【タイユニ】
■ゼノブレイド3
■ED後時間軸
■短編
僕が生きている世界には、数々の伝説的な冒険譚が残っている。
古の時代に滅んだ王国、イーラをめぐる冒険譚や、英雄レックスと天の聖杯をめぐる冒険譚、
この伝説たちに、まさか自分たちの冒険譚まで肩を並べることになるとは思わなかった。
アイオニオン。
永遠を意味する名を持ったあの世界のことを、もはや人々はおとぎ話でしか耳にしたことがないだろう。
巨神界と融合し生まれ変わったこの世界は、かつてアイオニオンという名の鳥かごのような世界を形成しており、戦い続ける二国から脱却した6人のウロボロスによって現在の世界が形成された。
誰も名前を知らないその6人の英雄のうち一人が、この僕、タイオンであるということも、もはや知られてはいない。
「タイオン作戦課長、コロニー9から薬品搬入がきました、書類にサインをお願いします」
「あぁ」
コロニーラムダ、作戦立案課。
新しい世界に生まれた僕は、このコロニーで作戦課長の座についている。
かつて憧れたナミさんと同じ立場である。
まさか自分がこんなにも名誉ある地位につけるとは想像もしていなかった分、感慨も深い。
巨神界とアルストが併合したのは、今から10年近く前。僕たちがまだ子供の頃だった。
再建されたオリジンによって世界は再び巡り逢い、ウロボロスの力を得ていた僕たちは、それまで失っていたアイオニオンの記憶を再会と共に取り戻した。
回想してみれば呆気ないが当時は色々と大変で、世界の人々も、記憶を取り戻した僕たち自身も大混乱状態だった。
あれから10年。
世界は一応の落ち着きを取り戻し、僕たちもいつも通りの日常を過ごしている。
ふたつの世界が併合して間もないころは、政治面でも流通面でも様々不都合が発生したようだが、10年も経過した今となってはすべての分野で二世界間の溝は整備されている。
巨神界由来のコロニーであるコロニー9とこうして交易を行えているのも、その整備の賜物だろう。
部下から差し出された書類を受け取り、受取人の欄にサインを書く。
そして書類を返そうとした瞬間、届人の欄に見慣れた名前を見つけて思わず凝視した。
書類にあった名前は“ユーニ”。
かつて、僕の相方だった女性である。
その名前を見た瞬間心臓が跳ねあがり、反射的に席から立ち上がる。
「さ、作戦課長……?」
「この書類は僕が届ける」
「えっ、わざわざ作戦課長がですか?」
「あぁ、ついでに搬入された薬品もチェックしておきたいしな」
簡潔に返答すると、僕は書類片手に足早に作戦立案課室を出た。
コロニー9からは、定期的に薬品の納品が行われている。
いつもは向こうの衛生部隊に属している誰かが届けに来るのだが、今日はどうやらユーニが届けに来たらしい。
わざわざ自ら書類を届けに行くと申し出たのは、彼女の顔を見に行くためだった。
他意はない。ただ、せっかく旧友が自分のコロニーに来ているのに言葉も交わさず帰すのはどうかと思っただけだ。
コツコツ小気味よい音を鳴らしながら廊下を歩く僕の足取りは軽かった。
やがて、いつも薬品が搬入されている薬品保管庫へと到着する。
無機質な棚に薬品瓶が所狭しと並んでいるこの倉庫に、彼女の姿はあった。
「ユーニ」
「おっ、タイオンじゃん。なんでここに?」
「納品書にサインしたから届けに来たんだ」
「わざわざ自ら来たのかよ。部下に任せればよかったのに」
「自分の仕事は責任をもって自分で片づける。これが僕の流儀だ」
「ふぅん」
彼女のこちらの心情を見透かすような笑みはあの頃から変わらず健在だった。
この目で見つめられると、反射的に顔を逸らしたくなるのは何故だろう。
いつもなら書類の返却など部下に任せる雑務だが、今日は彼女の顔を見るためにわざわざ自分で返しに来た。
“君と少し話すために来た”と素直に口にできない僕の性格も、アイオニオンにいた頃とあまり変わっていないのかもしれない。
書類を渡すと、彼女は早速僕のサインを確認し始めた。
書類に視線を落とすユーニを前に、会話が途切れてしまう。
何か次の話題を見つけなければ。
謎に焦り始めた僕は、話題のきっかけを探すべく倉庫内を見渡した。
そして、11時半を指示した壁掛け時計が視界に飛び込んでくる。
「……ユーニ、昼食はとったか?よかったら一緒にどうだ。美味い店を紹介しよう」
「あー、ごめん。今からすぐコロニーに帰らなきゃなんだよ」
「そう、なのか……」
「うん。悪いな。じゃあまた」
「あぁ、また……」
書類に不備がないかの確認を済ますと、彼女は軽く手を振りながらさっさと倉庫から出て行ってしまった。
うすら寒い倉庫に、僕一人だけが残される。
わざわざ作戦立案課室から君に会うためだけにここまで歩いてきたのに、ずいぶん冷たい対応じゃないか。
昼食くらい一緒に取ってくれたっていいのに。
心の中で悪態をついてみるけれど、孤独感は埋められない。
そして、じわじわと胸の奥が痛み始めるのだ。
最近、なんだかユーニを前にすると調子が出ない。
アイオニオンにいた頃は違和感なく接していたはずなのに、この世界で再会し、大人になるにつれてどんどん距離感が掴めなくなっていった。
再会したばかりの頃のように、気兼ねなくユーニを誘いたいけれど、どうしても上手くいかない。
以前は“ただ会いたいから”という理由だけで会いに行けていたくせに、今は何かしらの理由を作らなければ会いに行けなくなっている。
それだけじゃない。
ユーニのことを考える時間が格段に増えた。
仕事中もふと思い出しては会いたくなるし、夜寝るときも彼女の顔が浮かんできては睡眠を妨害してくる。
ユーニのことを思い浮かべては胸が締め付けられて、無意識にため息が出る。
昔はこんなこと一切なかったのに、一体どうしたというのか。
理由がわからないままなんとなくミオにこの話をしたところ、とんでもない回答を突き付けられた。
「好きだからでしょ」
たまたまコロニーラムダに赴いていたミオと共に、カフェでお茶を楽しんでいた僕だったが、彼女からの言葉に一瞬だけ頭がフリーズした。
冗談で言っているわけではないらしい。
現に目の前の席に座っているミオは、紅茶を手に持ちながら“当然でしょ”とでも言いたげな表情でこちらを見つめてきている。
「……好きって、僕がユーニをか?」
「うん」
「馬鹿なことを」
「好きじゃないの?」
「好きじゃない。いや、仲間として好きかと言われたらもちろん好きだが、所謂恋愛感情はない」
「うそぉ」
「嘘じゃない」
「絶対好きよタイオンは」
「どこにそんな根拠が」
「女の勘」
「あのな……」
正直、その可能性を考えたことがないわけではなかった。
特定の誰かのことばかりを考えてしまう症状はまさに、恋そのもの。
ここはもうアイオニオンではない。僕たちは10年以上生き続けることが可能だし、当然恋だの愛だのという概念も理解できている。
だからこそ断言できるのだ。これは恋などでは決してない。
だって僕たちは“相方”だ。命を預け合った運命共同体であって、淡い気持ちを抱き合うような間柄じゃない。
ミオは、自分がノアという相方とそういう関係に発展しているからそんなくだらない仮説に結びつけてしまうのだ。
自分たちがそうだからと言って、僕やユーニが同じとは限らない。
