【タイユニ】
■ゼノブレイド3
■ED後時間軸
■短編
ユーニの淹れたハーブティーは、コロニー9内でも評判の味だった。
衛生兵として防衛隊を支えていた彼女は、モンスターとの戦闘で疲れ切った兵を癒すため定期的にハーブティーを振舞うことがある。
彼女が淹れるハーブティーの中で最も評判が高かったのはセリオスティー。
リラックス効果の高いこのお茶を求め、任務や訓練の合間を縫って衛生兵の詰め所まで所望しに来る兵も多い。
“ハーブティー専門のカフェでも開いたら?”などと提案されたことはあるけれど、流石にそこまでの腕じゃないと言ってかわしている。
ある日、ユーニのハーブティーの味をえらく気に入った夫人が“レシピを教えて欲しい”と頼み込んできたことがあった。
だが、ユーニがその頼みを聞き入れることはなく、夫人は肩を落としながら帰っていく。
その背を苦い顔で見送ったユーニだったが、どうしてもこのレシピを他人に共有するわけにはいかなかった。
何故ならこれは、大切な“相方”から贈ってもらった大事なレシピだから。
アイオニオン、ウロボロス、メビウス。
聞き覚えのない複数の単語が記憶の片隅に浮かんできたのは、10歳を超えたあたりの頃。
ちょうど女王メリアの生誕祭があったあの頃のことだった。
当初は朧気だったその記憶は、歳を重ねるごとにだんだんと輪郭がはっきりしてくる。
やがて成人を間近に控えたこの歳になると、アイオニオンでの記憶は昨日のことのように鮮やかなものへと変わっていった。
いつのまにやら大事に抱え込んでいたこの古いレシピ帳も、子供の頃はどんな経緯で自分の手元に廻って来たのか全く分からなかったが、今なら分かる。
これはアイオニオンが消滅する間際、相方から贈られた大事なレシピだ。
悪夢にうなされていた夜、いつも彼はこのレシピ通りに淹れたハーブティーで癒してくれた。
自分と離れてからもこの味と香りを忘れないようにと、わざわざこの巨神界由来の紙とインクを使ってしたためてくれたこのレシピは、ユーニにとって生涯の宝物である。
このレシピを手渡してくれた彼にはもう、きっと二度と会えないのだろう。
だが、このレシピを胸に抱いていれば、違う世界に存在しているであろう彼のことをいつでも思い出せる。
声を聞くことも、名前を呼ばれることも、目と目で見つめ合うことも叶わないけれど、彼が遺してくれたハーブティーを味わってさえいれば寂しくない。
そう思っていた。だが……。
「タイオン……」
レシピ帳に視線を落とし、ユーニは震える声で呟いた。
もう何年も口にしていなかったその名前を声に出した途端、心の奥底から寂しさが襲ってくる。
ゼットを斃すと決めた時から、こうなる未来が待っていることは分かり切っていた。
にも関わらず今更孤独感に苛まれるるなんて馬鹿げてる。
そう思いつつも、溢れる寂しさを誤魔化すことなんて出来なかった。
レシピ帳に書き連ねてあるタイオンの字を見るたび、会いたくなる。
せめて声が聴きたくなる。
けれど、自分と彼の生まれた世界はあまりにも遠く、どう頑張っても手が届かない場所にある。
どんなに会いたいと願ったところで、その不毛な願望が叶うことはないのだ。
「うわっ」
不意に突風が吹く。
髪や羽根が風に乱され怯んだその時だった。
手に持っていたレシピ帳が風に飛ばされてしまう。
長年大切にしてきたそれが風にさらわれる光景に、ユーニは慌てた。
衛生部隊の任務で、薬草として使える草花をテフラ丘まで探しに行っていた時のことだった。
この辺りは風が強い。
コロニー9を見下ろせるこの小高い丘には弱小のモンスターしか生息していないため一人でも問題ないと思っていたのだが、間違いだったらしい。
止む気配のない風に飛ばされ、レシピはどんどん丘の奥へと飛んでいく。
やがて森の中へと入ったユーニは、ようやく風が弱くなったタイミングでレシピ帳を拾い上げた。
「あっぶねー。なくしたらタイオンに恨まれるな」
安堵のため息をつきながらレシピの表紙に着いた土埃を払う。
だが、顔を上げた瞬間安堵感は不安感へと変わってしまう。
レシピを追うのに夢中になっていたせいで、どうやら奥地まで入り込み過ぎてしまったらしい。
