


「ちょっ、お兄ちゃん何それ!チョコ!? チョコ食べてる!? えぇっ!? なんでぇ!?」
「別にいいだろチョコくらい。今日はバレンタインなんだぞ」
「貰ったってこと!? 誰に!? 女の子?」
「男に貰うわけないだろ」
「か、彼女いたの!? い、いやそもそも本命?それとも義理?」
「質問が多いな。少しは落ち着いてくれ」


急いで兄ちゃんの隣に移動して詰め寄る私に、お兄ちゃんは鬱陶しそうに眉を潜めている。
ローテーブルの上にあるのは皿の上に盛られたフォンダンショコラ
恐らく手作りなのだろう。
見た目はかなり美味しそうだ。
こんな手の込んだものを作ってくれるなんて、恐らくは本命チョコだろう。
今までお兄ちゃんは女っ気が全くなかったのに、急にこんなものを貰ってくるなんて。
彼女なの?それともただ好かれてるだけ?
矢継ぎ早の質問に、お兄ちゃんは何一つ答えてはくれそうになかった。


「落ち着いていられないよ!ユーニ先輩のことといい混乱してばっかりだよ今日は!」
「ユーニのこと?」
「帰るとき見たんだよ。ユーニ先輩がノア先輩にチョコ渡してるところ」
「……ほう」
「でもノア先輩ってミオ先輩と付き合ってるはずだよね?もしかしてユーニ先輩、ノア先輩に片想いしてるのかな」
「……さぁな」


お皿の上に残ったフォンダンショコラを全て食べつくすと、お兄ちゃんはソファから立ち上がった。
“どこ行くの?”と問いかけると、少し低いトーンで“風呂だ”と言い捨て去っていく。
あーあ。フォンダンショコラ少しだけもらいたかったのに。
少ししつこく聞き過ぎたかもしれない。お兄ちゃんはちょっとだけ機嫌を損ねているように見えた。
まさかお兄ちゃんにもチョコをくれるような相手がいただなんて。
これは何としても相手が誰なのか突き止めなくちゃ。

ユーニ先輩とノア先輩の関係性、そしてお兄ちゃんにチョコを贈った相手。
その二つの謎が同時に浮かび上がったこのバレンタインは、いつになく波乱に満ちていた。
けれど、結局どちらの謎も解決することなく、時間だけが過ぎていく。
ユーニ先輩とノア先輩がどんな関係なのかもわからないまま。
お兄ちゃんも誰からチョコを貰ったのか一向に教えてくれそうにない。
そんな状況のまま、いつの間にか1カ月が経過していた。


***

まだまだ寒い日が続く3月中旬。
暦上ではホワイトデーを迎えた今日、私は紙袋を片手に意気揚々と家を出た。
紙袋の中身は手作りのチョコレート。ちなみに内容物はガトーショコラ。
バレンタインの時にチョコをくれたユーニ先輩へのお返しである。

一緒に家を出たお兄ちゃんもまた、お返し用の紙袋を手にぶら下げていた。
料理全般が苦手なお兄ちゃんは手作りではなく、市販のチョコを用意したらしい。
結局、誰にお返しするものなのか教えてはもらえなかった。
まぁいい。今夜家に帰ったらしっかり問いただしてやる。

ようやく放課後を迎えた私は、急いで上の階の2年生の教室へと向かった。
先輩たちのフロアに行くのは少し緊張するけれど、このお返しをちゃんとユーニ先輩に渡さなくちゃ。

ユーニ先輩のクラスは確か2年4組。
恐る恐る後ろの扉から教室内を覗き込むと、中にユーニ先輩の姿は見当たらない。
あれ、どこ行ったんだろう。もしかしてもう帰っちゃったとか?
教室内を覗き込みながら焦っていると、不意に大きな人影によって視界を遮られる。
誰かが目の前に歩み寄ってきたのだろう。
恐る恐る視線を上に向けると、強面の大柄な男の先輩が目の前に立っていた。


「お前さん、何やってんだ?」
「ヒィッ」


威圧感たっぷりなその先輩を見た瞬間、思わず勢いよく後ずさってしまった。
やばい。この人身長5メートルはありそう。怖っ。
怯えていると、大柄なその先輩の背後から私よりも小柄な女性の先輩がひょっこり顔を出してきた。