「タイオンはアイオニオンにいた頃からユーニのことが好きなんだと思ってた」
「はぁ?それこそただの妄想だ。あの頃の僕たちは恋愛感情なんて曖昧なもの、理解できなかったはずなんだぞ」
「だから、無意識に好きだったんじゃないかなって」
「その根拠は?また勘か?」
「違うよ。ほらタイオンって、別れ際にユーニにハーブティーのレシピ帳渡してたでしょ?時間もなかったはずなのに、あんなに手が込んだものを渡すなんて“愛”だなぁって」
確かに僕はアイオニオンが消滅する間際、ユーニにハーブティーのレシピ帳を渡した。
だがそれは彼女が僕のハーブティーをいたく気に入っているようだったから、僕が傍にいなくてもお茶を楽しめるようにという配慮からくる行動だ。
別に下心があったとか、よく思われようとしてやったとか、そういうことじゃない。
仲間として、そう、相方として彼女を気遣っただけのことである。
あの行動の裏には、愛や恋といった桃色じみた可愛らしい感情などなかった。はずだ。
「私、タイオンの恋応援するからね!」
「だから違うと言ってるだろ」
「片想い、実るといいね」
「いやだから……。あぁもういい。好きにしてくれ」
いくら否定しても話を聞く気配がないミオに、僕はとうとう面倒になって否定をやめた。
ユーニは特別な人だ。だからと言って、好きというわけではない。
第一、彼女の方だって僕のことを“4番目の相方”と称していた。
1番ではないということは、僕は“そういう対象”に入らないということだろう。
好きになったところで振り向いてもらえないことが確定している相手など、好きになる意味はない。
無駄なことを嫌う僕にとっては、片想いなんて無駄そのものだ。
好きじゃないし好きにもならない。なるはずがない。はずだった。
***
アルストの本拠地であるキャッスルへの出張が決まったのは、1か月ほど前のことだった。
コロニーラムダからキャッスルへはそれなりに距離があるが、今は転移装置なる便利なものがあるため移動には困らない。
とはいえ、女王のお膝元であるキャッスルなどなかな行く機会には恵まれない。
キャッスルに行くことになった旨を仲間内で話すと、“土産待ってるぜ!”とランツに親指を立てられた。
キャッスルでの仕事を終えた僕は、城下に広がる街へ繰り出し、様々なショップを見て回っていた。
土産と言っても、そんなに凝ったものを買うつもりはない。
全員同じ箱菓子でいいだろう。
適当に甘味が詰められた箱を購入した僕は、すぐに転移装置へと向かうことにした。
転移装置が設置されているのは街の最北端である。
商店街を歩いて移動していた僕だったが、とある店の店頭に置かれている一本の櫛が目に入った。
黒を基調にしたその櫛には、フォーチュンクローバーのイラストが描かれている。
吸い込まれるように店内に入り、件の櫛を手に取った。
ユーニが気に入りそうなデザインだ。買って帰ったら喜ぶだろうか。
ふと視線を横にずらすと、すぐ隣に可愛らしいデザインのリップクリームが置かれていた。
“魅力倍増!一瞬で潤う唇に!”という煽り文句が書かれたポップがついているそれは、どうやら人気商品らしい。
棚に置いてある在庫が1本しか残っていなかった。
そういえば、この前ユーニに会ったとき乾燥がひどくて悩んでいると言っていた。
これを買えば喜んでくれるかもしれない。
櫛に続きリップを手に取った僕だったが、不意に店の奥でひときわ輝いている商品を見つけた。
歩み寄ってみると、そこに置いてあったのはチョーカー。
翡翠色の小ぶりな石が4つほど散りばめられたそのチョーカーのデザインは、まるでフォーチュンクローバーのようだった。
よく見ると、“エーテル力増刊の効果あり”とポップには書かれている。
ユーニはエーテルを使いこなすヒーラーだ。これを贈れば喜んでくれるかもしれない。
右手には櫛とリップ。左手にはチョーカー。
3つの商品を前に、僕は悩んでいた。
どれを買うのがベストだ?いや、もう面倒だから3つとも買うか?
1つより3つ贈った方が喜びも3倍だろう。
よし、そうしよう。
決意して購入しようと顔を上げた瞬間、すぐ隣に何者かの気配を感じ肩を震わせた。
「み、ミオ!?」
すぐ隣に立っていたのはミオだった。
肩越しに僕の手元をじっと覗き込んでいる。
彼女はアルスト女王であるニアの娘だ。当然、住居もこのキャッスルに設けられている。
今日ミオに会う予定はなかったが、おそらく街を歩いている途中に僕の姿を見つけて近付いてきたのだろう。
経緯はどうあれ、近付く前に声をかけてほしいのだが。
「なにしてるの?」
「土産を選んでるんだ」
「みんなへのお土産?」
「いや、ノアたちへの土産はもう買った。これはユーニ用で」
「えっ、ユーニにだけ別でお土産買うの?」
驚いたように目を丸くしているミオの顔を見て、はっとした。
まるで“そんな特別感出るようなことするんだ?”とでも言いたげな表情を向けられ、焦りが募る。
「いや、別に他意はない!ただ偶然ユーニが好きそうなものを見つけたから、ついでに買って行ってやろうかと思っただけで……」
「3つも?」
「そ、そんなわけないだろ!どれか1つだけだ!」
3つすべて買おうとしていたなんて言えるわけがなかった。
どれにしようか迷っていたところだと伝えると、ミオは嬉々としてチョーカーを指さし始める。
「じゃあこのチョーカーがいいと思うな」
「何故そう思う?」
「だって男性から女性に贈るアクセサリーって特別感あるでしょ?タイオンの気持ち、ユーニに伝わると思うな」
よし、チョーカーは無しだな。
特別感を与えたいわけじゃない。あくまでたまたま彼女が気に入りそうなデザインだったから手に乗っただけであって、妙な勘違いをされては困るのだ。
そっとチョーカーをもとの場所に戻すと、ミオは不満げな表情を浮かべた。
「えーやめるの?じゃあリップはどうかな?」
「一応理由を聞いておこう」
「リップや口紅って、男性から女性に贈ると“少しずつ返してくれ”って意味になるんだって」
「返す?どうやって?」
「キスよキス!毎日会うたび口付けで返してもらうって意味!」
なるほど。どうやらリップも無しらしい。
そんなセクハラじみた意味になるとは知らなかった。
当然僕はユーニにそんな下心を持っているわけではないので、この贈り物はふさわしくない。
リップも棚に戻すと、ミオは一層不満をあらわにし始めた。
「もう!私のアドバイス全部無視なの?」
「無視なんてしてない。むしろ参考にしているからこそこうして1つに絞れた。櫛を贈ることにする」
「ふぅん、そっか」
ミオはずっとむくれていたが、ある意味彼女のおかげでいい買い物ができた。
深い意味など何も感じさせない、ライトな贈り物が一番だ。
店員に代金を支払い、プレゼント用に梱包してもらった櫛を受け取る。
数日後、ノアやランツ、ミオやセナ、そしてユーニと共にコロニー9で酒を飲む約束をしている。
その時に渡そう。きっと喜んでくれるはずだ。
店員から受け取った櫛を手に店を出ると、ミオも後ろからくっついてくる。
そして僕の手に大事に抱えられている櫛の箱を見ると、彼女は先ほどの不満顔を晴らし明るい声色で声をかけてくる。
「なんだかんだ櫛も悪くないチョイスかもね。毎日使うものだし、使うたびに思い出してねって意味を込めて贈れば気持ちが伝わるかも」