見知らぬ場所ではないが、これ以上奥へ進めば強靭なモンスターもたくさんいる。
道が分からなくなる前に早く帰らなければ。
そう思ったと同時に、今度はそよ風が足元を撫でた。
風が吹いている方へと視線を向けると、そこには崖肌にぽっかり空いた洞窟が口を広げている。
この辺りに吹いている風は、木の葉や花の花弁を舞い上げ、あの洞窟の中へと吹き込んでいるらしい。
「あんな所に洞窟なんてあったか……?」
この場所には薬草を採りに何度か訪れているが、洞窟があった記憶はない。
落盤事故か何かで新しく出来たのだろうか。
何となく気になったユーニは、レシピ帳を片手に洞窟の中へと足を踏み入れた。
もし落盤事故で出来た穴なら、巻き込まれた人間が中にいてもおかしくはない。
衛生兵の一員として珍しく責任感を果たそうとする行動だった。
「誰かいるかー?」
洞窟の入り口に立って声を出してみるが、聞こえてくるのは木霊する自分の声だけ。
相変わらず周囲の風が吸い込まれるように奥へと流れている。
ただの洞窟にしては、筆舌に尽くしがたい妙な空気を醸し出していた。
首を傾げていると、奥にキラキラと光る“何か”を見つけた。
洞窟の闇に浮かぶその輝き見た瞬間、ユーニは吸い込まれるように洞窟の奥へと足を進め始める。
まるでその光に誘われているようだった。
頭の中が真っ白になって、その光を追い求めることしか考えられなくなる。
やがて、どんどん大きくなっていく光に包まれ、ユーニの身体は洞窟の奥から姿を消した。
その洞窟が、アイオニオンから世界が分れした際生まれた“世界を繋ぐ空洞”であるという事実を彼女が知ったのは、この何年も後のことである。
***
この旅路の末には別れが待っている。
そう察したのはどのタイミングだっただろう。
初めてアグヌスの女王に目通りし、この世界の成り立ちを聞かされたときにはもう、うっすらと予感していたように思う。
だからこそタイオンは、“相方”として隣に居てくれた彼女にハーブティーのレシピを贈った。
彼女がもう悪い夢に脅かされないよう、安らかな眠りを手放さないように。
だが、今思えばそれはただの口実に過ぎなかった。
あのレシピを贈った本当の理由はきっと、自分を忘れてほしくなかったから。
手元に残る物を手渡すことで、自分という存在を彼女の中に刻みつけたかったのだ。
どうか僕を忘れないでほしい。
そんなまじないじみた願いを込めながら押し付けたあのレシピを、彼女はまだ持っているだろうか。
「久しぶりだね、タイオン。元気だった?」
両手で控えめに手を振りながら、ミオはアイオニオンにいた頃と変わらない笑顔で出迎えてくれた。
旅の仲間として対等に接してきたミオは、元の世界であるこのアルストでは女王の娘として生を受けていた。
そんな彼女に会いに来たのは、所属している地形局の仕事ですぐ近くに赴いていたついでである。
次期女王の地位にあっても、ミオはあの頃のままのミオだった。
面倒見がよく、時々お節介で、ことあるごとに年上ぶる。
ミオとこうして会うたび、世界が変わっても人は何も変わらないのだなと実感させられる。
恐らくはユーニも、もう一方の世界であの頃のまま変わらず生きているのだろう。
二度と会えることのない大切な人へと思いを馳せながら、タイオンはお邪魔したミオの私室で彼女の話し相手となっていた。
そんな時——。
「ミオちゃん大変だよ!」
昼下がりのミオの私室に、見慣れた少女が飛び込んでくる。
かつて一緒にアイオニオンを旅した仲間の一人、セナである。
現在はミオの側近として近くに仕えている彼女は、随分と切羽詰まった様子でノックもせずに部屋に押し入って来た。
そして、ミオと一緒にコーヒーカップ片手に談笑していたタイオンの姿を見て“あっ!”と声を挙げる。
「タイオンも来てたの!? ちょうどよかった!タイオンも来て!大変なの!」
事情を聞く暇もなく、タイオンとミオは慌ただしく現れたセナに手を引かれ、私室から連れ出されてしまう。
妙に騒がしい彼女の様子に、腕を引っ張られているミオは走りながら何があったのか質問をぶつけた。
そんなミオからの質問に、セナは驚くべきことを口にする。
“ユーニが西の洞窟に倒れたんだって!”