「ちょっとランツ、怖がってるじゃん。どうしたの?大丈夫?」
「えっ、あ、は、はい、スミマセン……」


心配そうに声をかけてきた女性の先輩は、大柄な男性の先輩と比べてかなり身長差があった。
一見私より年下に見えるほど小柄で童顔だが、どうやら彼女も一つ年上の先輩らしい。
可愛らしく小首をかしげて来る姿に、ほんの少し癒されてしまう。


「もしかして誰か探してる?」
「はい。あの、ユーニ先輩は……?」
「ユーニなら生徒会室じゃねぇか?」
「えっ、生徒会室、ですか?」


生徒会室と言えば、会長であるお兄ちゃんがよく出入りしている場所でもある。
ユーニ先輩は確か生徒会のメンバーではなかったハズ。
生徒会室に用事でもあるのだろうか。
お返しの紙袋をユーニ先輩の席や下駄箱に置いておく選択もあるが、折角なら直接渡したい。
ここは生徒会室に向かうべきだろう。

そう判断した私は、親切に居場所を教えてくれた2人の先輩にお礼を言い、足早に階段へと向かった。
生徒会室は確か最上階の4階端にあったはず。
私も数回しか行ったことがないけれど、今日もお兄ちゃんはいるのかな?
一応電話してユーニ先輩が来てないか聞いてみよう。
そう思い、階段を上がりながらスマホを取り出したその瞬間、前から階段を降りてきた誰かと派手にぶつかってしまった。


「うわっ」
「あっ、ごめん!」
「こちらこそすみません、よそ見してて……」


ぶつかって来た相手は、私が落としてしまったスマホを拾い上げてくれた。
手渡されたスマホを受け取りつつお礼を言った瞬間、目の前に立っている人物の正体に言葉を飲み込んでしまう。
そこに立っていたのは、あのノア先輩だった。


「の、ノア先輩……」
「ん?俺たち、知り合いだったっけ?」
「あ、いえっ。先輩は1年生の間でも有名なので……」
「あぁそういうことか。スマホ、壊れてない?」
「平気みたいです。ありがとうございます」
「そっか、よかった。それじゃあ、俺はこれで」


爽やかに微笑み、ノア先輩は去っていく。
けれど、私は咄嗟に名前を呼んでその背を引き留めていた。
ノア先輩には聞きたいことがある。
ユーニ先輩との関係性だ。


「あ、あのっ、ノア先輩!」
「ん?」
「先輩って、彼女いますよね?3年生の……」
「あぁ。ミオのことか?付き合ってるけど、それが何か?」


不思議そうにこちらを見つめて来るノア先輩は、あっけなくミオ先輩との交際を認めた。
これに関しては校内中に噂になっていたから隠しようもない。
けれど、本当に聞きたかったのはこんなに分かり切った情報ではない。


「こういうこと他人の私が聞くのは失礼かもしれませんけど……」
「うん?」
「バレンタインの時、ユーニ先輩がノア先輩にチョコ渡してるの見ちゃって……。あれって、どういう……」


赤の他人に近い後輩が立ち入っていい事ではないのかもしれない。
けれど、どうしても気になって仕方ない。
恐る恐る聞いてみると、ノア先輩は薄く微笑みながら“見てたのか”と呟いた。
特に焦っている様子もなく、先輩はいつも通りの穏やかな口調で話してくれた。


「ユーニとは幼馴染なんだ」
「えっ、幼馴染?」
「あぁ。子供の頃からバレンタインの時は必ずくれてたから、恒例行事みたいなものだな」
「じゃ、じゃあお2人は……」
「あぁ。別に付き合ってないよ」


知らなかった。ユーニ先輩とノア先輩が幼馴染だったなんて。
入学以来ユーニ先輩をずっと推していたにも関わらず、こんなにも美味しい繋がりを知らずにいただなんて悔しすぎる。
悔しいと同時に、ユーニ先輩がノア先輩に横恋慕しているわけではなかったことを知り、ほっとした。
やっぱり推しがスキャンダラスな状況に陥っているのは胸が痛む。


「お互い相手がいるし、今年はもう貰えないと思ってたんだけどな。正真正銘の義理チョコだよ」
「なぁんだ。よかった。安心しました。すみません変なこと聞いて」
「いいって。それじゃあ」


爽やかに微笑み、ノア先輩は去って行ってしまった。
先輩の背を見送り、私も改めて生徒会室を目指す。
そっかそっか。先輩たち、私が心配しているような関係じゃなかったんだ。
暫く思い悩んでいたけれど、今夜はぐっすり眠れそう。