ミオの余計な一言のせいで、僕はこの櫛を買ってしまったことを早くも後悔し始めた。
確かに櫛は毎日使うものだ。アクセサリーほどではないにしろ、日常に欠かせないものを贈るのは確かに妙な意味が生まれてしまうかもしれない。
いや、ユーニはそこまで深いことは考えないか。
いやいや、考えないとしても、この櫛を使っているタイミングで誰かから指摘されるかもしれない。
流石に考え過ぎだろうか。いやでも――。
「タイオン聞いてる?タイオーン?」
目の前でミオがひらひらと手を振ってくるが、心の中で問答を続けていた僕は全く気が付かなかった。
***
ユーニへの土産物としてキャッスルで購入した櫛を贈るか贈らないか、迷っているうちに約束の日がやってきた。
転移装置でコロニー9に向かい、指定された店に到着すると既に全員揃って席についていた。
ノアたちにとってはなじみの酒場だったらしく、慣れ様子で酒やつまみを注文し、スムーズにメニューが運ばれてくる。
ミオやセナはあまり酒が飲めないようだが、それ以外の面々はそれなりにいける口だった。
再会して以降、こうして一緒に酒を飲み交わしたことも既に何度かある。
慣れた面々での気安い席になるはずだったのに、何故だか今日は落ち着かない。
隣に座っているのがユーニだからだろうか。
全員宛に購入してきたキャッスルの茶菓子を表にだすと、まず一番にランツが食いついた。
中身は小さな大福。
デザート代わりにちょうどいいと、一同はにこやかにその場で茶菓子を食べ始めた。
「ン~!うまこれっ」
ふと、隣に座っているユーニへと目を向ける。
他の面々と同じく、彼女も随分とうまそうに大福を頬張っていた。
良かった、気に入ってもらえたらしい。
顔をほころばせているユーニの様子に安堵する僕だったが、懐に忍ばせた櫛の箱を取り出す勇気はまだ出なかった。
ここにはほかの皆の目があるし、流石に渡しにくい。
せめて二人きりのときに渡したい。そう思っていたが、なかなかユーニと二人きりになれる機会は巡ってこなかった。
櫛を渡しそこなうこと1時間。
トイレに立った僕が席に戻ると、隣の席にユーニの姿はなかった。
彼女はどこかと尋ねると、酔いが回ったから外の空気を吸ってくると言って店の外に出たらしい。
好機だと思った。櫛を渡すなら今しかチャンスはない。
僕も外の空気を吸ってくると適当な理由をつけ、足早に店の外へ出る。
すると、店から出てすぐの壁にユーニは寄り掛かって立っていた。
店の外に出てきた僕を見て不思議そうに目を丸くした彼女が、“どうした?”と尋ねてくる。
そんな彼女に、僕は懐にしまい込んだ小さな櫛の箱を差し出した。
「これ……」
首をかしげながら受け取ると、彼女は“なにこれ。開けていい?”と問いかけてくる。
僕が頷いたのを確認し、ユーニは梱包された箱をバリバリとはがし始めた。
綺麗な包装紙をバリィッと派手な音を立てながら豪快に破っていくユーニの男らしさに思わず顔が引きつってしまう。
包装用紙の中から現れた白い箱には、一本の櫛が収められている。
中身を確認したユーニは、一層目を丸くして僕を見上げてきた。
「えっ、これ……」
「キャッスルの土産だ」
「それならさっき貰ったけど?」
「あの大福は全員宛に買ったもので、これは君宛だ」
「なんでアタシにだけ?」
純朴な瞳で投げかけられた質問に、言葉を詰まらせてしまう。
ここで下手なことを言えば妙な勘違いをされる。
言葉は慎重に選ばなければ。
「たまたま君が好きそうなデザインだったから買っただけだ。他意はない」
「ふぅん」
なるべく特別感が出ないように、たまたま目に入ったことを強調して伝えた。
嘘はついていない。本当にたまたま目に入ったものを気まぐれで買っただけで、深い意味などないのだ。
けれど、ミオのようにやたらと恋愛的な考えに結び付けてくる厄介な輩もいる。
ユーニがそういう性格だとは思わないが、一応、念のため他意はないと伝えておきたかった。
箱から櫛を取り出すと、ユーニは表と裏のデザインを交互に見比べながら暫く観察していた。
そして笑顔を浮かべると、僕の顔をその青い瞳でまっすぐ見つめてくる。
「確かにこういうの好きだわ。流石タイオン。アタシの趣味よくわかってるな」
「当然だ。君との付き合いは長いからな。君の好みくらいすぐにわかる」
「そりゃそっか。ありがとな、大切にする。毎日使うよ」
その言葉に、僕の思考はフリーズする。
そういえばミオが言ってた。
“毎日使うものを贈れば使うたびに贈った相手のことを思い出してくれる”と。
毎日その櫛を使ってくれるのか。
ユーニの言葉を咀嚼して、心が熱くなる。
僕が贈った櫛に視線を落とし、嬉しそうに笑みを浮かべているユーニのこの可憐な顔が、しばらく頭から離れることはなかった。
***
それはとある日のことだった、
たまたま仕事でコロニー9を訪れた際、せっかくだからとユーニに会うため衛生部隊が詰めている軍事区へと足を踏み入れたのだが、そこで会ったユーニにまさかの提案をされたのだ。
「時間あるならアタシの家で飯食って行かねぇ?」
反射的に承諾してしまった。
今夜の夕飯は既に家で用意してあったというのに、ユーニからの珍しい誘いを断ることなんてできなかった。
促されるまま、僕は彼女の家へとお邪魔する。
思えば、ユーニの家に上がり込むのは初めてだった。
彼女と会う時はいつも外の店ばかりだったから。
ユーニの住居はコロニー9内にある衛生部隊占有寮だった。
そのうちの一つが彼女の部屋らしく、中はリビング兼寝室である部屋がひとつと、小さなキッチンがひとつ。
シャワールームにトイレ、洗面所の構成だった。
「狭いけど勘弁な」
「確かに狭いな」
素直にそう述べると、ユーニに肩のあたりをグーでどつかれた。
“適当に座って”と言われるがまま部屋に足を踏み入れたが、座ってと言われてもどこに座っていいかわからない。
奥にはベッドがあり、手前にはローテーブルが置かれている。
とりあえずベッドに……。いや、ここに座ったら妙な意味が生まれてしまいそうだ。やめておこう。
やはりここは床が無難な選択か。
床に座り込みあたりを見回すと、やけにいい匂いがした。
花のような香りだ。
この匂いの正体が気になった僕は、キッチンで何やら作業をし始めたユーニに向かって質問を投げかける。
「どこかに花でも生けてあるのか?」
「アタシがそんなのわざわざ飾るタイプに見えんのかよ」
「じゃあ芳香剤でも置いてるのか?」
「なんも置いてねぇよ。なんで?」
「いや、なんだかやたらと……」
“いい匂いがするから”
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
気付いてしまったのだ、この匂いの正体に。
花も芳香剤も置いていないということは、考えうる匂いの正体はただ一つ。
ユーニ自身だ。
これはきっと、ユーニの匂いなのだ。
「やたらと、なに?」
「いや、なんでもない」
不思議そうに首をかしげる彼女から顔を逸らす。
この家は狭い。狭いからこそ、彼女が纏う香りが充満しやすいのだろう。
なんだこれ。なんでこんなにいい匂いなんだ。
女性の部屋というのはこんなにいい香りがするものなのか。
それともユーニだからなのか?