セナの口から飛び出したその名前に、タイオンは一瞬理解が及ばず思考を停止させる。
西の洞窟と言えば、最近急に出現したと噂されている不思議な洞窟である。
危険なので人払いしてあった洞窟に、あのユーニが倒れていたのだという。
そんな馬鹿な。この世界にユーニがいるわけがない。
だって彼女はアルストの人間じゃない。
二度と会えるはずのない存在なのだ。
きっと人違いだ。そうに違いない。
そう信じて疑わなかったタイオンだが、キャッスルの大広間にいたその人影を目にした途端息を呑んだ。
キャッスルで従事している兵や使用人たちに囲まれ、一人の女性が椅子に座らされている。
肩から暖かい毛布をかぶり、焦点の合わない目で膝の上に置かれた自分の手元に視線を落としている彼女は、間違いなくユーニだった。
あの明るい髪、青い目、そして頭の白い羽根。見間違えるはずがない。
アイオニオンで別れて以来、ずっと恋い焦がれていた姿を視界に入れた瞬間、タイオンはいつもの冷静さを忘れてしまう。
「ユーニっ!」
彼女を取り囲んでいる見物人たちを押しのけ、力なく椅子に腰かけている彼女に駆け寄りその身体を抱きしめた。
腕の中に仕舞い込んだ彼女は、間違いなくあのユーニだ。
あの頃と変わらない姿でそこに存在しているユーニに嬉しくなって、思わず力が強くなっていたらしい。
腕の中にいるユーニが、苦しそうに“うぅ”と呻き声を上げたことで我に帰り、タイオンは謝りながらその体を開放した。
「ユーニ、どうしてここに?洞窟で倒れていたと聞いたが本当か?なんでそんなところに?ノアやランツたちはどうした?一緒じゃないのか?」
矢継ぎ早に質問をぶつけてみるが、ユーニがその問いに答えることはなく、かわりにぎょっとした視線を向けて来る。
かつての相方に再会したというのに、感動も喜びも感じていないように見えるその顔は、タイオンを不安にさせる。
恐る恐る“ユーニ…?”と顔を覗き込み再び声をかけると、彼女はあの頃と変わらない青く綺麗な瞳を揺らしながら目を伏せた。
「アンタ、アタシの知り合い?」
「え?」
「“ユーニ”ってそれ、アタシの名前?ノアやランツって誰のこと?“どうしてここに?”とか、そんなのこっちが聞きたい。ここどこなの?」
「ユーニ、何を言って……」
「知ってるなら教えてよ。ここがどこなのか、アタシがどこの誰なのか……」
頭を抱えて項垂れるユーニの顔色は、今まで見たどの瞬間よりも悪かった。
憔悴しきっている彼女は、どう見ても正気を失っている。
タイオンのことは愚か、自分自身の名前すらわかっていないユーニの様子を見て、聡いタイオンはすぐに気付いてしまった。
そして、すぐに背後に立っているセナやミオへと視線を向ける。
いたたまれない様子で2人のやり取りを見つめていたミオもまた、察してしまったらしい。
そして、そんなミオの隣で眉を潜めているセナが、なんとなく察していた事実を捕捉するように口を開いた。
「ユーニ、何にも覚えてないみたいなんだ。自分の名前も、元の世界のことも、アイオニオンのことも……」
目の前にいるユーニは、アイオニオンでずっと隣に居たあの頃のまま何も変わっていない。
にも関わらず、彼女は全ての記憶を失っていた。
所謂記憶喪失というやつだろう。
虚ろな目で遠くを見つめるユーニを前に、タイオンは絶望を感じていた。
***
本人の言葉通り、ユーニは何一つとして過去の出来事を覚えていなかった。
アイオニオンでの旅の記憶は勿論、元の世界での記憶や、そこで築いた人間関係、さらには自分自身の名前さえも手放してしまったユーニは、まるで抜け殻のよう。
何も覚えていない彼女に、どうやってこの世界に来たのかという質問は意味をなさない。
聞いたところで“分からない”、“知らない”の繰り返しだった。
ミオやセナは、ユーニと同じようにノアやランツもこの世界に迷い込んでいるのではないかと希望を持っていたようだったが、ユーニを保護した部隊のハナシによれば、洞窟で横たわっていたのはユーニ1人だけで、他に人の気配はなかったという。
恐らく、この世界に迷い込んだのはユーニだけなのだろう。
ユーニ自身は自分がどこの誰だかわかっていないようだったが、彼女の素性を知っているのはこの世界でタイオンたち3人の元ウロボロスたちだけ。
この世界において、ユーニが頼れる相手は限られている。
行く当てもないユ彼女の身柄をタイオンが預かることになったのは自然な流れだった。
彼女の相方として、放っておくわけにはいかない。
それに、頭から羽根が生えた人間などこの世界でもかなり珍しい。
アルストにも悪辣な人間は数多くいる。
そんな連中がユーニという存在に目を着ければ、きっと面倒なことになるだろう。
美しい羽根を隠すための頭巾を頭から被せ、タイオンはユーニを自身の家へと招き入れた。