軽い足取りで4階に到着した私は、ようやく生徒会室の前に到着する。
恐らくこの中にユーニ先輩がいる。
早くこのお返しを渡さなくちゃ。
そう思って生徒会室の扉に手をかけた瞬間、先ほどのノア先輩からの言葉を思い出してしまった。

“お互い相手がいるし、今年はもうもらえないと思ってたんだけどな”

ノア先輩、あの時“お互い相手がいる”って言ってた?
その言い方だと、ユーニ先輩にも他に彼氏がいるかのようだ。
ユーニ先輩には彼氏なんていないと思っていたけれど、もしかして本当は——。


「これ、タイオンが作ったの?」
「僕がこんなもの作れると思うか?」
「あはは。やっぱ市販か」
「手作りの方が良かったか?」
「ううん。腹壊す心配ないから安心だわ」
「失礼な……」


生徒会室の扉に手をかけ、開けようとしたその時。
中から人の声が聞こえてきた。
話している男女の声は、どちらも聞き覚えのある声だった。
間違いない。お兄ちゃんとユーニ先輩だ。
あの2人、話してるところをほとんど見たことがないけど、何話してるんだろう。
気になってしまった私は、扉を僅かに開きそっと中を覗き込んだ。

生徒会室の中には、来賓用のソファが二つ並んでいる。
片方のソファに隣同士で腰掛けた2人の姿が僅かに見える。
うわぁ、なんか話してる。てか、距離近くない?
あんなに近距離で話すほどあの2人仲良かったっけ。

どうしよう。覗き込んだはいいものの、なんだか入りにくい空気が広がっている。
今中に入ったらマズいんじゃ……。
そうこうしていると、また中から2人の話し声が聞こえて来た。


「これ美味い。タイオンも食う?」
「君のために買ったのに僕が食べるのはどうなんだ?」
「いいじゃん別に。ほら口開けて」
「……ん、」


うわ。うわうわうわ。
めっちゃ“あーん”してる。
何?なんで?どういうこと?
今2人が食べてるあのチョコ、お兄ちゃんがこの前お返し用に用意してたやつだよね?
ユーニ先輩ってあげてるってことはもしかして……。


「美味い?」
「あぁ。でもまぁ、君が作ったなんとかショコラの方が好みだ」
「“フォンダンショコラ”な。やっぱあぁいうの好きなんだ?」
「中がとろけて美味かった。その……。また作って欲しい」
「おっ、今日は素直じゃん。珍しい」


やっぱり!
お兄ちゃんが貰って来たあのフォンダンショコラ、ユーニ先輩が作ったものだったんだ。
フォンダンショコラはそれなりに作るのが難しいスイーツだ。
あんなに手が込んだもの、本命相手にしか渡さないだろう。
どうしてユーニ先輩がお兄ちゃんなんかに?
私のそんな疑問は、扉一枚隔てた向こう側にいる2人のやり取りですぐに答えが出てしまう。


「そう言えば、ノアにも渡していたらしいな、チョコ」
「あれ?なんで知ってんの?」
「うちの妹が騒いでたんだ。あれは君のファンだからな」
「あぁなるほどな。知ってるだろ?ノアはアタシ幼馴染。あれはタダの義理チョコだよ」
「どうだか。同じようになんとかショコラを贈ったんじゃないのか?」
「だから“フォンダンショコラ”な。ノアにあげたのはタダの生チョコとトリュフな。こんな作るのめんどくせぇの、彼氏にしか作らねぇって」


ノア先輩の名前を出しながら、お兄ちゃんは妙に不貞腐れているように見える。
あの常時塩対応なお兄ちゃんが、ユーニ先輩の前では妙にデレている。
なんだこれ。やっぱりこれって——。

ひとりであわあわしていると、扉の向こうに見えるユーニ先輩がぐっとお兄ちゃんに距離を縮め始めた。
ユーニ先輩の白くしなやかな手が、お兄ちゃんの膝の上にそっと乗せられる。
そしてゆっくり顔が近づいて、2人の影が重なった。
扉越しに見えたその光景は、あまりにも絵になるキスシーンだった。

嘘でしょ?
ちゅーしとる。お兄ちゃんと私の推しが、めっちゃちゅーしとる。
やがて寄り添っていた影が離れ、ユーニ先輩は悪戯な笑みを見せながらお兄ちゃんへ微笑みかけた。