彼女は比較的ガサツだし男っぽいところがある。
こんな女性的な香りとは無縁だと思っていたのに。
心臓がさっきから痛いくらいに高鳴っている。
こんな狭くてやたらといい匂いがする空間に、ユーニと二人きり。
この事実をかみしめた瞬間、どうしようもなく逃げ出したくなった。
床にあぐらをかいていた膝をゆっくり抱え込み、縮こまる。
何故だろう。恥ずかしくてたまらない。
今すぐ帰って自宅のベッドにもぐりこみ、毛布に頭を埋めて全力で叫び散らしたい。
とにかく落ち着かないのだ。
「ねぇ、食いたいものある?」
「えっ」
「食いたいもの!肉とか魚とか、なんか指定してよ」
「君が作るのか?」
「当たり前じゃん。それ以外何があんの?」
アイオニオンにいた頃、料理はほとんどマナナ任せで僕たちは手伝う程度のことしかしなかった。
けれど、この世界でのユーニは一人で暮らしていることもあり自炊しているらしい。
ユーニの手料理が食べられる。こんなに貴重な機会はない。
少しだけ心躍らせながら、僕は“なんでもいい”と口にした。
「なんでもいいが一番困るんだけどなぁ」
「君が作ってくれるものならなんでもありがたい」
「へぇそういうこと言えるんだ」
揶揄うような笑みを向けてくるユーニに、少しだけ気恥ずかしくなった。
“じゃあ覚悟してろよ?”の一言を最後に、ユーニは集中し始める。
手伝おうかと提案したが、丁重に断られた。
どうせお前は料理が下手だろうから足手まといにしかならないから、だそうだ。失礼な奴め。
ユーニが料理を始めてから、一気に暇になってしまった。
集中しているところに話しかけに行くのも悪いし、だからと言ってやることもない。
しばらくぼーっとあたりを眺めていると、背後にあるベッドへと視線が落ち着いた。
枕がひとつと、少し乱れた掛布団が鎮座しているこの場所で、ユーニは毎晩眠っているのか。
そんなことを心の中で呟くと、また心臓がトクンと脈打った。
枕の向こう側に、白いぬいぐるみが転がっている。
胸に抱えられる程度の大きさのそれは、どうやらカピーバのぬいぐるみらしい。
手を伸ばして引き寄せてみると、白いふわふわの毛が随分と触り心地がよかった。
「あ、それ可愛いだろ。同僚に貰ったんだ」
どうやら料理は終わったらしい。
トレイに1枚の皿を乗せたユーニが、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
床に膝をつき、トレイから皿をローテーブルにうつす。
皿の中身はカレーだった。
真っ白なコメヒカリと、赤みがかったルーからは美味そうな匂いを纏った湯気が立ち上っている。
ローテーブルにカレーの皿を置くと、彼女は床に腰を下ろすと同時にベッドの上へ手を伸ばす。
先ほど注目していた真っ白なカピーバのぬいぐるみを腕の中に抱えると、まるでペットを愛でるように頭の部分を撫でまわし始めた。
「ぬいぐるみなんて君のガラじゃないな」
「悪かったな似合わなくて。結構気に入ってんだぜ」
「女性はどうしてこう部屋に不要なものを置きたがるんだろうな。ぬいぐるみなんてその最たるものじゃないか。カレーありがとう。いただきます」
「ん。いいじゃん可愛いんだから。つか、男だって不要なもの置く奴はいるだろ。現にこれくれたのも男だし」
「えっ」
カレーをスプーンですくおうとした瞬間、手が止まった。
視線を落とすと、ユーニの膝の上に同道鎮座している真っ白なカピーバのぬいぐるみが視界に入る。
どこの誰か知らないが、何を思ってユーニにこんな可愛らしいぬいぐるみを贈ったのだろう。
手触りがいいというそのカピーバは、毎晩ユーニと一緒にこのベッドで眠っているという。
なんとなく気に食わなかった。
顔も名前も知らない男が僕の知らないところで勝手にユーニに贈り物をした挙句、その贈り物が毎晩ユーニに抱かれているという事実が。
同僚だかなんだか知らないが、センスのない男だ。
そいつはユーニのことをあまりよく知らないと見える。
彼女が一番好きなモンスターはピピットだ。カピーバじゃない。
きっとユーニが一番好きなモンスターが何なのか知らなかったのだろうな、可哀そうに。
僕ならもっといいものを贈る。
何故なら彼女の趣味趣向は1から10までほとんど把握しているからだ。
「辛っ」
カレーを口にした瞬間、燃えるような辛さが舌に襲い掛かってきた。
あまりの辛さに目を見開くと、ユーニはケタケタと笑いはじめる。
明らかに人に食べさせる辛さじゃない。
なんでもいいとは言ったが、こんなに辛いカレーを出されるなんて予想外だ。
自分の分のカレーを用意していなかったのはこのためか。
嵌められた。腹立たしく思いながらコップの水をがぶ飲みすると、ユーニは頬杖を突きながら青い目で見つめてくる。
「タイオンって辛いの苦手だったろ?無理なら残してもいいんだぜ?」
馬鹿にされているようでなおさら腹立たしかった。
このくらいの辛さで値を上げる僕じゃない。
皿を下げようとするユーニの手をとめ、僕は必死で辛さに耐えながら完食するのだった。
***
ユーニの部屋に遊びに行った数日後。
僕は彼女にピピットのぬいぐるみを贈った。
先にベッドを支配していた白カピーバのぬいぐるみよりも少し大きいサイズの抱き枕である。
“こっちの方が好きかと思って”
そう言って贈ると、彼女は燦々とした笑顔で言った。
“うん、好き”と。
ほらみろ。やっぱりこっちの方が喜ばれた。
僕ほどユーニの好みを把握している人間はこの世界にいない。
せっかく贈ったんだから毎晩抱き枕として活用するように、と伝えると、“はいはい”なんて苦笑いを浮かべながら彼女は頷いてくれた。
きっとあのピピットを贈った日の夜から、見知らぬ男が贈り付けたカピーバはベッドから居場所を奪われ、僕のピピットがユーニと一緒に朝を迎えているに違いない。
勝負しているつもりはなかったが、なんとなく勝った気分だった。
誰かに物を贈って喜ばれると、自分の承認欲求が満たされる。
この感覚に酔いしれた僕は、以降、“いいもの”が目につくたびユーニにプレゼントすることにした。
彼女との付き合いは長い。好きなもの嫌いなものを余すことなく把握しているおかげか、贈ったものは全て喜んでくれた。
最近肌が乾燥していると言っていた日の翌週には最新式の加湿器を贈った。
お気に入りのコップを割ってしまったと嘆いていた翌週には彼女が使っていたものと同じコップを贈った。
ちょっとしたパーティーに履いていく靴を探していると聞いた翌週には、彼女の足にぴったり合った靴を贈った。
何かを贈るたび、彼女は笑顔でお礼を言ってくれる。
そして“お返し”と称して、会うたび流行りの茶菓子をくれた。
“お前甘いものすきだろ?”と言って。
僕がユーニの好みを把握しているように、ユーニも僕の好みを把握している。
僕たちだからこそできるこの等価交換は、互いにとってWin-Winでしかなかった。
そんな日々が続いていたある日のこと―――。
「タイオンさんって、恋人いるんですか?」
仕事中、同じ作戦立案課に所属する後輩の女性軍師から呼び止められた。
人通りの少ない廊下で暫く立ち話していると、彼女が突然妙な質問を投げかけてくる。
その質問に素直に“いない”と答えると、彼女はほっと胸をひと撫ですると目を輝かせながら距離を詰めてきた。
「じゃあ、今度私とデートしませんか?」
「デート?」
「はい!一緒に買い物したり、お食事したり……。私、おいしいお店知ってるんです。是非タイオンさんと一緒に行きたくて」
小柄で人のいい彼女は、ラムダの作戦立案課が抱える期待のエースである。
名前はリリハ。
仕事上の付き合いはあるが、個人的な付き合いは全くない。
そんな関係の異性に、ここまで真っ向からデートに誘われたのは初めてだった。
どうしようか。正直言って、断る理由はない。
彼女からの質問に答えた通り恋人はいないし、リリハと一緒に出掛けたことで悲しむような相手もいない。
当然好きな人も―――。
そこまで考えたところで、一瞬だけユーニの顔が脳裏をよぎった。
常々ミオから“ユーニのことが好きなんでしょ”と的外れな指摘を受け続けているせいだろう。
“好きな人”に該当する相手を脳内で探した結果、一番に浮かぶのがユーニの顔だなんて、本人に知られたら笑い飛ばされるだろう。
残念ながら、ミオの指摘は事実とは異なる。
僕とユーニは互いのことを知り尽くしている“運命共同体”ではあるが、恋や愛を囁き合う間柄ではないのだ。
「わかった。僕でよかったら付き合おう」
「本当ですか!? 嬉しい!ありがとうございます!」
まぶしい笑顔を浮かべ、深々と頭を下げたリリハは軽い足取りで去っていく。
よほど嬉しかったのだろう、彼女はバニットのように今にも飛び跳ねそうな足取りだった。