「ここを君の部屋にしようと思う。物は少ないが、必要なものがあれば言ってくれ」
自宅はコロニーのはずれに位置していた。
作戦立案課の課長としてそれなりに出世していたタイオンの家は、広大とは言えないがそこまで狭くもない。
幸い、ユーニという急な同居人が増えても何とか対応できるだけの広さは兼ね備えていた。
物置として使っていた部屋を、ユーニの部屋として使うことにした。
ベッドはないので、寝るときはタイオンがいつも使っているベッドを使ってもらうことになるだろう。
新しいベッドを購入するまで、タイオン自身はリビングに置かれたソファで眠ることになる。
少々寝にくいだろうが仕方ない。
少し埃っぽい元物置部屋へと案内すると、ユーニは黙って部屋の中を見渡していた。
一応掃除はしたつもりだが、やはりまだ空気が悪いようだ。
せめて窓を開けて喚起しよう。
そう思い、硬くなった窓をこじ開けようとしたタイオンだったが、背後からユーニが脈絡のない質問を投げかけてきた。
「名前、タイオンだっけ」
「あぁ」
「なんでアタシのこと知ってたの?」
どう答えるべきか迷ってしまった。
ユーニにはまだ、アイオニオンの話をしていない。
彼女が恐らく別の世界からやって来たのであろう事実も、まだ打ち明けてはいなかった。
話してしまってもいいが、1から事情を語るとなると非常に複雑な説明をする羽目になってしまう。
記憶を失い、ただでさえ混乱しているであろうユーニに、そんな難しい話をして良いものだろうか。
より一層混乱させてしまう愚を恐れたタイオンは、言葉を曖昧に濁しながら事実だけを伝えることにした。
「なんというか、君と僕はそれなりに深い間柄だったんだ」
「深い間柄?」
「昔はいつも一緒にいて、お互いが唯一無二の存在だった。運命共同体みたいなものだ」
ウロボロスの力を得てインタリンクできるパートナーだった。
そう一言で言い表せれば楽なのだろうが、とてもではないが1時間2時間で理解できる歴史じゃない。
とにかく“ただの友人ではない”という事実だけ伝えたくて、ふわっとした言い方をしてしまったタイオンだったが、その曖昧さがユーニを勘違いさせた。
暫く考え込んだ彼女はハッとした表情を浮かべ、とんでもない解釈を披露してくる。
「もしかしてアタシたち、恋人同士だった?」
「え˝!? あ、いや、うーん……」
違う。そうじゃない。
記憶をどれだけ深堀しても、タイオンとユーニが恋人同士であった事実はどこにも存在しなかった。
だが、即座に“違う”と否定できなかったのは、タイオンにとってまんざらでもない勘違いだったから。
大人になるにつれて蘇って来るユーニの記憶は、タイオンに淡い感情を徐々に自覚させていった。
ユーニの笑顔を思い出すたび胸が締め付けられて、ユーニの声を思い出すたび切なくなる。
別れ際に“4番目の相方”と言われたときすごくショックを受けたのは、きっとあの頃からユーニに特別な感情を抱いていたからなのだろう。
ユーニに恋をしていた。
その事実を実感して以降、会いたい気持ちに歯止めが効かなくなってしまった。
いつだったか、彼女と再会し、抱き合ってキスを交わす夢を見た。
一緒に家庭を築き、子供を抱きかかえながら笑い合っている夢も見た。
年老いて皺だらけになった手を重ね合い、微笑み合っている夢も見た。
叶わぬ夢だと知りながら、渇望することを止められない。
会いたい。ユーニに会いたい。
押し寄せるこの感情が、ユーニを異世界から呼び寄せてしまったのだろうか。
“アタシの恋人だったの?”
純朴なまなざしでそう問いかけて来るユーニの質問に、“違う”とは言えなかった。
言いたくなかった。
好きな気持ちを隠せないタイオンは、記憶を失っているユーニに対して初めて嘘をつく。
「まぁその……当たらずとも遠からず、かな」
当たってもいなければ近くもない癖に、タイオンは曖昧に肯定してみせた。
口にした瞬間罪悪感に苛まれたが、発言を取り消す気にはなれなかった。
何故なら、タイオンの回答を聞いたユーニが、申し訳なさそうに眉を潜めながら手を握って来たから。
「悪い。思い出せなくて」
「い、いいんだ!気にしないでくれ。こうして会えただけでも嬉しいから……」
その言葉に嘘偽りはなかった。
例え記憶がなくとも、自分のことを覚えていなかったとしても、ユーニという存在が隣に居てくれるだけで嬉しい。
また会えたという事実が、この心を歓喜させるのだ。
そして邪な考えが生まれてしまう。
折角再会できたのだ。もう二度と離れたくない。手放したくない。
ずっとそばにいてほしい。
最初は淡く切ない願望だったこの気持ちが、実際にユーニと再会を果たした結果際限なく肥大化してしまう。
やがて、“恋人同士だった”と嘘をついてしまうほどに、この卑怯な心は暴走し始めていた。