「ヤキモチ?」
「……違う」
「なんだよ。可愛くねぇな」
「ただ、幼馴染とはいえ距離感が近すぎるような気がしただけだ」
「ヤキモチじゃん」
「違う」
「彼女が他の男にチョコあげてたって聞いて悔しくなったんだろ?」
「僕はそんなに器の小さい男じゃない」
「あははっ、強がるなって」


ユーニ先輩は嬉しそうに笑いながらお兄ちゃんの癖毛頭を乱暴に撫でている。
ムッとした表情を浮かべつつも、拒否する気配が全くないのは嫌がってない証拠だろう。
まんざらでもなさそうなお兄ちゃんの対応に、私は確信する。
あの2人、付き合ってるんだ。
だって今死ぬほどイチャイチャしてるし。
なんで?なんで教えてくれなかったのお兄ちゃん!
あのユーニ先輩と付き合ってたなんて、私に一番に報告すべきじゃない!?
秘密にしてたなんてひどすぎるって!


ごちそうさん。じゃあアタシそろそろ行くわ。生徒会の仕事、まだ残ってるんだろ?」
「あぁ。すまない」
「いいって。じゃあまた明日な」


そう言って、ユーニ先輩はソファから立ち上がる。
ヤバい。先輩がこっちに来る。
何処かに隠れなきゃ。でもどこに?
周りを見渡しても隠れられそうな場所はない。
わたわたと慌てていると、ユーニ先輩があっという間に生徒会室から出てきてしまう。
結局私は身を隠すことが出来ず、廊下に出てきたユーニ先輩とバッチリ目が合ってしまった。


「あれ?あんた……」
「す、すみませんユーニ先輩!のぞき見するつもりはなかったんですけど……!」


勢いよく頭を下げると、ユーニ先輩は気まずそうに苦笑いを零しながら視線を逸らした。
私に見られているとは全く思っていなかったのだろう。
少し照れている様子の先輩は、いつものカッコいい雰囲気とはまた違って可愛らしかった。


「見られてたのか。流石にハズいな。兄貴に用事?」
「あ、いえ。ユーニ先輩がここにいると聞いてきたんです。お返し渡したくて」
「あぁ、バレンタインの時のか。ありがとな」


手に持った紙袋を差し出すと、ユーニ先輩はにこやかに受け取ってくれた。
良かった。喜んでくれたらしい。
まさか私のお返しとお兄ちゃんのお返しが同じ人物の手に渡る羽目になるとは。
私から受け取った紙袋の中を覗き込むと、ユーニ先輩は笑顔を見せながら口を開いた。


「兄妹揃ってお返し貰えるなんて、なんか変な状況だよな」


やっぱり、先輩とお兄ちゃんが付き合っているのは間違いないのだろう。
私に2人で一緒にいるところを見られたのに、必死になって否定や言い訳をしないのがその証拠。
推しと兄が付き合っていた。
お兄ちゃんに彼女が出来た事実は寂しいし、ユーニ先輩に彼氏がいたのはなんだか複雑だけど、その二つの事実が繋がっているとなると話は別。
突然判明した事実に、私は興奮とときめきが隠せない。

もはや抑えきれない衝動を胸に、私はユーニ先輩の右手を両手で握りしめ、詰め寄った。


「先輩、お義姉ちゃんと呼んでもいいですか?」
「へ?」


その直後、異変に気付いて生徒会室から飛び出してきたお兄ちゃんによって私はこっぴどく叱られた。
“そうやって暴走するから言わずにいたんだ”と呆れた様子で言い放つお兄ちゃんに文句を垂れる私。そして軽くあしらおうとするお兄ちゃん。
そんな私たちの兄妹喧嘩を、ユーニ先輩は爆笑しながら聞いていた。

以降、ユーニ先輩は積極的に我が家に遊びに来るようになった。
推しが週末家に来てくれる状況は私にとっても非常に美味しい。
遊びに来てくれるたびはしゃぐ私に、優しいユーニ先輩は毎回構ってくれた。
ユーニ先輩と親しくなれるのが嬉しい一方、私にユーニ先輩を取られてちょっと悔しそうにしているお兄ちゃんを見ているのも面白かった。

結局、ユーニ先輩を“お義姉ちゃん”と呼ぶのはお兄ちゃんに必死に止められたせいで叶わなかったけれど、きっといつか本当の意味でお義姉ちゃんと呼べる日が来ることを私は信じてる。
もし別れたりしたら絶対にお兄ちゃんをボコる。
そう心に誓い、私は今日もユーニ先輩を推し続けるのだった。