デートか。今まで仕事にかまけてばかりで、そういった方面に関心を寄せることはほとんどなかった。
ここはアイオニオンではない。自然な生き方を手に入れた僕たちは、シティーで暮らしていた人間たちのように誰かを愛することができる。
これは自然な姿で生きていく人間の特権であり、奇跡的にそれが得られた以上使わない手はない。
僕も、ちゃんと人間らしく生きてみる時が来たのかもしれない。
遠ざかるリリハの背中を見つめながら、僕はそんなことを思っていた。
***
リリハと約束した“デート”の日はあっと今にやってきた。
仕事に精を出している間に気付けば前日まで迫っていて、カレンダーを見て焦ってしまった。
デートプランはほとんどリリハが考えてくれた。
いちいち出かける場所を選ぶほどの時間がなかったのもあるが、彼女がどこに行けば喜ぶか、何をすれば嬉しいか全くわからなかったからという理由が一番大きい。
場所はケヴェスキャッスルのお膝元である皇都アカモートに決定した。
アカモートは僕たちアルストを由来とする人間たちには馴染みがなく、物珍しさと非日常感を味わえる意味ではデートスポットとして最適である。
待ち合わせは皇都正門前。
少し遅刻してしまった僕を、リリハは笑顔で出迎えた。
皇都アカモートは、ハイエンターと呼ばれる頭に羽をもつ種族が多く住んでいる。
今は混血がほとんどらしいが、かつてのハイエンターはもっと羽が大きかったらしい。
すれ違う人々はやはり皆頭に羽をもつ者ばかりで、僕たちアルスト人は少しだけ目立っていた。
羽が生えている人々とすれ違うたび、反射的にちらっと観察してしまう。
どのハイエンターも、ユーニほど羽が美しくはなかった。
彼女は気付けばいつも羽の乱れを気にしていたし、きっと羽の美しさには人一倍気を遣っているのだろう。
そうだ。今度ハイエンターの羽専用の手入れグッズを贈ってやろう。
きっと喜ぶに違いない。
「タイオンさん、あそこのお店入ってもいいですか?」
「ん?あぁ、構わない」
アカモートの商店街を歩いていると、リリハが一軒の店を指さした。
たくさんの服が並んでいるそのショップに入りたいと強請ってくる彼女に頷くと、リリハは僕の腕を掴んでショップ内へと引き込んでいく。
え、僕も一緒に入るのか。
外で待っているつもりだったため、彼女の有無を言わさぬ行動に少し戸惑ってしまう。
店内に所狭しと並べられた女性服の数々に、少々居心地が悪くなった。
“あれも可愛いこれも可愛い”と目を輝かせるリリハの様子は楽しそうで実に結構だが、付き合うこちらとしてははっきり言って退屈である。
あまりの暇さにあくびが出そうになった瞬間、店の端にある棚に興味深いものが並んでいるのを見つけた。
どうやらイヤリングのようだが、ハイエンターの羽につける専用のものらしい。
流石はハイエンターの街、皇都アカモート。
ハイエンター専用の装飾品がこんなにも置いてあるなんて。
ユーニはこういうの、気に入るだろうか。
羽に装飾を施すのは嫌がるだろうか。
でもこれを着けたらきっと綺麗に違いない。
買っていって、気に入らなければ渡さなければいい。
とりあえず購入だけしてしまおうか。
そう思い、棚の上の羽用イヤリングへと手を伸ばしたその時、突然横から名前が呼ばれた。
「タイオンさん、こっちとこっち、どっちが似合うと思います?」
二着の服を手に持ったリリハが、何かを期待している目でニコニコと見つめてくる。
その光景を見た瞬間、少し気構えてしまった。
これはあれだ。答えは既に決まっているくせに自分の判断が客観的に正しいか試すべく行われる、なんとも不毛で無駄な女性特有のあれだ。
考えろ、ここでリリハの意にそぐわぬ方を選びでもすれば、きっと彼女の機嫌は急降下する。
デートはまだ始まったばかり。こんな序盤で嫌な空気になるのだけは避けたい。
さてどうする。この場合、どうせ答えは既に決まっているのだから普通に考えれば二者択一。
だが、これは絶対にどちらか一方を選ばなくてはならない問題というわけでもない。
伝え方次第では、第三の回答もある。その第三の回答こそがベストアンサーだ。
「どっちも似合うと思うぞ」
にっこりと笑顔を作って答えると、代わりにリリハの笑顔は枯れてゆく。
まずい。これは回答を誤ったか。
そんな僕の予想通り、リリハは肩を落としながら背中を向けた。
「なぁんか適当ですね」
「そんなことはない。本心だ」
「じゃあ試着して決めます。待っててくださいね?」
「はいはい」
二着の服を腕に抱え、リリハはショップの奥へと引っ込んでいった。
どうやら回答は彼女の望んだものではなかったようだが、そこまで機嫌を損ねずには済んだようだ。
“どっちが”と聞かれても、正直僕にはどちらも同じに見えた。
あの場合、“どっちも似合う”というよりは“どっちでもいい”が本心だろう。
リリハに興味がないわけじゃなく、リリハが着る服にまで興味が向かないというだけのこと。
それにしても試着か。
どうせ似たようなデザインなのだから、着てみてもそこまで変わりはないと思うのだが。
リリハのショッピングはまだまだ続きそうだ。
今日は一日こんな調子で浪費していく羽目になるのだろうか。
少し疲労感を感じながらふとあたりを見回すと、店の奥に設置された鏡の前で見慣れた人物が服を選んでいるのが見えた。
ユーニだ。ユーニがいる。何故こんなところに。
思わず速足で歩み寄ると、彼女の背後から声をかけた。
「ユーニ」
「うわっびっくりした……、タイオンか」
「何してるんだこんなところで」
「何って、普通に買い物だよ。そっちこそ何してんの?」
「僕は……」
店の奥に目を向ける。
まだリリハの試着は終わっていないようだった。
「……買い物に付き合ってる」
「ほーん」
嘘は言っていない。
実際この店に入ろうと言ってきたのは連れのリリハだし。
“デート”という単語を使わなかったのは、なんとなく言わない方がいいような気がしたから。
これは理屈ではなく、本能的な判断だ。
僕の回答にそこまで興味がなかったのか、彼女は小さく相槌をうつと再び目の前の全身鏡に視線を向ける。
両手に持った二着の服をあてながら、どちらがいいか選んでいるようだった。
右に持っているのは黒いジャケット。
左に持っているのは白いジャケット。
形はどちらも似ているが、素材やデザインは微妙に異なっている。
難しい顔で二つのジャケットを見比べているユーニだったが、一向に僕に意見を求めてくる様子がない。
リリハは嬉々として僕の意見を欲しがったのに、こちらの好みなど一切聞く気配がないユーニがなんとなく気に入らなくて、痺れを切らした僕は後ろから口を出すことにした。
「黒の方がいいと思う」
「なんで?」
「君は明るい色より寒色系の方が似合う。顔立ちが比較的華やかな方だから、明るい色を着ると逆に顔の印象が薄くなってしまうだろ。それに白は膨張色だ。スタイルがいい人間はよりよく見せるために黒を選ぶべきだ」
「んー、タイオンがそう言うなら白かな」
「なんでだ。話を聞いていたか?」
「だってタイオンファッションセンスねぇじゃん」
「失礼な……。センスもあるし流行だってちゃんと把握しているつもりだぞ僕は」
「嘘つけ。どうせまだあのだっさいマフラー大事にしてんだろ?」
「悪いか」
「図星かよ」
「とにかく黒だ!黒にしておけ」
「えー、タイオンの意見なんて聞いてねぇんだけど……」
「少しは聞いてくれたっていいだろ。それに君は黒の方が似合―――」
「タイオンさんっ」
不意に横から名前を呼ばれた。
振り向くと、むくれた表情で佇んでいるリリハの姿が目に入る。
しまった。忘れていた。
そういえば試着が終わったら感想が欲しいようなことを言ってたはずだが、すっかりユーニとの話に夢中になってしまっていたらしい。
焦る僕に怒っているのか、彼女は僕の腕に自らの腕を絡ませ引っ張ってきた。
「もう!なにデート中にほかの女の子ナンパしてるんですか!」
「い、いやナンパじゃない!彼女は……」
「えっ、デート?タイオン、デートしてたの?」
リリハの口から飛び出たその単語を聞き逃すほど、ユーニは甘くはなかった。
当然の如く追及してくる彼女に、僕は言葉を詰まらせた。
別にやましいことをしているわけじゃない。隠す必要なんてない。
そう思いながらも、無性に誤魔化したくなってしまうのは何故だろう。
言葉を詰まらせている僕に苛立ったのか、リリハは僕の腕を抱く力を強め言い放つ。
「そうです!デートです!」
ユーニの身体が石のように固まった。
そして、僕へと視線が向けられる。
真偽を問うかのようなその視線に、僕はたどたどしく認めるしかなかった。
「デートなんだ?」
「まぁ、その、そう、だな……」
「ふぅん」
「お姉さん、タイオンさんのお友達か何かですか?」
相変わらずむくれた表情でリリハはユーニに問いただしている。