「あの……嫌だったら断ってくれて構わないんだが……」
「なに?」
「……抱きしめたい。いいか……?」
少し戸惑いつつも、ユーニは頷いてくれた。
承諾を得た、というよりは、承諾させたと言った方が正しいかもしれないが、それでも嬉しい。
ユーニの身体を優しく引き寄せて腕の中に閉じ込めると、彼女も控えめに背中に腕を回してきた。
「昔もこんなふうに抱き合ってたの?アタシたち」
「まぁ、うん。その……時々な」
「そっか」
抱きしめ返すその手つきはあまりにもたどたどしい。
慣れていないのは当然だろう。こうして抱き合ったことなど、本当は一度たりともないのだから。
そんな事実を知る由もないユーニは、タイオンの背中を優しく撫でながらか細く囁く。
「ごめんな。いつかちゃんと思い出すから」
その言葉に、タイオンはユーニを抱く腕の力を強めた。
もし、ユーニが全ての記憶を取り戻したらどうなるのだろう。
彼女は知ることになる。自分がこの世界の人間ではないことを。
恋人面している目の前の男が、嘘をついている事実を。
騙していると言われても仕方がない。きっと嫌われる。
それに、何もかも思い出したらきっと元の世界に戻りたがるはずだ。
彼女の本当の居場所はここじゃない。もう一つの世界こそが、本来いるべき場所なのだから。
記憶が戻らなければ、ユーニはずっとここにいてくれる。
自分の傍で、恋人として、隣に寄り添い続けてくれるだろう。
ならいっそ、記憶なんて戻らなければいい。
自分が誰なのか分からないまま、本当の居場所など分からないまま、ずっとこの腕の中で生きていけばいい。
そんな卑怯な考えを持ち合わせながら、タイオンは何も言えずユーニを抱きしめ続けていた。
***
以降、タイオンとユーニは一つ屋根の下“恋人”として暮らし始めた。
朝目が覚めて一緒に朝食を採り、夕方まで作戦立案課の仕事をこなす。
夜になって帰るとユーニが出迎えてくれる。
なんとも幸せな生活だ。
相変わらずユーニは記憶を失ったままで、タイオンとの生活には何の違和感も抱いてはいないらしい。
ユーニはともかく、タイオンにとってこの生活は夢に見た理想的な暮らしだった。
“恋人である”という嘘を健気に信じ、彼女はタイオンに歩み寄ろうとしている。
彼女の目には恋人に忘れられてしまった哀れな男に見えているのだろう。
忘れているという事実に罪悪感があるのか、ユーニは一度たりともタイオンの手を拒絶したことはなかった。
手を延ばせば必ず寄り添ってくれる。
求めれば必ず抱きしめ返してくれる。
名前を呼べば必ず見つめ返してくれる。
従順で健気なユーニに喜びを感じつつも、胸の奥に生まれた罪悪感を拭うことは出来なかった。
この生活が始まって1カ月が経過した今も、キスの1つも出来ずにいるのはそのせいだろう。
ユーニはきっと、自分のことなんて好きじゃない。
“恋人だった”という言葉を信じ、あるはずもないその記憶を再現するために気を遣っているだけなのだ。
だからこそ、無理強いは出来ない。
何も知らないユーニにこれ以上都合のいい嘘を押し付けて、無理矢理組み敷くなんてあまりにも卑怯だ。
そこまでは堕ちたくない。
「買い物に行った?」
「そ。食材が全然なかったから」
ある日の夜。家のソファに並んで腰かけティータイムを楽しんでいたのだが、不意に打ち明けられたユーニからの言葉に思考が停止した。
どうやら今日の昼間、タイオンが仕事で家を留守にしている間、ユーニがひとり買い物をするため外に出たらしい。
コロニー中央にある市場で食材を購入し、寄り道せず真っ直ぐ帰って来たと言うが、ユーニが1人で外に出たという事実に冷や汗が出た。
「どうして勝手に外に出た?外出する時は僕と一緒じゃなきゃ駄目だと言ったはずだ」
「仕方ねぇだろ?タイオン留守にしてたんだから。少しくらい一人行動したっていいじゃん」
「駄目だと言ってるだろ!」
焦りに身を任せ、思わず大きな声で怒鳴ってしまった。
怒鳴った瞬間、隣に座っていたユーニの肩が跳ねる。
驚かせてしまったらしい。
彼女の蒼い目には、驚きと戸惑いが滲んでいる。
しまった。怒鳴るつもりなんてなかったんだ。怖がらせたくない。
ぎょっとした顔でこちらを見てくるユーニに焦り、タイオンは口ごもりながら目を伏せた。
「……すまない。強く言い過ぎた。でも、外は危険だって何度も言っただろ?その羽根を誰かに見られたらどうする?騒ぎになるかもしれないのに」
「タイオンから貰った頭巾被って行ったから平気だって。誰にもバレなかったし」
「そういう問題じゃない。何かあってからじゃ遅いんだ」
アルストでは、昔ほどではないにしろ悪辣なたくらみを持った人間も多い。
珍しい容貌や美しい容姿を持った人間は、人身売買を積極的に行っている人攫いたちにとって格好の的だ。
ユーニの頭の羽根は、アルストでは相当珍しい。
人目に触れればたちまち噂になって、人攫いに目を着けられる可能性も高くなる。
もしそうなったら、また会えなくなるかもしれない。
それが恐ろしくて仕方なかった。
何度も口酸っぱく外に出るなと言い聞かせてきたが、アイオニオンにいた頃から自由人だったユーニにとって、家から出ない生活は窮屈でしかないのだろう。
束縛するかのようなタイオンの言い分に、ユーニは少し不満げに目を逸らしていた。
「窮屈なのはわかってる。でも心配なんだ。君に何かあったらと思うと……」
「……」
「買い物なら僕がいく。それか2人で一緒に行こう。な?」
「……わかった」
何とか納得してくれたユーニに安堵し、その身体を抱き寄せる。
不自由を強いていることは自覚している。
だが、彼女がこの世界の人間ではない以上、他の人間よりも危険に巻き込まれる可能性は高くなる。
“恋人”である自分が責任をもって守らなければ。
自ら背負い込んだ責任感に、ユーニを縛り付けてゆく。
タイオンの杞憂は他にもあった。
元の世界からこの世界に飛ばされた時と同じように、いつかまた知らない間に元の世界へと連れ戻されてしまうかもしれない。
ユーニの存在はこの世界にとっては異物そのもの。
彼女がこの世界に存在し続けられる保証など、ひとつもないのだ。
少し目を離した隙に、ユーニはどこかへ消えてしまうかもしれない。
助けを求める前に、不思議な力によって元の世界に飛ばされてしまうかもしれない。
もしそうなったら、耐えられる気がしない。
曖昧で朧気なユーニの存在を抱きしめながら、タイオンは怯えていた。
いつの日か、ユーニが急にいなくなってしまうその日の到来に。
どこにもいかないで。
ずっとここにいて。
懇願するように心で訴えるタイオンだったが、そんな彼の背中にユーニの腕が回されることはなかった。
***
その日、タイオンは珍しく帰宅が遅くなってしまった。
作戦立案課での書類仕事にてこずった結果、いつもより2時間以上遅れている。
ユーニはきっと退屈しているに違いない。
急いで夕食を買って家に戻ると、外は暗いはずなのに何故か室内は暗いままだった。
おかしい。人の気配がない。
リビングにも寝室にも浴室にもトイレにも、ユーニの姿が見当たらない。
よく見ると、ユーニが外出時にかぶっている羽根を隠すための頭巾も一緒に消えていた。
まさか出かけてしまったのか。あんなに勝手に出掛けるな言っていたのに。
案の定、玄関にはユーの靴が見当たらなかった。
出掛けていたとして、こんなに外が暗くなるまで帰ってこないのはおかしい。
何かあったに違いない。
大きな焦りを感じをタイオンは、慌ただしく家を出る。
めぼしい場所はすべて回った。
コロニーの市場、野外食堂、寄宿舎。
道行く人々に聞きまわって情報を集めようとしたが、頭巾で顔を隠した女性のことは誰も見ていなかった。
あてを見失ったタイオンはゆっくりと足を止め、呆然としながら商店の壁によりかかる。
もう思い当たらる場所はない。
ユーニ、どこへ行ったんだ……?
まさか、突然記憶が戻って出て行ってしまったんじゃないか。
嘘をついていることがバレて、愛想をつかされたのかもしれない。
元の世界に帰るため、こっそり家を抜け出してしまったのかも。
嫌だ。そんなの信じたくない。
こんな別れ、納得できない。
「ユーニ……」
その名前を呟いた直後、たった一か所だけ思い当たる節が浮かんできた。
ユーニが最初に保護された場所。
西のはずれにあるあの洞窟にいるかもしれない。
あの洞窟は、ユーニが元居た世界に繋がっている可能性がある。
もしも自分がユーニなら、元の世界に帰る手がかりを求めるためあの場所を一番に調べるだろう。
だとしたらまずい。
あの場所が元の世界に繋がっているのだとしたら、ユーニはその足で帰ってしまうかもしれない。
もう二度と自分の元には帰ってこないかもしれない。
そう思うと、気が気じゃなかった。
件の洞窟はコロニーから少し離れた場所にある。
急いで向かうと、森林の奥にぱっくり口を開けている洞窟が見えた。
あの場所に間違いない。
入り口へと駆け寄ると、中からタイミングを図ったように一人の女性が洞窟の中から外へ出てきた。
間違いない。ユーニである。
「ユーニっ」
名前を呼びながら駆け寄ると、彼女はタイオンの顔を見た瞬間大きく目を見開いた。
その口元は何かを言おうとしていたようだったが、聞くのが怖くなったタイオンはすぐに彼女の身体を抱き寄せる。
腕の中に閉じ込めると、ユーニの羽根を覆い隠していた黒い頭巾がふわりとはだけた。
よかった。無事だった。
不安感から解放されたことで、押し寄せる安堵感にむせ返りそうになってしまう。