彼女は僕がユーニにナンパをしていたのだと勘違いしていたようだが、それは違う。
僕たちは友人だ。それも付き合いの長い特別な間柄。
見知らぬ相手に下心をもって声をかけていたわけではないと弁明してくれユーニ。
目線で訴えてみると、彼女は目を伏せながら静かに言った。
「友達っていうか、ただの知り合い。ナンパされてたわけでもねぇし深い間柄でもねぇから安心しな」
えっ。
「そうでしたか。すみません、勘違いしちゃって」
「いいって。じゃあ邪魔して悪かったな。デート楽しめよ」
「ありがとうございます!」
僕の横をすり抜け、服を棚に戻したユーニは去っていく。
すれ違う瞬間、一瞬だけ目が合った彼女は軽く会釈をしてきた。いつもはそんなことしないくせに。
振り返ってその背に視線を向けてみるが、彼女がこちらを振り向くことはなかった。
颯爽と去っていく彼女は、僕ではなくリリハに“じゃあな”と言った。
なんだそれ。何だその態度。
まるで昨日今日出会ったばかりの付き合いの浅い相手みたいだ。
というか、“ただの知り合い”?違うだろ。そんな冷たい言葉で言い表せるような関係じゃない。
命を共有し、何度も共に窮地を乗り越え、互いの弱いところを見せあった僕たちは、ただの知り合いなんかじゃないはずだ。
相方とか、パートナーとか、運命共同体とか、言い方はもっとあるだろ。
知り合いなんて他にもたくさんいるじゃないか。そんなのと一緒にされたら困る。
なんでそんな余所余所しい態度で突き放すんだ。
僕は君のこと、“ただの知り合いだ”なんて思ったことは一度もないのに。
「タイオンさん、どうかしました?」
呆然としている僕を見上げながら、リリハは首をかしげてきた。
“どうした?”なんて、こっちが聞きたいくらいだ。
ユーニはどうしてしまったのだろう。
考えても考えても、答えは出なかった。
***
結局、リリハとはそれっきりだった。
あの後もデートは続き、結局夜まで一緒にいたけれど、食事だけしてさっさと帰ってきてしまった。
別れ際“付き合ってくれ”という旨の言葉ももらったが、丁重に断った。
一日一緒にいて分かったが、彼女とは合わない。
趣味趣向の不一致は他人なのだから当たり前だが、僕自身がその不一致を受け入れようと思えなかったことに原因がある。
要するに、リリハにどうしても興味が向かなかったのだ。
そんなことより、気になるのはユーニの方だ。
あの日、アカモートでばったり会って以降、ユーニとは一度も会っていない。
今までは定期的にどちらかが誘い、食事に出かけたりしていたが、ユーニからの誘いがぱったり来なくなったのだ。
僕から誘っても、何かと理由をつけて断られる。
断られること自体は問題じゃない。今までだって都合が悪ければ断られることだってあった。
問題なのは、断られても次の候補日を提示してこないことだ。
“じゃあいつ暇なんだ?”と聞いても“わからない”の一点張り。
こんな状況が3か月も続けば流石に察してしまう。
避けられているのだと。
ユーニにこんなにも露骨に距離を取られたのは初めてだった。
理由がわからない。どうしていいかもわからない。
次に会ったときに渡そうと思って買っていたプレゼントが、もう3つも溜まっている。
いい加減そろそろ会いたいのだが、肝心のユーニは会ってくれないどころか最近は僕の通信を無視している。
もはやわずかな繋がりさえもシャットアウトしたがっている彼女の態度に、僕は柄にもなく傷ついていた。
僕は昔から、人に好かれやすい性格ではない。
ミオには“面倒くさい”とよく言われるし、セナには“ひねくれてる”と言われたこともある。
ノアやランツからの評価も似たようなものだろう。
非常に不名誉ではあるが、自覚がある以上どうしようもない。
けれど、だからと言って無理に好かれようとは思わない。
たいてい僕を嫌う人間は僕が嫌いな人間ばかりだし、100人いたら100人好かれるなんてそもそも無理な話だ。
だから嫌われて距離を置かれたとしても、人付き合いをするうえで避けられない乖離だったのだといつも自分に言い聞かせてきた。
けれど、ユーニとの一件だけは違った。
“仕方ない”なんて思えない。
嫌われたと思いたくない。
ユーニとの縁が切れることだけは、どうしても看過できなかった。
その日、僕はアグヌスキャッスル付近を訪れていた。
初めてキャッスルに出張して以降、何度か仕事で訪れる機会が多くなっていた。
今では行きつけのカフェもある程度に、馴染みの場所になっている。
キャッスルでの仕事を終えた僕は、最近よく通っているカフェへ足を運んだ。
この店は卵サンドが美味い。アールグレイティーとサンドイッチに舌鼓を打ちながらテラス席で本を読んでいると、不意に背後の席から聞きなれた声が聞こえてきた。
「え、なにこれ可愛い」
その声を聞き間違えるわけがなかった。
振り返ると、やはりそこにはユーニがいる。
数メテリ後ろの席で、僕がいる席に背を向けるような形で座っている。
その姿を見つけた瞬間反射的に立ち上がりそうになったが、すぐに思いとどまった。
彼女の正面の席に、見知らぬ男が座っていたから。
「よかった……。俺、こういうの選ぶの下手だから気に入ってもらえるか心配で」
「貰ったもんならなんだって喜ぶって」
「でも、ユーニさんが心から喜んでもらえるものしかあげたくないんです。今のところ、カピーバのぬいぐるみくらいしか心掴めてなかったみたいですけど」
その会話で察しがついた。
なるほど、あの男が例のぬいぐるみを贈った同僚とやらか。
こんなところで何をしているのだろう。
男が何かをユーニに手渡しているようだが、手元までは見えない。
何にせよ、あまり見ていて気分のいい景色ではなかった。
何かと理由をつけて僕の誘いは断るくせに、そいつとはこんなところで優雅にお茶を楽しんでいるなんて。
歩み寄って声をかけてやろうか。
ずっと無視をされ続けているのだ。文句の1つでも言ってやりたい。
そう思い再び立ち上がろうとした僕だったが、ユーニが隠れていた手元の贈り物を持ち上げた光景が視界に入り、思わず椅子に座りなおしてしまった。
「似合う?」
「はい!似合います!すっごく綺麗です!」
「大袈裟だなおい」
ユーニが自らの羽にあてがったのは、ハイエンター用のイヤリング。
デザインは流石に違うようだが、先日アカモートで僕が見つけたものとよく似ていた。
男がユーニに贈ったのはあのイヤリングなのか、僕が先に見つけたものなのに。
随分と嬉しそうに笑っているユーニの横顔が気に食わない。
何かを贈るたびに向けてくれるあの笑顔は、僕だけのものだったはずなのに。
今、彼女の視線も笑顔も、僕ではないほかの人間に向けられている。
その事実を思い知った瞬間、たまらなく腹が立った。
「あの、ユーニさん。突然なんですけど……」
「なに?」
「実は俺……」
嫌な予感がした。
こういう時の僕の予感はよく当たる。
顔を赤くした男が異性を前に打ち明けることなんて、きっと僕じゃなくても予想がつく。
ユーニの目の前に座っている男は、予想通りの言葉を口にした。
「ユーニさんが好きです」
実にストレートな告白だ。
飾り気もないし気取ってもいない。
想いを打ち明けるには理想的な言葉なのだろうが、ユーニはそこまで動揺していないように見えた。
「うん。なんかそんな気がしてた」
「やっぱバレてましたか」
「まぁな」
「俺なんて、眼中にないっすよね」
当たり前だ。
ユーニと付き合いが長い僕にはわかる。残念ながら彼はユーニの好みではない。
彼女と色恋について話をしたことはほとんどないが、好きなタイプくらいは察しが付く。
恐らくユーニの好みは、とにかく頼りになる男だ。
意外に繊細なところがある彼女の背中をそっと支えてやれるような、そんな優しくて頼りになる男を求めているはず。
その法則でいうと、件の彼はあまり当てはまっているように見えない。
告白の言葉はストレートだったが、正直頼りがいがあるようには見えないし、自分に自信があるタイプでもなさそうだ。
きっとフラれるに違いない。
どうせフるならバッサリ拒否してやった方がいい。その方が後腐れなく諦めてくれるはずだ。
持ち前のデリカシーのなさでフッてやれユーニ。
「そんなことねぇよ」
「えっ」
えっ
「ありがとな。うれしい」
「ほ、ホントですか?」
「あぁ。今すぐには無理だけど、お前とのこと、ちゃんと考えてみる」
気付かれないようにそっと振り返り、盗み見る。
正面の男を見つめるユーニの目はどこまでも穏やかで、嘘を言っているわけでも揶揄っているわけでもなさそうだった。
考えてみるってなんだ?
付き合うってことか?
その男と。僕なんかよりずっと付き合いも浅くて、君のことなんて何も知らないようなそんな男と。
なんで。どうして。何を考えてる?