ユーニはまだここにいる。
抱き寄せた腕の中に感じるユーニの温もりを掻き抱きながら、タイオンは腕の力を強めた。
「言っただろ、勝手に出掛けるなと……」
「ごめん。ここに来れば、何か思い出せるかと思っ——」
「いい!何も思い出さなくていいから……、どこにも行かないでくれ……」
「タイオン……」
みっともないことを言っている自覚はあった。
卑怯だということも、卑劣だという自負もある。
けれど、ユーニを繋ぎ留めておけるならいくらでも無様になれた。
失いたくない。この気持ちが、タイオンの心を暴走させる。
戸惑うユーニの腕を引き、強引に家へと連れ戻す。
足をもつれさせながらついてくるユーニは何度か名前を呼んできたが、答えてやる余裕はなかった。
家に到着し、玄関の扉が閉まった瞬間、タイオンはユーニの腰を引き寄せる。
「タイオ……んんっ」
手は出さないと決めていた。
けれど、もはや自らに課せた枷を律義に守れる冷静さは失われている。
強引に口付けられたことで、ユーニは息を息を詰めた。
もう無理だ。心がユーニを求めてやまない。
抵抗することすら忘れたユーニの身体を壁に押し付け、強引に舌をねじ込む。
ユーニは苦しそうに吐息を漏らしていたが、構わず絡みつくような口付けを続けた。
やがて唇を開放すると、ユーニは男勝りだった性格からは想像もできないほど不安げな瞳でこちらを見上げている。
こんな顔をさせたかったわけじゃない。
昔のように目を細めて幸せそうに笑って欲しい。
けれど、今のタイオンにはユーニを笑顔にする方法が分からなかった。
だからこそ、暴走してしまう。
腕を掴んで部屋の奥へ連れ込むと、自室のベッドにユーニの身体を押し倒す。
“うわっ”と小さく声を挙げたユーニの身体の上に跨ると、再び唇を塞ぐように口付ける。
感情を押し付けるようなキスだった。
有無を言わせない強引な手口は、タイオンらしさを奪っていく。
彼女の両腕をシーツの上に押し付ける力を籠め、まるで縛り付けるかのように拘束する。
ユーニは抵抗しなかった。
だが喜んで受け入れているようにも見えない。
そんな彼女の心に、自分への気持ちが存在していないことはタイオン自身よく分かっていた。
彼女は、自分のことなんて好きじゃない。
きっと“恋人だった”という嘘を信じ、気を遣って受け入れてくれているだけなのだ。
けれど、そんなユーニの優しさに今は縋っていたい。
どんなに卑怯で愚かなことかはわかっているが、ユーニをこの腕の中に仕舞い込んでおけるなら何でもよかった。
「ユーニ……。僕と結婚しよう」
「え……?」
「結婚して、ずっとここで生きていくんだ。家族を作れば、きっと寂しい思いをしなくて済む。ここが君の居場所になる」
「いや、でも……」
結婚すれば、夫婦になれば、家族になれば、ユーニはきっとどこにいもいかない。
ずっと一緒にいられる。
彼女の存在を束縛するような提案だった。
ユーニ自身、そんなタイオンの魂胆に気付いていたのかもしれない。
戸惑いを隠せない様子で口籠るユーニの思考を遮るように、タイオンは彼女の身体をきつく抱きしめた。
「君が失ったものは全部僕が埋めるから。だから結婚しよう。な?頼む、ユーニ……」
彼女の首筋に顔を埋めながら、掠れる声で呟いた。
懇願するような口調とは裏腹に、彼女の両手首を掴んでいる力はどんどん強くなっていく。
首元に刃物を突き付けるかのような懇願に、ユーニは頷くしかなかった。
「分かった。ずっとここにいる。だから、そんな悲しい顔すんなよ……」
「ユーニ……っ」
その瞬間だけは、“相方”だった頃のユーニの面影を感じられた。
本当は嫌がっているのかもしれない。
逃げ出したいと思っているのかもしれない。
でも、手放せない。
たとえ彼女に嫌われたとしても、憎まれたとしても、彼女を縛り付けるのをやめられない。
また押し付けるように唇を押し付けて、ユーニからそれ以上の言葉を奪う。
嘘で繋がった関係でもかまわない。
それでも、ユーニと一緒に生きていきたい。
一方的な願望を押し付けながら、タイオンはその夜、ユーニの身体をはじめて掻き抱くのだった。
***
タイオンの帰りが遅くなったその日、ユーニは単身密かに家を出た。
また一人で出かけたことを知られたら、きっとまた怒られる。
けれど、ずっとこの家でかくまわれるように生きていくことに限界を感じていた。
自分がどこの誰で、どんな人生をおくっていたのか知りたい。
記憶を失ったままでは、かつて恋人同士だったというタイオンにも申し訳ない。
自分自身のことは思い出せずとも、せめてタイオンのことくらいはきちんと思い出したかった。
とはいえ、記憶を取り戻す手がかりはゼロ。
調べるあてがあるとすれば、記憶を失ったと思われる現場であるあの洞窟だ。
洞窟で気絶していたところを、このコロニーの兵たちに保護されたわけだが、それ以前の記憶が一切ない。
恐らくはあの場所で何か起きた末に記憶を失ったのだろう。
記憶を手放す羽目になった経緯や原因が分かれば、なにか掴めるかもしれない。
そう考えたユーニは、タイオンが用意してくれた頭巾を被って家を出る。
洞窟の場所は辛うじて覚えていた。
歩き回った末にたどり着いたその洞窟に入ってみたはいいものの、特に何の変哲もない。
記憶を失う前の自分が、何故こんなところに足を運んだのか、その手掛かりすらも掴めなかった。
やはり無駄足に終わったか。タイオンが帰ってくる前に家に帰ろう。
踵を返し、洞窟から出ようとしたユーニだったが、足元に落ちている“何か”を蹴ってしまったことに気が付いた。
なんだろう。
気になってよく見ると、落ちていたのは小さな手帳のようだった。
中を開いて見て見ると、そこに書き連ねてあった字と内容を目にした途端、脳裏に衝撃が走る。
この丁寧な字には見覚えがある。
何度も会いたいと願った男の、あのタイオンの字だ。
手放していたはずの記憶が、津波のように押し寄せて来る。
何故忘れていたのだろう。自分自身の名前も、居場所も、そしてタイオンのことも。
ここは明らかに自分の故郷である巨神界ではない。
タイオンやミオ、セナの姿があるということは、この洞窟が巨神界に繋がっているということだろうか。
確かあの時は、洞窟の奥に見えた光を追って気を失った。
なら、この洞窟の奥へと進めばまたあの光に、巨神界に帰れるのではないだろうか。
一歩、そしてまた一歩と踏み出した時、脳裏にタイオンの切なげな顔が思い浮かんだ。
タイオンは言っていた。自分たちはかつて恋人に近い関係だった、と。
何故あんなう嘘ついたのか、今となっては何となく気持ちが分かってしまう。
繋ぎ留めたかったのだろう。
タイオンは誰よりも正直で、誠実で、優しい男だった。
そんな彼が騙すような嘘を吐くほどに、自分を縛り付けたいと思っている。
そう思うと、勝手に帰ろうとは思えなかった。
自分の本当の居場所はここじゃない。
これ以上ここにいるべきじゃない。
帰らなくては。けれど、一度タイオンに相談した方がいい。
記憶を取り戻したことを打ち明けて、元の世界に帰るべきだと説得するのが道理というもの。
このまま勝手には帰れない。
手に持ったレシピ帳を懐に仕舞い込んだユーニは、タイオンの元へ帰るために洞窟の外へ出た。
その瞬間、名前が呼ばれる。
顔を上げた先に見つけたタイオンの姿に、息を呑んだ。
こちらが言葉を絞り出すよりも前に力強く抱き寄せられたことで、先ほどの決意は簡単に揺らいでしまう。
「何も思い出さなくていいから……、どこにも行かないでくれ……」
タイオンが望んでいるのは、真実ではない。
嘘で繋ぎ留められた現状の維持だ。
皮肉にも、タイオンの腕の中はやけに居心地がいい。
彼から抱きしめられるたびに胸は締め付けられ、ずっとこの温もりを感じていたくなる。
記憶が戻ったことを打ち明ければ、きっと2人は一緒にいられなくなる。
ずっと会いたかったのは、こっちも同じだ。
二度と会えないと思っていた。
どんなに望んでも、タイオンに見つめられる未来はやって来ないものだと諦めかけていた。
そんな中転がり落ちてきたこの奇跡を、そう簡単に手放していいものだろうか。
迷っているうちに、ユーニは腕を引かれて家へと連れ戻される。
タイオンとの初めてのキスは、あまりにも強引で彼らしさが一切感じられなかった。
ベッドに押し付けられて、感情を無理やり飲み込ませるようなキスを何度も落とされる。
やがて、瞳を揺らすタイオンは声を震わせながら懇願してきた。
「君が失ったものは全部僕が埋めるから。だから結婚しよう。な?頼む、ユーニ……」
そんな悲しい目で見つめられたら、本当のことが言えなくなる。
記憶は全て取り戻してしまった。
ここにいるべきじゃない。帰らないといけない。
言うべき言葉は全て喉の奥から出てこないくせに、言うべきではない言葉ばかりが口を突いて出る。
「分かった。ずっとここにいる。だから、そんな悲しい顔すんなよ……」
ユーニの言葉を聞いて、タイオンはほんの少し安心したように目を細めた。
首筋に顔を埋め、服を乱してくる彼の手を拒絶することなく受け入れながら、ユーニは自分自身を責め続けていた。
タイオンが暴走気味になっていることは分かっていた。
自分には彼を止める義務がある。
けれど止めよとしなかったのは、ユーニもまた、タイオンという存在に依存していたからなのかもしれない。
アタシもどうかしてるな。
掻き抱くように自分の身体を貪るタイオンに応えながら、ユーニは何も知らないふりを続けるのだった。
この世界で、ずっとタイオンと生きていくために。
END