ユーニの考えていることがわからない。彼女の思考回路なんて、前までは考えずとも手に取るようにわかったはずなのに。
たった数メテリしか離れていないのに、ユーニとの距離が一気に遠くなったような気がした。
嬉しそうに笑っている男の顔も、そんな男に微笑みを向けているユーニも、彼女の羽にぶら下がっている趣味の悪いイヤリングも、目に見えるものすべてが腹立たしく思えた。
***
最近の僕は寝不足だった。
ベッドに入ってもなかなか寝付けなくて、カピーバを数えても一向に眠気はやってこない。
目を瞑るたび余計なことを考えてしまう。それもこれもユーニのせいだ。
君が僕を避けるから悪い。嫌いになった理由くらい教えてくれてもいいのに、君は僕の通信を全部無視したままだ。
僕の何が駄目だったんだ。何が嫌だったんだ。嫌いになったのならはっきりそう言え。
あまつさえ僕の知らないところで知らない男とあんなに親し気にしているなんて。
考えれば考えるほど、ユーニに腹が立つ。
腹が立つくせに、会いたくてたまらない。
この意味不明な二律背反に、僕は暫く悩まされていた。
時が解決してくれる。いつかユーニのことなんてどうでもよくなって、あぁそういえばそんな子いたな、程度に思える日が来る。
そう信じて日々を過ごしていたけれど、胸の奥に居座ったユーニの虚像は一向にその場を退こうとしなかった。
しつこい奴め、いい加減僕の中から出ていけ。
心から追い出そうとしても、結局夜になって目を瞑ると彼女の姿が思い浮かんでくる。
不毛だ。無駄だ。馬鹿だ。
心をぐしゃぐしゃに押しつぶし、原形がなくなるくらいかき混ぜ、見えなくなるくらい小さく畳み込んでもなお、心のどこか一点でいつもユーニのことを考えている。
そして最終的には、“やっぱり会いたい”にたどりつく。
いつの間にか、病的な思考回路に陥っていた。
「久しぶりにみんなでご飯行こうよ」
そんな提案をしてきたのはミオだった。
彼女曰く、どうやらランツとセナが婚約したらしい。
以前ランツからセナにプロポーズしようと考えているとうっすら聞いたことがあったが、うまくいったようだ。
その祝いもかねて久しぶり集まろうというミオの提案を断る理由はなかった。
その集まりには当然ユーニも来る。
彼女に会うのは3か月以上ぶりだった。
指折り数えているうちに、ようやく6人で集まる当日を迎えた。
場所はコロニーガンマ。
転移装置で向かうと、すでに指定された店には僕以外の面々が到着していた。
当然、ユーニの姿もある。
彼女は一番奥の席に座っていて、隣にはセナが陣取っている。正面にはノア。
僕は必然的に空いている一番手前の席に座ることになり、ユーニからは一番遠い位置取りである。
2人きりで話すことは叶わなかったが、全員を介して盛り上がる話題にはいつも通り笑顔を見せている。
遠くから見ている限り、彼女は前までと何も変わった様子はない。
だからこそ余計に気になった。どうして頑なに僕を避けるのか。
1時間ほど経過し、それなりに場も温まりきったころ合いで、僕はトイレに立った。
ほんの数分の間だったが、席に帰るとユーニの姿だけがなくなっていた。
まさか帰ってしまったのだろうか。
焦って聞いてみると、酒に酔ったから外で涼んでくると言って出て行ってしまったらしい。
そういえば、前にもこんなことがあった。
あの時も確か、涼みに行ったユーニの後を追いかけて土産の櫛を渡したのだ。
あの櫛は、まだ使ってくれているのだろうか。
僕の足は、いつの間にかユーニを追って店の外へと向かっていた。
扉を開けると、あの時と同じようにユーニが店の壁に寄りかかりながら夜空を見上げていた。
店から出てきた僕へと、ユーニの視線が注がれる。
目が合った瞬間ぐっと息をのんでしまったのは、柄にもなく緊張していたからだろう。
今、この場にいるのは僕とユーニの二人だけ。
顔を突き合わせている以上、今までのように避けられる心配はない。
彼女との距離を元に戻すには、これが絶好のチャンスだった。
「久しぶりだな」
「そう?」
「最近会ってなかっただろ」
「そうかな」
「僕が誘っても断るし」
「最近忙しくてさ」
「連絡に返事をよこす暇もないくらいにか?」
「そうそう。とにかく多忙なんだよ、アタシは」
なにが“忙しい”だ。嘘つきめ。
そりゃあ毎日暇なわけではないだろうが、だからと言って連絡に目を通せないほど多忙とは思えない。
堂々と嘘をつくユーニに、僕は苛立っていた。
わざと壁を作って“ここから先には入ってくるな”とでも言いたげなその態度が、どれほど僕の心に傷をつけているのか知らないのか。
「言いたいことがあるなら言ってくれ」
「言いたいことって?」
「とぼけるな。避けられていることを察せないほど僕は鈍感じゃない」
空を見上げたまま、ユーニは黙り込んでしまった。
何を考えているのだろう。
途端に気まずさを覚えてしまう。
せめて何か反論してほしい。
彼女の次の言葉を待ちきれなくなって、僕はたまらず再び口を開く。
「……僕の誘いは断るくせに、ただの同僚とはわざわざ遠出するんだな」
「は?同僚?」
「キャッスルのカフェにいただろ。趣味の悪いイヤリングを貰って喜んでいた」
「覗き見?いい趣味してるな」
「たまたまだ。誰が好き好んで人の告白現場を覗き見するんだ」
ふと視線を向けると、ユーニの羽には例のイヤリングが鎮座していない。
やっぱり気に入らなかったのか。
無理もない。あの男が贈っていたイヤリングのデザインは、明らかにユーニの好みではないからだ。
僕ならわかる。君がどんなものを好み、喜ぶのか。
「あんなギラギラしたデザインのものより、こっちのほうが好きだろ、君は」
差し出したのは、随分前から用意していたユーニへのプレゼントである。
たまたま店で見かけて気に入ったのだが、一度は購入を見送った一品。
迷った挙句、やっぱり彼女に身に着けてほしくてわざわざ買いに走ったのだ。
どうしてもユーニに受け取ってほしくて。喜んでほしくて。
戸惑いながら受け取ったユーニは、箱の中身を確認する。
そこに収められていたのは、控えめなデザインのチョーカー。
アイオニオンにいた時も、この世界で再会してからも、彼女はチョーカーを好んでつけていた。
きっと気に入るはず。そう思っていたが、ユーニからの反応は予想外なものだった。
「悪いけど受け取れない」
箱ごと突き返されたことに、僕は動揺を禁じえなかった。
こんなにはっきりと断られたのは初めてだ。
いつもなら喜んで笑ってくれていたのに。
「えっ、な、なんで……」
「デートするような仲の女がいるんだから、こういうのはそいつにプレゼントしてやれよ」
どうやらリリハに気を遣っているらしい。
彼女とのことは君が気にするようなことじゃない。
そもそもあの日以降、彼女とは一度も出かけていない。
「リリハのことを言っているのか?彼女とはどうにもなっていない。デートらしいことをしたのもあの日の一度だけだ」
「そうなの?」
「あぁ。だから気にすることなんてない。受け取ってくれ」
チョーカーの箱を再び手渡そうとするが、ユーニは暫くこちらを見つめたあと伏し目がちに視線を逸らした。
“やっぱ無理。受け取らない”と頑なに拒絶する彼女の態度が、さらに僕の心を傷つける。
「気に入らなかったか?」
「いや。好きだよそういうの」
「じゃあなんで……」
「カフェでアタシらのこと見てたならわかるだろ?アタシ、ちゃんと向き合いたい奴がいるんだ。なのに他の男からのプレゼントなんて貰ったら不誠実だろ」
実に清廉潔白な理由だった。
ユーニはあの男への義理を貫き、僕という“脇役の男”が近付いてこないようバリアを張っている。
いや、違うだろ。この場合、遠ざけるべきは僕じゃない。あっちの男だ。
なんで僕が君から遠ざけられなくちゃいけない。おかしいだろ。だって僕は君の―――。
君の、君の、君の何なんだ?
ここにきて初めて気づいた。
ウロボロスの力を失った今の僕たちは、相方でも何でもない。
今の2人の関係を言い表す言葉はどこにも存在せず、曖昧な距離感を保っている。
この世界において、僕は君にとってただの“脇役”でしかないのか。
その事実に、落胆している自分がいた。
「その男と、付き合うつもりなのか……?」
「さぁな。まだ決めてない。でも、ちゃんと考えたいと思ってる。だからこれからはそういうの受け取れない。他の女にプレゼントしてやんな」
ため息混じりにそう呟くと、彼女は壁に寄りかかっていた身体を離し、店の中へと戻ろうとする。
物理的な距離だけでなく、心の距離までも離れて行ってしまうような気がして切なくなった。
だめだ。行かせちゃいけない。
僕の知らない誰かのモノになろうとするユーニを、黙って見送るわけにはいかなかった。
手を伸ばし、ユーニの腕を掴んで引き留める。
戸惑い振り返る彼女を捕まえ、恥も外聞もなく迫ってしまった。
「まだ決めてないということは、迷ってるんだろ?だったら答えを出す前に、僕も選択肢に入れてくれ!」
「は?え?」
「その男より僕のほうが確実に君のことをよく知ってる。なのにそいつばっかりズルいじゃないか。僕のこともちゃんと考えて欲しいんだ」
発言する前に頭でよく考えるべきだった。
口からするすると出た言葉たちは、あまりにも素直で、わがままで、それでいてかっこ悪い。
勢いに任せてまくしたてる僕に、ユーニは丸くしながら石のように固まっていた。
「か、“考えて”って……。お前、言ってる意味ちゃんと分かってんの?」
「わかってるさ。自覚したうえで言ってる」
ユーニの瞬きが多くなる。
いつもどこか飄々としている彼女にしては、珍しく動揺しているようだった。
今まで僕が君にされてきたように、今君の心を僕が乱している。
それだけで、少しは進展できたような気がした。
「だからこれは、“そういう相手”からのプレゼントだと思って受け取ってほしい。例の男もそうなんだろ?だったら、アイツの分だけ受け取るのは不平等だし、それこそ不誠実だ」
「なんだよその理屈……」
「いいから受け取ってくれ。拒絶されたら、傷付くから」
目を伏せたままのユーニが、ようやく僕の手から箱を受け取ってくれた。
彼女の表情を確認したいけれど、気恥ずかしくて顔をまっすぐ見ることができない。
照れているのか、それとも迷惑そうにしているのか、表情から読み取るのが怖かった。
けれど、もはや止まれない。
ユーニへとまっすぐ走り始めた僕の心は、ブレーキを踏むという選択肢などどこにもないのだ。
「それと、その、よかったら、えっと」
「……なに?」
「あの、……デっ、いや、食事にでも行きたいなと」
“デート”と言いかけて“食事”と言い直してしまったのは、直前で怖気づいてしまったからだ。
はっきりとデートに誘って断られたら、希望が無くなってしまう。
以前リリハに真っ向からデートに誘われたわけだが、あの時の彼女がいかに勇敢だったのかがよく分かった。
きっと相当勇気がいったはず。改めて積極的な彼女に尊敬の念を抱いてしまった。
「わかった。行く」
「えっ、本当に?いいのか?」
「うん」
「そうか。そっか。よし。必ず楽しませるから。場所と日程はまた今度」
「うん」
ここにきて、ようやくユーニの顔を見ることができた。
僕を見つめてくる青い瞳はゆらゆらと揺れて、熱っぽい視線を向けてくる。
まるで“少女”のような顔でそこに立っているユーニの姿に、心が締め付けられた。
プレゼントを渡すたび見せてくる笑顔もいいけれど、この顔もいい。
もしかしたら僕は、本当はこの顔が見たかったのかもしれない。
赤くなる顔を隠すように眼鏡を押し上げる。
“じゃあそう言うことで”と踵を返し、店の中に戻ろうとしたその時だった。
店のドアが少しだけ空いている。
中から数人の人影が僕とユーニの様子を盗み見ているようだった。
その人影の正体は、推理などせずともわかる。
ノアたち4人の“おせっかいな友人たち”だ。
「お、おいこら!」
「やっべバレた」
ランツの一声により、がたがたと派手な音を立てて4人は店の奥に戻っていった。
気恥ずかしいところを見られてしまった。
席に戻るのが気まずすぎる。
ふと背後を振り返ると、ユーニも少し赤らんだ顔で苦笑いしていた。
その日一日、4人からにやにやした視線を浴び続けることになったのは言うまでもない。
***
ユーニとの約束の日を、僕は指折り数えて待っていた。
早くその日になればいいのに。カレンダーを毎日見ながら、迫る約束の日を楽しみに待つ。
日をまたぐたび、喜びと緊張が増してゆく。
こちらが誘った以上、プランは僕が考える必要がある。
場所は旧インヴィディア領にした。
あそこはサフロージュの花が咲き乱れていて、景観がかなりいい。
ユーニはアイオニオンにいた頃サフロージュの花を綺麗だと口にしていたし、きっと気に入るに違いない。
一緒に花を見て、食事をして、買い物をして、彼女をたくさん楽しませたい。
せっかく丸一日かけてユーニと一緒にいられるのだ。
どうせなら彼女が好きな場所、好きなものを見せてやりたいが、考えれば考えるほどユーニのことがわからなくなった。
君の趣味趣向はなんでも把握しているつもりだったけれど、いざこうして向き合ってみれば途端にわからなくなる。
わかったふりをしていながら、本当は何も知らなかったのかもしれない。
やがて、ユーニのとの約束の日がやってきた。
転移装置で待ち合わせの場所に向かうと、想定よりも早く到着してしまう。
20分以上早く来てしまったせいで、そわそわする時間が無駄に長くなってしまう。
早く来ないかな。まだかな。そろそろかな。
懐中時計を確認しても、時間の進みが早くなるわけじゃない。
「お待たせっ」
聞こえてきた声に反射的に立ち上がりそうになる。
けれどその声の主は、僕の隣に立っていた見知らぬ男の腕を組みながら言ってしまった。
ユーニじゃなかったのか。
肩を落としながら、再び腕を組みあたりを見渡す。
ユーニが来たら、何を話そう。
まずは服装を褒めるのがいいだろう。
服や上着やアクセサリー。とにかくなんでもいい。とりあえず見た目を褒めよう。
歩く速度はできるだけゆっくり。あまり早く歩きすぎると疲れるだろうから。
そしてなるべく、他の男の話題が出ないようにする。
2人でいるときくらい、僕一人に集中してもらいたいから。
心の中でシュミレーションしているうちに、とうとうその時がやってきた。
「タイオン」
名前が呼ばれた瞬間、心臓が跳ねる。
振り返ると、そこには羽の先を指でいじりながらこちらを見上げているユーニの姿があった。
彼女の姿を視界に入れた瞬間、今日の勝利を確信した。
何故なら、ユーニの首元には先日僕が贈ったチョーカーが輝いていたから。
着けてきてくれたのか、似合ってる。可愛い。綺麗だ。
そう言おうとして、言葉が詰まる。
ユーニの青い視線と自分の視線が絡み合っているだけで、どうしようもなく気分が高揚してしまう。
心の中ではいくらでも甘い台詞が浮かぶくせに、喉を通ってユーニに伝えることが出来ない。
そして思い知るのだ。前にミオから指摘された言葉は、まさにその通りだったということを。
ユーニを見るたび、名前を呼ばれるたび、締め付けられる胸がこの気持ちの答えを教えてくれる。
やっぱり僕は、君のことが好きなんだ。
正しい生き方を知るために、僕たちはウロボロスとして戦っていた。
けれど、今日までの僕は、本当の意味で正しい生き方をしていなかったように思う。
この淡い気持ちに気が付いた瞬間、世界のすべてに色が付く。
贈るべきは大量のプレゼントなんかじゃなく、プライドという名の包装用紙で包みこまれたこの心だったのだろう。
彼女は受け取ってくれるだろうか。
決して美しいとは言えない、天邪鬼なこの心を。
「じゃあ、行くか」
「うん」
「手、繋いでも?」
勇気を振り絞って手を伸ばすと、ユーニは薄く笑って手を握り返してくる。
柔らかな彼女の手を握りしめると、余計に顔が赤くなる。
知らなかった。好きな人の手を握るだけで、こんなにも心が躍るなんて。
新しい世界で生まれ変わった僕の物語が、たった今始まった気がした。
END